なぜ印欧語族の動詞には人称変化があるのか
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わざわざ主語の人称や単数複数によって動詞を変化させる意味ないだろ
英語のbe動詞の変化とか三単現のsだってなくても何も困らないし もしこのスレの誰かが腐って荒らしてるのだとすれば、論破された>>136かな? 言葉にはフレーム構造ってあるよな
ドイツ語だと 分離動詞((例anrufen)
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Ich rufe dich an
中国語だと離合詞(例)
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我們見過面
印欧語の人称変化もその類で関係のあるものでフレームにしたんだろうと思う。
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人称代名詞+〜動詞〜+人称変化 なぜ接頭辞や接尾辞で対処せずに屈折して対処したのか、なぜ膠着語ではなく屈折語なのかを問うたほうが良かったな モンゴル語は方言によっては動詞に人称語尾がくっつくらしいが、印欧語(ロシア語)との接触の影響なのかな。 もともと抱合語みたいなもんだったんじゃないの知らんけど いろんな形態素がひとつの屈折に詰まってる方がお得じゃないの フィンランド語、ハンガリー語、トルコ語、カザフスタン語、モンゴル語、ウイグル語等々ウラルアルタイ諸語も述語動詞に人称変化あるで。 「私が」が「私」の語尾屈折と見做されないのはどうしてなの?
はっきりとした2要素分離があり独立してるから?
「wataʃiŋga」とŋが入るような発音の時もあるが >>457
例えば日本語では目的格は「名詞の直後に助詞『を』を付ける」という一貫的なルールにより表され、代名詞を含め、どの名詞にも単一の規則が適用される。
言語によっては、母音調和や音便などによる細則が存在する場合があるが、それでも一度ルールを覚えてしまえば、原則としてどの名詞にも適用できる。
対照的に、屈折語は名詞の曲用パターンが名詞の語形や性別などに応じて複数種類あり、しかも代名詞を中心に不規則変化や補充形が多い。
膠着語では一つの形態素が一つの意味や文法範疇に対応しており、それを順番に並べて用いる。
しばしば複数の文法範疇が融合して一つの形態素で表される屈折語とは対照的である。
また、膠着語では、異なる文法範疇を持つ語は必ず異なる語形で表されるという言語が多い。
例えば、典型的な屈折語の一つであるロシア語では、男性名詞不活動体や中性名詞においては主格と対格が同形になるが、日本語ではどのような名詞も主格は「~が」、対格は「~を」という助詞を伴っており、助詞が省略された場合を除き、異なる格が同じ語形で表されることはほぼあり得ない。 私は郷ひろみが好き
郷ひろみが私を好きになった
という「が」の例があるが希少例に過ぎないというわけだね 古い時代に代名詞が動詞の後ろにあったその名残りかもしれん。適当だけど 印欧語族が世界中に広まったから不思議に思うだけで、「元々、東ヨーロッパ(グルガン仮説)の一言語にそんなのがありました」だったらへぇそうなんだで終わりだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています