天明年間、筑前国那珂郡志賀島志賀島に於いて甚兵衛なる百姓が田圃仕事中に偶然発見したとされる。

・「漢委奴國王」を何と読むのか?
 →かんのわのなのこくおう
 →かんのいとのこくおう
 文化庁編「新増補改訂版 国宝事典」(便利堂、1976年)
 「その訓みについてはなお定説をみない」

・後漢書の印綬と同一か?
 後漢書「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」より
 建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
 「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」

・そもそも真物か?
 出土地も確定できない問題がある