【久野】狗奴国は「クノ国」の事である【久能】 [無断転載禁止]©2ch.net
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狗奴国は「クノ国」の事である。
「久野」「久能」を冠する地名が今もたくさん残っている神奈川から静岡にかけて
広がっていた大国の事である。
3世紀の東日本で最も規模の大きな古墳が集まっている「沼津」あたりが
都だったと考えられる。
その中で一番規模の大きな前方後方墳である「高尾山古墳」が卑弥弓呼の陵墓だと
思われるが、最近調査されている。 で、沼津に大規模な遺跡はあるのかい?
まぁ大国なんだから、纏向遺跡や比恵那珂遺跡位の大都市は欲しいよな。 足高尾遺跡群がそれである。
高尾山古墳はその中の一つなだけで。 何で今まで提唱している人が居ないのか不思議なくらい。 宮下文書も竹内文書も江戸時代に書かれた偽書だけど、富士王朝なるものがあったとしたら、
それは間違いなくクノ国の事だろうね。
霊峰富士山の麓に栄えた都だもの。
邪馬台国に対抗したくもなるだろうね。 狗奴国は邪馬台国の南に在ったと倭人伝には書かれてる
狗奴国が神奈川から静岡なら邪馬台国は長野や山梨? >>11
魏志倭人伝では南は奥の事を意味するようだから邪馬台国畿内説とも矛盾しない。中国からみて日本列島の奥=東だから だいたい方位磁針もGPSもないの九州から真南に海で10日間も進んだ事を旅行者が体感できる訳がない。
九州から海で日本列島のどこかに移動するなら、瀬戸内海経由しかなく10日間一方向に進んだとすれば東に向かったとしか考えられない。
魏志倭人伝の著者は日本列島が九州を付け根として南に伸びる列島と認識していたと思われる。従って記述の「南」は単に中国から離れる方向、即ち「奥」を意味し東方向を意味すると考えられる。 九州から真南に海で10日間じゃなくて
日数は帯方郡からの日数だし、方向も帯方郡から南
南を東とか改竄したらだめだよ。l 愛鷹山麓周辺に巨石文化?をもった王朝があったって唱えている人がいたな 魏志倭人伝の著者は東という文字を知らなかったのだろう このスレを本物だと見抜いた12はなかなかの高知能。
恐れ入りました。 登呂遺跡の最寄りの海岸は、やはり久能海岸と言うんですよ。 >>19
アナタ ベトナム カエル カエル
ベトナムタイワン カエル カエル
アナタ ニホン デテク デテク
ニホン デテク デテク デテク なぜ沼津から巨大古墳が?→クナコクがあったから
なぜ畿内に超巨大古墳が?→邪馬台国があっから >>22
素直にそう考えるべきだろう。
ごちゃごちゃと難しく考えてはいけない。
最初のインスピレーションが大事。
それが一番正解率が高い。 熊本や熊野なら、子音がkm国になる当て字を持ってくるはずなんですよ。
でも狗奴国はkm国じゃない。
kn国です。
その点、クノ国だとkn国だから合致するんです。 魏志倭人伝では邪馬台国の南とされてる狗奴国ですが
その後書かれた後漢書東夷伝では邪馬台国の東になってますね
@魏志の間違いに気付き訂正した
A狗奴国が引っ越しした
この2つのどちらかでしょうか Aはないだろうな。
そんな短期間の内に遠方まで移動したら、何らかの証拠がたくさん残っているハズだし。
魏志の間違いに気付き訂正したというより、その当時はまだ正しいコピー本も
たくさんあったんじゃないかな?
後漢書は運良く、正しいコピー本の方を使ったのかもよ。 魏志のオリジナルには東と書いてあったのに
写本で南になったって事?
それは流石に無理があるような その点あんまり詳しくないんだけど、現存しているものはコピーにコピーを
何度も重ねてきたものなんじゃないの?
違うの?
もしそうなら、途中で正しいものと間違ってるものの両方があってもおかしくないような? 現存してる魏志倭人伝は12世紀の写本だな
もちろん写本の写本かもしれないし
写本の写本の写本かもしれない
写し間違いは当然あるだろう
だから、壱は台の書き間違えとか陸行一月は一日の書き間違えとかで話に花が咲いてるわけだ 後漢書では狗奴国は邪馬台国の東と書かれているなら、魏志の原本は東だったんじゃねえか?
後漢書は魏志の原本を参考にして書いたんだろうから。 >>1
賛成。
磐田・袋井は三遠式銅鐸の最終集積地。
大和にいた卑弥呼が鏡祭祀を受け入れた。
それに反対したのが狗奴国。 >>30
12世紀にわざわざ東を南に書き換えたアホがいるって事か >>31
戦争が勃発して千人殺し合ったのって、その辺だと俺は思うんだわ。
狗奴国人が邪馬台国領内に攻め込んだとは考えにくいから、やはり邪馬台国人が
狗奴国に攻め込んできて、袋井あたりで一戦交えたんだと思う。
だから狗奴国人は袋井あたりに銅鐸を並べて呪術的な防壁というか、結界を
張ったんだと思う。
>>32
12世紀とは限らないし、単なる間違いなだけだろ。 後漢書
自女王國東度海千餘里至拘奴國
雖皆倭種而不屬女王
女王国より東、海を渡って千余里で拘奴国に至る。みな倭種であるが女王には属していない。
范曄が単純に要約してしまったか?、拘奴国は別の国か?、後漢書が書かれた時代には狗奴国が東に勢力を伸ばしていたか? 高尾山古墳は後方墳だね。
卑弥弓呼ではないと思う。
多分、古代物部。
ニギハヤヒの系統ね。
銅鐸族は古代出雲と関りが深いから、
関東に多い四隅陸橋墓か、
あるいは葛城の鴨族がそうであるように山の中腹の水源に住んでたと思う。 三重から舟で海を東に行けば静岡に着くじゃないの。
千余里が何kmなのか知らんけど。 対馬ー壱岐間が1000里なんだからその程度の距離だよ
九州説なら山陽か四国の九州に近い所
畿内説なら静岡だろうね 距離の単位も方角も間違いまくりw
要するに魏志倭人伝書いた奴は教養がなかったってこと。 魏志倭人伝の著者は中国語の通じる朝鮮を通って倭と思われるところに入ったのまではおそらく事実で。
距離も方角も適当だが奥へ奥へ行ったのが事実だから瀬戸内海通って、邪馬台国即ちヤマトの国があった機内まで来て、
言葉は解らないが南だと思っていた方角の更に向こうに久能の国があるらしいと聞いて帰ってきた。 台与の時代に和解が成立したんだろうけど、沼津あたりに4世紀までの古墳しかないから、
狗奴国は4世紀後半頃に邪馬台国に滅ぼされたと見られる。
その後は邪馬台国に解体され、邪馬台国から国造が各地に置かれた。
久努国造(くののくにのみやつこ)は滅ぼされた狗奴国の名残なのだろう。 >>40
違う。
魏志倭人伝はルポルタージュなの。
著者の陳寿が直接、邪馬台国を訪問して書いた旅行記じゃなくて、
陳寿が邪馬台国を訪問した魏使たちをインタビューして書いたルポルタージュなの。
だからかなり内容的に怪しいんだよ。 >>40
スマン
ルポルタージュの意味を勘違いした。
ルポルタージュじゃなくて、邪馬台国に行った魏使たちをインタビューして
書いただけで、著者の陳寿自身は行ってないの。
そういうのって何て言えば良いんだろうね。
伝聞録とでも言えば良いのか?? もちろん魏使も当時の日本語は分からないはずだし、中国に朝貢してる九州の一部の国だけは辛うじて中国語が通じるからそれを頼りに機内のヤマト国までは来れたが、その向こうは流石に言葉も民族構成も違ったのか伝聞に留まったというのがオチだろうな。
魏使の大半も恐らく九州や朝鮮に滞在していたのだろう。 魏使たちをインタビュー?アホかw
倭について魏使たちが書いた報告書や公孫氏の残した記録を読んでまとめたんだよ。 単純に日本人が東と言ってるのを南と誤訳しただけだと思う。陳寿は実際行ってないなら伝聞をまとめて日本列島を九州を付け根として南に伸びる島だと思い込んでもおかしくは無い。東と正しく報告した魏使の話も本人の思い込みで南と書き換えたりもあったのだろう。 西日本の弥生系と東日本の縄文系は言葉の疎通はどのくらいできたんだろうな。クノ国は蝦夷に繋がる縄文系だったのだろうか。 3世紀の静岡以東の東日本はまだ倭国じゃなかったんじゃねえか?
狗奴国は結局滅ぼされたみたいだから、東国史は邪馬台国の侵略の歴史なんだよ。 3世紀だと静岡以東どころか中国四国地方も倭国の範囲ではない
倭種の地域だよ。
狗奴国は東国じゃないしw 中国四国は倭国だろ。
女王に属する国名があるじゃないか。
對蘇国=土佐
伊邪国=祖谷
祖奴国=讃岐 3世紀の倭国は朝鮮半島南岸から北部九州にかけての地域。
中国四国は倭種や侏儒國、裸國、黒齒國。 倭国の位置が違ってるのに歴史作家は辻褄が合ってないことに気付かない
倭国は日本列島ではない 魏志倭人伝を読むと、何か遠い外国での出来事かのように見えるけど、
実は地元だったり、近場の話だったりする。
神奈川県人、静岡県人は自分たちの祖先の話なんだから、もっとアピールするべきだろうね。
俺たちの祖先は邪馬台国と戦争をしたんだと。 卑弥弓呼の陵墓は高尾山古墳ではなく、次に古い神明塚古墳の方かとも考えたが、
高尾山古墳は完成が230年頃で、実際に葬られたのが250年頃だとの事なので、
被葬者が亡くなってから造られたものであれば、完成と同時に葬られるはずだから、
被葬者は葬られる250年頃まで狗奴国王だった人物のはずである。
卑弥呼は卑弥弓呼と素より不和だったとの事なので、卑弥弓呼は卑弥呼が生前に
狗奴国王だった人物のはずだから、卑弥呼が崩御したのが248年頃だから、
250年頃まで狗奴国王だったと見られる高尾山古墳の被葬者こそが卑弥弓呼だ
という事になり、次に古い神明塚古墳が卑弥弓呼の陵墓である可能性は低くなる。 >>55
今の東日本人は基本的にヤマト人だろ。クノ国があったとして現在に血縁が繋がるとは思えないな >>57
繋がってるに決まってるでしょ。
クノ国人はみんな死んだんですか?
クノ国は4世紀後半頃に消滅したようだけれども、人民はふつうに生活してますよ。 日本人である以上、祖先の誰かしらに邪馬台国人、クノ国人が必ずいると
思いますよ。
アイヌや沖縄人でさえ、本土人の血が入っている人がほとんどなんだから、
祖先に必ず邪馬台国人とクノ国人が一人はいると思いますね。 侏儒国は侏儒が小人の意味だから小人伝説のある北海道の事じゃないかな?
裸国、黒歯国は舟で一年かかるから、樺太か千島かカムチャツカあたりか?? やっぱり尾張はここで邪馬台国の終わりってことで
三河から東が狗奴国なのかもね クナ国も大和朝廷も人種は変わらんだろ。
別に言葉は普通に通じていたみたいだしな。 樺太や千島やカムチャツカだと、まだ布というものを作る技術がなかったんじゃないか?
だから冬は毛皮を着ているが、夏は毛皮だと暑過ぎるから裸で過ごしていたんじゃないかな?
倭人が訪れたのは夏場だったから裸の国だと思ってしまったと。
黒歯国はさすがに分からん。 末盧国←松浦
伊都国←糸島
奴国←福岡市
不彌国←福間
投馬国←鞆
邪馬台国←奈良県
狗奴国←神奈川県〜静岡県 黒歯国はお歯黒と関連付ける人も多いが
実はビンロウなのかもしれない
もしそうなら東南アジアだな 小人伝説があった場所は北海道しかないし、侏儒国から方向転換の話が出てこないから、
黒歯国は北海道以北だろ。
水質によって歯が黒く変色する場所もあるんじゃないか? 静岡は昔から有名だけど神奈川ってなんだよ?
狗奴国神奈川説なんて初耳なんだが? 神奈川広いぞ。小田原あたりならクナ国の支配下だとしてもおかしくはないか >>71
地名からだよ。
神奈川の小田原に「久野」という地名がある事を知ったのは、このスレが初めての人が多いと思う。
近くの川はやはり久野川と言うそうですよ。
地名がある場所から30km圏内はクノ国領だと思われるので、そうすると神奈川県の大部分が
圏内に入る事が分かります。 >>70
小人伝説だけで侏儒国を北海道に断定するのは危険だと思いますよ 高尾山古墳はクナ国(磐田・袋井)に睨みを利かせる人物の墓であったと思う。
銅鐸族は前方後円墳や後方墳を造らない。
山陰の出雲で前方後円墳が出来るのは、完全に大和に制圧された4世紀以降。 神奈川のカナの語源は、
クナ、
韓(カラ)
鬼怒川と同じケノ(毛野)
あたりか。
秦氏は神奈川に移住してる様だが、
だからと言って韓(カラ)が語源となるとは考えにくい。 邪馬台国論争に神奈川が狗奴国として加われるのは喜ばしい(*´▽`*) 次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國
— 『三国志』魏書東夷倭人
次に奴國有り 此れ女王の境界の尽くる所なり その南に狗奴國有り
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この狗奴國が「磐田・袋井」なら北に奴國がないとおかしい。
磐田・袋井の北には「伊那・恵那」という見事な「ナ国」がある。 つまりイナ、エナ、クナという国々があったのだろう。 そうすると福岡の奴国と、伊那・恵那の奴国と2つあったことになるが、
別に構わない。
例えば「ナカ、ナガ」。
那珂 那賀、名賀という地名が全国に多数あるから、
奴国も2つあってもいいのだ。 全国のナカ、ナガね。
https://goo.gl/k8AyU8
ナ国も一つではなかろう。 金(くむ) 銅(くり) だからクナ国も鉱山由来の名前ぽいね
くやかんこく、きんかんかや、も半島南部にあって倭人が掘りに行ってた地域だね
倶利伽羅峠なんてもろ、銅(くり)韓(から)峠だし、石川富山って銅の産地でいまも銅鋳物が地場産業だね 金属をカネと言ったけね?
神奈川の語源はそれかもね。
むかしチョソが韓川だと必死にアピ-ルしてたが。w 神奈川の語源は色んな説があるけど結局不明なんだよね。
小田原の「久野」の近くを流れる川が「久野川」という名前だそうだから、
関係あるんじゃないの? やっぱ邪馬台国と実際に戦場になった場所って、浜松から磐田あたりなんだろうな。
で、最前線が袋井あたりになったから銅鐸で防壁を築いたんだろう。 神奈川なんて出る幕あるのか?
考古学的には濃尾平野できまりだろ 地名優先、地名優先。
神奈川だって考古学的に矛盾しないし、そもそも濃尾平野は大昔から「オワリ国」でしょうに。
濃尾平野に狗奴国に似た響きの地名って何かあるか? 狗奴国の人が別の地域に移住してその名前を付けている可能性もあるから
地名だけで断定するのは危険だと思う
ただ、そうだとしても狗奴国の移民がいたわけだから研究する価値はあるけれども 王都の場所の問題もあるんだよ。
沼津って静岡の端っこの方にあって、20kmも行かないところからもう神奈川なんだよ。
王都をそんな国の端っこに持ってくるだろうか?
ふつうなるべく端っこの方は避けると思うんだよ。
ところが、神奈川を付け加えると沼津はちょうど真ん中あたりになって
地理的なバランスが取れるんだよ。
やはり神奈川の久野は狗奴国時代の名残なんだと思われる。 狗奴国は、邪馬台国の南。
甲信地方や関東、東北に邪馬台国があるわけない。 やはり久能山東照宮も元はクノ国の聖地か何かだったんだろうな そのものズバリの名前だから、大和の美輪山みたいな霊山なんだろうな。
4C後半頃から沼津に古墳が造られなくなるところから見て、狗奴帝国はその頃に
滅んだと思われる。
その後、帝国は解体され、静岡市あたりは駿河国になったが、聖地の名前だけは
そのまま残ったんだろう。 40 日本@名無史さん 2017/06/10(土) 08:33:20.30
魏志倭人伝の著者は中国語の通じる朝鮮を通って倭と思われるところに入ったのまではおそらく事実で。
距離も方角も適当だが奥へ奥へ行ったのが事実だから瀬戸内海通って、邪馬台国即ちヤマトの国があった機内まで来て、
言葉は解らないが南だと思っていた方角の更に向こうに久能の国があるらしいと聞いて帰ってきた。 考古学的に崇神が4世紀初頭から前半になりつつあります。
この時点で邪馬台国論争は終了なのです。
なぜなら崇神からほんの60年ほどさかのぼれば台与の即位の時代になります。
崇神から60年ほど前のトヨ(イヨ)の条件は2つ。
@最高位の女性であること。
A約3世代前にヒミ、ヒム、ヒメという最高位の女性がいること。
これで卑弥呼は簡単に決まります。
考古学的に崇神が4世紀初頭から前半というのは支持者が多いのにも関わらず、
今まで誰も崇神から60年ほど前のトヨ(イヨ)を探そうとしてこなかった。
「記紀に卑弥呼も台与も記載されていない」という固定観念があったからです。
自慢ではないですけど、私は探して見つけました。そして帥升まで見つけました。
■2世紀から4世紀まで
スサノオ(帥升)107年
・
・
・
・
ヒメ踏鞴 (3世紀初)神武
ヒメ踏鞴 綏靖
ヒメ踏鞴 安寧
トヨ津 懿徳 孝昭
トヨ津 孝安
磯城の台頭 孝霊 孝元 開化
崇神(4世紀初〜前)
邪馬台国の都は葛城です。
纏向ではありません。 では葛城に卑弥呼の墓があるのか。
有ります。
ヒミコの墓に最もふさわしいところ、高天原(御所市高天)です。
これがヒミコの墓です。
https://goo.gl/DA7WRZ
日本最古の高鴨神社が今もお守りしてます。
社殿創建は3世紀中頃〜後半。
孝昭天皇の頃です。
もはや出来過ぎの話です。
ただヒミコだけの墓ではありません。
卑弥呼を産んだ一族、鴨族の代々墓です。
おそらく台与も眠ってるでしょう。 >>101
狗奴帝国を滅ぼしたのは日本武尊だと見ています。
日本武尊は東征の途中、火攻めに遭うのですが、逆に火攻めし返して、
敵を焼き尽くしたそうです。
これが焼津(やいづ)の語源になったそうです。
日本武尊の放つ火攻めによって、ついに狗奴帝国は落日したのです。 今も昔も都心に墓は作らんだろ。墓があるのは郊外だろ。巻向山と葛城の位置関係なら葛城が都心で纒向が郊外の墓だってだけ。纒向の方が平地だから逆かもな。 火攻めと言うより、国中に放火してまわる日本武尊と名乗るトンデモネエ連中が
やってきて、燃え盛る宮廷の中で狗奴帝は焼け死に、狗奴帝国は幕を閉じたのです。 土地勘がないので分からないのだが、
磐田・袋井近辺ににカモ地名は多い?
静岡全般でもいい。
鴨、加茂、賀茂、神(カミ、カム、カン)蒲。
又はミワ地名、
またはオオ地名、
太田、多田、大野、大谷など。
多田が転じてタダという地名なんかも有り。
まぁクナ、クヌがクマ、カムあたりからきたと言えなくもないのだが。 3世紀後半から4世紀にかけて小札革綴冑という中国製の冑が十数点出る。
1点だけが九州で、あとは残り全部が畿内から出る。
これは中国と通交してた主体が畿内であり、
邪馬台国が畿内であった有力な証拠である。
記録には残ってないが、おそらく台与の朝貢時に中国から持ってきたのであろう。
邪馬台国が畿内なら、クナ国は静岡であろう。
他に有力候補地はない。
ではなぜ卑弥呼と争ったのか。
祭器・銅鐸の扱いではないだろうか。
卑弥呼は仕方なく鏡祭祀を受け入れたようだ。
同じ「神(鴨)」族であったクナ国はそれを容認できなかったのではないだろうか。
神族にとっては鏡など異国の蕃神。
とても受け入れる事などできなかったはずだ。
と考えてます。 信仰の対象となってない古墳(たとえば箸墓や平原など)を卑弥呼の墓と言ってるやつは馬鹿ではないかと思う。
想像力の欠如を恥よ。
2世紀前半から3世紀後半まで続き、ヒミコやトヨを生んだ王朝は天皇家ではない。
その王朝の王族たちは神々に変わった。
そして今でも信仰されている。
ヒミコとはエベっさん「事代主」の娘さんだ。
ヒミコ、トヨを含め、その神々のお墓は、
今も日本最古の神社が高天原(御所市高天)でお守りしている。
今日も見ていただきましょう、これがヒミコのお墓です。
https://goo.gl/DA7WRZ >>116
全然違う。
扶余とやらが日本に来ていたとしても、
その生活習慣の違い、民族性の違いからむしろ差別の対象になった。
大阪の被差別部落の多くが百済系。
信太山、藤井寺の林、日本最大級の津守など。 中国製の甲冑は楽浪・帯方文物かもな。
卑弥呼時代の帯方郡の最初の外交官って高句麗戦で戦死して、
狗奴国との戦争を報告しに行ったときには別の外交官に代わってたでしょ。
高句麗からの攻撃に備えて帯方郡には中国製の甲冑がたくさん出回ってたんじゃないか? 間違えた。
帯方太守の弓遵が戦死したのは高句麗戦ではなく、ワイ戦と韓戦でした。
1年に2回も戦争があったようです。 中国製の小札革綴冑が3世紀後半から4世紀の畿内の古墳から出る。
十数点の出土のうち九州はわずか1点、残りはすべて畿内。
当時の日本にこんな精巧な冑は作れない。
おそらくトヨの朝貢時に入手したのだろう。
この時点で中国と通交してた主体は畿内であり邪馬台国論争は決着する。
この小札革綴冑は山城の椿井大塚山古墳から出る。
崇神に反乱を起こした武埴安彦命が挙兵した場所であり、
椿井大塚山被葬者が武埴安彦である可能性が高い。
もう一つ面白いところから出る
大阪柏原の玉手山3号墳だ。
この時代に河内の首長が中国製の小札革綴冑というお宝を手に入れていた。
被葬者の該当人物がいる。
孝元天皇の妃・埴安媛の父、河内青玉繋だ。
武埴安彦の祖父になる。
河内青玉繋→埴安媛 →武埴安彦(崇神時代)
祖父と孫、つまり同じ一族が小札革綴冑を手に入れてたのではないか。
ということは河内青玉繋はトヨの時代を生きていた。
トヨの朝貢団の一人ではないのか。
どちらにしても「欠史」などと言われてきた初期8代天皇は確実に実在した、
そして魏志の台与と大和朝廷がこの冑によって結びつくのだ。 本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世が真剣に卑弥呼は誰か考えたあげく、
神功皇后だとするわけがない。
年齢がすでにトンデモになってるわけだから。
彼らは記紀編纂者が時代を大きくずらしたその意図を見抜き、
その心理を理解し、なおかつ自分たちも同調した。
真実を知らない方がよほど幸せなこともある。
しかし現代の日本人は中国へのコンプレックスなど微塵も持ってない。
明治人が日清戦争で取っ払ってくれた。
だからかつて日本が中国に朝貢してたことも余裕で受け止めれる。
そういう時代だからあえて言おう。
帥升とはスサノオだ。
つまり日本の歴史は後漢・安帝への土下座から始まった。
卑弥呼とはヒメ踏鞴だ。
神武は大王ではない。 中国へのコンプレックスじゃなくて、記紀を編纂していた当時は中国は敵国に
なっていて、反中国的な世論や政治思想が蔓延していたから。
その敵国に白村江で負けて、ナショナリズムは最高潮に。
とてもじゃないが、中国が日本よりも上の立場の記述なんか
できないような世相だったに違いない。
少しでも
中国をうえ‘ >>122
まず畿内であることを固めないと静岡が狗奴国にならないだろ。 久能山のすぐ近くに登呂遺跡がある……
トロイヤ……マジかよ
なにか詳しいこと知ってる人いませんか? >>140
1です。
登呂遺跡のすぐ近くに久能街道があったので、
「久能??」
「久能って、もしかして狗奴??」
と、そこから気付いてしまった俺です。 トロイの木馬って日本の埴輪の馬にそっくりなんだよね
足が太いの
技術的に細くできなかった訳では無くて、明らかに太く作られてる
埴輪の戦士も明らかに日本の武士とフォルムが違うし
いろいろと混ざったみたいね 沼津なんてダメだろ、東に寄りすぎ
濃尾平野ならともかく 沼津は久野と久能の間にあるから、国の支配には最高ですよ。 津は船着き場の事らしいから、沼のような船着き場が沼津の語源か? >>144
久野なんて関係ねーw
久野も久能も全国各地にある地名だぞ、なんの関係もないだろうよ 倭人が支配した新羅『新羅本紀』
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。
後に倭人の四代目新羅王、脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
朴氏初代の朴赫居世朴氏=瓠公は倭人であり。
金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)説話では、
鶏の鳴き声を聞いたので瓠公が調べると、金色の小箱なかから小さな男の子が現れた。
金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)の起源は倭人であり倭人が支配した。 >>148
と思うだろ。
全国に数カ所しかないの。
それに広さが違うの。
ヤフー地図で検索してみ。
全国の久野と久能の95%が神奈川県と静岡県が占めている。 永禄の時代に久野淡路守は徳川家康に急襲され切腹させられた
久野淡路守の子孫はその後も各地で反徳川派として転戦し続け、関ケ原、大阪の陣を生き延びて最後に淡路島に逃げ込む
徳川家康は幕府構築後、久能山に東照宮を立て、そこに自身の亡骸を西向けに座禅を組ませた格好で埋葬させた
淡路島の伊弉諾神宮の近くに久野々という地名がある
久野々の真東には田丸城があり、そこは徳川方についた久野氏の一派が城主として統治するようになった
田丸城は後醍醐天皇を守るために北畠氏が築城した名城であり、その北畠氏は織田信長によって田丸城内にて皆殺しにされている
家康は徳川方についた久野氏にはその呪われた城をあてがい、自身は久能山に身を埋める
久能山の西には京都御所がある
あればある なければないに 駿河なる く能なき神の 宮遷しかな
日本の歴史から完全に抹消されている久野氏と徳川氏の関係とは
徳川家康が久野氏を徹底的に恐れた理由は何だったのか グノーシス主義……島津家の家紋とシンボルが全く同じ
島津家……久の字を代々継承
狗奴国は貝殻通貨(カウリ貝)を用い、それは当時の全世界共通通貨であった(ただし内陸国を除く。海の民専用通貨)
邪馬台国は宝石通貨を用いていた(通貨経済というよりも儀式経済)
カウリ貝→コウリ→高な氏→こうな国→狗奴国
氷が貴重品でコオリと呼ばれたのもこのため
高麗(高句麗)→この貝殻通貨を狗奴国側から受け取る窓口であった?(その後に銅銭経済開始で大没落)
カウリ貝はタカラガイ。沖縄〜九州南部で大量に捕れた
バビロニア崩壊後に東南アジア流れ着いた古代文明人が貝殻通貨を用いて再起を図ったチャレンジの一つが狗奴国だったのでは
バビロン崩壊は紀元前600年、トロイヤ戦争は紀元前1200年なので、静岡にはトロイヤの方が先に来ていたはず
同じ敗残兵同士、蝦夷や縄文人と共に同化した可能性が高い
狗奴国の本拠地→沖縄〜九州
邪馬台国→古代中国人(漢字を作った人たち)による入植国家→畿内中心
狗奴国の分国→静岡(久野、久能多し)で元々はトロイヤ人や縄文系の同化混在地
トロイヤ文明とバビロニア文明が混じって久能(苦悩)主義(調子コいてると100%天罰が下るので禁欲しましょう)の誕生
→グノーシスとして世界中に伝播(特に1世紀頃の人口爆発中の地中海沿岸で大流行)
その後に久能側の狗奴国が邪馬台国と魏の連携外交で追い詰められ邪馬台国と同化
男系継承の大和王権が誕生 大和王権は魏と連携して三韓征伐(その時に南九州(本家狗奴国)からの襲撃に備えるために北九州に巨大な城を建てている)
貝殻通貨の崩壊で弱体化しきっていた三韓はあっさり降伏→倭人の百済入植
→この事件により久能側は九州以西の狗奴国との貿易線、連絡線が消滅
→隼人の乱→大和王権により鎮圧
→続いて大和王権の東征開始→坂上田村麻呂がアテルイを攻め滅ぼす
→律令制でさらに追い詰められて島津の戦闘民族化
その後、大和王権は白村江の戦いで負け百済を失う。
→百済無い→クダラナイ→くだらない→つまんない→拗ねて日本と改名
本家狗奴国では島津が台頭
鎌倉時代に十字を家紋に
キリスト教と見間違わないように〇を付け加えて
気付いたらグノーシスマーク
島津家の「悪は善、善は悪」の思想にも近しい物がある
島津さん「狗奴国は南九州だ」
久能さん「狗奴国は静岡だ」
まあ邪馬台国は畿内で100%間違いない >>154
あ〜あ……やっちまったな
心底同情する 岐阜県岐阜市「加納」
岐阜県下呂市「久野川」
岐阜県高山市「久々野町」
長野県御代田町豊昇「久能」
長野県豊丘村「河野」
山梨県山梨市神内川「加納岩」
埼玉県桶川市「加納」
埼玉県川越市「熊野町」
東京都日の出町「大久野」
千葉県富里市「久能」
千葉県木更津市(※市内あちこちの大字に同名の小字「久野ヶ原」「東久野ヶ原」「西久野ヶ原」「久野」が複数散在)
群馬県利根郡みなかみ町(※上野国「久野牧」、古代の官牧)
群馬県「上毛野」
茨城県古河市「久能」
茨城県総和町「久能」(※久能生)
茨城県牛久市「久野町」(※信太荘久野郷)
栃木県「下毛野」
栃木県足利市久保田町「久野」
栃木県「鹿沼」市「久野」
栃木県大田原市「久野又」
山形県天童市「久野本」
青森県つがる市木造菊川「喜久野」 熊本県南関町「高久野」
熊本県人吉市(※肥後国「球磨」郡)
宮崎県宮崎市清武町「加納」
大分県大分市「加納」
福岡県大牟田市「加納町」
愛媛県松山市北条町「河野」
山口県下関市菊川町「久野」
島根県雲南市大東町「上久野・下久野」(※出雲国大原郡久野郷、『出雲風土記』では来次郷)
鳥取県郡家町「久能寺」
兵庫県神戸市中央区「加納町」
兵庫県北淡町「久野々」
和歌山県「熊野」
和歌山県清水町「久野原」
滋賀県野洲市「久野部」
三重県津市芸濃町椋本「豊久野」
愛知県江南市「河野町」&「村久野町」
愛知県安城市「河野町」
福井県南越前町「河野」
石川県志賀町「熊野」
石川県白山市鳥越村「河野」
富山県富山市「熊野」 >>164
濃尾平野説では「加納」いってるし
本居宣長は「河野」いってるからアリだろ
久野はクノだが狗奴はクナなんだから大差なし、問題ない >>150
>全国の久野と久能の95%が神奈川県と静岡県が占めている。
↑じゃ具体的にリストアップして見せてもらおうじゃないかw >>162,163
やっぱり畿内を取り囲むように広がってる
邪馬台国が畿内中心で、その周りに狗奴国とその分国、協商国が広がってたんだろな 広島県三次市甲奴町(※備後国甲奴郡)
岐阜県高山市「久々野町」(※付近の船山は別名「久々野山」)
↑これも追加でw >>167
ヤフー地図で検索すりゃいいだけ。
検索結果の95%どころか、98%以上行ってるんと違うか。 邪馬台国はおそらく漢民族の植民地だったと思う
漢字は並みの人間には作れない。知能及びプライドが高く、他民族との対等での同化は許せなかったと思われる
狗奴国はカウリー貝を支配して広大な経済圏を確立していた古代エジプト〜メソポタミア文明の古代人の支流だったんだろう
前方後円墳をアホほど作ったのはその古代エジプトの流れを汲む狗奴国側の有力者だったんだろうな
おそらくは魏と連携を組んだ邪馬台国側の有力者のご機嫌をとるために雇用創出の一手法として作った
で、漢民族はその後に銅銭を編み出して貝殻通貨を崩壊させた
その最大の被害に遭ったのが高麗民族だったんだろう
で、ロシア側に敗走した高麗民族が遊牧民と交じって最恐のモンゴル民族が生まれた
そう考えると全て辻褄が合う >>171
ホラはいいからさっさとリストアップして見せろ
>>162-163の10倍以上あるんだろw 広島県三次市甲奴町(※備後国甲奴郡)
岐阜県高山市「久々野町」(※飛騨国大野郡久々野郷。付近の船山の別名も「久々野山」)
和歌山県有田川町「久野原」(※郡名は安諦郡→在田郡→有田郡と変遷)
熊本県山鹿市「鹿央町」千田「久野」
↑以上、追加で。
>>171
ヤフー地図で検索したら神奈川県1件(久野のみ)、静岡県2件(久野、久能が各1)
しかヒットしないんだが? 広島県三次市甲奴町(※備後国甲奴郡)
岐阜県高山市「久々野町」(※飛騨国大野郡久々野郷。付近の船山の別名も「久々野山」)
和歌山県有田川町「久野原」(※郡名は安諦郡→在田郡→有田郡と変遷)
熊本県山鹿市「鹿央町」千田「久野」
熊本県あさぎり町岡原北「熊野」
熊本県山鹿市「鹿央町」千田「久野」
新潟県見附市 「河野町」
埼玉県秩父市「久那」
↑神奈川県・静岡県「以外」が次々でてきて困惑するんだが…。 三重県紀北町長島「久野」も追加で。
畿内の近くだと淡路島と神戸ぐらい、奈良京都大阪に無し。
北陸、飛騨信濃、東海、関東と東国全域にくわえ、西日本だと旧来の熊本説に、山陰地方。
これって縄文系の文化の残滓が比較的濃い地方だな。
弥生系が濃いのは北九州、瀬戸内海沿岸、畿内。
この弥生ベルトには
狗奴系地名が瀬戸内海には愛媛と広島と淡路の神戸と
4ヶ所もある(4ヶ所しかない?)が海の民の中で狗奴国連合についた者の拠点だろう
東国は岐阜長野の山地・東海・房総の3勢力、西は熊本を中心にした南九州
が連合していたとすると、ちょうど南北朝時代の南朝のようにみえる。
九州の征西府懐良と菊池氏が九州にいる一方、
東国は関東府成良、信濃の宗良親王、陸奥の北畠顕信が各地にいたのと似てる。
そしたら南朝の中心が吉野になったように、狗奴国連合の中心は熊野か
和歌山県有田川町の久野原にあったのではないか。
南朝も全盛期には賀名生から住吉に本部を遷してたから
それに比べれば有田町はまだ控えめな位置だろう。 三重県紀北町長島「久野」
宮崎県宮崎市清武町「加納」
宮崎県宮崎市高岡町浦之名「狩野」
福岡県大牟田市「加納町」
南朝が終わったのは財源だった征西府を失ってから。
熊本県の狗奴国も瀬戸内海の海戦で邪馬台国に敗れてから東国も含めた狗奴国連合は徐々に瓦解したんだろう。
マイナー勢力に転落してからも富士の麓、久能山に立て籠もってかなり後まで存続してたんじゃないか(半ば放置プレーで)
卑弓弥呼ヒコミコは皇子(ひこみこ)。卑弥呼の男弟と次の皇位を争っていた皇族だろう 淡路島の久野々は久野淡路守宗益? こいつの子孫が家康への最後の嫌がらせで淡路島に逃げ込んでから(勝手に)付けた地名だと思われる
各地の地名が付けられた順番が分かればかなり色々なことが分かるはずだが……
三重〜和歌山の久野は徳川幕府の紀州藩時代に付けられたものではないだろうか
そう考えるとやはり畿内はすっぽり空白
大阪には富田林市久野喜台というのがあるが
その地名になったのは明治維新以降って気がする スメラノミコトというのはシュメールのミコトから来ているという説がある
シュメールはバビロニアの支配下になって消えてるから、バビロン崩壊で巻き添え喰らって東へ逃げたんだろうな
シュメールというのは『混ざり合った』という意味で混血主義
天照大神は畿内に居座っていた漢民族の流れの女王卑弥呼(中国の本家漢民族よりは格下。邪な馬)
スサノオというのはシュメールの血を引く狗奴国側の王子(中国から見たら犬)
天岩戸神話というのはプライドの高い純血主義の漢民族の女王を、混血の王子が口説いたって解釈できる
その後の前方後円墳の乱造は、漢民族とシュメールが殺し合わずに融合するのに必要な作業だったんだろう
前方後円墳は儀式経済と通貨経済の融合、そこに『男女の交わり』と『漢民族とシュメールの融和』この2つの意味が込められてあんな変な形になったのでは
日本と中国との微妙な距離感もこれでなんとなく理解できる
万里の長城を見る限り、当時は明らかに中国の方が先進国だったわけだが…… >>180
悪かった。謝罪する
だから女の子はパワースポットでピタゴラスイッチやっててくださいませ なるほど……
見下しつつ敬意を払うってのが優秀さの必須条件という事か https://goo.gl/m2KfqU
弥生時代の青銅器の分布です。対馬・北部九州や瀬戸内に「武力」が展開されてます。
これはまるで白村江の敗戦後の防衛体制そのままです。
この時点で北部九州に女王の都などありえません。もう九州説の方はあきらめてください。
狗奴国も分ります、静岡の磐田・袋井近辺。久努国ですね。
その北にある奴国は恵那、あるいは那古野、那古つまり今の名古屋。
三河は銅鐸最密集地です。
近江は面白い。
白村江の敗戦後も天智天皇が近江に遷都しました。避難用の第二首都。
弥生時代も同じように考えられてたのかもしれません。伊勢遺跡とはそういう意味合いだったのかもしれません。
この対馬・北部九州から名古屋、東海、信州まで支配した王はもちろん天皇ではありません。
この大きな国の主は【大国主】です。卑弥呼は大国主の系譜から出ました。
もうヒメ踏鞴五十鈴媛一人しかいません。 邪馬台国……神秘主義
その他(狗奴国など)……経済主義
両者の融合が日本の土台だと思います。
その後の戦国時代などの混乱は基軸通貨が貝殻→米→銅銭→借用書→米と銅銭と金貨銀貨の複合→明治維新で紙幣に
このように変遷する中で既得権益の取り合いで生じたのでしょう
神秘主義を継承していた天皇家はこの争いに巻き込まれなかったので存続した
畿内の邪馬台国と最初に融合したのは静岡周辺の狗奴国だったと思われます
トロイヤやバビロニアで痛い目に遭っていた民族の子孫が経済を主導していたので、神秘主義との相性も良かったのでしょう
逆に世界的な経済を過熱させることに熱心だった九州以西とは水が合わずに対立した ネームド級の実働部隊を再結集させられたら楽しいだろうな 土方歳三の母親は久野家だったのか
坂本龍馬を殺ったのは土方歳三かな? 愛知県東海市加木屋町に住んでいます久野です。
古代史や自分の久野姓に興味を持ち、色々と調べています。
私の東海市加木屋町、大田町や隣の知多市、大府市には久野姓の人が多く住んで見えます。
桶狭間で敗れて近くに逃れた一族と言われています。
久野、久能の一族は、遠江の国造といわれる古い氏族です。
私も狗奴国(くの)と久野、久能は同じではないかと考えています。
もしかして大和の国に滅ぼされ、狗奴(犬、永久に奴隷?)にされた氏族、大和武命の東征にて征伐された氏族でないかとも考えています。
面白すぎますか?。 >>199
基礎文献の旧事本紀の国造設置記事によると
七世紀の令制國の遠江国になる前は
遠淡海 久努 国造とあったらしい。
久努国造は 仲哀天皇(14代)の時代に物部連(もののべのむらじ)の祖・伊香色男命(いかしこおのみこと)の孫・印播足尼(いなばのすくね)を国造に定めたという
上古の名は母系によるので
先に入植した出雲系の部族に
やや時代が下っておっしゃるように
ヤマトタケルの東征時期に物部氏が土着したのではないでしょうか。 今だ!200ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
このキチ嵐特有のリアクションw 神奈川久野厨の仕業だろw 狗奴国は邪馬台国の南だけどな。
みんなそんなに狗奴国に憧れるのかな。 >>202
いわゆる倭人伝では南だけど
自女王国 東度海千余里 至 拘奴国
その次の後漢書だと東なんやで〜 >>202
狗奴国に興味があるんじゃなくて、その頃の日本史に興味があるんだよ
ごっそり抜け落ちてて情報が全く出てこないからね
まあ十中八九、貝殻通貨、宝石通貨、銅銭通貨、米通貨のどれにするかで致命的に揉めた時期だったんだろう
結局、律令制になってひとまず米通貨になったみたいだけど
狗奴国ってのは邪馬台国に比べてかなり小さかったと思う
ただおそらくは貝殻通貨で全世界と繋がっていた
沿岸部沿いに中継地点も沢山あっただろう >>199
大筋で正しいが、狗奴国という漢字は当時の中国人が勝手に当て字しただけで奴隷という意味はない。
日本武尊の東征は狗奴国征服でほぼ正しいと思う。
敵を焼き尽くして滅ぼした事で焼津。
その後、日本武尊は三浦半島あたりから海を渡って房総半島に至っているが、房総半島にも久野という地名がやたらと多い。
神奈川県と静岡県だけじゃなく、千葉県の房総半島も狗奴国の一部だったからこそ、日本武尊は房総半島にも渡ったのだと思われる。
久野氏の祖先の故郷は間違いなく狗奴国なのだから、卑弥呼と張り合った狗奴国の最高王、卑弥弓呼が眠る高尾山古墳を奉じる事で幸運が訪れよう。 >>203
後漢書は魏志と共通した部分は史料的な価値ないよ、通説なw
「東にまた国ありみな倭種」「南に狗奴国」を
適当なリライトで「東に狗奴国」になっちゃっただけ。何度もいうけど通説なw
邪馬台国が畿内ならその南なんだから狗奴国は吉野か熊野か紀伊か伊勢か
またはそのうち複数を含む範囲だろうな >高尾山古墳を奉じる事で幸運が訪れよう。
奉じれ、奉じれw
スピ系のやつらは大抵最後はろくでもないことになってるぞw
お前も妄想歴史を古墳に押し付けたせいでタタリを受けないといいけどなw だから狗奴国とか奴国ってのは小さな集落が飛び地で沿岸部に点在してたんだって
おそらく地中海〜中東〜東南アジア〜日本全土〜高麗までな
古代中国の官僚ってのは去勢されてた。で、王が死んだら数百人規模での殉死
狗奴国とかにはそこまでの忠誠心も連帯意識も無い協商連合的な存在だったんだろ
おそらく使用していたのは貝殻通貨
で、日本人ってのは殉死とかやってた古代中国人(弥生系)と、広大な経済圏を支配していた古代メソポタミア人+縄文系のミックス
誰が支配したかって言うよりもミックス
知りたいのは貝殻通貨、宝石通貨、米通貨、そして銅貨の発祥及び切り替わりの際の推移
完全にかき消されてて調べても出てこないのよ >>206
俺は199とは別人だが。
大ハズレ。
>>207
紀伊半島に卑弥呼と張り合える大国があった痕跡が無いじゃないの。
>>208
狗奴国王に敬意を表して何で祟りを受けるの?
頭大丈夫か、そちら。
>>209
で、古代中国から弥生人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、その生活痕たる中国系土器と中国系農具は? >>210
遺跡は詳しくないから分からん
いくらでも曲解できる分野だし
でも漢字と稲作は100%中国から来てるでしょ
民族的な流入と融合も起きてるよ
まあDNA検査すれば一発なんだけどね
知りたいのは貝殻通貨、宝石通貨、米通貨、そして銅貨の発祥及び切り替わりの際の推移 >>211
通貨の変遷なら
最初は鉄じゃない。鉄艇。地域によっては絹とか?
和銅年にならないと貨幣は出てこないね。 >>211
日本の漢字と稲作は朝鮮からだろうが。
日本史偏差値30未満のFランのバカの方。 半島はただの通り道だろうが
それとも漢字も稲作も半島で発祥したのか? >>210
>紀伊半島に卑弥呼と張り合える大国があった痕跡が無い
痕跡って、遺跡のことだろ?
遺跡じゃ文化や経済の拠点だったことがわかるだけ
たとえば文献の記述を一切無視した場合、鎌倉幕府の存在も
南朝の中心が吉野にあったことも考古学だけじゃ証明できない
紀伊半島にあったのは東海地方の勢力と九州の勢力との連絡中継点みたいなもの
その程度のものは千年の間に隠滅してしまうのは当然だろう。
邪馬台国大和説とした場合、その南なんだから紀伊半島でいいだろ
熊野だの久野だのって地名がかろうじて痕跡といえば痕跡だが
別にこれを根拠にするつもりはないよ 邪馬台国九州説言ってるやつまだいんのかww
魏志倭人伝の南は中国から見て奥って意味だから日本列島では東だって。 高尾山古墳は前方後方墳。
次に作られた神明塚古墳は前方後円墳。
これが何を意味しているのか、貴方には分かりますか?
前者は邪馬台国式ではない古墳。
後者は邪馬台国式の古墳。
つまり、後者は邪馬台国と和解が成立した後の王の古墳。
前者は邪馬台国と対立していたときの王の古墳。
そういう点からも卑弥弓呼の墳墓は高尾山古墳の可能性の方が高いのです。 だれか登呂遺跡、トロイヤ文明に詳しい人いないですか?
どこかにそんなスレがあればいいんだけど イカルガ、キトラ、トロ、クナ、エナ、マキムク、ハニワ、スメラノ、スサノウ、ハヤト、アスカ、アソ、スルガ、スオウ、クノウ、キラ、サガラ、アナミ、ミマキ、
これらの語感は中国と言うよりは古代エジプト〜地中海〜中東〜インドから来ている感じがする
朝鮮半島にもクナとかクネとかいう苗字はあるらしいし、その名残かな?
キトラとペトラは同じ語圏としか思えない
武士の時代に入ると中国色が徐々に強くなっていく
フジワラ、ゲンジ、ヘイシ、チョウテイ、タケダ、シマヅ、オオウチ、ハタケヤマ、シバ、トキ、ショウグン、アサノ、チョウソカベ、イマガワ、マツダイラ、リュウゾウジ、ホウリュウジ、アサクラ、イノウエ
邪馬台国に奇妙な魅力があるのは、ちょうどその中間時代だったからだろう
古墳乱造時代なのにほとんど記録が残っていないしね
ハゴロモ、マツモト、モリモト、ウシワカマル、トイマル、サムライ、サキモリ、マツリゴト、ヒマワリ、ツクシンボ、こういう語感の形成は平仮名の影響かな?
花の名前には漢字の中国名に日本女性がひらがなで可愛く当て字したものが多そうだ 恐ろしい事に、高尾山古墳って、このスレが建てられる、ちょうど2年前に道路開発のために
取り壊しが決まっていたんだな。
ところが、取り壊しのために地形を調査していたところ、これが大変なものである事が分かってきて、
考古学者を呼んで調査してみたところ、想像をはるかに超える、とんでもない考古学的に重要な遺跡だという事が分かり、
沼津市民の破壊反対運動の力もあってか、間一髪、破壊を免れたとの事。
本当にヤバかったようだ。
しかし皮肉な事に、もしかしたら破壊されていたかもしれないこの道路開発の計画が無ければ、
これが卑弥弓呼の墳墓である可能性が高い古墳だとも、そこが狗奴国の都である可能性が高い場所だとも、
誰も気が付かなかったのである。 狗奴国のサイズって気になるなぁ……
おそらくは東日本における本拠地は静岡周辺にあったんだろう
霊峰富士が拝めて要塞化が簡単で、かつ経済的に便利な海辺、
つまり久能山とか沼津が拠点だったんだろうが国境線とかは消えてるだろうな
個人的には経済力の強い小国連合って気がする
古墳から古代エジプトとか地中海文化の名残が出ればさらに情報価値は跳ね上がるが……
とりあえず沼津市民グッジョブだな 昔は遺物や遺跡が出ても見なかった事にして工事強行するケースが多かった
一体どれだけの遺跡が闇に葬られたことか… 埴輪のあの馬は確実にトロイの木馬だと思うんだが……
そういう学説って無いのかな?
あの太い足に兵士が4人隠れてた
胴体部分には水、食料、武器を入れていた
トロイの王族は地下道通って散り散りになって逃げた
嵐に巻き込まれ漂流し、行きついた先の一つが登呂
滅ぼされた遠い故郷を思って鎮魂のために作ったとしたら何となくしっくりくる
その後の地味さも 埴輪に混ざってる変な『踊る人』は、トロイヤから流されてくる間に中継した南国で出会った親切な未開の部族って気がする
あの人形のデザインだけ完全に浮いてる
南国でダンス踊ってる親切な謎の部族にしか見えない 狗奴国のサイズは今の静岡県と神奈川県と千葉県の房総半島までだろう。
根拠は今も久野や久能という地名の場所が多く遺されているのと、日本武尊が東征の時に行脚した軌跡とも一致しているからである。 久野 → 久能 → 久努?
それとも、
久能 → 久努 → 久野?
wikipediaには鎌倉時代くらいに出現した豪族って感じで書かれてるけど
もしそうなら徳川家康があそこまで警戒する理由が無いし、淡路守、日向守、弾正忠なんて官職を付けられているのもおかしい
平安時代以前に地味な金融を司っていて、それを中国からの移民勢力(銅銭勢力)に乗っ取られたと解釈するのが自然か
しかしkunoの語源は何なんだろ?
久能から始まっているとしたら間違いなく苦悩主義なんだろうけど
その場合、久能家(久野家)はグノーシスの生みの親という事になる >>234
狗奴
の語源はクナト王
以下
久能も同じ >>236
神話が先にあるわけないじゃん
何らかの元があって、それを神話化するんだから クナトで検索するとアイヌ語で男根と出てくる……
チ〇ポ王ってこと?
苦悩と真逆じゃねーかw もしも久野の由来がクノッソスだったとすると、クレタ島における東西文明の融合(紀元前2000年頃)
さらに久能山周辺での邪馬台国と狗奴国の融合(西暦200年頃)
つまり東西の文明及び人種的融合を2回経験していることになる
その場合は 久野 → 久能 あるいは 久野 → 久努 という派生になるのか 韓国ドラマで、”推奴”が有り、”チュノ”と読ませています。
漢字の判る人が居て、中国語・古代朝鮮語の読み方や当て字を書いたのでは?。
クノ、ヒサノ(九州にある様です)も「久野、久能、久納、久奴、狗奴・・」と書いたのでは?。
秦氏との関係は有りませんか?。
どなたか判りませんが”私にわかるしるし”を下さい。
{市・苗字}で表示が良いですがお願い致します。
こういうのは、ダメなところですか?。 古代朝鮮語の資料なんて1つも存在しないから何も分からないよ だいたい文明や神話なんてのはシュメールに始まって各地に拡散したのだから共通点があって当然だ
馬鹿と子供は何でも複雑に考えようとするから常に間違うんだよ 久野と久能、どちらが多いかで派生の順番は大体分かるかも
久野のほうが多そうだからやっぱり 久野 → 久能(久努)なのかな?
久努さんという苗字は見たことが無いが
>>241
当時は中国、朝鮮の方が先進国でしたから、日本に漢字をもたらせた彼らを神聖視していた可能性はあると思いますが……
霊峰富士が望める場所に久野、久能が居座っていた事、狗奴国と邪馬台国の対立、などを考えると、
個人的な推測ですが久野氏は古代地中海文明と何らかの繋がりがあったのではないかと思えます
秦氏というのは古代中国の大豪族ですので、技術と最新の知識を持ち込んで日本の朝廷に歓迎されたのだと思います
wikipediaなどによるとその支流が久野氏だと書かれているような文献もあるようですが
それならその秦氏を押しのけて久能山という名前が付けられるのは不自然な気がします
それに明らかに静岡周辺に密集しており、桶狭間後に愛知に移住しています
また、秦氏が日本入りしたのは朝廷の権威が確立してから(西暦700年以降)ではないでしょうか
関西より西はヒサノが多いそうです(キュウノと読むのもいます)
黒田官兵衛の部下にもヒサノがおり、都市整備の能力が優れていたそうです
どこで学んだのかは知りませんが まあ戦国時代の日本人は自国民の女子供を奴隷にして南蛮人に売って火薬と交換していたらしいので、
そんな時代に名をはせることを逆に恥だと考えてヒサノとかキュウノとか自称したのかもしれませんがね
時代劇では奴隷売買で南蛮人に売られていく女の子の『描写』とかはされないですからね まあ今の日本も毎日数百人が自殺しているようですし
そんなに変わらないか
そろそろ本格的な学者さんの降臨を望みたいところです >>244
> 当時は中国、朝鮮の方が先進国でしたから
どこのパラレルワールドだよw
朝鮮半島に初めて独立国ができたのは第二次大戦後だぞ(実質的には全く独立してないがw)
元々の朝鮮半島は北が支那領土で南が倭領土だったのは文献で明らかだ
白村江の戦い以降は南も支那領土になったけどな
フィクションや妄想系の情報ばかりが蔓延ってるといってもちゃんと調べれば正しい歴史は分かるだろ >>245
> まあ戦国時代の日本人は自国民の女子供を奴隷にして南蛮人に売って火薬と交換していたらしいので
それはイエズス会宣教師やキリシタン大名な
だから秀吉や家康はキリスト教を危険視したんだよ
お前は歴史を何も知らないのな
もしかして小学生か? >>246
学者が降臨してもお前には理解できるほどの頭が無いだろw >>247
江戸時代でも明治維新以降でも人身売買はあったらしいが?
「からゆきさん」で検索してみろ
江戸幕府みたいな組織だった社会でも人身売買があったのに
秩序崩壊の戦国時代でキリシタン以外の大名は一人の奴隷売買もしていなかったのか
へえ、お前すごい脳みそしてるな
それに織田信長なんて人身売買どころか一向宗数十万人虐殺してるだろ
まだ海外に売り飛ばす方がマシじゃねーか
一体どこの誰を擁護してんだお前は
ファンタジー脳なのか?
鉄器とかの普及は明らかに中国とか半島の方が早かっただろうが
まあ、これに関してはすぐに追い抜かしたけどな キチガイが発狂しとるw
予想通りの在日火病人だなw なんだこいつ?
俺が在日なわけないだろ
話をそらすな卑怯者
質問に答えろよ
そっちの言い分が正しいなら
「すみません。自分が勉強不足でした」って素直に謝るわ >>252
はいはい在日火病民族さん乙w
つうかお前絶対小学生だろw
もしそれで成人してたら精神年齢低過ぎて正常な社会生活を営めないレベルだわw
> 話をそらすな卑怯者
はぁ?火病民族さんには逸らしたように見えたのか?w
だとしたら脳の病気だよそれw
> 質問に答えろよ
低知能火病小学生の分際で命令形かよw
お前の親もキチガイだから躾なんてされてないのかw
それとも野生のオオカミにでも育てられたのか?w
> そっちの言い分が正しいなら
いや、正しいもクソもないからw
お前は低知能だから理解できてないだけw
俺が言ってるのは飽くまでも正論なw
> 「すみません。自分が勉強不足でした」って素直に謝るわ
キチガイ火病小学生に謝ってもらっても何の価値もねーなw つうかお前はまずちゃんと勉強しろカスw
いつまで妄想世界で生きてゆくつもりだよw だから質問に答えろよ
まあ朝鮮半島の歴史については俺もあまり詳しくない
と言うか、調べても本当なのかどうかが分からない
でも西暦200年くらいまではおそらくあっちの方が進んでいたと思うぜ
特に中国が殷の時代には貝殻通貨関連で大儲けしていた可能性が高い
……どう見てもお前の文章の方が火病っぽいが? しつこいアホだなw
まあアホだから日本語が理解できないのかw
取りあえずお前は古代支那の文献で歴史の勉強をしろカスw
勉強しても俺の言ってる意味が分からないなら頭の病気だから諦めろw 推論がかみ合いません。
騒がせて、申し訳ありませんでした。
私は、撤退します。 カナン → 加納、金井
フェニキア → 舟木
ヒッタイト → 秦、八田
キレニア → 吉良、喜多
シラキウス →白井、新羅
? 久野氏は桶狭間の合戦で信長に負けて名古屋に移住とあるが、
名古屋は織田家の本拠地だった。しかし実際に名古屋には久野氏が多い。
「桶狭間で敗れて名古屋に逃げた」
と言うよりも、
「桶狭間で敗れて名古屋に連れてこられた」
と言う解釈の方が妥当かな
領内に引き込んで支配下に組み込むだけの価値があったと言う訳だ
金融技術、朝廷とのパイプ、寺社仏閣とのパイプ、独自の統治技術、これらを有していたと考えるのが自然か
実際、そこから織田家は大躍進している 言葉から違う近畿人とは違って、静岡人は名古屋人にとって近い存在だから、信用できるんだよ。
逆に狗奴国に様々な文化を伝えていたのは尾張国。
恐らく狗奴国が一番信用していたのは尾張国だろう。
大昔から中部地方人だったんだな。 なんだかんだ言って日本ではジェノサイドがほとんど起きていない
和解、融和のためには過去のいざこざを水に流す必要があったのかもね
だから調べても出てこないのか…… しかし内政はそれで良くても、外交がなぁ……
北朝鮮問題とかが対話で丸くおさまれば問題無いんだが…… 北朝鮮問題を対話で解決しようとしている時点で、外交能力ゼロだわ。
鎖国している方がマシな位のレベルだっての。 鎖国したらマジで餓死者出るよ
まあ核戦争になるよりは遥かにマシだけどね
いずれにしても米国主導で世界人口は爆発的に増加した
日本もこれまで数十年間それに加担してきた……
ツケの清算はいつか必ずやってくる
俺らが生まれる前の出来事だけど、残念ながら親の行為は子へ孫へと波及する
まあ今更、親世代を責める気にはなれないけどな
なんだかんだ言って北朝鮮は人口抑制できてるよ
北朝鮮の強気の根源はそこさ……
真実の歴史と言うものは、発掘して公表したとしても誰も損しないし、誰一人として得しない
真実とはそういうものだ。
この世の出来事は当たりまえの事が当たり前のように起きる、ただそれだけだからな
何らかの史実を発表して誰かが不利になったり有利になったりするのは、それはその史実がねつ造されたものか、あるいは調査が不十分ってことだ
少なくとも俺はそう確信している
色々と残念だ…… クノッソスもトロイヤもギリシャ人に滅亡させられてるのか…… 久能山周辺は港が近く漁にも交易にも極めて便利
南アルプスに近く湧き水も豊富
背後には霊峰富士で、もし大噴火しても灰は東へ流れるので全く問題なし
暑すぎず寒すぎず、洪水が起きるような大河川も無い
これは偶然に流れ着いたというよりは、明らかに色々と調べたうえで場所を決めてるな
久野氏の戦国時代の動向が知りたいが、ほとんど資料無し
忍者にでもなっていたのか? クノッソス
クロウソナス
ハニア
トロイア
グノーシス
くのいち
クナイ
狗奴 クノッソス → 久野
クロウソナス → 久能
イダ山 → 伊田、飯田
スダ港 → 須田、隅田
クフォニシ島 → 小西
アマリ → 甘利
カンダノス → 神田
イナチョリ → 稲取、名取
ハニア → 埴輪
トロイア → 登呂 キドニア → 木戸
ミノア → 箕浦
アカイア → 赤井
コウモイ → 小森
コウノー → 河野
サイトウライ → 斎藤
コ―ナス湖 → 鴻巣
カトー → 加藤
アーメノイ → 天野
ソウダ → 宗田、相田
キソス → 木曾
アコウミア → 赤穂、阿江
サタ → 佐多、佐田
ガリア → 刈谷
カラマキ → 荒巻
アナトリ → 名取
アノ → 庵野
? クノッソス宮殿のあったクレタ島は、紀元前6000年頃から紀元前2000年頃までほとんど戦争の無い平和過ぎる島国だったらしい
気候や地理的条件が重なって偶然そうなっており、初期の宮殿には外壁すら存在しなかった
この平和な時期に色々な技術、独特な思考法の発展があった
そこから鉄器時代が始まり、百年足らずで地中海でダントツの発展を遂げる
しかし紀元前1700年頃にクノッソスの宮殿が戦乱にて焼失
その時に新天地を目指した一派がいたのだろう
つまり今から3700年前には古代クレタ人が久能山周辺に巨大コロニーを築いていた可能性がある
その500年後の紀元前1200年頃にトロイヤ難民(おそらく王族)を受け入れる
その後もフェニキア人、ミノア人、バビロニア人と言う具合に地中海、主に人口爆発の条件が全てそろっているエーゲ海周辺からの難民を受け入れ続けていたのだろう
カウリー貝の通貨を介しての交易でそういった亡命ルートが構築されていた
戦争に敗れた難民ばかりが集結したことにより、この世は苦しみそのものという苦悩主義が生まれ、それがグノーシス(シス=主義)として地中海地域へと逆輸入され、全ての宗教の基礎となった
その後も色々あったが、隣の中国で巨大帝国が出現し、一致団結する必要性が生まれたので仕方なく、草薙の剣で過去を全て断ち切って日本統一、という流れか……
マンモスを追い回しながら入ってきた荒っぽい縄文人と、大人しくて高度な技術、知識を持つ古代クレタ人の融合が狗奴国という事か
縄文人 = 温厚 っていう最大の誤解は、この温厚すぎる古代クレタ人の血と混ざった後の毛深い人たちが原因だな
野生の熊とかマンモス追い掛け回す人たちが大人しいはずないのにね
日本人の温厚さと手先の器用さは古代クレタ人由来か
しかしマンモスとか野生の熊に飛び掛かっていく凶暴さも縄文人由来で持ち合わせていると
これで日本人の極端な二面性も説明がつく またキチガイが涌いてる
このスレにはキチガイしかいないのか
それともただのネタスレなのか
それにしたって歴史的事実を無視しちゃったらネタにすらならんだろうに >>273
1です。
もう一度、1を読んでください。
冗談で書ける内容ではありませんよ。
真面目なプレゼンテーションのスレです。
狂人の方の狂った書き込みで不快な思いをしているのは私も同じ事。
ただ、ここは公共掲示板ですから、狂人の方に書かないでくれと言う訳にも
いきません。
価値ある投稿なのか、そうでないのかは、心眼で見破ってください。
常識ある研究者ならできるはずです。
私が書き込むときは必ず上げています。
狂人の方は下げて書き込んでいます。
そのあたりからも判断できると思います。
ただ、私がみなさんに知っておいてほしい事はもうほとんど過去レスで
書いたと思います。
高尾山古墳の調査も無事終わり、それで多くの事が分かりました。
ウィキペディアの高尾山古墳のページも更新されて、調査結果と調査で分かった事が
詳細に記載されているので、目を通してみてください。 1の方は狗奴国人の由来は縄文人だけ、という考えですか
登呂遺跡とトロイヤなどの名称の一致、酷似は単なる偶然と
つまり、縄文系と弥生系の融合だけで巨大な中国を凌げるほどの強国が生まれたと?
これは議論しても全く無意味ですね
認識に差がありすぎる
公共掲示板でもスレ主様に出て行けと言われれば出ていくべきだと思いますので、
私はこれで退場します
お目汚し失礼しました >>275
正直、あなたは歴史家や考古学者には全く向いてらっしゃらない方だと思います。
どうでしょう、これを機に違った趣味に目を向けてみては? 向いてないというよりただのキチガイだよね
現実と妄想の区別が付かない脳機能障害の類だろう
なぜ歴史の勉強をしようとせずに空想ファンタジー小説の世界に逃げ込むのか理解できないが…
まあそういう病気なのだろう 狩野川もクヌと同義語かもしれないね。
おそらくそうだろう。 >>280
沼津の狩野川か。
場所的に見て、クノ川がカノ川に変化した可能性が高いな。 >>274
一行空けして書かれた文章はだいたい基地外っぽい文章ばっかりって法則どおりw このスレ主は基地じゃないよ
ただ真面目すぎるだけだ >>283
どこがどうキチガイぽいのか、ご教授願います。 クヌ、クナ、久能、狩野、
カモと同義語。
カモはカミ。
ことごとく銅鐸と絡んでいることに留意。
他にも蒲生、蒲郡、九州筑豊の嘉麻、
ことごとく銅鐸と絡んでいる。
出雲系・古代神族の居住地だ。 >>285
脳機能に異常がある可哀想な人にレスしても時間の無駄だぞ 悪い。一言だけ言わせてくれ
ageるのは5日おきくらいにしたほうが
長寿スレになるのでは? きちんと第2第3の次スレに続けるにしても、
毎日age続けるのはそれだけでキチ認定されるのが2chって世界だろ このスレ主はageて書き込むことに信用を感じるらしいからだ
色々と謎が多いが、俺は誰を侮辱するつもりもない
悪かったな。もう書き込まないよ 狗奴国は静岡。
では奴国はどこか。
狗奴国の北だな。
伊那・恵那
または意表をついて名古屋。
名古屋の語源は「那古野」「那古」
那古ですよ那古!
邪馬台国論争に名古屋が出てくるなんて初めてではないか? 21ヵ国最後の奴国は富山じゃないかな
富山湾は古くから奈呉ノ浦と呼ばれていたから富山=奈呉と考えられるし
古語のナゴには霧という意味があるらしいが、富山は霧の町と言ってもおかしくないくらい蜃気楼で有名
21ヵ国が志摩からスタートしてるんだから、地形的に富山が最後になるのも自然だとも思うしね
あと名古屋より尾張のほうが古くから使われているのでは 当時の日本人に識字能力が無かったことが実に悔やまれる 支那ですら1万人に1人しか読み書きできない時代だし せめて古代ヤマト文字みたいなもので石版に記録を残す文化でもあれば、楔形文字に並んで歴史に名を残せたのに、魏志倭人伝なんて言う反日資料に頼る必要もなかったのに。 失礼、楔形文字は紀元前3500年とかだったな。全然時代が違う。 文字が無い時代は丸暗記だったから脳機能的には遙かに高度だったのよね
伝承なんて延々と終わらない膨大な量を丸暗記の口伝だし記憶力どんだけだよ 弥生時代、おそらく2世紀前半頃には日本に文字があった。
出雲で楽浪のスズリが見つかったのだが、
それでもアカデミズムの中には、
スズリ自体が権威の象徴と言う人もいた。
しかし昨年、筑紫でも楽浪のスズリ片が見つかり、
弥生時代には文字があったとしか言えない状況になった。
だいたい三重の大城遺跡でも土器の墨書が見つかっている。
ということは王統の伝承は可能であったということ。
特に4世紀前半が崇神であれば、2世紀前半がスサノオにあたる。
つまりスサノオは実在したのだ。
しかし、記紀ではそれを正直に書けなかった。
時代を思いっきりずらしスサノオを神話化しなければいけなかった。
なぜならスサノオは倭国王・帥升であるからだ。 愛知に人面土器が集中。
https://goo.gl/vaV8aa
この鯨面集団は相手を威圧する戦士モノノフ。
なぜ愛知に集中してるか。
静岡にあった狗奴国対策だ。
これらの戦士モノノフの棟梁はウマシマジ。
今も名古屋の味鋺神社に痕跡を残す。
邪馬台国の切れるところにある奴国とは那古つまり名古屋である。 >>311
で、越の銅鐸は?
で、越から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
さっさと言ってみろよ台湾ブタ顔半ニグロ。 https://goo.gl/vaV8aa
この設楽氏の図では東海に多い鯨面土器は「2世紀から4世紀」と書かれてる。
ちょうど倭國大乱から狗奴国との争いの時期だ。
クナ=久努、久能、狩野、つまり静岡の磐田・袋井。
三遠式銅鐸の最終集積地。
奴国とは伊那恵那、または那古、名古屋であろう。
この鯨面戦士モノノフの末裔、やはり今も愛知に多い。
鈴木イチローとか。 磐田・袋井は邪馬台国に対する狗奴国の軍事要塞が置かれた場所なだけで、
卑弥弓呼自身は登呂遺跡のある静岡市か、3Cの巨大古墳がある沼津あたりにいた
と思うな。 >>314
嘘を言うな。
狗奴国は「邪馬台国の尽きるところである奴国の南」だ。
奴国とは伊那・恵那または那古を語源とする名古屋であろう。 沼津厨はまだ頑張ってんのかw いい加減にあきらめろよw >>317
奴国は博多付近
傍らの国で最後に出てくる奴国も博多付近
倭地を周旋5000里して戻ってくる
周旋5000里の南に狗奴国は在った。 名古屋の語源になった那古野村(なごのむら)は名古屋ではなく、
今の愛知県愛知郡にあったみたいだね。
つまり、地理的に名古屋よりもさらに静岡寄り。
三河あたりを当時は奴国と呼んでいたのかもしれないね。 >>317
俺が想うに、どうも浜名湖がクサい。
何で浜「名」湖なんだ? 奈良時代に今の浜松あたりに、浜名郡という郡があったらしい。
遠江郡が置かれる前は、浜名湖から浜松にかけては「ナ国」と呼ばれていたのではないか?
そうすると、磐田・袋井は邪馬台国と国境を接する狗奴国の最前線となり、
軍事要塞が置かれるのは当然の話である。 322に基づくなら、邪馬台国と狗奴国の国境は天竜川だった事になる。 那古野村 浜名 伊那 恵那
良い感じだね(*^-^*)
奴国だろうねw >>1
>その中で一番規模の大きな前方後方墳である「高尾山古墳」が卑弥弓呼の陵墓だと
思われるが、最近調査されている。
前方後円墳も前方後方墳の同族であろう。
同族の中で上の地位が〇 下の地位が□
前方後方墳の最大の物は天理の4世紀の西山古墳。
□の上に〇が乗っている。
かつて枝分かれした同族が統合したのであろうか。
4世紀の天理といえば物部しかいない。
つまり前方後円墳も前方後方墳も物部の墓制である。
人面土器の出る愛知と高尾山古墳の沼津でモノノフたちが狗奴国を挟み撃ちにしてたのかも。 >>327
沼津の東の小田原に久野があるから、それはない。
沼津あたりは狗奴国の都か王族の墓所。 >>309
スサノオ/イザナギ、、、徐福並びにその子孫(大和(葛城/高尾張)の初代大王は徐福(ニギハヤヒ/天火明=ニニギ)の御孫。母親は徐福と市杵島媛の娘。父は徐福と出雲の王家の娘との間に生まれた御子。(異母兄妹の結婚))。 >>330
で、徐福と百工が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>328
出雲系と同族と思われる四隅陸橋周溝墓という珍しい墓が、
名古屋から横須賀(東京も?)にまで広がっている。
「カモ、クヌ、カムィ=神族」の勢力範囲は広い。
そこを点地支配されていった象徴が高尾山古墳であろう。
銅鐸の時代が終わる頃に高尾山古墳できてるのもその証拠。
千葉の神門古墳群もその時代。
どちらにしても「カモ、クヌ、カムィ=神族」と、
前方後円墳や前方後方墳を造っていた勢力は倭国大乱時代から敵対関係にあった。 「カモ、カミ、ガモ、クマ、クヌ、クノ(久能)カノ(狩野川)カナ(神奈川)カマ(鎌倉)=カムィ・神族」 わしがよく通る大阪岸和田に神於(こうの)山という円錐状の典型的神奈備がある。
ここも古来から神が住む場所と言われてきた。
「カム、クム、コウ」
鴨(カムィ=神)族の居住地であろうから銅鐸が出るはずだ、
金属探知機でも持って行ったら必ず出るはずだと思ってたら、
すでに出ていた。
神於銅鐸というらしい。
時代は弥生中期か。
この神於山、神於寺が水源地にある。
神仏習合を経てるので水源地がお寺になってても不思議ではない。
同じように狗奴国の狗古智卑狗が住んだ場所は久能(クノ カムィ=神)山であろう。
「推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立」だそうだから
それ以前から水源地として鴨(カムィ=神)族が住んだと推測できる。 水源地に住む鴨(カムィ=神)族は前方後円墳、後方墳を造らない。
前方後円墳、後方墳を造るのは瀬戸内海洋集団モノノフ=物部。
水源地に住む鴨(カムィ=神)族は山の中腹にある神社、
その御神域、そこが彼らの集団墓であろう。
仏教導入以前の古神道では死と神社が深く結びついている。
神社の発掘はできないので彼らの墓が判明しないだけ。 千葉県富里市久能
茨城県古河市久能
茨城県牛久市久野町
栃木県鹿沼市久野
狗奴国の領土は静岡と神奈川を併せた地域が領土だと考えていましたが、
上記の久野、久能がある事を考えると、狗奴国の領土を考え直さなくては
いけないと思うようになりました。
邪馬台国と張り合う国が静岡と神奈川だけの、そんなちっぽけな国な訳が
ないんですよ。
地図上で上記の久能、久野を結んでいくと広大な領土が浮かび上がってきます。
静岡、神奈川、東京、千葉、埼玉、茨城、栃木までが狗奴国の領土だったと
考えられます。 なでしこジャパンのUー17だったかに児野 楓香 (このふうか)というかわいい子がいたな。
変わった名前だったので印象に残っていた。
調べたら静岡の子だったわ。
クノ コノ
岐阜の可児(カニ)市もカミが転訛したのだろうか。
http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=612&comment_sub_id=0&category_id=190
では「可児」とはもともと何だったのでしょう? 最も信憑性が高いのは「掃部寮(かにもりのつかさ)」に由来するという説です。
「掃部」は後に「かもん」と読まれることになるのですが、もともとは「蟹守(かにもり)」とも書かれていたらしいのです。
「掃部寮」とは、役所の名前で、宮中の掃除を担当した部署を意味していました。
神戸の語源も宮中の掃除を担当したカンベだそうだが、このカンがカム、カミに繋がるのであろう。
カニも同じか。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
皆さん、地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 敗走して、そんな目立った地名を付けるだろうか??
捕まったら、殺されるんですよ。 >>338
その村々がいつそこに成立したか、その考証がない以上戯れ言以下だよ。 静岡県袋井市久能が久努国造の時代にはあった訳だから、残りの久能、久野も
同じ頃からあったと考えるべき。
やはり狗奴国の名残でしょう。
でなければ、同じ地名を付ける理由もない。 銅鐸は長野からも出ている。
狗奴国は我々が想定してる以上に広い地域であったのでしょう。
北関東を含んでても何も不思議はない。
鴨(カムィ=神)族の移住地です。 >>343
国造とクナ国では大分時代が違う気がするが。それはともかく各国の久能の歴史一覧位にするとより説得力が上がっていいよ。 >>344
とりあえず、関東地方全部+静岡県、山梨県はガチじゃないかな。
長野県も天竜川以東は狗奴国で以西は奴国だったんジャマイカ。 >>345
じゃあ、338の全ての久野、久能が狗奴国が滅亡する4C後半頃までにクノで
なかったという証拠は? 俺もそれを考えてたんだよ。
毛野はクノの転訛したものかもしれんな。 毛野の語源が毛人(アイヌ)というのも変だもんね。
そりゃアイヌもいただろうけどさ。
とはいえカム、カヌ、クヌ、ケノならカムィ(神)だろうから、
語原はアイヌと共通してるわけだが。 鹿沼の語源
【由来】萱草沼(かやのぬま)→かぬま、蝦夷野(沼)(かいぬ)→蝦沼(かぬ)・毛野(けぬ)→鹿沼(かぬ)、神沼→鹿沼などの諸説がある。 とりあえずこの青い囲みが狗奴国な。
https://goo.gl/Ad1iwj
近江はガモウ(蒲生)。
愛知の蒲郡のガマと同じ。 結局、邪馬台国と狗奴国の対立は今の関西人と関東人の対立の
原点なんだな。 倭人伝には西日本のことしか書かれてないのに・・・。 今、天皇陛下は狗奴国に住んでいらっしゃる訳だ。
そう考えると感慨深い。 まぁ安心しろ、邪馬台国は畿内で決まりだから、
当然、狗奴国は静岡を中心として関東まで含む地域という事になる。
九州説というゴキブリが繁殖してるがみんなで処置しよう。
中には羽を広げて自己アピールするゴキブリ=九州王朝説もいる。 南≠東で押し切るばっかりだしな、あの方々は。
九州に誘致する事だけが先行して冷静な判断ができないんジャマイカ。
今の教科書でさえ、間違いや誤字脱字がかなりあるというのに。
しかし、当時の関東の都は静岡だったんだな。
東京というか、江戸なんてまだ無かったんだ。
今の地理感覚が邪魔をして、静岡が関東の雄だとは気付けなかったよ。
静岡は今は中部地方だし。
関東人は静岡人を田舎モン扱いしてはいけませんな。
静岡=関東の古都 発音はコロコロかわってるので、くのはこのかもけのかも知れないし 鴨族の分布範囲は全羅北道から列島中部まで。
全羅北道・上雲里遺跡の勾玉
http://cfile204.uf.daum.net/original/1328F40D4BE4CD26593B82
このあたりへの倭国の関りは継体天皇時代まで続く。
いわゆる任那4県割譲だ。
百済が都にしたのは熊津(くまなり・こむなり)。
鴨族の地名である、カモ、カム、クマ、カム、クヌ、コム。 日本は思想の自由や言論の自由が憲法で保障されている素晴らしい国なのです 1040年 長久
1069年 延久
1113年 永久
1145年 久安
1154年 久寿
1190年 建久
1204年 元久
1219年 承久
戦国時代
江戸時代
1861年 文久 (幕末)
狗奴国終焉が西暦300年頃
前方後円墳時代が300年から700年頃
皇朝十二銭の発行が708年から963年
幕末の紙幣論争がおそらく1850年頃
こう見ると分かりやすいなw なんで信長が元亀って元号を嫌ったのか分かったわw
もうすぐ決まる次の元号はなんだろねぇ〜 >>364
狗奴国の滅亡は4世紀の中頃。
高尾山古墳の後に神明塚古墳、向山16号古墳、浅間古墳と3基ほど沼津周辺で
巨大古墳が作られて、それ以降作られなくなるから、一基あたり30年くらいの経過と
考えて90年後。
高尾山古墳は250年頃に埋葬されているから、その90年後で340年。
それ以降に狗奴国は日本武尊に滅ぼされた。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 >>366
>それ以降に狗奴国は日本武尊に滅ぼされた。
お、それ面白い。
気付かなかった。 熊本県南関町「高久野」
熊本県人吉市(※肥後国「球磨」郡)
熊本県あさぎり町岡原北「熊野」
熊本県山鹿市「鹿央町」千田「久野」
宮崎県宮崎市清武町「加納」
大分県大分市「加納」
福岡県大牟田市「加納町」
愛媛県松山市北条町「河野」
山口県下関市菊川町「久野」
島根県雲南市大東町「上久野・下久野」(※出雲国大原郡久野郷、『出雲風土記』では来次郷)
鳥取県郡家町「久能寺」
広島県三次市甲奴町(※備後国甲奴郡)
兵庫県神戸市中央区「加納町」
兵庫県北淡町「久野々」
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 滋賀県野洲市「久野部」
三重県津市芸濃町椋本「豊久野」
三重県紀北町長島「久野」
愛知県江南市「河野町」&「村久野町」
愛知県安城市「河野町」
福井県南越前町「河野」
石川県志賀町「熊野」
石川県白山市鳥越村「河野」
富山県富山市「熊野」
岐阜県岐阜市「加納」
岐阜県下呂市「久野川」
岐阜県高山市「久々野町」(※飛騨国大野郡久々野郷。付近の船山の別名も「久々野山」)
長野県御代田町豊昇「久能」
長野県豊丘村「河野」
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 地図上で>>370と>>371の場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。
>>370と>>371をつなぐ交通の要衝、熊野あたりが狗奴国の中心地だろう
大阪府富田林市「久野喜台」
和歌山県「熊野」
和歌山県有田川町「久野原」(※郡名は安諦郡→在田郡→有田郡と変遷) >>370-372
その中でずばり「クノ」は、
山口県下関市菊川町久野
長野県御代田町豊昇久野
の2つだけですよねw
長野県の天竜川以東は狗奴国領と見てますから、長野県御代田町豊昇久野は狗奴国の
領土で何も問題がないんです。
という事は、その中で領土外のずばり「クノ」は、
山口県下関市菊川町久野
だけという事になります。
同じ地名が領土外に一ヶ所、二ヶ所くらいあっても何ら不思議じゃありませんよね。 耳で聞いて文字にした当て字だからなぁ
いくら文字資料が残ってても当時の中国語の発音が分からないからなぁ 関西在住の久野(クノ)です。
日本の久野一族は過剰貢献種族だと思います。
過去の時代において、日本国に対して七生報国以上の貢献をしていたのでしょう。
最近色々あって、報国や奉仕にも上限があるのではないかと思い至りました。
限度を超えると逆にその貢献対象が崩壊してしまう。
奉仕対象を国家から世界そのものに変更するべきではないでしょうか?
同族に対する純粋な善意のアドバイスです。それでは。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
長野県北佐久郡御代田町豊昇久能 ← new
更新しました。
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
長野県北佐久郡御代田町豊昇久能
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 どちらにしても、
クノ、カノ、カモ、カマ、ガマ、クヌその他、
出雲系銅鐸氏族ね。
語原はカミ(神)
神族の末裔。
ヒミコも出雲系神(鴨)族のヒメ踏鞴五十鈴。
事代主神の娘。
神武なんて男は単なる女王の婿。
マスオさんだからね。 狗奴国は領土の西限の今の袋井や磐田に銅鐸をたくさん並べて、天竜川の対岸にある
邪馬台国に属する今の浜松の奴国に抵抗してたのかな?
卑弥呼の銅鐸禁止令に最後まで抵抗したんだろうな。
だが、狗奴国が出雲系だというのはにわかには信じられんが。 >>380
静岡の磐田袋井周辺は三遠式銅鐸の最終集積地。
また愛知から関東にかけて四隅陸橋周溝墓という、
出雲と同型の墓も見られる。 だから混血(シュメール)だっての
日本は最後にして最大のシュメール・システムの成功例なんだよ
そこに選民思想の強い狩猟民族系(みんな同じ顔)が乱入して全てが崩壊した
で、核爆弾が落ちた
選ばれし民など存在しない
人間は必ず失敗する 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
X5HD1 やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 1040年 長久
1069年 延久
1113年 永久
1145年 久安
1154年 久寿
1190年 建久
1204年 元久
1219年 承久
戦国時代
江戸時代
1861年 文久 (幕末)
こういうのって宮内庁に問い合わせたら裏事情を教えてくれたりすんのかなー?
まあ聞かなくても9割方想像つくけどね
明らかに朝廷の方が一枚上手
まあ単なる偶然かもしれんが 鍵穴型古墳
ロック&ロール
know
玖
球
k-ing
英国にはミステリーサークルが最多
……要するに古代の人工地球照通信システムか
前方後円墳やナスカの地上絵上で日中に三日月に向けて鏡を並べればその光が月面に反射して信号を送れたわけか……
それで三日月の舞か。すげーな……
たしかに明らかに3種類いる
クフの大ピラミッドから送られた最後の通信内容はきっと号泣必至だな……
片割れは常に英国在住で、
残りの主力は今頃南米あたりか?
しかしオッパッピーから察するにやっぱり『本体』は行方不明ってことか?
連絡欲しければ解読してみろ
あるいは逆にヒントをよこせ 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
長野県北佐久郡御代田町豊昇久能
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 なんで久野と久能に分裂したのか知ってる人
情報求む 狗奴国は邪馬台国の南。
河内と和泉。
狗奴国の官は河内彦だな 武市瑞山は三文字割腹の法で最期を遂げたが
彼が目指したのは王字型だろう
単に上士に逆らうためと評価するのは侮辱極まりないからやめろ
要するに商社経済は必要ということだ
ただ、問題は…… 狗奴国は大和国の南。
河内と和泉。
狗古智卑狗は河内彦。 なぜ奈良盆地に3Cの巨大古墳が???? → 邪馬台国があったから。
なぜ沼津周辺に3Cの巨大古墳が???? → 狗奴国があったから。 高尾山古墳には熊野神社があったそうだが、
これは、大神神社に崇神が倒した大物主が祀られてるように、
倒した側が、倒されたものの怨霊を怖れて祀ったのかもしれない。 狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南。
和泉と河内。定説。
こうやって、他の地域の歴史をパクるのはよくない。 >>398
で、和泉と河内の3Cの巨大古墳は?
. >>397
高尾山古墳は見つかってから、まだ8年くらいしか経ってないの。
道路開発のための地形調査で偶然見つかり、開発優先のため、取り壊しが決まった。
その後の市民の反対運動のおかげで、間一髪取り壊しを免れたという経緯を持つ。
もし取り壊されていたら、狗奴国の正確な位置は分からなかったかもしれない。 どうも沼津北部にある弥生〜古墳期の大規模な集落遺跡である足高尾遺跡群が狗奴国の都だったみたいだな。 今の二大都市は東京と大阪だが、1750年前の二大都市は奈良と沼津だった訳だ。
やっぱ、1750年経つと全然変わってしまうのな。 狗奴国はヤマトの南の和泉と河内だろう。
狗奴国の官は河内彦。
大阪は大和朝廷の最初の討伐ターゲット。 結局、邪馬台国と狗奴国の関係は、関西VS関東だったんだね。
今とそれほど変わらない。
ただ、古代の関西と関東は戦争までしていた事には正直驚かされる。 狗奴国、、、クナトの国。クナト大神(厳之神)を信奉する国。出雲/厳神国(イズモ/イズミ) クナ国はヤマト国の南。
和泉と河内。
ヤマトの地を征伐し大和朝廷を作ったのは、東海や山陰の勢力。纒向の外来系土器の中心。
藤原氏の守り神は、関東の人々、鹿島の鹿。
近畿の渡来人系勢力と関東の先住民は同盟関係。
畿内関東連合と敵対していたのは、東海と山陰の勢力だよ。 鉄器が無ければ毛を剃れない
髭ぼうぼうの「毛人」の地 >藤原氏の守り神は、関東の人々、鹿島の鹿。
>近畿の渡来人系勢力と関東の先住民は同盟関係。
なんで知っているの?、蝦夷(エビス、長竿)の話でしょ 茨城県 wiki
>魔法の妖精ペルシャ 第39話「科学博カッパ騒動」(筑波郡谷田部町。現・つくば市) 邪馬台国と狗奴国が一戦交えたのは天竜川あたりだろうな。 狗奴国は邪馬台国の南。ヤマトの南だ。
和泉と河内だな。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
長野県北佐久郡御代田町豊昇久能
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 遠江とか駿河とか相模とかいう地名は狗奴国が滅ぼされてから、
5C以降に邪馬台国の連中に名付けられたんだろうな。
それまでは全部「クノ」だったに違いない。 >>417
何で416のように思ったのかと言うと、例えば遠江は近江の対語ですよ。
遠江の人たちが名付けたと思えるか?
近くにある浜名湖を遠江と名付けるだろうか? ウィキペディアに久野、久能という地名は全国にあるとウソが書かれていたが、
全国にありませんよ。
大ウソです。
狗奴国の領土である静岡と長野と関東地方を除くと、
ズバリ久野、久能という地名は山口県と三重県くらいしかありません。 狗奴国は邪馬台国の南なんだな。
ヤマトの南。
和泉と河内。
他の地域の歴史を盗んだらダメだよ 後漢書では狗奴国は女王国より東に海を渡って千余里で至ると書かれている。
和泉と河内では海を渡れませんね。
音声学的にも狗奴国と全然違う響きだし。
狗奴国の中心は沼津あたりに都があった静岡のクノ国です。 後漢書なんて魏志倭人伝より後世に書かれたからな。
色々混同があるんだろ。
魏志倭人伝当時の狗奴国は邪馬台国の南。
和泉と河内。
クナはクニ わざわざ南を東に修正してるんだから
自信があっての事だと思うがなあ >>424
魏志倭人伝と後漢書の間の時期に東遷が行われたとか >>426-429
荒らしはおやめ下さい。
正々堂々、真っ向から勝負して、論破し、勝利を勝ち取りましょう。 静岡県袋井市久能
久能山
神奈川県小田原市久野
千葉県富里市久能
茨城県牛久市久野町
茨城県古河市久能
栃木県鹿沼市久野
長野県北佐久郡御代田町豊昇久能
地図上でこれらの場所を直線で縦横無尽に結んでみて下さい。
在りし日の狗奴国の巨大な領土が浮かび上がってきます。 狗奴国は邪馬台国の南。
狗奴国の官は狗古智卑狗。
狗奴国はヤマトの南の和泉と河内。
狗奴国の官は河内彦 狗奴国は女王国より東に海を渡って千余里で至るところにある場所。
和泉と河内では海を渡れないし、女王国の西だし、千余里もないでしょ。
音の響きだって全然違う。 >狗奴国は女王国より東に海を渡って千余里で至るところにある場所。
大ぼら吹くでねえ〜 後漢書にはそう書かれてますんでね。
人をほら吹き呼ばわりする前に、ご自身の無知と不勉強を責めたらどうか? 後漢書は拘奴国だったかな。
狗奴国とは別の国だろう。
狗奴国は邪馬台国の南だからな。 拘奴国が狗奴国と同じだという事は明らかじゃないの。
女王国に従わない、女王国と不和の国なんだから。 >狗奴国は女王国より東に海を渡って千余里で至るところにある場所。
大ぼら吹くでねえ〜 不仲になるのは隣り合ってる場所に、古今東西、決まっとるじゃろが! 狗奴国は女王国に属する奴国(浜松あたり)の隣り合わせじゃないの。 魏志倭人伝を音読みで「ノ」と読める漢字はないかと読み返してみましたが、
魏志倭人伝には音読みで「ノ」と読める漢字がない事に改めて気付かされました。
今もそうかもしれませんが、当時の中国語は「ナ行」に非常に弱い言語だった事が
分かります。
やはり狗奴国は「クノ国」と読むのが正しいようです。 奴国の南
濃国(那国)の南
狗奴国は東海〜関東で全く矛盾無し >>443
>狗奴国は東海〜関東で全く矛盾無し
狗奴国でもなんでもいいけど、東海〜関東も忌部一族の開拓地。 @阿波 >>443
ノ国と読むのかもしれんぞ。
二つ目の奴国は。
最初の九州の奴国は福岡の旧名だからナ国で間違いないけど、
二つ目の奴国はノ国の可能性もあるな。
ナ、ヌ、ノはぜんぶ「奴」で表記されてるようだから。 >>445
だから奴国は濃国(那国)なんだよ
美濃・信濃・恵那・伊那・・・
その南(東海〜関東)にあったのが狗奴国 >>445
複数の音を区別せずに同じ音として扱うのは珍しくも何ともないよね
同じ日本国内ですら方言として北から南まで広範囲に残ってるくらいだし
まあ、転音なんて世界中どこの国にも普通にあるんだけど >>446
まあ、間違いなく、
恵那、伊那、浜名の「ナ国」か、
美濃、信濃の「ノ国」の、いずれかだろうな。
二つ目の奴国は。 >>449
いずれかじゃないんだよ
音というのは転じるのが普通だから「ナ国」も「ノ国」も同じなの
「この野郎」と書いても発音は「コヌヤロー」だったり「クヌヤロー」だったりするわけ
もちろん「クノヤロー」もある
あまり文字や音に執着しすぎると真実が見えなくなる >>447
そりゃ関係あるでしょ。
奈良(ヤマト国)が盟主で、名古屋(オワリ国)と奴国は属国なんだから。 狗奴国の官である狗古智卑狗を菊池彦と読めば、熊本ですね
奴国(福岡市)の南が邪馬台国(福岡県山門)
邪馬台国の南が狗奴国(熊本)
東の海千里先にある倭種の国は本州
帯方郡から邪馬台国まで1万2千里(うち奴国(福岡市)までで1万6百里)
邪馬台国が畿内になるなら、中国四国瀬戸内海の描写があるはずだが、なし >>452
>狗奴国の官である狗古智卑狗を菊池彦と読めば、熊本ですね
で、狗奴国は熊本のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
どんな読み方をしてもそれ以外あり得ないし発掘された遺物もそれを証明している
ただ狗奴国がどこなのかは議論があるね
女王の尽きる処にある奴国の南と読める
つまり奴国は女王国(邪馬壱国?)傘下の国々の中でも端に存在する「辺境の国」と考えられる
奴国が2回登場する理由など >>454
>魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
で、邪馬壱国は九州北部のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 魏志倭人伝の「邪馬壱国」とその後に著された数種の文献の「邪馬台国」は別の国だろうな
倭の五王以降の日本列島の支配国である「ヤマト国」を卑弥呼の時代の倭国首領国であった邪馬壱国と同じ国だと誤解してしまった
だから魏志倭人伝の邪馬「壱」国は誤記だと判断し「ト」の音である「台」の字に直してしまったのだろう
つまり魏志倭人伝以降に著された史書は正確性に欠けるので魏志倭人伝に頼るべきと思う >>456
>魏志倭人伝に書かれている邪馬壱国が九州北部なのは間違いないよ
だから、「倭国首領国であった邪馬壱国」は九州北部のなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 >>452
熊本説も説得力があるんだよな
九州南部は北部とは異なる文化圏だったから争いがあっても矛盾は無い
というより言葉も違っていた可能性が高いから和合できるわけがない >>458
>九州南部は北部とは異なる文化圏だったから
だから、「九州南部の文化圏」はなんという弥生集落遺跡群なのかな? @阿波 考えると、縄張りなんか持たない関西のやくざと似た感じかも。
縄張りより彼方此方に部族の人間が枝の拠点を持ってたとか。 狗奴国人は南方系渡来人なのか北方系渡来人なのか
邪馬壱国を打破した狗奴国がヤマト王権を立てたのか
ヤマト王権に征服されたのが狗奴国なのか
何しろ狗奴国の情報が無さすぎ
まあ、大国支那にしてみれば陸続きじゃない倭国なんて大した興味も関心も無かったんだろうな 和の国じゃなくて
わー!の国だったってことか
謎が解けたよ 熊本なら狗「馬」国のハズだろ。
注意力が足りないね。 その程度は大した違いじゃないよ
それより熊本や熊野などは江南系のクマ族由来という説が面白い
紀伊などはキ族由来だそうだ >463
世界最大の大陸国家3個と同時に戦うような民族が
たった数万人の朝鮮移民に一方的に虐殺されるとかありえるか?
瞬殺して終わりだろ
複数の誤解に基づく相互過剰防衛の瞬間的累積発展のワンシーンを切り取って記録しただけなのでは? >>465
で、江南から熊本や熊野に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文は?
で、江南から熊本や熊野に渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?
. 狗奴国の都は弥生後期から古墳前期にかけて栄えた大規模集落遺跡である足高尾遺跡群である。 狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南の和泉と河内。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦。
河内青玉繋。武埴安彦の祖父。 >>470
>狗奴国は邪馬台国の南。
ヤマトの南の和泉と河内。
で、和泉と河内の弥生末期集落遺跡ってどこ? @阿波 泉北丘陵の西側の縁は一面弥生遺跡が続いている。
当時と立地の変わっていないと思われる集落もある。
池上曽根遺跡、四ツ池遺跡、平井遺跡、鈴の宮遺跡、毛穴遺跡etc
ネット時代なんだから自分で調べたら? >>472
>池上曽根遺跡、四ツ池遺跡、平井遺跡、鈴の宮遺跡、毛穴遺跡etc
中世の遺跡(平井遺跡)も含めてるんだけど? なんかバラバラでパッとしない遺跡だね。 狗奴国じゃないね。 @阿波 >>473
中世の遺跡もあるが、弥生時代のもある。
そこは弥生時代から集落の中心が変わっていない処だな。
隣に垂仁天皇の時代に作られたため池がある。
大規模水田地帯だな。
巨大古墳の下敷きになった集落もあるだろう。
一面弥生時代の遺跡だらけ。
河内も同じ。 >>474
河内の大部分は纒向から見たら、南だぞ。
和泉は更に南。
地図を見ろ >>475
>中世の遺跡もあるが、弥生時代のもある。
そんなチンケなところが狗奴国なわけない。 しかも西。 @阿波 >>479
阿波咋は黙れよ。
お前らが滅ぼした地だよ。 >>480
>お前らが滅ぼした地だよ。
忌部一族が拓殖した地だよ。 @阿波 >>478
>足高尾遺跡群は沼津北部にある遺跡。
そこも勿論、忌部一族(海人族)の痕跡。 @阿波 阿波咋は哀れやのう。
空海の慈愛に満ちた供養を無視するなんて。
昔の状況に戻りたいのか? クヌ、クナ、カノ、鴨(神)族の特徴は円錐状の山・神奈備を崇拝。
そしてその水源に王=神が住む。
だから「遺跡」なんて考えなくてもいい、その水源にある神社仏閣でいい。
水源に神(王)の住む宮があり、
今でも神社はもちろん、神仏習合を経て仏教のお寺になってたりするはず。
お寺になってる代表的な場所は大阪岸和田の神於(こうの)寺。
神於山という神奈備の水源に天台宗のお寺がある。
そして神於銅鐸(流水紋)が出た。
だから静岡でも神奈備と水源の神社やお寺を考えればいい。
久能山はどうなんだろ、わしは地元民ではないから分らない。 魏志倭人伝には音読みで「ノ」と読める漢字がない。
どうもナもヌもノも「奴」の一字で代用されているようなのです。
ゆえに狗奴国は「クノ国」と読むのが正しい可能性が極めて高いと思われます。 >>485
当時の魏人の発音は分からないんじゃないの?
中国語の発音は時代によっても地域によっても違うらしいし
奴=ド という説もあるよ >>486
しかし魏志倭人伝に音読みで「ノ」と読める漢字がない事は事実。
最初の奴国は福岡の旧名の「ナ国」でイイだろ。
奴婢は「ナヒ」か?
やっぱ「ヌヒ」だろ。
ノも「奴」で代用されている可能性は極めて高い。 >>487
奴婢は中国で奴隷を指す言葉であって日本語の音をあらわす文字ではない
奴婢という中国の言葉にヌヒという読みを当てはめたのは後世の日本人であって
当時の魏人の発音ではないでしょう 上代東国方言では野という漢字を「ヌ」と読んでいたらしい。
本当は「クヌ国」が正しくて、それの当て字で狗奴国になったかもしれんな。
クヌの当て字で日本では久野や久能になった可能性もあるな。 東を南に置き換えたのは
卑弥呼の時代魏が呉を牽制する為に倭国が呉の背後にある必要が有りわざと南に長い国にしたというのを何かで見て一番しっくりきた それならむしろ
丑寅の方角である事実を隠したかった
の方がしっくりくる >>487
方角から考えたら奴国は福岡にならないよ
やっぱりド国じゃないの?
まあ当時の魏人の発音は分からんけども >>490
敵である呉に三国志を贈呈したの?
三国志は魏の重要な国家事業としての歴史編纂だよ 三国志自体は晋の時代
書かれている内容は魏の時代の話だから進呈する頃には呉が存在しない
呉を牽制する為に親魏倭王に任命したでも辻褄は合うと思うよ
九州までは方位は正しくてそこから南に長い国じゃないと呉を挟み撃ちに出来ない
実際は魏に都合が良ければ良いだけなんで
まー俺がしっくりきただけなんで 金印を貰ったのは倭国と大陸の一方の雄、騎馬民族の大月氏国のたった二国だけとか。
親魏倭王、つうのって下賜されたんじゃなくて外交上の贈り物と違うの。
「親しくしましょ」的な。
学者の説はなんか信憑性に欠ける、赤い人が多そうやしね。 >>495
凄い妄想だなw
「お前を王として認める」というのは皇帝の権限だぞ
この立場の違いが分からないのはアホすぎるだろ 金印は二番という意味だからな。
一番、つまり中国の皇帝は玉璽。
だから卑弥呼の金印は後の天皇に潰されてるかも。 まあ、妄想ですがね。漢字が成立する過程にも倭人が関わってたような気がして仕方ないんや。
もともとの大和言葉と漢字を充てる、意味と音だけじゃなく字意も含めて万葉仮名、そして平仮名と片仮名彡まで、漢字を知ったのがいつとか知らんが、其れらをある程度体系化するとか…どんだけ優秀やったんや。
だけど其の過程に関わってたとするとすこし スマンつづき
難易度も軽減しそうやんか
いま常識みたいに教えられてる事のが信じられんねんなあ。 >>497
三種の神器の玉が金印かもしれないという説もあるぞ しかも遥か旧石器時代には日本海を超え各地に黒曜石を流通してたと言う事実が有るし。
大月氏国の始祖は月読命だった説…とまで言うのは妄想過ぎるか。 ブリヤート人はバイカル湖辺りに生まれたDNAを持ってて日本人と別れたとかやろ、そう考えても大月氏国が月読命だった説を裏付けてそうなんやが。 >>500
実は三種の神器の勾玉を「神璽」とも呼ぶ
でも「璽」は玉璽という言葉もあるように、本来は印という意味なんだよな 月読が治めたのは夜の食国。
倭国大乱中の食国だろう。
食国と言及された地が何処かだな。 壬申の乱で負けた難波は奈良時代は寂れていた。
弥生時代、古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども >>498
対比してみると漢字、万葉仮名、平仮名、片仮名と文字の価値を深め広げ押し上げたのは倭人だけやろ。
支那の簡体字とか劣化させ過ぎやし、半島では手に負えなくて諦めてるとか上古の倭人はマジで凄いわ。 >>507
熊本ですな
熊本の古代遺跡は独自性の高いものが多い
これはつまり九州の他の地域とは異なる文化圏であった証拠
となれば敵対関係を考えるのが自然 魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
ヤマトの南の和泉、河内だろうな。
狗奴国の官、狗古智卑狗。
河内彦。武埴安彦の祖父、河内青玉繋。 >>510
>魏志倭人伝に狗奴国は邪馬台国の南にあると書いてある。
邪馬台国は阿波國北部。 狗奴国は阿波國南部。
狗奴国には若杉山の「丹山」があったので、それが紛争の種。 記紀でいうところの「国譲り神話」 @阿波 >>509
熊本こと球磨なら狗「馬」国のはずだろ。
>>511
和泉、河内はヤマトの西だから、お話にならないけど、
阿波国南部って具体的にどこ? 纒向の西は今の大和川辺りだろ。
和泉も河内もそこから南に広がっているわ。
静岡は尾張三河と同じ東海勢力。
邪馬台国、大和朝廷側だな。ヤマトの南でもないしね。
東海に広く分布する秋葉明神。
この正体が気になるわい。 >>512
>阿波国南部って具体的にどこ?
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 [ˈknuːmˈkuːfuː] KNOOM-koo-foo (我はクヌム神に守護されている)
なぜ私がピラミッド建設の理由と方法を知っているのか分かった
人類史は想像を絶するな
『月読』の由来(or時代or期間)を知ってる人がいたら何か書き込んで 月読は日見彦と同一。狗奴国の卑弥弓呼。
暦を司るのは、王の特権だな。
ちなみに邪馬台国、卑弥呼側には暦がなかったと魏志倭人伝に書かれている。
狗奴国卑弥弓呼が倭国の正統の王だったんだろう。
月読が治めたのは夜の食国。 畿内とか四国とか何を考えてるのか理解できんわ
魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが >>518
実はそんなことはどうでも良かったりする
変換キーの擦り合わせが本命だから
これは実に良スレ >>518
>魏志倭人伝を読めば九州しかありえないのは分かるはずだが
九州のどこ? @阿波 >>520
いいからお前は出てくるな
お前は病気なんだよ 狗奴國くなこく、奴はド、ナ、ヌ…ズ、ヅと転訛しててもおかしくないん違うの。
クズ國か、クナ國のクナ人などは余り聞かんのやが、国栖人は今も国栖奏を宮中に献ってるやんか。魏志倭人伝の何十カ国だかは、ほぼ同一民族の分派と考える方が自然やろ、國と言うより大きなムラ、クニやったとしか思えんのやが。 >>514
熊野なら狗馬奴国のはずだろ。
狗奴国の読みは「クナ国」「クヌ国」「クノ国」のいずれか。 狗奴()國は紀伊半島辺りから大和奈良辺りまで、いや四国一帯に広くネットワークを持ってたヒトたちの事やろな。熊襲隼人国栖人らホーミー的に吠声、喉声を操って高らかに唄ってたんやろ。 狗奴國はやっぱりクズ國やな。紀伊半島熊野あたりのヒトや場所だけで括るってるとなんか見落としてしまうかも。
其のヒトたちは四国(主に南部、阿波辺り)から紀伊半島辺りで自然の恵みを受けて遥かな時を過ごしたゎやろな。
狗奴國はクズ國、国栖人のクニやろ。
ソースは俺や。妄想や。またはロマンと言うてもええかな。 飯し食べたか?
奴、ド、ヌ、なら、ドゥ…ズ、ヅに転訛しててもおかしく無いと思うわ。
國の中国読みはクオク、クドゥクオクやったとしても充分に有り得るやろね。
熊野を狗熊奴國と無理やり置き換える必要も無い話やろね。 高い知性は呪いみたいなものだから自慢してはいけないし威張ってもいけない
でも侮辱されるわけにもいかない
だから謙虚に内輪で〜が基本で、オープンの際には自虐的にユーモア交じりになーる
狗奴国は2ch(今は5chか)に似てる気がする ズ、は古代の中国人の聞き取りで、ドゥ、に聞こえた音に奴と言う字を充てただけかもな。 狗奴国、クナ国。
クナはクニの語源だろう。
津はの。
国津神はクナの神かもね。
大国主、素クナヒコ名。
国津神がいたのは芦原中津國かな。
魏志倭人伝に記述された狗奴国は邪馬台国の南とある。
ヤマト盆地の南の、和泉〜河内だろう。
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦。 狗古智卑狗は
魏志に先立つ魏略において
狗右制卑狗となっている。これは
クゥヂァィピク
であり
コウヅアンヒコ
高津安彦
タカチアンヒコと誤読されたなら、、、
武埴安彦!になるのだ! クフ夫は光の速度をかなりの精度で計測していた
ガラスは砂由来
直径10メートル程度の光学レンズくらいは楽に作れたはず
月経やら生理やらで月に対する執着はあっただろうし、満ち潮、引き潮の原理も知っていたんだろうなぁ
月面が真っ白なのは神の悪戯か?
……そのクフ夫に尊敬されていたらしい連中がクズ犬レベルにまで叩き落されるという事は、
やはりこの世には○○が存在しないということだ
九連倫のbT、五大盲点
五つの非在定理の第一章「○○非在定理」 隼人も、はやいひと、はいひと、とか言うけど吠声(はいせい)の吠える人かもな。国津神も、くずぬかみ、やったかも。
熊襲から隼人と国栖、国巣、葛が派生して九州、四国、畿内へと移動していったん違うの。
南九州の一大勢力が葛城氏の元で隼人が、はやいひと、ならいち早く熊襲から分派した部族じゃないのか。 大和言葉は漢字じゃ判断出来んけど…やまと山人はなんかシックリ来るな。
ただ、わざわざヤマトと呼ぶ辺りに海人からの派生やと思った。
はいとは吠人と言う意味やと思うわ。
ヤマト山人、これは本当にシックリ来る。 だいたい狗奴國を本当にクナコクと読んでたのか…。
>>529
此れだと吉野から紀伊半島の熊野あたり一帯が狗奴國やったかも辻褄が合う。 じゃあ北九州以外は全て狗奴国だったってことか?
……まあ大陸全土の協力があれば押し負けるのは仕方ないが 九州北部から水行二十日、水行十日、陸行一月までしておきながら、
まーーだ九州北部にいるんだからなあw
ちょーウケるwwww 手漕ぎボートだし待機時間も含めた日数だから普通じゃね?
陸行だって灌木を掻き分けながら山あり谷ありを歩いてるし夏だから湿気と暑さでなかなか前に進まないだろ
しかも荷物もたくさんあるし 一大率という出先機関をわざわざ作ってる時点で
投馬国邪馬台国までが九州北部で収まっているとは思えない
途中から日数表記に変わっていることからも
当時比較的交流が盛んだったと思われる九州北部から
離れたところにあったと考えるのが妥当 邪馬台国が九州から畿内にまたがる瀬戸内沿岸連合なら
邪馬台国到着自体は九州内 女王国はその先で解決 やっぱり邪馬台国は畿内だろ
そうでなければ狗奴国が大きくなりすぎる クノ、は、クの、やったんかもな。クの國なら分国と言うのも有ったと思うわ。
それは、列島の各地に結ばれた、クの人、らのネットワークを表してんの違うの。 高野山密教の連中とかがどこまで把握しているのかが問題だな
まあおそらくほとんど分かってないんだろうが >>547
それはこのスレでは禁止ワードになりましたとさ 歴史系のスレには高確率で真性キチガイが涌くけど、面白い共通点として
いくら叩かれてもへこたれない
という性質がある
根絶は難しいな 1だが、俺はシレーッと見ているだけだけど、あんまり基地な事を書くと、マジに怒りだす人もいるからね。
で、俺がやってると思われるの。
もう、どんだけ〜って感じ。
だから、ヤバいときはおやめ下さいと一応ダメ出しはします。 久野なんて地名は全国にやたらある。
それが全部狗奴国の勢力圏だなんてことはありえない。
我が国統一されてながいけど日本中のあちこちに
ニホンとかヤマトとかヒノモトとかの地名がやたらあるわけじゃないだろ
----------
狗はクかコ、奴はナ・ノ・ヌのどれかだから
クナ・クヌ・クノ・コナ・コヌ・コノまでが許容範囲。
子音違いの球磨郡や熊野、桑野は論外。
母音違いの狩野・加納・毛野も避けるべき。
ただし現代地名の久野じゃなくて古地名じゃないと。
古地名ってことでいえば断然、蓋然性が高いのは久務国造の「久務」だろうな >>552
ウソですね。
全国にないです!(キッパリ
ずばり「クノ」の二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
久務国造は狗奴国が日本武尊に滅ぼされた後に、大和政権が置いた役職で、
狗奴国の王族の後裔である可能性は低そうです。
狗奴国の王族は都の足高尾遺跡群で日本武尊の火攻めにあって、
ほとんどが焼け死んだものと思われます。
焼津の語源は日本武尊による、焼いて焼いて焼き尽くすという戦法の焼き尽くすから
焼津と名付けられたのです。 焼けるように暑い港だからじゃないの?
夏に焼津行ったらめちゃくちゃ暑くて死ぬかと思ったよ 違うんです。
事実は残酷で、日本武尊の火攻め戦法の「焼き尽くす」から「焼津」と
名付けられたのです。 まあ木造建築物は定期的に焼いた方が経済的には好都合だけどね
新築になるし 東海は出雲山陰と並び大和朝廷の主体だな。
纒向遺跡の外来系土器で一番多いのは東海系。
静岡は初期の大和朝廷の一員、邪馬台国側ということだな。
狗奴国ではない >>559
何度も読んでますが何か?
ずばり「クノ」二文字だけの地名は静岡〜関東+長野を除くと、
山口と三重くらいしかありません。
全国にないです。
全国にありませんので(キッパリ! >>557
単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
邪馬台国連合と狗奴国の国境は天竜川。
高尾山古墳からは滋賀あたりまでの土器の出土はあるのに、
奈良以東の土器の出土はなかったそうだよ。 信濃、美濃は勢力圏に入っていたくさいが、北関東は入ってないだろう
毛野氏は邪馬台国の側だったと思われる >>561
>単に愛知県の土器が纏向に入っただけだろ。
東海忌部だね。 伊勢忌部や東海忌部が奈良盆地の開拓にやってきたのさ。 奈良盆地は沼地だから最終開拓地となったんだね。 @阿波 >>505、八雲とか出雲って本当は意味が全然違うと思った。
夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁。
八雲立つ出雲八重垣妻籠めの、、、此れは須佐之男命が詠んだと言う和歌の万葉仮名。
夜久毛多都:やくもたつ…八雲立つ、原文とはかなり違うけど、夜くも(食国)とは読めんかな。須佐之男命と月読命は伊邪那美から産まれたんやな。
偉そうな学者の解読はどうも穿って見てしまうわ。狗奴国て誰が其う読んだんや() 出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神である幸神、東から来て(西ではない)文物をもたらしたクナトの神、そしてその二神の子サルタヒコ。
それがオオナムチに取って代わられるんだな。
オオナムチによる出雲地方統一の結果だろう。
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいたサルタヒコ一族が追放されたからだろう。
大量に埋め捨てられた銅矛銅鐸。
出雲地方と元々交流があったのは、淡路島を中心とした環大阪湾。
出雲地方と環大阪湾が仲良くしていた時代が、イザナギイザナミの国生みの時代だな。紀元前まで。
東から来て文物をもたらしたクナトの神。
環大阪湾の勢力の可能性が高い。
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸を見ると、サルタヒコ一族は畿内各地に逃げ延びた可能性が高い。 >>568
逃げ延びたというか、大陸に途方もない大きな国があって、
想像を絶するほどの数の兵士がいる国だと知ってたので、
九州瀬戸内に防人を置き、首都移転の意味で葛城を中心に畿内各地に移住したのだろう。 日本を脅かすような水軍を動員できる国は唐までない。 ヤマタノオロチは、元々は丹後半島だろう。
紀元前後王が殺されて、一族が畿内で逃げ延びた。
丹後半島に遅れて、1世紀には淡路島、池上曽根遺跡などで鉄工房が始まる。
その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。
彦根の稲部遺跡でも鉄工房が見つかっている。
ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。
伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。
畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた勢力に恩義を感じていたのかもな。
伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
環大阪湾の倭人、丹後半島を追われたヤマタノオロチ族、出雲の神庭を追われた出雲族が協力して作ったのがクナ。 サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神(素クナヒコ名)の子。
倭人と出雲族の同盟の証。
月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。
大国主とスクナヒコナの国造りは、出雲族と倭人によるクナ国建国の話だろうな。
スクナヒコナの最後は淡路島に弾かれ、或いは潮岬から逃れるとある。
大阪湾近傍にいたのは間違いない。
猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。
天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。
その近傍にイシズ川。
猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。
伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。
更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
またサルタヒコが消えたのはイスズ川の川上。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、亡くなったんだろう。 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海の潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 >>571
>しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。
いや、海に潜る阿波の海人(あま)のこと。 @阿波 サルタヒコの遺言。倭国大乱の犯人を教えてくれる。
「底どく御魂」「つぶたつ御魂」「あわさく御魂」
底、独、常、立 、阿波咋
国常立神、天香山の山頂に祀られている神。
鬼門に封じ込まれた神。
天岩戸の向こう側に追いやられた神だろう。
阿波咋、阿波で石器作りをしていた集団が、阿波の海人の倭人の勢力を乗っ取ったんだろうな。 >>65
其れな、有ると思います。
縄文の三内丸山遺跡の流通っぷりは想定を遥か越える広範囲…と言うか旧石器時代からでしょ。
東から畿内入りした人らもそのぐらい古くからの付き合いやし。 こういうスレで日付を気にする方がむしろおかしいだろ 古代エジプトしかり近代ヨーロッパしかり古代日本しかり現代日本しかり
意識をどこか遠くへ飛ばしていた方が国が富む不思議
家族や親戚や御近所さんをガン見すればするほど誰しも腐っていく
猟奇カルトに落ちない限りにおいてはスピ系や考古学者は増やすべきなんだろうな しかし難しいよなぁ
教師やお医者さんはガン見せざるを得ないからな
全部越境にすると誘拐やら事故死の確率が増えるし燃費も悪くなるし 「国の本当の大きさ確認出来る」と言うサイトで日本の大きさを見たら、かなり視座も大きくなると思う。今まで思っていた、小さな島国、とか…。
だいたい考古学抜きで古代を騙るとかタチが悪過ぎるわ。
古代の他国で書かれた文書で誤魔化せた時代と違うもんね。 問題はその考古学の範囲の広さ
サルがサルをレイプしまくって進化したのが人間だとすると、
真面目に考えれば考えるほど頭がおかしくなる
神や宇宙人に造られた人造人間説妄想に逃げたくなる気持ちもよく分かる
と言うわけで、狗奴国の話題をどーぞ 5000年前から同じ地名って日本には無いのか……
じゃあなんであの時この国だけが助かったんだろう? 要するに美女(美少女)を守るためには、
@世界志向の大企業を増やす
A国内志向の小企業を増やす
いずれかしかないってことか 魏志倭人伝にでてくる「国々」はせいぜい国造程度の規模だろ
なんで狗奴国だけが複数の県にまたがるほどデカイんだよw
普通に考えておかしいだろうが 全然おかしくない。
ヨーロッパはイギリス、オランダ、ドイツ、ポーランドなどの小国の集まりの隣りに
ロシアという巨大国家があるし、東アジアも日本、韓国、北朝鮮の隣りに
中国という巨大国家がある。
むしろ巨大国家だったからこそ、邪馬台国に対抗できたのだよ。 >>587
そうだね。 @阿波
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 原因勢力の主力の成れの果て → 邪馬台国
特命遂行中の副産物の主力 → 狗奴国
運命のいたずらで殺し合い、その後に融和
紆余曲折を経て、黒船来航で特命解除
現在に至るってことか……
やっと謎が解けたわ
でもどうすりゃいいんだこれ? >>590
邪馬台国が小国の集合体だからといって、狗奴国もそうだ、そうに違いないと
決め付けるのは単なる先入観。 倭国大乱の前は倭国の王は男王だった。
邪馬台国は女王卑弥呼の国。また女王卑弥呼の後に男王を立てるも国中が従わず、その後女王台与を立てるとある。
邪馬台国側には、倭国の男王に足る血が無かったんだろう。
卑弥呼と対立する狗奴国卑弥弓呼は男王。
こちらが本来の倭国王の正統だろうな。 ヒミコとイヨは強い霊能力を持ってたんだよ
だから従った
性別は関係ない 狗奴国はクナト国。
紀元前11世紀から日本は琉球からアイヌや樺太まで統一されたクナト国だった。
クナト神とアラハバキ神を崇拝していた。
古代出雲大社はクナト神を祭っていた。
ここに大和国が入ってきたのでクナト国は南北に別れた。 恐竜も古代世界政府も小惑星によって滅んでいる
しかしそのたびに進歩がある
カタストロフィを受け入れるべきか防ぐべきか
答えはそのちょうど中間にあるとすれば、
そもそも領域内要素の快適な最大化を最初から阻止しておけばいいってことだ >>592
狗奴国は卑弥弓呼がいた首都にすぎない
勢力全体の名が狗奴国というわけではない >>600
卑弥弓呼がいた狗奴国の首都であったと唯一考えられる遺構は3Cの東日本一の
規模を誇る巨大古墳の集まりと弥生後期〜古墳前期の大規模集落遺構の
存在から考えて、沼津北部にある足高尾遺跡群ただ一つだけ。
だが、そこに狗奴国を彷彿とさせる地名は遺されていない。
足高尾遺跡群を挟んで、東に小田原市久野が、西に久能山が、
さらに西に袋井市久能が遺っているだけ。
久能山のあたりは古くは久野郷という地名だったらしい。
地名の点在から考えて、少なくとも袋井市久能から小田原市久野までは
狗奴国だったと考えざるを得ない。 狗奴国は邪馬台国の南。ヤマトの南の河内と和泉だな。
狗古智人狗は河内彦だな。武埴安彦の祖父の河内青玉繋。
女王国に征伐されるまでは、摂津やヤマトも狗奴国の版図だった可能性もある。 >>602
河内あたりじゃ南とはいわんだろ、西とはいうだろうが
大和の南なら吉野、熊野。せいぜいがんばって紀州ぐらいだろう
伊勢なら南というより東というだろうし 当時と真逆の生き方をすればいいってことは、
できるだけ多くに貢献しつつ、最大限に見下されればいいってことか
そのぶんだけ女型が楽になると…… 邪馬台国が魏とつながっていたように狗奴国は呉と同盟
摂津と甲州は赤烏の年号の入った鏡がでてるから男王派=狗奴国側だったんだろう
狗奴国自体が東海地方にあったにしろ熊本だったにしろ
男王卑弥弓呼を唯一の倭王として認める国々は全国に点在していて
その総数が「女王国30ヶ国」に抵抗する「男王国の諸国」ということになる やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする
しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、
おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布
白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる
シラ、白澤、白沢、白佐波
新羅も本来はシラだな 畿内の勢力は2世紀末に大きく変わる。
纒向遺跡でも、東海や山陰、吉備などの外来系土器が突然現れる。
記紀にもヤマト征伐によって大和朝廷が始まる様子が記述されている。
大和朝廷の主体は尾張と出雲。
次に考古学的に大きな変化があるのは4世紀後半。 大きな政権交代があったんだろう。
神功皇后応神に該当する時代。
記紀や各地の伝承。
忍熊皇子、飛騨の顔が二つ頭が一つの怪物を討つエピソードがあったり、出雲の生馬の神がもう荒ぶらないと宣言したり。
神功皇后が三韓征伐の往路復路で、八雷神に似た頭が八つで牛の姿をした塵輪鬼を討つ話があったり。
纒向遺跡の外来系土器の中心、東海(飛騨の怪物)、山陰(出雲の生馬の神、牛荒神の木)、吉備(塵輪鬼)が討たれるエピソードばかり。
全て牛というキーワードが共通する。
同時代の若草山山頂古墳。かつては牛塚と呼ばれていた。牛頭天王と何か関係あるのかもしれない。 >>597
クナト国の起源は2説ある。
1、エジプト王イクナートンの死後、宗教迫害で日本に来た。(BC13~11世紀)
イクナートンがクナトとなる。
イクナートン一族はユダヤ人と祖が同じで、元々アララト山麓ウラルトゥ地方に
住んでいた。
アラハバキは荒覇吐と書くが、これはアラハトと読めアララトと関連性がある。
アララトは樺太とも語感が似ている。
2、アーリア人の侵入でインドのクナ地方の王クナトが数千人を引き連れて
ブリヤート人の商人に先導されて
ゴビ砂漠~バイカル湖~アムール川~樺太
のコースで日本へやってきた。
出雲では大きな砂漠~大きな湖~大きな川を下って日本に来たという言い伝えがある。
(BC16~15世紀)
クナト王のいたのはクナで狗奴そのままであり、インドのクナ地方で話されるタミル語
は日本語起源説がある。
熊本の語源はこま(高句麗)とも言われているがクナトが正しい。 >>608
え〜 そろそろオカルト板でやられてはいかがでしょうか? >599
サバンナやジャングルでは子持ちの女性は最弱(パパ助けて! → あたりまえだ!)
法治国家では子持ちの女性は最強(あなた。ジュース買ってきて。 → ……お、おう)
後は分かるな?
そう。大事なのは変換キーだった
それが破局を防ぐんだが……法治社会の歴史が短すぎるんだよ。生物史の長さと比べて
間に色々とありすぎまくって解析不能の時代が長いし 熊とかゴジラが襲ってきたら子供を抱いた女性を最優先に守るべき
バイトリーダーが襲ってきたら、独身で身寄りのない女性や孤独な老人を最優先に守るべき
安倍総理も問題の根本が見えていない
お坊ちゃんお嬢ちゃんの参謀に囲まれていては仕方が無いが 10階建てのマンションの屋上から屋上へ笑いながら飛び移るような連中がトップに立つよりは遥かにマシだけど 鴨(神)族は水源に住む。
だから山の中腹から銅鐸が見つかる。
人間が生きていくために何よりも必要なのは水。
そのあふれる水の第一利用者が神、山の神ってわけ。
彼らが支配した水源は今は神社になってるか、
神仏習合を経て今はお寺になってる場合もある。
(大阪岸和田の神於山にある神於寺は天台宗)
自分には土地勘はないけど久能山なんてクナ国の王の住まいに一番ふさわしいんじゃないか。 日本地図を右下45度にカクンと傾けて見ればいい。
方位磁石もなかった時代の魏志の方角なんて雑な物。
邪馬台国は大和。
女王国が切れるところにある奴国はナコが語源の名古屋。
そしてその南(実際には東南)の静岡が狗奴国。 >>613
久能山は狗奴国の聖地だろうし、久能山の周辺は古くは久能郷という地名だったそうだよ。
でも、その周辺に3Cの巨大古墳ってないでしょ?
久能山の近くで3Cの巨大古墳があるのは沼津だけ。
>>614
名古屋はオワリ国だったんじゃないかな??
浜松あたりは古くは浜「名」郡という地名だったそうだよ。 尾張〜駿河辺りの東海は、邪馬台国女王国の版図じゃないかな。
纒向の外来系土器の主体は東海。
秋葉明神や天白信仰、おしらさまの伝承も共通して色濃く残っているしね。
やっぱりシラ、白が重要なキーワードな気がする
しら、おしらさま、白日、天白、しらぬひ、
おしらさま伝承は伊勢以東、東海を中心に東北まで分布
白澤、人面の牛、牛妻
白も牛と繋がってくる >>616
で、狗奴国が風葬だという根拠は?
>>618
3Cの複数の巨大古墳と巨大集落遺構の存在から都としか考えられない沼津の
すぐ先にある神奈川県小田原市久野は少なくとも狗奴国の一部だろ。
今の県境の先入観で決め付けるなよ。 >>619
古代を代表する出雲国と飛騨国は風葬で、アイヌや琉球も風葬だった。
このように日本全体が風葬だったのだ。
そこへヤマト国が侵入してきた。
勢力範囲内は古墳が多いことからヤマト国が古墳を造り始めたと考えられる。
ヤマトと対立し古くから存在していた狗奴国は風葬を残していたと考えるのが自然
だろう。 風葬いってるアホは相手にする必要がないw ほっといても消えるw >>615
>でも、その周辺に3Cの巨大古墳ってないでしょ?
>久能山の近くで3Cの巨大古墳があるのは沼津だけ。
巨大古墳なんてなくていいのだ。
鴨(神)族の墳墓は天然の山を利用する。
だから鴨系神社のご神体は山。
前方後円墳、後方墳は瀬戸内海洋集団・物部の墓。
4世紀の天理の西山古墳は物部の墓だが、
後円墳と後方墳が結合している。 >>620
出雲と飛騨が風葬だからと言って、狗奴国も風葬だとは限らない。
単なる貴方の勝手な決め付けですね。
>>622
巨大古墳なんてなくていいのだじゃなくて、現に3Cの巨大古墳たる高尾山古墳と
神明塚古墳がある訳ですよ。
しかも、久能山よりも大和から遠い沼津に。 >>623
>現に3Cの巨大古墳たる高尾山古墳と 神明塚古墳がある訳ですよ。
あるね。
ただ前方後円墳や後方墳が何者の墓かを考えないと。
元々は瀬戸内海洋集団の墓であり、彼ら瀬戸内海洋集団が濃尾平野や沼津に展開し、
狗奴国(静岡)を囲む形ともいえる。 なぜ瀬戸内海が出てくるんだ?
どこかの工作員、企業などの工作員
阿波、四国が何やらと言ってる人がいたり、
そういう話(我田のような)は、してはいけないんだけど?
別に、しても良いんだけど、実際は相手にされない ちょい待ち
前方後円墳は各地の文化要素が畿内で統合されてできたんじゃないのか?
女王派と卑弥弓呼派に分裂したのがその後だとしたら
前方後円墳は邪馬台派か狗奴派かという指標になりえないだろ
それとも、女王派と卑弥弓呼派に分裂した後で
邪馬台女王国が前方後円墳体制を築いたのか?
どっちだよ??? 邪馬台国は朝鮮半島〜中国北部まで繋がっていた(主陸路と補助海路)
狗奴国側はおそらく北海道から中東辺りまでの沿岸部と繋がっていた(主海路と補助陸路)
100%喧嘩になる
旧日本軍もそうだった
陸海双方の事情を把握していた瀬戸内の海賊連中が仲介になって前方後円墳が生まれた可能性は否定できない
秋山真之、好古兄弟は伊予水軍の末裔で、その時期の日本陸海軍はギリギリなんとか仲良しだったみたいだし
でもこれは問題としては上澄みみたいなもんだろ >>624
>濃尾平野や沼津に展開し、
濃尾平野や沼津に展開したのは、倭国(阿波)を発った忌部一族。 @阿波 瀬戸内海は邪馬台国派と狗奴国派が入り組んでたろう
紀年銘鏡から判断すると
周防・吉備・河内・和泉は女王派、摂津・紀伊は男王派
だから日本海航路を使った
山陰は出雲・但馬・丹後・丹波は女王圏内で安全だから
東国は狗奴国(遠江)の本拠で東海道諸国と甲斐・美濃は男王派
女王派は毛野(北関東)ぐらい
九州は北九州と日向が女王派、肥後が男王派
狗古智卑狗は狗古智国(肥後菊池郡)の卑狗(大官)だろう
大雑把にいえば西国は女王優勢、東国は男王が優勢だが
細かくいえばモザイク状に入り組んでる 小型の雌サルを雄ゴリラがレイプすれば出産時に100%死亡する
ゴリラやオランウータンの雌を小型の雄サルがレイプすればコロコロ大量に出産できて、その量産系の子供たちは優秀な兵となる
きっかけは小惑星の飛来、衝突。
ただ、理由が分からない 狗奴国と一体何の関係があるんだよ?
イカレてるなあw 武蔵
なんでこれで634なんだろ?
どういう読み方なわけ? >>634
あほですか
先にムサシという発音があって後から武蔵という漢字を当てたんだyo >635
つまり漢字が伝来する以前にもう既にMUSASHIだったってことか? 「武蔵」になったのは奈良時代の好字二字令の時からだろ
その前は「旡邪志」とか「胸刺」と書いてたんだyo 飛鳥とか駿河と一緒か
つまりムサシ、アスカ、エミシ、クナみたいな語感がもともとの日本語ってことか
濁音があんまり入って無くて、威嚇感が無く上品
しかし可愛さは無い 狗奴国はクナ国と読むとは限らんのだぜ。
奴婢からクヌ国と読むかもしれないし、倭人伝にはノと読める漢字がないから、
ノも奴と記されているようなので、クノ国と読むかもしれないし。 しかし日本史における久野、久能の情報の無さは異常
黒船到来で太平洋封印政策完全崩壊 → 面目丸潰れ → 私は貝になりたい って流れか……
でもまあ、今の世界に必要なのはどう考えてもブレーキだろ
どうせ太陽系の外には何もないんだし
星の光ってのは、戻ってきた太陽の光だろ
直線非在定理
この世界に完璧な直線は存在しない
光も恐ろしく巨大な円を描いている
いずれにしろ全ては幻影だ…… で、光子には「質量」があるから、万有引力(笑)も作用反作用で説明がつく
要するにその先の理論物理学は……
ただ、この作用反作用が何なのかがなかなか奥深い
少なくとも言語だけでの解説は不可能
けっこう頑張ったんだけど、万物理論の解明には至らなかった
で、どうせ暇だし慈善事業でもしようかなーと思ったんだけど……
俺も久野だし、ここには久野さんと久能さんが比較的大勢いらっしゃるようだし、同族なら話くらいは通じるかなー……と
荒らすつもりは無かったんだけどね いや、黒潮を移動の手段に出来た古代の人たちは、その沿岸に住みやすい場所を見つけると拠点を築いたのは想像しやすい。
沼津市も地図で見ると生きる為の水を得る河川がかなり豊富そうだし。
そして、自然災害の畏れも充分に理解してたろうし行った事は無いが、名前からも高尾山古墳の高地近辺などは格好の要塞だったのかも。 >>642
>黒潮を移動の手段に出来た古代の人たち
忌部の海人族ですね。
>沼津市も地図で見ると生きる為の水を得る河川がかなり豊富そうだし。
もちろん、沼津も高尾山古墳の高地近辺なども、忌部海人族の拓殖地ですよ。 @阿波 確かに阿波は人の移動の重要な拠点であったと思う。
長い年月そうだったろう、十万年近く列島を行き来してた人の流れは絶対あった筈。 たとえば巨大津波への対処法を考えるとすると、
@分解法:複数の防波堤で波を誘導して複数の岩山にぶつけ、さらに後続の波にぶつける
A受け流し法:巨大なトンネルで反対側(太平洋→日本海)に流す
B反射法:巨大な壁で跳ね返す。巨大水砲で地味に撃ち返し続ける
C放置法:ほっとく。流されても構わない都市づくり。避難経路だけは大きなのを多めに設置して人命尊重を
実際には財政やら他の自然災害やらと釣り合いを見ながら複合的かつケースバイケースで最善状態に近づけるしかない
(残念ながら民主主義、自由主義で最適状態に近づくことはほとんど無い)
考古学の難しさは理由を一つに絞りたがるところ
実際に動機と手段が一対という事は絶対にありえない ↓
アインシュタイン 誕生日 3.14
ホーキング博士 命日 3.14
ちょっと微笑ましかった >>625
>なぜ瀬戸内海が出てくるんだ?
前方後円墳のルーツは東瀬戸内。
円形周溝墓に突起付の墳墓ができる。
淡路島を挟んで讃岐、播磨や吉備など。
そしてニギハヤヒが引き連れてきたのは瀬戸内集団。
ニギハヤヒが神武に屈したのは桜井市外山(とび)近辺。
桜井の纏向遺跡とは物部遺跡だ。 高尾山古墳からは滋賀あたりまでの土器の出土はあるが、それより西の土器の出土はない。
ハイ、残念賞! 水源豊かな平地は人口が増えやすい
その平地の中で最も人口が増えやすい(住みやすい)地点をロックする意味で巨大古墳が建てられた
余計な殺し合いを防止するためにね
(ちなみに古墳にはそれに連なる参拝道やら宿泊施設やら何やらかんやら付随するのが普通。つまり封印面積は古墳の数十倍に至る)
もちろん全て分かった上で書きこんでるんだとは思うが
なんで西洋の鍵穴と前方後円墳が同じ形なのかとかね
ヨーロッパの帽子の型紙を平面上で組み合わせれば鎧兜になる
まあその他にも色々と…… 南海トラフ…先史の列島に何度も痕跡が見られるらしい。
そんな巨大地震、巨大津波が何度もあれば遺物に異変があっても仕方ないと思われるが。
魏志倭人伝のビフォーアフターでも列島の様子も相当違う筈。現代起こったとして此れ。推して知るべき。
2018.6.7 13:37
西日本を中心に大きな被害が想定されている南海トラフ巨大地震が起きた場合、道路など公共インフラの損害で
長期的に1410兆円の被害が生じるとの推計を7日、土木学会が公表した。学会は「国難」レベルの災害になるとして、
対策の強化や都市機能の分散を進めるべきだとしている。
土木学会の委員会が公表した報告書によると、南海トラフ巨大地震の発生から、経済がほぼ回復するとみられる
20年後までの間に、インフラの破損などに伴う経済活動の低迷で1240兆円、建物や工場、個人の資産で
170兆円が失われるとした。
南海トラフ巨大地震で政府は経済的被害を220兆円と推計しているが、土木学会の推計はこれを大きく上回り、
本年度の国の一般会計予算である97兆7千億円余りの約14倍となった。 このほか、東京周辺を直撃する
首都直下地震では計778兆円、大阪湾や伊勢湾の巨大高潮ではそれぞれ121兆円、19兆円と見積もった。
巨大災害の経済被害を巡っては、政府が短期的な被害想定を公表しているが、20年後までの長期的な推計は初めて。
15年以内に有効な対策を進めれば、南海トラフ巨大地震では509兆円、首都直下地震では247兆円の
損害を防ぐことができるとしている。
(以下略)
https://www.sankei.com/west/news/180607/wst1806070055-n1.html
−−−−−−−− お前たちの好きな伊勢というのは、
誰かが住んでいるの?
例えば守護神(人間)とか、災害も何も無いの?
奥義のようなものを使用して、はね返すことが出来るとか 伊勢は人口少ないうえに岩山だらけだから被害少ないと思うが
大阪〜神戸、東京〜横浜
この辺一帯が流されたら大打撃だけど、日本以外はそれを望んでるんだろな
特にお隣の国とか
まあ政府、マスコミ、文壇を抑えられてる以上どうしようもない 残念だけど、もれ(仮)の住んでいるところは、あまり影響ないと思う 東京湾と横浜は、波をどれだけ伊豆半島に跳ね返せるかだな
まあ伊豆は死ぬけど……(クナ国ごめんね)
しかし……こうして見ると、伊豆ってモッコリしてて大津波をぶつけるのに最適に見えるな
どうも現代の対津波技術は『せき止める』っていう観念に縛られてる気がする
津波は『跳ね返す』しかないんだが
沖合の防波堤も『く』の字型で迎え撃った方が明らかに跳ね返せるはずなのに 「高地性集落は一時的…」と、何処かのスレでカキコ見たが、「一時的」と言うより、幾度となく繰り返してたと思う。
それ程、先史の十万年にも及ぶ人の時間は二千年ぐらい前なら最近みたいに感じる。 単なる増水の場合は、沖合に立てた防波壁なんて何の意味も無い → この場合は水際で『せき止める』技術が必要
しかし津波の場合は、沖合だろうがどこだろうが、壁が受けた圧力の分だけ陸に上がる水量が減ることになる → つまり『はね返す』技術が重要
防波堤だろうが天然の岩山だろうがそんなの関係ねぇー
こういうことか……
法則名、なんにする? >>652-659
狗奴国と一体何の関係が???? 「漢字が…まで、文字も言葉も持っていなかった」、、、()
自虐史観の教育を受けたから、なんとなく其れを常識のように思わされて来たが…。
有り得んと思われる。己れらの手で岩石からナイフの切れ味を持つ石器を造れる人たちが、その辺りの樹皮などを試し切りぐらいしたであろう。
自然界の危険も多かったであろう人たちが「毒ムカデだ!」「こいつは毒蛇だ!」と誰かに伝えなかったのか。
古代史家や考古学者の頭は大丈夫なのか()。 先史の列島には天災を抜きに考えられるのか、狗奴(クドゥ/クズゥ)國も然り。 まあ非在定理と同じでシンプルに『津波の法則』か…… 日本(起源、発祥)の文化なんてないんだけど、
頭悪いんじゃないのか?後の日本という話? 詳しいことは知らないけど、
邪馬台国、ヒミコ=アマテラスか何かなんだろう?
それならそれで良いんだけど、だからどうした?
としか言えない 昔から言われている、日本の裏側ブラジルは、どうなってるの?
『太陽』 鎖国しろ、鎖国したままの状態にしておけ
という話だったんでしょ
外の事(情報、文明・・・など)を知らなければみたいな話 鎖国状態なら、
芸能関係、音楽、スポーツなども、独占?
出来たかもしれないのに
似てるね、パクリじゃん、とも言われなかったり >>662-671
そろそろ失せろよキチガイ。
ウゼエんだバカヤロウ! 西洋社会もそうだけど、明らかに大洋封印政策が2000年間ほど行われている
沖に出てはいけません。沿岸だけにしなさいと。
漂流時に船上でカニバリズムが起きるのを防ぐためだったんだと思う。
で、日本には世界最大の太平洋封印政策を任されていた組織が確実に存在していた
氏族乱立させたり後悔と航海を同音にしたり陸をお祭りだらけにしたり、農耕を徹底させたり、ぶっさいくな和船をつくったり……
で、それは完璧にやり遂げたんだけど……解除するタイミングを逃しちゃったみたいだね
ほんの100年間ほど
で、先に約束破って大航海時代をやった西洋列強に差をつけられた
まあ大航海時代のきっかけは明帝国の大艦隊による世界制覇作戦(失敗して明帝国崩壊)なんだけどね
問題はその組織の中枢にいたのが何氏なのかってことと、薩長系の政治家や南朝系の公家皇家の人たちがちゃんと理解してるのかってこと
もしかして何も知らないんじゃないかって、最近ふと思った
まあ、織田信長でさえ地球が丸いこと知らなかったからね。かなり強力な秘密組織だったことは間違いない
で、太平洋を封印するのに最適な立地は久能山近辺だよなぁ……みたいな
でも最後まで約束守ってフルボッコされるって悲しいよね 広告史観だか、何だか知らないけど
アイツ(某氏)は善人、アイツ(某氏)は悪人など、
時代ごとに、コロコロ変わるという話でしょ そうか……
兄弟(兄妹、姉妹、姉弟)は別々の学校、別々の塾、別々のピアノ教室に通わせるべきってことか……
橋下徹元大阪府知事なら理解するだろうな。
彼に外交は絶対に任せられないが、逆にこういう問題を理解できる政治家は彼だけだな
残念ながら狗奴国の人たちには一生理解できない >>676
君の言う狗奴国が何処を指しているか知らないが、大阪はかなり多様性に富んだ懐の広い地だよ
更に自ら戦を仕掛けたことがないんじゃないかな
いつも誰かにやられる側、お人好しが多いんだろう だから外交には向かねーんだろ
ただ、明確な主義と独立性のある主流があってこその、傍流の多様性の実現とは思わないか? 傍流における多様性 = クッション
タイタニック号と戦艦ヤマトがぶつかっても、間に最強のクッションがあれば誰も死なない >>676
兄弟がどうとか…ただ「言い当てる」とは聞いたことが有るが。
この兄弟を原日本人(はやひと、くまそ、くず、、、)は別々の部族、別々の神、別々の習俗に通じて大和に再び結集するってことか……
須佐之男命なら理解するだろうな。
彼に外交は任せられないが、逆にこういう問題の解決の端緒を現代の我々に提起できる神は彼だけだな
残念ながら不毛な論争を続ける現代人たちには一生理解できない
須佐之男命をハシシタなどの輩と擬えるのは我ながら不遜だが、上古の原日本人の動性を言い当てたコメントのような気がする。あんたてんさいかも。 狗奴國くどぅはやっぱり国栖くずの人の国でしょ。現在の国栖の里のある吉野川の上流、紀伊半島から高尾山古墳辺りはくずの国の広大な土地と思う。
須佐之男命の八雲立つ出雲八重垣妻籠めのは部族が八つ(現代の8じゃなく古代に於いては、まあ多いぐらいの意味か)八部族(元々は同根)が出立した、の意か。妻籠め…櫛稲田姫くしいなだひめ、八重垣…ヤマタノオロチ…派閥紛争か。 674どう思う?
狗奴国系は口伝系っぽいんだけど、先祖から何か聞かされてる奴いないのか?
俺が聞いたのは『明治維新でやっと淡路島から出られた』『戦国時代末期には大阪方で7番目に強かった』
これだけ
当時は末端の戦闘兵だったらしい
その割には色々と思い出すんだが 17.14
いないってことだな
まあ予想通りだけど 狗奴国はなにわ、和泉、河内だよ
2世紀末の畿内征伐でなにわは堕ちたんだろうな
かつて大坂城の地にあった生國魂神社
神武東征の際に生島神、足島神を鎮魂した謂れが残っている
魏志倭人伝当時の狗奴国は和泉と河内
狗奴国は邪馬台国の南
ヤマトの南の和泉と河内
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦
武埴安彦の祖父の河内青玉繋だな 南海トラフで津波が起きるとしたら、地理的に終わるのは高知と三河浜松あたりか
家康の本拠地と商社発祥地の土佐が死ぬってことか
伊勢湾への波の侵入を防げたら伊勢〜名古屋は無傷で済むが…… 高知、三河、浜松も黒潮の流れの先にあるから波力も大きくなる?
しかし高知市ってヤバいなぁ……
全ての波が収束して直撃するようになってる
土佐湾の真ん中あたりに細長い島があればまだマシなんだが…… 名前を忘れたが高知に相当な長い歴史を重ねた石器後期?〜弥生時代(単なる便宜上)の太古とすれば巨大な集落跡があった筈。
その集落は現代の地図上では内陸に近かったが、先史時代にはどんな地形であったのか、高知から愛媛、阿波へと幾つものルートへ進んだであろう。 弥生時代、畿内→淡路島→阿波→土佐のルートは考古学的に確認できているな
紀元前後の巨大な津波跡も高知で見つかっている 最近では長宗我部が命懸けで発展させて、その数分後に豊臣軍にフルボッコされた地か
江戸時代は山内氏が一貫して統治
発展させても津波で終わる土地だから → 生かさず殺さず政策を続けた結果 → 幕末に機能不全を起こして地獄を見た
で、そこから坂本龍馬と商社が飛び出してきたってわけか……
堤防を高くして、沖合にも反射壁みたいなのを建てるしかないか
被害を防ぐというより、軽減する程度だけど 台風も多いらしいから、高い排水能力も必要と……
難しい土地だな…… その難しい土地に恐ろしく長い間に当時として巨大な集落が営まれたのは、間違いなく黒潮に乗って到着した海洋民たち。
そして、巨大地震と大津波で失われた遺物も相当多いと思われる。 また、黒潮で移動する人たちなら土佐から、淡路島→紀伊半島→静岡→三浦半島→安房へと進んでいても不思議では無い。
国内で発掘される丸木舟の半数以上が安房、房総半島で見つかった物と言うね。 >>691
そのルートは東へ進んだ黒潮民が西へと反す黒潮の横の潮流、反流をも移動出来た、往来の跡かも。 三浦半島〜房総半島の狭いところに幅3キロくらいの反射壁を建てたら東京湾の津波被害は完封できそうだね
ただその場合、小田原〜鎌倉に波が押し寄せる
相模湾って地味に守りにくいな。しかも人口が多い 黒潮反流は黒潮より更に沖合い、海洋民は外洋まで出ていたんだろう。 縄文土器は南米でも出土
アメリカ大陸先住民のDNAに日本人と類似性あり
古代文明の遺跡の建造方法の共通性 etc...
昔は気温が低くて海水面もかなり低かった
洋上に顔を出した『小島』を経由して大洋横断してたんだろう。細長いロケット鉛筆みたいな船で
その頃はオーシャン・パシフィック・ピースだった。
それが『大洪水』やら『水位上昇』で航海がナイトメアモードになって漂流、カニバリズム、蛮族化が頻発
全世界で海の民を陸揚げする必要性が生まれた
それぞれ数千年の歴史を持つ縄張り意識の強い『山の民』をなだめつつ。
で、とりあえず巨石経済を作って海の民を石の民に生まれ変わらせて、
その後に稲作の発明で石の民を農民に生まれ変わらせた
しかし海に出て死なない分、主に大陸のほうで人口爆発が起きて逆に戦乱の世になった
普通に考えたらこういう流れだろね
で、それを主導して古代世界を作り直した一族がどこかにいた。
場所は知らないけど
実際には巨石経済の前にも○○経済というのが2個存在していたと思われる
それら3つを複合的に情報処理すると、ピラミッドの建造理由が明白になる あ、ピラミッドの建造方法もね
本題はここからなんだけど、世界最大の太平洋に面した列島である日本は
島国なうえに水源豊かな山谷が多い。だから山の民も世界最長の歴史と伝統をそれぞれもっていたはず
実際に相当数の古代文字が神社の封印石などから発見されている
つまり、古代日本における太平洋海洋民族の陸揚げはかなり難しいミッションだった
それを完璧にやり遂げられたのは何故だったのか? >>700
「本題はここからなんだけど、世界最大の太平洋に面した列島である日本は
島国なうえに水源豊かな山谷が多い。だから山の民も世界最長の歴史と伝統をそれぞれもっていたはず
実際に相当数の古代文字が神社の封印石などから発見されている 」
確かに「文明を開く為には大河が必須条件だ」などと言う妄言を吐いた学者が居たそうであるが、四方を海流に囲まれ水源となる山からの「夥しい河川川、、、」
地球上でも此れほど豊かな国土は稀であろう。あんたやっぱりてんさいかも。 人類史(文明)は最低でも数万年、下手すれば数十万年以上ある(チンパンジーと人類の差が大きすぎるから)
ただ、古代核戦争で何回も滅んでいるっていうのはちょっと疑問に思う
恐竜みたいに小惑星の衝突で激減ってのは何度か経験しているかもしれないけど
仮に文明が30万年あったとして、小惑星の衝突が平均して1万年に1回起きるとすれば、
少なくとも人類の世界は2〜30回シェイクされてることになる。
全ての災難を生き延びた連中が日本を神の国と認定するのは不思議ではない
しかしこの理論にも欠陥がある
第一に、太平洋に小惑星が落ちれば日本の7〜10割は大津波で壊滅する(確率的に小惑星落下が一番多いのは太平洋)
第二に、小惑星の衝突で地軸の傾きが起きるはず。日本が赤道上になることも十分にあり得る → 四季も無くなり砂漠と化す
……ただ、確率的に考えて、1〜5万年くらいの間、太平洋以外の地域に小惑星が飛来し続けた可能性は完全には否定できない
しかしその場合、次に小惑星が飛来する可能性が最も高いのは…… じゃあ人類とサルの差をどうやって説明するんだよ
神に創造されました、まる
か? >>1
「神奈川から静岡にかけて、、、」
寧ろ、紀伊半島から静岡、神奈川にかけて広範な…かも。 生物学的にはサルから人に分岐して600万年くらい
文明の記録は30万年ほど
急成長しはじめたのはほんの5000年くらい前から
要するに『海の民の陸揚げと石の民ロンダリング』……これが文明躍進の必要条件だった
で、それまでの29万年くらいはこれをする必要が無かった
洋上に小島がたくさん残ってて、大洋封印までする必要は無いと判断し続けてきたから
それが風化と小惑星と水位上昇で激減したから仕方なく → 大戦争と大発展の時代に
つまり、『歴史の長い複数の山の民と最大数の海の民と、その間に入って調整した人たち』
この3つが揃っている国家ほど強力な国力を潜在させている可能性が高いと推察される。
でも今の社会に必要なのはブレーキだって言ってんの 『おさるのジョージ』
という作品があるでしょ、ドラゴンボール?
どこかの王子だというキャラが出て来たり 軍人だったのか、何なのか知らないけど
そのような学校に行っていたとか、入隊した?とか 日本の話と言えば、
日本の話なのかもしれないんだけど
ガンダムに出てくるシャアというのも同じような話 なぜ家の話(あの写真)のような気もするんだけど、
小学校に通っているか、まだ行ってない頃の写真
老婆が言うには、誰だったかな〜子供の頃だよと言っていたり NARUTOという作品でいうと忍者アカデミー、
ガンダムでいうと士官学校? 軍関係の幼年学校、幼稚園があったとか?
お年寄り、むかしの人なら知っているのかな でも戦争には行っていないと言っていたり、
親も軍人ではなかったとか 分散ブレーキは正解だけど
人口抑制できていないなら意味が無い つくなみの筑波の山、現代の埼玉大宮あたりも海の淵、武蔵野台から日暮里、さらに皇居の周りにも縄文(便宜上)遺跡が点在する。
東國なども海洋民たちは往き来していた模様。
狗奴くどぅ=吠える人、はやい人、隼人…国栖人、葛城氏ゆかりの一言主神社も常陸國に現存する。
紀伊半島、静岡、神奈川、東京、埼玉、千葉の下総、安房まで可能性は広がる。 そして、つく波の常陸國の土蜘蛛は海の佐伯、山の佐伯となったのでは無いのか。 >>716
>紀伊半島、静岡、神奈川、東京、埼玉、千葉の下総、安房まで可能性は広がる。
倭国(阿波)海人族による、西から東への開拓ルートですね。 @阿波 〜〜津波の法則〜〜
第一法則:津波の速度は水深に反比例する。
第二法則:津波が陸に上がる水量は、それまでにかかった障害物による抵抗力に反比例する。 ←NEW
政府上層部に対する土産としてはちょっと弱いか…… 狗奴国はなにわ、和泉、河内だよ
2世紀末の畿内征伐でなにわは堕ちたんだろうな
かつて大坂城の地にあった生國魂神社
神武東征の際に生島神、足島神を鎮魂した謂れが残っている
魏志倭人伝当時の狗奴国は和泉と河内
狗奴国は邪馬台国の南
ヤマトの南の和泉と河内
狗奴国の官、狗古智卑狗は河内彦
武埴安彦の祖父の河内青玉繋だな
狗奴はクナ、クニ、国。
クナト、国津の地。
芦原中津國、食国。 古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国と認識されていたのが分かる。
それを前提に記紀を読み直すと面白い。
聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首
押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども >>722
倭国(阿波)から奈良遷都後の聖武天皇時代の難波宮は大阪。
応神天皇(倭王讃)時代の難波大隈宮は 香川県さぬき市津田町、雨滝山東斜面の御座殿・神野あたり。 @阿波 >>721
狗奴くな、くに、、、狗奴國なら、くにくに、か。国々、面白い。
ムラからクニへ、国栖(隼人と同種)の人たちは黒潮、反流に乗って沿岸の要所要所にクニを構えて栄えたんではなかろうか。 実際問題として定期的に小惑星が飛来するのは理に適っている
そうでもしないと一時的に最強になった一種類の生命体が激増することになるから ただ、大自然を保護しつつ、小惑星を水際で防ぐ方法は何通りか存在する
そのための経済手法も
それを実現させるためには数理幾何学に対抗するような一つの学問創設が不可欠でありさらに、
『2億光年先に1000兆人住める星を発見したあああああああああ!』
こんな人たちには黙っていてもらわないといけない。瞬間移動でもできるなら話は別だが……
そのための直線非在定理なんだけど、これ以上は基地認定されるだけかな
これでもけっこう自重してるほうだとは思うんだけど
非在定理の残り4つに関してもまだ書いて無いし
あ、それからトランプと金正恩、良かったね
祝福するよ 月と太陽が天空を周回し
系内惑星が肉眼で何個か見えて
たま〜に流れ星が流れる。
夜空に浮かぶ満点の星空を眺めて、
「お空の遠くには別の世界がある」
そう考えるのも無理ないよね。気持ちはよく分かるよ(ミスリードが多すぎる)
狩猟系民族は、『自己の隙を衝かれることを全力で阻止しつつ、相手(獲物)の隙を突きまくる』
この極限反復によって現在まで生き延びてきた。
だから言い負かされるのは耐えがたい屈辱だろう。
特に、敗戦国の黄色人種に土台そのものをひっくり返されるのは辛いだろうね。
しかし、このまま進めばいつかの時点で世界は『増えすぎた人口を宇宙に投棄して処理する』こうなってしまう。
で、こうなってからでは手遅れなんだよ。
一回でもこれをやってしまうと、その後で『実は太陽系の外には何も無いんですよ! テヘペロ♪』とは言えないから。
命懸けで出産子育てする全ての女性から死ぬほど恨まれることになるからね
耐えられる男は一人も居ないよ
止めるなら早い方が良い
俺だって世界人口が激増してる最中じゃなきゃこんなこと言わないよ 人口抑制路線にシフトチェンジする場合、以下のような政策が重要視されるだろう
@子供を作らない同性愛者の存在価値を世界的、世間的に認める
A子供を作らない社会人に対する企業内地位の向上を促す(できるだけ役職つける。独り身だから給料はそんなに上げなくて良い)
Bそのうえで、産官連携して子供手当を支給して育児家庭への資金投下
C介護産業の負担軽減策を広く大募集
富国強兵政策と真逆になるけど、明らかにこっちのが人道的だな
しかし、全世界同時に行う必要がある…… ブレーキと言う表現がダメなのか?
たとえばコンビニの営業時間をAM0:30〜4:30まで停止させて、その時間帯に最も売れる商材を特殊な自動販売機で売るようにシフトする
そうすれば夜勤が無くなった上に誰も損せず税収も上がり省エネにもなる 英国は海軍国家
海軍は『より強い方は無視する』のが掟だそうな
要するにホーキング博士はリトマス試験紙か
ホーキング博士にお会い出来て感激です! みたいな人は大歓迎して英国経済界の礎にする
で、彼の理論に首をかしげるような連中は徹底的に無視するってことか
賢い戦略だ…… 全世界にカモを発見して、EUに頼らなくても十分経済を回せると判断し脱退、か
しかし今回は逆に致命傷になるかもしれないね
第一に、釣り餌に使った理論が人口抑制に反する内容
第二に、これでは英国を助けようとする人間まで無視することになる やっぱり理解できないか……
一人くらい居るかなと思ったが無反応
残念だよ 押井守、富樫義博、松任谷由実……
最低でもこれくらいの感性が無いと理解そのものが難しいみたいだね
悪い。邪魔したね とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
CGF 魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。
高天原最有力地・御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
https://goo.gl/maps/upEVM8cM4dp
卑弥呼(ヒミコ)とは簡単。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴) B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴) A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴) (200年頃) @神武
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地は高天原。
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も死後に高天原の神々になった。 他のスレにも書いたことがあるんだけど、
三國志厨か何かなのか?
厨=凄いと思い込んでいる、思い込み
みたいな意味らしいんだけど 魏志倭人伝には「ノ」と読める漢字がない。
「ノ」の当て字も「奴」である可能性が高い。
狗奴国の読みはクナ国、クヌ国、クノ国のいずれか。
クナ国という国はないが、クヌ国、クノ国という国ならあった。
久努国造がその証拠。 仮に中国人が倭の奥地の神奈川、静岡まで行っていたら遭難する可能性だってあるのでは?
その頃の倭はほとんど未開の地だったし。 倭人伝には郡使が狗奴国に行ったなんて一言も書かれてないが。
狗奴国との戦争中に卑弥呼の使者が帯方郡を訪れて、狗奴国と戦争中である旨を
報告しに来たと書かれている。 毛野も狗奴国の領土の一部。
静岡から関東一帯までの広い領土だったと思われる。
ただし関東一帯には3Cの巨大古墳と巨大集落遺跡がない。
それがある場所は沼津周辺である。 狗奴国って倭人伝を見る限り王の卑弥弓呼の名を出して卑弥呼と日頃から仲が悪いと書いてる。
これ明らかに個人的な確執があり、面識まであるとも思える表現。
北九州の国々が争いをやめて卑弥呼を王に祭りあげたとき政治的な理由で卑弥呼の即位を認めなかったとかじゃないかと。
で邪馬台国は戦争に苦戦して魏に助けを求めるぐらいに追い込まれてる。
で卑弥呼が亡くなりトヨが後継者になるまでに内戦で犠牲者多数。
ここで狗奴国が侵攻してきたら一発で負けるよね。
だがそうなってない。イヨをリーダーに邪馬台国は再興した。
つまりのところ狗奴国はイヨの即位には反対せず和睦を結んだと解釈している。 >>747
そこまで妄想膨らませて良いなら、卑弥弓呼も死んだからイヨの代で再興したとも言える。 狗奴国は北九州とは異文化の南九州の縄文人の血の濃い熊襲や隼人だと思ってたのだが
倭人伝では異文化との記述は一切なく、その領土についての記述は女王国の南にあるとだけしか書いてない。
邪馬台国連合は北九州に広く勢力圏をもつ国だから狗奴国も南九州連合か?はそうじゃないっぽい。
卑弥呼が連合国の女王になったことに反対しているだけであって同じ文化圏の国だと思う。
ある資料では熊本の鉄鏃は多く出土してるのに鹿児島はごく少なく、
平安初期でも肥後の米生産は豊かなのに薩摩大隅は少ない。
熊本は薩摩大隅とはやはり別なんだよ。
狗奴国は通説通りに熊本で米も鉄も多い豊かな国だから単身邪馬台国連合に軍事的な脅威になってこと。 >>748
卑弥弓呼が死んだからこそ攻める理由がなくなった、もちろんそれも言える。 熊襲は熊本県球磨(クマ)郡から鹿児島県曽於(ソ)郡が領土
熊襲は熊本県というより南九州全域が領土 そう来たかw
では邪馬台国の南にある狗奴国はどこだ?
屋久島・種子島連合とか?www 6/18
【邪馬台国】被葬者は卑弥呼率いるヤマト王権の対抗勢力の首長? 高尾山古墳保存を議論 文化財協議会、静岡・沼津で全国大会
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560855677/ >>749
卑弥呼が連合国の女王になったことに
反対しているだけであって同じ文化圏の国だと思う。
< この部分は十分に賛同できる部分だとおもう。 レスのつながりが解りにくいのぅ
皆同じ名前やからのぅ ついに「陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝・二千字の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。
1.西晋司馬懿(秀吉)は魏・明帝曹叡(信長)の後見人指名がなければ皇帝になれなかった。大恩人・曹叡の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまったミスをフォローし、西晋が呉を滅ぼす先鞭を付けたことにしてあげたい。
2.魏の帝都・洛陽から見て呉(孫権の帝都・建業)との戦いにおいて、最高の牽制となるその背後に倭国「女王之所都」があるためには、
蘇州の「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南の福州の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
3.しかし本当の位置も残さなければならない。
4.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳・朱崖に似ている。
そこで陳寿が行った忖度が、九州島(倭国)が、狗邪韓国(伽耶)から儋耳・朱崖(べトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む、南北に長大な「一つの山島」であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国@ルート】と、「當在会稽冶之東」となる【奴国Aルート(幻)】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【1.奴国ルート】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)。
次に、九州島が南北に「陸行半月」であることを倭人から聞き「夷人不知里数、但計以日(7世紀隋書倭国伝)」、
それを南に2倍して東シナ海に浮かぶ幻の「陸行半月」九州島(南部)を付け足し、「陸行一月」として、【奴国Aルート(幻)】を創り、福州「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。 畿内説石野船長「南→東と読み替えて、不弥国から東に進み投馬国(出雲)を目指そう!次は女王卑弥呼の纏向だw全速前進!」
畿内説寺澤機関長「順風満帆!やはりこちらが正しかったですねw天も我々を祝福しているかのようですw九州説の警告なんて無視して良かったw」
畿内説橋本航海士「前方に氷山発見!!!!!!」
畿内説石野船長「エンジン逆回転!!全速後退!!」
畿内説寺澤機関長「なんで方角を読み替えたんだ!!!船長のくせに!!!このハゲェェェ〜ッ!!!」
畿内説橋本航海士「フル回転中の逆回転でギア全損!!!エンジン爆発四散!!!間に合いません!!!!!」
(フルスピード→ノーブレーキで氷山に乗り上げ衝突し、再び着水する畿内説タイタニック号)ガツン!ドカン!ザブン!
(船側&船底外板を船首から船尾まで横一直線に切り裂く音)ギギギギギギギ!!!
ザァアアアアアアア!!!(全隔壁に一気に浸水、瞬時に沈む畿内説タイタニック号)
畿内説石野寺澤橋本「ぎゃあああああああああああああああ!!」(大量の布留式土器と三角縁神獣鏡と共に海底に引き摺りこまれ、海の藻屑と化す畿内説タイタニック号)
https://www.youtube.com/watch?v=3i7rDgy-aOY
一方、九州説オリンピック号でゎ…
九州説A「畿内説タイタニック号から遭難信号SOS傍受!!」
九州説B「あれほど警告したのに、なんで東(大国主・大物主・饒速日3代の纏向宮殿→箸墓〜Ω王墓担当の物部氏)に向かったんだろう?直ちに救助に向かおう!」
九州説C「纏向の大型建物ABCDは2世紀末には遡れないのに!!!」
不弥国の東の海上に到着した九州説オリンピック号が見た光景は…
因幡の白兎同様、サメの餌食となった畿内説タイタニック号の乗客乗員の遺体の一部と思しき夥しい肉片&骨片が散乱…血で真っ赤に染まった波間に石野船長と寺澤機関長のものと思しきメッキ縁眼鏡がキラキラ&プカプカ浮かんでいる…
茫然自失の「九州」説ABC「だから船乗りの方角間違え(南→東)は帰港できなくなるからあり得ない、纏向は「本州」島の毛人王権ってあれほど言ったのに...orz」 >>758の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
← ┏━┓帯方郡 ┏┛〜〜〜〜〜
洛陽┃ ┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜東→✖畿内説沈没地点(†乗客乗員>>759)
【魏】┃〜〜〜↓↓南「水行十日」〜↗〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃〜対馬▲↓〜〜〜〜〜〜↗〜〜〜┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 §琵琶湖
↓ ┃〜〜〜↓↓〜〜〜_+南「水行十日」┗━━━━━━━━━━━┓ 淀川↙ ↑木津川
┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌→→→→→→┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃河内湖+大和湖Ω箸墓
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃紀伊半島
┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
↑ ┃〜〜┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長三四尺(少彦名)
┃〜〜┃★奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王四千余里」@阿波
【呉】┃〜〜┃狗奴(球磨)国▲投馬(都万)国┛┘宮崎平野=南「水行二十日」
建業┃〜〜┃↓「陸行半月」(正)▲▲┛〜〜〜〜〜〜〜〜
会稽┃〜〜┗━━九州島(正)━━┛〜↑実際の九州島
東治┃〜〜│〜東シナ海(正).〜│〜〜↓幻の九州島南部(陳寿の創作)
蘇州┃〜〜│△△▲△△△△△│←奄美大島(正)
↓ ┃〜〜│↓「陸行半月」(幻)│〜〜〜〜〜〜
福州┃〜〜│△▲△△△△△△│←沖縄那覇(正)
東冶┃〜〜│☆奴国A(幻)△△│★『【女王之所都】計其道里 當在会稽東「冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
┃〜〜│▲狗奴国(幻)△△│←台湾(正)〜↑「此女王境界所盡」
香港┃〜〜│△△△△△△△△┘〜「自女王國以北其戸数道里可得略載
澳門┃〜〜└△△△△△△△┘〜〜〜其余旁国遠絶 不可得詳」
┏▲海南島〜└九州島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳・朱崖〜〜〜〜〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(☆奴国A)東南 船行一年」 >>758
>>760
卑弥呼の魏帝への朝貢理由は要するに狗奴国戦争における援軍要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置(比定)であることに留意されたい。
そこで主要3説(九州説・四国説・畿内説)における狗奴国を検討すると、以下のようになる。
−女王国「東渡海」千里「複有国」皆倭種(◎九州説…豊後水道、◎四国説…紀伊水道、✖畿内説…鈴鹿山脈?)
−其南有狗奴国(◎九州説…熊本もしくは薩摩、△四国説…南阿波、✖畿内説…仲良し東海?)
畿内説はいずれも当てはまらず、3世紀の四国に十四万戸(邪馬台国+狗奴国)は無理がある(下記参照)。消去法によって、九州説が正しい。
狗奴国が熊本平野か鹿児島川内(せんだい)平野かだが、邪馬台国七万戸(35万石)を統治している女王卑弥呼をして、魏の明帝曹叡に援軍要請させるほど窮地に陥れる(狗奴)国の国力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸35万石)もしくはそれ以上の人口(八万戸40万石)と仮定。
面積から見て、狗奴国が川内(せんだい)平野でゎ3世紀の開墾能力では限界があると思われ、狗奴国は菊地(狗古智比狗の本拠)+熊本+八代の3平野を合わせた超大国と想定して、
北の邪馬台国は筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所&(天気が良ければ)福岡平野→糸島(伊都国)→壱岐島までズドーンと見渡せる甘木朝倉と確定。
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳(上方下円墳)を比定。
祇園山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
https://sora07.exblog.jp/26083348/
https://ameblo.jp/taishi6764/entry-12288771975.html >>761の続き
すると、もう一つの謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家=狗奴国・卑弥弓呼の子孫/八代淡海→「近江」)も判明。
古代史は以下↓のように一挙に解明できるのである!
漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(卑弥弓呼、帯方郡張政の説諭で卑弥呼に服従)、伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国系(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…息子の垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国系(仲哀を神功皇后が暗殺、「倭の五王」へ)…魏>晋>「宋>斉>梁」南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任命される。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国系(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。
倭王阿毎多利思比孤「日出処天子」隋煬帝「日没処天子」に対等外交=(隋の悲願、高句麗征伐の鍵となる)新羅からの朝貢を機に「独立宣言」607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家となり、飛鳥疎開宮造営。
推古厩戸…前方後円墳Ω担当の物部守屋を滅ぼす。大和分家を乗っ取ろうとした大臣蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、大和へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→崇神朝・応神朝・継体朝の倭王権(九州王朝)内の抗争が、すべて大和で起こっていたように史実歪曲(唐外交の火種「日出処天子」九州本家の多利思比孤を抹消)。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名を移植。阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)
まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武朝(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)〜欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京) 狗奴国が熊本だと叫んでいる基地害って全然勉強してないだろ。
久努国という国が史実として古墳期の静岡以東にちゃんと実在してるんだぞ。
妄想する前にもっと勉強しろゴミカス。 >763
いいところに目をつけたね
御前崎周辺は出雲王朝の東海の中心地
国造がそもそも忌部じゃんwwww 魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。
高天原最有力地・奈良県御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
http://goo.gl/maps/SnEKaJ2co5m
卑弥呼(Bei mei hu)とは簡単。
比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi; mai hou〉、つまりヒメ后である。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津 E孝安 D孝昭
トヨ津 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
※ 神武の時代が女王国であった。
ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。
ヒメ(踏鞴五十鈴)もトヨ津媛も死後に高天原の神々になった。
狗奴国とは4世紀に久努国造が置かれた静岡の磐田・袋井である。 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國(中略)次有奴國 此女王境界所盡 其南有狗奴國
— 『三国志』魏書東夷倭人
訳文:女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載し得たが、その余の旁国は遠く険しくて、詳細を得られなかった。
次に斯馬国(中略)次に奴國有り 此れ女王の境界の尽くる所なり その南に狗奴國有り
斯馬国は伊勢志摩
奴國はナコが語源の名古屋
狗奴國は静岡の磐田・袋井 >>765
当たり前の話だが、5C初め頃に大和朝廷によって置かれた久努国(クノコク)は
4C中頃に日本武尊によって滅ぼされた旧・久努国とは別ものだがな。
魏志倭人伝に出てくる狗奴国こと旧・久努国は沼津あたりに都があった天竜川以東から
関東全域に及ぶ大国であった。 >5C初め頃に大和朝廷によって置かれた久努国(クノコク)は
久努国造はイカガノシコオの孫で4世紀第三四半期ころだと思うが。 狗奴国は前方後円墳、後方墳のあるところではなかろう。
なぜなら前方後円墳、後方墳とも物部集団の墓と考えられるからである。
だから3世紀と言われる神門古墳群のある千葉、
同じく3世紀の高尾山古墳のある沼津、
2世紀後半ともいわれる前方後方墳のある濃尾平野は狗奴国でははないと思われる。
磐田・袋井には4世紀中ころからの古墳はあるようだが、前期古墳はなさそうだ。
やはり三遠式銅鐸最終集積地でもあるここではなかろうか。 >>768
仲哀期だろ。
4C末〜5C初め頃だろう。
>>769
常識で考えなよ。
強大な邪馬台国と何十年も張り合い、戦争までした国が、そんな何にもない
磐田・袋井だけのショボい地域な訳がないんだわ。
静岡以東をよく見なよ。
静岡以東の東日本で、3Cの巨大古墳が集まり、巨大集落遺跡があるのは沼津あたりだけ。
東日本全体で唯一そこだけ。
しかも西に久能、東に久野の地名が今なお遺っている。
そこが狗奴国こと旧・久努国の都だとしか考えられないじゃないか。 たしかにあのへんには採鉱をする鬼が住んでいるという伝説がある 君は半分正しい
ただクナ国はもっと広いのよ君が思う以上に
ある意味地球規模 >>771
>4C末〜5C初め頃だろう。
仲哀がその時期になる事はあり得ない。
>静岡以東の東日本で、3Cの巨大古墳が集まり、巨大集落遺跡があるのは沼津あたりだけ。
>東日本全体で唯一そこだけ。
古墳で見るなら千葉の神門の方が古いし卑弥呼の時代に遡る。
つまり本当に前方後円墳、前方後方墳の地域がクナ国なのか、という疑問が残る。
そうではなかろう、銅鐸族の地域こそクナ国なのではないか、というのが俺の意見。 銅鐸を祭祀に使っていた一族って意味でしょ
いるいる出雲の方面だっけ >銅鐸族
カモ族。
カモ、カミ、クヌ、クマ、ガモウ、カン、コウ、などの地名を残す。 銅鐸がクマ除けなら単に熊が出る地域というだけの話になるがな >>773
>仲哀がその時期になる事はあり得ない。
日本武尊が狗奴国こと旧・久努国を滅ぼしたのが4C中頃。
仲哀天皇はその日本武尊の息子なんだから、どんなに早く見ても4C末頃に
しかならんぞ。
>古墳で見るなら千葉の神門の方が古いし卑弥呼の時代に遡る。
高尾山古墳は3C中頃の遺構なんだから、まさしく卑弥呼の時代にドンピシャだし、
規模が違うんだよ規模が。
>つまり本当に前方後円墳、前方後方墳の地域がクナ国なのか、という疑問が残る。
邪馬台国と対立していた時代の王の墳墓(高尾山古墳)が前方後方墳、
和解した後の時代の王の墳墓(神明塚古墳)が前方後円墳になってるだろ。
>銅鐸族の地域こそクナ国なのではないか、というのが俺の意見。
信仰上の対立から戦争に発展した可能性はあるだろうな。 >>
>日本武尊が狗奴国こと旧・久努国を滅ぼしたのが4C中頃。
>仲哀天皇はその日本武尊の息子なんだから、どんなに早く見ても4C末頃に
しかならんぞ。
古事記の没年干支を信用できるとして仲哀没年は362年。
応神元年は390年で間違いなかろうから神功皇后の摂政は28年。
何も問題はない。
>邪馬台国と対立していた時代の王の墳墓(高尾山古墳)が前方後方墳、
和解した後の時代の王の墳墓(神明塚古墳)が前方後円墳になってるだろ。
纏向古墳群にもメクリ1号という前方後方墳があるように、前方後円墳と後方墳は「対立」していたのではなく、
同族の本流と傍流との序列関係を示すものであろう。 >>783
記紀が半偽書な事くらい知ってるよな?
記紀の年代は全然あてにならんぞ。
それよりも沼津周辺で巨大古墳が突然造られなくなる年代(≒狗奴国が滅ぼされた年代)
から考古学的に割り出すべき。
そして、それは4C中頃なんだよ。
日本武尊はその数年後に若死にしてるから、そのとき幼少だった仲哀天皇が
即位するのは少なくともそれから数十年は先のはず。 古事記日本書紀が偽書だというような人がなんで仲哀天皇の実在性だけは信じているんだ。
それならば仲哀天皇って人の実在性の根拠をそもそもどこに求めるのよ。 >>785
偽書じゃなくて半偽書だカス。
事実に基づいて都合良く書き変えられているという意味だ。
事実、卑弥呼と台与の記載がないだろうが。
漢帝に会いに行って面会拒否された倭王の帥升の記載もないしな。 一部だけあなたの解釈に合わせて信用するとか言われてもね
あなたの中ではそうなんでしょとしか言いようがない >>786
神武以前の話は無くても不自然じゃないのでは? >>1
クノと呼んだところまで目の付け所が良い。
当時の漢字の音韻は中古音なので、
クノと呼ぶのが正解。
ただし、久野とか久能のことでは?とみるのは
間違いだな。 いやいやかなり当たってると思う
四道将軍のタケヌナカワの領土だべ >>790
久努国(クノコク)は静岡に実在していた国ですが何か? いや、クノと呼ぶのは間違い。
中古音だと、コノと呼ぶほうが正しい。
つまり、狗奴国とは、コノ国のこと。 中華に金印を貰ってホルホルするとか朗らかに日本人の感覚とは異なるでしょ、
やはり邪馬台国は古代韓国のことだろう 南は東の誤りというか、太陽が真東から登るわけではないので、
通常の日本地図を右下45度くらいに傾ければ良いのではないかと思います。
http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/183_2.jpg
奴国とは那古野が語源の名古屋。
出雲から主に畿内へ渡った銅鐸、そして弥生末期には静岡が銅鐸の最終集積地になります。
なぜなのか。
狗奴国が静岡であったから、というのが私の答えです。 天竜川の西が奴国だろ
浜名、恵那、伊那
天竜川の東が狗奴国=久努国(くののくに)だろ
久努、久能、久野
狗奴国の中心が3Cの東日本で最大の集落遺跡である沼津の足高尾遺跡群
その傍にある3C半ばの東日本で最大規模の陵墓である高尾山古墳が卑弥弓呼陵 とりあえず狗奴国=静岡は邪馬台国が畿内にあるという前提ね。
それでよし。
九州一周ローカルバスの旅みたいな説はみみちくてつまらん。 事代主
┣━━━━━━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)后━━神武
┣━━━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ后(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津媛━━ 懿徳
┃ ┃
大御気主 孝昭
以前にも言ったがトヨ津媛の一世代前の建甕尻は、先代旧事本紀・巻第四地祇本紀では、別命をタケミカヅチと書かれている。
ヒミコの死後、トヨの即位前に男王が立ち、千余人が死ぬ争いとは「タケミカヅチ VS タケミナカタ」の事であろう。
時系列が見事に一致する。
記紀では魏志倭人伝を説明してしまうため、あえて時代を変えて「神代」としたのであろう。
・敗れたタケミナカタ
長野県内各地にはタケミナカタの逃亡・諏訪入りにまつわる伝承のある場所がいくつか存在する[17]。
下伊那郡豊丘村に伝わる伝承によれば、タケミカヅチがようやくタケミナカタに追いついたところ、
タケミナカタが降参し、タケミカヅチと和睦を結んだ。
同村にある御手形神社には、終戦の印として両者の手形を彫り残したといわれる石がある。
その後、タケミナカタが豊丘村から隣の大鹿村に移って、しばらくそこに滞在したという[18][19]。
このことから、大鹿村鹿塩梨原にある葦原神社はかつて「本(もと)諏訪社」と呼ばれていた。(wiki) タケミナカタの敗走を時系列で説明すれば、諏訪の前に大鹿村にいて、その前に豊岡村にいたと言うことになる。
豊岡村は天竜川沿いにある。
その天竜川を下れば銅鐸最終集積地である浜松・磐田・袋井にたどり着く。
すなわち「タケミカヅチ VS タケミナカタ」の争いは狗奴国こと静岡での出来事であったのだろう。
敗れたタケミナカタが天竜川を遡り敗走、タケミカヅチが追いかけたのであろう。
まさに千曲川(血隈川)の伝承にある高天原(金剛山)の神々の大きな戦いである。 事代主
┣━━━━━━━━━━━━┓
天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
┣━━━━━━━━┓
建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧
┃ ┃
建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没)
┃ ┃
豊御気主 トヨ津媛━━ 懿徳
┃ ┃
大御気主 孝昭
┃ ┃
阿田賀田須 天足彦国押人命
┃
和邇日子押人命
┣━━━━━━━┓
彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃)
┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命
┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】
(武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命
(吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造)
古代史の鉄則だが「建」がついているのは「戦(いくさ)」と関係している。
ちょうどトヨ津媛の前に建飯勝や建甕尻(=タケミカヅチ)がいる。
彼らは狗奴国絡みで戦った人物で有ろう。
時代的にも魏志倭人伝と一致する。 >>799
久野は神奈川だから、領土は少なくとも静岡から神奈川まで
大きくて静岡から関東地方まで広がっていた国 ∩_
〈〈〈 ヽ
____ 〈⊃ }
/⌒ ⌒\ | |
/( ●) (●)\ ! !
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| |r┬-| | / < 反日教育に侵された
\ ` ー'´ // 哀れな在沖ヒトモドキw
/ __ /
(___) / >>806
∩_
〈〈〈 ヽ
____ 〈⊃ }
/⌒ ⌒\ | |
/( ●) (●)\ ! !
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| |r┬-| | / < 反日教育に侵された
\ ` ー'´ // 哀れな在沖ヒトモドキw
/ __ /
(___) / おてもやん「聖火リレーで馬鹿騒ぎ
五輪コロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ」 神話の世界は人間活動ではない
遺伝子組み換えとかまだ人類になり得てない頃のものかもしれない
血から神が生まれたとかエッセンスをとってるのかもしれない 狗奴国は出雲のこと。
出雲は当時「いぬ」国ともよばれていた。
狗奴と書いてイヌと読む。
だいたい、当時、邪馬台国が一部だった高天原と敵対していたのは出雲しかない。 じゃあ、邪馬台国は長野あたりにあったのか。
あるいは邪馬台国は日本中に散在してたような気もする。
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