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漢委奴国王印 いわゆる金印part2 
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001日本@名無史さん
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2018/09/16(日) 23:15:01.90
有意義なスレだと思ったので
勝手ながらpart2を立てました
前スレから面白い書き込みは
転用しておきますね
0002@東京
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2018/09/16(日) 23:21:17.87
前スレから、59(1): 2012/07/13(金)22:21 AAS
>>58
> 蛇の形をした紐通しは何の意味があるのさ

『漢旧儀』の規定によれば、・・・
皇帝・皇后は螭虎鈕、皇太子・丞相・大将軍・列候などは亀鈕、諸候王は橐駝(駱駝)鈕、そして千石以下の役人は鼻鈕とされている。
その適用の厳しさは、出土印を網羅した『秦漢南北朝官徴存』(羅福頥編1987)で検証できる。

・・・駝鈕は漢代を通じて匈奴などの北方諸民族(韓族を含む)に61例と集中しており、諸候王が漢朝廷のそれでないことがわかる。
つまり、明記はされていないが、『漢旧儀』の諸候王が正確には外臣である北方民族の諸候王をさすことを示している。
東夷の得た官印の最古の遺存例は、‥‥平壌市出土の「夫祖ワイ君」駝鈕銀印である。
紀元前後のころのものだが、以後、晋印に韓・濊・夫餘・高句麗の例がある。
韓が駝鈕であるのをはじめ、馬鈕をまじえるものの駝鈕が多い。
したがって、駝鈕を東夷を含めた北方民族(北狄)用とする印制が確立していることを理解できよう。

(「漢委奴国王」金印は)蛇鈕という特異な鈕の形態を理由のひとつとして偽物説がつきまとう段階があったが、
雲南省晋寧県石寨山6号墓からの「滇王之印」蛇鈕金印の発見と、
岡崎敬による綿密な論証によって、現在は真印と認められている。

・・すなわち後漢において北狄に駝鈕、西南夷に蛇鈕を与えるという印制
が確立したと推定できるのである。(高倉洋彰)
0003@東京
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2018/09/16(日) 23:26:09.96
前スレからです
992: 09/15(土)03:38 AAS
技術なんて何度も失われ、何度も再発明されるし。

そろそろスレ終わりそうだから書いとくか。

親魏倭王の印貰ったから漢委奴国王の印は埋めたんかもね。
邪馬台国のあった時代は戦乱続いたから親魏倭王の印は
奪い合う中、燃えて溶けたりして消滅。

漢委奴国王は「かんわのこくおう」だね。奴の発音は
「な、ぬ、の」どれなのか知らんけど、連体格の格助詞を
当てたもの。匈奴国も同じ。あっちの言語の格助詞もナ行
(格変化が複雑なので不正確かもしれんが)。

漢委奴をアイヌって言う説もそういうのもありかなと思った。
アイヌ語が語源じゃなくて、
中古音(han iwe nu)がアイヌ語に
入った。
0004日本@名無史さん
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2018/09/16(日) 23:32:43.47
前スレから転用です。
99: 2012/08/10(金)19:05 AAS
弥生時代末期、
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)国も、跡継ぎを巡る「大乱」で卑弥呼(アマテラス)に国を譲る。

奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡大和
....................隼人(鹿児島)

筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隼人との三つ巴で肥後狗奴国(後の熊襲)を滅ぼす。
その男系末裔であることを示すため、神武は本拠地・投馬国(日向)から大和へ東征(東遷)。大王に即位し、大和朝廷を樹立。

※記紀が投馬国王の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の叔母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(台与の子孫である)大王家の時間軸操作。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島支配強化で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=投馬(日向)系大王


-継体・安閑・宣化=日向系大王→継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王(筑紫系大臣蘇我氏による日向系皇族大弾圧)→「乙巳の変」へ
-天智〜弘文=日向系大王、「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」、両系和解の記紀編纂(イリ三輪王朝の活躍>>>ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇、筑紫系天皇の平城京から本拠地・琵琶湖近くの平安京に遷都

一白
大王
0006日本@名無史さん
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2018/09/16(日) 23:56:52.83
前スレからの転用です
136(1): 2012/09/28(金)21:58 AAS
江戸時代福岡藩士「青柳種信]は、「宣化紀」「斉明紀」にある【那の津】を
現在の河口から二・三里遡った三宅村から仲村地区と思い、その海岸線が、
時代とともに、現在の住吉神社付近になったと考えた。
ここには、【現人神社】 福岡県筑紫郡那珂川町仲3-7-8 がある。
この社が住吉神社の元宮であり、奴国発祥の地である。

博多湾の河口は年々堆積物で浅くなる。 反対に船は大型化していく。
漢委奴国王時代、最も適していた外国交易の港は「今津」と思われる。
その権利を求めて戦いが起こった。
 早良・志摩・唐津は制圧された。
107年倭国王帥升による「伊都国」の建設である。
0007日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 00:05:00.21
>>5ありがとう、疲れたもう寝る

前スレから
139: 2012/10/08(月)13:32 AAS
金印消しゴムは売れる
全国の小学生に人気を博すこと請け合い
0008日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 01:05:10.58
137名無しのひみつ2017/11/20(月) 21:30:46.06ID:tIdxnd4R
中国の博物館には万を数える古銅印が収蔵されているが(日本にも流れて来たのがある)、半分は明から作られた贋骨董
だろうと言われている。木竹製品、陶磁器は制作年代を物理的に調べる方法があるが、金属には方法が無いので、真贋判
定はされずほったらかされている。
この漢倭の金印も判定に物理的方法は無いので状況証拠を検証するしかない。
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171020002376_comm.jpg

しかし偽派の言い分は随分お粗末なもので全く証拠にならない
1、ハネを彫る字体は漢代に無い・・・これは間違い。むしろこれは漢印に特徴的にある。https://i.imgur.com/JPF6avZ.jpg

2、出土状況があいまい・・・もし亀井南冥が計画して芝居打ったのなら正確に記録しているだろう。あいまいなのは亀井南冥も
  知らなかったからだ。
3、字の彫り方が広陵王璽と異なる・・・印彫り職人は大勢居る、人により彫り方が異なるのは当たり前。
真派の言い分も積極的に真だとする証拠にはならないが、その他の状況、幕府公認に限られる格式高い金細工師に、内緒で贋作
依頼できないなど亀井南冥には贋作できないだろうから、偽が作られた可能性は無い
0009日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 01:06:32.47
132名無しのひみつ2018/02/24(土) 22:59:59.88ID:6F1b13sj
偽と言う奴は、”後漢時代の金印がポロと田んぼで見つかるはずがない、
亀井南冥が売名の為に偽造して仕組んだ芝居だ”と言うんだな。
なら亀井南冥がそんなことをする可能性があるのか検証しないといけない。

1、まずこの言い方が矛盾している。確かに金印が出たのは奇跡的なことだ。
ならば、亀井南冥が売名の為にそんなありそうもないことを仕組むだろうか、
それはない、やるのならありそうな誰もが納得することを考えるだろう。
2、亀井南冥は既に福岡藩随一の碩学と言われ、藩の御典医で藩主の信頼
厚く、新設の藩塾の塾長を任された。既に学者として成功しており、今更
売名の企てをする必要などない人物だ。
3、もう一つの藩塾が金印の解釈でバカ言って恥をかいた、それで奴らは
印は偽だ、漢の属国扱いの印など潰せとわめいたが、藩主は亀井南冥を
信頼して、金印は黒田家の家宝として保管し、金印の件はそれで終わった。
4、その後に亀井南冥が塾長を辞め蟄居を命ぜられたのは、松平定信の
寛政異学の禁で、それを批判して、”ま 気持ちは分かるが、幕政を批判
するのはマズいよ”ということで、金印の件とは全く関係ない。
  これでまず亀井南冥が売名の為に偽造した可能性は100%無いね

もう一つ調べた事を書く。 日本と中国に現存する南北時代以前の金印は
41個しかなく、その30個は現代になって発掘したものだ。銅印が万個ある
のにこれは驚くほど少ない。 これは中国で偽の銅印は何千個もあるが、
金印の贋作は無かったということだ。何故なら、あまりに少なくて贋作者
も金印は見たことがないからだろう、モデルが無いのでは贋作できない。
”漢委奴国王”は完全な後漢時代のデザインにできている。江戸時代に
あった銅印しか載っていない印譜からはこのデザインの贋作はできない
0010日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 01:10:34.13
899日本@名無史さん2018/05/08(火) 14:42:33.01
金印が何故そこにあったのか推察すると、おそらく奇跡の呂皇后と同じだろう。
西安の陝西歴史博物館にある呂皇后の玉印は、今中国にある歴史的印章で一番の
お値打ち品だ。
これは小学生が学校から帰り道で、道端の空き地で見つけた。省博物館に持って
行くとみんなびっくり仰天、拾った場所は劉邦と呂皇后の長陵から1kmの所、
呂皇后の玉印が出た。 なぜそこにあったか推察すると、これは呂皇后の墓内
でなく周囲の建物に調度品と共に安置してあった。それが前漢末の反乱で
焼き討ち略奪の時、誰かが守って持ち出し、落としたか埋めて隠した。
それから2000年、今は家や道の並木があったりするが、埋まった所は奇跡的に
何の変化も無く、表土が雨で徐々に流れて、2000年後に現れた。動かなかったから
傷一つなく綺麗な原形のまゝだった。正に奇跡の呂皇后だ。
 で 金印は、魏書に倭国大乱とあるように、その頃は喧嘩ばかりやっておった。
喧嘩の時、金印はどっかに隠す、奴国が負ける隠した奴が死ぬとどこに隠したか
分からなくなる。
 中国の何千個もの古銅印はほとんどが何故そこに落ちとったか推察しようもない。
そこに昔は持ち主の家や役所の建物があったとしても、千数百年過ぎると全く
跡形無くなってしまう。小さい銅印なんて丈夫な物だからそれだけが残る。

949日本@名無史さん2018/07/15(日) 09:45:01.71
1958年発掘 蛇鈕金印”晋蛮夷帰義侯”
http://www.whmuseum.com.cn/WB_collectionl_connect.aspx?id=20
この蛇鈕、造りは雑だが、形式は漢委の金印と同じ。  滇王は前漢だから蛇そのものだが、
後漢からの蛇鈕はこういう形式になった。
江戸時代ではこういう印形のデータが無いんだから、あの漢委の蛇鈕を贋作はできない

950日本@名無史さん2018/07/16(月) 08:55:10.33
蛇鈕はこれが江戸時代の贋作ではないことの決定的証拠だな。
中国に現存する蛇鈕金印は、現代で発掘された三個しかない。
中国でも明から作られた贋作印に蛇鈕は無い、どんなものか分からなかった
からだ。 日本で江戸時代に作れるわけが無い。  
0011日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 10:11:40.06
福岡市博物館 金印
http://museum.city.fukuoka.jp/gold/index.html

真贋問題は決着  これで考古学会が保証してユネスコMemory of the Worldに登録申請する。
これは中国の滇王之印とセットで申請すればええだろ。史書に書かれた印、歴史上人物の持ち印
が出土するのは奇跡的なことだが、文字どおり歴史の記憶文物だ
0012日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 10:42:56.22
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0013日本@名無史さん
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2018/09/17(月) 12:38:23.32
福岡市博物館の記事の終りに[宣和集古印」とあるが、これは明末頃のふざけた贋作印譜だ。

924日本@名無史さん2018/05/21(月) 21:34:15.37>>925
山中にある古墓から、宋徽宗帝が作らせた印譜が出たと称して印刷した贋の印譜にある”親魏倭王”
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku12/senwa51.jpg
中国では明の頃、文人の骨董収集ブームで、古銅印から印譜まで贋作が出回った。
印は魏の頃日本へ行ったのに、宋で印譜に出せるわけねえだろ。
魏書には金印と書いてあるのになんで銅印だ、中国の贋作屋もええ加減なやつらだな。
実際問題として、卑弥呼が受けた”親魏倭王”は、後に魏から晋になって壱与が晋に使者を
送って慣例により返却し溶かされ、新たに”親晋倭王”が授与されたと思われる。

"状況証拠"と言うが、文字どうり清の頃古代金印はどういう状況だったかを見ると
まずあの漢委の金印以前は地上に一つも無かったのだ。金石学が盛んになって古文字
資料の印章も収集されたが、最大の収集家乾隆帝のコレクションも銅印ばかりで金印
は無い。現物が無いのでは印譜にも金印は無い。 あの漢委の金印は初の出土品だった
のだ。その後山東で亀鈕の漢印が出土した。これは珍しい貴重だということでレプリカ
を作った、かなり雑で、今みたいな精巧な物ではないが。あと清末に重慶で一つ出た。
清代での出土はこの三顆だけのようだ。 勿論モデルが無いのだから金印の贋作は無い。
0014日本@名無史さん
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2018/09/18(火) 12:07:58.76
974日本@名無史さん2018/09/08(土) 23:16:58.76
状況証拠と言えば江戸時代はどういう状況だったか。 金印発見について、藩主から村へ
褒美50両が渡され、印は黒田家の家法として収蔵された。勿論亀井南冥の進言によることだ。
もしそれが偽物となったら、当然主君を騙した亀井南冥は切腹だ。 偽とばれないように金細工師
に頼むなぞできない。  偽と言う奴は今の感覚で言うとるが、江戸時代は悪ふざけでは済まん
のだよ。 そういう時代では亀井南冥は贋作など全く思い付きもせんだろう。勿論そんなこと
考えもしない人物だろうが。

976日本@名無史さん2018/09/11(火) 14:33:04.54
そもそも 偽という奴らの思い付きがナンセンスだからな
田んぼでポロと出る筈が無い ・・・ 発掘考古学を全然知らない 中国の何千個の古代印がどこで拾われたか調べてみろ
亀井南冥が売名のため作った ・・・ まずそんなことする人物かどうか。  絶対バレないよう誰に作ってもらうんだ
                  バレたら切腹、人生終わりだ。大体2000年前の金印が出ました、そんな突飛なこと
                  常識的に誰も考えんだろ    南冥の贋作は有り得ない    
0016日本@名無史さん
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2018/09/20(木) 18:02:04.52
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0017日本@名無史さん
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2018/09/21(金) 10:28:38.44
改めて古代金印の事情を調べてみて、漢委の金印が初の出土品で、それ以前は地上に無かった
のは意外だった。 では地上から消えてしまったのは何時頃のことかと推察するのだが、おそらく宋の中頃だろう。
南北時代までは作られていたが、唐になると印章の骨董文物としての価値認識が無かった。それで盗掘
などで見付かっても全部溶かされてしまった。
0018日本@名無史さん
垢版 |
2018/09/21(金) 13:23:23.28
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0019日本@名無史さん
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2018/09/24(月) 23:54:14.85
ユネスコMemory of the Worldに登録すべき歴史的印章は、日本からはこの金印だけ。
中国からは掘り出せばいっぱいあるが、今までのところではこんなもんか

滇王之印  https://www.youtube.com/watch?v=tY12Ou2Xgoc
呂皇后   https://www.youtube.com/watch?v=_fm0_ObiP5Q
独孤信   https://www.youtube.com/watch?v=IajbY0xTFbs
広陵王璽  https://www.youtube.com/watch?v=II-2bs1WA3k
南越王金印 http://collection.sina.com.cn/jczs/2015-08-16/doc-ifxfxray5584525.shtml
0021日本@名無史さん
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2018/09/26(水) 17:04:32.65
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0022日本@名無史さん
垢版 |
2018/09/26(水) 19:45:12.87
>>20   googleは狂うとる

南ベトナム王の天皇の墓である「温泉」は、中国の封印の初期の例である。
西漢王朝博物館の監督、南ベトナム美術館の呉凌雲(Wu Lingyun)
一部の学者は、「皇帝線Xi」は数千年に表示されるボタンを推し進め長い時間に思える
「歌竜ボタン」と呼ばれる記事を書きましたが、ドラゴンのボタンの南越墓。学者シャオ華は
言った「竜を行うには 『天皇線Xi』ボタンは、現在の中国のアザラシの最も初期の例である。」
:南越王博物館の学芸員呉凌雲はぶっきらぼう週刊インタビュー記者コレクションに語った
「皇帝の龍と最高の権威を表し玺の組み合わせは、南ベトナムの先駆的な仕事です。
0023日本@名無史さん
垢版 |
2018/09/27(木) 12:49:34.92
目前中国玺印最早的实例 → 現在の中国のアザラシの最も初期の例である
接受收藏周刊记者采访时直言 → ぶっきらぼう週刊インタビュー記者コレクションに語った

英語はさむと 玺印 → seal → アザラシ だ
何がぶっきらぼうか分からんが おもしろい
0024日本@名無史さん
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2018/09/27(木) 18:48:57.59
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0025日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/02(火) 15:14:26.37
世界の記憶登録は悪意のある怪しい文書登録でもめとるようだが、
金印とか古代の現物文字資料は全く問題無い。
登録はそういうものに限るとすればよかろう
https://www.sankei.com/world/news/180103/wor1801030003-n1.html
0026日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/13(土) 20:16:49.70
古代日本の金器出土を捜してみたが、この金印だけしかない。
中国で前漢は金満国家だったが、日本に流れては来なかった。
古墳時代では鉄剣に金文字象嵌がある。その金は半島から来たんだろう。
飛鳥時代になって半島から金メッキの仏像が来た。
その頃に東北で砂金が採れるようになって、奈良時代では大仏に金メッキした。
0027日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/13(土) 21:19:04.35
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0028日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/14(日) 07:45:31.64
>>26おいおい、ちゃんと調べなよ
九州の古代古墳には、金の耳飾り
金の王冠2ヶ所、金の指輪も見つかってるよ
0029日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/14(日) 08:34:55.89
金の耳璫だらけだな。

http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif

九州倭国の重臣たちは皆、金で着飾っていたのだな。
ガラス製品は女王の特権か。
八尺瓊の勾玉もその流れなんだろう(色が違うけど)。
0031日本@名無史さん
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2018/10/14(日) 09:50:54.77
で、畿内はどれだけ金とかガラスとか絹とかの宝飾品が出土しているの?
0033日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 10:02:13.52
「漢委奴国王」は
日本では「漢の倭の奴国王」という読み方が一般的だが
中国の専門家には「委」を「倭」と読む人はほとんどいない。

57年 漢委奴国王
57年 新羅の王が倭人になる

金印をもらったと同時に新羅の王も倭人になってるから
「漢から(新羅や任那や九州北部の管理)を委ねられた奴国王」って意味だよ。
古代中国は朝貢した倭王に、朝鮮半島南部の軍事権などを与えている 。
例えば、倭王武が与えられた称号は、「使持節都督・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」であるが
「漢委奴国王」もそれと同じ。
0035日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 16:25:53.69
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0036日本@名無史さん
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2018/10/16(火) 17:05:27.84
>>33
そりゃ違うだろ、長すぎる。
「漢の管理を委ねられた奴国王」って意味だよ。
0038日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/16(火) 20:35:42.49
「委ねる」の目的語がないなんてあり得ないだろ。
馬鹿なの?
004033
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2018/10/16(火) 22:45:03.93
金印が重要で 、昔は「漢委奴国王」を
初代天皇として数えていたとすると年代が合うんだよな・・・

西暦57年 漢委奴国王(初代天皇)
西暦57〜137年 倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)
西暦146〜189年 倭国大乱、桓帝と霊帝の間(146年 - 189年)
西暦189年頃 卑弥呼が女王になった。
004133
垢版 |
2018/10/16(火) 22:53:56.83
漢委奴国王を初代天皇とすると
漢委奴国王が神武天皇ということになる。

西暦815年に編纂された『新撰姓氏録』には
神武天皇の兄である稲飯命は新羅王の祖であると書かれている。

西暦57年 神武天皇が漢委奴国王になった。
西暦57年 稲飯命(神武天皇の兄)が新羅の王になった。
004233
垢版 |
2018/10/16(火) 22:57:47.68
これ言うと怒る人もいるかもしれないが
「カミ」の語源は「漢委」の可能性もあるな。
004333
垢版 |
2018/10/16(火) 23:11:10.86
『三国史記』新羅本紀によれば、
新羅には朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がある。
そして昔氏の始祖は、西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今である。

西暦815年に日本で編纂された『新撰姓氏録』には
神武天皇の兄である稲飯命は新羅王の祖であると書かれている。

一致するね!
0044日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 07:24:44.79
帥である今が新羅の王
帥である升が倭の王

倭国大乱後に帥(大率)の上に君臨したのが卑弥呼

中国から見た序列ではあくまでも卑弥呼は倭王だが、東夷の世界では王の上に君臨する、皇帝や天皇のような存在だったのだろう。
004533
垢版 |
2018/10/17(水) 10:57:01.35
『魏志倭人伝』にも卑弥呼を佐治する弟(卑弥呼の政治を補佐する弟)のことが書かれているが、
「一大率」は、伊都で佐治する人(伊都で卑弥呼の政治を補佐する人)のことだよ。

伊都佐治(いとさち) = 一大率(いったいそつ)
0046日本@名無史さん
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2018/10/17(水) 11:24:17.36
>神武天皇の兄である稲飯命は新羅王の祖であると書かれている。


新羅王の祖土はタバナ国、つまり丹波であり尾張氏の末裔であろう。
白村江の戦いではその新羅に日本が負けた。

天皇の国日本が一豪族の末裔である新羅に負けた。

その屈辱感から、稲飯命を新羅の祖とすることで、
神武天皇の兄の末裔に負けたのなら仕方ないという
劣等感の裏返し、それが真実であろう。
004733
垢版 |
2018/10/17(水) 12:38:25.99
白村江の戦い
倭国は唐に敗けたのであって
新羅に敗けたという認識は無かっただろうな。(新羅は唐の属国だった)
0048日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/17(水) 15:19:07.53
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0049日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/17(水) 15:19:56.77
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0050日本@名無史さん
垢版 |
2018/10/19(金) 10:05:58.21
闊端赤 (kötölči 馬牽き)
0051日本@名無史さん
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2018/10/19(金) 11:25:34.90
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0053日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 12:35:26.54
倭を委と書くのは、委ねるという意味を強調するためにワザと人偏を落としただけだろうな。
この手のテクニックは仏典にも良く登場している

例えば無性法忍とかね
認ではなく忍としたのは教学的に深い意味があるのだろう

倭奴国を委奴国としたのは漢の支配に委ねられた奴国という含みを持たせて人偏を取ったと考えられる
0054日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/17(土) 13:11:58.81
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0055日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 14:52:36.07
真贋問題は決着
偽だと言って 世界の記憶登録申請を妨害していた人は
素直にここで ごめんなさい 言うとくんだね
歴史学者です て人は恥だからね
0056日本@名無史さん
垢版 |
2018/11/19(月) 15:14:10.96
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0058日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/12(水) 09:28:50.48
>>46タバナ→タチバナだよ
   
0059日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/12(水) 19:31:43.99
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/16(日) 23:27:01.75
歴史的に人が住んでいなかった所でポロと一つだけ拾われた古代印、
印章は姓名が彫られ、人が持っていたものだから、それにまつわる
歴史ドラマが推察される。
このビデオ 14分に出る北魏鮮卑人の印もそうだ
https://www.youtube.com/watch?v=pUKWvfFkVbI 
0062日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 11:06:41.22
今年は目出度く金印真贋論争が決着しましたが、金印事情を調べて、あの漢委奴国王が
拾われるまで古代の金印は地上に一つも 無かったというのは意外だった
ま 中国の明清時代の骨董コレクターは知っていたでしょうが
0063sage
垢版 |
2018/12/31(月) 21:14:13.85
金印は決着したが邪馬台は現状では結論出ない
倭人伝で陳寿さんが邪馬台の場所でワケわからんこと書いた
ワケわからんことあれこれ思い巡らしても結論に至らない
遺跡掘りまくってなにか文字資料掘り出さんといかんでしょう
ズバリ金印親晋倭王か使者の銀印出れば文句なし
纏向で桃の種が出ました そんなもんじゃあかん
0064日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 21:29:41.87
3世紀の倭国女王墓である平原遺跡の発見により、ほぼ確定したと思っていますよ。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2018/12/31(月) 22:29:11.37
それ以降も、認めたくない人たちが意地を張り続けているだけでしょ。
老害が消えてなくなれば平原遺跡で決着するよね。
0067日本@名無史さん
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2018/12/31(月) 22:49:47.30
ああ このスレで”邪馬台国はここだ”はこれ以上しないでください キリがないから
ま その当時の出土品で興味あるものがあれば解説など書いてください
0070日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/01(火) 08:53:15.72
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。
0071日本@名無史さん
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2019/01/01(火) 20:41:17.70
思っていたより小さい。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/02(水) 09:16:50.19
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 21:58:31.82
印章作るのに謎なんか無いよ、戦国時代からロストワックスでやってた
鈕はロー付けだと思うが
古代中国の冶金 金属加工技術は高い 当時世界一だったろう
https://i.imgur.com/B1EJnlV.jpg
漢代には金地金の純度は98%以上と決められていた
兵馬俑にクロムメッキの剣があったのにはたまげたね どうやったのか
しかしその後そんな物は無くなったところ 量産できることではなかったんだろ 
 
0075日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/06(日) 22:59:17.33
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 
0076日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/23(水) 00:58:37.70
あれは「シナの属国となる〜」とケツ舐めしたご褒美に投げて寄越してきたもの。

そんなのを大事にしてるのは、対中追従の糞サヨか。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 15:05:43.64
漢の委奴の国王?
漢の委ねる奴国王?
どれが本当?
0078日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 15:08:13.81
>>77
もはや分からんからいくつもの説があり、どの説も決定打にならない
0080日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 15:23:23.62
金印をもらったのは、伊都国に王墓が作られた時代。
実は倭奴国とは伊都国のこと。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 15:28:03.20
本場中国からも三つもない金印が
日本の海っぱたから見つかるとは

すごいロマンだね〜
感心する
0082日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 16:44:47.55
>>81
ホンダs600cって右ハンドルのヴィンテージカーがあるんだが、現存する400台のうち350台はアメリカにある
ロマンだよなぁ
0083日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 18:01:27.67
実は細石神社が江戸時代まで保管していて、志賀島で見つかったということにして世に出したらしい。
細石神社というのは、伊都にある弥生王墓のひとつである三雲南小路遺跡に付随していて、その被葬者は木花咲耶姫とされているのだけれど、実は王と王妃の墓だった。
つまり天孫族の祖であるニニギと木花咲耶姫が被葬者の候補なんだ。
卑弥呼より前に伊都にいた王家こそ、日向三代であり、魏志倭人伝には男王たち70〜80年の時代として書かれている。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 18:43:04.62
>>83
細石

佐々礼石

西方(左)由来の祭礼の石

興味深いな

ちなみに佐々礼(禮)という地名は伊都志摩と宇佐、伊勢志摩にしかない
0085日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 20:26:02.18
>>84
>ちなみに佐々礼(禮)という地名は伊都志摩と宇佐、伊勢志摩にしかない

卑弥呼つながりというか八咫の鏡つながりというか。
もはや伊都志摩が伊勢の鏡信仰のオリジナルであることは疑いようもない。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/28(月) 22:16:24.85
「さされいし」は「岬の石」の意味だと思うよ
0088日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 07:54:37.01
じゃあどう意味なのか解説してよ。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 10:41:59.48
>86さざれって君が代に出てくるさざれでしょ?
>>85志摩って、今の福岡県の新日鉄の所も
昔は紫摩って言ってたみたいだよ
昔は大きな湾になっていて
いろんな島があり美しく風情があったとか

妄想ですが
伊勢神宮も元々はこの辺りにあったのでは?
と私は思ってたりします
0090日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 12:39:22.01
紫摩かあ。
どうせ漢字は当て字だからなあ。
そっちの方が風情があるかも。

君が代は筑紫王朝の風景を読み上げた歌だという意見もあるね。
0092日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 16:24:33.33
「さざれ」なら小石、さざれ石なら巨石ってことだな
0093日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 17:50:14.32
>>91
それが元の意味かどうかは不明だよ。
あくまでも通説というか、後世の解釈だからね。
佐々礼の地名が偏っている理由を説明できない。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 17:53:46.96
>>93
日本語でやり直し
0095日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 17:56:30.33
それで?そろそろ頭の病院に行けw
0096日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 17:58:37.28
>>92
この解釈が、上古の言葉遣いでも成り立つのかどうかだよ。
記紀にさざれという語は出てきたっけ?
0097日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:02:13.22
>>95
チョンコロは立入禁止だぞ
0098日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:03:00.48
>>96
は?何言ってんだお前は?
0099日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:13:46.70
さされいし=細石 ってのが後世の後付けの可能性があるって事だよ
0100日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:50:27.67
>>99
は?何言ってんだお前は?
大和言葉に漢字の意味をそのまま当てたんだぞ
0101日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:51:22.12
>>99
細石で「さざれ」な
「さざれいし」なら細石石な
0102日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:52:10.13
大和言葉と言っても、せいぜい奈良時代までのことを指すのが一般的。
ただ、記紀や万葉集は上古文を一部に含むから、そこにその用例の証拠がないとねえ。
0104日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 18:56:33.32
伊都志摩と伊勢志摩は、細石つながり、八咫の鏡つなかりがあるわけだ。
伊都が神代の王都、筑紫の日向だよね。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 19:24:46.97
>>104
既に書いてあることを繰り返して書きたい衝動はなんなんだ???
0106日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 19:25:16.52
>>105
そっちが聞いたからだろ。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 19:37:08.77
物凄く理解能力が低いのが一人いるのか
0108日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 20:27:23.44
>>106
なに言ってんだお前は?
0109日本@名無史さん
垢版 |
2019/01/29(火) 21:08:32.11
>>108
キチガイに触るな
0110日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/03(日) 17:12:14.94
親魏倭王の印はどこらへんにあるの?
見つけたら、どれくらいの価値ある?
10億万円?
0112日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/04(月) 23:53:09.93
アホ板にかまってたら、BS-TBS見そこねた!
歴史鑑定は再映あるの?
0113日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 11:31:20.15
>>110
三種の神器の玉がそれだという説もある
0114日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 12:10:10.44
玉璽は玉ではないよ。
三種の神器の玉は八尺瓊勾玉といって、長さが8尺の紐に通された多数の勾玉のはず。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 12:33:09.40
古田は、細かいところばかりに気をとられる性格だったようだな。
いわば得意技は、他人のあら捜し。

が、大所高所から全体の流れを見るのはさっぱりだった。短里騒ぎはその典型。
それと、古代から筑紫島にはれっきとした倭国王朝があったのに、
いや(それは間違いで)九州王朝があった〜、と叫びまわって、結果的に畿内大和説の延命を助けた。
ま、畿内大和説にとっては、畿内から送り込まれたトロイの木馬みたいな存在だったわけだ、、、、
0116日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 17:57:20.61
漢奴倭国王が日本人だったのではないか?。
0118日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 18:41:59.41
>>114
それも説のひとつに過ぎないだろ
0119日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/05(火) 18:45:40.48
可能性も何も、名前の持つ意味をきちんと読めよ。
0120日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 12:49:13.05
漢字の意味つながりで聞きたいです
倭の「わ」とは、どんな意味?
のちに倭と呼ばれるのを嫌がって大和とする
とかあるでしょ
0122日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 18:09:55.05
57年の倭奴国印が廃棄された理由だろ?

この 漢、が継続してる時に、倭奴国が滅びた
だから、敵に渡したくなかった、んじゃないの?

北朝鮮製のドルでケツ拭くとか、カリアゲの薪ストーブの焚き付けでもなきゃ
誰が保管しようが 金 なんてもんは、どんな髪型の馬鹿 でも捨てないぞwww

拾った? トンカチで、つぶして売るだろwww 
発見者、感動的に偉い と 思うよ。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/11(月) 20:27:46.48
実は伊都の細石神社が保管していたんだと。
志賀島から見つかったことにしたらしい。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 17:46:03.13
戦前は恐ろしくて口にできなかったよね。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 19:58:39.67
>>125
的はずれなこと言うな
0128日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 20:11:43.89
「俺の家では、『裏山に卑弥呼が眠っている』と言い伝えられている」
「これまでは、あまりの事の重大さに秘密にしてきたが、公表することにした」
「つまり、邪馬台国は我が家の周辺である」
とか言い出したおっさんの言葉を歴史的事実だとし、
それをもとに立論する馬鹿は九州説くらいしかいない
0129日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 20:16:50.62
細石神社の件は、同時代の王墓が付属するだけに、笑い飛ばすこともできないんだよ。
0131日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 20:52:24.29
福岡沿岸にはオカルト系に人気が出るからと色んな言い伝えを言い出した神社が多いのが特徴
0133日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 22:56:49.39
そーかなあ、九州の神社は有名でないけど
巧みの技や歴史を感じる風景と配置があるの判らないの?
観光用に作ったのとは違うのが多いでしょ
全部とは言わないけど
0134日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 23:01:34.38
>>133
福岡の郷土史マニアだが、戦後復興時に由緒はあるけど荒廃した神社に神社庁から派遣された宮司が歴史を捏造したりってのは多いんだぜ
0135日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/12(火) 23:38:48.18
考古学的遺跡とセットの場合は、明治も戦後も関係ないじゃん。
明らかに細石神社は王墓である三雲南小路遺跡の祭殿なんだよ。
三雲南小路遺跡は三種の神器や璧などの威信財が豊富な倭王(倭奴国王?帥升?)の墓だから、金印とゆかりがあっても不思議ではない。
0136日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 00:02:54.63
>>135
何でそんなに必死なんだよw
戦後復興時に神社庁から派遣された宮司の孫かよwww
0137日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 00:20:31.72
>>135
お前頭が悪そうだから解説してやるけど、>>134の> 由緒はあるけどって部分がお前の> 考古学的遺跡とセットのことな。
細石神社がそうなのかは知らんが、実際に由緒があるのに代々続いた神主の家が途絶えて神社庁から宮司が派遣されてる神社はごまんとあるし、戦前中後の混乱の中で乗っ取られた神主家もかなりある。
実際に戦前大流行したトンデモ説の多くは断絶した神主家を乗っ取ったヤツが急に発掘してるものがほとんどだし。
0138日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 00:28:01.56
そういう残念な神社もたくさんあるだろ。
細石神社の神主の家もどうなのかは知らん。
ただ、倭の王都が伊都国だったとしたら、その中の王墓である遺跡に随伴するお宮に伝世していてもおかしくはないなと。
少なくとも、志賀島から見つかったという方がわけがわからないんだよ。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 00:31:18.59
>>138
全部ifで固めんな(笑)
せめて細石神社の由緒くらい調べて自分的に確信してから推論として語れよ。
0140日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 00:33:13.45
>>123の「志賀島から見つかったことにしたらしい。」の出処が分からない時点でアウトな説
0142日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 17:35:52.27
金印の時代背景は、漢代だと倭国大乱に入って行くわけだけど
後にさざれ石神社に保管される為には、墓ではなく王宮に有る必要性がある。

漢代だったけど、志賀島に埋めたって言う場合は、倭奴国滅びたんじゃないのかな?
漢代以降で別王朝か誰かに渡れば、地金にしちゃうと思うけどね。
0143日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 17:54:14.49
倭国大乱の前の男王の時代だよ。
そしてその時代の王墓は糸島平野に集中している。
つまり、三雲南小路遺跡の王が漢委奴国王印を受け取った王なはずなんだ。
細石神社の金印の口伝に一理あるのはそういうこと。
0144日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 18:30:09.95
>>143
細石神社の金印の口伝ってどの程度信憑性があるもんなの?
上でも言われてるように明治〜昭和初期は古い神社の由緒を乗っ取る輩も多かったわけだし信憑性が気になる。
以前、別スレで末盧国=万津浦=勝浦(宗像の少し南側)の根拠として挙げられてた年毛神社が、実は昭和に入ってから永島家ってのが乗っ取って捏造した史料だったってのを見たので非常に気になる。
0145日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 18:54:06.85
金印をもらったと思われる王の墓を祀る宮に金印そのものも伝世していたらしいという噂だけ。
信じるも信じないも自由。
ただ、志賀島のどこで見つかったのかと聞かれると、その場所は皆目不明とのこと。
0146日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 19:08:18.35
古墳時代以前の話で、神社の由緒がどーたらは無理。
古墳と、仏教神道は共存しない。

古墳時代は、仏教公伝、聖徳太子迄 終わらない。
これに対抗して、伊勢や出雲、豪族系神道は成長してゆく。
神仏習合神宮寺は当然であり、分離の明治政府は日本の宗教史最低の愚。

諏訪のような縄文系というのも、妥協であって神道とは違う。
シャーマンや、自然神が神道ではない。

江戸時代に、金印の歴史の価値を見出せた、元禄文化は素晴らしいが、
有史以前からの戦国で築き上げてきた
日本は、自分では無い、神の国 なのではないのかな?

少々、日韓外交にむかついて、ホントの歴史を語っちゃう気分www
邪馬台国なんて九州だし、投馬国は半島南岸の倭人国に決まってんだろ。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 21:00:16.21
金印は本物
金印は福岡から出た

これだけは事実
0149日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:29:20.33
漢委奴国王印が最後に使われたのは卑弥呼が魏に入朝した時に奏上文に封泥に使った。
0150日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:32:35.79
>>101
細石神社(さざれいしじんじゃ)
細石で「さざれ」または「さざれいし」な
0152日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:44:50.83
>>148
細石神社の与太話はともかくとして、
明確な遺構がないからと志賀島での出土を疑いだすと、
福岡で出たとも言い切れなくなってしまうという…

なお、私個人は通説を疑っているわけではないので、念のため
0153日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:46:47.28
>>151
日本語は難しいんだよw
細石石神社じゃないんだよ。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:50:21.09
「さざれじんじゃ」だろ。
広い意味では糸島も志賀島も福岡だよ。
ここが倭の王都であったことは疑いようがない。
0155日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:51:30.47
>>152
江戸時代後期で今から200年くらい前の話だから細石神社の伝承を与太話とは言い切れないよ。
0156日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 22:53:09.25
>>154
固有名詞で細石神社と書いて「さざれいしじんじゃ」だよ。
0157日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/13(水) 23:00:41.83
>>155
江戸時代に言い伝えがあった証拠がないなら
歴史学の上では箸にも棒にもかからない
0159日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 08:08:44.76
もともと隠そうとして志賀島から出たことにしたわけだから、証拠はないだろうね。
アホか
0161日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 09:07:31.39
>>159
笑わせようとしてるんだよな・・・?!
0162日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 09:07:40.13
志賀島から出たというより、細石神社が保管していたという方が妥当に思える。
(あくまでも個人の感想です)
0163日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 09:08:18.59
>>162
いや、だからその伝承の信憑性は?
0164日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 09:09:05.34
そもそも伝承ですらないに一万ペソ
0165日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 09:24:14.38
三雲南小路遺跡が同時代の遺跡というくらいの根拠だよね。
でも志賀島よりはありそう。
0167日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 10:01:33.67
君が決めることではない。
個人の感想なのだから。
0168日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 10:09:36.05
>>167
妄想ならオカ板やSF板でやれ
却下
0169日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 10:20:30.44
その細石神社とやらに残ってる伝承?社伝?とやらの「詳細」を教えてくれ。

気になるのは、その神社が1822年に土壁用の粘土を掘ってる時に偶然見つかった三雲南小路遺跡をどう認識してたのか。
(ちなみに金印が発見されたのは1784年)

金印に関する伝承?社伝?はいつ頃見つかったものなのか。
また最古の出典はいつなのか。

以上の3点よろしく。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 10:44:50.48
>>169
村民に土掘らせるくらいだから少なくとも1822年まで神社側は大切な何かという認識はなかったわけだな
むしろ所有権すらなかったのかもしれんね
やはり後年の捏造の可能性が濃厚だな
0171日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 11:00:16.77
>>169
ちょこっと調べてみたんやが、伝承と言うか口伝らしいで
しかも、その口伝を聞いた者は不明、それを記録した史料もあらへん
0172日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 11:08:37.60
細石神社が漢委奴国王の金印を旧蔵してたって話の元ネタは古田の「多元史観」
四国の大政就平という人物が古田に知らせ、地元住民に聞き取りしたら「細石神社にあった金印を武士がもって行った」という伝承があったらしい

200年も前の出来事を地元住人が知ってるファンタジー
複数の証言が取れるのに一切の記録がないファンタジー
くだんの神社にも一切の記録が残っていないファンタジー
境内の後ろにある王墓の伝承すら残っていないファンタジー
0173日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 14:18:44.29
>>171
細石神社の宮司さんから故古田さんが聞いた話だな。
0174日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 14:58:48.73
福岡の船山古墳だったかな?
そこで出土した翡翠と金製の首飾りみた人いる?
凄く緻密に金を編んでいて
古代の物とは思えないほど美しい
こんな首飾りがつくれるんだから古代の美的感覚も
素晴らしかったんだなと思ったなあ
金印が出て何にも不思議に思わないよ
0175日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 15:03:17.49
ごめん間違えた
福岡県周船寺から出た首飾りだったよ
0177日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 19:02:51.43
細石神社について

奥村玉蘭(1761-1828)の「筑前名所図会」

「佐々禮石の社」(さざれいしのやしろ)
三原村にあり。
この神は高祖大明神の御母という。だから木花開耶姫を崇め奉るのだろう。神体は小石なので「さざれ石」というのだろう。

金印はともかく、戦後の由来捏造は無さそうだが…
0178日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 19:43:07.45
日本の常識として古代神道系の神社の祭神というのは、
明治維新の宗教弾圧以降、または昭和の国家神道によって、全部捏造である。
0179日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 20:24:57.13
>>177よくそこにたどり着いたね
佐佐なのか左左なのか良くわからないけど
覚えておいてね
これ結構大事なのだ(^ー^)
0180日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 21:18:47.08
記紀を含めて、あれもこれも捏造としてしまうのも、一種の弾圧だよね。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 22:46:24.66
証拠のない事柄を事実であるかのように語ることも立派な「捏造」
0182日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 22:48:02.22
>>177
スピリチュアル系ブログのコピペやんけwww

> 伝承では、コノハナサクヤ姫はこの辺りででヒコホホデミ命を出産したといいます。
> そして、そのヒコホホデミ命はあの高祖山の祭神となりました。
>
> 再び、奥村玉蘭の『筑前名所図会』を見てみましょう。(るな訳)
> 「佐々禮石の社」(さざれいしのやしろ)
> 三原村にあり。
> この神は高祖大明神の御母という。だから木花開耶姫を崇め奉るのだろう。神体は小石なので「さざれ石」というのだろう。
>
> (三原村は三雲村の誤りでしょう)
> 「佐々禮石の社」とは「細石神社」のことです。
> 「彦火々出見尊の御母」が当宮のコノハナサクヤ姫です。
https://lunabura.exblog.jp/21050013/
0183日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 22:53:21.70
>>182
スピリチュアル系といえばその通りだが、その人は実際に現地を訪れて社伝などを収集して、民俗学的な領域に到達している。
邪馬台国にはあまり関心がなく、どちらかというと畿内説に近いらしいが、九州説の立場から見ても感心する内容が多い。
0185日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 23:27:01.17
それを時間軸に結びつけるのが学者の使命なんじゃないか。
キナイコシは内外のあらゆる史書と国内の社伝とその他の史料を全て無視して、独自の妄想を捏ねあげてしまっている。
0186日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 23:40:48.99
細石神社に関しては誰一人>>169に答えられないわけだし>>172で終わってる
0187日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 23:41:18.97
>>183
(るな訳)
0188日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 23:52:33.27
>>185
キナイコシってたまに目にするけど阿波の「@阿波」みたいな目印ある?
0189日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/14(木) 23:54:10.92
専門家が歴史学の役に立たないと判断するレベルの与太話を基に
歴史学のルールを無視した妄想全開の物語を捏造して
挙げ句の果てに専門家をバカにしたり陰謀論に走るのがトンデモじいさん
0192日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 01:20:18.31
>>186
これな
0195日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 03:14:05.12
細石神社に関しては誰一人>>169に答えられないわけだし>>172で終わってる(二度目)
0196日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 07:18:35.21
志賀島の金印は、どこかの姫が混乱の時代埋めたもので
細石神社にあった金印は親魏倭王の印だった


らおもしろいのにね妄想
0197日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 13:32:09.28
神社がどう認識していたかは誰も知らない。
ただ、発掘された遺跡と照らし合わせると、本来は三雲南小路遺跡の祭殿だったのだろうと考えるのが妥当。
それ以外に、あそこに神社を建てる理由がない。
なお、るな氏のブログを拝見すると、その参道は高祖山の日向峠を向いているらしい。
まあ、個人的には日向峠の上のクシフル山を向いているといった方が正しいような気はする。
0198日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 13:42:08.16
細石神社がクシフル山とどう関係するか。
三雲南小路遺跡2号墓の王妃が、細石神社が祀る木花咲耶姫なら、
1号墓の三種の神器を副葬された王は、三種の神器を持って筑紫の日向に降臨した邇邇芸になる。
そしてその邇邇芸が高千穂宮を構えたのがクシフル山とされている。
考古学的な年代的は漢委奴国王印をもらった頃であり、博多湾沿岸に倭国の王権が確立された時代となる。

これは、記紀神話に絶対的年代の指標を与えることになる。
記紀の日向三代が魏志倭人伝にある卑弥呼の前の男王の時代であり、
筑紫における政権交代と卑弥呼共立と並行して神武東征があり、畿内にも倭国大乱の余波として変革が生じたことになる。
3世紀に始まる畿内の変化もこれで説明が付いてしまう。
倭国大乱の後に三雲の隣に八咫の鏡とともに葬られた女王が卑弥呼であると考えるのが妥当だろう。
0199日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:06:28.17
なんだ思いつきから始まったファンタジーってことかよ
興味持って損したわ

>>195の言う通りでFAな
0200日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:21:12.09
スピリチュアルに感化された妄想ボーイの戯言でした定期
0201日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:31:39.47
金印、王墓(玉壁、三種の神器を含む)、日向峠に向いた神社などをどう説明つけるかの問題。
反論には対案を示してね。
0202日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:34:36.82
>>201
おとぎ話に対案なんてあるわけないだろマヌケ
0203日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:39:57.03
何をもっておとぎ話と言うのかな?
その定義は?
0204日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:47:13.98
>>201
金印との関連は横に置いとくとしても、8片のガラス壁と細型銅剣、?製の連弧文銅鏡はもっと注目されても良い遺物だとは思う
碧玉製勾玉が入ってた2号甕棺は時代が違うみたいだけど
0205日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 14:50:01.01
>>203
関連性を証明する史料や遺物がなければ、偶然の可能性を否定できないからお伽噺
現時点でいうと>>169の回答がないわけだから妄想の域を出ないわけで・・・
0206日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:19:48.46
三雲南小路遺跡が発掘された時点での神社の神主は遺跡の存在を認識していなかったというのが回答だろ。
口伝の詳細も、古田氏が聞き出したと言うことだな。
一つ目と三つ目の質問は同じに思える。
0208日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:24:23.50
>>206
この文盲っぷりは…
0209日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:27:18.57
実は昨日、九州国立博物館で三雲南小路遺跡の復元模型を見てきたのだが、王の頭の上に置かれた鏡は赤く塗られていた。
あれはそういう鏡が発掘されたということ?
0210日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:27:23.04
>>207
批判というか、現段階では人目に晒す段階にない状態だから、もっと下調べするなりして皆を唸らせてくれっていう叱咤激励なんだぞ
0212日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:29:47.67
神社の社伝については>>182で取り上げられているだろ。
0213日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:31:43.82
>>212
オカルトブログの一文がソースとか幼稚園児以下じゃないか…
もっとがんばれ
0214日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:33:18.45
気持ち良いからって鵜呑みにするのは阿呆
最低でも自分で検証するなりしてからが自説
0215日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:39:07.35
関連性を証明する史料や遺物がなければ、偶然の可能性を否定できないからお伽噺
現時点でいうと>>169の回答がないわけだから妄想の域を出ないわけで・・・
(本日二度目の叱咤激励)
0216日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:46:59.12
>>214
> 最低でも自分で検証するなりしてからが自説

良いこと言った
0217日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 16:50:11.04
>>206
お前は文盲過ぎる

その細石神社とやらに残ってる伝承?社伝?とやらの「詳細」を教えてくれ。←タイトル

気になるのは、その神社が1822年に土壁用の粘土を掘ってる時に偶然見つかった三雲南小路遺跡をどう認識してたのか。(ちなみに金印が発見されたのは1784年)←1点目の質問

金印に関する伝承?社伝?はいつ頃見つかったものなのか。←2点目の質問

また最古の出典はいつなのか。←3点目の質問
0218日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:11:59.62
Q1.
その神社が1822年に土壁用の粘土を掘ってる時に偶然見つかった三雲南小路遺跡をどう認識してたのか(ちなみに金印が発見されたのは1784年)。
A1.
235年も前に太閤検地で没収された土地だから忘れ去られていた。
没収された理由は天正年間には既に社殿もなく荒廃していた村社だから。

Q2.
金印に関する伝承?社伝?はいつ頃見つかったものなのか。
A2.
2013年に古田武彦氏が住人や神主から採録したというのが唯一。
史料は存在せず。

Q3.
また最古の出典はいつなのか。
A3.
古田に情報提供した大政就平氏がどこから得た情報なのかは明らかにされていないので不明。


2013年12月06日に投稿されたスピリチュアル系ブログと2014年10月16日に発刊された古田本以外のソースなしにより与太話確定。
0219日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:17:39.79
>>215
>関連性を証明する史料や遺物がなければ、偶然の可能性を否定できないからお伽噺

三種の神器は偶然とは言い難いな。
何か他の説明を示すならともかく。
0220日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:19:12.44
>>217
>その細石神社とやらに残ってる伝承?社伝?とやらの「詳細」を教えてくれ。←タイトル

おおい!
それがタイトルだと気がつく人間がどれだけいるんだよ!
0221日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:19:59.18
>>219
うん、だから頑張って自力でいろいろ調べて胸を張って自説だと言えるところまで煮詰めてから文字にしような
0223日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:36:03.33
>>219
人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
1号甕棺から連弧紋「清白銘」鏡と細型銅剣が発見され
2号甕棺から連弧紋「縁」鏡と碧玉製勾玉が発見された

1号甕棺の副葬品である連弧紋清白銘鏡は国産で、2号甕棺の副葬品である連弧紋縁鏡は前漢製
年代的には2号甕棺のほうが古いということ

年代の違う発掘物をゴチャ混ぜにして「三種の神器」と言うのは乱暴過ぎる
0224日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 17:57:46.29
>>223
三種の神器!三種の神器!って自信たっぷりに連呼するから同じ棺から出たんだと思ってたら違ったのかよw
0225日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:00:21.68
1号からも勾玉などが出ている。
三種の神器が揃うのは1号墓のみ、2号墓の被葬者は王ではない。
剣、矛などの武器は1号墓だけなので、2号墓は女性の可能性がある。
これが、王と王妃と考える理由。
鏡は伝世するので、年代の特定には十分ではない。
0226日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:01:49.97
2号墓の鏡は木花咲耶姫の嫁入り道具かもね。
大山祇から継承したものと説明できるね。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:06:29.70
>>225
人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
1号甕棺から出土した勾玉はガラス製
つまりイミテーション
碧玉製勾玉は2号甕棺からしか見つかっていない
0229日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:11:49.46
>>225
人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
> 2号墓の被葬者は王ではない。と断言できる考古学的発見は未だなされていない

人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
1号甕棺は高さ90cm開口部60cm
一方2号甕棺は高さ120cm開口部60cmと1号甕棺より大型
0230日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:17:58.78
大きい方が偉いという証拠は?
0231227-228
垢版 |
2019/02/15(金) 18:18:38.93
>>229
書き出し真似しましたw
三雲南小路遺跡は副葬品から王と王妃と推定するに留まってるようですが、性別鑑定はしてないってことなんですかね?
チビの王様とデカい妃のカップルだったんですかね
0232227-228
垢版 |
2019/02/15(金) 18:20:27.05
>>230
今のお前じゃ役者不足だから、ちゃんと勉強して屁理屈こねなくても反証できるようになってから書き込んだほうが良いぞwww
0233日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:39:33.72
>>230
人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
2号墓は盗掘の形跡があり刀剣は盗まれたという見解もある

人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
糸島市教育委員会は王妃を守るために王の剣と鉾を上に向けたので塚が高くなったという見解もある

人の書いた文章だけをアテにしてるから知らないようだが
2つとも王という見解もなされている

それが、2号墓の被葬者は王ではない。と断言できる考古学的発見は未だなされていないという事

>>231
遺骨から正確な性別鑑定は出来なかったので、上記のように大きい方が王で小さい方が王妃という見解もあるし、どちらも王という見解もある
これは銅鏡が舶来の2号と国産の1号をどう解釈するかでも意見が別れている


ただ、今の話題で確実なのは三種の神器は揃っていなかったという物証だけ
0234227-228
垢版 |
2019/02/15(金) 18:54:50.76
>>233
レスありがとです
三雲南小路遺跡のこと掘り下げて聞きたいんですが、ここは金印スレなので適所で質問したいんです
どこのスレがベストですかね?
0235日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 18:59:49.73
ここでいいじゃない
金印と関係あらそうだし
0237日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:10:32.81
(2007年11月07日 福岡コミュニティ放送 から)

「五方皆得の話」として古田説を展開されています。

井原・平原などの弥生遺跡(王墓)から出土したのではないか。
金印発見者が地域の神社の細石神社に納めたのではないか。

社宝が、何らかの理由で人手に渡り、売りに出された。
漢学者亀井南冥がそれを15両で買い取ろうとしたが、100両といわれ値が折り合わなかった。

福岡藩がそれを知り、金印の鑑定を、南冥と藩校の修猶館の両者にさせた。
南冥は、中国からヤマトノ国王に下賜されたものであり、出土の経緯を南冥が創作した。

修猶館側は、源平の壇の浦の戦いで安徳天皇が入水された折、紛失されたものが流れ着いたのであろう、とした。
南冥の方が理に適うとされ、南冥は面目を施し主催する学校、甘棠館(かんとうかん)の方の名が上がった。

藩は50両で買い上げ、天下の秘宝を手に入れることができた。
売り手は、おそらく20両くらいで、(社宝を)手に入れたのであろうからかなりの儲けになった

志賀島は那珂郡であり、郡役所の津田源右衛門も面目を施した
発見者とされた甚兵衛も白銀5枚?をもらえた。

このように関係5者がそれぞれ得をしたことになる。
0238日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:11:22.99
1587年に神田全没収されるくらい荒廃してて社殿もなかったのに、1784年まで宝物として保管してたってのは無理があると思う。
0239日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:24:12.26
>>237
それ元ネタは2001年に発刊された明石散人の「七つの金印 日本史アンダーワールド」というミステリー小説ね。
2007年から急に金印関連のミステリー小説やファンタジー本が増えたのは、2006年に発刊された「金印偽造事件 「漢委奴國王」のまぼろし」ってミステリー小説の著者が伝承文学の重鎮だった三浦佑之だったから。
0240日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:28:15.33
金印は偽物。

どこから出たことにするか、それが一番の悩みどころ。

仕方ないので志賀の島w
0241日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:30:02.03
ゴリゴリ利害関係がある細石神社説よりも黒田藩の記録として残ってる「一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存した」の方が普通に考えたら信憑性高いでしょ
志賀島にはワタツミと日本最古の海人族である阿曇氏を祀る志賀海神社もあるんだし
0244日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:39:26.68
>>241
そっちで考察したくても志賀島を拠点にしてた頃の阿曇族自体の記録が殆どないという・・・
0245日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 19:42:31.67
>>238
細石神社説の人は>>238の> 1587年に神田全没収されるくらい荒廃してて社殿もなかったのに、1784年まで宝物として保管してたってのは無理があると思う。
これをどう解釈するのか聞いてみたいではあるな
0246日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:10:04.68
志賀島のどこから出たのかと聞かれるとどこにもその場所がないというグダグダさ。
筑紫の日向の伊都から出ましたの方がまだいい。
倭国の王都なのだから。
0247日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:14:17.36
>>246
オカルト脳じゃない限り、根拠もなく伊都国にあった!証拠はないけどあったはず!とか言う与太話より
証拠はないけど海人族の本拠地だった志賀島に埋まってた!のほうが説得力を感じる
0248日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:16:11.46
戦国時代に文化的断裂があるのは確か。
それ以前は逆に神田を多く持つ明神社だったことがわかる。
おそらく南小路遺跡が出来た頃は地域でも有力な宮だったのではないか。
まあ、近くに高祖宮のような大社もあったから、筑紫全体のレベルの高さが伺える。
るな氏の記事にあるように、高祖宮からの御渡りもあったのなら、両社が所縁の深い古社だったということになる。
創建から千年以上の歴史の中で次第に衰退したのではないか。
何しろ主である邇邇芸がいたのは遠い神代になってしまう(金印拝領なら2世紀?)。
0249日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:16:37.31
>>246

>>169にも答えられず、>>238も反証できないくせに強弁し続ける姿勢が朝鮮起源説を吐きまくるチョンコにソックリ
0250日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:19:57.49
海人と天孫ではどちらが倭国の主流かという問題。
天孫降臨より前の時代に綿津見神、大山祇の時代があったと記紀は伝えており、どちらが金印に近い年代かという問題でもある。
綿津見神とは言うまでもなく志賀島の神、つまり支配者のこと。
いずれにしても、前漢後漢を通じて博多湾沿岸が倭国の王都であったことは間違いない。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:21:03.31
漢王朝と通じるための金印
漢以降の王には、保存する意味は無く唯の地金である。
神社なんて存在しない、漢代に志賀島に埋められたから残った。
倭奴国は、倭国大乱、漢代に滅びている。
0252日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:21:26.75
>>248
お前>>145で「信じるも信じないも自由。」って言っとるやん
俺達は全面的に信じられへんって姿勢を貫いとるんやから、もうここでその与太話を続けるのやめてくれんか?
正直目障りでしかないんよ
0253日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:23:45.36
>>250
俺は海人(アマ)族=天(アマ)族派だから志賀海神社に関連するって考えの方がしっくり来るな。
0254日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:33:36.01
海人族の墓地は石積で出来てるから
分かりやすいだろ
相島や遠賀川河口戸畑やしば島にあったのと同じ
海人族とおぼしき墓は九州北部から天草あたりまで
広範囲に見つかっている
 
0255日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:34:00.43
>>249
ここまで全反論されてるのに頑ななところも類似してると言える
0256日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:36:44.34
>>254
なんで急に墓地の話しし出したん?
0257日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:37:13.94
もともと海神も天孫も、筑紫の日向で禊をしたイザナギ大神の末裔なんだよ。
記紀では大山祇と邇邇芸の父親が従兄弟なはず。
邇邇芸と木花咲耶姫は又従兄弟と言うのか?
だからどちらも博多湾沿岸の王族どうしの婚姻なんだよ。
ただ、倭国を代表して後漢から金印を受け取ったとすると、男系の邇邇芸の方が可能性が高いかな。
そして邇邇芸と木花咲耶姫といえば、志賀島ではなく伊都の方だ。
伊都の高祖宮は細石神社の夫婦の子の彦火火出見(日向三代の二代目)を祀っている。
そのヒコホホデミの名を諱に継承した神武は、筑紫の日向を出て大和へ向かったとされる。
すなわち、神武東征は後漢代もしくはそれより後で、神武と卑弥呼は同世代ということになる。
鴨厨をはじめ、多くの人が神武は卑弥呼と同世代と推定しているのと矛盾しない。
0258日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:43:30.15
なにせ文字証拠のない時代の考察なんだから
考える人の洞察力とセンスが大事
反対派の人から見れば幾らでも文句も言える

いまだに邪馬台国は?畿内説九州説と言ってるのと同じ
0259日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:43:47.13
海神族とは豊国王家だよ。
はじめは博多湾沿岸にいたが、天孫族に圧迫されて志賀島から遠賀川に移動した。
ヒコホホデミも父に倣って豊玉姫を娶っている。
高祖山を挟んで東側の大山祇(海神、豊国王家)と西側の天孫族(筑紫王統、日向三代)の婚姻が古代倭国の主力構成だったのだろう。
紀元前の三種の神器の王墓は高祖山の東側にあったが、三雲南小路から後は高祖山の西側にしか三種の神器が出ない。
邇邇芸の降臨(天孫族の博多湾上陸)により、倭国の王都が伊都側に移ったと考えるべき。
後漢代以降は、伊都が倭の王都なんだろうね。
0260日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:45:05.40
>>258
記紀という文字情報があるんだよね。
考古学的証拠と何の問題もなく一致するのに、なぜ否定しなくてはいけないのか。
0261日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:49:28.90
>>257
お前>>145で「信じるも信じないも自由。」って言っとるやん
俺達は全面的に信じられへんって姿勢を貫いとるんやから、俺達の「信じない自由」を尊重して、その与太話を続けるのやめてくれんか?
正直目障りでしかないんよ
0262日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 21:53:39.56
金印スレで、金印がどこにあったのかを話しているんだろ?
0265日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:04:33.61
そもそも金印をもらってから卑弥呼の即位まで七十年くらいしかない。
その間に男王70〜80年と倭国大乱があった。
志賀島だろうが細石神社だろうが、博多湾沿岸が倭国の中心であったことに違いはない。
0266日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:06:29.08
>>265
誰もそこは否定してないだろ?
0267日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:09:58.33
王権が志賀島の海神から伊都の天孫族に移ったのなら、志賀島に金印があったらおかしいだろ。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:14:00.42
>>234
亀レスですまんが、三種の神器とか言い出したのを完全否定したかっただけで特段に三雲南小路遺跡を語りたいわけではないんだ
0269日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:33:54.90
金印の持ち主は誰かと言えば、倭王だろ?
倭王の象徴は三種の神器だろ?
何を否定するんだ?
0270日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:39:13.18
>>269
文盲は首突っ込んでくるな
0271日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:40:29.28
>>269
流れ読まずに口挟むお前の神経が理解できない
0273日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 22:53:34.99
>>272
古代史スレにチョンコは憑き物
0274日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/15(金) 23:41:39.42
伊都クズ=連続句読点=韓国人メンタリティ、フルボッコw

イメージでしか語れないw
0276日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 03:19:44.92
           (ヽ∧__∧
           、ヽ`∀´> <呼ばれて無いのに
            )   )つ     チョチョチョチョーン
            >⌒)ノ
            ゝノ/
   パカチョン    ノ~ノ
  /|     ///
  | |    ///
  | |ミ ///.
  |/ ̄    /
   " ̄ ̄ ̄ ̄
0277日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 08:16:25.24
>>265
>そもそも金印をもらってから卑弥呼の即位まで七十年くらいしかない。


卑弥呼即位2世紀末として150年近く経過。


>志賀島だろうが細石神社だろうが、博多湾沿岸が倭国の中心であったことに違いはない。


いや博多は防衛拠点である。
日本の都は出雲から畿内に移動してたことが分る。
松帆銅鐸など出雲から畿内への銅鐸拡散でそれが分る。
おそらくBC3世紀の始皇帝の秦の建国による恐怖心から遷都したのであろう。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 13:09:08.59
ウヨキチってチョンキチの捏造工作を暴く能力が高すぎて毎回感心する
0279日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 13:20:29.63
伊都クズが逃げちゃったのは反論できなくなったからなのか、チョンコだってバレたからなのか
どっちなのか気になる
0280日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 14:19:31.68
偽日本人(https://twitter.com/kojikinihonsyok/)の捏造活動を先回りしてご紹介

偽日本人のコピペ活動がコチラ
> >>1
> 京都の遺伝子データをとらない学会の闇
> https://twitter.com/kojikinihonsyok/status/1094972461815197696

で、リンク先の画像をGoogle画像検索にかけてみると・・・
https://i.imgur.com/zYmuEDA.png
トンスル臭すぎて笑うしかないwww

おそらく「ヒトモドキ視点からの古代史妄想(https://sites.google.com/view/jhistory/)」と同一人物
 
 
 
 
 
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0281日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/16(土) 16:50:09.00
>>277
>日本の都は出雲から畿内に移動してたことが分る。

日本の都は出雲から筑紫に移動したんだよ。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/20(水) 17:56:02.70
当時の技術力でノルマン・コンクエストみたいのは難しいと思うぞ。
瀬戸内海は大船団が進むには向かない狭い海だしな。
それに船の収容力はそれこそボート並だ。
九州から数千の兵力を運ぶのに、何百隻が必要な事やら。
行軍に陸路も使ったとしても、瀬戸内海沿いの国家は服従してなかっただろうし連携も取れない。
やはり東遷は考え難いがな。
0284日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/21(木) 02:18:14.08
その頃はまだ瀬戸内海沿岸に強い勢力はなかったんだよ。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/21(木) 02:22:38.81
日下沖で負けたあと土着と合流して勝ったんだから
最初の船での戦力は少なかったんじゃないの?
0286日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/21(木) 02:33:38.72
最後の決着は、饒速日(王)が長髄彦(将軍)を手打ちにして終わっただけで、戦闘に勝ったわけではないだろうね。
0287日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/22(金) 01:12:39.22
そういう大げさな出来事ではなく、九州から来た九州人と現地縄文人の軋轢と融和程度の話なのでは?
橿原遺跡だったっけか?
実際、神武天皇の宮があったと言われる辺りには大遺跡があるらしいしな。

その後、欠史八代と言われるプレ大和朝廷は唐古鍵遺跡、巻向遺跡と都を移して順調に大きくなっていったんだろう。
或いは両遺跡の間には断絶があり、欠史八代は大和朝廷以前の奈良の王なのかもしれないが。
0288日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/22(金) 02:06:16.72
>>283
毎年少しづつ移動し続けれは可能であったろう
馬を運ぶくらいの船はあったのだから
コリアンコンクエストのようなものが往古の昔にあったのではなかろうか
0290日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/22(金) 12:42:19.37
韓人、韓語、コリアン
この語を使う奴は基本的に嘘をつこうとしてる
0292日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/22(金) 22:43:38.55
こんなの有り難がってるから、未だに未開なハンコ文化なんだな
0293日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/22(金) 23:45:58.26
>>288
馬なんて溜まる前に現地人に奪われたと思うぞ。
それに、当時の半島に倭国を征服できるような政治勢力は無かったと思われる。
何せ、半島の南半分は部族国家が割拠していた状態らしいからな。
牛馬が存在している国家も無いではなかったらしいが、とてもじゃないがコンクエスト出来る兵力があるとは思えない。

唯一征服ができる国家としては高句麗があるが、高句麗はあまり海には興味が無いみたいだ。
事実、日本に攻められても反撃しようとは全くしないしな。
コリアンコンクエストは難しいと思うぞ?
半島南部は貧しく、尚且馬に乏しい場所だ。
あれは征服される場所だよ。
0294日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/23(土) 09:50:49.08
当時の韓人は下半身まるだしで統率の取れない「ならず者」と三国志に明記されてる。
0296日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 00:46:45.20
倭猿に文化を伝えたのにこの仕打ち
三国史記の新羅は辺境を侵され住民を拉致されてひどいものだ
0297日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 00:55:11.93
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0298日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 06:32:02.39
チョンコから学んだことは一度もない。昔の日本人は中国、インドから学んでいるので両国は理想の大国として美化されている。
0299日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 06:45:17.30
>>298
一度もないは言い過ぎ
主権を奪われることの惨めさは確実に教えてくれたでしょ
0300日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 07:18:43.15
おはようございます
質問してもいいですか
1)細石神社にあったとされる金印は、この金印だったのでしょうか?
2)国歌と似た歌を志賀島神社で歌うらしいのですが
どちらが古いんでしょうか 
0301日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 07:50:47.51
>>300

そもそも細石神社の社伝自体の信憑性が低い
詳しくは>>218参照

志賀「海」神社の神楽には安曇の名が含まれており、また安曇磯良を呼び出した神楽と考えられる
よって最古の出現は三世紀頃と推定できるが、確定できるだけの史料は存在していない
0302日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 07:59:00.83
戦国時代に没落した神社、貴族、名家などは数知れず。
しかしそれはそれ以前に権威があったかどうかには関係なく、むしろ室町期までは権威があった可能性がある。
あんなところにポツンと神社作られた理由は、三雲南小路遺跡を祀るためとしか考えられず、創建は1世紀頃と推定される。

戦国時代は日本の歴史において歴史の断絶を生んだ。
多くの史書、古書、文化財が失われ、古い歴史が闇に葬られた。
戦国時代以降に没落していたから云々は、なんの根拠にもならない。
0303日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:05:01.26
>>302
お前は元々文盲なんだから、ちゃんと理解できるまで何度も繰り返す読む習慣を身につけような

このスレで細石神社と三雲南小路遺跡が無関係だと主張してる者は一人もいない

しかし、神社が金印を宝物として保管していたという信憑性は極めて低い

そもそも金印を神社が保管していたとするなら、三雲南小路遺跡を掘り起こしたことになる
0304日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:11:32.49
掘り起こしたわけではなくても、もともと併設施設なら、保管していて当然だろ。
金印の年代と三雲南小路遺跡の年代はほぼ一致するわけだし。
神社もその頃からあって、神宝として伝世指定というのは、あり得なくはない。
被葬者が亡くなっても、国璽として金印は使い続けなくてはいけないからね。
おそらく、卑弥呼が最初に魏に国書を送るときも、それが倭王からの国書であることを示すために漢委奴国王印で封泥して送ったはず。
神宝としていた可能性が低いというのはどこから出たんだ?
そもそも新参者と思われる>300に概要がわかるようにレスしただけなんだが。
0305日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:38:19.89
>>304
GOLDの年代測定なんてできる技術は2019年の時点では存在しないよ?未来から来たの???
0306日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:38:57.63
>>304
結局お前の妄想でしかないってのは分かった。
0307日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:41:31.35
金印は西暦57年に漢の光武帝から送られたものなので、年代が明らかなんだよ。
0308日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:43:45.09
>>307
あーなるほど失礼した
0309日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 08:52:12.99
>>304
> 被葬者が亡くなっても、国璽として金印は使い続けなくてはいけない
漢委奴国王の死亡後に誰かが漢委奴国王になりすましたってことか?
通常は前王が死亡したら新王がその旨を中華王朝に伝えて新たに国王任命を受けるんだが
0310日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 09:01:22.31
>>302
古田が聞き取りしたという「お侍さんが持ち出した」がいつのことなのかが分からんから信憑性がない。
>>218が指摘しているように16世紀には細石神社の社殿すら残っていなかったのだから、持ち出したのが事実とするならそれ以前ということになる。
5世紀も前のことを地元住民が先祖代々口伝していたというのは非現実的すぎる。
まして現在の社殿は明治に再建されたもので、宮司もその時に就任した家なのだから4世紀も断絶していた口伝が残っていたというのは無理がある。
0312日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 09:16:18.21
出土状況が石の下からなんだから神社保管は無い。
神社に副葬品は持ち込まないし、神社からなら移動させる理由は無い。

漢時の帯方郡と交易し、漢以降に死んだ卑弥呼の前王の墓だ。
大乱で糸島や奴国から香椎方面に、追いやられていたかもしれない。
親魏倭王の印で、漢の印は不要になった訳で、卑弥呼の墓でも良いんだぞ。

江戸時代に既に農地化していた盗掘後の墳墓と考えるのが当然。
金印は装身具と違うので埋蔵の方法の違いで残った。
0313日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 09:31:31.24
>>311
ソースきぼんぬ
0314日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 09:41:23.25
三雲南小路遺跡の祭祀構造物が発展して社となったのは間違いないと思ってはいるんだが
荒廃していくにあたって何らかの記録を残していてしかるべきなのに、それがなく社伝と口伝しかないってところに怪しさを感じていた

ググってみても>>311の言う縁起書なるものが見つけられなかったんだが
太閤検地から100年後であっても、4世紀も断絶していた社伝や、地元住民から聞き取りされたという5世紀も前の口伝よりはよっぽど信憑性を感じる
ぜひソースを明らかにして欲しい
0315日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 09:44:00.34
「元禄くらいの縁起書き」ってのは、文盲ボーイが苦し紛れに吹いたホラ説が濃厚
0316日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 10:05:50.61
>>301>>304ありがとうございました
もしかしたら国歌は志賀海神社の歌が
原型なんですかね?
0317日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 11:42:10.91
>>310
古田が聞き取りしたのは神主から聞いたんだよな それがそもそも間違いだ。
神主て奴は何を聞かれても知らないとは言わない その場で作り話しゃべるんだ。
神社は古事記神話でできとる お祓いとか売らないとか幻想で商売やる 神主の頭は
作り話でできとるから 昔の事聞かれても 分からない 知らないとは言わない
その場で思い付きの作り話しゃべる   歴史的な調査で神主に話聞いてはいかんのだよ。
0318日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 15:26:07.72
>>312
>出土状況が石の下からなんだから神社保管は無い。
>親魏倭王の印で、漢の印は不要になった訳で、卑弥呼の墓でも良いんだぞ。

出土状況そのものに疑義があるんだよ。

>>314
>荒廃していくにあたって何らかの記録を残していてしかるべきなのに、それがなく社伝と口伝しかないってところに怪しさを感じていた

荒廃するから記録なんて残らない。
戦国時代はそれまであった記録すら大量に失われた。

眉唾な話なのは確かだが、そうであってもおかしくない状況でもあり、一概に否定はできない。
それよりも、顔を真っ赤にして否定する人がいると、実は真実を含んでいるかも知れないと思ってしまう。
0319日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 16:41:21.76
漢の金印は220年まで有効
この出土地域では190年から247年まで王は卑弥呼
卑弥呼の王都が三雲に繋がるのは時系列が逆、というか過去の王墓だろ?

卑弥呼に金印が渡っていないなら、
漢から金印を受けた倭奴国は滅びている。

三雲や春日が、倭奴国として150〜190年の大乱で消えた国であるかもしれないが
であれば、卑弥呼が大和朝廷に繋がる倭王というほどのもんじゃない
という事実を、畿内説九州説にかかわらず、理解すべきなんじゃないのかな?
0320日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:10:57.51
結局、>>311の「元禄くらいの縁起書きが残ってるのすら知らなそう」は嘘の作り話だったってことで細石神社ネタは終了な
0321日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:22:59.75
>>319
卑弥呼が魏に国書を送った時、どうやって倭王からの国書であったことを証明したのか。
もちろん、日頃から交流があった帯方郡の口添えもあっただろうが、おそらくは漢の時代の金印を使ったのだろう。
魏は漢から禅譲を受けて、その外交関係を継承していたので、漢の金印は魏に対しても有効であるというのが外交プロトコルとなる。
そして魏は改めて親魏倭王の金印を与えたと考えるべきである。
つまり、卑弥呼がいたのは博多湾沿岸である。
0322日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:25:36.65
>>316
一つの説として検証する価値はあるかもねくらいに考えてたほうが良さそう。
0323日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:25:38.65
三雲は4世紀や5世紀の遺跡も出るので、王都ではないとしても、旧都として存在していたのだろう。
春日に発生した三種の神器を奉じる一族は、伊都から大宰府を経て、紆余曲折を経て現在に至るのだろう。
0324日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:26:55.00
改めて金印を与えたなら漢の時代の金印は回収になるんですが
0325日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:28:25.28
>>317
細石神社関係者から聞き取りしたとされる社伝が「細石神社は金印を祀ってた」
地元住人から聞き取りしたとされる口伝が「お侍さんがどこかに持っていった」
0326日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:31:23.63
>>318

黒田藩の公式記録そのものを疑ったら根拠なんて存在しないことになり、残るのは妄想だけになってしまう

>>314が言ってるのは、本当に千年単位で金印を守ってきたのなら戦火で焼失する際など荒廃する前に何らかの形で記録を留めたはずなのに、その痕跡がないことを指摘してる
0327日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:32:05.04
君が代だいは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身み骸がいに命いのち 千せん歳ざいという

花こそ 咲いたる 沖の御おん津づの汐早にはえたらむ釣つる尾おにくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで

今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ

いるかよ いるか 汐早のいるか 磯いそ良らが崎に 鯛釣るおきな

― 山誉め祭、神楽歌
0328日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:32:43.49
>>324
倭王と倭国王は立場が違うだろ
0329日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:34:48.30
>>326
荒廃したから記録がないんだろ?
社殿ごと消失したのではないか。
そのとき金印がどう保管されたのかはわからないが。
0330日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:35:04.18
>>328
間違えた
倭王と委奴国王は違うだろ
0331日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:35:16.79
>>329
文盲
0332日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:35:52.92
九州倭国の金印
0333日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:37:19.79
白村江の戦いの敗戦で新羅や唐の軍勢が博多湾に上陸
九州倭国は滅亡して当時の王が神社の中に隠匿した
0334日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:41:39.86
>>329
細石神社の焼失は戦によるものと分かってるんだから、関係者は当然避難してるはず
千年もの長きに渡って金印を守ってきた自負があるなら避難前に何らかの痕跡を¥残すはずだろうし
それが叶わなかったとしたら避難先で記録することもできただろう
まして現在の細石神社の宮司家と消失前の宮司家は何の血縁関係もない=前宮司家は断絶してるわけで、だったら尚のこと先祖の偉業を記録してるはず

そういった記録がないことと戦火でそれまでの記録が失われることは全く別の話
0335日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:43:07.33
>>321
倭人伝に書いてあるだろ? 漢字飛ばして読んでんのか?
景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏将送詣京都

238年は楽浪帯方を奇襲で占領した年。 公孫氏はまだ遼東にあり交戦中。
卑弥呼が新太守の祝賀の挨拶で朝貢は早すぎる。

帯方太守が半島安泰の為味方を作りたくて、
早とちりで、公孫氏と交流のあった、九州筑紫王を、
魏の軍船で洛陽に運び、倭王遣使として紹介したんだよ。

金印国書なんて、洛陽へは公孫氏が蓋してたし、
漢の倭奴国が大乱で滅びてる可能性は、金印の出土状況から極めて高い。
0336日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:43:17.15
>>333
半島西部で局地戦やってただけで敗軍を追撃した記録なんてこの世には存在してないんだから、それは完全ある妄想。
0337日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:46:00.57
白村江の敗戦で百済の庇護を失った九州倭国に
戦勝の勢いを買った新羅と唐の連合軍が進撃
玄界灘を渡って博多湾に大軍が上陸

急襲を受けた九州倭国の王は王権の根拠たる金印を
神社の神宝として隠匿して防戦に励むも敗戦により
九州倭国は滅亡する
九州は新羅と唐の占領軍の統治下に置かれて一大卒
つまり筑紫都督府が太宰府に設置される
古代半島に前方後円墳を作った勢力は完全に消滅した
0338日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:46:04.94
>>335
いつから王自ら出向けるほど航海技術が大発展したんだよw
東アジアでの帆船の発明は唐代以降だぞwww
0339日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:46:53.04
>>337
民族的願望にまみれた空想は他所のスレでやれよ
0340日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:47:32.41
 ////////, ''"    ヽミ川川
 |//////, '"       ',川川
 川/////, '",,,,,,,,,,,,,,,,    r''"',川||
 川f 川f´           ,ィ::ラ',川  やだっ…チョン臭い …
 川ヘ  |    弋て::>     ̄  ',リ
  川 ヘ.__           ヽ /7!  
  川川 ヘ     _,. '-‐''"´y'  //
   川川リヘ , '´   __,,,/  / /
   川川川|/   '"´   , '´ /||
   川川川|           /川
0341日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:48:17.67
>>328
当時においては区別はないよ。
三国志とか読んでごらん。

>>334
>まして現在の細石神社の宮司家と消失前の宮司家は何の血縁関係もない=前宮司家は断絶してるわけで、だったら尚のこと先祖の偉業を記録してるはず

断絶したら文書だって残せないだろ。
0342日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:48:20.35
【捏造中】 トンスル妄想ファンタジー 【創作中】
          __
        /  ../)
        三三)/) 根拠なんて要らないニダ
  __    三三)/           __
/  ../) ウリたちが起源ニダ♪   /  ../)
三三)/)   ∧_,,∧   ∧_,,∧   三三)/)
三三)/   < `∀´>  <`∀´ ;>  三三)/ 百済もウリナラ
ニダ ∧_,,∧ と  φ)  (つ φ)  ∧_,,∧ 新羅もウリナラ
  < #i!`Д>/⌒/⌒/ ̄/⌒/⌒/ ̄<田´#>  /  ../)
  / _∧_,,∧口  ∧_,,∧ ⌒   φと_   ヽ  三三)/)
  (/<   `>口 <   #>φ/⌒//(__ム  三三)/)
 ‖ ̄(l    ノ  ̄(   ノ ̄ ̄ ̄||       三三)/
  __`ー‐' ニダ `ー‐' 任那日本府は感情的に
/  ../)       __    受け入れられないニダ!
三三)/)     /  ../)
三三)/)     三三)/) 〃∩ ∧_∧良い感じニダ♪
三三)/      三三)/  ⊂⌒< `∀´>
                  `ヽ_っ⌒/⌒c
0343日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:49:09.35
>>341
文盲レベルが斜め上過ぎて話にならんな
0344日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:50:07.33
>>341
バカなのか?倭の王と委奴国の王は違うだろ
むしろなぜ同じだと思い込んでるのかを明らかにしてくれ
0345日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:50:53.63
 ウェー、ハッハッハ !!!     ウェー、ハッハッハ !!!    ウェー、ハッハッハ !!!
     ┼    +   +    *   ┼    +   +  *
           (´\r-、    +    /`/`)    +
        ┼   (\. \!   *    // ,/)  *
     +     * (ヽ、   \     /   /)     +
         ⊂ニ      ) + (      ニ⊃   *
    *   +  ⊂、 捏造 (   ノ 妄想  ⊃   +   *
            (/(  ∩∧_∧∩  )\)  ┼
       +        (/  |<*`∀´*>|  、)ヽ)  +   ┼ *
         *     (/' 〉    〈./、)、)´ +   *
                し――-J
0346日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:51:30.54
>>333
白村江の戦いで筑紫の君は前線にいて捕虜となり、唐に8年に渡り抑留された。
その間に唐は大宰府都督を設置し、二千人の人員を送り込んで倭を統治した。
戦闘は白村江で終了している。
0347日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 18:57:53.63
九州倭国の存在は天皇家の一元支配の歴史を突き崩す
ネオコン追従の右翼的資本主義者には都合が悪いのだ
0348日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 19:06:14.62
>>341

>>334へのあんたのレスだが、だったら現在の宮司が古田に語っとされる社伝はなんなんだって話なんだよ

社伝も焼失するほど荒廃し、避難先の記録もなく、宝物を祀ってた記録も残せないほど没落したはずなのに、300年後に神社庁から派遣された神主は社伝を知ってたっていうミステリー
0350日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 19:19:08.96
元禄の縁起書きはどうなったんや?
0352日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 19:43:12.61
>>344
倭奴国王の権威はそのまま倭国王に継承されただろう。
ただ、王統は少し違うかもしれない。
中国から見たら同じこと。
金印を手に入れた者が結果的には倭王となった。
0353日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:20:34.46
>>336
追撃は妄想
なぜならほぼ壊滅したから

水運により栄えた倭国にとって、制海権の喪失は致命的だった
しかも筑紫の君(倭王)が抑留された
もはや国体は維持できなかった
0354日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:24:19.22
唐は結局、半島・列島の主要国をすべて滅ぼしてしまう。
都督府制度は唐が周辺の国々を征伐した後、征服した国に設置した統治制度である。

百済には熊津都督府
倭には筑紫都督符
新羅には鶏林州都督府
高句麗には安東都護府
0355日本@名無史さん
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2019/02/27(水) 20:25:20.22
唐は結局、新羅以外の半島・列島の主要国をすべて滅ぼしてしまう。
都督府制度は唐が周辺の国々を征伐した後、征服した国に設置した統治制度である。

百済には熊津都督府
倭には筑紫都督符
高句麗には安東都護府

被制服地にはこれらがおかれた

なお形だけ服属した新羅には、鶏林州都督府が書類上設置されている

大和は九州倭国の政治的権限を何一つとして継承していない
0356日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:29:07.50
>>353
壊滅したソースは?
ないならトンスルファンタジー定期
0357日本@名無史さん
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2019/02/27(水) 20:30:44.45
チョンキチもウヨキチも金印の話できないならチョンコスレに帰れよ
0358日本@名無史さん
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2019/02/27(水) 20:37:27.20
>>327ありがとうございます
初めて知りました
勉強なりました
0359日本@名無史さん
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2019/02/27(水) 20:41:58.32
問題は、いつの時点で伊都から大宰府に遷都したかだが、個人的には狗奴国を統合した壹與の時代ではないかと思う。
だから魏志倭人伝の時点ではすでに倭の王都まで一万二千里で良くなっていたが、中国側に詳細な情報が来ていなかったのだろう。
だから、伊都国までは一万五百里で終わってしまう。
大宰府に遷都する時には親魏倭王の金印があるから、漢委奴国王印は置いていってもいいわけだ。
0360日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:48:40.17
ひとつだけもう一度質問してもいいですか?
細石神社にあった金印と志賀島で発見された金印は
同じ物だったのでしょうか
もしかしたら違う金印とは考えられないでしょうか

スレを読んで思ったのは
細石神社から金印をもって行った侍が
金印を埋めるでしょうか?
食いつめた侍なら売らないかなあ
0361日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:59:07.82
>>360
細石神社が三雲南小路遺跡の関連施設だということは否定できない事実だと思うが、金印云々に関してはオカルト系と捉えたほうが健全な思考だと思うよ。
>>348のまとめが全てだと思う。
0362日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 20:59:12.59
ていうか、金印が出てきたときに細石神社はなんで何も言わなかったのかと
0363日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:03:21.75
>>360
仮にお侍さんが持ち出したとするならそれは1,500年代。
500年も前の断絶した神社の由縁を地元住人が口伝し続けていたというのは流石に非現実的過ぎると思わないかい?
もしそんな奇跡があり得たとするなら200年前に土壁の材料として採掘なんてしなかっただろうし。
0364日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:04:22.57
>>362
細石神社の金印ネタは近年のスピリオチュアルネタか古田の誘導尋問としか思えない
0365日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:05:09.50
だって、細石神社の意向で、志賀島から出たことにしたという口伝なんだもの。
そして志賀島のどこから「出た」のかは今だに不明。
0366日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:05:51.37
>>362
その頃に細石神社はなかったから
太閤検地の時点で何一つ残ってなかったんだから関係者一族も生き残ってなかったんだろう
0367日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:06:50.44
>>365
口伝と社伝をごっちゃにするなよ
社伝は金印を守ってた
口伝は侍が持ち去った
0368日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:07:36.58
>>365
ソースある?(本日二度目)
0369日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:16:45.21
元禄8年(1695年)に「細石神社御縁起」があるということは、その頃には再建されてたんじゃないの
0370日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:17:06.33
>>365
その当時に細石神社は存在してなかったのに???
16世紀後半に消失し、19世紀前半に住人が土塀用に粘土掘り出すまで完全に忘れ去られてた土地なんだが???
0371日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:21:37.01
>>369
ま、まさか・・・ソースが出てこない「縁起書き」って「筑前國續風土記」に記載された「細石神社御縁起」のことだったのか?!
そこに社殿もないので太閤検地で田を没収したと書いてあるんだぞ!?
0372日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:36:46.12
近所の人が、「境内には蹲がある。文政十一年(1829年)に筆者と同名のご先祖が奉納したものである。」とあるな。
この頃、境内はあったわけだ。
金印発見は天明4年(1784年)?
http://www.ito.town/blog/131/
0373日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:43:32.07
幣帛料供進指定社。
大字三雲字ヤリミゾに在り。
祭神木花咲耶姫命、磐姫命。
祭日旧九月二十六日。高祖宮縁起に高祖明神は彦火火出見尊なり。
其村に近き三雲村に御母木花咲耶姫を崇め祭る。高祖社に対して東向に御社を作り、姉姫磐姫をも相殿に祭ると記せり。
神体は小石の由云へり。
故に佐々礼石と称せるなるべし。
古は神田も多く、神人も十二家(村中に十二棚とて小祠或は森など所々にあり。是昔祭祀の前に神人斎戒中別居せし所と云ふ。
三所は郡、一所は福籠、八所は本区)ありしが、天正十五年太閤秀吉に神領を没収せられ、昔祭日にありし流鏑馬も中絶し馬場の境も知れざりしを、
寛永の末村長(大原金左衛門)社前の圃を以て馳道となし旧例の流鏑馬を再興せし由なるも今は無し。
大正十二年十月四日幣帛供進社に指定せらる。

糸島郡誌
0374日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:43:37.93
元禄に縁起があったというなら、そのころまでには復興していたという設定なんだろ
しかし、過大にでも由緒があるように書かれるべき縁起には金印のことなど書かれていないみたいだ
書かれているなら、古田信者が嬉々として持ち出してくるはずだからな
0376日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 21:55:57.37
>>372
わざわざ自分のご先祖様が奉納した蹲があったって記録してるってことは三雲南小路遺跡発見後に調査した結果だろう
再興してたんなら1822年に社殿裏の土地を掘り返したりできないはずだし
0377日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:00:32.01
各々が色んな話を持ち出してるから混乱してくる

だれか細石神社と金印の年表作ってくれないか?
スタートは三雲南小路遺跡の祭祀設備ってとこからで良いから
0378日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:02:04.87
>>376
うん、雑木林を探索したらご先祖様の名が刻まれたツクバイ(手水舎か?)が見つかったって感じだろうね。
0379日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:13:33.92
三雲南小路遺跡と細石神社は100mくらい離れてるぞ、道路の反対側だし
0380日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:22:55.89
細石神社と三雲南小路を結びつけようとするのがダメなんだな
0381日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:27:41.02
流鏑馬ができるくらい所領は広かったらしいから、100メートルは境内だな。
0383日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:36:47.29
そもそも
・金印が細石神社にあった
→歴史学では相手にされないレベルの噂話
・細石神社は三雲南小路遺跡の拝殿だ
→歴史学・考古学的根拠なし
・金印は三雲南小路遺跡から出土したものだ
→歴史学・考古学的根拠なし
・三雲南小路遺跡は夫婦の墓だから、細石神社祭神の木花咲也とその夫である彦火火出見の墓だ
→超がつくほど飛躍した論理
なのに、循環論法よろしく、関連付けて主張してる奴がバカなだけ
0384日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:40:48.38
追い込まれると、伝統ガー、文化ガーとか言い出すくせに
神社が自ら主張してる伝統の内容は簡単にねじ曲げるもんな
>>伊都クズ
0385日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:43:35.78
じゃ細石神社ネタはこれで終了ってことで
0387日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:52:24.49
>>386
文盲には「広がった」と>>381に書いてあるように読めるんだなマヌケ
0389日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:56:55.80
もう細石神社ネタはお腹いっぱい
以後は却下で
0390日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:57:55.23
>>388
流鏑馬を執り行うにはどのくらいの広さが必要なのかを考えれば広かったに決まってんだろマヌケ
0391日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 22:59:28.46
「広がった」なんて書いてないよ。
太閤より前の時代に流鏑馬をやるくらい神領が広く、その中に三雲南小路遺跡があったんだろ。
0394日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:02:09.27
「昔祭日にありし流鏑馬も中絶し馬場の境も知れざりしを、寛永の末村長(大原金左衛門)社前の圃を以て馳道となし旧例の流鏑馬を再興せし由なるも今は無し。」
とあるな、寛永(1624〜1645年)の頃には細石神社は再建されてたわけだ。
https://jinja-sanpaicho.com/jinja/jinja.php?id=0236
0395日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:03:33.55
紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡、あわせて細石神社の原型が成立か
建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

天正15年(1587年) 荒廃したため太閤により細石神社の神領没収
寛永年間(1624〜1645年) 細石神社の再興
天明年間(1781〜1789年) 志賀島から金印発見
0397日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:05:56.79
>>395
再興したのは対象に入ってから
サラっと嘘をつくな
0400日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:13:13.05
「大正十二年十月四日幣帛供進社に指定せらる。」
郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社のこと

再興と何の関係もない
0401日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:15:19.91
「【由緒】 当社は中古九州兵乱に焼失、神田不貢哀頽す。明治五年十一月三日村社に定めらる。」
0402日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:18:27.16
ざっくり流鏑馬を実施してる福岡県内の神社をGoogleMapで調べ、それぞれ流鏑馬を実施してる土地面積を調べてみたぞ

田川鶴岡八幡宮 流鏑馬場1,700平方メートル
現人神社 参拝者駐車場1,350平方メートル
飯盛神社 流鏑馬場4,000平方メートル
住吉神社 表境内700平方メートル
香椎宮 催事会場5,000平方メートル
風浪宮 祭祀場650平方メートル
宗像大社 第3駐車場2,000平方メートル

最小が700m2(212坪)で最大が5,000m2(1,500坪)

流鏑馬ができたんなら結構広い神社だろうな
0403日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:20:31.23
不貢を哀願してるってことは、藩か別の領主の年貢地てってことだな
少なくとも神社の所領というレベルではない
0405日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:21:57.60
>>398
神社自体が再興されてりゃ境内でやりゃ良いのに、わざわざ田を潰してはぜ道にしたと明記されてる
神社再興のために流鏑馬を行ったが再興できなかったと読むのが普通
0407日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:23:12.17
明治初期に村の鎮守に定められたんだから、江戸時代に再興されていたのは確実
0409日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:24:52.60
>>348の> 社伝も焼失するほど荒廃し、避難先の記録もなく、宝物を祀ってた記録も残せないほど没落したはずなのに、300年後に神社庁から派遣された神主は社伝を知ってたっていうミステリー

これで終わりだろ
0410日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:27:31.36
この状況を理解できない伊都クズが、ひとりで、しかも明後日の方向で頑張ってる
0411日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:28:06.33
少なくとも1822年に土塀のために土地を掘り返えせるほど何もなかったのは確実だし
1829に先祖が奉納したツクバイが再発見されるほど雑木林だったことは間違いがない
0412日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:30:03.04
1587年に年貢逃れのために神田としていた三雲を検地し、社殿が喪失していたことも明らか
0413日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:30:09.09
太閤により細石神社の広大な神領を没収され、江戸時代の再興時には既に流鏑馬をやるほどの境内はなかったわけだね
0414日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:31:46.15
伊都クズちょっと神主に直接聞いてこいよ
それが一番確実だろ
0415日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:32:05.83
実は、細石神社が退転していようがいまいが、
金印の話の学術的価値に何の変化もないことは、
伊都クズには内緒だw
0417日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:33:37.65
>>413
何が何でも江戸時代に再興したことにしたいようだが、1822年に社殿がなかったことは明らかだし、1829年に手水舎が再発見されてるということは林になっていたことは確実
0418日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:34:39.63
>>416
無理があるだろw
300年も存在してなかった神社の伝承を何の目的で代々受け継ぐんだよwww
0419日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:36:04.94
>>416
古田が神社関係者から聞き取りしたと主張してる社伝と、地元住人から聞き取りしたと主張する口伝を混ぜるな
0420日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:38:26.60
自分の家は卑弥呼の時代からの口伝があるって本出した宇佐の人がいたなw
0421日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:39:40.44
1829年に手水舎が再発見されたんじゃなくて、その年に奉納してるんだぞ
おまえは林に奉納するのかw
0422日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:43:05.82
社伝口伝言ってる奴は
ドゴン族の神話から何も学んでいない
ただのバカ
0423日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:43:14.24
>>395
> 天正15年(1587年) 荒廃したため太閤により細石神社の神領没収

これはちょっと違う、
神田として年貢逃れをしている地域が三雲にあったから検地した。
神田の根拠がなかった(すでに神社が存在しなかった)から没収し、福岡藩の石高に組み込まれた。

おそらく16世紀初頭から既に失われていたのだろう。
0424日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:46:48.36
>>421
オカルトネタだからリンク先ちゃんと呼んでなかったわwww
1822年には雑木林だったが、1829年には再興してたってことだな
失礼した
0425日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:48:30.03
寛永年間(1624〜1645年) 細石神社の再興
元禄八年(1695年)     細石神社御縁起
天明年間(1781〜1789年) 志賀島から金印発見

ここまでは判明
0426日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:51:38.25
金印と細石神社の関係にはなんの歴史的根拠もないんだな
0427日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:52:48.86
>>425
強情だな。
再興は三雲南小路遺跡発見後の1829年あたりだろ。
風土記に縁起が書かれた理由と再興は無関係だ。
0428日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:55:00.79
>>427
根拠なし

なんで縁起が、神社消滅後何百年も経っていきなり作られるのかw
0429日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:56:36.55
現在の細石神社と同じ向きだったなら三雲南小路遺跡はモロに参道
そんなところから土塀の材料を取るわけがない
よって1822年には地元民が社の存在すら忘れていたと見るのが正常思考
0431日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:59:20.17
縁起ってたいてい時代を遡らせるからなぁ
縁起収録の風土記編纂時でしか時間軸に位置付けられない
0432日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/27(水) 23:59:55.84
>>428
いや逆だろwww
ご縁起が書かれたことと神社存在の根拠になり得ない
むしろご縁起が筑紫国風土記に残し、怡土郡誌が孫引きした理由は忘却しないためでしかない
ご縁起とはそういうもの
0433日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:01:07.66
>>430
お前が見ろってwww
直線距離で70メートルだぞ無能wwwww

まさか現代の道路が当時も道だったとか言い出さないよなwwwww
0434日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:02:45.62
もうさ、細石神社のスレ立ててやるからそっちで独演会やれよ
こんだけ非科学的だと完全論破されてるのに強情張り続けられたら議論ではないからな
0435日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:03:53.39
スレタイは
【金印】細石神社を語るスレ【三雲南小路遺跡】
で良いか?
0436日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:04:24.65
それを無視していたるところで妄想を垂れ流してるから伊都クズなどと呼ばれるわけで
0437日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:06:29.17
細石神社の参道は東の日向峠を向いているんだろ?
誰かブログにアップしてたな。
三雲南小路遺跡は反対側の西にある。
参道を通って、神社の拝殿に遥拝すると三雲南小路遺跡に向かって頭をさげるわけだ。
その拝殿の裏手で土を掘っていたアホがいたわけだが。
0438日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:07:31.57
>>435
伊都国スレがあったはずだから、
新スレ立てずにそっちに誘導したら?
0439日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:08:27.31
紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡、あわせて細石神社の原型が成立か
建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜
古来より高祖神社から渡御あり

天正15年(1587年) 荒廃したため太閤により細石神社の神領没収
寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が細石神社の神事の流鏑馬を再興
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
天明年間(1781〜1789年) 志賀島から金印発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社
0441日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:19:48.30
『細石神社御縁起』(大神氏蔵)は、元緑八(一六九五)年、村山正貞があらわした。
「天正十五(一五八七)年豊臣秀吉公九州の乱をしづめ給ふ折から、故なく当社の神田をも没収し給ひ。広麗なる御社にて、神事祭礼もことにいかめしかりける。」
0442日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:27:32.05
伊都クズの願望を排除するとこうなる


建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり

天正年間(1573〜1586年) 戦火により焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる

寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず

元禄8年(1695年) 筑紫国風土記に細石神社御縁起が記載

天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見

文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
文政12年(1829年) 奉納された手水舎により神社の実在が確認できる

明治5年(1872年) 村社

大正12年(1923年) 幣帛供進社
0443日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:29:09.87
村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施した=神主不在=神社はなかったの動かぬ証拠だろ
0445日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:33:07.13
>>443
神事を神職ではなく村長が開催したのは村おこしと言うか神社再興(ふたたび神田として年貢逃れを画策)のためだろうね。
0447日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:36:27.77
>>443
神主がいないのと神社がないのは違うぞ。
神主がいない神社なんていくらでもある。
地元民がお参りしているだけの神社。
0449日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:38:11.20
>>447
アホ
現代と江戸時代を同じだと思うな無能
0451日本@名無史さん
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2019/02/28(木) 00:39:42.67
>>447

読みたくないだろうが>>445を5回くらい読み返したら二度と細石神社ネタを書き込む気は失せると思うよ。
0453日本@名無史さん
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2019/02/28(木) 00:41:16.08
>>451
それが理解できないから各所で伊都クズと罵られてるんだよなぁ・・・
0454日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:42:05.38
>>445
実際に神田であったものを、「故なく」太閤が没取したと神社側は反論しているみたいだね。
他の神社でも、戦国時代に神田を失ったり宮司が途絶えたところは多い。
0455日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:43:17.64
>>447
それは神社とは言わないな祠だホコラ、百歩譲ってお社だオヤシロ
ただ、ホコラやオヤシロじゃ年貢逃れできないから何としても神社を建立したかったってのが大原村長の願いだったんだろうよ
0456日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:45:06.58
>>454
ソースある?
社殿が残っておらず再建もかなわない状態で「故なく」と反論してる神社側とは一体誰なのか興味がある。
0457日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:47:08.27
>>454
宮司家が途絶えてんのに明治期に派遣されてきた現代の宮司が断絶前の社伝を知っているところが
本件最大のミステリーなんだと何度言えば理解できるのか・・・
0458日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:49:02.30
>>455
これだろ
長年に渡って年貢なんて収めたことがない三雲集落にとって筑前に米を取られるのは大変な負担だったに違いないだろうな
0459日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:51:08.37
『細石神社御縁起』(大神氏蔵)は、元緑八(一六九五)年、村山正貞があらわした。
「天正十五(一五八七)年豊臣秀吉公九州の乱をしづめ給ふ折から、故なく当社の神田をも没収し給ひ。広麗なる御社にて、神事祭礼もことにいかめしかりける。」
0460日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 00:56:43.02
>>456
伊都クズじゃないけど、おそらくコレだな

元緑八(1695)年、村山正貞があらわした『細石神社御縁起』(大神氏蔵)に「天正
十五(1587)年豊臣秀吉公九州の乱をしづめ給ふ折から、故なく当社の神田をも没収
し給ひ」と記し、それ以前は「広麗なる御社にて、神事祭礼もことにいかめしかりけると
述ぺている。だが、それ以前のことは皆目わからない。現在は三雲部落の氏神としてあが
められているだけで、他地方の人が足を向け参拝にくることは、ほとんどない。
http://snk.or.jp/cda/kodaikyushu.pdf

個人的にはこのシニアネットという老人向けサービスに寄稿されたPDFファイル以外にこの話が載っているサイトが見つけられないので、古代史ファンの老人の創作だと見る
0461日本@名無史さん
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2019/02/28(木) 01:00:04.00
>>460
> 三雲部落の氏神としてあがめられているだけで、他地方の人が足を向け参拝にくることは、ほとんどない。

これがガセではなく事実だとすると、高祖神社から渡御ありってのと矛盾することになるな
0462日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 01:01:19.05
このスレでは細石神社=金印保管説はガセネタと認定しました
以後 細石神社ネタは↓でやってください

邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1544967924/
0463日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 01:04:47.64
>>461
高祖神社との神事は、戦国時代より前の話なんだろう。
何しろ彦火火出見とその母である木花咲耶姫にちなむのだから。
0464日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 01:05:33.61
向こうにネタ振りはしておきました

880 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2019/02/28(木) 01:04:21.90
伊都国と関連の深い三雲南小路遺跡と細石神社、そして神社が保管していたという金印「漢委奴国王」に関しての話題を始めたい。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1544967924/880
0466日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 07:18:44.25
ここまでのまとめ

建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり

天正年間(1573〜1586年) 戦火により焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収

寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施

元禄8年(1695年) 細石神社御縁起

天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見?

文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)

明治5年(1872年) 村社

大正12年(1923年) 幣帛供進社
0469日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 08:02:37.62
流鏑馬は氏子とか保存会が主催して、神社に奉納するもの
0470日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 09:02:09.18
前原は奴国の墓場だよ。
首都ではない。
纏向がその他の某国の墓場だったように。
首都には墓場なんか置かない。
住居跡も無い首都が有るわけがない。
0472日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 09:51:52.65
建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり

元慶元年(877年) 三代実録に高磯ひめ神に従五位下を授けるとあり

天正年間(1573〜1586年) 戦火により焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる

寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず

元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の実在が確認

天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見

文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)

明治5年(1872年) 村社

大正12年(1923年) 幣帛供進社
0473日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 10:04:05.73
どうしたのさ
この速い書き込みの多さ
>>468それそれ。まずそこからだよな 
0474日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 10:58:54.06
細石神社の来歴は分かったから金印との因果について語ろうぜ

何度も言及されてるが、今のところ「侍が持って行った」って地元住人の話と、「金印を保管してた」って神社関係者の話、社殿の70m奥にある三雲南小路遺跡が金印の持ち主なんじゃないかって仮説の3点しかない
0475日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 11:13:08.98
地元住人の話→5世紀も前の話を覚えてるはずがない
神社関係者の話→記録も記憶も残せないほど断絶していたのに社伝だけが伝え残っていたとは考えにくい
0476日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 14:56:04.01
 よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社は無事に終了しました
   ありがとうございました
 もう書き込まないでください
0477日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:00:39.86
地域住民がゼロにならないかぎり
言い伝えは残って不思議なことではない
田舎の言い伝えは口伝でもあるでしょ
何でも否定的にとらえすぎ
0480日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:18:05.85
志賀島で金印を囲んでいた「巨石」が見つからない。
発見者とされる人物が寺の過去帳(戸籍)に見当たらない。
0481日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:21:03.44
>>480
そこからの謎解きはまたフィクション世界に入ってしまうから議論の対象になりにくいんだよな・・・
0482日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:51:31.37
奴国と伊都国は、博多湾をはさんで、北東側(志賀島を含む旧儺県)が奴国、南西側対岸が伊都国と比定されている。
後漢光武帝からこの金印を下賜され際(57年)にはまだ、両国が並立することはなく、この地域は金印のごとく「委奴(ゐな)國」と呼ばれていたと考える。
『後漢書』倭伝が記す「建武中元二年 倭奴國 奉貢朝賀 使人自称大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」(建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す。倭国の極南の界なり。光武、印綬を以て賜う)の「倭奴國=委奴國」である。
0483日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:54:26.24
>480が、金印捏造説ってこと?
捏造の理由が、邪馬台国なら親魏倭王印じゃないと確定しないよね?
0484日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:55:57.72
また、『旧唐書』倭国・日本国伝(945年)が記す「倭國者 古倭奴國也」の「倭奴國」である。
光武帝は漢を再興した後、周辺の半島および列島の情勢を気にかけていたのであろう。
そこに列島の倭国の情報がもたらされ、大いに喜んだに違いない。
ところが、ここで気になる記述がある。
なぜ、倭奴国が「倭国の極南の界なり」なのであろうか? 
先にも示したように倭奴国は現在の博多湾周辺にあり、九州島の北端といっても良い。
後漢王朝は、前漢に引き続き、楽浪郡から半島を経営しており、半島南端部は「倭国」と見なしていた傍証ではないだろうか。
『三国志魏書』弁辰伝は記す「國出鉄 韓?倭皆従取之 諸市買皆用鉄」(国鉄を産する。韓人、?人、倭人、皆ほしいままにこれを取る。市場での売買には皆鉄を用いる)。
この記録から言えるのは、古来、半島南部は倭国であったのだ。
後に倭人は在住者だけではなく九州島北部の倭人も弁辰に渡航し、製鉄をして、倭国に持ち込んでいたのである。
光武帝は、倭奴国の大夫の朝貢により倭国が九州島にも広がっている(「倭国の極南の界なり」)ことを確認できて喜び、「漢委奴國王」の金印を下賜して、倭奴国を後漢の冊封に組み込んだのだ。
0485日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:57:28.34
それでは、なぜ、奴国に比定される志賀島に金印が埋納あるいは秘匿されたのであろうか? 
57年、金印が倭奴国にもたらされた結果、倭奴国に争乱が勃発した。
「原伊都国」の族長は、後漢王朝による王位叙命を「原奴国」の族長(倭奴国王)に出し抜かれてしまったと考えた。
そして、両部族の間に覇権争いが勃発した。
「原伊都国」の族長は周辺部族を味方に引き入れて、「原奴国」の族長を攻撃した。
結果、「原奴国」の部族が敗北し、その族長(倭奴国王)と高官が金印を志賀島に秘匿して、「原伊都国」の族長に奪われるのを防いだ。
その後、倭奴国は「奴国」と「伊都国」に分裂してそれぞれ独立した国になった。
そして旧倭奴国国王と高官達は、遠所に逃れ住んだ(伊都国の軍隊に捕縛されれば、金印の所在地の自白を迫られるからである)。
これが、金印秘匿に関する事の顛末であると考える。
順次後述するが、大和王権時代に、奴国の安曇氏は暫時、衰退することになり、金印の秘匿は人々の記憶から消失したのである。
0486日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 15:58:46.60
>>483
「金印 亀井南冥」でググれカス
0487日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 16:05:41.50
>>482
筑紫の国が筑前・筑後と分割するように、委奴国が委国・奴国に分裂したって仮説は面白いんじゃないか
0488日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 16:11:41.04
「漢+民族(倭)+国名(奴)+官号」と「漢+国名(委奴)+官名」という概念はずっと議論されているものである。
いわゆる大日本帝国時代に広められた万世一系単一民族観とも関連し、民族と国とどちらのほうがより大きなカテゴリなのかというイデオロギー論争を含むものである。
江戸時代までは国といえば日本列島全体(天の下)というより各藩の範囲を意味したことを考えると、近代以前には国より民族のほうが大きなカテゴリとしてあったとみるほうが自然であるし、その逆に、天の下(日本列島全体)には民族という概念がなかったともいえる。
ただし、中国史では、王朝と民族は密接に結び付いた概念である。
とは言えイデオロギー論争はそうであっても、中国の古代の印章のなかに「民族名+国名」の構造をもつ印章実例を一つも見いだし得ない
委奴国王は「委(の)奴国(の)王」ではなく「委奴国(の)王」であると見て間違いはない。
0489日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 16:45:27.39
九州倭国と大和は別物
つまり大和の後身である今の日本政府には半島に干渉する権利はない
0490日本@名無史さん
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2019/02/28(木) 17:27:13.74
>>478あの〜スレ違いと言われますけど
私は志賀島周辺を倭人伝のイトだと思ってないんですよ
だからあちらのスレには書かない
  
0492日本@名無史さん
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2019/02/28(木) 17:41:52.71
歴史を遡って考えてみよう。
華夏の史書の『山海経』に遼東・遼西地域を支配した「鉅燕」という国が出てくる。
これは、「大燕」という意味で、大きく国土を拡大した燕ということである。
『山海経』(第十二 海内北經:紀元前後成立)は、「蓋國在鉅燕 南倭北倭屬燕」(蓋国は鉅燕に在り、南倭北倭は燕に属す)と記し、
この時(紀元前285?222年)、既に倭人は燕に属していたと伝える。

鉅燕は遼東地域に版図を拡大したことから、この文章を素直に解釈すれば、蓋國と記された国は、おそらくは現在の朝鮮半島の北部から中部にあったと推察できる。
半島の北部から中部にあった蓋國が、版図を拡大した鉅燕に取り込まれ、そのため半島南部の倭人国(便宜上、南倭とする)の支配域が鉅燕と地続きとなり、
南倭が燕に略属するようになった。

また、あわせて九州島北部の倭人(便宜上、北倭とする)も燕に朝貢するようになったことを、表しているといえよう。
司馬遷の『史記』もまた、国土を拡大した「燕」が半島を領有し、半島南部(真番)を略属させたと記す。
この真番は、『山海経』の南倭のことであろう。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 17:43:27.41
このことは、多鈕細文鏡の分布から読み解くことが出来る。
なぜならば、多鈕細文鏡は、戦国時代晩期に流行した鏡である(樋口隆康 『古鏡』 新潮社)。
つまり、燕が栄えた時代の鏡であるのだ。
古型(祖型)である雷光型多鈕粗文鏡が、燕の版図であった大陸の旧満州地方(現遼寧省)の東胡族の墓から出土しているが、鏡面は平直であり、
春秋晩期の鏡と想定されている。

他方、凹面の鏡面を持つ星型多鈕粗文鏡および精緻な線影三角文を持つ多鈕細文鏡は、半島の現在の北朝鮮領域、
および江原道・忠清南道から南部の慶尚南道・全羅南道において広く、数多く出土している。
『山海経』にしたがえば、慶尚南道・全羅南道は、当時の南倭の地域に当たるといえる。
そして、北倭にあたる九州島北部からも多鈕細文鏡が出土している。

このことから、鉅燕が取り込んだ蓋国は半島の北部から中部に位置し、蓋國の地域でこの多鈕細文鏡が大いに発展したとみることができよう。
このように考えると、多鈕細文鏡は鉅燕に領属した「蓋國の鏡」というべきである。
0494日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 17:44:25.41
多鈕細文鏡は、蓋國を取り込んだ鉅燕に略属した半島南部の南倭、および北倭の九州島北部域にも伝播していた。
つまり九州島北部の倭人が燕と交渉を持っていたことは、博多湾沿岸域の小郡若山遺跡(福岡県小郡市)や吉武高木遺跡(福岡県福岡市)など、
および唐津湾沿岸域の宇木汲田遺跡(佐賀県唐津市)さらに木村籠遺跡(佐賀市大和町)などの
甕棺墓から多鈕細文鏡が出土している(安本美典「わが国最古の青銅鏡『多鈕鏡』鋳型の出土」『季刊邪馬台国』 127号)ことからわかるのである。
0495日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 17:46:02.76
前漢時代、漢王朝は半島の衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪郡を設置する(紀元前108年)。
「夫樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」と倭人の漢王朝への朝貢を伝える記事が、
『漢書』地理志第八下の燕地条に記されていることから、楽浪郡は、かつて鉅燕が取り込んだ蓋国とはそれほど離れていない地域に設置されたと推察される。

半島南部に居住した倭人のみならず、九州島北部の倭人は漢王朝が半島に設置した楽浪郡を介して、草葉文鏡および連弧文銘帯鏡・単圏双銘帯鏡といった
異体字銘帯鏡などの前漢鏡を移入したと考えられる。
あるいは楽浪郡を介して、旧燕地域を通り抜け、はるばる都の長安を訪れて皇帝に朝貢し、鏡などを下賜されたのであろうか。
なかでも草葉文鏡は前漢中期に流行した鏡である。

草葉文鏡を入れた須玖岡本D遺跡(福岡県春日市)の甕棺墓の主は、先取的に漢王朝に朝貢したといえる。
福岡県春日市を含む原奴国域にいた人々は、いち早く多鈕細文鏡を?製し、細型銅剣や銅矛を作製し、また前漢王朝に朝貢もしている。
その後、57年、倭奴国の大夫が、漢王朝を再興した光武帝に朝賀したのも先取性の気質ゆえであろか。
0496日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 17:47:28.90
他方、前漢後期から流行した異体字銘帯鏡を埋納した立岩遺跡(福岡県飯塚市)および三雲南小路遺跡(福岡県糸島市)の甕棺墓の主は
やや遅れて漢王朝に朝貢した。

これら王墓と目される甕棺が、多数の前漢鏡を入れているのは、墓主が長旅の苦労の末に鏡を入手したことから、威信財として、および権威の象徴として独占したと考える。

伊都国比定地の井原鑓溝遺跡(福岡県糸島市)などには引き続き多数の新・後漢鏡(方格規矩四神鏡)を入れた甕棺墓が出土しており、
考古学的にも、後漢にあたる時代、伊都国の王が勢力を強めたことを示している。

反対に奴国比定地ではそのような墓は認められなくなっており、奴国の権勢は衰退したことが窺える。
107年に後漢の安帝に朝貢した倭国王帥升(『後漢書』倭伝 「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)こそ、この伊都国の王であろう。

帥升が献上した生口160人は全て、奴国から徴用されたとする。
このような伊都国王の強権に不満を持つ集団が、奴国を離れ、新たに鉅奴国(狗奴国)を興したと考えるのである。
そして洛陽に送られた生口160人は種々の技術者となり、その子孫が、239年、卑弥呼の遣使とともに邪馬台国に帰還し、
倭国の技術(銅鏡、鉄器、麻布、絹布、建築、土木など)の発展に貢献したと考えたい。
0497日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 19:54:18.59
記紀に沿って考えてみて、当てはまらないところがあれば記紀は当てにならないなあと考えればよい。
ところが概ね記紀の通りでいいらしい。

志賀島や博多にいたのが大山祇や綿津見(兄弟?)であり、伊都にいたのが天孫族、早良にいたのが高木神。
年代の順番もこれであっているが、絶対年代がややズレている。
遺跡の年代推定にも誤りがあり、過剰に古く見積もっているのかもしれない。
三雲南小路が前1世紀というのが一般的だが、それでは平原までの間の王墓の数がまだまだ少ない。
三雲南小路が卑弥呼の前の男王で、金印の少し後なら、年代も概ねおさまってくる。

倭奴国と伊都の関係はまだねじれが残るが、そこはなんらかのすり替えがあったかもしれない。
個人的には細石神社の話は興味深いのだが、魏志倭人伝と後漢書を比較すると、卑弥呼の前の男王より前に金印をもらったことになるというので、それなら志賀島の綿津見がもらったということで世代が一致する。
0499日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 21:37:34.98
>>496
誰に騙されてるか知らんがw 
伊都国には一大率を置かれ、首都機能は有るが、女王国の王卑弥呼は居ない。

この倭国大乱の地域で、漢の倭奴国の金印が
漢終了後の卑弥呼に引き継がれたなら志賀島からは出ない。
文書による国交がなければ、ただの金である。

卑弥呼の墓は、張政が見たのであり
糸島半島北西岸の 末盧國から 東南 陸行五百里
以内にある。
0500日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 23:17:01.37
倭は王都である伊都に大率を置き、女王国より北の(対馬海峡の)国々を検察させた。
0501日本@名無史さん
垢版 |
2019/02/28(木) 23:18:20.53
>>499
だからこそ、志賀島から出たという話そのものに疑問があるわけだよ。
0503日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/01(金) 02:54:53.69
伊都クズは結果ありきの非科学暴論だもんな
細石神社の伝承なんてインチキ盲信がその好例
0504日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/01(金) 03:49:06.26
1.論理が自己崩壊している。つまり自分で言ってることに整合性がなく、その場しのぎ。

2.既存の(否定しようとする)理論や法則を理解していないか、知っていながら敢えて曲解している。

3.信頼できる実験や観測でも、都合の悪い内容(証拠)は無視している。

4.先に結論があって、その為の論理を構築する(した気になる)。

5.批判は受けつけない。間違いに気付いても絶対にそれは認めない。

6.相手の論旨をすりかえる事で、何かを証明した気になる。

7.専門家や科学者個人の否定。逆に言えば自らの過大評価。自説に酔いしれている。

考古学板で見つけたんだけど、伊都クズのことだよな(笑)
0505日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/01(金) 10:46:40.42
結局、伊都クズは細石神社説を諦めたか
論破してイビリ倒そうと色々調べたんだが無駄になったな(笑)
0507日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 19:21:05.35
かお疲れ様です
前に質問した>>300です 
たくさんのカキコありがとうございました
ただ2)の質問の答えがぜんぜんありませんでした。
 
カキコを読んでいて不思議に思ったのは
この金印は誰がもらったのかなと

いつも質問ばかりですいません
よろしくお願いいたします
0508日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 19:44:54.68
>>507
一応書くと「君が代」は古今和歌集の賀歌で木地師が読んだ「我が君は 千代に八千代に さゞれ石の 巌となりて 苔のむすまで」が元になってる
んで、志賀海神社が残してる山誉め祭の神楽は「君が代だいは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで、あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身み骸がいに命いのち 千せん歳ざいという。 花こそ 咲いたる 沖の御おん津づの汐早にはえたらむ釣つる尾おにくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや
志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで、今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ。 いるかよ いるか 汐早のいるか 磯いそ良らが崎に 鯛釣るおきな」
この山誉め祭の神楽は三韓征伐でも歌われ、それ以前から存在してたと太平記にも記述が残ってる

これで終わりにしような
0509日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 20:37:38.52
508さん丁寧にありがとうございました。
m(__)m
0510日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 21:07:37.52
君が代は(天皇制国家の人民支配は)
千代に八千代に(遠い過去から未来まで)
さざれ石の巌となりて(さざれ石が塊になるような永遠に)
苔のむすまで(こけが生えるまで支配される事を支えます)
0511日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 22:30:44.38
>>510
その被害妄想グセは朝鮮ヒトモドキにソックリだな
0512日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 22:35:42.17
日本はシナの属国ではない。金印はねつ造。ブサヨクに騙されるな、安倍総理に忠誠を
0513日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/04(月) 23:18:17.95
>>512
日本史板の古代史系スレに書き込むなら属国と冊封国、朝貢国の区別くらいつけられる基礎知識を身に着けてからにしような
0514日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 21:43:01.98
中国の文献に倭の属国と倭の臣民って書かれてる朝鮮半島がヤバイ
0515日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/07(木) 21:51:54.79
なぜ『倭猿』の話ばかりしているんだ?
それと、お前たちの話?書き込みなんて、
誰にも相手にされていないと気づいたほうが良い


いい加減に気づいたほうが良いぞw
0517日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 10:16:54.12
実は慰安婦に「レイプ以上の残虐行為」をしている糞ジャップ軍

(1)韓国人慰安婦の1人は、なぜ1日に40人もの男にサービスしなければならないのかと尋ねたために、
日本軍指揮官の命令によって、他の慰安婦の面前で、刀でたたかれ、裸にされて、
たくさんの釘の突き出た板の上を転がされ、血だらけになった後に首を切られた。

さらに、日本軍指揮官の1人は、それを見ていた人々の前で
『あなたたち全員を殺すのは、犬を殺すよりも簡単だ』と述べ、死んだ女性の死体を
煮て食べるように強要した。

(2)韓国人慰安婦の1人は、他の40人とともに蛇だらけの水溜りに入るよう命令され、
そのうち数人は、無理やり水中に押し込まれ、その後、土をかぶせて生き埋めにされた。

(3)兵士に噛み付いた新入りの慰安婦は、他の慰安婦の面前、慰安所の中庭で首を切られ、ぶつ切りにされた。

(4)激しく抵抗した慰安婦の1人は、胴体と頭を別々の馬に縛り付けられ、他の慰安婦の面前で引きちぎられて殺された。

(5)多くの慰安婦は、中国兵捕虜の頭を煮た水の残りを飲むように強要された。

(6)性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。

(7)性的サービスを逃れようと入浴を拒んだ慰安婦は、木に逆さに吊るされ、ライフルで殴られ、
乳首を切り取られて、最後に膣から銃で撃ち抜かれて殺害された。

(8)筆者が最近傍聴した集会にも、元慰安婦が招かれ、体験談を語ったが、その上品で温和な顔立ちの元慰安婦が、
「慰安所の天井から赤ん坊の頭で作ったモビールのような飾りが吊るされていた」
と語ったとき、会場は一瞬息を呑んだ。

(上記の申立書、ならびにハウスフェルド法律事務所の各種資料は、
http://www.cmht.com/casewatch/civil/comfort.html
http://www.geocities.com/lordfreeza88/esytesti.htm
zse4
0518日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 12:08:38.94
>>517
チョンコが性犯罪を犯した土地には半チョンコが腐るほど生まれてるのに、なんでチョンコ半島には日本人のハーフがいないのか?
答えはそんな性犯罪は存在していないから。
0519日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 16:29:15.65
>>518
これな
自称被害者は腐るほどいるのに物証は一つもないという
0520日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/10(日) 19:23:39.04
チョンキチもウヨキチもここでは金印の話しろよ
0522日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 12:29:41.85
金印は九州倭国の印綬だろう
0523日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 14:10:31.30
>>500
倭の女王は女王国以北の諸国(対馬海峡の諸国)に(一)大率を置き国々を検察されせて治めた。
0524日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 14:18:27.63
>>475
金印が発見されたのは天明4(1784)で今から235年前
古田氏が聞いたのが30年まえとして話した人が60歳なら
その人の生まれる僅か150年前の話
十分に伝承が残ってて可笑しくない。
0525日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 14:26:27.62
>>457
>宮司家が途絶えてんのに

根拠は?
0526日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 14:50:45.66
>>523
つまり対馬海峡の南側にある博多湾沿岸が女王国だよ。

畿内説だと、福岡の大率が畿内の北(若狭湾?琵琶湖?)を治めるという、訳のわからないことになる。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 18:31:08.42
>>524
天正初期に焼失し、天正15年(1587年)には社領と呼べる状態になかったから太閤検地で没収され筑前の石高に組み込まれた。
「侍が持ち出した」のが本当なら焼失前なんだから433年以上前になり、しかも裏手の土を土塀の材料に掘り起こすほど
その存在は忘れられていたんだから>>478が指摘したように古田の誘導尋問もしくは創作と見るのが常識的だろうな。

>>525
1587年には野ざらしであり、寛永後期(1635年以降)に村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興が叶わなかったんだから断絶したと見るのが常識的だろうな。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 18:55:07.13
万年奴隷の歴史が朝鮮人の精神を歪ませてしまった
0529日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 19:03:48.08
保管し続けるのが無理になったので、志賀島から出たことにしたという話だったと思うけど。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 19:04:44.74
>村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興が叶わなかった
その後継続的に流鏑馬は実施されてたんだから、この前に再興されていたとみるべき
0531日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 19:28:34.14
侍が持ち出したという話は、志賀島から見つかった時の話だと理解している。
0533日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 19:57:27.93
お侍が持って行った印鑑と国宝の印鑑は別々かもね
>>523一大率を委されていたのが河内王(こうちおう)
河内王の妻(手持女王)の歌は万葉集に残り
豊国の存在をしっかり書いてある
鏡山に河内王の墓がある
伊都とは現在の福岡県伊田
 
0534日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 20:47:53.25
>>530
> その後継続的に流鏑馬は実施されてた
それは初耳だ。 具体的に毎年実施を証明する記録はある?

>>531
古田の著書には「細石神社から失われた理由」として三雲周辺住民が語っている。
0536日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 21:10:42.81
金印みたいなもんは、漢が終われば、リアルタイムじゃ価値無いわけで
神社で保管なんて有り得なくて、潰して、別のもん作るんじゃないかね?
隠すか、墓に入れるのは有るけど。
0537日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 21:48:10.11
いにしえの神社の元宮なら
祀られた故人の遺物を保管してあっても
不思議じゃないよね
いにしえの倭人なら
それくらいの親魂あると思うよ
0538日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 21:57:42.58
>>537
そこまで思いをはせると歴史ではなく願望に成り下がるんだよなぁ
0539日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 22:11:15.97
>>536

だから、隠していたってことだろ。
博物館があったわけでもないからね。
隠すといっても屋敷の書院の引き出しに桐の箱に入れてしまっておくくらいだったのだろう。
0540日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 22:17:27.15
神社という言葉で何を思い浮かべるかという感性に個人差があるのではないかな。
田舎の小さな社を想像するのだろうか。
確かに今の細石神社はそうかもしれない。
しかし、九州において神社とは、支配層の屋敷そのものなんだよ。
つまり宮だ。
細石神社も、大きな社と広大な領地を持っていて、武家の領主から独立した社寺勢力だったということだよ。
かつての倭王(皇祖)を祀る神宮であったのなら、なおさらだ。
0541日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 22:21:26.29
(室町幕府の)将軍様や、そのさらに上に君臨する天皇の威信が揺らいだのが戦国時代だ。
天皇家の祖先を祭り、かつての国璽を保管していた神宮も、その地位や社領を維持できずに、太閤に所領を没収されて、宮司家も絶えてしまった。
日本の歴史の中で、全国的に権威や文化の断絶が発生したのが、戦国時代。
0542日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 22:55:08.05
神主一族が健在であれば一時的に社殿がなくとも氏子が祀り続けられ社領として認められるハズだが、没収された事実から断絶したと見て間違いない
0543日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/14(木) 23:05:11.47
氏子の代表みたいなのが金印を隠し持って乱世を生き抜いたんだな。
0544日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 00:57:55.02
>>543
そこまで妄想すると歴史ではなくファンタジー
0545日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 05:14:17.42
>>540そういうことか、すばらしく分かりやすい
0546日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 05:17:50.22
>>542
なるほどな。
確かに断絶した神社の言い伝えが口伝として残ってる可能性はないだろうし、氏子ですらなくなった三雲住人が5世紀も前の出来事を語れるはずもないだろうね。
0547日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 05:20:34.21
というか、>>476までの過程で細石神社ネタは歴史ではなく都市伝説ってことで決着ついてるのに何でムリヤリ蒸し返すんだ???
0548日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 07:16:31.54
神社の宮司家が絶えて社領が没収されても、氏子は住民として残るわけだから、口伝は残るだろう。
実際に江戸時代に復興を志しているわけだし。
金印もそのような中で戦国時代を乗り越えたのだろうね。
ただ、そのような状況では長く伝世させるのは難しいから、藩に任せることにしたのだろう。
0549日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 07:59:44.90
じゃあ素直に、藩に任せたと公表すればいい
結局、質の悪い陰謀史観でしかない
0550日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 08:19:15.82
そこはむしろ公表した学者の都合だったんだろ。
過去スレでなんだか学閥の話が書いてあったよね。
0551日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 08:58:21.50
学者云々は印面をどう読むかの論争
見つかった経緯は関係ない

こうのように、学界では相手にされないようなあやふやな情報にくいついて
ろくな検証もせずに事実認定していくのが、伊都クズスタイル
0552日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 10:24:39.68
というか、>>476までの過程で細石神社ネタは歴史ではなく都市伝説ってことで決着ついてるのに何でムリヤリ蒸し返すんだ???
0553日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 11:17:44.78
伊都ジジイは朝鮮人確定
現政府の前身、前々身にあたる大和王権が
朝鮮半島に対して領土主権を持っていた事を
否定したくて仕方ないんだ
だから邪馬台国九州説や任那日本府と大和王権は
無関係であると主張している

それに金印を授けられたのが大和王権だと
銅印の半島諸国よりも日本の立場が上になって
しまうので躍起になって倭国王は九州王だと
レスしまくっている
そしてその九州王は唐に滅ぼされたと滅茶苦茶な
結論を出して大和は金印の倭国の権威を引き継いで
いない事にしている

伊都ジジイの政治的意図は明白
ただの在日史観
0554日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 11:22:36.05
というか、>>476までの過程で細石神社ネタは歴史ではなく都市伝説ってことで決着ついてるのに何でムリヤリ蒸し返すんだ???
0555日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 11:43:43.75
>>554
お前の頭の中ではそうなんだろう。
0556日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 12:19:04.90
>>548
社領が没収された=信仰自体が失われていた

年貢の徴収が始まる

村長が復興を試みる

こういう流れ
0558日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 13:22:09.67
>>556
>社領が没収された=信仰自体が失われていた

ここは=では、ないと思うよ。
所領を失ったという事実や、金印の保管については確認できない、までで留めておけばいいのに、
都市伝説だとか、信仰が失われただなどと余計な脚色をするから紛糾するんだよ。
結果として細石神社論争を煽っているわけだ。
0559日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 13:43:02.60
>>558
いや元慶元年(877年)から700年以上続いた由緒ある神田だぞ?
それを没収するにはそれ相当の理由が当然必要だろうよ
もっとも合理的なのは社領と言うに足る十分な痕跡が認められなかったと理解するのが当然だと思うが?
0560日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 13:46:55.93
祀る神も、奉る宮司も存在しないのだから藩に年貢を納めなさい
これが太閤検地の趣旨
0561日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 13:47:00.16
戦国時代って、多くの名家や社寺が没落したり荒廃したんだよ。
文化財の喪失も計り知れない。
ただ、氏子が皆殺しにでも合わない限り、信仰そのものは残るよ。
0562日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 13:54:10.81
「お上の決めたことやけん、しかたあんめ」と納得したものの、村高の応じた年貢量の負担が大きくて泡食った村長が流鏑馬を行い「神事ばやっとるけん、ここは神田ばい!」と主張してみたが奉りの実態がなかったので認められなかったってことになるよな
0563日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 14:03:38.54
>>561
もう諦めろ伊都クズ
祀る神も、奉る宮司もないのに信仰が残るわけないだろ
しかも三雲の台帳は金龍寺の宗門人別帳に記録されてるんだから曹洞宗に消えしたと判断するのが常識的だぞ
チョンコの民族願望はもう終わりだ
0564日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 14:15:46.15
横からだが、>>563の「曹洞宗に消え」は「曹洞宗に帰依」の打ち間違いだね
0565日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/15(金) 14:21:41.12
一方、延喜式に収容されてないにもかかわらず、高祖神社の社領は没収されずに神田のまま明治を迎えてる
祀る神と進上する氏子が存在していれば没収はされなかったという傍証
0567日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 03:04:16.84
細石神社ネタのまとめ

建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜

紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり
(三代実録の高磯ヒメ神は高祖神社なので削除)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる(祀る神も奉る神主も存在していない結果=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認(祭日の流鏑馬行事だけは残った模様)
天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社

古田の言う地元住人の「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失前後と考えるのが妥当
425年も前の出来事を住人が記憶している可能性はない
→信仰は残ったはずとの反論
三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれている。 よって曹洞宗に帰依、信仰は残らなかった
傍証として神事が流鏑馬という祭行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領の認識をしていなかったことなどが挙げられる

結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない

以上
0568日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/17(日) 03:05:20.74
よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社ネタは結論に達しました
  みなさん、お疲れ様です
もう二度と書き込まないでください
0569日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 01:02:43.16
禁止事項

1.論理が自己崩壊している。つまり自分で言ってることに整合性がなく、その場しのぎな書き込み

2.既存の(否定しようとする)理論や法則を理解していないか、知っていながら敢えて曲解する書き込み

3.信頼できる実験や観測でも、都合の悪い内容(証拠)は無視する書き込み

4.先に結論があって、その為の論理を構築しようとする書き込み

5.批判は受けつけない。間違いに気付いても絶対にそれは認めない書き込み

6.相手の論旨をすりかえる事で、何かを証明した気になる書き込み

7.専門家や科学者個人の否定。逆に言えば自らの過大評価。自説に酔いしれる書き込み
0570日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/18(月) 03:18:18.42
     /0\
     ||   \
     ||    \
   ∧||∧    \
   <./⌒.ヽ ニダ・・・\
    | |糸|       \
   .∪ ノ.ノ        \∧_∧ 伊都クズ
    | |.| |         .(\゚Д゚) 仕留めました!
    .∪∪         .(つと )
               (⌒)  ヽ
               (_)て___)
0571日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/20(水) 14:19:38.97
細石神社ネタがこのスレのピークだったなぁ・・・
0572日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 14:04:39.47
ま 歴史の研究調査で神社に取材しちゃいけないという見本だからな
神社は古事記のおとぎ話でできとる 神主はお祓い占いが仕事で
頭は作り話になっとるんだ     氏子もそうだ
取材しても せっかく来てくれたのに知らない分からないとは言えん
相手に合わせてその場の思い付きで答える

 「私は委奴国はイト国と読むんだと思うんですよ なんか 神社に
 金印の伝承とかありませんか」
 神主「社伝は残っとらんけど なんか金印があるとか書いてあったらしいですよ」
 「それがなんで志賀島から出たんでしょうかね」
 氏子「なんかサムライが来て持って行ったとかの話があるらしいよ」

ま 彼らは客を接待しとるんで ウソ言うても全然わる気はない
0573日本@名無史さん
垢版 |
2019/03/21(木) 14:11:02.91
>>572
実際そんな感じだろうな
三雲は九州説の詐話師に担がれた可哀想な神社

ちなみに福岡には畿内説を担ぎ上げた詐話師な神社もあったりする(笑)
0574日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/21(日) 17:46:57.90
明清で収集された古代印が今は博物館に1万個くらいあるとか、で半分は明から骨董収集ブームで作られた贋作だろう
と言われる。印譜まで贋作ですからね。明清に収集された古代印で気が付いたことは、金印が一つも無い。真贋問わず
一つも無い。南北時代まで作られていた金印は唐代には埋まってしまって地上に一つも無くなったらしい。盗掘で掘り
出されても金銀は溶かされたんでしょう。で あの志賀島の金印は、初めての出土品だった。勿論贋作なんかじゃない。
本家中国でも長く消えてしまって金印がどんなものか分からない、贋作しようがない。日本で作れる訳がない。
その後現代で見つかって現存する古代金印は50個足らずのようです。
もし邪馬台国が受けたという「親魏倭王」或いは「親晋倭王」が出現したらこういうスタイルでしょう
1958年発掘 蛇鈕金印  http://www.whmuseum.com.cn/WB_collectionl_connect.aspx?id=20
0575日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/21(日) 23:07:33.16
江戸時代にあの贋作は作れない
のちの中国からの発掘品が物語っている
古代九州には倭という国があったのだ
山門「やまと」も九州

近畿やその他の地方から金印や王冠でも出ないかぎり
古代九州が倭国という
考えは変えません
0576日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/21(日) 23:47:53.81
細石神社は昔より存在しており、金印が保管されていた可能性は十分にある、というのはわかったかな
地域の信仰は簡単には途絶えない
0578日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 04:02:35.12
>>576
論破されたのにしつこいぞ
0579日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 04:07:05.67
成り済まし、騙り・・・不明?
何だか知らないけど、なぜ偉そうなことばかり語っているんだ?
0580日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 04:37:57.85
>>579
川崎の統合失調症症患者は日の出前に首を吊れ

前から何度も何度も死ねと命令されているだろう?

なぜ言うことを聞くことができないのか・・・

統合失調症症患者とは言え、日本語は読めるのだろう?

いい加減実践しろ
0581日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 06:52:51.77
>>576

>>567で完全論破済
> 細石神社ネタのまとめ
>
> 建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜
>
> 紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
> 王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
> 高祖神社との由縁あり
> (三代実録の高磯ヒメ神は高祖神社なので削除)
> 天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
> 天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる(祀る神も奉る神主も存在していない結果=断絶の証拠)
> 寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず
> 元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
> 元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認(祭日の流鏑馬行事だけは残った模様)
> 天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
> 文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見
> 文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
> 明治5年(1872年) 村社
> 大正12年(1923年) 幣帛供進社
>
> 古田の言う地元住人の「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失前後と考えるのが妥当
> 425年も前の出来事を住人が記憶している可能性はない
> →信仰は残ったはずとの反論
> 三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれている。 よって曹洞宗に帰依、信仰は残らなかった
> 傍証として神事が流鏑馬という祭行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領の認識をしていなかったことなどが挙げられる
>
> 結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない
>
> 以上
0582日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 06:53:51.56
よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社ネタは結論に達しました
  みなさん、お疲れ様です
もう二度と書き込まないでください
0583日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 07:43:36.28
>神事が流鏑馬という祭行事としてしか残らなかった
ウソ

三苫清四郎が社領の認識をしていなかった
>そもそも社と場所が違う
0584日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 08:09:58.64
>>581
神社はそれなりの歴史があるのは事実
信仰も絶えていないのも事実

高祖神社は続いている事から、関連がある細石神社の存在は消えようもない

必死だけど、結局可能性が無いという確証は取れないといっているようなもの
0585日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 08:19:07.38
>>583-584
諦めが悪すぎるぞ糸クズ
0586日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 08:27:42.48
> 細石神社ネタのまとめ
>
> 建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜
>
> 紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
> 王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
> 高祖神社との由縁あり
> (三代実録の高磯ヒメ神は高祖神社なので削除)
> 天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
> 天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる(祀る神も奉る神主も存在していない結果=断絶の証拠)

> 寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず…『筑前国続風土記附録』 37頁

> 元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
> 元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認(祭日の流鏑馬行事だけは残った模様)
> 天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見

> 文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見…社殿の裏手85mなら社領

> 文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
> 明治5年(1872年) 村社
> 大正12年(1923年) 幣帛供進社
>
> 古田の言う地元住人の「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失前後と考えるのが妥当
> 425年も前の出来事を住人が記憶している可能性はない
> →信仰は残ったはずとの反論
> 三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれている。 よって曹洞宗に帰依、信仰は残らなかった
> 傍証として神事が流鏑馬という祭行事としてしか残らなかったこと、三苫清四郎が社領の認識をしていなかったことなどが挙げられる
>
> 結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない
>
> 以上
0587日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 09:35:22.37
>>583
そもそも流鏑馬なんて、馬がいなかった弥生時代の金印と関係ないし。
金印が細石神社にあった可能性を否定できない。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 13:17:43.04
>>587
ちょっw笑わせんでwww
0589日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 15:16:47.11
金印があることだけで充分
本来は>>2>>8>>9>>10を精査すべきかなと思う
金印があるから九州説を信じたい
0590日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 15:22:52.65
>>586
完璧やな
0591日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 15:23:05.88
よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社ネタは結論に達しました
  みなさん、お疲れ様です
もう二度と書き込まないでください
0592日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 17:00:24.06
伊都クズって日本史スレに張り付いてるチョーセン人と習性がソックリ
0593日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 17:41:59.51
>>586
細石神社説も消えたか
本当に何処から出てきたんだろうな
或いは江戸時代の贋作なのか

本物説の人達期待の、中国で出土したのも中国が詳細を発表してなかったような
両方の金印が贋作だったりしてな
0594日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 17:47:16.69
火のないところに煙は立たない。
0595日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 17:49:25.54
>>594
希望を捨てたくなくて必死な糸クズかな(爆笑)
0596日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 17:55:36.31
>>592あなたもしつこいね
スレ汚しだから
他所に行ってくれる
0597漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:09:30.27
道草その17 「奴」をどう読むか


後漢書には、委奴と並んで匈奴の記述もあります。
北の猛々しい民族に「匈奴」と名付け、東方の従順な民族に「委奴」と付けた、と古田先生も説かれています。

しからば、「匈奴」は何と読まれたのでしょうか。確証はないようですが、手がかりはあります。
北方民族は古来「胡」と呼ばれてきたそうです。「胡」昔も今も「フー」だそうです。

中国の皇帝が、強い嫌な奴だ、「胡」なんて奴輩ではない、「匈奴フン(フヌ)」という名前がふさわしい、とした
ものと思われます。そうすると、「委奴」も「ヰン(ヰヌ)」と読むべきだろうと思われます。
0599漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:12:45.05
イヌが貰った漢委奴国王の金印
https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/40390467.html
三千数百年前の中国第二の帝国・「商」は「イン=殷」と呼ばれた人々の国で、
その国に沖縄を中心にした宝貝産業が貝貸を供給して繁栄していたことが、
その帝国の勢力範囲にある遺跡から出土する貝貨遺物の調査でわかっています。

その帝国が<周>に滅ぼされて殷王の子孫・朝鮮侯が遼東地区に残っていましたが、
のち<古代の燕>にその地区を奪われ、今の朝鮮半島に移ると、
今度は<燕>が前漢に併合され、燕人の「衛満(エイマン)」が亡命してきて、
だまして朝鮮半島を奪いました。

準王は命からがら半島から海を渡って「韓」へ逃げました。
今でこそ韓国は外国ですが、当時「カラグニ」というのは
「日の大神シバ」のインド語の方言名の一つで、
「韓国」という漢字はその当て字なのです。
そのカラグニ教徒が住んでいた地域が「カラグニ=姶良郡」で、
隼人町もその中に入りますから、
準王らの逃げた先「韓」は南九州だったのです。

だからそのイン=殷人の子孫が、
後漢時代に九州に王国を再建していても少しも不思議はありません。
「委奴=イン=殷」があったのは当然だったのです。

それが後に隼人族と呼ばれた人たちだとすると、
8〜9世紀に奈良に定着したした「ヤマト」朝廷で、
近衛部隊を編成していた隼人たちが、
ギリシャ式に「前へならえっ」とか「右向けーみぎっ」などと
儀式の時に特殊な号令をかけるのを「犬吠え」と呼んだ理由もわかります。
もう少しうがった見方をすると、
あの「狗奴(くぬ)国」という国名も「狗=犬」の国という意味だった可能性が強く、
それを位宮は部下に加えたとみなければ不十分でしょう。
0600漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:13:50.78
「委奴國」は日本の最古の国名である
http://blog.livedoor.jp/hsnemu/archives/4702519.html
委奴は、呉音「イヌ」、漢音「イド」である.
倭奴は、呉音「イヌ」「ワヌ」、漢音「イド」「ワド」である.
0601漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:15:47.50
上の言うことを真に受けて、ただそれに従うだけで、反骨精神もないし自分の頭で考えることもできないwww

イヌのようなヤツの集まり=日本wwww

とバカにされているのもわからず金印をありがたがってるwww やっぱイヌ並の知能www
0602日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 18:20:02.80
あちこちにデマを書き散らしている不届きものがいるようだ。
0603漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:21:18.88

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD
解字
「倭」は「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。解字は「ゆだねしたがう」「柔順なさま」「つつしむさま」

用例
中国の古代史書で、日本列島に居住する人びとである倭人を指した[8]。
説文解字では「従順なさま。詩経に曰く“周道倭?(周への道は曲がりくねり遠い)”。」と解説されている[9]。
康熙字典によれば、さらに人名にも使用され、例えば魯の第21代王宣公の名は「倭」であると書かれている[10]。


http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yamato_gogenn.htm
「日本人が昔のシナ人と話をはじめた時代に、日本人は自分たちのことを《われわれ》または《われ》または簡単に
《わ》といい、自分たちの国のことを、《われわれのくに》または《われのくに》または《わのくに》などといったので、
シナ人は日本を「ワ」と呼ぶようになり、それを漢字で書きあらわすときに、差別意識によって低い姿勢とか従う
とかいう意味を持つ「倭」を当てはめ、日本のことを《倭国》、日本人のことを「倭人」と記すようになった」
0604漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:24:20.87
倭=従うだけの民族=奴隷www
0605漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 18:26:34.91
金印=下っ端子分の証www
中華は周辺国を基本「見下す」「下に見る」www
それに気づかないイヌ奴隷www
0606漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 19:49:54.40
 日 委  |'´::::>‐''´::::::::::::`゙ヽ、`゙ヽ、r',. -''´:::::〈  委 え
 本 奴 //::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ/..:..:::::::::::::〈  奴  |
 人 が |..:..:..:..:..:.:::::::::::::::::::::::..:..:/:::..:..:..:..:.::::::::::|  !? マ
 だ 許 |::::::..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:./::::::::::::::::::..:..:..:..〈      ジ
 け さ   〉::::l|::::|:::::::::::::l|:::l|:::::/::::::::::::://::::::::::::::/
 だ れ |::::|」l::十::::::::::/リト|:、|:|:::::::::::/l‐!::::::::〃/L
 よ る ヽ::|l:!⊥!ヽ::::〃| ,⊥L!|:::::::::リ=ミ|::lレ'´〃 /ヽ__r┬‐、/
 ね の /::|| lL! ヾ/  ! 「し!{|::ハ| 「_!    /i::(_, ヽヾ::::::::
 │ はr'::|::| 、 l;;;!    _l:;;;;レ |:::l:|、L::!.     _L;;;ノ__, j|;::::::::
レ'⌒ヽ |:::::|::|  ̄        ̄ j|::::|:|           リ::/:::
人__人_j_:::::|{:'、  〈     ノー'^ー^ ゝ〈          //:::/
 ハ キ /ハ:::ヽ  ヽ ̄`l  |   キ ハ _ヽ ̄`l    u 〃:://
 ハ ャ |/  !ヾ:::ヽ/Y'Yl 〈    モ |:::::| | ヽ.__j     //〃
 ハ ハ ヽ >ヽ::ヾ! | .| | '´|   │  〉/ ,':ヽ/),. -r' ´   /
 ハ ハ //: : :ヽ∨ | .| | /|    |  |' レ' /リ__:::∧_____/
 ハ ハ 〉|: : : : ', 、   V ,'!   イ  ヽ -'‐'´,.ィ´:/厂ヽ
      ||.|: : : : : |     /〈     /  `ー─‐v' |::::∧ //:
      ヽ!: : : : : :|    /::|/⌒ヽ /´  ~l ̄/: : | |::::| ∨ /: :
0607漢委奴国王=お前らは犬の集まりの国
垢版 |
2019/04/22(月) 19:52:18.64
 犬 委  |'´::::>‐''´::::::::::::`゙ヽ、`゙ヽ、r',. -''´:::::〈  委 え
 奴 奴 //::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ/..:..:::::::::::::〈  奴  |
 隷 を |..:..:..:..:..:.:::::::::::::::::::::::..:..:/:::..:..:..:..:.::::::::::|  !? マ
 だ 喜 |::::::..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:..:./::::::::::::::::::..:..:..:..〈      ジ
 け ん   〉::::l|::::|:::::::::::::l|:::l|:::::/::::::::::::://::::::::::::::/
 だ で |::::|」l::十::::::::::/リト|:、|:|:::::::::::/l‐!::::::::〃/L
 よ る ヽ::|l:!⊥!ヽ::::〃| ,⊥L!|:::::::::リ=ミ|::lレ'´〃 /ヽ__r┬‐、/
 ね の /::|| lL! ヾ/  ! 「し!{|::ハ| 「_!    /i::(_, ヽヾ::::::::
 │ はr'::|::| 、 l;;;!    _l:;;;;レ |:::l:|、L::!.     _L;;;ノ__, j|;::::::::
レ'⌒ヽ |:::::|::|  ̄        ̄ j|::::|:|           リ::/:::
人__人_j_:::::|{:'、  〈     ノー'^ー^ ゝ〈          //:::/
 ハ キ /ハ:::ヽ  ヽ ̄`l  |   キ ハ _ヽ ̄`l    u 〃:://
 ハ ャ |/  !ヾ:::ヽ/Y'Yl 〈    モ |:::::| | ヽ.__j     //〃
 ハ ハ ヽ >ヽ::ヾ! | .| | '´|   │  〉/ ,':ヽ/),. -r' ´   /
 ハ ハ //: : :ヽ∨ | .| | /|    |  |' レ' /リ__:::∧_____/
 ハ ハ 〉|: : : : ', 、   V ,'!   イ  ヽ -'‐'´,.ィ´:/厂ヽ
      ||.|: : : : : |     /〈     /  `ー─‐v' |::::∧ //:
      ヽ!: : : : : :|    /::|/⌒ヽ /´  ~l ̄/: : | |::::| ∨ /: :
0608日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 20:05:05.43
朝鮮ヒトモドキがネトウヨの真似してて竹生える
0609日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/22(月) 20:34:48.23
>>608
朴るのがお家芸だし
犬って聞くとヨダレが止まらないし
0610日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 08:22:37.15
>>585
可能性が無い事は証明はできてないですよ

古田さんが捏造してない限り、口伝は事実の可能性はありますからね

王墓級の遺跡も神社周辺にありますし、確証は無理でしょうが、一つの可能性としては十分にあり得る話でしょう

金印がとても良い状態で出土したのは、どこかで保管されていたとすれば、辻褄があいます
0611日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 08:29:50.75
籠神社のような例もあるし、弥生時代からのものが神社などに祭られている例があってもおかしくはない。
そもそも志賀島の出土地そのものが不明だしね。
0613日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 08:54:39.05
よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社ネタは結論に達しました
  みなさん、お疲れ様です
もう二度と書き込まないでください
0614日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 09:33:24.05
>>612
反論になってない。
0615日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 09:35:30.67
>>614
それ反論じゃなくて事実の指摘な
0616日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 10:27:57.39
>>610
志賀の島の地質は知らないが、もしカルシウムや鉄分の少ない粘土に包まれていたのなら、
金そのものは劣化変質しないので、ぴかぴかの状態で出てもおかしくはない
0617日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 10:53:32.55
>>615
自演ではなく、このスレには比定し得ないと考えている人間が複数いる。
根拠なく事実だと思い込むのは病気だよ。
0618日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 11:09:14.33
>>616
そもそも、新田開拓するよな土地じゃないのよ
何らかしらの嘘を付いてるのは、ほぼ間違いない
0619日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 11:27:23.23
>>618
地質の問題であって、出土方法の話でないよ
もし、田んぼを作れるような場所ではないというのなら、それを地質的歴史的に証明しないといけないね
ちなみに昭和22年の空中写真では島の40%程度の面積に棚田(畑)があるように見えるけどね
0620日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 11:32:47.57
追加
帝国陸軍が1922〜26(大正11〜15年)に作成した地図にも田んぼのマーク(||)は島中にあるね
0621日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 11:44:56.88
あったはずの巨石とやらがない。
0622日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 12:03:13.29
未だに場所が特定できないのだから、発掘調査が行われた昭和48年で時点で特定できるわけがないだろうな
ゆえに、発掘調査において二人で持つ程度の巨石が出なかったからというのは理由にはならないいよ(苦笑)
0623日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 22:07:06.56
つまり、志賀島から見つかったことにした、という可能性が排除できない。
0624日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 22:53:19.14
>>623
そういうこと

都合が悪いから完全否定したいが、できないという流れだね
0625日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 23:30:09.62
志賀島で発見…同時代史料に記される

細石神社旧蔵…なんの史料にも記載なし


歴史学的にどちらが重視されるべきかは一目瞭然
0626日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/23(火) 23:33:04.89
そりゃ事実を隠そうとして志賀島の話を作ったならそうなるわな
0627日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/24(水) 00:14:15.79
細石神社ネタのまとめ

建武中元2年(57年) 漢光武帝が金印を下賜
紀元前1世紀頃 三雲南小路遺跡築造
王墓前の祭祀施設が後の細石神社の可能性あり
高祖神社との由縁あり(三代実録の高磯ヒメ神は高祖神社であり、細石神社ではない)
天正年間(1573〜1586年) 戦火により社殿焼失
天正15年(1587年) 太閤検地により神田没収、筑前の石高に組み込まれる(祀る神も奉る神主も存在していない結果=断絶の証拠)
寛永年間(1624〜1645年)末 村長の大原金左衛門が流鏑馬を実施するも再興叶わず…『筑前国続風土記附録』 37頁
元禄8年(1695年) 細石神社御縁起
元禄16年(1703年) 筑前国風土記にて佐々禮石社の記録を確認(祭日の流鏑馬行事だけは残った模様)
天明4年(1784年) 百姓の甚兵衛が志賀島から金印を発見
文政5年(1822年) 三苫清四郎が三雲南小路遺跡を発見…社殿の裏手85mなら社領
文政12年(1829年) 氏子が手水舎を奉納(現存)
明治5年(1872年) 村社
大正12年(1923年) 幣帛供進社

古田の言う地元住人の「侍が持ち去った」が事実ならば、神田没収前、おそらく社殿焼失前後と考えるのが妥当
425年も前の出来事を現代の住人が記憶している可能性はない→伊都クズは信仰は残ったはずとの反論
しかし、三雲の戸籍は金龍寺の元禄宗門人別帳に組み込まれているので住人全員が曹洞宗に帰依しており、信仰が残らなかったが正解
傍証として神事であるべき流鏑馬が祭事としてしか残らなかった、三苫清四郎が社領(最低でも社殿の半径1街は社領)の認識をしていなかったことなどが挙げられる

結論: 細石神社の金印庇保管はネタであり、歴史学としての価値はない

以上
0628日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/24(水) 12:24:00.66
よっこらしょ。
    ∧_∧  ミ _ ドスッ
    (    )┌─┴┴─┐
    /    つ. 終  了 |
   :/o   /´ .└─┬┬─┘
  (_(_) ;;、`;。;`| |
細石神社ネタは結論に達しました
  みなさん、お疲れ様です
もう二度と書き込まないでください
0629日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 06:53:53.60
676: 04/28(日)06:14 ID:d6+HolQN0(1) AAS
349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる

389名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね

408名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:43:56.58ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
0631日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 15:05:53.47
キチガイが論破されてるね
0632日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 16:48:42.71
いいんだよ
金印は日本史古代史のなかでも
大一級の国宝だもの

この金印さえあれば
倭国九州説は揺るがない
九州から金印でて本当によかったと思う
0633日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 22:14:09.15
ところで親魏倭王の印鑑はどこにあるの?
親晋倭王の印鑑はもらったのかな?
台与は使ってたのかなあ
0634日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 22:24:53.23
むずかしくて読めん
通訳お願いします
30: 2012/06/13(水)23:01 AAS
越青邑君 瓦鈕
越貿陽君 瓦鈕
※宣帝時期贈給少數民族的官印首字始署“漢”,
下為民族名。東漢印沿襲宣帝以來傳統,首字也多署“漢”。

新越餘壇君 瓦鈕
新難兜騎君 瓦鈕
0635日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/28(日) 22:38:35.92
忘れれられた上代の都「伊都国日向の宮」 著者石井好

古事記の神話の舞台を福岡県の前原市、伊都地方に比定して話を展開している。
もともと海を「あま」と呼び、天下りとは海から上陸したことであり、
伊都地方が、その根拠地である。
「旧唐書」に出てくる倭国の王「阿毎」が、伊都地方の王の名である。
ここの王が倭国の王であり、権威と統制の結果「あま」に天の意味が加わり、
天王(あまのきみ)から今の天皇につながる、と言う仮説になっている。
確かに「すめらみこと」をどうほじくり返しても天皇の文字にはならない。

また、天の浮橋は糸島であり、おのころ島を作る下りは、
そこで行われていた製塩作業の情景と言う。
さらに、天の付く神(天津神)は、ここの神様で、天の付く天皇はここの王だったと言う。
天照の陵墓をへぐりとしている。
君が代に出てくる千代、細石、巌、苔は伊都地方の地名で
当時の国の領域を掛け言葉にして織り込んでいる 

なんだかおもしろそうな本みつけたよ
0636日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 12:23:41.05
>>634
前漢の宣帝の時少数民族に与えた官印は、始めに漢があり以下民族名となる
後漢でもこれを踏襲して、始めに漢とある印が多い
 越の青村の君   この越はベトナムじゃなく福建 広東辺り
 瓦鈕はこういう形
www.baike.com/wiki/%E7%99%BD%E7%8E%89%E7%93%A6%E9%92%AE%E2%80%9C
%E5%8D%97%E5%BA%B7%E7%8E%8B%E7%AB%A0%E2%80%9D%E5%8D%B0
0637日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 12:37:14.57
新越餘壇君  この新は前漢が途切れて王莽が立てた新朝のこと まもなく王莽は倒されて後漢になる
0638日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 16:34:07.10
アマテラスはアマ(海)を支配する意味なので、その所在地は海上であるべきであり、おそらく古代に大規模な祭祀が続けられた沖ノ島が高天原だろう。
ただし一族の代表として天孫が伊都に移動して倭王となった。
そこで成立したのが筑紫の日向の伊都の日向三代である。
それまでの倭王は福岡の大山祇や出雲の大国主であったのだろう。
これらの倭王の共通の祖先はいずれもイザナギであり、国産み伝説で知られる。
国産みのはじめは博多湾の能古島(おのころ島)であり、天の浮橋は海の中道のことである。
イザナギが禊をしたのが筑紫の日向の小戸である。
海の中道の先にはイザナギの息子の一人である綿津見の宮もある。
傍系である出雲のスサノオと大国主を除けば、上古(神代)の倭王はいずれも博多湾の沿岸にいたことになる。
0639日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 16:35:11.13
やっぱり吉武〜平原が王の古墳かな
九州から金印出ても納得できる
0640日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 20:18:08.16
「漢委奴國王」印は漢から倭奴国へ贈られたもので漢が存在する間は保管して使用され続ける品物
漢が滅亡したのは卑弥呼の在位期間だから最後の使用者は卑弥呼のはずなんだ。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 20:43:38.58
同意。
魏への最初の国書が真に倭王からのものであることを証明するためには、漢からの金印を使う必要がある。
魏は漢から禅譲を受けていて、外交関係も継承していたことになっている。
漢委奴国王印の陰影もしていたはずである。
0642日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 21:28:44.29
全然同意できない。
公孫氏時代に金印国交は終わった。

魏が楽浪帯方を占領したことで
邪馬台国は魏帝と接触した。

公孫氏は三国志で呉と組して王を名乗った為滅ぼされた。
倭人は倭人伝で改ざんされている文の呉の太伯の後を名乗ったことがある。

日本と公孫氏は友好国であったが、魏は日本にも及びかねない侵略者脅威である。
これによって、日本は統一軍事王朝の富国強兵政策、古墳時代が始まった。
0643日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/29(月) 22:41:12.95
>>642
何一つ根拠がない妄想
魏はどうやって卑弥呼が倭王であると確認したんだ?
0645日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 09:42:14.48
それは卑弥呼を倭王と認識した上で、金印を更新したんだよ。
つまり卑弥呼は最初の使いに志賀島の金印で封泥をしていたはず。
0647日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:08:47.06
しなかったから返されてもいない。
志賀島から出土したという現実から目を背けるなよ。
0648日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:11:44.70
そもそも魏への国書に志賀島金印を捺したというのが妄想
現実を認識しようぜ
0649日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:12:31.50
金印が志賀島で出ていること自体で
卑弥呼の金印印綬も大倭王としての証明にはなっていない
ということが判らんのかね? 

57年の倭王ってなんだよ?
記紀自体、この時代には、デッチアゲしかないだろが?
0651日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:15:44.46
自分でもビックリするくらい完璧な年表が出来た。

西暦57年 金印「漢委奴国王」を授かり、初代・神武天皇が誕生した。
107年 第6代・孝安天皇(倭国王帥升等)が後漢に朝貢した。
177年 第10代・崇神天皇が即位した。
179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 崇神5年、疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く
181〜184年 倭国大乱
183年 モモソ姫の助言で大田田根子に大物主神を祀らせたら五穀豊穣となり疾病が治まった。
184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫が女王・卑弥呼になった。
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。
198年(戊寅年) 崇神天皇が崩御した。
199年 第12代・垂仁天皇が即位した(女王・卑弥呼を補佐する役割)
202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
※『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(垂仁天皇の本名は伊久米),次席は弥馬升(垂仁天皇后の本名は日葉酢)
237年 垂仁天皇が崩御した。
238年 第12代・景行天皇が即位した。(女王・卑弥呼を補佐する役割)
238年 難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
248年 『三国志』によると女王・卑弥呼がついに亡くなった。
264年 景行27年、景行天皇の息子ヤマトタケルが熊襲討伐に成功。
266年 台与が晋に朝貢した。

※約100年の空白期間
※卑弥呼と台与を日本の歴史から消す代わりに架空の天皇である第13代天皇と第14代天皇を創作し空白期間を埋めた。

390年 第15代・応神天皇が即位した。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:24:46.36
>>651
記紀なんて関係ないよ

>>649
記紀なんて関係ないよ
0654日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:29:03.10
>>653
記紀は関係ある。
『新羅本紀』と『新撰姓氏録』の記述が一致してる。

西暦57年 『新羅本紀』によると倭人が新羅王の祖になった。 『新撰姓氏録』によると神武天皇の兄は新羅王の祖である。
※57年に漢から金印を授かったのは神武天皇で間違いない
0655日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:31:34.64
西暦57年に新羅の王になった倭人の脱解尼師今(昔氏の祖)は神武天皇の兄である。
0656日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:37:00.08
金印は建物じゃないから移動できるよね?
志賀島から出土した事より、何故志賀島から出土したのか?の方が重要だ
ちな俺東北人は九州説だが、伊都国説ではない
0657日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:40:55.27
>>656
魏志倭人伝によると伊都で外交してたのだから
伊都で外交文書をつくる時に金印使ってた。
0658日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:41:20.41
平安時代の書物で1世紀を語り「間違いない」
トンデモは軽々と時空を超越する
0659日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:46:34.51
>>658
朝鮮と日本の記述が一致してるわけだからね。中国の歴史書とも齟齬がないし。
否定するなら歴史書以上の証拠を出しなよ
0660日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:46:51.77
>>657
伊都は港や関所の役割はあっただろうが、、、
外交文書作成?文字がない時代に?
0661日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:47:01.13
最初は仮定だったものがいつのまにか事実として語られる
それもトンデモの特徴
0662日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:48:16.98
伊都クズの書き込みは妄想の上に妄想を重ねた実体のないものばかり
0663日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:50:06.79
>>660
硯が出土したの知らないの?
0664日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:51:07.16
>>659
後付けできる、って考えないの?
新撰姓氏録を読んでみろよ
渡来系なのに皇別名乗ってるのが沢山いるぞ
0665日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:52:33.62
いつの時代にも伊都クズのような妄想家がいて
都合のいいように捏造した歴史を吹聴する
0666日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:54:17.21
>>663
でその硯はどこから貰ったんだ?
硯が出土しても文書を書いたとは限らんのでは?
0668日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:55:41.30
>>664
>渡来系なのに皇別名乗ってるのが沢山いる

朝鮮の王族は倭人なんだから、当たり前だろ。
0669日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 12:57:00.78
>>666
そりゃそうだけど倭の外交官が文字知らなかったとは考えにくいよね
0671日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:02:49.85
>>669
考えにくいが出土されてないからしょうがないね
よって金印は使われてないんだよ。使い方を分かってたかどうかも怪しい
魏から貰った金色の宝扱いだったろうな
0672日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:04:42.41
>>671
>使い方を分かってたかどうかも怪しい
>魏から貰った金色の宝扱いだったろうな

あなたアホ?
0673日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:05:42.31
そもそも魏への国書に志賀島金印を捺したというのが妄想
0678日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:08:11.14
>>655
魏時においても辰韓に王は無く馬韓人がこれに当たり月支国で治めていた。
記紀との帳尻合わせは、嘘の塗り重ねにしかならない。
0680日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:11:19.65
>>678
記紀だけじゃなく新羅の正史や
日本の資料の新撰姓氏録とも一致してるよ
0681日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:12:57.00
>>677
魏が渡したのは捺印よりも証としての意味が強い
だいたいその当時の印は今と違って封だぞ
0683日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:18:57.77
伊都クズはいつもイメージでしか語れない
チェリーピッキング常習犯
0685日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:27:20.78
>>684
伊都説でも良いが練り込みが足りない
時代背景を考えようね。その当時は弥生後期だよ?
外交文書とかのレベルじゃない。君が思ってるよりもっと原始的だよ
じゃなければ「倭」とは呼ばれない
0686日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:31:15.87
倭はチビって意味でしかない
今でも福岡行ったらビックリするほどチビだらけだぞ
0687日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:32:54.50
日本のチビ県ワースト一位は沖縄だけど、2-3位は福岡か宮崎
3県とも平均身長170cmを超えたことが一度もない
0688日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:34:16.80
>>686
勝手に意味を変えるなよw
0689日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:40:14.44
>>646
漢から魏へは禅譲を受けていて国家を継承していたことになっているから返還する必要はない
返還が必要なのは討伐で政権が変わった場合に前の王朝から貰った印を持っていると前王朝に従っていて次の王朝とは敵対してることになるから。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:06.18
>>685
北部九州地域では弥生時代の硯が各地の遺跡から数多く出土している
北部九州地域の文字使用は弥生時代には始まっていた。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:51.07
>>688
は?何言ってんだ無能w
0692日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:46:53.34
平安時代初期の『弘仁私記』序にはある人の説として、倭人が自らを「わ」(吾・我)と称したことから「倭」となった、とする説を記している。

一条兼良は、『説文解字』に倭の語義が従順とあることから、「倭人の人心が従順だったからだ」と唱え(『日本書紀纂疏』)、後世の儒者はこれに従う者が多かった。

江戸時代の木下順庵らは、小柄な人びと(矮人)だから倭と呼ばれたとする説を述べている。

新井白石は『古史通或問』にて「オホクニ」の音訳が倭国であるとした。
0694日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:49:11.69
>>692
倭人の国だから倭国なのだから新井白石のオホクニ説は却下だな
0695日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:49:31.05
>>693
0696日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:51:05.48
何で魏志倭人伝なのに日本文献参照なんだよ
その当時の魏で「倭」は野蛮って意味だ。中国からはそう見られていたって事だ
0697日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:52:07.92
「従順」ってのがプライドに引っかかるなら「素直」で良いじゃない
今昔の日本人の特徴である「謙虚さ」や「学び作り変へる力」も全てはこの「素直」な気質に根付いてると思う
0698日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:52:36.84
>>696
ソースがないから却下だな
0699日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:53:28.41
>>696
説文解字は三国志より古いぞ無能
0702日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:57:13.01
日本列島に住む人々が「倭人」と呼称されるに至った由来にはいくつかの説がある。

魏の官人如淳は「人面に入れ墨する(委する)」習俗をもって倭の由来と論じたが、臣?や顔師古らから、倭と委の音が異なることなどを理由に否定されている。

平安時代初期の『弘仁私記』序はある人の説として、自称を「わ」(われ)としていたことから、中国側が倭の国と書きとめた、とする説を記している。

また、『説文解字』に倭の語義が従順とあることから、一条兼良が「倭人の人心が従順だったからだ」と唱え(『日本書紀纂疏』)、後世の儒者はこれに従う者が多かった。

また、「倭」は「背丈の小さい人種」を意味したという説もある。

木下順庵も、小柄な人びと(矮人)だから、倭と呼ばれた述べている。

また作家の井沢元彦は「大陸の人間が彼らの国家名を聞いた時に、当時未だ国家概念が存在しなった彼らは、自身の帰属団体名を答えた、それが『輪』である」としている[3]。このように多くの説が立てられたが、定かなものはない。

「倭(委)奴国」を「倭の奴の国」と解釈することに異論もある。
原文の「魏志倭人伝」を解釈した漢字の本家の学者の中には、古には「奴」という字に女性の蔑称の意味があり、女王国である倭を「倭奴国」と呼称し、中華思想による冊封国家、目下の国の倭国に対する蔑称みたいなものと捉えるべきである、という説である。
ただ遣隋使、遣唐使が行われるようになって、後世の中華思想国でも、そういった蔑称は次第に使われなくなった、と捉える見方である。
0703日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:58:03.49
>>701
くやしいのぅ
0704日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:58:34.80
>>700
文盲かよwww
0705日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:59:22.06
>魏で「倭」は野蛮って意味

ソース出せ無能
0706日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:00:22.19
>>693
土器職人が文字を書けなかったんだろ。
0707日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:02:12.55
>>697
素敵
0708日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:05:10.03
>>693
ごく一部の高官しか文字使えなかったからだろう
0709日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:08:29.27
三重県嬉野町の貝蔵遺跡から2世紀後半とみられる「田」を描く土器が発見された。
三重県で2世紀後半だから
九州北部への文字の伝搬は1世紀以前なのは妥当なとこだな
0710日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:09:20.39
和を以て貴しと為す

倭の語源は伊沢の輪(和)が最も合理的
0711日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:14:37.33
倭(わ)は
輪、分ける、別れるの(わ)

(わこく)は素直に外国って意味だろ
0712日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:15:00.62
長崎県壱岐市のカラカミ遺跡でで出土した「周」文字が残る土器片(1〜3世紀ごろ)
福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で出土した「竟」文字が残る土器片(2〜3世紀ごろ)
0713日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:16:23.82
>>711
こじつけw
臭すぎる
0714日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:17:38.22
土器と一括りに言っても生活用具と祭祀用とあるやん
0716日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:29:02.99
中華圏とそれ以外の輪(分かれ目)にあるから倭国だと思うよ
0717日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:29:27.04
>>716
それだ!
0718日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:32:17.68
>>657
>>656
>魏志倭人伝によると伊都で外交してたのだから
>伊都で外交文書をつくる時に金印使ってた。

その通り。
最後に女王が国璽で封泥をして外交文書が完成する。
卑弥呼がどこにいたのかは明白。
0719日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:35:56.97
>>654
>>653
>記紀は関係ある。
>『新羅本紀』と『新撰姓氏録』の記述が一致してる。

>西暦57年 『新羅本紀』によると倭人が新羅王の祖になった。 『新撰姓氏録』によると神武天皇の兄は新羅王の祖である。
>※57年に漢から金印を授かったのは神武天皇で間違いない

興味深い。
神武は四兄弟だったが、他の二人の兄弟の消息が疑問だった。
筑紫を離れてチリジリになり、それぞれの土地で王になったということになる。
ただ、その名前は仏教の影響を受けていることが明白で、本来の名前とは違うのでは?
0720日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:43:40.25
>>715-718
猿芝居が過ぎる。
0722日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:53:18.43
新羅本紀・脱解尼師今紀

倭国の東北一千里のところにある多婆那国[1]で、その王が女人国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。
生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。

この里が短里なら、博多から数十キロ東北の女人国の出身だね。
地図を見たらあら不思議。
沖ノ島がありますね。
高天原の女王の息子ということですかね?
0723日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:53:46.18
>>721

根拠なく吠えるだけ
0724日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:57:36.51
>>723
根拠はあるよ
実際に政治を行なっていたのは卑弥呼ではなく男弟や一大率など官だから
0725日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:05:25.72
>>724
まつりごと
0726日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:08:48.42
>>724
代表として最後に国璽を押すのは女王の仕事
0727日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:16:43.26
完璧とまではいかなくても卑弥呼もある程度は漢文読めたってことだろうな
0729日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:40:35.49
>>728
卑弥呼が漢文を読めなかった可能性はあるけど、金印で封泥をするのは女王の仕事。
その金印は志賀島にあった。
0730日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:43:05.47
>>729
女王の自覚があって、外交文書に自分の印を押すんだから
全く読めなかったって考えるのは池沼だと思うぞ
0732日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:49:10.98
伊都クズはこんなレベルだから笑われているのに自覚できない
0733日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:51:09.85
>>730
まあそうだよな。
そうすると伊都で国書を作成して封泥したことになる。
0734日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 15:53:21.18
どれが伊都クズのレスなのかサッパリ分からん
0735日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 16:08:59.74
固有名詞ではなくアンチ畿内説の総称だから気にするな
0736日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 16:18:47.82
伊都クズのキーワード
・伊都国ガー
・平原遺跡ガー
・八咫鏡ガー
・三種の神器ガー
・高祖神社ガー
・三雲南小路ガー
・細石神社ガー
・クシフル岳ガー
・怡土城ガー
・キナイコシガー
0737日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 16:56:17.10
俺も伊都クズだった件www
0739日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:00:12.68
>>738
嫌畿内
0740日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:00:54.39
親筑紫
0741日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:01:07.40
反畿内
0742日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:01:38.52
反纏向
0743日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:01:53.60
嫌纏向
0744日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:02:09.68
親奴国
0745日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:02:24.32
親委奴国
0746日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:30:05.84
九州へぐり族が奈良に疎開した説
ただし、九州へぐり族は弥生時代より前か初期には
四国か奈良へ移動したと思われる
だれか君が代の苔を教えてください
0747日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 17:34:47.56
>>746
細石神社ネタはもうウンザリだぞ伊都クズBOY
0748日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 18:22:44.31
何を解ったような間抜けな話を・・・

奴国王難升米、都支王都市牛利、巳百支王伊聲耆掖邪狗も、假銀印綬 であって 
(↑これ、考古学者は、論争要らんのだから、スコップ持ってって九州墳墓で探せよw)
奴国王はさらに 詔賜で 倭難升米 黄幢 付郡假授 なんだよ。
卑弥呼や将軍たちが字が読めないとかw 関係ない世界だろwww

難升米と壹與は247年
韓を挟み撃ちにして半島を中華直轄領とするための 
三国志覇者、魏国王の 檄 に応えず、国交は絶えた。

280年覇者となった魏であるが、東夷では、
313年四郡放棄、350年高句麗楽浪候、幽州刺史任命なるも
にほんの後援による馬韓新羅の傀儡建国 という、日本の防衛線は成立し、
高句麗戦戦利の、牛馬の移入と鉄の国内生産などの富国強兵政策は
日本において倭の五王による400年の南朝との半島利権交渉までに成立した。

倭人伝というか、歴史が読めてるか?
0749日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 18:24:36.52
>>748
お前にもうちょっと作文力があったらなぁ・・・
0752日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 23:04:41.93
難升米の墓は黒塚古墳でほぼ間違いないでしょ
黄幢も出土してるし
0753日本@名無史さん
垢版 |
2019/04/30(火) 23:44:17.53
纏向遺跡の真南に箸墓(卑弥呼の墓)
纏向遺跡の真北に黒塚古墳(難升米の墓)

黒塚古墳は箸墓の半分の大きさである。
0754日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 04:37:38.32
> 箸墓(卑弥呼の墓)

昭和からタイムトラベルしてきたんか?
0755日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 08:11:49.40
>>753
>黄幢も出土してるし

それ妄想だなw
0756日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 09:17:12.73
箸墓っていうのは四段築成で
天皇陵よりも格上の形状で
当時の人々は箸墓に眠る人は天皇よりも偉いと思っていたことは間違いないんだよ

これは物的証拠なので超重要
0757日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 09:19:15.74
>>755
U字型の黄幢でてきてるよ
鏡も出てきてる。九州の古墳で発見される鏡よりも格上のやつな
これも物的証拠
0758日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 10:25:50.64
>>757
それ黄幢だとは断定されてないから。
0759日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 10:34:11.54
>>756
一部のキチガイが妄想してるだけの話を事実かのように語るなよ無能
0760日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 10:47:35.29
>>757
画文帯神獣1枚と三角関数33枚
三角縁神獣鏡は4世紀以降のものだし
画文帯神獣は5世紀の古墳から出土するもの。
0764日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:04:17.58
箸墓が四段築成っていうのは事実
崇神天皇陵などが三段築成なのも事実

天皇よりも格上の墓を作られるのは誰?
0765日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:07:55.40
>>761-764
妄想乙
0767日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:22:16.00
ここは金印スレだから畿内妄想は専スレでおやりなさい
0768日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:26:02.35
強大な漢の時代は日本は下僕的地位だからクソ。唐、日本、朝鮮三国が自立し始める魏晋が最高。
0769日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:28:17.63
ここは金印スレだ!
許されるのは金印に関係する妄想だけだ!
0770日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 11:55:34.38
>>766
無知無能の妄想には付き合いたくないって意思表示だぞマヌケ
0774日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 15:45:30.23
チョンコ史料はちょっと・・・
0775日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 15:46:47.99
>>763
時代も不明確だし幢か何なのかも分からないのに可能性が高いはずなかろ。
0776日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 15:57:49.99
>>757
九州の鏡より格上の鏡って何だ?
0777日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 16:01:50.73
畿内信者って妄想の仕方とか精神勝利法とか朝鮮ヒトモドキにそっくりだと感じるのは私だけでしょうか?
0778日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 16:03:59.22
鏡に上も下もありません
あるとすれば剣の種類か玉壁か金製品だ
最上位が金印だよ
0779日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 16:11:20.57
>>778
金印が最上位ってのは同意しかねるな
自分たちの宝物ではなく、あくまで下賜され宝物とした物なんだから
0780日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 17:19:43.07
>>779
玉印が最上位だよね。
0781日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 19:55:39.95
>>779
剣や鏡もそうなんだけど
0782日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 21:38:16.87
>>777
どんなに論破されても勝利宣言だからな
朝鮮人と同じで自分は絶対に正しいと変な考え方をしてる。
0783日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/01(水) 21:44:04.68
>>777
畿内説信者は朝鮮人の末裔なんだろうな
思考パータンが全く同じだな。
0784日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 00:16:58.24
>>782
何度論破されても同じ妄想を繰り返す伊都クズさんのことですか?

>>783
伊都クズさんも何でもかんでも伊都が起源だーっ主張してますよね
0785日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 01:02:44.53
アンチ畿内でアンチ伊都クズの俺はどうしたら良いんでしょうか
0786日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 01:23:06.95
>>784
>伊都クズさんも何でもかんでも伊都が起源だーっ主張してますよね

起源だなんて主張していないと思うよ。
ただ、魏志倭人伝が伊都ばかり細かく説明して、遺跡も伊都に集中しているからでしょう。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 01:24:56.11
>>778
>鏡に上も下もありません

内行花文鏡が最上位だよ。
平原で最大の鏡も籠神社の鏡も内行花文鏡だった。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:00:29.21
お前たちが決めることではないんだけど、
どこの池沼の集団なんだ?

?????????????????❓
0789日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:56:13.62
>>788
川崎の統合失調症症患者は日の出前に首を吊れよ

前から何度も何度も死ねと命令されているだろう?

なぜ言うことを聞くことができないのか・・・

重度の統合失調症症患者とは言え、日本語は読めるのだろう?

モタモタせずに日の出前に実行しろ
0790日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 08:50:45.41
>>786
証拠や理論に基づかずに願望が先にあるのが朝鮮脳と畿内脳の共通点だな
現実を見ようとしない。
0792日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 13:58:02.95
>>791
三角縁神獣鏡は重要な鏡ではない
どうでもいい物なんだな。
0793日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 16:15:19.94
内行花文鏡こそ至高。
そして最大の内行花文鏡が平原遺跡の八咫の鏡。
畿内からはどんなに大きな鏡が出ても、わずかに平原遺跡の内行花文鏡より小さい。
八咫の鏡を作ったら反逆と見なされたのかもね。
0794日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 16:44:13.21
>>792
三角縁神獣鏡は一番格上ではないのは確かだね
0795日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 16:54:02.50
>>776
畿内中心に出土する画文帯神獣鏡。
九州では畿内で画文帯神獣鏡よりも格下扱いされてる鏡が使われているので
九州が畿内の支配下にあった物的証拠でもある
0797日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 17:09:27.94
>>795
現実を直視する勇気を持てよヒトモドキ
0799日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 20:15:18.68
>>798
八咫の鏡が最上位
0800日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/02(木) 20:28:40.65
つまり平原遺跡の超大型内行花文鏡
直径2尺、円周8咫
史上最大の銅鏡
0802日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 00:32:19.74
>>801
一度も言い負かされてないよ。
だってあなた反論できないもんw
0803日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 00:34:41.92
>>800
それも邪馬台国がならである証拠だな
平原遺跡の鏡は漢の時代のものなのに
魏の時代の鏡は奈良中心に発掘される
0804日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 00:48:04.98
>>802
そんなんだから「現実を直視する勇気を持てよヒトモドキ」って何度も叱られてるわけだ(笑)
0810日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 11:36:38.48
>>809
ヒトモドキって言葉を使ってる時点でキモい
お前の負けやw
0811日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 11:42:41.69
>>810
チョンコ名物の精神勝利法をリアルタイムで見れて爆笑www
0812日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 11:45:09.30
ネトウヨ!!負けた!!
ネトウヨ!!涙目!!!
ネトウヨ!!発狂!!!

ホルホルホル!!
  ∧_,,∧    ∧_∧
  <*`∀´> -3 (・ω・`) ・・・
  ( チョン )   ( 日  )
  し―-J     し―-J

  ∧_,,∧    ∧_∧
  <  `Д>   (・ω・`) 阿Q正伝
  ( チョン )   ( 日  )  読んでごらんよ
  し―-J     し―-J  
0813日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 14:37:51.11
>>803
>平原遺跡の鏡は漢の時代のものなのに

ここが大ウソ。
後漢鏡はごく一部で、大部分は国産化された魏代の鏡だよ。
0814日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 15:43:15.74
>>813
ウソつき
0815日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 15:45:22.14
>>811
あなたは惨めに負けたんだよ。可哀想
0817日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 17:23:22.64
     (⌒⌒)
ファビョ━ l|l l|l ━ン!!!!!.
     ∧_,,∧
   ⊂<# `Д´>  現実を直視する勇気があったら
    /   ノ∪    朝鮮ヒトモドキなんてやってないニダ!!!!
    し―-J |l| |
            人ペシッ!!

        ∫ ∫ ∫
          ノヽ
         (_  )
        (_    )
       (____ )
0818日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 17:46:39.85
>>794
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から貰った鏡ではないのは明らかだね。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 18:09:00.52
>>818
何をいまさら
0820日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/03(金) 19:15:50.18
テスト
0822日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 00:05:48.72
出かけていたから、あまりスレが進んでないだろ。
普段の数分の一しかレスがない。
0823日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 00:47:19.05
年表

西暦57年 金印「漢委奴国王」を授かり、初代・神武天皇が誕生した。
107年 第6代・孝安天皇(倭国王帥升等)が後漢に朝貢した。
177年 第10代・崇神天皇が即位した。
179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く
181〜184年 倭国大乱
183年 モモソ姫の助言で大田田根子に大物主神を祀らせたら五穀豊穣となり疾病が治まった。
184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。
198年(戊寅年) 崇神天皇が崩御した。
199年 第12代・垂仁天皇が即位した(女王・卑弥呼を補佐する役割)
202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
※『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(垂仁天皇の本名は伊久米),次席は弥馬升(垂仁天皇后の本名は日葉酢)
237年 垂仁天皇が崩御した。
238年 第12代・景行天皇が即位した。(女王・卑弥呼を補佐する役割)
238年 難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
248年 『三国志』によると女王・卑弥呼がついに亡くなった。
264年 景行27年、景行天皇の息子ヤマトタケルが熊襲討伐に成功。
266年 台与が晋に朝貢した。

※約100年間の空白期間
※卑弥呼と台与を日本の歴史から消す代わりに架空の天皇である第13代天皇と第14代天皇を創作し空白期間を埋めた。

390年 第15代・応神天皇が即位した。
0824日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 06:43:45.04
>>823
おい、キチガイ
以下のソース出せよ

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
0825日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 12:37:51.09
>>824
口から出まかせの畿内説にソースなんからるかよw
全部願望だよ。
0826日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 13:10:55.01
神武は喧嘩に負けてヤマトまで逃げた 金印も持っていっただろ
志賀島に隠されたままてことはないわな
0827日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 13:34:05.73
>>826
何のパラレルワールドだよ
0828日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 14:10:45.27
志賀島から出た事実を無視するな。
神武は金印も三種の神器も持たずに、倭国大乱で敗走して、都落ちしたんだ。
0829日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 14:38:33.32
質問があります
1)倭国日本に、もらった印鑑は何個あるのか?
2)神武は、どこの戦で負けてどこに帰っていったのか?

よろしくお願いいたします
0830日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 14:44:34.91
>>824
書いてあるだろ。
崇神天皇崩御の年は戊寅年(198年)
181年のタウポの大噴火と合わせると崇神5年に「倭国の人口の半分が死んだ」 のは
181年ころと考えるのが妥当

奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移したのは崇神3年なので179年ころだよ
0831日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 15:03:40.99
>>829
金印は漢委奴国王印と親魏倭王印の二つがあるはずです。
後者が卑弥呼の印で、前者はその前のものです。

神武は筑紫の生まれで、筑紫を出て大和に行き、そのまま帰りませんでした。
記紀によると、筑紫は騒がしく、より良い政治をするために東に向かったそうです。
内乱でもあったのでしょう。
転進と言い換えるのはよくあることです。
0832日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 15:09:41.58
噴火で死ぬんじゃなくて、噴煙が空を覆って寒冷化が起きて穀物が採れなくなって死んじゃうんだろ
蓄えもあるし、同じ年のわけがない
0833日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 15:11:51.55
>>830
おい、キチガイ
以下のソースをきちんと出せよ無能

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
0834日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 16:41:29.94
無能ヒトモドキも松傾も普段は他の在日チョンコ同様日本人のフリして暮らしてるはず
何故か?
それはチョンコであることが恥ずかしいからに他ならない
そして日本人のルーツにチョンコが無関係だと理解してるからに他ならない

自ら恥ずかしい存在だという自覚があり
何一つ自信を持つことが出来ない惨めさから
朝鮮起源説や反日活動で精神勝利するしかない

チョンコとはそういう存在

  :_       ..、     ..__                           、___
  _jllll′   ョ- 4il||l     "lll'、     ‐ 、         _..-''lllliin 、    _ `''||ゞ'
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、l|′    :、_uil||l'  _ __'||l  |lll′      lll  _.   |ll'、:lll′ _lll′  lllll  ゙'il|l′ "lll|  ゙llll| l||l  l||l′ 
 'llL_    "'´ |ll、゙゙''冖′  lll      、  llll 〃  ..ulll!' ‖ ,jlll′  _|lll′     ||l   ゙llll ./゙l||| l||′
  ゙l||li、     |ll、      'll'、  ,__〃  ゙||lli    ゙゙  'l|l'′  ,,._lll′     ,,lll′   .|lll’ `'l|||′
   `il|l'      il|l       `'ill||lll''~    ~~        `  -‐'~~     ..l广     .`''  ゙''′


           ; ∧,_∧:   悔しいニダァァアーーッ!!!
           :<;l|l;`田´>;
           ;(6   9):
          :ム__)__)
0837日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 16:56:08.52
>>833
物的証拠もすでにでてるだろ

モモソ姫の箸墓は四段築成で崇神天皇陵よりも格上で
当時の人々がモモソ姫は崇神天皇よりも偉いと認識してたのは間違いないんだよ
0839日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 18:59:59.22
>>837
おい、キチガイ
以下のソースをきちんと出せよ無能

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
0840日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 20:14:53.80
>>838
蓄えなんてあっという間になくなる。
稲、野菜、穀物、木の実などすべてアウトだからね
0843日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 21:48:34.84
>>830,837は無能
0844日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 21:50:21.21
モモソ姫は三つ子
0845日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/04(土) 21:52:40.52
モモソ姫は三つ子
0847日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 00:06:23.86
>>839
184年の黄巾の乱で漢が衰退したのは学者の間でも定説だから
否定したいならキミがソース出さなきゃいけない立場だよ
0848日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 00:43:36.33
>>847
おい、キチガイ
以下のソースをちゃんと答えろと言ってるんだぞド無能

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
0850日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 02:02:50.79
>>849
無能な上に文盲かよ(笑)
ソースを迫られてるのはお前だクソ無能

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。


さっさと上記四点の根拠を示せよクソ無能
0851日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 08:47:56.12
>>831
神武天皇が筑紫の生まれ?
サラッと嘘をつくなよ
0852日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 08:53:56.37
筑紫の日向三代の最後、彦渚の四男だよ。
記紀は筑紫が神代の王都というスタンスだからね。
筑紫王家の末裔であることが神武の正統性の根拠なんだけど?
0853日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 09:51:57.07
>>850
逃げるな
ソース出せ
0854日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 09:52:05.03
>>852
悪い悪い、筑紫の日向だったな
筑紫の解釈の範囲が広すぎて思わず否定しちゃったよ
でも日向を北部九州とは言うなよ?w
0855日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 10:06:55.15
>>852
神武が筑紫の王だったのは間違いないけど
神武に兄・脱解尼師今は丹波国(京都)の出身だから
神武も丹波国付近の出身だよ
伝承でも神武は丹波国に近い奈良県の橿原市を都とした
0857日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 10:35:11.99
>>856
日本で編纂された『新撰姓氏録』にも
神武天皇の兄は新羅王の祖であると書かれているよ。

倭人の新羅王の祖は、 脱解尼師今なので脱解尼師今が神武の兄だよ
0858日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 11:37:47.66
>>853
無能な上に文盲かよ(笑)
ソースを迫られてるのはお前だクソ無能

> 179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。

> 184年 疾病などの影響で崇神天皇が権威を失った。倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。


さっさと上記四点の根拠を示せよクソ無能
0860日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 13:46:24.29
>>857
その神武天皇の兄は記紀でいう所の誰なんだ?
で新撰姓氏録のどの姓だと君は言ってるのかね?
0861日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 13:58:48.16
>>859
無能な上に文盲かよ(笑)
ソースを迫られてるのはお前だクソ無能

> 179年 瑞籬宮に都を移した。

> 184年 崇神天皇が権威を失った。
> 倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。


さっさと上記四点の根拠を示せよクソ無能
0862日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 18:19:10.25
>>854
筑紫の日向
福岡県の福岡市早良区の日向峠付近だろ
伊都国と奴国の境、女王国の中心地。
0864日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 18:39:01.20
脱解尼師今
師今が名前だろうな。師升って言う名の倭王もいるし。
尼は当然「アマ」の当て字
天武の兄は海に入ったという伝説があるから「海に脱っする」でダッカイに当て字して脱解
0866日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:28:10.10
>>864
だから倭人の名前が新羅初期の王号になったんだろ
だって倭人の脱解尼師今が新羅王(昔氏)の祖だもの
0867日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:28:56.65
>>865
だから倭人の名前が新羅初期の王号になったんだろ
だって倭人の脱解尼師今が新羅王(昔氏)の祖だもの
0868日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:29:15.69
だから本記や伝説や予想じゃなく
記紀で神武天皇の兄弟は3人いるんだが、その内の誰が脱解尼師今だと仮定してるんだ?
0869日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:35:30.16
あとな脱解尼師今の予想の氏姓を聞いてるんじゃないよ
新撰姓氏録のどの氏だと仮定してるのか聞いてる
新撰姓氏録を持ち出してんなら具体的に言えるよな?
0871日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:39:04.92
>>862
だから記紀を持ち出すなら、福岡じゃないのはわかるよな?
記紀読んでんの?
0872日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:43:49.15
                       韓猿だって
                       脱解尼師今が            (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  神武天皇の兄弟だなんて   )   )
              、 ゛  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ.   ホラ吹かねーぞ   ,.、   / /
               ミ   ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i.     恥ずかしい .| |l   l ,´
             ミ    ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ.          _-、i::| |ニニii '
         、,,,,ツi:     ミ,`~´ ヽ~〈  .ミ        /,‐ヽヽ`、||
       、シ``   i:      ,ゞ  'n.inヽ. .ミ          ( .〉〉/
      シ  //      ミ`    l.l ヽ"、         /  ノ
     ミ/ シ           彡 ,=こ二=.{ ミ,,      ,r'´ ,,、'゛
     ミi. /  /       ' ! w、`~^' vwv '、   ミ      〃 .ミ
    .ミ /     i:  /      `^^     \ ."   〃  ミ
   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
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   :i;  /   i:      !!       .ミ キ    , ⌒`、_  )  )
   :il     .i:    !    w!    ミ .:i.   (_ (  _,ノ  ) ,
  :il   !  i:           ! ,〃゛  キ    ゞ、 __,  ノ ,
  .:il !   /~~````` " '''' = ‐- 、ミ  _,,,,_ミ,  il `  ー ´
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0873日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:44:48.19
>>870
wiki www レスに歴史書を引用するのに名前出せんのかw
で屁理屈はいいから具体的に仮定してみてよ
0874870
垢版 |
2019/05/05(日) 19:48:04.72
オレは本人じゃないので
ヨコのオレでもすぐ検索で出てきたのに
0876日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 19:57:12.61
                       韓猿だって
                       脱解尼師今が            (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  神武天皇の兄弟だなんて   )   )
              、 ゛  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ.   ホラ吹かねーぞ   ,.、   / /
               ミ   ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i.     恥ずかしい .| |l   l ,´
             ミ    ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ.          _-、i::| |ニニii '
         、,,,,ツi:     ミ,`~´ ヽ~〈  .ミ        /,‐ヽヽ`、||
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     ミ/ シ           彡 ,=こ二=.{ ミ,,      ,r'´ ,,、'゛
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   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
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   :il     .i:    !    w!    ミ .:i.   (_ (  _,ノ  ) ,
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         ^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).)
0878日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 20:24:08.89
>>877
もうwikiでもいいけど
脱解尼師今のwikiのどこに神武天皇の兄と書いてあるんですか?
0879日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 20:32:13.49
                       韓猿だって
                       脱解尼師今が            (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  神武天皇の兄弟だなんて   )   )
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   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
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  :il   !  i:           ! ,〃゛  キ    ゞ、 __,  ノ ,
  .:il !   /~~````` " '''' = ‐- 、ミ  _,,,,_ミ,  il `  ー ´
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         ^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).)
0881日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 20:35:51.60
                       韓猿だって
                       脱解尼師今が            (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  神武天皇の兄弟だなんて   )   )
              、 ゛  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ.   ホラ吹かねーぞ   ,.、   / /
               ミ   ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i.     恥ずかしい .| |l   l ,´
             ミ    ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ.          _-、i::| |ニニii '
         、,,,,ツi:     ミ,`~´ ヽ~〈  .ミ        /,‐ヽヽ`、||
       、シ``   i:      ,ゞ  'n.inヽ. .ミ          ( .〉〉/
      シ  //      ミ`    l.l ヽ"、         /  ノ
     ミ/ シ           彡 ,=こ二=.{ ミ,,      ,r'´ ,,、'゛
     ミi. /  /       ' ! w、`~^' vwv '、   ミ      〃 .ミ
    .ミ /     i:  /      `^^     \ ."   〃  ミ
   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
   :i;     .i:   w      !!   ミ!:   ミ \\( ⌒ヽ
   :i;  /   i:      !!       .ミ キ    , ⌒`、_  )  )
   :il     .i:    !    w!    ミ .:i.   (_ (  _,ノ  ) ,
  :il   !  i:           ! ,〃゛  キ    ゞ、 __,  ノ ,
  .:il !   /~~````` " '''' = ‐- 、ミ  _,,,,_ミ,  il `  ー ´
  :il   ´ ―  ̄ - ,,. -‐‐-、、 ヽ. ヾ、  ゞ、 `  〃
  ゝ、wx.mn.!!++ナ'~      ヾ~ヽ、 ヽ、 ,, ~^^}´
     彡   〃  〃     }} /〉.〉〉〉i''"   〃
      彡、     {{     〃,__!////l |    〃
        X,,    》.   ≪.__`‐'.' '´,Uwwvw'、...,,,___
         ^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).)
0882日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 20:55:04.42
>>880
弱いねw
で稲飯命は神羅王の祖と新撰姓氏録には書いてあるけど
本記で脱解尼師今は神羅王4代目となっている
その説明は?
0886日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 21:10:38.49
                       韓猿だって
                       脱解尼師今が            (  (
                ,,.r'' ゛~~` ''ッ,,  神武天皇の兄弟だなんて   )   )
              、 ゛  ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ.   ホラ吹かねーぞ   ,.、   / /
               ミ   ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i.     恥ずかしい .| |l   l ,´
             ミ    ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ.          _-、i::| |ニニii '
         、,,,,ツi:     ミ,`~´ ヽ~〈  .ミ        /,‐ヽヽ`、||
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     ミi. /  /       ' ! w、`~^' vwv '、   ミ      〃 .ミ
    .ミ /     i:  /      `^^     \ ."   〃  ミ
   .ミ.:/ / / i:      v    !  ,,   \ 、 〃  ミ
   :i;     .i:   w      !!   ミ!:   ミ \\( ⌒ヽ
   :i;  /   i:      !!       .ミ キ    , ⌒`、_  )  )
   :il     .i:    !    w!    ミ .:i.   (_ (  _,ノ  ) ,
  :il   !  i:           ! ,〃゛  キ    ゞ、 __,  ノ ,
  .:il !   /~~````` " '''' = ‐- 、ミ  _,,,,_ミ,  il `  ー ´
  :il   ´ ―  ̄ - ,,. -‐‐-、、 ヽ. ヾ、  ゞ、 `  〃
  ゝ、wx.mn.!!++ナ'~      ヾ~ヽ、 ヽ、 ,, ~^^}´
     彡   〃  〃     }} /〉.〉〉〉i''"   〃
      彡、     {{     〃,__!////l |    〃
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         ^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).)
0887日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 21:27:30.15
>>859
無能な上に文盲かよ(笑)
ソースを迫られてるのはお前だクソ無能

> 179年 瑞籬宮に都を移した。

> 184年 崇神天皇が権威を失った。
> 倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫か大田田根子が女王・卑弥呼になった。

> 184年 漢から授かった金印の権威消失。

> 202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。


さっさと上記四点の根拠を示せよクソ無能
0888日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:00:15.35
>>855
>神武に兄・脱解尼師今は丹波国(京都)の出身だから

筑紫から兄弟が各地に散らばったのだろう。

>>864
>脱解尼師今
>師今が名前だろうな。師升って言う名の倭王もいるし。
>尼は当然「アマ」の当て字

なるほど。
脱解は仏教用語に見えるから後世の諡(おくりな)か?
尼師今は天の帥の今と読めるわけか。
筑紫の天津神の名前となるね。
新羅も大和も筑紫倭国の分家だということになる。
そういやスサノヲも新羅に行って苗木を持って帰ったな。

>>871
>だから記紀を持ち出すなら、福岡じゃないのはわかるよな?

記紀を曲解しているのはそちらだろうね。
宮崎はもう一つの分家であり隼人の祖である海幸彦の投馬国だろう。
帯方郡から水行10日(一万里)で福岡県の邪馬台国(王都である筑紫の日向)、帯方郡から水行20日で宮崎県の投馬国(後に景行天皇が日向と命名)。
日中の史書は九州北部が倭国の王都ということで一致している。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/05(日) 23:47:25.50
>>888
猿芝居キモチワルイ
0890日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:28:58.51
>>882
脱解尼師今は神羅王4代目で、昔氏の祖だよ
なので脱解尼師今は、新羅王(昔氏)の祖で合ってるよ
0891日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:35:43.98
>>888
>脱解は仏教用語に見える

なるほど。解脱した存在という意味も持たせてるのか
0892日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:44:22.18
>>882
新羅王の始祖は3人いる

昔氏始祖は、脱解尼師今
金氏始祖は、金閼智
朴氏始祖は、赫居世居西干
0893日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 01:52:34.51
>>888
>日中の史書は九州北部が倭国の王都ということで一致している

中国の歴史書には大和(奈良)がいにしえの邪馬台国とはっきり書いてあるし、
『日本書紀』では神功記に魏志倭人伝が引用されており邪馬台国は奈良であることが前提で書かれている
0894日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 02:55:37.59
>>892
三氏族とも倭種
0895日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 05:47:38.82
>>894
漢族の百済人は滅亡、現生朝鮮人はウラル系の高句麗人がルーツ
0896日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 06:42:23.69
>>897
不思議なことに日本人の遺伝子(O-47Z)は高句麗で爆発的に増えてるんだよな。
朝鮮人が日本で爆発的に増えた形跡はない。

O-47Zは関東地方に多いが
九州が新羅を支配、関西が百済を支配、関東が高句麗を支配し、分割統治した形跡が遺伝子解析的にはある
0897日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 06:53:50.17
>>896
安価間違いさえなければ・・・
0898日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 08:22:59.82
この書き込みが一番好き
>>10
読むだけでワクワクする
なぜだろう
0899日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 08:36:00.76
>>898
贋作の可能性が完全に払拭されたからじゃね
0900日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 08:48:16.23
ごめん
小学生が拾ったことにワクワクした
0901日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 08:49:59.53
>>893
>中国の歴史書には大和(奈良)がいにしえの邪馬台国とはっきり書いてあるし、

書いてないよ。

>>893
>『日本書紀』では神功記に魏志倭人伝が引用されており邪馬台国は奈良であることが前提で書かれている

神功皇后も九州人だよ。
宮は関門海峡の穴門。
0903日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 10:42:40.00
>>901
『隋書』に「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」って書いてある
倭国の都は邪靡堆(大和) それは魏が言うところの邪馬臺なり

「都於邪靡堆」の部分は『隋書』が書かれた時代の話だから奈良なのは明らか
0905日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 10:51:00.64
朝鮮人の遺伝子

O2B(約30%) ←倭人系
O3(約45%) ←漢民族の系
C3(約12%) ←オホーツク系
0906日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 10:55:08.35
本土の日本人の遺伝子

D1B1/D1B2(40〜45% ) ←縄文人の遺伝子
O2B1(約20〜30%) ←日本列島で発生した遺伝子
O3(約10〜16%) ←漢民族の遺伝子

中国系が10〜16%
朝鮮系はほぼ0%
日本列島独自の遺伝子が60〜75%

これが科学的な遺伝子解析の結果です。朝鮮半島からの移民が日本列島で増えた形跡はなし
0907日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 10:57:48.36
>>904
ウソのわけないだろ
邪馬台国の話じゃなく656年の話だ。
656頃の倭国の都は邪靡堆(大和)っていう意味の記述だ
0908日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:05:18.02
>656頃の倭国の都は邪靡堆(大和)っていう意味の記述だ
これもウソ
0910日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:41:03.98
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國(朝鮮半島南岸)から倭奴国(九州北岸)まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。
0911日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:47:03.21
唐会要倭国伝
倭國
古倭奴國也。在新羅東南、居大海之中。世與中國通。其王姓阿毎氏。設官十二等。
0912日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:53:57.75
隋に使いを送ったのは、阿蘇山のある倭国の王である天の多利思比孤。

隋書
隋使の裴世清らの道程は「經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀」とあり、
大海の都斯麻國(対馬)、東に一支國(一支国)、竹斯國(筑紫)、東に秦王國他10余国をへて海岸についたという。
竹斯國から東はすべて俀であるという。
0913日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:55:02.22
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。
0914日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 11:57:42.63
まとめると、漢から隋までの間に存在した倭国とは、古の邪馬台国または倭奴国と同じであり、すなわち博多湾沿岸を中心にして、はるか東方(本州)まで支配した国だよ。
また、邪馬台国は倭奴国と同じであることにもなる。
0915日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 13:24:45.86
>>914
正解
0916日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:46:53.02
>>914
不正解

『旧唐書』倭国・日本国伝

日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。

(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。

(わかりやすくまとめ)
倭国の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は別の国である。
C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
倭国の使者は不誠実だったので
中国は倭国の使者の話を信用しなかった。
0917日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:50:49.65
>>910
それ西暦57年頃の話だろ。
卑弥呼は西暦180年以降の人だからその記述とは直接関係ない
0918日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:52:47.25
>>917
魏志倭人伝は後漢代から魏代まで経過を説明しており、遷都の話は微塵もない。
0919日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:54:08.97
>>916

>倭国の使者は異なる3つの説明をした。
>A 倭国が日本に改名した。
>B 日本と倭国は別の国である。
>C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
>倭国の使者は不誠実だったので
>中国は倭国の使者の話を信用しなかった。

さて問題です。
日本国の使者が説明したのは何番でしょう。
0920日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:56:36.29
>>918
ウソをつくな
魏志倭人伝は魏代の倭国の王都(邪馬台国)の場所しか説明してない
0921日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:57:21.62
>>919
A~Cまでぜんぶだろ
0922日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:58:17.06
>>919

Aが日本国がした説明(嘘)。
つまり、倭国が日本国に改名したのではなく、日本国が倭国の別種であり、倭国を併合したのが真実。
倭国は古の倭奴国のこと、つまり九州北部の博多湾沿岸、筑紫のこと。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 16:58:58.47
>>920
後漢代の倭国大乱からちゃんと説明している。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:18:09.04
>>922
なんでそう思ったの?
唐の認識は倭奴国(筑紫が首都)と倭国(奈良が首都)は同じ国という認識だよ
つまり唐は筑紫から奈良に遷都があったと認識してる
0925日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:20:05.35
>>923
ほら、西暦180年前後にあった倭国大乱からしか説明してないじゃん。
魏志倭人伝は西暦57年のことは書いてない
0926日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:26:58.52
>>925
倭国大乱は後漢の時代
0927日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:30:07.39
『後漢書』卷85 東夷列傳第75
「桓 靈 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王」
桓帝・霊帝の治世の間(146年 - 189年)、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も主がいなかった。卑弥呼という名の一人の女子が有り、年長だが嫁いでいなかった。
0928日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:31:29.51
>>925
勝手に西暦57年を持ち出すなよ。
0929日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:38:07.85
>>928
アンカーたどってごらん
もともと西暦57年話だよ
0930日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:59:30.80
>>927
これって奈良が邪馬台国である重要証拠だよな
倭国大乱終了を189年頃とすると
黄巾の乱(184年)で漢が衰退したあとに邪馬台国ができたことになる

漢代のものが出土しない奈良は邪馬台国の可能性が高いということ
魏代のものは大量に奈良で出土するからね

要するに倭国大乱直後に奈良が中心地化したことが物的証拠からも判明している
0931日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 18:11:46.60
>>914
大正解
0932日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 19:07:16.48
>>930
倭には大乱の前にも王がいた。
そこで大乱があり、卑弥呼が共立された。
奈良盆地では当てはまらない。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 19:15:39.59
>>932
大正解
0938日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 21:53:34.97
>>922
倭の五王の宋への朝貢はヤマト王権ではなくて倭奴国が行ったと言うことですか?
0939日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 22:29:52.71
>>938
筑紫の倭国が行ったんですよ。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 22:31:23.54
>>936
後漢書にも魏志倭人伝にも、そんな離れた場所に新都を建設した=遷都したなどという記述はないのです。
あなたの主張はよくある東遷説ですが、まったく根拠がないとされています。
0941日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/06(月) 22:59:35.31
畿内説はどうやっても東遷説に頼らざるを得ない。
なぜなら弥生時代における筑紫の優越性は絶対的なものだから。
それでも「畿内がー」と叫ばなければいけないのは哀れですらある。
0944日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 07:55:12.21
>>939
倭の五王の倭国は畿内でしょう
九州には応神陵や仁徳陵とされている
ような巨大古墳群がない
つまり五王時代には、九州より畿内の方が
権力があった証拠です
0946日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:14:05.94
>>940
後漢書にも魏志倭人伝にも、奴国と邪馬台国が同じ場所という記述はないのです。
あなたの主張はよくある東遷説ですが、まったく根拠がないとされています。
0947日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:14:10.09
>>944
倭の別種
0949日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:16:10.87
>>946

旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。

卑弥呼の国である倭国は倭奴国のこと。
邪馬台国はその王都の別称。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:18:47.75
>>948
女王国から海を越えた東にも倭種がいるとあります。
0953日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:19:43.45
>>949
この時代の唐は大和が倭国の首都と認識している

倭国(大和が首都)はいにしえの倭奴国(筑紫が首都)であると言ってる
0954日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:21:01.91
>>951
『旧唐書』倭国・日本国伝

日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。

(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。

(わかりやすくまとめ)
日本の使者は異なる3つの説明をした。
A 倭国が日本に改名した。
B 日本と倭国は別の国である。
C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。
日本の使者は不誠実でウソをついているようなので
中国は日本の使者の話を信用しなかった。
0955日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:22:44.52
>>951
ちなみに中国は日本が倭国の別種であると
認識したことは一度もないよ
0957日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:24:01.61
>>956
日本の使者の主張は矛盾してるからウソをついたのは明らかだね
真実を話したら殺されちゃうからね
0958日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:52:38.76
>C 日本は東側の小国だったが倭国を併合した。

東とは言ってない
0959日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:54:06.92
>>953
倭国=倭奴国(福岡)
0960日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:54:43.53
>>955
旧唐書
日本国は、倭国の別種なり。
0961日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:54:57.34
倭の別種というのは、畿内は縄文系だったという意味だろ。
倭に原住民がいたこともしっていたはずだし。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 08:55:22.78
>>958
日の出る方と書いてある。
0964日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 09:50:01.33
だって中国の史書は九州しか相手にしていないのだもの。
0966日本@名無史さん
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2019/05/07(火) 11:12:17.77
ないですね。
倭王の武は倭武と表記できますが、ヤマトタケル(倭武尊)と読めてしまいます。
しかし記紀のヤマトタケルは王(天皇)ではありません。
その一方で、倭武天皇という表現も国内の史書には見受けられます。
記紀の天皇の系譜はおそらく不完全であり、海外の史書との不一致も多いのです。
0967日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 11:26:37.21
現代日本語訳だの意味不明の句読点漢文で読むからおかしいんだろ?

『日本舊小國併倭國之地』
これは唐王に対して、日本という統一国家の勅使による奏上の文面。
日本が昔の小国なんてマヌケな読み方は無い。

今(600年)の日本は昔の中国が倭と言っていた小国を併せた統一国家である。
と、宣言している。 倭の五王(400年代)の奏上もこれを裏付ける。

昔の中国が倭国と言っていた小国
これが、五経博士の来日や仏教公伝を経て
三国志倭人条を読んだ聖徳太子の言であるなら
昔中国に倭と言われた小国は
卑弥呼共立の現筑紫国=九州北部21国連合のことである。

聖徳太子は倭人伝の邪馬台国に対しては九州説だったのであるwww
現代では、物証として、九州から漢時の金印出てるだろうが?
倭人伝で魏時の金印も漢時の金印も、同類として書かれているよ。
0968日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 12:34:44.58
>>944
仁徳天皇、高い山に登り四方の国を見言いました。
「国の中に釜戸の煙が出ていない。国中のものは皆、貧窮している。だからこれから三年の間、すべての人民の課役を免除しよう」
そのために天皇の住む大殿が破れ壞れて、ことごとく雨漏りしても修理しませんでした。箱で漏る雨を受け、雨漏りがしていないところに避難していました。

仁徳天皇が自分の為に巨大古墳なんか造るはずなかろ。
応神陵や仁徳陵とされているものは神武東征以前の関西の豪族のもの。
0971日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 14:07:57.27
>>969
いやたぶん東明東征のパクりだよ。
祖先が中国や半島にいた頃の伝承だよ。
記紀はそれを無理やり日本列島の出来事に置き換えたんだろうね。
よく分からずに。
0972日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 14:14:50.71
金印スレなのにwww
0975日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 16:33:52.55
>>974
チョンコのパクり癖のルーツだから有名な話
0976日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 16:36:11.91
  ク    ク   || プ  / ク   ク  || プ  //
  ス  ク ス _  | | │ //. ス ク ス _ | | │ //        ■■■■■■
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/ ̄/ ̄.  ー'●ー'  ̄l ̄ |  | /, −、, -、l  ))   ―-、ノ/ |   . ●● | <チュモンも偉大ニダ  
| ̄l ̄ ̄  __ |.    ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||      | -⊂)/ _\__ Д _ノ__   高句麗、新羅、百済
|. ̄| ̄ ̄  `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6.   ー っ-´、}      |   |/  :::::: ≡ :::: (、  ヽ はウリナラの誇りニダ
ヽ  ヽ    人_(  ヾ    ヽ    `Y⌒l_ノ      ヽ  `\( .:::::: ≡ :::: |___| 高麗も李氏朝鮮も
  >〓〓〓〓〓〓-イ   /ヽ  人_(  ヽ      `− ´ ( .:::::: ≡ ::::.  |  | 素晴らしいニダ
/   /  Θ  ヽ|  /    ̄ ̄ ̄ ヽ-イ          ( :::::: ≡ ::::::  (t  )
0977日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 16:37:47.29
>>971
逆だよ
半島の大学教授がそれを証明してるから↓こんなコピペがあっちこっちに貼られ続けてる

 

〜プヨもチュモンも日本とは無関係! むしろ半島の伝説はすべて「日本書紀」からパクった妄想だった♪〜


高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、
「漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は日本書紀を模倣して書かれたものであることは明白であり、
現代の歴史教育における三韓史も日本書紀を土台としつつ、感情的に受け入れられない部分を削除し、
ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと改ざんした捏造史である」と断言しています。

また「日本書紀」に引用されていることを理由に百済三書を事更にもてはやそうとする朝鮮ヒトモドキも多いですが、
朝鮮半島最古の歴史書である三国史記には、「百済開国已来、未有以文字記事、至是得博士高興、始有書記
(百済は開国以来、東普の高興博士が書記を記録するために訪れるまで文字で記録を残したことはなかった)」
と明記されており、こんにちでは百済三書の存在自体の信憑性は低いと断定されています。

加えて朱蒙伝説なるものが神武伝説の元になっていると強弁する朝鮮ヒトモドキも散見されますが、
「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は扶余族の東明であって、
高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは彼らの民族的願望であり事実ではありません。
やはり金教授と鄭教授の指摘にあるように、
朱蒙伝説も三国史記編纂時になってから「日本書紀」を模倣して創作された伝説と見るべきでしょう。


なお、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)は日本書紀の引用文献として名前が上がっている以外に存在を証明するものがなく、
「天皇」や「日本」と表現している点、漢音ではなく呉音で表記されている点などを勘案すると、
日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、実在はしていなかったとするのが現在の定説です。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 16:58:33.96
九州北部から東への伝播、入植があったのは事実だろう。
0980日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 17:02:35.23
>>978
26節しか出てこないのだから考古学的検証など不可能であり、それを実在したなどというのは研究者やチョンコどものの願望でしかないことは明白。
0981日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 17:48:19.08
唐は高句麗東側を攻めて攻略出来ず、南から回って新羅と手を組むことでようやく攻め落とせた。
これは史実だよな。
日本列島には神武東征の根拠となる文献も遺物も無い。
0982日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 17:52:08.57
>>981
何言ってんだお前は
0984日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 18:17:38.28
>>981
記紀があるじゃないか?
0985日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 18:21:42.78
神武は饒速日のところに厄介になっていた都落ちなので、倭王ではない。
ただし>>981はまったく関係ない。
0986日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 18:49:24.97
おまいらが金印好きなのは充分わかった
実際に見に行ったのか
思ったよりスゴい小さいよな
びっくりするくらい

でも間違いなく日本の第一級の国宝だからな
 
 
0987日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 19:42:03.82
レプリカを買おうかと思ったが、踏みとどまった。
買った方がよかったかな?
0988日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 22:00:13.27
>>987
九博オープン時に場の雰囲気に飲まれて買ってしまった俺が通りますよ
0990日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 23:03:49.62

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0991日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 23:06:18.98
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0992日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/07(火) 23:08:58.14
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0993日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 00:03:30.98
封泥付きだったのか。
凝っているな。
ストラップも悪くない。
0995日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 03:45:22.27
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0998日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 10:55:04.89
0999日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 10:55:18.03
産め
1000日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/08(水) 10:55:24.73
>>1000ならバレンタインジャンボ宝くじで1等+前後賞で3億円が当たってる!
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垢版 |
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