源為義
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子供40人以上作ったのに次男、三男、十男はそれぞれ長男の子供(義平、頼朝)の手で
それ以外は八男を除けば全て長男義朝に殺されたンゴ…
ついでに自分も殺されたンゴ… 源氏とかいう世界史レベルで見ても類を見ない内ゲバ一族 親父…長男に殺される
長男…家来に裏切られ殺される
次男…長男の命を受けた長男の長男に殺される
三男…長男の三男に殺される
四男…長男に殺される
五男…長男に殺される
六男…長男に殺される
七男…長男に殺される
八男…唯一生き延びるも島で追討を受け自害
九男…長男に殺される
十男…長男の三男に殺される
十一男…長男に殺される
十二男…長男に殺される
十三男…長男に殺される
十四男…長男に殺される 義朝はそもそも後継の器ではなかったようで、父為義より子供の頃から半ば追い出される形で関東に下った
鎮西に追放された八男為朝も同様
本来なら次男義賢が後継者候補で、そのまま行けば嫡流は義仲の兄である仲家になる筈だった
頼朝が嫡流だというのは後からこじつけられただけ
実際長男が後継者という概念はこの時代まだ存在しない 源氏ってなんでこんな内ゲバばっかすんの?
同じ平氏は仲良しなのに 天王とか鶴若とか実在したんかね
保元物語でしか見たことない 満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう! 源姓って格好いいよな
今から源姓にするのは不可能だから名前改名して源次にするか >>8
日本人は濁点がある三文字をカッコいいと感じるらしい
逆に平氏のように「へ」から始まる言葉を嫌うとか
※江戸時代の火消し組もいろは別にチームが分かれてたけど「へ組」はかっこ悪いと言うので取り除かれた
よくよく勉強してみると平家の団結ぶりは凄いんだけどねー 源氏の家来は平家ばかりで源平合戦は実際は平平合戦だったと詳しい人が言ってた。
平家同士が戦ったわけだから平氏が団結力あったというのはちょっとちがう。 >>10
ちょっと違う
確かに頼朝の元に集まった関東武士はほとんどが「平氏」の出だけど、平氏自体はその後も脈々といきのこってるし、壇ノ浦で沈んだのはみな「平家」
ここでいう平家とは伊勢平氏の清盛の家系の事ね
平家は清盛の元で団結してる
親父の代から仲悪かった叔父とその息子が保元の乱で敵対したくらい ウチは血筋は一応常陸平氏の末で、頼朝の家来の家系だから平家がまとまってるなんて言われると何のことやらさっぱり分からんね。
平家嫌いの平家なんかいくらでもいるよ。 伊勢平氏の一族が団結してるって事でしょ
所謂「平家」と呼ばれる清盛直系の家系 伊勢平氏が平氏のすべてみたいな言い方したら関東では物笑いの種だよ。
平家はまとまりが悪いというのが常識。B型多そうだし。 義朝が親兄弟殺したのは知ってたけど元服前の子供達も殺してたのか 鶴若、亀若、天王だっけ? もう一人は忘れた
義朝に言われた家来が赴いて「久々にパパに会えるらしいからみんなで来いってさ!」と連れて行かれ船岡山で斬られた
まだ幼いから「義朝にいちゃんに取り合ってくれよ!」って泣いて喚いたらしいが当の義朝の命令だし聞き入れられずそのまま文字通りパパの所に送られたと 身内殺しは源氏の醍醐味だといってもいい。
身内同士で何ごともなかった松平家徳川家はそれ自体が源氏詐称を証明してる。
徳川がもし正統派源氏ならば、江戸時代を通じて内紛が起こしていなければならない。 義平少年も伯父さんぶっ殺した後まだ幼い二歳の義仲をころそうとしたらしいからな
敵の子供を助けた清盛とは人間の器が違う
まぁそれが命取りになった訳だが 義朝の実子は実際はもっとたくさんいると言われる。
しかし義朝に殺されるのを怖れた母親が子供を実家に匿い別の父親の子として育てるため義朝はそれを知らない。 平将門は叔父である国香を殺した。
子の貞盛は藤原秀郷とともに将門を討った。 清盛は国香から数えて8代目。国香は伊勢平氏の祖である。 >>20
義朝が自分の子供を殺そうとしたってこと?
悪源太義平が生きてたとしても義経同様に頼朝に使い捨てにされて殺されそうだなー 義朝って調べれば調べるほどDQNだよなぁ
裏切った長田忠致の最後もどこまで本当なのかな
身の終わりと美濃尾張で話が出来すぎてる気がする 源氏が関東進出してくるまでは平氏は貞盛・繁盛一族vs将門・良文一族の因縁の対決。 義広と為朝は許されたのに元服前の弟たち4人が殺されたの本当に可哀想だ 兄弟殺し結構じゃないか。日本武尊、カインとアベル、神話の時代からあることだ(笑) 一緒に親父も殺した奴はなかなかいないけどな
斎藤義龍くらいか? 目立たなかった六孫王。
なぜその子孫が肉親殺しに励んだかというと平家の嫁をもらって平家の血が濃くなったからだ。
考えなくても解ること。 義賢が頼長とアッー!だったのは有名だが
頼朝も後白河院とアッー!だったらしいな
義朝が出世の為に子供を捧げたとかw
頼朝の子作りが遅れたのは幼年期に掘られまくった反動で長い間性的不能だったからだという説を見たことがある とりあえず、平家と平氏をキッチリ分けようぜ
平家は清盛直系やその近親者、平氏は平家以外の平氏 >>26
その四人は実在かどうか。
保元物語にしか出てこないし、作品の特性上、源氏の悲劇を強調するための創作の可能性がある。 >>33
ありがとう
保元物語にしか出てこないんだ
4人にそれぞれいた乳父がその場で悲しみのあまり皆後を追ったとか、いかにも創作臭いなとは思ってた
その乳父の1人の家族筋に義朝の妾もいて夜叉姫が産まれたとされるけどこの人も実在が怪しいし義朝死後にやっぱり後を追ってるんだよね 為義は義親の息子というのが定説だけど、義家の息子説もあるんだよな。
現実にはどっちなんだろう。 為義に嫌われて関東に追い出された義朝
鎮西に追い出された為朝
後継者とされた義賢 >>32
じゃあ、平忠正は平氏?平家?
平直方は?平盛国はどうよ? 保元物語の元服前4人の子供は架空の存在であってほしいな
救いなさ過ぎるだろこれじゃ
戦で大暴れした為朝が島流しで済んだってのに 保元の乱についてリアルタイムで記録した『兵範記』には、その幼い四人の男子について書いていないそうだ。
これをしてフィクションと決めつけるのは早計だけど俺はフィクションだと思ってる。
『保元物語』の成立は乱の六十数年後だからいろんな話が紛れ込んでも不思議ではないし。 >>41
そうなんだ
保元物語以外では全く出てこないのかな?
当人の日記とか 義賢と頼長のアッー!は有名だが
幼い頼朝も後白河とアッー!だったらしいね 為義 アホ
義朝 クズ
為朝 DQN
義平 脳筋
頼朝 陰険
義経 自閉 為義 アホ
義朝 クズ
義賢 ホモ
為朝 DQN
行家 トラブルメーカー
義平 脳筋
頼朝 陰険
範頼 無能
義経 アスペ 義家 自己中
義親 山賊
為義 アホ
義朝 クズ
義賢 ホモ
為朝 DQN
行家 トラブルメーカー
義平 脳筋
頼朝 陰険
範頼 無能
義経 アスペ 京都兵wwwww
『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」
『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」
『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」
『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」
『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」
『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」 >>52
義家も義経も自己中だけど、義家は健常のワガママレベル、義経はボーダーのアスペって感じ
今生きてたら学生時代友達は出来ないけど小さな会社起こして地味ーに成功しそう 唯一身内思いの源氏って実は義仲なんじゃね?と思ってる >>57
頼朝と対立した叔父さん二人を保護して、代わりに自分の長男を人質に預けてるからね
旗揚げも頼朝が行ったのを見届けてからだし、何気に頼朝にはかなり気を使ってる >>59
義仲は最後平家と手を結んで頼朝と戦おうとした説があるよね 誰やw
いや誰かはわかってるんだが正直どうでもいいお方なんで 59
義重と義賢は手を組んで悪源太と戦争やってるからな 軍事貴族っていう連中がいるんだし
自分の身は自分で守らないと殺される時代だぞ 後白河とか普通に致してるよ
あと寺社でも当たり前のようにあった 今まで稚児99人抱いたけど3桁はヤベーからもう辞める、みたいな言葉が残ってたり >>75
あの時代って、基本身分高いほうがタチだよね?
それなのに義賢はタチに回ったの? >>76
受けに回るのは初めてだったが意外と良かったって悪左府さんが言ってた >>77
これいつも思うんだが糞まみれになったりしないんだろうか
そもそもローションも無いし唾だけだと痛くねら でもうんこはつきそうだよね、浣腸やウォシュレットもないし、終わった後のシャワーもないし…
オエ 現代の感覚で語るのはナンセンスじゃない?当時はウンコがつくのもまた一興とかやってたんじゃないのw 考える考えないじゃなくて現実的にア○ルから分泌液が出ないんだから考えざるをえない 武士は貴族の前ではネコだったのかな?
重盛も頼朝も後白河に掘られたのか 江戸時代の指南書には
臭いが相当きついから覚悟しろ
気になるなら事前に徹底的に洗え
と言うようなことが書いてある >>83
十分に拡張出来ていれば
水と腸液だけで足りるんだよ 頼朝の子作りが遅れたのは思春期時に後白河に掘られまくったせいで女が好きなのに立たない身体だったからだと聞いたことがある 平安時代なら、淋病はあっても梅毒やエイズはなかった 掘られまくったせいで女が好きなのに立たない何てことはあり得ない
掘られまくったせいでホモになって立たないんだよ >>89
普通に流人だったからだろ
後白河は女癖は悪いがホモではない >>96
まさことくっついてからしばらく出来なかったけどな >>97
頼朝は政子とくっつく前も伊東の娘との間に子供作ってるし
くっついてからも愛人作って激怒した政子が愛人の家を焼いている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています