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先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る10
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0001大室寅之スレ
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2022/03/16(水) 10:11:21.83
ここは血族先祖に限ると言うスレだから、
自分から上に辿って行かないと血縁関係が続いている証明にはならない。
養子断絶はダメだと書かれてるから、たとえ家を継いだとしても血縁関係が途絶えていたら失格という話。
遠い先祖がわかっていても、血縁を辿るというのは難しいぞ。
血縁が辿れるのなら自分から何代前の先祖かは言えるはず。
過去スレ
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る@
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1294631599/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316186196/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542339706/
先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る5
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1553053449/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る6
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1568267662/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る7
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1582419098/
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1599895012/l50
先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る9
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1615361773/
0002日本@名無史さん
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2022/03/16(水) 10:11:44.70
テスト
0003日本@名無史さん
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2022/03/16(水) 12:11:49.87
ちゅちょちぇ?👶🏿
0004日本@名無史さん
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2022/03/22(火) 19:42:17.78
先祖は伴大納言です!
0005日本@名無史さん
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2022/03/26(土) 19:24:53.23
先祖が豊前小倉藩の穢多身分だったのが確定してるんだが、詳しく調べるにはどうしたらいい?
ひょっとしたら平家とか宇都宮とかの落武者だったりとか妄想してる。
実際に親からは平家の落武者の家系って言われてる。
同じ苗字は近隣にいくらでもいるが全部が部落。
家紋は家によってバラバラでうちは三階菱だが同姓の親戚は柏紋だったり・・・
0008日本@名無史さん
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2022/03/27(日) 09:30:01.08
>>7
それは豊後府内藩の穢多頭で尚且、禁裏小法師も勤めた人だね
国東や臼杵にも秦さん多いね
0009日本@名無史さん
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2022/03/27(日) 10:22:50.94
>>5 どうして穢○と確定した?

部落と言うのは一般的には単なる集落であり、現在の被差別部○とは別物だと言うことはわかってる?
みんな部落だったと言うからには広い範囲の集落だろうから、一般集落では?

あと家紋はあまり当てにならないよ。 多分通い紋の中から適当に使ってただけだろうし。
0010日本@名無史さん
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2022/03/27(日) 11:02:32.82
>>9
先祖代々、少なくても慶応年間の墓石がありますので幕末当時からムラに住んでるから確定なんです。同じ苗字の人が他にもたくさんムラに住んでいるから間違いないです。(同姓はムラにしかありません)
小倉の人ならムラのことはみな知っていることです。
0011日本@名無史さん
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2022/03/27(日) 11:17:28.92
あと、東京とかの大都会に住んでいる人は理解できないかもですが、言葉でもムラの人だ とわかります
0012日本@名無史さん
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2022/03/27(日) 16:50:42.86
関連書籍の肝心部分を一通り読んだが
書簡等歴史資料に基づいて整合性を出すため
もっともな事を必死に訴えてるだけで中身スカスカなのな。

全てはソテロの出世欲を根拠として当時の資料も読み進められるが
ソテロが何のメリットも無い日本再入国を試み殺された事は結局触れない。

ちな、ソテロってユダヤ人なのな。
何時もユダヤ人だとこういう理屈に誘導される印象。
0013日本@名無史さん
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2022/03/30(水) 10:26:05.58
>>12 早く病院に行って治療を受けろ。 早くしないと取り返しがつかなくなるぞ。
0014日本@名無史さん
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2022/04/02(土) 18:05:51.96
離婚して一人で戸籍を作ってしまった母親(旧姓に戻りました)の戸籍謄本か除籍謄本というのは苗字が違う実子は取り寄せられるんでしょうか?
母親が死んだときも子供の戸籍の住所とと同じ町内に戸籍をつくって置いていたらしいです
直系なら理由なく簡単にとれるものですか?郵送で取り寄せたいとき理由や子供である証明などいりますか?
0015日本@名無史さん
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2022/04/02(土) 23:22:02.93
>>14 問題なく取れると思うよ、心配なら電話でもメールでもしてみれば良い。

メールの方が丁寧に応答してくれると思う。 自治体にもよると思うけど。
0017日本@名無史さん
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2022/04/18(月) 15:52:57.44
俺の先祖は勝ち組
なぜなら俺をはじめ沢山の子孫を残してる
0021日本@名無史さん
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2022/04/27(水) 08:14:35.93
親戚付き合いのない家だから相続のことでしょうがなく戸籍を集めたけど
明治生まれの祖父の出生時の本籍が聞いたとこもない遠い場所で
検索したら「村」から「市」にはかわってたけど細かい住所名や番地のままで
しかもこっちと同じ苗字の人が今現在もそこに住んでる
きっと遠い親戚なんだろうな
こういうの知るの面白いですね

あと祖父の一度目結婚しすぐ離婚した嫁がいたのも知らなかったけどためしにそこの住所を検索したら
やっぱり番地そのままその離婚嫁の旧姓と同じ苗字の人が住んでいた
みんな以外と引っ越さないでその土地を継ぎ続けるもんなんですね
本家とか長男長女の家系が住み続けてるんですかね
0022日本@名無史さん
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2022/04/27(水) 23:43:20.97
先祖代々受け継いだ土地ならそう簡単には手放したくないだろうからね
本家なら先祖のことをもっと知っている可能性が高い
知りたいなら是非挨拶に行くべき
0023日本@名無史さん
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2022/04/28(木) 18:37:02.56
きも
0024日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 16:25:04.33
>>23 そんなコメントを入れる方がよほどキモい。
どこがキモなんだ? 先祖探しはできるところから広げていくしかないぞ
0025日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 21:01:53.16
そういえば小室Kさんとこ
小室祖父の兄が継いだ小室本家→いまだにアパート何軒もやら駐車場やら土地持ちの裕福
小室祖父→ネジ工場勤めでコツコツ働く(それで息子を明治大学にいかせたのは立派だと思うが)
だったらしい
昔は長男が全部ついじゃって次男以下は悲惨だった見本か
0026日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 01:09:30.91
数年前、祖母が生まれた土地まで行って先祖の戸籍を取ったんだが、
役所の女性から「〇〇番地〇〇屋敷となっていますが、当時はそれが普通です」
といわれた覚えがある。確かに他の戸籍には「屋敷」なんて言葉は使っていない。
地域によって、戸籍の番地の書き方も多少変わるんだなと感じた。
0027日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 01:49:50.58
??
0028日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 05:27:39.89
地名の話 「~府、~蔵、~屋敷」の意味
https://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/tanbou-142.html

屋敷なんて地名珍しくもないだろ

長者という地名もある。
昔長者様が住んでいたという伝説のある地。
たいがいは奈良時代などの官衙の跡なんだけど。
官衙というのは役所。
役所の建物は瓦が使われており、しかも彩釉を使った色のついた瓦を使った建物もあった。
そういう瓦のかけらがザクザク出てくるし、礎石も大きいのが出てくるので
後代の人は、よほどの長者様の屋敷があったんだな、と思うわけ
屋敷というのも官衙か荘園の目代の館の跡だったりすることが多い。
0029日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 06:29:40.13
小字なら普通に残ってたよな。
うちは屋敷添
大字小字もわからん人もいるけど。
0030日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 06:38:12.72
>今では使われないものですが、埼玉県○○郡○○村41番戸(あるいは番屋敷)などと表記されている場合があるのです。
>明治の初め頃にはその村の家に対して番号が振られていたために、こうした「41番戸」「5番屋敷」などという呼び方が生まれてしまいました
>>26
こういう感じってこと?
0031日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 06:41:27.45
字犬殺って地名も各地にあったよな
0032日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 06:50:47.85
曾根 という地名が字や小字に多い。

曾根ってどういう意味なんだろうな。
0033日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 07:07:38.88
>>30
番号が振られているのは明治以降の開拓地じゃないか

もともとある農村ではそんなことしないだろ
0034日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 14:40:58.77
>>30
ありがとうございます。
いま除籍謄本を再確認してみましたが、「〇〇群〇〇村百五番屋敷」みたいな感じで書かれていました。
おっしゃる通りのように思えます。
0035日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 14:42:52.90
>>34
ちなみに淡路島です。
0037日本@名無史さん
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2022/05/02(月) 20:28:52.77
>>36
30の方に失礼にならないため、あえて書いておく。
26・34は俺だけど、自演なんてしていないよ。
0039日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 07:59:13.64
>>34-35
「何番戸」という表記なら良く見るね
江戸初期から代々伝わる土地でも番号で書かれている
0040日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 08:41:56.79
そりゃそうだ。江戸時代の検地帳がそのまま使われるわけない
0041日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 15:14:09.24
うちも参拾参番屋敷と書かれていたから屋敷を構えるくらいの家だったのかと勘違いしてしまった
0042日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 15:15:21.49
うちも参拾参番屋敷と書かれていたから屋敷を構えるくらいの家だったのかと勘違いしてしまった
0043日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 20:50:42.67
戸籍制度って今でも残ってるのは、中華人民共和国、中華民国、日本の3カ国だけらしいね。
先祖巡りには便利な情報。
0044日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 22:32:47.25
中国に戸籍制度が残ってるなら、南京大虐殺(?)で死んだ人も特定できるのでは?
0045日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 22:59:40.83
誰に殺されたのかが重要なのだ
彼等は内戦をしていたわけだからね
0046日本@名無史さん
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2022/05/03(火) 23:14:24.31
遡ればほぼすべての者が土着民たまから、記録はかなりあるが
見ることがでるか、読むことがてまきるか(古文書を読む能力のこと)
0047日本@名無史さん
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2022/05/04(水) 00:55:49.72
>>46 落ち着いて、 わかるから書き直す必要はないけど。

うちの先祖の家系図(伝記?)で石碑に彫られてたのを転写したのがあるけど、理解するのがかなり難しい。 もちろん漢文。
自分で調べながら口語訳を作り始めたが全く自信が持てない。
7割くらい訳して放り投げてる。

現代では使われていない漢字も沢山ありなんと読むのかもわからなければ意味も当然わからない。
話の流れから想像して訳してた。 流れは何となくわかるから自分では大体わかるけど人には見せられない。
子供や甥っ子達は優秀だから下手な訳を渡すより原本を渡した方が間違いないだろうと思って。

ただの家紋をもらったという話だけでも、当時は現代では同じ家紋となって消えてる家紋が出てきたりなんと読むのかすらわからなかったり。

楮紋(こうぞ紋)をもらったと書かれてた。 別の伝記では梶の葉紋をもらったとある。
なんだこりゃと思ってよくよく調べると、 似た紋だから現代では梶の葉紋に統一されてるらしい。

もう一つもらった紋が、杏葉紋だったが現代まで親戚一同に言い伝えられてきてたのは抱き茗荷。 墓石を調べたりして杏葉紋が正しいが本家本元が抱き茗荷と言ったりしてたから混乱してた。 他の人のブログを見ても同じ話が載ってた。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/04(水) 01:31:23.29
〇〇(うじ)の采地(領土)に住んでたと書かれていても。
それがどこなんだよ。 という話。
そこは自分では昔からの大和国だと思ってたが、それが何で源氏と源平合戦や鎌倉から東北征伐への戦いに参加するんだよ。 とモヤモヤしてた。

TV の源氏の話があり少し調べ始めたら結構流れがわかってきた。 いろんな情報で補足していけば点と点が結びついてくるみたい。

ただ文字を訳すだけではわからない世界。 先祖探しはそういうものだろうね。

家系図を訳し初めて数年以上経ってようやく少し線になりつつある。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/04(水) 17:05:37.70
津波とかきたら手書きの除籍謄本が流されちゃう可能性ある?
あの書類って役所の図書館みたいな部屋でファイリングされて何万冊も保存されてんの?
それを職員さんが探し出すの>
0052日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/04(水) 22:57:56.43
>>51 除籍謄本は磁気ディスクに保存されてるしバックアップもあるからなくなることはないでしょう。
見出しはコンピュータで検索できるようになってる筈。

>>48 大和国に住んでいて河内源氏に使えた様だが、距離感が掴めないから地図で調べてみたら20km もない距離だった。 この距離だと移り住んだのかどうかは不明だったが、話の流れではそのまま大和国に住んでいたみたい。
家系図の記録にあるのは1135年以降
河内源氏6代目義朝に仕えていた。

その後河内源氏は東国を統治するために相模国に入った。 さすがにこの時は一緒に移り住んだ筈。 それから鎌倉に入ったみたい。

富士川の戦いとか色々書かれてて面白い。 だが義経軍と一緒に戦ってた時に近江国粟津の戦いで流れ矢に当たって死んだとか。

鎌倉時代が始まると御家人として地方統治に送られた(その後戦国時代に敗れ、統治してた土地は取り上げられたが一族はそのままの地で住み続けて現在に至る。)

南北朝時代に現在の苗字を授けられ現在まで続いていて本家の家系図ははっきりとわかってるが、我が家みたいな分流の家系図は残っていないから、現代の戸籍から上に追いかけるしか方法がない。江戸末期までしかわからない。
この間を埋められるのかどうかはわからない。
(戸主でもなかったし、外地に出て行ってたし)
ただ、戸籍を調べると男系で続いてるとばかり勝手に思ってたら明治初めに養子が入ってた。 当然なんだろうが思いもつかなかった。
0053日本@名無史さん
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2022/05/05(木) 01:41:04.19
因みに今の苗字は非常に珍しく、血のつながりがない家系はない筈。 全国で800人とか言われてるがもう少し多いと思う。 昔の人名調査は電話番号から調査してたが、今は固定電話があっても電話帳に載せなくなってるからね。 当然うちも電話帳から消している。
本籍のある土地では300人程度と書かれている。

生まれた時から指名手配犯人と同じで密かに暮らすしかない。

家系図(伝記?)が手に入ったのは、20数年前。 自分がサラリーマンを辞めてインターネット系の商売を始めたら偶々第1号のお客さんになってくれた同名の人からもらった。 親父さんが家系図を調べてるから送ってあげると言って送ってもらった。 作り物の家系図でないことは歴史上からも明らか。

それまでは大正時代に書かれた地方の観光案内風土記もどきしかみたことがなかった。これが酷かった。 江戸末期は食客として住んでいたとか、寺小屋をやってたとか。
何だろうと思うと、食客というのはその地の農家の元締め(何と言ったかな?)等からの寄付で食ってたからみたい。 山をもらったりしてた。
寺小屋って何だろうと思ったら、蘭学修行に出た学者が戻ってきて藩を跨いで蘭学を教えてたみたい。
その風土記にも流石に苗字をもらった由来は書いてあったが、あまり詳しくは書かれていなかった。
今上天皇云々とか書いてあってもいつの時代の今上天皇かすらわからない酷いものだった。

似たような内容の風土記を兄貴が持ってるが、自分が見たものとは違ってた。 古本屋(ネットのスーパー源氏等)で探してもなかなか出てこない。
苗字の由来は殆ど一緒だった。
昔の古本って結構高価だから一瞬でも迷ってると無くなって手に入らなくなる。
0054日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 06:39:25.34
↑先祖は中野宗時 の文章と全く同じ。

しかも2ちゃんブラウザに改行が反映せず、一行がズラズラどこまでも伸びるのも同じ。

これがここの 1 なんだろ。どうしようもねえな
0055日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 10:22:16.06
>除籍謄本は磁気ディスクに保存されてるし

まじでそうなん?
大正式戸籍とかも?スキャンして保存してるの?
0056日本@名無史さん
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2022/05/05(木) 10:39:16.99
昔の戸籍であろうと、現在紙の戸籍簿は基本的に利用されていないというのは正しい
離島とかでまだ使われていることがあるかどうかまでは不明
古い紙の戸籍簿は廃棄されたところもあるという話を聞くが関係者でないと確かめようがない
0057日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 10:49:07.15
全国で800人てまあまあ珍しいくらいで非常に珍しいとまでは言えないな
全国で数十人とかなら分かるけど
0058日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 10:51:54.91
>>52
外地って明治以降のこと?
普通は戸籍に全部書かれているし関係ないような
0059日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 14:52:47.72
>>54 改行が反映されないって、今はiOSのJaneStyleから書き込んでるが(3月まではBB2C で書き込んでた)
Windows のJaneStyleでみてもそんなふうにはならないけどな。使ってる専ブラがおかしいんじゃないの

>>58 明治以降は戸籍に全部書かれてるが、親戚付き合いが浅くなってたから、江戸時代以前の話を聞ける人がほとんどいなくなってたという話。
本家が支流の話を知るわけもなく。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 15:12:11.02
>>54 家系図には中野家(中野信濃守)との姻戚関係は書かれているが、中野宗時なんて聞いたこともないし、それを書いた人は別人。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 16:11:42.45
>>57 そりゃそうだが、今の苗字の読み方はうちだけの独特の読み方だから、関係者以外で読める人はいない。
Windows の漢字変換に反映するのにかなり努力したから今では標準で変換できるようになってるけど、iOS にはユーザ辞書に登録するしかない。

苗字で思い出した。 今の苗字をもらったのは赴任後100年以上後の話だからその間は氏(うじ)を名乗ってた。
隣の県にいまだにその氏を名乗る一族が住んでいることがわかったので、その系統まで広げれば一族はもっと多くなる。

赴任した任地は、国司の城からかなり離れてる隣の県なのに侍大将として登城してたと言うから変だなと思ってたら、国司の地に一族を住み着かせてそっちに侍大将を任せてたのだと思う。 
隣の県の氏を名乗る人の話にも同じ話が伝わってるので同じ一族なのは確か。(それが解ったのは10年位前)
0062日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/05(木) 16:41:25.61
苗字の話で、一族の墓の中に誰でも読める漢字で書かれた苗字の墓があった。 子供の頃は分家なんだろうと思ってたら、最近戸籍調べしてたら、自分の直系の曽祖父の墓だと解った。
その人は隣村から養子に来て明治2年に入籍した。
戸籍上は普通の一族の苗字の漢字で登録されている。
その人の元の苗字も珍しく読めない漢字。全国720人

養子に来た村にはその簡易苗字の一族が住んでいる。 多分その人達も同じ一族と思われる。
現代でもその簡易苗字を使ってるのは全国で170人。 そのうち60人がうちの本籍地に住んでいる。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 00:01:11.87
>>59
外地に行ってからは兎も角、村にいた頃のことなら本家は把握している可能性があるよ
0065日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 00:15:55.75
>>64 もう世代が変わってるから昔の事は何も知らないね。 本家の隣くらいに住んでたみたいだが。
一度兄貴が家紋の事で本家に確認に行ったがよくわからないで呆れてた。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 18:30:27.68
母方の総本家の苗字は全国で620人程度のようだ。
江戸初期に分家して苗字が変わったらしいが、今では分家の方が戸数が多くなってしまった。
近所に総本家があるが、道路に比べて強引に高い位置に家を作っている。総本家の意地だろう。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 22:19:49.48
数が少ない苗字は屋号から付けられた苗字が多いようだ

本家とか言ってる時点で農家丸出し
0069日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/06(金) 23:43:02.63
だって本家があって、本家の隣に住んでたんだろ。
名子じゃん

何がひねくれてるのか分からん。
0070日本@名無史さん
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2022/05/07(土) 00:00:53.92
そういえば、遠戚に中陣屋と呼ばれている家がある。
もちろん名字は別にあるので、屋号みたいなものだと思う。
むかしは、村の農家がその家にお米を運んできていたらしい。
おそらく、庄屋さんの下働きみたいなことをしていたんだろうけど、
なぜか今でも中陣屋と呼ばれているらしい。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 00:32:42.33
>>69 そう言うのを猿知恵という。 周りからはかなり馬鹿にされてると思うよ。 気をつけた方が良い。
0073日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 06:16:05.57
武家に本家も分家もないだろ。領主ならともかく、武士というのは殿様からその家に家禄を
与えられているわけで、勝手に分家などできない。
二男や三男は生まれた家に生涯寄食して生活するわけで、家禄を勝手に分割したりできる
わけがない。
新規お召し出しという形で新たに家臣になることはできるが、その場合は別に自分の生家の
分家になるわけではない。
うちは本家だ、うちは分家だ、などとやってるのは農家の話だよ。
0074日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 06:22:16.71
たとえば神奈川や山梨に徳植という苗字があるけど、調べると全国で450人。
かなりマイナーだ。

この徳植という苗字は  徳右衛門  から来てるみたいだ。

農家の屋号だったんだな。
こういう苗字はほんとにその一族だけだからマイナーになる。
0076日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 14:25:30.49
例えば、服部半蔵の場合

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%B0%8F?wprov=sfti1
この中の伊賀国服部氏
家祖は、服部家長
代々家督を相続していくのが本流(本家)であり、支流/分家が出来てくる。
半蔵(保長)は中服部家の流れだから、分家の流れ。
中服部家の流れの中では本流と言うことになる。どこを起点(家祖)にするかで変わった見方になる
服部本流を継いだのは上服部家と思われる。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 14:38:24.11
庶家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B6%E5%AE%B6?wprov=sfti1

庶家(しょけ)とは、宗家ないし本家より別れた一族のことをいう。嫡流に対し庶流の家柄。主に日本の封建時代においてみられた血族集団である。
分家、庶流、庶子家ともいう。

庶家という概念は主に日本の封建時代、特に鎌倉時代から戦国時代、江戸時代にかけて武家に見られた血族集団ないし階層のことをいった。
宗家と庶家の関係はいわば本家と分家と同義であるが、一般的な分家と異なるのは、分家であれば本家と同姓を称するのが通例であるが、庶家という場合、その多くは宗家と同姓を用いることを避け、あるいは禁じられその多くが別姓を称した家柄が多いという点にある。
0078日本@名無史さん
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2022/05/07(土) 17:26:37.12
商家は例えば三井家は三井十一家の分家が存在する。

坂本龍馬の本家は、裕福な商家。分家して郷士の身分を得た。
0079日本@名無史さん
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2022/05/07(土) 22:49:44.25
>>76
>猿の浅知恵はうるさいだけ。

浅知恵というのは浅はかな考えとか利口そうで実は間の抜けた考えを言う。
猿知恵という類語もあるよ。
でも猿の浅知恵とは言わないな
猿の知恵などまともなわけがないから、わざわざ浅知恵なんていわない。

>>76
伊賀甲賀というのは地侍連合が支配する土地だった。
封建的中央集権領主が存在しなかったんだな。
だから地侍たちは被官ではなく、それぞれ自分の支配する村落の領主だった。
大小の差はあっても、江戸時代の大名と同じだよ。
だから分家を作っても問題なし。そもそも伊賀に服部なんて家はいくらもあるよ。
けれど、德川家康の家臣となり、千石を与えられ、伊賀同心の指揮官となった後は違うだろ。
この服部半蔵家は分家なんかしていない。代々家督が相続されていっただけ。
家を継いだ者は代々服部半蔵を名乗った。
改易されたり、養子をとったり、他家に仕えたりいろいろあったみたいだが、なんとか
明治まで続いた。
それがどうかしたのかw
0080日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 22:51:33.11
君の場合、問題があるのは知恵ではなくて知識だよ
例えば>>61 のこの文章
>赴任した任地は、国司の城からかなり離れてる隣の県なのに侍大将として登城してたと言うから変だなと
>思ってたら、国司の地に一族を住み着かせてそっちに侍大将を任せてたのだと思う。 

国司というのは地方に派遣された中央官庁の役人。古代律令制では「国-郡-里」と分け、それぞれに
国司・郡司・里長(のちに郷長)という官吏を置いた(厳密に言うと里長・郷長は庶人だが)。
国司がいたのは官衙(かんが)だ。官衙とは役所のこと。
国司がなんで城を持ってるわけ? 「国司の城」って何だよ?w

>52 によると、君の先祖は鎌倉幕府の御家人となり、地方に送られたそうだね。
>鎌倉時代が始まると御家人として地方統治に送られた

「御家人」というのは職名ではない。御家人として送られるというのはおかしい。
守護・地頭って知らないの?
鎌倉幕府は、貴族支配に対抗して守護や地頭を置いたのよ。
これらが、それまでの国司や郡司の支配を制圧していった。
ここは、日本史の中でも最重要論点の一つだが、君はこの部分の知識が無いみたいだな。
中学三年のレベルにも達してないぞ。
恥ずかしくないのかな。年取ってこれなら真剣に悩んだ方がいいんじゃないか。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/07(土) 22:54:00.08
他に庶家とか三井家がどうしたとか書いてあるが、めんどうだから又にするわ
レス書いててネタかと思うよ
ちょっと酷すぎないかw
0082日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/08(日) 00:34:26.53
>>79 農家以外に本家、分家があったことは理解できたのかな?
論点はこれだけだろ。武家や商家にも本家分家があったことを教えてあげたんだけど。
農家だけだなんて片腹痛い。

揚げ足取りのバカばっかり言ってるな。幼い人間に細かいことを言っても仕方ない。

以下の事は本家分家とはあまり関係ない話だが、揚げ足取りを蹴ってやりたい気分。

国司(守護職)と共に地頭に任ぜられたんだよ。 国司の当時の城は見た事はないが、登城してたと言うからには城があったんだろて    
この国司と(守護職)なる人間とは一緒に源氏の戦いに行ってたから親しい。

自分の浅知恵が全てと思いなさんな。 嫌われるよと言ってるだろ。
0083日本@名無史さん
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2022/05/08(日) 00:42:24.35
ごめん国司といのは自分の思い込みだった。守護職が正しい。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/08(日) 00:46:09.34
が、最初は遥任国司 だったようだからあながち間違いではない。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/08(日) 11:57:09.99
国司とかアホかこいつ?
0086日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/09(月) 23:38:51.65
因みに国司が守護として任じられたのはうちが地頭として任じられたより3年位後でその間は国司のはず。 守護、地頭の関係でもない、守護の統治範囲はうちの地頭の範囲は含まれていなかったし。
かなり後になって守護の範囲がうちの地頭の地を含むようになったけど。

その間はただの主家と家来の関係? お互い御家人だったというだけの話。

後に守護家が兄弟で二つに分かれて戦い、うちが味方した南朝方が負けたために、地頭職を取られて没落してしまい、細々と生き続けてる状態。
最初に地頭として住みついた地を追われていないだけでも不思議ではあるが。

守護家は、南北どちらが勝っても負けても家が存続するように家族を戦わせても家を守り大きな戦国武将に育つ。

あまり言い過ぎましたね、適当に読み流してください。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/20(金) 02:03:41.08
ヤフオクでちょこちょこ「戸籍」が出品されてるけどプライバシーの問題ないのかね
相当昔でその戸籍のメンバーは当然全員死んでるだろうが
0090日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/20(金) 03:31:06.99
戸籍は元々誰でも見られるように公開されていたからね
戦国武将の親族関係を書いても問題がないように、時が経てば良いだろうと個人的には思う
0092日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/20(金) 23:11:20.34
「そのような大事なものとは...」 出品者も驚いた「壬申戸籍」流出の不思議
https://www.j-cast.com/2019/02/18350639.html

法務省の民事第1課によると、静岡地方法務局が2月14日、「外に出るべきものではない」などと出品者に会って説明し、出品者から無償で回収した。出品者は、「そのような大事なものとは知らなかったので、お返しします」といった内容を話した。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/22(日) 10:04:58.87
今まで図書館でパソコンを借りて見なくてはならなかった国立国会図書館の資料が一部家でも見れるようになったよ、調査が捗るかも。ただし国立国会図書館のIDは必要
0095日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/22(日) 11:50:29.57
戸籍の附票って5年で廃棄らしいから
さすがに昭和時代に除籍済みの本籍の戸籍の附票(除票
は請求してもないですよね
奇跡的に残ってる自治体とかあるの?
0096日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/23(月) 17:56:09.08
戸主制度で長男に家督を譲った後昭和30年杉に
長男の母(前戸主の妻)が「改製」のために除籍してるんですけど
死んだわけじゃなくて長男の母が筆頭の新戸籍ができたってことですよね?
死んだ前戸主とは離婚してない未亡人のはずなんですが
0097日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/24(火) 01:29:29.42
>>95
無いとは言いきれない
特にその除籍に記載の人が現在も同じ役場の管轄で存命ならばあるかも
0098日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/24(火) 01:56:20.18
>>96
その長男に既に子供がいるのでは?
昭和二十三年式以降では一つの戸籍に三代は入れないので除籍になったのではないかと

その後の母戸籍を見ていないということは、その母は貴方の直系尊族ではない?
0099日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/24(火) 15:46:08.58
>>98
同じ戸籍の中に家督相続した長男の子いましたよー

そして家督相続してない次男が「母に随い?」除籍ともなってました
母と独身次男の戸籍作ったんですかねえ・・・
そこに母と次男の次の本籍が書いてなかったから本籍の住所は同じままで別戸籍になったんでしょうか
戸籍集めたいけど次の本籍書いてないからどう問い合わせたらいいかわからない
0100日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/25(水) 05:22:33.13
>>99
そう、母と次男の新戸籍が編製された
改製に因る新戸籍編製なら本籍は変わっていないだろうから、同じ本籍で請求したら良い
地番変更等行政側の事情で表記が変わったが場所は同じという場合も、同じ本籍で問題ない
0102日本@名無史さん
垢版 |
2022/05/28(土) 20:55:41.43
遡れるとこまで遡って録りたいけど1通750円+為替の手数料200円は高すぎだ!
ちょっと前まで10円だったでしょ手数料
郵政民営化は異常だね
0103日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/03(金) 20:36:24.04
百円の時代に振り出した定額為替
そろそろ使わないと期限切れになってしまう…
0104日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/04(土) 14:55:55.59
昔の戸籍みたいなの見つかって眺めてたら、1800年生まれのご先祖さまの名前が田中山田みたいな苗字二つ並べたような名前やったんやけど、こういうのって昔だと普通にあるんですか?
0105日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/06(月) 21:15:58.34
特に普通とは言えない
生まれが明治になるより前か後か
後は地域によっても差はあるだろうけど
0106日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/06(月) 21:48:17.45
宗門改帳見てたらうちの江戸時代の先祖の娘の名前が「具王」って不思議な名前だったわw
6歳くらいで死んじゃったっぽいけど
0107日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/07(火) 02:52:35.66
それは凄い
是非その娘さんに会って名前を呼んでみたかった
0108日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/07(火) 02:54:40.62
株式会社コートの代表取締役が堀具王という名前らしい
男だけど
0109日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/07(火) 20:25:27.94
家康の譜代の家来本多百助に子供が生まれた。
百助に家康が尋ねた。生まれた子は男か女か。
男の子でござると百助が答えると、家康はそれは目出度いと喜んだ。
しかし百助は浮かぬ顔である。
実は、生まれた子はミツクチでござった、百助がそう言うと
家康は
ほぉ、それはまたでかしたわ、と笑顔で言う。
百助が不審な顔をしていると家康は、
たしか山県三郎兵衛昌景殿がミツクチだったと聞くぞ
この子も山県殿のごとくなるやも知れぬ
そう言うと家康は
その赤子は山県と名付けよ と命じた。

この子は本多山県という幼名になった。

家康はとっさに武田四天王の一人、山県昌景を出して、赤ん坊を暗い宿命から
救ったのである。
この赤ん坊は、成長後、家康に近侍して1000石の所領を与えられ、秀忠に付属して
大番頭を務めた[。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 03:18:10.70
読みだけなら苗字にも使える名前は結構ある
「みき」とか「さくら」とか
0112日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/09(木) 20:43:41.24
由紀さおりさんとかね
0113日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/10(金) 21:03:35.04
名前だけなら公開しても特定されることはほぼないから書いてしまえ
0115日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/10(金) 22:49:06.43
苗字といえば、有名なところでは林とか伴とか壇とかの一文字の苗字あるけど、岐阜で野とか鍔っていう変わった苗字をみたな
0116日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 00:23:24.98
岐阜に「野」っていう地名あるしそこから来てるのかもな
富山も酢さんとか魚さんとか変わった名字多いな
0117日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 02:02:41.78
野 ノ 奈良・奈羅・那曷(なか)のナは国の意味で韓国(辛国)渡来人集落を称す。ナカ参照。奈は乃(な)と書き、古事記仁徳天皇条に「あをによし乃楽の谷に」と。日本書紀天武天皇元年条に壬申の乱に際して、吉野方の将軍大伴吹負は「乃楽山」に陣を置いたとあり。大和国奈良は乃楽と記した。乃(な)は野(な)とも書き、日本書紀継体天皇二十一年条に「近江の毛野臣(けなのおみ)」とあり。和名抄伊勢国度会郡田部郷を多乃倍(たのべ)と訓ず。後の田辺村なり。乃(な)は、ノに転訛して佳字の野(の)を用いる。埼玉郡野村(行田市野)は、当村のみ渡庄を唱え、韓人の渡来地より名付く。以下の野姓を参照。
0118日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 10:26:31.27
父方の戸籍を全部取りました。
読んでいて頭が混乱してしまったのが、曾祖父の父(高祖父)についてです。

古い戸籍を確認すると私の曾祖父はどうやら父親不明の私生児で母方の姓を名乗っていたようです。
新しい戸籍には曾祖父が40代の頃に父から認知された旨が記載されていました。
当時すでに曾祖父の母(高祖母)は死亡しています。

認知届を出した人物は曾祖父の母方の叔父の婿養子で、姓は同じですが元は別家の男性です。
彼が曾祖父の実父だと思ったのですが、不思議なことに彼の生年を確認すると曾祖父よりも年下なのです。
しかし曾祖父の父親の欄には彼の名前が書いてあります。

なぜ、このような現象が起こるのでしょうか?
曾祖父の実父は不明だが、戸籍上の父親は存在するということでしょうか?
その場合、実父でなくとも認知するということは法律上可能なのでしょうか?
0119日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 10:36:30.47
ちなみに曾祖父は明治31年生まれで、
認知届を出した人物は明治40年生まれです。

私の想像ですが、
彼(明治40年生まれ)の父親が曾祖父の実父にあたり、
認知をする本人(たとえば彼の父親)が死亡していたため代理として届出を出したのでしょうか?

それとも全く親子関係は無いが、彼自身は曾祖父の家を継いでいるため
便宜的な父親として記載されているのでしょうか?
0120日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 15:34:46.16
明治31年に、家制度が生まれた。 この為明治31年生まれの曽祖父は新制度の戸主に属していない形だったと思われる。
そこで明治41年生まれの曽祖父は戸主制度に登録(多分戸主?)されていたので、戸主制度に入っていない明治31年生まれの曽祖父を戸主の元に登録したのでは?


家制度(いえせいど)とは、1898年(明治31年)に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度である。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 16:23:42.29
認知したって、認知された子は認知した父親の戸籍に入るわけじゃないだろ。
戸籍はそのまま。
養子縁組をすれば、養親の戸籍に入ることになるが。
0122118
垢版 |
2022/06/11(土) 20:41:53.05
そうですね。
曾祖父A(明治31年生)は昭和14年に認知された時は既に40代であり、
20代の頃に養子縁組をして現在の私の名字の家に入って来てるので、
届出をした人物B(明治40年生)の戸籍には当然入っていません。


届出をした人物Bと、明治40年生の人物が
同姓同名の別人という可能性もあります。

認知届が出された数年後に彼(明治40年生)は役所に申し出て名前を変えており、
同姓同名である曾祖父の実父と混同されるのを防ぐために改名を認められたのかもしれません。

いずれにせよ、当時(昭和14年頃)何らかのいざこざがあった事は間違いありません。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/11(土) 21:50:44.79
成年の子の認知はその承諾がなければなし得ない。現民法782

これは旧民法をそのまま受け継いだものだ。
成年ノ私生子※ハ其承諾アルニ非サレハ之ヲ認知スルコトヲ得ス 旧830

承諾の方式は
1.戸籍の届出をする際に承諾を証する書面を添付するか、
2.届出書に承諾した旨を付記することが必要(戸籍法38条1項)

旧民法下でどうであったからは調べていないが、同じような方式での承諾が必要だったと
思われる。要するにこの承諾は要式行為である。

そうだとすると、明治40年生まれの人物が適当に提出した認知届で認知の記載がなされたと
いうことは考えにくいことになる。
曾祖父の方(明治31年生)が自分より10歳近く若い人を自分の父親として認知を承諾すると
いうようなことはまずあり得ないからである。

曾祖父の方が承諾をしていることを考えると、同姓同名の本当の父の認知を承諾したと考えるのが妥当。
とすると、その本当の父とは母方の叔父さんという人じゃなかろうか。
養子にとった明治40年生まれの男と仲が悪くなり、俺にはちゃんと子供はいるんだと認知届けを出した。
というようなことか
0124日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/12(日) 00:53:21.55
家族制度の上での戸主の下に入る家族は当然年上もたくさんいるよ。
家族の中で戸主は一人しかいないんだから。
0125118
垢版 |
2022/06/12(日) 01:49:00.98
皆さん限られた情報の中で考察していただき大変感謝いたします。
>>123
しかしながら、曾祖父の母方の叔父というのは正確には高祖母の実弟にあたるので、
もし実父ならば自分の姉と子供を成したことになってしまいます。(ありえない話では無いですが…)
そうなるとますます認知などは世間体上出来ないのではないのでしょうか?

正直なところ、戸籍読み取りだけでは推測するにも限界があると考えています。
聞き取り調査をしたいところですが、当人たちは当然故人ですし、
曾祖父の長男である自分の祖父も生前親族には何も話さず逝ってしまったので、
真実にたどり着くのが非常に難しい事だけは確かです。
一応、交流のある親戚筋に失礼の無いよう尋ねてみようかと思います。

それでは、皆さんに無理に考えていただくのも悪いので
私の先祖探しのエピソードはこれ以上はやめておこうと思います。
どうもありがとうございました。
0126日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/12(日) 06:48:16.58
明治31年生の曾祖父を産んだ高祖母がその時何歳だったかを考えてみよう。
すると最低16歳にはなっていたと考えるのが普通。
そうだとすると、その高祖母は明治15年あたりの出生。
とするとその出生が記載された戸籍は壬申戸籍。
20歳で産んだなら明治11年あたりの出生。なおさら壬申戸籍

仮に明治19年式戸籍に移行したあとに産まれたのだとすると、高祖母が曾祖父を
産んだのは(一番歳をとっていたとしても)12歳ということになる。
そういう戸籍はあるにはあるが、その場合は母親が産んだ子を自分の子として届出
されているという場合が多い。
いくら昔でも、そういうことは普通はなかったと考えるべき。
明治31年生まれの曾祖父の戸籍に母親の年齢も書いてあるだあろうから、まあ分かる
だろうけど。

母方の叔父さんが生まれたのは明治19年式戸籍移行の後かもしれないが、何せ
高祖母の方は最初は壬申戸籍なので記載事項がどこまで本当のことか分からないし、
そもそも確認しようがない。見ることができないのだから。
本当の姉弟でないのなら子供を作っても恥でも何でもない。
法律上結婚することも許されるわけだから。

ということで、高祖母と母方の叔父さんというのは本当の姉弟ではなかった可能性もある。

それと、その叔父さんというのは曾祖父の方より何歳ぐらい年上なのだろう。
その叔父さんが若い頃(18歳とか)、ゆきずりとか家の女中さんとの間に子供を作って
しまい、まだ結婚する歳でもなし、困ってその子を姉の戸籍に入れたという可能性もある。
当時ならそんな戸籍操作は簡単である。
姉の旦那はふつう嫌がるだろうが、金で何とかなる話でもある。
姉の戸籍に入れただけでなく、姉の家の子として育てたということではないか。
それだと、弟が実の姉の産んだ子を自分の子として認知するということがなされても
おかしくはない。
0127118
垢版 |
2022/06/12(日) 17:51:28.61
>>125でやめておこうとレスしておいてなんですが、一応補足だけしておきます。

>>126
なるほど、そこまでは私も考えてはいませんでした。
高祖母と曾祖父の叔父が実の姉弟ではなかった説、または
曾祖父の叔父が若い頃に産ませた子を姉の子にさせた説、どちらもありえますね。

高祖母の生年は明治7年(1874年)ですので、仰る通り壬申戸籍ですね。
彼女の弟にあたる曾祖父の叔父も明治13年(1880年)生まれなので、壬申戸籍です。
彼は曾祖父が生まれた時点で17歳のはずなので仰る通り父親でもおかしくない年齢差です。

余談ですが高祖母は3度結婚しており、私の曾祖父は2度目の結婚の前年に生まれたそうです。
全て養子縁組で、最後の夫との子供はおらず男子は私の曾祖父含めて3人授かったようです。
高祖母の男子3兄弟はいずれも異父兄弟で、彼女の弟もまた前述の通り婿養子を取ったので、
当時、父親の異なる4系統の男子が同じ姓を名乗るという奇妙な事態が発生したと思われます。

結局、一人だけ非嫡出子だった私の曾祖父のみが現在の私の家に婿入りして現代に至ります。
どのような過程があったにせよ、全く知らなかった曾祖父の人生の一端を窺いしれて良かったと私は思います。
0128日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/12(日) 22:38:52.78
>余談ですが高祖母は3度結婚しており、私の曾祖父は2度目の結婚の前年に生まれたそうです。

そうかそうか。そうでないといけないわな
高祖母の方が、もし婚姻中に自分の子として届け出たなら、嫡出推定で当然その旦那の子という
ことになる。そうなったら、その子を他の男が認知するなんてことはあり得ないことになる。
そこのところは俺もミスった。

夫がいない時期、結婚していない時期じゃないと、私生児にはならないわけだわな。
だが、結婚していない時期に産まれて届出をなしたというのは、やっぱり自分の子でない可能性が
大きいということではないか。
高祖母の方の弟さんが実の父親という可能性は大きいと思う。
0130118
垢版 |
2022/06/13(月) 03:03:52.67
>>129
>>曾祖父の母方の叔父の名前は確認できたの?
はい。認知届を出した人物と名前は違います。
昭和16年に死亡したようで、曾祖父が認知されて2年後になります。

>>認知届を出した人の本籍や戸主は書いてあった?
本籍は書いてありましたが、戸主の記載はありませんでした。
本籍地は曾祖父の母方の叔父と同じ部落ですが、よく見てみると番地が違いました。
0131日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/13(月) 08:27:53.76
>>>曾祖父の母方の叔父の名前は確認できたの?
>はい。認知届を出した人物と名前は違います。

「認知届を出した人物」っていったい誰のことを言ってるんだろ
届けを出した人なんだから、認知した人とは違うということなのかな。

認知届けを役所に出した人物(認知した父親ではない)は母方の叔父さんの婿養子の人
なんだよね。
認知した人と認知届けを出した人という区別が非常に分かりにくい。
認知届けを出した人は、本人(認知した父親)の代理人として認知の手続をした人?
0132118
垢版 |
2022/06/13(月) 09:57:52.42
>>131
申し訳ありません。
少し整理してみました。
いずれの場合もBが実父というのは(曾祖父が明治31年生のため)生物学上ありえないとして、

・曾祖父の認知届けを役所に出した結果 父親として記載されている人物A
(生年の記載無し、本籍地はX部落1番地、昭和14年に届出)

・曾祖父の叔父(母の弟)の婿養子B
(明治40年生、本籍地はX部落2番地、昭和17年に改名)

このA, Bが同姓同名であるため同一人物なのか別人なのか不透明というのが問題となっています。

ですが、Bの戸籍に認知届をした旨が記載されていないので別人である方が自然と思えてきました。
この場合、Bの改名は曾祖父の認知者と混同されるのを防ぐためと納得できます。
Bはそもそも婿入りの結果Aと同姓同名になったので、役所から改名を認められるのも頷けます。

それに何よりAが認知した父親の代理人だとしたら、曾祖父の父親欄にもAの名前が載るのは不自然です。

とりあえず、Aの本籍地が曾祖父の戸籍に載っているため
それを手掛かりにAの戸籍を申請してみようと思っています。
0133日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/14(火) 01:09:24.50
>>132
それが良いだろうね
本籍地が違って生年にも矛盾があるなら別人で間違いないよ
0134日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/14(火) 06:31:41.51
>>118
>認知届を出した人物は曾祖父の母方の叔父の婿養子で、
>>119
>ちなみに曾祖父は明治31年生まれで、
>認知届を出した人物は明治40年生まれです。

9歳年下の叔父の婿養子の人が認知届を出したんでしょ
「認知した本人=父親」以外に別人が認知届を出しているわけでしょ

だから、それじゃその叔父の婿養子の人は代理人として認知届を出したのか?と聞いたら
>>132
>それに何よりAが認知した父親の代理人だとしたら、曾祖父の父親欄にもAの名前が載るのは不自然です。
だってw

要するに、認知をした本人と叔父の婿養子が同姓同名なので混乱しているというだけの話で、
叔父の婿養子は認知届けに全く関与していないのじゃないのかな
あなたが最初にそう言ってしまったというだけのことで。
だから言っていることが変わってきている。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/14(火) 20:08:55.61
戸籍の記載は虚偽で実はこんな泥々な関係だったと思われる!
とか豪語するも最後には全く的外れな妄想だったことが発覚して発狂する
ここまでがこいつの定石
0136日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/14(火) 20:33:21.74
>>135
何だよ。反論できないのか
まともな反論を期待してたんだが・・・

しょうがない奴だなw

ガッカリした
0139日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/15(水) 05:05:35.24
>>137
本職って行政書士のこと?
お前、あんな乞食商売しているのか。

でも自分の職業にプライドを持つというのはいいことだよ。
どんな商売であっても
0141日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/16(木) 06:25:00.32
>>140
おっさんが自宅警備員なんて言葉覚えちゃってしょーもな、、、w
しかし乞食商売とまで言われてるのにこんなありきたりの5ちゃん言葉で反撃かよ
お前も人がいいな

それより>>134 に反論しろ
本職なんだろ(大笑
本職の実力を見せろよ(爆
0142日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/17(金) 22:51:15.96
認知と言えば、父親欄に苗字の違う名前が書いてあるだけで、いつ何処の人が認知したのか全く書かれていないものがあった
出生届は母が出したとあるから、その後に認知したのだろうけど、何も書かれていない
本籍も書かれていないからかなり困る
0143日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/18(土) 05:10:21.75
本籍移したんじゃないの
前の戸籍には書いてあると思う。
0144日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/18(土) 19:51:52.28
いいえ、その人及びその人の母の戸籍は出生から全て見ましたが書いていません
その人は昭和初期の生まれで、母はその二年程前からその戸籍にいます
但しその人の出生届は出生から四年程後に届出が為されているので少し訳有りの気がします
0145日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/19(日) 06:44:52.04
>母はその二年程前からその戸籍にいます

と言ったって、認知がいつされたか分からないんだろ
だったら二年より前に認知されたかも知れないじゃないか
0146日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/19(日) 09:14:02.42
子供が生まれる二年前です
まだ胎児にもなっていないのに認知する制度はありません
それに母の出生から戸籍も全て見たというのは前述の通りです
0147日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/19(日) 20:34:42.41
>>146
>まだ胎児にもなっていないのに認知する制度はありません
子供みたいなこと書いてんじゃないよw


遺言による認知かもな
0148日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/20(月) 00:15:04.62
それは認知の年月日や本籍を書かない理由にはならないのではないでしょうか…
0149日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/21(火) 03:06:39.32
その情報からすると役所に何らかの落ち度があったということだろう
胎児認知を受けたが、出生後書き損ねたとか
或いは私生子なのに父親欄に名前が書かれた出生届を受理してその通りに名前だけ記載したとか…
後者だと実は認知が成立していないが流石にそんなことはないか…?
0150日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/22(水) 19:06:35.75
認知が成立していない可能性ですか
それは恐ろしいですね

実はその父親の名前には心当たりがあるのですが、証明しろと言われたら困ります
0152日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/22(水) 21:57:46.26
胎児認知なんて実際には無いよ
腹の中にそんなに長く入っているわけではない。
生まれてから認知すれば足りる。
胎児認知の必要があるのは、自分が重病であと数ヶ月しか生きられないと
いうような病人とか老人。でも数ヶ月前に女中さんとかを孕ませた。
子供が生まれるまで生きていられないかも知れない。
ということで胎児認知。
西欧でよくあるような話。日本ではどうかな。
とにかく西洋の法典にはふつうにある制度なので日本の法律にもあるというだけの話。
船舶遭難者の遺言などと同じような趣旨の既定だ。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/23(木) 06:10:46.17
妄想ってのはこういうのだろ
>>149
>或いは私生子なのに父親欄に名前が書かれた出生届を受理してその通りに名前だけ記載したとか…

馬鹿だよこれ書いた奴w
0156日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/24(金) 06:16:59.83
>>152 を一部訂正。胎児認知が急増しているそう。
利用するのは外国人妊婦。
いわゆるジャパ行きさん、たとえばピーナみたいな女たちが日本人の男の子供を宿す。
結婚しないで日本で子供を生んでも、その子は日本国籍を取得しない。
日本国籍取得の条件は、父親または母親が日本人であること。
母親が結婚していないと私生児で、親は母親だけ。
母親が外国人なので、子供は日本国籍にならない。

そこで男(胎児の父親)に胎児認知をしてもらう。
すると出生届の父親欄には父親の名前を書くことができ、結果子供は日本国籍となる。
すると、その母親のピーナは日本人と結婚しなくても、外国人のまま日本に在留し続けることが
可能になる。日本国籍のある子供は日本にいて当たり前。
だったらその母親だけ帰国させるわけにはいかない。そこで人道的配慮から、定住者ビザが与えられ、
母親も日本で生活することができるようになるのである。
この場合就労も可能になる。

ピーナにとっていいことづくめ。
ま、本当の父親でなくても、金払えば認知ぐらい協力するよという男もいるだろうね。
0157日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/24(金) 22:55:31.01
差別用語はできるだけ書かない方が良いよ。 お里が知れる。
0158118
垢版 |
2022/06/25(土) 12:53:59.33
曾祖父が非嫡出子だったという話をした者です。
あれから認知をした父親(高祖父)らしき人物の戸籍謄本を申請したのですが、
残念ながら役所でいくら調べても見つからないということでした。

認知をした本人と叔父の婿養子が同一人物なのか?という疑問でしたが、
どうやら同一人物である可能性が高そうです。

念のため認知をしたという人物が住んでいたらしき場所の旧土地台帳も調べたのですが、
当時の所有者には曾祖父の異父弟の名が記されており、つまり認知をした人物も赤の他人では無く
>>132で書いた、本家を継いだ曾祖父の叔父(母の弟)の婿養子Bであると推定できます。

なぜ生物学的に曾祖父の父親ではありえない人物が戸籍上に父として記載されていたのか?
真相は今は亡き当人らしか知りようがありませんが、よく考えてみると認知をされた年とほぼ同時期に
曾祖父が養子先で分家をしているので、その際の手続きで「戸籍上の父親」の記名が必要となったのではないかと思われます。

いずれにせよ 曾祖父の実父が誰なのかは突き止めることはできませんでした。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/26(日) 00:58:18.28
>>158
どうしてそんな推論になったのかと…

当然だけど、虚偽の認知をすることは犯罪である
役人も共謀していたならその役人も有罪
それなのに何故敢えて一見して虚偽だと判る方法で実行するのか
人生懸けた犯罪にしては余りにもお粗末ではないか
このことからその婿養子と同一人物という可能性は皆無に近いと言える

同じ部落で元々同じ苗字だったのなら、認知した別人も元々親戚だった可能性を考えた方が妥当ではないかな
勿論、地主と血縁関係が無くても何も珍しくない
その情報では認知した人は別人であるという結論は揺るがないだろう
0160日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/26(日) 01:17:55.59
でも認知されたのが昭和なのにその人の戸籍が見付からないのは残念過ぎる
戦災や天災でもあったのだろうか
0161日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/26(日) 05:42:07.07
>>157
反論できずに差別持ち出してどうすんの馬鹿だな

>>159
お前何を偉そうに書いてんの、ハチャメチャじゃないか
低能低学歴は書き込み禁止にできないものか
それよりお前は中学生か何かじゃないのか
子供は来るなよ
0162日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/26(日) 09:18:42.13
>>149 >>155
その人の出生地は母戸籍の本籍地とは別の県で、父として心当たりのある人の本籍地の近くです
ただぴったり同じというわけでもなく明確な証拠はないです

胎児認知説は信憑性が高そうなのでその線で考えてみます
ありがとうございました
0163日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/27(月) 01:57:58.96
自宅ではなく病院や産婆さんのところで出産することもよくあったからね
0164日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/27(月) 06:18:44.16
胎児認知は父親が腹の中の子が生まれてくるまで生きていられない可能性がある場合に
するものだ。
だから胎児を認知したか出生後それほど時間の経過しないうちに父親は死んでいるはず。
その後十年とか二十年とか生きていられるのだったら無理に胎児を認知する必要はない。
父親と推定されるという「曾祖父の叔父(母の弟)の婿養子B」はいつまで生きていたのだろう?
それは戸籍簿から分かるはずだよね
0165日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/27(月) 22:33:54.50
>>164
あの…
認知したのが叔父の婿養子か同名の別人かが問題となっている>>118と、
父親欄に名前があるが認知事項が書かれていないことが問題となっている>>142は、全く別の案件なのですが…

前者は四十台で認知されたと最初の質問に書かれていますし、本籍地が異なることと生年の関係から認知したのは同名の別人の可能性が高いです
後者は認知した者に心当たりはあるものの、本籍地等が書かれていないので戸籍の閲覧はできていません


基礎となる事実を誤って読まれているようです
それで>>161のようなことを書いたのですか?
混同する要素はないと思っていたのですが紛らわしかったでしょうか…
0166日本@名無史さん
垢版 |
2022/06/27(月) 23:36:27.79
>あの…
とか入れ込んでるねw

朝起きたばかりで目が覚めてなかった。

>それで>>161のようなことを書いたのですか?
>>159叩いちゃいけなかったのか
なんか自演ぽい感じしてたわ
0167日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/02(土) 08:28:39.03
>>142
こういう事例って有りそうだ。
ただ、こうした戸籍だったら、まず役所の係の人に聞くだろうな。
これどういうことでしょうか、って間違いなく聞く。
役所の人だって、自分の職掌の問題だし、さあ何ででしょうね、で
済ませるわけにはいかないだろう。
わかるところまではちゃんと調べると思うし、最低限こういうことではないかと
いうところまでは説明してくれるはずだ。

そういった話が全然無いというのがなあ、、、、
不自然に感じるんだよな
0168118 問題解決済み
垢版 |
2022/07/06(水) 22:08:36.73
>>159
すみません。あなたの仰る通り別人だったようです。
曾祖父の出身地にかなり孤立した部落という偏見があったので、
当時、同姓同名の人物がいるわけないと勝手に思い込んでいたようです。

郷土博物館で同部落の史料を漁ってみたのですが、
大正9年時の「国税10円以上の納税者」という名簿に高祖父らしき姓名があり、
疑惑となっていた人物は戸籍謄本から昭和初期に養子縁組した方と分かるので
きっぱりと別人と判断することができました。

晴れて高祖父の名前のみは判明したという所です。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/07(木) 20:57:18.96
何でだろー何でだろーななな何でだろー
0172日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 18:43:22.01
ひいひいひい爺ちゃんの生まれ育った地域をストリートビューで見てみたが結構な田舎だった
田舎ということもあってかデカい家が多くて、敷地内に蔵があったり背の高い木が何本も生えていたり地蔵やら祠やらが置いてある家も多かった
日本の田舎のこういう風景が好きな自分としてはこんな場所に自分の先祖が代々生活を営んでいたという事実が嬉しい
1度行ってみたい
0173日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 18:57:14.52
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か。つもりになってんじゃないわよ、ということなのだろう・・・
0174日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 19:00:15.69
誠実にしろというのも、愛を持てというのも、神が第一だというのも、仁が第一だというのも、
言葉の強制観念になってしまうな
其の人自身が、本芯から、そうならなければいけないわけで。
0175日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 19:01:48.67
つまり、強迫観念を悪霊は利用するわけだ。
創価でも、統一でも、そうでしょ?
0176日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 19:18:05.79
審神するためには、
理屈観念によらず、愛と美で判断するといい。
美しすぎる、やさしすぎるというのも、魔だ。
真善美を利用して、騙そうというのだ。
きれいなバラには棘がある。
この言葉のほんとうの意味は、
美しくなって、しかも、攻撃的棘を持ちなさいということだろう。
更に修行が進めば、
気韻生動を見る、というのがある。
美術品の鑑定でも、横綱審議会でも、つまり、これだ。
0177日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 19:23:51.76
コロナ対策には、亜鉛と、ビタミンDが効果あるらしい
ひきこもりで、性欲乱費の人は、是非
0178日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 19:53:15.89
深見先生の三国時代の前世は、関羽と、劉備玄徳の母ということで、劉備ではないと思った。
確か、劉備玄徳が徳川家康だから、深見先生は徳川家康ではないのかな。
諸葛孔明でも、あったらしいが。関羽は、差詰、滝川一益で、諸葛孔明は、上杉謙信。
ということは、劉備玄徳と、徳川家康は、植松愛子先生か?
0179日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:08:58.39
俺は、タイプから言って、差詰、関索と馬謖だろう。
知力、武力も、妥当な線。
0180日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:10:53.21
馬謖の山登りは、多分、司馬懿や張こうに嵌められたのだと思う。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:13:30.41
でも、補給線を断たれたり、火攻め水攻めの可能性があるのに、
山登りする戦略はないだろうな・・・
やっぱただの勇み足?
0182日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:15:54.20
大所高所から、局所をみれば、囚われないし、間違わないよな。
高津監督は、それが出来ている。
0183日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:33:38.53
創価に下がる言霊吐かれても、十言の呪り(かじり)や、神歌呪(しんかじゅ)を唱えれば、
復活しますんでね。
そのたびそのたびに上げる訳にも行かないので、
時折、唱えるといいでしょう。
しんかじゅのかという字は忘れてしまいました。
真神呪だっけなあ・・・
0184日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:36:05.01
十言の神呪で、とことのかじりと言うらしい
0185日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:43:30.02
政策業務、経理業務なんか電子情報化してしまったら、
ネットハンキングされたらどうするんだろうな・・・
これも、自民党の策略か?
0186日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/18(月) 20:44:57.69
すぐお隣に、悪霊共産国があるのにな・・・
皇国の永遠の敵。
0187日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/19(火) 01:23:53.15
>>172
行ってみるべし
本家が残っていたら戸籍より遡れる可能性大
土産と血縁の証明を忘れずに
0189日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/19(火) 21:41:50.98
どのくらい昔までたどったら自分がぜったい在日韓国人や在日朝鮮人じゃないってわかるの?
今前戸主である祖父の父親の名前が書いてある戸籍までとってみた
明治生まれの祖父と親戚達の名前が書いてある
0190日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/19(火) 22:43:36.00
明治16年くらいから朝鮮人は日本にちょくちょく住み着き始めたみたいだな
0191日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/19(火) 22:44:42.26
つーか明治期の古い戸籍って配偶者が外国人の場合、どうやって表記されてるんだろう
0194日本@名無史さん
垢版 |
2022/07/21(木) 22:12:09.52
明治の頃は、夫婦で同一の国籍を有することが世界的な潮流だったようで日本もそれに倣った
即ち、日本人男性と外国人女性が結婚した場合、その女性は日本国籍を得、
日本人女性と外国人男性が結婚した場合、その女性は日本国籍を失うのが原則であった
尚、外国人男性が婿養子縁組で日本人女性と結婚した場合はその男性は日本国籍を得られたが、
それも養子縁組の効果で日本国籍を得た上で結婚したと解すれば原則通りと言える

例外的に国籍が分かれる例としては、
双方外国人の夫婦であったが、後に一方のみ日本国籍を得、他方はその人の国の法によって日本国籍を得られない場合や、
大正以降で日本人女性が外国人男性と結婚したが、その外国の法によって新たな国籍を得られないため日本国籍を失わない場合が挙げられる

つまり、国籍上「外国人配偶者」という状態は滅多になかったことになる
0195日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/05(金) 20:46:30.79
壬申戸籍の謄本を保管している人が全然いないの不思議すぎる
0196日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/05(金) 20:58:41.36
フシギダネ
0198日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/07(日) 03:06:19.93
それも提出用でしか謄本請求しなかったというのが前提ではないか
その段階で保管しておこうという意識が低かったように思う
0199日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/07(日) 23:27:12.49
マスクを顔パンツと呼ぶ人がいるようだが
要は隠されると見たくなるものなのだろう
0200日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/08(月) 10:40:38.74
直系の子孫だけなら別に見せてくれてもいいじゃないって思うわ
0201日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/08(月) 10:56:22.50
道民だが親戚とか自分の周囲の人間は「過去は過去。北海道に来たんだから本州にいた頃の先祖のことなんてどうでもいいでしょ!先祖のこと知ったって意味がない!くだらないことをするな」ってスタンスが多い
だから先祖調査したいっていうと鼻で笑われるからキツイわ
曾祖父母の時代に北海道に渡ったらしいが、唯一存命中の大叔母にどこから来たのか聞いたら北陸から来たらしいっていう情報しか知らないらしい
まあ戸籍取り寄せて調べるつもりではあるが、なぜか道民は先祖の話したがらない
これは憶測だが
士族の子孫以外の大部分は軽犯罪者や賤民の子孫が多いって聞いたことあるしそういうのを知られたくなくて多くを語らないから先祖の情報が言い伝えられていないのかもしれんな
0202日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/09(火) 02:37:11.64
北陸の一部で何故か古い戸籍を破棄する悪癖があるらしい
そっちの思想が影響している可能性もある
0203日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/09(火) 05:53:06.21
北海道って個人の家の墓を作らない人が多いんだよな
共同墓地が多い。
家の墓を作っても、引っ越してしまうかも知れないから意味がないというか、
墓の引っ越しって面倒だからね。
共同墓地(合奏墓)だと骨は取り出せないから、ハイサヨナラだよ

昔は墓を建てずに寺に預ける人が多かったそう。
そのうち定住する地に住んだら受け取りに来ようと思っているだろうけど、そのままに
なるのが多いらしい。
北海道は道内でも移住が多いんだな
先祖に興味がないのは墓の関係もあるかも知れない
0204日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/09(火) 08:50:46.39
岸本 良信
道産子のルーツ事典―先祖を正確に調べる方法
0205日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/09(火) 17:27:36.74
>>201
>軽犯罪者や賤民の子孫が多い

そういう人たちは海外移民にも多いと聞く
先祖と同じ地に留まっていても差別されるだけだし(過去の因習に拘る田舎ほど顕著)
そんな場所から離れて新天地で一旗揚げたい気持ちが強まるんだろう
0206日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/12(金) 12:12:49.15
法務局は、役場からの照会があっても、役場に問い合わせた人の個人情報を開示しなければ戸籍を閲覧することができない、と役場に言われたのだが、それ本当?
0207日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/12(金) 17:33:59.65
市町村長(役場含む)が戸籍の記載に錯誤遺漏等を発見し、その訂正内容及び事由が明らかであるときは、法務局長等の許可を得て訂正することができるわけであるから、
抑々当事者が問い合わせる必要なく訂正できるのであって、問い合わせた人の個人情報を開示しなければ法務局は確認できないなんてことはないはず
0209日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/13(土) 01:25:58.79
>>187
こういうスレ見てる俺が言うのもどうかと思うけど、○○の来孫ですと訪ねて来られても警戒してしまうわ
0210日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/13(土) 01:30:17.99
警戒はするべきだろう
本当に親戚であることの証明と、財産目的でないことを信じてもらうことから始まる
0211日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/16(火) 22:24:48.12
近所の神社に行くと貞享弍年と彫られている石に同姓の人物が6名
近所に住んでる同姓の人は遠い親戚なのかと思っていたけどそうではないのかな?
0212日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/17(水) 01:01:15.41
本家は田舎の集落にあったんだが、集落内で自分の先祖の家と同じ名字の家がもう一軒ある。
名字同じだし家同士も隣で、原戸籍を見れば曽祖父の住所がうちとその家の合筆みたいになっていたから、同族だろうと思ったが、菩提寺も宗派も違うのでそこが謎だった。うちは曹洞宗で相手は真宗。
調べてみたら全く同族ではなかった。その家はうちの累代の墓守をしてくれていたらしい。
調べてみないとわかんないな
0213日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/17(水) 02:59:42.23
>>211
おお結構前の墓だね
取り敢えず神主とかに話を聞いてみることができたら良いね
0214日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/19(金) 00:12:04.44
>>209
そりゃそうだよ。 せめて現在の自分の戸籍謄本なりそこから遡る戸籍謄本一覧を持っていくなり、自分をある程度証明できないとね。
話してる間に偽物はわかる。 でも詐欺師に引っかかる人も多い。
0216日本@名無史さん
垢版 |
2022/08/19(金) 00:31:37.13
>>212
墓守をしてくれてたのなら同族の可能性は高いのでは?
宗派が違うのは、分家も遠くなれば改宗もあり得るからそれだけで同族では無いとみなすのはどうかな。

うちの一族の墓守も同族が持ち回りでやってくれてる。
明治初期の墓とかはお参りしてくれる人も少ないからね。
自分も戸籍をたどるまでは先祖の名前は知らなかったからな。 この間江戸末期生まれの人の墓を見つけた。
0217日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/15(木) 22:39:10.41
男系が婿養子なんですが生家の謄本取り寄せられますか?
生家の本籍地わからないのですが
養家の謄本には町名までしか書いてなかった
0218日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/16(金) 00:22:40.43
>>217
直系尊族なので可能
町名迄しか書かれていないということは既に明治十九年式なのかな?
氏名、生年月日と併せて請求すれば通常は開示される
勿論現存していなかったり壬申戸籍だったりしたら不可能だけど
0219日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/16(金) 01:47:41.76
追記して戸主の氏名も結構重要
これらは恐らく判明しているだろうから取り寄せられるだろう
0220日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/16(金) 08:05:47.12
ありがとうございます
自宅に戒名と命日だけが書いてある書き付け抄録があるのですが
どうも養家のものではなく生家のものではないかと思っています
これで判別つけられそうです
0221日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/16(金) 18:17:38.79
自治体によって結構差がある
番地無しでも探してくれるところもあるし駄目なところもある
0222日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/18(日) 02:01:39.58
戸主よりも戸主の母が後に生まれたことになっている戸籍を発見

どちらも安政生まれ
但し母は明治初期に入籍したとある
其故、実母ではなく継母の誤りではないかと役場に問い合わせる

だが役場は生年月日の方が間違っている可能性もあると言い張って、結局「さあ分かりません」以外の回答は無し
公的な証明である戸籍の記載を疑うなら相応の根拠を提示すべきではないか
それも数年程度ならまだしも二十年近く間違えたというのは苦しい
特に役には立たなかった
0223日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/18(日) 02:27:27.22
この戸籍には他にも結構穴がある
例えば父母欄が空欄の人が多い
従前戸籍から明らかに判明しているのに書かないのは違法な遺漏

ところが役場に問い合わせて一箇月程後の回答は、法務局にも照会したが当時の制度が不明なので違法とは言い切れないとのこと
だがそれは大間違いで、明治三十一年戸籍法第百七十六条第五号に明文の規定があることを指摘してやると、
「明治三十一年にも戸籍法があったんですね」だそうな

駄目だこいつ…早く何とかしないと…

戸籍担当が戸籍法も調べず一箇月もの間何を調べて当時の制度が不明との結論に至ったのか
本当に法務局に照会していたのか
今も昔もこの役場は酷いということか
0224日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/18(日) 04:42:24.34
結局壬申戸籍からの写し間違いが原因っぽいから触りたくないんじゃないですか?
だから無茶な言い訳を法的根拠無しにさせられる担当者も被害者といえば被害者
触っちゃったのバレたら糾弾会だ吊し上げだ
政治決着するまではこのまま塩漬けが無難
0225日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/18(日) 09:13:51.79
頼みが家系図や過去帳になる国なんだなというのを実感させられてしまうのがなんともご先祖含めたルーツへの意識の希薄さを感じるエピソードだね
詳しくありがとう
いつまでも日本人や日本語の祖先がはっきりしないわけだ
0226日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/19(月) 01:19:12.36
日本は島国だから有史以来、外国からの移民や渡来が極めて極めて少なかったってのもあるだろうな
先祖調べたってどうせどこまで遡っても日本人でロマンがない。先祖なんか知ってどうするの?っていう考えがメジャーな国民性
大陸だったら多民族わちゃわちゃで混血しまくってるからルーツは大事にするし辿る楽しみもあるだろうけど
0227日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/20(火) 18:37:35.73
224はいいが、225と226は只の馬鹿
役場関連に詳しい人が書き込んでくれたら良いのに
0229日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/21(水) 09:27:58.88
>>226
そんな馬鹿なことがあるか、そんな大昔までは辿れない事はみんな知ってる。
多少の真実が残ってるのは古事記、日本書紀以降だよ。
それ以前は精々九州王朝くらいの物。

それ以前は遺伝子の旅となるのかな.自分も一度遺伝子を調べてみようとは思ってる。 
いろんなルートから入ってきてることは遺伝子からも明らか。決して単一民族ではないが長い間に同化して単一文化の民族になってるのは確か。

それら以降で辿れるところまで辿ろうとするが戸籍では江戸末期以前には遡れない。
そこで過去帳や墓石、先祖の伝記、諸々から話をつなぎ合わせて朧げに見えてくる楽しみが先祖探しだろ。

アメリカやヨーロッパには戸籍制度自体がないから自分で先祖を探す趣味が生まれてる。 精々200年前がわかれば万々歳

普通の役場の記録はほぼまともだと思うが中には馬鹿な役人もいたんだろうな。 何回も書き写しされてるし。
0230日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 02:48:52.85
外国人も好きだけど外国人と結婚するとそっちの先祖が不明になりそうなのが恐ろしい
0231日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 07:26:36.45
奴隷で連れてこられたアメリカの黒人なんかどうやって先祖探しするんだろな
0232あちゃ
垢版 |
2022/09/22(木) 12:39:17.98
>>231
個別の先祖探しは無理だろう.血族先祖を集団で敬うのかな。

日本だって養子縁組も多かったから両方を辿って行くと膨大な人数になりほぼ追いかけるのは不可能となる.代表的な主流を辿るのが関の山。 中には血がつながっていない場合も多々あるだろう。
0233日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 13:23:35.37
だって人類みな兄弟だもの
0234あちゃ
垢版 |
2022/09/22(木) 13:44:04.20
そう言えば戦後よく八紘一宇の塔が取り壊されなくて残ったな。
皇紀2600年記念で建てられた宮崎にある塔。 平和台にある。

流石の進駐軍も天皇家ゆかりの記念塔に手を付けるのは
憚れたのかな

インドネシアの独立記念日が皇紀で記載されている。

戦後のフィクサーが世界は一つを謳い文句としてたな。 笹川良一など。 うちの親戚にもこの類の本を出してるのがいる。
0235あちゃ
垢版 |
2022/09/22(木) 13:48:28.34
笹川良一は、世界一家 人類皆兄弟
だった。

はっこういちう【八紘一宇】〔日本書紀「掩二八紘一而為レ宇」より〕
天下を一つの家のようにすること。第二次大戦中、大東亜共栄圏の建設を意味し、日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。
0236日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 20:46:00.18
実際は連合国による亜細亜侵略で植民地となっていた地域を解放していたわけだけどね
勝者の言うことは何でも正しいという考えをするのは侵略戦争を称賛する立場の人
0239日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 21:42:56.76
まあ士族とか立派な先祖を持ってる人が右翼になるのは心理的には自然だろうが、
0240日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/22(木) 21:43:58.56
単なる百姓で右翼やってる連中はキチガイだな。単なるマゾ。
0241日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/23(金) 03:41:59.52
親族には禁治産者とか親権停止とか廃除とかの記載がある人はいなかったな
0242日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/24(土) 02:22:00.95
近親相姦で生まれた子を認知した戸籍を見た人はいるのかな
0243日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/25(日) 14:17:54.90
俺の家系は裕福だったが、祖父の代に農地改革で約250ヘクタールの土地を失った。
さらに税率75パーセントの財産税もかけられて殆ど持ってかれてしまった。理不尽。
0244日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/25(日) 15:17:22.91
いずこも同じや
山林は農地改革無かったから松茸食べ放題だったってばっちゃがゆってた
その後輸入材不況が来てさらに松枯れで壊滅した
0245日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/25(日) 22:13:47.87
しいたけは八百屋でお金出して買うもの
まつたけは林業従事者のおみやげだからタダ
0246日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/29(木) 00:44:30.43
樺太とかは国土そのものが侵略されたのだからそれに比べたら…
0247日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/30(金) 03:05:53.14
妻と三度死別して四度結婚した人がいる
夫の方が次々に死亡だったら保険金目当てを疑いたくなるが逆だから違うだろう
姑は離れたところに住んでいたような感じだが不明
何があったのか
0249日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/30(金) 12:46:10.42
相続して分かったけど、戸籍は代々ずっと同じとこが楽だね。遡りも30分待ってたら全てでてきたよ。
0250日本@名無史さん
垢版 |
2022/09/30(金) 14:44:09.77
>>249
昔は戸籍を取るのも面倒だったが今はメールだけで取れるようになってるしコンビニでも取れるのかな。
今だったら遠くでも動かさない方が良い。

自分の頃は戸籍を取るのが面倒だったので結構したついでに戸籍を新しく作ってしまった。
アパート住まいだったので今やその住所には何もない。

と思えば10以上戸籍を移動している医師が居るが、どこの国の人なのかと疑ってしまう。 転勤の都度戸籍を移動してたらしいが。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 00:40:18.99
>>250
戸籍謄本をメールで請求できる制度なんてあるの?
定額小為替の手数料が高騰しているから他の納付制度が利用できるなら有難いが…

コンビニは現時点では一部の自治体しか利用できない上に現戸籍しか対応しておらず除籍謄本等は請求できない
まだまだ使い勝手が良いとは言い難い
0253日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 09:23:11.59
いや本当にあるの?
特定の役場だけで採用しているとか?
0254日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 10:44:36.69
自分はメールで取り寄せたよ。
最初にメールでどこまで遡ると戸籍いくつ分になるか聞いて調べてもらって、今の自分の戸籍謄本と小為替を同封して書留で送った。

メールでの問い合わせが制度としてあるものなのか単なる例外的なサービスなのかは知らない。
多分役場で手続きしてくれた人も自分の家系一族の人だったのだと思う。 苗字は全国で一族しか使っていない珍しい苗字だしら戸籍のある土地は先祖代々暮らしている土地。

ついでに先祖の資料(県の文化財となってる)もどこに行ったら見れるか聞いたら教えてくれた、
0255日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 16:24:15.77
なんだ請求がメールか
てっきりpdfがメールで来るのかと思った
0256日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 16:48:22.87
行った方が早いわ
0258日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/01(土) 22:32:02.89
中国地方から北東北に行きましたが何か?

まあ本当は謄本よりも二束三文の原野登記が本題だったんだけど
なにせ二束三文に行政書士使いたくなかった
交通費使って宿代使って居酒屋で名物食ってまだ全然安い
0259日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/02(日) 01:41:28.34
withコロナだし、行けないとか先祖が悲しむわ。
0260日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/02(日) 03:19:19.11
>>254
253だけど回答有難う
それはメールで問い合わせただけで、請求は普通に郵送で行ったということだね
メールで請求したわけではないよ
とは言え、電話にしてもメールにしても普通は問い合わせても何通あるかすら今は教えてくれない
教えてくれたのは逆に昔気質の良い役人だったからだろう
0261日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/02(日) 13:43:14.42
連続一括で取り寄せられないと1通1通その都度何回も遡りながら請求しないといけないから面倒だよな。
0262日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/02(日) 18:28:43.23
定額小為替をいくつかいれといて、さかのぼって送ってくださいって書いといたらやってくれるかな?
0263日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/02(日) 21:01:34.92
>>262
普通のお役所仕事では珍しいかも。

自分の場合ですら何かで枝分かれした戸籍があるけどそちらの系統も取りますかと聞いて来たから、取り敢えずは要りませんと言うことで取り寄せた。
戸主関係だったように思うが。

何にせよメールでやりとりできるだけでも大助かり。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/03(月) 03:10:10.42
>>262
地域差等あるかも知れないけど、可能なところは結構ある
理論上、請求は書面で行わなければならないという義務はないので、繋がりが証明できるなら応じてくれる役場はある
駄目なところもあったが今のところ少数派

>>263
養子でなければ母方の系統の話かも
0265日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/03(月) 03:59:38.46
>>264
母方と言われた気がするが、なぜ母方が分かれるのか意味が分からなかったので取り寄せなかった。

母方の上の戸籍も辿れるという話なのかな? 直系だから辿れるんだろうね。 今までは母の最初の戸籍のある土地の役所でしか取り寄せられないものだとばかり思ってた。
0266日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/03(月) 04:01:13.74
先祖までの各母方を辿り始めたら膨大な数になりそうだな。
0267日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/03(月) 08:00:13.98
>>262
自分の場合は3ヶ所の役所でHPから郵送用の申請書をダウンロードして遡れるだけお願いしますと書いてそれぞれ3通分の小為替を送ったらどこの役所も大丈夫でした。余った小為替は返送してくれるし足りなかったら電話が来て1通分追加で送るよう教えてくれたし。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/03(月) 08:40:03.56
>>236
過程中には確かに大量虐殺はあったはずだから正当化は出来ない
アジアの植民地を開放するきっかけ作りにはなったかも知れんけど、それを受けて価値観を変えたのは西側だし
しかし東欧が戦乱に巻き込まれつつあるんで不穏にはなってきたな
0269日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/04(火) 00:18:46.48
>>268
確かなのか憶測なのかどっちなのかと
確実に証明できるのは、国際法に違反して民間人や市街地を積極的に攻撃して大議論な殺戮を行ったのは、米軍と魯西亜の連合国だということ

日本は自弁より遥かに強大な敵に立ち向かい西側の価値観を変え亜細亜の植民地の大部分を解放することに成功した
日本自身の痛みは大きかったが戦いの目的は概ね達成できたと言える
0271日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/04(火) 00:58:07.48
>>265
そう
母方の実家の戸籍謄本を取り寄せるかということ
結婚する直前の戸籍等、その役場で管轄している戸籍があったのでは
0272日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/04(火) 12:59:54.74
>>271
母の出身は数県離れた県なんだけど。 いくつか上の母方が自分の戸籍地に登録されてたのかな? 一つ飛ぶと追いかけられないはずなのに不思議
0273日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/04(火) 13:52:18.23
>>272
あ、そうか直接の母ではなく先祖の誰かの母方の戸籍が自分の戸籍地にあると言う場合か。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/05(水) 19:34:19.36
>>275
こう言うの本当に欲しいな。 結構拓本の古文を解読するのは骨が折れる。
0277日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/05(水) 23:39:04.80
>>269
実際にあったとする兵士の証言などが雑多になってるって事のニュアンスだよ
酷い事をしてきたという自覚や体験談がなぜ無視されるのか?
それほどまでに日本人は絶対正義なのか?
0278日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/05(水) 23:40:00.68
やってることは連合国と変わらない
よほどマイルドだろうけどな
0281日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/07(金) 23:26:38.47
>>280
確か墨の拓本を読む原型はあるはず。 これは墨を使わずに光の濃淡だけで解読するもの。
アプリにも簡単な江戸時代のくずし字を判読する程度のものはあるけど。

うちにある昔の系図は石碑の拓本だと思ってたが今見直してみると状態が良すぎるので、多分木版の拓本なんだろう。
(原本がどこにあるかは調べていない)

例えば、 北面並叙爵 と書かれた文面だけでも今調べてようやくわかった。
(北面の警護を任され従五位下を授かった)

北面とは
院(=上皇・法皇の御所)の北面に詰めて近侍した武者。四位の者を上北面、五位・六位の者を下北面と呼び、院の武力組織の中心。白河院のとき初めて設置。北面の者。きたおもて。

叙爵とは
律令制で、初めて従五位下を授けられること

五位①位階の第五番目。正五位と従五位とがある。律令制では五位以上は勅授とされ、六位以下にくらべて格段に優遇された。

うちの家系図木拓本の例
https://i.imgur.com/KCT9wxK.jpg
大まかな意味はわかるが細かな意味はまだ調べていない。
茶色で潰した○葉紋の名前も現代では使われていない紋(似た紋に統合されている)だったのでどんな紋か調べるだけでも時間がかかった。
(杏葉紋ではない)
0282日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/08(土) 00:15:54.70
>>281
iphone アプリで漢字検索というアプリがあったので今ダウンロードした。手書きや写真も可

麾と言う字もこのアプリでようやく見つけられた。 さしまねく

その下の六みたいな字もわからなかったがこのアプリの手書きで下という文字だとわかった。

麾下
きか【麾下】〔大将の采配のもとの意〕
①将軍直属の家来。はたもと。「━の精鋭」
②ある人の指揮下にあること。また、その者。部下。

麾下諸氏
院の直属の家来諸氏

、、、、前後訳
麾下諸氏の中には同じ氏(氏)で別の姓(かばね)或いは同じ氏別字の物も居たため、称号を為す、、以下略

ここで言ううじかばねは、氏が源、かばねが朝臣 と言った物。 
ここでいただいた称号がうちの一族が現在も使っている苗字となっている。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/08(土) 00:30:55.67
>>281
字が細すぎるものがあるから、筆で書いた原本にペン字で説明を書き添え、それを昔の青焼でとったのかな?
0284日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/08(土) 15:59:02.42
>>281
○葉紋
以折敷○葉紋着
大口如紋故也

○葉紋といっても変化が多いのでその説明を入れたと思われる。
折敷(おしき) (お盆みたいなもの)に○葉を入れた模様
こんな感じか?
https://i.imgur.com/oI4HGJA.jpg

大口如紋 と言うのが解らない。

尚、この紋はその後使われていない。 今まで使ってきてる紋はその後戦国武将からもらった紋。
、、、、、、
この拓本は家系図の一部だが、大きな業績を残した先祖の場合は個々人についての出来事の説明がかなり詳しく書かれている。 業績があまりない人は名前だけ。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/08(土) 18:28:25.15
大口如紋

大口の如き紋なのか? 大口は能装束を指す
能装束の如きスッキリした紋?

この様に少しの文面でも解読にすごい時間がかかるので途中で諦めて適当にお茶を濁したままになってる。 解らないところはすっ飛ばして訳してきた。 それでも肝心な所が手付かず。 文字がわからないよりは単語の意味がわからない場合が多い。
0287日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/09(日) 00:19:47.37
>>286
文法的にはそれが正しいのでしょうね。
ただ、意味が??
大口袴は表袴の下に着ける白か赤の無垢が基本なので模様が入ってる方が珍しいみたい。

意味的には、折敷を袴と見立ててそこに○葉を添えた紋と解釈したい所。
○葉は神聖なものとされた葉(伏せ字にしたので伝わりませんが)

二段落に分けないで読むほうが良いのかな?

以折敷○葉紋着大口如紋故也

折敷○葉紋が大口袴を着る(姿)を以って紋の如しが故也
かな?
0288日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/10(月) 17:37:38.61
この称号と家紋を頂いたと言う段落の最後に、
因被加
と書かれていてこの意味が全くわからなかった。

次の段落に続けて読むと、これらが元になり加給/昇格を受けたと言う意味らしい。
この昇格が北面並びに叙爵(従五位下)

兎に角理解するのに理系脳の老人には時間がかかり、全文翻訳までたどり着くのがいつになることやら。

(どうも文禄2年=1593年に書かれた家譜の写しと思われる)
称号叙爵を受けたのが、元弘元年(1331年)
次に戦功をあげて法諱字(いみな字/戒名)及び叙爵を受けた応永(應永)17年(1410年)迄が記述されている。
最初の先祖の事績としては、推古31年(623年)から書かれている。(日本書紀による年代)

ただし源義朝(河内源氏六代目棟梁)に仕えた先祖(1135年生まれ)を家祖としている。 この人の子が家祖(奥州征伐時に流れ矢で死んだ)の功績により現在地を任地として与えられた人だったからだろう。(現在まで本籍のある地)
0289日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/10(月) 21:19:39.63
古文書を読み解いて現代語に訳してくれるコンサルタントとかいないんですかね
0290日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/11(火) 00:13:58.42
>>289
ありそうな気がするね。

今調べてみたら古文書解読(翻刻)サービスを凸版印刷がやってた。 くずし字をAI-OCR で読み取るみたい。

古文書解読サービス ふみのは
https://www.toppan.co.jp/biz/fuminoha/decoding.html

画像1枚4000円から。 合計10万円以上から。

画像10枚を現代語訳までやると30万以上はしそうだな。
、、、、、、、
以下のランサーズという所が安くて良さそうだな。 この価格なら出してみようかな。

古文書読みます
https://www.lancers.jp/menu/detail/35375
概ね戦国から近代の文書
1文字2円から 最低16,250円
原稿は撮影データで渡す。

他にもいろんな会社がやってるみたい。
0291日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/11(火) 11:40:58.93
Web でAI OCR を無料でやってるサイトもあるね。

人文字オープンデータ共同利用センター
AIくずし字OCRサービス
http://codh.rois.ac.jp/kuzushiji-ocr/

くずし字OCR(AIくずし字認識)をサービスとして提供します。
本サイトで提供するくずし字認識サービスには、KuroNetとKogumaNetの2種類があります。
KuroNetは複数の文字を一度に認識する多文字認識、KogumaNetは一文字だけしか認識できませんが、最上位の候補だけでなく下位の候補も確認できます。
いずれも無料ですが、KuroNetはログインが必要です。一文字だけを気軽に確認したい場合はKogumaNet、本格的にくずし字を翻刻したい場合はKuroNetをご利用下さい。

KuroNetくずし字認識サービス(多文字)

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0292日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/11(火) 14:46:24.70
取り敢えず みを アプリを試してみたが、拓本の様に背景にゴミが沢山ついてる様な文書の読み取り率は低い。

時代によってくずし方が違うのかな? 

例えば、系図を宋図 と読み取ったり、和州を和刈 と読み取ったり

直接紙に毛筆で書いたくずし字なら結構良さそうに思う。
翻刻はしてくれるが読解まではしない。

ただ、全体を(ラフにでも)解読してくれるので、1文字ずつ解読するよりは効率的かも。
https://i.imgur.com/aUzv8Cy.jpg
https://i.imgur.com/GJskWqk.jpg

自分で上書き訂正が入れられないのが今一。
しかしAI が入ってきて急速に古文書OCRは発展しそうだな。

先祖代々住于和州、、、
この干すみたいな字は、跳ねがあるだけで、ここ(に)と読むらしい。(うはねかんびき、于はね干引き)
先祖代々ここに住む和州、、、、
先祖代々ここ和州、、、に住む こちらの方が現代風だからこっちで良いのかな。
于は於と同じ使い方らしく 〜において(場所)の意味
(今まではあの辺に住んでたんだろうということはわかるので于は解らないまま読み飛ばしてた)

みを を使って改めて気付いた。ただし、みを は、干と間違って読み取った。 この位は正しく読み取って欲しいところ。

読解ができる様になって前後関係から文字を類推できる様になれば格段に読み取り率が上がりそう。
後四半世紀もあればかなり行くかも。
0293日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/12(水) 08:41:18.51
以折敷○葉紋着大口如紋故也

折敷(おしき)というのは食事を出すときに使うお盆のようなもので、お盆との違いは
お皿のように使うこと。
お盆は食事を出したら引っ込めてしまうが、折敷はそのまま食べ物を乗せておく。

和菓子などを小さな折敷に乗せて出すのは茶席などでよくあること。
しかし、食事の場合は折敷に直に乗せるのではなく、木の葉を敷き、その上に食べ物を乗せた。
ふつうの食事では朴の葉に盛ることが多かった。
しかし、神に供える食事(神饌、しんせん。御神饌)の場合は神聖な葉とされる梶の葉が用いられた。
だからたぶん○のところは梶だろう。
梶にはもっと違う字もあるのだが、パソコンでは出てこない。

あと、昔の人は正しい漢文を書くとは限らない。
奈良時代の公文書などでもかなり適当というか、書き下し文のように漢字を並べただけの文章も多い。
和流の漢文が当たり前に使われていたのである。
だからあまり漢文の文法にとらわれない方がよい。

折敷○葉紋 というのは、着物の模様のことだろう。
折敷の上に梶の葉が並んだのをデザインした幾何学的な模様である。
こうした模様の着物を着たのは能衣装のような紋であったからである。という意味ではないか

能衣装の模様は家紋を連ねたような模様が多い。
ここを参照  https://www.noh-isyo.co.jp/gallery.htm
l家紋というのは目出度いものをデザインしたものだから
家紋ではなく、ただの目出度いもの(植物や動物)などを模様にしただけかも知れない。
能衣装が無かったので、それに似た模様の着物を着たといことで、
殿様の前で急遽能を舞うことになったのではないか。
昔は家臣に能を舞わせることはよくあった。
綱吉などは自分でもよく舞い、そのために能役者を家臣にして身近に置いた。
大名や家来にもよく舞を強要したという。
0294日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/12(水) 08:49:29.97
上のアドレスは機能しないみたいだ

佐々木能衣装 ギャラリー   でググって下さい。
0295日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/12(水) 13:44:52.42
書き込んだつもりが書かれていなかったので二重投稿になるかもしれないが、もう一度書く。

梶葉紋はピンポン。 実際は折敷楮葉紋
梶、楮はどちらもかじと読んだ。

楮はご存じ和紙の原料のこうぞ
別種だが紋としては現代では梶葉紋に統一されている。

折敷紋の例
https://i.imgur.com/MJ01LJK.jpg

折敷紋の角をカットして八角形にしたものを隅切り紋と言うらしい。
子持ち隅切り角に立ち梶
https://i.imgur.com/CnaOA3G.jpg

閑話休題
七夕飾りは元は梶の葉に願いを書いていたらしい。
0296日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/12(水) 16:21:48.43
みを を使うと翻刻テキストをコピーできるので多少間違いがあっても捗る。

以下の 有故蒙勘気芸 のところもわかりにくい。
源義朝が京を追われ、尾張で家来に打たれる話あたりの事

保延元年正月九日誕生
父救家嘗仕左馬頭義朝
令義朝棄京師 <<<<令を みを は色と認識した
    <<色では意味が通じない。 及?
    棄も誤認識
https://i.imgur.com/4YcJjQZ.jpg
https://i.imgur.com/GUQs1sp.jpg
有故蒙勘気芸 <<<<
居于旧領▲▲采地

平治元年十二月
風聞義朝敗死
救家感懐如失両手
然屋平家逆威無
 父救家はかつて左馬頭義朝に仕えた
 頼朝からの京を棄てよとの令を受け?
有故蒙勘気芸
 故に咎めを蒙る(かんきげい?) 事有りき
 勘気(かんき)=咎めを受ける。 蒙=蒙る
 芸がわからない、難しい字
https://i.imgur.com/foHKpjZ.jpg

居于旧領▲▲采地
 旧領地の▲▲に居を構えた。

どうもすっきりしない。
0297日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/12(水) 16:29:01.61
内容が前後して入れ混じってたので再掲

みを を使うと翻刻テキストをコピーできるので多少間違いがあっても捗る。

以下の 有故蒙勘気芸 のところもわかりにくい。
源義朝が京を追われ、尾張で家来に打たれる話あたりの事

保延元年正月九日誕生
父救家嘗仕左馬頭義朝
令義朝棄京師 <<<<令を みを は色と認識した
    <<色では意味が通じない。 及?
    棄も誤認識
 父救家はかつて左馬頭義朝に仕えた
 頼朝からの京を棄てよとの令を受け?
https://i.imgur.com/4YcJjQZ.jpg
https://i.imgur.com/GUQs1sp.jpg
有故蒙勘気芸 <<<<
 故に咎めを蒙る(かんきげい?) 事有りき
 勘気(かんき)=咎めを受ける。 蒙=蒙る
 芸がわからない、難しい字
https://i.imgur.com/foHKpjZ.jpg
居于旧領▲▲采地
 旧領地の▲▲に居を構えた。

 以下の話はよくわかるから略
平治元年十二月
風聞義朝敗死
救家感懐如失両手
然屋平家逆威無

どうもすっきりしない。
0298日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 05:55:05.22
>>295
>書き込んだつもりが書かれていなかったので二重投稿になるかもしれないが、もう一度書く

プッ!お前いつも後出しジャンケンじゃないか
お前は
折敷○葉紋が大口袴を着る(姿)を以って紋の如しが故也>>287  と読んでたんだよ(大笑

その後、折敷に梶の葉紋というのを知って必死にググってシッタカしてやんのw
0299日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 11:25:30.87
>>298
何を言ってるのやら、原文に折敷楮葉紋と書かれてるんだぞ。
どこをどう読んだら後付けになるんだ?
大口の解釈は何とも言えないから何も言っていないだろ。

二重投稿になるかもしれないと言ったのは、>>295 と全く同じ文章を書き込んだが、書いたフリだけして書き込まれていなかったから、再度書き込んだだけ。
どうもJansStyle がおかしくてその後の書き込みが全て蹴られてしまう様になってた. キャッシュやクッキーを消してようやく書き込める様になった。
何度かなったことがある。 どうもJaneのバグくさい。
0300日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 11:41:52.18
因みに >>284 に塗りつぶしてあげた、 10/08 10:41
子持ち隅切り角に立ち梶の葉
は 折敷楮葉紋 の例としたあけている

後付けでも何でもない。
楮葉紋に変化があり、折敷もその変化の一つとして説明している。

因みに折敷ではない梶葉紋はこのようなもの。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/busyo/kazi_grp.jpg
0301日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 11:51:44.85
もう一度原文を塗りつぶさずにあげておく。

楮葉紋
以折敷楮葉紋着大口如紋故也

楮葉紋 の説名として、折敷梶葉紋の様子を説明している。
0302日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 19:22:56.22
>>299-300
お前は馬鹿

有故蒙勘気芸 <<<<

お前はこれを
故に咎めを蒙る(かんきげい?) 事有りき  なんて読んでるけどさ(爆

これは藝ではなくて 大 という漢字の昔の字だよ

あと 有故 は ゆえあらんか 故有らんか  反語とか疑問形だわな
勘気の大なるをこうむることあらんや じゃないかな

ほんと馬鹿だよな
以折敷楮葉紋着大口如紋故也
ではなく
以折敷○葉紋 だったんだよ
自分でそう書いてるじゃないかw
0304日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 20:29:36.62
・・・年正月九日、誕生す。父枚家は嘗て右馬頭義朝に仕ふ。義朝、京師を棄つるに及び故有りて勘気を蒙り、旧領●采地にて蟄居す。
平治元年・・・
0305304
垢版 |
2022/10/13(木) 20:51:58.47
>>34では
>父枚家は嘗て・・・
と「嘗」以下を父の事績と解したが
冒頭の年次によっては、
「父は枚家。嘗て・・・」
と「嘗」以下が本人の事績のこともある
0306日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/13(木) 23:01:45.81
>>302
教えてくれてありがとう、みを と
漢字検索アプリ以外持っていないので大とは解読できなかった。 あんたは偉い。

でも大とは違うみたいな気もするんだが、どこかにサンプルあったら教えて。

https://i.imgur.com/4wQrsQ5.jpg

みを は、芸と認識したが意味不明だったから?を付けてた。

漢字検索アプリは、執(る) 、墊(てん)、及び塾(じゅく) と認識した。
漢字書き順辞典は、墊、塾 など

おちいる が近い気もするけど

有故蒙勘気墊
勘気におちいるを蒙ることあらんや?

漢字辞典 出典:漢字辞典

画数:14
音読み:テン、 テウ、 デウ、 チョウ
訓読み:おちいる、 おぼれる、 なやむ
0307日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 00:21:29.37
いや切るところが違うと思う

勘気を蒙り蟄居(ちっきょ)、でしょ
旧領云々で
0308日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 00:51:37.84
>>307
なるほど蟄居なら全てすっきりする。 有難う。
言われてみれば蟄と似てる。

AI OCRも今一頑張って欲しいな。
0310日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 02:25:58.17
語順を間違えることも無いとは言えないが余り出鱈目に考えない方が良い
一箇所だけ動詞を後ろに置くというようなことはしないだろう

仮名が無かった時代に漢文ではなく漢字だけを使って和文を書いた例とは訳が違う
0311日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 03:05:37.89
何いってんだ?
漢字だけで書いてあるのだから漢文の文法で読むのが正解
0312日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 05:08:22.94
>>307
自演してやがんのw
お前ははじめから一字隠したろ  有故蒙勘気芸
一字として読むなら「?」以外思いつかないはず、普通なら
ここ一字で蟄居は無理だよ

>>310
君は和化漢文体とか漢文体というのを知らないんだな
続日本紀は平安時代に書かれ、すでに仮名があったぞ
仮名が出来ていたかどうかは関係ない
それは君の思い込みだよ
0313日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 05:12:57.60
>>310 じゃなくて>>311の方だったな
だけど一緒だからいいかw

>漢字だけで書いてあるのだから漢文の文法で読むのが正解
阿呆か、それじゃ昔の文献読めないじゃないか
0314日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/14(金) 07:04:46.05
自演乙
0315日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 00:04:04.04
>>311
310だけど304に言ったわけではないからね
304は正しい

全員名無しだから誰の発言か判別し辛いかも知れないけど口調とか内容とかで判断しておくれ
0317日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 19:28:48.30
曽祖母の戸籍を取り寄せようとしたが廃棄済みだった。残念、平成16年7月31日廃棄だって
0318日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 21:05:08.07
うわあああ残念過ぎる
比較的最近というのが更に残念
明治?大正?
0319日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/15(土) 22:05:09.43
明治5年生まれで明治37年結婚です
婚姻前の戸籍が欲しかった
廃棄すみなら廃棄証明書を下さい、と書いておいたら送ってくれた
調査が暗礁に乗り上げてしまった
0320日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/16(日) 19:55:19.37
戸籍を廃棄するなんて話を初めて知った。 出来るだけ早いうちに取っとくべきなんだな。
調べるかどうするかは後から考えれば良いし。

80年で破棄される分は、1942年、昭和17年没の人の戸籍まで?
(生存している人が誰もいなくなってしまうと、その戸籍は閉鎖されて「除籍」となります。)

昭和23年から三代戸籍が廃止になり、夫婦とその子の二代戸籍になる。
0321日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/17(月) 03:05:27.33
平成二十二年に法改正されて保存期間は百五十年になった
なので現在保存されている戸籍に関しては暫くは大丈夫であると期待される
でも何があるか分からないから早く取得するに越したことはない

因みに、以前の大正四年式の保存期間は更に短く五十年だったので、理論上昭和二十三年式より前は全部廃棄の危険があった
尚、除籍になるのは必ずしも個人の生没に因るものではなく、生きていても婚姻等で別の戸籍に移って、元の戸籍から誰もいなくなったら除籍になる
0323日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/18(火) 18:13:09.17
317の役場が後五年待ってくれていたらまだ残っていただろうに
0324日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/21(金) 06:53:19.47
廃棄証明書には当時の本籍地と戸主が記載されているので場合によっては役に立つかもしれない
350円かかるが
0325日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/22(土) 03:07:08.42
廃棄証明書は無料のところもある
でも戸主とか本籍地は既に取得している除籍謄本に書いてあることが多いし、
書いていない場合は役場の方でも不明ということが多い
だから新規の情報は余り期待できないかも
0326日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/24(月) 01:31:04.56
>>281
伏字にしてある「両○」が重要ってことはない?
それの理由を書いているのでは
0327日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 01:16:23.78
>>67
明治の民法に本家、分家はしっかりと規定されてるよ。
元武士であろうが何であろうが分家として分離される。

分家とは、ある家に属する家族が、その意思に基づき、その家から分離して新たに家を設立することをいう。
このとき、元々属していた家を「本家」と呼んだ。
本家の統率の観点から、分家するためには戸主の同意が必要とされた。分家する際には分家者の妻および直系卑属およびその妻が分家と共に新たな家に入ることができる。ただし夫婦同籍の原則があるため、分家者の妻と、直系卑属が新たな家に入るときの妻は必ず共に移動することになる。
0328日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 13:09:35.44
>>327
阿呆か
本家分家といっても名子とか出てくるんだから江戸時代の話と分かるだろ
なんで明治の民放なんだよ また大学図書館か(大笑
0329日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 16:43:32.91
>>328
名子とか言ってるのはあんた1人だろ。 元々そんな話は出ていないし勝手にでっち上げてるのがあんただよ。

元々の話は>>66 なのに、とち狂って>>69 で名子なんて言い出したのがあんただよ無理やり農家に結びつけたい様だが。

元の話が農家であろうが武士であろうがどうでも良いが勝手に名子の話だと言い出すのはどうかしてる。

いずれにしろ本家/本流、分家/庶家などは一般的な言葉。

公家でもない限り、現代の庶民が口にする本家、分家という言葉は明治の民法が元になってる普通の家制度の事。
0330日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 19:58:28.88
元々士農は結び付きが強かった時代から、はっきり分けられたのが中世の終わりにも差し掛かった頃でむしろ期間的にそっちのほうが短いってのに
なぜか武家と農家をはっきり区別したがるようなアイデンティティーでもって日本史にあまり見られない少しのノスタルジーに縋ってる奴も居るんだな

武士はある意味汚れ仕事というか捻出擁立される職業だったっていうのに
誉れがどうのって当たり前に表向きの話じゃねえの?
んで江戸時代に農家になる奴等多いのどう説明するの?
0331日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 20:04:05.82
食えないやつは帰農してんだろ
0332日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 21:00:50.40
武士が汚れ仕事という話で思い出した。
公家が荘園から年貢などを徴収する役目を代わりに行った地頭などを下衆と言ってた。
公家から見たら汚れ仕事を蔑んだ言葉だったんだろう、

武士の立場から言うと、下衆はれっきとしたお役所仕事で誇りを持ってた。 特に鎌倉幕府の御家人は、鎌倉下衆と称してた、

江戸時代になるとその役目を庄屋などが代行する様になって農家の力も大きくなっていった。

農地解放以降は水飲み百姓ですら大金持ちになってしまった。
0333日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/30(日) 21:38:09.75
とりあえず最近、創作で海外で武士やサムライがネタになり出してるのが気味悪い
アイツらが時代劇作っても血生臭いだけなんだよね
剣術とか「あるべき姿」みたいな侍像の押し付けがまさにそれっぽい
0337日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 14:44:00.40
名子なんて言葉はお前が言うまで全く知らなかったよ。
そんな言葉を誰が使ってるんだよ。 気狂いくらいしか口にしていないだろ。
100人中何人が知ってるだろうね。
本家、分家ならほとんどの人が言葉位は知ってるだろうけど。

大辞林

なご【名子】
中世、名主・領主のもとで、住居・耕地などを借り、労役を提供した農民。
近世には多く本百姓になったが、地方によっては本百姓との身分的隷属関係が残され、下人・被官・脇の者・家抱・作り子・高下などの名称で呼ばれた。
0338日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 15:05:19.88
名子
(読み)なご
日本大百科全書(ニッポニカ)「名子」の解説
名子
なご

中世~近世の下層農民の呼称。鎌倉末期に初見し、この場合は脇名(わきみょう)百姓、脇住(わきじゅう)、間人(もうど)、小百姓とよばれる階層と同様に、名主(みょうしゅ)層以下の弱小農民(小百姓層という)をさした。名主のように名田(みょうでん)を給付されることがなく、荘園(しょうえん)領主の直営地(一色田(いっしきでん)・間田(かんでん))や名田の一部を請作しており、安定的な経営を行えず、荘園領主や名主に隷属する側面が大きい。近世にかけてより隷属度を強め、江戸時代には地方によって家抱(けほう)、分附(ぶんつけ)、譜代(ふだい)、被官(ひかん)などとよばれた。主家より家地、耕地、山林などを借り受けて生活するかわりに、主家の求めに応じて労力を提供する義務があり、宗門に至るまで主家に隷属した。しかし、その存在形態は家内奴隷的なものから中世の小百姓のようなものまで多様であった。農村経済の発展、名子の自立闘争などによってしだいに解放され本百姓化していったが、生産力の停滞した地方では近代まで名子制度が残存し、第二次世界大戦後の農地改革によって完全に解放・消滅した。

、、、、、
ま貧しい東北地方では農地解放まで言葉が残ってたみたいだな。
それにしても分家とは何の関係もないだろ。
0339日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 17:51:42.02
東北にも名子なんて言葉無いわ
わざわざ貧しい東北なんて言葉付けながら同調図るんじゃねえよ卑しい奴め
0340日本@名無史さん
垢版 |
2022/10/31(月) 18:01:31.57
むしろ東日本以外は複雑な身分分けが必要な大変な生活だったって事なのかね?
人が多いだけなのか知らんが
とりあえず学術的な意味があると踏んで名子に当たる言い換えが必要な言葉も聞いてみたが、年寄りですら知らん地域らしい
少なくとも南東北の風習じゃないね
0342日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/01(火) 16:13:07.65
東北地方における名子制度・刈分小作と凶作・飢饉 ― 1930 ~ 70 年代の研究史を読み直す
https://core.ac.uk/download/pdf/159416889.pdf

現在の青森県から宮城 県にかけての、旧南部領(盛岡藩・八戸藩)や旧仙 台領(とくに北部)の農山村に存在した名子制度・ 刈分小作が「特殊小作慣行」として着目され、調査・ 研究対象となった。とはいっても名子制度・刈分小 作が近代の東北農村全体を覆いつくしていたわけで はなく一般化することはできないが、そのような「封 建遺制」を残存させていることが東北地方の後進性 を証左するものとしてひろくうけ入れられたので あった。

しかし、戦後の農地解放からすでに 60 年以上経過 し、名子制度はすでに過去のものとなった。
0343日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/02(水) 08:56:32.35
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「名子被官制度」の解説

江戸時代に行われた隷属的身分関係の濃い小作制度の一種。
名子とは本来荘園時代の名主 (みょうしゅ) に対する隷属民をさす呼び名であり、江戸時代初期には、
地方により、被官、下人、作子、門屋 (かどや) 、家抱 (けほう) 、地下 (じげ) 、厄介、家人 (けにん) 、
譜代 (ふだい) など多くの名称で存続していた。

南部藩領の名子制度、信州伊那地方の御館 (おやかた) 被官制度が有名であるが、いずれも
兵農分離の過程で旧名主層が複合家族のまま本百姓に押下げられ、名子、被官層は検地帳にも
登録されず、帳外 (ちょうはずれ) の民となっていた。

主家から耕地、山林、家屋、採草地を貸与され、耕地の封建貢租分と小作料分を生産物で負担する
ほか、地主の農事、家事に無償で働き、また衣食住全般にわたって地主から拘束された。

しかし、地主の経営形態の変化、商品経済の浸透につれて、夫役労働も農事から家事に重点が
移り、かつ儀礼化し、やがて身請け金を支払って「名子抜け」するものが現れるなど、江戸時代後期には
解体の方向をたどった。
しかしところによっては、第2次世界大戦後の農地改革の頃まで存続した場合もある。
0344日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/08(火) 18:31:44.05
国会図書館のWeb で、姓氏家系大辞典が見れる様になってる。
昭和19年頃発行のもので著作権切れで公開されてるみたい。

自分の苗字は読みが難しいから別の振り仮名がついてた。

姓氏家系大辞典 全 6 巻の索引
1942 - 44年(昭和17 - 19年)刊
= 国立国会図書館蔵 =
https://www.benricho.org/Unchiku/SeishiKakeiDaijiten1944/#ka
0345日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/10(木) 07:33:22.66
戦国時代に戦に負けて身分と領地を取り上げられた後どういう生活をしてたのか不思議だったが、1800年頃の地方史の文書の中に
居住地の村とその周辺の村5ヶ村は、
館様直御百姓也
と書かれてた。

御百姓とは、昔からその地に住み着いていて身分格式が高かった家が百姓になった時に別扱いとして、名字帯刀を許されてたらしい。 負け戦の後領主が変わるもそのまま御百姓の地位は保たれてた様だ。

こんな文例もあった。
則天朝御直御百姓胆沢県御支配二罷成年中三. ケ度御引渡二相成引続奉勤仕候.

丁寧語として御百姓という場合もある、
0346日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/10(木) 12:00:47.11
だったら埼玉苗字辞典みろよ…
0347日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/10(木) 16:16:14.74
>御百姓とは、昔からその地に住み着いていて身分格式が高かった家が百姓になった時に別扱いとして

お館様の所有する農民たちだから御という字をつけただけだろ
天皇や公家のような公権力が支配した土地は御料所とか御料地と言うが、これは領地が特別なのでは
なくて、所有者が特別だから御をつけるだけの話。それと同じだよ

なお、御百姓とは「おんびゃくしょう」と読んだようだ。
0349日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/10(木) 19:28:04.77
なにをいまさら、アホか
0351日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/10(木) 20:54:29.50
兼業農家の田舎もんですけど…
0353日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/11(金) 11:51:44.26
お百姓さんが丹精込めて作ってくださったお米は一粒も残さずに食べましょうねと言われて育った。
現代ではこの時くらいしか百姓という言葉は使わなくなってるのかな。 蔑みの言葉で使うことはあるが。
0354日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/11(金) 12:41:36.45
田舎にいくと普通に百姓だが…現実をしらんのだね
0355日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/11(金) 16:11:08.97
こんなのを見つけた。

千二百年 先祖物語
ドキュメンタリー
https://youtu.be/qgNdN0eBFOI

後編
https://youtu.be/1vKAj_LopzE

農地解放で99%の土地を取られて今は家の修理代の方が大変だとか。 家は国の文化財として保存の義務があるみたいだ。
家を残していくかどうか瀕死の状態だとか。
0356日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/11(金) 17:59:43.92
おれも百姓だなw
まあ、退職後の晴耕雨読傾向はあるが、農機具を自由自在に操っているぜ

>>355
地主だな。不在地主なら農地改革のときに土地から離れることができたけど、地域密着なら辛いかもね。
昭和初期は地主層に対する課税が強まり、結果地主が小作農から多く小作料を徴収するようになったんだ。
それが、終戦後の地主に対する「おらほの殿様」的なカンジは少なくなっていったという。
0357日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 07:31:46.99
昔は御館様なんて呼ばれていた地主の名子が、戦後の農地解放で農地が自分のものになり、
名子だったこともすっかり忘れて
「うちの総本家はあの高いところにある屋敷の人だそうだ。」なんて言い出したりしたんだろうな。

明治になって国民皆姓になり、誰でも名字を名乗ることになった。
そのときに名子だの小作人だのはみな地主さんの名字を名乗ることにしたのだ。
名字まで一緒で近くに住んでいるのだから親戚だと思うようになっても当然だわな
それに加えて農地解放で自作農になったんだから、もう自分の身分なんて何も考えないわな
0358日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 08:36:24.09
そういう所はいまでも屋号使ってて
一目で地主が分かるようになってるよ
0360日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 10:35:22.34
馬鹿だなあ(;;
戸籍上の氏名の問題なんだから屋号とか関係ないのよ

明治の国民皆姓で名字が強請されたとき、小作人てのは名主さんの名字を名乗ることが
多かったのよ。名子(家胞、家人)だと、下人の身分であってもそこの家の人間であることは
間違いないんだから、当然そこの家の名字を名乗るのよ
0362日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 12:58:14.84
分家の屋号と寄子の屋号ってのはつけ方が全く異なるから一目でわかるのよ
0363日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 14:23:27.26
>>362
屋号の話なんかしていないって。残念でしたw
0364日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 16:01:21.29
>小作人てのは名主さんの名字を名乗る

集落では日常名字なんて誰も使わないんだから
表札に屋号併記の集落すらある

だから

>「うちの総本家はあの高いところにある屋敷の人だそうだ。」なんて

人は誰もいないの
0365日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 16:12:25.09
>>360
それ「~家の使用人です」って言ってるのよ
つまりは勝手に名乗ってる訳じゃないの

過去帳調べれば直ぐ判別付くような、血縁関係でも無いのに名字勝手に名乗るような連中てアホでしょ
0366日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 16:50:18.64
昔の名子なんて簿外の人々だから記録なんてないよ。
鎖に繋がれた飼い犬と同じようなもの。
0367日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 19:37:46.01
>>364-365
お前んちは名子なのか。必死こいてるわなw

>>366
ハッキリ言うねえ。そう、あなたの言うとおり。名子なんてのは飼い犬と同じようなもの。
0368日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/19(土) 20:08:12.69
>>364
無理があるw

>>364
ところがそうじゃないんだなw

>>365
血縁関係と名字はカンケないわだわw

>>366
そのとおり

>>367
馬鹿だね、真似すんなっての

そうだよ、名子なんてのは飼い犬とおなじだよ
0369日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 01:14:52.68
>>367
>お前んちは名子なのか。

ほらな言いたい本音が我慢できずに漏れ出て来てるw
いかにも低俗なコンプレックス抱えてそうでお里が知れるってもんよ
俺は自分の家系を含めた大和民族のルーツが知りたいんだよ、お前の感想なぞどうでも良い
真実のみ語れや
0370日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 01:17:52.75
>>367,368
ちなみに名子では無いね、そもそもそんな言葉すら知らん
下等な悩みを抱えてるねぇ
再三言うがコンプレックス丸出しでかわいそうwドンマイ
0371日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 11:51:16.97
御本家様によろしく
0373日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 13:01:00.47
相続していろいろ書類を整理してたら、平民とか書かれた戸籍をみつけたんだけど、役所に行って改めて遡れるだけ遡ってくれといったら平民だけ黒塗りされた戸籍を渡された。
壬申戸籍なの?
0375日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 13:30:01.36
>>369
大和民族のルーツってこのスレでは少なくとも先祖の名前と年代が遡れなければ意味ないよね。
ミトコンドリアを調べるスレではない。
0376日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 16:57:31.08
>>375
確かに
定型的に辿れるものがあれば、という要はモデルケースがあればと(トートロジー)
それとすまん大和民族というよりは日本民族なのかな?大和民族てなんかはっきりしない定義だし
0377日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 20:31:03.45
>>376
大和民族でも日本民族でも似たようなもの。 まだ神話の話の方が身近な話。
このスレの先祖は血縁関係が証明できないといけない。
血縁のない養子縁組もダメということになってる。

よほどしっかりした家系図が続いている家柄でもなければ江戸以前を証明するのは難しいよ。
0378日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 20:34:11.02
先祖探しの旅の中で断片的な資料が集まりある日突然にパズルのピースが合致することもあるから面白い。
0379日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 21:07:44.30
>>370 とか 372 とか、名子ではないと頑張ってる奴。
こいつの話ははじめからフィクションだろ
最初の >>66 からフィクションだ

372の言うように「平凡な本家分家関係」なら、本家とのつながりなんて
すぐに分かるはずだ。
本家はうちの爺さんの実家だとか、ひい爺さんの生まれた家だとか。
それさえ言えばいいんだ。
それだけで名子ではないということは明白になるわけだから
誰でも言うだろう。

それを言わないのはおかしいよな。
最初からネタってことだよ。
スレが盛り上がればいいんだこいつは。いつもの自演野郎、ここの1だろ多分
0380日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 23:24:29.17
>>379
>「平凡な本家分家関係」なら、本家とのつながりなんて
>すぐに分かるはずだ。

お前の見たレスの直ぐ上に過去帳に言及してるものがあるから
その具体的な例示にすら頭回らずに「名子だ、しかし判別付かないはずだ」とか書いてるのって滑稽だよね
自分の論理破綻に気付いてないのか
0381日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/20(日) 23:34:15.45
>>373
明治19年戸籍でしょ?
壬申戸籍は氏神と檀那寺の記載があるらしい
それと屋敷同居者が全て書き上げてるため
住み込みであれば家人や妾の記載もあるとか
0382日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 01:50:14.46
>>373
最近戸籍請求して平民の部分だけ削られて同じ謄本を渡されたという意味なら壬申戸籍ではないね
家にあったのは塗抹される前に謄本請求したものが保存してあったのだろう
それ自体結構貴重だよ
もしかして手書きの謄本?
探せば本当に壬申戸籍も保存してあるかもね

それにしても黒塗り?
普通は白くなっているのだけど
0383日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 04:20:33.36
もちろん手書き、6代前の戸主は明治だけど母は天保生まれ。
黒塗りというか昔の青焼きだから青塗りだね。
0384日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 05:03:25.27
>>380
なんか訳の分からない理屈をこねてるなぁw
もうやめとけ
お前の与太話に付き合ってられないわ

でも、ある程度スレが埋まってよかったね
0385日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 10:34:21.78
本家分家というのは単純に自分の本家をどこに定めるかだけの話であって、一つの家系の中のある流れでは分岐点が一つの本家、本流になるだけの話。

名子とかそんなもの関係ない。 自分のじっちゃまのそのまたじっちゃままでわかってるからうちの本家はそこだ。 と言った感じ。

戸籍で言えば誰が戸主かだろうな。 これも必ずしも本家が戸主にならないケースもある。 戸籍より時分達のルールのは方が伝統的。
0386日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 10:37:32.88
>>383
比較的新しそうな戸籍だが、かなり以前に取り寄せた戸籍なんだろうな。
0387日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 13:17:12.40
>>384
それはこっちのセリフだアホ
お前が名子の関係だろきっと
本家分家に関係ねえわ低俗
0388日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 13:21:01.79
>>385
そうそう、名子とか絡めんの普通におかしいよね
「スレ埋まって良かったね」てどういう事?w何が目的なのコイツ
また意味不明な自己完結しててワケわからんわ
0389日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 16:26:38.71
名子なんて呼び方は中世までで、近世になればほとんどは本百姓になり、それでも似た風習は下人や被官など様々な呼び方がされてた様だから、名子なんて言葉が現代で通用すると思ってるやつはかなりおかしい。
それで自分が日本人かどうかなんて気にしてたのかな?
0391日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 19:52:24.52
つかさ、明治19年、明治31年、大正4年戸籍にも族称は書かれていたし、昭和43年に族称が問題になるまでは書かれていたんだよ。相続とかで代々続いている家は、昭和43年までに戸籍を取り寄せていれば族称明記された戸籍が残ってる可能性はある。
昭和43年以降に明治19年戸籍等の塗沫を役所がしたのだけど、人の手でやってるからすみが消されてなく族称が読み取れるものもあるよ。
0392日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 20:06:48.77
>>385-387-389

暇だなお前w

しっかし、名子はしつこい
0394日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/21(月) 23:35:57.74
訂正
アホって誰が誰だか区別付かないよな
だからまとめて安価する
いかにも馬鹿っぽい
0395日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 04:02:27.10
くやしいのう
0396日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 05:53:37.29
>>394
誰が誰だか分からないなんてことがあるか
ここにいるのはお前と俺だけだよw
そして馬鹿なのはお前
0397日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 23:51:19.44
>>395,396
相手が悔しいと思ってるならなぜ何度もレスしてくるの?w
そういうのって心理学的に「投影」って言うんだよ
つまりお前の心情を吐露してんのw哀れだねぇ名子の子よ

馬鹿ってのもキミにとって辛い言葉らしいね(笑)じゃあアホもお前に追加で
0398日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/22(火) 23:54:30.28
「くやしいのうw」って言い返す言葉が無く追い詰められたヤツが吐き捨てるセリフ(印象付け)だからな?
名子って初めて聞いたぜ、さぞ高名な家柄が使う高尚な言葉なんだろうねぇ
0399日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 05:06:46.46
>>397-398
> 母方の総本家の苗字は全国で620人程度のようだ。
> 江戸初期に分家して苗字が変わったらしいが、今では分家の方が戸数が多くなってしまった。
> 近所に総本家があるが、道路に比べて強引に高い位置に家を作っている。総本家の意地だろう。

お前はこれを書いた時点で詰んでるんだよ
江戸初期に今の総本家から分家したとか、その分家して苗字が変わった方が数が多くなって
しまったとか、近所に総本家があって(江戸初期からある家か!w)道路に比べて高い位置に
家を作っているとか・・・・
よくもまあこんな浮世離れしたインチキ話を並べたもんだよ

この話が本当ならお前の家は名子だ。そう言っただけのこと
もともと総本家がどうしたといった話を信じてないから

お前のネタはもうこれ以上盛り上がらないよ、いい加減にやめとけ
0400日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 10:00:56.60
>>399
お前の僻み根性を何とかしろ。 人の話なんか、ふーんそうなんだと聞けば良い話だろ。 何のためにことさら詮索するんだ?
名子なんて言葉が残ってる地域なんて日本にはまずなくなってるのによほど人里離れた山奥にでも暮らしてるのか?
99.9%以上誰も知らない言葉だよ。もう日本語では無いんだよ。
0401日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 12:24:26.29
>>400
というか名子という言葉自体が無い地域みたいなんでね
他所は大変だねぇ
0403日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 19:15:41.96
>>400-401-402
お前も暇だなww
0404日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 19:21:31.76
www
0405日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 19:40:27.06
名前欄に最初にしたレス番書いてほしい
相手を中傷せずに議論してほしいです
0406日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/23(水) 20:18:07.49
わっちょいわっちょい
0407日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/24(木) 01:17:32.95
>>391さんに補足
大正四年式では既に「平民」に関しては記載されないようになっていた
昭和十八年以降ではその他の族称も新たに記載されることはなくなった
0408日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/24(木) 14:49:43.57
某ユーチューブチャンネルによると
新平民という族称は制度としては無かったらしい
一部役場が勝手に書き込んだのだとか

なら誤った記載だけを訂正して直系血族に公開してくれてもいいのにね壬申戸籍
訂正もきょうびAIで自動化できそうだし
窓口で最終チェックの目視だけすれば事済みそう
0409日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 02:00:51.21
その一部の要注意役場も特定できるだろうし他の役場は大した手間は掛からないだろうにね
非公開にする合理的理由は恐らくない
0410日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 05:27:22.95
直系血族とか戸籍の閲覧を請求できる者の範囲を限定しても、公開できるということにすると
役所内でオープンな状態になるからな。
すると職員の閲覧が可能になる。
田舎の役所なんか職員が面白がって見ないとも限らない。
田舎の農村なんかだと古い家がいっぱいあるし、土人はプライバシー覗くの好きだからヤバイかも。
0411日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 06:27:29.18
実家の金庫調べたら出てきたわ。
明治19年戸籍に平民とかいてあるわ
青焼きだからおそらく昭和3〜40年位にとったんだろうが。
0412日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 20:21:18.03
>>411
おめでとう
どうせなら壬申戸籍も残しておいてくれよと思わずにはいられないけど
それでも貴重なことには違いない
0413日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 20:25:38.38
>>410
でも誰が何を調べたかという記録は残るし、悪用が発覚したら懲戒処分でしょ
況して他人に漏らしたら完全に犯罪だし
0414日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/25(金) 22:00:31.42
うちの場合いくつかの書物に名が出てくるのですが、江戸末期の戸主は士族とありますが、明治19年に家督を継いだ人は平民とあります。こういうことはよくあるのでしょうか。
0416日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/26(土) 07:22:37.24
>>414
もともとは卒族だったんじゃないかな。
卒族という族籍もあったんだが、早々に廃止となった。
士族と卒族の区分けが難しいということもあったし、明治維新の元勲だって
卒族になってしまうとか不都合もあったからだろう。
だから卒族でも士族として扱うことにしたのだが、
しかし明治の最初の頃は士族には家禄を政府が支払っていたので、やたらに
士族を増やすわけにはいかない。
それで卒族で一代限りだった人は士族にせず、平民とした。
足軽・中間といった人たちは、世襲身分の者もいれば一代分限といって
一代限りの雇いの人もいた。
後者は平民として扱うことになったんだな。
0417414
垢版 |
2022/11/26(土) 15:05:53.54
みなさんありがとうございます
コロナが落ち着いたら現地を訪問して郷土誌なんかを探そうと思います。
0418日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/28(月) 08:37:27.96
曾祖父母が遠方同士の結婚で、子ども(祖父の姉と兄)が生まれてもしばらくは入籍しないままで、子どもは曾祖母の父親の戸籍に入っていた。

二人が結婚すると同時に子どもたちは曽祖父の戸籍に移ったんだけど、当時の担当者が曾祖母の父親の戸籍から姉を抜くのを忘れてたみたいで、祖父の姉が二人いることになってしまっていた。

とっくに亡くなってるんだけど、片方の戸籍は誰も触ってないから、まだ生きている扱いになっていた。

こんなことあるんだなぁ。
0419日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/29(火) 01:54:28.80
>>418
幽霊戸籍だね
うちにもあった
場合によっては記録上凄い年齢になることもある
その人は何歳位になったかな
0420日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/29(火) 12:18:13.51
>>419
112歳
0421日本@名無史さん
垢版 |
2022/11/30(水) 23:14:15.72
おお、なかなか凄い
放置してくれたらもっと凄いことになっていたのに
0423日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 00:16:37.84
おお、表紙は壬申戸籍でなくても通常見られないから貴重
0424日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 12:29:35.60
>>411
かなり古い明治19年式戸籍を昭和中期頃に役所から取り寄せるって、一体何の理由があったんだろう?
0425日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/09(金) 13:04:16.60
>>424
相続だろ...
出生から最期までの謄本が必要になる
今でも取れるぜ、俗称はは消されていたが
0427日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/14(水) 17:59:04.79
>>8
国東半島の秦さんは、宇佐神宮の関係者じゃないのかな。

奈良の大仏を建造した渡来人の集団でかなり古い。
この集団は八幡様にも関係あり。 北九州は渡来人の町があった。

宇佐神宮の禰宜をしてた家系に波多氏も存在してたがこっちは鎌倉時代以降
0428あqas
垢版 |
2022/12/19(月) 02:59:03.24
>>427
宇佐神宮の秦氏は辛島姓だったかと
0429日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/19(月) 05:59:50.97
>>427
大分の国東半島付け根あたりだろ
幼稚な渡来人なんて言わず漢人の町

>>428
シンガーソングライターの辛島美登里は秦氏直系の子孫
0430日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/20(火) 23:14:15.57
江夏豊の先祖も中世、中国から島津氏に専門知識を買われ鹿児島へと移住組
ルーツ地の中国湖北省江夏の地名にちなんだ日本名は江夏としたらしい
0431日本@名無史さん
垢版 |
2022/12/30(金) 00:45:49.06
「国立国会図書館デジタルコレクション」がリニューアルしたよ
全文検索の対象が増えたみたい
前はヒットしなかった官報の記事がヒットしたりするようになった
0433日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/01(日) 19:30:57.86
明けましておめでとう
一月一日生まれで名前が「イチ」の人がいた
0434日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/03(火) 13:57:16.49
>>431
情報ありがとうございます
早速使ってみたら明治15年の某県職員録に曽祖父を見つけました。入手できた最古の戸籍では既に死亡していて全く情報が無かったので助かりました。また祖父も役人だったので官報に載ることがあるのですがその数も以前より増えているようで祖父が最初に採用された職場とか新しい情報があってしばらく検索しっぱなしでした。
0435日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/23(月) 02:43:39.15
>>223だがこの役場は半年近く経過した今でもこの条文を調べられないでいやがる
何法の何条か教えても調べられずその結果証明できないと言い張る奴は本当に何とかするべき
特に戸籍法を調べられない戸籍担当なんか産廃だろう
0436日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/23(月) 18:34:23.74
>>435
海外の学問に感心があるような興味関心の自立してる人達と違って「面倒くさい」って感覚が少なくともあるんじゃないの
上で戸籍の誤りがある可能性からタブー視してる可能性は指摘されてるけど、
いざ本気で調べるとなると協力・信頼関係の構築から始めないといけないのかなこういうのは
対価を積極的に見出だす事は謙虚さも相まって日本人には難しいのかもしれない
という野次馬的感想
0437日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/24(火) 03:16:52.35
戸籍すら存在しない国よりはかなり良いが、面倒だという理由は確かにあるだろう

尚、子より後に生まれた母の問題とは一応別件
そちらは幾ら可能性が高くても確定ではないというのは仕方ないが、これは事実関係には疑いのない単なる遺漏
しかも理由が「法律の条文を調べられず当時の制度が不明だから」
戸籍法の何条に書かれているのか教えているのに調べられない
事実関係の段階ですらない
0438日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/29(日) 18:50:40.31
便乗して>>142ですが、役所に聞いても案の定「届出が残っていないから分かりません。何ででしょうね」という結論でした

>>149さんの言っていた「認知されていないのに届出に父親の名が書いてあったから戸籍に書いた可能性」にも触れていて驚きました
そういう事例が本当にあるのでしょうか

それにしても本当に役所の人は昔の法律には弱いようですね
知らないだけなら仕方ないですが調べることができない
調べていないのに当時としては誤りだったか証明できないと言ってきます
0439日本@名無史さん
垢版 |
2023/01/31(火) 21:41:07.29
明治19年式戸籍見ると、母親の名前が空欄になってるのが多いな
って事は明治4年式戸籍にも母の名は不明で記載されてないのか?
0441日本@名無史さん
垢版 |
2023/02/01(水) 02:21:28.55
併し、戸籍取扱手続には、
「此欄内ニハ父母ノ名及長二男女タルコト又ハ夫ノ名ヲ記ス以下同シ」
と確かに書いてあるね

細い欄だから二行書くことを想定しているとは思えない
「父の名・母の名 長男」のような記載を想定していたのだろうか
0442日本@名無史さん
垢版 |
2023/02/15(水) 22:15:07.97
明治十九年式の場合は父母欄に母の名を書くのは女戸主とか私生子とかのときを想定していたのでは
0443日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 08:24:07.15
>>439
もともと父親の名前しか記載してなかったと考えるのが自然
父母欄は明治31年式から
0444日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 08:29:54.83
>>142
> 認知と言えば、父親欄に苗字の違う名前が書いてあるだけで、
> いつ何処の人が認知したのか全く書かれていないものがあった
> 出生届は母が出したとあるから、その後に認知したのだろうけど、何も書かれていない
> 本籍も書かれていないからかなり困る

認知以外に離婚の場合もある
その場合、当然記載がある筈だが
何らかの理由で記載が失われることがある

例えば、離婚後、実家の籍に戻った妻が死去し
子供だけが残ったあと、災害で戸籍が失われ復製した場合、
既に亡くなった人に関する記載は行わないので
結果として経緯の記載が失われるということがある
(子供の欄には親の離婚の記載はしないから)
0445日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 08:38:22.59
>>222
いってることはごもっともだが
役所では勝手に直せないだろうな

こういうの発●してギャアギャアいっても
●違い扱いされるから無駄

頭冷やして諦めたほうがいい
役所の人は、何処の誰かも分からん人の
祖先が実母でも継母でもどうでもいいし

>>223
過去の戸籍から父母の名前が分かるなら
後から記載することになってますね
実際そういう戸籍をみましたよ
おそらく遺産相続のために
除籍を取得してわかったんでしょう
0446日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 08:42:39.73
>>225
まあ、普通先祖のことなんてそんな知らないよ

日本人の祖先は縄文人と弥生人に分かれるといわれてるね
Y染色体とか調べるとどっちかわかっちゃう

最近は弥生人をさらに細分して
本来の弥生人と渡来人に分けるらしい
これもY染色体で分かる

日本語は弥生人の言語なんじゃないかな?
縄文人は別の言語を話してたっぽい アイヌ語的な

でもこれ「愛国者」にいうと大体猛烈に発●される
彼らは縄文人がアイヌ語話してたとか絶対認めたくないみたい
なんでそんなに発●すんのか知らんけど 精神患ってんのかな?
0447日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 12:46:38.38
>>446
Y染色体は比較的変化しにくいマーカーだからね、集団を大まかにカテゴライズしやすい
でも最近ではより難しくリターンも大きい主成分に目が向けられてるよ

ゲノム全体から祖先から受け継いでいる半分の遺伝子が縄文人由来だと仮定すると主成分で10%とされる数値に辻褄が合うらしいね
祖先と比較してそのまま断片的に残る成分が世代重ねる毎に概ね平均的に減衰し続けるらしいので
つまりハプログループがOでも主成分では縄文人が濃く引き継がれてたりする事になる

俺は弥生時代の渡来帰化人とそのまま混血して当時の人口がそのまま反映されてると思ってたけど、
むしろ想像より縄文人由来の成分が、形を変えてはいるが平均的に日本人全体に50%も引き継がれている事に驚いた
0448日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/12(日) 20:59:17.24
よく言われる耳垢の湿式乾式ってだいたい50:50じゃない?しらんけど

両親乾式だったけどワイ湿式なんだよなあ
、、、橋の下で拾ってきたか?
0449日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/13(月) 00:17:26.85
興味本位で民族構成をしらべたら
わいは78%が日本人
13%が朝鮮人
7%が中国北方民族
1%がベトナムキン族
残り1%が不明
だた
0450日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/13(月) 21:06:16.14
>>448
顕性・潜性の遺伝は確実では無いから
兄弟でも顔や身長、体格性格まで違うのザラだよ
遺伝子の長さやバランスによって発現する性質変わるし、何なら体質も変わるのは身近に実感するでしょ
0451日本@名無史さん
垢版 |
2023/03/15(水) 20:42:18.43
>>444
連れ子か何かの場合でしょうか
でも今回の事例では子も母も出生から見ていますし、一応役場の人も理由不明としているのでそういう初歩的な見落としではないです
子の出生時やその直前に結婚はしていませんでした
0453日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/02(日) 17:18:31.57
自分より1世代上を辿ると父と母で2人
2世代辿ると父方の祖父母と母方の祖父母で4人
3世代辿ると8人
4世代辿ると16人
5世代辿ると32人
6世代辿ると64人
7世代辿ると128人
8世代辿ると256人
9世代辿ると512人
10世代辿ると1024人
11世代辿ると2048人
12世代辿ると4096人
13世代辿ると8192人
14世代辿ると16384人
15世代辿ると32768人
16世代辿ると65536人
17世代辿ると131072人
18世代辿ると262144人
19世代辿ると524288人
20世代辿ると1048576人
21世代辿ると2097152人
22世代辿ると4194304人
23世代辿ると8388608人
24世代辿ると16777216人
25世代辿ると33554432人
昔は20歳とかで子ども作っていたからもっと若く子ども作った人の事も加味して全員20歳で子ども作っていたと仮定すると
20世代辿ってもたった400年前の話である
ちなみに鎌倉時代の頃は日本の人口は757万人
江戸時代の初期は1227万人しか存在していない
天皇の子孫だという人の事をデーモン小暮が平安時代くらいの天皇まで遡ると
日本国民全員がほとんど天皇の血筋が混ざっていると豪語していたがこのことを踏まえて考えると真実味が増す
どんな名家でも20世代後にはその名家の血筋は1048576人分の1に薄まるのでもはや他人と言っていい
0454日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/04(火) 01:20:18.44
名家は高貴な血筋の者同士が結婚することが多いのだから、世代が進む度に半分薄まるという計算は大間違い
勿論、名家でなくとも確率が変わるだけで同様のことが言える
0455日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/06(木) 02:51:21.26
>>454
ちがわないよ
0457日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/07(金) 21:32:01.40
名家の定義が時代によって変動する
0458日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/11(火) 21:36:26.64
附票の保管期限が大幅延長されたが遅すぎる
もう大半が廃棄されてしまったよ…
0459日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/14(金) 23:45:34.87
果たして本当に廃棄されているのか
隠しているだけではないのか
0460日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/16(日) 02:16:40.19
明治、大正、昭和、平成と改製が行われてきたわけだけど、振り仮名付きになることは果たして令和改製たり得るのか
0461日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/16(日) 06:10:18.27
戸籍の附票の除票って
改製前の附票も除かれてるのかしらん
戸籍の附票からは除かれてた期間があった
0462日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/16(日) 23:30:18.80
残念乍ら除票だね
だから縦書きの附票を取得できることは少なくなっている
但し、その附票に記載されている者が同じ役場の管轄内で存命の場合は取得できることが多い
0463日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/17(月) 01:05:03.95
なら見れないんだろうなあ
戸籍の新製から両親の婚姻までかなり間がある
0464日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/17(月) 22:26:36.47
トムクルーズまで出張って「ラストサムライ」なんて
大袈裟な映画撮っても、肝心の日本人が意図を理解できないもんな
0465日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/18(火) 17:09:21.51
先祖探しに興味を持っていろいろな古い文書を調べたら、明智光秀の家臣で1582年の山崎合戦で
討ち死にした直系先祖まではさかのぼれたんだけど、その前がよく分からん。

当時から続いている苗字から類推すると、どうやら藤原氏の末裔らしいんだが、確たる文書には
まだ至ってない。先祖探しって難しいね。
0466日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/19(水) 18:32:01.79
>>465
凄いな。どうやって16世紀まで遡れたの!?
0467日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/19(水) 23:01:07.17
>>466
私の家は西日本の山の中なのですが、自家専用のそこそこ広い墓地を持っていて、代々の人々が
各個人毎の墓に納まっていますから、墓碑銘だけで1720年代に没した先祖までたどれます。

それとは別に、この地方で存続している「旧家名門」というものを記した書籍があって、そこに
現在の京都府で医者をしていた先祖が、1660年代に現住所がある地域に移住したとの記事が
あります。これは江戸時代に書かれた古文書からも確認が取れました。

また、前述した書籍の記事によれば、その先祖の曾祖父にあたる人物が山崎合戦で討ち死にした
武将であると記載されています。これを「明智軍記」等々の記述と照合したら、該当する人物が
実在したと確認できましたので、少なくとも1582年に没した先祖がいたことまでは確かです。

とはいえ、その代から前の先祖がよく分かりませんので、どうやって追跡したらよいか思案して
いる最中なのです。
0469日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/20(木) 20:11:07.59
>>467
>この地方で存続している「旧家名門」というものを記した書籍があって

この書籍はいつの出版ですか?
明治以降のもの?いわゆる紳士録みたいな本と思えばいいのかな。
それとも古文書なのかな
0470日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/20(木) 22:38:42.11
>>469
あまり詳しいことは書けませんが、当該書籍は今から約120年ほど前に出版された古本です。
もちろんのこと、江戸時代及びそれ以前に記された古文書の記述が相応に含まれています。

あと、いわゆる「紳士録」が複数ありますが、どれもこの時期以降の後発図書です。御賢察下さい。
0472日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/21(金) 08:32:20.63
>>471
申し訳ありませんが、Webブラウザのセキュリティワーニングが出ましたので、御提示の画像情報が見えません。
セキュリティ的により安全な代替手段を御検討下さるようお願い申し上げます。
0473日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/21(金) 20:34:34.42
北安曇郡歴史一斑旧家名門録

国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/777573/1/1

中身も見ることができます。こんな感じの本ですか
0474日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/21(金) 22:22:20.06
>>473
そうですね。詳細はともかく、記載されている情報の信頼性については、だいたい同等のものと存じます。
0475日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/22(土) 11:12:23.53
>>470
ご存じでしょうが岸本良信という方のホームページがありまして、その中に
「全国規模の紳士録・商工人名録・会社役員録」というページがあります。
それによると紳士録の嚆矢である「日本紳士録」は明治22年発刊。
出版は福沢諭吉の唱道によるといわれていまして、これは旧家名門録などより
早いです。
日本紳士録に並ぶ「人事興信録」は明治35年発刊みたいですが、今手に入るのは
明治36年以降のもののようです。
これが旧家名門録などと同時期ですね。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2023/04/22(土) 13:52:28.65
>>475
貴重な情報をいただきどうもありがとうございます。
恥ずかしながら視野が狭いもので、御提示にあったネット情報は知りませんでした。

これまでは、私の家と地元の公立図書館、国立国会図書館、国立公文書館、それに宮内庁書陵部にある
ソースを頼りに調べておりました。

ネットが普及し、ずいぶん便利な世の中になりましたが、まだまだ勉強する余地があると存ずる次第です。
0477日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/03(水) 22:18:03.61
>>205
こマ?
父方の祖母の家系が石川県出身で北海道に移住してきたんだけど。祖母が生まれる前か後かは分からんけど少なくとも祖母が小学生の頃には北海道生活が始まってたらしい。今でもはとこ達が住んでてちょい農家とか続けてるらしい。今年の夏あたりに旅行で行きたいな。
0478日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/03(水) 23:03:42.03
ワンチャン先祖が城主だったかもしれん

A市B町ってとこに父方の祖父の実家と私有地の小さな山があって、その山の中に実家(もう取り壊された)と先祖代々の墓がある

B町自体が狭くて人口も約30世帯100人未満程度とかなり少ない

町内の少し離れた所にB城という平城の城跡があり、築城者と歴代当主の名字が祖父や俺と同じだった。全然珍しくない名字だけどB町自体が狭くて人が少ないから可能性は高そうだ
0482日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/04(木) 14:32:48.86
先祖代々の墓があるならその文字を解読して歴代城主と比較してみたら良いね
一致していないならそれ以前に別れた一族かも知れない
そういう町は史料が残っている確率が高そう
0483日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/04(木) 16:44:02.39
歴代城主の下の字と歴代先祖の上の字が一致すれば
直参の可能性が高くなるけど
逆に与力衆とか客分格なら明確な上下関係ではないから
一般的には一致しない方が正しくなる
もちろん例外は多々ある
0484日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/07(日) 18:25:20.37
>>482
>>483
ありがとう
地元(俺自身の実家はA市の別の町にある)に帰れるのがもうちょい先だから、帰省したら調べてみる
あと市の図書館に参考になりそうな本が何冊か
あるっぽいから図書館にも行ってみる
0485日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/08(月) 05:50:58.79
明治維新で廃藩置県、殿様は華族様となって東京に住むようになり、家臣たちは俸禄を
失って同じく東京に出て職にありつこうとした。
とにかくここで暮らしていてもどうにもならない。一家をあげて東京に移って行った。
殿様も武士たちも誰もいなくなってしまった。
それが明治初頭の地方の城下町の姿だった。
その後、武士たちが住んでいた家はどうなったかというと、いろんな手づるで金持ちの商人たちが
手に入れ、また東京に行かなかったごく卑賤の者たちが住むようになった。
たとえば北関東のある城下町では、家老などのお歴々が住んでいた家には小坊師たちが住む
ようになった。小坊師(こぼし)というのは汚物や穢れたものを処理する役目の者たち。
小坊師たちは何故か金も持っていてそうした家を買えたのである。
今その家の人たちはお武家の子孫ということになっている。
0487日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/08(月) 13:22:29.57
>>486
そうそう、その通り。武家屋敷に住んでいる方たちは由緒正しい武家の子孫。
江戸時代から代々直系子孫が住み続けて現在に至る。
0488日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/08(月) 14:58:39.39
時代の変わり目に刀埋めちゃいましたとか銀行に預けましたって所は武家とは違うんだろうか
0489日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/08(月) 15:22:50.32
ウチは根っからの農家だけど、家を解体した後に、床下から刀がでてきたらしい。
0490日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/08(月) 21:39:17.56
file:///C:/Users/222/Downloads/2021DI0904.pdf

3 彦根城下町の衰退
明治時代の初めに、彦根城がさまざまな役割を失っていったのと同時に、彦根城を核と
して形成された彦根城下町も衰退していった。
明治4年(1871)の廃藩置県は、日本国内の政治体制を大きく変える政策であるとともに、日本国内の
城下町の機能やかたちが大きく変わる画期となった。
彦根でも、明治4年(1871)の廃藩置県によって多くの士族が職を失い、さらに、明治9年(1876)の
秩禄処分によって士族に家禄を支給する制度が廃止されると、士族の困窮が深刻化し、新たな収入の途を
求めて彦根を離れる者が少なくなかった。

江戸時代の彦根城下町には、約2万人の武士人口と、約1万6、7000人の町人・寺院人口があった。
ところが、明治時代初期に多くの士族が彦根から転出した結果、明治10年代初めには、彦根市街地の
士族人口が9,569人に激減した。
図15は、明治時代半ばに作成された彦根市街地の地形図である。この地図を見ると、
彦根城の第2郭にあたる彦根町金亀の各所に桑畑のマークが記されている。また、彦根城
第3郭の東部や西部にも桑畑のマークが記されている。これらの地域は、江戸時代には武
家屋敷が建ち並んでいたところである。明治時代の初めに多くの士族が彦根から転出し、
空き家となった武家屋敷が解体されて、桑畑に変わったことが、この地形図から読み取れる。

明治14年(1881)3月15日付けの『淡海日報』において、彦根市街地では家屋の売却が増え、
その買い手が近隣の農民であること、物価高により、士族たちが金禄公債を売却しても生活することができず、
家や蔵を売り払って生活を維持しようとしていることが報じられている。
明治時代前期の彦根市街地では、武家屋敷の売却、解体が進み、中心部の空洞化が急激に進行した。
また、明治時代の初めには、彦根市街地の平民人口も減少した。江戸時代の彦根城下町の町人・寺院人口は
約1万6、7000人だったが、明治10年代初めには、彦根市街地の平民人口が12,360人に減少した218。

4 小 括
幕末から明治維新にかけて、日本が大きく変わった。天下人と大名・旗本が日本各地を分割統治する統治体制のもと、
武士が城や陣屋を中心に集住し、主君の家の当主と家臣の家の当主が主従関係を結び、法にもとづいて、軍事と政治を
組織的に担うという江戸時代の統治のしくみが破綻し、天皇を頂点とする中央集権的な国家体制のもと、それまでの
身分に関わりなく、有能な男性の個人が、天皇や政府から政治家あるいは役人に選ばれて、法にもとづき、政治・行政や
軍事などを組織的に担うようになった。
このような国家の体制やしくみの変化にともなって、江戸時代には統治拠点だった城や陣屋がさまざまな役割を失い、
多くの城や陣屋が解体されていった。
また、城や陣屋を核として形成された城下町も、士族の転出などによって中心部が空洞化し、衰退の危機に見舞われた。
彦根城や彦根城下町も、他の城や城下町と同様に、存続の危機に直面したのである。
0491日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/10(水) 05:37:49.79
昔の日本家屋っていうのは解体して運搬し、別のところで新たに建て直すことが出来たんだよな。
いわゆる移築
だから士族が家を売るというのは建物を売ること。
建物を潰しの値段で売って、買い主がそれを解体して持って行く。
昔の人は使えるものは使う。ゴミになんかしなかった。
立て直しが無理なような古い家でも、その中の使えそうな材木は使って、本当に使えない古材だけ
薪にした。
土地は殿様のものだから売買の対象にならない。
維新で殿様のものでもなくなり、国(太政官)のものになったはずだが、国だって公図があるわけ
ではない。登記の制度だって無かったのだから現状肯認でいくしかない。
維新後、士族の家屋がなくなって空き地になったところは畑になることが多かったようだ。
その後は耕している百姓のものになったのだろう。
0492日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 12:05:55.16
>>489
武士自体がものは農民の場合が多い、土地を守るため武装して、武士へと成長した。

秀吉の刀狩りを期に帰農した家も有るし、
それ以前に戦に敗れて帰農した家も有る。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 12:37:13.49
仏壇や墓碑の年齢と戸籍の年齢が異なる人がたくさんいるんだけど、昔ってそんなもん?
0494日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 12:50:08.42
>>493
位牌や墓碑の数え年と戸籍に書いてある満年齢は1歳違うハズだが、そ~ゆ~のとはまた別って事例?
0496日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:28:47.31
役所‥‥1910年生まれ 仏壇‥‥1945年に数え33歳(逆算すると1913年生まれ)
※弟が1912年生まれだから、姉弟が逆転する

役所‥‥1897年生まれ 仏壇&墓碑‥‥1987年に数え92歳(逆算すると1896年生まれ)


こんな感じ
0497日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:31:25.31
女は丙午(ひのえうま)になるのを避けるために翌年の生まれにしたとかは聞いたことあるけどね
0498日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:32:31.08
>>497
3年もズレないだろw
0499日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:34:57.75
>>498
何て馬鹿なんだろう!w
0500日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:57:44.29
>>499
何が?
0501日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 16:58:14.02
>>499
あぁ、1897年の人は男なんだよ。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 17:06:45.80
1897年はそもそも丙午ではないわな
0503日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 17:09:07.46
>>496
これが参考になるかどうかは分かんないけど、大昔は男の子(跡取り息子)が生まれるまで
婚姻届や出生届を役所に出さない風習があったとどこかで読んだ記憶があるよ。

試しにちょっとだけWeb検索をかけてみたら、婚姻届の方は過去にそのような例があったとのこと。
あいまい情報でスマン。
0504日本@名無史さん
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2023/05/13(土) 17:23:48.33
姉や妹というのはふつうよその家に嫁に行くので
生家に位牌があるということはそんなに無いことだよな
だから全部男の話か
0505日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/13(土) 23:57:35.76
>>496
弟の生年は確かなの?
だとしたら、姉の生年は戸籍の方が信憑性が高いことになるね
0506日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/14(日) 03:24:54.34
昔は生まれたときが一歳として数える。
さらに誕生日という概念が希薄で、人間は正月を迎えると誰でも一つ歳を取ると考えた。
それを徹底すると、例えば12月15日生まれで半月後に正月を迎えるとそこで二歳。
(そうなるのを避けるために、昔は一月一日に生まれたとして届けることが多かった。)

位牌は数え年で書くということで上のような数え方をすると実年齢に比べて2年ぐらいは
簡単にズレるわな
0508日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/14(日) 23:55:58.06
戸籍の方が誤っている場合もあることはあるけど、一般には戸籍の方が仏壇より信用できるだろう
特に496後者の事例は坊主による単なる計算間違いではあるまいか
0509日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/15(月) 05:33:25.48
>>508
でも、普通は坊主が間違ったら家族が修正しないか?
0510日本@名無史さん
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2023/05/15(月) 07:25:24.84
今は知らんが昔は修正できなかったようだ
役所がミスを認めなかったからとか
0511日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/15(月) 07:47:12.26
昔は役所の書き間違いが多かった。
一回書類を作ると、それが間違っていても訂正に応じなかった。
名前なんかマジにいい加減に記載してそれが本名になってしまったと
いう事例はいくらもある。
俺の知ってる人もそうだ。とっくに亡くなったけど。

あと、位牌は仏具屋に頼んで作るんで坊主関係ないだろ
0512日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/15(月) 08:48:10.27
明治でも裁判すれば訂正してもらえる
ウチはどうも婿養子取った時に間違いに気づいたらしく8か月後に訂正してもらった
でも物証いったんじゃないかとは思う
0513日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/15(月) 12:41:42.96
裁判所に訴え出て判決をもらわないと修正できなかった。
そこまでやる人はいなくて、ほとんどがそのまま
親が美智子と届けたのに智美子になってしまった人がいる。
0514日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 01:39:43.68
そういう事例なら、役場の過誤ということになるので、
少なくとも大正四年以降であれば、裁判を経ることなく職権訂正が可能だった
(厳密には、市町村長が管轄区裁判所の許可を得て訂正する)

特に出生届が役場に残っている期間なら容易だった筈
何年もの間気付かなかったか、初めから申告しなかったかではないだろうか
0515日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 01:50:37.43
ところでこの修正云々の話題は元々仏壇や位牌の話であって戸籍のことではなかった
素人なら尚更享年の計算を誤っても不思議ではない
誰でも生年月日を間違えるよりは享年計算を間違える可能性の方が高いのは道理ではないか
0516日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 06:38:24.96
>>514
ハハ、よく調べたね。
513は戸籍の名義人やその家族が行う場合のことだよ
そのくらい読めばわかるだろ

>>515
いや、戸籍の届出自体がいい加減だった
誕生日を変えるなんて当たり前だし、親が生んだ子を娘が産んだことに
して届け出ることも、その逆の場合もあった。
0517日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 11:11:42.67
出たー
516は戸籍の「弐」が読めなかった上に明治民法では家族の定義がないとか言い出した奴だな
「昔は~だった」と嘘八百を並べて直ぐに暴言を吐くのが特徴なので皆さん騙されないように
0518日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 11:30:51.01
中川しようこ も間違えなんだよね
0519日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/16(火) 13:21:54.37
>>517
出たー 
インテリ乞食の代表・士業の最底辺の貧乏行政書士
入った仕事をネタに書き込んで釣りやってる暇人
戸籍の弐とかいったって隠してるんだから仕方ないじゃないか
それと明治民法には家族の定義は無いよ
家族の範囲に関する規定はある
0520日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/17(水) 01:04:01.43
当初片仮名の「ナ」を「ケ」と誤って記載されたが役場に指摘したら裁判せずに訂正されたそうな
0521日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/19(金) 00:11:30.43
「中川しようこ」の経緯を見てみたが…
これは間違いではなく役人が嫌がらせで態とそうしたのか
元々「薔子(しょうこ)」で届け出たが名前に使えない漢字だったために平仮名にしたというのだから役人は知っていたわけだ
漢字が拒否されたので喧嘩になったというからそれの仕返しなのだな
本人は嫌がりつつも画数的に縁起が良いから敢えて直さないのだとか

「よ」と「ょ」で画数が違うのか占いの事情は知らないが
全然昔の話ではないようだ
0522日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/19(金) 19:09:29.86
昔の人って、何を思って名前をつけたんだろう。男は漢字だからある程度親の意図はわかるが、女性は平仮名や片仮名だから全く意図がわからない。

戸籍に載ってた名前だと
キリ‥‥桐のように美しく?
イト・キヌ‥‥糸や絹のようにしなやかに?
とら‥‥寅年生まれだから
シゲ‥‥栄養たっぷり茂るように?
↑この辺りは想像がつく。

しかし
いきの、ユキノ、ミワ、きう、きやう、サヨ、んめ、なみ、まき、リノ
↑この辺りはどんな思いが込められてるのか全くわからない。語感が綺麗だからなのか、何か意味があるのか、マジでわからん。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/19(金) 22:13:37.15
実際全然分からないときもあるね

その中では、ユキノ、ミワ、サヨ、なみ、まき、リノは今でも良く使われる名前だね
大抵は漢字で書くけど、どちらかというと響きの良さに好きな漢字を宛てている気がする
「んめ」は梅のことで、「めー」「んめ」「うめ」と変化した
0524日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/20(土) 01:51:16.06
ゆきのは「雪乃」か「幸乃」で大体確定
雪や幸は文字通りとして「乃」は語調を整えるものか或いは「雪の子」の意か
三文字で書くのは当て字のような

さよも「小夜」かな
雪や夜は風情がある美しいもの

なみは「波」と書くことは少ないけど元は波なのでは
0525日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/20(土) 11:04:44.96
女の子に「乃」をつけるのは昭和初期に流行ったんだよ
全国的に流行ったんだが、特に農村が多い。
満蒙開拓団の資料なんか読むと○乃という名の女性が多いよ
0526日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/20(土) 15:46:11.76
まずは漢字ありきで考えて、命名は平仮名や片仮名にしたのかな?
0527日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/20(土) 16:56:40.50
漢字からでは説明が困難な名前が多いから音からだと思う
りのは「梨乃」が多いだろうけど、梨の意味で付けたかは疑問
0530日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/21(日) 12:09:05.13
>>524
ひらがなで書いてある名前にわざわざ漢字を当てる必要はないだろう。
ひらがなで表示すると決めたからひらがなの名前なわけで。
日本では女の名には難しい漢字は使わず、ひらがなで表記するという傾向があったようだ。
そっちの方が印象が柔らかいためかも知れない。
あとから漢字を当てたりするが、それは本人が偉くなって勿体をつける必要があるとか、
ひらがなでは格好がつかない場合があるからだろう。
その場合にあてられる漢字というのはひらがなの元の漢字が多いが、適当である。
もったいをつけようとする場合は難しい漢字を使ったりする。
具体例は昔の大名の生母の名前など。
はしためだったのが殿様の手がついて御生母様になると難しい漢字を使った表記になる。

そもそもは、ひらがなで書いても漢字で書いたことになるんだよ
ひらがなは漢字の略だから
万葉仮名でイロハの一字一字にそれぞれ漢字をあてはめ、さらに漢字がどんどん略されて
いって仮名文字ができた。
ひらがなは漢字の変態表記にすぎない。
カタカナも同様である。

だから
「ゆき」なら略字のひらがなでなく正規の漢字で書けば由幾
「さよ」という名なら佐余ないし佐世
ただし、昔の人は漢字のあてはめもかなり適当で、勝手にいろんな字を略字にする。
簡単な漢字だとひらがなとしてそのまま書いたりした。
「いこま屋」という旅籠の看板を「い古ま屋」とするなど。
http://www.book-seishindo.jp/kana/index.html
もっと詳しくはこのページの一番下から「かな一覧」に飛ぶ

>>528 志奈さんという表記は、「しな」というひらがなを元々の漢字にしたものだ
意味的には何一つ変わっていない。
0531日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/21(日) 17:23:50.77
>>528
うちも「シナ」という人を知っているけど、
語源は「しなやか」だと思う
その漢字の意味から付けた名前ではないね
0532日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/21(日) 17:41:57.72
>>530
平仮名の名に漢字を当てる必要がないというのは同意するが、
要するに、意味が先か音が先かということ
雪や梅のように意味が先のものもあれば、そうでないものもある

何も昔に限った話ではなく今でも同じ部分はある
「ゆうか」という読みの名前にしようと思ったとき、好きな漢字を付けることで意味も生じるけど、
漢字を付ける前の「ゆうか」にどういう意味があったのか聞かれても難しい
0533日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/21(日) 17:59:02.92
そもそも出生届出す親が文盲で
役場の窓口で音からカナに当てた可能性

男名はパターンあるけど女名は〇子の大流行以前は無限やしな
0534日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/21(日) 20:26:28.81
>>531
シナ というのはしなやかとは違う
シナを作るのシナに通ずると思うが
品(しな)好(よ)・し
上品である。 体裁がよい。という意味である。ネットの辞書参照

北海盆歌の歌詞
はぁ 踊り踊るなら ちょいとしなよく踊れ
しなの良い子を ちょいと嫁にとるよ

>>532
雪や梅のように意味が先のものもあれば、そうでないものもある

んめ はともかく ゆき はいろいろだと思うよ
だから変に漢字に拘らないともいえる

んめ というのは東北、北関東弁では うまい の意味にも使われる

子供の名前は基本的に流行が大きいと思う。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/22(月) 02:03:59.93
よしがなく品だけでは良い意味にならないではないか

>>533
子沢山の家が多かったが、男の名前は漢字で女の名前は仮名というのが普通だった
「一郎」は漢字で書けるのに「いち」は書けなくて平仮名なんてことはない
0536日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/22(月) 06:31:30.11
>>535
>よしがなく品だけでは良い意味にならないではないか
お前は>>531 に文句つけろ
しな だけでなんでしなやかなんだよ
こっちの方がおかしいだろ
「しなをつくる」という言葉もあって、しなというのは一定のポーズや肉体表現、表情を言ったようだ
それだけで独立した言葉なんだよな。しかも良い意味がある。
だったらあえて「よい」という言葉を付けなくてもいいんじゃないのか
少なくとも、よいという言葉を付けないと意味が分からないということはない。

女性の名前は
1.木や花などの植物系 まつ、すぎ、うめ、たけ、はな、ゆり、きく
2.干支などの動物系 とら、たつ、うま、いぬ、しか、くま、かめ、つる
3.縁起のよいものや頑丈系 かね、てつ、きん、ぎん、よね、たま、いし、いわ、すず、かつ
4.生まれた順番や打ち止め系 いち、はつ、さき、なか、みつ、すえ、とめ、しめ
5.語感がかわいい系 あい、みき、みよ、みな、みお、みさ、まき、まさ、さわ、かよ、くに、ゆみ
6.裁縫に関係するもの系 いと、きぬ、そで、しま(縞)、ぬい

なお、野口英世の母はシカさんで、姉はイヌさんである。
0537528
垢版 |
2023/05/22(月) 21:35:38.34
ちなみにシナさんは天保九年一月生まれです。曽祖母ではなく高祖母の間違いでした。
うちの場合、戸籍上名前が漢字の女性は明治32年生まれの人が初めてで、それ以前に生まれた女性の名は皆カタカナで、ひらがなの人もいませんでした。
0538日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/23(火) 00:43:05.64
「やか」のような接尾語や活用語尾を省いて名前とするのは大昔から普通のことだったよ
さわ、すず、はや、さだ、あき、しげ他多数
さえ、とめ等は一般名詞としても使える
0540日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/23(火) 00:59:10.31
ハツクってなんかしら
発句?んなわけないわなホックだし
0541日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/23(火) 01:28:15.96
「初」ではないかな
親子で「はつい」とか「初雄」とか三文字目だけ変えて代々続けた例がある
0542日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/23(火) 02:05:09.06
敢えて「く」に漢字を宛てるとしたら「紅」を推したい
勿論その人の名付け親の意思は知らない
0543日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/23(火) 05:47:56.81
>>538
さわとかすずという名前は語感から付けられたものだと思うよ
わざわざ さわやかとかすずやか という言葉を想定して、それを縮めて名前にしたりしないだろ

しな という名前が しなやか から来たというのも考え過ぎだろう
これもただ語感から付けたのだと思う。

あえて言えば 撓う(しなう) の意味だろう
撓うは しなやか の語源でもある
撓うというのは硬直してポキリと折れるのではなくて弾力があって折れずに曲がるという意味である。
シナを作るというのも、真っ直ぐだったのがちょっとクニャリとするとか、
ちょっと角度が変わるとかそういった感じだ。
シナが良いのシナもちょっとした身振りが上品だとか妖艶だというような意味だと思う。

撓うというのは昔は重要なことだという実感があっただろう。
肥たごを担ぐときの天秤棒は撓うことによって担ぎやすくなった。
機織りの織機には経糸を張る棒があってこれを撓わせた。
竹とかクジラの髭が使われた。
糸繰りの器械には竹の撓う力を利用したものが結構あった。
丈夫な竹籠も竹を撓わせることによって弾力をつけてある。
大きな石なども、割竹を組んでその中に入れ、太い竹で担いで運んだのだ。
竹を撓わせることで重さが直接肩にかかって来るのをころした。
肥たごの天秤棒と同じ原理だよ

さわやか(爽やか)の「やか」は接尾語でとくに意味はない
さわはネットで調べると、大言海』によると、はっきりしているさま、高く澄んだ音のさまを言う「清か、
明か(さやか)」の「さや」と同源ではないかとのことである。
秋きぬと目にはさやかに見えねとも風の音にぞおどろかれぬる
ここで「さやかに」とは ハッキリと の意味

だが俺は沢(小さい川、短い川)の意味だと思うけどね
昔は水田に引く水は大きい川からは引けなかった。そんな工業力がないから。
自然の山水とか沢の水を使っていた。沢とは大切な水源で有り難いものだった。
米作りにはなくてはならないものだし飲み水でもある。
だからさわって付けたんじゃないかと思うけどね。
たね、とか なえ のぶ しげ のような耕作に関連した名前だと思うよ

>>540
はつる という意味だと思うよ
ハツリ(斫り)というのは固いものを削ったり穴を開けたりする作業
親が石屋さんとか石工だったんじゃないかな
それか用水の貫通を祝ってつけた名前
0544日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/24(水) 01:09:07.27
「定か」「静か」から「さだ」「しず(しづ)」という名前になる
「やか」というのは「や」と「か」の接尾語を合わせたもの
「か」は取るのに「やか」は取らないなんてことはないよ

観点を変えて「しなやか」を意味する名前を付けたい側の立場で考えてみよう
「しなやか」という名前にはしないのではないか
人名に相応しい形はやはり「しな」だろう

撓う(しなう)或いは撓る(しなる)が元というのは正しい
但し一度の動作と解するよりは、良く撓う様という状態を表す「しなやか」の方がより妥当であるとは思う
でも大差はないし深くは追及しない

尤も名付け親の考え方が万人共通であるわけではない
「品」から付けた人もいるかも知れない
どちらにしても上品という意味を込めたかったのは同じのようだし
0545日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/24(水) 05:20:15.65
君に引っ張られて しな という名前のゆえんを しなやか しなる などに求めてしまったが、
考えてみたら違うわ

これは シナの木 のしな
シナという木は色が白くて柔らかくて軽い。きわめて用途の多い木で重宝されたのだ。
北海道のアイヌの彫り物なんかもシナ材なんだってさ
https://www.jawic.or.jp/woods/sch.php?nam0=sinanoki

上記、木や花などの植物系 まつ、すぎ、うめ、たけ、などと同じ系統の名前
シナというのはたぶん撓うが語源で、柔らかく軽くて薄い板は撓る。
色が白くて木肌が綺麗なので女性の名前に使われたんだろう
0546日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/24(水) 05:39:14.08
話は変わって
ひらがなもカタカナも漢字を崩したものである点は同じだが、カタカナは漢字の一部を
使っているものが多い。
もとになる漢字は同じものもあり違うものもある。

たとえば は  ひらがなの元は 波  カタカナの元は 八

https://origamijapan.net/origami/2018/06/05/jibo-list/
ちょっと違うんじゃないかと思うところもあるけど、、、
0547日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/26(金) 20:20:37.12
シナベニヤというのあるな
0548日本@名無史さん
垢版 |
2023/05/27(土) 08:11:57.63
田中小実昌の小説に「浪曲師朝日丸の話」というのがある。
軍隊で知り合った駄目二等兵の話だが
なんで朝日丸という名前かというと、父親が届けに行ったが字が書けないので
役所の窓から見える漁船を指さし
「あの船の名前でええわ」と言ったんだそうだ。
0549日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/15(木) 04:07:04.22
>>478 の先祖が城主かもって件について 結論から言うとこの城主は先祖ではなかった。 うちの家系はただの水飲み百姓?で、今の苗字は曽祖父で4代目らしい。つまり俺で7代目
以下、特定されない範囲で先祖と城主のことを書く 【うちの先祖】
・先祖は約100年前までB町の山奥に住んでて、その山の入り口付近に先祖代々の墓を作った
・家は廃屋となり、今はその痕跡すらない
・墓には先祖の名前は書かれてない
・その後、町内の平地に今の家を建てる
・うちの苗字を持つ家庭は昭和後期の時点で2軒

【B城と城主】
・築城年は室町時代末期
・歴代城主の存在は確認できず、築城者兼城主の名前のみ
・築城者は武士、B村の開発と治安を指導した
・築城後20〜40年後に城主が亡くなり、墓が建てられる(ギリ室町時代)。現在は墓に民家が隣接してる
・墓が建てられた同年、村内の別の場所に別の城ができる(こちらは築城者、城主共に一切不明)。ただこの城を攻撃するための場所があったらしく、地名にもなってる
・B城の城址が、今の家の裏山にある
・城主の墓とうちの先祖代々の墓は割と近い(直線距離100m未満)
・城主の素性、子孫、先祖等は一切不明
・城址や墓がある土地の所有者と城主の関係は不明
0550日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/16(金) 09:45:16.01
先祖代々の墓って、昔は無かったんじゃね?
うちの先祖は一人一人墓石が有ったわ

今は管理が面倒なんで一個にまとめたが
0551日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/16(金) 18:18:03.94
「梅」 中古音 muə
  → ムメ ウメ と書き、実際の発音はンメだった
0552日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/16(金) 23:33:18.27
おまえらの先祖のほとんどは呑百姓

以上wwwwwwwwwwwwwwwwwww
0553日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/17(土) 22:16:11.23
城主の一族の江戸時代が不明なら農民になっていた可能性も
0554日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/17(土) 23:02:59.67
長男も次男もいる家で、その長男よりも随分年上の夫婦を養子にして短期間で離縁
どういう意図があったのだろう
0555日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/25(日) 01:50:20.52
因みに、この夫婦を養子にしたのは戸主
養子縁組前の夫婦の苗字は戸主の母の実家と同じだった
夫婦は結婚前から同じ苗字同士だった
番地が書かれていないので母の実家と同じかは不明
村は一緒だった
0557日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/25(日) 06:17:55.34
村の近くで干拓工事でも行われたんじゃないの
新しい開拓地に入植するには地元民が有利
地元枠みたいのがあるんだよな
そこの家の戸主の母親の実家と同じ姓というなら、
戸主の母方の親戚でその干拓地に入って百姓をやりたいという夫婦がいて、
実際に応募したんだが、その際地元民が有利ということでその戸主の家の
養子にしてもらったとか。

その頃近くの沼が干拓されたとか、養子になった年度ははっきりしているわけだから
調べられないこともないと思う。
0559日本@名無史さん
垢版 |
2023/06/26(月) 19:24:23.42
地域差はあるが、江戸中期~幕末の階層分化はかなり激しく、また主に地主階層の勃興も激しい
0560日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/14(金) 17:14:21.83
古文書あさりは面倒なのでDNA解析に全てを賭ける
0561日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/23(日) 21:13:38.85
みを(miwo):AIくずし字認識アプリ。
スマホで古文書を撮影すると翻訳してくれるアプリ。無料です。
0562日本@名無史さん
垢版 |
2023/07/29(土) 19:45:21.34
今CoCo壱でご飯食べてるんだけど、インド人っぽい人が入ってきて店内に緊張が走ってる
0563日本@名無史さん
垢版 |
2023/08/04(金) 17:48:48.80
0564日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/10(日) 10:24:11.95
お盆に仏壇に供えた経木をお寺に返しに行った。
本堂に専用の場所が設けられていて置いて帰るだけなのだが、ふと祭壇の隅を見ると過去帳が置いてあった。
三冊あって一番古そうなのからみてみたけど、
ランダムに様々な家の情報が記載されていてわけわからんかった。時間が無かったので自分家のは見つけられんかった。
0565日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/10(日) 23:27:13.62
何と…自由に過去帳が読める寺があるとは…
古いのがいつ頃とかは判った?
0566日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/11(月) 00:34:45.79
ど素人なので明治以前の元号はよくわからんかったです
明治以降が多かったように思います
灯籠祭りの日で、先祖の戒名を書いた灯籠を申し込む日なので戒名を忘れた人が調べる用に置いてあったのかもしれんです
近くに受付の人のデスクがありました
しかし記載事項がばらばらだった
0567日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/11(月) 01:05:36.01
ありがとう
一応明治以前もあった様子ということかな
誰の子というような簡単な続柄すら書いていない場合、俗名等の事前情報がないと結局辿るのは難しい
墓で戒名だけ判明している場合等には有効
でもそういう寺なら頼めば教えてくれる可能性高め
0568日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/13(水) 08:29:43.15
自演で会話って気持ち悪いよな
0569日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/16(土) 15:59:21.89
先祖の住んでいた地域は北陸のド田舎でその集落に寺院はぽつんと1軒だけで本当に集落の人間しか来ないであろう小ぢんまりしたもの
ストリートビューで見たらそこに小さい墓地らしきものがあったから、先祖の墓があるかもしれないし今度実際に足を運んで見てみたいと思っている
寺の門はいつでも開いているっぽいから自由に出入りは出来ると思うんだが自分のような見慣れぬ余所者が墓地にいたらやっぱり怪しまれるよね?
0570日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/16(土) 18:44:05.08
>>569
まず最初にその寺院へ電話なり手紙なりで連絡を取ることが大切だと思う。
また、寺院が無住のケースもあるから、所在地の市町村役場の総務課あたりを通して、
その地域の自治会長か町内会長さんを紹介してもらえば、訪問しても怪しまれないんじゃないかな。

あと、私の実家もそうだけど、その家独自の墓地を持ってることもあり得るから、地元の人を紹介してもらえば
より詳しいことが分かるかも知れない。この場合、「急がば回れ」という手段を取るのかベターだと思う。
0571日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/17(日) 00:37:27.07
詳しく正確に先祖調査をしたいなら連絡を入れた方が良いけど、
墓参りをするのは誰でも自由
怪しむ奴の方が怪しい
0572日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/17(日) 00:40:16.39
他人の墓の苗字と家紋を無差別に見て廻ったらやっぱり不審者だよなあ
0573日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/17(日) 02:22:10.64
そこに先祖の墓が明確かつ確実にあることが分かっており、証拠もあるのなら、「墓参り」は個人の自由に帰する行為。
当然、誰かに不審者扱いされても、「自分はこの墓に眠る先祖の末裔で云々…」という、「正当な言い訳」が通用する。

とはいえ、「ここに先祖の墓があるかも知れない」程度の情報しか持っていないのなら、他家や他者のお墓を無差別に
探索している見知らぬヒトに遭遇した場合、当該寺院や近所の方々はそれなりの警戒心を持つと思う。最悪のケース
を想定すると、所轄(例えば近隣の駐在所)の警察官から、「職務質問」を受けても、きちんとした釈明ができる事前の
準備が必要になると考えるのは、余計な心配のし過ぎかな。
0574日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/18(月) 00:58:03.65
別に先祖でない人の墓参りをしても何も問題はない
釈明も何も如何なる罪にも該当し得ないのだから放っておけば良い
無論、先祖の墓を探していると正直に話して穏便に済ませるのも良い
0575日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/18(月) 05:38:37.33
ん〜、御意見ごもっともだと思うけど、刑法130条(不法侵入・不退去)っていうややこしい法律があるから、
事と次第によっては、警察官を呼ばれて「職務質問」に発展する可能性が排除できないよって書いただけ。

もちろん、御主張どおり「先祖の墓を探してます」と正直に言えば、たいていの場合問題にはならんでしょ。
0576日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/18(月) 13:09:39.84
>>569だけどみんなレスありがとう
意見割れてるし結構際どいところではあるみたいだなw
こっちは別に墓荒らしするわけでもなく純粋に調査のためなんだけどまあ普通に赤の他人が墓地うろついてたら怪しまれるのは仕方ないか
一応住職に事情説明して戸籍とかも提示して怪しいものではありませんて説明出来るようにしておいた方がよさそうね
0577日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/20(水) 01:38:52.96
確かに巡査共は高卒で法律を知らないから職務質問をしてくる可能性はある
でもどうやっても逮捕とか有罪とかにはならないし、逆に後で国家賠償を請求できて儲かる場合もある

それと住職と直接話をするなら数万の金を用意した方が良い
住職が欲しいのは戸籍謄本ではなく金
単に墓を見たいだけなら誰にも会わない可能性の方が圧倒的に高い
0578日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/20(水) 06:19:07.03
>>577
>確かに巡査共は高卒で法律を知らないから・・・

話が本筋からズレますが、このような御発言は極力控えられた方がよろしいかと存じます。
学歴だけで他者他人を推し量るのは、どちらかと言えば「愚かな行為」の範疇に入ります。

確かに新人警察官は2年間「地域課」での勤務になります。とはいえ、田舎の「駐在所」勤務
になる警察官は、多くの場合ベテラン警察官がなることを知らないと、「高卒警察官=法令に
対し無知」という一方的偏見を持つのは、御自身の知識と教養レベルにおける「自爆行為」に
他ならないと存じます。
0579日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/20(水) 18:16:23.50
年齢を重ねただけで法律を覚えられるなんて考えは止めた方が良い
学校や仕事で多数の警察官や検察官と会ってきたが、五十台の巡査部長でもどこから違法捜査なのかの基準をまるで把握していない
それに巡査共が法律を知らないというのは現職の検察官が口を揃えて言うことである
彼等の重要な仕事の一つに警察官がやらかした違法捜査で得た証拠の証拠能力を如何に認めさせるかというのがある
警察官はそういうことは検察官に丸投げなので大した経験は積めない
意味不明な妄想で愚かだと言い出す人よりも、検察官達の言うことの方が遥かに信憑性が高い

勿論中には詳しい警察官もいるだろう
そういう警察官なら明らかに立件できない案件で長々と違法な職務質問をすることもなかろう
それであれば実に良いことである
0580日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/20(水) 22:13:26.23
>>579 >>578です
貴重な経験談を長々と御披露いただきありがとうございます。小うるさい事を申し上げますと、
最後の3行が「たられば論」ですから、御主張には「矛盾」が内包されていると読み取れます。

これ以上のやり取りは「場外乱闘」に該当すると考えますので、勝手ながら当方からのコメント
はこれにて差し控えさせていただきます。お相手下さりどうもありがとうございました。
0581日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/20(水) 22:32:42.11
なんだ?どうしたこのスレ
異様な雰囲気だな
そういえば名子だなんだと連呼して反論されても何も言い返せず自尊心満たしてるアホ上に居たよな
コンプレックス持ってるような変なのは無視で宜しく
0582日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 00:35:06.88
たらればだと矛盾…?
仮定法を使わずに話す主義か何かだろうか
意味不明過ぎる
0583日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 02:01:49.39
連続TV小説のらんまんの中でも、主人公の牧野富三郎の家は酒蔵の本家という話が出てくるように本家分家は広く日本語として流通してた。
本家の没落に恨みが募っていた分家はほとんど手助けすらしなかった。
名子なんて誰も知らんわ。 名子で思い出すのは八紘一宇の塔のデザインをした彫刻家の名前が日名子と言う人だったということくらいしか知らんな。八紘一宇の塔は紙幣にも使われてる。
0584日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 02:12:28.01
>>583
ちなみに八紘一宇の塔は天孫降臨の地の宮崎県に有り、今は平和台公園と呼ばれている。
0585日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 02:48:23.34
壬申戸籍には菩提寺が書いてあることがあるらしいね
近年の人では寺が変わることがよくあるから書くのも煩わしいかも知れないが、昔の菩提寺は書いてほしい
0586日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 04:28:55.79
>>581
お前が名子だっていいじゃないか
今どきそんなこと誰も気にしないよ
ビクビクせずに堂々と生きていけばいいんだ
0588日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 12:49:50.86
>>587
なご【名子】
中世、名主・領主のもとで、住居・耕地などを借り、労役を提供した農民。近世には多く本百姓になったが、地方によっては本百姓との身分的隷属関係が残され、下人・被官・脇の者・家抱・作り子・高下などの名称で呼ばれた。
(要は近世ましてや現代ではなくなった言葉)

方や本家分家は現代でも使われてる家制度。の名残。
名子と分家では言葉の定義自体から違ってる。
0589日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 13:09:06.74
そもそも名子気狂いが現れるまではまともなスレだったのにな。 1人のバカがくだらんことを言い続けてる。 

本家分家は、天皇家から始まる家系の分類方法として現代まで続いている。
総本家、〇〇流▽本家。

多分氏(うじ:特定の集団)制度からきているものだろう。
源頼朝 清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれる。
0591日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 21:57:39.48
各位
御迷惑をお掛けします。以下はこのスレッドの本旨から遠くかけ離れた「場外乱闘」
ですので、御寛容の心を願うと同時に適宜読み飛ばして下さるようお願いします。

>>582
おやおや「意味不明」ですか。仕方がありませんね、もう一度書き込み内容を精査し、
かつて義務教育で習った(ハズの)数学(集合論)の観点から再考してみましょう。

貴殿「巡査共は高卒で法律を知らない」
    → 「AはBに含まれる」
自分「学歴だけで他者他人を推し量るのは愚かな行為でしょう」
    → 「Aは必ずしもBに含まれるとは限らない」
貴殿「巡査共が法律を知らないというのは、自分の経験に基づいて明らかだ」
    → 「AはBに含まれる。これは自分の経験に基づいて明らかだ」
貴殿「勿論中には詳しい警察官もいるだろう」
    → 「(統計学的誤差を考えたら)Bに含まれないAもいるだろう」

結局のところ、「Aは必ずしもBに含まれるとは限らない」という論理を是とせねば、
数学的集合論の証明が成立しません。つまり、>>577の御主張に続く>>579の御主張は
「たられば論」で収束(結論付け)していますので、必然的かつ自動的に「矛盾」と相成ります。

すぐ上で自分が書いたことを忘れ、自分だけが納得するコメントを連続して書かれると、
読み手側にとっては不要な間違いや混乱を招きます。ここ(掲示板)での情報や意見の
交換はとても有益ですが、>>577に書いてある一方的な結論の押し付けは「迷惑行為」に
近いと存じます。
0592日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/21(木) 23:25:52.25
引用符を使って人の台詞を捏造しないように
そんなことは誰も言っていない

巡査共の多数は、と言えば君でも理解できたのかな?
この文脈で少数の例外も認めない主旨だと読むことはできない
どんな国語学者に訊いていただいても結構だが終始一貫しておりどこにも矛盾はない
そして、たられば論だと矛盾になるという意味不明な理論の説明もない

そして>>580で書き込み
 「これ以上のやり取りは「場外乱闘」に該当すると考えますので、勝手ながら当方からのコメント
 はこれにて差し控えさせていただきます。」
この書き込みから一日も経たないうちに、「すぐ上で自分が書いたことを忘れ」矛盾した言動をしているのは君である
迷惑であることを自覚しているなら直ちに迷惑行為を止めて、反省しなさい
0593日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 00:15:40.20
>>586
お前あの時ぐうの音も出ずにスルーしたよな?実は逆に名子バレしてスルーしたんだよな確か
馬鹿だねぇ、コンプレックスありまくりで草
0595日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 00:20:04.09
つうか他所の、しかも5chの書き込み程度の家系に関しての話に「それ名子」なんていちいち書き込んで馬鹿にしようとしてくる時点でお察しの出自なんだよな
いかにも下品下劣な家系である事をアピールするとか武家には無い発想
0596日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 02:15:18.16
>>592
何をムキになってるかよく知らんが下らん書き込みにいちいち反応して逆ギレする必要はどこにもないだろ
あんた偉そうだからそんなヒマがあるんなら先祖探しのエピソードを語る話を前へ進めた方がいいんじゃね
0597日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 02:54:20.64
役場巡りが面白いと思える時がまさか来るとはなと思う
郵送での請求も良いが、やはりなるべくなら現地の役場に行きたい
役場毎に様々な特色があるものだ
0598日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 05:32:38.92
近世後期在町における豪商の形成と発展過程 : 備後府中・延藤家の分析
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00025464

宝暦期より商業を営み、天保期にはあいつぐ献金によって福山藩御用達筆頭となった豪商延藤家の前史は、その宝暦〜天明期以降の発展性とはきわめて対照的であり、興味深いものとなっている。まず年表形式でその主要な前史を列挙してみよう。

元禄初年前後 芦田郡行縢(むかばき)村庄屋もとに「ぜ家」(=絶家)のため納屋住い
元禄四年(一六九一) 羽賀又八郎(庄屋四男)の下人として行縢村より同郡目崎村新開へ移住
元禄十六年(一七〇三 ) 羽賀家より分家し「百姓相勤」
享保十年代後半(一七三一〜三四 )「不仕合二付……家屋敷田畑山林売払」、再び納屋住い
寛保・寛延頃(一七四一〜五〇) 府中市へ流入し奉公す

行縢村は府中市と上下代官所のほば中間に位置する山間部で、そこで本百姓から潰百姓へ転落し、その後芦田川をはさんだ府中市の対岸に開発された目崎村新開に下人として入植したことがわかる。元禄十六年に分家を認められたさい、三反の畑地を分与してもらい、再没落の直前には四反六畝の畑地を所持していた。ここでの再没落の原因は綿作にあったと考えられる。目崎村の当時の畑方棉作の作付率は不明であるが、府中近辺では棉作が定着し、軌道にのりはじめた時期であった。延藤家の詳細はわからないが、綿の不作あるいは綿取引の失敗などによって大きな打撃をうけたのであろう。いずれにしても「百姓」延藤家は享保・元文年間に農民的小商品生産の波にのりきれずに没落し、在町府中市に流入していったのであった。

ところで十八世紀における府中市の人口増減をみると、宝永八年(一七一一)に一八七九人、文化六年(一八〇九)に二七二五人と、周辺の村方や福山城下町や鞆などと比較して著しい増加をみせている。ちなみに十年後の文政元年(一八一八)が二七〇四人であるから、十八世紀における府中市への農民流入の様子がうかがえる。延藤家もこの流入(土地離脱)農民の一人だったのであり、その後府中市で奉公を終え、借家住いをしながら小商いをはじめたのである。商人としての活動を開始する宝暦期の延藤家の事例は、同時に延藤家のような店借小商人であってもわずかの才覚と資金をもってすれば上昇するような、そういう在町府中市の発展をも示しているといえよう。
0599日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 05:35:34.93
備後国芦田郡府中市村 延藤家文書仮目録
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/199110nobuto.pdf

延藤家の先祖は芦田郡行縢(むかばき)村に住居し、百姓をつとめていたが、17世紀末には潰れ百姓となり、先祖久兵衛は行縢村の庄屋羽賀市郎右衛門の納屋住まいとなった。元禄4年(1691)、市郎右衛門が芦田郡目崎(めさき)村の新涯開発を命じられ、4男又八郎が新涯を手伝うことになったが、その際又八郎の下男下女として久兵衛夫妻が付き添っている。久兵衛夫妻は、その後同16年(1703)に又八郎家から別家を許可され、家内都合5人、田地2反6畝4歩、山1ヶ所、居家1軒、納屋1ヶ所を譲られた。

享保3年(1718)、久兵衛の男子権太郎が死去した後、御調郡丸河南村(本庄村延藤とも)の新助を婿養子に迎えた。新助は同18年に離縁となったが、久兵衛娘との間に生れた子供(同年3歳)がのちに初代吉兵衛となる。

久兵衛の死後、久兵衛の妻は田畑・家財を売払い、芳賀家の分家の納屋で生活した(寛保2年〔1742〕死去)。久兵衛夫妻の娘(吉兵衛の母)は、3人の子供のうち、吉兵衛の姉を尾道の富吉屋庄兵衛方へ奉公に出し、寛保3年(1743)には府中市に出て借家住まいとなり、吉兵衛を奉公に出した。

吉兵衛は、寛延3年(1750)に府中市の「表通り家持」となり、1・2年後、母から正銀300目を受け取った。宝暦6年(1756)2月、「味噌屋」の屋号をもった吉兵衛は長門屋市右衛門より田地を購入し、その後商売は順調に利益をあげていった。延藤家に現存する最古の店卸帳は天明9年(1789)の「酉正月算用帳」(天明8年期末の有物・有銀を記す)であるが、それによると、「向蔵」に米穀・茣蓙・繰綿・煙草・干鰯、「せと蔵」に実綿・繰綿・米・実綿屑、「店」に米・木綿(反物)・苧縄などが在庫として残っている。吉兵衛はこれらの商品を扱う問屋であり、小売も兼ねていたようである。また、質屋(貸銀業)・地主・貸家経営も手がけ、この年には計290貫目余の資産を築き上げており、商人としての地位を確立させていった。吉兵衛は享和3年(1803)に槙助と改名し、息子に家督を譲り、「吉兵衛」を襲名させた(槙助は文政3年〔1820〕に90歳で死去)。
0600日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 05:36:37.39
天明9年(1789)以降になると、延藤家の資産全体の動きを知ることができるが、8年末に290貫目余であった資産は、その後寛政3年(1791)に300貫目、同9年に400貫目を突破し、享和年間には500貫目に到達した。同3年(1803)には427貫目に減少するが、これは吉右衛門・半右衛門・久右衛門の分家創設に関わる諸経費によるものと考えられる。文化5年(1808)から8年にかけて延藤家の資産は減少・停滞するが、これは同7年に分家へ家督分けを行ったこと、同5年に134貫目、同6年に80貫目の献金を福山藩に対して行ったことによる。

2代目吉兵衛重長の時代(文政4年〔1821〕〜弘化年間)は、天保の飢饉を含む試練の時代であったが、延藤家は貸付利銀収入により資産を順調に増やし、弘化年間に入る頃の資産は3000貫目に達した。

延藤家は、その後3代目吉兵衛重義の時代である弘化・嘉永年間、4代目吉兵衛重祥が相続した安政年間以降も資産を順調に増やし、嘉永3年(1850):4000貫目余、安政年間:6000貫目余、文久3年(1863):8241貫目余、慶応元年(1865):9000貫目余となった。貸付利銀に加え、家賃・小作料収入の増加が資産増加に拍車をかけ、延藤吉兵衛は「長者中の長者」、福山の「三吉」(福山の片山吉兵衛、鞆の中村吉兵衛、府中市村の延藤吉兵衛)と称されるようになった。

一方、幕末維新期には、各分家の経営が相次いで危機的状況に陥っており、明治8年(1875)には新たに分家救済のための家政改革が行われ、分家当主を延藤家本家の家務に従事させ、一族全体として本家の経営の進展をはかる体制づくりがなされたようである。これにより各分家は本家から給与される月給によって生活を賄うこととなった。明治初年の段階で、延藤家は早くも一種の会社形態による経営を行ったものと思われる。
0601日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/22(金) 05:40:20.51
5代目吉兵衛重醇(明治6年〔1873〕5月生)の時代に、延藤家は企業家として大きく活動を展開した。明治32年(1899)11月、株式会社備後銀行が設立されると、重醇は取締役に就任した。その後、同38年(1905)8月に備後水力電気株式会社取締役(大正8年〔1919〕8月会社解散により退職)、同42年(1909)9月に備後報徳社理事社長、同44年(1911)11月に備後軽便鉄道株式会社取締役に就任した。

大正3年(1914)2月に4代目吉兵衛重祥より家督相続すると、同8年5月には備後銀行取締役頭取に就任し(昭和10年〔1935〕1月8日芸備銀行と合併解散)、さらに9月1日には桜山酒造株式会社を創設して取締役社長に就任した。また、同10年(1921)12月に株式会社広島合同貯蓄銀行監査役(のち取締役、昭和20年〔1945〕5月芸備銀行と合併解散)、昭和4年(1929)7月に株式会社芸備銀行取締役に就任し(昭和18年〔1943〕1月辞任)、広島の金融界にも名を残した。

また公職としては、大正3年(1914)10月に府中町学務委員に当選就任し、また同6年(1917)3月に府中町町会議員に当選就任(同10年満期退任)。同7年12月25日には府中町長に就任した(同9年3月31日に家事の都合により辞任)。同12年5月には府中町農会長にも就任した。
0603日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/23(土) 20:14:08.07
日本は苗字が前で名が後なのだから名前ではなく名後と言うべきだ、とか何とか
0604日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/24(日) 01:58:57.53
名というのは名田からきてる

、、、と思うんだが現代の学説だと否定されてるらしい
0605日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/24(日) 04:34:39.18
>>569
何で先祖の墓が寺の墓地にあると思ったかな
田舎の墓地ってあちこちにあるだろ
集落にはたいがい共同墓地みたいのがある。
その他に名主さんの一族の墓があったり、畑の隅に農家の墓があったり。
そういう村では、寺の墓に入るのは共同墓地に入れないようなよそ者とか
農家でも新家が多いけどな。
とにかく、その集落の墓が寺だけに集約されているということはないと思うから
その寺の墓地だけを目当てに行ってもあまり意味はないと思うけどな。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/25(月) 05:19:27.06
そろそろ名子の話は終わりにしないか?
話を続けるならせめて何処の地方にそういう呼び方が残っていると教えてくれれば参考になる。
0608日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/25(月) 05:19:29.95
そろそろ名子の話は終わりにしないか?
話を続けるならせめて何処の地方にそういう呼び方が残っていると教えてくれれば参考になる。
0609日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/27(水) 16:26:14.39
ChatGPTに自分の苗字(珍しい)を聞いてみた。 基本的には苗字関係はChatGPTのデータベースにはないらしい。
古代の名前についてはそこそこ説明ができる。

そもそもwikiPediaを参照する機能がないらしい。
0610日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/27(水) 17:30:10.59
そうなのか
辞書に載っているような苗字ならいけそうだが
0612日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/29(金) 08:54:49.85
一般的な名前ですと答えられても調べる価値はない
0613日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/29(金) 08:59:22.49
秦野に住んでた大友
0615日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/29(金) 11:50:50.32
あまり有名ではないが某武将一族と、江戸時代前期くらい前に我が家に嫁いできた娘さんの実家の苗字と出身村が同じ

某武将一族は戦国時代末期に戦で負けてAという苗字からBという苗字に変えてその村に住み着いたらしいんだが、上述の嫁いできた娘の実家の苗字はAなんだよなー
その武将の一族かと思いたいけど武将一族は苗字を変えてるし果たしてどうなんだろう
0616日本@名無史さん
垢版 |
2023/09/30(土) 04:13:03.37
土佐には武士の国沢さんと部落の国沢さんがいるらしい

国沢新兵衛(土佐藩士、衆議院議員、南満洲鉄道理事長、日本通運初代社長)
国沢亀(高知県水平社初代委員長)

国沢氏の始祖は長宗我部能俊の弟で後に土佐の土豪となり長宗我部元親に敗れ家臣になったとか
0617日本@名無史さん
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2023/09/30(土) 04:57:39.44
春野町史
https://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/20/2019/muse/choshi/choshi012.pdf

同和地区の起源については、全国的には散所とよばれる中世の商人、芸能人の地方移住を考えるものがあるが、土佐の場合は、散所─算所は呪術関係を業としたので、これに当らないようである。土佐の場合「坂者」というのが「長宗我部地検帳」にでる。坂者の実体も明らかでないが、皮革を中心に武具の製造等に関係していたようである。この坂者が長宗我部氏の浦戸城下町建設とともに、左のような位置付けを受ける。「土佐国編年紀事略七」所収「中五郡諸奉行」一覧に、

一坂之者奉行在津衆諸町掃除共
御中間太左衛門 同 六郎兵衛

これによって坂者は城下町の掃除を課せられることになり、これが山内氏以後にも引き継がれたことは、「弘岡志企」「土佐国郡書類後巻三七」に、城下町「御掃除郷株」として「米五石」を同和地区の人に与えられたと見えるのでわかる。

長宗我部氏ついで山内氏は他の地方における同和地区の設置にならって、この時点で坂者を中核として設置したことは考えられるが、元来坂者の社会的地位は、「長宗我部地検帳」によれば、土地を給せられたことから低いものではない。したがって同和地区を形成させられた人びとは、通説のように、農村社会に農民よりもわざわざ低い身分のものを置き、村落支配に利用されたものであって、坂者以外に当時の社会の激動に敗れた多くの不幸な人びと、たとえば今なお同和地区の古老の口伝として信じられている平家残党の一部が、此の地に財宝を持って逃れ、財宝を土地に替え雑木林、竹藪を切り開いて無住の地に新しく広い村を造ったものか、あるいは戦国の世の落人すなわち主家滅亡による片岡氏、国沢氏らの浪人も含まれたものに違いないと思われる。
0618日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/04(水) 07:17:31.98
>>617
唐突に自分勝手な知識をひけらかしたとしてもなんの意味もない。 自分と何の関係があるのか? あるいはどのスレに対する意見なのか?
0619日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/04(水) 07:29:12.34
>>618
俺は面白く読んだけどな。
名子も面白い
0620日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/08(日) 09:09:26.94
坂の者は、縮めて「サカ」と呼ばれているうちに「サンカ」になったらしい。
つまり、サンカの語源は坂。
坂の者は早い話が乞食で、地方から食い詰めて京や奈良に出てきた貧民が、人通りの多い
参詣路の横で物乞いをしていた。人数が増えると山裾や谷に小屋を掛けて住んだ。
大きな寺院や神社に奴婢として取り込まれた者もいるが、すべてがそうではない。
様々な職能集団に分化していった。
呪いや易占、歌や踊りなどの芸能、行商、笊や草鞋や弓弦などの製作、売春など。
祝(ほうり)という神官の下級職のようなものになって浄めをするようになった者もいる。
死体の片付けや穢れのある物を片付ける職業だった。
死体を谷底に放り投げるところからついた名だとも言われている。
祝は祝人ともいった。「ほうりど」ないし「ほうと」と言ったのだろうが、そのうち
「ほいと」と読むようになった。
ほいとは乞食の意味に使われているが、元々は祝人から来ている。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/13(金) 22:46:29.75
語源など持ち出したらキリがないよ。ここは日本史板と言っても直系先祖について話し合う場だからね。
誰かの先祖が、祝(ほうり/はふり)ならいざ知らず。それでも直系なら超珍しい。 うちも1000年以上前の先祖の流れには、祝が居たが神社を守っていたということ以外詳細はわからない。 しかしこれも直系とは言わないし血が遡れない。
0622日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/13(金) 22:46:32.98
語源など持ち出したらキリがないよ。ここは日本史板と言っても直系先祖について話し合う場だからね。
誰かの先祖が、祝(ほうり/はふり)ならいざ知らず。それでも直系なら超珍しい。 うちも1000年以上前の先祖の流れには、祝が居たが神社を守っていたということ以外詳細はわからない。 しかしこれも直系とは言わないし血が遡れない。
0623日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/14(土) 06:54:25.95
二度も書き込んじゃってw
中身も大馬鹿だわ
議論にキリがなくなったっていいんだよ。歴史の議論というのはそういうもの。
過去の事実は確定できないんだから、ああだこうだと言ってる他はない。
100%過去の事実を確定できると思ってる奴、つまり中学生のような奴が
お前のようなことを言うんだよな。

>うちも1000年以上前の先祖の流れには、祝が居たが神社を守っていたということ以外詳細はわからない。 
嘘つけ。思いつきで書くなよww
0624日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/15(日) 08:49:07.61
>>623
ここはそんな一般的な歴史のスレじゃないぞ。
>>1を読んでから出直せ。 ここは一般的な歴史のスレではない。
せめてこのスレの誰かと関係性がある話までにとどめないとスレの存在意義すらなくなる。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/15(日) 09:42:49.14
穢多の語源は「枝」である。
村には本村と枝村があり、本村には草分けの百姓や筋目の百姓が住む。
枝村というのは本村から別れた村で、本村の百姓から分家していった人たちが住む村の場合も
あるが、行き所のない流民を入植させてできた村もある。
この枝村の「枝」を語源とする穢多と呼ばれる人たちは、家畜の屠殺や皮革の製造にかかわる
いわゆる穢多とは違う。あちらはあちらで別の語源を持つのだろうが、たまたま同じように
穢多と呼ばれたために混乱が生じた。今も穢多という概念は混乱したままである。
なお、本村の分家の人たちが開いた村は「脇村」と呼ばれることが多かったようだ。

なぜ流民を入れるかというと、安い労働力が欲しいからである。
農繁期に安い賃金で使える人間が欲しい。
さらに労役や村内の当番を代わりにやらせる人間も欲しい。
作物が実ると泥棒や鹿や猪の被害を避けるため畑の見張りも欠かせなかった。
その他、村の見回りや堰や橋の見張りの当番、道路の普請や水路の修理などは村中総出でやる
ことも多かった。特に水路の管理・補修というのはたいへんな作業だった。
昔の土を掘っただけの水路は崩れたり浅くなったりする。
特に周囲に作物が出来ず誰も耕していないような土地を流れる水路の負担が大きかった。
水路は都合のいい場所ばかりを流すわけにはいかないから、どうしても誰もいないような土地も
流さざるを得ない。こういう水路を村人総出で補修するよりも、周囲に人を住まわせて日常的に
管理させる方が早い、ということで流民を居着かせるのである。
行き倒れの死体の片付けだの嫌な仕事もあった。
これらを代わりにやらせれば本村の百姓たちの負担は減る。
そのために、乞食のような集団を村に入れ、米も作れないような荒蕪地に住まわせ、差別しながら
も便利に使っていた。
穢多村としての枝村は村領を持たず、全部が本村の土地で、畑はすべて小作だった。
つまり、枝村の人間は勝手にそこに居着いているという建前で、本村の人たちからそれを容認して
もらっているという関係に過ぎないのである。
当然入会地なども持たなかったが、馬捨て場とか墓場の廻りの草や木を刈ることは許された。
本村と枝村は通婚せず、本村の祭りや寄り合いに枝村の人間が出ることもなかった。
0626日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/15(日) 09:44:41.37
たとえば大阪の海浜近くの土地は湿地が多く、潮が上がってきて田圃にはできなかった。
そもそも砂地であり、米作りには最も不適な土地だった。
しかし、水路はそこを通して海まで流さなくてはならない。そうでないと水路の流れが手前で止まり、
氾濫するからである。こういうところを穢多部落にした。
穢多は僅かの土地を畑にしていたが、天保の頃から綿の栽培が始まった。
すると海岸の砂まじりの湿地は綿の栽培に最適だったため、穢多たちはにわかに金持ちになった。
泥を湿地から掬って畑を作る。綿の栽培には多量の窒素肥料が必要だが、購入した人糞尿で賄えた。
大阪は人口が多かったのが幸いしたのである。
八尾あたりは綿をつくる穢多部落の典型だった。しかし、カワタと呼ばれる膠製造の部落が古くからあり、
両者は混同されまくった。
原料である生皮は塩漬けにされ、各地から船で送られてくるので、運搬のためにも塩抜きのためにも
仕事場は川や沼の側であることが必須だった。カワタ部落が海岸や川辺の湿地帯に多いのは当然だった。
このあたりの綿を作る土地は橋を作ってはならない土地ということで橋下と名付けられた。
橋のある土地より下の土地という意味である。

昭和三十年ぐらいまでは、田舎に行くと被差別部落などはいくらもあった。
老人に聞くと、あそこもそうだ、あっちもそうだと十ぐらいの土地の名が簡単に上がった。
こういう村ないし集落というのは、一般に穢多という言葉から連想される屠殺や獣皮を扱う人たち
とは違うのである。枝村の人たちで、普通の農民だったのである。

枝村の具体例を一つあげよう。板橋区四葉というのは元々は枝村でヨツの村ということで四ツ場という地名だったという。
今は四葉となり、四ツ葉のクローバーという良いイメージもあるので問題なく使われている。
0627日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/15(日) 17:15:48.73
>>621
彼の文章を読む価値はない
ご覧の通りスレ違いの上に大抵は間違っている
部分的に正しいことを書いているときもあるが、そんなものを精査するくらいなら初めから信頼できる情報源に当たった方が良い
さくっと読み飛ばすに限る
0628日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/15(日) 17:15:58.16
>>621
彼の文章を読む価値はない
ご覧の通りスレ違いの上に大抵は間違っている
部分的に正しいことを書いているときもあるが、そんなものを精査するくらいなら初めから信頼できる情報源に当たった方が良い
さくっと読み飛ばすに限る
0629日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/16(月) 19:24:48.96
地区の歴史を裏付ける資料が少なく、S40年代〜S50年代にかけ■■町の乗誓寺(1749年、釋良雄中興)の寺宝掛軸から独自の調査をし、歴史を推考した。

乗誓寺の掛軸には天明2年壬寅5月7日(1782年)金福寺下 矢橋北村の銘があり、乗誓寺は、金福寺の末寺であったと考えられる。金福寺を興したのは源信僧都であり、楠一門が代々住職を継ぎ、近畿8ヶ国内に780余の道場を有する。また、金福寺末寺といわれている寺院のほぼ6割が被差別部落の中にある。

楠一族は、南北朝時代南朝方に忠勤を尽くした。楠正成の子息正行・正時が四条畷の戦いにおいて刺し違えて自害した後、次男・四男・五男・六男は四国の一部と若狭にまで分散し、追っ手から逃れ陰遁生活をした。陰遁生活をつづける中、在所との交流をせず、外部との接触を絶って生活した結果、近世になり身分制度が確立するに従い、被差別部落として位置づけられてきたと思われる。これは金福寺住職坂口真道老師が講演の中でも述べられており、被差別部落生成過程において、自ら外界との交流を避けて、ひたすら隠れ住んだ人々が、やがてその生活形式と言語の違いから、差別されるようになったいうこともあるとのことであった。

金福寺の維持には信徒が労を提供しており、被差別部落の徴用においては、エタ頭による徴用の記述が金福寺に残っているが、エタ頭が■■町を徴用した記述はない。このことから当時■■町が被差別部落として位置づけられていなっかったことが推測される。また、金福寺寺宝が乗誓寺に下賜されており、金福寺とは特に深い関係が伺われることから、■■町には、楠一族が陰遁生活をしていたものと推考される。

このように、金福寺の歴史から推考すると、1300年代から1450年代にかけて分散した楠一族が(■■町)に移り住み陰遁生活をした。■■は農耕の適さない河川敷であったが開拓し、矢橋道と北川とに挟まれた土地に池を掘り、上流から水を集めた。さらに、北川の下を通って南側に抜けるトンネルを作った。さらにやや離れた所にもう一つ池を作り農耕の基盤を作り、米作りを営んできた。そのトンネルを作った技術は当時の日本としては最新の技術で、金を掘り出すために用いられた鉱山技術らしい。

明治初期の公図によると、地積と世帯数から単純に見積もっても一軒あたり2反の田地があったことが推測される。
0630日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/17(火) 06:24:08.19
>>627
俺が書き込んだのは620.623.625.626の4つ、君が書き込んだのは621.622.624.627.628の5つだ。
君の方がレス資源を多く消費している。
書き込みの長い短いは関係ない。
1スレの書き込み1000までと決まっているのだからスレッドの消費は数で決まる。
君は全く無内容のレスを5つもつけて何とも思わないのか
しかもそのうち2つは送信ミスだろ
ふざけたことやってるんじゃないよ

しかも、今回俺が書き込んだものは既存の書き込みに対応するレスだ。
スレ違いなどと言っているが、全くの見当違い。
俺が書いたものは、このスレの >>5 、先祖が豊前小倉藩の穢多身分だったのが確定している
という人の「詳しく調べるにはどうしたらいい?」という質問への回答の一部だ。
まだサワリの部分だけどね。
続けて以下の情報を紹介するつもりだった。
豊津町史上巻という資料。ウェブで見られるテキスト資料になっている。
そこの
第五編 近世 / 第三章 江戸時代 / 第二節 藩政の推移と改革 / 四 差別制度の具体化と拡延
その709ページ以下の記述が上記質問に対応している。
https://adeac.jp/miyako-hf-mus/text-list/d200040/ht051100
0631日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/17(火) 06:27:59.55
徳川幕府成立以来、農地面積は拡大の一方で人口も大いに増えた。
しかし100年ほどで農地開発は止まる。開発は限界点に達したのだが、その後しばらくは農業技術や
農具の発達などで成長は続いた。
しかし享保の頃から不作や飢饉が連続して起こり、農地は減少していく。
年貢が払えず農地を捨てて村を出奔した農民が流浪し、乞食となり、穢多や非人の部落に入り込む
現象も見られた。村々にも流人が現れて食糧を乞い、宿を借りようとし、さらに芸事をして門付け
したり僧体をして布施を乞う者が多くなった。
農地耕作者が出奔してしまい、放棄された田畑があちこちに見られるようになる。
残った村人たちの負担は重くなり、村を維持することも困難になった。
そこで村に流人を入れて農業をさせることが行われる。
豊前の方ではこれを「仕据(しず)え」と言ったようだ。
このように農村に新規に入った新百姓は穢多と呼ばれ、その人別は普通の農民とは分けて「別帳」に
仕立てろというお触れが出た。(この712ページ以下の記述は非常によい)。
こういう農民たちは同じく農業をしていても村人としては扱われず、それどころか厳しい差別の対象と
なった。これらの農民たちの中には、逃散した農民たちの後に入って普通の農地を耕す人もあるわけだが、
それらの農地が自分のものになるわけではなかった。
多くの新百姓(穢多)たちは元々は耕作地でない竹藪や荒蕪地に押し込まれ、水の乏しい土地や反対に
排水の悪い土地で悪戦苦闘することになる。
しかしどんなに頑張っても自分の田畑と屋敷を持った普通の農民になれるわけではなかった。
0632日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/17(火) 19:10:02.87
農村同和対策事業
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E5%92%8C%E5%AF%BE%E7%AD%96%E4%BA%8B%E6%A5%AD

福岡県内の自治体に固有の同和対策事業。

この地域は、農耕者が不在となった耕地に対し、その維持を目的として被差別民を投入するという、穢多新百姓取立などと呼ばれる農業政策が藩政期から特に見られ、その結果膨大な数の農村型被差別部落を抱えることとなった。この事業では同和地区に指定されたこれらの地域に対する諸産業関連施設の設置や営農に係る補助金の交付などが行われている。

農村型同和地区に対する事業という点では一般的な同和対策事業の範疇であると見ることもできるが、地域に固有の呼称を持つものとして特異なものであるとすることもできる。前原市(現糸島市)、志摩町(同左)、福岡市、直方市、宗像市、古賀市、みやこ町、太宰府市、小郡市、筑前町、筑後市、黒木町(現八女市)などが行っている。
0633日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/20(金) 21:33:36.10
小倉藩大庄屋=触(ふれ)=20村を束ねる村の代表
0634日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/20(金) 23:25:30.97
ワイの曾祖母の旧姓が山田(仮)なんだが原戸籍取り寄せて本籍の住所のある地域の電話帳調べてみたら住民の8割が山田だったわ
その中から自分の先祖に繋がる家を探すのはかなり難しいだろうな
救いなのは10数件の民家が立っている山の小さい集落といった感じで調査するにしてもそこまで大変ではなさそうなことくらいか
アクセスは最悪でバスも通っていないような場所
自分は運転出来ないペーパードライバーだから容易に行けないのがなー
0635日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/21(土) 00:59:11.68
電話帳に本籍地と同じ住所の家は無かったのかな?
近い家に電話して訊いたら答えてくれる可能性も微粒子何とやら
0636日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/21(土) 02:09:29.73
>>634
お前の書き込みはいつも同じパターンだな

田舎の集落で先祖調査はたいへんそうだということだけ
実際にやったという話は出て来ない
0637日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/21(土) 22:31:39.58
全員親戚の可能性もある
いつ別れたのかの問題だ
立地的に本家っぽいところに連絡してみるのも手
0638日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/21(土) 22:48:35.51
>>635
住居表示が変わってるからズバリそのものは見つからないだろう。 うまく行って本家の近くとかだろうけど、その土地を離れて長いと誰も知らない可能性は高い。 先ずは墓だね
0639日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/22(日) 02:40:46.95
小さい集落では番地そのままのところも多いけど、質問者さんのところは変わっていたということかな
車道とか大きな住宅とかができて村が大きく変わっているのなら家が残っているかどうか微妙
古い地図で場所を確認してみた?
0640日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/22(日) 09:03:10.60
昭和37年法律第119号)は、住居表示の制度とその実施についての措置を定めた日本の法律である。略称は住居表示法(じゅうきょひょうじほう)。
この制度が実施される区域内の住所は、町名・字名と地番ではなく、町名・字名と街区符号と住居番号または道路の名称と住居番号で表される。
、、、
自分の本籍地も今は世帯数1万位の市になったが、変わってる。江戸末期以降は市町村合併をなん度も繰り返してるから付近の地名自体も色々と変わってきている。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/22(日) 10:13:26.73
「実施される区域内の住所は」変わる
変わっていない地域も現実に多数ある
村が合併して町や市になる等しても番地は変わっていないところも多い
0642日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/23(月) 06:24:27.11
これ自演だろ
馬鹿なレスつけてるよな
「10数件の民家が立っている山の小さい集落」というなら住所なんか関係ないじゃないか
その集落に行けばいいだけの話
0643日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/23(月) 18:51:49.03
曽祖父は養子に出されてるんだが、普通養子って跡取りのいない血縁関係のある夫婦に出されるものだよな?
曽祖父は生家の名字が鈴木(仮)なんだけど柴田ツル(仮)という女性と養子縁組してるいた。その後、ツルと協議離縁してお次は柴田キク(仮)という女性と養子縁組している。
その後上京して現地で知り合った人と結婚。

不思議なのは、2度養子縁組している相手が女性ということ、柴田という名字は曽祖父の親族には見当たらなかったということ。
これなかなか謎じゃないか
0644日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/23(月) 21:40:29.09
兵隊養子じゃないの
0645日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/24(火) 04:05:10.50
婿養子ではないんだよね?
以前、養子縁組で除籍とだけ書いてあったのに、相手の戸籍を見たら婿養子だったというのがあった
女戸主との養子縁組だったが、夫とは死別していた
0648日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/25(水) 21:40:42.23
>>643
ツルとキクは親戚なの?
0649日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/26(木) 05:43:17.52
ツルさんと養子縁組した年、キクさんと養子縁組した年っていつなんだろ。
細かいことが書けないなら大ざっぱにでも教えてもらえないかな。
いつごろの話なんだこれ?
0650日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/31(火) 16:25:37.89
父兄の戸籍は全て取ったから、次は母方の戸籍調べをしてみるかな。 なんだか面白そうな匂いがしている。
再婚だったせいか、母方の戸籍について何も聞かされたことはない。母方の親戚とはたくさんの付き合いもあったが。

母の生まれは山口県だったが、うちの戸籍に入ったのは隣村からとなっている。
0651日本@名無史さん
垢版 |
2023/10/31(火) 17:07:35.57
山口県って流産すると離婚マストって悪習ない?
やたら入籍半年前後の離婚あったわ
0653日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/01(水) 08:26:18.81
祖母が山口出身だが古い戸籍まで全部見ても別に短期間で離婚とかそういうのはなかったな
0654日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/01(水) 18:14:15.03
離婚理由が流産かどうかも不明なわけでしょ?
成田離婚とかいう言葉もあるとかないとか
0655日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/05(日) 10:53:06.10
くだらね~~はなししてんな~~~w
0656日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/05(日) 11:33:44.66
祖父が20年くらい前に先祖調査したものを纏めた書類があって読んだら色々なことが分かった
どうやらうちの先祖に関する記述がある古文書を隣町のとある旧家が持っているらしい。(それは未調査らしいが)
その家とは
・刀根坂の戦いで敗戦し一緒に逃げてきてそれぞれ別の村に帰農
・1700年頃に一度だけ向こう家から嫁さんもらっている
これだけの関係しかない
現在は全く交流もないしお互いのことも知らない
現当主の名前をネットで検索したらtwitterをやっていて70代後半のご高齢
twitterでコンタクトとって古文書見せてくださいと言ってもいいだろうか
でも貴方の名前を検索してたどり着きましたって言っても普通に怖いよな
住所も分からないから手紙も出せないし
当主がご存命のうちに何とか古文書見たいんだよなぁ
0657日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/05(日) 15:16:03.52
丸山学のおっちゃんどうやって先方口説き落とすんやろな?
勿論行政書士という肩書きで信頼されやすいんやろけど
本2冊出してるのも大きいか?新書だけど
0658日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/05(日) 20:09:25.64
電話番号も不明ということかな?
他に手段がないならやるしかない
0659日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/17(金) 06:49:33.00
>>656
それでどうなったんだよ?
お前の話はいつもこれからやるってばかりで、どうなったかの報告がない。
報告する義務が無いと言いたいかも知れないが、それなら書くな
0660日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/17(金) 07:40:41.06
先様がある話がそう進展するわけもなく
プロに任せたほうがいいかもしれんが
0661日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 00:04:26.85
>>659
>>656
>それでどうなったんだよ?
>お前の話はいつもこれからやるってばかりで、どうなったかの報告がない。
>報告する義務が無いと言いたいかも知れないが、それなら書くな

偉そうなこと言うな。 ただでさえ話題が少ないんだから良いと思うよ。みんなが近くの親戚さんばかりじゃないんだぞ。
0662日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 00:10:56.86
俺と父母の戸籍だけでも、筑後、江戸、長州と離れている。
もちろん戸籍上の地名は、福岡、東京、山口
0663日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 00:38:59.59
>>656 まずは自分で戸籍をとりよせたの? まずはそこからだろうな。
古文書があったことを聞いたのであれば、多分家譜/系図がどこかに残ってるはず,

自分が(家譜/系図)を手に入れたのはたまたま知り合った一族の中の一人のお父さんが家譜(系図) の写しを持ってたからコピーしてもらった。 それは実名としての系図は1100年頃から以降が書かれていた。
後で知ったがうちの墓の隣がその人の家の墓だった。

古文書類は県の文化材として登録されていて、自分の本籍のある町の図書館に保存が移され、予約すれば閲覧可能となってるが遠いから今だに関連古文書は見たことはない。 大正時代の風土記には簡単な名前の由来などが書かれてる。(風土記は自分が小学校時代に見た覚えがあり、古本を探し回って何冊か手に入れた。)
0664日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 06:06:48.71
>>661
インチキ書き込んだと思ったら今度は第三者風の書き込みかよ
嘘吐き野郎
0665日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 08:44:47.61
>>656だが
すまんすまん
レスくれてたんか。気付かなかった申し訳ない
実はその後意を決してTwitterのDMでコンタクト取ってみたんだが結局返事はなくてなぁ
垢自体、去年の夏くらいで更新止まってる状況だったし
住所わからんし電話番号も調べたけどわからんし参ったね
0666日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/21(火) 08:56:47.53
>>663
1100年からすげえなw
こっちはそこまで大したことのない家系だから戦国期までしか遡れないわ
ちなみに戸籍は全部取り寄せたら幕末くらいまで遡れたよ。
系図は祖父の兄が引っ越しする時に捨ててしまったみたいで祖父が激怒していた記憶がある。
0668日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/22(水) 00:46:41.40
引越しってやばいよな
捨てなきゃよかったってのが結構ある
0669日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/22(水) 07:01:13.20
>>665
プッ 最初からお決まりの展開w
0671日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/22(水) 10:12:19.16
過去帳みせてもうても
名前は戒名だけ
生没年は干支だけというのが珍しく無いもんね
結果:何もわからん
0672日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/22(水) 21:55:00.26
>>671 うちも過去帳を見せてもらったが戒名と本名があるだけだった。
宗派によって違いがありそうだな。
0673670
垢版 |
2023/11/22(水) 22:04:14.36
うちは丹波の農家で寺は曹洞宗だが過去帳は戒名だけで、後から俗名を書き足したらしい?(記憶が曖昧)
0674日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/22(水) 23:12:22.81
へえ、書き足した俗名は戸籍に載っていない時代もあるの?
だとしたら有難い話
0675日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/23(木) 21:57:56.54
過去帳は誰が書いても良いらしい。
位牌を子孫が一つにまとめるときに没年も記録するためにその場合に過去に遡れることになるらしい。
お寺にある過去帳は単なる故人の戒名と本名を記録するだけらしい。
0676日本@名無史さん
垢版 |
2023/11/24(金) 17:43:33.04
>>665
>>656だが
>実はその後意を決してTwitterのDMでコンタクト取ってみたんだが結局返事はなくてなぁ

年寄りになるとただアカだけ作って日常実際には使っていないケースが多いからな。
自分の場合今の住まいの近くにいる人を見つけたから連絡をとって見たが、会いたくない(病がある)との事だった。

後で解った事はその人は本流の家族にあたる人だった。解っても会う事は諦めた。
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