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大日本帝国は民主国家だったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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0631名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/18(水) 08:01:21.39ID:uKQxpaZi0
歴史通:2017年1月号
総力特集A「歴史の常識」はウソだらけ
日本はファシズム国家に非ず共産中国こそファシズム国家だ
■島田洋一
ttp://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/2017%E5%B9%B4%EF%BC%91%E6%9C%88%E5%8F%B7-2
 比較ファシズム研究の権威スタンリー・ペイン米ウィスコンシン大名誉教授は、大著『ファシズムの歴史1914-1945』(1995
年、未邦訳)で、昭和戦前期の日本について、「東条英機は決して軍事独裁者ではなかった。極右勢力はその内閣が弱体で
統制を欠いていると批判していた。東条の個人的な権力はチャーチルやルーズベルト以下だったのではないか」と述べている。
 また、「日本はドイツのような社会全般の過激化に陥ることはなく」、統制強化を唱える勢力が政府内外に存在したものの、
「ドイツのシステムを単にコピーしようといった動きは決してなかった」と指摘している。そして、「日本には、全能の独裁者、
ナチス的な党、SS(親衛隊。ユダヤ人大量虐殺などに当たった。島田注)など存在しなかったし、反対派に対する強制収容所
システムも一度も存在しなかった」点でドイツとは大きく異なるとしている。
 同書はさらに、「軍事的には枢軸(独伊)側と結びついていたが、民主主義の側で戦ったとされるソ連や国民党中国より、
日本社会の自由の度合いは高かった」というイスラエルのヘブライ大学教授ベン=アミー・シロニーの言葉を引いて、賛意を
表している。
 著名な歴史家であるデヴィド・レイノルズ英ケンブリッジ大学教授も、『ミュンヘンからパール・ハーバーへ』(2001年、未邦訳)
の中で、「ファシズムという用語が日本に当てはまるかは、明らかに疑問である。唯一のカリスマ的な指導者というのは存在
しなかったし、軍や官僚機構における従来のエリートが政治をコントロールしていた。多くの点で、第二次大戦中の日本は、
『民主陣営』で闘ったソ連や国民党中国より統制の度合いが低かった」と述べている。
 これら海外の優れた比較政治研究者や近現代史家の見解は、日本の史学会の主流より遥かに常識的と言えよう。
          (中略)
 日独伊をファシズム国家と一括りにする議論の不毛は、ドイツとイタリアの比較によっても浮き彫りになる。ムソリーニ政権は
ユダヤ人も少なからず幹部に登用しており、ナチス的な異常な人種主義の要素はなかった。1932年に政治警察オブラ(OVRA)
を新設して後も、拘留された政治犯の数は数百人規模で、ナチスや、いわんやソ連や共産党中国とは比較にならない。
 また、1940年5月10日にドイツ軍がベルギー、オランダに侵攻、次いで20日にはフランスに侵攻して、西ヨーロッパを席巻する
勢いとなったのを見て、6月10日、イタリアはドイツ側に立っての参戦を宣言したが、その軍事行動はイタリア系住民が多数居住
する一部南欧地域の併合にとどまった。ナチスのような、軍事力による「生存権」確保計画があったわけではなく(また能力も
なかった)、時勢に便乗した権益確保以上の行為ではなかった。誤解を恐れずに言えば、イタリアと一括りにされても、日本と
しては大した実害はない。問題はナチスとの同一視であり、これには明確に反駁せねばならない。
《続く》
0632名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/18(水) 08:01:55.87ID:uKQxpaZi0
>>631
《続き》
          (中略)
 よく知られる通り、アメリカでは第二次大戦中、主に西海岸に住む12万人の日系人が内陸部の収容所に強制移住させられた。
正規の立法措置ではなく、ルーズベルト大統領の行政命令という形が取られ、62%は米国で生まれた二世、三世だった。
          (中略)
 ファシズムの具体的発現形態の一つが国内における強制収容所の存在だとすれば、その点、日本の方がアメリカよりファッショ度
は小さかった。
 日本の近現代史学界においても、日本=ファシズム論は断続的に論争を呼んできた。中でも伊藤隆東大教授の「昭和政治史研究
の一視角」(1976年)、「『ファシズム論争』その後」(1988年)は、必読文献と言え、今日的意義を失っていない。紙幅の関係で、
ここでは箇条書き的にいくつかの論点を紹介するに留めたい。
 伊藤は「天皇制ファシズム」という学界用語について次のように言う。
「『ファシズム』がはなはだ曖昧な用語であるうえに、この『天皇制』なる用語もまたはなはだ曖昧な用語である。……この用語は
日本近代の広い意味での政治支配体制全体を対象としているが故に、その政治的情動的な感触を除けば日本近代の政治支配
体制という以上の意味をもたない。近来『古代天皇制』『近世天皇制』といった用い方をされるのだから、必ずしも近代に限定される
わけでもないらしい。とすると、戦前期に濫用された『国体』という用語との類似を感ぜざるを得ない。日本の広い意味の政治体制を
プラスに評価する用語としての『国体』のちょうど裏側、つまりそれをマイナスと評価する用語として『天皇制』が存在するといって
よいであろう」
 それゆえ、「天皇制ファシズム」は何を限定したことにもならず、分析の道具たり得ないというのが伊藤氏の指摘である。その通り
だろう。満洲事変以降の日本をファシズムという言葉でくくるのではなく、具体的に「軍部の台頭」「戦時体制」などと表現していく
方が、実証的研究に資するというのが伊藤氏の主張である。
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