西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2

1名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 01:53:47.12ID:5K/ys1C10
西郷隆盛 を語りましょう

前スレ
西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1505292770/

2名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 01:54:35.62ID:5K/ys1C10
以下、テンプレ

Q :西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。

A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。

「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」

重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。

当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。

この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)

3名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 01:55:07.87ID:5K/ys1C10
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。

市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。

「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
 性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
 いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
 西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
 ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
 器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
 議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
 そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」

4名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 01:57:16.63ID:5K/ys1C10
■ 西郷隆盛 伝説と史実

伝説 : 比類無き大度量・大至誠の人。誰もがその巨眼に引き込まれ敬愛した
史実 : 実際に会った人の証言 「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」

伝説 : 極貧の下級武士の出身
史実 : 西郷家の序列は薩摩藩の上位3%の家格

伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願 → 拒否られている

伝説 : 「晋どん、ここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 桐野利秋に見つかり強制玉砕

伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの給料が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円
     豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に

伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹

伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い占め

伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟による創作

伝説 : 幕府から指名手配された親友月照を不憫に思い心中を試みる
史実 : 藩命により、死ぬ気など無かった月照を海に突き落として殺害

伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
     総攻撃に反対する英国大使パークスの圧力により断念

伝説 : 道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、掠奪、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発

5名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 01:58:15.38ID:5K/ys1C10
伝説 : 大久保利通とは幼少時からの親友。大久保家が困窮した時期、
     利通少年は西郷家で食事を摂らせて貰っていた
史実 : 同じ町内の顔見知り程度で、個人的な付き合いは一切無し
     親しくなったのは青年期以降に精忠組で一緒になってから

伝説 : 大久保利通による西郷暗殺指令
史実 : 鹿児島士族が政府の密偵を凄惨な拷問にかけて自白を強要しており、信憑性無し

伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる
      旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡

伝説 : 鹿児島私学校では西郷さん自ら若者たちに敬天愛人思想を講義
史実 : 当時の生徒の証言「西郷さんが私学校で講義したことは一回もありませんでした」

伝説 : 「西郷南洲翁遺訓」 西郷の教え41条
史実 :  東北庄内人によるフェイク

伝説 : 西南戦争は最初から勝てるとは思っていなかった
史実 : 当時の新聞に載った西郷の発言「各地の政府軍は我に従うだろう。春には東京で花見をしているはず」

伝説 : 民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 鹿児島で西郷さんが外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと、
     百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせた
     西南戦争では、百姓たちは木の上から見物、
     西郷軍兵士が死ぬと身ぐるみを剥ぎ、売る

6名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:00:16.09ID:5K/ys1C10
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?

A :
大河で西郷が好意的に描かれている、
逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている
のは右翼団体や鹿児島人らが抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する右翼団体と鹿児島人の抗議が一番多いらしい。

史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通りネガティブな場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。

かの司馬遼太郎も抗議を憂慮してか、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。

7名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:05:24.26ID:5K/ys1C10
Q : 西郷隆盛と大久保利通が薩摩の二大英雄とされ、鹿児島では誇りにされていると聞きました

A :
大久保は、西南戦争で西郷を殺し薩摩を滅ぼそうとした張本人として、
鹿児島では憎まれ嫌われ、近年まで地元への納骨すら避けられていました。
現在、鹿児島市には大久保の銅像がありますが、これは西南戦争百周年に際して東京から
「なぜ鹿児島に大久保の銅像がないのか」と言われて、渋々作ったそうです。
現在では、鹿児島でも大久保の再評価がされていますが、しばらく前までは
大久保の話も出来ないほどでありました。

鹿児島にある大久保の銅像は非常に高い台座の上に設置されているんですが、
これは鹿児島人による狼藉を考慮して、そのようになっているそうです。

大久保利通像
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/shins2m/20130612/20130612144650.jpg

大久保利通像 碑銘
http://livedoor.blogimg.jp/john96pierre/imgs/8/7/87ef85e5.jpg

「通」という字があからさまにズレていますが、
人としての道(通)に外れた男、という意味が込められているといわれる

8名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:06:15.43ID:5K/ys1C10
Q : 西郷さんの度量の広さが、江戸無血開城を成さしめ、江戸の町を戦火から救ったんですよね?

A :そもそも江戸総攻撃を強硬に主張していた張本人が西郷隆盛です
  幕府を憎悪していた長州の木戸でさえ江戸総攻撃には反対していました

  イギリス公使のパークスから攻撃をやめるよう圧力があったとも言われていますが、
  ともかく西郷は態度を変え、攻撃は中止されました

  西郷はいわば自分で振り上げた拳をひっこめただけなのですが、
  後世なぜか、暴走寸前の官軍を西郷が抑え、総攻撃を中止させたかのように美談化されました

9名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:07:01.89ID:5K/ys1C10
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
   西郷さんは丸腰で交渉に行って戦争を避けようとしたと聞きました。

A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。

参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。

西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。

西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。

また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。

10名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:08:18.59ID:5K/ys1C10
Q :西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
  行き場所を失った士族たちとともに、日本のため自ら滅ぶつもりの戦いだったんですよね?

A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。

またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
 陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)

結果はみなさんご存知の通り、熊本城政府軍の徹底抗戦に遭った西郷軍は
緒戦から消耗し、戦わずして東上するつもりでいた西郷軍の敗色はこの時点で決定的になった。

11名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:09:05.71ID:5K/ys1C10
Q : 西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?

A :
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。

これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。

12名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:10:02.66ID:5K/ys1C10
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)

13名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:11:51.81ID:5K/ys1C10
Q : 西郷さんのおかげで明治政府は廃藩置県を断行し、旧体制からの決別を出来たんですよね?

A : 明治3年、新政府は廃藩置県に先立ち、
鹿児島の西郷隆盛と5千人の薩摩藩士を御親兵として東京に出仕させました。

廃藩置県に反発する武士層の反乱が予想されたため、
これを鎮圧するのに、薩摩兵とこれを束ねる西郷の力が必要であったのだが、
もっとも反乱を起こしそうなのが鹿児島住みの薩摩藩士と西郷であったために、
これを未然に懐柔しておくためでもあった。

ではなぜ西郷は懐柔されたのか。
西郷にとっての廃藩置県は、藩主に権力を返上させ、その下にいた士族が実権を持つ
という意味であったからだ。

西郷は、出仕の際に出した意見書(「西郷吉之助意見書」)で、
「新政府に必要なのは士族を中心とした軍備強化と農本主義的な国家経営であり、
近代工業や鉄道などの建設を推進する政府は「商人」のようである」と糾弾しており、
廃藩置県には同意しても、士族中心の国体を固守する考えに変わりはなかった。

旧弊にとらわれない中央集権国家を目指す新政府とは同床異夢であったといえる。

新政府からの同様の懐柔措置は長州と土佐に対しても行われており、
いずれも御親兵を東京に出仕させている。

つまり西郷隆盛はあくまで、廃藩置県に協力した一人である、
という話なのです。

よく言われる、岩倉使節団が洋行しているあいだに、
西郷がその声望と求心力で、廃藩置県を断行した、という類の話しも
まったくのデタラメです。
新政府が廃藩置県を断行した後に、岩倉使節団は出発しています。

14名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:15:14.57ID:5K/ys1C10
Q : 西南戦争で薩摩士族は自ら滅び、鹿児島にも新しい時代がやって来たんですよね?
   それもこれも西郷さんの捨て身の深謀遠慮のおかげなんですよね?

A :
西郷さんや幹部の城下士たちは九州中を6カ月以上も逃げ回りました。
薩摩士族は自ら滅ぶどころか、4人に3人は投降などして生き延びました。

その姿はどう見ても、自ら死を選び、滅ぶつもりの者たちの姿ではありませんでした。

戦役後、鹿児島では実権が城下士から郷士に移っただけで、士族支配であることになんら変わらなかったのです。

『薩摩見聞記』はこう記しています。
「明治中期の鹿児島では平民社会の
状態をみると, それはまことに哀れなもので,
鹿児島城下のわずかな一部の商人のほかは
財産もなく, 知識もなく, 勢力もなく, 士族との間には
なお甚だしい格差があって, 容易に融和しそうにもない。
藩政が崩壊してすでに20年にもなろうとしているのに、
薩摩だけはなお依然たる封建の地である。
政治、役人、教育、警察等の世界において
士族の勢力が強いこと、日本全国にその類をみない」
とあり、この状態はなんと太平洋戦争後まで続いたのです。

15名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:19:14.91ID:5K/ys1C10
Q : 新政府の高官たちが富貴や汚職にはしる中、西郷さんは質素倹約をして国家と国民のことを考えていたんですよね?

A :
西郷さんが賄賂を貰ったとか私腹を肥やしたなどの記録は一切ありません
ただ、質素倹約をしていたというのはどうでしょうか・・・

西郷さんが政府から貰っていた給金は現在の価値に換算すると月給2千万円
年収は2億4千万円です
住まいも江戸では元旗本屋敷、鹿児島では島津一族の広大な屋敷を買い取り
かなりリッチな生活をしていたようです

また自らの側近たちを軍の高官に高給で大量抜擢させるなど、人事の私物化(多くの犠牲を払い新政府を打ち立てた
薩摩藩士からすれば当然のご褒美かもしれませんが)は甚だしいものがありました

西郷さん的には民間の豪商などと癒着するのは絶対NGだったようですが、
政府のポストや金を自らの息のかかった子分たちに分配するのはOKだったようです

16名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:20:34.40ID:5K/ys1C10
以下は原口虎雄氏の文章の引用

これまで鹿児島に赴任する人々の間では、「南洲と斉彬の悪口は言うな」という、鹿児島社
会の風潮を恐れるタブーがあったそうであるが、顧みるにこの私も尖鋭な西郷絶対論者の一人
であったから、恥ずかしい。

庄内藩士書き留むるところの「南洲先生遺訓」や西郷の詩文、親しみ深い「上野の西郷さん銅像」
や「キヨソネの西郷肖像」などが、わたしと西郷を結びつけてくれた。

私の母校の田上小学校の門標は西郷の直筆で、この学校を出、県立一中や第七高等学校への
通行の途には武の西郷屋敷があった。
七高では敬天会に入り南洲寺にもよく参禅したが、なかんずく西郷糸子夫人の生家、岩山先生
の御宅には朝夕にお世話になり、立派な温かい家風を慕った。

幼時から青年期まで武の西郷屋敷附近で育った私にとっては、西郷は神様であった。
西郷の一言一動が価値の尺度であった。
少しでも西郷を批判する者がいたら、すなわち私の敵であり、「打ち殺せ」という気分にかられた。

しかしのち東大法学部に法制史を学び、さらに薩摩史を専攻するようになってからは、私の思考
の軌跡に変化が生じた。
−中略−

17名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 02:21:11.17ID:5K/ys1C10
西郷は道義国家の建設を目標としていた理想家だから維新革命に身命を賭したが、それ故に
第二、第三の維新を夢見た永遠の不平家である。
彼と同輩、または年長の人で尊敬したのは島津斉彬ぐらいで、他はおおかた彼の酷評の的に
なっている。

『西郷先生遺訓』は彼の理想であるが、現実の姿ではない。

維新草創の際、政府収入源は農村に求めざるを得ず、仮借なく封建貢租を取り立てたから、
明治元年から10年までの百姓一揆は維新前より頻発した。

少ない財源のうち4割を旧士族に与えねばならぬ当局の苦しみを西郷は知らなかったのだろうか。
米が1石、5、6円のころに1500円の巨大な年俸を受け、対外膨張論を唱えている。

西郷を取り巻く、財政も経済も世界情勢も知らない粗暴な私学校と袂をわかって、
多くの良識派の薩人が政府に残って近代国家建設の苦難に耐えたことを忘れてはならない。
弟の従道や従弟の大山巌、そのほか多年の朋友の心底は悲壮である。

もともと薩摩は日本南端の門戸で、黒潮岸辺を洗い、季節風が中国や異国の船を運んできた
外国と日本との接点である。
だから真っ先に外国文化の洗礼を受け、ハイカラ性が薩摩を支えてきた。

薩英戦争の結果、こだわりもなく英国文明の偉大さを学ぼうとして欧米に留学生を派遣した
聡明さや、敵味方を一様に供養する博愛の精神は、島津日新以来の薩摩の伝統である。

私学校の猛者たちの剛勇は、「薩摩的美学」の両面性の一つ、隼人以来の「バンカラ性」の
伝統であって、もう一つの美学「ハイカラ性」の欠落である。

太平洋戦争の誤りを二度と犯さぬためにも、「西郷神格論」からの脱却は今日的課題である

18名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 12:35:45.08ID:dNEo4Ro20
信憑性のないソースですね

19名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 20:25:05.09ID:2G/WOu/40
>>1

20名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 20:27:02.74ID:n6AxUi2m0
■「反薩長史観ブーム」の捏造を許すな■

「○流ブーム」に続き、新たなブームの捏造を極左マスゴミが仕掛ける動きがあったので、注意喚起を兼ねてここに公表する。
そのブームとは「反薩長史観」。その名の通り、薩摩長州の志士をボロクソに中傷する史観のことである。
誤解しないで頂きたいのは、この「反薩長史観」とは新選組や白虎隊などに心酔した結果の、一種の判官びいき的な「親幕反薩長」感情・史観のことではない。
これは反日パヨクが仕掛けた反日極左史観に他ならない。
イデオローグである武田鏡村は
「歴史修正主義的な傾向の強い安倍晋三首相は「長州」出身であり、その言動には「薩長史観」が深く反映されている。」
「薩摩と長州を中心としてつくられた絶対的な天皇主義、軍国主義、愛国心であった。」と言い、
「反薩長史観」のバックボーンが、反安倍、反日、反皇室のパヨク思想であることを図らずも吐露している。
奴らの狙いは何か?それは2018年を見据えた反日パヨク運動の扇動である。
2018年は明治維新からちょうど150年目である。またこの年のNHK大河ドラマは「西郷どん」である。
この歴史的な節目の年に便乗する形で反日パヨク運動を激化させる危険性がある。
例えば・・・
・政府主催の明治150年式典に対するテロ
・「鹿児島県民と山口県民は日本最凶のDQN県民」というプロパガンダを垂れ流し、日本社会の分断を図る。(いわゆる「田布施陰謀論」もこれの変種である)
・「明治維新を評価する奴はネトウヨ」キャンペーンを繰り広げ、評価する人に対する嫌がらせやテロをする。
・「(アメリカ南軍のリー将軍像のように)西郷隆盛の銅像をぶっ壊せ!!」と喚き、西郷像を破壊する。
・西郷像のみならず維新の元勲の像も破壊され、靖国神社や松陰神社などの元勲由来の神社もテロの標的となる。
・「皇太子の娘の名前を改名せよ!」と喚き、東宮御所前をデモ行進する。(御名前の由来が西郷の座右の銘である「敬天愛人」だから)
このような奇痴害活動を絶対に阻止しなければならないし、反薩長史観を称揚するマスゴミを厳しく指弾しなければならない。

21名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/09(月) 21:00:08.24ID:OWOUNSTg0
>「跳ぶが如く」
レベルが知れる。

22名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/10(火) 06:10:43.48ID:4yB7vIjU0
>>20
見飽きたコピペはあぼーん

23名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/10(火) 15:47:38.97ID:pob8KcUy0
というか、江戸での狼藉支持さえ知っていればヤバい人物と分かるわけで
鹿児島人以外は流布されてる西郷イメージなんて眉唾だって理解してるでしょ

24名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/10(火) 16:46:59.49ID:rzPEgk9Q0
良くも悪くも完成された薩摩隼人という話w
当然ながらその姿に一喜一憂する連中が居る反面、内情知りつつもそれらを利用しようとする
連中も居たのだと
自分の目指していた方向性・線上に指針となる人物が現れりゃ〜誰しもが従ってしまう
自分は間違っていなかったと

25名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/10(火) 20:05:47.03ID:5lxo1C6T0
田布施システムの創作者・発信者一覧表

・大室近祐
通称田布施の和田喜八郎と呼ばれる詐話師
・鹿島昇
極左弁護士
同和問題にも取り組む極左弁護士
新国民社を設立し、陰謀論を出版
・太田竜
鹿島昇の新国民社を引き継いだ極左
元日本革命的共産主義者同盟委員長
・鬼塚英昭
大分の部落民で竹細工職人
鹿島昇の本に影響を受け陰謀論を
在日コリアンの会社から出版
・リチャード輿水
在日コリアンの会社から陰謀論を出版
・朴甲東
鬼塚や輿水が陰謀論を出版してる成甲書房を設立
朝鮮共産党機関紙「解放日報」元記者
・犬丸勝子
日本共和党の極左
・松重正
陰謀論で親韓
・松重楊江
陰謀論
・松重
名前は不明だが鹿島の本に影響を受けている
日韓親善協会、日中親善協会会員でもある共産党員

26名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/10(火) 20:08:05.03ID:5lxo1C6T0
・原田伊織
左翼
小説形式のブログで長州を貶める内容を発信
出版のソースに史料・文献が少なく司馬遼太郎などの
小説をソースにしている
・ツイートTVの老夫婦
共産党支持者
わざわざ山口県にまで出向き
地域を撮影しYouTubeで発信してる陰謀論者
動画の出だしに必ず「はぁい」と不気味な声で言う

会津プロパガンダ同様、極左だらけで歴史家がいない
に加えて部落、朝鮮人、親韓が絡んでるが特徴的

27名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/12(木) 02:28:15.71ID:hIAjOgrt0
原田伊織

有料の本は読んてない。
無料で読める紹介文とレビューだけ読んだ。

たぶん忠臣蔵と明治維新を賛美しているコンテンツよりはしっくり読めそう。

幕府よりも薩長の言い分のごり押しが酷いね。

28名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/12(木) 17:41:41.04ID:Vi5i13Ch0
鹿児島に婿養子で引っ越し、生業のリフォーム建設業を営んでいる者です。

確かに鹿児島の職人を見ていると行き当たりばったりの方が多いですね
建物も以前の改装跡を診ると行き当たりばったりの皺寄せ箇所があったりする事が
多々見受けられます。

県民性なのか知らないですが建設業では本来在ってはならない致命的なミスがあっても
振り返らないで、やり切る方も多いので、その方々には注意や警告をするのですが、
やはり「議をいうな!」と言われる事が多いです。

決めた事を曲げない頑固さは素晴らしいのですが、
理論や道理が通じないというのは私達建設業では、
良かれと思っても大失敗に繋がる危険性を考えて施工をしなければ、
鹿児島に蔓延している悪徳業者と何ら変わりが無いと思うのです。

しかし彼等にはなかなか通じませんので、日々下手に説得して作業していただいてます。

29名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/13(金) 06:12:03.76ID:DfEoVwtY0
スレ主の詐欺師根性極まれり

30名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/13(金) 10:57:45.43ID:64h/mySZ0
>>28
それと西郷隆盛がどういう関係があるのか分からないが
鹿児島の県民性はそうだね

31名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/13(金) 11:03:17.00ID:Clwdy4Fi0
鹿児島の県民性は偏屈老人そのものってことでOKですか?(´・ω・`)

32名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/13(金) 11:27:55.82ID:64h/mySZ0
偏屈というか
専門性や論理を軽視する人は日本中どこでもいると思うけど
専門性や論理を軽視することがカッコイイと思ってる人が多いね、鹿児島には

専門性や論理を軽視してこそ大人物である、みたいな

33名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/13(金) 16:46:43.97ID:tnhrUOMt0
専門家は必要だが、人としては小さか

34名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/14(土) 05:41:24.99ID:d1scondr0
今はどうだか知らないけど昭和の九州の男は亭主関白って威張ってた。
西郷が妻たちを大事にせずに捨てたりこき使ったりしてたことから
男たるもの女に媚びるな、釣った魚に餌はやらないでいいってなった?

性差ってのは生物学的な違いであって、優劣を判別するものじゃないんだけどな。

35名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/14(土) 07:37:21.94ID:OtPUyo/u0
一般的な男尊女卑と、薩摩(鹿児島)の男尊女卑は
似て非なるもの だよ

薩摩は「郷中教育」で年端もいかぬ少年を"女性"の代替にして
未婚藩士の性欲処理をさせていた

同時に、肛門を奪うことにより上下関係を叩き込み、
妻よりも先輩や上役のほうが尊いのだ
という洗脳をした

そういった背景から生まれた男尊女卑だよ
薩摩のは

36名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/14(土) 11:46:08.98ID:fead9vuF0
スレ主の最近お気に入りのフレーズが、
西郷と妻たちの関係を「西郷は釣った魚に餌をやらない人だった」と揶揄することです。

ところがスレ主は結婚したことはおろか、恋愛をしたこともありません。
もしかしたら魚釣りはしたことがあって、「釣った魚に餌をやらない」という比喩を理解した気になっているのかもしれません。
「男女の機微」なんていうのは、スレ主にとっては全く理解不能な抽象的概念であり、
この世に存在しないものと同じです。

学校やアルバイト先で年若い後輩から慕われる、という体験は、ついぞ生涯無縁のもので終わるでしょう。

そんな「キング オブ モテない君」に、西郷隆盛を理解できないのは仕方ないことなのでしょう。
それが、無反省に貼り続けられている>>2から>>17のテンプレによく表れています。

37名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/16(月) 00:35:15.75ID:bSL41LmD0
>>35
鹿児島が男尊女卑だと思ってるならかなりの誤解だぞ
昔から鹿児島の理想の家庭は「外では亭主関白」「内ではかかあ天下」なのだわ
他人様の家を訪問した時には、門を褒めず器も褒めず、まずは奥様を褒めるのが鉄則
飲み会に行きゃ分かるが、酒が進めば男達の嫁のノロケ話が始まる
西郷が愛妻家だったかはともかく、西郷の嫁はいずれも気の強い女性だったせいか嫁を立ててたようだね
奄美潜居時じゃ人前でも愛加那さんとイチャついてただの
最後の嫁の糸さんの義妹の肉声証言でも残ってるが、食事の時には毎回料理が美味いと褒めながら食ってて、横で糸さんが恥ずかしがってただの
実際はこんなもんよ、鹿児島の男尊女卑ってイメージに踊らされすぎだね

38名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/16(月) 03:38:56.60ID:+bX10Rdl0
鹿児島が男尊女卑なのはまぎれもない事実だよ

鹿児島県「女子」の大学進学率
29%(全国最低で唯一30%以下)

男尊女卑というのはこういうことを言うんだよ
社会構造の話であって、個別の家庭でどうとかは男尊女卑と何の関係も無い

39名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/16(月) 10:05:00.33ID:de/1w3om0
恋愛も結婚もできないスレ主に
男尊女卑の機微がわかるわけない!
キィーーー!! とか言ってきそう(笑)

40名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/16(月) 13:59:12.23ID:piaJ86a+0
女性の喫煙率からも、依然鹿児島が男尊女卑の土地であることが分かるよ

鹿児島の女性の喫煙率は 5.5%で全国2位の低さ

鹿児島県民が先進的な健康意識を持っていて民度が高いから・・・ではない
鹿児島の男の喫煙率は普通であり、女だけが低い

ようは女がタバコを吸うなんて生意気であるとか、女性としておかしい、
などの思い込みが強いからである

男尊女卑とはこういうことなのだ

>>37氏のような、「外では亭主関白」「内ではかかあ天下」などという古くて浅い、ステレオタイプの結婚観しか持ってない人こそが、
実は男尊女卑の温床になっているのだ

41名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/17(火) 20:29:23.33ID:fbHaOuoF0
いい事じゃねーか。
女性の喫煙率が低いのは。民度が高いと言う事。

42名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 00:01:01.12ID:L7HnJsS+0
一般的に男女同権の進んだ先進国ほど女性の喫煙率は高い

米国 男12.2% 女10.7%
仏   男28.7% 女20.2%

残念ながら鹿児島県は
中韓およびレイプ大国インド型の喫煙率傾向です

中国 男47.6% 女1.8%
韓国 男31.4% 女3.4 %
インド 男22.8% 女1.9%

43名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 03:00:36.88ID:80okQBZj0
今どき、喫煙率の高さを男女平等、女性解放の証なんて考える人がいたんだなあ。
平塚らいてうの時代のフェミニストと発想が変わらない。

44名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 08:11:59.61ID:L7HnJsS+0
今どきって言うけど、今どきの現象だよ
進んだ地域ほど全体の喫煙率が低下し、男性と女性の喫煙率の乖離が少なくなっていく、という傾向は

「平塚らいてう」とか「フェミニスト」なんて驚きのワードが出てくる老害さんの時代には無かった傾向だから理解不能か

45名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 20:45:03.21ID:Ha1RYmd00
>>44は、明治19年生まれの「平塚らいてう」の名前が出てきたら、驚いたそうです。
ここは「日本近代史板」、幕末から明治初期に活躍した人物の西郷のスレであるにも関わらず、です。
「日本近代史板」にそもそも向いてない人なんですね。

スレ主が>>38などで、根拠に挙げているのは、
「都道府県別統計とランキングで見る県民性」というサイトです。
ただしこのサイトは統計が挙げてあるだけで、解釈はスレ主が勝手にしたものです。
これならまぁどうとでも言える。

最近スレ主は、鹿児島ガーと、鹿児島攻撃をたびたび書き込んでいます。
「横目で見た郷土史」に依存した西郷ネタが尽きてしまったのだ。
しかし、どう見てもスレ違いの場合が少なくない。
スレ主が自分で荒らすんだから、そりゃ荒れるに決まってますね。

46名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 22:09:11.74ID:UbC01sYb0
>>45
その統計に関しては、奄美群島とかの離島の数も含まれてるから解釈が難しいところ
奄美って本土から離れた離島群のわりに教育熱心で人口も領域では20万人を超える地域
しかし貧乏鹿児島県の中でも更に所得の低い地域でもあり、泣け無しの収入で何とか本土への大学進学をって場合、どうしても長男を送ってしまう傾向にあるからなぁ
これは男尊女卑以前に、奄美群島内に大学などの高等教育機関が無いという教育環境の問題の方が大きい
薩摩の幕末の活躍は奄美の黒糖の収益が支えたと言っても過言では無いが、そのわりには様々な面で過酷な境遇を今でも受け続けてるのかも知れんね
政治的にも奄美地域自体が強固な保守支持地盤なので、民主政権時代に報復で奄振法の予算削りの圧迫受けたりしてるし
自公政権では沖縄と比べて冷遇、民主政権では圧迫や報復と…色々と救われない地域だわな

47名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/18(水) 22:50:59.12ID:RzcaCTyC0
しかし>>45は本当に酷い老害だなあ

客観的な統計情報をもとに鹿児島県女性の現状を説明してるのに
何がいけないと言うのだろう??

膨大なサンプルの上に成り立った説明より、老害の貧弱な人生の上に成り立った「郷土幻想」の方が正しいと言うのだろうか

48名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/19(木) 10:07:46.58ID:6A/NYfFD0
鹿児島は知事からして男尊女卑で有名なとこじゃん
女に計算教える必要無いとか

49名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/20(金) 09:33:38.61ID:C/vIwV/u0
>>48
あの発言の知事はセクハラで話題のテレ朝出身だな
しかも反原発を掲げて当選しながら、知事就任後は原発容認に掌返しするアレな人だぜ
鹿児島じゃ久々の左に傾いた首長登場で多少の期待もあったのだが、現在は当の鹿児島県民ですら唖然とする有様なのだ

50名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/20(金) 12:06:20.60ID:OGPDPCCr0
>>49
事実誤認の先入観でしか物を言えないんです、という自己紹介をしているんですね。

51名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/20(金) 13:13:49.20ID:gZ3YAni30
鹿児島って右も左も無いんだよな

西郷さんや地元をホルホルできれば右も左も無い

征韓論がそう

太平洋戦争以前の軍国主義の時代には
西郷を、大東亜共栄圏の先駆けとして征韓論を唱えた偉人にするし

戦後の左寄りの時代には、朝鮮出兵を阻止した平和主義者にすり替える

まあひどいもんだ

52名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/20(金) 19:52:39.03ID:ZA2nmeg70
西郷さんは右左で割り切れる人物じゃないからね

53名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/21(土) 06:07:52.82ID:6p7qWZeS0
>西郷さんは右左で割り切れる人物じゃないからね

西郷信者特有の言い回しだなあ・・・
何か大切なことを言っているようでいて
実は何も言ってない、何の意味も無い情報ゼロの言い回し
議を言うな、と同じで議論を恐れただ同調圧力を正当化するためだけの中身の無い言葉

54名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/22(日) 14:18:14.92ID:+Ivy7qCm0
西郷どんは、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く人。

55名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/22(日) 19:03:12.80ID:vbTVBfzu0
ただの普通の人じゃんw

56名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/22(日) 21:22:16.80ID:epCJ02fM0
勝海舟、曰く「俺はいままでに天下で恐ろしい人物を二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。〜横井の思想を西郷の手で行われたら敵うものはあるまい。」

57名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/22(日) 23:12:40.03ID:5wYuT7q+0
西郷にしても勝海舟にしても、言ってみれば「小者界の超大物」という印象なんだよな
坂本龍馬にしても

58名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 11:33:59.91ID:YPdVDEEo0
小者界www

59名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 16:38:33.84ID:BjKNgcU60
声がでかいだけの人たちがなぁなぁで褒め合っている感じ。

60名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 17:41:06.72ID:ig9Wz8ml0
>>57
西郷も勝も土俗的な匂いがプンプンする土建屋のオヤジって感じ。
龍馬は上手く言えないが都会的な感じがするんだよな。
お龍の回顧談でも(話半分だが)小心でセコイ感じが出てて笑ったw

61名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 19:39:27.42ID:FyBiqhys0
西郷、坂本龍馬、勝海舟、横井小楠

このへんの褒め合いはみんな情実だよ
横井小楠はジャンルが違ってるように見えるけど
実は小楠は息子を勝に預けていたズブズブの関係

62名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 19:43:13.80ID:+d0Icd2t0
勝海舟の評価だと西郷が1評価なのは変わりない

63名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/23(月) 22:53:41.61ID:W/iOSep40
>>51
地元の英雄を顕彰して観光業やらに利用している地域は
人気を維持するためなら何でもするでしょう

64名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/24(火) 00:05:14.93ID:o4g48ikh0
>>63
大学の学者やらまで総動員でやってる地域って他に知らない
誰が指揮してるわけでもないのに
異論は絶対許さない空気で

最近の信用金庫の組織的横領事件も
そういう鹿児島の、みんなやってるんだからお前もやれという文化と
無関係では無いんじゃないのかなあ・・・

65名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/24(火) 04:13:22.10ID:vi2/BskU0
>>61
勝海舟に限らず、明治20年以降の猛烈な懐古主義の流行が、異常な西郷賛美に拍車をかけたってのも大きいかと
これは西郷に限らず、明治期の新撰組美化や白虎隊顕彰と同根だわね
すでに大正に入る頃には新撰組に傾倒する腐女子すら存在してたくらいだし
性急な西洋化に対する反動なんだろうねぇ

66名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/24(火) 09:30:22.08ID:7rzanCle0
毛利先生の「明治六年政変」がアマゾンで高値ついててびっくり
再販したらいいのに

67名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/24(火) 19:40:29.16ID:ZiCj9ggs0
むしろ現代の方が西郷人気は低くなった
福沢諭吉も維新三傑など言ってるけども西郷が突出して衆望を集めてたとしてるし
当時の人間も西郷が一番凄いというのは共通認識

68名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/24(火) 21:32:44.51ID:TWhGxCvb0
西郷信者って論破されると必ず、人気は西郷が一番だったって言い出すよな(苦笑)

で、必ず福沢諭吉が出てくる(苦笑)

69名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 02:23:01.30ID:UmitA1zf0
西郷ってそんなに立派じゃないような……。
大河見てもフィクションがほとんどで史実を部分部分に差し挟んでいるだけ。
明治維新の立役者を褒めているBSの特集番組を見ても、褒めすぎじゃないか? 
ろくなことしてないなって思うし。
すごいすごいって言ってる人見るたびに、そーかなー?って違和感発生。

そうして薩長のテロ行為は過小表現で。
一例としては無血開城。
戦にならなかったことが後の世の高評価に繋がっているけれど
それは幕府が江戸を火の海にしないために脅しに屈したからであって、
強盗が人質ならぬ江戸を質にすべてを奪ったようなものだ。

なんか、ハイジャック犯が人質を無事解放して欲しければ
給油しろとか食料と大金寄越せとかほざいているイメージと重なる。

明治維新の英雄とやらは人を斬ったり放火をしようとしたりと違法行為をし続けていた犯罪者。
西郷ヒーロー説は性質の悪い誇大広告だ。

70名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 08:20:57.36ID:ZgC0Lvzh0
>>69
なあその維新をテロ目線で見るのやめないか?
流行ってるのは分かるが
おおげさな話しだけど原始人の男が半ば強引に女を孕ませようとしてるのを見てそれはレイプだ!と糾弾するのと同じくらい馬鹿げたものの見方だよ

71名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 08:30:39.33ID:xDMucmkf0
擁護になってねえw

例えるなら忠臣蔵で幕府に備中松山城の明け渡しを命じられた水谷家の家臣たちが
立て籠って徹底抗戦を唱えてたのを大石内蔵助が交渉で無血開城にこぎつけた事件だろw

72名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 12:54:52.18ID:rly1KZVY0
>>70
横レスで悪いがそうではないといいたいからつけさせてもらったわ

これは流行りでもなんでもなく事実テロと軍事クーデターにより維新は成就した
これは揺るがない事実

その例えは韓国のような現行憲法でそれ以前の罪までを裁きなおす非文明国のようなもののたとえだわ

実際問題、廃藩置県から士族反乱までの流れみても一部の人間にしかその本質を理解してるものなどなかったなによりの証明
西郷など廃藩置県後に士族がどうなるかまでのビジョンなど持ち合わせてなかったから最後があんなわけだ

結局廃藩置県の必要性は西周の新国家体制でいわれてるわけで
必然的にそれは西に新国家構想を任せた慶喜の知るところで
遅かれ早かれ廃藩置県は断行されたものとおもわれる
なにもテロと軍事クーデターで転覆さす必要はなかったものをやったのだからな

ま、だからイスラム国でもうまいことやれば明治新政府のようにやれるということ

73名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 15:54:49.86ID:27d04VZP0
>72
>>西郷など廃藩置県後に士族がどうなるかまでのビジョンなど持ち合わせてなかったから最後があんなわけだ

西郷は廃藩置県がどのような結果を生むかくらいは十分にわかってたけど。www

74名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 16:46:03.91ID:27d04VZP0
>>72
薩長をどうしてもテロと呼びたいようであるが、
軍事力で各藩を統治、恐怖支配していた幕府が軍事力によって制圧されるのは当たり前だろ。

75名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 22:21:08.32ID:Sf21mki60
>>73
ほう
これはおもしろいことをいう


じゃあその西郷が廃藩置県がどのような結果うむのか判ってたというソースは?

76名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 22:23:51.27ID:Sf21mki60
>>74
封建制度の根本を判ってるのかおまえは?
まったく判ってないような発言だが

77名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 22:32:43.66ID:27d04VZP0
>>75

士族の反乱を招くことくらい、西郷だけでなく誰でもわかってたろう。
ソースを出せとか、おもしろいこというww

大久保ら、海外視察組はそれが怖くて、国外逃亡していたわけだし。

78名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/25(水) 22:44:59.28ID:27d04VZP0
>> 76
言いたいこと不明www

79名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 03:07:30.97ID:GXIVt0Dc0
>>77
マジで?

80名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 04:36:14.92ID:z9Ljyq9f0
戦国時代に終止符を打ち260年もの天下泰平の実績を持って、まじめに政権運営をしている幕府を
倒すべきなんて妄言はテロリストの扇動でしかない。

貧富の差が激しくて、贅沢三昧している王族・貴族がいる国とか
考えなしの理想論者が大量虐殺していた独裁国家とか
無知な権力者が発した愚策のせいで餓死者が出しまくった人民の国とか……、
そういう国ならレジスタンスも活性化するものだけど、徳川幕府にそういう分かりやすい悪行はなかった。
無血開城の瞬間も後もまともだった。

九州地方だけは江戸時代になってからも圧政VS原理主義一神教の島原の乱が起きたり、
薩摩藩は琉球侵略と奄美の黒糖地獄で奴隷使っていたけど。
要するに江戸幕府はホワイト経営していたのに薩摩はこっそりブラック企業で、
違法の密輸と奴隷労働によって稼いだ汚い富で悪さを企てたとも言える。

実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。

81名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 06:42:19.16ID:E9yAjn+Z0
>>77
ソースだせないとうことはオマエの憶測でしかない
歴史は史料に基づき検証される

西郷が廃藩置県後にどのような結果になるか判っていたという史料はどこにある?

西郷だけでなく誰でも判っていたという史料の提出よろしくな

82名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 07:59:42.25ID:hW4bkJRd0
>>81

1+1=2であることの、ソースを出せと言われているようなものwww

83名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 08:31:48.15ID:hW4bkJRd0
>>80

徳川幕府の封建制度=悪、ましてや民主主義が正義などとは思っていない。
ただし徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろう。

パワーバランスで幕府は倒されたという結果。

84名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 08:31:49.13ID:hW4bkJRd0
>>80

徳川幕府の封建制度=悪、ましてや民主主義が正義などとは思っていない。
ただし徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろう。

パワーバランスで幕府は倒されたという結果。

85名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 10:21:24.43ID:E9yAjn+Z0
>>82
はい論破オマエの負け〜
オマエの脳内ソースで適当にでっちあげた妄想トンデモ理論であること判ってしまったな
哀れ

86名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 10:58:07.42ID:E9yAjn+Z0
>>83
薩長よりもはやく、そしてより明確な近代化と中央集権新国家体制プランをすでに有してそれを履行するとこまできていた幕府が何故新政府に倒されなければ海外の植民地になっていたというのか
その根拠とソースを提示しろ

またオマエの脳内妄想がソースとかぬかすなよなw

87名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 13:12:52.53ID:hW4bkJRd0
>>86
じゃ、なんで、そんなに抜かり無く、しっかりやっていたにも関わらず徳川幕府は新政府に敗れたの?

88名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 14:44:42.49ID:E9yAjn+Z0
>>87
>じゃ、なんで、そんなに抜かり無く、しっかりやっていたにも関わらず徳川幕府は新政府に敗れたの?
こんなことすら他人に訊かないと判ってもないレベルなのか?

まずは
・西郷が廃藩置県がどのような結果うむのか判ってたという根拠とソース
・幕府が軍事力で各藩を統治、恐怖支配していたという根拠とソース
・大久保ら、海外視察組はそれが怖くて、国外逃亡していたという根拠とソース
・徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろうという根拠とソース

オマエがちゃんとそれら主張してる根拠とソースをまず出せ
出せないなら無学無知で勝手に妄想で語ってすいませんでしたと謝れ
そうしたらなんで徳川幕府が新政府に敗れたのかくらい優しく教えてやるわ

オマエがどうみても明らかにしったかで語ってるレベルだから厳しく追及してる

89名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 19:14:13.46ID:XH7mZlIN0
横レスだが、>>88が「句読点の打ち方も知らないレベル」だというのは分かった。

90名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 19:41:17.70ID:vLwHf3R40
>>88
西郷は廃藩置県の議論がまとまらない時に
反乱が起きれば自分がすべて鎮圧すると言って議論まとめたくらいだから
大規模な反乱が予想されててどうなるかぐらい知ってる

幕府時代は言論の自由もないし平均寿命も30
安政の大獄見れば分かる通りほっとけばテロ路線も突っ走る
朝廷や雄藩や浪士が怖いから雄藩も納得するような近代化路線を打ち出さざる得なかった
だから反幕府勢力の長州藩が没落すると参勤交代復活させようとしたり幕権強化路線に戻り
薩摩と関係が悪化して薩長同盟とその後の倒幕になる

91名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 20:33:11.93ID:E9yAjn+Z0
>>89
ID変えて別人設定で横レスとかウケるオマエw

もはやその程度の返ししかできなくて哀れw

そのへん文章まんまオマエのコピペしただけだなのに草はえる

92名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 21:01:19.12ID:Ps544Jc20
>>80

>実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。

これこそ、妄想満載だろ、ソースだせよ。

93名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 21:14:39.64ID:Ps544Jc20
>>88
>他人に訊かないと判ってもないレベルなのか?
>そうしたらなんで徳川幕府が新政府に敗れたのかくらい優しく教えてやるわ

質問の形をした嫌味ということにきずいていないようだなwwww

94名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 22:32:23.16ID:Ps544Jc20
廃藩置県は封建制度の解体の最重要課題だったことは、新政府の誰もが認識していたことであり、
当然、士族の反乱は予想されていた。

明治4年7月9日木戸家で廃藩置県の相談会が開かれている。
従道、大山巌、大久保、山県、井上肇、木戸が出席
西郷は「もはや論議の余地無し。反対するものはあろうが、今は『断』の一字あるのみ。
実施に当たって不穏の事態があったら、その処理は拙者が引き受け申す」

その後天皇へ
「恐れながら臣西郷が居りますれば、何卒、大御心を安んぜさせられますように」と申し上げ、
明治4年7月14日廃藩置県の大号令発布。

95名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 23:29:18.56ID:I8WZPb610
>>94
その逸話のソースは「大西郷の逸話」昭和49年 ですね

作者の西田実は鹿児島県出身の教員で狂信的な西郷信者
本作もマンガみたいな内容の西郷カルト本で
残念ながら歴史学的には価値ゼロのしろものです

創価学会や幸福の科学から出ている教祖礼讃本と同じものです

しかしこんなゴミ本でも引用を繰り返されるうちに
鹿児島県や西郷ファンの間ではそれが史実であるかのように語られ、
ドヤ顔でネットに貼る者も出てくる

ほんとうに困ったものです

96名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 00:18:55.33ID:RgjfvnsN0
ちなみに「大西郷の逸話」では江戸城明け渡しの場面を以下のように書いています

4月11日江戸城に入る勅使に万一のことがあっては無血開城が水泡に帰すので
西郷は身分を隠し、兵卒として勅使を護衛し、一緒に江戸城に入った・・・

そういう大河ドラマでもやらないようなウソ逸話を平気で載せてるゴミ本です、>>94の元ネタは

97名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 03:57:39.95ID:BxQ5jzdr0
明治新政府が捏造した西郷英雄説はありえなさすぎ。

そんなのでもカルトの狂信者のごとく盲信している人はいる。
信じるに値しないものを信じてしまってアイデンティティの柱にしてしまった人間は
たぶんまともじゃない。

倒幕の手段の汚さや明治新政府のやらかした愚策がつまびらかにされていく都度、
わめいて騒いでかきまわして有耶無耶にしようとする。
某一神教で魔女狩りを実行していた異端審問官のごとく攻撃的だ。実に目障り。

明治維新を正しいと思うヤツは頭おかしいっていうアンチなイメージを広めたいなら
効果的なやり方だけど……。

98名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 08:51:03.54ID:jyhm6/yW0
アンチ西郷、アンチ維新のここのスレ主が最もカルトっぽくキモいwwww

99名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 11:32:17.32ID:jyhm6/yW0
>>80
>実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。

1. 明治維新と「今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨」との因果関係、
2. 明治維新と「原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい 穢れた地」との因果関係

の根拠をソース付きでお願いします。wwww

100名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 16:08:17.77ID:UdUZoCMa0
西郷どんもいいけど三国志もね
https://goo.gl/PLRVDf

101名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 16:11:09.75ID:FWGII1/e0
>>93が涙目wwwwww
ID変えて他人装い横レスとか言い出したとおもったら次は負け犬が吠え返すだけの無意味レスで必死www
もはやその程度の返ししかできなくて悔しいのォ〜脳内妄想のペテン師wwww

悔しかったらはよ根拠とソース提示しろw

これだから薩長史観だけに毒されたバカ信者はきめぇ
反薩長史観と両輪のごとく検証する客観性が欠如しすぎて学術板で語る資格もない無知無学のカスばっかだな

102名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 22:52:48.67ID:dhTk80gr0
西郷ドンが廃藩置県の後の反乱を予想してことを示す、行動、言動など一次史料は多数ある。
こんなところにはソースは出さないが。日雇い反日プロパガンダのスレ主に教えるのもったいねーし。
ていうか、大改革の廃藩置県を断行しようとしている当事者がその結末を考えてない
なんて普通に考えてもありえないだろ。
この後また夜中の3−4時に反日プロパガンダのスレ主は火病をおこします。 to be continued

103名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/27(金) 23:44:47.56ID:MnD9aPTb0
そもそも新政府に対し反乱を起こせる実力があるのは薩摩と長州ぐらいなわけで
さの薩長両藩が廃藩置県に先立って「御親兵」という形で新政府に精鋭軍を差し出してる時点で
反乱の芽は摘まれている

そういう意味で西郷は(小規模な抵抗以外の)深刻な反乱など予想していない

あたりまえである
新政府の御親兵以外に、それに対抗しうる兵数、火力を物理的に保持する勢力は
当時の日本に存在しないのだから

もし、西郷が(抵抗以上の深刻な)反乱を予想していたとしたらそのほうが馬鹿だろう
事実、廃藩置県はあっけなく完了している

したがって>>102がなぜ西郷が反乱を予想していたと必至に言い張るのか、理解に苦しむ
さすがに西郷どんもそこまで馬鹿じゃないだろう

104名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/28(土) 11:31:05.42ID:e8Fk1wzz0
>>102
教えるのはもったいないとかw
結局なんだかんだと言ってソースが妄想なので出せないだけなのにこの負け惜しみw
惨めで哀れw
それでこういう批判受けるの自身でわかってるからあらかじめ「火病おこします」宣言して釘刺して牽制したつもりで己の醜態自ら晒すw
超ウケるww
こういう展開になるの判ってるくせに悔しくて悔しくて悔しさ抑えきれないからレスしちゃうw

ま、まずは涙拭いてくれ
それから落ち着いて考えよう

105名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/28(土) 20:46:29.76ID:12wia2nz0
御親兵など数千の兵に過ぎないし
佐賀の乱、神風連の乱、 秋月の乱、 萩の乱、西南戦争と実際の反乱はあちこちで起きてるよ

106名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/28(土) 21:41:13.85ID:z4PG8C3y0
大西郷と言えば洗濯機の愛妻号

107名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/29(日) 00:19:28.13ID:i/Gypk4N0
>>105
それらの反乱の多くは廃藩置県からだいぶ経ってから起きた反乱で
廃藩置県とは何の関係も無いじゃん

大きい反乱は佐賀の乱と西南戦争だけど首謀者たちは廃藩置県の時には
政府にいた人間だし、西郷軍の中核はもともと御親兵

つまり廃藩置県の時に大きい反乱を起こせる勢力は在野せず
物理的にやっかいな反乱が起きる可能性はゼロ

士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い

西郷にとってもウザい島津久光を棚上げできるので
むしろ都合が良かったはず

思われてるほど困難なもんじゃないよ廃藩置県は

実際何の反乱も起きて無いし

108名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/29(日) 00:35:48.00ID:kApjTT6M0
廃藩置県の前の地名の方が恰好良かった。
市町村合併の後の地名もセンス悪い。

109名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/29(日) 18:33:20.83ID:BRy2scPi0
西郷って維新の三傑として木戸孝允や大久保利通のグループに分類されているけど
役割的には島津久光や松平容保のグループなんだよな

薩摩の兵馬の権を事実上掌握している西郷を
政治的に取り込んだ勢力が薩摩の兵力を利用することができるという
以前の島津久光と同様の立ち位置

末路も、久光や容保同様で、利用価値が無くなって切られているが
そういうものとして考えれば普通に超大物の政治家と言える
久光が超大物であったのと同じ意味でね

110名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/29(日) 23:27:18.63ID:kApjTT6M0
久光の悪評は西郷と大久保をヨイショするために捏造されたもの?
ぐぐってたら久光はけっこう高評価。そして西郷と仲が悪かった。
斉彬は先代の実の父親から信頼されてなかったっぽい。嫡男なのに。

歴史ジャンルもので悪役設定された人物って実際は違う場合が多いから
悪役に引き立てられて英雄になった連中も胡散臭い。

111名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/30(月) 00:09:22.97ID:AxbscWD20
久光の悪評と言っても、そういうイメージがあるだけで具体的な悪評って無いはず

逆に西郷は偉人のイメージが一般的には付いているが、では具体的にどんな偉いことをやった人なのかというと
鹿児島県民ですら「え〜と、それは・・・」となるぐらい「偉人」としての実体の無い人物

>>109のように歴史の節目節目に登場して重要な役回りを演じているが、「偉人」かというと全然違うし

112名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/30(月) 18:41:20.63ID:zergod9d0
勝の西郷評や竜馬評もやっぱり創作なのかよ

なんか歴史ってウソだらけだな

すぐ違う説が出てきたりするし真面目に学ぶのがアホくさくなる

113名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/01(火) 15:29:40.82ID:PEQs4sUq0
「敬 天 愛 人」

この手のワードを好み、サインしていた人物ですよ
現代でもそうですが、そんなことするのは自分を大人物に見せたい小人物しかいません

本当の人格者や大人物は今も昔もそのようなワードを口にしないと思いますし
ましてや大仰に書にしたりは絶対にしないと思います

114名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/02(水) 17:29:05.16ID:ZRUJFBN80
>>111
西郷がどんなことをやった人なのか?
面倒がらずに検索してみた。

ドラマ的な脚色を取り払い、史実だけをニュートラルな視点で見てみたら、
結婚してから事故物件だと分かる最低男。
月照という坊さんを殺してる。
久光にはハラスメント。
倒幕のために実行した手段はテロ行為満載。

やらない方がいいことばかりやっていた。

115名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/02(水) 23:34:17.10ID:WKhCa5yA0
>>107

>士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い

全然間違い。
廃藩置県で最も不満が出るのは士族だったことも知らないのか。
そんな超基本的なことも知らないとはwwwww
無知って怖いな。wwwwwwwwwww
そんなめちゃくちゃな知識でよく知ったかぶりで西郷を叩いているな。wwwwww

116名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 00:55:21.61ID:0kroHIYI0
士族の解体は明治9年の「秩禄処分」です

・廃藩置県(明治4年)
 藩の解体 → 混乱無し → 西郷及び薩摩藩士も新政府に同調

・秩禄処分(明治9年)
 家禄、賞典禄の廃止
 つまり士族の食い扶持の没収
 ↓
 とくに賞典禄(戊辰戦争功労者に対する賞与)の恩恵を最も受けていたのは
 薩摩城下士であったが、彼らもその特権を没収され、生活基盤を解体されることになった
 ↓
 西南戦争(明治10年)

わかりやすすぎ

117名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 04:38:18.50ID:Md7bzAv20
>>116
真っ先に暴発して火薬庫襲ったのって、鹿児島城下の城下士達じゃなく、加治木衆を中心とした外城士の若者だったかと
彼らは戊辰時には主に在郷の者が多く、また新政府に出仕した経験者も少なかった
そもそも暴発した若者の多くは、戊辰戦争や明治維新前後のの激動期にはまだ年少だから当然と言えば当然
維新の賞典とかには、さほど与からなかった人達だわね

118名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 08:32:00.04ID:Llt8iNRI0
>>117
まるで年少の外城士が西南戦争を主導したかのような言い方するけど
実際の戦争と何の関係も無いでしょそれは
戦争を決定し、主導したのはあくまで城下士を中心とした「私学校」勢力

火薬庫襲撃も私学校信者たちが暴走したにすぎない

また、西南戦争と秩禄処分は関係無いかのような見解は初めて聞いた

119名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 08:51:11.01ID:Llt8iNRI0
ちなみに外城士は賞典禄の恩恵をさほど受けていないのではなく、賞典禄は基本貰っていない
戊辰戦争に従軍した外城士もいたが、賞典禄は城下士だけに支給され、且つ外城士には当初秘密にされていた

城下士が主導する西南戦争への従軍を渋る外城士が多かった原因の一つがこれである

120名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 09:08:34.54ID:T6aoob0J0
>>107, 118
廃藩置県と秩禄処分を完全に切り離して考え、誤解しているスレ主は哀れ。wwwwwww
廃藩置県後からすでに禄制改革は徐々に行われており、完全に終止符を打つ形が明治9年の
秩禄処分であるだけのこと。

廃藩置県により知藩事は債務がなくなり、家禄は一定の維持ができているので
職を失った士族に比べて、不満は少なかった。

121名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 09:29:05.29ID:vx8onNyg0
>>120
言ってることすべて意味不明

士族が職を失うとか(笑)

士族は身分・特権であって、職業では無いですよ
しかも廃藩置県時にはその身分・特権は失っていません

頭悪すぎ(苦笑)

122名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 10:01:33.68ID:T6aoob0J0
>>121
言葉尻をとらえることしか出来なくなったスレ主哀れwwww
もっと根本的なまともな反論をしてみろよ。

123名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 10:24:08.05ID:97galS+C0
西郷は廃藩置県にて起こりうる反乱は予期したが
つまり旧藩主やその実権を握っていた者を中心とした反乱は予期していたが
秩禄処分を失い、断髪廃刀令などの平民化政策によってその後士族らがどうなるのかまでは明確にビジョンをもってないし想像もできてない

ここがポイント

実際、廃藩置県の重要性やその本質も他の主要閣僚らに比べてどれほど理解していたかも疑問

124名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 11:43:12.17ID:vx8onNyg0
>>123
西郷個人はビジョンを持っていたのか

そもそも西郷はビジョンや理念で動くタイプの人間ではなく
その時々の立場や人間関係によって
考え方がコロコロ変わるタイプの人間だと思われます

廃藩置県時の西郷は政府にいて、リストラする側だが
秩禄処分のときは薩摩にいて、リストラされる側なので
当然考えの変化はあるでしょうね

125名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 18:23:01.44ID:UvJ2qkMA0
西郷って普通のリーマンみたいだなあ……
(´・ω・`)

1262018/05/03(木) 20:13:59.14ID:tU9W730b0
そもそも西郷は紀州藩を改革した津田出を評価してたから、
近代化の必要性は承知していた
ただ大久保政権とは違ったってだけで
板垣や江藤にしても同じ事
反政府だったというだけで、軍と権力握ってる政府には勝てなかったというだけ

127名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 23:21:40.52ID:3MNk0coR0
「近代化」ねえ・・・

西郷信者が大好きな曖昧なワードがまた出たな
具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード

「敬天愛人」とか「天命」とかそんな言葉と同じ次元のワードだな
都合よくどうとでも解釈できて、なにか重要なことを言った気になる無能好みのワード

128名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 02:07:01.03ID:OOq/8ufg0
明治新政府のやったことは壊すことばかり。
中央集権化のためと言いながら地方独自のコミュニティーをズタズタにした。

軟禁して外部からの接点を失った「天皇」を原理主義一神教の神のごとく盲信させた。
盲信はあるがままの存在を信仰する日本古来の概念とは別物。

異端を狩り尽くす洗脳カルトのやり方だ。
天皇という存在にその忌まわしい概念を上書きして行われたのが廃仏毀釈。

天皇を唯一尊い神に引き立てるために他の神々や仏教の否定ってなんで?
基本的に己の正当性を誇示するために他者を貶めるやり方はなんか違うと思う。
そもそも日本の仏教は奈良時代の天皇がものすごいパワープッシュして
取り入れた国教だったのにな。

129名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 13:39:43.46ID:/3oCMPXE0
そら近代化の必要性くらいは理解してたろ
ただ、その近代化の細かな理由や本質、それに対する己の思想など持ち合わせてなかったとおもうわ
でなきゃ、熟知してるのなら農本主義に帰依することなんてしないだろそもそも

西郷がやろうとしたこと
西郷が想像してる政策の器は
生前の斉彬に説かれた内容と構想で止まってる気がするんだよな
それを実現させるだけのプランとビジョンしか持ち合わせてない感じがすごくする

130名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 13:43:22.81ID:g8mZuMAT0
【アミシャーブ計画】 日本人にとって骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話! 【スタクスネット攻撃】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50


神道、皇室、ダブル解体の危機!

131名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 15:12:46.60ID:NRLKUoVu0
>具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード

www


んじゃ〜その具体性とやらで評価されている連中が「どんだけ」居るの?と

132名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 17:55:07.57ID:p2Xj2/080
未知のものに対する西郷の理解力がいかに乏しかったかは
"鉄道論争"によく表れているよ

政府幹部では西郷隆盛のみが鉄道建設に最後まで反対した
金がかかりすぎる、というのが理由らしい

「投資」とか「工業力の裾野を拡げる」というものが理解できなかったわけではなかろうが
それでも反対したのは、もし鉄道を認めてしまったら、農本主義でやってきた自分の人生は
いったい何だったのか、という精神状態に陥っていたとしか思えない

ようは「老害」である

大久保利通も鉄道に強硬に反対していた一人であったが
実際に試乗すると態度を一変させ
「鉄道の発展なくして国の繁栄はありえない。」とまで言ったとされる

一方西郷は試乗することさえしなかった
鉄道は極めて重要な軍事力でもあり、軍の重鎮である西郷が試乗もしないというのは異常な事態である

現代でも電子メールを拒絶する老人やクレジットカードを持たないことを美徳とする老人がいるが
ようはそれである

西郷と大久保の盟友関係にひびが入り始めたとされるのはこの頃からである

133名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 18:34:58.03ID:gbXiuAhW0
鉄道そのものを否定してない、金がかかるという理由だからごく普通の感想。
大久保は乗って見て、気の利いたセリフ吐いてみたかったんじゃないの。

134名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 19:16:09.76ID:p2Xj2/080
>>133
それこそがまさに大問題なんだよな
金がかかるという普通の発想で終わってしまう凡庸なオッサンが
郷土の兵力を背景に、大人物然として政府重鎮の椅子に座っているという

それでも西郷のいいところは自分に理解できないようなことであっても
新しいことをやろうとする人間の邪魔はしないところにあったと思うのだが
この鉄道論争のあたりからそういう面が後退し
老害のように我を通そうとする場面が多く見られるようになった

西郷といえば「征韓論争」で我を通そうとしたのが有名だけど
この「鉄道論争」の構図も実は同じであったのだ

135名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/04(金) 20:42:25.04ID:p2Xj2/080
もうちょっと言えば、西郷の立場に反する案件でも
西郷をヨイショしつつしっかり根回しすれば、あっさり通ってしまうのも西郷の特徴

山県有朋がよい例

徴兵制とか鎮台軍などは、どう考えても西郷と薩摩兵の立場を相対的に弱めてしまう案件であったが
西郷はよほど山県を気に入っていたのか、山県案件は通している

一方で薩摩に帰ってからは相変わらず旧薩摩の軍制をそのまま私学校に移しただけだし
屯田兵みたいなこともやってるし
配下の桐野利秋などはそのような西郷に対し、内心ではそうとうなストレスがあったと思う

136名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/05(土) 02:28:35.27ID:MBqDDgVP0
大阪維新の会が筆舌に尽くしがたいほど大嫌い。
中身空っぽ。ペラベラの風見鶏。
勢いでごり押ししてくる政策はポンコツばかり。

西郷の生き様もたいがい風見鶏。
俗物なだけだからどうとも思ってなかたけど過剰に
英雄扱いでヨイショされているから気持ち悪い。

137名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/05(土) 13:25:00.70ID:pLgbV/pk0
西郷幻想のせいで
「リーダーに必要なのは人格や責任をとる覚悟であり、
実務能力や専門性は小さい人間がやればいい」
かのような間違った認識が一般化してしまった感がある

実際の西郷は自ら責任を取ったことなど一度も無いのに

138名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/05(土) 19:45:58.62ID:+Ucox1tG0
>>135
西郷は明治維新のモデルとなった紀州藩で徴兵制に改革した津田出を評価してたから
別に山縣が関係なくても徴兵制の必要性は承知してるよ
西郷も桐野も私学校にほとんど関与してないし、桐野に至っては既に民権論者になってたし

139名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/05(土) 23:28:34.58ID:9aMVXuSr0
まずその津田出の逸話、
つまり西郷隆盛が津田出を見出し、
西郷一人の判断で政府に抜擢したかのような逸話自体が
事実ではないと思っているんだが

具体的に言えば、その逸話が広く世間に広まったのは
おそらく司馬遼太郎が自著で書いたのがきっかけで、比較的近年のことと思われる

司馬は、田舎に埋もれていた津田出を西郷が一本釣りするかのように
東京に連れて来て、維新の改革を託したかのような書き方をしており
西郷信者によってそれが史実であるかのように広められたと考えられる

しかし西郷が初めて津田に面識を得たのは
津田が政府入りするために上京した後のことである

そもそも津田出は改革者としてすでに有名であり
むろん西郷もそれは知っており、津田を政府に呼ぶことを了承していたはずであるが
西郷個人が徴兵制などの改革を推し進めるために津田を抜擢したかのようなストーリーは
司馬遼太郎と西郷信者によって誇張されたフィクションである

140名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/05(土) 23:47:23.13ID:9aMVXuSr0
西郷隆盛が徴兵制に対し、どういうレベルの理解があったかは正直判然としない

士族軍を廃してゆくゆくは徴兵軍のみに統一していくのか、士族軍と徴兵軍を並立させるのか
もしかしたらロシア型の、士族が士官で徴兵が兵卒という理解であったかもしれない

しかしながら鹿児島では徴兵など一切してないし、議論さえした痕跡もないことを考えると
西郷にとっての徴兵制は、しょせんはその程度のテーマでしかなかったのだろう

141名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 00:35:59.70ID:nsEj5PAZ0
西郷って創作物と憶測以外に褒めるところないの?

記録に残っている実績は、戦場好きな戦争ジャンキーがテロ工作員やってた。
それだけ。

142名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 07:56:00.93ID:zODjBKRj0
西郷は手紙ではわりといいことを書いてるよ
手紙だけ見れば高い人格が備わった有能な人物に見える

現実の西郷は違うようだけど

143名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 09:02:47.00ID:n2mH3eXO0
>>140
私学校なんか軍事的な部分だけ見ると、旧士族への士官教育を指向してたんだろうね
数が必要な兵はいずれ徴兵で賄う
武士として旧態ながらも軍事教育を受けていた旧士族は、士官として一部を近代兵制に組み込む
兵は徴兵で短期間に増やせても士官は教育に時間かかるしな

まぁ明治前半の日本軍士官も旧士族出身者が大多数を占めてたわけで、西郷じゃなくても士官は士族からという流れにはなってるし
どのみち早急に軍事強化を図ると、誰がやってもそうなるわな
そもそも吉野開墾社も私学校も、実質的には維新で職を失う旧士族の失業対策と人材供給が主目的だしね
とは言え結果的にどちらも不平士族の政治結社と化してしまうわけだが

144名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 11:11:53.29ID:zODjBKRj0
吉野開墾社って、家禄を失う士族の授産を見据えた先進的な試みのように説明されることが多いけど
実態はぜんぜん違うからな

西郷の下野に従って東京の政府軍を辞めた者たち(桐野利秋をはじめとした150名の元薩摩藩士)が自活するために
作った宗教コロニーみたいなもんだからな

吉野開墾社が設立されたのは明治6年?であり、明治9年に士族が秩禄処分で禄を失っていく以前のことであり
その当時は薩摩の地元の士族たちは禄も貰っているし、べつに生活に困ってない

政府軍で高給を得ていた西郷一派の武士としての家禄がどうなっていたか知らんが
たぶん権利は喪失していただろうから
その西郷一派の授産のために作られたのが吉野開墾社であり
士族一般の授産のために作られたわけではないのだ
西郷個人の都合で作られたものである
(明治9年以降は一般の士族授産の目的も付加されたかもしれないが)

西郷が吉野開墾社をテーマに作った漢詩が残っているが
なんか早起きして畑仕事すれば心身が健康になるとか
そういう次元の話で、中でやってることは郷中教育的な、
ようは薩摩流の精神修養で若者を洗脳していく人材教育だと感じた

145名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 19:28:56.26ID:bNlhbn+R0
実際は士族派とされる西郷派の方が進んだ考え持ってたやつ多い
桐野→民権論者
板垣→民権論者
江藤→民権論者
こっちが主導権持って近代化進めてた方が日本にとっては良かったろうな

146名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 20:57:58.23ID:n2mH3eXO0
>>144
吉野開墾社はそんな裏の裏を読まなきゃならないような結社じゃなく、幕末に城下士や鹿児島城下近辺の郷士に与えられていたような賄い地の延長線だわな
薩摩に限らず新政府も失業士族を使った開拓事業を熱心にやってたし、当時の日本では工業化と並列する基本手法だわね
吉野台地は元来から水の便の不安定さから放棄農地が多かったが、近世の灌漑技術の進歩と商家の投資で水稲以外なら将来有望な開墾地になってた
今じゃ吉野台地も鹿児島の典型的な住宅地になって往時の面影は無くなってるけどね
同じ事が大隅の笠野原台地でも行われていたから、旧士族就農の試みは当時の鹿児島じゃ無難な手と言える
まして西郷は元々が郡方の小役人だから、むしろこの手の事は得意分野と言ってもいいし

147名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 21:08:12.92ID:QXyeTprl0
>>145
それって反政府の側に回った連中が自由民権運動的な手法に活路を求めただけじゃん

ようは苦肉の策

薩摩なんか自由民権どころかガチガチの士族王国で
そこにどっぷり浸かってた桐野が先進的な民権論者とか
ほとんどポエムだな

148名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 22:37:17.76ID:hYQ18TAd0
九州のルソーと呼ばれ、自由民権運動をしていた熊本の宮崎八郎も西郷軍についたな。

149名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/06(日) 23:37:54.61ID:hYQ18TAd0
>>139
>事実ではないと思っているんだが

お前の感じたことはどうでもいいんだよ。
あい変わらずスレ主は自分の知らないことは全て逸話www

津田出の件については実際西郷は代理で村田新八を紀州に視察に行かせているし。

150名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 00:44:41.69ID:WOxclHXk0
西郷信者はどうしても、西郷が津田を見出したってことにしたいらしいが
津田は紀州にいた頃から超有名人であり
津田が独自に紀州で編成した西洋式の徴兵軍はすでに2万人の規模であった

視察者は全国から集まり、薩摩からは村田新八の前に西郷従道が視察してるし
米英仏は公使自らが和歌山まで足を運んでいる
はっきり言って西郷は津田ブームに便乗しようとしたミーハーなオッサンにすぎないよ

一説によれば西郷は津田に感銘を受け、津田を首相の地位に就けようとしたと言われるが
実際には首相どころかくすぶって終わってるという、西郷伝説のいつものパターン

言われていることと史実がぜんぜん違うという

この逸話が本当だとしたら、西郷さんは津田という英才をまったく生かせなかったわけで
むしろ不名誉なことだ

151名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 02:05:50.76ID:LAgv0Cft0
民権論ってそんな良いものだっけ?
天皇を唯一神のごとく飾り立てといて、それは矛盾だろうに。

マルクス思想に心酔して正論っぽいものを演説する虐殺者たちを連想させる。
正しく美しく響く思想書に傾倒して狂信状態っていうのはよくある話だ。

江戸時代の良識や常識の方が押し付けがましくもなく、ごく当たり前のこととして
浸透していてまともだった。

そもそも薩摩は重税だの琉球侵略だの黒糖地獄だの
開国前から欧米の植民地政策と同様のことをやっていた。
名言上手なカリスマもやってることが違っているからダメダメだ。

島原の乱の残滓、隠れキリシタンたちが潜伏していたせいか
寺子屋の数は他藩よりも一桁少なかった。
そのため薩摩藩の知識格差は酷くて識字率はどの藩よりも低く、
和算ブーム?算額絵馬ってナニ?って状態で年貢計算もできない
第一次産業従事者たちは重税をふっかけられ続けられた。

152名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 05:58:49.19ID:s76QNvot0
スレ主は躁が出たんだろうか。

「イメージと実像が最もかけ離れた男」というのは、スレ主自身の自己紹介。

153名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 07:27:48.30ID:3Nq8MwA70
>>150

何が言いたいのか、何に反論しているのかわからない。

西郷は津田出を高く評価していた事実は廃藩置県、徴兵制に強い理解をしめしていた
ことを揺るぎないものにする。

154名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 07:46:48.18ID:3Nq8MwA70
>>151

>江戸時代の良識や常識の方が押し付けがましくもなく、ごく当たり前のこととして
浸透していてまともだった。

当時の民権運動も完全ではなかっただろうが、腐敗した封建制度や世襲制度よりはるかにまし.

江戸時代が良かったとか。スレ主は時代劇、江戸時代礼賛本の見過ぎだろ。wwww
劣悪な労働条件、貧富の差, 厳しすぎる残酷な刑罰, 子供が殿様になる世襲制など江戸のブラックさは悲惨。

155名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 09:44:46.73ID:SS9W9LLn0
廃藩置県なんて当時誰でも考えていた流れで
西郷が考えたわけでもないし、まともに理解していたかも怪しいぞ

明治6年の政変で西郷が下野した後の鹿児島を見れば
現実の西郷がどのようなものであったか分かろうというもの

156名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 09:45:19.08ID:SS9W9LLn0
西郷党とも言える私学校はナチス党や中国共産党と同じく、誰も逆らえない一党独裁者になり
城下士と郷士との身分差別は深まった
本土の百姓も奄美の奴隷も解放されるどころか、旧藩同様の簒奪を受けた

157名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 09:46:08.25ID:SS9W9LLn0
西郷君臨下の鹿児島はシンプルに北朝鮮と同じであった
いや島津時代のほうがまだましであったと言える
何しろアンチ久光を広言する西郷のような者でも殺されずに藩政に参加できていたのだから
よほど民主的であったのだろう

西郷君臨下の鹿児島はどうか

西南戦争では従軍を拒む郷士をその場で虐殺した

158名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 09:48:56.29ID:SS9W9LLn0
西郷の理想がどうだったかは知らないが
唯一史実として言えるのは、私学校独裁の鹿児島を

西郷は甘受していたということ

そこには中央政府時代に後押しをしたとされる廃藩置県や徴兵制の片鱗も見えない

159名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 12:24:41.34ID:LAgv0Cft0
腐敗した封建制度や世襲制度って……、ベルバラのイメージならそうだね。
マリーアントワネットが「パンがなければケーキを食べればいい」っていうのはフィクションだったけど
賭博にハマって血税をガバガハ浪費したことは本当なんだよなぁ。
それで革命が起きて、即位だけはした最後の国王ルイ17世は人道もなにもあったもんじゃない虐待行為によって
わずか10歳で悲惨な死を遂げたけどその顛末の認知度は低い。

革命というのはエスカレートしすぎるからよくない。国王夫妻を断頭台で処刑するのもドン引きだけど、その子どもまでも
虐待死させるのが正義を叫んでノリノリだった革命派。
原理主義一神教の信者脳は排斥する対象に容赦がなさすぎる。


対して、キリスト教に禁教令を出していた徳川幕府は殿様さえも質素が美徳とされていた。
西洋の封建制度と日本の封建制度は呼び名を同じにしているのがおかしいほど別物だ。

世襲制は高水準の技術の継承には必須たった。
農業・林業・大工・その他伝統工芸の技術者も幼い頃から道具や現場に馴染んで経験を
積まなければ手に入らない高度な技能だ。
政(まつりごと)の家系には次代の殿とその側近をセットで育成しなければならないかった。幼い頃から
徹底して教育するなら世襲ってなる。ほぼ当然。


庶民からは見えなかったお偉いさんたちの社交による根回しも、メインは茶室や碁を打ちながらの明晰な脳の
コンディションで行われていた。
酔っ払いが勢いで国家を運営したら惨憺たることになるから当然と言えば当然ではあるが。

テロ活動にいそしむ薩長工作員は密会するにも潜伏するにも酒飲んで女遊びする場所ばかりだったから
やることやること酩酊脳の勢い任せでテンションがおかしい。
強い権力者は悪だーってテンプレな思い込みも短絡的。

外様大名には不評だった参勤交代も街道・宿場町の経済を潤していたし、行軍訓練にもなっていた。
戦争経済の依存しなければやっいてけなくて朝鮮出兵をやらかした豊臣政権よりも上手くやってるなぁと感心する。

江戸時代の粗探しをしてみると大組織の運営の試行錯誤が興味深いけど、たまに忠臣蔵のような
通り魔狂人に追従する勘違い忠義者が非武装の老人を夜闇に集団で殺人しにいく美談(?)が流行したりしてたけど、
おおむね歌舞伎のような庶民の娯楽になって流行する程度で国を揺るがすほどのものにはならなかった。

薩摩藩と西郷は粗探しなんてしなくても粗だらけ。雑だし残虐だし幕府の粗探しをしてレッテル貼りして
世論誘導してと……、その行動パターンは己の所業を顧みてないところがもうアカンやつ。

西郷も黒糖地獄見てきた経験があるけど生還してから奄美のためのことどれほどのことをしたっけ。
久光を田舎者と罵ったくせに江戸の先進的な文化とやらを薩摩に広めることもしない。
戦場をプロデュースして戦して目立ったから英雄? 戦国時代に回帰したかっただけの迷惑野郎なんじゃないの?

160名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/07(月) 13:28:06.96ID:3Nq8MwA70
大型連休明けの忙しい日にもかかわらず職業反日プロパガンダは暇が存分にあることだけはわかった。wwww

161名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/08(火) 22:58:01.19ID:mL4mlnIg0
公武合体派の軍学者赤松小三郎を、その教え子・人斬り中村半次郎に斬らせた黒幕は
西郷だったと「諸説あり」って番組で言っていた。
仮説とはいえさもありなん。暗殺が歴史を動かすのに有効手段だった時代だ。

西郷は戦好き。公武合体が実現したら戦ができない。戦こそが時代を動かす。
徳川幕府を戦で滅ぼして新時代をってビジョンを強く持っていた。

それにしても赤松暗殺の理由は、彼の知識が幕府軍を強くするのを危惧したって
ことらしいが、赤松にしたら災難なことだ。
役割を終えて帰ろうとしたら教え子に斬られるって、恩を仇で返されたってことになる。

軍事の技能をパクって用済みになったら機密保持のために消す。
招かれて行ったら、教える側である間はもて囃されるが生還はできない。それが薩摩。

余所者に対してだから冷酷な決断ができた?
西郷も同郷の大久保らに見限られているから因果応報?
……後味の悪い話だ。

162名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/08(火) 23:21:41.65ID:BYYawUJu0
>>155
廃藩置県を考えたのはたくさんいたが、実行に移せるのは西郷以外にいなかったってこと。

163名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 00:20:59.39ID:uvu4VN2N0
>>161
この時期の桐野は小松帯刀から重用されてて、西郷の命令下で動く事はあまり考えられないがなぁ
むしろこの時期の桐野は政略的な面での活動が多くて、小松帯刀や朝廷工作をやってた大久保に近かった頃だし
西郷に抜擢され麾下で動くようになるのは戊辰戦争の頃からだしね
しかし小松帯刀が桐野に暗殺を指示するっても、彼の政治姿勢を考えたら想像し難い事で…小松帯刀ってイメージより黒かったのかもしれんけどね

164名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 01:59:11.73ID:2tk+BIlw0
>>162
実行もなにも西郷は何もやってないよ
そもそも実行するような実務能力が無い

165名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 06:35:54.07ID:q17gx+G80
>>164
スレ主は、時々こういう卓袱台をひっくり返すようなレスをします。
スレ主が自分で荒らすんだから、そりゃスレは荒れる。
荒らしてレスが来るのが目的の、かまってちゃんだから仕方ないのでしょうが。

こんな人に「人望」の意味が分かるはずがありません。

166名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 07:08:05.80ID:Kw5/Gine0
実際に「実行」という言葉に値することなんて何もしてないじゃん

『山県有朋らが進める廃藩置県に西郷は理解を示し協力した』って言い方が正しい

「実行」「人望」・・・実体の無いポエムだな

バカ 「西郷はその人望と求心力で廃藩置県を実行した」

・・・すごい深い意味がありそうだが、ちょっと考えれば何の意味も無いポエムだと分かる

西郷を礼賛するバカが使う表現てこんなのばっかりだわ

167名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 07:51:57.21ID:emVfYEql0
>>166

スレ主の知識不足は深刻レベル。

>『山県有朋らが進める廃藩置県に西郷は理解を示し協力した』って言い方が正しい

その言い回しは西郷は廃藩置県の蚊帳の外にいてサポートしたかのようにミスリードしているが全然不正解

実状は山縣が廃藩論を提起し西郷に同意を求めている。政治的ポスト、力関係から西郷
に伺いをたて、同意を求めたと言った方が正しい。実際伺いをたてに西郷を訪れたことは一次史料にも残っている。
その他、あえていうなら木戸、大久保らも廃藩置県断行に大きく関わった人物ではあるが、
廃藩置県断行に不可欠な武力の後ろ盾である新兵を組織した西郷が最重要人物であった。

168名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 07:52:05.66ID:9WyXRBOa0
>>164
桐野の人生をぐぐってみたけど、改名しただけで人斬りは放免されたっぽい?
人殺しに相応の罪状がつかないとは変な時代だ。

赤松暗殺を人斬りに命じた「黒幕は西郷ではなかった説」もさもありなん。
西郷以外にも赤松を消しといた方がいいって判断をするお偉いさんは何人も居たってことだろうか。
冷酷なのは人間多すぎだよ、薩摩藩!

169名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 08:21:19.07ID:wl09SkWE0
西郷でなければ実行できなかったという言い方は微妙だなぁ
薩長土の武力前提だから西郷の取り込みが必須ではあったけど

170名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 08:41:43.52ID:gZBd/ucp0
>>168
黒鉄ヒロシの妄想を信じるなよ…
赤松が薩摩にとって邪魔だったって説には信州人が地元の人物を実際以上に重要人物に見せたいという魂胆が見え見え
薩摩がまだ公武合体をあきらめてなかった慶応3年5月の赤松から久光への建白書を持ってきて
武力倒幕には邪魔だったと強弁したりと史料の裏付けがまったくない

171名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 09:03:48.39ID:0p8z+njw0
>>167

Q : 西郷さんのおかげで明治政府は廃藩置県を断行し、旧体制からの決別を出来たんですよね?

A : 明治3年、新政府は廃藩置県に先立ち、
鹿児島の西郷隆盛と5千人の薩摩藩士を御親兵として東京に出仕させました。

廃藩置県に反発する武士層の反乱が予想されたため、
これを鎮圧するのに、薩摩兵とこれを束ねる西郷の力が必要であったのだが、
もっとも反乱を起こしそうなのが鹿児島住みの薩摩藩士と西郷であったために、
これを未然に懐柔しておくためでもあった。

ではなぜ西郷は懐柔されたのか。
西郷にとっての廃藩置県は、藩主に権力を返上させ、その下にいた士族が実権を持つ
という意味であったからだ。

西郷は、出仕の際に出した意見書(「西郷吉之助意見書」)で、
「新政府に必要なのは士族を中心とした軍備強化と農本主義的な国家経営であり、
近代工業や鉄道などの建設を推進する政府は「商人」のようである」と糾弾しており、
廃藩置県には同意しても、士族中心の国体を固守する考えに変わりはなかった。

旧弊にとらわれない中央集権国家を目指す新政府とは同床異夢であったといえる。

新政府からの同様の懐柔措置は長州と土佐に対しても行われており、
いずれも御親兵を東京に出仕させている。

つまり西郷隆盛はあくまで、廃藩置県に協力した一人である、
という話なのです。

よく言われる、岩倉使節団が洋行しているあいだに、
西郷がその声望と求心力で、廃藩置県を断行した、という類の話しも
まったくのデタラメです。
新政府が廃藩置県を断行した後に、岩倉使節団は出発しています。

172名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 09:36:10.51ID:emVfYEql0
>>171

コピペを出すんじゃなくて、自分の言葉でかいつまんで反論してみろよ。自信がないのか?

173名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 10:27:20.63ID:0p8z+njw0
コピペじゃないよ テンプレだよ
君の言ってることって、テンプレ以前の情報量と見識でしかないんだよ

本質を言えば、廃藩置県における西郷隆盛の功績は
新政府に懐柔されてあげて反乱の芽を自ら摘んだこと

それ以上でもなければ以下でもない

むろんただで懐柔されたわけではない
目の上のタンコブであった島津久光など門閥層の無力化は西郷にとって「ざまあ」としか言いようのないものであったし
配下の桐野利秋なども陸軍少将という破格のポストと超高給が約束されたうえでの出仕であった

これって言わば西郷閥という新しい門閥が旧門閥にとって代わったにすぎないんだけど
そういう矛盾を西郷はどう考えていたんだろうな

174名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 10:36:55.63ID:emVfYEql0
>>173
結局、また脇道に逸れてはぐらかすのかwww

>>164の「実行もなにも西郷は何もやってないよ
そもそも実行するような実務能力が無い」についてダイレクトに説明しろよ。

175名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 11:12:19.52ID:0p8z+njw0
ダイレクトって何? 信者用語?

西郷は廃藩置県では何もやってないって

むしろ抵抗などせず何もやらなかったことが、西郷の大功績と言えるのに

それこそが西郷という存在の価値だよ

「西郷が実行した」「西郷が断行した」・・・アホか
信者が西郷のことをいちばん分かってないわな

176名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 11:38:46.01ID:emVfYEql0
>>175
ダイレクトの意味もわからないのかwwww
directだよ、辞書を引けよ。
お前の書いているのは意味のあるもの全くなし。自分で書いたもの見てみろwwww
著作権法違反のコピペ転載、抽象論、罵詈雑言だけなんだよ。www

177名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 12:57:47.23ID:hbob5ov80
吉田松陰が斬首された悲惨なスレッド
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/dtm/1523675019/

178名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 17:56:08.56ID:9WyXRBOa0
>>170
黒鉄ヒロシって誰だろう? レビューすら読んだことなかったから一通りアマゾンの
レビューを読んできたけど読破できるのはいつのことやら。
有名な竜馬がゆくはレビュー読んだだけで生理的に好かなかったから読んでない。
英雄っぽさがわざとらしくしか演出できないテロリストたちの美談だの、
実はダーティーだったという暴露本なども、実はさほど興味がない。

ただ西郷英雄説への嫌悪感はどこからかというと、ハリボテ感ハンパないから。
聖徳太子伝説ほど時代の隔てがあれば、そういうレジェンドも作れるだろう。
だが西郷を伝説化するには、時代的に近すぎて明らかになっている醜聞がありすぎる。
明治維新の立役者たちの偉業とやらのハリボテっぷりは、ちょっとぐぐれば早々に
化けの皮が剥がれる薄い薄いものだ。
マンセーするの、無理。

179名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 20:02:31.78ID:CPILVRTe0
んでも良くも悪くもそういう先達があってこその今なんだよなと

下手すると自分やお前らの先祖は未だ底辺弱小百姓階級のままだったかもだし
いやいや大陸・半島連中に蹂躙されてハングルor北京語標準になってたかもしれんw

180名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 21:24:27.37ID:emVfYEql0
廃藩置県が西郷なしでは断行できなかった事実は薩長、西郷嫌いの半藤でも認めているからな。

181名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 22:10:23.75ID:k2WxbhA50
>>180
プッw

「廃藩置県は西郷が断行した」

「廃藩置県が西郷なしでは断行できなかった」

に変えてやがる

ダサすぎw

182名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 22:15:19.37ID:9c9jwbxv0
薩長の戦力、とくに兵数の多い薩摩の戦力を取り込まずして廃藩置県はできなかったのであり
べつに薩摩の窓口は誰でもよかった

西郷が薩摩の窓口に居座っているので西郷に根回しするしかなかっただけで

西郷がこの世にいなければもっと簡単に政府は薩摩の戦力を取り込んでいたろうな

西郷のおかげで薩摩士族の暴発が防げたかのような話は幻想だよ

実態は、西郷がいたせいで薩摩士族が西郷軍団化し、一種の圧力団体として政府にプレッシャーを与え
西郷への根回しが不可欠になったということだ

西郷は薩摩という圧力団体を抑えたのではなく、薩摩を西郷軍団という圧力団体に仕立てた張本人なのだ

いわば自作自演

183名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/09(水) 22:16:16.72ID:emVfYEql0
お笑い岩倉とんでも使節団の物見遊山の間に西郷は廃藩置県の後処理、学制、徴兵令、地租改正とか留守政府で
どんどん断行していった。西郷でなければ反乱だらけだったろうな。
まあ、外遊組が残っていたとしたら、かえって何もできなかったろうから、岩倉慰安旅行もあながち悪くなかったかな。
ちなみに、岩倉旅行団は不平等条約改正の目的は全くなかったそうだな。
旅行団がアメリカについた時に、駐米の森有礼が焚きつけたらしい。

184名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 00:46:51.23ID:FEePfz2j0
しかしこんな奴しか擁護する者もいなくなったのか西郷どんは・・・

大河「西郷どん」は、西郷伝説という電球が切れる最後の一瞬の輝きなのかもな

185名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 06:41:15.33ID:/v/fGIeh0
スレ主は最近バイト先で「これではまるで現代の異端審問だ」とか文句を言って、
馘になったんじゃないかな。

186名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 08:37:56.40ID:zLZj/7Ku0
鹿児島みたいな地方でもバイトってバカにされるポジションなんだ?
鹿児島とか全員バイトレベルの人材で回してる県という印象だけど

187名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 13:26:16.23ID:8uaK8j7I0
そういや司馬遼太郎は西郷の立ち位置を
現代で言えば、労組の委員長みたいなものだと表現してたな

労働組合のトップであり、経営層からは煙たがられる存在

しまいには経営層を追い出し、労組の幹部が経営をするようになり
あたりまえだが会社を潰した

188名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 15:06:08.92ID:dSdBCnPH0
まあ、司馬史観参考にするのもどうかとおもうが

歴史上の人物あらさがせばそらいろいろ必ず出てきてしまうけど
西郷の場合、英雄にまでまつりあげられてるからそのあらが色濃く見えてしまうのも仕方ないし、かわいそうでもある
ある意味西郷も被害者なのかもしれん

希代のぶっ壊し屋であったけど、政治家としてはなあ…

189名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 17:11:37.85ID:OBvoi8er0
ぶっ壊し屋か・・・

世間では、古い時代をぶっ壊してくれた人と思われているが
じつは違うんだよなあ

ぶっ壊したリストの中に幕府や門閥も含まれているので
「古いものを壊してくれた人」扱いされているが
西郷にとっては不平不満の対象がその時には幕府や門閥だったということであり
時期が違えば鉄道や近代的価値観の官僚をあたりまえのようにぶっ壊そうとしてるからな

190名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 17:12:21.66ID:OBvoi8er0
やはり原口虎雄氏の言うように「永遠の不平家」だったのだろう

貴乃花親方と同じで、自分の知らないところで大事なことが決められたり
自分のことを認めようとしない人間が自分より上の地位にいることが
どうにも耐えられない性分だったとしか思えない

ふつうそのような人間は誰にも相手にされなくなるものだが
貴乃花にしても西郷にしても常人には無いカリスマ性があるので
付いていく人間も少なからずいるし
知らない人が離れて見れば正義の改革者のようにも見えるので、世間人気がある

191名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 17:17:58.30ID:OBvoi8er0
しかし近くにいる者は、貴乃花や西郷の性分を分かっているので
近い人ほど離れていく

正義や義憤でやってるようなポーズをとるが
自分が具体的な解決策を持っているわけではなく、
じつはライバルや気に食わない者を追い落とすこと自体が目的であることが
貴乃花や西郷に近い者には分かっているのだ

貴乃花の実家の家族は全員離れたし、以前貴乃花派だった親方衆も離れる者が続いている

西郷の近親者も従道はじめ離れた者が多く、かつて盟友だった大久保にも見限られた

西郷を高く評価したのは西郷に会ったこともない福沢諭吉とか
昔に何度か対峙したことがあるだけの勝海舟とか
ようは反政府的心情の持ち主がプロパガンダとして西郷を祭り上げてるのだ

192名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 19:31:14.45ID:HiwKJRuj0
西郷さんは結局偉大だったという結論になるな
洋行組が西郷筆頭の留守政府に嫉妬して権力闘争しかけただけで
宮廷の権力闘争に長けて皇帝を操ったりする中国で言う宦官みたいなもんやね

193名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 21:56:00.66ID:Ok+jpDl10
荒らしとダメンズウォーカーしか西郷を擁護しないスレッド。

194名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 22:43:53.63ID:U/aVv5Cd0
近代化、民主化の基礎に必要なことは留守政府でほとんどはやり尽くした感がある。

ありがとう、西郷ドン。
ここに集う、こんなにも身分の卑しいアンチ西郷にも自由に書き込みできる権利を与えてくれて。

195名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 23:37:56.65ID:7aqy5q3B0
岩倉使節団が命がけの洋行で近代文明の調査に力を尽くしていた頃、
日本に残った西郷隆盛は何をやっていたのでしょうか・・・

西郷と同じく参議の職にあった大隈重信の証言がある。

「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、
留守内閣では太政官の正院に出頭しても、
ただ板垣(退助)と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていった」

明治新政府における西郷の浮き上った、無為無策な姿が目に浮かぶようだ。

「 世間の多くの人は西郷を英雄と言い、豪傑と称しているが、
私は不幸にして、未だに西郷のどこが英雄でどこが豪傑だったのかさっぱり分からない 」
日本史籍協会編『大隈伯昔日譚』二、東京大学出版会、1981年履刻

196名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 23:39:48.92ID:7aqy5q3B0
大隈重信は維新三傑にしばしば言及しているが、木戸や大久保を称揚する一方で
西郷については冷評していることが多い。

『大隈伯昔日譚』(明治二十八年)では「政治上の能力は果たして充分なりしや否やという点については、
頗るこれを疑うのである」と語り、そのために壮士輩が談判を迫り、脅迫状が届いたという。

それでも大隈は発言を訂正せず、その後の座談でも西郷の「感化力」は認めながらも批判的である。

しかし最後の筆録となった『大隈侯昔日譚』(大正十一年)にみえる西郷評は同情的な傾きがあり、
木戸・大久保の人物評とあわせて一つの参考になると思う。

197名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/10(木) 23:42:30.36ID:Eai8nByb0
>>196
>『大隈侯昔日譚』(大正十一年)にみえる西郷評は同情的な傾きがあり
これがどんなものかが結構重要な気がする

198名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 03:09:06.69ID:MTxbWvUE0
>>186でスレ主は、印象で物を書き、実像は全然知らないんだと、自分で言ってますね。

「スレ主 イメージと実像が最もかけ離れた男」

199名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 07:09:42.74ID:9MxdYPWj0
三井の番頭こと井上馨とつるんで私腹を肥やしていた大隈は西郷に嫌われていたんだよな。2人が不仲だったのは有名な話。

200名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 07:42:15.48ID:LyIgfz+f0
>>195
>岩倉使節団が命がけの洋行で近代文明の調査に力を尽くしていた頃、

「近代文明の調査」ねぇ。www
アンチ西郷のスレ主が大好きな曖昧なワードですな。
具体性ゼロの、ほんとうに無意味なワード

「命がけ」ではなく、国内の反乱を恐れての「命乞い」の洋行と言った方が正しいだろ。
特に大久保は反対を押し切って、強硬に使節団に入っているよな。

201名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 09:42:29.50ID:40p+35uQ0
鹿児島じゃ海外逃亡だと教えるんだ
岩倉使節団の背景を

聞いたことねえわ(苦笑)

そういや鹿児島には独自の大久保伝説がいっぱいあって
・西南戦争に西郷が参加していると知った大久保は激しく動揺して家の鴨居に頭をぶつけた
・大久保が紀尾井坂で襲撃されたとき、女のように悲鳴を上げながら逃げまわった
・薩英戦争の時に大久保が屋根に登って沖合の英艦隊を見ていると
 突然英艦が砲撃して、腰を抜かした大久保は屋根から転げ落ちた

などそんな大久保ヘタレ伝説が固く信じられていたそうだな
そのリストに入れとくわ

・大久保海外逃亡

202名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 10:33:34.71ID:zLVXkr5x0
>>196
いやまぁ前半生の大隈は他人の悪口言いまくりなんで、あまり彼の発言を参考にしない方が…
逆に晩年は急に性格が丸くなってしまったんで、晩年の彼の褒め言葉もアテにならないんだけどね

203名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 11:17:28.10ID:A0WJpA2U0
>>202
明治28年の『大隈伯昔日譚』は西郷を快く思っていなかった大隈の肉声に近いのかなと思うが
大正11年の『大隈侯昔日譚』は露骨に西郷美談調なんだよな
大隈が使いそうにない「忠義」「徳」などという言葉が使われている
大隈の心境に変化があったかもしれないが、著者(編纂者)の違いによるものもあるかと思う

ちなみに明治28年の西郷評は>>3の西郷評と同じ冷たいトーンであるが
大正11年のは、重野安繹が「西郷南洲逸話」で書いた、西郷に対し同情的な箇所とほぼ一致する

西郷は子分とワンセットで「西郷隆盛」であったという見方は完全に同じである

204名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 11:19:24.34ID:A0WJpA2U0
重野安繹 『西郷南洲逸話』の西郷に対して同情的な箇所

西郷の人となりは、今申す通り度量は狭いが、人と艱苦を共にするというところが持前で、
古人の謂ふ士卒の下なる者と飲食を共にする風であった。支那の戦国では呉起(軍事思想家)などが
そうであったという。
士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物で、
自分より目下の人の信用を得ることが多いので、西郷のためならば死を極めてやるという、
いわゆる死士を得ることは自然に出来るので、それが面白くてたまらない。
何でも下の者を己の手足のように使ひ廻すのが、一生の手際(自分の長所?)と思って居るから、
自分も努めてする。
幕府を倒すのもそれから起って居る。そうして一時成功したのは、士卒の心を得ているからである。
しかしながら西南の役になっては、それが自分の身を亡ぼす元になって来た。
西南の役は西郷に人心が就かなければ、あれ程の事は出来はしないであったろうが、
薩摩の者は申すに及ばず、他国の婦女子までも、西郷先生ならばと云って、皆戦争に出る気になった。
西郷が人から惚れられるのは、そこに在るのだ。その方には人心があった。

205名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 11:22:20.98ID:A0WJpA2U0
大隈重信 大正11年の『大隈侯昔日譚』

西郷は破壊的で建設ではない。すなわち破壊の勇者で建設は不得手であった。
政治は建設的で破壊は力である。だから長き強き封建を破るという破壊的維新には、
西郷の力与って大いに力があったが、復古で目的を達した後は浪人してあまり政治には関係しなかった。
そのまま猟でもして余生を養ってときどき陛下の御諮問にでもお答えする位にしていたら間違いは無かったんであるが
非常に情に脆い涙弱い人であって、乾兒(こぶん)が沢山あったからついに乾兒に誤られたんである。
勇者は強者には強いが柔に出逢うと溶けるんで、流石の西郷も乾兒どもには弱かったんである。
この情に脆い結果が西郷の徳をして盛んならしたと同時に、一方生涯の過ちを惹起したと察せられるんである。
これは一つには政治家としての性格でもない、軍人としても戦術家ではない。政治家でも軍人でもなし、
一個の自然人で、ただどこまでも忠義一途なんで、国家の為となると、将軍も島津公も眼中にない。
少しも私心無き卓越したる英傑であった。維新前後にはこの種の人が多少は現れたが、古今には甚だ少ないんである。

206名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 11:36:04.27ID:A0WJpA2U0
この二つの西郷評のおかしな点を少し書くと

重野の「薩摩の者は申すに及ばず、他国の婦女子までも、西郷先生ならばと云って、皆戦争に出る気になった。」
他国の婦女子とかそんな事実はまったく無い

そして大隈の、西郷は「少しも私心無き卓越したる英傑」という評
大隈が本心からそう思うだろうか??
西郷が論理的な理念や方針を持たない壊し屋であることを「私心無き」と皮肉ったというなら話は分かるが・・・

207名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 11:58:14.16ID:xKOnOAeE0
>>201
鹿児島の風土やばいね

208名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 12:43:38.94ID:LyIgfz+f0
>>206
>この二つの西郷評のおかしな点を少し書くと

大隈と重野の文書が信憑性がないということは良く分かった。

209名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 13:16:43.94ID:tEbEweT00
イメージと違って西郷の留守政府がなにかと酷いんだよな

210名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 16:56:47.47ID:LyIgfz+f0
留守政府での西郷がやったことは近代日本の礎を築くものばかり。

211名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 17:45:18.31ID:eo7jiJgI0
このスレッドに常駐する維新信者はわざわざ複数IDを使っているのか?

スレ主呼ばわりされた人は何人もいるけど、信者の人数は書いてる文は
似通っているし、1人か1チームだけのような気がする。

わざとカルト信者のようにふるまってアンチ明治政府、残念な西郷を一般論化させたいのか
重度なカルト信者脳でイッちゃっているのか、……どちらだろう。

212名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 18:32:23.83ID:1f+JyOz20
西郷の墓地で大久保の法要「待った」 反発受け名称変更
http://news.livedoor.com/article/detail/14671364/

こういう狂信者がここにも来て荒らしてるのかもな
https://www.keiten-aijin.com/

西郷と大久保はどちらも鹿児島出身で固い絆があったとか美談化するのもキモいし

西郷を死地に追いやった大久保は絶対許さねえというのもキモすぎる

登場人物全員キモい

213名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 18:54:59.72ID:1f+JyOz20
まじでキモいよ
https://www.keiten-aijin.com/syuisho
敬天愛人フォーラム21 趣意書

『敬天愛人』この思想は、民主主義以上の世界最高のものであり、
人道として国民として実に千古の大教典である。

214名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 19:10:22.19ID:1f+JyOz20
上の主催者が経営してる会社
https://www.giftbank.co.jp/

多重債務者にカードで換金性の高い商品を買い物させ
それを買い取り、現金化してやるという
敬天愛人どころか、「弱者を食い物」にする商売

215名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 21:40:37.47ID:9flaJtvK0
>>201

ついにヘタレ大久保伝説の新しいテンプレ完成!!!!
ありがとう、スレ主様ーwww

>
・西南戦争に西郷が参加していると知った大久保は激しく動揺して家の鴨居に頭をぶつけた
・大久保が紀尾井坂で襲撃されたとき、女のように悲鳴を上げながら逃げまわった
・薩英戦争の時に大久保が屋根に登って沖合の英艦隊を見ていると
 突然英艦が砲撃して、腰を抜かした大久保は屋根から転げ落ちた
・大久保海外逃亡

216名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 23:35:05.95ID:ZL4jZjRc0
>>208
信憑性とかは置いといてさ
重野の場合は若い頃のとんがった西郷を知ってるが故に、世間で知られてる西郷とは違う普通の人としての面を語りたかったんだろね
大隈の場合は本人が歳をとって自分も子分に囲まれたり、それなりの地位になって若い頃のように好き勝手出来なくなった自分を顧みたんだろね
歳とって西郷と同じような状況になった時に感じるものもあったろうし、老境に入って過去の事が大隈的に美化されることもあったろうからなぁ

>>212
それなぁ、慰霊祭を行おうとしたのが鹿児島の有志団体(含む西郷隆盛の子孫)で、反発したのが東京のグループなんだよね
戦前ならともかく、今の鹿児島で大久保利通に恩讐なんて考えられんだろね
どちらも郷土の偉人として尊敬されてるしな〜

217名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/11(金) 23:54:23.57ID:nLJqbiZ60
自分で自分にレス

218名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 02:12:12.82ID:QGxwNE420
一番ヤバいのは毎回スレ主認定して草生やしてる奴じゃないだろうか

219名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 09:30:02.44ID:gEkqATvB0
キチガイを笑っちゃいけない

西郷どんスゲエ → 鹿児島人の俺スゲエ

の思考回路は鹿児島人の基本だが
日本人自体が
大谷スゲエ → 日本人スゲエ → 日本人の俺スゲエ
となる奴が多いわけで

このスレの鹿児島人のキモさを見て我が振り直せをすべきだろうな

220名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 10:24:57.16ID:oRAzxhNO0
西郷のスゲエの部分はほとんど捏造だけどな

221名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 10:38:44.37ID:b8P3cqdW0
イメージと実像が最もかけ離れた男といえば福沢諭吉
あ、坂本竜馬も
伊藤博文も
天皇も
・・・

明治の連中は美化されすぎで正しく教えられていない
誰か一覧表にしてくれるか

福沢諭吉
X 天は人の上に人を作らず
○ 労働者、貧乏人、身体障害者など弱い者を徹底的に汚い言葉でののしり
  こんな人間が日本に存在していたことが極めて恥ずかしい

222名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 12:57:01.48ID:lO1MmVVV0
伊藤博文?

伊藤博文は武士っぽくないからイメージ軽いけど
あれだけ貧相な感じの男が明治以前に洋行したり
明治六年の政変では西郷を追い込んだり
とても常人ではできないことをやってるよ

223名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 13:04:37.44ID:TfoYzpBP0
>>219

そう言う話に持って行くなら

大久保ヘタレ  → 鹿児島県人の俺ヘタレ

と言う風にスレ主は持って言ったらどうなの?
それはしたくないんだろ。 スレ主は矛盾だらけなんだよな。wwww

224名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 13:29:51.23ID:lO1MmVVV0
>>223
意味が分からない

ようは鹿児島県人はダブルで悲惨てこと?

225名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 15:25:05.59ID:NdspHJt20
歴史上の人物にかぎらず誰がなにをしてもその行いは視点を変えれば善にもなるし悪にもなりうる
美化された面だけに目を向けて賞賛することも、否定的な側面を一つ見つけて存在価値を根底から覆した気になって蔑視することも間違いです

226名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 15:33:58.85ID:7sp87mGj0
大久保について言うのは分かる、立場が違えば見え方が違うというのは

しかし西郷の場合は視点の問題ではなく、「功績」や「善行」と言われてるもんがそもそも実在してないんだわ

227名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 19:29:01.35ID:Xsl8ttIz0
西郷の功績は分かりやすいが倒幕、江戸無血開城、廃藩置県、徴兵制と
大久保の功績こそよく分からん
留守政府が明治維新と言える大改革やった基盤の上に権力闘争で横滑りに乗っただけで

228名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 19:59:34.44ID:nqt6Kf/h0
>>227
そうそう、
大久保は単なる秀才、事務屋さん。まあ、IQは高かったんだろうが代わりはいくらでもいた。
まあ冷血な策略家としては特段に秀でているが。

大久保に裏切られ、売り飛ばされた人たちの代表

精忠組の面々
島津久光
西郷隆盛

229名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 21:40:44.39ID:QGxwNE420
>>219
鹿児島県人は置いておいても、日本人自体の思考はまさに我が振り直せだな

>>225
激しく同意

230名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 23:01:05.07ID:nqt6Kf/h0
>>219

自分の国、自分の街、自分の郷土出身の人を応援するのは万国共通。
海外に出たことのない人は、日本人が日本のことを応援するのがおかしいことと
思ってしまうんだろうな。当たり前のことなんだがな。
まあ、海外はすごいとか、コンプレックスが根本になるんだろうな

「俺は地球市民だー」とか言って脳内全域花畑の左翼思想全開のスレ主を笑ちゃいけない。
かわいそうな人なのだから。

231名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/12(土) 23:58:23.11ID:rutso2JT0
信者が連続投稿してるし

232名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 04:45:00.80ID:YcwaO+l00
スレ主ガー言ってる奴がちょっと病的でヤバい

233名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 08:21:40.58ID:TNwMjmim0
今日、日曜日のAM4 時すぎから、西郷信者ガー、薩摩ガーと言ってる奴はさらに病的でヤバい。

234名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 08:37:03.43ID:6hvHi0E50

235名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 09:23:31.19ID:xap2SeNz0
効いてる効いてる。

悔しくて悔しくて悔しくてたまらんのだろ。

ここんとこアンチ西郷、論破されまくりで涙目wwwwwwww

236名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 19:05:42.22ID:40bdJehN0
会津ってパヨクが日本近代史を否定する為の駒だったんだよ。
会津プロパガンダの嘘がバレて尻すぼみだけど
まだ止めないもんな星亮一とかな。
戦争で決着はついてる。会津は自分達から戦争しかけて負けた。
にも関わらずプロパガンダを発信して未だに戊辰戦争を継続中。
特定の地域を差別している。武士道の武の字もない。それが会津だ。
会津はパヨク!!!!!!!!!!!!!!

237名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 20:07:17.08ID:HsmIWTVU0
日本史自信ニキに聞きたいんだけど。
西南戦争とか征韓論あたりで論争になってることとかある?

238名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 20:24:17.68ID:X9vLR6+H0
論争なんてないよ
西郷と仲間たちは感情でやってるから

感情 vs 論理 の間には闘争はあっても論争など無い

239名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 20:36:25.66ID:HsmIWTVU0
>>238
当時の論争ではなくて、現在の論争があるかを知りたいんや

240名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/13(日) 23:04:00.37ID:UfMMMzAr0
西郷は征韓(武力外交)を主張したのか、遣韓(平和外交)を主張したのかの論争はあるよ

西郷信者は西郷は平和外交を望んでいたことにしたみたいだけどいろいろ無理があるよ
遣韓使節自体が武力制裁をチラつかせての最後通牒みたいなものだし

信者がなぜ西郷の、武力を背景にした外交をやっきになって否定するのか理解に苦しむ
当時も今も外交のリソースは武力か金しかないわけで
平和外交などというのはお花畑の鳩山さんのような人の脳内にしか存在しない

信者的には西郷が武力外交だったとすると、西郷の思想といわれる「敬天愛人」の教えと
矛盾するので、西郷は武力制裁を否定しあくまで平和的な話し合いにこだわったのだ
という話にすり替えたいんだろうな

241名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/14(月) 09:29:29.24ID:BF/+CLdK0
パワー系老害に振り回されたんだよ

西郷に深い考えなど無い
その時の気分や人間関係で衝動的に動いたり、手紙にいいことを書いてるだけで(ほぼ実行されてない)

それをまわりが勝手に、西郷さんに深い真意があるかのように錯覚してただけで

津田出の一件も、西郷が村田新八を紀州に派遣したところを見ると
その時には津田に期待する気持ちが盛り上がっていたのかもしれないが
津田が新政府に来てから西郷が津田をサポートしたなどの話はまったく聞かない

手紙にはいいことを書くが実行はしない、という西郷さんのいつもの行動パターン

242名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/14(月) 15:26:15.62ID:FPwYHMhl0
◆ 西郷が死ぬまで続いた奄美の砂糖地獄 大島商社と西郷隆盛
http://www.synapse.ne.jp/~amamian/tubuyaki/minaminihon-h11106.html

確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために粉骨砕身した偶像であり鑑である
かもしれない。しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの象徴であったに
すぎないのではないのか。それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか、義理も人情もなく奄美を踏みにじった薩摩士族の大親分
としか映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、薩摩へあてた手紙では徳之島
の人々のことを「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を薩摩で教育する際、奄美出身者
であることを他言するな、と厳しく命じた。島に残された母アイカナは非業の死を
とげる。これは西郷という人間像の一コマではあるが、実は次に述べる彼の政策論
とも表裏一体をなしているとしか思えない。

旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、彼は、禄支給廃止
にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、桂久武に命じて不法な独占
「大島商社」を維新後に設立させたのである。これによって薩摩は再び収奪をほしい
ままにすることができ、奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治10年、奄美から「大島商社解散」を要求する55人の嘆願団が上鹿したが、
いきなり全員投獄。老人などを除いた35人は田原坂から敗戦中の西郷軍に強制出陣
させられた。うち戦死した者6人、残りは官軍に投降。許されて島へ帰還する途中、
2人を除いて全員遭難し、結局生存者はわずかに24人であった。(前田長英著
『黒糖騒動記』参照)

西郷という人物は薩摩城下士族(私学校党)の行く末しか案じていなかったようで、
その支配下にあった藩内の土民(農民)、さらに下層のリキジン(奄美、琉球人)
から、いかにして収奪して自己保身するかに専心していたのである。彼の諸政策に
うかがわれる基本的な理念は、「征韓論」や後の「大東亜共栄圏」などにも通じて
おり、弱者を無視し切り捨てる右翼国家主義そのものである。

243名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/14(月) 15:35:36.38ID:wUUbpOiv0
いっそすべてを実行しないで日本史の端っこに埋没していたら良かった。

戦の仕掛け人としての実行力はあった。
テロ工作は実行していた。
「短刀一本あれば片付く」という恫喝交渉も実行しない方が良かった。

244名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/14(月) 18:38:05.97ID:oau6wwy60
「短刀一本あれば片付く」って逸話に実体は無いよ

浅野長勲という小御所会議に出席していたマイナー大名の名前で昭和12年に出版された「浅野長勲自叙伝」に
突然その逸話が載って、西郷信者が西郷さんカッケーと飛びつき
ドラマなどでもそのシーンが採用され、あたかも史実であるかのように流通しだした逸話である

100%ウソ逸話であると言える

「短刀一本あれば片付く」とは小御所会議で西郷が岩倉に言った言葉とされるが
当の岩倉の『岩倉公実記』にはそのような件は無く
小御所会議の記録が含まれる『徳川慶喜公伝』『丁卯日記』『明治天皇紀』にも無い

昭和12年に、西郷とは何の関係も無さそうな浅野長勲という元大名の自叙伝の中に突然出現した逸話である

西郷の美談や武勇伝の9割以上はこの類の、西郷が死んでから何十年も経ってから
突然出現した逸話がソースになっている

245名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 03:09:22.09ID:+QGjFeOA0
明治維新を語るとき、詐欺師と借りパクと人殺しが偉人扱いされている。

いろは丸の事故で賠償金水増し詐欺をした崎本龍馬。当たり屋の手法である。

薩摩藩が払うべき生麦事件の慰謝料を、幕府に肩代わりさせた大久保。
その後倒幕するのだから恩を仇で返している。

江戸を火の海にすると脅して結果的に江戸城を無血開城させた西郷。
戦好きゆえか無血開城よりも戦がしたかった素振りあり。完全に脅迫者。


本質的にきわめて悪質。どこが偉人の成した偉業なんだか。
ぼったくられて脅迫されて強奪された徳川幕府は弱体化して政権を奪われた。
本当に酷かったんだな。明治維新って。

246名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 03:10:37.03ID:+QGjFeOA0
↑坂本龍馬って字、まちがえた。

2472018/05/15(火) 19:45:05.53ID:dWh7Q6Ng0
西郷は謀略など使わないよ自分で使わないと言ってるし
西郷が江戸を攻めるのは当たり前だし
慶喜が戊辰戦争引き起こしたんだから
旧幕府が自分で戦争引き起こしといて攻めないでとかおかしな話

248名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 20:41:14.93ID:xMPZ5AMF0
>>247
戊辰戦争ひきおこしたのは薩摩ですよ
大嘘ついてはいけませんね

249名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 21:02:46.03ID:dWh7Q6Ng0
戦争引き起こしたのは幕府だよ
討薩の上表掲げて勝手に京に進軍
幕府軍艦が一方的に薩摩軍艦を砲撃

250名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 22:31:10.39ID:ciDpdZji0
>>244はスレ主のレスですが、ちょっと興味深い。

スレ主は、小御所会議で西郷が「短刀一本…」と発言したのは100%捏造としています。
もとになっているのは、ウィキペディアの脚注です。

ウィキペディア「小御所会議」脚注より
>なおこの休憩中に岩下方平が屋外で警備兵を指揮中の西郷隆盛を呼び出し、
西郷が岩倉に対して「短刀一本あれば片が付く」と、
暗に岩倉に反対派と差し違える覚悟を迫り、
それを承知した岩倉が短刀を忍ばせて会議に戻ったといわれる。
この話の出典は会議の出席者である浅野長勲が半世紀後に口述した
『浅野長勲自叙伝』(昭和12年(1937年))などに見られるのみで
『徳川慶喜公伝』『丁卯日記』『岩倉公実記』『明治天皇紀』などの他の史料には見えない。
井上清なども著書『明治維新』(新政の演出 岩倉具視)の中で触れているが特に出典は記されていない。
(引用終わり)

ところがこの「短刀一本…」の逸話は、西郷を顕彰する人たちばかりではなく、反薩長史観の原田伊織なんかも、明治維新がテロによってなった根拠としてあげています。
もし逸話が捏造だと仮定しても、西郷という人は、正反対の立場の人々からそれぞれ祀り上げられなければならなかった、ということは言えるんじゃないでしょうか。

ところでスレ主は、『浅野長勲自叙伝』とほぼ同時期(昭和16年・1941年)に発表された竹崎櫻岳著「肚之西郷」に記された、「桐野利秋が西郷を射殺しようとした」説は真実だと言っています。
西郷の死後何十年もたって、ほかの証言もないまま突然出てきた「肚之西郷」は真実だとする根拠はなんでしょうか。ソースをあげた答えを聞いてみたいものです。
あ、片岡吾庵堂著「横目で見た郷土史」に依拠した、古いテンプレのコピペは飽き飽きしているので、貼らないでくださいね。

251名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:00:33.34ID:L5/UpLkW0
テンプレでは「肚之西郷」を根拠の一つとして扱っています
定説になっている「西郷突撃→自決」は明らかに不自然であり
状況的に考えて「西郷逃亡→桐野銃撃」が西郷の最期であったとするのが妥当かと思います

念のため以下にテンプレを貼っておきます

252名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:01:06.63ID:L5/UpLkW0
西郷隆盛 最期の五日間
エピソード1《 まさかの命乞い 》

明治10年9月24日、鹿児島県城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた
などと美談のごとく語られています。

しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。

・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。

西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるというありさまでした。

253名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:01:38.24ID:L5/UpLkW0
西郷隆盛 最期の五日間
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に強制玉砕されていた ?!》

24日、最期の突撃を試みた西郷は足を撃たれたあと、自決したとされていますが、
その西郷の足を撃ったのは、じつは西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?

政府軍に助命を拒否された西郷さんですが、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したというのです。

思わず「ホントかよ?」となりますが、しかしこの桐野による西郷銃撃は
目撃者の証言があるのです。

254名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:02:17.13ID:L5/UpLkW0
西郷隆盛 最期の五日間
エピソード3≪ 創られた西郷自決 ≫

ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に跪坐。厳然と襟を正し、東の皇居の方角に深々と頭を下げ、
別府晋介に首を刎ねさせたいう逸話、出典はご存知ですか?

西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけではないし、誰の証言なのかも曖昧。

そもそもが西郷と薩摩士族の顕彰のために企画されたプロパガンダ本であり、
西郷や西郷軍のイメージに傷が付きそうな史実がばっさり省略されているのが特徴の資料です。

かねてから、銃弾飛び交う切迫した戦場で、前述のような芝居がかった自決が可能なのか
という見方はありました。

じつは西郷遺体の“検死報告書”にはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が肥満した西郷の身体を(骨ごと?)貫通していることから
(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首が無かったということです。

つまり、大腿を至近距離から銃撃されたあと、
首を切断された可能性が高いのです。

255名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:02:49.53ID:L5/UpLkW0
西郷隆盛 最期の五日間
エピソード4≪目撃者≫

桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。

城川の証言によると、「 西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った 」というものです(出典「肚乃西郷」竹崎武泰著)

城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体のプロパガンダ本よりよほど信憑性があります。

ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は、“城川”なる人物の実在が証明されていないとし、
この目撃証言を奇説として退けた。
架空の人物による、架空の目撃証言だと言うのです。

また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
 だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。

256名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:03:39.35ID:L5/UpLkW0
西郷隆盛 最期の五日間
エピソード5≪わが目で見た話し≫

しかし、その数日後に同じ南日本新聞で入佐俊興氏が、昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。

さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
 昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
 何事か話しをしていた。
 城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
 “今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
 “わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。

257名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:05:08.88ID:L5/UpLkW0
「肚乃西郷」は鹿児島私学校後身の団体、三州社社長の息子であるところの竹崎武秦が出版した西郷隆盛顕彰本だが、
目撃者が誰かはっきり明示されていること、通説となっている西郷自決説がいかに不自然か説明されていること、
それらが西郷軍関係者の直系の後継者の手で書かれていることは大きいですよ。

西郷軍後身が、城川説を西郷軍正史として認定したようなものです。

258名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:05:58.89ID:L5/UpLkW0
三州社は明治14年、河野主一郎(初代社長)、伊東祐高、中原万次、河野半蔵、美代助座衛門、
樺山資美、伊地知壮之助、児玉軍治ら西郷軍の残党らが設立した結社で、
会員の互助と士族授産、子弟の教育を目的とした。
会員は城下士出身者が中心で、このため「第二の私学校」とも呼ばれました。

肚乃西郷著者の父竹崎一二はこの三州社の社長です。
いわば西郷軍の人的遺産と郷中精神の継承者だった。
西郷隆盛の申し子のようなものです。

そのような人物が、桐野が西郷を撃ったんだと、完全に認定しています。

259名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:06:54.95ID:L5/UpLkW0
「この事実を書きし、西郷の伝記はおそらく世に無いと思うが、
これは別府晋介の従僕城川が著者の父(三州社社長)に話せし実話である。
西郷が大義名分を重んじて、江藤新平を諭せし事を思う時、
寸秒の疑う余地は無いのである。
西郷が簡単に切腹するのであれば、最期の陣営たる洞窟の前庭において、
幹部と共に枕を並べて死すべきである。
何もわざわざ岩崎谷を下り敵陣近き、現在建設せられある『西郷終焉の地』まで
のそのそ出て行く必要はないのである。
一度鹿児島に遊び、彼の洞窟と終焉の地とを検討せば、著者の論が実証せらるるであろう。」

と、城川説が疑う余地の無い“実話”であると断じている。

260名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:07:54.82ID:L5/UpLkW0
毎日新聞連載中の「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は当時わざわざ一日分を費やして
「別府晋介の従僕に城川なる者はいなかった」として桐野射殺説を否定されたが、
「葛城彦一伝」に”別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門”と明記され、
墓碑まであるのだからこれは当然司馬氏の勇み足だろう。

「跳ぶが如く」の連載が終わって、歴史家萩原延寿氏との対談(朝日紙)の中で、
「当時の桐野の心境を考えると西郷を撃つという事も状況としてあり得る。」
と述べて、司馬さんもその後の考えを変えておられるようである。

261名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:08:33.13ID:L5/UpLkW0
「征西従軍日誌」の捕虜の証言に重要なものがある。

9月20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)

西郷は席に肘を付いてもたれたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。

そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていたそうだ。
(辺見からすれば、西郷に覚悟を決めてもらって、供に玉砕すべしと言って欲しかったんでしょうか・・)

心神喪失状態の西郷さんの姿が窺えます。

262名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:09:34.92ID:L5/UpLkW0
西郷助命嘆願の使者を政府軍に送った時点で、
薩軍内では投降論が多数派になっていた。
いや薩軍諸将は自分が投降したいとは言わないが、
西郷の助命は戦争の終結を意味し、
なしくずしに全軍降伏となるであろう。

直情型の辺見十郎太でさえ敵の砲丸落下が激しくなるのを
見て、西郷助命嘆願に同意している

263名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:10:12.12ID:L5/UpLkW0
城山籠城時の薩軍諸将とその存意は以下の通りである

○・・投降論を主張または同意
×・・玉砕論を主張または同意
?・・記録が無く不明または存意を語らず

本営幹部
?西郷隆盛
×桐野利秋
?桂久武
○村田新八
○池上四郎
?別府晋介
○辺見十郎太
○坂田諸潔
○野村忍介

前線隊長クラス
○讃良清蔵(砲隊)
?蒲生彦四郎 (狙撃隊)
?藤井直次郎(城山方面)
○河野主一郎(岩崎本道方面)
○佐藤三二(私学校・角矢倉方面)
○山野田一輔(県庁・二ノ丸・照国神社方面)
?高城七之丞(大手・本田屋敷方面)
?堀新次郎(大手・本田屋敷方面)
○河野四郎左衛門(上の平・広谷・三間松方面)
○別府九郎(夏蔭方面 別府晋介の兄)
○中島健彦(新照院・夏陰下方面)
?岩切喜次郎(夏陰)
?園田武一(後廻)
?市来矢之助(後廻・城山間 )

264名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:10:39.19ID:L5/UpLkW0
投降論に反発した記録が残るのは桐野利秋だけであり、
桐野の同意あらば無条件降伏もあった体である。

西郷が土壇場で投降を試みたとしても、薩軍の空気としては
唐突なことではなかったと分かる。

265名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:14:05.39ID:L5/UpLkW0
「 松本さんは史家で、奥さんが鹿児島の人で、その実家に行った際、

古い手紙の中に城川さんからの手紙を見つけ、

桐野の西郷射殺説を信じたようです。

城川さんと一緒に輿を担いでいた相棒(小杉恒吉衛門氏のことか)も同じ事を残しています。

西南戦争の後、鹿児島では神と崇められ、批判が許されなかった時代に

二人はこの話を生涯語ったといいます 」

266名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:17:18.30ID:L5/UpLkW0
□西郷さんはなぜ投降しようとしたのか□

西郷が投降しようとしたという城川市二の目撃証言が、
西郷の動機面で考えてみても「理にかなっている」と思うのは
当時、西郷が心神喪失状態に陥っていたのではないかと思うからです

以下は心神喪失状態に陥っていたことを裏付けるような西郷異常行動の記録や理由

267名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:19:15.53ID:L5/UpLkW0
■西郷さんが心神喪失状態に陥っていたと思う理由1

「征西従軍日誌」の捕虜の証言に重要なものがある。

9月20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)

西郷は席に肘を付いてもたれたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。

そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていたそうだ。
(辺見からすれば、西郷に覚悟を決めてもらって、供に玉砕すべしと言って欲しかったんでしょうか・・)

心神喪失状態の西郷さんの姿が窺えます。

268名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:22:14.74ID:L5/UpLkW0
■西郷さんが心神喪失状態に陥っていたと思う理由2

西郷さんは西南戦争の最中たびたびウサギ狩りに出かけたといわれる

これはけっこう有名なエピソードで、西郷さんの豪胆さや、何やら憎めない人柄を強調するときに紹介されることの多い逸話である
しかしよく考えてみてほしい。勝ち戦ならともかく、緒戦の熊本攻城から苦戦し、薩摩史上最大の死傷者を出した戦争の最中に
ウサギ狩りをするなどは100パーセント異常行動なのである

さらに分かるのは、まわりの西郷軍幹部も西郷さんから心が離れていた、ということである(異常行動を制止していないのだから)

西郷軍内ではすでに熊本攻城の時点で、西郷先生と桐野どんは仲たがいしていると、噂がたっていたそうで
このことは司馬遼太郎も「翔ぶが如く」で書いていました

269名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:23:02.94ID:L5/UpLkW0
■西郷さんが心神喪失状態に陥っていたと思う理由3

西郷軍内では再び、西郷の助命論が起こり、9月18日、河野主一郎が村田新八、池上四郎、ほかの諸隊長らの同意を得た。
「薩南血涙史」では、このことは桐野には黙っていたとある。
「西南記伝」では、桐野は合議の席上で「投降は後世に対する侮辱だ」とあくまで反対したとある。
ともかく西郷自身はただ莞爾(にっこり)して「よしよし」と言っただけだったので、河野らが嘆願に赴いたとある。

沈痛な面持ちで使者を送り出した、なら分かるが人目もはばからず自分の助命嘆願の使者をニッコリ「よしよし」って・・・

270名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:33:58.33ID:L5/UpLkW0
桐野利秋などの動ける将兵たちはバリケードに籠った状態で死んでるし
死に方はけっこうバラバラ
美談として信じられている、西郷はじめ将兵が一列になり突撃、玉砕したという情景は
政府軍側の記録にはまったく無い

西郷軍を描いた伝記の類は数種あるが、そのうちの一つに
将兵一列になって最後の突撃を試み、脚と胴を撃ち抜かれた西郷が
「晋どんここらでよか」と言い、薩軍将兵が見守るなかで自決した
と書かれているにすぎない

あくまで、何パターンか伝わる死に様のうちの一つにすぎない

突撃→自決説が通説化したのは、
何か強い根拠があったわけではなく、死に様が絵になるという理由でしかない

271名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/15(火) 23:42:14.69ID:L5/UpLkW0
西郷軍は西郷の首をご丁寧に隠している
西郷の首が賊として晒されるのを恐れたからだ

ここまで首にこだわるなら、首の回収がおぼつかなくなる突撃などするはずはないと思う

>>259のとおり洞窟で自決するのが総大将の最後として誰もが選ぶ姿である

272名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/16(水) 06:52:53.01ID:QF9sk3vR0
IDあぼーん

273名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/16(水) 10:45:19.00ID:BF6Yb4/C0
>>250
>もし逸話が捏造だと仮定しても、西郷という人は、正反対の立場の人々からそれぞれ祀り上げられなければならなかった、ということは言えるんじゃないでしょうか。

このへんが西郷信者のデタラメなとこだよな
問題は逸話の真偽なのに、どちらにしろ西郷は肯定すべき存在でなければならない、ってんだから

発狂してるとしか思えん

274名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/17(木) 01:19:44.78ID:TpXzYY9X0
徳川幕府にはとんな下種いことしても
西郷どんは正義。幕府はざまぁ。

揺るぎないな、盲信脳。

275名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/17(木) 13:49:54.07ID:WmtGmr4L0
鹿児島県民は信じたいものだけを信じる県民性だから説明しても無駄

276名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/17(木) 17:45:19.38ID:1WL2u/090
>>273
いやいや、悲しいかなこの先評価が覆る事は「殆ど無い」

なのでアンチの発狂のが無意味

277名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/17(木) 19:17:52.01ID:fQU+9uc50
結局西郷さんは卑怯な事に手を染めず 正道を踏みしめ頂点に立った漢だということは分かった

278名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/18(金) 12:20:01.29ID:awHWzO7S0
西郷のどこがすごいかはこうやって歴史勝者史観&薩長史観で一概には言えない闇が多々あるけど
ただひとつ言えるのは
これほど波乱万丈な人生おくった人物はなかなかいないということだ
そこだけは認めるわ
なんせ官軍の大将として幕府倒した後、反乱起こして今度は賊将となって死ぬとか
ドラマとしては最高の人生プロデュース&演出だわw

279名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/18(金) 17:46:27.83ID:fBN6UA6V0
西郷伝説は小者を偉人だと認識させようとしているからおかしくなっている。
違和感しかないな。

280名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/18(金) 18:54:54.43ID:jPmibGR50
西南戦争の西郷軍 → 登場人物全員バカ

281名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/19(土) 08:41:45.60ID:XGk9xOYl0
>>2-5
これマジか
ショックだ

282名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/19(土) 10:41:08.39ID:yU1+ao2g0
韓国人
鹿児島人
ネトウヨ

この3つの集団は同じ特徴を持つ
・低収入
・低学歴
・負け組
・盲信(反日、西郷、日本すごい)

283名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/19(土) 19:03:37.11ID:Qx4fKDvz0
西郷どんの最も凄い所は権力を未練なく手放したところ
軍閥の様に軍を使い西郷独裁幕府を作ることも可能だった

284名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/19(土) 20:39:44.84ID:/zHYXwDl0
西郷独裁幕府wwwwwwwwww

285名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/19(土) 21:27:11.01ID:WDLmIlUz0
https://www.youtube.com/watch?v=sOXkSPlJ-Sw
日大内田の辞意会見見て、久々に胸糞悪くなったわ
責任はすべて自分にあると言いながら、具体的な説明は一切無し
「若い人の将来を考えて自分が辞めることにした」などと、信じられない言葉を連発

たぶん完全に天然の人で、その瞬間瞬間は本当にそう思っているんだろうなあという印象

いわゆる人格障害

西郷はさすがにここまで酷くは無かったろうが、きっと同傾向の人間だったろうと思う
若い士族などは西郷の「責任はすべて私にある」などという(無責任な)美辞麗句に、コロッと心酔してしまうだろうよ

286名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/20(日) 10:33:51.24ID:KqnwCIvI0
すべての責任はわたしにある、と言うことで
責任の具体的な所在を曖昧にし
逆に責任を取らないという処世術かな

287名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/20(日) 13:45:12.64ID:UNMJNhSr0
西郷が撃たれて死んだのなら、首を斬ったのは誰なのか? やはり
やはり西郷が絶命したのは首を斬ったからだろう。太ももを撃たれただけじゃ
死なないだろうし。 やはり死因は首の切断だねw

桐野が西郷が投稿しようとしていると思い込んで撃ったという説があるが
西郷が撃たれたあと、観念して別府に介錯を頼んだということはそれでも
十分なりたつわけで、つまり西郷が最後に自決した可能性はやはり否定できないねw

288名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/20(日) 18:57:16.54ID:bznv23p+0
西郷隆盛精神の継承者たち・・・

富永恭次陸軍中将:
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。

菅原道大陸軍中将:
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。

倉澤清忠陸軍少佐:
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。

玉井浅一海軍大佐:
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。
機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
戦後は僧侶になり、天寿を全うした。

黒島亀人海軍大佐:
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。

太田正一海軍大尉:
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。
「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。
敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。

289名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 12:54:58.12ID:wuZf+D+s0
それらは皆天寿を全うしてるので、西郷は天寿を全うしてないから、最後はまるで違うといえようw

290名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 13:20:16.32ID:QsUYu0Ip0
まさに西郷は天寿を全うできなかったから神格化されたんだよ

オウム麻原が今だ死刑執行されない理由も、死んで神格化されてしまうことを当局は憂慮していると言われる

西南戦争でも政府は西郷の助命嘆願を聞き入れて生かすべきだったね
1万5千人の若者を死地に送りながら一人だけ天寿を全うした男として

291名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 18:08:10.58ID:AkASt6f40
無理だろう?というかあそこまでの騒動にでもなれば政府・軍の上層の「誰かが」責任とらねばならないから
だったら素直に西郷に責任取れせたほうが無難という話

292名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 19:52:18.51ID:c/e36tQg0
>>288
第二次大戦は仕切ってたの東北軍閥だろ

293名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/21(月) 20:15:49.58ID:Q/APxOiG0
>>292
つうか挙がった人物の中に薩摩閥関係が一人もいないとこで、もう確信犯としか思えない…釣りかな?

ところで大河も奄美編に突入だが、今回は割りと黒糖地獄を掘り下げてくれそうだね
当時の薩摩藩の財源を考えれば、明治維新は奄美の黒糖が成したと言ってもいいくらいの重要節
奄美住人を救うために島代官を脅したって逸話もあるが、まぁ島役人の代官と言えど鹿児島本土では郡方頭レベルの役職なので、潜居中の西郷でも代官に恫喝なんで容易いことだったろうし
トドメに龍家のお嬢様が西郷の島妻じゃ奄美での待遇も良くなったろうなぁ
しかも後任の代官は島津一族にして西郷の親友でもある桂久武
そりゃ奄美での西郷信仰も盛り上がるってもんだわな

んだけど斉彬公ですら顧みなかった奄美の負担軽減に(微力ですが)最初に取り組んだのは、西郷に嫌われてたあの久光公ってのも皮肉ですなぁ

294名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 12:06:19.38ID:73r8Ty5e0
ここで「西郷は逃げた」と繰り返し書いてる人は、
現実で逃げている自分を肯定したくてたまらないんだろうな。

295名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 13:10:06.95ID:YV9mEv1Q0
西郷は帰藩後すぐの1864年に
「大島外二島砂糖買上げ方について」という奄美の窮状を改善するよう求める上申書を藩に提出している
西郷が奄美の窮状に義憤のようなものを表明したのは間違いないところである

もっともこれは西郷にとって特別なことではない

西郷は生涯で何度も建白書や意見書を藩や政府に上申している
ほとんどすべての上申に共通しているのは、
正義マン風に弱者の側に立つようなポジションを取りながら
西郷個人とぶつかった人物たちの悪口を並べ立てるというものである

されに共通しているのは上申した後に
西郷が何かを具体的に行動した形跡が無いことである
上申した内容とは反対のことをやっている場合すら多くある

たぶん西郷にとっての建白書や意見書は、義憤を本当に燃やして書いているわけではなく
個人的な不満や不平が先にあり(西郷のことを認めようとしない人物に一泡吹かせたいとか)、
その個人的な発露を正当化するための後付け的な理由として
奄美の搾取であったり、政府高官の腐敗などを無意識に拾っているのだと思われる

したがって自分の気に食わない人物、奄美の役人や政府の官僚を取り除くことが達せられれば
例えば奄美の窮状のことなどは忘れてしまい、今度は西郷自身が奄美を搾取する側に
回ってしまうのである

このように考えれば、西郷の行動原理は若い頃から死ぬまで一貫していることが分かる

296名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 16:27:41.13ID:PL4nQjTW0
桐野が撃ち殺したまでくると
もう冷静な書き込みとは思えない

297名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 19:29:47.53ID:I/3DMtbl0
龍馬の妻だったおりょうも龍馬の数多い友人の中で腹の底から親切だったのは
西郷と勝海舟だったと言ってるからな
二人で江戸城無血開城をやっただけあるんだよ

298名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 19:42:31.84ID:QguBn//y0
おりょうの証言など集めた本を読んだことあるけど
西郷はお金だかお菓子だかをいつもいっぱいくれて
すごく自分に良くしてくれたってあったな

おりょうはそれを自慢調で語っていて
それ読んで思ったのは、西郷は"接待"みたいなことも普通にできるんだってことな

重野安繹が西郷を
「士卒が手傷を負へば、その傷を啜ったりするようなことは、しはずさぬ(ぬかりなくやる)人物で、
自分より目下の人の信用を得ることが多い」
と分析しているけど、おりょうに対してもそのように対応していたのだなと思ったものだ

299名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 19:56:12.46ID:5t7E3Cno0
西郷はおりょうも狙ってたのか?

300名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/22(火) 22:29:54.18ID:qakafGSB0
西郷も政府高官にまで出世した後に、ひとの草鞋の紐を結んでやった
ことがあるそうだが、そういうことはなかなかできるもんじゃないねw

301名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 07:17:47.73ID:GsktSqsH0
日大はほんと西南戦争の西郷軍みたいになってきたな

302名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 11:50:04.54ID:OpDqyRHP0
>>288>>301は、これで何か言った気になってるんだろうな。

「歴史に学ぶ」のではなく「歴史に逃げ込む」タイプの典型的なレスですなぁ。

303名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 13:26:55.41ID:001VJXYg0
重野も面白いよな

例えばイケメンな自分よか何故にブサイクな野郎がモテるんだ?的感想というか
「よく見てる」
大したオトコでなければ無視してればいいだけなのに「気になってしょうが無い」といった感じか

304名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 15:37:48.20ID:RYRGreOp0
>>302
>>303
おまえもこのスレッドが気になってしょうがないwwww
憎くて憎くて仕方がないwwww

おまえの気持ちも分かるよ
最近の、西郷さん実はこんなヤバい人だった的な流れって
明らかにこのスレッドが影響してるもんなあ

某歴史ブログとか完全にこのスレッドがネタ元だし

305名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 18:33:19.52ID:IPy6NnXh0
みごとにブーメラン

306名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/23(水) 20:07:15.30ID:26rhUHyJ0
桐野が西郷を射殺したなんてこのスレでしか見たことないぞ

307名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/24(木) 14:37:26.20ID:tN4tXZ8a0
自害を嫌がる者を殺害し、世間的には立派に腹を切ったと発表するのは武士社会では普通のことだよ。

海江田信義の弟が藩命で自害を命じられたがこれに反発し、腹を切るのを嫌がったという説があるよな。
世間体を憚った親類縁者が仕方なくこの弟を殺害し
世間には精忠組立ち合いのもとで立派に腹を切ったという話を仕立てたという。

308名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/24(木) 22:10:38.97ID:kosQWC210
>>282

>・盲信(反日、西郷、日本すごい)

反日なのか、日本すごいなのかwwwwwwwwwwwww
頭悪すぎwwwwwwwwwww

309名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/25(金) 19:46:46.74ID:twNcsfy60
桜田門外の変での無傷で帰参した彦根藩士を見ればねwww

武士道??はぁ?と

310名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/26(土) 13:39:27.93ID:LXrXM1bF0
西郷薩摩はラストサムライにあらず

日本最初の体育会である

311名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/26(土) 15:52:10.52ID:8I2pT/Cu0
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳

法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。原版は
国立国会図書館デジタルコレクションで無料で読めます

法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)

312名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/28(月) 08:49:24.16ID:fWtw83O40
>>306
西郷が射殺されたというのは、検死報告から見ても無理。太股を銃弾が貫通しただけじゃ、人間は即死しない。
首を切ったら誰でも即死するが。

313名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/28(月) 19:54:33.10ID:CcOz3dz00
史実の西郷さんはまさに仁者正道至誠の人なんだよな

314名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/29(火) 05:40:24.68ID:YwFuGC3q0
>>310
体育会系は心を一つにまとめてしまうから個々の人間の思考力が蔑にされる。

みんなでやればルールが変わるって勢いでいろいろやらかす。
日大アメフトみたいに暴力的なルール違反を罪悪感を麻痺させられた実行犯が起こす。

幕末も薩長はテロ工作と詐術で秩序を崩壊させた。
テロリストが勝ってしまったのが明治維新。

天皇の京都から東京への引っ越しも行幸だと騙して行われた。
反則技を正当化するやり方は汚い。

315名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/29(火) 14:55:28.94ID:tLU2cHg90
まあ、大抵現代以前は革命や政権交代の前哨戦としてテロがあり
そのテロも体制が覆れば正当性が担保されてしまうわけで

朱子学的な考え方思想だよな
そもそもそのテロリストが勝って新体制築いたとかいう発想は

ま、客観的にみるとそうなんだけどw

勝てば官軍負ければ賊軍ってのはコレ日本だけの話でないしな
有史から近代終わりまでここの理論で歴史ってのは紡がれてきたわけで
現代においても全然まだまだありえてあてはまること多い話

316名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/29(火) 20:07:25.79ID:dubpdAHS0
そもそも江戸幕府作った家康もイスラム国みたいなもの
安政の大獄で先に白色テロ起こしたのも幕府側だしな

317名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 01:53:34.63ID:gkbRt5Rw0
安政の大獄は合法だったし吉田松陰は冤罪ではなかった。
吉田松陰の所業は突っ込みどころ満載なのに、善人のイメージが憑くのは
銀魂のせいだろうか。
西郷もマッチョなオカマだけど良い人って感じに演出されている。
フィクションだと分かっているならいいけど。

史実は内情を調べるほどに悪役にされた井伊直弼に同情してしまう。

それにしても徳川幕府の粗探しを重箱の隅をつつくようにして発見したところで
明治政府の悪行は誤魔化せない。

元テロリストどもが行き当たりばったりで国政を好き放題した明治政府の粗は
重箱の隅どころか汚部屋レベルだから。
明治維新を善いものだと「教育」されるのは生理的に気持ち悪い。

318名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 02:52:56.78ID:N7J4leHx0
まあまあ
それを言い出すとどこまでもさかのぼっていくだけだからw
徳川が豊臣にしたこととなんら変わりない

319名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 23:14:49.63ID:WVirzcDj0
豊臣は家康に完全に滅ぼされたが
徳川は継続できた
まさに西郷どんのおかげ

320名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 04:32:23.76ID:wtVm3hLf0
司馬史観の影響はすごい。史実そっちのけで西郷を偉人のように錯覚させる。

321名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 05:14:41.26ID:e9ExEL960
>>320
主人公だけを神格化して
主人公以外はちょっと抜けてるような
愚鈍化した人物として描くいつもの手法。

竜馬がゆくでは、
竜馬に比べて西郷がちょっと間抜けのような書き方をしていた。

322名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 10:05:37.49ID:diYK1N090
フィクションだものw

そりゃ薩長側書けば
薩長視点で徳川を悪く書かなきゃ物語がなりたたんからな

その逆もしかりで
旧幕府、徳川方を書けば薩長を悪く書くのは当然つっちゃー当然

323名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 19:48:36.89ID:rby49Lhq0
跳ぶがとか花神とかだと大久保や大村を持ち上げて西郷をちょっと愚鈍な様に書いてる

324名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 20:40:51.21ID:WrwMgER50
>>323
篤姫で登場した西郷が黒くて良かったわ
だいたい幕末動乱期に表に裏にと動いてたわけだから、薩摩藩の主要人物の一人である西郷が、綺麗事や人格者的な行動に終始してるわけ無いのよね
あのブラック西郷には納得させられたわ
篤姫の西郷は存在感もあり能力もあり裏も表もある、いかにも時代を動かしてるブラックぶりだった

325名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/01(金) 02:36:42.22ID:wpb3dgGS0
ブラック西郷www
フィクションでしかヒーローになれないのは分かった。

326名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/01(金) 02:52:48.26ID:F9UUbqUa0
翔ぶが如くは5年に渡って新聞に連載された長編だからか
西郷を描く温度が連載当初の頃と終わりの方ではだいぶ違ってた

最初の頃は西郷はじめ薩摩人自体を南国の快男児みたいに描いていたが
終わりの方では思考停止した全体主義集団になっていて
西郷軍団を太平洋戦争の暴走軍人の暗喩として描いていたわな

連載期間の5年のうちに史料を読み進んで、西郷と軍団のヤバさに気付いたのだろうか

しかしこんなにコケにされてるのに鹿児島では翔ぶが如くがバイブルの一つみたいになってるようで
どんだけニブイのかと思うわ

327名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/01(金) 20:31:54.43ID:+XbUz8Cn0
勝海舟も西郷は大至誠の人として評価している
西郷どんの黒いイメージはほぼ創作から来ている

328名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/02(土) 06:18:07.66ID:TPxrtVRn0
>>326
翔ぶが如くの作者は描いている途中で西郷軍団のヤバさに気づいたからマシ。
連載途中からの作風の変化の仕方が生々しい。
だがどの分野においても資料読み込んで知れば知るほど印象が変わるのは自然なこと。

カルト信者はテコでも変わらないけどw

329名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/02(土) 06:44:04.15ID:pcX9Kl/p0
普通に年取って青臭さが抜けていく世代だからだろう

330名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/04(月) 05:21:46.84ID:XrEiu6gH0
>>326
南国の快男児 ×
人殺しをさせるジャイアン ○

331名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/04(月) 21:03:25.83ID:F4Nt86UM0
翔ぶが如くだと司馬の言う通りにしてればさも勝てるかのような錯覚を与える
元々薩軍の勝機は薄いだろうがと

332名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/05(火) 10:59:14.13ID:sU4YcO4G0
司馬の言う通りってどんな?

333名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/06(水) 06:15:37.06ID:0E4A8yAo0
>>324
気になるのが篤姫の嫁入り行列の膨大な費用の出どころは
重税と密貿易と黒糖地獄なのでは?

だから島津斉彬は評判よりも胡散臭い。
カリスマというよりサイコパスじゃなかろうか。。
非合法な財源で得た収益をガバガバ湯水のように兵器開発につぎ込んでいたし。
そんなのに心酔していた西郷ってサイコパスに操られる駒程度の小者だったのでは?

そんなのに統幕されたなんてバッドエンドな話だ。
明治維新を美化する話なんて虫唾が走る。

334名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/06(水) 21:26:26.52ID:5J8xreC60
東大教授「教養がない人は、何を言ったかではなく、誰が言ったかで判断する」

ここの信者のことだよなあ

335名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/06(水) 21:53:21.23ID:/n02FWFq0
幕府が参勤交代とか課さなければ、奄美から搾取も少なくすんだろうに。

336名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/06(水) 22:19:52.01ID:ZA95xHSq0
幕府が統治能力ないとさっさと幕府辞めてれば余計な戦乱負担も必要なかった
夷敵と戦うはずの征夷大将軍が外国を恐れ不平等条約結んだ時点で自分で廃幕すべきだったな

337名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 00:38:52.36ID:E7YtmJ2F0
>>334
なんというブーメランwww

338名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 00:56:57.13ID:paluKiNs0
石垣あたりも中山王に武力で征服されてその中山王が薩摩にという

単に因果応報という話

339名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 12:30:57.51ID:UuENc4Fk0
司馬は西郷のことそんなに評価してないでしょ? 日本軍の非合理的精神主義の元凶として西郷をみてたかもしれない。
西郷を評価していた歴史小説家といえば、海音寺潮五郎ではないのか。

340名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 15:26:48.86ID:Dp3Gd7I/0
西郷は、「責任感と正義感が強い、また武骨者である」て先祖から聞いてる。
(武骨者=とても扱いにくい人物)


大久保は「やる気と行動力がある、そしてなによりウンチクを語る人物」て言ってた。
(ウンチク=独自理論)

341名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 17:59:11.93ID:7HtdNcgR0
日大の内田みたいな人物にかぎって、責任はすべて自分にあると毅然と言い放つんだよな

342名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/07(木) 20:47:39.33ID:80eWh+nV0
西郷は明治も戦前も人気トップクラスだったんだが
戦後人気が落ちたのは司馬の影響じゃないかな
そして龍馬が一躍トップクラスになる

343名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 06:23:09.95ID:e2HEnrzH0
ヒーローに据えるためにわざと字を変えて「竜馬」はねつ造された。

実在していた方の「龍馬」なんというか、……詐欺師だし武器商人だし
グラバーのスパイだし扇動者だからうるさいし、同じ空間を共有したら
イラァってしただろうな。

344名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 07:26:05.75ID:7iHrWs3m0
↑そもそもが相手にしないというか無視されるというか同じ場になんて絶対居合わせないから

気にしない

345名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 08:57:39.20ID:lh87zEp70
馬鹿しかいねえここwwww
わろた

346名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 12:59:26.39ID:SXvLTuHp0
【株FX投機は、踏絵″】 マイトL ーヤは現れる…現れる…でいつ現れるんだ? はい、今年、2018年内
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528419905/l50

347名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 23:08:48.28ID:dn2lY+iX0
西郷ら奄美流刑の実像
罪人と島民の知られざる暮らしをひもとく 箕輪優
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO31329190U8A600C1BC8000/
 史料を見ると、流人の過半は武士階級で、藩のお家騒動に敗れた“政治犯”だ。次いで多いのが、素行の悪い
子弟が教育あるいはせっかんのために島流しになる例。犬神やキリシタンなど禁じられた宗教を信仰したとして
流された者も多い。
 彼らは島の厳しい環境で自活を求められた。政治犯になるような武士は高い教養を身につけていたから、
島民に読み書きを教えて口を糊(のり)した。流人は島の文化向上に寄与したのである。その代表例が薩摩藩士の
名越左源太(なごやさげんた)だ。
 名越は1849年に、いわゆる「お由羅騒動」で失脚した身分の高い武士である。奄美大島で約5年にわたる謹慎の
身となったが、清廉な人柄で島民の尊敬を集めた。
 住まいとして一軒家を提供されると「広すぎる」と恐縮し、近所の老人がハブにかまれると菊油を与えた。子供たちに
学問を教え、島民たちと月見を楽しんだ。島の暮らしをつぶさに記録し、後年、「南島雑話」という地誌にまとめている。
 実は名越と対照的なのが西郷だった。西郷は名越の10年後に奄美に流罪となるが、当時の書簡を読むと、物語で
描かれているのとは異なる実像がうかがえる。
 島民をさげすみ、娘たちの手の甲のいれずみをばかにし「もっとまともな家に住ませろ」と訴えた。後年、明治政府
の重鎮となったときに「奄美の砂糖を困窮する鹿児島県士族の救済に使えばよい」と説いた。島民搾取の現実を
目の当たりにしながらこういう考えだったのを知ると、私は西郷を英雄と単純にたたえる気持ちになれない。

348名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 08:37:16.43ID:9va/+Gd20
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

349名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 20:29:03.35ID:eFmgSDPA0
司馬は功利主義と陰謀史観だから
司馬にかかれば西郷も腹黒い陰謀家になってしまう
この辺りが西郷の腹黒イメージに定着してしまった

350名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 22:22:44.30ID:MI30c/5T0
ほんとに翔ぶが如く読んだ?
翔ぶが如くの西郷は、何を考えてるか分からない奴というイメージで
陰謀家という描き方ではなかったと思うけど

明治維新全否定とか、西郷大悪人説みたいな書き込みが最近多いけど何なんだろう・・・

351名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 23:00:39.60ID:2WoAjHtH0
知恵泉やBSの歴史番組で幕末ものを見ると、変だなぁといつも思う。
明治政府のやらかした醜態をさも偉業のような言い回しをしている。

優秀な人間が国を率いるべきである?
自称・優秀な人間の正体なんて詐欺師かカルトの教祖だろう。

352名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 07:00:43.02ID:VzMtf2380
おいおい、明治国家を率いた連中はその「二番煎じ以降」な連中だったろうにw
西郷にしろ大久保・桂等は単に変化を模索した急先鋒って「だけ」だろ?

353名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 08:36:29.55ID:dLTndoEB0
>>350
流行りのファッション

354名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 09:43:44.27ID:hUHUZMYb0
>>350

>>20に見られるようにパヨクが捏造した反日ネタ。

355名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 10:31:45.20ID:bkul7A+x0
司馬の西郷は体調不良説
山で転んで頭をぶつけて、それからおかしくなった説
それまでの前半生(倒幕、維新政府樹立まで)は冴えまくっていたと言うのが司馬

このスレを含めて最近の西郷観は、西郷は一貫しておかしかったというもの
前半生で冴えていたように見えるのは粉飾された西郷伝説のせいと、
たまたま結果が出ていたせいであるというもの

何のことは無い
西郷本人は一貫して、自分を認めぬ者を攻撃し
自分に好意的な者には力を貸してきただけであった

いやいや西郷が書いた手紙などを見ると、
西郷は、国家のためになにかできる英雄的で私心の無い大人物が好きであったろう?
たしかにその通りである
だがそのような人物は誰だって好きであるし応援したくなるのである

西郷の特徴は、国家のためになる人物であっても西郷を認めぬ者は冷遇し
攻撃したことである

言わば人格障碍者であり、大悪人というのとは違う

356名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 12:13:31.60ID:dI84mpQm0
西郷どんのもう一つの特徴

政争に負けたり、自分の思い通りにいかないと
ケツをまくって田舎(自分が天皇でいられる場所)に帰る

357名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 14:13:22.81ID:j3AuAe9D0
偉大な先人達の辞世の句を切なく歌った名曲↓
散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4

358名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 19:21:31.97ID:kf2/jPOX0
>>355
たしかに悪人ってほどじゃないけれど、どこにでも居る腰ぎんちゃくって感じ。
たとえばクラスのそこそこ高いスクールカーストな連中とつるんで
自分はたいしたことしてないのに旨い汁吸って偉そうにしているタイプ。

信者はかたくなに信者だし、荒らしやコピーペースト貼りには擁護されている。
気持ち悪いなー。

359名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 20:38:48.52ID:UW9QItRA0
西郷どんは愚直に仁者、正道、至誠の人を貫いた漢
まさに大政治家と言ってよい

360名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 00:16:18.55ID:bRmHffiv0
西郷が偉人でないと何か不都合なの?

361名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 13:39:22.41ID:qXzE+7gV0
鹿児島は歴史のリスク分散がまったく無い
鹿児島の公称歴史は西郷が偉人であることを前提に全部書かれてきた
西郷に全賭けしてきたから、それが黒なら歴史が全部吹っ飛ぶ

反日に全賭けしてきた韓国と同じ
それで押し通すしかない

362名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 20:20:48.11ID:SRyNhHan0
いや西郷は普通に偉人だろ
普通に歴史に名前が残る
しかも明治維新の筆頭として

363名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 20:39:30.41ID:FwQxN6JE0
最近ネット広告で見かける「〜の真実的」な内容のやつは何かあるのだろうな

364名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 21:30:00.59ID:N3XPgZwZ0
最近の例で言えばいわゆる薩摩義士の宝暦治水事件は完全に捏造であったと言われています
それでも鹿児島では毎年慰霊祭なんかが行われているはずです

押し通すしかない、というかある年齢以上の人にとっては今さらウソだったと言われても・・・
という感じで、新しく更新された情報は本能的に遮断してしまうんだと思います

宝暦治水事件については薩摩が捏造したのではなく、木曽川の現地の人が捏造して
鹿児島には大正時代ごろに伝わり、薩摩武士スゲエということで飛びついたようです

それ以降薩摩義士は、戦国島津、西郷隆盛と並び、薩摩三大レジェンドみたいになっていて
鹿児島県人の自尊心・反骨心そのものかと思いますが、完全に捏造です

鹿児島を代表するホルホル作家の海音寺潮五郎でさえ昔から否定していたようです

365名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 21:41:04.17ID:Kexc/PC90
スレ主は名無しネットの中で、西郷を小物・ろくでなし扱いすることに、青春のすべてを掛けてますからネ。
西郷が小物でないと困ると考えるのは、
なんと言ってもスレ主でしょう。

現在進行形で行われている企業の不正の内部告発なら、
匿名書き込みも有効だ。

しかし歴史スレで珍説を披露しても、
同じ効果があると信じたところに、
スレ主の悲劇がある。
新しい事実が発掘されたならともかく、
何年何十年前の本に書かれたことを、
さも自分だけが知っているかのように、
紹介するだけなんだもの。

若気の至りでひっこみがつかなくなる人の典型。

366名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 22:08:25.98ID:N3XPgZwZ0
青春のすべてとか、若気の至りとか
言葉のチョイスが古いなあ・・・

いつも老害感情だけで人を批判してくるこの人

いったい何歳なんだろう?

367名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/13(水) 23:28:43.70ID:abjGSthZ0
反日・反西郷プロパガンダ制作者一覧

■星亮一…福島民報(サヨク新聞)、福島中央テレビ
■原田伊織…クリエイティブプロデューサー、反日思想
■半藤一利…反日作家、文藝春秋
■中村彰彦…文藝春秋
■早乙女貢…小説家
■ねずまさし…サヨク作家、治安維持法違反で検挙
■宮崎十三八…会津若松市商工観光部長
■佐高信…サヨク作家、社民党支持者、教師時代に不倫結婚
■石光真人…「会津人柴五郎の遺書」の作者
■渡部恒三…元民主党議員、福島県へ原発を誘致
■野口武彦…文芸評論家、学生運動のリーダー
■小谷野敦…「天皇制批判の常識」の作者
■リチャード・コシミズ…元商社マン、陰謀論者、在日の出版社から出版
■鬼塚英昭…竹細工職人、陰謀論者、在日の出版社から出版
■TweetTV JPの老夫婦…共産党支持者
■瑞穂の国から出ておいで管理人…社民党支持者
■高橋美智子←星亮一主催の戊辰戦争研究会事務局
2ちゃんねるの削除板で大暴れ

歴史学者が1人もいなくてパヨチンが多いのが特長

368名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 05:13:21.44ID:ouCHFxTX0
西郷擁護は荒らしと信者とコピペ貼り職人だけか。
信者以外は仕事でやってるのかな?

369名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 10:15:56.81ID:ZntKG2rL0
薩摩義士マジで?

370名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 12:18:13.33ID:TME8WxMl0
100人近い薩摩藩士が抗議の切腹したとか全部デタラメだったんだよな

371名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 18:31:20.37ID:0z9zLvUV0
>>366
西郷について目新しい発見はなく、何年、何十年も前の本に書いてあることを紹介してるだけ、
という指摘については、スレ主はどう考えているのか聞いてみたいな。

372名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 18:43:12.34ID:qiI97M1E0
薩摩兵が人間離れした戦闘力を持ってたとかの話も甚だ怪しいわな
戊辰戦争では庄内とか長岡などの戦意の高い相手には普通に苦戦してるし

関ケ原ではただ逃げただけ

それなのになぜかスーパー戦闘民族イメージのゴリ押し

373名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 19:16:08.42ID:4ED4Qnwc0
佐々木高行

「公明正大な西郷と、陰有り後ろ暗き人の多き長州人」

庄内処分の件でwww

374名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 20:58:49.97ID:p/0MGsss0
>>371
何十年も前の本に書いてあることを紹介、というのが何を指していて何を言いたのかまるで不明
それをどう考えるいるかと聞かれても・・・
頭の悪い人がそいつの独りよがりの感情と文脈で火病起こしてるだけでは?

ていうか371=365でしょ
そんな恥ずかしい一文にこだわるのは老害本人しかいないよ

375名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 21:42:11.03ID:oKzby+aq0
日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳

法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。

法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V

376名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/14(木) 22:10:39.62ID:kyvH2sQW0
こんな過疎スレの中でレスを伸ばすためにどうしても西郷人気に頼らざるを得ないスレ主。
結局西郷人気頼みのスレ主あわれ。

377名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/15(金) 01:03:13.47ID:92nW5+Hu0
老害老害って、さも自分は年取らないみたいな話やなw

378名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/15(金) 12:01:21.41ID:WjnLkru00
西郷人気なんて無いだろ
大河も惨敗だし
上野に銅像が無かったら、大村益次郎レベルの知名度しか無かったかも

379名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/15(金) 13:36:16.19ID:92nW5+Hu0
素で大村のがもっと知名度低いやろ?

380名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/16(土) 04:50:30.37ID:ICHYyFZb0
大阪維新の会のやることのことごとくが軽薄で考えなし。
明治維新を好意的に認識しているから「維新の会」と称したんだろうけど
西郷や大久保を偉人だと勘違いしている政治家たちのやることは
やらなくていいことばかりだ。

381名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/16(土) 07:06:02.53ID:sl85xt/O0
ふと下のコピペを思い出した
証拠は全て鹿児島を指しているのに宮崎と言い出したのは誰?
宇佐神宮?宮崎県庁?
スレ主も具体的な証拠を挙げなよ


日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)

382名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 05:41:25.48ID:OpaULdcg0
日本人のルーツは分類の仕方にもよるが3〜6種類くらい。
それが混ざって現在の日本人になったから純血主義なんて排他的一神教の
悪癖を持ってこられたら、そりゃ違うだろうと思う。
実際に縄文人だの邪馬台国の末裔だのが偉いなんて選民思想はなかったし。

出雲族・諏訪族・三輪族はおそらくオオクニヌシノミコト系。
今の天皇家はニニギノミコト系。

他にも独特な土着の信仰を持つところ集めて成立した民俗学は
明治維新に潰されそうになる地方文化を、消すまいとして生まれた学問。
遠野物語をまとめた柳田国男は頑張った。
南方熊楠も生物学の分野で頑張った。
ついでに何故か多神教のギリシャ神話の国からやってきて出雲に帰化した
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も怪談・迷信の方面にドハマリした。
……多神教は混ざりやすい。ギリシャ神話のマルス神は日本に来て摩利支天に
なったくらいだから馴染みやすかったのだろう。

それまではただの生活に知恵や習慣だったのにな。
日本で長年育まれてきたの有象無象の文化は明治政府のやらかした最悪の愚策、
廃仏毀釈で潰された。酷いことをしたものだ。

383名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 15:10:24.09ID:f+4ECaBE0
「遠野物語」自体はともかく、遠野物語信仰みたいなものは甚だ胡散臭いんだよな

ある本で、遠野物語と「在日論」の共通性が指摘されていた
以下はその引用である

遠野市が「遠野物語」(柳田邦男 1910年)の筋立てにしたがって地域の姿を作り変えていったように
在日コリアンも「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植1965年)の筋立てにしたがって在日の歴史を作り変えた部分がある

人類学者の太田好信の指摘では、「遠野物語」が刊行されてさほど時間が経過していない時点で
現地を訪れた者には、自分が目にしている遠野と、「遠野物語」に描かれた「遠野」とのギャップに
驚かされたものだが、数十年後に現地を訪れた者にはそのギャップの感覚が無くなっているという

これに似た関係が在日コリアンと「朝鮮人強制連行の記録」との間にもあるのではないかと

「朝鮮人強制連行の記録」は、刊行されるや、少数ではあるが、あるタイプの日本人たちに啓示を与える書となり
「強制連行」の足跡をたどる発掘・調査などに使命感を燃やす人々を生みだし、
それはやがて在日コリアンが「強制連行」の被害者やその子孫であるというイメージを人々の心や身体に刻み込む力となった
しかし、当の在日一世自身が読んだら、それがわが事を記した本であるとは、にわかには信じられなかったに違いない
一世の多くは、ひと旗あげるためにとか、貧しさから逃れるために、故郷を離れ、
日本にやってきたことを十分に承知しており、彼らの立場からすれば、自分が日本にいることを
日本の「強制連行」のせいにするような”お話”が作り物であるのは明らかだったからだ

384名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 15:38:31.84ID:f+4ECaBE0
ながながと引用したのは、西郷伝説と鹿児島県人の関係が
遠野物語と遠野市や、「朝鮮人強制連行の記録」と在日コリアンとの関係と
同じだと思ったからだ

西郷の死後だいぶ経ってから、西郷を祭り上げる顕彰本が刊行され
その顕彰本の筋立てにしたがって鹿児島県や県人が自らの姿を作り変えたのだ

西郷軍の当事者の代ではなく、子孫の代になってから実体の無い西郷伝説が
鹿児島県人の心や身体に刻み込まれたのだ

宝暦治水事件の薩摩義士のお話も同じである
鹿児島にはもともと薩摩義士の記録は一切無かったにもかかわらず
大正時代に岐阜県から薩摩義士の捏造話が輸入され
その筋立てにしたがって鹿児島県も自らの歴史を作り変えてしまったのだ

この現象の最新版が、朝日新聞の慰安婦報道と韓国で名乗りでてきた(強制されたと主張する)慰安婦のおばあさんたちである
慰安婦報道の筋立てにしたがって、慰安婦おばあさんは自らの歴史を作り変え、強制連行されたと主張しはじめたのである

385名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 15:56:37.36ID:rjEA3RJC0
このスレ見ると、西郷の評価がすごい下がるねw
いや全部鵜呑みにするわけじゃないけどさ

386名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 16:47:09.55ID:aJNOk7qw0
明治15年発表されのち軍歌として広く知られるようになった「抜刀隊」の中で、
西郷は「古今無双の英雄」でありながら「天の許さぬ反逆」を起こした者とされている。
この錯綜した感じが当時の評価じゃないかと思う。

387名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 19:14:50.88ID:MVJQoGGx0
でもその西郷が前線に立って維新を成し遂げたという事実には代わりはないよね?と
龍馬は如何ともだがw

388名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/17(日) 19:23:24.44ID:f+4ECaBE0
>>386
あくまで私見ですが、当時の評価に従って「古今無双の英雄」のようなフレーズが生まれたのではなく
「古今無双の英雄」というフレーズが使われたことによって、それが一種の西郷伝説になり、
その筋立てにしたがって歴史が作り変えられていったと見るべきでは?

明治15年というと、1万以上の死者を出した西南戦争の記憶はまだ鮮烈であり
遺族感情など考えれば、敵軍の大将を「古今無双の英雄」と呼ぶのはちょっと考えにくい
西郷のキャラも「古今無双の英雄」というような前線に立つタイプの統率者ではなかったし

しかし事実としてそのような歌詞が採用されたのは
西郷隆盛がかつての政府陸軍大将であり、西郷軍の中核もかつての政府軍であり
また明治15年当時政府軍には薩摩出身者がまだ多くいて、西郷をたんに賊とするより一種の軍神化をして
それを打ち破る正義の政府軍のような歌詞にしたほうが何かと都合が良かったのではないかと思う

389名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 04:41:31.43ID:w2nchGoR0
嘘臭い伝説なら聖徳太子もいるけど昔すぎる話だから
伝聞ゲームのごとく尾ひれが付いてできた伝説だったんだろう。
昔話あるあるだ。

だが、西郷伝説は嘘まるわかり感が先に立つ。

現代のねつ造英雄譚の政治利用のされ方はド汚い。
ぐぐったら誇張されすぎなのがすぐにバレるのにな。

390名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 22:23:01.66ID:LXR3kIaX0
柳田邦男を否定して、「ぐぐれば分かる」と述べるのは、
「ネットの中にすべて真実はある」と、フィールドワークなんか何もできない、
典型的なひきこもりの発想だ。対人恐怖症なんだろうか。

391名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/19(火) 02:28:27.48ID:ZbH22ZeH0
遠野物語は地方の伝承を集めて書き残したものでしかない。
それにコリアンがどーのってなんでやねん。
あっちの国で反日やってる人間とこっちの国で在日ガーって
やってる人間は言い回しが同じ。
目的は諍いの種まき?

そっくりというより、同じ組織の仕事人なんじゃないかな。

392名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/19(火) 08:11:42.94ID:/YQNsDky0
通説では西南戦争の最後で西郷の介錯をしたのは別府晋助となっている
「西南記伝」など西郷顕彰本でもこの別府晋助介錯説をとっているものが多いんですが
この説の元ネタって何だと思います?

目撃者がいた?
後の歴史家がフィールドワークして聞き取り調査した?

いえいえ、元ネタは"新聞報道"のようです
西郷軍全滅の3日後の9月27日
東京日日新聞が西郷の最期の様子をこう報じている

新撰旅団の安村治孝中尉兼二等大警部(旧長州藩士。市ヶ谷集獄署長。のち樺戸集治監典獄)が
西郷に飛びついたが、薩兵に撃たれてピストルだけを確保して引き下り、別府晋介が西郷を介錯した

おそらくこれが、別府晋助介錯説が初めて世に現れた瞬間です
別府晋助介錯説の原型はこれなのです
西南戦争直後に流行した"錦絵"でも西郷の最期には安村中尉が登場しています
おそらく当時の人たちは鹿児島県人も含めてこの報道を信じたはずです
つまりある時期までは、西郷の最期といえば、安村中尉と格闘中に薩兵の弾に当たり、別府晋助に介錯されたとされていたのです
これが当時の通説だったはずです

しかしこの安村中尉が西郷に飛びついたという説は後にほぼ取り上げられなくなったところを見ると
後に安村本人が否定したかなにかでガセと判定されたのでしょう

そしておそらく、別府晋助が介錯したという情報のみが後の西郷顕彰本で採用され
流れ弾に当たった西郷が「ここらでよか」と皇居の方角に拝礼し、別府晋助により介錯されたという話に変化したのだと思います

そんな大事なことを勝手に話を作り変えて、さも史実のようにして出版したりするか?と思う人も多いと思いますが
ふつうにします
池田大作や大川隆法の本がどのようなものか考えてみてください
西郷顕彰本というのは宗教本なのです

393名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/21(木) 07:00:45.59ID:xTmuBbyK0
全くの嘘であればその後の安村某は歴史に名を残すことはなかったに思うが「そうではない」
がしかし囚人監修という職が何か左遷的な雰囲気があるように思うがどうだろう

もしかして誰かが逆賊ではあるが英雄でもある西郷の最後に
一兵卒もしくは長州人が関わった事に何色を示したのかもしれん

あと子孫?の方の言い伝えかなんかで名が知れ渡った事で家にまでおしかけた連中が居たらしいので
そういうのに嫌気がさしてその後無言で通したのかもしれん

394名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/21(木) 09:33:09.64ID:cbAfQE7w0
安村中尉が西郷に組み付いたという話は政府軍の記録には一切無かったはず

そこだけ空白になっているというか・・・

少なくとも現在通説になっている、西郷軍幹部が1列になり突撃し
負傷した西郷が幹部たちの見守る中皇居の方角に拝礼し介錯を受けた
という説は
当時は影も形も無かったと思われる

395名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/21(木) 13:01:30.76ID:cbAfQE7w0
面白いのは、東京日日新聞の第一報ともいえる安村中尉説では
西郷に当たった銃弾は薩兵が放ったとされている点だよな

その薩兵が桐野利秋だとは言わないけど
もともとの第一報では西郷は薩兵に撃たれたとされているのは興味深い

396名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/23(土) 00:21:30.39ID:1J4MVTeX0

397名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/23(土) 06:52:46.33ID:nIDfmCE40
あはは。
ワンパターンのネタをどう展開していくのかしら。
もう少し泳がせてみましょう。

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