西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
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>>49
事実誤認の先入観でしか物を言えないんです、という自己紹介をしているんですね。 鹿児島って右も左も無いんだよな
西郷さんや地元をホルホルできれば右も左も無い
征韓論がそう
太平洋戦争以前の軍国主義の時代には
西郷を、大東亜共栄圏の先駆けとして征韓論を唱えた偉人にするし
戦後の左寄りの時代には、朝鮮出兵を阻止した平和主義者にすり替える
まあひどいもんだ >西郷さんは右左で割り切れる人物じゃないからね
西郷信者特有の言い回しだなあ・・・
何か大切なことを言っているようでいて
実は何も言ってない、何の意味も無い情報ゼロの言い回し
議を言うな、と同じで議論を恐れただ同調圧力を正当化するためだけの中身の無い言葉 西郷どんは、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く人。 勝海舟、曰く「俺はいままでに天下で恐ろしい人物を二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。〜横井の思想を西郷の手で行われたら敵うものはあるまい。」 西郷にしても勝海舟にしても、言ってみれば「小者界の超大物」という印象なんだよな
坂本龍馬にしても 声がでかいだけの人たちがなぁなぁで褒め合っている感じ。 >>57
西郷も勝も土俗的な匂いがプンプンする土建屋のオヤジって感じ。
龍馬は上手く言えないが都会的な感じがするんだよな。
お龍の回顧談でも(話半分だが)小心でセコイ感じが出てて笑ったw 西郷、坂本龍馬、勝海舟、横井小楠
このへんの褒め合いはみんな情実だよ
横井小楠はジャンルが違ってるように見えるけど
実は小楠は息子を勝に預けていたズブズブの関係 >>51
地元の英雄を顕彰して観光業やらに利用している地域は
人気を維持するためなら何でもするでしょう >>63
大学の学者やらまで総動員でやってる地域って他に知らない
誰が指揮してるわけでもないのに
異論は絶対許さない空気で
最近の信用金庫の組織的横領事件も
そういう鹿児島の、みんなやってるんだからお前もやれという文化と
無関係では無いんじゃないのかなあ・・・ >>61
勝海舟に限らず、明治20年以降の猛烈な懐古主義の流行が、異常な西郷賛美に拍車をかけたってのも大きいかと
これは西郷に限らず、明治期の新撰組美化や白虎隊顕彰と同根だわね
すでに大正に入る頃には新撰組に傾倒する腐女子すら存在してたくらいだし
性急な西洋化に対する反動なんだろうねぇ 毛利先生の「明治六年政変」がアマゾンで高値ついててびっくり
再販したらいいのに むしろ現代の方が西郷人気は低くなった
福沢諭吉も維新三傑など言ってるけども西郷が突出して衆望を集めてたとしてるし
当時の人間も西郷が一番凄いというのは共通認識 西郷信者って論破されると必ず、人気は西郷が一番だったって言い出すよな(苦笑)
で、必ず福沢諭吉が出てくる(苦笑) 西郷ってそんなに立派じゃないような……。
大河見てもフィクションがほとんどで史実を部分部分に差し挟んでいるだけ。
明治維新の立役者を褒めているBSの特集番組を見ても、褒めすぎじゃないか?
ろくなことしてないなって思うし。
すごいすごいって言ってる人見るたびに、そーかなー?って違和感発生。
そうして薩長のテロ行為は過小表現で。
一例としては無血開城。
戦にならなかったことが後の世の高評価に繋がっているけれど
それは幕府が江戸を火の海にしないために脅しに屈したからであって、
強盗が人質ならぬ江戸を質にすべてを奪ったようなものだ。
なんか、ハイジャック犯が人質を無事解放して欲しければ
給油しろとか食料と大金寄越せとかほざいているイメージと重なる。
明治維新の英雄とやらは人を斬ったり放火をしようとしたりと違法行為をし続けていた犯罪者。
西郷ヒーロー説は性質の悪い誇大広告だ。 >>69
なあその維新をテロ目線で見るのやめないか?
流行ってるのは分かるが
おおげさな話しだけど原始人の男が半ば強引に女を孕ませようとしてるのを見てそれはレイプだ!と糾弾するのと同じくらい馬鹿げたものの見方だよ 擁護になってねえw
例えるなら忠臣蔵で幕府に備中松山城の明け渡しを命じられた水谷家の家臣たちが
立て籠って徹底抗戦を唱えてたのを大石内蔵助が交渉で無血開城にこぎつけた事件だろw >>70
横レスで悪いがそうではないといいたいからつけさせてもらったわ
これは流行りでもなんでもなく事実テロと軍事クーデターにより維新は成就した
これは揺るがない事実
その例えは韓国のような現行憲法でそれ以前の罪までを裁きなおす非文明国のようなもののたとえだわ
実際問題、廃藩置県から士族反乱までの流れみても一部の人間にしかその本質を理解してるものなどなかったなによりの証明
西郷など廃藩置県後に士族がどうなるかまでのビジョンなど持ち合わせてなかったから最後があんなわけだ
結局廃藩置県の必要性は西周の新国家体制でいわれてるわけで
必然的にそれは西に新国家構想を任せた慶喜の知るところで
遅かれ早かれ廃藩置県は断行されたものとおもわれる
なにもテロと軍事クーデターで転覆さす必要はなかったものをやったのだからな
ま、だからイスラム国でもうまいことやれば明治新政府のようにやれるということ >72
>>西郷など廃藩置県後に士族がどうなるかまでのビジョンなど持ち合わせてなかったから最後があんなわけだ
西郷は廃藩置県がどのような結果を生むかくらいは十分にわかってたけど。www >>72
薩長をどうしてもテロと呼びたいようであるが、
軍事力で各藩を統治、恐怖支配していた幕府が軍事力によって制圧されるのは当たり前だろ。 >>73
ほう
これはおもしろいことをいう
で
じゃあその西郷が廃藩置県がどのような結果うむのか判ってたというソースは? >>74
封建制度の根本を判ってるのかおまえは?
まったく判ってないような発言だが >>75
士族の反乱を招くことくらい、西郷だけでなく誰でもわかってたろう。
ソースを出せとか、おもしろいこというww
大久保ら、海外視察組はそれが怖くて、国外逃亡していたわけだし。 戦国時代に終止符を打ち260年もの天下泰平の実績を持って、まじめに政権運営をしている幕府を
倒すべきなんて妄言はテロリストの扇動でしかない。
貧富の差が激しくて、贅沢三昧している王族・貴族がいる国とか
考えなしの理想論者が大量虐殺していた独裁国家とか
無知な権力者が発した愚策のせいで餓死者が出しまくった人民の国とか……、
そういう国ならレジスタンスも活性化するものだけど、徳川幕府にそういう分かりやすい悪行はなかった。
無血開城の瞬間も後もまともだった。
九州地方だけは江戸時代になってからも圧政VS原理主義一神教の島原の乱が起きたり、
薩摩藩は琉球侵略と奄美の黒糖地獄で奴隷使っていたけど。
要するに江戸幕府はホワイト経営していたのに薩摩はこっそりブラック企業で、
違法の密輸と奴隷労働によって稼いだ汚い富で悪さを企てたとも言える。
実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。 >>77
ソースだせないとうことはオマエの憶測でしかない
歴史は史料に基づき検証される
西郷が廃藩置県後にどのような結果になるか判っていたという史料はどこにある?
西郷だけでなく誰でも判っていたという史料の提出よろしくな >>81
1+1=2であることの、ソースを出せと言われているようなものwww >>80
徳川幕府の封建制度=悪、ましてや民主主義が正義などとは思っていない。
ただし徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろう。
パワーバランスで幕府は倒されたという結果。 >>80
徳川幕府の封建制度=悪、ましてや民主主義が正義などとは思っていない。
ただし徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろう。
パワーバランスで幕府は倒されたという結果。 >>82
はい論破オマエの負け〜
オマエの脳内ソースで適当にでっちあげた妄想トンデモ理論であること判ってしまったな
哀れ >>83
薩長よりもはやく、そしてより明確な近代化と中央集権新国家体制プランをすでに有してそれを履行するとこまできていた幕府が何故新政府に倒されなければ海外の植民地になっていたというのか
その根拠とソースを提示しろ
またオマエの脳内妄想がソースとかぬかすなよなw >>86
じゃ、なんで、そんなに抜かり無く、しっかりやっていたにも関わらず徳川幕府は新政府に敗れたの? >>87
>じゃ、なんで、そんなに抜かり無く、しっかりやっていたにも関わらず徳川幕府は新政府に敗れたの?
こんなことすら他人に訊かないと判ってもないレベルなのか?
まずは
・西郷が廃藩置県がどのような結果うむのか判ってたという根拠とソース
・幕府が軍事力で各藩を統治、恐怖支配していたという根拠とソース
・大久保ら、海外視察組はそれが怖くて、国外逃亡していたという根拠とソース
・徳川幕府が新政府に倒されなければ、海外の植民地になっていただろうという根拠とソース
オマエがちゃんとそれら主張してる根拠とソースをまず出せ
出せないなら無学無知で勝手に妄想で語ってすいませんでしたと謝れ
そうしたらなんで徳川幕府が新政府に敗れたのかくらい優しく教えてやるわ
オマエがどうみても明らかにしったかで語ってるレベルだから厳しく追及してる 横レスだが、>>88が「句読点の打ち方も知らないレベル」だというのは分かった。 >>88
西郷は廃藩置県の議論がまとまらない時に
反乱が起きれば自分がすべて鎮圧すると言って議論まとめたくらいだから
大規模な反乱が予想されててどうなるかぐらい知ってる
幕府時代は言論の自由もないし平均寿命も30
安政の大獄見れば分かる通りほっとけばテロ路線も突っ走る
朝廷や雄藩や浪士が怖いから雄藩も納得するような近代化路線を打ち出さざる得なかった
だから反幕府勢力の長州藩が没落すると参勤交代復活させようとしたり幕権強化路線に戻り
薩摩と関係が悪化して薩長同盟とその後の倒幕になる >>89
ID変えて別人設定で横レスとかウケるオマエw
もはやその程度の返ししかできなくて哀れw
そのへん文章まんまオマエのコピペしただけだなのに草はえる >>80
>実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。
これこそ、妄想満載だろ、ソースだせよ。 >>88
>他人に訊かないと判ってもないレベルなのか?
>そうしたらなんで徳川幕府が新政府に敗れたのかくらい優しく教えてやるわ
質問の形をした嫌味ということにきずいていないようだなwwww 廃藩置県は封建制度の解体の最重要課題だったことは、新政府の誰もが認識していたことであり、
当然、士族の反乱は予想されていた。
明治4年7月9日木戸家で廃藩置県の相談会が開かれている。
従道、大山巌、大久保、山県、井上肇、木戸が出席
西郷は「もはや論議の余地無し。反対するものはあろうが、今は『断』の一字あるのみ。
実施に当たって不穏の事態があったら、その処理は拙者が引き受け申す」
その後天皇へ
「恐れながら臣西郷が居りますれば、何卒、大御心を安んぜさせられますように」と申し上げ、
明治4年7月14日廃藩置県の大号令発布。 >>94
その逸話のソースは「大西郷の逸話」昭和49年 ですね
作者の西田実は鹿児島県出身の教員で狂信的な西郷信者
本作もマンガみたいな内容の西郷カルト本で
残念ながら歴史学的には価値ゼロのしろものです
創価学会や幸福の科学から出ている教祖礼讃本と同じものです
しかしこんなゴミ本でも引用を繰り返されるうちに
鹿児島県や西郷ファンの間ではそれが史実であるかのように語られ、
ドヤ顔でネットに貼る者も出てくる
ほんとうに困ったものです ちなみに「大西郷の逸話」では江戸城明け渡しの場面を以下のように書いています
4月11日江戸城に入る勅使に万一のことがあっては無血開城が水泡に帰すので
西郷は身分を隠し、兵卒として勅使を護衛し、一緒に江戸城に入った・・・
そういう大河ドラマでもやらないようなウソ逸話を平気で載せてるゴミ本です、>>94の元ネタは 明治新政府が捏造した西郷英雄説はありえなさすぎ。
そんなのでもカルトの狂信者のごとく盲信している人はいる。
信じるに値しないものを信じてしまってアイデンティティの柱にしてしまった人間は
たぶんまともじゃない。
倒幕の手段の汚さや明治新政府のやらかした愚策がつまびらかにされていく都度、
わめいて騒いでかきまわして有耶無耶にしようとする。
某一神教で魔女狩りを実行していた異端審問官のごとく攻撃的だ。実に目障り。
明治維新を正しいと思うヤツは頭おかしいっていうアンチなイメージを広めたいなら
効果的なやり方だけど……。 アンチ西郷、アンチ維新のここのスレ主が最もカルトっぽくキモいwwww >>80
>実際、明治維新以降、侵略する国になった日本は満州でしっぺ返しを食らい敗戦後もじわじわ劣化して
今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨するわ、原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい
穢れた地になってしまった。
1. 明治維新と「今じゃコンクリだらけのせいでゲリラ豪雨」との因果関係、
2. 明治維新と「原発のせいで放射能まみれだわの生態系の貧しい 穢れた地」との因果関係
の根拠をソース付きでお願いします。wwww >>93が涙目wwwwww
ID変えて他人装い横レスとか言い出したとおもったら次は負け犬が吠え返すだけの無意味レスで必死www
もはやその程度の返ししかできなくて悔しいのォ〜脳内妄想のペテン師wwww
悔しかったらはよ根拠とソース提示しろw
これだから薩長史観だけに毒されたバカ信者はきめぇ
反薩長史観と両輪のごとく検証する客観性が欠如しすぎて学術板で語る資格もない無知無学のカスばっかだな 西郷ドンが廃藩置県の後の反乱を予想してことを示す、行動、言動など一次史料は多数ある。
こんなところにはソースは出さないが。日雇い反日プロパガンダのスレ主に教えるのもったいねーし。
ていうか、大改革の廃藩置県を断行しようとしている当事者がその結末を考えてない
なんて普通に考えてもありえないだろ。
この後また夜中の3−4時に反日プロパガンダのスレ主は火病をおこします。 to be continued そもそも新政府に対し反乱を起こせる実力があるのは薩摩と長州ぐらいなわけで
さの薩長両藩が廃藩置県に先立って「御親兵」という形で新政府に精鋭軍を差し出してる時点で
反乱の芽は摘まれている
そういう意味で西郷は(小規模な抵抗以外の)深刻な反乱など予想していない
あたりまえである
新政府の御親兵以外に、それに対抗しうる兵数、火力を物理的に保持する勢力は
当時の日本に存在しないのだから
もし、西郷が(抵抗以上の深刻な)反乱を予想していたとしたらそのほうが馬鹿だろう
事実、廃藩置県はあっけなく完了している
したがって>>102がなぜ西郷が反乱を予想していたと必至に言い張るのか、理解に苦しむ
さすがに西郷どんもそこまで馬鹿じゃないだろう >>102
教えるのはもったいないとかw
結局なんだかんだと言ってソースが妄想なので出せないだけなのにこの負け惜しみw
惨めで哀れw
それでこういう批判受けるの自身でわかってるからあらかじめ「火病おこします」宣言して釘刺して牽制したつもりで己の醜態自ら晒すw
超ウケるww
こういう展開になるの判ってるくせに悔しくて悔しくて悔しさ抑えきれないからレスしちゃうw
ま、まずは涙拭いてくれ
それから落ち着いて考えよう 御親兵など数千の兵に過ぎないし
佐賀の乱、神風連の乱、 秋月の乱、 萩の乱、西南戦争と実際の反乱はあちこちで起きてるよ >>105
それらの反乱の多くは廃藩置県からだいぶ経ってから起きた反乱で
廃藩置県とは何の関係も無いじゃん
大きい反乱は佐賀の乱と西南戦争だけど首謀者たちは廃藩置県の時には
政府にいた人間だし、西郷軍の中核はもともと御親兵
つまり廃藩置県の時に大きい反乱を起こせる勢力は在野せず
物理的にやっかいな反乱が起きる可能性はゼロ
士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い
西郷にとってもウザい島津久光を棚上げできるので
むしろ都合が良かったはず
思われてるほど困難なもんじゃないよ廃藩置県は
実際何の反乱も起きて無いし 廃藩置県の前の地名の方が恰好良かった。
市町村合併の後の地名もセンス悪い。 西郷って維新の三傑として木戸孝允や大久保利通のグループに分類されているけど
役割的には島津久光や松平容保のグループなんだよな
薩摩の兵馬の権を事実上掌握している西郷を
政治的に取り込んだ勢力が薩摩の兵力を利用することができるという
以前の島津久光と同様の立ち位置
末路も、久光や容保同様で、利用価値が無くなって切られているが
そういうものとして考えれば普通に超大物の政治家と言える
久光が超大物であったのと同じ意味でね 久光の悪評は西郷と大久保をヨイショするために捏造されたもの?
ぐぐってたら久光はけっこう高評価。そして西郷と仲が悪かった。
斉彬は先代の実の父親から信頼されてなかったっぽい。嫡男なのに。
歴史ジャンルもので悪役設定された人物って実際は違う場合が多いから
悪役に引き立てられて英雄になった連中も胡散臭い。 久光の悪評と言っても、そういうイメージがあるだけで具体的な悪評って無いはず
逆に西郷は偉人のイメージが一般的には付いているが、では具体的にどんな偉いことをやった人なのかというと
鹿児島県民ですら「え〜と、それは・・・」となるぐらい「偉人」としての実体の無い人物
>>109のように歴史の節目節目に登場して重要な役回りを演じているが、「偉人」かというと全然違うし 勝の西郷評や竜馬評もやっぱり創作なのかよ
なんか歴史ってウソだらけだな
すぐ違う説が出てきたりするし真面目に学ぶのがアホくさくなる 「敬 天 愛 人」
この手のワードを好み、サインしていた人物ですよ
現代でもそうですが、そんなことするのは自分を大人物に見せたい小人物しかいません
本当の人格者や大人物は今も昔もそのようなワードを口にしないと思いますし
ましてや大仰に書にしたりは絶対にしないと思います >>111
西郷がどんなことをやった人なのか?
面倒がらずに検索してみた。
ドラマ的な脚色を取り払い、史実だけをニュートラルな視点で見てみたら、
結婚してから事故物件だと分かる最低男。
月照という坊さんを殺してる。
久光にはハラスメント。
倒幕のために実行した手段はテロ行為満載。
やらない方がいいことばかりやっていた。 >>107
>士族にとっても廃藩置県は藩の解体であり士族の解体では無いので
反乱を起こす動機は薄い
全然間違い。
廃藩置県で最も不満が出るのは士族だったことも知らないのか。
そんな超基本的なことも知らないとはwwwww
無知って怖いな。wwwwwwwwwww
そんなめちゃくちゃな知識でよく知ったかぶりで西郷を叩いているな。wwwwww 士族の解体は明治9年の「秩禄処分」です
・廃藩置県(明治4年)
藩の解体 → 混乱無し → 西郷及び薩摩藩士も新政府に同調
・秩禄処分(明治9年)
家禄、賞典禄の廃止
つまり士族の食い扶持の没収
↓
とくに賞典禄(戊辰戦争功労者に対する賞与)の恩恵を最も受けていたのは
薩摩城下士であったが、彼らもその特権を没収され、生活基盤を解体されることになった
↓
西南戦争(明治10年)
わかりやすすぎ >>116
真っ先に暴発して火薬庫襲ったのって、鹿児島城下の城下士達じゃなく、加治木衆を中心とした外城士の若者だったかと
彼らは戊辰時には主に在郷の者が多く、また新政府に出仕した経験者も少なかった
そもそも暴発した若者の多くは、戊辰戦争や明治維新前後のの激動期にはまだ年少だから当然と言えば当然
維新の賞典とかには、さほど与からなかった人達だわね >>117
まるで年少の外城士が西南戦争を主導したかのような言い方するけど
実際の戦争と何の関係も無いでしょそれは
戦争を決定し、主導したのはあくまで城下士を中心とした「私学校」勢力
火薬庫襲撃も私学校信者たちが暴走したにすぎない
また、西南戦争と秩禄処分は関係無いかのような見解は初めて聞いた ちなみに外城士は賞典禄の恩恵をさほど受けていないのではなく、賞典禄は基本貰っていない
戊辰戦争に従軍した外城士もいたが、賞典禄は城下士だけに支給され、且つ外城士には当初秘密にされていた
城下士が主導する西南戦争への従軍を渋る外城士が多かった原因の一つがこれである >>107, 118
廃藩置県と秩禄処分を完全に切り離して考え、誤解しているスレ主は哀れ。wwwwwww
廃藩置県後からすでに禄制改革は徐々に行われており、完全に終止符を打つ形が明治9年の
秩禄処分であるだけのこと。
廃藩置県により知藩事は債務がなくなり、家禄は一定の維持ができているので
職を失った士族に比べて、不満は少なかった。 >>120
言ってることすべて意味不明
士族が職を失うとか(笑)
士族は身分・特権であって、職業では無いですよ
しかも廃藩置県時にはその身分・特権は失っていません
頭悪すぎ(苦笑) >>121
言葉尻をとらえることしか出来なくなったスレ主哀れwwww
もっと根本的なまともな反論をしてみろよ。 西郷は廃藩置県にて起こりうる反乱は予期したが
つまり旧藩主やその実権を握っていた者を中心とした反乱は予期していたが
秩禄処分を失い、断髪廃刀令などの平民化政策によってその後士族らがどうなるのかまでは明確にビジョンをもってないし想像もできてない
ここがポイント
実際、廃藩置県の重要性やその本質も他の主要閣僚らに比べてどれほど理解していたかも疑問 >>123
西郷個人はビジョンを持っていたのか
そもそも西郷はビジョンや理念で動くタイプの人間ではなく
その時々の立場や人間関係によって
考え方がコロコロ変わるタイプの人間だと思われます
廃藩置県時の西郷は政府にいて、リストラする側だが
秩禄処分のときは薩摩にいて、リストラされる側なので
当然考えの変化はあるでしょうね 西郷って普通のリーマンみたいだなあ……
(´・ω・`) そもそも西郷は紀州藩を改革した津田出を評価してたから、
近代化の必要性は承知していた
ただ大久保政権とは違ったってだけで
板垣や江藤にしても同じ事
反政府だったというだけで、軍と権力握ってる政府には勝てなかったというだけ 「近代化」ねえ・・・
西郷信者が大好きな曖昧なワードがまた出たな
具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード
「敬天愛人」とか「天命」とかそんな言葉と同じ次元のワードだな
都合よくどうとでも解釈できて、なにか重要なことを言った気になる無能好みのワード 明治新政府のやったことは壊すことばかり。
中央集権化のためと言いながら地方独自のコミュニティーをズタズタにした。
軟禁して外部からの接点を失った「天皇」を原理主義一神教の神のごとく盲信させた。
盲信はあるがままの存在を信仰する日本古来の概念とは別物。
異端を狩り尽くす洗脳カルトのやり方だ。
天皇という存在にその忌まわしい概念を上書きして行われたのが廃仏毀釈。
天皇を唯一尊い神に引き立てるために他の神々や仏教の否定ってなんで?
基本的に己の正当性を誇示するために他者を貶めるやり方はなんか違うと思う。
そもそも日本の仏教は奈良時代の天皇がものすごいパワープッシュして
取り入れた国教だったのにな。 そら近代化の必要性くらいは理解してたろ
ただ、その近代化の細かな理由や本質、それに対する己の思想など持ち合わせてなかったとおもうわ
でなきゃ、熟知してるのなら農本主義に帰依することなんてしないだろそもそも
西郷がやろうとしたこと
西郷が想像してる政策の器は
生前の斉彬に説かれた内容と構想で止まってる気がするんだよな
それを実現させるだけのプランとビジョンしか持ち合わせてない感じがすごくする 【アミシャーブ計画】 日本人にとって骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話! 【スタクスネット攻撃】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50
神道、皇室、ダブル解体の危機! >具体性ゼロの、どうとでも取れるようなワード
www
んじゃ〜その具体性とやらで評価されている連中が「どんだけ」居るの?と 未知のものに対する西郷の理解力がいかに乏しかったかは
"鉄道論争"によく表れているよ
政府幹部では西郷隆盛のみが鉄道建設に最後まで反対した
金がかかりすぎる、というのが理由らしい
「投資」とか「工業力の裾野を拡げる」というものが理解できなかったわけではなかろうが
それでも反対したのは、もし鉄道を認めてしまったら、農本主義でやってきた自分の人生は
いったい何だったのか、という精神状態に陥っていたとしか思えない
ようは「老害」である
大久保利通も鉄道に強硬に反対していた一人であったが
実際に試乗すると態度を一変させ
「鉄道の発展なくして国の繁栄はありえない。」とまで言ったとされる
一方西郷は試乗することさえしなかった
鉄道は極めて重要な軍事力でもあり、軍の重鎮である西郷が試乗もしないというのは異常な事態である
現代でも電子メールを拒絶する老人やクレジットカードを持たないことを美徳とする老人がいるが
ようはそれである
西郷と大久保の盟友関係にひびが入り始めたとされるのはこの頃からである 鉄道そのものを否定してない、金がかかるという理由だからごく普通の感想。
大久保は乗って見て、気の利いたセリフ吐いてみたかったんじゃないの。 >>133
それこそがまさに大問題なんだよな
金がかかるという普通の発想で終わってしまう凡庸なオッサンが
郷土の兵力を背景に、大人物然として政府重鎮の椅子に座っているという
それでも西郷のいいところは自分に理解できないようなことであっても
新しいことをやろうとする人間の邪魔はしないところにあったと思うのだが
この鉄道論争のあたりからそういう面が後退し
老害のように我を通そうとする場面が多く見られるようになった
西郷といえば「征韓論争」で我を通そうとしたのが有名だけど
この「鉄道論争」の構図も実は同じであったのだ もうちょっと言えば、西郷の立場に反する案件でも
西郷をヨイショしつつしっかり根回しすれば、あっさり通ってしまうのも西郷の特徴
山県有朋がよい例
徴兵制とか鎮台軍などは、どう考えても西郷と薩摩兵の立場を相対的に弱めてしまう案件であったが
西郷はよほど山県を気に入っていたのか、山県案件は通している
一方で薩摩に帰ってからは相変わらず旧薩摩の軍制をそのまま私学校に移しただけだし
屯田兵みたいなこともやってるし
配下の桐野利秋などはそのような西郷に対し、内心ではそうとうなストレスがあったと思う 大阪維新の会が筆舌に尽くしがたいほど大嫌い。
中身空っぽ。ペラベラの風見鶏。
勢いでごり押ししてくる政策はポンコツばかり。
西郷の生き様もたいがい風見鶏。
俗物なだけだからどうとも思ってなかたけど過剰に
英雄扱いでヨイショされているから気持ち悪い。 西郷幻想のせいで
「リーダーに必要なのは人格や責任をとる覚悟であり、
実務能力や専門性は小さい人間がやればいい」
かのような間違った認識が一般化してしまった感がある
実際の西郷は自ら責任を取ったことなど一度も無いのに >>135
西郷は明治維新のモデルとなった紀州藩で徴兵制に改革した津田出を評価してたから
別に山縣が関係なくても徴兵制の必要性は承知してるよ
西郷も桐野も私学校にほとんど関与してないし、桐野に至っては既に民権論者になってたし まずその津田出の逸話、
つまり西郷隆盛が津田出を見出し、
西郷一人の判断で政府に抜擢したかのような逸話自体が
事実ではないと思っているんだが
具体的に言えば、その逸話が広く世間に広まったのは
おそらく司馬遼太郎が自著で書いたのがきっかけで、比較的近年のことと思われる
司馬は、田舎に埋もれていた津田出を西郷が一本釣りするかのように
東京に連れて来て、維新の改革を託したかのような書き方をしており
西郷信者によってそれが史実であるかのように広められたと考えられる
しかし西郷が初めて津田に面識を得たのは
津田が政府入りするために上京した後のことである
そもそも津田出は改革者としてすでに有名であり
むろん西郷もそれは知っており、津田を政府に呼ぶことを了承していたはずであるが
西郷個人が徴兵制などの改革を推し進めるために津田を抜擢したかのようなストーリーは
司馬遼太郎と西郷信者によって誇張されたフィクションである 西郷隆盛が徴兵制に対し、どういうレベルの理解があったかは正直判然としない
士族軍を廃してゆくゆくは徴兵軍のみに統一していくのか、士族軍と徴兵軍を並立させるのか
もしかしたらロシア型の、士族が士官で徴兵が兵卒という理解であったかもしれない
しかしながら鹿児島では徴兵など一切してないし、議論さえした痕跡もないことを考えると
西郷にとっての徴兵制は、しょせんはその程度のテーマでしかなかったのだろう 西郷って創作物と憶測以外に褒めるところないの?
記録に残っている実績は、戦場好きな戦争ジャンキーがテロ工作員やってた。
それだけ。 西郷は手紙ではわりといいことを書いてるよ
手紙だけ見れば高い人格が備わった有能な人物に見える
現実の西郷は違うようだけど >>140
私学校なんか軍事的な部分だけ見ると、旧士族への士官教育を指向してたんだろうね
数が必要な兵はいずれ徴兵で賄う
武士として旧態ながらも軍事教育を受けていた旧士族は、士官として一部を近代兵制に組み込む
兵は徴兵で短期間に増やせても士官は教育に時間かかるしな
まぁ明治前半の日本軍士官も旧士族出身者が大多数を占めてたわけで、西郷じゃなくても士官は士族からという流れにはなってるし
どのみち早急に軍事強化を図ると、誰がやってもそうなるわな
そもそも吉野開墾社も私学校も、実質的には維新で職を失う旧士族の失業対策と人材供給が主目的だしね
とは言え結果的にどちらも不平士族の政治結社と化してしまうわけだが 吉野開墾社って、家禄を失う士族の授産を見据えた先進的な試みのように説明されることが多いけど
実態はぜんぜん違うからな
西郷の下野に従って東京の政府軍を辞めた者たち(桐野利秋をはじめとした150名の元薩摩藩士)が自活するために
作った宗教コロニーみたいなもんだからな
吉野開墾社が設立されたのは明治6年?であり、明治9年に士族が秩禄処分で禄を失っていく以前のことであり
その当時は薩摩の地元の士族たちは禄も貰っているし、べつに生活に困ってない
政府軍で高給を得ていた西郷一派の武士としての家禄がどうなっていたか知らんが
たぶん権利は喪失していただろうから
その西郷一派の授産のために作られたのが吉野開墾社であり
士族一般の授産のために作られたわけではないのだ
西郷個人の都合で作られたものである
(明治9年以降は一般の士族授産の目的も付加されたかもしれないが)
西郷が吉野開墾社をテーマに作った漢詩が残っているが
なんか早起きして畑仕事すれば心身が健康になるとか
そういう次元の話で、中でやってることは郷中教育的な、
ようは薩摩流の精神修養で若者を洗脳していく人材教育だと感じた 実際は士族派とされる西郷派の方が進んだ考え持ってたやつ多い
桐野→民権論者
板垣→民権論者
江藤→民権論者
こっちが主導権持って近代化進めてた方が日本にとっては良かったろうな >>144
吉野開墾社はそんな裏の裏を読まなきゃならないような結社じゃなく、幕末に城下士や鹿児島城下近辺の郷士に与えられていたような賄い地の延長線だわな
薩摩に限らず新政府も失業士族を使った開拓事業を熱心にやってたし、当時の日本では工業化と並列する基本手法だわね
吉野台地は元来から水の便の不安定さから放棄農地が多かったが、近世の灌漑技術の進歩と商家の投資で水稲以外なら将来有望な開墾地になってた
今じゃ吉野台地も鹿児島の典型的な住宅地になって往時の面影は無くなってるけどね
同じ事が大隅の笠野原台地でも行われていたから、旧士族就農の試みは当時の鹿児島じゃ無難な手と言える
まして西郷は元々が郡方の小役人だから、むしろこの手の事は得意分野と言ってもいいし >>145
それって反政府の側に回った連中が自由民権運動的な手法に活路を求めただけじゃん
ようは苦肉の策
薩摩なんか自由民権どころかガチガチの士族王国で
そこにどっぷり浸かってた桐野が先進的な民権論者とか
ほとんどポエムだな 九州のルソーと呼ばれ、自由民権運動をしていた熊本の宮崎八郎も西郷軍についたな。 >>139
>事実ではないと思っているんだが
お前の感じたことはどうでもいいんだよ。
あい変わらずスレ主は自分の知らないことは全て逸話www
津田出の件については実際西郷は代理で村田新八を紀州に視察に行かせているし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています