西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
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西郷の人生
討 中山忠左衛門
討 島津久光
討 徳川慶喜
討 大村益次郎
討 大久保利通
一見彼らの思想や立ち位置はバラバラのように見えるが
大きな共通点があった
それは西郷を認めない人間だったということ
西郷は時代時代で自分を認めない人間を追い込むことに必死だった人生とも言える
逆に西郷を立てていれば、意見が合いそうもない山県有朋や江藤新平という人物たちであっても西郷は後ろ盾になっていた
自分に媚びてくれば守るし、媚びてこなければ敵と見なす
極論すれば、西郷の行動原理ってそれだけ >>888
高杉晋作は革命家というより過激派だろ? 幕末維新の有名人で多少なりとも革命家と言えるのは
高杉晋作(武士以外の階級を集めて奇兵隊を作った)
大村益次郎(武士以外の階級を集めて正規軍(鎮台)を作ろうとした)
山県有朋(高杉、大村のプランを高度な形で実現した)
いずれも体制内部からの大改革、近代化という言い方のほうが適当であるが
被支配階級が軍事の要にとって変わるという点で革命的である
西郷の場合は強く関わった2つの戦(鳥羽伏見、西南の役)が大戦(おおいくさ)であり
時代の潮目が大きく変わった歴史的大事件であったので
西郷を革命家であるとするバカもいるが
ようは、勝てば官軍、負ければ賊軍という昔ながらの内部抗争であった ↑
革命家のオレ的イメージ(民衆を率いて時の権力に挑む軍略家且つ軍政家。
例えが古いが、毛沢東、カストロのような人)では、
高杉→◎
大村→〇
山県→×
西郷→論外 >>912
革命家と過激派は広義で同じ意味あいだからな
ただ日本語的ニュアンスでいくと高杉は過激派ではなく革命家であると断言できる
日本語ニュアンスの過激派とは武市瑞山やらその一派である土佐勤王党、水戸浪士、京都で天誅を繰り広げたいわゆるテロリズムによる恐怖活動家のことである やっぱ長州だよな
大久保利通や大山巌も心は長州人だったし 龍馬も西郷も2回大河ドラマになったが高杉は1回もなってないよな
大久保は準主役で西郷の相棒として2回やってるが 西郷信者って誰々が西郷を評価してるとか、大河に何回なってるとか
必ずそういう他人の評価みたいなもんを持ち出すよな
参議筆頭だったとか、賞典禄がいちばん多かったとか
そういう肩書とか年収的なものも大好き
それが鹿児島人気質なのかな
物事の本質ではなくて、どんな集団に属しているか、肩書は何なのか
あの人の覚えがめでたいとか、どんなコネがあるとか
そんなのばっかり・・ >>922
大久保は飛ぶが如くは準主人公じゃなくて西郷と大久保二人が主人公 高杉、大村、山縣の長州上げしまくって西郷ボロクソに書いてるやつがジワるw >>922
高杉はすぐ死んじゃうし、活躍期間も短いから主人公に据えるのが厳しいので長州系の話は群像劇としての描かれかたするな
大久保が準主人公という枠使えるならそれこそ高杉も準主人公で何度もあるだろ
ただ、言われるとおりやたら高杉、大村、山縣ageしてる奴はあからさまのわかりやすさでジワるのもわかる 西郷さんは西南戦争の時、
「わしが腹を切るから、部下たちの命は助けてやってくれ」の一言がなぜ言えなかったのかな
そんなに命が惜しかったん?? ↑
戦国時代そのままの発想ですね。
西郷が敗者に切腹を求めたことはないと思いますが。 西郷さんの現実
・西郷の助命を嘆願するための使者を満面の笑みで送り出す
・政府軍が「時すでに遅し。しかし西郷が一人で出頭すれば総攻撃は中止する」と伝えたが
西郷は応じなかった
この時西郷が一人死ぬつもりで出頭すれば、多くの若い薩兵の命が助かったはずである
・翌朝、政府軍の総攻撃が始まり西郷も玉砕するのかと思われたが
突然一人で投降を試み、桐野利秋に見つかって射殺された
何がしたかったんだろう・・・ >>928
西郷は第一次長州征伐の時に長州藩家老3名を切腹、参謀5名を斬首にしてるよ
西郷はまた江戸開城の時に当初は強硬論であり、大久保利通宛ての書状などで慶喜の切腹を断固求める旨を訴えている 戦争好きな思想持っててやることはテロリストで藩札のパクリの西郷札詐欺師
犬は元の飼い主から奪って自分で世話しきれない数を多頭飼いして戦場なんかに連れてくし
……大物ではないな 西郷の本質は宗教家なんだろうな
基本的に有能ではあるけれど、自分がマウント取れる位置にいて、
崇拝してくれる人が周りにいないと精神が安定しないタイプ
ヒトラーがあの時代でなければ権力取れなかったのと同じように
西郷も幕末という時代が生み出した鬼子だったのだろう ヒトラーは演説の天才だけど
西郷は悪口の天才かな
大河ドラマなどでは寡黙な人物に描かれたり、悪口を言う同僚をたしなめたりする人物として描かれるが
実は西郷が一番悪口が多い人物で、一種のサイコパスだったかも
西郷と意見が合う人物にとっては西郷が放つ悪口は最初は痛快だろうけど
長く付き合うとその異常性に気付いて離れる人が多い
桐野ら西郷軍団ですら西郷を神輿にしてはいても
西郷の人間性を礼賛するような者はいなかった
西郷を神格化したのは、西郷に会ったこともない人物やごく短い期間だけ付き合いがあった人物たちであった 西郷がどんな人物であろうと時代の表舞台に浮上してきたのは
そんな西郷が必要だったのだよ
知性や論理ではなくゴリ押しで時代を無理矢理整理する力が この人、仮に島津斉彬が長生きしたとしても
いずれ衝突していたと思うんだよな
自分の信者以外の人間とうまく人間関係作れる姿が見えない 斉彬は西郷を引き上げた恩人だけど
人間的なタイプはぜんぜん違うからな
重野安繹によれば
西郷は「家臣の誰々は奸臣である」などの讒言を斉彬にさかんに吹き込んでいたが、
斉彬は西郷の思惑通りには動かず、敵対派閥の家臣であっても遠ざけることはなかった
また斉彬死後は
「西郷が大島から赦免になって帰って来た時は、久光公の君側の某々が小人で、
これ等がほしいままにするというのが不平で、それを敵と見て排斥するということになって、
(しかし反撃を食らった西郷は)再びの遠島となった。
とにかく世の中の小人などをば、自分の度量内に入れてやるということは乏しい。
明治の以後になってもそうである。大敵と思う幕府は倒れてしまった。
せっかく御一新の政府になったところで、もう政府の間に悪い空気がはいったという積りで、
参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪っているとか言って政府の人をば憎む。
政府の人を憎むところから、征韓論が起こって、
また党派争いで、自分につく者とつかない者と二つに岐れて、
征韓論が通らないで、また自分の敵が起こって来た。
そうして大臣をはじめ皆富貴に慣れて、御一新後わずかばかりの間にわがままをするということが(西郷の)腹に在って、
遂に西南の乱となった。
どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしくてたまらないようであった。」
と重野は書き残しているよ >>939
そう言われると革命家気質なんだよな西郷
こういう敵を作り続けてずっとその闘争に明け暮れるって正に革命家なんだがどうしても西郷は革命家とは思えないとこがある
革命家というよりブッ壊し屋というのがしっくりくる
ビルドは後の者がやるのがよか
おいはスクラッパーでごわす
という感じ 西郷隆盛ってさ
盗んだバイクで走り出して校舎の窓を夜中に叩き割って弁償しない人のイメージ コロナ感染、鹿児島ゼロ
いかに外との行き来が無い地域なのかよく分かる >>950
西郷ガチホモ説なんてないだろ
西郷の一番下の弟はガチだったようだが 維新の三傑といわれて陸軍大将にまでなったのに、得た地位をすべて投げ捨て
明治政府に対する最大の反乱の首魁になり、さらに敗死したあとで正三位の官位が
贈呈されるとか、明治維新における価値観の混乱を体現してるのが西郷であるねw 普通に考えれば、政府に対する大反乱をおこした大罪人が死後まもなく官位を
もらえるなんてありえないわけであるねw 実際、西郷が反乱をおこした当初は
すべての官位がとりあげられたわけだからねw >>955
むしろそれ恥ずべきことだろ
西郷に付き従って死んだ者たちが大勢いたのに
西郷だけ早々と名誉回復って・・
勝海舟が西郷名誉回復に奔走したらしいが、無神経にもほどがある
勝にとっては自分を冷遇する政府へのあてつけのための奔走だったのがミエミエ
また西郷が言ったとされる言葉として
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」
というのがある
西郷の官位復活を喜ぶ信者や鹿児島県人は滑稽であると言わざるを得ない >>956
西郷が死んでから名誉回復されたんだから、それは西郷が意図してやったわけではないだろうw
だから、死後の名誉回復の件で西郷を非難するのは、筋の通らない話であるねw そもそも政府に対する反乱を起こして沢山の死傷者をだした張本人を、いくら傑物とはいえ、勝海舟一人の力で再評価させることなど出来るはずがないと言えようw >>959
傑物じゃないよ
テロリストで西郷札刷った詐欺師で戦好きなサイコパス
東京オリンピック招致を強く推していた老害石原とイメージがかぶる >>961
西郷は、大久保、木戸とならんで維新の三傑といわれているが、俺が>>958で
傑物といったのは勝海舟のことだよw まあ大久保や山県なども、西郷の反乱を
鎮圧した側とはいえ、西郷を評価してたねw 勝海舟が傑物ってw
晩年は、口だけの人ってことがバレて
「氷川の大法螺吹き」と馬鹿にされていたw 勝海舟がそんなバカにされてたのなら、海舟が西郷の名誉回復のために
走り回ったところで、誰もバカにしていうことなど聞かないだろうにw 自分で自分のいうことの反証をしていくスタイルというやつかw 勝ち組政府組は敵を認める自分たちSUGEEE!を演出するために西郷を祀り上げたんだよ
もともと日本人には御霊信仰というのがあって憤死した怨霊を神としておだてるように祭り
守り神に転化させる信仰があった
死人に口なしだからできたこと 調べたら、江藤新平も大日本帝国憲法発布にともなう恩赦で賊名を解かれたそうで
西郷だけが特別扱いというわけでもないか。 >>966
ヤクザを煽ててこの辺守護してくれません?とか
半グレをガタイのいい連中で周囲固めてお前筋良いからおとなしく守護だけしてろとか
色々ねw 西郷は板垣やその後の大隈みたくどうして士族や民衆の不満を国会開設へという運動へ昇華させなかったのか?
そいう形へもっていけば西南戦争は避けられたと思うんだがな。 >>969
その手の知能がある薩摩人はみんな新政府に行って、薩摩を捨てたんだよ ツイッターでも相手にされず、5ちゃんねるでも相手にされず。
>>971の孤独地獄は性質が悪い。 ツイッターでも相手にされず、5ちゃんねるでも相手にされず。
>>971の孤独地獄は性質が悪い。 あらあ、二度押ししちゃったらしい。もう一回書いておこう。
ツイッターでも相手にされず、5ちゃんねるでも相手にされず。
>>971の孤独地獄は性質が悪い。 マラドーナが亡くなりもしたが
おいは差し詰めマラドーナでごわすか >>972
薩摩藩も最初は米作を導入しようとしてたらしいんだが失敗、ダメ元でサトウキビに転換したらボロ儲けで搾取通り越して黒糖地獄へと至る
黒糖の利益が明治維新を可能にしたと言っても過言ではない
ちなみに太平洋戦争敗戦後に奄美が米軍から返還された頃も、鹿児島県が二十数年に渡って米作導入しようとしたが見事に失敗
どうも米作が根付きにくい環境のようだね
ちなみに西郷が住んでいた竜郷は奄美大島でも数少ない米作が成功した土地で、西郷が奄美を離れる際にも愛加那に水田を残してる
当時の奄美大島では米は高額な換金作物だったから、水田ってのはかなりの財産ではあるわな 仮に奄美が戦後の占領軍政策で沖縄帰属が実現しても稲作不毛のままは不変だったろうな
沖縄自体が稲作の歴史は古くても地理的条件等で稲作は振るわずサトウキビ栽培主体となって来たからな 奄美の黒糖地獄で奴隷にされた人は元の暮らしの生活文化や生活の知恵的なスキルを
奪われて黒糖を作ることしかできなくされていた。
それもまた薩摩藩の罪深いところだ。
泰平な江戸時代にあって九州だけが戦国時代を引きずった修羅の国のままだった >>979
まず奄美が「沖縄に帰属」ってのが誤解というか奄美に対する蔑視かと
少なくても奄美大島住人は自分達が沖縄文化圏に属すなんて思ってないよ
奄美は奄美、彼の地は大和文化と琉球文化の中間に位置し双方が合流し融合する「奄美」と言う独自の文化圏なのだから
奄美の人たちにとっては琉球も薩摩も、どちらも同じ侵略者であり支配者だわな >>967
いやいや、菊の御紋を与えるなんざ相当だよ あの時代、好き勝手に菊の御紋を濫用していた連中は天皇の御意思をねつ造していただけ 鹿児島は数万年毎に破局噴火で更地になる土地だからね
ぶっ飛んだ人が多いのもそのせいか? 真にぶっ飛んだ人っているか?
長渕剛みたいに虚勢張った人が多いイメージしかない 雲井龍雄の討薩檄を鹿児島中央駅を降りたら読めるところに掲げるべき
そうすれば東北への罪を忘れずにいられるだろう
三島県令の福島への弾圧の罪
黒糖地獄についてもどんな政策だったか分かりやすく掲示する
そうすれば南西諸島への罪を忘れずにいられるだろう
江戸撹乱作戦でどんなことをしたのか教えるべきそうすれば江戸への罪を忘れずにいられるだろう
姉小路暗殺についても教えるべきそうすれば公家への罪を忘れずにいられるだろう
明治時代に併合していた宮崎や南西諸島への財政支援をしなかったことを教えるべき
西南戦争時に戦争に反対する者を暴力的に戦争に駆り立てた罪を教えるべき
熊本宮崎を戦争で荒らした罪
わざわざ鹿児島県に帰ってきて鹿児島市を廃墟にした罪
警視庁に川路と同じ郷士を大量採用した罪
緒藩や幕臣を差別し藩閥政治を行った罪
黒田の一般人殺害と妻殺害隠蔽疑惑とアイヌ強制移住の罪も教えるべき
大老井伊暗殺の罪、イギリス人殺害の罪、赤松小三郎暗殺の罪、大村益次郎暗殺煽動の罪、江藤新平処刑の罪
戊辰戦争によって朝廷に汚名を着せた罪
農民を差別し搾取してきた罪、郷士と城下士の差別を作った罪
一向宗を壊滅させるために弾圧しまくった罪
東郷平八郎の恫喝が太平洋戦争の遠因を作った罪
神重徳が大和特攻を主導した罪
牛島満が沖縄戦で民間人を多く巻き添えにした罪
小泉純一郎によるイラク参戦の罪
鹿児島の暴力性はビンタが標準語になってることからも分かる(海軍の主導権を握った薩摩が暴力を推奨したイギリス海軍と馬があったのか?)
戦前の海軍では制裁と称して死んでもお構い無しなくらいな暴力が蔓延していたらしい
徳川が海軍の主導権を握っていたらそうはならなかっただろう
教師が生徒を殺害するくらい制裁を加えるというのもあったらしい
鹿児島でも優しい人はいるけれど結局暴力的な人の顔が大きくなる
鹿児島の図書館には薩摩人は愚鈍でその代表が西郷隆盛であるとか島津斉彬は侵略性の高い武器貿易をしようとしていたとか批判的な本がたくさんある
薩摩藩の拷問は同時代の徳川の拷問よりひどいものだった
鹿児島で西郷らを崇めているのは本を読まない人だと思う
鹿児島がある程度変わったのは加納知事による善政やGHQによる農地改革のおかげ
しかし今でもいじめや平気で人を殴ったり恫喝する人はいる
鹿児島で西郷らの像が棄却されて加納久宜や赤松小三郎像が立てられるのはいつになるだろう >>986
売れない(自称)作家のヒステリー、まぢカンベンw
Wikipediaと図書館の蔵書目録をオンライン検索したら、一丁上がり。
そりゃ売れませんよ。 加納久宜が鹿児島で成し遂げたことを思えばアフガニスタンで復興支援をした中村哲に匹敵する功績だと思う
アフガニスタンでは偶像崇拝が禁じられてるはずのイスラム圏なのに巨大な肖像画のモニュメントが建てられた(殺されてしまったとは言え)
鹿児島でもそのくらい有名でいいはず
しかし加納久宜が鹿児島でそれほど知名度がないのは政府が選んだ県外出身だからか?
薩摩英国留学生の像も県外出身はつい最近まで排除されてたし
武士利権の代表である西郷などより鹿児島県全体のことを考えた加納の方が圧倒的に優れてると思うのだが
全国的にも知名度がないが鹿児島だけでなく日本や世界を代表する政治家だと称えるべき >>984
藩主一族がそもそもエキセントリック揃いなんだよなあ スレ主にとって、「取材」とは図書館に行って、他人の書いた本を読むことです。
それで「自分が面白いと思えば」、それは自分が思いついたことになります。
この方法なら図書館にある本の数だけ、ほぼ無尽蔵に自著を書くことができます。
これは小学校の調べ学習とかわりません。
小学生ならば「よく調べたなぁ、先生も知らなかったぞ」と誉めてもらえるでしょうが、
大の大人がやっても評価されるはずはありません。
スレ主が西郷隆盛について書くきっかけになったのは、
司馬遼太郎「翔ぶが如く」と片岡吾庵堂「横目で見た郷土史」の二冊で、
基本的にそれ以上の情報はありません。
5ちゃんならばと出典の表記もせずに言いたい放題でしたが、
それでもいかにおかしな主張をしているか指摘され始め、反論も出来なくなりました。
今度は、何かの本に書いてあった加納知事の話を持ち出して、「鹿児島県人攻撃」でお茶を濁そうとしています。
オリジナリティーが無いというのは、可哀そうだな。 片岡吾庵堂「横目で見た郷土史」(高城書房)という本があります。
かつてスレ主は、出典も示さないままそっくり中身を引用し、
最後にちょびっと自分の意見を加えて、テンプレにしていました。
まぁ剽窃です。
史料とするには誤りや独断が多すぎますが、エッセイとして読むには面白い。
鹿児島も西郷・島津の礼賛一色ではないことをよく示しています。
さてこの「横目で見た郷土史」、鹿児島の書店の店頭で時々見かけるようになりました。
二月初めには、鹿児島中央駅の駅ビルに入っている紀伊国屋書店の郷土本コーナーに一冊ありました。
以前地元資本の大型書店でも見かけたことがあります。
どうも版元が過去スレで取り上げられているのを見て、
売れ残っていた在庫を出しているフシがあります。
スレ主は他人の本の売り上げに貢献している場合じゃない(笑) 私はスレ主に、自分の一番得意な分野で、
ちゃんと現地に行って人と会い、裏付けとなる取材をした上で、
オリジナリティーのある本を書いて欲しい。
そしてもう一度、既存の出版社からの出版に挑戦して欲しい。
編集者と大いに討論し、既存出版社からの出版に堪える中身のものにして欲しい。
鹿児島の書店の棚に並ぶくらいになったら、お金を出して買いますよ。
頑張れスレ主。 ■ 西郷隆盛 伝説と史実
伝説 : 比類無き大度量・大至誠の人。誰もがその巨眼に引き込まれ敬愛した
史実 : 実際に会った人の証言 「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
伝説 : 極貧の下級武士の出身
史実 : 西郷家の序列は薩摩藩の上位3%の家格
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願 → 拒否られている
伝説 : 「晋どん、ここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 桐野利秋に見つかり強制玉砕
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの給料が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円
豚のあぶら肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い占め
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟による創作
伝説 : 幕府から指名手配された親友月照を不憫に思い心中を試みる
史実 : 藩命により、死ぬ気など無かった月照を海に突き落として殺害
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
総攻撃に反対する英国大使パークスの圧力により断念
伝説 : 道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、掠奪、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発 Q :西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
行き場所を失った士族たちとともに、日本のため自ら滅ぶつもりの戦いだったんですよね?
A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
結果はみなさんご存知の通り、熊本城政府軍の徹底抗戦に遭った西郷軍は
緒戦から消耗し、戦わずして東上するつもりでいた西郷軍の敗色はこの時点で決定的になった。 戦争好きのテロリスト
西郷札刷ってぼったくりの件は詐欺師の所業
手放す気のない飼い主から犬を奪って雑な多頭飼い
お気に入りの犬は戦地に連れまわしてから敗色が濃厚になると放逐
愛犬家の敵である このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 1057日 0時間 36分 15秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。