ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ8
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1578652876/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 >>1
こんなにひどい状況ならビザンツやイスラムに脱出する人も多かったのでは?
と思うが、実際どうなん? バブル絶頂期の頃だと東京土地価格でアメリカ全土が2個分買えた
日本=カルタゴ論はあながち過大評価でもないんだよな ローマ=アメリカ
カルタゴ=日本
パルティア=ソ連
ゲルマニア=中国
アルメニア=朝鮮 この世での幸福なんて、望んでも無理だって骨身に染みているから、あの世での幸せにすがるしかないんじゃないのかなあ?w >>13
その例えだと古代〜中世ではギリシアやエジプトに比定される勢力が跳ぶ どこを想定してる
現代では東南アジアやオセアニアに比定される勢力が跳ぶ どこを想定してる >>14
だからアニメやラノベで異世界ものが流行ってるのね 死んだら天国に行けるとか
キリスト教の教義もある意味、異世界ものだよな >>18
まだまだ異教徒も残ってた時代やし
無法地域多かったし
厳格にしようにも無理やろ 北欧のヴァイキング、古プルーセン人、リトアニア、スラブ系諸部族
まだまだ異教徒いっぱいだな まあそれぞれの風土に合った名目のみの厳格さだろうな
イスラム教国アルバニアみたいなもんだろう >>23
エアプ乙
中共のチー牛どもにも大人気やぞ 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ ジャンヌ・ダルクのお兄さんの子孫は今、どのくらいいるのだろうか…
列聖の式典には100人来たそうだが >>23
アメリカじゃパルプフィクションの頃からあるネタなんだが… >>11
実際避難してたが
ローマ市の住民とかいったんテッサロニキに逃げた後にコンスタンティノープルに移住してたりする 聖骸布をDNA検査したらイエスの子孫とか分かりそうだが
教皇庁が認めないんだろうな ここの住人はローマ市民だから、イカれた大工の伜の子孫などどうでもいいのだよ 実は帝政初期からいるのよね
ゲルマン系ローマ人
帝国に移住して下級兵士や農民として暮らしてる 金髪蒼眼や肉体美・肉食女だったりローマ人には無い要素が豊富だから
共和制の頃から奴隷で飼われてたよ
粗野故に寝首描かれる事もあるし従順じゃないから難易度高いけど 剣闘士になったゲルマン人も多そう
長身マッチョだし 中国が北朝鮮を援助してるのって
緩衝地帯を維持する目的もあるだろうが
北が崩壊して難民が大量に押し寄せるのが嫌というのもありそう 下級兵どころかプラエトリアニですらゲルマン系が多かったからな
あとアウルス・ウィテッリウスが四皇帝の年に率いた上ゲルマニア、下ゲルマニア軍団もゲルマン人で構成されていて
決闘や妻も戦場に同伴させる風習を持つなどかなり変わった連中だったらしい 高度な教育受けて官職に就いたゲルマン系っておらんの? >>38
トイトブルクでローマ軍と一戦交えたアルミニウスはローマの騎士階級だったっけ
>>36
ウホウホゲルマン人が技術面で古代ローマに追い着くのって遥かのちの17〜19世紀に
なってから・・・な気も
(それより前にグーテンベルクの活版印刷とかもあったが) >>44
たくさんいるよ
貴族やら軍司令官になった人も マクシミヌス・トラクス
ゴート人とアラン人のハーフ キリスト教を国教とせず信仰すら認めなかったらその後の
西欧や東ローマにおける学問・文芸はなんぼかマシな物に
なってたんかな? >>51
異端審問は12世紀に、魔女狩りは15世紀前半には始まってるから中世 異端審問も中世的なユルユル教会に対する反動として捉えることもできる カタリ派が貴族連中も参加して、洒落にならなくなってきたから…
というか、腐ったローマンカソリック教会に対して公然と非難して、その声が大きくなったからね…
まぁこの生き残りが神聖ローマへ渡り、後のプロテスタント運動へと繋がる なぜ近世でキリスト教が廃れたんだろうか
イスラムは隆盛なのに ついでに言うとイスラム圏も隆盛ってワケでもない
オスマンだけ強かっただけ
それ以外は緩やかに衰退
きっかけは中世のモンゴルの侵攻だった 古代に比べるとビザンツ時代のギリシャって陰薄い感ある ビザンツが古代ギリシャ・古代ローマ時代にくらべて高名な学者を輩出
できなかったのって何で? >>49
その場合、ヨーロッパの三要素のひとつが欠けることになり、現在のヨーロッパそのものが想定できなくなる。 >>52
つまり魔女狩りはルネサンスの時代に始まり
18世紀の啓蒙思想の時代に終わった
中世と言うより近世だな >>61
ギリシャ伝統の学舎を廃されて、ペルシャに行った学者が初期に多かったからかな
滅亡時はイタリアへ亡命した >>59
オスマン帝国が出来たころのイスラム何てもはや斜陽もいいとこなんだが トルコは割とゆるイスラム
酒も普通に飲むしな
ガチガチイスラムなのはイラン >>69
ゆるイスラムにワロタw
9世紀にゆるイスラムが許されてれば、ロシアがイスラム化って目もあり得たかも。 とあるロシアの大公がキリスト教にしようか、イスラム教にしようか、
迷っていたが、イスラムの戒律で禁酒があることを知って、キリスト教を選んだ
という与太話がある 露助は部類の酒好きだからイスラム教とか死んでも無理だろ
味噌カツ大好きな名古屋人もイスラム教とか死んでも無理だろ イスラムは解釈次第で緩くもガチにもなるからな
イスラム国だとサッカーの試合を観戦しただけで処刑とかあった
理由は夢中になると信仰の妨げになるとかなんとかw イタリア料理、フランス料理、スペイン料理
美味いのはラテン系ばかりだな
料理についてはゲルマン系はてんでダメ >>74
ロンドンでは食生活を大いに楽しめる♫
イギリス料理以外をセレクトすれば、だが。
という与太話があるw >>69
「今の」イランを見ると極めて厳格に見えるけど、
実は伝統的にはイランの宗教的しきたりは相当緩い
描画文化も非常に高度だし、飲酒に関しても非常に寛容
ハーフェズやオマル・ハイヤームの詩から酒と飲み屋は省けない >>72
アルバニア辺りはものすごく緩い
豚串を肴に酒盛りも普通で、家の中にはイコン飾ってあったり サンドイッチくらいはまともかね?
食パンに具材を挟むだけだし、これなら料理下手のブリカスでもなんとかなるか >>71
与太話じゃなく、史実だよ。
実際にバグダード、コンスタンティノポリス、ローマに使節を派遣して報告させてる。
バグダードの使節からイスラムは禁酒→却下!
カトリックと正教会の教義の違いはあまり良く分からなかったらしい。
たまたまビザンツ帝国がマケドニア朝の盛期で、豪壮な教会や聖堂を見て受け容れを決めたらしい。
ここらへん、仏教伝来期日本の「異国の神はきらきらし」に似てるわな。 イギリスは一度総土人化してるからな
ローマ軍団の撤退後はケルト部族同士で抗争したり、アングル人やサクソン人が侵攻してきたりして、
全てが目茶苦茶になり、高度なローマの文化は消え去り忘れ去られた >>74
オーストリア、南ドイツ、ベネルクス辺りはゲルマン圏でも美食圏
端的に言ってカトリック圏なので、広い意味での南欧文化圏ではある
カトリック圏は、共同体全体のしきたりを重視する代わりに、家庭生活文化面の宗教的しきたりが非常に緩いな
檀那寺のご住職さんと檀家さんの関係さえかっちりしてれば、その他のことにはあんまり干渉が無いって辺り、日本の農村部の様子にも似てる >>76
そんなイランでも女性に目以外出させなかったり非イスラムの史蹟を
徹底的に破壊するような事をしてないのが意外。
逆にそれをやろうとしてるのがトルコのエルドアンか。 >>82
あ、ベネルクスの中だと、「『ネ』ダーランド」は特に南部だな
オランダの中ではやはり南部がカトリック圏になる
そしてオランダもやはり南部の方が食い倒れ地域とされる
というか、プロテスタント国の典型のように見られるオランダも、
実はプロテスタント信徒よりカトリック信徒のほうが多い >>83
イランの場合、古代ペルシア文化に関する憧憬と自負が非常に強いからね >>83
史蹟は金になるからね
イスラム教徒以外は入国禁止のサウジも観光客だけはおkなのよ >>85
オーストリアや南独は、ビールも名産だが、葡萄酒も名産の地域
機構と品種の都合から南独は白ワインが大幅な主流だが、オーストリアは赤ワインの生産量も多い >>73
過激グループの偏狭な思想解釈はともかくとして、
現代中東の一番人気スポーツはやはりサッカー
2002年ワールドカップには、当初、サウジアラビアも本気で立候補しようとしていた
リヤドにある、大理石で飾られた豪壮なファハド国王国際競技場は、そのときの会場候補の一つ >>61
やっぱキリスト教のせいかねえ
東ローマは古代のギリシアとローマの学者の書いたものを
文体などそのまま暗記することが学問だったらしい
で、何一つ生み出せなかった 魔女狩りが最も盛んだったのはコペルニクス、
ケプラー等により天文学が発達した時代
ガマの船団により地球球体説が証明された後
異端裁判所は益々異端裁判を強め、地動説を迫害しかし、巨大なキリスト教の修道院建設にも
高度な建築学の知識が要る >>92
何一つは言い過ぎ。
ビザンツ帝国が無ければ、後世のルネサンスもなかった。 >>93
コペルニクス自身、カトリックの神父さん
しかも地動説の論文て、ときの教皇さん宛てだったんだよな
もちろん全然叱られてない
ていうか、いわゆるガリレオ裁判の真っ最中ですら、
その論文は中立性の維持として閲覧が一時停止されただけで、禁書扱いには全くなってない >>92
神父以外は王侯貴族も騎士も農民も商人も全て文盲だった西欧に比べたら100倍マシ オスマン艦隊なんて小舟でこっそり近づいてギリシャ火で丸焼きにすりゃ良かったのに
液体火薬だから水かけても消えないんでしょ? >>97
そうそう!
アーヘンの宮殿に文人を集めて、遠征先で修道院(と附属教育機関)を作ったりして、インテリっぽく見せてたが、実際には自分のサインさえ満足に書けなかったw >>79
「ロシア原初年代記」に出てくる話だが、史実とは考えられてない。 >>95
ジョルダーノ・ブルーノの方は火刑で発禁処分
何故ガリレオの本は発禁にならなかったのでしょうか ブルーノの火刑は自説撤回拒否が大きかったんでは?
ガリレオ裁判に関わったウルバヌス8世もピッコロミーニ枢機卿(後のピウス2世)も宗教家というよりルネサンス的教養人で学芸の庇護者だったし、表だって教皇庁の権威に反抗しなければ、そこまで手荒なことはしたくなかったのじゃないかな。 >>101
マジっすかΣ(゚д゚lll)
でも説得力満載 メロヴィング朝で識字率40%、カロリング朝で10%… >>100
それは誇張だろ
さすがに自分の名前の漢字表記は書ける人がほとんどだぞ(固有語由来で漢字を元々使わない名は例外) >>104
横レスだけど、政治的な遠交近攻の思惑が大きかったというのが実際の理由だろうね
レス番101の人の指摘もそういう意味だと思う 米国で最古の太極旗が見つかったというニュースで朝鮮日報が
「大清國属高麗國旗」の文字の入った画像を堂々と掲載してたしな
日本の5ちゃんで騒がれたら慌てて文字部分だけ削ってた
新聞社ですら誰も漢字が読めないという事実がむしろ衝撃 >>90
あの辺はアルプス山脈の山麓だからな
甲府から富士山に向かう山麓の、葡萄園が続く風景と似ている
日本には山梨県があるから、わざわざオーストリア・スイス・北イタリアまで景色を見に行く必要なし >>109
朝鮮日報の大記者クラスなら、漢字くらい読めるぞ
本音では、日本のネット民くらいのレベルで「本当の歴史」を知っている 在チョンの祖先は戦前の密入国者と戦後の済州島大虐殺から逃れてきた奴の2パターンが殆ど >>3
小池ちゃん「首都封鎖します(キリッ」
埼玉都民・千葉都民「えっ、それじゃあ通勤出来ないっすけど・・・」
浜っ子「横浜マンセー!」
グンマー「封鎖?何それ美味しいの?」
トチギスタン「別に困らないんだよな、それが」
終了 封鎖すると人の流れが止まるから、首都圏の店舗は軒並み閉店倒産ということになり、
失業者数が激増して、コロナで死ぬ前に経済苦で死ぬ人が増加してしまう。 武漢のある湖北省が封鎖解除したが、隣の江西省が湖北省民の立ち入りを
拒否して湖北と江西の警官同士が乱闘騒ぎというニュースなら見た
いかにも地方ごとにバラバラの中国らしい >>107
自分の名前は漢字で書けるが、子供の名前だとかなり怪しい。
親の名前はまず無理・・・というのが、標準的な韓国人 >>118
「ローマ帝国が崩壊して文明レベルが退化」という話は、これからの中国の進む道を考える上で参考になる >>119
家門の代に応じた周回の用字(トルリムチャ=まわし字)の習慣が今も残ってる
それ確認したらとりあえず大見当は付くようになってる アヘン戦争から日中戦争、国共内戦、大躍進政策、極めつけは文化大革命
これだけダメージ負いまくっても何度でも立ち上がって今でも健在とかやはり中国は地力がすごいな
康熙・雍正・乾隆による三世の春の遺産があったのも大きい
カンボジアや北朝鮮など地力のない国ではこうはいかないからね 首都封鎖して人・もの・金の流れが途絶えたら終わる
ローマも属州を次々蛮族に征服され、色んなものが入って来なくなり、交易が遮断され終わった なぜか5chの客は韓国の漢字残存度のことばかり極端に言挙げする者が多いが
韓国よりさらに漢字の使用例が少なくなってるヴェトナムの現状(しかし実は日本語や韓国語よりもヴェトナム語の漢語由来語彙比率は高い)とか、
もっと言うならほかでもない日本の現今の若年層の漢字理解度のことが
まるで眼中に無いのはどうしたことか
こういった状況って、ラテン語古典やギリシア語古典への関心が低い、現今の西洋文化圏の若者についても言えることなんだろうな・・・
ほかでもない INTERnet や MICROsoft って表現も、ラテン語やギリシア語が由来なんだが・・・ かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった >>125
そのコピペ見飽きた
それヴェトナム語で表現してみなって 東京はオワコンみたいね
こりゃまさかの名古屋遷都くるか!? 都内の新規感染者数が一日40人から60人になってるお
もうとっくに最終防衛線突破されてるお
大東亜戦争なら硫黄島が陥落したあたりだお >>92
文体やスペルミスさえコピーできたとき、
古代ギリシア人から一番遠い場所に立ってるんだよな 今思えば正月に京都旅行に行っといて良かった
2月以降ならまず無理だったな >>94
ただ古代ギリシアのものを受け継いだだけだろう
何一つ付け足せなかった >>124
ベトナム語も、連絡(リエンラック)とか、国歌(クォッカー)とか、中国語より日本語の読み方に近い語が結構あるな
日本語と同じで、近代語になってから、むしろ翻訳語としての漢語の語彙が非常に多くなっている スラブ人は東ローマ帝国から文化的・宗教的にかなり影響を受けたね >>124
>なぜか5chの客は韓国の漢字残存度のことばかり極端に言挙げする者が多いが
それは、韓国が自国を「小中華」とし、儒教文化の継承者であることを誇ってきたからだな
その建前と、現状とのギャップがおもしろいから話題になる。
日本やベトナムの場合は、そういうことがない。 「ローマ帝国に近い」を誇るというのは、西欧にもあるな。
カタルーニャの独立運動が盛んなのは、「我々のほうがローマ帝国に近い」としてスペインを伝統的に見下しているからであるという指摘は多い。
ドイツのケルンでは、「植民地コロニーというのがケルンの語源です」といって、ローマ帝国からの伝統を誇るほど。
韓国が反日なのも、そういうのが背景にある。 ポーランドの反露感情もそんな感じかね
「あいつらには進んだ文明を伝えてやったのに、喧嘩ばかり強くて恩知らずの野蛮人め」って感じで 感染者0人の県はねっとりくらいかな?
なんとなく収束まで頑張ってほしい ドイツ騎士団を招聘したことがポーランド史上最大の失策 >>104
>>101の言ってることは正しい
後世の創作だと現代では考えられてるらしい
ただ、大酒飲みばかりのロシア人のことを考えると、
これを史実だと思わせてしまう何かがあるエピソードだよな。 >>136
いわゆる「小中華」の世界観が朝鮮半島だけだと思うなら、それはむしろ同様の思想の逆立ち
日本もヴェトナムも或いはモンゴルも、なんやかんやで似たり寄ったりな世界観を持ってる部分がある
例えばヴェトナムという国名そのものの由来、もっと言うなら本来その名が指してた場所を知ってて言ってるか? ・・・というふうな、「我こそは世界の先進かつ中心の正統継承者」
という世界観は、ギリシアから、ローマへ、西ローマへ、東ローマへ、
フランクへ、トルコへ、ロシアへ、フランスへ、オーストリアへ、ドイツへ、イングランドと連合王国へ、そしてアメリカ合衆国へ
ほんと、どこもありがちなもんだなあと ワシントンDCの連邦議会議事堂周辺の地域名は Capitol Hill
もろに「カピトリヌスの丘」、ローマだな >>138
ポーランドの場合は、17世紀までは確実にロシアより先進国で、侵略者だったからな
韓国とは同列に並べられない >>141
そういうのは結構、大きいと思うがな
豚肉食を禁止するイスラム教が、豚肉を主食とする中国、とくに広東省辺りで受け入れられることはあり得ない タコもイカもエビもダメなイスラムが日本で受け入れられないと ロシアの冬は寒すぎて、ウォッカで体を暖めなきゃ乗り切れない
禁酒するのは無理だ >>146
その発言、広州に大規模な回族地区があることを知ってて言ってるとは、まず思えんな
あそこ、中世からずっと西方海洋貿易の拠点だぞ >>149
唐末の黄巣の乱では、アラビア商人の居留地で大虐殺が起きた
千年以上たっても、「外国人が中国に深入りするのは危険だ」という教訓として、しばしば引き合いに出される >>151
東アジアがイスラム化されなかったから
日本も黄巣に感謝しないとな >>152
それは、もともとあり得ない。
豚肉は、広東人の主食。
豚肉食を禁止する宗教に、広東人が改宗するわけがない。 シリアやエジプトには、イスラム教があっという間に広がった >>154
別スレにも書いたがシリア、エジプトはもともと単性論派が主流で、正教会ともカトリックとも反りが合わなかった。
ササン朝ペルシアとの最前線になり、疲弊してたところにイスラム教徒が大挙して攻め込んできたので、ひとたまりもなかった。 >>155
分裂したものの見方、繋ぐことができない。 キリストが一つの性の性とは男性か女性かだけになるw
そこでクロノスが出てくるんだがw 人性、神性というのはキリストに当てはめなくてもどちらも同じになるんだが。
心の中のことは、神の御霊を持つこと。 エジプトのは、未来の話を出してきてたんだけどな。
終末以降のこと。
神を理解してないととんだ話になるなw >>103
そうか。しかし、地動説を公式に認めたのは
何世紀も後でしょう
魔女狩りの犠牲者などは何の反抗の罪なのやら やはりアブラハムの宗教は面倒臭いな。その点仏教はいい。
弟子「この世はいつ始まりいつ終わるのですか?」
釈迦「そんなくだらん事はどうでもええんじゃヴォケ」 一神教だから面倒なのか。戒律主義に走ったから面倒なのか。
聖書を読む限りは神秘的な記述のが多いよな。 中世を批判的に捉えてたのも再評価したのも再々評価したのも西欧人でしょ。
日本の学者は基本的にはその潮流を紹介しただけで。 >>161
地動説はガリレオケプラーが完全証明したからガリレオの後すぐに認めたんじゃないか
裁判を撤回したのが数世紀後でしょ
そもそもガリレオの時代のカトリック総本山のローマの権威は相当落ち込んでて影響力もイタリアの一部だけ
別にガリレオ叩いたところで欧州全体には影響ないし
そもそも欧州は思想による対立なんていつものことだし、
宗教戦争での対立、デカルトやスピノザも禁書になったしルソーも村人に襲われたし
それでも進歩した >>151
あのさあ
広州の西方貿易って唐末で終わったの? まさか 訂正
>>地動説はケプラーが完全証明したからガリレオの後すぐに認めたんじゃないか
ただこれも訂正で完全に証明したのはニュートンだな 一神教の選民思想で対外的に優越意識を与えることを重視するか
多神教の穢れ思想で国内に可触賤民不可触賤民に注意を逸らすかの違い
要はガス抜きを兼ねた体制維持の道具 >>57
いまキリスト教徒20億人おるけど
中世にキリスト教徒もっと多かったと思うてる? >>104
アラブ飲酒詩選とか見ればわかるけどバグダードには居酒屋やキャバクラみたいなのも普通にあるからな >>177
ペルシア語詩の場合だと、ハーフィズ(現代ペルシア語式発音だとハーフェズ)の詩集とか、
「いまキャバレーで一杯やってるぞ」
ってな乗りで詠んでるのが山盛りだよな
はっきり言って、李白の向こうを張るような
そういう大らかな乗り、好きです >>178
ペルシャ語詩なら、オマル・ハイヤームの
ルバイヤートでしょ。 コンスタンティノープルが陥落した時
ギリシャの美少年たちは野蛮なオスマン兵の餌食になったんだぜ・・・ バルカン諸国を征服した後もセルビアやブルガリアから少年達を強奪していったよね・・・ トルコ風呂は大抵おっさんがいますが、おっさんじゃなくて風呂場の三助的な少年の場合があったらしい
その少年はトルコ語でキョチェクって呼ばれてましてね、
トルコ風呂を利用する男性に性的なサービスを・・・ >>183
スラブ人と混血することにより、トルコ人は白人風の顔つきになったというが、
バルカンに進出する前はモンゴルみたいにコテコテのアジア人顔だったのだろうか? >>189
トルキスタンのトルコ人はちょっとコーカソイドが混ざったモンゴロイド
シベリアのサハ族は純モンゴロイド 元々は典型的なモンゴロイド
西に進むに連れてアラブやアナトリアと混ざり
オスマン帝国時に東ローマ帝国時代から住んでたギリシャ人ラテン人とも混ざり
オスマン拡張に伴いクルド人アルメニア人南スラブ人ブルガール人クマン人等混ざった
スルタンの妃になったりもしたコーカソイド系の奴隷も数多く混ざり今ではコーカソイドに分類された >>179
ルバイヤートももちろん有名だけど、ペルシア語圏でさらにその上をいく人気なのがハーフィズの詩集
ドイツのゲーテが「西東詩集」を編んだのも、ハーフィズ作品に心底惚れ込んだことが大きな背景だよ
オマル・ハイヤームの詩には、シニシズムや諦観が感じられるよね
ハーフェズの詩には、耽溺と陶酔が感じられるかな
この二人、どちらも「飲み屋で詠んでる」詩が多いけど、詩風は各々相当に個性的だよ
そういう個性の違いも面白い >>110
日本とは気候がだいぶ違うから、旅行できるならいった方がいい
日本は湿気が多くてモンスーンの国だと身に染みる
地中海岸を除けば地震も台風も湿気もなく過ごしやすい ハンガリーの人はマジャール人をモンゴロイドと認識してない…
スラブはスキタイとゲルマンの混血から誕生 祖先がモンゴロイドかどうかは身体的特徴で出るよ
名前の通り出生時に蒙古斑出る割合が高いかどうか
トルコやハンガリー辺りは少ないけどポーランドやリトアニアは多い
飛んでスペイン辺りが割かし多いのもちょっと謎だけど >>197
ムスリム支配時代に交易とかで入ってきた人たちの中に中央アジア系がいたのかな? 俺の弟はロシアで産まれたんだけど、ロシア人看護婦さんは蒙古斑見て「何らかの先天性疾患じゃないか」と心配したらしい >>197
ポーランドのはリプカ・タタール人じゃねえの?
コーカソイドのポーランド人はゲルマン系と混血したスラヴ系ばっかだろうから、
モンゴロイドっぽい特徴が出るとは考えがたい >>197
ハンガリーだと、DNAでも極わずかしかモンゴロイド由来が残ってない
ブルガリアも、ブルガル人の特徴はほとんどない リプカといえばう〜んマンダムのチャールズ・ブロンソン。
風貌生かしてインディアンやメキシコ人もやってたな 都内の1日の感染者が100人弱とか
さっさと首都封鎖すれば?
来週あたり安倍ちゃんによる緊急事態宣言来そうだな 情熱の国スペインというが
情熱の要素はどこから来たのだろう?
ケルト?カルタゴ?ローマ?西ゴート?イスラム? >>199
まだマシな方で知識無い人は虐待を疑うそれで取り調べとか受けさせられるケースもあるから
ヨーロッパ圏で子供産む人は多少頭に入れておいた方がいいよ >>205
ローマかなぁ…
イタリアもスペインも、ママが好きだし…いわゆるマザコン なんぼなんでも、医療関係者が蒙古斑を知らないってことがあるだろうか?
それこそ例えばロシアなら、地理的位置や歴史的経緯からもなおさらだ
正直、よほど極端な事例にぶち当たってしまった話か、まゆつば話に見えるんだがなあ
いくらモンゴロイド系血統だけに限定される生理現象であっても、それって人体に関する基本事項じゃないのかね? >>209
アメリカだと現実にあった事例
ロシアは知らん >>209 追記
「蒙古斑」という用語ではあるけど、ユーラシア東部系の人だけじゃなくて、
アフリカ系の人やアメリカ大陸先住民系の人にもよくある生理現象だそうな
>>197
イベリア半島は、中南米系やアフリカ系の人の血統を通じてじゃないか? 細菌もウイルスも知らないのに石鹸を使っていたローマ人は偉いとコロナ騒動で思う ていうかローマ時代には石鹸は上流階級の人向けの高級物品だった
しかも当時は身体洗浄専用 >>209
看護婦さんから言われたのは俺じゃなくて母ちゃんだからな、伝聞といえば伝聞だが。
例えばこういうのもあってhttp://www.tokyo-med.ac.jp/genet/msp/index.htm
海外で児童虐待と疑われたときのための、蒙古斑に関する英文資料。医学者がこういう資料をつくる必要があると感じる程度には、現実にあるんだろう。そういう誤解が。 >>209
付け加えるとこれはソ連時代の話で、あの頃ロシア人は今より西側の情報に疎かった。現在でもロシアの医療関係者は英語できない人は多く、英文情報にはあまりアクセスしていない。 ロシアってもちろんアジアにも広大な領域持ってて民族や人種も多様だし
さらにソヴィエト連邦時代なら今の中央アジア諸国も連邦内だったからなおさらそうだった
それでも蒙古斑を知らない看護婦さんがいた(しかも、産科だよね?)ってのは・・・やっぱ極端な事例って感じがするな
自国民含めよほど中部・東部ユーラシア系の人の出入りが少ない地域だったんだろうかね 今みたいに検索で即時に結果がわかるような時代じゃないしな
わからない事は分厚い医療書から1ページずつめくって探す時代
もちろんそれでも結果がわからない事も少なくない産科がそこまでして労力費やすかどうか
奇形児なら絞めて殺したり、助かる見込み無かったら放置もされる時代
多種多様もアメリカが異常なだけで基本は同じ民族人種で固まる
往来はあったとしても今より偏見差別がひどい時代に
異種族に診てもらおうとするのはただの自殺志願者、情報共有なんかする訳も無い >>218
人種に関しちゃアメリカ合衆国よりはイベロアメリカ諸国のほうが一般的に鷹揚だな
カトリック世界観とプロテスタント世界観の違いという宗教的背景もあるし ラテンアメリカって入植者はスペイン系一本槍なイメージだけど、割と人種のるつぼでもあるよね。
チリの国父オイギンスとかアイルランド系(オ・ヒギンス)だし、アラブ系もかなり多い。 教会の力が強かった中世ヨーロッパでは古代ローマの文化・学問・技術って
どのように思われてた? >>221
とりあえず「スコラ学」「カロリング・ルネサンス」「12世紀ルネサンス」を検索して閲覧しよう ローマ時代の建築とかは魔法で作られたとか思ってたかもしれんな >>205
フラメンコがアンダルシア地方起源のもので、アンダルシアはイスラム支配時代は
イベリア半島全域を指す用語だったから、イスラム・アンダルシア文化の主体
であるベルベル人文化に起源がある、つまり北アフリカ文化に起源があるのだろう
そのベルベル文化はブラックアフリカ文化とも交流があったから、究極的には
アフリカ文化の要素が大きい
といえるのではないか >>220
日本みたいに同じ民族で凝り固まってる国のほうが世界的に見ても異常なんだけどね
フランス人何ていまや3人に1人が両親か祖父母が北アフリカ系だし >>225
同じ民族で掘り固まってるという考えが掘り固まってるっていうことだしなw >>225
南アフリカはもうアフリカの大地から海になるって決まってるんだってよ。
あの土地はもうダメだって。
おまえはなんで日本にいるんだw いつもの単芝アスペガイジおるやん
聖・植松はよ始末しに来い 日本も最近は駅前で必ず一人は見かけるってぐらい黒人増えてるぞ
>>225の日本観はいつのだ 海外のように国境を越えて結婚や就職が当たり前のようになる時代は日本人の民族性から考えて未来永劫来ないと思う >>230
そういう事をいってるんじゃないだろ
その黒人は9割9分日本国籍持ってないただの在留者だし割合も極めて少ない
旧植民地系フランス人はれっきとしたフランス国民 >>225
>3人に1人が両親か祖父母が北アフリカ系
イスラム教徒であるアラブ・マグレブ系の移住者とキリスト教徒との
通婚がおこなわれていったって事? 愛は宗教を越えるみたいな感じでヨーロッパ系とアラブ・マグレブ系との混血が
なされてもおかしくはないが,同じヨーロッパ系であるアルジェリアからのコロン
との通婚だったりして。 >>232
「日本はもう移民社会、新宿とか見ればわかるだろ」とか言う人いるけど、多くは短期の就労で永住者じゃないから、人口動態に影響する存在じゃないしね。 普段都心にいて地方のことはよくわからない
都心で外国人が増えたのは、多くは観光だと思う
しかし、昔なら見ないようなイスラム教徒や金融系とかで働いている白人エリートっぽい人まで
近所で増えた。昔近所で多かったのは中華系と韓国人だが、今や彼等は目立たないくらい、
それ以外の人種が増えた
こういうのは東京やトヨタ等の地方大工場がある地方だけだと思っていたが、NHKの
この記事を見ると、地方の方での外国人の伸び率が大きくて驚いた
https://www.nhk.or.jp/d-navi/izon/prologue.html
本当にこの通りなのか 人類77億人の頂点が日本国天皇とローマ教皇だと思うと胸熱 >>237
昭和天皇のときはそうだったが、今上天皇は即位したばかりで、なりたてのホヤホヤだから各国元首のなかで席次は高くない >>231
定義も何も無しにいきなり「民族性」なんて抽象論いわれても議論のしようが無いし
そもそも民族というものは定義付けしにくいうえに非常に流動的かつ可変的
ていうか用語の使い方がものすごく曖昧
大まかな概念としてどれを想定してるのか
エトノス なのか ポプルス なのか ナティオー なのか フォルク なのか 海外というざっくりとした概念が通用してる時点で民族性とやらはウチとソトの精神性と同義であろう 日本で民族が流動的だった時代とか下手すりゃ弥生時代前期ぐらいまで遡らないとないでしょ 「うみのそと」という言い方で「そとのくに」の意味の表現にするというのは
いかにも島国っぽい表現だと思うけど、現代中国語でも使ってるらしいな
江戸末期から明治初期に近代用語として導入された漢字熟語も、実は文選や四書五経や史記などが出典って事例は多いけど、「海外」はどうなんだろう
現代英語でも「 oversea 」って表現があるが、これももろに島国UKっぽい表現だ(ただし、スコットランド人やウェイルズ人には、相当違和感がある表現だろうと思う)
ひょっとして「海外」は 「oversea」の直訳語なのか? 東西問わず大陸じゃそもそも想定自体しないだろう表現だし >>243
えー
じゃあ、飛鳥時代の阿倍比羅夫とか平安時代の坂上田村麻呂とか、
どこに何しに行ったのかってことになるが >>237
四十数年前は中央アフリカ皇帝もそうだったのよな
(フランス政府には頭上がらんかったがw) >>244
>ひょっとして「海外」は 「oversea」の直訳語なのか? 東西問わず大陸じゃそもそも想定自体しないだろう表現だし
「海外」は中国の古典に出てくる言葉。
漢より以前の古代人はシルクロードの向こうのことなど知らず、中国の四方は海に囲まれていると考えていたため、「海内」などと言っていた。
アメリカ人は、アジアやヨーロッパを overseas と言い、カナダやメキシコのことは abroad と言って区別している。 岐阜県犬山市
愛知県多治見市
神奈川県町田市
他になんかある? 遷都するとしたら大阪か名古屋のいずれかだな
札仙広福は日本の中心部から遠過ぎるし、横浜じゃ近過ぎて意味ないし
京都は山に囲まれてて、神戸は山と海に挟まれてて
それぞれこれ以上の拡張は厳しいし >>253
大阪も名古屋も東南海南海地震の被害想定が凄まじいから論外
大阪名古屋なら東京のがマシなレベル 首都が小都市って国はけっこうあるよね
アメリカの州都も州の最大都市ではないことが多い インフラは新幹線と高速道路さえ通ってればあとは作るから問題なかろう。長野あたりとか。 首都に一極集中してる国
イギリス フランス ロシア 韓国
分散型の国
ドイツ イタリア アメリカ 中国 ローマからラヴェンナに遷都したのは、ピョートル大帝がモスクワからペテルブルグに遷都したのに似ている
ピョートル大帝は西欧志向で、海洋国家を目指していたから、西欧への窓口となる海に面した港町に首都を移した
ラヴェンナもそんな感じ ゲルマーニア国境に近いからじゃないの?
東方国境に近いアンティオキアが重宝されたのと同じで。 >>245
蝦夷も大和朝廷が東北の未服従の豪族集団に名付けた蔑称で竪穴式住居に住み土師器・須恵器使い古墳文化を有するなど同時代の畿内とまったく違いがない
後世に後縄文人の流れを組むエゾ(アイヌ)にも蝦夷と同じ字をあてたことから勘違いしてる人いるけど両者は別物
日本みたいに一民族史が一国史になるというのは世界的に見ても例がないのだよ
チベットやアイスランドみたいな超辺境ですら異民族の流入や自民族の拡散を経験してるけど日本はそのどちらもない >>267
東北地方その他に
どう見てもアイヌ語と同根で
やまとことばとは直接つながらないと見られる地名が
あちこち現存してることの説明にならないな >>267
あとそれこそ阿弖流為(あてるい)って、やまとことばで当て嵌まる人名があるのか? 明日に緊急事態宣言が出るね
対象は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡か なんでローマからコンスタンティノープルに遷都したんや? 悲観的な見方が多いけどさぁ、
さすがに、日本はアメリカ、ヨーロッパみたいな惨状にまでは発展しないと思うな
発祥した中国の隣国で衛生事情がお世辞にも良いとは言えないインド、タイ、ベトナムあたりでも、
感染者数、死者数はあんなものだし
ベトナムなんて人口9000万人居て、感染者240人、死者0人、回復者90人(4/5現在)、
ホーチミンのケンタッキーではチキンに蠅がたかるほどなんだが、この少なさは謎レベル
逆に、何で欧米ってあんなに酷いことになってるの?
アジア人は、何か遺伝子的に耐性でもあるのか? 愛知はセーフなのね
焦って買い溜めしたけど、肩透かし食らったわ パヨク絶賛の欧州死にまくってんな
風呂も入らないマスクもしない土人だから自業自得だね TOYOTAとかJR東海とか
止めるんじゃねえぞ・・オーラが凄いんやろね
ま、愛知止めたら本当に日本が死ぬからなw >>275
ウイルスは熱に弱いということを忘れていないか? インフルエンザや肺炎は、冬に流行するもの
なんだかんだ言って、ウイルスは夏の暑さや熱帯には弱い >>274
それは、北魏の孝文帝が、首都を大同か洛陽に移したようなもんだな
文明と商業の中心にいたほうが、そりゃ有利だからな >>275
独裁国家のベトナムはともかく、タイやインドでは把握しきれていない部分も大きいかも知れない
一方南方は感染症が多く、普段から気を付けていないとあっという間に感染症が広まってしまうから
普段からの感染症対策が習慣になっていて、それが効いているいるのかも知れない ベトナムって言うほど暑くないよ
確かにホーチミンなどの南部は年中30度以上記録するけど、
北部のハノイはちゃんと四季があって、3月の最高気温が30度、最低気温が5度くらい ヨーロッパの王族や諸侯の紋章にライオンが使われることが多いけど
クマは全くないな
クマの方が身近だし、大きくて強そうなのに ローマ人が狩り過ぎてヨーロッパからライオンは死滅した バーバリライオンやアトラスヒグマは生き残ってほしかった 十字軍、あの重装備で灼熱の砂漠を行軍とか、そら死人出るわ ハプスブルクは1621年に紛争を始めるとヨーロッパ全体を巻き込んだ三十年戦争になる 全身像で残ってるのはアウグストゥスとマルクス・アウレリウスだけなんだよな
その他の皇帝の像はキリスト教徒に破壊されて首から上しか残ってない・・・ ヘリオガバルス
像を見るだけでモーホだと分かる顔つき >>274
コンスタンティヌスの時代のローマは最早落ち目 ネロが現代に甦ったら卒倒しそう
永遠の都ローマがカルト宗教の総本山になってるなんて・・・ >>294
そのコンスタンティヌス1世の像は巨大だよね
巨大過ぎるから保存し難いだろうね ローマ劫略の時、ゴート族により歴代皇帝の墓は暴かれ、激しい略奪に晒された >>303
奈良時代のオリジナル部分は膝から下だけらしいな ユリアヌスがペルシャ遠征をせず、ゲルマン対策だけしてたら、
ローマ帝国滅亡は防げた?
あるいは遅らせることができた? ローマ帝国の滅亡は防げたと言えるし
ローマ帝国は滅亡してしまうとも言える
ゲルマン対策だけしてたらペルシャに
オリエントを奪われてしまうだろう
ディオクレティアヌス以降は
オリエントを本国と認識していたから
ローマ帝国が滅亡したという事になるけど
西欧やバルカンが生き延びれば
ローマ帝国の滅亡は防げた事にもなる ユスティニアヌスがローマ帝国再興を目指したが、パワー不足で挫折
ヴァンダル、東ゴートまでは滅ぼしたが
まだ西ゴートやフランクやアングロ・サクソンやらがひしめいてるからどの道厳しかった >>313
パワー不足というより、急激なグローバル化に伴う伝染病の流行で挫折した ベリサリウスをもう少し上手く活用出来ていれば、
イタリアももう少し荒廃せずに済んだかもしれないのにな。 西の産業空洞化が改善しない以上、どの道西側領土を維持はできんよ ヴァンダル族やゴート族に都市を破壊されつくされたの? パワー不足というよりはパワー消滅でイタリアを維持出来なかった
スラブ人により無防備なバルカンの村落が滅ぼされた
バルカンの村落に住む将兵らの妻子が殺されたので次世代の将兵がいなくなった
ベリサリウスの世代が年老いて死ぬと東ローマ軍からバルカン兵が消滅した
東ローマ軍はヘラクレイオスとかオリエント兵ばかりの軍になる 徳川美術館はしばらく臨時休館だし、犬山城も今月中は閉鎖
退屈なんで伊勢神宮にでも遊びに行こうかな?
と思ったが、俺みたいな奴が多くて混んでいたら嫌だな(コロナ的な意味で) >>317
完全はどこも破壊出来てない
その後も存在している
おまけに、人口比率的にも圧倒的な少数
ローマ系住民に体して、一番多かったとされるヴァンダル族で2%
東西ゴート族は数世代でローマ人に同化したので、ローマとゲルマン別々の法律は無意味となり100年足らずで統一された 来襲したゲルマン人がそんなに少数だったのにローマ人としてのアイデンティティが完全に消えたのは不思議
五胡や女真・西夏などを吸収し尽くして、今でも漢民族としてのアイデンティティを保ってる中国人とは真逆 ルーマニア人「トラヤヌスに征服されてから今までずっとローマ人やで」 都市生活、成文法と法的文書の重要性、識字率の高さなど、ローマ的な生活様式は割と残存してると言ってもいいだろ。北フランスあたりと比べれば。 勝手な偏見だけど
東京だと1代目はただの上京組でどこまでいってもあくまで地方民の扱い
2代目からようやく東京人として認められる感じ
名古屋も2代から名古屋人扱い
大阪1代、横浜3日はまさにその通りだと思う
昔は京都10代とか言われていたようだけど、今はどうか分からん >>322
本当は逆じゃないんだろ
中国も同じで、昔の漢民族のアイデンティティなと残っていない >>327
あなたが中世だと思えば中世
ただ他の人にも同意して欲しければ、納得させられるだけの根拠や理論が必要
時代区分なんてそんなもん >>322
イタリア、おフランス、イベリア、ルーマニアではラテン語(の各方言)を使うてるんやからローマ人で間違い無い
>>326
漢語が母語なんやから漢人で間違い無い >>329
いや、そんなことはない
16世紀を中世というのなら、それは個人の信念の問題ではなく、単なる誤り >>333
やっぱり一般的には違うよな
某所で、頑なに違うと言い張るやつがいたんだよ
フランスとドイツでは中世の時期が違うとかうんたら 15世紀後半なら微妙だけどなあ
16世紀は中世ではない 15世紀後半だったら、イタリアはすでに中世から抜けたのが明らかだけど、ドイツはまだまだかもな 通史だとドイツでは宗教改革以降が近世で以前が中世みたいな扱われ方することが多いな
中世の代表的な観念である自力救済を全面否定した永久ラント平和令以降が近世でもよいと思うけど 日本人のメンタリティは中世というよりキッシンジャーやマッカーサーが指摘してる通り古代の部族制に近い
双務関係の欠如、酋長への絶対服従とか何をするにも集団行動で個人という概念が希薄なとことか 日本人が古代なら、中国人なんかどうなる
原始人だな >>334
定義次第
中世=封建制時代 ていう定義ならドイツはビスマルクまで中世ていうことになってまう >>339
その割に外出自粛守らずウロウロしてるけどな。
社会認識が冷戦期で止まってるんじゃない? 中世の期間は単純に西ローマ滅亡から東ローマ滅亡・英仏百年戦争終結でいいだろ
東ローマの滅亡で古代ギリシャ・ローマの知識がイタリアに流れてルネサンスの萌芽
英仏百年戦争で貴族・騎士の力が弱まり、逆に王権が強くなり、絶対王政へ 西ローマ帝国最後の皇帝・ロムルス・アウグストゥルスの廃位(476年)
もしくは先代の東ローマ帝国から承認受けてたユリウス・ネポス殺害(480年)
から一般的には中世の始まりとされ
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のコンスタンティノープルの陥落(1453年)
までが一般的に中世の終わりとしてる
勿論学者間でも根拠が別れてる代物だから主張は自由
一般的には上記で認識されてるから主張する場合は根拠説明してからじゃないと
話が荒れるし通じないだけ >>320
なんでそんな少数の連中にいいようにされちゃってるわけ?
女真が宋や明相手に無双してたようなもん? >>351
ゴート族は西帝廃止させたけど東ローマ皇帝から承認受けて領主としてイタリア半島を統治してた
東ローマに逆らう事も無く西ローマの伝統や法律を引き継ぎそれなりの成果で文明の保護や繁栄すらさせてた
本格的に荒廃が進んだのはギリシャ化した東ローマ帝国による西ローマ奪還の征服事業
最終的には東ローマが東ゴート王国に勝って東西ローマ実効支配者となったが長年の征服事業による結果
経済や文化的に大損失を与えゲルマン人の王の下栄えてた地中海貿易すら無くなり人口減衰率約50%と推定
ローマ市を最後に取った時は500人程度しか人口が居なくなってた 西ゴート王国の方は内紛で衰退したんだっけ
そこにイスラムが来て瞬殺 >>353
西ゴート王国は寿命が尽きた感じだな
東ゴート王国は無理やり滅んだ感じ
東ゴート王国も300年続いたら呆気なく滅んだろう
ちょうどシャルル・マーニュが攻めてくる頃だな ローマ市崩壊させたのが後継名乗る東ローマなのが泣ける
まあビザンツ人からしたらイタリアとか愛着なんぞない外国みたいなもんだろうけど
それはそれとして酷い 10世紀でローマ人口5000人
巡礼者相手に商売するのが一番儲かったそうで… >>353
西ゴート王国は裏切りでイスラム軍に敗れたけど
裏切ったのはユスティニアヌス1世に派遣されて
スペイン南部を統治していた東ローマの将軍達の子孫 >>351
フランク王国の場合は、クローヴィスの外交勝ちかな
当時ガリアを治めていた、シアグリウスと正面からぶつかっても勝ち目がない為、地域の元老院貴族に対し地位を保証することで味方につけた
元老院貴族からの支援が無くなったシアグリウスは、戦に負けて逃亡した >>355
ゲルマン諸王国で最後まで生き残って今日まで続いたのはフランスの基になったフランク王国だけだな
そう思うと、むしろ西ゴート王国は300年もよく続いた方だな
中国の歴代王朝や徳川幕府くらいの年数は存続出来たわけだし 東ローマ帝国ほどじゃないが
神聖ローマ帝国やオスマン帝国もかなりの長寿王朝なんだよな ヨーロッパ白人は黒人や東洋人よりエイズほか伝染病に耐性がある
彼らは中世のペスト大流行の生き残りの子孫で
感染症に強い遺伝子を有しているからだ!
こんな学説を20年ほど前のNHKスペシャルで見たが、
昨今の武漢肺炎の流行を考えれば… アメリカ、イタリア、スペイン
なんかずぼらそうな国民性の国ばっかりだな >>361
神聖ローマ帝国の場合は日本の幕藩体制も同じような感じだけど
国家としてだったり国家概念が無い現代のEUみたいなネットワークみたいな概念だったりで
国として王朝として扱うのはちょっと複雑 神聖ローマ帝国(と歴史的に呼ばれている帝国)は、その内実が時代によって違うのでなんともねえ
大まかに初期のザクセン朝からザリエリ朝にかけての初期、ホーエンシュタウフェン朝、その後の混乱から大空位時代、その後のドイツ帝国、ってな感じで >>366
フランスとの違いは、フランス王国は曲がりなりにも領域はほぼ現代のフランスの領域にとどまる(一部はみ出す部分もあるけど)のに対し、帝国は明らかに近世以降の国境にとどまらないこと
特にイタリア問題だな フランスは主君の王権弱かった故にまとまって無かっただけで
政治的に分離して権力も各々委任させてた神聖ローマ帝国とはまた違うな >>368
まあ、フランスもカペー朝が続かなかったらドイツのように分裂してた可能性なくもない
フランドル、ノルマンディ、ブルターニュ、アンジュー、シャンパーニュ、ブロア、ブールゴーニュ、アキテーヌ、トゥールーズと、分裂の核になりうる大諸侯も多かったしね
イタリア問題抱えていなかったって幸運もあるけども >>361
ローマなんか王朝何度も変わってるで
一番長く続いたパレオロゴス朝が192年
二番のマケドニア朝が190年
他はせいぜい50年とかそんなんばっかりや ローマ史だとユリウス・クラウディウス朝からテオドシウス朝(あるいはパレオロゴス朝)までいくら王朝が交代してもローマ帝国
名分論重視の中国史だと後漢→曹魏→西晋みたいに宮廷も統治機構も全部そのまま居抜きで王朝が代わっただけでも別国家扱い
あるいは前漢→後漢みたいに一度完全に滅亡して一から再建されてても、わずかに血統がつながってるというだけで連続性があるかのような扱い
日本史でも特に戦国時代以前の場合、外部から押し付けられた養子が家督相続した時点でその家は滅亡した、みたいにみなす歴史マニアが多いけど、
家臣団みたいな統治機構が連続している事実のほうが重要だと思う。
有名な「小早川家文書」だって、毛利系に乗っ取られて以降も家の古文書は大切に保管が続けられてきたからこそ、鎌倉初期以来の武家文書群が今も揃ってるわけだし。 古代ローマは王朝であって王朝じゃない特殊ケース
血筋そこまで重視しないし養子ばっかだし
前期の元首制時代とか共和政の延長っぽい終身制の退位できない大統領みたいな感じだし
オリエント的な帝政後期・中世以降とはだいぶ違う >>348
東ローマ滅亡前から十字軍によって近東からの
知識は入ってきたから中世と近世の境目は
イタリア諸都市の発展段階の様子ではないだろうか それだと曖昧になるか >>350
これが通説であることは承知してるけど、中世ヨーロッパ社会に含まれていないコンスタンティノープルの陥落を画期とするのはちょっと弱いよね。
コロンブスのアメリカ到達(1492)なら、地理的発見を通してヨーロッパ世界が知的にも物理的にも拡大していく出発点となったという意味で、画期たりうるんじゃないかと思う。 中世の終わりってビザンツの滅亡と百年戦争終結が同年セットじゃないの >>376
それをいうならポルトガルの船団が初めてセネガル川を超えて黒人社会と接触した1444年こそを出発点とすべきだと思う >>376
根拠は色々あると思うけど一つとして挙げるのは
コンスタンティノープルの陥落は色々思う所あるだろうけどそれでも心の拠り所の一つだったり
イスラム勢のストッパー的な役割だったりでヨーロッパ中に衝撃を与えた
それも今まで使えるかどうかよくわからなかった大砲で陥落したのだから
そこからヨーロッパ勢も大砲技術取り入れ戦争の在り方を大きく変えたと言うのも一つの根拠
コンスタンティノープルの陥落後は近世とも言われてるけど
アメリカ大陸発見征服までの過程を大航海時代と論ずる人も居たりもっと細分化に分けたりする人も居るけど
どれもコンスタンティノープルの陥落が一つの締めとして扱われてる そもそも隣国と比べて特に優れてたわけじゃなかったローマってなぜ繁栄できたんですか? >>375
イタリアの歴史でよく言われるのは、1494年のフランス王シャルル8世によるイタリア侵攻で中世の状況が終わったということ。
ただ、それ以前にも、1453年のコンスタンティノープル陥落によるオスマンの衝撃で、バラバラだったイタリア諸都市の合従連衡が本格的にスタートした。
このときも、これで中世的な状況が終わったも見ることが可能。 ローマの前はエトルリアの方が栄えてたんだっけ?
なんでローマ王まで出したのに逆に取り込まれて完全に跡形もなく消滅しちゃってんの? 少なくとも建国当初は優れてないのを自覚してたから周囲のいいところを合理的かつ貪欲に取り入れてったイメージ
ハンニバル戦争も糧にする強かさ 「中世が終わったのは、西暦何年が正しいのかな〜?」と思いながら、プリペイドカードで支払をした
残額のところに、パッと「1453」が表示された 同化するまで長い期間耐えうる戦略を施し続けるのがローマ流
勝者カエサルが敗者ガリア部族族長らに自分の家名配って貴族にさせてたのが良い例 文化史ならダンテの神曲かな。中世キリスト教の終尾を飾るのにふさわしい作品であり、ラテン語から各国語に移行する始まりの作品としてもこれ以上のものはない。 >>374
対比というか相違というか、
東アジアの政治思想の伝統だと、「修身 斉家 治国 平天下」を一連一体と見做す社会観が(日本も含めて)伝統的に強くて、
職業政治家も一般庶民もそれを当然視してる、というか、全く自明で疑問の与地無しと社会の誰もが見なしてるふしがあるけど、
古代ギリシア以来の欧州政治思想の伝統だと、アリストテレスが「政治学」で述べているように、
「オイコス(家)」と「ポリス(国)」は「全く別の枠組に属する概念」だと捉えられてるんだよね
まあそういう意味で、漢字熟語での「国家」という用語からして、そもそもの出だしから別概念を無理やりくっつけているとも言えるわけで・・・
「国家」って初出の用例は何だっけ?
19世紀頃の完全な新造語? それとも春秋とか文選とかに用例あり? >>387
ただ、それはあくまでグレコローマン的古代世界の国家観であって、ゲルマン的国家観はやはり家産国家に近かったんじゃないかな。サリカ法の相続規定がそのまま君主継承規定に準用されていることでもあるし。 >>380
学問 ギリシャ
商売 カルタゴ
肉体 ゲルマン
ローマの取り柄は技術じゃないかな
コロッセオとか巨大建造物を紀元前に作ってるんだぜ
あとローマ街道や大浴場 >>380
>>392
ローマが上手いのは体系構築じゃないかな
いろんな要素を社会の中に有機的に組み入れて組織化し拡大発展させるのが上手かった
ラテン圏・カトリック圏は伝統的にその傾向が残ってる
だからというか、例えば、近代サッカーを創始したのはイングランドだったけど、
その競技団体間の調整を、国際サッカー連盟という一元的国際統括組織の構築にまで持っていったのは、ラテン圏のフランスだった 古代ローマや中世ヨーロッパだと当時の人々の服装とか生活様式が
イメージしやすいのにこれらに比べるとビザンツ帝国ほうはあまりピンと
来ない感じ・・・
ビザンツ帝国を舞台にした映像作品とかも思い浮かばん ローマ帝国がキリスト教の信仰を認めないままだったら,ギリシャ側へ軸足移した
ビザンツ帝国ではよりいっそう学問がさかんになってた? >>390
そういえばローマの方は君主継承規定ってなかったね
だから皇帝が出現しても家産国家にはならなかったのか
ローマ法では相続に関してはくどい程細かい規定があるのに皇帝の相続については
ちゃんと決めなかったの、誰も疑問に思わなかったんだろうか >>394
ファッション的にはイスラムとか東方の影響が強いね
鎧も初期〜中期は肩などに東ローマ特有の垂れがある
チェインにプラスしてラメラーやスケイルメイルを多用
また同時に西欧の流行りも取り入れられてた(カイトシールドなど)
剣はスパティオン(スパタ)と呼ばれ、形状は西欧と変わらないが作りはより上質 >>396
元々ローマは君主制、世襲制、独裁体制にアレルギーを持ってたから
実質そうなってただけで皇帝を君主とはしてない
世襲も実質やってたけどあくまでも1代限りで元老院の承認が必須
東西別れた後期になってはっきりと世襲認めず有能な物のみ相続するという形式を取った >>394
服装は基本筒袖のチュニックでしょ。
上流階級はロング丈。庶民の男は
現在ギリシアの民族衣装の丈の短い
チュニックに股引きのようなスパッツだろ。 ゲルマン人(白人)が読み書きできなかったっていうのは衝撃だな
東アジアの方が普通に進んでたんだな 世界史Bで習ったことって
本当に意味ないな 古代のゲルマンなんざと比べて「東アジア進んでたんだな」って
それむしろ東アジアをバカにしてないか? 漢字よりアルファベットのほうがはるかに覚えやすいだろうに、
なぜ識字率が低かった?
ましてや中世の英語には「つづり字と発音の不一致」は無かったろうに >>402
その頃の西欧・中欧ではラテン語が書き言葉だったから? 確か9世紀頃のブリテンでは識字率が高かったんじゃなかったけ
役人たちが英語で読み書きする政策を意図的にとったためだったっけ
これに対して大陸では古語であるラテン語が読み書きの言葉で、口語を筆記する習慣が
なく、口語で読むような小説とかもなく、商業も衰退したので高度な明細帳をつける必要もなく、
読み書きが必要なのは教会人と外交担当者くらいになってた
ビザンツを訪問したドイツの使節が、ビザンツの高官が自分で書類を書くのを馬鹿にする話を
どっかで読んだ(我が国ではそんなことは書記にやらせるもんだ。貴人がやることではない、といったとか) >>400
中世ヨーロッパで読み書き出来たのは神父だけ
あとは王侯貴族から農民や商人などの平民までオール文盲
王族や両班の他はほぼ文盲だった李朝みたいなもん 逆にローマ帝国の時代だと下級兵士や庶民ですら簡単な文章くらいは書けてる >>400
ロシアなんて日露戦争の頃でも文盲だらけなんだぜ ノルマンコンクエスト後のイギリスは支配階級がノルマン系フランス語、中下層階級はゲルマン系語なんて事もあった
そしてその混ざり合った言葉が現代の英語に繋る
このように戦争や政略結婚だらけで支配者によって言語や文化が変わったり、言語自体流動的に変わったりで
教えても根付かなかったと言うのもあるだろうね
一番は>>404で書いてある通り口語と筆記は別物だと考えてた風習だから
書く職業じゃなければ必要性が無かったんだろうけど >>406
朝鮮における文盲(一発変換できない)とはどういう意味?
漢字もハングルも読めないこと?
あるいはハングルは読めても漢字は読めないこと? マジレスするとハングルが広まったのは日本統治時代から 自国語による聖書が広まっても識字率はさほど変化なかった?
少しは向上した? コーランはイランでもトルコでもアラブ語のやつが使われているの? >>409
サクソン語は文法も面倒だったが、ノルマン仏語や古ノルド語と混ざったおかげで、だいぶ簡素化された(中世英語)
中世英語は綴り通り発音したが、その後のアクセント変化により、現代の様な読み難い言語になった >>412
それは違う
李氏朝鮮王朝時代には学術的な場で使われることがほぼ無かっただけであって、
一般層向けの広報文とか、口承文芸の記録とかには、その当時も普通に使われてた >>415
そういうこと
アラビア語圏域外でもアラビア語原典が使われる アラビア語って逆から読むんだっけ?教えてください、詳しい方 >>416
新約聖書は、だね
旧約聖書は大多数の原典がヘブライ語だよ
(ただし、内容の一部にギリシア語原典のみ残存している文書がある) >>420
逆から、というより、右から左方向へ読むってこと(いわゆる右横書き)
ただし、数字については左横書き慣習のインド由来なので、
アラビア文字と混用されているときにも左から右方向へ読む
ちなみに、ヘブライ語で使われるヘブライ文字も右横書きで、右から左方向へ読む ありがとう、難しいね
イランで使われてるペルシャ語も同じ感じなのかな??
イランで買ってきてもらった商品タグが、全然読めなかったww アシュケナージってこの頃なにしてたん ゲルマンでもスラブでもなさそうだけど肌白いよな >>422
>ただし、数字については左横書き慣習のインド由来なので、
>アラビア文字と混用されているときにも左から右方向へ読む
違う
アラビア語の数詞がリトルエンディアンやからや
ビッグエンディアン言語の者が見るとアラビア語の数字は左から書いてあるように見えるけど
アラビア語はリトルエンディアンやからあれで数字は右から書いてるんや >>418
ただ、それでも読めるのは一般民衆では帳簿の記録が必要な商人と
賤民だが知識階級の仏僧と読み書きが必須だった妓生以外は殆ど
文盲だった。 イギリスは日本人が庶民でも普通に読み書きしたり、読書してるのを見て
「この国を植民地にするのは無理だな」と悟ったらしい リトルエンディアンで説明は分かりやすいな、一部の者にとってはだが。 >>423
現代ペルシア語で使われてるアラビア文字系のペルシア文字の場合、
基本的にはアラビア文字の字形と読み方を踏襲しているけど、
アラビア語では区別されペルシア語では区別されない音の字については、語源に応じて用字が違うことがある
また、ペルシア語には有ってアラビア語には無い音の字については、近似の音の文字に筆画を一部加える形式で字の種類を増やしてあったりする
>>424
アシュケナージの社会は、それぞれ各々の居住地域の言語を使って生活していたり、
ドイツ語にヘブライ語やスラヴ諸語の語彙を混用して表記はヘブライ文字を応用するイディッシュ語を使っていたりした
>>425
きみが何を言わんとしているか、分からない
アラビア語でもペルシア語でも、通常の文字は右横書きで、数字のみは左横書きとする体系なんだが さらりと李朝をディスっているところにネトウヨの地が出てしまったね 東ローマ帝国がビザンティンになったのは、ユスティニアヌスの外征以降かな?
彼の外征が過酷だったため、旧西ローマ内の住民の「ローマへの憧憬」が失われてしまった。 >>430
ハングル文字はもともとあったが、教育して普及させたのは日本の朝鮮総督府 >>431
7世紀の前半に、ギリシャ語が公用語となり、ローマ人の国とは名ばかりで、ギリシャ人の国そのものとなった
ビザンチン帝国と呼ばれるのは、そのときから >>432
王朝時代末期にはハングル表記の新聞が創刊されてるようだけど、日本統治時代に公教育で普及するまではハングルが忘れられていたとしたら、おかしくない?読める人間がほとんどいない文字で新聞を刷っても意味ないでしょ。 >>393
その体系構築が上手いとはローマの歴史の何をみて思いましたか? >>434
1882年、壬午事変の事後処理の修信使として日本にやってきた朴泳孝は福澤諭吉と出会い、
福澤は「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には、朝鮮語(ハングル)による新聞の発行が不可欠」と説き、
開化派と福沢の弟子の井上角五郎の協力により、『漢城旬報』を経て、朝鮮初のハングル使用の
新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された。
拓殖大学国際学部教授の呉善華氏の著書『日韓併合への道 完全版』では
「1911年、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目として
ハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年の6%から1943年には22%に上昇した。」
と述べている。 >>433
西欧からギリシャ帝国
地元民はローマ帝国
なんか、面白いよね >>436
いちおう学問板なんだから、呉善花をソースはやめてほしい・・・ 呉善花はロジハラニダ!
韓国に愛はないニカ!?
まで読んだ >>438
お前の方こそ、いまどきウリナラ史観の受け売りなんか流行らないぞ >>429
たぶん>>425がいっているのは、
(面倒だから漢数字をアラビア語と思って)
八五(85)とあるばあい、右から書こうと、左八、右五 と書くが、
読む場合も書く場合も、五→八 の順番で読む・書くことをリトルエンディアンといっている。
良く知らないが、恐らくペルシア語がビッグエンディアンだとすると、
八五と書いて、八→五の順番で読むのだろう。
アラビア/ペルシア文字で 1985 と書いてある場合、
ペルシア語だと、センキュウヒャクハチジュウゴ となるが、
アラビア語だと、ゴ ハチジュウ のキュウヒャク セン てな感じで読むのだろう >>441
いや、そういう読み方じゃないなあ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/アラビア語の数詞
(この文中説明の一覧表に出てる「構文」の「 < 」記号は、「右から左方向へ」の意味と捉えてね) かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった >>435
ギリシアのポリス社会との対比で言うなら、
基本的にギリシアはポリス外からの市民の新規加入を認めない傾向が強かった
内部の市民には対等な権利を認めつつ、外部の住民との個別性を維持することで平等性を担保した
(これに近い体系は、現代社会のスポーツリーグで例示するなら北米式の固定制リーグで、プロテスタント的とも言える 日本では野球などがこの制度)
一方、ローマは、外部からの市民の新規加入について、
一定の格差を認めつつ段階的な地位の引き上げを認める方式を制度化することで、社会全体の拡大を図った
(これに近い体系は、現代社会のスポーツリーグで例示するなら欧州式の昇降格制リーグで、カトリック的ともいえる 日本ではサッカーなどがこの制度) >>443
きみ、漢字文化圏での表音文字の実情について、前にヴェトナムの例を挙げられたりしたとき、何も言わなかったでしょ
統計的根拠や社会実態を考えずに揶揄や中傷をするばかりなら、
どっかよそのカテのスレに引っ越してくれんかね >>442
なるほど、難しいね
では、
خمسة و ثلاثون
を使って解説してください。ペルシア語での読み方も含めて >>446
ごめん、説明をいろいろ書いてたら、送信時に「行が長すぎる」と出てしまって、
単純な短縮ができなくなってる
(そのままコピペで分割したりすると、強制的に送信不可が掛かって書けなくなるらしいので、それもできない)
なのでごく簡単にいうと、アラビア語の「35」ならば「ご および さんじゅう」といった表現になるから、
これだと単純に右から左に読み進めるね
ただ、3桁の数字の場合の百の位の扱いとか、「13000」といった数字の表現とかを引き比べていくと、
単純に右から左には読み進めなかったり、桁の切り分けの単位も一概には言えなかったりするんだよね・・・
(まあ、左横書きのラテン文字体系での欧州語圏にも、読みの順が逆転する言語はあるね
例えばそれこそドイツ語の「35」はフュンフ・ウント・ドライスィヒだから、まさに「ご および さんじゅう」だね)
それから、ペルシア語の「35」は至って単純明快で、「さんじゅう および ご」に相当する表現でそのままいけるので、
これについては、右横書き文字体系の中で、数字の読みが左右逆転することになる >>447
ローマ帝国滅亡後のスレだぜ
ま、無関係で雑多な内容が沢山話されてることも
文明崩壊後の中世初期に相応しいともいえる >>429ありがとう
関係ない話を振った 続けてくれ >>449
ローマ帝国って意味じゃなくて都市ローマって意味で書いたんだが。
言葉足らずですまんな。 >>448
解説ありがとう
桁により右から左からの違いがあることはわかったが、しかし君の説明からしても
まったくの初心者向けの解説としてはエンディアンの例えば別に間違っているとは思えず、
寧ろわかりやすいと思ったけどね >>444
ローマが衰退したのはそのシステムが機能しなくなったからという見方もできますかね? イリュリア人やトラキア人はローマ人になったけど
スラブ人はローマ人にならなかった 同じギリシャでも古代ギリシャには西洋のイメージあるのに
ビザンツはあんまそういったイメージってない >>454
元となるスキタイが離れた地域にいたからでは? ブルガリアとかセルビアとか文化的にも宗教的にも東ローマの影響をもろに受けてる 率先して同化政策してたから
わずか100年で、人種ごとの法律が廃止されちゃった たぶん大がかりな婚活宴会とかしてたと思う
それでも、モテないゴートの方はどうしてたんだろうか…
やはり孤独死したのかな >>261
防備しやすい地形で港があって逃げやすいラヴェンナへの遷都は、
白村江の敗戦の後の近江京遷都みたいなもんじゃないの?
大北方戦争で勝利してバルト海の制海権と沿岸領土を獲得しての
サンクトペテルブルク遷都とは違うと思うけど。 白村江の戦いの後で新羅は九州を征服して筑紫都督府が生まれた
この島国は元々は韓半島の王権の植民地だったのだ
歴史教科書が国粋主義に染められて正しい歴史が教えられていない >>455
それは、「古代ギリシャは西洋だ」と、ヨーロッパ人が必死で刷り込んできたから 402年、ホノリウス帝は西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナへ遷都した。
遷都には、第一に防衛目的があった。ラヴェンナは泥沢地と湿地に囲まれ、そして東ローマ帝国の軍との行き来に安心であった。
しかし409年、西ゴート王アラリック1世は簡単にラヴェンナを迂回し、ローマへ向かって略奪をし(ローマ略奪)、人質としてテオドシウス1世の皇女ガッラ・プラキディアを連れてきた。 防衛目的といっても、ラヴェンナに遷都する前の西ローマ帝国の首都が、ミラノだったことを忘れるべきではない
ローマは、唐の都の長安と同じで、地理的にはもともと辺境にある。
それに比べて、ミラノは広大な平野の真ん中にある交通の十字路。
交易には最適だが、防衛しにくい。 防衛しにくいだけでなく防疫もしにくそうやな
今のミラノの惨状を考えると >>467
ローマがもともと辺境って…地中海のいい位置でオスティア港からテヴェレ川で荷運びもできるじゃん。
地中海帝国であった頃のローマなら、平野の真ん中の都市の方が不便だろ。 >>469
経済や文化の中心はコンスタンティノープル
ローマはそこから遠すぎ ジャズブルースアメリカ文化黎明期20年代狂騒のアメリカのような華やかな風情がローマにもあったんだろうか 「ローマからラヴェンナに首都移転した」というのは、「ローマ帝国なんだから首都はローマ」という思い込みによる誤認
実際には、それまで西ローマ帝国の首都はミラノであり、「ミラノからラヴェンナに首都移転した」というのが正しい >>274
「ローマからコンスタンティノープルに遷都した」というのは、「ローマ帝国なんだから首都はローマ」という思い込みによる誤認
実際には、それまで東ローマ帝国の首都はニコメディアであり、「ニコメディアからコンスタンティノープルに遷都した」というのが正しい >>466
>ラヴェンナは泥沢地と湿地に囲まれ
古代中世においては、泥沢地と湿地に囲まれているということは、疫病の巣の近くにいるということ
ラヴェンナは地の利があったというよりも、健康上危険な土地であるにも関わらずそんな場所を
選ばなければならないほど追い詰められていたということ
平野はそこまで危険ではないが、もともと平野はある程度干拓技術や農業技術が進展しないと
健康上、農業生産上適さない土地
古代末期においても、健康面や農業生産性、交通の便どれをとってもローマの方が立地はよく、
平野のミラノに宮廷を置かざるを得なかったのは、やはりそれだけ追い込まれていたということ
そのミラノから更に劣悪なラヴェンナに移ったということは更に一層追い込まれたということ なんで、東の首都がニコメディアで、西の首都がミラノだったかって言ったら、その頃には、ローマは荒廃した辺境の都市になっていたから
専制君主ディオクレティアヌス帝が即位する前は、軍人皇帝時代と呼ばれる内乱状態が50年間つづいてた。
ニコメディアで即位したディオクレティアヌスが、この内乱状態を収拾して帝国を再建したから、ニコメディアが首都になった。
正式に首都移転したわけではなく、専制君主がいるところだから、そのまま事実上の首都になった。
コンスタンティヌス大帝は、もっと地理的に要衝にあるビザンティウムの地にコンスタンティノープルを建設し、そこを新しい首都に定めた。
ニコメディアからコンスタンティノープルは、たいして離れてない。 なんで、東の首都がニコメディアで、西の首都がミラノだったかって言ったら、その頃には、ローマは荒廃した辺境の都市になっていたから
専制君主ディオクレティアヌス帝が即位する前は、軍人皇帝時代と呼ばれる内乱状態が50年間つづいてた。
ニコメディアで即位したディオクレティアヌスが、この内乱状態を収拾して帝国を再建したから、ニコメディアが首都になった。
正式に首都移転したわけではなく、専制君主がいるところだから、そのまま事実上の首都になった。
コンスタンティヌス大帝は、もっと地理的に要衝にあるビザンティウムの地にコンスタンティノープルを建設し、そこを新しい首都に定めた。
ニコメディアからコンスタンティノープルは、たいして離れてない。 例えてみれば、前漢の首都が長安で、後漢の首都が洛陽になったみたいなもんだろう。
べつに、後漢の光武帝劉秀が、「首都を長安から洛陽に移転するぞ」と宣言したわけではない。
前漢が内乱で事実上滅亡したあと、何十年かたってから、洛陽の劉秀が天下を再統一しただけの話。
洋の東西を問わず、世の中は成り行きで決まることが多い ローマ帝国の東の拠点は長年に渡りシリアのアンティオキアだった
シリアはアナトリアとエジプトを繋ぐオリエントの中枢だった
アウレリアヌス帝によりシリアのパルミラが滅亡した後
ディオクレティアヌス帝によりオリエントの西端に位置する
ビチニアのニコメディアが新たな拠点に選ばれた >>477
>漢が内乱で事実上滅亡したあと、何十年かたってから、洛陽の劉秀が天下を再統一
違う
前漢を継承した新が滅んだのが23年、劉秀が洛陽を都にしたのが25年。2年しかたってない ローマ帝国がかつてのような建築物やインフラ設備を作れなくなったのって
いつ頃あたりなん? ローマ街道通ってても北側の情勢はローマよりラヴェンダの方が数日早く入手できたんだろうね
辺境の軍団が弱体化した時期にはその数日が貴重だったと思える 帝国初期と後期
弱くなったのは
経済崩壊以外ないでしょ
それ以外理由がない
銀行も後期ではなくなったみたいだしね >>471
ローマの音楽(再構築したもの)がYouTubeにあるから聞いて見ては
ローマ以外だと3800年前の楽譜から再構築した曲もあるよ >>482
造幣局は、西ローマ崩壊後もあったね
ガリアでネポスの名前で鋳造してる ほうほう
ではローマ教皇が地位を保ち続けたのはなぜなんでしょう? ローマ帝国が国教をキリスト教に定めてからそれまで皇帝が名乗ってたポンティフェクス・マクシムス(大神官)の称号を教皇が名乗った
そこから皇帝に変わって宗教や祭礼の最上位の保護者として神法の遵守を監督するようになる
そしてウァレンティニアヌス3世によって「教皇が承認したこと、あるいは承認するであろうことは全て、万民にとっての法となる」と定めた為
各部族は教皇が帝国の代表者と認識して皇帝無視で交渉を行うようになってった
所謂ローマ皇帝と同等若しくは対立皇帝・共同皇帝ばかりの不甲斐ない皇帝より上位と見なされた
そして栄光のローマ帝国を夢見る中世ヨーロッパカトリック社会は教皇に戴冠されて王や皇帝と名乗るのが慣習化された ローマ教皇はフランク王を西ローマ皇帝に据えてたよね 宮崎アニメ「ゲド戦記」の舞台はビザンティンだという話があるがマジですか? フランク王国でのカロリング家はローマ教皇を後ろ盾に下剋上 ミラノやラヴェンナは、アルプス山脈を越えてドイツ−イタリア間を往来するする人々が必ず通過する、交通の要衝 >>474
沼沢地に囲まれた土地に建てられた都市とか近代以前でも珍しくないけど
例えば唐の長安や平安京とか
ローマももとはそうで水害対策にクロアカ・マキシマとか作ってるよね 沼沢地が熱病の原因になるかどうかは気温によるのじゃないかなあ・・・ >>492
地中海世界と西アジアのような乾燥地域と湿気の多い東アジアと一緒にしてはいけない
湿地や泥炭地の問題は、水害ではなく、マラリアなどの感染症の温床になる点が問題
地中海沿岸や西アジアのような乾燥地帯では、伝染病や感染症のよる危険を避けるため
湿地や泥炭地は避けて都市が建設された。
一世紀半ばのアッタレイタの医学校を建設した医師アテナイオスは、沼澤地から発生した
瘴気が大気を汚染するするとし、とりわけ夏の沼澤地に気を付けるよう勧告している
アテナイオスのような医師だけではなくウァッロやコルメッラなどの農事家も健康のために
沼澤地を避けるよう助言している
建築家のウィトルウィウスも都市は建築物を建設する際の立地条件として沼澤地を避けるよう
勧めている。
古代ローマの人々は、水流のないよろんだ沼澤地が伝染病を媒介する蚊などの害虫の発生源であることを
知っていたから 地中海地域の湿地でも、昔からマラリア問題で悩んでたよね エフェソスの町は土壌流出で湊が埋まり、港湾都市としての機能を失った。
挙句、港が埋まってできた低湿地が病害虫の温床となってしまった。 20世紀初頭のトーマス・マン「ヴェニスに死す」も、コレラが蔓延する話だった 日本の場合は、例えば中国地方なら砂金採集で荒れた山から流れ出した土砂で海がどんどん埋まり、結果として農地が、水田が増えたのに。
児島湾とか太田川三角州とか斐伊川下流の宍道湖、中海周辺とか 古事記のヤマタノオロチの話は、一説によれば山中の製鉄業者と
下流の農耕民の争いを描いた話だという。
砂鉄採集で山が荒れ、水害が起こる。
その水害こそが、ヤマタノオロチの正体だと。
退治されたオロチの尾から鉄剣が出るのが、なんとも暗示的 >>499
基本が灌漑農耕地帯である日本と、天水農耕地帯である地中海沿岸地方との違い
地中海沿岸は石灰岩質で水はけがよいので、人口が少なければ雨水だけで農業ができる
無論生産性は高くない
灌漑農耕は、最低限の灌漑技術が必要なので、天水農耕と比べると技術革新や農作業の組織化が
必要なので、文明度的には天水農耕よりも進んだ段階だといえる
地中海沿岸の天水農耕で人口が少ない集落だけならこれで特に問題がないが、人口が増加すると
天水だけでやってられないので河川を分水させて農地に水路を引いたりするようになったり干拓したりするようになる。
すると、農業生産は増大するが、排水施設をしっかり整備しないと滞留した水が池や湿地となり感染症の温床となってしまう
ローマ時代に入ると長距離水道が整備されるが、あれも増大した大規模都市人口の生活用水という要因に加え、
常に水が流れ続けて滞留しないようにして水が病害虫に汚染されないようにするという理由もある
地中海の夏は雨が降らず乾燥しているので、河川の一部が干上がり池だまりや湿地ができたりするのでやはり一定の傾斜で水を
流し続ける水道は効果的だった
しかしこの段階まで発展してくると、ポー川流域のような湿気の多い地帯でも干拓する技術に到達するから古代末期にミラノやラヴェンナなどが拠点都市となったのだろう
更に地中海都市が発展すると、冶金等産業で付近の森林を伐採してしまい、保水力が失われて土砂崩れが起こり都市の排水施設が埋め立てられ湿地帯化する、という現象も発生した 日本も湿地というか平野に進出したのは後だよね。
歴史的に古い地域って山間のちょっと開けたところだし。山と木が必要だったというのもあるだろうけど。 沖積平野を開拓するには、洪水への対策が不可欠。
だから最初は灌漑がたやすい小河川の流域から水田が開発された。
段々畑を「耕して天に至る」と表現するが、
水田の場合は「耕して地に至る」が適切だとか。 >>502
日本の場合は、水田耕作の利便性から、傾斜地を好んで利用した面が大きい
平地での水田耕作は、かなり高度な灌漑技術が必要なので
関東だと、八高線沿線くらいが古代水田耕作にはベストの地形だったりする ヨーロッパ世界に比べてジャップの後進国っぷりはないよな #高井たかし
セクキャバ発言集 新潮・文春・ゲンダイまとめ
・秘書にならない?
・犬になりたい、踏んづけられたい
・こんな可愛い子いないよ
・SMしたい
・変態は最高の褒め言葉
・まいやん(白石麻衣)に似てる!
・膝に乗って(時間一杯乳首を堪能)
・(身体ビクビク) イキそぅぅぅぅ!!!パンツの中が精子まみれぇぇぇ!!!
・(おしぼりは) 大丈夫
・(勃起時) チンチンが高い高いになったよ
・(射精時) これが俺のクラスターだ!!!
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12280-630267/
https://bunshun.jp/articles/-/37234
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020041401002785.html
https://www.jijitsu.net/entry/takaitakashi 奈良は盆地で、周囲の山から水が流れ込んでくる
高温多湿で、天然の水田状態。
稲作がこういうところから始まるのは自然 関東平野や長江デルタは、湿地帯すぎて、人の住むところではなかった 「青い海、白い家」というような、ギリシャと南イタリアのイメージは強い
でも、イタリアの中心は北部のポー川流域平野 ポー川平原って元来はイタリアではなくてガリアでは? >>510
本当は、もともと半島部よりポー川平原のほうが良い土地なのだが、共和政ローマの頃はまだガリア人の地で異世界だった ゲルマン人はスカンディナヴィア在住の人の顔参考にすれば同じだろうから想像できるけど、
古代ローマー西ローマ帝国にいた人の再現は無理だろうな 古代ローマ人は今のイタリア人とは違う顔立ちなのか?
それとも現在の中近東の人間のような顔立ちなのか? >>515
ストラボンは確かにガリア・キサルピナの土壌と各種産物を讃えている。しかし彼の記述に登場する
都市はエミリア街道沿いの都市や場所がメインでエミリア街道は北アペニン山脈の北側の麓を通過している
実際古代ローマの詳細な地図を見ると、ポー川平原に都市は殆どなく、エミリア街道沿い、
或いは平原の北側のアルプス山脈の麓に沿って立地している
ローマ時代のガリア・キサルピナにおいては山脈と平野の境目あたりの土地が主な定住地であって、
平野の方ではなかった
ローマ時代に開拓されなかった沼沢地の干拓が進むのは中世盛時。ここで人口が一気に増大して
北部人口が中南部を上回るようになり、南部から食糧を輸入するようになってしまったのだった 歴代ローマ皇帝の胸像見ても今のイタリア人にもよくある顔立ちの奴ばかりだけどな 古代エジプト人は、白人か、黒人か?
・・・というのが、昔はよく問題になっていた。
結論から言えば、どちらでもなかった。
一言でいって、「混血」というのが結論だった。 北ドイツ・南ドイツ・北イタリア・南イタリアと縦に並ぶ中で、「人種的に似ているな」という印象を受けるのは、じつは南ドイツと北イタリアだったりする
(南ドイツと北イタリアの間にはスイスとオーストリアがあるが、それは南ドイツに含める) 「歴代の神聖ローマ皇帝は、イタリア問題にかまけて、ドイツ統一をおろそかにした」とよく言われるけど、それはドイツとイタリアがそれぞれに国民国家となった、現代の地図による思い込みではないか
彼らにとっては、「南ドイツから北イタリアにかけて」がひとつのカタマリだったんじゃなかろうか 南ドイツと北イタリア = ケルト
ケルト民族の本拠地は南ドイツ
ガリアとブリタニアではない 人類の発祥地はエチオピア。
そのエチオピアに近いエジプトから最初の古代文明が始まったのは、自然な流れ。
ギリシャ文明は、エジプトに近いクレタ島から始まった。
イタリアでも、ギリシャに近い半島南部から先に文明が開けていった。
日本だって、最初に文明が開けたのは九州で、関東なんか最後の最後。
地理的な位置ってものは重要だ。 >>522
南ドイツはローマ帝国の属州だったから
中世初期にはまだラテン系の方言を話す
市民や農民が多かったと思われる 北イタリア周辺は色んな民族の出入りが激しかった場所故
築かれた王国もかなりの数がある、今現在でも完全に同化させる事は出来てない そういう目で見るとイタリア社会共和国の成立も至って自然な流れやな イタリア本土と北アフリカはどれだけ離れているか?
海峡の最狭部の距離を比較
メッシーナ海峡(イタリア−シチリア間) 3km
シチリア海峡(シチリア−チュニジア間) 145km
九州から対馬 134km
対馬から朝鮮 50km
津軽海峡 19km
関門海峡 0.6km
台湾海峡(中国−台湾間) 130km
ドーバー海峡(英仏間) 34km
オトラント海峡(イタリア−ギリシャ間) 85km >>528
早い話が、ローマ帝国のイタリア本土と、カルタゴ(チュニジア)との距離は、日本と朝鮮より近い
逆にいえば、日本と朝鮮がどれだけ遠いか、よく分かる チュニスから最も近いローマ帝国イタリア本土まで500kmあるぞ? 距離の問題も当然あるけど、地中海と東シナ海&日本海では、通行の容易さが比較にならないからなあ 福岡ー対馬ー釜山航路なら、季節を選べば困難はないのでは?
遣唐使の遭難が多発したのは、新羅との関係悪化時に余儀なくされた東シナ海直行航路でしょ。 新羅は過去に九州を征服して筑紫都督府を作った大国
百済系の奈良のジャップ朝廷はひたすら貢物を送って新羅とその同盟国の唐に媚びた ウリは百済エベンキで新羅エベンキの肉便器ニダ
まで読んだ >>530
チュニジアからイタリア本土に直接いくバカはいない
必ずシチリアを経由するのが当たり前 東ローマー皇帝ヘラクレイオスはイスラム帝国にシリアを奪われ、
「シリアよ、さらば!」と嘆息したという。
でもナイルデルタならともかく、シリアってそんなに豊かな土地なのかな?
砂漠のイメージだが。 この場合のシリアは現在のレバノンを含む大シリア。
レバノンやダマスカス周辺、ゴラン高原からヨルダン河谷あたりは、レバノン山脈やヘルモン山脈に地中海の湿った風が吹きつけるので降水量が多く、農耕適地が多い。ユーフラテス川上流部も灌漑農耕が盛ん。 イランやシリアは今でこそ独立国だが
中世から近代にかけての長らくは独立性がなく殆ど大帝国の一部になっていた印象がある
やはり砂漠化で生産力が失われて政治的中心性が失われてしまったのだろうか? >>532
対馬海峡、現代はともかく中世以前では結構な難所だよ
潮流早いし、流されるととんでもないとこ連れてかれるし 10万の給付も対象はあくまで日本国籍だけにすりゃよかったのにって思う
自活できない外人は帰国させるのがグローバルスタンダードなんだが、ナマポまで与えるお人よしな国だからな 永住権保有者に生活扶助を与えないなんて国はそんなにないだろ >>543
メッシーナ海峡(イタリア本土とシチリアの間)はかなりの難所だが、シチリア海峡(シチリア島とチュニジアの間)は別に難所でもないが 地中海はかなりの荒海だ。
昔は、陸路づたいに港に立ち寄りながら進むのが普通だった
あの規模ともなると、さすがに「穏やかな内海」というイメージは当てはまらない とはいっても、東シナ海みたいな、まったくの外海と比べたら、そりゃ違うけどな >>338
日本は中世じゃないだろ
単に、高齢化して極端に保守的になってるだけだ >>546
荒海て
北海や大西洋と比較して、より喫水の低い船で日常的に交易でき、しかもそれが長期的に維持できたという事実だけで破綻するようなこと言い出すなよ
もちろん海だから荒れるし、人間の手に負えない時はあるさ
だからといって、地中海は比較的安全な海であり、障壁ではなく交易路だったという事実は曲げられん
なお、古代世界で、すでにローマ=バレアレス諸島=イベリア半島の航路は日常的に利用されていたし、もっといえばカルタゴはシチリアに寄ることなくサルディニア島やコルシカ島を経由してイベリアと定期航路結んでいたからね >>549
それを言うなら喫水じゃなくて乾舷では? >>550
すまん
喫水が「浅い」って書いたつもりだった
当然乾舷も低いけども つーか平均波浪図とか見る限りでは、地中海、特に東部地中海は東シナ海日本海と比べて穏やかな海である、とは言い難いな。地中海のほうが荒れた海だよ。
交通路としての利用度の高さは、海象より航海造船技術のほうが関わってるんじゃないの? 平均波浪図貼ろうと思ったんだけど、うまく貼れないな・・・ imgurが死んでるのかな? >>552
海象の影響で造船の技術発展に違いが出るの
外洋であり波が高く、発達した低気圧による嵐が定期的に起こる北海と、それらがない地中海では船の設計から形状までまるで違う significant wave height mapとかaverage wave height mapとかで画像検索すると出てくるよ。貼ろうとしたんだけどできなかった(波浪だけに) カルタゴは象牙海岸まで行ってたらしい
流石にアフリカ最南端はポルトガルが初だろうけど 漢代の人でローマ帝国まで行こうとしたが、ペルシャ?シリア?あたりで引き返した人いたよね
鄭和の船団がアフリカに到達したのはロマン ローマ領エジプトの商人だかが東南アジアまでは行ってたらしい
その時代の風呂が遺跡としてあるそうな 後漢の桓帝の延熹9年(166年) 日南(漢の統治下だったベトナム)に象牙やタイマイなどをもった「大秦王安敦」の使者がきたと記述されている。
この「大秦王安敦」はローマ帝国皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌスとされる。 >>560
後漢の甘英だね
後漢書に載っているこの人の関連逸話はなかなか面白い
アルサケス朝パルティア=安息国までは行ってる
実際にローマまではたどり着かずローマに関しては伝聞のみ知ったのだとしても、
後漢書に記録されたローマの様子は、(甘英の報告以外にも依拠した出典が有った可能性はあるが、)
国制を含めかなり的確に捉えられてる
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/甘英 ササン朝の王子が唐まで行って、
長安に亡命政権樹立して対イスラムへの援軍を要請したが、断られてその地で没した
世知辛いもんだな
ちなみにその後、唐はタラス河畔でアッバース朝にボコられる フランク王国とウマイヤ朝のトゥールポアティエの戦いはフランクの勝ち
ウマイヤ朝のコンスタンティノープル包囲戦はビザンティンの勝ち
この戦いのおかげで、中世ヨーロッパがイスラムに染まることは無かった。
だが仮にイスラム側が勝利しててたら、中世ヨーロッパはキリスト教原理の暗黒に染まらず、
イスラムが受け継いだギリシャローマの知識を開花させて産業革命がもう数世紀先に来た、なんて話がある。
本当かねぇ?
ヨーロッパがイスラム化したら、偶像崇拝禁止で西洋美術は停滞するだろうし、
ゲルマンやガリア以来の豚肉料理文化が途絶して食うものにも困るだろうし
そもそもビザンティンは西欧が中世の暗黒だった時代でも文化や商業が発展していたのだから。 ×産業革命がもう数世紀先に来た
↓
〇産業革命がもう数世紀はやく来た イスラムが北上する過程で豚肉禁止令は有名無実化したかもよ。「ち、ちがうこれは酒じゃない、般若湯じゃ」みたいな感じで。 >>568
それはあり得ない
イスラム教は「戒律が厳しい」というイメージがあるが、実際にはむしろ逆で、南国の人々に向いた甘アマな教え
プロテスタントみたいな厳しさがないと、産業革命は起きませんなあ イスラムに改宗しなかった、中国と西欧に共通する傾向
「豚肉が主食なので、豚肉食をやめるわけにいかない」 豚は、エサは何でも食べるし、すぐに丸々と肥るし、生後半年もすれば十分に大きくなり、お肉はおいしい
まさに、お肉になるために存在してるような動物。
豚肉食を放棄するというのは、人間にとって失うものが大きい キエフのウラジミール公がイスラムに改宗しなかった理由は
「酒が飲めないなんて、誰がそんな教えを信じるか!」だったそうな >>568
まるで世界でヨーロッパだけが科学を発展させられるみたいな言いざまだな
「アルカリ」「アルゴリズム」「コーヒー」「シャーベット」「マガジン」
これらの言葉がどこから来たか考えればそんな欧州中心主義は払拭されようぞ >>574
他スレでも最近話題になったが、キエフルーシが東方正教に帰依した経緯で、イスラム教での酒の扱いの話が出てくるけど、
実際には史実上の理由というわけではないらしい
外交上の遠交近攻策の理由で、東ローマの国教である東方正教を採ったのが実際のところだろう
そもそもイスラム教は、厳格な禁酒を採る宗派ばかりではなく、文化圏や民族などに応じて非常に許容範囲に幅がある
東南アジア、ペルシア、トルキスタン、バルカン半島、北アフリカなど、歴史的に飲酒文化がごく普通だった地域も多く、現在でもそうである国は多い >>572
>>573
アルバニアあたりだと、イスラム圏域であるとはされているが、
豚肉食も飲酒も一般的なほどに緩い >>576
あ、他スレじゃなかったな
このスレの、先行レス 現代のサウジアラビアは無論イスラム国家だけど
観光客用に酒や豚肉出す店普通にあるぞ 仏教も、本来はイスラム教より戒律が厳しいのだが、それが日本に入ってくると「天台の円戒 」になり、戒律がほとんど骨抜きにされてしまった
イスラム教の場合は、聖典コーランに明記されているので無視しにくいところもあるが、戒律を骨抜きにするのは不可能じゃないはず そうなったら、それは異端ではなく、異教扱いされることになるだけでは? 各宗派で解釈もかなり異なるからねぇ…キリストもイスラムも アタナシオス派(正統)・・・イエス・キリストは神である
アリウス派(異端)・・・イエス・キリストは人である
ネストリウス派(異端)・・・イエス・キリストは神でもあり、人でもある 初期キリスト教会は、「イエス・キリストは神か、人か」という論争で派閥抗争が激化し、流血沙汰になった
これを他山の石とした後発のイスラム教では、「アッラーは神である。預言者マホメットは人である」とコーランに明記することにより、このような論争を予防した >>584
待った待った
アタナシウス派も、イエス・キリストは人だと言ってる
神であり聖霊であり人である、と捉えるのが三位一体でしょ それを言ったら、アリウス派も、「イエス・キリストは神ではない、というわけではない」という話になって、ややこしくなる 中南米はスペイン・ポルトガル人とインディオと黒人がセックスしまくりで混血の坩堝
一方、北米は多少の混血はあれど、白人は白人、黒人は黒人、インディアンはインディアン、アジア系はアジア系
という具合であまり交わらない
ラテン系とゲルマン系の気質の違いなのかね >>577
トルコなんてもろイスラム圏だがみんな普通に飲酒してる
サウジやイランみたいなガチ勢からすればハシタナイ奴という認識なんだろうか? タイの坊さん「日本の僧侶、肉食うし、妻も娶るとか生臭坊主もいいとこやん」 カトリック神父は妻帯禁止
プロテスタント牧師は結婚可能 ジャップランドの生臭坊主は信者からのお布施で女遊びに精が出る
キリスト教の生臭坊主は少年愛好者が多いが、この違いはなんだろう? 教皇さまだって性欲溜まるだろうに、セックスとかどうしてたんだろう? 最近になってどの宗教が厳しいかなんて意味無いと気づいた。
どの宗教も戒律主義に走れば厳しいし、そうでなければ緩い。 ルーン文字は廃れたけど
ギリシャ文字やキリル文字は今でも使われているね >>589
お約束だけど、イランでも家庭内でこっそり作って自家消費している密造ワインが結構ある イランはあー見えて結構緩いと、イランの方から聞いた 実りの秋、今年も蒲萄が市場にところ狭しと並びます
数多くの人々がおいしそうな蒲萄をどっさりと我が家へ持ち帰る姿、今年もまた見られました……
……てな感じの光景は、イランの秋の風物詩になってるらしいな
まあペルシア語詩の作風の伝統から考えても、さもありなん……いろんな意味で >>568
トゥールポアティエの戦いの時には
フランクがまだザクセンを征服していない
アラブ人はゲルマニアまで征服しないだろうから
ゲルマン人やスラブ人が蛮族のままだろうな
やがてモンゴルとかが攻めて来たら
また民族大移動になってやり直し
産業革命とかありえない >>602
みんな葡萄ジュースや自家製干し葡萄が好きなんやろなあ・・・ >>590
仏教の戒律では肉食そのものは本来禁止されてない
菜食主義に則ったいわゆる精進料理が発達したのは漢訳仏典圏で、
パーリ語訳仏典圏やチベット語訳仏典圏には当て嵌まらない 鎌倉は自粛自粛で暇を持て余したトンキン人によって占領されました ワシは日本人の因縁に合わせて過去の高僧がカスタマイズしてくれた仏教の方がすき
真実の仏教とは〜などと力説してくる人おるけど興味あらへん 宗教なんて地方文化の一つ
カスタマイズしてなんぼや 東アジアではベトナムチャム人なんかに偶像崇拝取り入れたイスラムの変種があるな
西の方でも現地の信仰と混淆したイスラムは無いのかな
ちなみに豚肉文化圏の中国でもイスラムは十分広まってるぞ
雲南省なんか元朝期に色目人が役人として赴任した影響で回族化した集団の街がいくつもある >>611
イスラムニガー「アッラーの御名においておまんこ切除」 >>611
>西の方でも現地の信仰と混淆したイスラムは無いのかな イランのシーア派も、ある意味、現地の信仰(ゾロアスター教)と混淆したイスラムと言える モスリコ追放令でイベリア半島のイスラム教徒は駆逐されてしまった
スペインを国外追放された彼らはモロッコやオスマン帝国へ落ち延びたようだ 何でイスラム教は高緯度の地域には広まっていないんだろうか。
農産物が豊富ではなく牧畜や狩猟漁労が中心だから、
食タブーがうるさいと敬遠されたからだろうか。 最初から商人の宗教なので、交易ルート沿いに広がった、交易ルートがないところには広がらなかった、とか。 ていうか、なんでイスラムが広がらなかったかという問いよりも、なんであれだけ広がったかという問いのほうが重要じゃね?
大航海時代にヨーロッパ世界が拡大を始めるまではキリスト教はヨーロッパ亜大陸のローカル宗教だし、仏教は地理的には広がったけど、どこでも排他的支配宗教にはなりきれなかった。 >>617
カザフスタンやウズベキスタンは、かなり高緯度だし寒い 大航海時代以前でもキリスト教はかなり広がっていたぞ
エチオピアにはローマ帝国の時代に伝わり、サハラ以北がイスラム化しても今までずっとキリスト教だし
中国の唐代ではネストリウス派(景教)が伝わっていたし
遊牧民でもモンゴル人のキリスト教徒も大勢いた >>590
タイの僧侶も肉食うよ。托鉢で貰ってのは食わないとならないから。 >>623
ローマ帝国の時代には、シリアとエジプトはキリスト教国だった。
それが、あっという間にイスラム教に飲み込まれた・・・ということこそ、このスレで語るにふさわしいテーマと思わんかね? ハザールも酒が飲めないのは論外ってイスラムけったんじゃないか ちなみに、仏教も、イスラム以前には中央アジアで大きく広がっていた
「偶像崇拝だ」といってタリバンに破壊された、アフガニスタンのバーミヤン石仏がいい例 ロシアは寒過ぎる
ウォッカで体の内側から熱くならなきゃ、とても冬を過ごせない でも、冬が寒いのは、旧ソ連の中央アジア諸国も同じだ
そこでは、イスラム教がしっかりと根付いている ウラジーミル聖公の時代に飲んでたのは蜜酒でウォッカじゃないぞ
蜜酒は今でも修道院で自製していて、売店で買える。まあでかいスーパーにも置いてるけど。 アラブ商人の寄港地だったアフリカの海岸地帯の諸国はイスラム教が根付いているな。
もし大航海時代を担ったのがイスラム教徒だったら、南北アメリカはイスラム教国になっていたんだろうか。
アステカの人身御供の儀式を見たムスリムの探検隊はどんな反応を示したのだろうか。 キルギスの首都のビシュケクにあるオシュ・バザールでサーロ(豚の脂身の塩漬、ウォッカのつまみに最高)を探してたら、端っこのほとんど別の建物みたいなところに押し込められてて、従業員もロシア系しかいない感じだった。
あまり真面目なムスリムじゃなかったはずのキルギスでも、原理主義が強化されてるんかなあ… >>632
その流れだと日本も明治はムスリム化なんてありえたのかな アメリカ海軍創立のきっかけがサラセン海賊からの防衛だったりする >>617,621
イランもかなり寒い
緯度は低いけど高地ばっかりやから >>632
中世までは、モロッコのイスラム王朝がポルトガルも支配してたんだから、十分にあり得た アフリカ北部がキリスト教だったら
今より発展してたんだろうか もしも、モロッコのイスラム教徒が中南米を先取したとしても、北米ではやはり、スペインと同じく、イギリスに叩き出されただろう
イギリスと北米はあまりにも距離が近い上に、イギリス人の戦闘力に、南国の人じゃ勝てない >>639
おそらく、そうだろう
理由は、EUに入れてもらえるから >>588
タキトゥス著書の『ゲルマニア』に
「ゲルマン人は他の民族との通婚を一切しないことから種族的な純粋さをよく保っている」
とある
森で暮らしていた頃からこの有様で、他の民族と交わって吸収するローマ人とは正反対だったようだ
ヒトラーはこの記述にある純血性をドイツの民族意識高揚に利用した >>639
コプト教見れば生き残るのは大変だとわかる ヴァンダル王国は生き残るのは無理だろ
カトリック迫害して自ら弱体化してる上に
たとえ東ローマの侵攻を退けたとしても
その後にウマイヤ朝やらオスマン帝国やらもっと強いのが控えてるわけだしな >>640
イングランドはデーン人に征服された後、強くなった
ロシアはモンゴルに征服された後、強くなった >>630
中央アジアはイスラム圏だけど飲酒文化も普通にある
もともとトルコ系民族は飲酒文化を持っていたうえに、
中央アジアで主流のイスラム法学派がハナフィー学派で、この学派は伝統的にイスラム法解釈がかなり柔軟
ムガル朝初代のバーブルの自伝「バーブルナーマ」を読んでみれば、
葡萄酒酌み交わす飲み会の話がしょっちゅう出てくるのがすぐ分かる チベット仏教とモンゴルの関係は
ローマ教皇庁とフランク王国の関係みたいなもん? >>633
宗教的な原理主義というような大がかりな話にまで行かなくても、
そもそも一般的な食文化からかけ離れてるってことからの忌避感はあるんでないかね
例えば、南欧料理文化圏でも中華料理文化圏でもよくある「蛙肉」って、日本じゃふつう食べないでしょ?
日本のスーパーマーケットの精肉売り場とかでそういうものはまず扱ってないし、
もしもそういうものがきみの家の近所のスーパーマーケットの精肉売り場にどーんと並んでたりしたら……
きみ自身やきみの周囲の人はどう反応すると思う?
そういう感じに近いと思う 鹿やトナカイはハラルになるのかな?
鹿が食えなければ、ラップランドほか北欧方面、さらにシベリア、
あるいは北米先住民はまずムスリムになれない。 >>645
互いの言語や文化を吸収したのが良かったね。
ノルマンコンクエスト後も、サクソン人とデーン人は北方にてノルマン人と共同で対立したし。 >>612
女子割礼のこと言ってるのだろうけどそれハーディスにもコーランにも記述がない
イスラム圏だとクルド人がその風習を持っているがイスラム教化以前の風習だろう >>646
中央アジアでは良い葡萄がとれるが、インドはそうではない
バーブルは、インドの皇帝でありながら、死ぬまで中央アジアに帰りたがっていた 一神教のせいでギリシャローマの多神教が衰退したの悲しい
彫刻の衰退とかモロそれが原因だし
まあルネサンスで復活したが 写実的な、リアルな絵や彫像がヨーロッパでしか発展しなかったのはなぜだろうか。
イスラムは一神教で神の像を描きえない。
人物画はあるが、決して「写実的」には見えない。
日本や中国は多神教だが、日本画など絵画は決して「写実的」ではない。
まぁ洒脱でなかなか味わいある絵も多いが 一休禅師の肖像画とかわりとリアルだよな
泉谷しげるそっくりな一休さん 近代以前の日本画でリアルといえば渡辺崋山の作品群
やはり洋画の影響があるらしい 戦国時代に、南蛮文化とともに西洋美術も流入した。
明暗法や遠近法を取り入れた日本画家も登場し、「絵が浮き上がって見える」と評判になったこともあった。
でも、どうも日本人の好みには合わなかったようで、江戸時代に衰退した。
伊藤若冲の日本画は、緻密でリアルだが、明暗法や遠近法を使っていない。 遠近法は、幾何学から生まれた発想なのだろう。
明暗法については、画材の問題。
油絵の具じゃないと、あんな明確なコントラストの効果は得られない。 しょせん古代人の絵であり、近代絵画とは比べられないが、中世ヨーロッパの絵よりはずっと写実的だ このくらいの写実性はジョットの絵にもあると思うんだけど
そんなに差があるか? 文明レベルが急激に下がったヨーロッパならともかく寛容だったはずのイスラム圏でも写実的な絵や彫刻が出てこなかったのは何故だろう これとか、「高校のときの古文の高橋先生じゃん、ありおりはべりいまそがり」ってレベルの写実性だよねhttps://i.imgur.com/1HHFbra.jpg ローマ属州のエジプトでは古代以来のミイラ葬が伝えられていたが、
ローマ時代にはそのミイラに「肖像画」を添えて葬る風習に変わった。
この「ミイラ肖像画」、いわゆるエジプトの彫像や壁画のような様式化された横顔ではなく、
ポンペイの壁画にもありそうな、写実的で鮮やかなローマ絵画だったりする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ミイラ肖像画 https://ja.wikipedia.org/wiki/ミイラ肖像画#/media/ファイル:Fayum-01.jpg エジプトって属州じゃなく皇帝直轄領じゃなかったっけ 徳川時代のの幕府直轄地と○○藩みたいなもんだと思ってる 重要拠点の大坂が藩じゃなかったようなもんか
エジプトと似てるっちゃ似てるな ガリアとかゲルマニアとかもそうだな
元老院に任せといたらヤベーところ
まあ皇帝領だわな 現代アメリカには日本がエジプトだよな
日本が衰退した今ではだったと言うべきか やばい所引き受ける代わりに任期制のインペラトル(軍指揮権)を世襲でずっと貰ってたようなもん
皇帝が皇帝であり続ける為にどうしても必要な物。臣下の幕藩体制とは違うのだよ 中世ヨーロッパの絵がド下手糞なのは、
上手に書くことが、個性を出すことが信仰的にいけなかったからですか? 当時の地中海世界では屈指の豊かさと寛容さを持つイスラーム世界でもそうだったのかな?それとも単に流行らなかったとか
寛容さのベクトルがそっちに向かなかったのかな いやいや
ムハさんの姿描いたら死刑の宗教のどこが寛容やねん >>671
エジプトはローマ皇帝がエジプト国王を兼任する同君連合で統治された
ローマだけでなくアケメネス朝でもペルシャ大王がエジプト王を兼任して
エジプトはオリエントで尊重されていた
キリスト教化してからはローマ帝国内で特別扱いされなくなった
アッバース朝カリフのマアムーンがピラミッドに穴を開けて調査したけど
これは当時のエジプト人の多くがコプト教徒になっていたから可能だった >>680
それが、昔から謎だ
天才的に絵がうまい人間など、いつの時代にも必ずいると思うんだが >>666
ジョットは、ゴシック様式というより初期ルネサンス様式
14世紀初頭だと、世の中はまだ中世そのものだけど、ジョットの美術は一足お先に近代絵画に突入していた >>667
偶像崇拝禁止が、イスラム美術をひどく損なった。とくに、彫刻が大きな打撃を受けた。
イスラム美術は、陶磁器や書道(カリグラフィー)が中心になった。
細密画がインドに渡ってからのムガール美術のほうが、むしろ、イスラム絵画の最盛期と言える。 ヨーロッパでは15世紀頃からデッサンにカメラ・オブスキュラを使うようになったから、そこからも影響受けてるかも
あと、写実に価値を見出すかどうかは社会の価値観の問題でもあるし。
エジプト人だって写実的な彫刻は作れたが、そんなものに価値があるとは思わなかった。
https://i.imgur.com/ryeKxZI.jpg 絵とは心像を描いた物なのだから、中世においては抽象化・シンボル化を進めたといえる。 彫刻は写実を突き詰めていけばリアルになるけど、絵画はそうじゃない。
人間の目玉はレンズとしてはあまり性能よくないので、脳は情報処理で欠陥を補って外界をイメージしてる。
リアリズム絵画は隅々までパンフォーカスで視界の歪みもないけど、人間の視力はそうじゃない。きちんと見える視野は普段思ってるよりもずっと狭いし被写界深度も浅いということは、簡単な実験でわかる。
リアルに見える絵画を描くためには、見た通り描くのでは駄目で、この情報処理の部分を意識して再現しなければならない。ある意味シュールレアリズム。 まさかこの絵師は、自身の作品が千年後に世界中の笑いものになるとは思いもよらなかったろう。 俺たちの書き込みも1000年後に嘲笑のたねになってるかもしれないと思うと、オラァわくわくしてきたぞ! >>683
イスラム圏は当時ではマシな方じゃないか? >>687
当時のイスラム圏って戒律とか甘いイメージなんだがやっぱり物によるのかな イスラム圏の住人はコーカソイドなのに、
イスラム絵画に描かれた人物は平面的な顔立ちで目が細い。
なぜかモンゴロイド風。
当時のイスラム圏ではそんな顔が美男美女とされていたのかな?
現代日本では住民がモンゴロイドながら、おめめパッチリで顔の彫りが深いほうが
美男美女とされるように。
あるいはモンゴルの侵略から数十年後に描かれた絵だったりしたのかな?
みんなモンゴル兵にレイープされて生まれた子供をモデルとしてるとか。 >>697
イスラム絵画を見て、「なんだか、東洋風だな?」というのは、誰もが思うこと
モンゴル帝国イルハン朝の時代に、中国から受けた影響が大きい 中国人の絵師の影響で盛んになったペルシャの細密画が、さらにインドに渡ってムガール美術において最盛期を迎えた 絵画に写実性が必要とは限らない
宗教なら絵を通じて哲学や教法を表現するし、芸術なら絵の中に人の心象世界を表現したりする
写実的風景は軍事目的のために発展した
芸術としての写実性はカメラ写真機が生まれると衰退して、古代中世的な抽象主義に戻っていった どの宗教でも絵画というのは教法を絵で表現したもの
またそれは彫像であったり書であったりもする
洋の東西を問わず似たようなもの
中世初期の東ローマではイコン論争といってイコンは偶像崇拝か否かで国家レベルの大問題になった
結局のところ偶像崇拝ではないという結論になったが、それまでの間何度も政変を繰り返し帝国を著しく衰退させた >>683
コーランにはどこにもそんなこと書いてないのだけどね
偶像崇拝禁止のはずのキリスト教が今では聖母子像を拝めてたり宗教ってのはその時代の人々の都合によって変化する
だから福音派やイスラム原理主義が生まれたのだけどこいつ等もまともに教義守ってるかというと
コーランでは自殺も火を使った武器や宣戦布告なしの不意討ちも禁止してるのだから自爆テロ何て本来の教義的にはもっての外 昭和57年ごろに発行された学研の「世界の偉人100」には、
よこたとくおの絵で「マホメット」の絵がしっかり描かれていたな。
最近の学習漫画では、「ムハンマド」の絵は後ろ姿で描くか、
陰になるかの構図で、極力正面から描かないようにしている。 東ローマ皇帝・コンスタンティノス5世は聖像破壊を率先して行ったため、
聖職者から「コプロニュモス」とあだ名されたという。
コプロニュモスとはウンコのことである。 仏教でさえ、偶像崇拝はたまに問題になる
北周の武帝は、激しい仏教弾圧を行ったことで有名だが、とくに熱心にやったのは、仏像の破壊だった その点、なぜか偶像崇拝の要素がまったく見られないのが、日本の神道。
鳥居とか注連縄とかの向こうに、何があるのかって言ったら、何も無い。
教義らしい教義がほとんど無いアニミズム宗教だけど、それでいて驚くほど抽象的 もっとも神道でも仏教の影響で、「神像」の彫刻がつくられる事はあった。
ところで学習漫画なんかでは、記紀神話の神々は「古墳時代の服装」をしている。
これは古代からのイメージなんだろうか。 一神教に寛容さなんてねえよ
特に多神教に対してはキリスト教もイスラム教も全部排他的だろうが
『当時』なら寛容なんてのは詭弁
現代の基準ではどっちも不寛容だし、目糞鼻糞レベル
ことイスラムが寛容だなんてのは相対論的な話。
キリスト教より偶像崇拝禁止の傾向が強いから絵画が発達しないのは当たり前。
「イスラム教は寛容なんだ」って固定概念に囚われてる奴はいい加減目を覚ませよ
イスラム圏が”キリスト教ヨーロッパに比べて”寛容だったのは、単に強者の余裕だっただけ。
立場が逆転すれば一神教特有の排他性、攻撃性があらわになっただろ? 多神教が寛容というのもどうかな
ヒンドゥー至上主義が寛容とはとておも思えん >>711
柳田國男によると、神道の神のイメージも時代によって変わるそうで。
柳田が生きた大正昭和のころは、神がかりの人とかのイメージを総合すると「白髭を蓄えた厳しい老人」だそうだけど、中世の文献で神々の顕現の記述を集めると「無垢で幼い童子」なんだとか。 >>714
古代エジプトも寛容ではなかったから
ローマはエジプト人を刺激しないように
統治していたのだろう >>716
まあ、ローマ皇帝はファラオの後継者・化身ってやって統治してたからねえ ペラーヨ「ワイ山岳地帯でちょっとイスラムの侵攻を退けただけで英雄扱いされとる」 イスラム世界において肖像画のかわりに風景画が流行ったって話も聞かんような >>719
ヨーロッパでも、絵画といえば、ずっと宗教画か肖像画で、風景画が流行りだすのは近代に入ってから
風景画といっても、16世紀ルネサンスの頃はまだ宗教的・神秘的なファンタジー風景が主流で、自然主義や写実主義が台頭するのは、もっと後のこと。
昔の人なんて、そんなもんだ 芸術を引っ張るのは、宗教の役目
その宗教が偶像崇拝禁止では、美術はアウト 風景画といえば中国の山水画はアニミズムが背景にあるとか
いうのをどっかで見たおぼえが ローマンカソリックは、古代の神々を布教の間に聖人と化していったから、ファンタジー色が強いイメージだなぁ 古代中世のヒンドゥー教徒
『性器を隠すなんて美術じゃないね』 イスラム絵画が発展しなかったのは
元々アーリア人が絵画彫刻に関心が弱かったから
仏像も黒海沿岸のスキタイ美術もギリシャに由来する だからアーリア人のヒトラーは美術学校の試験に落ちたのか
それでグレて独裁者になったのか ヒトラーの絵って風景画ばっかりなんだよな
人物画は難しいからな つまり下手 ドイツ人の有名音楽家は何人かいるが、
有名画家はいるかな? >>722
中国の山水画も、道教の仙人みたいな世界だからな ゲーテも、イタリアに行って陽光の明るさに圧倒された
ドイツとイタリアでは、太陽の明るさがまったく違う。
北ドイツは千島・樺太、カムチャッカ半島くらいの緯度。昼でも微妙に薄暗い。
絵心を刺激する環境じゃないのは仕方ないな。 >>726
イスラムはアーリアじゃなくセム人の宗教だし
仏像作ったのもヒンドゥーの神々の彫刻や絵画作ってるのもアーリア人だろがいい加減にしろ 山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う
山ってアルプスで、アルプスの彼方のイタリアへの憧れを詠った詩だとか >>713,714
誰も多神教が寛容だなんて言ってない件
それこそ比較論の話でしかない
ヒンドゥー至上主義はイスラム教と民族主義が存在しなければ恐らくなかっただろうし
俺はあくまでイスラム教が寛容だなんてのはイスラムに対して大甘な物の見方だと言いたいだけ >>734
関係ないことはないんじゃないかな
アラビア人はセム系だが、音楽も美術も文学も、なんでもペルシャが文化の中心だ >>738
アーリアをペルシアにすり替えているのはまあ置いといて、イスラーム圏における
ペルシア文化の影響を誤解しているのではないかな
ペルシア文化って、こういうのもあるのよ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Persian_couple_copulating_Wellcome_L0033088.jpg
あとアラブ音楽の紀元は古代アラビア半島の音楽にあり、アッバース朝時代にペルシア音楽の
進出に対して、保守的なアラブが古典音楽保存運動を行ったので、主要なルーツとしては
古代アラブ文化を継承しているといってよい >>739
ペルシアって、アーリア人の本家本元みたいなもんだから、アーリア≒ペルシアはまあ許容範囲ではなかろうか >>739
「アラブ音楽の起源はアラビア半島の音楽」って、そりゃ当たり前だろ イスラム文明圏で「アーリア人」って言ったら、普通はペルシャ人を指すんじゃないか
ガンダーラ美術を生んだアフガニスタン・パキスタンあたりもアーリア人だが >>739
>ペルシア文化って、こういうのもあるのよ
それが、上にも書いた「ペルシャの細密画」。
モンゴル帝国イルハン朝のもと、中国人の絵師が描いた絵に影響を受けて発達し、さらに、インドに伝わってムガール美術となり、最盛期を迎えた >>741
失敬
>>738に
>アラビア人はセム系だが、音楽も美術も文学も、なんでもペルシャが文化の中心だ
と書いてあるので、「そのアラビア人の音楽はペルシアの文化が中心ではなく、起源は
古代アラビア半島にあり」と書こうとした
書こうとして、 古代ローマ帝国が滅亡したのは1,500年以上も前のことだ。だが、この時代に作られたコンクリートは、現在も十分強度がある。
例えば、ローマにあるパンテオンは無筋コンクリートでできた世界最大のドームといわれているが、約2,000年経った今も強度を保っている。
これは現代のコンクリートでは考えられないことだ(現在のコンクリートの寿命は、50年から100年程度とされる)。
なぜ、ここまで古代ローマのコンクリートが強いのか。その謎が解明されつつある。
古代ローマ時代のコンクリートは、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わせて作られている。
このうち、重要な役割を果たしているのが、最後の材料である海水だ。
この珍しい材料の組み合わせのおかげで、1,000年以上の時間をかけてコンクリート内で新しい鉱物が形成され、ますます強度を増しているらしい。
https://wired.jp/2017/07/30/roman-concrete/
https://wired.jp/wp-content/uploads/2017/07/405.jpg >>743
絵画様式はその通りだが、この絵のポイントはそこではなく、性器が描かれているということ
中国の絵ではこんな風にあからさまに性器を書いたものはないと思うのだが 神道何て寛容さの欠片もないけどな
女や外国人はケガレなので宮座にも参加できない
男女平等の世の中なので日本人なら女でも氏子になれるが本来は大和男子オンリーの極めて閉鎖的な宗教 >>742
>>726では、
>イスラム絵画が発展しなかったのは元々アーリア人が絵画彫刻に関心が弱かったから
とあり、「イスラム絵画が発展しなかった理由」が、「アーリア人」に帰せられている
しかしイスラム教圏は中東だけでも、テュルク系、アラブ系があり、ペルシア人だけではなく、
文化的影響もペルシアだけではないので、絵画が発展しなかった理由が
ペルシア人の影響だけに理由を設定するのはおかしい、ということ
あと、>>740の
>ペルシアって、アーリア人の本家本元みたいなもんだから、アーリア≒ペルシア
は、日本語Wikipediaの記事だけ見てそう考えてしまっているのだろうから、
とりあえず英語版も読むことをお奨めする
日本で「ペルシアって、アーリア人の本家本元」というようなことを主張しているのは
青木健くらい >>748
神道の最高神はアマテラスで女神じゃないの?尊重されてないの? >>753
文脈を読んで欲しいな
中国→イル汗国→イスラム絵画 という影響関係の話で、イル汗国に影響与えた中国絵画に
性器が描かれていたかどうか、という話
事例を出すなら元朝以前とすべき >>749
それはそうだが、イスラム文明圏におけるペルシャの文化的な存在感は、あまりにも大きい。
オスマン帝国も、ムガール帝国も公用語はペルシャ語で、皇帝からしてペルシャ文化にどっぷり傾倒してる人ばかり。
ヨーロッパ文明圏におけるフランス文化の存在感より大きい。
名実ともに、イスラムを文化的に代表する存在だ。 >>754
春画が好きなのは、江戸時代の日本人も同じだ
好みの問題であり、たいした違いではない 「在宅応援 ストレス発散 動画10円セール」なんて便利な時代じゃないんだから、どこの国でも春画の需要はあるだろ >>755
ペルシア文化圏の広がりについてはこちらも認識して異論はないが、
「文化的存在感が大きい」ということと「イスラム絵画が発展しなかったのは
元々アーリア人が絵画彫刻に関心が弱かったから」と因果関係を一元的・決定論的に
関係ずけることの間には大きな違いがあることに気づいて欲しい >>756
>>721で「芸術を引っ張るのは、宗教の役目 その宗教が偶像崇拝禁止では、美術はアウト」
て描かれているからイスラム美術もいろいろある、という話をしてきたわけだが・・・・・
その挙句が好みの問題ですと >>757
の割にはエロ美術が発達しなかった地域ってあるよな >>744
アラブ人のリズム感は、どことなくアフリカ的で、ジャズに通じるものがあり、ラテン音楽の源流でもある
こればっかりは、南国ならではのリズム。
アーリア人やトルコ人のような、北から来た人種から出てくるものではないな
https://youtu.be/rV6ulhMN4Ug イスラムやアーリア人の絵画や彫刻の志向の有無を論じるよりも
写実的な彫刻の源流はエジプトで、エジプト→古代ギリシア→ルネサンスという系譜と
その系譜に影響を受けた地域(古代インドとか)という流れを考えた方がよさそうに思うのだが >>750
神道に最高神なるものが存在するのかについては議論があるというか、いないと言い切ってもいいくらい
国家祭祀としての国家神道と、古神道から神仏混交を経て伝わった神道信仰は性質が異なるのでなんとも >>729
ドイツよりさらに北の北欧だとムンクがいるけど代表作がかの”叫び”なのよな・・・
>>733
ドイツ人など北の人達は太陽に憧れてイタリアをはじめとした南欧へのバカンスに
出かけるのよね >>761のアラブ音楽はいかにも汗臭さが漂ってくるアラブノリ
>>755が指摘しているような、トルコ、ペルシア、インド共通のペルシア文化圏っぽい
音楽の例はこれかな
https://www.youtube.com/watch?v=yN6ottTev20 コンスタンティノープルを都とした東ローマはかつての古代ローマの
技術&インフラ設備をそっくりそのまま受け継いだりそれをもっと高度に
発展させる事はできなかったのな ソフィア教会のような頂点を極めた建築をつくってしまうと、あれを取り壊して
あれ以上のものを作る動機がなくなってしまうかも
もし帝国全土で平和が続いてエジプトやシリアも領土に留まっていれば、地方の大都市に
ソフィア教会に準ずる大建築が次々と作られたりしたかも
古代エジプトでも、ギゼの大ピラミッドを作る人口と技術は新王国時代にも確保できていたと
思うのだが、やはりギゼで頂点を極めてしまったので、その後の時代にピラミッドを作る
動機が薄まってしまったのかも テオドシウスの城壁は?
すくなくともうっかりミスで城門を閉め忘れてオスマントルコに乗り込まれるまで、
コンスタンティノープルを守り抜いた アラブ圏のモスク建築の大元は、
東ローマの建築ですか? >>769
鍵の書け忘れの件、自分も子供の頃読んで、これがなければまだ生き延びたかも知れないのに、
と悔しくて仕方がなかったが、歴史学の本にはこの話が出てこないので、今では伝説かもと疑っている
オストロゴルスキーには出てこなかったし、確かハリスの『ビザンツ帝国の最期』にも出てこなかったはず
今みたら英語版ウィキペのコンスタンティノープル陥落にも載ってない
で、更に
>a section of the Blachernae walls in the north-west part of the city, which had been damaged by the cannon. This section of the walls had been built earlier, in the eleventh century,
と書かれているのを見ると、ブラケルナエ地区の増築がいまいちだったので突破されたように読め、
これが本当だとすると、時代が下って技術力が落ちていた頃の増築なのでこうなった、ということになってしまいそう >>771
>時代が下って技術力が落ちていた頃の増築なのでこうなった、ということになってしまいそう
それは逆ですな
「城壁のその箇所は、他のところより早く11世紀に築かれたもので、ずっと弱かった」とある。
つまり、増築から何百年もたって経年劣化してたとこが崩れたということ。 >>770
いや、そうではない
大元は、サザン朝ペルシャの建築 あれ、そうすると、今残っている立派な城壁は、11世紀より後のものだということ?
修復しつつも5世紀の城壁が残ってるんだと思い込んでた!! 東ローマの建築は、やはり、コンスタンティノープルに受け継がれた。
イスラム勢力は、1453年まで、ここを攻略できなかった。
「モスクの建築」ってのが、それから後の時代のを意味してるのなら、また話は別だけど その理屈からするとローマ帝国はそれまで何度もクテシフォンを陥落させていた
のだから、ダマスクスやバグダッドを陥落させることができたはずでは?
できなかったというのは、技術が受け継がれてなかったから
ということになるんではあるまいか >>778
ローマ文明の最大の特色は、土木技術
コンスタンティノープルの城壁が堅すぎて、イスラム勢力は圧倒的に優勢なのに、なかなか攻略できなかった コンスタンティノープルの城壁を崩したのは、ハンガリー人技術者・ウルバンが開発した「ウルバンの大砲」。
最初、彼はビザンティン側にこの大砲を売りこんだが、拒絶されたあげく獄に繋がれた。
だから、その当てつけもあってかオスマン側に大砲を売り込んだ。
結局、彼は戦陣の中で大砲の暴発で死亡したが、これでよかったのだろう。
生きていたら、ビザンツの遺民からどう思われたやら ササン朝に攻勢を仕掛けるも逆に凹られたり
内輪揉めに十字軍を招き入れて解決を図るも、乗っ取られて滅亡させられたり、
後期の東ローマ帝国のぐだぐだ感は酷い >>780
ウルバン砲はあちこちに輸出されるくらい広まったね ウィキの「ギリシャ火薬」の項を見る限り、
ギリシャの火の製法はオスマントルコの攻城戦以前に絶えてしまったようだ。
残念! >>780
当時の大砲は、攻城戦で城壁を破壊するのが主な目的
防戦する側のコンスタンティノープルにとっては不要であり、脅威にしかならない技術。
投獄したのは打倒な判断 たとえ金角湾にオスマンの軍船を送り込まれたとしても、
ギリシャの火さえあれば焼き払えたものを >>541
外国人は国籍国が保護する義務がある
日本には関係ない 日本以外の有色人種の国で未だに先進国が現れない理由が分かる気がする アメリカも怪しいしな
世界に先進国なんて一つもないな 武漢肺炎の死者は、感染を防ぐため問答無用で火葬にされる。
イスラム圏ではどうなのか。
イスラムの教えでは、火葬は遺体の損壊になり、死者へのとんでもない侮辱になる。
インド洋津波の折、マレーシアで大量の溺死体を衛生の観点から火葬にしようとしたところ、
イスラム団体からクレームが付き、仕方なく大量のドライアイスで冷やしつつ土葬にしたとか。 キリスト教も土葬だっけか
遺体がないと最後の審判の時に戻る肉体がなくて困るんだっけ? フーリー(アラビア語: حورية)は、イスラームに伝えられている天女達の総称。
その肌は白く、金髪の乙女であるという。フーリーはペルシア語で、古代アラビア語ではフール(Hur)と呼ばれる。
概要
フーリーは天国に来たイスラーム信者の男性のセックスの相手をするとされ、
一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。
彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは
『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。
また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、
『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。 ムハンマドの妄想力がすごい
あとローマだけでなくアラビア世界でも金髪マンセーなのね
こりゃゲルマン人やスラブ人の女が売られるわけだ 露助「天国で美処女とセックスし放題なのはいいけど、禁酒はちょっと・・・」 フーリー(アラビア語: حورية)は、イスラームに伝えられている天女達の総称。
その肌は白く、金髪の乙女であるという。フーリーはペルシア語で、古代アラビア語ではフール(Hur)と呼ばれる。
フーリーは天国に来たイスラーム信者の男性のセックスの相手をするとされ、一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。
彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは
『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。
また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、
『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。 で、ムスリム女性は天国で童貞美少年の筆おろしができるの? 正直に言うとクルアーンは読んだことないから内容が分からん。聖書を読むのすらかったるかった。みんな読んでるの? 今、世界史の研究課題で中世欧州について調べてるんだけど、
調べれば調べるほど、政教分離がいかに大切か思い知り、宗教を憎むようになった。
文化、
衣服・美食・建造物・絵画・彫刻・工芸品・書物・宝飾品・舞台劇・運動競技・観光
文明、
識字・数学・医学・機械工学・建築・製造・鉄鉱・繊維・燃料・造船・金融・インフラ・情報通信
ほぼ全てにおいて、中世のほうが劣っている。
そして何よりも「キリスト教」という一神教が、国家から個人生活までも支配し、
教義に基づいた管理主義・全体主義により、自由で華やかな文化・文明が花開けないようにされ、
発展するのは軍事技術ばかり
https://i.imgur.com/OsQ22co.jpg
そんな時代が約1000年も続いた。
まさに「暗黒の中世」だ。
これじゃ自由と個人の可能性を求めて十字軍に参加したくもなる。 >>806
あなたは高校生?
もしそうなら、とりあえず今の課題が終わってから、
ダンテの「神曲」をダイジェストでいいから読んでみることを勧めるよ
あの作品は、ルネサンスの始まりとされる物語であるけれども、
実は同時に中世の集大成でもあるんだ
欧州史というのは、理想と現実、思想と実践の葛藤と総合という側面が大きく関わってるものでもある
そして、或る大きな進歩が実現するその前段には、その進歩の前提と裏付けとなる広く深い蓄積と議論があるものなんだよ
ルネサンスにあっては、中世思想の深化がその前提になっていた
特に重要なのは、古代ギリシア思想とキリスト教思想の調和で、これにはアリストテレス思想を総合的にキリスト教思想に調和させた、トマス・アクィナス思想がある
「神曲」は、トマス・アクィナス思想によるギリシア・ローマ的世界観とキリスト教世界観の大きな総合が、その作品世界の基盤と背景になっているんだよ
そしてそれが、ルネサンス以降の(そして私たち自身がいる現代社会の世界観にも強くつながりを持っている)欧州思想の大発展の出発点になったというわけだ 神曲のダイジェストなら漫画で読破が手軽でいいぞ。kindleにもなってるから今すぐ読んどけ。
宗教に対する理解も浅い。人間に関心が無いでしょ。政治史だけで調べてるのかな。文化史も調べて、当時の人々がどういう心を持っていたのか考えてみたら。 あ、ダンテの「シンキョク」か
カラオケマニアなので、「カミキョク」に見えた 「九分通りはでっち上げですのに、それがどうしてこれほど退屈なのか、それが不思議です。」
E.H.カー”歴史とは何か”巻頭言より イスラムが寛容だという話もあるが、イスラム帝国内で他宗教を信じるにはジズヤという人頭税を払わなければならない。
ジズヤを払っても、ムスリム以外は差別される。
だが為政者にとっては、異教徒のジズヤは貴重な税収だった。
そのため異教徒のイスラム改宗を喜ばない空気もあった。
むつかしいもんだ。 イスラームは単なる宗教的信仰だけじゃないから
有名な話やけど金の貸し借りで利息をとったらあかんとか、民法刑法に近いような内容も多い
イスラームを規範とする国でイスラームを信仰しないことは国の法律を守らないことと同義
とはいえ非ムスリムがイスラム法に背いたからといって即処罰するのはさすがに可哀想やからイスラームへの尊重を示す限りにおいてはある程度自由にさせてやろうっていうのがイスラームの考え
そこでイスラームへの尊重の表象として課したのが人頭税なわけ
だから人頭税を払う=国に忠誠を誓うことになる
コーランか剣か人頭税か、っていう三択はすでにイスラーム国家が出来上がってる状況下では極めて合理的かつ寛容な処置 イスラムは当時としては画期的だっとは思う。
中国に留学してたときは食品衛生がひどかったが
イスラム世界では信仰心に訴えて例えば肉屋は
変な肉を出してはいけないことを規定している
あの時代に高い福利厚生を社会に提供した功績は
とても大きいと思う 基本的に世界宗教というのは特定の土地の神や
民族の神ではなく全ての存在の上にある形而上的
存在への信仰を求めている
だから世界宗教というのは基本的に世俗的な事柄には
距離を置いているけれどもイスラムは珍しく世俗へ
の関わりが強くて興味深い
儒教は宗教か否か議論があるけれど、あれを宗教と
するならばイスラムに匹敵する社会性をもった
形而上学だと思う
ただ神の権威(怪力乱心の権威)を用いないから
強制力に欠ける 日本だと儒教の本質が形而上学であることが
全然知られていないね
学校教育で論語などを読まされて一寸いいお話
みたいな感覚でいる人がかなりいる
儒教の世界観では観念の領域に物質的世界の雛形
があって、その影として具体的世界が存在している
と考える
だから道徳を守ることは世界のイデアに則った
生き方と考える
だから道徳は神(怪力乱神)が存在しようがしまいが
関係なく守るべきものとする >>814
>有名な話やけど金の貸し借りで利息をとったらあかんとか
本当は、キリスト教でも利息を取ってはいけないのだが、なし崩し的に無視されるようになっただけ まあ、どこの国でも、理想と現実は異なる
日本でも、憲法には軍隊禁止と書いてあるが、現実には自衛隊が存在している。
「現実に合わせて憲法を変えよう」という動きがあると、教条主義者が狂ったように反対するので、現実に合わせられない
それと同じ 「日本で憲法を制定して近代化が実現したのだから、他のアジア諸国でも」という動きは各地で起きたが、ダメだった
当たり前のことだが、いくら憲法を制定しても、無視されたら意味がない。
欧米と日本を除く国々では、すぐに形骸化してしまう。
宗教の戒律もそれと同じことで、言い方は悪いが、無視すればいいだけ。社会のコンセンサスができればOKだ。 ギリシャ哲学の合理的思考をしっかりと身につけた人にとって、キリスト教やイスラム教の教義は、はっきり言ってバカバカしい。
近代人に限らず、古代人でも、それは同じだ。
ギリシャ哲学を捨てて、キリスト教を取ったとき、欧州は終わった。
暗黒の中世が始まった。
イスラム文明圏においては、ギリシャ哲学とイスラム教を統合する試行錯誤が始まった。 >>822
何の話をしてるつもりなんだ?
宗教論? ニュースをググってみたら、武漢肺炎の死者をどう葬るかはイスラム圏で、
あるいはユダヤ教徒の間でも問題になってるようだ。
公衆衛生の観点からは火葬が望ましいが、
協議に反すると >>821
ちょい待ち
それ、キリスト教世界も、後からやり始めた
最初はプラトン思想や新プラトン思想の影響が強かった
アリストテレス思想の原典が入手しづらくなってたので、
アリストテレス思想との総合が為されるようになったのは後になってからだったけどね
イスラム圏を経由してアリストテレス思想を再導入したのが手始めだったけど、
当時のイスラム圏で、新プラトン思想書の一部が、アリストテレス思想書の一部であると誤認されたりしていて、
その辺りの徹底した原典の検討は、むしろ後から欧州のほうで進んだんだよ 10世紀位のバグダッドが、学問の都として最高だったと思う モンゴルがヒャッハーやってメタクソに滅ぼされたんだよな。
バグダッドの教育機関は
あちこちで大虐殺&文化の破壊をやらかしたモンゴルだが、
現代のモンゴルが自虐史観に陥っているという話は聞かない アラブ人ってイタリア人が黒髪・黒目になって日焼けしたような見た目 >>813
ムガル帝国みたいに王侯貴族など支配者層はイスラム、その他の大多数の平民はヒンドゥーみたいな場合だと
ジズヤでウハウハだったの? >>827
その後イラン・イラクを支配したイルハン国は次第にイスラム化していった
更にその後ティムール帝国でトルコ・イスラーム文化が花開いた 中原に入った異民族は大なり小なり漢化されるが
モンゴルだけは唯一漢化を免れた
ビザンツやイスラムやヨーロッパに接することにより
中国文明を相対的に見ることが出来たのが要因だろう 追い出されたから当然
なお内蒙古はだいぶん漢化された模様 元は中国を支配したのが100年にも満たなかった
清は山海関を越える前から既にかなり漢化していた上に
順治帝が漢文化マンセーだったから尚更漢化した みんな北元に逃れたかと思いきや中国に残ったモンゴル人もいた
祖先みたいに過酷な遊牧生活で暮らすのはもう無理ぽと言ってそのまま居座って
次第に漢族と同化していった 満州族は服装と髪型を漢族に押し付けたが、
自身は民族の言語を失ってしまった。
やっぱり科挙試験を満州語で受けるのは無理か ゴート族といい、女真族といい、
勇猛剽悍で恐れられた蛮族も
暮らしが贅沢になり、平和な時代が続くと惰弱になるのね >>835
西ローマ帝国滅亡後の欧州とは真逆だな
支配者層のゲルマン人が少数
その他大多数を占めるローマ人という点では一緒だが
イベリアでもガリアでもイタリアでも
次第にローマ人という意識は捨てれていった フランスはガリア人を直接の祖先として見てる感じ
ローマはあくまで支配者という認識 西ローマ末期で一番ブイブイ言わせていたヴァンダル王国だが
ガイセリックが亡くなった後はパッとしないね >>829
アクバル帝が人頭税を廃止したでしょ
>>831
モンゴルの場合、思想基盤をチベット仏教に求めたことも大きく影響した
これに伴って、例えば語彙の拡充のための外来語の導入についても、
チベット語由来の語彙が高級語彙や抽象語彙の多くを占めることになった
>>835
科挙と満洲語の関係については、公文書の翻訳担当者を選抜するための翻訳科挙だと、満洲語能力が当然必要とされたが、
そもそも漢人は、八旗に属していない場合、状元(科挙の首席合格者)・榜眼(科挙の次席合格者)以外は満洲語の習得そのものを禁止されていた
(ただしその反対に、漢人であっても、八旗に属していれば満洲語の習得を義務付けられていた) 後半になるとベルベル人の侵攻にも苦戦するくらいだしな モンゴル人は長くシャーマニズム信仰だが、チベット仏教にハマったのってやっぱ元から? 溥儀は満州語を喋れなかった
好きな食べ物はチキンラーメン >>804
ズバリできる
明確にそう答えてるハディースがあるで
しかし天国の夫婦関係ってどうなってるんやろか? >>843
モンゴル人については元朝の時代からだよ
ただし、チベット仏教にもいろいろ宗派があって、
どの宗派がモンゴル人の間で主流だったかは時代によって異なる セプティミウス・セウェルス「オラオラ」
ベルベル人「うひーん」
ムーサ―「オラオラ」
ベルベル人「うひーん」 ポルトガルやオスマン帝国に対する防衛戦では勝ってるのよねモロッコ >>815
中国では、回族料理(清真菜)の店って、
食品衛生の観点で、他の民族からも割りと信頼されてるんだっけね
料理の品目も結構旨そうなものが多いようで、清真菜、いつか食べてみたいと思う
日本国内には、清真中華料理屋さんって、あるのかな? 回族は元王朝の時にいた色目人の子孫
漢族と混血しまくってもうすっかり見た目は普通の中国人だがな カラカラがローマ市民権を安売りするから
兵士の成り手が激減し、金払ってゲルマン傭兵を頼る羽目になる
ローマ帝国滅亡の最初の戦犯 >>850
蘭州牛肉麺の店なら日本でも今どき珍しくないで
大阪なら大国町に清真中国料理の店がある
メニューの紹介でビールにぴったり!とか書いてるけど >>851
回族の出自はめちゃくちゃ多様やで
雲南省は色目人が善政を敷いたからイスラームに帰依した住民が多くて、彼らの出自は普通の漢族
彼らは信仰以外の文化は完全に漢族
https://i.imgur.com/ZrTIujc.jpg
https://i.imgur.com/LQpizuX.jpg
ちなみにこの集落の隣の村は元代に渡ってきた蒙古人が定着した集落
彼らはチベット仏教信仰は保ってるけど言語はハニ語と彝語と蒙古語を混ぜた「卡桌語」を話す
https://i.imgur.com/ZKc4FUY.jpg そういや、かの鄭和も元代に改宗したイスラム教徒の家系の出身だったな。
その生まれから、東南アジアからアフリカまでの航海で能力を発揮できた >>827
むしろモンゴルには歴史資料ないってよ
自国の歴史の資料を日本とかから仕入れてる >>840
西ローマ末期といえば、東ゴート王国でしょ >>835
満州人が自国語を失ったのは、毛沢東による虐殺が原因 >>844
そりゃ、移住して何百年もたつのに、まだ祖先の母国語を覚えてたらビックリだ >>837
ローマ帝国は「イタリア」じゃないからなあ
「イタリア」の形成が始まったのは、フランク王国が分裂した9世紀からのこと 「ヨーロッパはゲルマン人の民族大移動で大きく変わったのに、中国では異民族が漢化されたのはなぜか?」というのは、無意味な問い
単に、西洋史家は「民族大移動」の話を好むが、東洋史家は「異民族が漢化されました」という話を好むという、物事を見る角度の違いがあるだけ ケルト人やガリア人やトラキア人やダキア人はローマ化されたのに
なんでゲルマン人だけはローマ化しなかったのかという話 東ローマの頃になるとギリシャ人も自身をローマ人と思ってたの? ローマ人が来ようが、ゲルマン人が来ようが、我が道を行くバスク人 ブリトン人はラテン化しなかった
ゴート族やフランク族などゲルマン人はラテン化した
スラブ人はラテン化しなかった
南イタリアのギリシャ人はラテン化したけど
ギリシャ人とアラム人とエジプト人はラテン化しなかった エジプト人はジハードされてアラブ化・イスラム化したな
同じく征服された身でありながら今でもアラブを下に見てるイラン人とはかなり違う
外来政権ばかりで従順なのと
アケメネス朝・ササン朝などの世界帝国であったプライド
の違いなのか? ナポレオンもスターリンも革命の申し子だが
かたや世界史上最高クラスの英雄、かたや世界史上最悪の独裁者で完全に評価が真逆
ただどちらも辺境の出身
ナポレオンは「人間を動かす二つのてこは、恐怖と利益である」との名言を残してるけど
スターリンが用いたのは恐怖だけだったからな 愛知に生まれたら県外に出る気がなくなるな
仕事も娯楽も買い物も大抵のことは名古屋で事足りるし
それでも東京に住もうとするのは
名古屋で収まる器でないハイスぺか、なんとなく上京したいだけの情弱のいずれか >>860
ただ、そういう遠隔地での言語の長期残存例は世界的にも時々ある
現代語としては言語自体の再構築に近くなったけどヘブライ語の場合とか、
強力な大言語圏から物理的に離れたために結果的に移住地側のみ残存したシベ語の場合とか >>859
じゃあなんで国共内戦時に台湾に移った満洲人も満州語できひんの?
お前ちょっとは考えてからもの言ったほうがいいんちゃうかな >>860
ていうか、米大陸や大洋州の英西葡仏語は・・・
旧本国からも独立した国に(コモンウェルス諸国はやや微妙だが)なってるし >>852
兵士の成り手が激減したのは
ガッリエヌスがカタフラクトを軍の主力にしたからでは?
鐙無しでカタフラクトをやる事は誰でも出来る事ではなかった >>868
古代エジプト人も、広い意味ではアラブ人と同じセム語族。
イラン人はインド・ヨーロッパ語族で、系統が大きく異なる。
もっとも、アラビア語の中でも、エジプト方言は独特だとされ、「ほぼ別の言語」という人もいるが ガチの鹿児島弁は日本人でも何言ってるか分からん
元々、異民族であった隼人が住んでいた場所ではあるが >>873
移住してから何百年たってるんだよ
頭ダイジョブか? 「原住民を皆殺しにして、スペイン人が移住した」というイメージが強い中南米だが、実際には原住民がかなり多い 和人と蝦夷は言葉が通じたんだろうか?元は同じ縄文人だけど >>879
中南米はスペイン・ポルトガル人とインディオと黒人がセックスしまくりで混血の坩堝
一方、北米は多少の混血はあれど、白人は白人、黒人は黒人、インディアンはインディアン、アジア系はアジア系
という具合であまり交わらない
ラテン系とゲルマン系の気質の違いなのかね タキトゥス著書の『ゲルマニア』に
「ゲルマン人は他の民族との通婚を一切しないことから種族的な純粋さをよく保っている」
とある
森で暮らしていた頃からこの有様で、他の民族と交わって吸収するローマ人とは正反対だったようだ
ヒトラーはこの記述にある純血性をドイツの民族意識高揚に利用した 卑弥呼と弟が姉弟相姦だったってマジかよ?
あと古代エジプトもハプスブルク家以上に近親婚しまくりだな >>882
森で暮らしてたから、そうなったんだろう 森から出てローマ帝国内に移住して下級兵士や農民になったゲルマン人は
「もうこんな森の中での土人生活いややー」って感じだったの?都会に憧れる田舎もんみたいな? コロナは湿度に弱いから梅雨には終息するでしょ
現に高温多湿の東南アジアではコロナ流行ってないし >>887
インドネシアやシンガポールで流行してるけど?
あと、インドは統計見えないだけでヤバイ 嘘のような本当の話
WW2で鹿児島弁が暗号として使用されていた レス番881(中南米話)とレス番882(ゲルマニア話)って、コピペだろ
そっくりな文面、前に見たぞ 中世ヨーロッパの人は
自分が信じてるのは全部妄想じゃね?
って疑わなかったのかな >>888
ベトナム、タイ、ミャンマー・・などの途上国の衛生事情考えれば、
滅茶苦茶低い数字に見えるけど
インドも人口比で見れば、少ないと思う
シンガポールは、密室で冷房全開にしたのが災いした >>892
知識人が神父だけだし、どうしても思想が偏る >>890
かなり前からいる人
ここと軍板のスタスレと(他にもあるかも)でマルチカキコしてる。 >>892は自分の世界観が妄想かもしれない、と日々疑いながら生きてるのかね? 多くの宗教で自殺を禁じているのは奴隷の不足を防ぐため
辛いから死ぬわなんて考えを容認したら社会が回らんし >>900
武漢の伝染病は、今年の冬から始まったわけではない
それ以前は、中国政府が隠していただけ >>853
ああ、やっぱりハラール中華屋さんて日本にもあるんだな
いつか食べてみたいものだ 旨そう
料理材料としてはともかく、飲みたいお客さん向けには酒も出してる場合もあるんだな
まあ上の議論にも出てるみたいに、イスラム教圏のしきたりでももともと飲酒可否はかなり緩いことが多いし >>881
>一方、北米は多少の混血はあれど、白人は白人、黒人は黒人、インディアンはインディアン、アジア系はアジア系
>という具合であまり交わらない
ジョニー・デップ、ウェントワース・ミラーの家系図とか見てみ?コイツ一体何系なんだぜってぐらい混ざってるのだが
というか同一民族感で有史以来凝り固まって通婚してきた日本人って世界的に見ても異常だぞ この島国で単一民族という妄想に耽っている悲しい連中
それが倭人 民族とは共同体意識がその基礎たるものだから、自らの民族アイデンティティを「大和民族」に帰属していると認識しているなら、ほぼ単一民族で間違いはないんだよね
ただ、異なる民族アイデンティティを持つ少数民族がわずかに残っているのは確かだが
民族を種族的に見るのは決定的な定義認識の誤りだぞ >>864
ローマ帝国の支配下に入らなかったからじゃ
ローマ支配下にあった土地をゲルマンが占領した土地でその地の
言葉がゲルマン語になったのはイギリスだけ それはローマ滅亡後にアングロサクソン人が進攻してきたからだろう。
ローマ領ブリタニアのころ、住民がしゃべっていたのはラテン語か、それともブリトン語か ラテン語もブリトン語も両方話してたんじゃない?
特に禁止されてたわけでないし >>892
字が読める人が、ほとんどいなかったからねえ
疑問を持つキッカケが、なかなかないな ローマ帝国が崩壊して、文明や生活のレベルが明らかに低下した。
それを最も強く感じているのはイギリスなのではないか?
厳格だが文明開化をもたらすローマ帝国が撤退して、代わりに、粗暴なアングロサクソンが支配者になった。
「大日本帝国が撤退して、代わりに中国国民党がやってきた」という、台湾のエピソードを連想してしまう 細かい話だけどよく海外ドラマの翻訳でも度々そう表現されてる事もあるけど
ローマ時代のブリトン人ブリテン島を英国、イギリスと言うのはちょっと抵抗感ある
イギリスはイングランドを指す言葉だったから
ブリトン人の敵であったアングロサクソン由来を使うのはどうなのかと そう考えると、イタリアで医者150人死亡って恐ろしいな
言っちゃ悪いが、DQNや老人が死のうが国にはたいした影響ない
むしろ、プラスにすらなり得る
医者なんて超エリートの職業が若くして亡くなったら、相当な打撃だぜ? ブリタニア人が住んでいたところにローマが来て
アングロサクソンにデーン人、そしてノルマン人
ブリテン島はひっちゃかめっちゃかだな。
日本は縄文人が住んでいたところに弥生人が来たくらいか そんな状態から最後は大英帝国になって七つの海を支配する
なんてロマンやん そういやEU離脱したけどイギリスに大きな影響あった? 経済関係の条件はこれから詰める
今はいこう期間扱い >>915
ウェールズは仲間意識・連帯感が非常に強い
ウェールズに移住したサクソン、デーン、ノルマン人は、ほどなく皆ウェールズ人と同化した
この前亡くなったニコルさんもノルマン人が先祖だが、移住してウェールズ化したと以前語っていた >>640
ブリタニアは南のローマに征服されてるけど ウェールズ語は、ブリトン人の言葉の痕跡が残っているんだったか >>853
大国町の蘭州麺今まで食うた中で一番美味い
週に一回は行ってる
しかし、やっぱりあっちのほうの料理の常として辛いの多いから
食うた後は汗だくになってまう >>851
祖先どうこう抜きに単純にイスラム教徒になっただけの普通の漢人も回族には多いやろ 教会による、正しい医学。
中世の医療の中心は修道院だったが、1215年のラテラン公会議の禁令で聖職者が血に触れる事を禁止。
手術などという血で汚れた行いは、名誉ある聖職者でなく、床屋が行うべき賤業であるとされた。
医療とは聖職者が行う神への祈りであり、病は神の罰であり、行いを改め神に赦しを請うべきであり、
その結果死んでも、天国に行けるのだから死を恐れる必要はないとされていた。
これら正当な医療に反するものは、異端審問や神明裁判によって拷問・投獄・処刑。
新しく合理的な医療知識は、教会の教えに背くため魔術の類であり、教会が常に取り締まるため、
社会全般に広まる事は出来なくされた。
教会の外に救い無しとされ、実際に教会に逆らって街や村を追われれば、森の中の死しか残されていなかった。 >>917
欧州はいま、それどころじゃない
ジョンソン首相も病み上がりだ。
一時は、「ブレグジットを冥土の土産に」という状況だった アングロサクソン人が侵略してきたってなんだそりゃ
ブリテン島で混交して一体化するまで、アングル人とザクセン人は別物だぞ >>928
というか、今回の件で完全に「EUの存在意義とは」状態になっとるからな
相互協力も、移動の自由もかなぐり捨てた上、この恐慌寸前の状況で、イタリアスペインの窮乏をオランダドイツは見捨てる気満々という
これ、コロナ後欧州大混乱だぞ
英国は、また結果的にはうまくやった可能性が出てきてる >>908
スイス、バイエルン、オーストリアはローマ領だったけど
ゲルマン化して高地ドイツになった >>932
そういう歴史的な経緯のおかげで、「プロイセンより俺たちのほうがローマに近い」という、中華意識が抜けない 朝鮮人が、「日本よりウリたちが中華に近いニダ」というのと同じだ ベトナムは建国以来、北方の中華帝国には果敢に抵抗した。
だが中華文明は率先して取り入れ、他の東南アジア諸国には妙な優越感を持っている。
なんか屈折しているなぁ
もっとも中国に抵抗するからこそ、今回の武漢肺炎騒動ではいち早く国境封鎖して
感染を最小限に抑えた。
中国に妙な気を使って感染爆発させる国に比べれば… 高地ドイツはケルト民族の本拠地
ケルト世界はローマとゲルマンに
挟み撃ちにされて滅亡した ローマ帝国って、東アジアで言えば漢王朝だよね
民族大移動って、五胡16国だよね
もしもシナ世界がそのまま分裂したままだったら、
華夷秩序みたいなものはガチガチにならなかったんだろうか。 >>938
そう、古代帝国が崩壊して、民族大移動で群雄割拠になったとこまでは、東洋史と西洋史は似たような展開だった 展開が大きく変わったのは、やはり、東アジアはモンゴル帝国に大統一され、ヨーロッパは征服を免れてからだろう モンゴルが存在したことが中華という大圏を成さしめたってこと? 明朝の役人がソウルに来たら、朝鮮国王は土下座してお出迎え。
清朝になると、役人は王宮の表門から入り、朝鮮国王は裏門から入るようになった。
こんな華夷秩序は、モンゴル帝国から始まった。
北京の支配の厳しさは、古代・中世の緩い王朝とは別次元。 一部の人間が使う『ネトウヨ』という言葉って、要するに昔の『反動分子』なんだな
いずれ粛清すべき対象として、自分に意に沿わない人間にネトウヨのレッテルを貼りまくる おまけに意味不明だしな
モンゴルから華夷秩序がはじまったとか頭おかしい 日本の年齢階級別死亡数・重症者数(4/27現在)
世代 世代人口 死者数 重症者数
20代以下 3,400万人 0 5
30代 1,500万人 2 7
40代 1,900万人 5 38
50代 1,500万人 12 53
60代 1,800万人 29 95
70代 1,400万人 75 72
80以上 1,000万人 141 35
参考 イタリア死亡数(4/28)
全人口 6,000万人 26,977 ネトVSパヨのブンドドを強迫的反復的に行う障害者それがアフィカス アフィはどこでも嫌われるけど
なんでもかんでもアフィのせいにするのは嫌儲独特かな 西欧が技術・インフラ面で古代ローマに追い着くのって19C後半あたり? 技術だけならゴシック建築ですでにローマ建築より技術的に高度やけどな >>946
>自分に意に沿わない人間にネトウヨのレッテルを貼りまくる
『パヨク』も同じ ローマ帝国最盛期の頃には高かった民度も中世になると最近のこのスレでの流れみたく
下がっていったんやろな(´;ω;`) 文明はコンスタンティノポリスで維持されてたけど
そっちも民度は低下してる >>958
17〜18世紀位かなー
元に戻るまで約千年とは言われてる(T_T) 中世ヨーロッパはガッチガチのキリスト教原理で文明が停滞した。
東洋に当てはめれば、それは儒教ということになるのかな
李氏朝鮮はガッチガチの儒教原理
解釈の違いを巡る見解は宮廷を2分する派閥争いに発展する
民間では商人や職人が軽視され、商業や工芸が発展しなかった。
仏教国だった高麗時代は、工芸や商業がある程度発展していたのに。 近代に入るとゲルマンのほうが先進となってラテンはフランス・北イタリア以外
パッとしなくなった感。
そのフランスだが,革命が起こらず王政が続いてたとしても19Cには技術や産業が
発展してたのやら・・・ 俺はこのスレ見て本を読んだら、中世にキリスト教の戒律主義が強いというイメージが無くなったけど。 それと、原理主義という言葉も何を持って原理というのか分からなくなった。戒律主義という言葉の方がより近く感じる。 >>799
不思議な話だ
金髪の人間が文明的に劣っていた時代でも金髪のほうが上というのは >>802
他の宗教の天国は「嫌なことから解放されます」だけだから、
戦う動機としては弱いんだろうな ちなみに古代ローマ時代のイケメンの条件は(細身で、女と見紛うほどの優男)
現代の日本の女が好む、ホストや少女漫画の男キャラ同じだ。
古代ローマにコンピューターゲームがあったら、
FF7リメイクのクラウドやセフィロスは大人気だったろうなw アメリカはマッチョ嗜好
ゲルマン(アングロサクソン)由来なのか 金持ちの旦那はゲルマニアの女奴隷を寵愛したのかな
有閑マダムはゲルマニアの金髪奴隷を若いツバメ(死語)にしたのかな。 ゲルマニア属州?のローマ軍兵士はゲルマン人妻を娶ってる奴も結構いたらしいぜ ギリシャ彫刻って結構ガチムチに描かれるけど
ギリシャ人ってこんなにガタイ良かったのか?(スパルタとかはともかく)
このモデル、ゲルマン人やダキア人じゃないの?と疑ってしまう >>971
キリスト教原理主義はむしろ近世以降のプロテスタントとかの方だわな
無理やり朝鮮下げに持ってきたいだけで相変わらず言ってることが滅茶苦茶だよw 同じカルヴァン派でもフランス語圏のユグノーは産業発展の担い手となってる
イメージあるのにイングランドのピューリタンはそうでもないような・・・
にピューリタンってイングランドや新大陸での産業発展に大きく貢献した?
>>978
フェリーニのサテリコンに出てくるジトンみたいな子か >>988
その反発からプロテスタントがおこって当のカトリック側からもイエズス会が生まれてるな >>968
んなバカな。
17世紀っていったら、デカルト・パスカル・ロックの時代だ。バリバリに近代だよ。
いくらローマ帝国が古代にしては優れていたとはいえ、さすがに比べるのは無理がある。
ローマ兵は、銃をバンバン撃ち合っていたのか?
ローマの学者は、紙に印刷された書物を読んでいたのか?
ローマの商人は、帆船で地球の裏側まで商売してたのか? 俗っぽいともいえるし、戒律以外の古い慣習を残してるともいえる。
日本人が宗教というものに対して、西洋人以上に厳格・戒律的なイメージを持っているのが理解の妨げになってると思うよ。このスレの住人ですら硬すぎる。 >>994
ローマ帝国を超える帝国(スペイン帝国)が現れたという点ならコロンブスのアメリカ到達の1492年とちゃうんか? 李王朝への偏見はネトウヨ史観
どこかの愚か者が創作したコピペを真にうけているんだろう
江戸幕府は朝鮮通信使を派遣して学を仰いだ 李朝の通信使は、京や名古屋、江戸の繁栄に嫉妬したW このスレッドは1000を超えました。
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