オットー・クレンペラー Part26 [転載禁止]©2ch.net
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巛ミヾヾ \
/ ミ ヽ オットー・クレンペラー Otto Klemperer (1885-1973)
f, ミ }
┏v'┳_━━━ r、 | この偉大なる変人について、引き続き語りましょう。
yバノ゙’' ̄ ''' } }゙ }
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(" ` ! _/ ◆前スレ
\ _,. -‐ '  ̄ ! _ オットー・クレンペラー Part25
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◆EMI ディスコグラフィ
http://www.emiclassics.com/artistbiography.php?aid=56
◆TESTAMENT
http://www.testament.co.uk/
◆OTTO KLEMPERER (ディスコグラフィ、関連文献紹介、作品紹介など)
http://www.klemperer.org/ クレンペのブラよんは、最終楽章がもうちょっと
よくってもいいんじゃないかと思う
他の追随を許さないのは、真夏の夜の夢のライブとか >>41
>クレンペラーを超える演奏をした別指揮者を挙げなきゃいけないような気がする。
そんなのは何種類も有る
逆にペラーが一番だと思うのなら、自分はキチガイと仲間なんだと自覚しなければならない バイエルン真夏の結婚マーチはヤバいよ
会場が爆発してちんけな新郎新婦共々吹っ飛ぶわ
テロじゃないすからね クレンペラー 200cm ラフマニノフ 198cm
クナパーツブッシュ 193cm フルヴェン 185cm
当時はフルヴェンでさえ大きく見えるのに、あとの3人は巨人と言うレベル。 シェーンベルクもチビだしユダヤの巨人って珍しくないか。
ヒンデミットを見下ろすカリカチュアからするとヒンデミットも相当チビだなw >>47
カラヤンは170cm ドイツ人としてはチビ。
声も細くて、女性的だ。
クレンペラーは、指揮台から落ちて怪我してからは、座って指揮をしていた。
椅子に座っても、立って振る指揮者と同じ手の高さだったそうだ。
若い頃のクレンペラーが立って指揮をすると、第一バイオリン前列の人は首が痛くなったそうだ。
長身のフルトヴェングラーは弦の前列の人たちのために、手をブランと下げて指揮をしていた。 >弦の前列の人たちのために、手をブランと下げて指揮をしていた
そんな頭悪そうな姿を晒すより、台を低くすれば良かったのにな w クレソは文章読むとフルヴェンには到底かなわない素人文章だけど、
演奏聴くと、それこワルター=バースタイン型ユダヤとは真逆の、論理的・数学的思考に長けた
スピノザ=マルクス=フロイト=アインシュタイン=レヴィ・ストロース型のダヤの天才の一人だと確信する次第。
しかも本人は、自分は学業成績優秀だったけど、数学だけは苦手でカンニングしてたと
告白しているところがなんともw要するにわけわけめ。 動きの速いチビと、ゆったりした巨人の違いだけだよ。
ドイツ人の巨人クナーパッツブッシュも、クレンペラーとスタンスは同じだ。 俺はブルックナーこそクナとかシューリヒトよりクレぺが好きだよw。
あんな深い9番なんてどこにも聴けない。衰えなんて関係ない。 Otto Klemperer conducts German Opera Overtures
何度聴いても至高の名演集 ブルックナー9
ベト ミサソレムニス
メンデ スコットランドの両盤
ベートーベン 第九 第十(ブラームス1)
マーラー2.4.7.9
シューマン4
ブラームス2.4
これらについては、決定盤といってもよい。
一つ残念なのは、クレンペラーがユダヤ人グループであることだ。
音楽もユダヤ人に支配されているから、やむを得ないかも知れない。
好きな音楽家の過半数がユダヤ人である事実は、悲しいものがある。
もっと色んな民族の人が世界に君臨してくれれば良いと思う。 ヘイトスピーチまがいはいくないぜよ。
昔、ユダヤの音楽家は皆浅い、マーラー、ワルター、バーンスタイン、そしてクレソ。
そこが我がドイツ純血フルヴェン、クナと違うところだ。
とすっげえ論評を読んだことがある。Uじゃなくってたぶん弟子筋ねw クレンペラーも好きだけど、クナがもっと無骨で好きだな。
オイストラフ大好きだったけど、オイストラフもユダヤ系なんだってね。
リヒテルはドイツ系。どちらかというとリヒテルに親しみを感じる。
人種民族を離れて音楽を聴きたいけど、これまでユダヤ人寡占の状態になると、複雑だ。
ユダヤが嫌いと言う意味ではなく、金融 情報通信をはじめ世界の全てが支配されている現実を見ると
ユダヤ系以外の人たちに頑張ってほしいというのが本音だ。
クレンペラー先生が、別の民族だったら、もっと感動が大きく傾倒していただろう。 国を持たなかったからな。依拠するなにかが必要だった 華僑がグループを作るように、ユダヤ人もネットワークを持っている。
ユダヤ人であることが音楽家にとって有利だったし、これからも有利だろう。
ユダヤ人でない人が一流になることは、ユダヤ人が一流音楽家になる何十倍も難しい。
世界中に、一流の実力を持ちながらも埋もれている音楽家は数千人いる。 そーだね
クレンペラーがユダヤ人でなかったら、第二次大戦中ナチス・ドイツで活躍して
戦後追放されていたかもねw 耳の肥えてたナチスで、それは無いな
音楽的に田舎のイギリスで一寸活躍したのが精々 自分をバカに見せて下から煽るってのはなかなかできないことだぞ ドイツ人の論理的で思弁的な特徴を受け継いでいるのは、クナじゃなくてクレだと思うの。 クナとクレンペラーが比較されるのは、どちらも巨人で哲学的に音楽を捉えていたからだ。
テンポは揺るぎなくスケールが大きく、感情移入や観客受けを一切廃した。
クレンペラーもユダヤ系ドイツ人で、思想的土壌はドイツ哲学にあった。
大地の子が、日本人でありながら中国の大地に自我同一性を見出したと同様、
クレンペラーは、ドイツ古典ロマン派に、彼の真髄を見出した。
ユダヤ系の血を継ぐというだけで、精神的にはドイツ人だ。 ユダヤ人排斥の感情は、惧れから始まっているのでしょ。 しかしコイツら、自身の知的水準の低さを競い合って、なぜ恥ずかしくないんだろう??
恥ずかしいとは何かを、いまだに知覚できないのだろうか。
だとすれば、無知という用語の定義そのものなのだが。 音楽にはノリが重要であり魅力である。余人が真似できぬようなノリノリのきらめく才能に人は魅せられるものだ。
しかし再生芸術の演奏家はノリノリになるとノリに不要な渋滞する楽想を振り落してしまう宿命を負う。それはいつまでもノリノリではいられない飽きの早さにもつながる。
一見音楽にノリノリにならないクレは謂わば振り落したものを拾うようにみせてくれる。飽きて魅力が減退した曲を振り向かせリフレッシュする技量が認められる。 >>78
何を言いたいのかよくわからんし、もっとクレンペラーと結びつけて、解り易く説明してほしい。 クレ爺が子供のように?可愛かったブーレーズ
爺さんよりさらに長生きしたんだな
合掌 ブーレーズの演奏に感動したことはないね。
爺より長く生きたのだから、晩年だけでもいいから感動させてほしかった。 君に感動するだけの感受性も音楽性もないのだ
諦めろ クレとクナに感動してるんですけどね。
ブーレーズは器用過ぎて、本当の音楽を知らないのでは? 偶然かもしれないけど、身長が低い指揮者 且つ ユダヤ系の指揮者には感動しないんだよね。
クレンペラーはユダヤ系だけど、身長が高いので別格。 ブーレーズ氏のまら7かけながら作業しとるのだが、
ほんとクレ氏のコクのようなものはまるっきりないですの。
もっともクレ氏のあのまら7と比肩するものはこの世にないわけですが。。。 お前が指揮してこい
ペラーと双璧に為る事間違い無し 俺は基本的にクレンペラー、かなり好きなんだけど、
バッハのロ短調ミサはダメだわ。
とにかく気味が悪い。
生理的に受け付けない。
曲自体が嫌いになるレベル。
どうしてなんだろ。 クレ爺最愛にして唯一自分の録音を聴いた特別な曲だからじゃね ラストチョイスになるがファーストチョイスにはしない方が良い演奏が多い モーツァルトの序曲集を聴いたが、相変わらず音圧がものすごいな
あの厚みのある音ってどこから出てくるんだ?? ブーレーズと違ってチューニングに五月蝿くなかったからじゃないの? 対話翻訳者佐藤章氏が生で聴いたブル8をヨウツベで聴く。
素晴らしい。だがしかし、評判最悪のブル8の至高の境地には及ばない。
クレソ最期の6年ぐらいは、もうほんと人間離れしちゃった。 事情は知ってるけど、この人が60〜70年代にイギリスのオケじゃなくて
ドイツオケの常任だったらなあ・・・と、バイエルン放送響との名演ぞろいのliveを聴いて思うのでした 下手すると演歌みたいになっちゃうブル7の
デレンコ無しのの厳しい造型と透明な音の世界は好きだなー
もちろんPO盤 レコ芸立ち読みしてきたが、シュトラウスとワーグナーで爺さん大健闘だな。
もう一人のKと争う場面が多くてだいたい負けるw
ジークフリート牧歌とヴェーゼンドンクは堂々の一位。
しかしメタモルフォーゼンにワーグナー管弦楽集にウェーバー序曲集ときて、
もう一人のKのが良いという人がいるんだな、すんませんw レコ芸は我々原理主義者のバイブルですから
無能者からはバカに見えたとしても赦しを与えてさしあげるますです レコ芸見ながら真空管アンプでクレンペラーを聴く
これに勝る楽しみは無いのでございます メタモルフォーゼンは爺が別格としてシュトラウスはKが好きだな
もっともR・Kempeさんのほう Klemperer Karajan Kempe Kenichiro Kobayashi が指揮界の5大K だな カイルベルトとかクーベリックとか他に無限にいるだろ・・・スペルかけなくて申し訳ないが クライバーやクリップス、クレツキ、クラウス、ケーゲルは? ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
クレンペラーと¥、セルとオイストラフとの共演を続けて聴く。
やっぱ前者が断然好きだ。
ブラームスの交響曲は淡々とした印象が強いが、こちらの濃厚なロマンと英雄的な高揚感は、
クレソとしても滅多に聴けない。扱いにくいフランスのオケを相手としたからだろうか。 バイエルンの復活
よく言われる冒頭のヌルさ以外はさいこ ようつべで聴いただけだがバイエルンとのベト5には驚愕した。このCD今廃盤なんだよな。 ショルティの冬の旅の予約あるから行けないんだよ、ごめんねフィースカウ君。
クレ歴何十年、ようやっとこの辛辣なギャグの意味がわかた、すんませんw いやー64年伝説のブル8久々聴いた
一番凄いのは爺様が大カットして顰蹙買ったあの部分だたよw >>117
> 一番凄いのは爺様が大カットして顰蹙買ったあの部分だたよw
ノヴァーク盤のスコアだと何小節目から何小節目まで? ワルキューレ第一幕は、低弦の凄みと両翼の魅力、録音の良さでオススメします 巨匠とは呼ばれてるものの
現代で通用するレベルに達してないね
特にアンサンブル
ヘレヴェッヘの方が偉大だと思う 実際クレソのロ短調ミサとヘレヴェッヘのロ短調ミサ、
クレソのミサソレとヘレヴェッヘのミサソレ
比べてみ?
ロ短調ミサはクレソはもちろんスタジオの方、ヘレヴェッヘは2度目か、3度目の録音の方ね じゃあアンサンブルが整ったやつをせっせと聞いたらよかろう >>124
おめでとう*.゚゚・*:.。..。・:*.゚(n‘∀‘)η*.゚゚・*:.。..。・:*.゚ ヘレベのロ短調は生で聴いたけど確かによかった。
予習はクレンペでやった。復習もクレンペでやってる。 キチガイでも本物中の本物だと1回転して限りなく天才に近付くんだよ。
だから本物の天才ではない。 ワーグナー、フルトヴェングラーと並ぶエロジジイであることは間違いない だからさ、
ユダヤの2つの系列のうち、情緒纏綿系とは真逆のグノーシス系、
すなわち、スピノザ、マルクス、アドルノ、ベンヤミン、レヴィストロースの天才系ラインに位置するのがクレソ。
説明はできないw ネタかと思ったらコーホー氏ついにお別れなんか。
さしてクレソに思いれのある方ではなかったので、喜多尾先生なんかとはすれ違いが激しかったが、
それでも、クレソ無関心無理解がまかり通る我が国のクラ批評界においては、局地的にせよ
(誉めるのがドイツ本流ではなく、新世界とか幻想とかそういった類)、クレソ宣伝に貢献してくださいました。
合掌。 宇野さんは晩年様式を評価していてその中に出来不出来があるというスタンス
実際躁鬱の状態などでむらがあったのは事実
ベートーヴェンは1959年以降が晩年様式、推薦は5番7番のスタジオ録音、BPOやVPOとのライヴ
60年ベトチクとマーラーの評価以外は妥当な見解ではないだろうか 宇野なんかどうでもいいわ
ホントに自分の耳で聴くことが出来ないんだな、おまえら >>ホントに自分の耳で聴くことが出来ないんだな
LPは高かったし、廃盤も多かった。ましてや今のようなネットもなく。
自分の耳で聴くことは簡単にはできなかったんですよ。
そんな時、宇野さんの批評はとても参考になったんです。 その代りクレソのブルックナーはクソという認識を広めたがな クレンペラーのブルックナーを良くないと思う神経が理解できない
ウィーンとの5番なんて神がかってるだろ EMIの第8番を受容できなければ、クレンペラー好きとは言えぬ 響きがクレンペラーにしては弱々しいのと、例のカットが妙なのを除けば、8番も悪い演奏ではないよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています