邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part15
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「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
”女王国の以北に一大率を置き特に検察す。諸国は之れを畏れ憚る。常に伊都国を治むる。國中に於ける刺史の如く有り。”
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。
(そのため)諸国(の使)は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。
(大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を監視している。
(大率とは)国中に束ねる(魏の)監督長官のようである。
三国志の記述では前節が後節に掛かっている。
よって諸国が畏れている(諸國畏憚之)のは前節の一大率。
監視されている伊都国(常治伊都國)は前節の諸國。
つまり女王国の北側に設置された一大率が諸国の一つである伊都国を監視しているということ。
言い換えれば伊都国は女王国に属する諸国の一つで一大率に管理されている国。 コレで解決↓!
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。皆女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に留まる所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は諸国の一つである)伊都国に役所を常設した。(一大率とは魏の)長官と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國の一つとなる。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であったため、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する諸国の一つであり、女王国にはなりえないのは明白となり、
一大率は伊都国に常設した役所を女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 .
◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
縄文末に弥生人が渡来したとき、彼らは龍信仰を伝えませんでした!
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. その無駄なドットと無駄な改行は何なん
内容そのものも無駄だが >>213
注意力ゼロの低知能の考古学不適合者にはなw
見る人が見れば、ダイアモンド級の価値がある材料 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1534419766/799
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
女王国より北の国々に対しては、一人の大率を特設して検察している。
北の国々は大率を畏れ憚っている。
大率の役所は伊都国に常設してある。
中国本土における刺史のような「検察官の役目」を果たしている。
・里程部分で既に地方官の説明がなされている
・自女王國以北とあるので、女王国よりはもっと北の諸国に焦点がある
・大率の業務についての説明は検察官のものだけ
・三国志では「治+場所」はその場所に役所を構えるという意味が多い
女王国=邪馬台国の首都である伊都に、
邪馬台国政庁(国会議事堂:女王卑弥呼や大臣達)
伊都国都庁(都庁:都知事爾支と部下たち)
大率執務室(検察庁:検察官大率→北方諸国巡回でほとんど伊都にはいないが)
などなどの重要官庁が集中していた。
刺史は本来は領地を持たないただの「検察官」であり、
首都から派遣されて各国を巡回し、年に1回首都に戻って報告していた。
大率の職務も同じ検察官。
中国大陸は広いので、報告するに刺史本人でなく使者を立てるようになり、
本来の地方官と居座った刺史の二重権力を解消するために、結局は刺史や牧が地方官になった。
邪馬台国とその北の諸国であれば、対馬海峡を行き来するだけだから(水行10日)、
大率は伊都国に執務室を構えて、そこから各国へ行き来して検察していただけ。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や郷土愛に狂う糸クズ、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>>218
岡上氏の悲しい一日
「治」を誤読して、>常に伊都国を治むる と大々的に多スレ発表
>(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
↓
「治」は支配する、じゃなくて、役所を置く、の意味だと指摘される。
↓
さらに勘違いして、
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
と世紀の珍訳w
↓
「A治B」はAが何でもいいから役所をBに設置した、じゃなくって、
AがA自身が働く庁舎をAの自領であるBに設置した、の意味だぞと指摘される。
↓
癇癪をおこして、多スレにキチスレage連打
岡上氏は考えるのをやめた・・・
粋ってた当初の岡上氏
>伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
>反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
>ほら、九州説がまったく反論できなくなった
>早いわー
これぞ国宝級のなんとやら 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
>>220
岡上氏の悲しい一日
「治」を誤読して、>常に伊都国を治むる と大々的に多スレ発表
>(一大率は)常に(諸国の一つである)伊都国を治めている。
↓
「治」は支配する、じゃなくて、役所を置く、の意味だと指摘される。
↓
さらに勘違いして、
>(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。
と世紀の珍訳w
↓
「A治B」はAが何でもいいから役所をBに設置した、じゃなくって、
AがA自身が働く庁舎をAの自領であるBに設置した、の意味だぞと指摘される。
↓
癇癪をおこして、多スレにキチスレage連打
岡上氏は考えるのをやめた・・・
粋ってた当初の岡上氏
>伊都国に関する魏志倭人伝の解釈は↓で正解だよ
>反論したけりゃ明確な根拠を示さねばならない
>ほら、九州説がまったく反論できなくなった
>早いわー
これぞ国宝級のなんとやら 結局九州説のが正しいから文献でも考古学でもまともに議論したら九州説が勝ってしまう。畿内説は議論放棄して見苦しくテンプレ連打するしかない。 .
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約6500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
. 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>221
おや?ひょっとしてキナイコシにカン違いさせてしまったか?
つか、キナイコシは原文を全然読まずに反応してるだろこれ。
>>227
>☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、東武陽県に役所を置かせた
これは意訳だぞ。
袁紹が太祖に任命したという流れだから、使役形でまとめてあるだけだ。
直訳ならば、
>袁紹はそこで太祖を兗州東郡の太守に任命することを発表し、
>(兗州東郡の太守に任じられた)(太祖は)東武陽県に役所を置いた。
となる。
袁紹因表太祖爲東郡太守 治東武陽
自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
並べたらよくわかるが、
女王国が一大率を設置して、一大率が女王国中心の伊都国に(一大率の勤める)役所を置く。
袁紹が太祖を任命して、太祖が兗州東郡中心の東武陽県に(太祖の勤める)役所を置く。
帯方郡治などのキナイコシの個人的願望妄想が突然入る余地は無い。
あと、それくらいお前も自分で調べろよだが、治で置く役所は、自分の管轄内の中心地。
だから伊都はほぼほぼ女王国の首都。 ↓直訳に直しておく。
こうやってみると
役所を置く意味で書かれたものは、主語が自分でやっているが、
治めるで書かれたものは、使役系なのだな。
しかも司隸校尉だからこれは統治という意味ではなく、
治安を守らせたとかの意味かもしれんな。
2つしかないからなんとも言えんが。 ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名(A)」は24か所。
“Aに役所を置いた”の意味で使われた例 ☆22
"Aを治めた"の意味で使われた例 ★2
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖を兗州東郡の太守に任命すると発表し、太祖は東武陽県に役所を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡の太守に転任させ、臧洪は東武陽県に政庁を置いた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔は)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている。(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下が先主を荊州の牧に推し立てたので、先主は公安県に役所を置いた
☆治成都 (先主は)成都に役所を移した
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌の都尉(6県)に任命して、太史慈は海昬県に役所を置いた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧の任務を行い、公安にその役所を置いた。
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 孫策が程普を呉郡の都尉に任命したので、程普は銭唐に役所をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、呂範は建業に役所を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 (孫慮に)政府を開設させて、孫慮は役所を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 ☆★☆生データ☆★☆
三国志に出てくる「治」は433文字。「治+地名」は24か所。
うち22例にて、"設置者(A)+治+地名(B)"は、
「Aが自らの役所を(Aの管轄域の中心地である)Bに設置した」の意味。
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖を兗州東郡の太守にすると発表し、太祖は東武陽県に役所を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡の太守に転任させ、臧洪は東武陽県に政庁を置いた
☆郡所治廣武 郡の庁舎が所在する廣武
☆治廣ィ如舊 (閻柔は)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 劉焉は綿竹県に役所を移した
☆焉徙治成都 劉焉は成都に役所を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 臣下が先主を荊州の牧に推し立てたので、先主は公安県に役所を置いた
☆治成都 (先主は)成都に役所を置いた
☆先主爲漢中王遷治成都 先主は漢中王になると、成都に役所を移した
☆移治味縣 (馬忠は)役所を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の役所は古くから壽春に置かれていた
☆繇乃渡江治曲阿 劉繇は長江を渡って曲阿に役所を定めた
☆權徙治秣陵 孫権は役所を秣陵に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌(6県)の都尉に任命して、太史慈は海昬県に役所を置いた
☆劉備以左將軍領荊州牧治公安 劉備は左将軍となって荊州牧を拝領し、公安に役所を置いた
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 孫策が程普を呉郡の都尉に任命したので、程普は銭唐に役所をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏の太守になって、沙羨に役所を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊の太守にして、呂範は建業に役所を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵・西陵・夷道・樂鄉・公安の軍事担当となり、樂鄉に役所を置いた
☆假節開府治半州 (孫慮に)政府を開設させて、孫慮は役所を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 呉興郡を新設して、烏程に役所を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉に関中を留守統治させる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 自女王國以北=女王國を含む
伊都説〇
北の諸国(対馬海峡以北の国々
女王国(伊都が首都=一大率あり
vs
南に狗奴国
自女王國以北=女王國を含まない
筑後や朝倉説〇
北の諸国(筑前以北の国々、中心の伊都国に一大率治所
女王国(筑後や朝倉
vs
南に狗奴国(熊本など
キナイコシ×××
北の諸国(伊都を含む諸国、中心の伊都国に一大率治所
女王国(南部九州〜キナイコシ ←東西に長いじゃーん×××
vs
南に狗奴国 ←キナイコシより南に敵ってどこよ××× 自女王國以北=女王國を含む
伊都説〇
北の諸国(対馬海峡以北の国々
女王国(伊都が首都=一大率あり
vs
南に狗奴国
自女王國以北=女王國を含まない
筑後や朝倉説〇
北の諸国(筑前以北の国々、中心の伊都国に一大率治所
女王国(筑後や朝倉
vs
南に狗奴国(熊本など
キナイコシ×××
北の諸国(伊都を含む諸国、中心の伊都国に一大率治所
女王国(南部九州〜キナイコシ ←東西に長いじゃーん×××
vs
南に狗奴国 ←キナイコシより南に敵ってどこよ××× 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 ふむ。
伊都説は、刺史は検察官であって、その庁舎が伊都国にある。
そして刺史は伊都国を拠点にして、女王国ならびにその北にある国々を検察して回っている、ということじゃな。
畿内説は、刺史を行政府と捉えて、その官庁が伊都国にあるとしている。
刺史なるものの担当領域は州であり、その下にいくつかの郡、さらにその下にいくつかの県がある。
魏志倭人伝は読んだかの?
帯方郡は郡じゃから、その長は太守じゃぞ。
郡治を治するのは太守。
州治を治するのは州牧。
おぬし恥ずかしいぞい。
刺史はあくまで監察官じゃから、自らの役所を治することはあれど、
州治を治する権限があったかどうか。
大それたことよのう。 あんた、異常に無知だね
州牧と刺史は互換だぞ
刺史が力を持って州牧となり、藩鎮化したので刺史に戻しただけ
倭人伝の時代は刺史に戻ってる 田舎は遅れるし、陳寿がどちらのつもりで書いたのかはわからない。 あんた、異常に無知だね
陳寿の時代の刺史は州牧を改称したもの .
◆中国の釜
中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釜
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E9%95%B7%E6%B1%9F+%E9%AC%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa
アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww
http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E8%B6%8A%E5%BC%8F%E9%BC%8E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
. 伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
解説:
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は漢代では監督職であったが、魏代には長官職であり、
伊都国には爾支という長官が存在している=長官と同職の一大率は伊都国の長官ではなく、女王国の長官である。
加えて刺史は魏国内の刺史「部」に務め、魏の植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
結論:
郷土愛に狂う岡上を筆頭に思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の長官であることに疑念の余地はない。 >>242
たしかに〇〇州牧と△△刺史が一緒に出撃したりしとるな .
(8)蒸して食べる
7000年前 中国に起源
最近、タジン鍋やシリコンスチーマーといった、油を使わずに調理できる蒸し調理器具が話題になっています。
モノを蒸す調理法は、形を崩さずに素材の持つ美味しさをそのまま生かせるだけではなく、お酒やお茶を
作る際にも欠かせない調理法です。
この「蒸し調理」、実は東アジアで発達した調理方法なのです。
蒸し調理の起源は、今から6000〜7000年前の中国新石器時代にまで遡り、黄河流域の遺跡から、
粘土で作った蒸し器がわずかながら発見されています。それ以前は、ゆでる、煮る、焼くといった調理法が
基本だったと考えられています。
日本へは中国東北地方、朝鮮半島を経由してこの調理法が伝わりました。最初に蒸し調理が行われたのは
3世紀頃の北部九州。福岡市の西新町遺跡から土製蒸し器が出土しています。実に4000年余りの時を経て、
ようやく日本にまで到達したことになります。
しかし、この後、日本では蒸し調理は廃れ、全国的な普及はそれから数百年後のことでした。
今では日本料理とは切っても切れない蒸し料理。普段、何気なく接している蒸し料理にも、
数千年にわたる人々の営みが隠されているのです。 http://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2014/04/tanken08.html
◆7000年前の江南の河姆渡遺跡の竈(=火へんに土)と釜と甑
http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
. .
7000年前から中国では炊飯するのに、釜と竈(=火へんに土)のセットで炊く、
鼎で炊く、さらに甑を釜にセットして蒸し上げる、という3種類の炊飯方法があった。
ところが縄文末に渡来した、いわゆる弥生人は渡来時に釜も竈も鼎も甑も何一つ伝えなかった。
弥生人は弥生末の3Cに甑が半島から伝わるまで甑で蒸し上げて炊飯する事を知らなかったのだ。
中国には7000年前からある甑で蒸し上げて炊飯する方法を弥生末の3Cまで知らなかったのだ。
同じく中国には7000年前からある竈も釜もそれまで知らなかった。
弥生人が中国からなんて2兆%あり得ないね。
. >>245
なーるほど!
一大率の最重要拠点(三国志での治で置かれる拠点は本拠)が伊都国
つーことは、一大率が担当する地域は伊都国周囲
つーことは、女王国はその南だから、
筑後平野だったのだな。納得。 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>249
大率が監督したのは対馬海峡だろうけど、伊都国や奴国の南と言っても様々で、筑後と決めてかかるなよ。
狗奴国(菊池平野を含む)が近すぎて、引きこもり女王にはチト厳しい環境だ。
やはりここは大宰府あたりが適当。 >>250
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 大宰府は筑前平野と筑後平野のちょうど中間なんだよな >>251
太宰府については自分もいろいろ調べているが、
弥生時代の遺跡に乏しいんだよね。
今のところの印象は、栄えていた北部九州倭国が、朝鮮半島で劣勢になってから内陸に遷都してから開発されたんじゃないかと。 >>254
いや大宰府はあれ以上下を掘れないのよ
太宰府市自体がそれ以上を望んでないのが実に悔しいところ >>255
いや下を掘れないっても、同じ場所で発掘していたら少なくともその場所では掘り下げれるだろうに。 これを無視せざるを得ない九州説。 哀れ! わははははは @阿波
↓
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 >>257
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>258
>思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑)
これを無視せざるを得ない九州説。 哀れ! わははははは @阿波
↓
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 >>259
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>260
逃げ回らずに、答えてみ、ヘタレ君! みっともないよ。 わははははは @阿波 >>262
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) >>264
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 泡さんさ、
あんたをチョン呼ばわりする輩以外に
誰もあんたの話に興味ないんだから
いい加減荒らすのやめないか?
おそらく専ブラ利用者は「@阿波」を
NGワードにしてると思うんだ
俺は開いたことないから分からないんだが
四国説スレで九州論者が暴れてるのか?
暴れてるんならあんたにとっての報復措置なのかもしれんが
暴れてないとすれば九州論者は全く四国説に興味がないってこと
そんな奴らに幾ら四国説を説いても無駄だと思うんだ
こっちはこっちで楽しくやってるんだから邪魔しないでくれよ
そっちはそっちで楽しくやれば良いじゃないか? >>266
>いい加減荒らすのやめないか?
荒らしは「あんたをチョン呼ばわりする輩」だよ。 矛盾点を突くことは、決して荒らしではない!
>暴れてないとすれば九州論者は全く四国説に興味がないってこと
単に「阿波」から逃げているだけ。
>そんな奴らに幾ら四国説を説いても無駄だと思うんだ
いや、君に対して説いているんだよ。
>こっちはこっちで楽しくやってるんだから邪魔しないでくれよ
このスレタイを掲げる以上は、看過できない。 まともな討論を挑む。 @阿波 >>267
誰もお前に興味ないんだから討論の対象にすらなりえない
いいかげん諦めろ >>269
>誰もお前に興味ないんだから
それは、負けてしまうからね。
古代倭王が、九州に居たら、絶対湯治に行くよね。 九州の風土記や万葉集などにも書くよね。
九州に居なかったから書こうにも書けないよね。 わははははは @阿波 .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. >>270
/ | | | |i :ili、 l | | ヽ
. / | }| ヽ\,__ili_i、 l | l ハ
_,. イ! | | 「 il|ヘ | | !
; i|l|i|リ ,;iii yz ,z, | | l | |
≠y、li|li|i ″ '´ rぅxヾ寸、 ll ! l |
气 ` ゙r; ; 、、 ゝ‐′リii小从 |「`ヽ ヘ.{
:ツ / 〃 { \`‐=彡'″{^Yl} | '. ` ひぃぃぃ!!
=彡 ''" 丶 「゙弋ー、l i 泡チョンがいるぅぅぅ!!!
| 、 \ 、 |
n r !|l l ;;l :! キムチわるいぃぃぃぃ!!!!!
_, | || l | | |
. , /⌒ー'⌒ヽ.〈 ! l{ ' Vl | いやあああああああ!!!!!!
/ /「「「「「「「「「「「い jll{ ?j|
\ ll /!i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|i|} |i /ノ ,;i }` 、
`ヽ{ レ'´ `く ヽl| |i / ″′ ヽ どうして泡チョンがいるのぉぉぉおぉぉ???
ヽ ノ ′,;ii/ /
ト- ==== ''" ,,;iill/ / } あっち行ってえええええ いやあああああああ!!!
. ノ /iilil{ / {
≧== 彡l||llx _ イ ∧ / ,勿 ヽ
 ̄`xl|i彡'´ / ハ 〈 彡'´ ノ 根拠
自女王國以北について:
「自女王國以北 其戸数道里可得略載 其余旁國遠絶 不可得詳」
”自女王國以北は女王國を含む”
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北には 一大率を特に置き、検察す。諸國は之れを畏れ憚る。常には伊都國に治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国内とその北方に対しては、一人の大率を特別に設置して、検察している。諸国は之れ(=大率)を畏れ、気を使っている。(大率は)普段は伊都国で働いている。(大率とは)(陳寿と三国志完成当時読者の暮らす西晋における)刺史(監察官)と同職のようである。
解説
まず、余旁國との対比によって、自女王國以北は女王國も含むことがわかる。
また刺史は、もともと漢の設置した監察職であったのが、三国志の戦乱期には一時的に長官職となったが、
西晋初代皇帝が全国統一を果たすに及び、職権乱用を粛清されて元の監察職へ戻された。
女王國は女王が支配しているのだから、女王國をも担当する大率は支配官ではなく、女王國の監察官である。 三国志に出てくる「治」は433文字。うち、「治+地名」は24か所。
うち22例にて、"A+治+地名B"は、
「A自らの中心拠点を(Aの管轄域の主要地である)Bに設置した」の意味で使われている。
☆袁紹因表太祖爲東郡太守治東武陽 袁紹は太祖曹操を兗州東郡の太守に任命し、曹操は東武陽県に郡治を置いた
☆徙爲東郡太守治東武陽 (臧洪を)東郡太守に転任させ、臧洪は東武陽県に郡治を置いた
☆郡所治廣武 郡庁所在地の廣武県
☆治廣ィ如舊 (烏丸校尉の閻柔は)元からの如く廣ィ(上谷郡の寧城)で執務した
☆辰王治月支國 辰王は月支國で政務を執っている(魏志韓伝)
☆焉徙治綿竹 (益州牧)劉焉は綿竹県に州治を移した
☆焉徙治成都 (綿竹の大火災)劉焉は成都に州治を移した
☆羣下推先主爲荊州牧治公安 先主(劉備)は公安県に州治を置いた
☆治成都 (劉備は)成都を首都とした
☆先主爲漢中王遷治成都 劉備は漢中王になると、成都を首都とした
☆移治味縣 (庲降都督)馬忠は主要拠点を味県に移した
☆州舊治壽春 揚州の州治は昔から壽春県にある
☆繇乃渡江治曲阿 (揚州刺史)劉繇は長江を渡って曲阿県に州治を移した
☆權徙治秣陵 孫権は首府を秣陵県に移した
☆以慈爲建昌都尉治海昬 太史慈を建昌都尉(6県担当)に任命し、太史慈は海昬県に主要拠点を置いた
☆領荊州牧治公安 (劉備は)荊州牧を拝領し、公安に州治を置いた
☆以普爲吳郡都尉治錢唐 (呉郡都尉)程普は銭唐に軍事拠点をおいた
☆領江夏太守治沙羨 江夏郡の太守になって、程普は沙羨県に郡治を置いた
☆領丹楊太守治建業 (呂範を)丹楊郡の太守にして、呂範は建業県に郡治を置いた
☆拜抗都督信陵西陵夷道樂鄉公安諸軍事治樂鄉 陸抗は都督となって、信陵〜公安の軍事担当となり、樂鄉に主要拠点を置いた
☆假節開府治半州 (鎭軍大將軍の孫慮に)軍政府を開設させて、孫慮は幕府を半州に置いた
☆爲吳興郡治烏程 (烏程候から皇帝になった孫晧は)呉興郡を新設して、烏程県に郡治を置いた
★使司隸校尉留治関中 司隸校尉を関中に留めて治めさせる
★司隸校尉治弘農 司隸校尉に弘農郡を治めさせた >>275
今日だけは泡チョンコに同意してやるわ(笑) 推奨NGワード
↓
@阿波
河姆渡
良渚
木骨泥墻
鬲
釜と甑
釜と竈
氏名と所属団体
サギー
チンク
ツカポコタカ 三国志において"A+治+地名B"は、
「A自らの中心拠点を(Aの管轄域の主要地である)Bに設置した」の意味で使われている。 自女王國以北について:
「自女王國以北 其戸数道里可得略載 其余旁國遠絶 不可得詳」 郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。
以上。 一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」 一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
三国志において"A+治+地名B"は、
「A自らの中心拠点を(Aの管轄域の主要地である)Bに設置した」の意味で使われている。 郷土愛に狂う糸クズを筆頭に、思考を停止させた古田信者や、
在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、
伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。
無論だが、女王国は「九州」である。
【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
一大率についての原文:
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
一大率についての書き下し文:
”女王國より以北に一大率を置き、特に検察す。諸國は之れを畏れ憚る。伊都國に常治す。國中に於ける刺史の如く有り。”
一大率についての現代文:
女王国の北側に一大率を置いて、特に(=厳しく)検察している。(そのため)諸国(の使)は之れ(=一大率)を畏れ、気を使っている。(一大率は)伊都国に(魏の帯方郡「治」のような)役所を常設した。(一大率とは魏の)刺史(「部」)と同職のようである。
【解説】
まず、三国志の漢文は前節が後節に掛かるので、
女王國に従属している「皆」は前節の爾支、泄謨觚、柄渠觚、千余戸の民、王を指している。 つまり伊都国の王も役人も住民も女王国に従属している。
そして、諸國が「畏れている」のは前節の一大率の事であり、「伊都國」も前節の諸國に含まれるのは明白である。
また、三国志における刺史は西晋以降は監察官であり、国内の刺史「部」に務め、植民地や属国に(楽浪・帯方)郡「治」を置き、部下(太守や官吏など)を配していた。
伊都国に刺史の如き一大率が役所を常設した以上、伊都国は女王国の植民地ないし属国であることに疑いの余地は皆無である。 >>286
>無論だが、女王国は「九州」である。
「丹」の採れない北部九州奴国(博多)に、卑弥呼が居るわけがない。 以上。 @阿波 >>287
オイ、泡チョンコ!頭ン中を見せてみろ!
∧_,,∧ パカッ __,,
。゚( ゚^∀^゚)゚ 彡 ∨ ∨
/ つ#`Д´> ヤ、ヤメルニダァ
( ( つ O
し' と_)_)
アハハハハハハハハハハ
∧_,,∧ 泡チョンコの頭に人糞が詰まってんぞ!
。゚( ゚^∀^゚)゚ クサッ
/ つ#`Д´> み、見るなニダ!
( ( つ O
し' と_)_) ∧_,,∧
なっ、本当だろ!
∧_,,∧ ∧_,,∧ アハハハハハハハハハハ
。゚( ゚^∀^゚)゚ ( ゚^∀^゚)゚。 マジで人糞じゃん!クサッ
/ つ#`Д´>⊂ ヽ だから妄想しかできねぇんだw
( ( つ O ) つーかクッセーなオイ!
し' と_)_) し´ ∧_,,∧ .
最古水田菜畑に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の中国とは
全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国には存在しない耕作用農具が伝わっている。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜(スキ)、鋤、犂 《すべて石刃》
クワは当時の中国には存在しない耕作用農具。
エブリは田を均す耕作用農具で、これも当時の中国には存在しない。
鋤は地面を引っ掻いて除草する除草用の耕作用農具で日本には伝わっていない。
スキが日本に伝わるのは菜畑遺跡から200年以上あとの弥生前期頃で、
やはり全て木製であり、犂は牛耕用の耕作用農具で日本に伝わるのは5C頃で鉄刃。
伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. こんな日本語の文字を考案した(画像有り)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3689-0
こんな人工言語を作った
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3648-0
人類の品種
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3625-0
言葉の起源
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3623-0
日本語は海豚の言葉に由来する
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ペンギン(ウルトラマン)
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3626-0
殷と商&燕国と斉国(日本)
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日本語と中国語との同源語
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関東無政府主義国へようこそ!
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3629-0 推奨NGワード
↓
@阿波
河姆渡
良渚
木骨泥墻
鬲
甑
竈
鼎
耜
オクキョン
氏名と所属団体
サギー
チンク
ツカポコタカ ↑自分はNGにしてないサギー華南ブタチックマライロピテクスwwww 三国志に出てくる「統属」は6か所。
「A統属B」は全て、〇新たな所属変化に伴って、
◎AがBの”直接管轄域の一部”もしくは”直接の部下”になる、の意味。
☆州幷属冀州更拜議郎西部都督従事 統屬冀州 <吸収合併>
梁習は幷州の刺史だったが、
幷州が冀州に「併合」されて幷州刺史の職も無くなったため、
議郎・西部都督従事の肩書を新たに拝命して、冀州に統属された。
(後年、文帝が幷州を復活すると、梁習は再び幷州の刺史となった)
☆仍就故任 統屬長沙守韓玄 <直接の部下><領土の一部>
黄忠は、荊州牧・劉表の配下で荊州長沙郡の攸県を守備していた。
曹操が荊州の新支配者となったが、黄忠にそのまま攸県守備を続けさせ、
長沙郡太守・韓玄の下に統属させた。
☆移屯江州留護軍陳到駐永安 皆統屬嚴 <直接の部下><領土の一部>
孔明が漢中へ出陣し、その留守中に
蜀を守る前将軍(職名)の李厳は、駐屯地を永安から江州に移した。
永安白帝城は護軍の陳到に担当させ、李厳配下に統属した。
李厳は護軍から出世を重ねて前将軍になっており、護軍陳到は前将軍李厳の直接配下に入った。
江州も永安も同じ益州巴郡内で、管轄地としても陳到は李厳の一部である。
☆王沖者廣漢人也爲牙門将 統屬江州督李嚴 <直接の部下>
王沖は牙門将となって、李嚴の配下になった。
☆士仁字君義廣陽人也爲將軍住公安 統屬関羽 <直接の部下><領土の一部>
士仁は将軍となって公安に駐屯し、関羽(荊州軍事総督〜前将軍)の配下となった。
管轄地としても関羽直接管轄域の一部。 >>294
伊都国の皆が女王国に統属したのなら、
伊都国は女王国の完全な内部。
>>274
そして一大率が伊都国に治するのであれば、
伊都国が女王国内の主要地。 >>295
糸チョンは無能すぎて漢文読めないんだから無理して妄想ふくらませるな >>295
民族願望で歪曲してるから却下だ
正しくは
伊都国の皆が女王国に統属しているのだから
伊都国は女王国の完全な植民地。
そして一大率が伊都国「を」治するのだから
伊都国が女王国の主要貿易港。 .
最古水田菜畑に伝わった炊飯器だって当時の中国とは全く違っている。
◆菜畑遺跡に伝わった炊飯器 → 甕
◆同期する中国の炊飯器 → 鼎、鬲と甑のセット、釜と竈のセット
鼎は穀物を煮炊きする三足と直耳とフタの付いた炊飯器で日本には伝わっていない。
鬲は上に甑をセットして穀物を蒸し上げて炊く三足の袋足が付いた炊飯器で、
これも日本には伝わっていない。
甑と釜と竈が伝わったのは弥生末の3C頃。
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. 遷都藤原京のときは、阿波・讃岐・淡路などから天皇を追っての移民だろうが、
新都(大和朝廷)が軌道に乗った以後は、周辺諸国から大量に移民があったのだろう。 @阿波 >>299
思い込みを事実だと言い張ることで精神勝利するしか能のない泡チョンはさっさと首を吊れって(笑) 遷都藤原京のときは、阿波・讃岐・淡路などから天皇を追っての移民だろうが
新都(大和朝廷)が軌道に乗った以後は、周辺諸国から大量に移民があったのだろう。 @阿波 >〇合計、「郡より不弥国までが万七百里で、残り不弥国から邪馬壱国まで「千三百里。」
そもそも、その加算が間違いの元! どこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。 @阿波 >>301
泡チョンコの主張やとアカゲザルとクロキジが生息しとらん日本列島は倭国ですらなくなるじょ?
ほなけん泡チョンコに信憑性なんて微塵も認められんと何遍も躾けてやっとるのに何で自覚できんのじょ〜?
無能すぎるじょ〜〜〜wwwww >>302
♪ i.\ .i.\ i.\ チャンカチョンコ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ チャンカチョンコ♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ チャンカチョンコ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ チャンカチョンコ♪
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♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ エーラ張ハッタ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ 目ーガ吊ッタ♪
└i===|┘i===|┘.i===|┘ ホルホルホルホル
〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
♪ i.\ .i.\ i.\ 北ノ無脳ニ♪
♪ 乂_\ 乂_\ 乂_\ 下ノ無能♪
〈,<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
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♪ /.i /.i. /.i
♪ ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ 泡モ脳ナシ♪
〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ
└i===|┘i===|┘.i===|┘ クーソ食ッテ
〈__〈 〈__〈 〈__〈 ))) チョンチョ〜ン ♪ .
今から約3500年前の紀元前15世紀には、朝鮮半島でも数ヘクタールという大きな畑を
作って、そこでコメや麦を栽培する生活が始まります。朝鮮半島では日本よりも
500年も前に、本格的な農耕生活に入ったのです。
紀元前11世紀になると、朝鮮半島南部で水田稲作が始まります。本格的な穀物栽培が
始まって約400年後のことになります。
こちらにある写真は韓国で最も古い水田の一つの写真です。釜山の少し北側に
位置する蔚山(ウルサン)市で見つかったオクキョン遺跡の水田跡です。
http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=2975
. いちおー断っとくが
ここは偽スレだぞ。
九州王はいつもスレ立て遅いから避難所として活用されてるだけで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています