邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part15
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【古代】「徐福伝説」DNAで追う 佐賀で渡来系弥生人の実像に迫るシンポ 徐福渡来の謎に専門家ら持論展開
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553000954/
このスレで大分にあった秦王国が話題に上がっているんだけど、
中国の文物と弥生時代の発掘物の共通点って何かありますか 鏡、矛、璧、金印、絹、水銀朱
まあ、どれも九州ばかりだが。 >>107
誰にも相手にされないから泡吹いて死んだんじゃね?
しらんけど 細石神社はネタとしても伊都か奴に邪馬台国があったのは間違いないやろ 行政を扱う伊都国と、最大の人口密集地の奴国をあわせて女王国、倭名は筑紫の日向だ。 5chのパカのみなさんへ
満州先生の新著が出ますので、お知らせします。
「馬韓も百済も満州にあった」
あらあらかしこ あらかしこ ////////, ''" ヽミ川川
|//////, '" ',川川
川/////, '",,,,,,,,,,,,,,,, r''"',川||
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川ヘ | 弋て::>  ̄ ',リ
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川川 ヘ _,. '-‐''"´y' //
川川リヘ , '´ __,,,/ / / チョン臭い …
川川川|/ '"´ , '´ /||
川川川| /川 高祖山の南に日向峠、高祖山の東に日向川、高祖山の北に筑紫の日向の小戸。
つまり高祖山周辺全体の名称が筑紫の日向。 >>120
つまり筑紫の日向に伊都国があったという事が言いたいんやね。 魏志倭人伝も記紀も、倭の王都は同じところなんだよ。 少なくとも記紀に倭の王都なんて記述はないわな。
あえて言うなら、その時々、大王の治世によって変遷しているが、伊都国が登場するような記述はない。
筑紫の宮は2度ほど記紀に登場するが、卑弥呼とも邪馬台国とも関係ない。 日本書紀には記されない「倭」だが、古事記は自国の国名を倭と記している
記紀には登場しないとか、ふかしすぎ >>126
>日本書紀には記されない「倭」だが、古事記は自国の国名を倭と記している
「倭大國魂神社」の倭国(阿波)だね。 @阿波 >>126
いや日本書紀にも「倭」ってワードはある。
今問題なのは「倭の王都」というワードで、これは古事記にも日本書紀にもない。
流し読みしすぎだよ。 では倭の王都はどこなのか。
時代により変遷があるが、ある時期においては筑紫の日向という語が登場する。
イザナギの禊や、ニニギの降臨である。
ニニギから三代の間、筑紫の日向に王家がいたことになっている。
三代目の彦渚の息子達が筑紫を出て大和に向かったと記紀は記録している。 >>128
>今問題なのは「倭の王都」というワードで、これは古事記にも日本書紀にもない。
そりゃ、「倭の王都」なんてわざわざ記紀に書くわけないよ。 記紀は倭国(阿波)の物語なんだから。
いちいち、王都などと書く必要などない。 @阿波 其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。 「其年代紀所記云:初主號天御中主。次曰天村雲尊,其後皆以「尊」為號。次天八重雲尊,次天彌聞尊,
次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,次國狹槌尊,次角?魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,
次國常立尊,次天鑑尊,次天萬尊,次沫名杵尊,次伊獎諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,
次天?尊,次炎尊,次?瀲尊,凡二十三世,並都於築紫日向宮。
?瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。」 >>129
筑紫の日向が出てくるのは古事記で、日本書紀には出てこない。
そして日本書紀も古事記も、神武東征の始まりは日向国であって、筑紫の日向ではない。
日本書紀でははじめに東に進んで、速吸之門=豊予海峡に出た後、宇佐を経由して岡水門=福岡県遠賀郡に進んで本州に渡る。
古事記では日向を出発して筑紫に向かった。その後宇佐を経由して岡田宮=福岡県北九州市を経て本州。
どちらにせよ、筑紫の日向は神武東征の起点にはなり得ない。 筑紫という単語は九州全体を指す場合もあるから、筑紫の日向と言うのは、九州の日向国という意味だよ。 日本書紀 神代上
「至筑紫日向小戸橘之檍原而秡除焉、遂將盪滌身之所汚、乃興言曰・・・」 >>134
多分筑前国続風土記に書いてあったと思う。
肥前国風土記か豊後国風土記のどちらかだったかもしれない。 >>134
>筑紫の日向と言うのは、九州の日向国という意味だよ。
「竺紫(とくし)」については、古事記の中では、注意して見ると、
「筑紫」と「竺紫」の二つが混用して使われており、イザナギの禊の場面では「竺紫」である。
(日本書紀は、全て「筑紫」で統一されている)
しかも、国産みの場面では、
「次生筑紫嶋。此嶋亦、身一而有面四。毎面有名。故、筑紫國謂白日別、・・・」
と明らかに、「筑紫」が使われているが、イザナギの禊の場面では「竺紫」に変わっている。
一連の「イザナギ・イザナミの時代」話で、二つの漢字で分けられているのは不自然である。
したがって、「竺紫と筑紫は別物である可能性が高い」と考えられる。
ただし、その他で「竺紫」が出てくる事例として、
ニニギ降臨時の「竺紫日向之高千穗之久士布流多氣」と「竺紫君石井」が見られるので、
後代に、「竺紫」と「筑紫」が混同されていったのだろう。 @阿波 ■ 祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに
禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち
諸々の禍事・罪・穢 有らむをば
もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば
祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと
はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと
恐み恐みも白す
かしこみかしこみもまをす 筑紫の日向はイザナギが禊をして住吉三神などを生んだところ。
宗像や安曇といった海神(綿津見)たちの倭奴国の王都だよ。
勝手に大阪やら宮崎やらに移動するな。
そもそもイザナギが最初に国土を得たのが博多湾の能古島(おのころ島)だ。
勝手に淡路島に移動するなよ。 >>137
こういう場面で使い分けられているとみるのが陰謀論信者。
異なる出典の文章が混在してると考えるのが常識人 博多の海神というのはいずれも王族で、イザナギイザナミ夫婦から生まれた。
宗像、住吉、安曇ら、綿津見や大山祇といった氏族がそれだ。
中国の史書では、倭(博多湾)では皆がそれぞれ王や大夫を名乗ったとある。
その中で最後に天下を統一したのが、天照国照(あめにぎしくににぎし)ニニギから始まる伊都の天孫族だが、彼らも先代王家と争うことなく、木花咲耶姫や豊玉姫らを娶って、旧都である博多奴国と新都である伊都が一つの筑紫の日向として栄えたのだろう。
それを中国から見た呼称が邪馬台国や女王国であり、三雲地区がその中心だ。
神武が大和を攻略した時、天神の子は太陽を背にするべきだと言っている。
伊都の高祖宮(ヒコホホデミの宮)は高祖山の西側斜面にあり、太陽を背にして君臨した神仙思想(鬼道)の王宮だ。
怡土城は山頂から山麓までを囲む200ヘクタールに及ぶ山城だった。
その大門は三雲南小路遺跡(ニニギと木花咲耶姫)にほど近いところだった。
そして倭国大乱からしばらくして、ここに権勢を誇った女王が王権の象徴である八咫の鏡とともに葬られた。
それが平原遺跡である。
倭の王都がどこであり、その女王卑弥呼の墓がどこであるか、もうわかるよね? >>143
>倭の王都がどこであり、その女王卑弥呼の墓がどこであるか、もうわかるよね?
倭の王都=倭国(阿波)
女王卑弥呼の墓=天石門別矢倉比売神社 裏手の円墳 @阿波 >>140
>筑紫の日向はイザナギが禊をして住吉三神などを生んだところ。
>そん冷たい海でイザナギが禊するわけないよ。 風邪をひいたらどうするの。 ワハハハハ @阿波 >>140
>筑紫の日向はイザナギが禊をして住吉三神などを生んだところ。
そん冷たい海でイザナギが禊するわけないよ。 風邪をひいたらどうするの。 ワハハハハ @阿波 >>145-146
何で同じこと2回連投するの?
気持ち悪いからやめて 記紀は創作や歪曲、矛盾を含んでいるけれど、その意図を汲んで原型を復元しなくてはいけない。
単に「崇神から実在」とか単純な話ではない。
神武東征だって、考古学的な西高東低からすれば自然なことだ。
ただし嘘があるとすれば、それは年代が前倒しされ、遥か昔から大和が列島の盟主であったかのように見せかけていること。
それは旧唐書と新唐書の食い違いに端的に現れている。
つまり、九州北部の倭国を畿内の日本国が併合したのに、その事実を言いくるめて隠しているのだ。
そう考えると、記紀の謎の多くが氷解する。 >>148
神話の成立において「歪曲」という表現がおかしいと感じない知能のなさが哀れでならない。 深く考えずに「神話」で済ませられるオツムが信じられない。 >>151
無能を指摘されたから悔しいよな
でも無能は無能 >>140
>筑紫の日向はイザナギが禊をして住吉三神などを生んだところ。
そん冷たい海でイザナギが禊するわけないよ。 風邪をひいたらどうするの。 ワハハハハ @阿波 >>153
月刊ムーの清掃員さん、おはようございます 日本書紀でも古事記でも、神武東征の出発は日向国で確定だな。 >>156
古事記・・・出発→宇佐→北九州市
日本書紀・・・出発→豊予海峡→宇佐→遠賀郡
これでは福岡市や糸島市から出発してるとは、誰が見ても言えない。 >>155
>日本書紀でも古事記でも、神武東征の出発は日向国で確定だな。
だから、神武はどこへ東征したんだよ。 あの奈良盆地かい? 好きだねぇ、辺境が。 @阿波 >>157
>日向国と命名したのは景行天皇
好字令以後だよ。 出雲もね。 @阿波 >>160
月刊ムーの清掃員さん、おはようございます >>159
古事記でも日本書紀でも好きな方を読めばいいよ。
読んだ上で異説を唱えるのは好きにしたらいいが、それなりの根拠が必要になるだけ。 >>159
月刊ムーの清掃員さん、おはようございます >>162
だから、神武はどこへ東征したんだよ。 あの奈良盆地かい? 好きだねぇ、辺境が。 @阿波 関門海峡を好き好んで2度も通過するわけがない。
宇佐も今のところではない。 >>164
月刊ムーの清掃員さん、おはようございます >>165
> 宇佐も今のところではない。
『大分宇佐神宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)』
大分の宇佐神宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 御祭神:誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略
大分の宇佐神宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐神宮も、『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波 福岡県立図書館所蔵 筑前国続風土記 著:貝原 益軒
巻之一 提要上
又九國をすべて筑紫と称し、或九州の内筑前筑後の外をも、筑紫といひし事も間これあり。
筑前はいにしへ官府のありし國にて、九州二島をすべてまつりごちし所なれば、其國の名をとりて、
九國をもすべて筑紫といへり。たとへば大和に帝都ありし故、日本をすべてやまとゝ称せしが如し。
筑前、筑後の古風土記が散逸してしまっていたため
江戸時代の福岡藩士貝原 益軒が編纂したもの。
貝原 益軒の事くらい、福岡県民ならある程度判るだろ? 筑紫に帝都ありし故、九州をすべてちくしと称せし
ということね 3世紀の北部九州の遺跡発掘現場を見学に行った関西の考古学者や博物館の学芸員は、
周辺の地層全体が真っ赤に染まるほど大量の鉄の出土量を目の当たりにして内心(負けた…ヤマト王権は邪馬台国じゃないや…)と直感的に思うらしい。
でも関西に帰ると学閥や先輩後輩のしがらみがあって、職場で敵なんか作ったら大変だから、口が裂けてもそのことは言えず、
講演会などで「ヤマトで決まりやな!」という禿げ頭の素人おじいちゃんたちを見て
九州の発掘現場を知ってる人達同志で互いに肩をすくめて苦笑し合うらしいw
逆に九州の考古学者や博物館学芸員が畿内の3世紀遺跡発掘を見学に来ると、あまりの貧弱な出土品(木製品や桃の種、カエルの骨)に爆笑してしまい、
古墳築造の「縁日」と呼んでいるらしいw 邪馬台国=卑弥呼の女王国=古の倭奴国=倭国の都=福岡県=筑紫の日向
投馬国=宮崎県=隼人の祖である海幸彦の国
狗奴国=熊本県=熊襲の国
日本国=奈良県=倭の別種=ヤマト王権 筑紫の語彙の解釈に、筑前筑後の合さった筑紫国の意味と、九州の意味の二通りがあったという事
筑紫の日向は、筑紫国の日向との解釈と、九州の日向(日向国)の解釈のどちらでも成り立つということ。
天孫降臨から神武東征の日向は、ルートの記述的にも筑紫国の日向ではないことがスッキリする。 >>174
筑紫が筑前と筑後に別れたんであって、合わさったわけではないぞ馬鹿無能 >>175
よく読めば的外れって判るだろ。
筑紫国続風土記を読め 九州島の南の方は良く分からないから筑紫(北部九州)のある島ってことでザックリ筑紫したという解釈もある
外国人や地方の人からしたら千葉県にあるけど東京ディズニーランドで違和感ないみたいな感じ
いちいち浦安は千葉だから東京じゃないとか説明するのも面倒だし むしろ筑前こそが筑紫だったが、筑紫が肥国から一部を掠め取って筑後となり、肥国は肥前と肥後に別れた感じかな。
本来は有明海沿岸が肥国だろう。 何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき
妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる
識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう
見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性
それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)
別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ
高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)
海人族スレでは摂津チョン
などスレ毎の呼称も存在する
特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく
また聞き止める度量もない
最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける
そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル 記紀の神代の巻は、出雲を例外として、ほとんどが博多湾沿岸の話しかない。
筑紫の日向の小戸が住吉や志賀島がある福岡である以上、筑紫の日向の高千穂宮も福岡だよ。 >>177
すごくよく分かる。
自分は埼玉出身なんだが、英語圏に留学中はSAITAMAじゃ全く通じないからTOKYOって言ってた。
九州出身者はもFUKUOKA出身って言ってたし、関西人は全員OSAKA出身、そして愛知民はTOYOTA出身って言ってた(笑)
例外はNAGASAKI、HIROSHIMA、YOKOSUKA、YOKOHAMAくらい。 だからと言って、筑紫(福岡)と明記してあるものを宮崎にしたらまずいだろ。 オーゥ!トーキョー!フクオーカ!オーサカッ!トヨーター!
オ〜ゥ・・・ ナガサ〜キ〜・・・ ヒルォシィ〜マ・・・ ヨコス〜カ・・・ ヨコハ〜マ〜・・・
なお、オーストラリア人「ニセ〜コ〜ゥ!!!」 >>184
筑紫をはっきりと福岡と書いてある場合はな。
そうでないものは、位置関係なんかで筑紫=福岡なのか、筑紫=九州なのか、どちらの意味で書かれているか注意しないといけない。
筑紫=福岡大前提で、妄想ストーリーを間に挟んで無理やり福岡に繋げるのは大間違い。
前述の神武東征なんかは、行程的に明らかに日向国が起点。 >>186
キナイコシって博多女にふられたとかで福岡を憎んでそうwww 西都原古墳群があるから、いちおうは古墳時代だろう。
まあ、魏志倭人伝の投馬国なんだけどさ。 >>189
そうじゃなくて、あの辺りはもとは薩摩国の一部だった、日向国じゃなかったって事実を指摘してるのでは? 薩摩の国なんてもっと後。
古事記では、九州には筑紫、豊国、肥国、熊襲しかない。 文献だけじゃなく今居る私達の日々の生活にもヒントは隠されている
九州の方言は大きく佐賀・長崎・福岡・熊本・大分と
宮崎と 鹿児島と、に分かれる つまりこの三地域は長く交流が少なかったということだ
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