先祖探しのエピソードを語る但し血族先祖に限る10
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先祖が豊前小倉藩の穢多身分だったのが確定してるんだが、詳しく調べるにはどうしたらいい?
ひょっとしたら平家とか宇都宮とかの落武者だったりとか妄想してる。
実際に親からは平家の落武者の家系って言われてる。
同じ苗字は近隣にいくらでもいるが全部が部落。
家紋は家によってバラバラでうちは三階菱だが同姓の親戚は柏紋だったり・・・ >>7
それは豊後府内藩の穢多頭で尚且、禁裏小法師も勤めた人だね
国東や臼杵にも秦さん多いね >>5 どうして穢○と確定した?
部落と言うのは一般的には単なる集落であり、現在の被差別部○とは別物だと言うことはわかってる?
みんな部落だったと言うからには広い範囲の集落だろうから、一般集落では?
あと家紋はあまり当てにならないよ。 多分通い紋の中から適当に使ってただけだろうし。 >>9
先祖代々、少なくても慶応年間の墓石がありますので幕末当時からムラに住んでるから確定なんです。同じ苗字の人が他にもたくさんムラに住んでいるから間違いないです。(同姓はムラにしかありません)
小倉の人ならムラのことはみな知っていることです。 あと、東京とかの大都会に住んでいる人は理解できないかもですが、言葉でもムラの人だ とわかります 関連書籍の肝心部分を一通り読んだが
書簡等歴史資料に基づいて整合性を出すため
もっともな事を必死に訴えてるだけで中身スカスカなのな。
全てはソテロの出世欲を根拠として当時の資料も読み進められるが
ソテロが何のメリットも無い日本再入国を試み殺された事は結局触れない。
ちな、ソテロってユダヤ人なのな。
何時もユダヤ人だとこういう理屈に誘導される印象。 >>12 早く病院に行って治療を受けろ。 早くしないと取り返しがつかなくなるぞ。 離婚して一人で戸籍を作ってしまった母親(旧姓に戻りました)の戸籍謄本か除籍謄本というのは苗字が違う実子は取り寄せられるんでしょうか?
母親が死んだときも子供の戸籍の住所とと同じ町内に戸籍をつくって置いていたらしいです
直系なら理由なく簡単にとれるものですか?郵送で取り寄せたいとき理由や子供である証明などいりますか? >>14 問題なく取れると思うよ、心配なら電話でもメールでもしてみれば良い。
メールの方が丁寧に応答してくれると思う。 自治体にもよると思うけど。 俺の先祖は勝ち組
なぜなら俺をはじめ沢山の子孫を残してる 親戚付き合いのない家だから相続のことでしょうがなく戸籍を集めたけど
明治生まれの祖父の出生時の本籍が聞いたとこもない遠い場所で
検索したら「村」から「市」にはかわってたけど細かい住所名や番地のままで
しかもこっちと同じ苗字の人が今現在もそこに住んでる
きっと遠い親戚なんだろうな
こういうの知るの面白いですね
あと祖父の一度目結婚しすぐ離婚した嫁がいたのも知らなかったけどためしにそこの住所を検索したら
やっぱり番地そのままその離婚嫁の旧姓と同じ苗字の人が住んでいた
みんな以外と引っ越さないでその土地を継ぎ続けるもんなんですね
本家とか長男長女の家系が住み続けてるんですかね 先祖代々受け継いだ土地ならそう簡単には手放したくないだろうからね
本家なら先祖のことをもっと知っている可能性が高い
知りたいなら是非挨拶に行くべき >>23 そんなコメントを入れる方がよほどキモい。
どこがキモなんだ? 先祖探しはできるところから広げていくしかないぞ そういえば小室Kさんとこ
小室祖父の兄が継いだ小室本家→いまだにアパート何軒もやら駐車場やら土地持ちの裕福
小室祖父→ネジ工場勤めでコツコツ働く(それで息子を明治大学にいかせたのは立派だと思うが)
だったらしい
昔は長男が全部ついじゃって次男以下は悲惨だった見本か 数年前、祖母が生まれた土地まで行って先祖の戸籍を取ったんだが、
役所の女性から「〇〇番地〇〇屋敷となっていますが、当時はそれが普通です」
といわれた覚えがある。確かに他の戸籍には「屋敷」なんて言葉は使っていない。
地域によって、戸籍の番地の書き方も多少変わるんだなと感じた。 地名の話 「~府、~蔵、~屋敷」の意味
https://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/tanbou-142.html
屋敷なんて地名珍しくもないだろ
長者という地名もある。
昔長者様が住んでいたという伝説のある地。
たいがいは奈良時代などの官衙の跡なんだけど。
官衙というのは役所。
役所の建物は瓦が使われており、しかも彩釉を使った色のついた瓦を使った建物もあった。
そういう瓦のかけらがザクザク出てくるし、礎石も大きいのが出てくるので
後代の人は、よほどの長者様の屋敷があったんだな、と思うわけ
屋敷というのも官衙か荘園の目代の館の跡だったりすることが多い。 小字なら普通に残ってたよな。
うちは屋敷添
大字小字もわからん人もいるけど。 >今では使われないものですが、埼玉県○○郡○○村41番戸(あるいは番屋敷)などと表記されている場合があるのです。
>明治の初め頃にはその村の家に対して番号が振られていたために、こうした「41番戸」「5番屋敷」などという呼び方が生まれてしまいました
>>26
こういう感じってこと? 曾根 という地名が字や小字に多い。
曾根ってどういう意味なんだろうな。 >>30
番号が振られているのは明治以降の開拓地じゃないか
もともとある農村ではそんなことしないだろ >>30
ありがとうございます。
いま除籍謄本を再確認してみましたが、「〇〇群〇〇村百五番屋敷」みたいな感じで書かれていました。
おっしゃる通りのように思えます。 >>36
30の方に失礼にならないため、あえて書いておく。
26・34は俺だけど、自演なんてしていないよ。 >>34-35
「何番戸」という表記なら良く見るね
江戸初期から代々伝わる土地でも番号で書かれている そりゃそうだ。江戸時代の検地帳がそのまま使われるわけない うちも参拾参番屋敷と書かれていたから屋敷を構えるくらいの家だったのかと勘違いしてしまった うちも参拾参番屋敷と書かれていたから屋敷を構えるくらいの家だったのかと勘違いしてしまった 戸籍制度って今でも残ってるのは、中華人民共和国、中華民国、日本の3カ国だけらしいね。
先祖巡りには便利な情報。 中国に戸籍制度が残ってるなら、南京大虐殺(?)で死んだ人も特定できるのでは? 誰に殺されたのかが重要なのだ
彼等は内戦をしていたわけだからね 遡ればほぼすべての者が土着民たまから、記録はかなりあるが
見ることがでるか、読むことがてまきるか(古文書を読む能力のこと) >>46 落ち着いて、 わかるから書き直す必要はないけど。
うちの先祖の家系図(伝記?)で石碑に彫られてたのを転写したのがあるけど、理解するのがかなり難しい。 もちろん漢文。
自分で調べながら口語訳を作り始めたが全く自信が持てない。
7割くらい訳して放り投げてる。
現代では使われていない漢字も沢山ありなんと読むのかもわからなければ意味も当然わからない。
話の流れから想像して訳してた。 流れは何となくわかるから自分では大体わかるけど人には見せられない。
子供や甥っ子達は優秀だから下手な訳を渡すより原本を渡した方が間違いないだろうと思って。
ただの家紋をもらったという話だけでも、当時は現代では同じ家紋となって消えてる家紋が出てきたりなんと読むのかすらわからなかったり。
楮紋(こうぞ紋)をもらったと書かれてた。 別の伝記では梶の葉紋をもらったとある。
なんだこりゃと思ってよくよく調べると、 似た紋だから現代では梶の葉紋に統一されてるらしい。
もう一つもらった紋が、杏葉紋だったが現代まで親戚一同に言い伝えられてきてたのは抱き茗荷。 墓石を調べたりして杏葉紋が正しいが本家本元が抱き茗荷と言ったりしてたから混乱してた。 他の人のブログを見ても同じ話が載ってた。 〇〇(うじ)の采地(領土)に住んでたと書かれていても。
それがどこなんだよ。 という話。
そこは自分では昔からの大和国だと思ってたが、それが何で源氏と源平合戦や鎌倉から東北征伐への戦いに参加するんだよ。 とモヤモヤしてた。
TV の源氏の話があり少し調べ始めたら結構流れがわかってきた。 いろんな情報で補足していけば点と点が結びついてくるみたい。
ただ文字を訳すだけではわからない世界。 先祖探しはそういうものだろうね。
家系図を訳し初めて数年以上経ってようやく少し線になりつつある。 津波とかきたら手書きの除籍謄本が流されちゃう可能性ある?
あの書類って役所の図書館みたいな部屋でファイリングされて何万冊も保存されてんの?
それを職員さんが探し出すの> >>51 除籍謄本は磁気ディスクに保存されてるしバックアップもあるからなくなることはないでしょう。
見出しはコンピュータで検索できるようになってる筈。
>>48 大和国に住んでいて河内源氏に使えた様だが、距離感が掴めないから地図で調べてみたら20km もない距離だった。 この距離だと移り住んだのかどうかは不明だったが、話の流れではそのまま大和国に住んでいたみたい。
家系図の記録にあるのは1135年以降
河内源氏6代目義朝に仕えていた。
その後河内源氏は東国を統治するために相模国に入った。 さすがにこの時は一緒に移り住んだ筈。 それから鎌倉に入ったみたい。
富士川の戦いとか色々書かれてて面白い。 だが義経軍と一緒に戦ってた時に近江国粟津の戦いで流れ矢に当たって死んだとか。
鎌倉時代が始まると御家人として地方統治に送られた(その後戦国時代に敗れ、統治してた土地は取り上げられたが一族はそのままの地で住み続けて現在に至る。)
南北朝時代に現在の苗字を授けられ現在まで続いていて本家の家系図ははっきりとわかってるが、我が家みたいな分流の家系図は残っていないから、現代の戸籍から上に追いかけるしか方法がない。江戸末期までしかわからない。
この間を埋められるのかどうかはわからない。
(戸主でもなかったし、外地に出て行ってたし)
ただ、戸籍を調べると男系で続いてるとばかり勝手に思ってたら明治初めに養子が入ってた。 当然なんだろうが思いもつかなかった。 因みに今の苗字は非常に珍しく、血のつながりがない家系はない筈。 全国で800人とか言われてるがもう少し多いと思う。 昔の人名調査は電話番号から調査してたが、今は固定電話があっても電話帳に載せなくなってるからね。 当然うちも電話帳から消している。
本籍のある土地では300人程度と書かれている。
生まれた時から指名手配犯人と同じで密かに暮らすしかない。
家系図(伝記?)が手に入ったのは、20数年前。 自分がサラリーマンを辞めてインターネット系の商売を始めたら偶々第1号のお客さんになってくれた同名の人からもらった。 親父さんが家系図を調べてるから送ってあげると言って送ってもらった。 作り物の家系図でないことは歴史上からも明らか。
それまでは大正時代に書かれた地方の観光案内風土記もどきしかみたことがなかった。これが酷かった。 江戸末期は食客として住んでいたとか、寺小屋をやってたとか。
何だろうと思うと、食客というのはその地の農家の元締め(何と言ったかな?)等からの寄付で食ってたからみたい。 山をもらったりしてた。
寺小屋って何だろうと思ったら、蘭学修行に出た学者が戻ってきて藩を跨いで蘭学を教えてたみたい。
その風土記にも流石に苗字をもらった由来は書いてあったが、あまり詳しくは書かれていなかった。
今上天皇云々とか書いてあってもいつの時代の今上天皇かすらわからない酷いものだった。
似たような内容の風土記を兄貴が持ってるが、自分が見たものとは違ってた。 古本屋(ネットのスーパー源氏等)で探してもなかなか出てこない。
苗字の由来は殆ど一緒だった。
昔の古本って結構高価だから一瞬でも迷ってると無くなって手に入らなくなる。 ↑先祖は中野宗時 の文章と全く同じ。
しかも2ちゃんブラウザに改行が反映せず、一行がズラズラどこまでも伸びるのも同じ。
これがここの 1 なんだろ。どうしようもねえな >除籍謄本は磁気ディスクに保存されてるし
まじでそうなん?
大正式戸籍とかも?スキャンして保存してるの? 昔の戸籍であろうと、現在紙の戸籍簿は基本的に利用されていないというのは正しい
離島とかでまだ使われていることがあるかどうかまでは不明
古い紙の戸籍簿は廃棄されたところもあるという話を聞くが関係者でないと確かめようがない 全国で800人てまあまあ珍しいくらいで非常に珍しいとまでは言えないな
全国で数十人とかなら分かるけど >>52
外地って明治以降のこと?
普通は戸籍に全部書かれているし関係ないような >>54 改行が反映されないって、今はiOSのJaneStyleから書き込んでるが(3月まではBB2C で書き込んでた)
Windows のJaneStyleでみてもそんなふうにはならないけどな。使ってる専ブラがおかしいんじゃないの
>>58 明治以降は戸籍に全部書かれてるが、親戚付き合いが浅くなってたから、江戸時代以前の話を聞ける人がほとんどいなくなってたという話。
本家が支流の話を知るわけもなく。 >>54 家系図には中野家(中野信濃守)との姻戚関係は書かれているが、中野宗時なんて聞いたこともないし、それを書いた人は別人。 >>57 そりゃそうだが、今の苗字の読み方はうちだけの独特の読み方だから、関係者以外で読める人はいない。
Windows の漢字変換に反映するのにかなり努力したから今では標準で変換できるようになってるけど、iOS にはユーザ辞書に登録するしかない。
苗字で思い出した。 今の苗字をもらったのは赴任後100年以上後の話だからその間は氏(うじ)を名乗ってた。
隣の県にいまだにその氏を名乗る一族が住んでいることがわかったので、その系統まで広げれば一族はもっと多くなる。
赴任した任地は、国司の城からかなり離れてる隣の県なのに侍大将として登城してたと言うから変だなと思ってたら、国司の地に一族を住み着かせてそっちに侍大将を任せてたのだと思う。
隣の県の氏を名乗る人の話にも同じ話が伝わってるので同じ一族なのは確か。(それが解ったのは10年位前) 苗字の話で、一族の墓の中に誰でも読める漢字で書かれた苗字の墓があった。 子供の頃は分家なんだろうと思ってたら、最近戸籍調べしてたら、自分の直系の曽祖父の墓だと解った。
その人は隣村から養子に来て明治2年に入籍した。
戸籍上は普通の一族の苗字の漢字で登録されている。
その人の元の苗字も珍しく読めない漢字。全国720人
養子に来た村にはその簡易苗字の一族が住んでいる。 多分その人達も同じ一族と思われる。
現代でもその簡易苗字を使ってるのは全国で170人。 そのうち60人がうちの本籍地に住んでいる。 >>59
外地に行ってからは兎も角、村にいた頃のことなら本家は把握している可能性があるよ >>64 もう世代が変わってるから昔の事は何も知らないね。 本家の隣くらいに住んでたみたいだが。
一度兄貴が家紋の事で本家に確認に行ったがよくわからないで呆れてた。 母方の総本家の苗字は全国で620人程度のようだ。
江戸初期に分家して苗字が変わったらしいが、今では分家の方が戸数が多くなってしまった。
近所に総本家があるが、道路に比べて強引に高い位置に家を作っている。総本家の意地だろう。 数が少ない苗字は屋号から付けられた苗字が多いようだ
本家とか言ってる時点で農家丸出し >>67 ひねくれてるね。もっと素直に人と接しなさい。 だって本家があって、本家の隣に住んでたんだろ。
名子じゃん
何がひねくれてるのか分からん。 そういえば、遠戚に中陣屋と呼ばれている家がある。
もちろん名字は別にあるので、屋号みたいなものだと思う。
むかしは、村の農家がその家にお米を運んできていたらしい。
おそらく、庄屋さんの下働きみたいなことをしていたんだろうけど、
なぜか今でも中陣屋と呼ばれているらしい。 >>69 そう言うのを猿知恵という。 周りからはかなり馬鹿にされてると思うよ。 気をつけた方が良い。 武家に本家も分家もないだろ。領主ならともかく、武士というのは殿様からその家に家禄を
与えられているわけで、勝手に分家などできない。
二男や三男は生まれた家に生涯寄食して生活するわけで、家禄を勝手に分割したりできる
わけがない。
新規お召し出しという形で新たに家臣になることはできるが、その場合は別に自分の生家の
分家になるわけではない。
うちは本家だ、うちは分家だ、などとやってるのは農家の話だよ。 たとえば神奈川や山梨に徳植という苗字があるけど、調べると全国で450人。
かなりマイナーだ。
この徳植という苗字は 徳右衛門 から来てるみたいだ。
農家の屋号だったんだな。
こういう苗字はほんとにその一族だけだからマイナーになる。 例えば、服部半蔵の場合
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%B0%8F?wprov=sfti1
この中の伊賀国服部氏
家祖は、服部家長
代々家督を相続していくのが本流(本家)であり、支流/分家が出来てくる。
半蔵(保長)は中服部家の流れだから、分家の流れ。
中服部家の流れの中では本流と言うことになる。どこを起点(家祖)にするかで変わった見方になる
服部本流を継いだのは上服部家と思われる。 庶家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B6%E5%AE%B6?wprov=sfti1
庶家(しょけ)とは、宗家ないし本家より別れた一族のことをいう。嫡流に対し庶流の家柄。主に日本の封建時代においてみられた血族集団である。
分家、庶流、庶子家ともいう。
庶家という概念は主に日本の封建時代、特に鎌倉時代から戦国時代、江戸時代にかけて武家に見られた血族集団ないし階層のことをいった。
宗家と庶家の関係はいわば本家と分家と同義であるが、一般的な分家と異なるのは、分家であれば本家と同姓を称するのが通例であるが、庶家という場合、その多くは宗家と同姓を用いることを避け、あるいは禁じられその多くが別姓を称した家柄が多いという点にある。 商家は例えば三井家は三井十一家の分家が存在する。
坂本龍馬の本家は、裕福な商家。分家して郷士の身分を得た。 >>76
>猿の浅知恵はうるさいだけ。
浅知恵というのは浅はかな考えとか利口そうで実は間の抜けた考えを言う。
猿知恵という類語もあるよ。
でも猿の浅知恵とは言わないな
猿の知恵などまともなわけがないから、わざわざ浅知恵なんていわない。
>>76
伊賀甲賀というのは地侍連合が支配する土地だった。
封建的中央集権領主が存在しなかったんだな。
だから地侍たちは被官ではなく、それぞれ自分の支配する村落の領主だった。
大小の差はあっても、江戸時代の大名と同じだよ。
だから分家を作っても問題なし。そもそも伊賀に服部なんて家はいくらもあるよ。
けれど、德川家康の家臣となり、千石を与えられ、伊賀同心の指揮官となった後は違うだろ。
この服部半蔵家は分家なんかしていない。代々家督が相続されていっただけ。
家を継いだ者は代々服部半蔵を名乗った。
改易されたり、養子をとったり、他家に仕えたりいろいろあったみたいだが、なんとか
明治まで続いた。
それがどうかしたのかw 君の場合、問題があるのは知恵ではなくて知識だよ
例えば>>61 のこの文章
>赴任した任地は、国司の城からかなり離れてる隣の県なのに侍大将として登城してたと言うから変だなと
>思ってたら、国司の地に一族を住み着かせてそっちに侍大将を任せてたのだと思う。
国司というのは地方に派遣された中央官庁の役人。古代律令制では「国-郡-里」と分け、それぞれに
国司・郡司・里長(のちに郷長)という官吏を置いた(厳密に言うと里長・郷長は庶人だが)。
国司がいたのは官衙(かんが)だ。官衙とは役所のこと。
国司がなんで城を持ってるわけ? 「国司の城」って何だよ?w
>52 によると、君の先祖は鎌倉幕府の御家人となり、地方に送られたそうだね。
>鎌倉時代が始まると御家人として地方統治に送られた
「御家人」というのは職名ではない。御家人として送られるというのはおかしい。
守護・地頭って知らないの?
鎌倉幕府は、貴族支配に対抗して守護や地頭を置いたのよ。
これらが、それまでの国司や郡司の支配を制圧していった。
ここは、日本史の中でも最重要論点の一つだが、君はこの部分の知識が無いみたいだな。
中学三年のレベルにも達してないぞ。
恥ずかしくないのかな。年取ってこれなら真剣に悩んだ方がいいんじゃないか。 他に庶家とか三井家がどうしたとか書いてあるが、めんどうだから又にするわ
レス書いててネタかと思うよ
ちょっと酷すぎないかw >>79 農家以外に本家、分家があったことは理解できたのかな?
論点はこれだけだろ。武家や商家にも本家分家があったことを教えてあげたんだけど。
農家だけだなんて片腹痛い。
揚げ足取りのバカばっかり言ってるな。幼い人間に細かいことを言っても仕方ない。
以下の事は本家分家とはあまり関係ない話だが、揚げ足取りを蹴ってやりたい気分。
国司(守護職)と共に地頭に任ぜられたんだよ。 国司の当時の城は見た事はないが、登城してたと言うからには城があったんだろて
この国司と(守護職)なる人間とは一緒に源氏の戦いに行ってたから親しい。
自分の浅知恵が全てと思いなさんな。 嫌われるよと言ってるだろ。 ごめん国司といのは自分の思い込みだった。守護職が正しい。 が、最初は遥任国司 だったようだからあながち間違いではない。 因みに国司が守護として任じられたのはうちが地頭として任じられたより3年位後でその間は国司のはず。 守護、地頭の関係でもない、守護の統治範囲はうちの地頭の範囲は含まれていなかったし。
かなり後になって守護の範囲がうちの地頭の地を含むようになったけど。
その間はただの主家と家来の関係? お互い御家人だったというだけの話。
後に守護家が兄弟で二つに分かれて戦い、うちが味方した南朝方が負けたために、地頭職を取られて没落してしまい、細々と生き続けてる状態。
最初に地頭として住みついた地を追われていないだけでも不思議ではあるが。
守護家は、南北どちらが勝っても負けても家が存続するように家族を戦わせても家を守り大きな戦国武将に育つ。
あまり言い過ぎましたね、適当に読み流してください。 ヤフオクでちょこちょこ「戸籍」が出品されてるけどプライバシーの問題ないのかね
相当昔でその戸籍のメンバーは当然全員死んでるだろうが 戸籍は元々誰でも見られるように公開されていたからね
戦国武将の親族関係を書いても問題がないように、時が経てば良いだろうと個人的には思う 「そのような大事なものとは...」 出品者も驚いた「壬申戸籍」流出の不思議
https://www.j-cast.com/2019/02/18350639.html
法務省の民事第1課によると、静岡地方法務局が2月14日、「外に出るべきものではない」などと出品者に会って説明し、出品者から無償で回収した。出品者は、「そのような大事なものとは知らなかったので、お返しします」といった内容を話した。 今まで図書館でパソコンを借りて見なくてはならなかった国立国会図書館の資料が一部家でも見れるようになったよ、調査が捗るかも。ただし国立国会図書館のIDは必要 戸籍の附票って5年で廃棄らしいから
さすがに昭和時代に除籍済みの本籍の戸籍の附票(除票
は請求してもないですよね
奇跡的に残ってる自治体とかあるの? 戸主制度で長男に家督を譲った後昭和30年杉に
長男の母(前戸主の妻)が「改製」のために除籍してるんですけど
死んだわけじゃなくて長男の母が筆頭の新戸籍ができたってことですよね?
死んだ前戸主とは離婚してない未亡人のはずなんですが >>95
無いとは言いきれない
特にその除籍に記載の人が現在も同じ役場の管轄で存命ならばあるかも >>96
その長男に既に子供がいるのでは?
昭和二十三年式以降では一つの戸籍に三代は入れないので除籍になったのではないかと
その後の母戸籍を見ていないということは、その母は貴方の直系尊族ではない? >>98
同じ戸籍の中に家督相続した長男の子いましたよー
そして家督相続してない次男が「母に随い?」除籍ともなってました
母と独身次男の戸籍作ったんですかねえ・・・
そこに母と次男の次の本籍が書いてなかったから本籍の住所は同じままで別戸籍になったんでしょうか
戸籍集めたいけど次の本籍書いてないからどう問い合わせたらいいかわからない >>99
そう、母と次男の新戸籍が編製された
改製に因る新戸籍編製なら本籍は変わっていないだろうから、同じ本籍で請求したら良い
地番変更等行政側の事情で表記が変わったが場所は同じという場合も、同じ本籍で問題ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています