カール・マルクス 23
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ゴーン逮捕や富裕層への課税強化、イギリスの巨大IT企業へのデジタル課税、
日本のスマホキャリアへの官邸の値下げ指導、有名店舗の年末、元旦休業、
郵便の土曜配達中止など一連の流れで見えてくるのは、資本主義システムというのが、
経年の制度疲労を起こしていて、立ちいかなくなっている、ということが分かる。
資本主義というゲームのルールをより人的負荷を与えないよう、かつ、人身と
エコロジーを損なわないよう、維持可能なより適応的な経済システムに変更する
ことが迫られている、といったところだろう。経済的な格差も社会不安の原因に
なるので、修正すべき。アメリカのようにアッパー層と下層の二極化で分断された
社会は好ましくないだろう。要するに、マルクスの言ってたことは、結構、
当たっていて、現代でも通ずるものが多々あるのだな、と。孫正義がスマホ料金
下げるならその分、社員の給与を下げるとか述べているようだが、こういう
強欲資本家や経営者のあり方を非難する声を市民やユーザーはもっと上げるべき
だろう。独り占め経済では、もう社会が瓦解して立ち行かなくなるのだから 連合赤軍リンチ殺人を取り扱った映画が数作品ある中で、熊切和嘉監督の「鬼畜大宴会」
が傑作といえる。
大阪芸術大学映像学科の卒業作品として制作、劇場公開までされロングヒット。
当時の学生左翼グループの中で、アジト内の人間関係が次第にすさみ始めて行く。
彼ら彼女らは後戻りできない狂気と暴力の世界へと暴走していく・・・。
この作品がいかに強烈かは、本作品を見た人ならお分かりだろう。 史的唯物論によればある生産関係において生産力がこれ以上向上しなくなったときにのみ生産関係の変革が発生する
ということはGDP成長率が上向きである限り生産関係は変革しないということか? 参考記事:
http://markethack.net/archives/51573974.html
ルイスのターニング・ポイント(Lewisian Turning Point)にさしかかった中国
2010年06月11日09:34
ホンダの賃上げ闘争以来、「ルイスのターニング・ポイント(Lweisian Turning Point)」と呼ば
れる経済学の概念が脚光を浴びています。
ルイスとは[黒人最初の]ノーベル賞を受賞した経済学者、アーサー・ルイスを指します。
彼は1950年代に「Economic Development with Unlimited Supplies of Labor」という本を書き、
開発経済学に功績を残しました。
ルイスの主張は「無限に労働力の供給がある間は工員さんの賃金は余り上昇しない」というものです。
その無限の労働力は普通、農村から供給されます。
最初は農業より工業の方が生産性が高いので、工員さんに支払うお給料は農家の収入より
魅力的な水準に設定されます。
中国では当初、農村の労働人口が余っていたので都会に働きに出た方が有利な収入を得られました。
このような構図をルイスは二重経済モデル(Dual sector model)と呼んでいます。
農村はルイスの定義では生存維持的部門(伝統的部門=低賃金で無制限に近い労働供給が
ある)に相当します。
一方、深センなどの都会は資本家的部門(近代部門=大量の資本がある)に相当します。
生存維持的部門から近代的部門へ労働力が絶え間なく流入している間は一定の賃金水準で
労働供給曲線が無限に弾力的になります。
しかしルイスの理論によれば追加的労働力の投入は限界生産力や相対的賃金を押し下げる
働きがある一方、農家は残った人手が少なくなると農家での収入は上昇し、これにより賃金は
平準化されます。
するとある時点から農村から都市への労働力の流れが悪くなってしまうのです。
その場合、労働者へのインセンティブ(良い社員寮、良い賃金、より多い休日など)を増やさ
なければ雇用が確保できなくなります。また賃金はどんどん上昇しはじめます。これが「ルイス
のターニング・ポイント」と呼ばれる地点なのです。
この説明からもうかがえるように現在の中国で相次いで起こっている労働争議は極めてマクロ
経済的な現象であり、後戻りできない類の構造変化だと言えます。 >>7補足
ルイス転換点
賃金
| 工業部門の 農業部門の
| 限界生産性 限界生産性
| \ /
生存水準の賃金|_____\____○______
| |\→ /|転換点
| | \/ |
| | /\ |
|_____|/__\|______ 労働力
工業部門の雇用 過剰労働力 農業部門の雇用
http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/ssqs/070911ssqs.htm
付録:「ルイス転換点」とは
中国のような農業という伝統部門と工業といった現代部門からなる二元経済における経済発展を分析する際、経済学者
W. A.ルイス(1915-1990)が発案したモデル(彼の業績に因んで「ルイスモデル」と呼ばれている)が有効である。
これによると、多くの発展途上国においては、農村部における大量の余剰労働力が存在するため、工業部門にとって、
労働力の供給が実質上、無限大である。賃金が労働者の生存のために必要である最低水準に据え置かれることになるが、
工業部門と農業部門における雇用は、それぞれの限界生産性と賃金水準が一致するレベルで決められる(図)。外資
導入などによる工業部門での生産性の上昇は賃金上昇を招くことなく、農業部門の余剰労働力を吸収する形で(工業
部門、ひいては経済全体の)雇用の拡大をもたらす(図)。これに対して、完全雇用が達成される「ルイス転換点」
を超えると、工業部門において農業部門での雇用を減らす形で労働力を確保するために、賃金水準を上げなければ
ならないが、全体の雇用は増えない(図)。
参考:小野旭『労働経済学』168頁 農村や都会にどちらかだけ定住すると、子供や老人のバランスが崩れたり、
性暴力や強制妊娠などの被害が出てきたと思う。都市⇔農村(田舎)を両方
をリソースとして、互いによくない依存をやめるべきじゃないかなあ。 ダイヤモンド博士が言っていたことなんだけど、
農業をやるようになってから
集団で疫病にかかることが増えたみたいだね。
人間の進化の仕方は不思議なもんだね。 性病が全く治療できない社会で
フリーセックス思想も広がらないしね 限界まで生産して、余剰がない事、余裕がない事は搾取じゃないか? ワルラスはそれを限界効用として、
一般均衡理論の中に組み入れたんだよな。 >大統領府は経済紙レゼコーに対し、「陰謀なら外交的にかなり深刻な
>危機を引き起こす。日本人を信じたい」とコメントした。
「陰謀」なんて言葉が出てくること自体が変じゃね?
タカタのサイド・エアバッグのインフレータがフロント・エアバッグと
全く同じ硝酸アンモニウムを使っていて、同じ車内環境で使用されている
のに、1件の暴発も確認されておらず、リコール対象にもなっていないこと
の方が不思議だ。 だいたい、株の上場廃止で個人株主の金融資産を没収しておいて、
経営者一族の資産を管理するタカタ財団は何事もなかったかのように
運営を続けていることとかの方が、よほど納得できないんですが
http://www.takatafound.or.jp/ 私は、日産株のアホルダ―でもあるんですが、日産の株価が上がるか下がるかとか
どうでもいいわ。そんなことより、千代田がどこまで下がるのか知りたいw 矛盾の話だが、トマ・ピケティ氏も『21世紀の資本』(みすず書房)で
マルクスの利潤率低下仮説に触れ、それを資本蓄積の「論理的矛盾」だとか
「動学的矛盾」だとか「内部矛盾」だとか表現している。p.237 それが思想史的な難渋な矛盾概念でなければ
いいだろうけどね
無論思想史研究は秘教的な概念を扱っていいのだが
現代社会で通用する議論としてはね 詳しくはないが、全共闘と呼ばれるのはどうやら従来の党派に属さない学生たちのことのようだね。
1968年革命ブームに一時的に乗った学生さんたちのようだ。そこから結局保守派に行った人も少なくなかった。
それにしても当時は体育会系だねえ。
連合赤軍はその極致でまるでサバイバルゲームと戸塚ヨットスクールがワンセットになったみたいだ。
ブートキャンプをやってそんなに軟弱で権力と戦えるかボコボコボコって体罰を振るう世界だから。
これへのトラウマがその後の左翼を徹底した非暴力思想(ガンジー主義?)に走らせたように思われる。 俺が読んでる松尾秀雄っていう人の『市場と共同体』(ナカニシヤ出版)には
非暴力主義が冒頭に掲げられているね。 資本の蓄積が高まっていくことによってかえって資本収益を低下させていくって話だから
矛盾というよりは逆説・逆理・パラドクスと表現したほうがいいのかも。 資本主義である日本国。
子供が少なくなるだけで、ランドセル・机・子供が大学進学での下宿に必要なる家電やベッド家具。
これらの消費者が減少するのだから、日本国の内需経済拡大は100%見込めません。
自動車産業においても、若者世代が少ないと内需産業は減少してゆく。
日本国でエリートと言われても、現実社会において子供一人を育てるのが精一杯なのだという事実を日本国政府(自民党)は理解していない。
日本国も、議会座席数を取得するばかりに躍起となり、 座席数取得を目指して政治に興味もない有名人を候補に立たせた旧民主党。
どいつもこいつも自分の私腹を増やすばかりの議員活動。
このような社会状況に陥ると、なぜか共産党への票が増加するw
どっちの主義も信用できないとする有権者層は、共産党へ入票する(どうせ共産党が政権を取得することはないという安心感から) 吉原直毅の『労働搾取の厚生理論序説』読んだ人いる?
感想教えてくれ 安心感というよりも
政権獲得という政治の原理を無視した
勢力は議会に必要だからね
俺が思うに
国会の調査権や質問のリソースはもっと
多様な状態であることが望ましい
したがって全ての法案に反対して、調査をし
議論を組み立てるという議員も少しなら居てもいい 民主党女性議員も、SNSで高級車購入し自分はセレブだと錯覚して拡散w
もう民主党が政権取得することは、決してないでしょう。
特殊団体(労働組合 差別解放)=左翼思想らの票が集まっているだけ。 吉原直毅さんは分析的マルクス主義にも詳しいってだけの
掃いて捨てるほどいる近代経済学者の1人にすぎないでしょ? >>27
そんなこあったんか
民主党時代はずっと外国に住んでて
全然知らん 旧民主党は自民党以上に歴史修正主義者を含むかなりの右派から中道の左派までが集まった政党だったでしょう。
経済的にも緊縮財政派からリフレ派まで、新自由主義派から再分配派までが集まっていたんじゃ? リベラル系政党は都市部(に出てきたプロレタリアートないしはサラリーマン)で支持率が優勢、
保守系政党は田舎・農村部(独立自営農民)と富裕層ないしは資本家の間で支持率が優勢、
という傾向があるんじゃないかなあ?
米国なら前者がいまの民主党で後者が共和党、日本なら前者が旧民主党で後者が自民党。 >>21
連合赤軍というのは、全共闘などというふやけた組織体に属したりはしなかった。
体育会のような死を恐れる自己中の集まりでもない。
その、ただただ生真面目に、社会のためにひたすら自分を犠牲にする心の美しい人の集まりだ。
だからこそ、オウム信者や、各種原理主義テロリストや、特攻隊員と同じように、社会から排除すべき悪なんだよ。 大川隆法の親父だって元共産党の活動家/文学者で
隆法も東大でハンナアレント研究だもん
みんなキラキラしてる 全学共闘会議は厳密な意味で組織と呼べるものだったの?
今で言うところのせいぜいネットワークなんじゃないの?
いわゆる新左翼(この概念も曖昧)でもなく政治的には雑種的でしょう?
ただし今の左翼からするとかなり体育会系だなってこと。
赤軍派はこれらとは別系統の新左翼の一種に分類されるようだけど、
体育会系という意味ではその極みにあったんじゃないかと。
単なる武闘派ではなくブートキャンプみたいなことをやっていたんでしょ? >>32
の言っていることは警察官や消防士や自衛官にも当てはまりそうなのがなあ。 >>34
体育会系をどういう意味で使ってるか知らないが、普通の評価としては上下関係を重要視する脳筋バカ。
全共闘は真逆で、指揮系統すらない、知識による集合体。
なにかの目標について誰かが呼びかけ、賛同した奴だけが参加する。
いまでいえば、クラウドファンディングと似てないこともない。 そりゃ昔の人だからな
週休1日で全然平気だし
銀行が土曜日開いてるらしいww 連合赤軍あたりは反米愛国武装軍団というイメージ。ちがうの?
ばりばりの硬派集団というか、体育会系で、民兵を軍隊式に訓練していたんじゃ? >>35
中には当てはまる人もいるだろう。
それは、民間を含めて、組織に属する人間にはそういう人がいるという以上のものではないが。
明確に、自分の生命を犠牲にしてという目的意識を持った人間はめったにいない。
自分を犠牲にして社会(組織)を守る、という思考自体が滅ぼされるべきだとは思う。 >>38
愛国者はアラブに行って世界革命を宣言したりはしないだろうw
全共闘にも、愛国者は皆無だ。
愛国は、唾棄されるべき人間の蒙昧性だから。 オウム真理教も肉体修行とか自己鍛錬みたいなことを信奉していたようで、
水中で長く息を止めたりする水難救助隊の訓練みたいなことをしていて、
理系なのにマゾな体育会系の印象を受ける。 それらにはなんとうか、体育会的な精神論とか根性論みたいなのを強く感じるんだよね。
連合赤軍とかは殴って人格改造していくみたいな思想があったようで・・・
戦士社会というか、いまのリベラルとか左翼の人からみると、それだけで拒絶反応が起きる。 体育会系は、どういうイデオロギーにしろ、内部暴力の温床というか、おっかないイメージがある。 >>40
石原莞爾の世界最終戦争論とどう違うんだろ? >>45
重信房子にでも聞いてくれ。
塩見孝也でも答えてくれるかも知れない。
二人とも連合赤軍ではないが。 集団でも個人でも
独善は暴走すると歯止めがきかないってこと
思想は被ってるお面 いや、おっかないのは体育会式・軍隊式の考え方だよ。
個人の心身を暴力で鍛えあげて**戦士に仕立て上げていく発想。
そこから脱落して逃げ出そうとした軟弱な奴を殴って鍛え直すみたいな。
企業戦士をつくる論理と同じ。 >>6
>史的唯物論によればある生産関係において生産力がこれ以上向上しなくなったときにのみ生産関係の変革が発生する
マルクスは「経済学批判」序文では「向上しなくなったときに‘のみ’」とまでは言っていない。
>ということはGDP成長率が上向きである限り生産関係は変革しないということか?
そのGDP成長率とやらが上向きである社会でも、さらなる生産力の強化が見込める生産関係が提示されれば、人々は上から下まで雪崩を打ってそちらに向かい、
今までの生産関係は破壊されるだろう。 グローバー・ファー著『エジョフ対スターリン』
が翻訳されないかなあ。 体育会は体育教科の下部組織で仕上げたことはあるが、インカレ、大学選手権優勝でした。編成が似てるものが集まる多いから、交流すべき面。が今後の課題。 この学術とかいうスクリプトみたいな奴どうにかならんかね 一円本見ると、平川祐弘が
アイツの本がアマゾンで一円で買えると
教えてくれたものがいるが、
やっぱりクソだとバレてるのだ、とかいう
攻撃思い出すわ
アタマおかしい
君の新書も一円やん 日本の資本分配率が30%に達したところでバブル崩壊が起こっているし、
その後再び30%に達したところで世界金融危機が起こっている。
後者は偶然か。
その前には30%を超えたところで第一次オイルショック。これは偶然だな。 これぞマルクス経済学の教科書って言えるような本あったら教えて
経済学部だけどマルクス経済学全く触れたことなくてちょっと興味あるから 「セイの法則は正しく、有効需要の原理は誤りである」
「労働価値説は正しく、効用価値説は誤りである」
この2つの命題を証明しないと何もかも総崩れするマル経の道に足を踏み入れる覚悟があるのかね?君は今まで学んだきたまともな経済学を根本から否定する覚悟があるのかね?
無いならマル経を学ぶのはやめておきなさい
時間の無駄だし脳に深刻なダメージを受けます 参考:
宇野弘蔵『経済原論』における、剰余価値率/利潤率/利子率:
宇野弘蔵『経済原論』はヘーゲル『小論理学』の構成を参考にしている
(『「資本論」と私』2008年、お茶の水書房)。図解するなら(☆=起点)、
/\
C利子\
/(分配論) \
B利潤__地代\
/\宇野弘蔵・ 資本の再
/資本\経済原論/生産過程A
/ (流通論)\ /(生産論)\
/商品__貨幣\/生産__流通\
☆ 過程 過程
A.剰余価値率:
《いわゆる労働日をできうる限り延長することが…資本にとっては…基本原理となる。
…マルクスはこれを剰余価値率m/v(vは可変資本、mは剰余価値)をもってあらわし、
労働力の搾取度を示すものとするのである。》(宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫版78頁)
B.利潤率:
《剰余価値率がm/vとして、資本家と労働者との関係をあらわすのに対して、利潤率は
m/c+vとして、剰余価値の全資本に対する分配率を示し、資本家と資本家との関係を
あらわすものになる。》(同151頁)
C.利子率:
《利潤率に対する利子率の関係は、前者が一般に個々の資本にとってその投資部面を
決定する基準となるのに対して、後者は個々の資本の運動中に生ずる遊休貨幣資本を
資金として資本家社会的に共同的に利用しつつ、利潤率の相違を補足的に均等化する
ものといってよいのであって、この資金は、個々の資本家の資金でありながら、銀行
を通して社会的資金として、上述のように資本の蓄積に対する社会的規制をなすもの
となる。》(同225頁) >>50
マルクス自身の小著を進めるべきだろうが、
安価なので宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫>>62は持っていて損はない(実は構成さえわかれば読む必要はないのだが)。
柄谷行人『トランスクリティーク』の後半部もぜひ。
ハーヴェイ、的場、熊野、最近の入門書は出来が良いがやはり資本論と併読すべきだ。
森嶋通夫や吉原直毅『労働搾取の厚生理論序説』はそのあとだろう。 呆れるほど薄いのだが『資本論』の新しい読み方―21世紀のマルクス入門 ミヒャエル・ハインリッヒ
は再生産表式の説明172頁☆が簡潔でオススメ
中学生には『いまこそ『資本論』 』(朝日新書): 嶋 祟
☆
《部門I c1+v1+m1
部門II c2+v2+m2
部門1の生産物は素材的には生産手段からなっている。単純再生産が可能であるためには、
この生産物は両部門で用いられる生産手段を補填しなくてはならない。したがって以下のような
価値比率となる。
(1)c1+v1+m1=c1+c2
また、部門IIの生産物は消費手段からなっている。それは両部門の労働者と資本家の使用を
カバーしなければならない。そのためには、次の式になる。
(2)c2+v2+m2=v1+v2+m1+m2
両等式はどちらも以下のようになる(等式の両辺の同じ項を引くことによって)。
(3)c2=v1+m1
つまり、部門IIで用いられる不変資本の価値は、部門Iの可変資本の価値と剰余価値に等しく
なくてなならない。…》 おーありがとう、でも宇野弘蔵って人は正統派のマルクス経済学者ではないとか言われてるけどいきなり初心者が宇野弘蔵を読んでもいいの? 宇野はやめとけ。
柄谷にいたっては哲学ですらないデタラメ創作文芸。 朝日、ちくま、岩波あたりの本も注意が必要。
マルクスについて書いてるといっても、池上みたいなシッタカ系から
極左系・ポモ系の偽装観念論まで嘘つき野郎がけっこう混じってるからね 正義論ではなく疎外論を基礎にした法学ってあるんですかね
マルクス主義法学とかいうのが昔あったらしいですけどそんな感じなんですかね リカードは、短期的にはともかく、
需要のない商品を人が継続的に生産することは考えにくいので
長期的にはセイの法則が成り立つと考えていたようだ。 ケインズは『一般理論』の草稿でマルクスを引用してセイの法則を批判したが、
政治的な理由があってか、その部分を最終的には削除したらしい。
実際にその草稿を確認していないのでわからないが、そういう話もある。 「セイの法則」という言葉だけは有名だが、
ジャン=バティスト・セイ自身による原典を読んだことがないので
彼が実際に何を述べていたのかわからない。
彼は貨幣経済を想定していなかったのか、それを想定していたとしたら
いったい何を根拠にどのようにそれを述べたのかが気になる。 柄谷行人「トランスクリティーク」も是非
などと、臆面もなく発せる無能さは凄い
Amazonの書評欄で
汚ったない絵を描いている男だろうか まあまあw
いろんな人がマルクスの著作を元に着想を得て
色々と独自の展開をしてゆくのはそれはそれで面白いと思うよ。 マルクス経済学というよりはスラッファ経済学だという場合も少なくない。
主流派だけでなく異端派にも幅広く精通したいというのはいい考えだと思われ。 ある先駆者を批判して「私はそれを超えた・克服した」と自らの独自性を主張するのは
学術書がよくやる手口だけど、それを100%鵜呑みにできないこともある。
先駆者がその批判をすでに想定したいたり顧慮していたり受け入れていたりした場合もあるから。
ケインズの古典派批判に対するマーシャル、見えざる手批判に対するスミス、マルクス主義批判に対するマルクス、
挙げたらキリがない。 経済学思想史学の「乗り越え」はそうだろうな
本だけ読んでるだけだから 全然関係ないんだが
アマの出品者の家見るの好きなんだけど
丸山眞男の本を探してて出品者見てみると
住所がすごい山奥なんだよ
でボロい家を良く見ると共産党のポスター貼ってあるの
ジーンとくる 志位さんのハンドパワーのパスターが高級住宅街ではほぼ見られないことが
下部構造(経済)から上部構造(政治)への因果関係が成り立つとするような、
ある種の経済決定論(ミクロ唯物論?)を実証している? 社会科学では自然科学ほどにはパラダイムが堅牢であるとは言えず、
主流派の核となっているパラダイムらしきものにも結構穴がある。 >>70
法学ではないけど松尾匡氏が疎外論を軸にした経済学を展開している 疎外論ってのは、おそらくはマルクス流の、反権威主義的な自由主義論の試みの一つなんだろうけど、
個人と構造とがからみ合って再帰的な関係になっているモデルなんだろうね。ちょっとややこしい。 疎外論はもしかしたらこれから
人工知能と人類との激しい労働力競争の過程と帰結の両方で
再び注目される大きなテーマになってくるかもしれない。 疎外論はとにかくマルクスにとって人間の自由とは何か、
人間はどういうときに自由を他人に売る必要が出てくるのか、
という問題設定になっている。 疎外は集合力の対義語
肝心の時、政権奪取した後のヴィジョンがないのは
集合力の使い方を普段から考えていないから もともとあった社会や共同体から引きはがされて
国家権力による統治に服することになるが故に、
疎外状態になると言えるのかもな。 「疎外論」なんて意味ないよ。
深遠な哲学的意味がありそうに見せかけるため観念論者たちが無理やり設定した架空世界。
マルクス自身も後に語らなくなったし。
そもそもヘーゲルもマルクスも原語は「Entfremdung」。
なのにマルクスの「Entfremdung」だけが特別な意味を持ってるかのように誤解させてきた人たちがいる。
唯物論のマルクスをやたら思弁的神秘的に語りたがる人たち。 スターリン主義とかその日本版の講座派マルクス主義では疎外と搾取を同一視して疎外を問題にしたがらないみたいですね
ソ連体制が疎外そのものだから触れられたくないんでしょうね 『孤独』は愛するべきだが、『孤立』は凶暴を生み出す。
「〇〇は愛するべきであり、〇〇は暴力として現れてくる」
この〇〇に適する言葉を下記から選べ、という問題が外交官試験にありました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています