ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義総合スレ3
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“「器官なき身体」の概念を展開したドゥルーズとガタリが影響を受けたマルクスの一節にはこうある。「自然とは、人間の非有機的身体である…[略]…政治的生産の時代においては、大都市がこのマルチチュードの非有機的身体としての役割をますます担うようになっていくのである。”
― ネグリ=ハート 『コモンウェルス:<帝国>を超える革命論 下』 (2012) 第4部 “自然とは、それ自体が人間の身体ではないかぎりで、人間の非有機的な肉体である。
人間が自然に依存して生きているということは、自然が人間の肉体だということであり、
人間は死なないためにはたえず自然と交流しなければならないということだ。
人間の肉体的・精神的生活が自然と結びついているということは、
自然が自然と結びついているというのと同じだ。
人間は自然の一部なのだから。”
― マルクス 『経済学・哲学草稿』 長谷川宏訳、光文社古典新訳文庫 (2010) 第1草稿 4.疎外された労働 p100-101 器官なき身体(corps sans organes)
organe=器官
organisme=有機体 アルトー「器官なき身体」 + マルクス + その他多数のイメージ ⇒ ドゥルーズ=ガタリ「器官なき身体」 『千のプラトー』「6 いかにして器官なき身体を獲得するか」で参照されているのは、
ヨガ、タントラ、日本や中国の道教(Tao)、儒教、バリ島のプラトー、遊牧生活、カスタネダとインディアン、、、 チベット仏教の「幻身」あるいは「虹の身体」
http://samten.seesaa.net/article/434150824.html
『智慧金剛集』という書物には
「幻身は、風と心のみから出来ていて、どこにでもあまねく存在し、
肉と骨を離れ、刹那に動き、陽炎のような、蜃気楼のような、
一つなのに多くの現れをもち、空の状態から忽然と出現し、
虹のごとく物質的存在に汚されず混じり合わないで現れる」とある。 “五大にみな響きあり。(地・水・火・風・空の五大からなる森羅万象が声として響き)
十界に言語を具す。(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・緑覚・菩薩・仏の十界すべてが言語を具え)
六塵ことごとく文字なり。(色・声・香・味・触・法の六塵といった知覚世界の諸差異が文字を生じ)
法身はこれ実相なり。”(宇宙の本源たる大日如来は、この世界のあるがままの姿に他ならない)
― 空海「声字実相義」 >>72
千年以上も前の空海は、既にマルクスとドゥルーズにデリダを加えたような感じ。 “如来の説法は、(きわめて深淵であるために)わずか一字の中にも、
五種の教え(人・天・声聞・縁覚・菩薩)にそれぞれ関係する内容を含んでいる。
(また)一瞬間のうちに、三種の教えの集成(経・律・論)を明らかにしている。”
― 空海「般若心経秘鍵」 千葉は『勉強の哲学』の中で「器官なき言語」ということをいっていたが、
>>74などは「器官なきテクスト」とでもいうようなものだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています