ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義総合スレ3
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ここまでの流れ
『現代思想 2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019 ポスト・ヒューマニティーズ』
『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』
『現代思想の転換2017: 知のエッジをめぐる五つの対話』 篠原雅武 編 (2017)
『現代思想 2016年3月臨時増刊号 総特集=人類学のゆくえ』
『現代思想 2016年1月号 特集=ポスト現代思想』
『現代思想 2015年9月号 特集=絶滅 人間不在の世界』
『現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015 -思弁的実在論と新しい唯物論』
『現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014 ポスト・ポスト構造主義へ』
『現代思想 2013年1月号 特集=現代思想の総展望2013』 入門書・解説書1(哲学・思想史)
<現代哲学、現代思想>
『現代思想のの50人:構造主義からポストモダンまで』 ジョン・レヒテ (1999)
『現代思想の教科書:世界を考える知の地平15章』 石田英敬 (2010)
『20世紀の思想:マルクスからデリダへ』 加藤尚武 (1997)
『現代思想の名著30』 仲正昌樹 (2017)
『現代哲学の名著:20世紀の20冊』 熊野純彦 (2009)
『概説現代の哲学・思想』 小坂国継、本郷均 (2012)
『ヨーロッパ現代哲学への招待』 伊藤直樹、齋藤元紀、増田靖彦 (2009)
『21世紀の哲学をひらく:現代思想の最前線への招待』 齋藤元紀、増田靖彦 (2016)
『図解雑学 現代思想』 小阪修平 (2004)
<哲学史(古代〜現代)>
『哲学思想の50人』 ディアーネ・コリンソン (2002)
『はじめての哲学史:強く深く考えるために』 竹田青嗣、西研 (1998)
『図説・標準哲学史』 貫成人 (2008)
『西洋哲学史:パルメニデスからレヴィナスまで』 ドミニク・フォルシェー (2011)
『西洋哲学史:古代から中世へ』 熊野純彦 (2006)
『西洋哲学史:近代から現代へ』 熊野純彦 (2006)
『西洋哲学史(現代思想選書)』 湯田豊 (1989)
<古代ギリシャ哲学>
『古代ギリシアの思想』 山川偉也 (1993)
<インド哲学>
『インド哲学10講』 赤松明彦 (2018)
『はじめてのインド哲学』 立川武蔵 (1992)
<中国思想>
『中国の古典名著・総解説』 自由国民社 (1997) 入門書・解説書2(各国の哲学)
<フランス哲学>
『フランス現代思想史:構造主義からデリダ以後へ 』 岡本裕一朗 (2015)
『現代フランス哲学』 久米博 (1998)
『現代フランス哲学:フーコー、ドゥルーズ、デリダを継ぐ活成層』 エリック・アリエズ (1999)
『近代フランス哲学講義』 竹田篤司 (1999)
<ドイツ哲学>
『ドイツ哲学史』 モーリス・デュピュイ (1987)
『現代ドイツ思想講義』 仲正昌樹 (2012)
『フランクフルト学派:ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』 細見和之 (2014)
『現代思想の源流:マルクス、ニーチェ、フロイト、フッサール』 今村仁司ほか (2003)
『ドイツ観念論:カント・フィヒテ・シェリング・ヘーゲル』 村岡晋一 (2012)
<英米哲学>
『英米哲学史講義』 一ノ瀬正樹 (2016)
『現代のイギリス哲学:ムーア・ウィトゲンシュタイン・オースティン 』 G.J.ワーノック (1983)
『集中講義!アメリカ現代思想:リベラリズムの冒険』 仲正昌樹 (2008)
『プラグマティズム入門』 伊藤邦武 (2016)
『ネオ・プラグマティズムとは何か:ポスト分析哲学の新展開』 岡本裕一朗 (2012)
『分析哲学入門』 竹尾治一郎 (1999) >>4
<イタリア哲学>
『イタリアン・セオリーの現在: 批判的試論』 ロベルト・テッロージ (2019)
『イタリアン・セオリー』 岡田温司 (2014)
『イタリア現代思想への招待』 岡田温司 (2009)
<ロシア哲学>
『20世紀ロシア思想史:宗教・革命・言語』 桑野隆 (2017)
『ロシア・ソヴィエト哲学史』 ルネ・ザパタ (1997)
『ゲンロン 6・7 ロシア現代思想 I・II』 東浩紀 他 (2017)
『ロシア的人間』 井筒俊彦
<日本哲学>
『ニッポンの思想』 佐々木敦 (2009)
『入門 近代日本思想史』 濱田恂子 (2013)
『日本近代思想を学ぶ人のために』 藤田正勝 編 (1997)
『日本哲学史』 藤田正勝 (2018)
『日本人は思想したか』 吉本隆明、中沢新一、梅原猛 (1995) 入門書・解説書3(構造主義以降)
<構造主義>
『はじめての構造主義』 橋爪大三郎 (1988)
『構造主義とは何か:そのイデオロギーと方法』 J.=M.ドムナック (2004)
『構造主義』 ジャン・ピアジェ (1980)
『構造主義の歴史 上巻 記号の沃野 1945〜1966』 フランソワ・ドッス (1999)
『構造主義の歴史 下巻 白鳥の歌 1967〜1992』 フランソワ・ドッス (1999)
『図解雑学 構造主義』 小野功生 (2004)
<ポスト構造主義>
『フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ 』 岡本裕一朗 (2015)※再掲
『現代フランス哲学』 久米博 (1998)※再掲
『図解雑学 ポスト構造主義』 小野功生、大城信哉 (2005)
<ポスト・ポスト構造主義>
『いま世界の哲学者が考えていること』 岡本裕一朗 (2016)
『実在への殺到』 清水高志 (2017) ポスト・ポスト構造主義
カンタン・メイヤスー
『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』 カンタン・メイヤスー (2016)
「反復・重復・再演 意味を欠いた記号の思弁的分析」 カンタン・メイヤスー 『現代思想 2019年1月号』
『亡霊のジレンマ -思弁的唯物論の展開-』 カンタン・メイヤスー (2018)
「神は偶然にやって来る ― 思弁的実在論の展開について」 千葉雅也×東浩紀 『ゲンロン2』 (2016)
マルクス・ガブリエル
『なぜ世界は存在しないのか』 マルクス・ガブリエル (2018)
『神話・狂気・哄笑』 マルクス・ガブリエル (2015)
『現代思想 2018年10月臨時増刊号 総特集=マルクス・ガブリエル ―新しい実在論―』
『週刊 読書人 2018年6月29日号 3245号《特集》マルクス・ガブリエルの来日インタビュー/入門マルクス・ガブリエル』
ヴィヴェイロス・デ・カストロ
『食人の形而上学:ポスト構造主義的人類学への道 』 ヴィヴェイロス・デ・カストロ (2015)
グレアム・ハーマン
『非唯物論:オブジェクトと社会理論』 グレアム・ハーマン (2019)
『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』 グレアム・ハーマン (2017)
「現象学のホラーについて:ラヴクラフトとフッサール」 グレアム・ハーマン 『ユリイカ 2018年2月号』
ロージ・ブライドッティ
『ポストヒューマン:新しい人文学に向けて』 ロージ・ブライドッティ (2019)
ブルーノ・ラトゥール
『虚構の「近代」:科学人類学は警告する』 ブルーノ・ラトゥール (2008)
『社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門』 ブルーノ・ラトゥール (2019)
アラン・バディウ
『推移的存在論』 アラン・バディウ (2018)
『ドゥルーズ:存在の喧騒』 アラン・バディウ (1998) >>1
論文検索(CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所)
http://ci.nii.ac.jp/ たしかに、こういう人たちに税金を使うのは無駄だと思われてもしかたがないな。
しっかり現実を見据えた思考を取り戻さないと、大学から哲学科や哲学専攻は消えていくことになる。 >>16
じゃあ現実を見据えるってどういう思考のこと? >>17
現実を見る思考のことに決まってるだろ?
論理を進めるときに、言葉のつながりではなく、常に現実を振り返る思考。
言葉というのは現実ではないから、言葉のつながりだけを追うと必ず現実から遊離していく。
数学のように厳密な定義を前提にすれば現実に踏みとどまれるが、哲学のように10人いれば10の言葉の定義が出てくるようでは、現実は跡形もなく消えていく。 素朴実在論的なやつ?
現象学どころかカントの物自体と現象の区別にすら達していなさそう >>19
ほんとに無知で教養がないんだな。
物自体と現象w
そんなものがあるなら見せてくれ。
そこにあるものが、物自体であり現象であるに決まってるw
それをわからないとか、本質の表れであるとか、くだらないおしゃべりで最後は錯乱したのがフッサール。
実在の奥には存在がある、とか寝言を言ったのがハイデガー。
素朴もなにも、実在は実在に決まってるだろ?w
あるものをないとか言い出したがるのが、現代の先祖返りした哲学愛好家たちだ。 >>20
> 実在の奥には存在がある、とか寝言を言ったのがハイデガー。
ハイデガーのいう「存在」とは何であったか? >>13
ニューアカについて
(1)『ニッポンの思想』 佐々木敦 (2009) >>5
(2)『現代思想の名著30』 仲正昌樹 (2017) >>3
1. ニューアカ登場の時代背景に詳しい
2. 浅田『構造と力』、柄谷『マルクス その可能性の中心』などを哲学的側面から解説 今の哲学を理解するにも、ニューアカ前後ぐらいから全部読んでいかないといけない >>23
ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、エンゲルス。
これだけ読んでおけば、十分。
それを読まないニューアカも今の哲学もバカの集まり。 >>24
では、ハイデガーの「存在=無」という話は? >>25
> ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、エンゲルス。
これらで、今の哲学を説明してみて? >>26
>ハイデガーの「存在=無」という話
どこに書いてある? >>27
>これらで、今の哲学を説明してみて?
それでは、今の哲学をここに出してみてねw >>30
ニューアカとか、いまの哲学とか、ほんとにバカだよね。
大学から哲学科や哲学専攻が消えていくのも当然だな。 >>20、>>32
廣松は現象学以前のマルクス哲学は硬質だとして、現象学を加味して読み直していただろ
↓
分析哲学者は「文化の問題は現象学」といっている。分析哲学と現象学は役割が異なる
↓
メイヤスーは、分析哲学と現象学双方の問題を指摘し、乗り越えを図った
↓
このスレでは、その先にある問題を論じたい 浅田は二項対立の克服をどのように説明したのだったか? >>25
このスレで扱うマルクスは、マルクスを読み直したドゥルーズ=ガタリ、
それを読み直したネグリ=ハートぐらいまではやっておいてほしい。
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1518478416/273-275 マルクスやヘーゲルはインターネットの問題など扱っていないだろ? マルクスやヘーゲルがインターネットをしていた。新説ですか? 「作者の死(前スレ)」というのは、
マルクス・ヘーゲルが言うことも、浅田・柄谷が言うことも、匿名掲示板で言われることも、
その有名無名を問わず、どれもテクストとして対等に検討する態度のこと。
読み手の問題。(ロラン・バルトやレヴィ=ストロースの哲学がこの辺) 「クセジュ(わたしはなにを知っているのか?)(前スレ)」も自問自答する言葉。 20世紀以降のフランス現代思想の大きな特徴は脱中心化。 >>33
その先、の前に、現象学なる幽霊学をかたずけないとね。
もともと、ポスト・・・○○主義とか現代思想とか、寝言はそれからだ。 >>36
>マルクスを読み直したドゥルーズ=ガタリ、
>それを読み直したネグリ=ハート
なんの寝言だ?
ドゥルーズは、死の直前まで、マルクスなんか読んでないと自分で言ってるw >>44
それはリンク先にある程度の話。
関心があるのは、『経済学・哲学草稿』の該当箇所のイメージがどこから来たか。 >>45
>『経済学・哲学草稿』の該当箇所のイメージ
なんだそれ?
おまえ、『経済学・哲学草稿』すら、読んでないだろ。
ドゥルーズも読んでないだろうがw >>46
「器官なき身体」の元はアントナン・アルトー。
『経済学・哲学草稿』については引用した箇所。
こういう身体イメージというのは他にもあるんだ。 >>47
それのどこに『経済学・哲学草稿』のイメージがあるんだよw 要するに>>47は、「器官なき身体」の発想の元が経哲草稿にあると言いたいんだろうが、「器官なき身体」と経哲草稿はその論理も内容もまったく関係がない。
そんなことは経哲草稿を読めばすぐにわかることだ。
だいたい君は、「器官なき身体」をどういう概念だと思ってるんだ?w >>49
そんな本に書いてあるようなことの話をしているのではない。
器官のない身体や、身体のない器官について、他に例が思い浮かばないのであれば捨て置け。
“「器官なき身体」の概念を展開したドゥルーズとガタリが影響を受けたマルクスの一節にはこうある。「自然とは、人間の非有機的身体である…”(ネグリ=ハート『コモンウェルス 下』) 『ユリイカ 1988年2月号 特集*アントナン・アルトー あるいは<器官なき身体>』 >>22
"ニューアカデミズム"という言葉が初めて使われた記事
「出版界に異変 ニューアカデミズム」(朝日新聞1984年1月23日)
“本が売れない出版界。とりわけ社会学書や思想書などの硬派出版物の不振は深刻といわれるが、そうした状況の中で、ごく一部の「硬い本」だけがブーム的に売れる現象が、昨年後半から目立っている。
いずれも、これまでの学問体系や秩序に挑戦する若い研究者の本や、旧来のアカデミズムの外側にいる幅広い知識人の討論などを集めた本で、「新しい知」を求める若い世代の関心を集めているのが特徴。「ニューアカデミズム」という言葉が今年の出版会の一つの目にはなりそうだ。
まず難解なフランス現代思想の紹介書としては「記録的」といっていいほどのブームを呼んでいるのが浅田彰著の『構造と力』(勁草書房)。
ソシュール、ラカンからデリダ、ドゥルーズ=ガタリまで最先端の思想を論じながら、構造主義からポスト構造主義への流れを整理した内容で、著者自身が「教科書のつもりで書いた」という硬い本。
まさかそう売れるとは思わず、出版元も「最初はおっかなびっくり」増刷していたのが、昨年九月から三ヵ月で一万部。その後は、雑誌などが一斉に取りあげたことで話題になり、一月までに十一刷り、二万部を記録した。
「年間七十点前後の本を出しているが、普通、最初は二千部から二千五百部。この種の硬い本としては以上な売れ方」と勁草書房。著者がまだ二十六歳の京大人文科学研究所助手であることを考えれば、まさに出版界の常識をくつがえす現象と言えそうだ。
出版社は違うが、同じく若手の研究者の本では中沢新一著『チベットのモーツァルト』(せりか書房)も話題になっている。
ネパールのチベット人の密教僧のもとで修業を受けた宗教人類学者の著者が、自己の体験を現代思想の最先端にあるクリステヴァやデリダの理論と交錯させながら、西欧的な知からすりぬけていく人間の意識の問題をとらえる方法論を目指した本。
これも難解な現代思想を軽快に論じる従来のアカデミズムとは異なるスタイルが若い世代に支持されたためか、十一月末に出版されて初版の三千部をほぼ売り切り、増刷にかかっている。 >>52
「硬い本が売れないといわれるが、最近出版したものではクリステヴァの『記号の解体学―セメイオチケⅠ』もよく売れており、うちに関しては硬い本も売れるという傾向ははっきりしている」とせりか書房。
こうした中で、より広い読者層の獲得をねらって「新しいアカデミズム」をうたうシリーズの出版活動も活発になっている。この分野では青土社などの出版活動が知られているが、東京に編集部を移した関西系の出版社、駸々堂出版も新たに参入。「ニューアカデミックス」と銘打ったシリーズの刊行を昨年暮れから始めた。
第一弾は中村雄二郎と山口昌男、岸田秀と栗本慎一郎らを組み合わせた対談やインタビューを集めた『知のスクランブル』(浦達也編)と、山口昌男、前田愛ほか著の『挑発する子どもたち』の二冊。
「今までの価値観が大きく変わってきた中で、これまでのアカデミックな学問体系ではとらえ切れない問題が多くなっている。今後は日本の現実の問題にも焦点をあてていきたい」(出版元の話)としており、続いて「病と現代社会」などをテーマにした出版も準備している。
ともに東京の一部の書店ではベストセラーにも顔を出すほどの出足で、『知のスクランブル』は初版一万部を増刷中。
このほかニューアカデミズム路線とは多少色あいは違うが、昨年暮れから刊行が始まった『叢書 社会と社会学』(栗原彬、今防人、杉山光信、山本哲士編。新評論。第一巻は「世界社会学をめざして」)も、「既存の社会学の枠組みを根底から捉(とら)え直す」ことを目指したシリーズ。
昨年は雑誌ブームなど出版界も軽薄一色だったが、今年はその揺り戻しの年という予測もあり、新しいスタイルの「硬派の本」が出版界の活性化につながることも期待されている。” 『現代思想 1987年12月臨時増刊 特集=日本のポストモダン』
テツオ・ナジタ「ポストモダンの日本における文化とテクノロジーに関する私見」(櫻井進訳)
浅田彰「子供の資本主義と日本のポストモダニズム ひとつのフェアリー・テイル」
ハリー・D・ハルートゥニアン(Harry D. Harootunian)「可視の言説/不可視のイデオロギー」(栂正行訳)
ジョナサン・アラック(Jonathan Arac)「ポストモダニズム、政治学、表象」(黒木美智訳)
マサオ・ミヨシ「「大いなる分割線」再考 ノヴェルの問題」(富山英俊訳)
マリリン・アイヴィ(Marilyn Ivy)「「批判的テクスト、大衆加工品」 「ポストモダン」の日本における知の消費」(根村亮訳)
ブレット・ドゥバリー(Brett de Bary)「『不合理ゆえに吾信ず』「転向」と言語の牢獄」(吉川純子訳)
ウイリアム・ヘイヴァー(William Haver)「ポストモダンにおける歴史性」(根村亮訳)
J・ヴィクター・コシュマン(J. Victor Koschmann)「ポストモダンと戦後思想 丸山真男と未完の近代のプロジェクト」(三好みゆき訳)
柄谷行人「一つの精神、二つの十九世紀」
酒井直樹「近代の批判:中絶した投企 ポストモダンの諸問題」
マイケル・ライアン(Michael Ryan)「ポストモダンの政治学」(竹村和子訳)
アラン・ウォルフ(Alan Wolfe)「自殺と日本のポストモダン」(島弘之訳)
ノーマ・フィールド(Norma Field)「『なんとなくクリスタル』とポストモダニズムの徴候」(上野直子訳)
スティーヴン・メルヴィル(Stephen Melville)「心に描く日本」(吉川純子訳)
「シンポジウム 外部の日本/日本の外部」
M・アイヴィ+J・アラック+A・ウォルフ+柄谷行人+J・V・コシュマン+酒井直樹+B・ドゥバリー+H・D・ハルートゥニアン+N・フィールド+M・ミヨシ+S・メルヴィル
人名索引 『現代思想 2001年11月号 特集=ポストモダンとは何だったのか -80年代論-』
■特別掲載
苦悩の遠近法 いま、ゴッホを語る / 徐京植+矢野静明
「聖戦」 と 「新しい戦争」 テロと旧い戦争の終焉をめぐって / 津覇実明
暴力と制度 主権の構成とその現在 / 萱野三平
【討議】
八〇年代とは何だったのか / 大内裕和+酒井隆史+三宅芳夫+山根伸洋+柿原泰+藤本一勇
【インタヴュー】
危機の二〇数年 / 姜尚中
【思想】
教育をめぐる対話 一九八〇年代から二〇〇一年 / 大内裕和
ポストモダンの宿命論 / 渋谷望
消費論ブーム マーケティングにおける 「ポストモダン」 / 松井剛
【制度】
社会的信憑の基盤 物的なものと人的なもの / 山根伸洋
同時代性のために / 酒井隆史
租税による再分配政策思想の再生 / 諸富徹
【同時代】
八〇年代を語り直す アメリカ社会の保守化と大学のラディカル化 / 太田好信
ポストモダニズムの光と影 / 藤本一勇
【資料】
年表 (1975〜2000)
■研究手帖
「について」 が溶けてしまう前に / 園田浩之 >>50
>ドゥルーズとガタリが影響を受けたマルクスの一節
ドゥルーズもガタリもマルクスの影響など皆無だ。
共産党宣言ぐらいは読んでいるだろうが、資本論などの主著は読んでいないと断言できる。
哲学史に出てくるマルクスの解説を読んだだけだろうw
「自然とは、人間の非有機的身体である」というのがどういう文脈でどういう意味で書かれていると思ってるんだ?
「器官なき身体」などという詩人の比喩と結びつける話ではまったくない。
御託を並べる前に、きちんとそれぞれの概念を説明してみろよw >>57
自分のが与太話だということに気づけよw
アルトーもドゥルーズもガタリも、マルクスとはなんの関係もないことぐらい理解しろ。
なにより、マルクスを読んでから、関係があるかないかを、他人の言説によってではなく、自分で考えろ。 >>58
こちらは入手可能な限りの版を検討して引用箇所も示している。
根拠となるテキスト一つ示せない奴が偉そうなことをいうな。 >>59
引用?
君が自分では『経済学・哲学草稿』を読まずに孫引きしてるレスのことか?
とにかく、まず、どの版でもいいから自分で『経済学・哲学草稿』を読め。
話はそれからだ。 >>60
>>36のリンク先(前スレ)にあるだろ。
お前の読んだテキストはどれだ?根拠となる箇所を示せ。
読みもしないモンテーニュの『エセー』を振り回していた輩が「マルクスやドゥルーズなら読んだ」というのを信じろというのか?
そろそろ虚言癖が疑われるぞ。 >>61
その解釈がまるでデタラメだといってるんだよ。
繰り返すが、マルクスの考え方は「器官なき身体」などとはなんの関係もない。
それが理解できないのは、君が『経済学・哲学草稿』を読んでいないからだ。
根拠は『経済学・哲学草稿』そのものにある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています