数・記号の文明史 [転載禁止]©2ch.net
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数字や記号に関する歴史や文化について話すスレです。 数や記号の認識に始まり、その表記や計算法、記録法の発展と 応用分野、社会的影響力の拡大、度量衡の標準化などなど。 数学、論理学、記号論や、自然科学・社会科学への数値化、 質的説明から量的証明への移り変わり。 計測器の発達やメーター・文字盤の発達、 そろばん、算木、計算尺、電卓などの計算機具の発達など、 自由に話してください。 どこかの国が世界的アニメにペイントしなおしてましたよ トラックが痛車になってましたww >>490 真っ当な国際条約としては赤十字と赤新月は同じ実体の別のシンボルなので、赤十字なら攻撃していいと言うものではない。 ISの主張がむちゃくちゃすぎるので、わざわざ赤新月に塗り替えると言う発想は当事者からは出て来にくいのは仕方ないと思う。 現場はそんなこと言ってられないし、100年を超える実績を頭から否定されて混乱してるだろうな。 >>489 実際はいちいち塗りなおすのが一般的なんだよ だから最初から宗教中立なものにしておけばよかったのに >赤十字なら攻撃していいと言うものではない。 常識人ならそうだろうけど、十字マーク自体を憎悪の対象である連中に通じる理屈ではない。 >>488 度量衡理論 『三統暦』にある度量衡理論、黄鍾秬黍説が後の中国の度量衡を規定することになった。 長さの単位(度)は秬黍(きょしょ、くろきび)の一粒の幅の長さを一分とし、九十分にすると、 黄鍾の音律を出す管の長さ(九寸)にあたるとした。 容量の単位(量)は、秬黍が1200粒入る黄鍾の管の容積(810立方分)を一龠とした。 重さの単位(権)は、一龠に入る秬黍1,200粒の重さを12銖とした。 新で度量衡改正時に配られた枡形の標準器「嘉量」はこの理論を実践したものであり、 その優秀さから新が滅亡した後も参考資料として清朝滅亡時まで朝廷内で保存されていた。 度 - 分・寸(10分)・尺(10寸)・丈(10尺)・引(10丈) 量 - 龠・合(2龠)・升(10合)・斗(10升)・斛(10斗) 権 - 銖・両(24銖)・斤(16両)・鈞(30斤)・石(4鈞) >>496 三分損益法 三分損益法(さんぶそんえきほう)とは、三分損一、および三分益一と呼ばれる方法を組み合わせて音階を得る方法をいう。 古代の中国で考案された。『史記』25巻「律書第三[1]」に 「律數 九九八十一以為宮 三分去一 五十四以為? 三分益一 七十二以為商 三分去一 四十八以為羽 三分益一 六十四以為角」とあり、 『管子』「第58篇地員[2]」[3]の中にも解説がある。 蔡元定は三分損益法を元に『律呂新書[4]』で十八律をまとめ、朱熹の『儀礼経伝通解』では、その内容が『律呂新書』と重なる[5]。 近代邦楽では、順八逆六(じゅんぱちぎゃくろく)の法とも呼ばれる。 弦楽器または管楽器の基本となる管(律管)または弦の長さを、 (弦ならその張力を一定に保ちながら)その三分の一の長さだけ短くすると、 最初の音より完全五度高い音(属音)が得られる。 これを、三分損一と(近代邦楽では、三分一損とも、順八とも)言う。 逆に三分の一の長さを足した場合、完全四度低い音が得られる。 これを三分益一と言う(近代邦楽で言うところでは逆六)。 この二つを組み合わせて音階を得る方法を三分損益法と言い、ピタゴラス音律と同じものである。 前漢時代の京房は、この方法を五十九回も繰り返し適用することで、六十律をつくり、南北朝時代の宋の銭楽之はこれを推進して三六〇律を作った。 >>498 これはなかなかおもしろそうですね このスレにぴったり感があります >>429 >>488>>496 あってるのかなぁ、、、 1鈞(秦)=20鎰(三晋)=72環(斉燕) 30*16*16 = 20*32*12 = 72*10*11 7680 = 7680 = 7920 ちょっと違うらしい、、、きんいつです 秦制⇒ 銖・両(24銖)・斤(16両)・鈞(30斤)・石(4鈞) 斤→250g 楚制⇒ 銖・両(24銖)・鎰(16両) 鎰→251.3〜255g >>334 キーワード大事 http://pichori.net/Philippines/philippine_trade_dollar.html 貿易銀(Trade Dollar)は、メキシコ・ドルなど世界市場において流通した1ドル銀貨と同サイズの、 貿易取引専用に発行された大型銀貨で、基本的にこれらは量目420グレーン、品位.900、直径38ミリ前後の銀貨です。 ピース・オブ・エイト(piece of eight) 1497年のスペイン通貨改革の後に鋳造された8レアル(Reales)銀貨を、ピース・オブ・エイト(piece of eight)と言い、 メキシコを中心とする、スペイン系の中南米諸国で鋳造されて長く国際決済で用いられてきました。 8レアル銀貨はアメリカ合衆国の建国当初の米ドル・コインとして認められていて、1857年の造幣法が廃止されるまで米国の法定貨幣でした。 主な貿易銀貨 アメリカの「フィリピン・ペソ」 アメリカの「トレード・ダラー」 イギリスの「海峡植民地ドル」 イギリスの「香港ドル」 オーストリアの「マリア・テレジア・ターラー」 スペインの「ピラー・ダラー」 スペインの「カルロス・ドル」 フランスの「貿易ピアストル」 メキシコの「メキシコ・ドル」 中華民国の「壹圓」 清国の「光緒元寶 七銭二分」 日本の「貿易銀」 >>500 ふむふむ、おフランスのがピアストルになってるなぁ 19世紀にイギリスはピース・オブ・エイトを輸入して 5シリングに加工して通用させたらしい、、、 国旗デザインの盗用を27年間主張し続ける国 http://blogos.com/article/214798/ ルーマニアの首都ブカレストでは先月、抗議デモの参加者が街の中心部に集まり、 ルーマニア国旗を掲げた。 ソーシャルメディアには、このデモの様子を写した色鮮やかな写真が並んだ。 このニュースはこうしてサハラ砂漠にまで伝わった。 これを見たアフリカ中部の国、チャドの人たちは、ある問題を改めて指摘した。 ルーマニアの国旗は、同国の独占物ではない。チャドに所有権があるというのだ。 >微妙に色が違う 比べてみて「ああ、なんとなく」だけど、各々単独ではどっちがどっちだかわからない。 世界の国旗表をみてて思うんだけど、ヨーロッパでは三色旗や十字旗ばかりで 日の丸のように○一つというのは思いつかなかったんだろうか。 まさか○を書けなかったなんてことは無いだろうけどw ○3つは(国旗じゃないけど)あるんだけどねえ。 あの紋章、メディチ家の先祖が有名な絶倫男で玉が3つあったからだ、という与太話をイタリア人に聞かされたな。 >>389 http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/A014.htm 【ダレイオスDaric[Darics](金8.4g)】─20─【シグロイSiglos[Sigloi](銀5.6g)】─12─【銅貨】 そんで、シグロイとシェケルは同語源らしい、、、 なぜ「午前ゼロ時」と言わないのか。「0」の正しい読み方あれこれ http://news.livedoor.com/article/detail/12894836/ 思うに「0」をゼロと読むのは日本人にとって訓読みの感覚なのではないだろうか インダス文明の度量衡は統一されていたっぽいが 微妙に地域差もあるらしい http://nagoyakochan.cafe.coocan.jp/CB/CB131217indasbunmei.html 度量衡は 1個0.86gを単位として、2、4、8、16、32、64と2の倍数の小さめの錘と、 160、320、640、1200の大きい錘が出土している。形はサイコロ形だ。 建築材料は8×16×32センチの日干しレンガ、それを焼いた少し小ぶりな 焼成レンガなどがあり、高い壁や建物や井戸が作られている。 ここには書いてなかったが 錘はチャート製の正方形で16が中心単位13.76gらしい なので160からの並びは10進系の単位との混合 そんで上のレンガ、未焼成の状態のサイズで 焼成レンガは7.5×15.5×30センチメートルとなるらしい つまりこの状態では縦横かえると微妙に調整がいると思う 雄(♂)雌(♀)の記号 リンネが記載を簡略化するために採用したことで世界的に広まった。 >>511 リンネさんというだけで なんとなくいやらしい感じになりますねww >>510 サイト元は間違っていて やはり10進系は 160、320、640、1600らしい ということは、20、40、100、か リンネの変態趣味のおかげで、生物の学名は猥語博覧会みたいなすごいことになってるね。 疋(ひき/ひつ/き・匹) 古代日本において布帛2反(端)分を指して呼んだ。 古代中国において使われた長さの単位両(=40尺)が転じたものという。古代中国では1匹=約9.4m。 とあるが、めんどくさくなってきたので 秦の行布は11銭の価値とされたらしい 布(麻布) 長さ8尺(185cm弱)×幅2尺5寸(58cm弱) 今のとこ話が繋がってなくて申し訳ない >>389 >>397 これはやっとそれっぽい資料が見つかったが ほとんど貨幣の話なので他でやるかなぁ、、、 >>375 >>376>>374 ここらへんの単位の錯綜は 記述間違いかと思っていたが 数値はだいたいあってるっぽい まるで暗号!日本人だけが読めない不思議な文字Electroharmonixってなに? http://do-ra.org/2017/06/24/122371/ ビットコインが分裂の危機らしいのだが 破産したマウントゴッグです 実は債権総額を乗り越えたらしい、、、 さすがゴッグだ なんともないぜ < ̄T\ __ \| ><ヘ兮、_ `∠ニ>、/ \●ソ > /ニ/|\__二ヘ/| \ニV\ @@@@∧ニ| `/ーL  ̄ヘ二厂) Fヽ ///∧\ // /イ /∠〉 レレレV-< ̄7―Vソソソ / / | / ヽ \ L二_L/ L二|二亅 アラビア数字(算用数字)の3桁区切り 1,000,000 小学生の時、なぜ3桁区切りじゃないのか悩んだ >>516 日本人だけでなく中華民国人にも読めないはず 注音字母にも似てるから なんで日本より広い中国の一里が、日本での一里より短い距離なんだろう 古代中国人は基本徒歩の江戸時代人と比べてすら、さらに狭い世間で生きてたってこと? >>524 もともと歩数などを基準。日本も古代でシナをパクリ同じ。 1里=6町ないし5町。 中世より条里制で6町を一片とした面積は36町を1里(面積)とした。 面積の1里(面積)=36町が、1里(長さ)=36町と混乱。 のち後者が浸透し、徳川家康は1里36町とするが徹底せず、1876年に1里=36町で統一された。 近代においては長さと面積では次元が異なるが、前近代においては多くの社会で次元の明示性がなく しばしば混乱を招いた 十進緯度経度のように、コンピュータ処理に適している十進数への切り替えが今後進むか? やだコンピュータ処理に適しているなら2進法とか16進法じゃないですか 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 HX4VE 製図の尺度 実物の2倍 2/1 ↓ 2:1(JISがISO準拠に変更) 雌雄記号 占星術の火星と金星 生物学においはリンネが導入 メス 金星 銅、手鏡の形 オス 火星 ボルボ、つんく、鉄、盾と槍の形 ビーナスとマルスはじっさいにいい仲だもんな 不倫がバレて旦那にとっちめられたりしているが 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 P44 どっかの国の通貨記号が、日本の郵便マーク「〒」と同じだったな オーストロネシア語族で1000を表す語はribu系 印欧祖語ではtuHsont- https://en.wiktionary.org/wiki/Reconstruction:Proto-Indo-European/tuHsont- 前文明段階だと1,000の桁までが把握できる数か まあ組み合わせでいくらでも大きい数は表せるけど 英語版のウィキペディアには 古代エジプトにはゼロを表す記号があったと書かれているようだが どうなのかな このスレ生きてたのか!! スレ読み込み直したらいけた これはもったいないことをしたww ゼロを示す文字は、そこそこあったんじゃなかったかなぁ まぁ、位取り記法が無い限り 対比的に「ある」と「ない」を示す文字があったら 無い方の文字はゼロですからねぇ シュメールさんは数字のMAXが1なので ゼロ記法には失敗してる気がします 本の値段などの¥1000Eは、 ゼロを勝手に書き足さないようにする為の手描きの棒線の代り? >>522 どの字がゼロかわからんね、、、 【9月16日 AFP】 3〜4世紀のインドの書物に記された黒い点が、数字の「0(ゼロ)」の最古の使用例であることを、 英オックスフォード大学(University of Oxford)のチームが特定した。 この書物は、1881年に現パキスタン国内に位置する村で発掘されたカバノキの樹皮の巻物で、 発見場所の村の名前にちなみ「バクシャーリー(Bakhshali)写本」と呼ばれている。 1902年からオックスフォード大学のボドリアン図書館(Bodleian Libraries)で保管されてきた。 バクシャーリー写本は、すでにインド最古の数学書であるとされていたものの、 その年代についてはこれまでさまざまな意見が飛び交っていた。 しかし同図書館の科学者チームが放射性炭素年代測定したところ、 制作時期がこれまで考えられていたよりも約500年さかのぼる3〜4世紀であることが判明した。 ゼロの最古の使用例はこれまで、インド・グワリオル(Gwalior)の寺院の壁に残る9世紀の碑銘だとされていた。 ゼロを意味する文字はマヤやバビロニアといった古代文明でも使用されていたが、 現在使われている「0」記号の起源は古代インドで使用されていた点記号だった。(c)AFP >>522 というわけで修正、、、 それぞれ独立に発明されたそうな 66: ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP 2015/04/19(日) 12:37:28.72 0 古代バビロニアが紀元前4世紀ぐらいに発明したらしい ちなみに、位取りの記法は 古代バビロニアが紀元前2000ぐらい 起源前後の中国 3〜9世紀ぐらいにマヤ文明 3〜4世紀ぐらいでインドらしい Q太郎たちがメシア信仰に陥ってるとのこと、、、 トランプ的には12使徒なんでしょうかww >>552 ウィキペディアせんせによりますと ギリシャではアルキメデスが発見となってますな 10^8ベースのシステムらしい 新大陸はマヤかと思っていたが どうやらオルメカの長期暦が 紀元前4世紀ということみたいですね >>553 スレが立っておりました どう読むんだろうか、、、 Qアノン https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1540959740/1 1 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2018/10/31(水) 13:22:20.54 0 今話題のQアノンを世界史的に語りましょう 質量原器の話がニュースになっているので 暖めていた話ができなくなってつらみ、、、 ローマ馬車の轍が 現在の標準軌の幅に繋がっている という説を検証してみたいと思います 確実にもしそうならば確実に1単位があるはず レベル表現 なれないと難しい マグニチュード 等級(天体) オクターブ(周波数) 西洋以外は皆無? ああしまった、こっちにも天才しておこう 天文・天体・宇宙開発 2 [無断転載禁止]©2ch.net https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1502137052/472 乾象暦 - 呉(223年 - 280年) 景初暦 - 魏・西晋・東晋・劉宋(237年 - 444年)・北魏(398年 - 451年) 中国における日月食予測法の成立過程 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/10621/24/ronso1220200670.pdf 以下、乾象暦とそれに続く景初暦の食予報について検討するが、 その前に古代中国の「度」について一言説明しておきたい。 現在では角度と時間は全く別の概念であるが、 古代中国では両者は密接に関係付けられており、 太陽が1日に動く角度が「1度」とされていた。(中略) 天体の運動に関して用いられていただけなので、 現代的に言えば角度というよりはむしろ天球上の弧長のイメージに近い。 さて、古代中国の「度」で全周をひとめぐり測ると、 一年の日数と等しくなる。(回帰年ではなく恒星年) したがって、古代中国では全周は360度ではなく約365.25度となり 古代中国の1度は現在の1度よりやや小さいことになる。 本稿では古代中国の「度」を便宜上「中国度」と呼ぶことにする。 >>356 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/53/3/53_3_17/_pdf 2)羅針盤の形成年代 1)羅針盤の前身は “ 指南浮針 ” と呼んで,宋代に は盛んに使われていた。 2)浮針は,藺草(いぐさ)の “ なかご ” の白い芯に, 磁針を突き刺したものを使っていた。 3)その頃,既に磁北の偏心もよくわかっていた。 4)指南浮針は,少なくとも 1103 年以前から使われ ていたことは明らか。これは,朱ケ(しゅいく) が使節として高麗に赴いた時の紀行文『萍洲可談』 に明記されているからだ。 5)南宋時代には,浮針と円形方位版(これは紀元 前から風水の道具としてあった。)とを組み合わせ た羅針盤は15分ごとの,48方位を刻む版であった。 6)この時代には,鉄を熱して人工的に磁化する方 法が発明された。 宋代には 4 回にわたって中国全土に及ぶ恒星観測 がなされ,正確な天文測量の基礎が確立された(図 10)。その成果は容易に複写しやすいように,「石刻図」 の形で残されている(図 11)。 意外と新しい仕組みでした、、、 ことば談話室 二六時中? 四六時中? 松本 理恵子(2010/04/15) http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2010041000001.html ◇江戸時代の時刻と関係あり では、「四六時中」とは何でしょう。1872(明治5)年に採用された24時間制が関係しているようです。 つまり、4×6=24で「四六時中」。辞書の用例をみると、早くも1876(明治9)年の用例が載っています。 人々の暮らしに合わせて、言葉が変化したということなのでしょう。 今では、もともと「二六時中」だったなんて知らずに「四六時中」を使っている人も多いかもしれません。 ◇三五の歳、十三屋…かけ算や足し算で「しゃれ」 >>562 等48分割はは7.5度 4×4×3 風水羅盤 流派により、三元羅盤(三元盤)と三合羅盤(三合盤)の二種類があるという[1]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%B0%B4%E7%BE%85%E7%9B%A4 中心に磁石の方位磁針が埋め込まれている。外周に向かって地盤・人盤・天盤という三盤から構成されているのが基本である。 地盤は、子・丑・寅と方位を示す二十四方位が刻印されている。 子を北極星の方角に定位させておくのである。磁石の方位を磁北(じほく)と言い、北極星の北を真北(しんぼく)と言う。 東京でおよそ6度、北海道で7度と日本各地の緯度により異なる。 風水はそもそも道教であるために、磁北ではなく真北を用いて測量する。 地盤の子を北極星にあわせる。 易経羅盤(えききょうらばん) 六十四卦の方位に別れ、内側と外側の逆卦が対になって刻印されている。 辰巳の吉方位には「泰」がある。内卦も外卦も同じ泰であり、陽宅から泰の方角は大吉であり、 その方角に住む人から見ても泰の恩恵を与えると言う意味である。 これらの四つの項目が表記された風水羅盤を「将盤」(しょうばん)または総合羅盤と言い、地盤・地盤・天盤を三合羅盤と言う。 最大の羅盤は、50層になる、易経羅盤の64方位が六爻に細分され384方位の吉凶を判断することが可能である。 新1万円札「数字のフォントがダサい」とネット上で批判が殺到! https://www.mag2.com/p/news/394006 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65) >>256 >>462 二進法はポリネシアの先住民が起源を主張しているらしい、、、 これはいろいろと考えなければいけません http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51910986.html (概要) 12月17日付け: Mangareva - Binary System 最近の研究により、欧米の数学者が二進法を発明した以前(数世紀も前)にポリネシアの先住民が 二進法(コンピュータの計算方式)を発明していたことが分かりました。 Proceedings of the National Academy誌によれば、 小さな離島であるマンガレバ島の先住民は何世紀も前に貿易を行うための計算法を発明していました。 当時、彼らは欧米人よりもはるかに数学的な進歩を遂げていたことが分かりました。 イースター島とタヒチの間に位置し、面積が18平方キロメートルの小さなマンガレバ島には、 現在、2千人の島民が暮らしています。ノルウェーのベルゲン大学の教授と彼の研究チームは、マンガレバ島の島民について研究をしていた際、 彼らが1〜10までの数字を使い20〜80までの数字を使わず、20、40、80という個別の数字を使った二進法で計算していたことを発見しました。 非常に大きな数を数えるときには10の累計で1千万まで数えることができました。 彼らは貿易を行う上でこの計算方式を最も頻繁に使っていました。 書面や表記法を持っていなかった彼らは、暗算しやすい二進法を使うことで貿易が容易にできました。 しかも全てを暗記していたのです。 17世紀の最も有名な数学者の一人であるゴットフリート・ライプニッツが二進法を発明したとされていますが、 現在、二進法は0か1で表すコンピュータ・システムの基礎を表す計算法として知られています。 >>567 VTK ぼるてっくす? なんでしょうか V80 T40 K10 ちなみにこれはインダス文明の 計量単位と裏返しになってますね ふむぅ、、、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95 命数法 二進命数法とは、2 を底とする命数法である。真の二進命数法では、二の冪数(2n)に対応する数詞があり、数はそれらの和で表される。 自然言語では、このような命数法はパプアニューギニアのメルパ語[1] (Melpa) でのみ知られている[2]。 通常、二進法の数詞を持つとされるものは二つ組で数える体系であり、乗算が含まれないため、真の二進法ではない。 以下にパプアニューギニアの南キワイ語[3] (Southern Kiwai) およびシッサノ語[4] (Sissano) の数詞を示す[2]。 森の大きさ 豚200頭の森(「ドゥームズデイ・ブック」) >>168 >>167 >>178 ここにネイピアとその周辺について わかりやすくまとめてありました ティコさんの中の人まわりに人が集まっていておもしろいですね。 「必要は発明の母」ってやつでしょうか・ ジョン・ネイピアが20年かけた対数表について https://qiita.com/yaju/items/af46fd43bb790b1a2f3a (抜粋) 大航海時代の航海術にはサインやコサインの三角法が必須で、 三角法も有効数字が10桁以上もある精密なものが作られていましたが、 その計算、特にかけ算と割り算が困難を極めたのです。 1590年に、ネイヒ?アの友人がある事情でデンマークに行き、ティコ・ブラーエの天文台を見ました。 そこで三角法の式を利用して積を和に直す方法(積和の公式)が使われていることを知りネイピアに伝えたところ、 彼はこの話に刺激されて対数の研究を始めたそうです。 西洋式は10^7で小数を表現する伝統があるようなのですが これはどこからやってきたんだろう、、、 プトレマイオスさんの桁数は結構少なめだった気がします 重要度の単位 平成→令和の天皇即位 これがNFLスーパーボウルの100倍 ということはスーパーボウルの歴史を超えてきた 寿命から類推するとスーパーボウルが逆転する可能性は薄い >>554 >>572 ペルガのアポロニウスさんが アルキメデスさんの後に 10^4のシステムを利用したとの情報もありますが これはよくわからないですね 手で計算する限り数表などをつくるには10^7程度で十分な気はします 一万が人間的な単位というのは納得できるところなので 10^3システムはフランスの中の人が利用するまで あんまりなかったのかどうなのか、、、 地球単位で考えるのもなあ。宇宙を世界史の分野に入れるとか。 >>572 プトレマイオスさんの中の人は 半径60の円を小数点2桁まで ということは、60^3なので216,000=0.216*10^7 とすると、ほとんど一緒ですねぇ やっぱこのあたりが有効数字なんでしょうか >>158 単位算術はたしかシモンさんの中の人でした、、、 >>206 王朝時代からエジプトの神殿には 「生命の家」(ペル・アンク)という施設が存在した。 ここでは宗教・学術の著作活動や,文書の保管,神殿のレリーフや記念物に刻まれる 碑文の製作活動が行われたと考えられている。 「生命の家」の設置は,王朝時代のみでなく, プトレマイオス朝期にも確認することができる46)。 マネトンが高位の神官地位にあったことからも,Redford は彼がこうした 「生命の家」所蔵の王朝時代からの記録を基に執筆活動を 行っていたと推測している。 度量衡 度は長さ 量は体積 衡は質量 ひとつもかみあっていないじゃないか! 現代的な次元でいくと 時間が抜けてるだけで ちゃんとかみ合ってないような気はします 量と衡はわりとごっちゃになってしまうのと お金と衡もごっちゃになっちゃうので このあたりがしっちゃかめっちゃかになってしまいます 両、ポンド、マルク もとはどれも質量(重量)単位なんだよね 一定の重さの貴金属を用意する。 一定の枚数の貨幣を造る。 重さの単位が貨幣単位にもなる。 >>152 >>158>>165 >>166 インド数学はかなり早い段階で 代数学が発展していて おそらくビエトよりもかなり先行すると思われます 幾何学とはそうそうに切り離されたみたいです five-bar gateにせよ「正」にせよ 基数が5なのは片手の影響か? >>583 代数が独り歩きを始めると、虚数概念が必要になってくると思うんだけど、 その辺、インドはどうなんだろうか。 >>587 いまさら再発見いましたので ちょっくら調査してきます >>587 二次方程式の解の公式による 正負の二つの解を同時に扱ったのはこの方らしいですが 虚数概念に関しては触れられてなさそうですね マハーヴィーラ (数学者) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9_ (%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85) マハーヴィーラ(Mahavira、ヒンディー語:??????)は、インドの数学者、ジャイナ教徒。9世紀にかけて活動した。 現カルナータカ州のグルバルガの出身。マイソールで活動し、アリヤバータやブラーマグプタの業績や、ジャイナ教の数学を研究した。 当時のインドの数学者の多くは天文学者でもあったが、マハーヴィーラは数学に専念した。 ジャイナ教は紀元前200年頃から数学研究を発達させ、『スターナアンガ・スートラ』などの文献には、 数論、分数などの算術、幾何、1次から4次までの方程式、順列組合わせが記述されている。 マハーヴィーラはこれらの成果をもとに『ガニタ・サーラ・サングラハ』(Ganita Sara Sangraha)を著し、ジャイナ数学の業績としては最高のものとされた。 >>577 セシャト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%88 セシャト(Seshat)は、古代エジプトの知恵、知識、記述を司る女神であり、様々な綴りが見られる[6] 。 名前の意味は「代書する女性」で、彼女は書記および記録保管者とみなされ、記述法を発明したとされている。 彼女はまた、会計学、建築学、天文学、占星術、数学、測量を司る女神としても認識されていた。 「本の館の女主人(Mistress of the House of Books)」はセシャトの別名で、彼女の神官たちが図書館を監督し、最重要な知識の冊子が集められ、綴られた文章が保管された。 エジプト第4王朝の王子の1人Wepemneferetが「王立書記の監督官、セシャト神官」であると古代エジプトの石碑(Slab stela)には記されている。 ヘリオポリスは彼女の主要な聖域と位置付けられた。 たいてい彼女はヤシの茎を持ち、そこに時間経過を記録する刻み目をつけて、特にファラオの人生の時間配分(各ファラオの治世期間の長さ)を追跡し続けている様子が描かれる。 また彼女は他の道具を、それはしばしば、土地や建造物を調べるための一定間隔で結び目のある紐、を持っている姿でも描かれている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる