古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】34 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>146
断然カタルーニャ(バルセロナを含む地域)
歴史の生き証人になれるかもしれないぞ >>145
同時期にベリサリウス以外の東ローマの将軍(例えばムンド)が大敗北を喫してるから
おそらくそれはない 当時の東ローマ軍ってもうカタフラクト?
それともまだ重装歩兵主体? ベリサリウス左遷した途端に負け込んでなかったっけビザンツ帝国 >>146
アメリカ地中海、豪亜地中海ならおススメあるんだが・・ bitcoinの取引が500円からできる!!
遂にあのXMがビットコインの取引を開始!!
今なら新規口座開設するだけで全員に3000円プレゼント!!
このチャンスを逃すな!!
http://xmfxbitcoin.bl og.fc2.com/bl og-entry-1.html 偉大な賢人の少子化対策
紀元前18年に「ユリウス正式婚姻法」が制定されました。アウグストゥスは少子化の進展は
帝国の発展にとって無視できない問題であると認識し、深刻化する前に対策を打ったのです。
塩野七生著の「ローマ人の物語− パクス・ロマーナ 」から主な内容を要約します。
・ 子がない独身女性は、50歳を超えるといかなる相続権も認められない。
・ 裕福な独身女性は、結婚するまで男にはなかった直接税を収め続けなければならない。
・ 結婚し、第一子が誕生することで女の相続権が認められ納税の義務は解消される。
・ 公職への登用は婚姻の有無、子供数の多寡が考慮される。
・ 三人の子供を生んだ女は、家父長権から解放され経済上でも男と同等の権利を持つ。
この「少子化対策」はこのあと300年続きます。
たとえると、江戸幕府の8代将軍吉宗が打ち出した「倹約令」が今の日本でも生き残っているようなものです。
ローマはこのあと西暦96年から180年かけて国家の絶頂を迎え(五賢帝の時代)、西暦476年に滅亡するまで生き長らえることができましたが、
その要因の一つにこの少子化対策があったのは間違いありません。
人は豊かになると、結婚したくならなくなるもので、ヴィクトリア女王期のイギリスもそうでした
つまり、結婚しない独身女性には独身税を納めさせ、相続を認めてはならない!!
日本が滅ぶ理由
↓
イースター島 モアイを作り、運び、建てる為には大量の木材が必要で、大量伐採によって森が失われ、
その結果、肥えた土が海に流出し、土地が痩せ衰え、人口爆発と深刻な食糧不足に陥り、耕作地域や漁場を巡って部族間に武力闘争が生じるようになる。
1650年頃からたびたび深刻な食糧危機に遭遇したと思われる。
このため食料争奪を巡って部族抗争が頻発、
果ては食人にまで及んだといわれる。
その証拠としてこの時代の地層から多くの武器やバラバラに砕かれた人骨が発掘されている。
少子化で滅んだ国は歴史上存在せず >>156
ローマは西暦476年に滅亡していない
ローマは西暦550年に滅亡した ベリサリウスとアッティラだったらどっちが勝つかね
ベリサリウスとシャルルマーニュでもいいけど >>156
2と3と5が同時期の漢でも施行されてたけど、地球的な少子化要因でも有ったんかな? >>159
恐らくフン族は東ローマ軍と相性が悪いのでベリサリウスみたいな天才が指揮すれば絶対勝てると思う
フン族は東ローマ軍と似てるササン朝の軍隊に負けてるから ローマ人が火薬を発明出来なかったのが悔やまれるな
火砲さえあれば遊牧民の時代そのものが来なかっただろう 逆だろ
火薬が発明されてしまったからこそ千年落とされなかったコンスタンチノープルのテオドシウス城壁が破られた 実際火砲導入がされて以降、中国では中華帝国に匹敵するような遊牧帝国は出現しなかったかわけだからね
ジュンガル部が最後 と思ったけど、ヌルハチがサルフで火器で武装した明ボコってたわ ササン朝軍の影響でローマ軍も騎兵は重装化して歩兵は軽装化したようだね
https://i.pinimg.com/originals/95/3e/d3/953ed3dadc35e865e6b59a15db59d4b7.jpg
この絵ではシリア弓歩兵とアナトリア投石兵もササン朝兵のようだけど
言うまでもなくシリアとアナトリアはローマ領だからこれはローマ兵だよね 地中海統一できてた頃のローマが中世世界に健在で更に火薬持ってりゃモンゴルやイスラム相手に十分戦えただろうな
歴代中華王朝と交易でもしてれば技術も入ってくるだろうし
モンゴルの脅威から逃れてきた宋の技術者がローマに亡命なんて展開もあるかもしれん でもローマ帝国健在だったら北米大陸発見されて無い気がする
当然産業革命も 実は東ローマはボロボロになりながらもイスラムの西欧侵入を
食い止める防壁の役割を果たしていた。
東ローマがもっと早く西ローマと共に滅んだイフの世界では、
西欧がスペインどころか、フランス、ドイツまでイスラム化してしまう確率がかなり高くなりそう。
そして千年帝国を滅ぼしたオスマン帝国は、その後、20世紀まで続いた
激戦区の中近東で、これもまた驚異 南米インカ帝国は滅亡せずにすんだかもしれぬ
北米での虐殺も起きなかっただろうし
現地の人からしたら自分たちの大陸発見して欲しくなかっただろうな
仮にもしローマが発見してもスペイン・ポルトガルよりかは現地人に対して寛容な統治をするだろ >>171
>東ローマがもっと早く西ローマと共に滅んだイフの世界では、
スティリコが粛清されずスティリコが西ゴート族を撃退すると
西ゴート族は移住を諦めてバルカンに定住建国
東ローマはフン族と西ゴート族を挟撃するけど
フン族衰退後に東ゴート族も合流してバルカンはゴート化
ゴート族とササン朝に挟撃されて鐙が普及する前に東ローマ滅亡
西ローマはガリアとブリタニアとイスパニアはゲルマンに奪われたけど
イタリアと北アフリカを維持して生き延びれたかも
ヴァンダル族は西ゴート族にイスパニアから追い出されたから
西ゴート族が来なければそのままイスパニアに定住建国したはず >>171
>東ローマがもっと早く西ローマと共に滅んだイフの世界では、
ヘラクレイオスがササン朝と戦わずにカルタゴに遷都した世界だな >>157
下の絵、鐙が書いてあるけどこの時期は有ったんだっけ? ワシがローマ皇帝ならヴァンダル人やゴート人をマウレタニアやブリタニアに移住させるな
そしてスラブ人はアルメニアやメロポタミアもしくは上エジプトへ
地元民との抗争が続いて消耗の激しい地域に移民させるわ http://68.media.tumblr.com/f724397be0bffd7978ce342b0322bc60/tumblr_inline_n11zetVl1S1rs432d.jpg
もともと遊牧民ではなかったゴート族が鐙を使い始めたようだね
ベリサリウスとかはバルカン出身で鐙無しで馬を乗りこなせたようだけど
ゴート族の影響で鐙が普及し始めて農民出身でも騎兵になりやすくなり始めたようだ でも今わ鐙が有るから俺等でも思う様馬に乗れると書いてるしな >>172
南米インディを虐殺したのはインディオ自身
なぜなら古戦場で発掘される遺骨のほとんどが現地の打製武器で殺されたものがほとんどだから
エルナン・コルテスもインカにとらわれたトラスカラ族を解放したり、生贄を廃止したり、協力した部族には無課税特権を与えたりしてるし
逆らうものには残虐なのはローマ軍も一緒で格別違いはない
どっちにしろ末路は一緒 グラディエーターみたんだけどお前ら的にはこの映画の評価どう?
あ、エキストラにジーパン履いてるやつが写ってるからクソとかそういう評価はなしで
俺は感動したしマルクス・アウレリウスに興味が湧いた なんで中国の歴代王朝は朝鮮半島を直轄領にしなかったんだ?
漢は楽浪郡など一部だけ
唐や元は圧倒的な国力を有していたけど、あくまで間接支配にとどめたし
清は藩部にしたモンゴルやチベットと違い、明の時と同様、属国扱い >>169
イスラムはともかくモンゴルは分が悪い
史実でもササン朝のカタフラクト相手に苦戦してるくらいだしな いくらなんでも脈略なさすぎ
ここローマスレってのを忘れないで >>182
冒頭で「投石器(・∀・)キター!」「弩(・∀・)キター!」と盛り上がって、
後はどうでもいい映画。 >>183
史記と漢書に答え書かれてるよ
ローマ帝国がブリテン島支配為無かったのと同じ理由で放棄したけど
一応、漢は数十年間黄海側を直接支配してた >>183
直轄領にするより間接統治する方がどう考えてもコスパいいと思う そりゃあんた朝鮮人の統治なんて中国人ですらやりたないやろ
日本人ならわかるはずや >>183
武器もそうだが、衣装等ビジュアル面はとても楽しめる。 愚者は経験に学ぶ、と言っても、ローマ軍団兵士として戦った経験のある人、いるわけが…いや、もしかしてこのスレにいらっしゃいますか? 俺こんどクラッスス閣下のもとで従軍することになったよ
パルティア人共をボコって手柄あげてたんまり報償もらってくるからヨロシクwww クラッススって結局指揮官としてはどうだったの?
カエサルやポンペイウスに及ばないのは分かるが、平均並くらいはあったのだろうか? >>197
パルティア遠征より前の戦歴を見るかぎりだと
名将とまでは言えないけど十分に平均以上だとは思う
ただパルティアは今まで戦ってきた連中とはスタイルが違っていて
クラッススのじわじわ押しこむスタイルとは相性が最悪だったのと
当時のローマ軍はまだ東方騎馬民族との大規模衝突の経験がなく
戦術的に対応していなかったのと(クラッススの敗北からローマは学ぶ)
向こうの指揮官がガチ名将スレナスだったのが運の尽き
あとカエサル活躍に触発されて功に急いでいたのか
経験豊富な百人隊長たちの助言を無視しまくっていたのも致命的だった >>182
マルクス・アウレリウスは戦陣の合間にああやって
チラ裏日記みたいなのを書いてたんだろうな。
それが二千年伝えられてしまうという。 普通に学校の世界史だけ勉強してたらパルティアはただの蛮族扱いだよな マルクス・アウレリウスなんて帝国の財政を浪費して戦争に明け暮れ後継者を育てない無能皇帝
外面を良い格好にしたいがために本を残して後世の評判をあげようと企てたる始末 本人有能 後継者育成しっかり が最高に有能
本人有能 後継者育成失敗 はそれに次ぐ
本人無能 後継者育成失敗 が最悪だとしても
本人は無能だったが、後継者を育成したとは言っても、
誰が無能だった皇帝の後継者をありがたがるのかという 前スレでもあったけど、コンモドゥスは言われるほど無能ではなかったからなぁ
生まれた時代が悪い
コンモドゥスの時代のローマを統治するのはアウグストゥスでも難しかったんじゃね >>203
>マルクス・アウレリウスなんて帝国の財政を浪費して戦争に明け暮れ後継者を育てない無能皇帝
戦争は一方的にゲルマン人側から仕掛けてきてるんだが
>外面を良い格好にしたいがために本を残して後世の評判をあげようと企てたる始末
あれは個人的な書付でもともと誰かに見せることを想定してかいたものではない
この程度のこと知ってから書き込め
>>205
4世紀末のゲルマン民族大移動をしのぐ規模の猛攻を防いだうえにクアディやマルコマンニを従属させ
返す刀でイラン系遊牧民を打ち破り捕虜10万人を奪還する程度には名君 コモドゥスがアウグストゥスになれなかった理由は、女に甘かったから のんびり屋でちょっと無責任なウェルスにやたらと頼っちゃうのを筆頭に
戦争人事や戦略が緩いせいで
パルティア遠征はアウィディウスら将軍たちの制御が半ば利かなくなるわ
マルコマンニ戦争では初動や外交のミスで泥沼長期化するわで
軍事方面でのミスがけっこう多いけど
そこから学んで後半は見事に修正して
地道な努力で乗り切ったあたりやはり優秀っちゃ優秀
軍事経験ゼロという初期状態から古ゲルマン史最大規模の攻撃に耐えたのは何気に凄い パルティア戦争でウェルス帝に全権任せたあたり、
総指揮官の重要性など軍事のイロハを
根本的にわかっていなかった感があるよね。
名将アウィディウス・カッシウスが
実際の指揮権握ったから圧勝したけど、
これは「現地将たちが片付けてくれるから皇帝は見てるだけでいい」と
アウレリウスに思わせてしまうことにもなった。
そしてマルコマンニ戦争でも同じやり方を試みたけど、
この戦線にはアウィディウス・カッシウスのような
戦争全体を掌握できるほどの名将がいなかったから当然失敗する。
でもこのまま潰れてしまわなかったのが
アウレリウスが腐っても「賢帝」と言えるところで、
ここからしっかり学んでポンペイアヌスや
クラウディウス・フロントなどの有能将たちを
見事に配置して後半戦で盛り返すことに成功する。 「帝国財政を浪費して戦争に明け暮れ」っていっても
マルコマンニ戦争はもちろん開戦必至だし
パルティア戦争も向こうが有能なヴォロガセス四世によって強国復活しつつあって
トラやセウェルスの時と違ってローマに真っ向挑戦してきてたからこっちも開戦必至
あの時代は誰が皇帝になっても程度の差あれ
「帝国財政を浪費して戦争に明け暮れ」ることになったはず
責任を問うとすれば当代よりもまずはこの情勢になるまで静観した先代 アントニウス・ピウスが情弱って言ってるように聞こえるんだが・・・ ピウス治世前期にパルティアが騒ぎはじめて王子が戦死するなどの武力衝突もおこって
ピウス側も全東方軍に臨戦態勢指示して全面戦争一歩手前までいったんだから
この時にいっそのこと軽く叩いとけばよかったのにな 放っておくと確実にヤバくなるんだから早いうちに対処しときゃよかったのにってことだな
ちょっと今の北朝鮮問題に重なるところがあって耳が痛いところがある まあ責任をとことん問うと軍事経験がないピウスを指名したハドリアヌスにも責任があるし
さらにパルティア覇権をぶっ壊して東方世界ぐちゃぐちゃにしたトラヤヌスにも責任があるし
キリがない部分はある 「軍事経験がないピウス」ってさすがにイメージで語りすぎだろ >>214
朝鮮国への手出しわ出来無いよ
集団的自衛権に基づく中国とロシアの参戦が確定的で
侵攻為て滅ぼせても属国や本国の平民が数千万人死ぬから ピウスはハドリアヌスの外より内を充実させるという路線を引き継いだ形で
この国力充填のおかげでマルコマンニ戦争を耐え切れた節もあるから一長一短 パルティアとの大規模戦争はローマにとってブラックホールで、
勝っても後始末で大変なことになるというトラヤヌス遠征が記憶に新しいから、
ピウスが深入りしなかったのもまた合理的だと思う。 ピウスが行ったローマ建国900年祭が古代ローマの絶頂期だったのかね
後は衰えるばかり ピウスで問題なのはパルティア方面というよりゲルマン方面だろう
マルコマンニ戦争になる前に有効な手を打てなかったか疑問 軍事力の絶頂はトラヤヌス時代、国内繁栄の絶頂はピウス時代だろうな。 ダキア戦争の迫力でゲルマンはしばらく大人しかったけど、
そのアピール効果が150年代から尽きだして、
各地でまたモゾモゾしはじめてたね。
あと対ローマでは大人しかった時期でも、
ゲルマニア内では北から南への部族移動の摩擦がずっと続いていて、
どんどん圧力が高まっていたから大爆発するのも時間の問題だった。
トラヤヌスから半世紀大人しくなったためにガス抜きできず、
マルコマンニ戦争はその限界まで溜まりきった反動とも言える。 マルクス・アウレリウス君は苦労人なイメージ
テルマエのあのイケメンで線の細いぼっちゃん貴公子が
血を吐きながら努力してるから2倍応援したくなる テルマエのマルクス・アウレリウス君てぜったい、ドラマROMEのオクタヴィヌスを参照したよな 世界史も筋トレも好きな人間としてはローマの兵士や剣闘士がどんなトレーニングしていたか
気になる。
バーベルやダンベルなんて無いだろうし いわゆる徒手武術って、近代考案されたシステマみたいなものを除けば、中国のカンフーと日本の空手くらいしか知らんが
古代ローマとか他の地域にも存在したんだろうか 純粋な筋トレってのはやはりなかったみたいだ(そもそも筋トレという概念がまだない)
ただ訓練で本物の二倍の重さの木剣や分厚い盾使ったりしてたからそれが筋トレ代わりになってる
あとフル装備での地獄の行軍訓練も頻繁にやってたためにスタミナも鍛えられてた 食事環境が当時の平民水準では優れていたうえ
キッツイ訓練の他にも工兵として土木作業もよくやってたのでそれなりにバッキバキな体になる グレコローマンっていうぐらいだしレスリングの原型みたいなものはトレーニングとして取り入れられてたんじゃない? マクシミヌス・トラクスの逸話とかもみるかぎりだと
レスリング的なものは訓練にも組み込まれてた
皇帝主催で軍内大会やるくらい 将時代のマクシミヌスだっけか
格闘訓練中に挑発してきた百人隊長をワンパンするエピソードあったよね >>228
ローマ兵はフル装備で40kgぐらいになったらしいが、
奇しくも旧日本軍のフル装備も40kg。
人間が背負って歩ける限界はそのぐらいなのかな。
>>230
古代オリンピックって槍投げ円盤投げレスリングだっけか。後は? >>210
アウィディウス・カッシウスがセレウキアで虐殺したので
パルティア領内の親ローマが激減してしまい以後ローマが
メソポタミアを征服する足場がなくなってしまった
アウィディウス・カッシウスがオリエントで謀反したので
アウレリウスはボヘミアを属州化目前だったけど
ボヘミア併合を断念せざるえなくなった 体格のいい現代アメリカ人の精鋭レンジャーの行軍訓練でも最大45kg装備だから
このくらいが人間が効率的に長時間動ける限界重量なんだろうな >>227
カエサルは剣闘士の剣の指導を訓練士ではなく元老院議員に任せていたとあるので(スエトニウス)
そこそこの身分なら誰でも剣術をつかえたんじゃない
逆に皇帝に剣闘士が剣術の指導をすることもあったらしい
>>228
>純粋な筋トレってのはやはりなかったみたいだ(そもそも筋トレという概念がまだない)
いや普通にあるしカザーレ荘のフレスコ画には鉄アレイが出てくる
ちなみに古代エジプトでは砂袋、秦漢代あたりの中国では鼎を使って鍛えていた。 >>235
旧日本軍の戦記ものを読むと「完全装備だと、歩くなどという生やさしい
ものでない。全身を揺さぶるようにしないと足が前に出ないのだ」とか。 古代ギリシャローマの彫刻みて思うのはあの厚い大胸筋をどうやってつけたか
ということだな
ベンチ台がないと負荷かけるのが難しい部位だし ローマ帝国衰亡史(こういう言い方自体がある価値判断を含むので本来適切ではないが)について、これは読んどけみたいな本ありますか?ギボン除く 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 暗黒時代がホンマに暗黒時代やからな
建物を修復する技術が無いからローマ時代の建物ぶっ壊して
材料にしたり土人みたいなことやっとったらしいし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています