古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】34 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>771
シリアへ侵攻したの先遣隊で1、2万でしかないし ホラズム地方は寒いから軍馬は小型とか言う理屈はわけわからん
トルキスタン原産のアハルテケとか大型馬だが >778
キリシタン側は
ポルトガルの艦船支援を期待してたんだっけ アハルテケはニサ馬の子孫であるという説が有力だが
西暦1600年以前には現代的な意味での馬の品種は存在せず
正確な祖先を辿るのは困難でありアハルテケが13世紀の
モンゴル軍の軍馬の子孫であるという説もある ローマ軍は騎兵戦力が乏しかったから
負けずに戦う事わ出来ても勝て無いし >>781
ニサ馬やアハルテケがいたホラサンはセレウコス朝や
パルティアとササン朝の領土だったけど
ホラズムはそれらの領土ではなかった
アケメネス朝から独立してからウマイヤ朝に征服されるまで
ホラズムはオリエント帝国から独立していた
これはホラズムがホラサンよりもかなり寒さが厳しい土地だった
からではないだろうか ローマ軍は騎兵戦力が乏しかったから
負けずに戦う事わ出来ても勝て無いし ローマ軍は騎兵戦力が乏しかったから
負けずに戦う事わ出来ても勝て無いし 2世紀の頃ならロクソラニやイアジュゲスといったガチ騎馬民族相手にも、
ローマはちょくちょく苦戦しつつも最後はちゃんと勝ってるんですけどね。
イアジュゲス戦なんて反撃侵攻で徹底的に叩いて全面降伏に追いこんでるし。
あとカエサルらの内乱時代とは異なり、
この2世紀の最強時代ローマは騎兵も補助部隊として5〜6万ほど保有していて、
戦時にはこれに東方の服属諸勢力からの同盟軍も参じるから、
確かに「歩兵主体で騎兵少なめ」だったとはいえ全体としてはスッカラカンってわけではない。
「騎兵比率が少なめ」なのはあくまで40万に届くかというローマ軍全体を見た場合での話で、
敵対勢力の視点からすると騎兵の数自体はそれなりに揃えられている。 補助軍の騎兵数が気になって軽く調べたところ
英板wikipediaではJ. Spaul氏の56,160騎、P. A. Holder氏の74,624騎という算出が載ってた
↓では68,500騎
https://www.knowtheromans.co.uk/Categories/RomanArmy/RomanAuxilia/
平時は帝国中に散らばって配置されているものの
トラヤヌス記念柱にも描かれているとおり大きな戦争だと各地から集められて
それなりの数になるとのこと あら、意外と多いじゃないの
(alaとかけている) ローマとコンスタンチノープルはイメージがあるんだけど
ニコメディアってローマの首都だった時代はどんな都市だったの?
現在でもローマ時代の遺構残ってる? >>783
Wikipediaの記事そのまま書き込んでるでしょ?
もともとあのあたりは漢代から汗血馬など大型馬を中国に輸出してたし
モンゴル馬みたいなズングリむっくりで短足のポニー種が足長細身で知られるアハルテケの元種とかありえないんですけど ホラズム軍の在来のマムルークらはアハルテケのような馬に乗っていたはずだけど
北方から移住してきたカンクリ族らはステップ産の小型馬に乗っていたのでは?
パルワーンの会戦後に強引に戦利品の馬を奪ったのはカンクリ族の将軍だった 別にデカいから奪ったわけではないだろ
そういうデッカイことはいいことだ
みたいな昭和脳から離れなさい とにかくバカでかい戦艦にバカでかい大砲載せたたほうが強いよな的発想
昭和のおっさんなら誰しも持ってる宿痾 >>785-786>>788-789
オマエ何自演してんの 防護性能が破壊力に対してある程度有るならバカでかい戦艦にバカでかい大砲載せた方が強いけど
現代だと圧倒的に破壊力の方が大きいもんな ところが意外とそうでもないんだw
大艦巨砲主義が時代遅れだと世界に認知されたのは、イタリアの主力戦艦ローマが1943年に誘導爆弾によって破壊されてから わかったから第二次大戦のミリオタ話は軍事板でやろうな。 でも二次大戦の頃のイタリアにローマ帝国が健在だったら…というのはちょっと気になる
ゲルマンに味方することだけは無いだろうが 誰がなんと言おうと枝野を応援してるぞ!
奇跡を見せれるのは枝野おまえしかいない >>808
イタリア半島だけじゃ狭いし資源も足り無いから
結局占領してる植民地次第じゃね >>808
ムッソリーニがイギリスに戦争で勝っていたら、(特に諜報合戦)
ローマ帝国は再興できたかも知れない。 >>798
デカさよりも汗血馬やアハルテケは速さが売りなのでは? >>800
大艦巨砲主義も実は火力だけでなく速さも売りだった
大きな機関を積み速度の出し易い長い船体にすると大型化した
ドレッドノートは18ノットの旧型艦に対して21ノットの速力で
敵主砲の射程外で戦う事を想定して軽装甲だった
ロード・ネルソン級の305oにたいしてドレッドノートは279oの最大装甲厚だった
さらに巡洋戦艦インヴィンシブルは25ノットの高速なので152oの最大装甲厚だった
全長189ⅿの戦艦ロイアル・サブリン級に対して巡洋戦艦フッドは全長262ⅿもあるけど
主砲の数が同じなので巨体なのは速さの為だった >>808
敬礼や旗の紋章にローマ帝国が残ってる
ナチスにパクられてそっちが有名になったけど 欧米のローマ物ってちゃんと
ハイル・シーザーッ式敬礼してたっけ
邦画時代劇の女性達が
お歯黒省略されてるのと同じく、撮影カット? >>812
当時としてはデカいのがウリ
漢でも重装騎兵用に取り寄せていた
といっても現在の競走馬と比べた全然だけどね なんで汗血馬って日本の武士時代に輸入されなかったんだろう? >>814
>>815
「ファシズムイタリアやナチスドイツの敬礼はローマ由来」ってよく言われるけど
実は古代ローマがあれを敬礼として用いていた証拠はない
「マルクス・アウレリウスの騎馬像が典型例」などとも言われることあるけど
あれ下から見上げてるからそう見えるだけで
ちゃんと正面や横から見ると明らかに俗に言われる「ローマ式敬礼」とは別物だとわかる 西アジア固有種やアラブ馬はちょっとしたストレスや荷重に弱くてすぐ疲労で死ぬし
固有の遺伝病や伝染病にも弱いから、そして繁殖も非常に難しい
中華民国に至るまで中国で自力で産出で来ていたのはモンゴル馬と果下馬ぐらいで
大型馬はすべて輸入便り そもそものあの掌と腕をピンとする「ローマ敬礼」の初出は18世紀の絵画だという 一つ皇帝じゃなく女神を象ったコインが混ざっちゃった
おっぱいあるけど気にしないで こう集結して皇帝の演説聞いてる場で、
掌と腕をピンとする仕草とってるの一人しかいないってのは、
それこそがこの仕草が決まった軍礼ではないことを仄めかしてるよね。
ローマ敬礼の根拠になるどころか逆に反証に成り得る。 >>824
今更だけどこんな薄衣重ねたようなトゥニカで寒くなかったの? >>827
寒いときはトゥニカ重ね着してたり
冬になると長靴長ズボン履いて外套も何枚も重ねたりしてる そもそも腕ピン敬礼は腕が疲れる
「帰ってきたヒトラー」のアバンタイトルで、ヒトラーさん自身腕曲げ敬礼への変更を提案してる 馬育てるの当時も大変なのに昔の戦争はよくあれだけ馬使い捨てで使いまくってたな 筆者このスレを見てそうな気がするけど
『軍人皇帝のローマ』面白いね とりあえず、ムッソリーニとヒトラーがよくやっていたいわゆるナチ式敬礼は
彼ら自身は古代ローマで行われていた敬礼を現代に復活させたつもりだが
実際の古代ローマであのタイプの敬礼で行われていたというのは疑わしい
って感じか 田舎脱出路線では
東海地方だと愛知(非名古屋)・岐阜・三重から名古屋に出てきて
名古屋で満足できない奴が上京
静岡は東京と名古屋に分散
北陸は京阪神と名古屋に分散
東北は各地から仙台に出てきて仙台で満足できない奴が上京
北海道は札幌に集結、そこで満足できない奴は上京
って感じかな
それ以外の地域の田舎脱出ルートはよく分からん アメリカ人のフロンティア精神はヴァイキングの血によるものかね ルネサンス画家「これがローマ式敬礼だ!」
ムッソ「古代ローマ様式採用!ローマ式敬礼も復活採用!」
ヒトラー「かっけー!こっちも使お!」
ハリウッド「ローマ式敬礼はナチス連想させるのでダメ。映画内では胸叩く敬礼に変更します」
ローマファン「ファシスト・ナチスのせいでローマ式敬礼の描写できなくなった!」
古代ローマ「そもそも俺らはそんな敬礼していないんですが」
こんな関係かな 感情の原因はそれを感じる者自身の固定観念・価値観・判断基準
「言葉 風紀 世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを要求する
憤怒は無知 無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
真実・事実・現実・史実はその主張者の主観。よって人の数だけある
「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾を体験(煩悩 争い)する
宗教民族差別貧困は戦争の「原因」ではなく「口実動機理由言訳」
全ての社会問題の根本原因は(専ら家庭における)低水準教育
情報分析力の低い者ほど宗教デマ似非科学オカルトに感化傾倒自己陶酔
史上最も売れているトンデモ本は聖書。神概念は人間の創造物
犯罪加害者に必要なのは懲罰ではなく治療。被害者のみ支援は偽善
虐めの原因は唯一「虐める者の適応障害」。真に救済すべきは加害者
体罰は指導力・向上心・自制心の乏しい教育素人の責任転嫁
死刑(死ねば許され償え解決する)を是認する社会では自他殺は止まない
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率の低下・奇人変人の当選は社会成熟・議員定数過多の徴候
感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・) 手をあげてるローマ彫刻多いし、著述でも手あげて誓ったり応じたりする描写あるけど、どれも形はてんでバラバラ
これらをローマ式敬礼だとするのは、現ドイツの人差し指挙手や額にかざす現代軍敬礼も範疇に入っちゃうから、確かにガバガバ定義だよなあ ヨーロッパ全土を舞台に大暴れしたのは
カエサル、ナポレオン、ヒトラーの3人のみ 自分で率いて各地巡って指揮してたわけじゃないヒトラーが名を連ねるのなら
アウグストゥスも入れていいと思うぞ なお、シャルルマーニュもナポレオンもヒトラーもブリテン島は渡れてない模様 トラヤヌス以降の皇帝って「元老院議員を殺さぬ誓い」があったのに
ハドリアヌスが元老院議員を殺した(可能性が高い)ことについては見逃されてたの? ナチ式敬礼ってほどじゃないけど
集まった群衆に対してピンと伸ばさない程度に手を揚げて、よく集まってくれたみんな
みたいな態度を示す動作をやったら今は怒られるの? >>841
ローマスレなんだから、文明破壊王ガイセリックさんも評価してやれよw >>847
やあみんなーどうもー的な挨拶程度ならドイツ以外では別に何も言われない
著名人は誰でもやってる 「ローマ式敬礼」なんて幻想だとMartin M Winklerなどが切り込んだりしてるけど
もはや浸透しきって既成事実化状態で焼け石に水というのが悲しい
「ローマ軍船の漕ぎ手は奴隷」などよりも遥かに訂正困難な固定観念と化してる 本来これを訂正するべきローマオタク層こそが
「ナチスのあれ実はローマの敬礼なんだよなあ」と率先して広めてるのが悲しいな。
(すんません俺もそうでした今後はちゃんと勉強します) >>849-850
だよなー
前に上がってたマルクス・アウレリウス君のローマ式敬礼の根拠になった像の腕って
>>850の画像クラスだよな >なおアメリカ大陸への先住民の入植は1回ではなく、
>アメリンド、ナデネ、エスキモー・アレウトの3波が存在したと考えられている。
>また紀元前のある時期に地中海、ヨーロッパ方面から北米東部へ入植があったのではないかとする説もあり
>遺伝子もこれを示唆する
ローマ人がアメリカ大陸に渡っていた可能性も!? >>841
個人でなく民族単位ならヴァイキングだな
ヨーロッパ全土どころか、イスラム圏やビザンツ、果てはアメリカ大陸まで到達した ヴァイキングって蛮族の王の名かと思ってた、中坊くらいの頃
キングってつくし 我は北海を統べる鋼鉄の戦士ヴァイ族の王たるもの!ヴァイ・キングである! >>841
オクシデンタルとオリエンタル双方で大暴れした人物なら結構いるか? 将軍時代も含めればトラヤヌス、セウェルス、アウレリアヌスあたりも
中々にスケールでかい暴れっぷりだな 国勢調査をケンススって読む人とチェンススって読む人がいる ヨセフ
ヨシフ
ユースフ
ヨーゼフ
ジョセフ
ジョゼフ
ジュゼッペ
芳生 鐙を使っていた鮮卑系王朝の重騎兵もまだ両腕で槍を構えていたのか >>858
スバンキングとかストリーキングとか三分クッキングとか >>868
こんなの古代ペルシア王朝時代からあるよ アヴァールやランゴバルドの兜はローマ重騎兵の兜に似ている
これはおそらくサルマタイやアラン族に由来するのだろう
4世紀から5世紀のローマ帝国の重騎兵 http://i.imgur.com/Jt9ziZ5.jpg アヴァ―ルの兜は小札板を重ねたものだし
まずそんな亀頭みたいな形してないし全然違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています