古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】35
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>>367
一部の宗主国から独立した植民地なんてそうなっている所も多いんだよね。
コンゴ民主共和国とモザンビークは植民地時代の方が
まだ安定していたという皮肉 >>356
カロリング・ルネサンスとか写本に勤しんだだけじゃん カール大帝はフランク王国を「キリスト教帝国」とみなし、
キリスト教に基づく統治を進めるには、聖職者の資質を高め、
教会を発展させることが必要と考え、各地からアーヘンの宮廷に人材を集めるとともに、
自由学芸と教育を振興した。特に古典研究を進め、俗語化していたラテン語が純化され、
ラテン語教育が盛んになった。また、各地に教会付属の学校が開かれた。
W・ウルマンはこのため、カロリング・ルネサンスは学芸文化運動というよりも宗教運動であるとした。
カール大帝はヨーロッパ各地から知識人を招き、カールの宮廷は「宮廷学校」とよばれるようになった。
イングランドから招かれた神学者のアルクィンがカロリング朝ルネサンスの中心人物として有名であり、
一時はカール大帝のブレーンとして皇帝を補佐した。774年のランゴバルド王国併合後、
イタリア人パウリヌス、ピサのペトルスらが宮廷に招かれるようになった。
カールは宮廷学校に貴族だけでなく、中流や下流階層の子弟にも勉学を学ばせた。 >>360
イスラム側の内紛につけこんで居座っただけじゃん
しかもヒッティーンの戦いでサラディンに総なめにされてエルサレム陥落するし
和平交渉で取り戻すもモンゴルと徒党を組んで侵略した所をバイバルスに返す刀で
ことごとく十字軍国家は滅ぼされるし基本は頭数しかとりえのないザコ 古代ローマが凄すぎたから落差が大きかったというだけで、西欧中世は全く暗黒でなかったことに注意
中世後半期の西欧は既に1人辺りのGDPにおいて豊かな地域だった
https://goo.gl/UMwKRt >>376
ながながとWikipediaの記事張り付けてるとこ悪いんだけど
カロリング朝の文芸はほとんどローマ期の文献の切り貼りに終始していて見るべき所はないってのが妥当な評価なんだよ
俗化して滅茶苦茶になった状態から再び純正な古典ラテン語を復元したという功績はあるがな
所詮は文芸復興なので識字層の修道士以外には恩恵はない >>362
少し大げさに書かれてるところもあるが基本的に全部事実だな
中世前期(ゲルマン蛮族諸王国割拠)から中世中期(十字軍の時代)まで大体こんな感じ >>380
あなたが引用したページでは
>"一見"、西欧中世は、古代ローマの半分程度の生産性であるような印象を受けます
と書かれていて、その後事実が"一見"とは異なることを詳細に説明しているのだが >>378
前から思ってるが産業革命前のGDPっておおむね農業生産力という自然環境にに左右されるものが基準なので
発展度合いの基準としては役に立たない ブリタニアが、ローマ崩壊後に石器時代まで後退したって?
六世紀まで支配下の都市機能を維持してるんだぞ。 >>348
世界帝国
アメリカ
欧州の地域大国
イギリス・フランス・ドイツ・ロシア
極東の地域大国
日本・中国
中東の地域大国
トルコ・イラン・サウジアラビア
トルコもイランもまだまだ地域的には大国の部類
オスマン帝国やアケメネス朝・ササン朝の頃に比べたら影響力は全然違うがな
サウジはぽっと出だが、石油利権がでかいし、バックに米国もいる 暗黒だったのは西欧だけでビザンツ帝国やササン朝、イスラム帝国では
古代からの文明がちゃんと保持されていたのか? アメリカもローマ帝国みたいにいつかは滅んでしまうのかな? 接点が無さすぎるためか
あまり比較されないが、
中世暗黒時代(古墳時代〜鎌倉時代)の
西ヨーロッパと日本だと、後者が勝ってる?互角? >>380
地味が豊かで気候が良かった地中海地方???
地味が豊かな場所は比較的少ないし、小麦の生産には地中海性気候より中世西欧の西岸海洋性気候の方が有利だろ
何をトンチンカンな事言ってんだこのサイト >>389
古墳時代は西欧もまだまだローマだっただろ
ローマが西半分を切り捨てた頃以後なら日本のほうが文明度は上だ 文化・文明の水準として。
「中世暗黒時代、中東は欧州よりも進んでいた」を、日本におき換えて、
「中世暗黒時代、日本は欧州よりも進んでいた」と考えても良いのかという…
欧州が停滞する一方で発展していた、アジア大陸部の文明を吸収していたのだから、結局当時の日本も欧州より進んでいたのか?って疑問 まず日本と西欧は文明化した時期がおおむね同じ
ほぼ同期の文明と言っていい
日本は文明の移入元だった六朝隋唐から少し離れてるが
西欧は文明の移入元だったローマの嘗ての西半分だった まぁ現代でもメーカーとかの技術者を全員あぼーんして、工場も発電所も全部アボーンすれば
生活レベルは一気に江戸時代にまで落ちるだろうな。 >>396
1億2千万が江戸時代の生活するのは無理 >>396
それも高望みだろな。江戸どころか南北朝以前まで戻る。江戸には江戸なりに
ノウハウやテクノロジー、あと環境整備があったけど
今の世代はその知見を完全に失伝している
電気が禁止されたらどこまで戻るか見当もつかない >>395
日本は中国から文明を取り入れたが、西欧はどうやって? ちゃんとした本読めば中世ヨーロッパの酷さは誰でもわかるぞ
一番大きいのが支配者の責任感の欠如
税金は山ほど取るが民を守る気がない(5公1教会1種籾1鉄製農具レンタル料2民つまり8公2民)
街や村を野盗・海賊に荒らされても男は殺され女子供がさらわれても領主は城に引きこもってやり過ごすだけで何もしない
民衆は絶望してますます宗教にのめり込むと言う悪循環
教会は科学否定で本を燃やすから文明が退行してローマ時代の施設が壊れても直せないので生活水準は落ちる一方
はっきりいって絶望しかない社会だ >>401
ローマって東ローマ?
ても唐ほどに学ぶものはあるの? >>387
イエメンではマアリブダムが放棄されたままで農業が衰退した
イラクではササン朝末期の大水害からの復興がスタートするのは
アッバース朝によるバグダッド建設からでウマイヤ朝時代には
まだ立ち直っていなかった
9世紀後半のザンジュの乱の鎮圧後にイラク南部の農園は壊滅放棄された
モンゴル軍によるバグダッド破壊によりイラク中央部ディヤラ川流域は壊滅した 西洋中世=暗黒で脳死してるバカはいい加減出てってくれねぇかなぁ
そんな単純なレッテルで語れるようなもんじゃないし、第一スレ違い >>404
騎馬戦術とかを東ローマに学んだ
槍を脇に挟んで片手で構えるのは
東ローマ軍の傭兵になった西欧騎士が
故郷に広めた
もともとはローマ軍も槍をアラン族や
パルティア人のように両腕で構えていた >>400
理系の学問はイスラムからのパクリじゃね? >>387
スペインは西ゴート王国と後ウマイヤ朝によって
古代からの文明がなんとか保持されていたけど
後ウマイヤ朝末期の内乱で一挙に中世になった
北アフリカはファーティマ朝がズィール朝を懲らしめる為に
バヌーヒラル族らアラブ遊牧民をけしかけて移住させたので
農業が主産業であったこの地は遊牧業が広まる事となった
ベルベル人が多数派だった北アフリカはアラブ化していった
アナトリアはセルジューク朝のイラン人宰相ニザム・アル・ムルクが
トルコ遊牧民ら移住させたので農業が主産業であったこの地は
遊牧業が広まる事となった
アナトリアはイランの身代わりとなりトルコ化していった
オスマン帝国時代にトウモロコシが伝わると農業が復興した >>385
考古学的にはそうなってるんだから仕方がない
「ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ」を読んで
いくら机上の空論を弄した所でローマとゲルマン諸王朝の間には完全な物質文化の断絶が確認されてて
ローマと中世ヨーロッパ文化はつながってないというのが著者の結論 なぜローマがここまで簡単に崩壊したかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる 最近になってローマ人の物語を読み始めました。
今文庫本の9巻のカエサルがゲルマン人を殺しまくって100万人を奴隷にした…というところです。
この本をローマ人はヨーロッパを平和にした正義の味方みたいに書かれてますが、実はそうでないのではと思ってます。
違う本を読むとローマは殺戮を繰り返して侵略をし続けたと書いてあって、こっちの方が正しいのではないかと思ってますがどうなんでしょう? >>413
どっちも一面の真実
例えば徳川家康は別に世の為人の為に頑張ったわけではなく、己の野心の為に江戸の幕府体制を築いただろうが
結果として日本には長き太平の世が訪れ、生産力が上がり文化が花開いた
ローマも同じ
彼らは己の野心と欲望のために侵略して殺戮して収奪したに決まっているが
その結果その地に平和と文明がもたらされたと言える場合もある(ダキアなど)
そう言えない場合ももちろんある(例えばセレウキア) ローマ帝国の崩壊〜とか読んで、イイ気になってる無知は、早く去れよ。馬鹿かよ。 ローマ文明崩壊後の世界については「中世の生活文化誌 カロリング期の生活世界」は読んでも
どれだけ酷かったか分かる
>>413
ゲルマン人??ガリア人の間違いじゃないの
大体ガリア戦争のきっかけはヘルウィティア族の侵略からだし、内陸奥深くまで呼び込んだのも
同じガリア族だから自業自得 ブライアン・ウォード・パーキンズは何でもかんでもゲルマン人のせいにしてるのがちょっとな
まぁローマ文明を石器時代すれすれまで退行させたのは事実だけど、バダウガエの反乱でブルターニュ地方は一足お先に都市が全滅してるし
ゴート族がドナウを渡れたのもローマ兵の手引きからだしな
そういった下層民の動きを無視したパーキンズの説では文明の絶頂だったローマがなぜ、はるかに劣るゲルマンに滅ぼされたのか説明出ない >>412
ローマが簡単に崩壊したって、どういう歴史勉強をしてるのだや? じゃなんでブリタニカから農村の一般家庭にまで普及していた陶器が数十年の間になくなったり
馬小屋まで瓦葺で吹かれていたのが掘立て小屋になったり、カロリング王朝時代の行政史料だと一つの教区に数十しか鉄製農具がなくて
農民が石器で畑耕してたのか教えてもらおうか >>414
ベルギカを征服してゲルマニアからベルギカ経由でブリタニアに向かう
民族移動を止めてしまったのはローマにとって致命的だった
ゲルマン人にとって暑い地中海沿岸ではなくゲルマニアよりは少し温暖な
ブリタニアに移住しようとする部族まで妨害する必要はなかった
ライン河に東に移住出来ない部族がたまり続けて南下を目指す部族に
合流するようなってしまった そういう神の目線的なIFって意味ないと思うんだけど
だったら今度はブリタニアから南下してくるだけじゃないの 逆に気になるけど中世ヨーロッパが古代ローマより優れていた点って何かある?
流通システムが崩壊し交易を欠いた自給自足で貧困生活、
文化・芸術は比較するのも憚られるくらい、高度な建築技術は消滅、
学問は神学ばかり、教会は科学否定で文明がどんどん退化、
僧侶以外文盲、キリスト教による禁欲生活、魔女狩りとかで社会も暗い、
風呂に入らん所為で不衛生、疫病大流行、戦争でもイスラムに押されっぱなし、
制海権もイスラムに握られるわ、更に奴隷にされる
ふむ、良い所が見当たらん 神の目線的なというほど大袈裟な事ではなく
カエサルの遠征時にブリタニア南東部は既に
ベルガエ化していてブリタニアは滅亡に向かっていた
他の地域と同じ東から西への民族移動にすぎない イギリス人はアングロサクソンというが土着のケルト人の方が人口多かったんじゃないの?
フランスでもイタリアでも、フランク族や東ゴート族は少数派だった >>425
糞デカい宗教建築をつくれるようになったところか
あと魔女狩りは近世な
中世はそれほど盛んでもない
>>426
滅亡に向かっていたとかわけわからない
ブリタニアは地理的名称でそういう国が存在したわけではないし
大体、カエサルがブリタニア遠征したのは、そこからガリアへ侵入してくる連中がいるからってガリア戦記にも書いてあるんだけどね
ブリタニアへの侵入を許せば今度はそこから南下してくるだけの話
何でゲルマン人が東から西へとしか移動しないと思っているのかさっぱりわからない >>429
カエサルはブリタニアでベルガエ人と戦った
カエサルがベルギカを攻めたのでブリタニアに
移住したベルガエ人が故郷に援軍を送った ゲルマン人がドナウ川を越えたのはフン族に圧迫されたゴート族の片割れが
ローマ兵の手引きでしたことだし
ブリタニア征服から何百年たってると思ってるの
あなたの理屈だともっと早くに民族移動はおこってないとおかしいよね フン族が来るはるか以前からマルコマンニ族とかとローマは戦い続けていた >>431
ベルギガうんぬんのいつもの人の話はわからんが、
ゲルマン人が拡散しようとする民族移動については紀元前2世紀ごろからダラダラ起きてるよ。
後期のゲルマンウェーブは厳密にはフンの圧力によって始まったんじゃなく、
元からあった民族移動の波をより激しく加速させたってのが厳密には正しい。 まぁ北海沿岸にいたはずのゴート族あたりが黒海沿岸まで移動してる時点で随分と移動はしてるもんな ゴート族はポメラニアから黒海北岸へ移住していたから
ライン河方面の西ゲルマン人の移動とはまた別だよね 紀元後からゲルマンが東へ拡張して、ゴートなんかが黒海まで行っちゃったりしちゃった遠因は、
西と地中海へのルートを最盛期の強いローマが封鎖しちゃったせいでもある。 クリミアゴートが1700年代まで存続していたのが驚き
退去させられた後の行方は不明だが キンブリ・テウトニ ローマの奴隷
マルコマンニ 壊滅、奴隷化
ヴァンダル 行方不明
フランク ガロ・ローマ人に吸収
西ゴート ローマ人やアラブ人・ベルベル人と混血
東ゴート ローマ人に吸収
ランゴバルド ローマ人に吸収 フン族はハンガリー人へ
ヴァンダルの相棒アラン人もどっかに消えたな ヴァンダルどこ行ったんだろうな
カルタゴみたいに全員奴隷になったわけでもなさそうだし >>438
マルコマンニは2世紀の大戦で衰退したにせよなんやかんやで存続して
めぐりめぐってスエビ王国を作る移動集団の一角になってるよ >>415
日本も東国は天皇朝→武家王朝の王統交代で古代レベルへ退行してるし
文明の衰退なんて簡単に起こるは それは初耳だな
東国はもともと京から東夷と蔑まれた地域だったけどね
江戸も家康が開拓する前は葦や萱などが生い茂る湿地帯 世界三大パクス
パクス・ロマーナ
元祖ローマの平和。広大な領土に高度な文化、世界史的黄金時代。
偉大な建造物の数々は圧巻。
パクス・トクガワーナ
戦国最後の勝者徳川幕府。関東および全国における直轄領の保有に加え地方大名を統制した200年以上にわたる泰平の世。
その威光は琉球から朝鮮まで多大な影響を及ぼすほど。
パクス・アメリカーナ
現代の超大国アメリカ。巨大な軍事力、経済力を兼ね備えた一極体制。
日本・ヨーロッパ諸国を従えた自由主義の覇権は圧倒的。 つか北朝鮮難民は日本に密入国してどうやって暮らすんだろ?
働こうとすれば正体バレるし、ナマポ受給しようとすればこれまた正体バレる
西成や山谷あたりのスラム街か、
樹海や山岳地帯に身を潜めるしかなくない? ゲルマン系のローマ市民もいたようだが
褐色黒髪のラテン人だらけの中に金髪碧眼がいたら目立つよな 別に
コンモドゥスも金髪巻き毛だったし
ポー川以北のガリア人やケルティベリア人、バルカンのディナール人種や
マケドニアやトラキア人も遺伝的にはR1aやGやIなので恐らく金髪だろうし ローマ人自体がかなり長い間をかけて色々な民族と混血してるから、大丈夫でしょ。 ローマ人ってのは身分でラテン人ってのは語族なんだが
日本人は語族も人種も民族もずっと単一だったから何度言っても全然理解できてない人がいるよね 一つの国に一つの民族一つの語族一つの人種ってよくよく考えると色々とすごい フランク人も民族集団だからね。ラテン系、ケルト系もいたし。 >>414
あ〜ありがと〜このスレでローマ否定したら怒られるかと思ったが安心した。
本を読んでるなか、ずーと違和感を感じてたんだがスッキリしたわ。
他の部族を無傷で攻められるならまだ分からんでもないが、ローマも多くの犠牲者をだすのに理想だけで、そこまでやるか?と思ってた。
思うに、日本に住んでる外国人が日本は最高だね〜と誉めるのとおなじで塩野さん自身がイタリアに住みやすくなるように、ヨイショして書いたから、こうなったんだろうね。 べつにイタリア人に向けて書いてたわけではないと思うが
そもそもローマの帝国主義なんて当時からローマ人自身が批判してるし
ちなみにスターウォーズの銀河共和国は共和政ローマ、通商連合はカルタゴ、ダース・シディアスはカエサル
銀河帝国は帝政ローマをモデルとしている
ずっと単一民族国家だった日本人には理解しづらいけど欧米人がローマをどのようにとらえているかこの設定を知っていればよく理解できるんじゃない ちなみに各地のローマ化や覇権主義はポリュビオスやヨセフスなど新参者ほどマンセー調で
タキトゥスやキケロ、セネカなど生粋のローマ市民権者の両親から生まれたローマ騎士は批判的な傾向がある 東アジアは中国に学んだけど、
ヨーロッパはギリシアとローマの記録に学んだわけな まぁ善悪二元論で完結しちゃってる脳ミソの人には歴史は向かんわな
イデオロギッシュな人は歴史好きなくせにそういう人多いけど
スターウォーズも設定知ってると皇帝=悪、ルーク=善でないことがわかる >>436
ローマ方面に進出しようとしてたんじゃなく、ただ単に昔から北海から黒海への交易ルートになってるドニエプル川沿いから黒海へ抜けていくルートに自然と移動して行って
黒海北岸あたりまで進出したんだろ。
西に南西にも当たり前だけどゲルマン系やケルト系ガリア人やらがいてそっちに向いたらそいつらと戦争になるだろう。
ゴートが黒海沿岸にたどり着く頃はスキタイが烏合離散してぽっかりとそこが空いてるからそっち方面に行ったんじゃないか。 >>455
タキトゥスについては反対意見としてそういう批判思想も認めていたというだけで
彼自身はアグリコラやゲルマニクスを賛美してたとおりガッツリ拡張・覇権主義だよ 「アグリコラ伝」で属州の都市化や教育も本当は原住民の奴隷化が本当の目的なのだ
的なことが書いてあるけど、いくらなんでも穿ちすぎだろと思った
あとブーティカの演説は彼の完全創作です 「世界の強盗(ローマ人)は、凡てを荒らして陸地を去り、もう海を捜している。敵が金持ちの場合、ローマ人は貪欲であり、敵が貧しい場合、
ローマ人は野心的となる。
全人類の中で、彼らだけが自分の富と世界の貧窮を同じ熱情で欲している。
掠奪し、殺戮し、強盗することを彼等は支配という偽りの名で呼び、人住まぬ荒野を作ると、そこを彼等は平和と名づける。」
byタキトゥス >>459
「ゴートがローマ方面に進出しようとした」とは言っていないよ。
2世紀のゲルマニアは、
部族テリトリーが過密しすぎた圧力で既存部族が壊れはじめて、
後のアラマンやヴァンダルなどに発展する新世代の大部族基盤が形成されつつある混乱時代で、
ゴートが空いてる東へと移動し始めたのもこの大きな変動の一部。
そんでゲルマニアがこんな状態になった理由の一つが、ローマが西と南を塞いじゃったから。
(ガリア進出しようとしていたアリオウィストゥスのスエビ連合をカエサルが叩きのめしたのが始まり)
さらにティベリウス・ドルススによる侵略、ゲルマニクス戦争、ドミティアヌスの攻撃など、
ローマ側から断続的に圧力も加えていて、これも悪い刺激になってた。
2世紀後半のマルコマンニ戦争があそこまで連鎖的に拡大したのも、
こういう圧力がずっと溜まってきていたせいでもある。
そしてゲルマニア圏の東端にいたゴートは、
こういう騒ぎに乗らずにサッサと抜けだしたクールなポジション。
(逆にお隣のヴァンダルはマルコマンニ戦争とかに飛びこんでいってハッスルする) >>459
> 西に南西にも当たり前だけどゲルマン系やケルト系ガリア人やらがいてそっちに向いたらそいつらと戦争になるだろう。
この西や南に割りこむ余地がないほど他の部族が溜まっていた理由こそローマがライン・ドナウを塞いだからだよ 東ゲルマニアの南側についてはダキアもブロック役になってるな
先駆けのバスタルナエ族を止めたり >>459
ゴート族が黒海北岸にたどり着く頃には
サルマタイがスラブ人を模倣して農民化し始めていて
軍事的に弱体化していた
6世紀にスラブ人はヴェンド人とスクラヴェン人と
アント人の三つに大別されていたけど
このうちアント人はサルマタイの子孫だったようだ >>465
もっと簡単に考えろよ。
ヴァンダル族のさらに北にいた記録のあるゴート族がローマがラインやドナウにリメルをこさえるかこさえないかくらいには遺跡を辿れば交易ルートの川沿いを南下して黒海北部に抜けて組んだよ。
ゲルマニアにいた部族全部が部族の使命のように地中海を目指してそれをローマが食い止めてたわけじゃない。
違う角度から見たら逆に地中海側からローマが北上してきてラインドナウまで迫ってきたせいでゲルマニア側に部族が押されたせいで北部にいたヴァンダルやゴートが川伝いに黒海方面に南下したとも見れるだろ。
そもそもゲルマニアなんて雑多な集団の坩堝でゲルマニアにいる奴ら引っくるめてゲルマン人って呼んでた訳で、全くまとまりなんて有り得ずに集団集団でそれぞれあっちゃこっちゃに移動戦闘を繰り返してた訳だしさ。
共和制末期あたりからは明らかにローマが北上していってる訳だぞ。 >>469
> 逆に地中海側からローマが北上してきてラインドナウまで迫ってきたせいで
> 共和制末期あたりからは明らかにローマが北上していってる訳
俺はまさにそういう意味で「ローマがライン・ドナウを塞いだ」って表現したんだよ あとゴートが本格的に南東へ動き出したのは二世紀半ばで
ローマのライン・ドナウリメス完成から約一世紀ほど経ってるどころか
ダキアのリメスもすでに完成してる ローマの北上が直接ゴートを動かしたんじゃないんだからタイムラグそりゃあるだろ。
ガリヤに向いてた連中がローマのガリア平定でストップして逆に戻ってきた訳で
それでゴートも即黒海沿岸に着いたわけじゃなくて時間かけて川沿いを南下していった訳でリメル完成から100年後位にちょうどダキアあたりで小競り合いをし始めてるだろ。
遺跡が川沿いに移動して残ってるって事はポメラニアンから即黒海沿岸にたどり着いた訳じゃないぞ もう一回書いとくけどラインドナウの防衛ラインに昔からローマ人ラテン人がいた訳じゃじゃなくて、そこにはいろんな奴らがいた訳で、そいつらを押しのけてまずローマがそこまで進出してったんだからな。
ゴート族なんてポメラニアにいた時から地中海目指してたわけじゃないだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています