オスマン帝国の歴史
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なかったので立てました 三大陸にまたがったこの帝国の歴史を語りましょう 第二次ウィーン包囲の失敗の後、ヨーロッパを知ろうとして イルミセキズ・チェレビーがフランスを訪問したが、 彼が持ち帰ったものはオスマン帝国の政治や軍事に ほとんど変化をもたらさなかった オスマン帝国が技術的に西洋より優位だったのは何年ごろまででしょうか。 オスマン帝国のハーレムでスルタンが寵愛したのは、 カフカース出身者であり、彼女たちは金髪で色白の 肌を持ち、雌鹿のような目をした美女たちであった チェルケス、グルジア、アブハズ、アルメニア出身の 女性たちである >>4 韓国では、「韓国の出来事」として歴史の授業でも教えられていた 奴隷出身者でも宰相にまで出世できたのがオスマン帝国 もちろんスルタンの恣意に左右される地位だが >>7 優位だったことはないだろ 14世紀には西欧はもう機械時計が普及してるし 火器の技術もウルバンみたいな西欧人技術者雇ってるし 遊牧民は民族に関係なく有能な人間を集めてくればいいという発想だからな 技術者も西欧人を雇えばいいと考えていた >>8 スルタンが誰と同衾するかは母后と大臣が決めていて結果的に何の後ろ盾も持たない コーカサス人種の奴隷が好まれただけの話 オスマン帝国のハーレムには美女たちが集められていたが、 内廷の小姓たちも美少年が集められていた 中近東の人間は、技術に興味ないんだよな 昔、ロシアのミサイルの設計図が中東で流出したときも、アラビア人には組み立てられず、結局、北朝鮮に設計図を渡した。 鉄道も発電所も、発注してカネを出すだけで、技術は丸投げ。 中国と違って、技術をパクろうとはしないから安心できる(笑) ただし、それは技術に限った話 医学に関してはアラビアが圧倒的に進んでおり、中世の欧州は未開人の呪術レベルだった 南の暑い国の人が、精密機械に強いということはまずない 欧州でも、これはドイツが圧倒的に強い分野 オスマン帝国君主がローマ皇帝としての自意識を持っていたという説が 巷間に流布している。 オスマン帝国君主が「ルーム(ローマ)」のカエサル」という称号を 用いていたことは確かである。 しかしこの用法での「ルーム」とは「かつてローマが支配していた地域」 という意味でアナトリアを指す地名であり、ローマ帝国を意味している わけではない。 また、「カエサル」も数ある君主の称号の一つとして利用されていたにすぎない。 メフメト2世だけはローマ皇帝の称号にこだわってたんじゃない? ギリシャ正教の総主教の支持を得てたし。 メフメト2世死後はどうでも良くなったみたいだが。 メフメト2世は、トプカプ宮殿の「帝王の門」に、 「二つの陸のスルタンにして二つの海のハーカーン」 という称号を刻ませている >>23 なるほど。 ならオスマン可汗国と呼ぶべきか。 オスマン人自身は自国のことを「至高の帝国」と呼んでいたな 【日本人はサマリア人】 日ユ同祖論、もう証明完了って感じ、ようやく月刊ムーに科学が追いついてきた http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543029282/l50 ムー編集長 UFO「存在する」「自衛隊は隠してる」「米国は正体を知ってる」「生きているうちに分かる」 http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1543627498/l50 ブッシュも安倍も、世界教師マ¥トレーヤにはかすりもしない! オスマン帝国崩壊後、バルカン半島や中東各地での民族紛争が続く。 曲がりなりにもオスマン帝国が世界の秩序と平和を護っていた。 >>28 統治の難易度が超絶級に難しい地域ばかりだ >>28 いつか、中華人民共和国もそう言われるのかもしれない >>28 オスマン帝国の民族共存は、ユダヤ教徒やキリスト教徒などの 異教徒を「二級市民」として扱うことによって成り立っていた 現代にそのまま適用できるようなシロモノではない >>31 そりゃバラ色の理想郷の実現からは程遠いだろうし、 欠陥は数知れずだろうが、 一定の秩序と安定をもたらしただけ、マシじゃないか。評価しようよ。 ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。 >>30 米国はイラクのフセイン政権打倒後、 バース党を排除すべきでなかったと思う。 政権担当ノウハウを持つバース党を活用してたら、 混乱と無秩序をかなり回避できたのではなかろうか? もし中国共産党による暴力的支配が消滅したら、 もっと恐ろしい害悪が生じるだろうな。 秩序維持という一定の機能を一応果たしてるんだよね。 アナトリアには多くの小侯国がひしめいていたが、 諸侯国のなかでオスマン侯国はビザンツ領にもっとも 近いところで成立したので、ビザンツ勢力との 提携という機会をえて、「世界帝国」への切符を 手にすることになった >>33 イラク、とくに南部は、中世のサラセン帝国の頃から統治が難しい地域として有名 アメリカ人の手に負えるようなものではなかった イラクで反乱を抑えるのは、地方提督にとって最も難しい仕事だった >>33 >中国共産党による暴力的支配が消滅したら、 もっと恐ろしい害悪が生じる 中国共産党は周辺諸国や自由主義諸国の安定を乱すイヤな存在であっても 必要悪だという現実(´・ω・`) >>37 ティムールはオスマン帝国なんぞ瞬殺できちゃう英雄だが、 1代の成り上がり者の悲しさで、 後継者が小粒だし、 結局、四方八方の敵対勢力に一人で対処しなければならず、 それも親征すると次々と撃破しちゃうんだが、 親征しない方面は押されることも多く、 ジョチ・ウルスとの死闘の一方で、 さすがにアナトリアまで目が届かない。 アンカラの戦いにおいて、ティムールはオスマン侯国のアナトリア側での拡大の 結果として追放されていたかつて諸侯国の君主たちを戦いの前面に立て、 オスマン軍をゆさぶった オスマン軍として戦いに参加したアナトリア出身の騎士たちの多くは、 かつての君主がティムールの軍にいることに気づいて動揺したといわれる オスマンの常備軍も、バルカンとアナトリアの両前線で続く遠征に疲弊し、 士気があがっていなかった 軍勢の数でも勝ったティムール軍は、オスマン軍を解体させ、侯国は分裂した バヤジッドも、アナトリアに覇を唱え、バルカン半島を侵略し、「雷帝」と呼ばれた英雄だったが、相手が悪すぎた 歴史における「上には上がいた」という例 ティムールのおかげで、西欧はホッとした ニコポリスで、ハンガリー王ジギスムントが完敗したときは、久々に西欧の危機だった アンカラの戦いの後、ティムールが東征のため軍を引くと、あとにはバルカン、 アナトリアに散らばったバヤズィトの王子たちによる後継者争いが残された 以後、20年にわたってオスマン家は分裂し、バルカンとアナトリアを舞台に 抗争が続く 最終的には、メフメト1世の手でオスマン家支配の再統一がなされた オスマン帝国の大宰相。 超有能で帝国を盛り立てて、 権勢の絶頂に立ったところで、 処刑されておしまいというイメージを持ってる。 なんか可哀想。 歴代スルタンの中でも、オスマン2世はイェニチェリ軍に殺害されている スルタンにならない兄弟たちは 自動的に死んでもらう制度なんでしょ。 合理的だけど非人間的なものを感じる。 インドのムガル帝国にも兄弟殺しの習慣があった 遊牧民の王朝にはよくあることなのかな >>46 さすがに19C後半以降はそういう制度もなくなったような ムラト5世⇒アブデュルハミト2世⇒メフメト5世⇒メフメト6世 というように兄弟が帝位を引き継いでるし >>46 日本の室町幕府だと将軍の兄弟は僧侶にさせられてたっけ >>48 アフメト1世(在位1603年ー1617年)の時代から兄弟殺しは行われなくなった 代わりに皇子たちは「黄金の鳥籠」と呼ばれる場所に幽閉されるようになった >>38 逆に考えると国内をまとめるために外敵を作ってるような 歴史に名を残す大帝国も最後は外敵に目を向けさせるのに失敗して分裂滅亡が多いな オスマン帝国ならWW1のイギリスにうまく反乱煽動されてたし >>50 即位の度に兄弟殺しを厳格に実行し続けてたら、 いくらハーレムがあっても いずれ断絶しちゃうよな。 まぁ、ハーレムは男のロマン。 >>51 アラビアのロレンスのテーマ曲が頭をかけめぐってしまった。 ところで何でオスマン帝国はドイツと手を組んだんだ? クリミア戦争のときは、英国を味方にしてたのに。 >>51 多民族国家の弱点。 独立心の強い多くの民族を従えて統治するのは一種の手品に近い技を要する。 一歩間違えればあっさり崩壊。 オリエント急行はイスタンブールから途中ドイツ領内を通るけど、パリを経由して英国が対岸のカレーが終点。 ドイツではなく英仏と手を組めば良かったのに。 そうすれば滅ぶことなく存続できただけでなく 念願のウィーンまで手中に。って無理か。 スイマセン。 ちょっと違ったわ。 位置的にカレー行きはパリは通らないか。 >>53 汎スラヴ主義拡大の脅威に対抗するためドイツと同盟に関する密約を締結。 >>53 直接的な原因はイギリスがオスマンに引き渡し予定の戦艦を接収したから 間接的にはオスマン帝国にドイツ資本が参入してきてイギリス資本を追いやったから 汎テュルク主義のためには英国に味方した方が実現の可能性がありそうだが。 バルカンから中央アジア・ウィグルまでの大帝国だって夢じゃないぞ。 宰相メフメット・タラート : ロシアとの同盟を模索 海軍大臣アフメト・ジェマル : 英仏との同盟を図る 陸軍大臣エンヴェル・パシャ : 親独派 タラートとジェマルは同盟工作に失敗し、 エンヴェルが主導権を握ってしまった。 エンヴェルは汎テュルク主義の夢を実現するべく、 反ソヴィエトのバスマチ運動に加わり戦死 ケマルはアナトリア領土の保全を第一義とした アジアで最初の成文憲法は1878年に発布されたオスマン帝国憲法。 しかし2年後に停止、オスマンは元の専制君主国家に戻る。 その結果、有色人種に憲政は無理というのが当時の常識に。 オスマン帝国を初めとしてエジプトやペルシャ清が 続々近代化に失敗したことも有色人種蔑視に拍車をかけてる 清が本格的に近代化に着手したのは日清戦争の前?後? >>61 汎テュルクというけど 現代トルコ人と中央アジアのトルコ系諸民族の間で言語が通じるの? トルコ語の基本語彙に変化が少ないのかしらん? >>47 ムガール帝国の場合は、兄弟殺しというより、兄弟による内戦だな どういうわけか、跡目争いのたびに毎回そうなる >>65 トルコ語とアゼリー語は方言といっていいほど よく似ているらしい 現代のトルコ語はオスマン語に含まれるアラビア語やペルシア語語彙を除いて作られた人工言語だ。 それがアゼルバイジャンと似たものになるとしたら、凄いなぁ。 どれだけのトルコ語族の無変化力なんだ。 日本も明治維新時に漢学インテリ共を追放して 日本語から漢語を取り除いてヤマトコトバにすれば良かったんだ。 まぁ冗長で使いづらいかもしれんが。 >>66 跡目争いや権力闘争での兄弟殺しはどの文化圏でもあるけれど、 制度化しちゃうというのは他にあるんでしょうかね? >>66 長子相続制ではないし、ゲルマン人国家のように分割相続でもないから、 必然的にそうなってしまうんですかね 実力のある者を当主が指名する一括相続制度は日本でいう室町から戦国にかけてと同じだな 長所は無能が出て来づらいこと 短所はお家騒動が起こりやすいこと セリム1世にいたっては、クーデターで父バヤズィト2世を倒したばかりでなく、 父を毒殺したという噂があるな(真相は不明) もちろんセリムの兄弟やその子供たちも殺された 遊牧民って優秀な人材なら人種関係なく登用するんだろうな? DNAレベルでそう決められてるの? >>62 トルコ人を有色人種と見做しているヨーロッパ人はいないと思うぞ ペルシャ人もな 元祖アーリア人で同じ印欧語族だしな ムガール帝国のアウラングゼーブは、内戦に勝利して兄のダーラーシコーを殺害し、塔に幽閉中の父シャージャハーンに兄の首を送りつけた >>65 通じるらしい 移動が始まったのが9世紀ぐらいだから、スペイン語フランス語イタリア語よりも近い ソ連が崩壊し、直ぐにトルコ人ビジネスマンが中央アジアにでかけて商売できた 北アジアの遊牧民のうち、仏教徒になったのがモンゴル人、イスラム教徒になったのがトルコ人 それくらいしか違いはない ウイグル人は仏教→マニ教→イスラームと変わっていった >>77 変化の少なさに驚き。 日本古語の語彙や文法が残る琉球語なんて、全く通じない別言語みたいになってるのに比べると。 >>75 現代はともかく近代は非キリスト教=土人の認識だよ >>75 そういや大昔の日本で欧米人役演じてたトルコ人俳優もいたっけか 昔、アメリカで「悪の枢軸、イラン・イラク・北朝鮮」という話になったとき、キッシンジャー博士は、「イランはペルシャ帝国の末裔、優秀な民族。北朝鮮なんかと一緒にするな」とコメントしていた。 イラン人には、アラブ人やインド人を見下しているところがある イスラームでは同性愛禁止、というタテマエになっているけれど、 実際にはオスマン帝国の支配層の間では同性間の感情・関係が よく行われており、スレイマン1世も寵臣のイブラヒム・パシャと 恋愛関係にあったといわれている オスマン帝国も、ムガール帝国も、ペルシャ文化に深く系統し、影響を受けていた 欧州におけるフランスのような位置づけか、それ以上 ムガルではペルシア語が公用語やった 中央アジアではペルシア語が広くリンガフランカとして通用する 「なんちゃらスタン」という地名は広く使われるがこれもペルシア語 ムガール帝国期に、インドの文化は大きく変質した 音楽・美術・文学・建築、何もかもがペルシャ風になった 唐の時代に、日本が中国から受けた影響にも比すべき変化 トルコも、革命でオスマン帝国を倒したケマル・アタチュルクがペルシャ語の語彙を民族語に置き換える国語改革をしたほど、ペルシャ語の影響は大きかった >>82 ロイ・ジェームスか。彼は、タタール人だから、 テュルクではあるが、トルコとは言えないな。 カザン・タタールだと思ったが、カザン・タタールは 殆どロシア人と見分けがつかないから。 >>84 イギリスがインドを統治するにあたってはパールシーを中間支配層として 利用してたんだっけ >>90 ユセフ・オスマンって人も オスマントルコ時代の中間支配層といえばファナリオットが思い浮かぶ >>90 オスマントルコとは関係ないけど同じタタール系でもチャールズ・ブロンソンは 風貌を活かしてインディアンとかメキシコ人も演じてたのな >>92 ブロンソンは元々かなりモンゴル色の強い リプカ・タタール人だからね。 そのブロンソンも荒野の7人でより純粋なモンゴル人に近い ハルムイク人とスイス人のハーフのユル・ブリンナーと共演してる。 青年トルコ党が実権を握ってた頃のエンヴェル大宰相だと勘違いしてたorz 大宰相を務めてたのはタラートだったけどそれもほんの一時期か。 >>44 斜陽を迎えた第一次大戦末期に大宰相を務めたタラートも処刑こそ されなかったけど自国から死刑判決を受けてたっけ (エンヴェルやジェマル共々) >>93 ブリンナーとブロンソン、「戦うパンチョビラ」って映画ではどっちもメキシコ人役やね 19C後半〜20C初頭の近代オスマントルコで名前の後に付いてる 敬称としてのパシャ、 政府高官とか軍の将官に冠せられてる感じだけど”閣下”みたいな ニュアンスなんかな? >>93 ブロンソンはポーランド系も何度か演じてるけどウィキ見てみたら 「クォ・ヴァディス」のシェンキェヴィッチもブロンソン同様リプカ・タタールの 血を引いてるのね リプカ・タタールは17世紀末に反乱を起こしてオスマン帝国に亡命したが、 亡命者の多くは、オスマン帝国で期待した待遇が得られずに、のちに ポーランド=リトアニアに帰還している 近代オスマントルコ軍の将官だけど元帥と少将はいても中将とか大将は 見当たらんかった。 ちゃんと中将や大将もいたのか、はたまた元帥を除けば少将が最高位の 将官だったのか 『トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美』 2019年3月20日より 国立新美術館にて https://turkey2019.exhn.jp/ オスマン帝国の近代化がなぜ失敗したのか教えてほしい 得意の交渉と取引でなんとかしようとして、殖産興業政策が失敗した。 失敗してないで 近代化を始めたからこそオスマン体制では立ちゆかんようになって滅びたんや 清朝も徳川幕府もおんなじや みんな近代化に着手したらすぐ滅びた ロシア帝国はピョートルが近代化始めてから200年近く存続したけどこれは時代の違いや 中江兆民の「三酔人問答」には、「いまやアジア諸国の中で、日本とトルコだけが希望の星ですな」という下りがある 日本とトルコだけは、欧州の近代化にかろうじてついていけているというのが、当時の認識だった 18世紀初頭のロシアのピョートル大帝にとって、トルコはスウェーデンと並ぶ強敵だった >>102 だな オスマンからトルコ共和国という連続した近代化 >>102 それが分かってるから、北朝鮮は鎖国をやめないんだな 中国共産党は、近代化を進めすぎたことに気づいて巻き戻そうとしている オスマン帝国の破産の引き金となったのは実は海軍だった 軍艦購入のために行った巨額の借款がオスマン国家の財政を窮地に追い込んだ アラブの格言に一夜の無政府より100年の独裁という言葉がある 西アジアは無政府になると北斗の世界のようにならず者が大量に現れて殺戮や略奪をする酷い世界になりやすいという事か オスマンが明確に傾き始めたのはギリシャ独立戦争からという認識でよろしきや? シリア内戦はアサド政権が勝利を収めそうだな。 バース党 強し。 オスマン帝国時代は宗教色が薄くて緩かった ヨーロッパ列強に蹂躙されるようになってイスラム原理主義やイスラム過激派が台頭するようになった 今のイスラム原理主義は欧州的世界観に対抗するためのナショナリズムの代用品という側面はあるだろうな フセインはアラブの伝統や部族社会の後進性やイスラムの弊害を理解していた政治家だった オスマン帝国はバルカン半島やアラブなど統治が難しい地域をどうやって安定して統治出来たのだろうか >>118 奥斯曼帝国 検索で中国語では上のように書かれているのは見つけたけど、 明の時代から呼んでたかどうかは分からないね。 >>118 明史 西域列伝の ??迷(lum) がオスマン帝国に該当する。 万歴4年に朝貢してきた諸国名を列挙した中の一つとして記述されてるだけだが。 スレイマン1世がサファヴィー朝に対抗すべくかもしれぬが、 明朝に90人規模の使節団をシルクロード経由で派遣。 しかし明朝側は規定通りの返礼品を贈るだけで帰国させ、 嘉靖帝に会うことできず。 帰国途中の甘州でモンゴルとの戦乱に巻き込まれ 9人が犠牲になったそうな。 >>120 イェニチェリって強い? 軍楽隊を聞くと哀調を帯びてて、そんなに強そうに感じない(個人の感想)。 https://youtu.be/UukiDpOTju0 だが昔の西欧人はこの音楽が聞こえてくるとガクブルしておしっこ漏らしたんやで そうか? モーツァルトなんてノリノリでパクってんじゃん >>126 東洋的な哀調と、アフリカ的なリズム それがイスラム圏の音楽の特徴 >>128 そらモーツァルトはオスマン帝国恐れるに足らずとわかった後の時代やもの >>119 どっちも関係のない国。 争わないと気が済まないイギリス白人至高主義者バカたちw 問い合わせID:494ab213e36694e1 ホスト:KD182251247050.au-net.ne.jp 名前: 世界@名無史さん E-mail: 内容: オスマントルコ軍は正義軍w バカがまたサイバーしてるな。 51.510495, -0.366300 サウソール付近、イギリス、Southall 44 Green Dr Southall、UB1 3AZ、イギリス の裏庭w タチャットル リンダ 59 元イギリス海軍 問い合わせID:494ab213e36694e1 ホスト:KD182251247050.au-net.ne.jp 名前: 世界@名無史さん E-mail: 内容: オスマントルコ軍は正義軍w バカがまたサイバーしてるな。 51.510495, -0.366300 サウソール付近、イギリス、Southall 44 Green Dr Southall、UB1 3AZ、イギリス の裏庭w タチャットル リンダ 59 元イギリス海軍 タチャットル リンダ 59 元イギリス海軍 ↑ こいつの言い分 いくら災害が起きようとわたちは死にましぇん アホが日本からいくらアホを言ってもわたちを捕まえられない。 バカはヨダレをたらしていれw バーカ だってw >>124 実況草 Ver1.00 Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 10_2 like Mac OS X) AppleWebKit/602.3.12 (KHTML, like Gecko) Version/10.0 Mobile/14C92 Safari/602.1 >>9 実況草 Ver1.00 Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 10_2 like Mac OS X) AppleWebKit/602.3.12 (KHTML, like Gecko) Version/10.0 Mobile/14C92 Safari/602.1 >>129 エキゾチックな雰囲気が良いよね。 その昔、NHKドラマ『阿修羅のごとく』のテーマ曲だった。 こんな曲が聞こえてきて、騎馬隊が攻め込んでくる。怖いよう・・ https://youtu.be/ntVtN3g6ERM ゴルバチョフの故郷はかつてはオスマン帝国領だった地域 hoi4 オスマン帝国 でYouTube調べると出てくる動画が10分程度でテンポよくておもろかった オスマン帝国→近代化トルコ→クーデターで再帝国化→2次大戦までに軍拡して、アメリカ参戦までにイギリス本土上陸を目指すの。 動画編集がプロジェクトXみたいに実際の映像にテロップ加えてそれっぽく作ってるから、なんかほんとにオスマン帝国が復活した錯覚に陥っておもろい。 オスマン帝国に詳しい人が見たらどう思うか感想聞きたい >>141 自画自賛してほしい気満々じゃん。 誰がイギリスに行きたいのかって。 テロリスト国家に成り下がった国へなら、攻撃しに行くかどうかくらいだろw 「第二次世界大戦」を「二次大戦」とか書いてる奴の社会科の恩師の顔が見たい。 オスマン帝国の帝室が政治権力、または権威として復活する可能性はあるかな? 目前に迫った22世紀、近代以降において、「血」とAIに依存する統治システムというのは、オルタナティヴであり得ると思うのだ。 …閥族支配という近代民主主義の現象を、可視化するだけではあるかもしれないが。 オスマン帝国大好きマンのケマルの提案蹴らずに復活してたらどうなってたろう? 立憲君主制なら世界情勢への影響は少なそうだけれど、君主制ってだけで共産勢力との関係は拗れるから結構変わるかな? >>59 その戦艦の艦名は >>72 でも解説されているセリム1世の異名「ヤウズ」(冷血者)。 引き渡されてないんだから名前つけてないんじゃないの? 今のトルコがもう少しギリシャやブルガリアの領土を保って、 より欧州とアジアの混成国家の模様が強かったらどうなってたか興味がある。 民族的にも宗教的にも統一できずに分離独立運動で死にそう…… >>142 >>143 俺に動画作る技術ねーよ てか、自作自演なんて発想全くなかったんたが、即レスできるってことは、おまえら普段からやってるんだろw 中国人が日本人には思いつかない悪口いうのと同じやんけ。 予想外の基地外にからまれるとびっくりするわ… >>155 ageと草と口調で例の統失ってわかるだろ。スルーしとけ オスマン王家のY遺伝子ハプログループはR1a どこかでイラン系にすり替わっている 近代のオスマントルコでは洋服を着るようになってもトルコ帽 チキンホークのすぎやまこういちは中国共産党は人類の敵と威勢のいい事を言っていたが 中国共産党の恐怖政治が消えたらフセイン政権崩壊後のイラクのような内戦状態になるかもしれないという事を想定してないのだろうか >>161 日本にとっては都合のいいことではないか 難民を除いて >>150 >>152 オスマントルコの予定艦名 イギリスにより接収 戦艦スルタン・オスマン1世 → 戦艦エジンコート 戦艦レシャド5世 → 戦艦エリン 後者は日本向けにイギリスで設計・建造された戦艦金剛の準同型艦。 日本はイギリスの同盟国だったから、契約を反故にされたりしなかった。 トルコ、中国に「重い人権蹂躙に対する我々の抗議に注意を払うべきblog.goo.ne.jp/jiuhime007/e/76eb7f88cd11df9e558b8ba0ab80134c オスマン帝国始動 >>32 >ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。 当時〜オスマン帝国末期〜の経済を動かしてたのは ユダヤ人やアルメニア人で、特にアルメニア人はトルコの 経済の70%を握ってたという説もある位で、憎まれてたと 読んだ事がある。 以前NHKのBSの紀行番組観たとき、イスラム社会のどこにでも アルメニア教会があった。 そしてかってはアルメニア人街があったけど、現在は少しの人しか 住んでいない、との事だった。 現在BS4で14時30分からOA中の「オスマン帝国外伝〜」に ユダヤ人の商人や医師は出てきたけど、アルメニア人は出てない。 夢獏良氏の小説「シナン?」には、設計はシナンがしてイロイロな計算は アルメニア人が担当してた、と書いてたような。 シナンもアルメニア人説やアルバニア人説があるようですね。 ロシア側のアルメニア人組織がロシア政府に協力したのと、ロシアがキリスト教仲間と吹聴したせいで不信感があったとも聞いた 東ローマ帝国を滅ぼしたこの国に良いイメージはない 形式的にでも続いていたら王朝は何度も変わっていて宗教はキリスト教徒に乗り換え 民族的にはギリシャ人であろうとも、おそらく立憲君主制となった皇帝は 世界で最も権威ある人になったであろうから >>172 アッバース朝のカリフも終わらせたからな 日本の天皇とローマ法王を終わらせるようなものだ 史上最大の破壊者 >>166 アルメニア人って、 陸路海路の商業ネットワークを持ってて 広い範囲でかなり活躍してたんだね。 イギリス東インド会社にとっても アルメニア人有力商人たちの協力を得たことが 会社活動に大きな利益となってるらしい。 >>172 ベネチアは一度もどことも争った事なんかないんだよw >>172 今のアルバニアとモンテネグロは向かい合っていただけw オスマントルコ軍は、フランスと戦ったんだよ。 圧倒的な強さのオスマントルコw 江戸時代末期頃は文明では オスマン帝国>江戸末期の日本>同時代の清 19世紀における文明は言わずもがな西欧文明(技術学問文化)を取り入れてるかどうかでしょ 西欧と隣接して影響しあってる国家を、海の遥か彼方の関わりの少ない国家と比べて西欧と近く文明的って言ってもそりゃそうだろうとしか アメリカ人は日本人より英語の識字率が高いって言ってるようなものでは 清は日本より先に西欧文明に接してるのに日本より遅れたけどな いま「オスマントルコ外伝」をBSで放送中だが、当時のイスラム文化や歴史を可視化できておもしろい。 イェニチェリの反乱とか、ムスタファ皇子の軍団を前にした入団式とか、ハンガリーとの戦争とか 描いてるが、トルコ軍は今でも世界の軍隊ベスト10に入るほど強いけど徴兵制のせいかドラマでも強そう。 ローマ法王やハンガリー王やヴェネチア共和国元首やユダヤ人商人や、ハレムのいろいろな民族の 女奴隷も全部トルコ人俳優が演じているが、全然違和感が無くて欧州の白人にしか見えない。 スレイマン皇帝は青い目で色白。イブラヒム大宰相も白い肌。ヒュッレムはグレーの瞳に赤毛。 宦官長はイラク人。みんな個性的な顔してバラエティに飛んでいて脇役まで顔が整っている。 昔欧州の美少年や美少女を拉致して混血してきたからかな。トルコの俳優は世界帝国の末裔という感じ。 またみんな数ヶ国語が話せるのがすごい。女官のニギャールはスウェーデン語など7ヶ国語が話せ医大卒。 スレイマンは工科大と芸術大学のオペラ・ミュージック科卒で俳優は大卒が多い。 オスマントルコ外伝ちゃうで オスマン帝国外伝やねん 見るなら、早いほうがいい。そろそろイブラヒムがいなくなりそうだから。 長文さんこっちにも来てんのかな。 ヒュッレムの女優はドイツ人だよ。 ドラマの影響で少し、調べている。財政とか金融とかを調べてる最中。 40年代からは価格革命が始まりだすのに、 イスラム金融を維持しようとしているのが、デメリットだったんだろう。 当時の調査をしたものを見ると、 時代が下るごとに通常の物価と比べ、戦費調達コストが欧州よりも割高になってくる。 戦費調達のためにいろいろな仕組みを考えたようだが、それでも、 銀行や利子等、インフレに強い仕組みがない事や、その資金用途を創らなかった影響だろう。 北宋初期もそうだったけど、いいときは財政黒字になってたり、余裕がある。 おかしくなってくるときは、均衡できなくなり、慢性赤字になっていく。 ちょっと、訂正。 ヒュッレムはドイツ人は誤りだった。トルコ、ドイツの二重国籍だった。 すみません。 第一次世界大戦、もうちょっと頑張れたんじゃないか? もうちょっと頑張れるだけの戦力ができ次第エンヴェルが特攻させるから無理 >>184 現代トルコ人は遺伝子学的には中央や北アジアのトルコ民族とはまったくつながってないし ほとんど東ローマ人の子孫なんだから欧米人と顔かたちが似てて当たり前 それと日本人が異常に言語オンチなだけで海外だと複数言語使える人とか珍しくないよ >>192 普通の日本人は出身地弁と東京弁と関西弁を使える そのインテリ俳優様があんなチープな脚本を真面目に演じてんのな ゲスなヒュッレム 大物感のない大宰相(不倫中) 敵役はアホばかり スレイマン一世は名君なんだろ?雰囲気はそうだけど具体的にどこが?ってドラマ 長すぎるドラマは大体そうなる 全40話くらいなら大物(たとえ負け組でも)はそれなりの人物に描かれていただろう マルタ島包囲戦でマルタを占領できないまま撤退したオスマン勢だけど 帰還後に死罪なんかの厳罰に処された人っているのかしら。 >>184 >全然違和感が無くて欧州の白人にしか見えない。 昔の日本の映画・外ドラで欧米人役演じてた人の中にもトルコ人がいたっけ。 ユセフ・オスマンとかエンベル・アルベンバイとか。 ロイジェームスも「西洋人の意見」としてコメンテーターやってた トルコ人は元々はモンゴロイドやけど 西方に進出したトルコ人のほとんどはコーカソイド容姿になってるし 西洋人で違和感無いわ 中央アジアは元々モンゴロイドなんだろうか ペルシャとずっと交流があって近代にロシア人が入植してるし分からなくなる >>200 狄やなんやらの古い時代のトルコ人についての記述に特に容姿についての言及が無い ということは外見的には漢人と変わらんモンゴロイドのはず もしトルコ人が当時からコーカソイド容姿ならその珍しい容姿について必ず言及があるやろ トハラ人はアファナシェヴォ文化の連中が 寒冷化により南下したものらしい 19Cに入るとヨーロッパ式のカリキュラムに沿った高等教育機関が 作られるようになってるけど維新後の日本のようにお雇い外国人を 教官に招いたりとか、自国青年のヨーロッパ諸国留学なんかは さかんに行われてたのかなぁ… フランス式の高校(リセ)のガラタサライ高のサッカー部が始まりなのが ガラタサライSKだよね 現ガラタサライSKでは、稲本や長友がサッカー部、佐野や木村が女子バレーボール部の、それぞれ所属経験者 アブドゥルハミト2世在位当時のオスマン帝国ではサッカークラブの設立が禁止されてたってことだそうで、 (以前ジーコが監督をしたこともある)フェネルバフチェSKは、 クラブ結成そのものが、極秘裏に実行されたんだとか トルコリーグ、中でも特にフェネルバフチェとガラタサライの海峡間ダービーは 欧州サッカー連盟内で最恐級の超過激な様相になるそうだけど その昔のサッカークラブ設立禁止っていうのは キリスト教圏文化の流入に対する警戒のほかに ひょっとすると、いにしえの東ローマ帝国首都での「ニカの乱」が念頭にあったんだろうか・・・? 19C後半のオスマン海軍におけるお雇い外国人について ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient1962/36/2/36_2_180/_pdf >>208 ガラタサライ高だけどウィキ見てみたらその前身となった学校が1481年に作られてるのね (そういえば日本の高校の中にも藩校が前身なところがあったっけ) ttps://en.wikipedia.org/wiki/Galatasaray_High_School >>198 ロイ・ジェームスもユセフ・オスマンも同じ1982年に亡くなってるな 1代で成り上がったムハンマド・アリーのほうがよっぽど近代化には成功している。 デカ過ぎる国というのは、一気に近代化するのが難しいのかもしれない。 議会憲法自由と喧しいだけでろくな対案の無い改革派にも問題がある 政権担当能力無いのにとりあえず引っ掻き回す統一と進歩、オメーだよ アラビアのロレンスが率いるアラブ勢だけど迎え撃つのがムスタファ・ケマル だったら勝ってたんだろうか >>212 ムハンマド・アリーといえば孫が第一次大戦中オスマン帝国の大宰相務めてるね ttps://en.wikipedia.org/wiki/Said_Halim_Pasha ギリシャ雑魚杉 勝手に小アジアに攻め込んで起きながら反撃食らって敗走 トチ狂ってイスタンブール攻めようとしたらイギリスに起こられてすごすご撤退 何がしたかったんだこいつ…… ギリシャセルビアポーランドは大物気取ってガイジムーヴする小物だからな ヨーロッパ式のカリキュラムに沿った高等教育機関, 士官学校はあったみたいだけど大学は新設されたの かしら(19C後半頃ね) >>218 兵站無視してアナトリアの奥地に兵を進ませたあげく ケマルの軍隊にフルボッコにされたんだっけ。 イギリスの新首相・ジョンソン氏だけど父方の曽祖父は第一次大戦後の オスマン帝国で閣僚を務めた人だったのね。 ttps://en.wikipedia.org/wiki/Ali_Kemal ひいおじいちゃんのトルコ人がヨーロッパへ赴いてた時に 恋に落ちたイギリス人女性との間に生まれたのが,イギリス 新首相のおじいちゃん。 そのおじいちゃんは母方の旧姓ジョンソンを名乗ったのね。 >三瓶は今年3月、お笑い芸人としての活動を休止し、トルコへ移住したが、心が折れてわずか2カ月で帰国していた。 トルコで何があったん… >>224 海外生活が肌に合わなかったということになってるけど、普通に失恋だと思う ただの友達とかないから NetFlixでオスマン帝国のドラマ始まったな これは世界史マニアなら見ておくべきコンテンツ スレイマン1世&ヒュッレム・ハセキ・スルタンを主人公にしたトルコのドラマは ちょっとラブロマンス色が強すぎて主婦向けという感じがしたから、 NetFlixのドラマの方が面白いかも? >>229 第一次大戦前のバルカン戦争でオスマントルコに勝った後は なんぼか溜飲が下がったんかね? >>230 すごく意味のない意見を発見 何でコルシカ島をフランスはイタリアに返さないの?って言ってるようなもんだよ なんでポーランドはポンメルンをドイツに返さないの? なんでアメリカはテキサスをメキシコに返さないの? なんでイギリスはジブラルタルをスペインに返さないの? なんでスペインはセウタをモロッコに返さないの? >>230 ならギリシャはトラキアをブルガリアに返せよ >>235 Wikipediaからの受け売りだけども、当時のティムール朝は 絶好調の雷帝バヤズィト率いるオスマン軍より更に軍勢が多い ティムール軍は20万、オスマン軍は12万 しかもティムール軍には戦象部隊までいる オスマン帝国に領地を奪われた小アジアの君主達がティムール軍にいた上、 交戦中にオスマン軍にいた小アジアの勢力が軒並みティムール軍に寝返った 元から不利なのに、更に不利になるとか勝ち目ないわな この時ばかりは数の差に押されてか、オスマン帝国自慢のイェニチェリも機能しなかったようだ そりゃ負けるわ オスマンはなぜヨーロッパを滅ぼせなかったか 中世のヨーロッパなんて基本雑魚だろ? >>237 モンゴルとの戦いで力をつけ、元モンゴル系のリプカタタールまで 自分の戦力に納めたポーランドが居たし、中東方面もサファヴィー朝と 頻繁に抗争してて戦力の集中が 出来なかったから。 >>237 オスマン帝国がウィーンにまで攻め込んだ時のヨーロッパはもう雑魚じゃない 中世じゃなくて近世だぞ オスマン帝国に地中海貿易を封じられたから大航海時代が始まり、 植民地事業もスペインやオランダは大分稼ぎを出していた (スペインは出費も半端なかったので総合的には赤字だが) そもそも中世末期頃の西欧は既にビザンツ帝国を上回る経済力・文化を持っていた 何せあのビザンツが西欧式の建築を部分的にとはいえ取り込むくらいだからな それでもオスマン帝国も最盛期と言えばそうだったが、 後は>>238 の理由が主なところ 『ウィーン包囲: オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘』(菊池良生 (著) 河出書房新社)。 なかなか面白かった。 オスマン側の事情もなかなか大変だったのね。 ウィーン包囲に失敗したのは冬が訪れたからでええんか? インド洋統治が地中海のようにいかなかったのは何故なのか? >>1 Osman, Uthman - アラブ bustard Bustard - 羅 avis (bird) - tarda (slow), slowbird 遅い鳥、後ろの鳥 オスマン帝国の旧首都のエディルネって歴史的に交通の要所だけど 今は辺境の都市になったせいか人口少ないよね ギリシャとブルガリアが今でもトルコ領だったら50万人前後位行ってたんだろうか? まあそんな事になっていたら イスタンブールが今でもトルコの首都のままだったんだろうけど 旧ソ連から独立したアルメニア共和国は、トルコ共和国領となっている かつてのアルメニア人居住地域に対する領土的な主張を行い始めたそうである まあ、トルコが応じるとは思えないが >>245 アルメニア人は、世界中で反トルコ宣伝活動を粘り強く展開し、「西の朝鮮人」といわれる厄介な連中 アルメニアって、アゼルバイジャンとの間でも領土問題を抱えてなかったか? これ以上領土問題を増やしてどうするつもりなんだろう >>246 でも実際にエンヴェル・パシャ政権下とかで大量虐殺受けたからしゃーないやろ ウクライナもホロドモール食らったんだが、それ故の反ロシア感情を『朝鮮人的』って言うのか? 日本と朝鮮半島の関係とは何もかもが違うのだから、一緒にすべきではない 日本ではほとんど知られていないが、 オスマン帝国ではアッシリア人虐殺もあった もしオスマン帝国が第一次世界大戦に参戦しなかったら、 今でも帝国が続いていた? 一応、戦勝国の側のロシア帝国も革命が起きて潰れたから、どうかなあ? >>250 帝国が滅亡した年 清:1912 ロシア帝国:1917 オーストリア=ハンガリー帝国:1918 ドイツ帝国:1918 オスマン帝国:1922 WW1に関係してない清が滅亡してるから、 前時代帝国の時代は既に終わってた。 なのでWW1 に関わらくとも滅亡した。に一票。 >>252 ただメフメト6世がセーブル条約さえ結ばなきゃ皇室の権威が失墜する事も アタチュルク含む改革派がトルコ革命起こすこと無いし オスマン家はカリフ兼ねていてイスラム世界では権威も高かったから 史実より続いた気がする 大戦に参加しなかったら史実トルコ位の領域は確保できただろうし アルメニア人虐殺をドイツの歴史家エルンスト・ノルテが「アジア的野蛮」 と言っていたけど、実は「統一と進歩委員会」の連中はフランスで西欧文明を 学んだ連中なのよね だからアルメニア人虐殺は、ノルテの主張とは反対に、「ヨーロッパ的」 といっていいかもしれない ポル・ポトがおフランスで学んだインテリだったのと同じ パシュトゥーンの掟とかあるのか チンギス・ハーンに負けた? >>241 オーストリアの要塞は堅く 1000人ぐらいの要塞に10万人ぐらいで攻めて毎度数万負傷になるからそんなに頻繁に軍事行動できない ポーランドは騎兵強いから苦戦しまくり 日露戦争ではオスマントルコから観戦武官が日本軍へ派遣されてたんだっけ 近世のオスマントルコ軍、大佐より上の階級は少将は よく聞くものの中将や大将はめったに聞いた事がない。 元帥を除けば少将が最高の階級だったんかね。 >>253 民族主義が抑えられなかったから無理だろう アルメニア人虐殺というけど首都イスタンブールではアルメニア系は銀行襲ったりして大変だった 主要拠点である東方ではクルド人から虐待 その支援にカフカスの国境を越えてロシア軍が待機してる アタテュルクは青年トルコを牛耳ってたエンヴェルを追放して守備を固めた エンヴェルの構想ではロシアの支援でトルコ主義の大帝国を作って 中央アジアのトルキスタンを統括した連合を作る アナトリアはその一州として大トルコ連合の一員になるというもの この頃の動きはロシアの革命とも連動してるから 旧帝政の維持では終わらなかっただろう アルメニア人はオスマン帝国内でもかなりいい位置にいて 帝国の解体なんて望まない声も多かった だがイギリス等が内部崩壊の工作をして アルメニアなどのキリスト系にテロ支援を行った テロリストを養成してテロをさんざん行わせた そしてオスマン政府は彼らを移住せざるを得ず 長期移動の間に多くの人口が欠落 それがそのままジェノサイドと定義された 海外ではお約束だがマクロで数える計算法だから 事前と事後で総数数えて引き算で虐殺数を数える 死んだのか逃亡したのかはよくわからない 第一次大戦中はエンヴェルが大宰相として実権握り続けてきたのかと思ってますたorz 西に版図を広げたスレイマン大帝も東のペルシャは征服できなかったか スンニ派のオスマントルコがシーア派のペルシャを征服したとしても 現地での度重なる反乱に悩まされそう。 でもってその時の対立が後々まで尾を引きそう。 >>262 >>263 オスマン朝とサファビー朝でお互いをトルコ人呼ばわりし、 それぞれをファールスと自称してた。君主号もそれぞれが パードシャーと称してた。 オスマン帝国はアイデンティティペルシアか そういやムガル帝国もペルシア文化愛好者のトルコ人だな オスマン帝国崩壊させて新体制築いたケマルだが皇帝とはならなかったか (ナポレオンのように自国民から受け入れられたか、逆に袁世凱みたく 周囲からそっぽ向かれたのか) ケマルは新生したトルコ人国家の大統領だから受け入れられたんだろ 袁世凱は国民の意志に反して皇帝になったからそっぽ向かれた (「また帝政復活させんのかよ、ふざけんな」ということ) やってることはどちらも独裁でも、民族を導いた方向性が違う イランの近代化をはかろうとしたレザ・パフラヴィーってムスタファ・ケマルを 意識してたんやろか そりゃ意識してたどころか手本にしようとしてた ただし”成功した独裁者”ケマルと違い、開発独裁して見事に近代化に失敗 それでも贅沢三昧かつ西洋化を推し進めるパフラヴィー家にイラン国民がカチ切れて 国外追放されてたホメイニー師の呼びかけでイラン・イスラム革命へ んで皇帝一家はアメリカ政府の手引でアメリカに亡命、 以後イランはイラン・イスラム共和国に。 他にも開発独裁に失敗した国はいろいろある 現在のトルコもイラン化しつつあるような気がするが,エルドアン自身が 革命おこして世俗政権打倒したわけじゃないよね。 オスマンとモロッコの戦争を扱った」文献が見つからない 北アフリカでモロッコだけ独立を保ったから凄く興味がある >>26 Devlet-i Aliyye-i Osmâniyye オスマン家の至高の国家 帝国というのは意訳だな オスマン帝国は、600年続いてたんだもんなあ。 600年の歳月は重い。 日本で天皇制を廃止するのと、同じくらいの衝撃だろう。 >>271 モロッコにとって、オスマン帝国は確かに巨大な存在だったが、間に広大なアルジェリアの砂漠があるからなあ それよりも、スペインとポルトガルの脅威をシノギきったのが偉い でも、モロッコのスルタンは、オスマン帝国の機嫌を損ねないよう必死でゴマをすりながら、一方では城壁をこっそり強化したりとか、いろいろ大変だったようだ そんな中で、ポルトガルの侵攻を撃退し、スーダンのソンガイ帝国を征服した。 驚くほど、外交の立ち回りが上手い国だ 立ちまわりがうまかったといえば対ヴェネツィアのため オスマントルコに保護を求めたドゥブロヴニクも? 末期のオスマン帝国は兄弟でスルタン位を継承してたのな オスマン的にはインド方面よりヨーロッパ方面の方を標的にしてたけど、 何か理由があったの? ムガル帝国よりヨーロッパを支配した方が実入りが大きいとか? そりゃお前どうせ支配するなら同じ肌の黒い土人のインド征服するより憧れの白人国家様を征服したいだろ? サファヴィー朝があるのにインドなんか行けるわけ無いだろ オランダとオスマントルコの18Cにおける空気感たるや・・・ 19Cになるとまた目立ってくるんだが >>278 地図をみれば一目瞭然 欧州の方が近いし、船でつながっている、交易量もはるかに多い オスマン帝国末期は昏すぎるな アルメニア人虐殺ギリシャ人虐殺アッシリア人虐殺 民族主義という作られた思想の生み出す狂気 自然な形でのナショナリズムとは違うからね >>280 チャルディラーンでの勝利で勢いに乗ってサファヴィー朝を倒してそのままインドへってのはあかんかったのか? >>282 欧州の連中がアフリカ回りという危険を冒してまでインドへ香辛料求めたんだから、 オスマンも同様にインドへ進出しなかったのかと思ったんだが・・・ >>285 遅レスだけど、 >チャルディラーンでの勝利で勢いに乗ってサファヴィー朝を倒してそのままインドへってのはあかんかったのか? これは無理だろ。 セリム1世はチャルディラーンの戦いの後、確かにイスマーイール1世の追撃を目指していたが、 補給が困難になり遠征の疲れを伴ってイェニチェリを筆頭に軍内部に厭戦気分が漂い、 当時増長し始めていたイェニチェリを警戒して退却を決定せざるを得なかった。 中には銃砲を撃ち鳴らして抗議したイェニチェリまでいたとか そんな状況でインドまで行けるワケがない >>285 移動速度がそれ以前より遅くなったためもあるのでは 勝つためには、重い重火器が必要になり行軍速度はかなり遅くなった 鉄砲を大量に取り入れて版図を急拡大したのが織田信長と初期のオスマン 戦国時代のポルトガル及びスペインのカトリックや、 江戸時代のオランダのプロテスタントは日本と貿易してたけど、 オスマンあるいはイスラムの連中にとっては、日本はあまり興味が無かったのか? 幕末明治になると話は変わってくるが・・・ >>7 さあよく知りませんが軍事技術的にはヴェネツィアに小銃を繰り出されて大砲+弓矢*槍刀の射程管理で圧倒的優位に立って居た戦術が揺らぐまででは? >>278 地峡を抑えて成功した国ですからついつい狭い方へ行ったのではw? アルメニア人はキリスト教徒でイスラム教国である帝国内で独占的に有利子貸金業を営んでいましたから民衆の怨嗟の的になっており政権担当者が人気取りに躍起になる余りやらかしてしまったんでしょう 多分ナチスによるユダヤ人虐殺と同じ構図だと思いますよ >>126 初期のガチンコイェニチェリは去勢兵でモチベーションが戦功出世故郷に仕送りしか無かったから身命を惜しみながら戦って居る相手の軍勢と装備戦術が互角だったら圧勝に圧勝を重ねて行ただろうね戦場働きが悪ければ斬首だし正真正銘の勝利か死かだったんだから >>293 初期のイェニチェリはヒゲ生やしてなかったのね >>287-288 紀元前のアレキサンダーがインドまで遠征できたんだから、 16世紀のオスマンもそんくらい可能ではと思ったんだが・・・ スペインなんかフィリピンや新大陸でやらかしまくって、 一時は日本征服すら考えてたらしいじゃん。 例え勝てても割に合わないという理由で却下されたみたいだけど。 国に金目のものが無い割には住民の抵抗が激しそうだったので日本征服はやめたのか 日本でのキリスト教弾圧はキリスト教から衆道を守るためでも・・・あった? >>289 たしかに出遅れ感あります 同時期か一足早かったら 日本人はイスラム教徒になってたのかな 黄金の国という噂がデマだったから征服辞めたんやろw >>298 出遅れたというか、地中海や東はオスマンが強かったので西から行けないかと思って活動始めたスペインがたまたま先行する形になったんでは >>295 イギリスに負けて国力が落ちたから そのころスペイン無敵艦隊敗北 >>296 日本の財産は 日本人の頭の中にある事を気がつかなかったのかも なんでも変態魔改造してしまう日本人 >>297 その当時の日本ってどれぐらい世界の情報持ってたのかな オスマン帝国のことどれぐらい知ってたんだろ エルドアン政権がシリアやリビアの内戦に介入してるけど、 トルコはもうEU加盟はあきらめたの? 日本ではトルコの情報があまり伝わってこないからよくわからん トルコ軍ももうクーデターやって政権潰すなんて時代じゃなくなったな エルドアンがイランの革命防衛隊をモデルとした直属の精鋭軍作ったりして。 人員?エルドアンの影響下で先鋭化した狂信的なイスラム青年がいるじゃないですか そういえば初期のイェニチェリって狂信的なイスラム教徒も多かったのやら >>305 世俗主義の砦だったトルコ軍のクーデターが史上初めて潰されたからな どうも今のトルコ人も自由主義より、プーチン政権みたいな ”独裁的だが強い国を体現するリーダー”が好きなようだ トルコにはもう期待しない。 アタテュルク主義なんてもう蚊ほどにも彼らにとっては価値がないようだからな そういや、国際ジャーナリズムのレベルが低い日本のマスコミがバカな報道してたこと思い出した クーデターを市民が立ち上がって叩き潰した!トルコの未来は明るい!みたいな?w その市民ってトルコ民族主義+イスラーム再興を志向するエルドアンを支持している、 いわやバリバリの右翼なんだけどな 軍側の方が自由を守ってる立場なのに何も分かってねーわと当時爆笑してたわ トルコもいずれタリバン支配下のアフガン・IS支配下の地域・文革期の中国・ クメールルージュ支配下のカンボジアと同じようになるわ。 エルドアンも恐ろしいがもっと恐ろしそうなのがエルドアンの下でより先鋭化してる 急進的(左翼的には進歩的かw)イスラム青年ども。こいつらがポスト・エルドアンの トルコを担ってくのよな 先鋭化した若い層といえば文革期の紅衛兵もそうだったが,あれは一時期を過ぎたら それを操ってた毛沢東自身が下放と称して無力化させてたような >>310 でもそういう国がボスフォラス・ダーダネルス海峡という 戦略的拠点を抑えている ヨーロッパ諸国にとっては厄介な存在になるんじゃね? クメールルージュに見るアジア的優しさ タリバン・IS・エルドアンに見る中東的優しさ >>252 大日本帝国はいつ滅びたんや? 英帝国はいつ滅びたんや? >>314 日本は太平洋戦争後に国号を日本国へ改めた時? イギリスはスエズ動乱でどとめ刺された? イギリスは皇帝ではなく国王が君臨してたが,かつての陸軍トップは Chief of Imperial General StaffとImperialの名を冠してたのよな。 それがスエズ動乱の敗北より後の1964年以降、Imeperialが外れて Chief of General Staffとなったか 英帝国はインド皇帝の帝位を失って滅びた ちなみにインド皇帝位はムガルから譲り受けたものなので その帝位はモンゴルの大ハーン 末期のイェニチェリは軍事力としてどうだったの? イェニチェリ廃止後の戦争で苦戦しまくっているから 一応は軍事力として機能してたのかな イェニチェリのせいで苦戦するような軍事力まで退化した バルカンよりもアナトリアの反乱の方が回数も多くて時代も早いのが意外 アナトリアのムスリム遊牧民からすると時代に置いて行かれた感があったのかな 遊牧の世界 トルコ系遊牧民ユルックの民族誌から 中公新書 松原 正毅 >>322 イェニチェリがそもそも元キリスト教、元白人で対白人で戦争やる気なかったからだろ ガキの頃から挑発されるのキリスト教なんかに親近感持つかよ トルコは中国のウイグル人に対する民族浄化についてどう思っているのかな ウイグル人も同じテュルク系の民族だが どうも思ってないんじゃないですかね 同じって意識はないと思うよ >>330 確かそれについて中国批判してた気がする レパントの海戦は、ガレー船時代の終わりとカリヨンを主力とする 帆船時代の幕開けを告げるものだった レパントの勝利でカリヨンの威力を目の当たりにした西欧諸国の海軍は、 いち早くこのタイプの軍艦へとモデルチェンジをはかった ところが、オスマン海軍はカリヨン艦隊の構築にすぐには着手せず、 17世紀中葉までガレー船にこだわり続けた その理由の一つとして、「カプダン・パシャ」と呼ばれた海軍長官に 人を得られなかったことがあげられる >>322 当時のロシアが雑魚かはわからんが、あれだけ連戦連敗した理由な知りたいね なぜかここではスルーだが よく知らないが兵器の違いでない? ロシアはトルコより新しい高性能の砲や銃を持っていた、ドイツから輸入 イェニチェリやる気ないからな 旗本が薩長軍と戦えるかって話 ほー アヤ・ソフィア寺院は今、博物館になってるけど、 イスラム教寺院に戻すのか イェニチェリは時代が下るにつれて結婚が許されるようになり、 単なる世襲の特権階級に成り下がっていった 待遇での不満やボーナスの不支給があるとスルタンに抗議することは 日常茶飯事となり、クーデターを起こしスルタンを廃位・殺害することさえあった。 あの『冷酷者』セリム1世ですら、ある程度イェニチェリのご機嫌うかがいをしてたくらいだからな スルタンも宰相もこいつらの意向に反することやると、すぐに更迭・廃位・殺害の憂き目にあった まさにローマ帝国のプラエトリアニ、軍人皇帝期そのもの そういう意味で、マフムト2世がこいつらを排除した意義はデカい もっと早く排除していればオスマン帝国はもう少し延命できたかもしれんけど そういやエルドアンがアヤソフィアを完全なモスクに改造するってよ 何たる暴挙 ISISと同レベルの過激派政権と断定してもいいと思う ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20200711/k10012509781000.html >>341 床に絨毯を敷いて、説教台を作るのか ブルーモスクは絨毯敷きでお祈りしている人がいた 何が博物館だよ そんな半端なステータスの方が侮辱だわ >>340 アッバース朝の親衛隊も、カリフを勝手に廃位していたな 専制帝国の親衛隊というのは、どこも似たようなものなのか >>343 わかってねーな アヤソフィアは表面上モスクのようでありながら 内装は正教会の大聖堂であった時代の様式をそのまま残した仕様であるのは知ってるだろ? それがオスマン帝国の宗教的な寛容さの象徴である証拠だというのに しかもギリシャ人が独立戦争を起こしても、脱イスラム化が進んだトルコにおいても 決して元の仕様を損ねるような改造は行っていないのに、 エルドアンとその支持者はイスラム教徒だけのためだけの宗教施設に改造するという暴挙を・・・ やっぱイスラム復古主義はクソだな、ということの証左だぞ バーミヤンの仏教遺跡を爆破したターリバーンや、パルミラ遺跡を爆破したISとやってることは同じ >>336 ,339 この時代、イェニチェリも八旗も旗本もダメになってた 兵制改革は、海軍に限っても、航海、機関、砲撃などの術科で 高度な数学と理工学の知識を必要とした 陸軍でも砲兵の弾道学、工兵の築城学でもヨーロッパと同じ 技量が不可欠だったことはいうまでもない 兵制改革は教育改革とも連動する関係にあったのである 【トルコ】モスク化でトルコに非難続々 世界遺産アヤソフィア、登録抹消も [爆笑ゴリラ★] 【パリ時事】トルコのエルドアン大統領は10日、イスタンブールの世界遺産アヤソフィアについて、 モスク(イスラム礼拝所)として運用する方針を発表した。 これに対し国際社会からは非難する声が相次ぎ、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、次回の世界遺産委員会で保護状態を審査すると表明。 登録が抹消される可能性もある。 アヤソフィアは、6世紀にビザンツ帝国がギリシャ正教の総本山として建立。15世紀にオスマン帝国の支配下でモスクに改装され、1930年代に無宗教の博物館に変更された。 キリスト教会とモスクの特徴を併せ持ち、「異文化共存の象徴」と見なされてきた。 ロイター通信によると、隣国ギリシャの首相府は10日、「トルコの決定を最も強い言葉で非難する」との声明を発表。 「トルコにとってギリシャだけでなく、欧州連合(EU)との関係にも影響を及ぼす」と批判した。 米国務省のオルタガス報道官は「失望している」と表明。タス通信によると、ロシアのコサチョフ上院外交委員長はフェイスブックに 「トルコは今後、国際社会から宗教バランスの妨害者と見なされ、地域での重要な役割を失う。残念だ」と投稿した。 ユネスコのアズレ事務局長も声明で、 「事前協議がない決定で非常に遺憾だ」とし、「アヤソフィアの博物館としての地位は遺産の普遍的な性質を反映し、対話の強力な象徴だ」と強調した。 ユネスコは、トルコの決定がアヤソフィアの「普遍的価値」に影響を与える恐れがあると指摘。 ユネスコとの事前協議なしに遺産の構造などを変更した場合、世界遺産条約に違反する可能性があると警告した。 https://amd.c.yimg.jp/im_siggUsCTKkEpH4BuGGnhMNp5IQ---x900-y600-q90-exp3h-pril/amd/20200712-00000009-jij-000-2-view.jpg https://news.yahoo.co.jp/articles/d17b69eedef6585494336701615b4fdb5da61ce9 イスラムのモスクをキリスト教聖堂として使うのはかまわんけど キリスト教聖堂をイスラムのモスクとして使うのはあかん これがユネスコの方針か 精神の近代化なんて難しいこと、どんな民族にでもできることではないと思う 結局、トルコ人には無理だったんだよ >>351 どう違うねん ハギアソフィアをモスクに改造したらあかんのやったら メスキータをキリスト教聖堂に改造するのもあかんはずやろ 公平やないやん 共和国になる前まではモスクだったんだから博物館の歴史なんてゴミみたいなもんだろ >>345 分かってないのはお前だろw アヤソフィアも400年のモスクとしての歴史があるんだが もしかしてオスマン時代から博物館だったとでも思ってるのか? 言ってることも逆 表面上は正教会の大聖堂でありながら内装はモスク これがオスマン時代の正しい姿だった これをもし博物館をモスクじゃなくて博物館をキリスト教の聖堂にすると言ってもちゃんと文化破壊だ愚行だ言うんだろうな じゃなかったら単なるダブスタ それでマウントとった気になってるのか 正論の前に何も反論できずw そもそも>>357 がなんの反論になってないからなあ エルドアンであれば(アフガンでタリバンがバーミヤンの石仏を破壊したみたく)トルコ国内にある 非イスラム史跡を徹底的に破壊してもおかしくないわけで・・・ てかこれからそういった非イスラム史跡がエルドアンによって徹底的に破壊されてくんだろうな エルドアンのやってる事はイスラム教至上主義かつ世俗的な物・価値観の徹底否定だけど その先兵になりそうなのがいずれ作られるであろう宗教警察。 19C後半からのオスマン帝国でもさすがに宗教警察はなかったよな 宗教警察って、サウジアラビアのそれを真似るんだろうか… >>365 宗教警察という名ではないが、それに相当する組織は昔からあったみたい トルコでもカイロでも >>363 くやしいのうw 400年の歴史を指摘されて反論できずw ケマル・アタテュルクの改革は、イランでもアフガニスタンでも モデルにされたのに、結局どの国もイスラーム主義に逆戻りか イランはネクタイの着用はNGでも人々は洋服着てるし女性は目だけでなく顔も出してる。 エルドアンは洋服の着用NG、女性は目だけってのを国民に強制したりして 欧米の左派はこれを進歩的とうそぶいて欧米志向の人達のほうを保守反動とかいって 叩いてんのかな? >>369 アフガンの共産主義者はケマルの改革をどう見てたのやら アフガニスタンも、米軍が撤退したらタリバンが支配する国になるんだろうな イランは中国と組むことに決めたようだし >>370 前から気になってたんだけど ネクタイ禁止は、イラン固有の制度なんですか ? 周りのイスラム系国家では、普通にネクタイ着けてるよね 明治の日本人が鹿鳴館で似合わない洋服を着てダンスを踊っていたけれど、 イスラーム圏で女性のヒジャーブを取らせるという政策も、 それと似たようなもんだったんじゃね? 国民にしてみれば、やりたくもない西洋化を無理矢理やらされた >>368 まだ自分の誤りに気づいてないあたりやべーなこいつ >>374 ”イスラーム圏”で一括りにしすぎだろ 西洋化を受け入れてる度合いなんてイスラム教国各国でそれぞれ違う サウジなんて政治的には親米、文化的にもアメリカ文化の影響受けまくってるぞ サウジではアメリカの芸能人がめちゃくちゃ人気 特にキム・カーダシアンは男女共に憧れの的 サウジやUAEではビデオゲームが普通に販売され楽しまれてるし、 女性の権利も年々緩和されてきている しかしウラマーを始めとするイスラム保守層は まだまだワッハーブ主義に基づく伝統的な主張を繰り返してるし、 そのサウジからオサマ・ビン=ラーディンのような過激派が出てきたのも事実 一方イランでは政府は明確に反米でサウジ以上に宗教警察が国民に対して目を光らせているが、 若者を中心に大分西洋化が進んでおり欧米化にそれほど抵抗を持っていない国民もザラ むしろ宗教警察の前では敬虔なシーア派イスラム教徒のような面をして、 警察が帰ると伝統的な装いも脱ぎ捨てて酒ありタバコあり西洋音楽ありのドンチャン騒ぎに興じているとか >>377 西洋の文化を楽しんでも、リベラル・デモクラシーや人権、政教分離 といった概念は受け入れようとしないよな 中東でデモクラシーをやってもアラブの春の時みたくイスラム原理主義者の台頭を 許してしまうのよな・・・ 欧米の左派共って世俗派による強権政治は非難してもイスラム原理主義者による 強権政治には目をつむりたがるような(気のせいか) エルドアンってオスマン帝国が19Cに西欧文化を取り入れてった事が許せなかったりして。 そんなエルドアンでも軍隊や警察の制服を洋服から民族衣装へ変えるってのはさすがにできないか (国民に民族衣装着せてるブータンですら軍隊や警察の制服は洋服だもんな) オスマントルコのスルタンが受け継いでたカリフの座を目論んでそうなエルドアン。 それはそうとエルドアンにせよISにせよタリバンにせよ、クメールルージュや これに影響を与えた文革期の毛沢東の手法なんかは参考にしてたり・・・して >>379 民意がイスラムなんやで イスラム政権で何で問題ある? 非イスラム政権は民意に反してるし、強権で抑えつける以外に維持でけへん トルコなんかイスラム政権ができそうになるたびに 軍がクーデターやってイスラム政権成立を阻止してたし トルコではそれが軍の役目やった そしてその伝統もとうとう終わった 世俗の強権政治に反対してた人達、イスラム寄りな人もいれば強権政治そのものには反対だが ライフスタイルは世俗志向という人もいそう >>383 おおむね上級ほど、富裕層ほど世俗志向 貧民ほどイスラム志向 ある韓国研究者が、 「韓国ではデモクラシーは根付いてもリベラリズムは根付かなかった」 と書いていた イスラーム圏で民主化しても、リベラリズム無きデモクラシーが 誕生するかもな イスラム国もアフガンのタリバンも君臨時は下層階級からは幅広い支持集めてたりして。 共産主義だがクメールルージュも同じく下層階級から幅広く支持されてたかも ケマルはカリフ制を廃止し、シェイヒュルイスラームを廃止し、 ウラマーの養成機関であったメドレセを閉鎖し、さらにシャリーア法廷も廃止した 今後、これらのものが復活してくる可能性はあるかな? エルドアンによる非イスラム史跡の徹底破壊、世俗派への大虐殺・大迫害も秒読み寸前か 走資派=世俗派 紅衛兵=下層階級や狂信的なイスラム青年で構成されたエルドアンの私兵 用済みになれば紅衛兵同様お払い箱か 世俗主義のエリート層は、イスラムに従うのは無知であり、 自分たちの方が欧米的で進んでいると主張する。 しかし庶民は、欧米的な世俗主義よりも、イスラムの教えにしたがって、 公正な社会にしてくれた方がいいと考えている。 リビアがエラい事になってきた トルコが介入して西部を支援するから今度は エジプトが東部を支援する為に介入すると言う ジャスミン革命の結果、中東は戦国時代に突入した まだフセイン、アサド、サレハ、カダフィが 君臨した頃の方がよっぽどましだった トルコはじめ大国のエゴにはほとほと愛想が尽きた ああ、みんなライバルさー ああ、命がけだよヘイヘイヘーイ >>392 リビアから地中海を越えて、欧州に難民が漂着するんじゃね? >>394 難民は大量発生 奴隷商人まで復活 ジャスミン革命の前が懐かしい >>392 そんなエラいことになってるにしては大したニュースにもなってないし 全然話題にもならんな 「アラブの春」とかISISとかはかなり注目されてたのに リビアでは、アラブ人が黒人を売買している https://www.buzzfeed.com/jp/monicamark/slavery-nigeria-libya-1 400ドルで黒人男性が売買されるリビア「奴隷市場」の内幕 リビアで、「奴隷市場」が活況を呈している。同国では、ヨーロッパをめざす 大勢のブラックアフリカンが売買され、無給で働かされ、所有者から拷問を 受けている。 拉致られるというよりは、移民の手段を装って騙される感じなんかな トルコでは世俗派の間に国外移住の動きが広まっている 頭脳流出が進むかも 革命防衛隊をモデルとした部隊を新設する一方で既存の国軍もイスラム化 (イスラム原理主義に忠実な軍隊)させようとするエルドアン。 それまでの職業軍人が大粛清され狂信的ながら軍事的には素人な連中が その穴を埋めてくのか。たぶんIS・タリバンに義勇兵として派遣されてる 奴らが担ってったりしてな 2008年にドイツを訪れたエルドアンは、欧州各地から集まった 2万人のトルコ人に対し、 「私はあなたたちが同化に反対していることをよく理解している。 誰一人、あなたたちに同化など期待すべきではない。 同化は人道に反する罪だ」 と演説した トルコの庶民層って石打ち刑とか公開斬首刑の導入を求めてたりする? トルコのエルドアン大統領が世界遺産のアヤソフィアを博物館からイスラム教の礼拝所であるモスクに変更したことを受けて、86年ぶりとなる金曜日の集団礼拝が行われています 今回のトルコの措置にはキリスト教圏から失望の声があがっていて、今後、欧米との溝が深まることも予想されます。 トルコのイスタンブールにある世界遺産、アヤソフィアは、キリスト教の大聖堂として建設されたのち、オスマン帝国のもとで イスラム教のモスクに改修されましたが、今のトルコの建国後は博物館に変更され、異なる宗教や文化の共存の象徴とも呼ばれてきました。 こうした中、イスラム教の価値観を重んじるトルコのエルドアン大統領は今月10日、アヤソフィアを再びモスクに戻すと決定しました。 >>403 >今回のトルコの措置にはキリスト教圏から失望の声があがっていて、 偉そうなこと言うならまず自ら率先して コルドバのメスキータから邪魔なキリスト教聖堂を撤去しろよ耶蘇ども キリスト教の人間は自分の言うことを正当化し、自分をマインドコントロールするのが上手い エルドアンさんなんでこんなところに書き込んでんすか >>406 どうも 大統領の中の大統領 神の地上の影、エルドアンです エルドアンはトルコで使われる文字をアラビア文字に戻す、 ということは考えていないのかな 欧米の大衆文化・生活様式は否定しても科学技術や医学はむしろ 積極的に採り入れるのか徹底否定するのか>エルドアン >>404 現にいまある芸術品を破壊されるのに反対してるだけのことなのに、なにわけわかんないこと言ってんだろこの手の馬鹿って トルコ民族主義はこれからどうなるのだろうか イスラーム主義に押されて消えていく? エルドアンがアタチュルク廟を解体して国号をトルコ・イスラム(共和)国へ 改称する日もそう遠くはなさそう イスラム原理主義対世俗主義ってのは階級闘争の一面もあるよな 軍隊が民主主義妨害し続けててるほうがよほど黒歴史だわ トルコ国内にある非イスラムの歴史的建造物を破壊しても民主主義に基づいてるから ノープロブレム。大衆がその存在を望んでないもんな。 エルドアンが世俗派大虐殺をおこなってもこれまた民主主義に基づいた物だから これに干渉したら民主主義に反する事になるな 宗教警察設置も宗教でのがんじがらめも全て民意の思し召し >>420 革命後のイランですら非イスラムなペルセポリスの遺跡は破壊してないのにエルドアンだと 民主主義の名の下に非イスラムな建造物や史跡を徹底破壊しかねんな。 従来の洋風建築もトルコ式の物に徹底改装するかも(大衆は洋風建築大嫌いか)。 民衆が支持してたらどんな破壊行為も許されるってテロリズムに近いな こわい オスマン帝国末期におけるアルメニア人虐殺もトルコ人一般大衆の反アルメニア人感情が 後押ししてたんかな 恐怖政治を敷いたロベスピエールは支持層である一般大衆(下層階級)が離れた結果失脚か アラーのお告げ(脳内)を民意とうそぶくエルドアン。 それはそうとエルドアンが19C前半〜同半ばのオスマン帝国にいたら西欧文化の導入に対し 強硬派として歯向かってたろうな エルドアンのトルコは「ヨーロッパの病人」ならぬ「ヨーロッパの厄介者」となるか エルドアンのようなのを生み出してしまったのも、ある意味EUのせい トルコがイスラム圏だしギリシャなどが猛反発するからトルコのEU加盟をさせなかったけど、 それでトルコ人が「どうあっても我々を”ヨーロッパ人”扱いする気はないんだな」とキレ始めたのかも。 移住先で文化的に問題を引き起こしやすいトルコ人にも原因はあるんだろうけど、 それも結局ヨーロッパ人が彼らをほんとうの意味で受け入れる気がないからなのかも・・・ まあ、多文化共存なんてどだい無理なんだろうな オスマン帝国ですら、あくまで”ムスリムが上位”でしかない共存だったワケだし。 東ローマのコンスタンティノープルがあるし、人種的にも見た目も欧米白人に近いだろ? 現代ギリシャ人とも遺伝的にほとんど違いないんだよね確か 俺はキリスト教では無いヨーロッパ人って認識だったが違うのか まあそのキリスト教がデカいんだろうけど トルコでは今でも女性に対する名誉殺人が起きたりするしな ヨーロッパにこだわらず、旧帝国連合でも作れば良いやん >>437 トルコは周辺国全部敵やで もちろん嘗て支配してたとこばっかりやからな まわり全部が敵ていう点ではイスラエルと似てる 中東ってくくりがいい加減だが、 アラブ人居住地域(アラビア半島・北アフリカ諸国)では本来国民国家なんて枠組み自体がなかった 後発的にイギリス・フランスに国境線を引かれただけで、本来だいたい一緒の民族が済む地域。 違いはスンナ派かシーア派かだけ そういう意味では内部対立はあるが、『国家』という枠組で仲の良い悪いを論じること自体が間違い バルカン半島とはまるで状況が違う ただイランは中東地域かつイスラム圏でも、アラビア半島とは言語・文化・宗教観がまるで違う 地政学的な対立はイランとアラビア半島とで元からあった >>435 最大公約数的に「ヨーロッパ」なるものをとった場合に トルコはどうやっても「?」ってなるイメージだ 領土はほぼ少アジアだし、言語的にも宗教的にもヨーロッパとは関わりが薄い 歴史的にもヨーロッパと敵対してきた経緯もあるし 「偉大なオスマン帝国」に思いを馳せることは、生活に疲れ、ヨーロッパからの 冷たい視線を感じてきた国民にプライドを取り戻させた エルドアンが演説で鋭い言葉でヨーロッパを攻撃するとき、実際にドイツで働き 差別を受けた記憶のある人々は大きくうなずく EU加盟を目指してきたのにヨーロッパに裏切られたと思っている人々には、 自分たちの悔しさを代弁し、負けない姿を見せてくれる強いリーダーだ トルコはこのままでは永久に「中進国の罠」から脱却できないかもしれない トルコで製品を作りEU圏内へ輸出するというビジネスモデルが崩れ、 海外からの企業進出や投資がさらに細る可能性が高くなる >>443 >エルドアンが演説で鋭い言葉でヨーロッパを攻撃 「イスラム原理主義に染まってテロを起こせ」としか聞こえんわ トルコの教育は急激にイスラーム化している 普通校をイマーム・ハティップ校へ変え、スンニ派の宗教的教育を施そうとしている そこではコーランの学習、預言者ムハンマドの教えや生涯を学ぶことに重点がおかれる その分、理数系の科目にかける時間は減り、世界史などの内容も影響を受ける コーランを暗唱し、預言者ムハンマドの教えを守ることが大切なので、 「疑問を持つこと」は奨励されない 現政権に忠実な人材は育つだろうが、世界の自由経済市場で、イノベーションを 起こし競争に打ち勝っていく力は低下する エルドアンやイスラム原理主義に懐疑的な考え持ってるやつを根絶やしにする目的で 相互監視・密告制度も設けたりしてな>エルドアン 19Cのオスマントルコですら西欧式のカリキュラムに沿った学校が出始めたというに エルドアンはそれ以前へと逆行させようとしてるのよな。 ケマル以降の新生トルコどころか西欧文化を導入した19Cのオスマントルコも否定か 外国からの情報流入・国外への情報流出を避けるべく徹底した鎖国体制がとられそう。 北朝鮮みたいな徹底した思想統制下におかれるんやろな エルドアンが作ってきたモスクの建築様式はオスマン帝国の全盛期、 16世紀の懐古主義である 18〜19世紀のオスマン帝国はヨーロッパの手法やデザインを 取り入れたモダンなモスクをつくっていたが、エルドアンによるとそれらは 「ヨーロッパ主義に感染し汚されていて、純粋なオスマン帝国の 栄光を表していない」 となる。 思想統制に関しては北朝鮮のシステムをモデルにするんやろな イランは狂信的な回教僧がそれまで圧政をおこなってきた独裁政権を倒した アフガンは神学校の生徒が作った集団が長きに渡る内戦を終結させた エルドアンは自身が聖職者でもなければ側近や後ろ盾に聖職者がいるような話も聞いた事ない エルドアンのいう欧米って北朝鮮当局のいうアメリカ帝国主義みたいなもんやな。 文革期の毛沢東・クメールルージュ・北朝鮮といったスターリン主義の系譜が現在では イスラム至上主義者・エルドアンに継承されてってる感あるが。 >>452 オスマン時代の建造物の中でも"ヨーロッパ主義に感染し汚されてる物"は 徹底破壊か古い時代の様式へ改装されそうだな >>454 イスラムに聖職は無い ウラマーは学者であって僧侶や神官ではない ブルネイやインドネシアでもイスラーム回帰現象が起きているが、 原因は何なのかな やっぱり冷戦が終結したことか >>458 インドネシアはジャワがゆるゆる過ぎるから よそのイスラム教徒から見たら我慢ならんやろ 2014年に大統領に就任したエルドアンは、アンカラ郊外に「宮殿」と呼ばれる 豪華な大統領公邸を建設した 総工費700億円。部屋数1150、敷地は米ホワイトハウスの30倍以上。 フランスのヴェルサイユ宮殿より広い。 野党党首が「税金の浪費だ」と非難して話題になった。 公正発展党による一党独裁が目に見えてるがいずれ国軍を中国人民解放軍のような 党軍へと変えそう(ナチスが既存の組織である警察を党内の組織にしたみたく) でもって人民解放軍を参考にした政治委員・政治将校のシステムを導入しそう。 その一方でイランの革命防衛隊をモデルとした直属軍も作ったりしてな >>460 当然ヨーロッパの影響を受けてない伝統的なトルコ風建築よな? 宗教と共産主義は相容れないものだと思ってたが共産圏の負の統治体制は イスラム原理主義者に利用されてる感あるな オスマントルコではイスラム教徒が上位に立ちつつも領内のキリスト教徒や ユダヤ教徒の信仰を許し互いに共存し合ってきた。 エルドアンがオスマントルコのスルタンだったらそんな事を許すはずもなく 徹底した強制改宗をおこってたかも >>462 全体主義という点ではどっちも変わらんな エルドアン支持してるトルコ人ってエルドアンが洋服着てる事に疑問抱かんの? てかそいつら自身も洋服着てるか エルドアンはしばしば 「ローザンヌ条約の見直し」が必要だと口にする イラクのモスルもエーゲ海に浮かぶギリシャの島々も トルコに帰属すべきという発言には、ケマルはローザンヌ条約締結時に 譲歩しすぎたという批判が滲む エルドアンはムワッヒド朝のヤアクーブ・マンスールに通ずるところがあるな ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AB エルトゥールル号遭難事件とか日露戦争における日本の勝利なんかで親日な人 多いイメージあるがエルドアン政権になってからは反日教育がおこなわれるように なったり反日感情が広がったりしてる? 日本の知識人で、 「東洋と西洋の間に橋を架ける仕事をしたい」 なんて書いている人がいるけど、 トルコがEUに絶対に入れてもらえないように、 日本も絶対に欧米諸国の仲間には入れてもらえないんだよな 東西に橋を架けるなんて、最初っから無理だったんだと思う 「東は東、西は西、決して交わることはない」 日本人にとって一番幸福なのはやっぱり鎖国状態じゃないかと思う どうせ欧米諸国の仲間には入れてもらえないし、 近隣のアジア諸国はろくでもない国ばっかりだし 外国と交際しても全然幸福にはなれなかった ↑近隣のアジアにとっては日本が一番ろくでもないんだよなあ 現在の世界は中国共産党とイスラム原理主義に乗っ取られつつあるな 2017年、エーゲ海でギリシャの沿岸警備艇とトルコのパトロール艇が 睨み合う事件が起こり、その後トルコはギリシャの領空を侵して レスボス島などの島々の上空にF16戦闘機を飛ばすきわどい行為を繰り返している また、キプロスの周辺で石油や天然ガスが見つかりそうになると 「軍事演習」として艦隊を送り込み「軍は命令があればどんな行動もとる」 として調査船の妨害を行い、ギリシャやキプロスとの摩擦も顕在化している エルドアンが一般庶民に高く支持されてるとして,当の一般庶民はエルドアンが 北朝鮮を手本とした相互監視・相互密告に基づく収容所国家を築こうとしてる事にも 大歓迎? 主体思想がイスラム原理主義にかわっただけの中東版北朝鮮になりそうな気もするが 世俗主義が幅を利かせてた頃のトルコやパーレビ時代のイランでも住民間の 相互監視・相互密告はさかんにおこなわれてたんやろか? >>478 イランの場合、秘密警察のサヴァックが不満を持つ国民を押さえつけていたから、 住民間の相互監視・相互密告は必要なかったのでは トルコでは、キリスト教の教会やクルド系政党の事務所などが暴徒によって襲撃され、 ラマダンの昼間に飲食をした市民を暴徒が襲う事件も頻発している このままではオスマン帝国時代よりも寛容の精神が欠けた社会になってしまうかも >>480 そういった行為はエルドアン支持者が自発的におこなってる物なのか エルドアンの公正発展党が組織的におこなってる物なのか エルドアンが亡くなってもそれまでの体制が穏健な物にはならず, むしろエルドアン以上に強硬な物となる可能性もあるわけよな。 ttps://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf07/7-633-644-miyata.pdf みたく北朝鮮でも綻びが見られるようにエルドアン体制下のトルコもいずれ綻びが出てくるだろうか >>480 この暴徒どもがトルコ版紅衛兵とかトルコ版革命防衛隊とかトルコ版勧善懲悪員会の 主力となってくわけね イランの革命防衛隊は関連企業を通じて、エネルギーや建設などの分野で 経済利権を握っている。 したがって競争激化を嫌い、外資の導入による経済発展には否定的な立場をとる。 彼らが存在する限り、イランの発展は無理じゃないかな 中国の文化大革命みたいに、トルコでも貧乏人がブルジョワを吊るしあげたりして イスタンブールという大都市の「中央」にいたエリート、教育を受け、裕福で、 軍や官僚として権力をふるい、あるいは海外との貿易で財を成した人々、 ケマルの「世俗主義」「西洋化」「近代化」という価値観を積極的に受け入れて 人生を楽しんでいた人々、そういう人々は貧しい農村から都市へ移住して 下町で暮らしてきた人々にとっては反感の対象だろうな >>485 特権集団となって改革を妨害した後年のイェニチェリと変わらんな >>460 クメールルージュのリーダー・ポルポトは清貧だったのよな エルドアン体制化だと ttps://mina.tumblr.com/post/131388776537/%E8%B2%A7%E8%BE%B2%E3%82%92%E9%87%8D%E8%A6%96%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%B7%BB%E3%81%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%81%AE%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%B9%B9%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%8D%8A%E3%81%8C%E5%AF%8C%E8%A3%95%E5%B1%A4%E4%B8%8A%E6%B5%81%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E5%87%BA%E8%BA%AB みたいな新しい身分制が導入されイスラム教育で純粋培養された少年どもを手先に使いそう エルドアンは財務大臣に娘婿のベラト・アルバイラクを起用。 保険大臣に指名されたのは大統領の主治医で私立病院チェーンのオーナー、 ファーレッティン・コジャ。 国際市場から「トルコは同族経営か」と揶揄される。 エルドアン政権内部の穏健派もエルドアンの手で劉少奇や張成沢と同じ末路を辿りそう 欧米や国内の世俗派といった目に見える存在だけでなく,自分の党内・政権内にも 内なる敵を求めるエルドアン >>491 段々失敗国家の匂いがしてきたぞ・・・ こんなのを大統領にするとかトルコ国民は何考えてんだ ttp://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-2418.html >1930年前後、「ブルジョア科学」を排斥し「プロレタリア科学」を打ち立てよう、という動きが、若い科学者たちの間で起こっていた。 >優れた業績を上げてきた多くの研究者が、「ブルジョア的」「観念論的」「反マルクス主義的」だとして糾弾された。 >遺伝学、農業学以外の分野にも「ブルジョア科学」を撲滅する動きは続いていた。生物学全般、医学、物理学、化学、工学など。 >53年にスターリンが死ぬと、数年でこれらの分野は正常な軌道に立ち戻ったが、ソ連の科学は相当な遅れを蒙った。 スターリン支配下のソ連で科学が阻害されたようにエルドアン支配下のトルコでも欧米式の科学技術は反イスラム的という事で激しく弾圧されたりしてな 脚を化膿した人に対する治療、イスラム教側とキリスト教側とでは 中世だと前者のほうが優れてたのにな・・・ トルコ国内での欧米医学を排斥しかねないエルドアンがそれが原因で 亡くなったら皮肉ではあるか。 レバノンのオンライン署名運動で4万4千人がフランスの支配を求める提案に署名。 かつてレバノンはフランスの委任統治を受けていた。経済危機や 新型コロナウイルス対策、硝酸アンモニウムの貯蔵だけでなく、 長年にわたる腐敗に飽き飽きした人々がマクロンに懇願。 https://www.dw.com/en/over-55000-sign-petition-for-france-to-take-control-of-lebanon/a-54462136?maca=en-Twitter-sharing エルドアンは首相時代に9000以上のモスクをつくった アパートや橋や空港建設が経済成長のエンジンになった 高層アパートの建設はTOKI(集合住宅開発局)の仕事だった 工事はAKP支持者が請け負った 地下鉄網をつくり、橋や空港を建設し、ショッピングモールを作る トルコでは「国が最大のデベロッパー」といわれる所以である 国民は自分が利用することはなくとも、立派な橋や高層ビルの映像が テレビで流れると「トルコは蘇った!」と喜んだ AKPの一党独裁になったら中国共産党のシステムを参考にすると思うわ。 各機関にAKPの支配を行き届かせてるため、機関の長と同格なAKPの政治委員置いて 二頭体制でいったりしてな エルドアンの新生トルコ軍は退却する身内の部隊を徹底的に抹殺する督戦隊を 導入してもおかしくなさそうやわ トルコの大統領官邸は、フェンスに囲まれた広大な敷地にエルドアンと家族や 取り巻き用のプライベート・モスクがある 官邸の隣にはエルドアン政権と結びつき、財を成した新興財閥が高層ビルを 連ねる「AKシティ」と呼ばれる街がある。城下町のようだ。 「トルコ政治は汚職の歴史」といわれるが、ここまで露骨に目に見える形で 現れた例があったろうか。エルドアンの子息もそれぞれが大企業群を率いる。 エルドアン亡き後は北朝鮮のような世襲体制になるか有力な側近が引き継ぐか。 どっちみち後継者はエルドアン以上に先鋭化するかも イランもトルコもお互いイスラム教による不寛容さを競い合ってるように見える。 両国とも欧米の自然科学を非イスラム的とかいって排斥してそう >>503 >官邸の隣にはエルドアン政権と結びつき、財を成した新興財閥 レス485で書かれてるイランの革命防衛隊同様,自国の発展を妨げる存在か エルドアンはトルコ人をブラック・トゥルクとホワイト・トゥルクに分ける ブラック・トゥルクとは、アナトリアの大地に昔から住む、貧しく、保守的で 伝統的価値観を持ち、イスラム的価値観を重んじる、差別され、支配されてきた トルコ人ということになる 他方、ホワイト・トゥルクとは「ケマリズムを信奉する、世俗主義のエリート階層で、 裕福で教育があり、私たちをずっと支配下に置いてきた人々」だ。 またエルドアンは「ホワイト・トゥルクの多くは、ロシアやバルカン半島から やってきた白人系の人々だ」とも言う これは、トルコ・ナショナリズムにも訴えかける エルドアンはこの対立軸を明示することで国民の半分を味方につけ、半分を敵として 攻撃した。これが現在のトルコ社会の分断をここまで深くした要因である。 エルドアンはもうええわ ここ一応オスマンのスレなんだけど? エルドアンなんて宰相いましたったけ? 16世紀までは、オスマン帝国から様々な種類の織物、香料、明礬などがイタリア商人を 仲介としてヨーロッパへ輸出された これに対してオスマン帝国がヨーロッパから輸入する商品も少なくはなかったが、 貿易収支はオスマン側に断然有利であった しかしヨーロッパ諸国が大航海時代を迎えると、香料や奢侈品貿易による 中継貿易利潤を、徐々にオスマン帝国から奪い去っただけでなく、 イギリス・フランス・オランダなどにおける海上貿易や織物業などの発達は、 やがてヨーロッパ諸国を中東やアジアの生産物の買い手から、自国の商品の 売り手へと変化させることになる 生産物の買い手が明礬を買ってどうするんだよ馬鹿チョン 16世紀なかば以降 イタリアなどヨーロッパ製絹織物の輸入品に勝てないため その対抗策としてイスタンブルでの高級絹織物製造が振興されていた 17世紀なかばにはヨーロッパの絹織物のイスタンブルやブルサの市場で相当の人気を得ていた。 ビザンツ皇帝や中華皇帝は基本的に対等な存在というものを認めないが、 オスマン帝国も、スルタンが全世界の最上位の君主であるという意識を持っていた >>516 ペルシアのシャーもイスラムのカリフもモンゴルの大ハーンも同じ 皇帝ていうのはそういうもんや チューリップ時代のオスマン帝国では、西洋文化への関心が高まり、 イルミセキズ・チェレビのフランス派遣も行われたが、 江戸時代の日本のように蘭学が一つの学問として 確立するまではいかなかったんじゃないか >>517 パーレビ親子はアメリカに頭あがらなかったっけ >>519 近代以降はイスラーム圏の国も、「ヨーロッパ式の対等な主権国家同士の関係」 というものを受け入れた >>518 学問として確立したかどうかは知らんけど、 19世紀前半のマフムト2世即位後は西洋化・近代化改革が促進されたから、 最低でも軍人レベルのオスマン人は西洋的な装いをしていたように思う 普段の生活まで徹底的に西洋的ではないだろうが オスマン帝国の歴代のスルタンの母親はほとんどが奴隷出身だったが、 このおかげでオスマン朝は外戚の専横に悩まされずに済んだ >>522 日本では鎌倉幕府が外戚の北条氏に乗っ取られてたな 鎌倉時代の権力構成は狂ってる 天皇 : 飾り 将軍 : 飾り 執権 : 飾り 得宗 : 飾り 内管領 : 実権 最終形態はここまで来てる ここまで何重にも飾りの居る体制なんか他に無いやろ 王朝が何百年も続くと、倒れて100年以上たっても妄想の後遺症が残る オスマン帝国600年→エルドアン大統領 ローマ帝国1200年→中世キリスト教国家 ロシア500年→スターリンのソ連 朝鮮李朝600年→韓国 明治時代、キリスト教社会主義者として著名な評論家、木下尚江が オスマン帝国のスルタンのことを「錦衣の囚人」と呼び、日本の皇室について 「皇門を解放せよ。帝王とその家族を救い出せ。しかして彼らに平民の自由を与えよ」 と叫んだが、この時代のオスマン帝国のスルタンはそんなに不自由な存在だったのか? セリム1世は、エジプトのマムルーク朝を滅ぼした後、数千人に及ぶ知識人や芸術家、 技術者、職人をイスタンブールに連れ去ったため、カイロはそれまでの中東の 文化・知的センターとしての地位も奪われた >>517 ティムール朝のダマスカス占領時と同じことやってんな チンギス・ハンも占領した地域から技術者を連れ去るということをやっていたっけ 遊牧民に共通した風習なのかな? >>529 戦争の後はどこでもそうでしょ 最近だとソ連もドイツから科学者を連行した 1402年、アンカラの戦いでバヤズィト1世はティムールに敗れる 他のトルコ系侯国ならここで消滅していただろうが、オスマン朝は復活を果たす 建国以来100年にわたって培ってきた統治技術の蓄積がものをいった ずっと見てる人おる? オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム(全4シーズン・238話) https://www.hulu.jp/magnificent-century チャンネル銀河でシーズン4(全93話) https://www.ch-ginga.jp/feature/ottoman/ BS日テレではシーズン3(全92話)あと3回 https://www.bs4.jp/ottoman3/ 【オスマン帝国の歴史を学ぶ】壮麗王スレイマン1世と「女人の統治」 https://rekijin.com/?p=22285 日本語字幕の歴史考察を担当した松尾有里子氏の記事 >>532 チャンネル銀河でずっと見てる イブラヒムが生きていた頃のほうが面白かったな ドラマではイブラヒムの妻はスレイマンの姉妹ハティジェということになっているが、 これは誤りで、史実ではイブラヒムの最初の主人イスケンデル・パシャの孫娘、 ムスフィネだった オスマン帝国は、マムルーク朝を滅ぼした後、肥沃なエジプトの地に独立政権が できることを警戒して、頻繁に総督の首をすげかえた このため、派遣総督の関心はもっぱら在任中の私的な蓄財に向けられ、 灌漑設備の整備や産業の育成といった中長期的な視点に立った行政は まったくといっていいど行われなかった また、オスマン帝国は前王朝の支配層であるマムルークを主に地方行政官として 統治機構のなかに組み込んだが、帝国の衰退による威信の低下や駐留軍の 減少などに伴い、これらマムルークの有力者が次第にエジプトを実効支配するように なっていった 夏休みの宿題か? なんの提起もされず書いてあること移したような内容だが 中長期的行政計画を中央が作成して それの短期間任期の総督が直接監督すればいい 結果報告内容と次の総督の現地到着後の評価を比べて 大差があったら処刑 イスタンブール大学はケマル政権下で新設されたのかと思ってたがオスマン時代からその前身となった 学校が存在してて,イスラエル初代首相ベングリオンが若い頃にそこで学んでたのね イスタンブール大学はその前身自体はなんと1453年にまで遡るらしいな もちろんその頃はいわゆる「マドラサ」というやつで、西洋風の大学に改造されたのは19世紀に入ってからのことらしいが >>538 日本でいえば、足利学校が西洋風の大学に改造されて 続いているようなものかな >>539 そんな感じだろうな マドラサ自体はイスラーム世界では昔からあった神学校だし 受験生向け/イスラムは、なぜ途中から「トルコ系」ばかりになったの? https://youtu.be/yiIDoMklojY 小笠原弘幸氏の著作『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』買って読んだけど、 Wikipedia他ネットの情報じゃわからないこともあっていろいろ参考になった 例えばティマール制はアッバース朝のイクター制やビザンツ帝国のプロノイア制に着想を得て改良されたもので、 トルコ系の戦士ら軍人は担当の町村において『徴税権』のみを持ち(いわゆる領主ではない)、 しかも1代限りのもので世襲できなかった。 当地の民政・裁判はオスマン朝から任命されたウラマーなどのイスラム法官が行い、 ティマール地に赴任した軍人達が地方の顔として振る舞うような横暴はできない。 巧妙に権力の分散・分立が図られている。 これがオスマン帝国が長続きした秘訣の一つかと関心したね 勃興期のオスマン帝国はわりと中央集権的で、地方権力が分立しないように色々と工夫されてたんだなあ そこがオスマン帝国の繁栄の源泉なのかもな ティマール制が機能していた頃は良かった 徴税請負制の伝播で一部の有力者が富を蓄えるようになり、制度の終身化でそれがさらに加速 まあティマール制が優れているとはいっても、戦争を前提とするものだから限界はある 徴税制度の見直しは必然だったのかも 徴税請負制のせいでアーヤーンと呼ばれる地方有力者が台頭し、オスマン帝国の衰退につながった アーヤーンによる地方の分立は近代におけるバルカン半島の民族独立運動にも影響している オスマン帝国の歴史 The History of Ottoman Empire : Every Year https://www.youtube.com/watch?v=26BITJ1gFxQ Timeline of the Rulers of the Ottoman Empire https://www.youtube.com/watch?v=jiODSXx7kiM >>545 ギリシャ独立戦争において結果的にギリシャ人に貢献した テペデレンリ・アリーとかもアーヤーンだっけか 彼は単にオスマン帝国から独立した自身の『帝国』を持ちたかっただけのように見える 昨日BSでやってたアルメニア虐殺の映画ってどうなの?録画だけしてまだ見てないわ >>543 テペデレンリ・アリーは典型的なアーヤーンだな ああいうのの存在がオスマン帝国衰退の一因にもなった クリミア・ハン国の経済基盤は奴隷貿易だったんだよな クリミア・タタール人はロシアやポーランドを襲撃し、 捕虜にした住民を大量にオスマン帝国の奴隷市場に供給していた とりわけオスマン海軍のガレー船の漕ぎ手としてのスラヴ人奴隷の 需要が非常に大きかった >>550 スレイマン1世の妃として成り上がったことで有名なヒュッレムも、 もともとはクリミア・ハン国から売られてきた奴隷だったらしいな オスマン帝国の奴隷というと、ハレムの美女たち、宦官、小姓などを思い浮かべる 人が多いと思うが、イスタンブルの北に位置するガラタでは大量の奴隷が造船に 従事していた >>553 イェニチェリは普通の奴隷とは徴集経緯からして異なるからちょっと特殊かも デヴシルメという特別な強制徴用制度によって集められたのがイェニチェリだから、 クリミア・ハン国など外国から攫われたり身売りしたりして奴隷貿易で運ばれた奴隷とは意味合いが異なる ちなみにデヴシルメによって徴発されたキリスト教徒を改宗させて・・・ってのは、 本来シャリーア(イスラム法)においては違法行為だそうだ 強制改宗はアカンという論理 あくまで自主的な改宗でないといけない にも関わらず、オスマン帝国ではウラマー達に割と強引な法解釈をさせることで合法にしてたそうだ デヴシルメって制度を聞いた時にこれが脱法だってことを考えられなかったな にしても、イスラム王朝でもそういうことやるんだな イスラム王朝ってのはこう、明らかにシャリーアに反する行為は是正されてくもんだと思ってた >>55 そもそもシャリーア自体が学派や宗派によって解釈の余地が大いに分かれて、全くの別個の法体系になることが良くあるからな それぐらいの融通がきかないと、社会を実際に動かしていくうえで不便するだろう どんな法体系にもある程度の流動性は現実の運用のためには必要だ >>555 そもそもシャリーア自体が学派や宗派によって解釈の余地が大いに分かれて、全くの別個の法体系になることが良くあるからな それぐらいの融通がきかないと、社会を実際に動かしていくうえで不便するだろう どんな法体系にもある程度の流動性は現実の運用のためには必要だ 確か人間を去勢するのもシャリーアではアウトだったんじゃないかな だからムスリム以外の黒人や白人の少年を施術して宦官にしていたらしい オスマン帝国には農業奴隷もいた 私的大所領、国有地農場、ワクフ所領などの多くは未開墾地や牧草地に 奴隷を付属させる形で形成され、市場向けの家畜や穀物を生産した 戦争捕虜だけでなく海賊やクリミアタタールの襲撃で連れ去られた住民なんかもいたかorz >>550 昔のポーランドってリトアニアと連合国家を組んだ関係でウクライナの西半分(キエフ含む) にまで版図を広げてたのな >>561 オスマン帝国は、ポーランドの南への進出を妨げるために、 クリミア・ハン国の軍勢やノガイ人の襲撃部隊を用いて、 ポーランドを威嚇していた オスマントルコの戦いに際しポーランド軍はコサックを用いて対抗したんだっけ 1637年に、ドン・コサックの大軍が、数千のオスマン軍とタタール人補充兵が 駐屯していたアゾフ要塞を包囲するという事件があった コサック軍は八万を数え、城壁に面した水面には150艘もの船が防御のために 展開していたという コサックは陸上だけではなく、海上勢力としても特筆すべき存在だった オスマントルコの支配から離れハプスブルクの支配へと移ったハンガリー。 そのハプスブルクに対し抵抗運動をおこなって敗れたラーコーツィ・フェレンツ2世の 亡命を受け入れ,終生かくまったのがかつての支配者であるオスマントルコなのね。 イスラム教は奴隷OKの宗教であったこと そのうち変わるのだろうか 19Cに入り公務で洋服を着るようになっても自宅やプライベートでは民族衣装を着てたんかね? オスマン帝国の奴隷っていうとハレムの女性やそれを管理する黒人宦官、その他宮廷の小姓奴隷など、 比較的待遇の良い奴隷ばかりがイメージされやすいが、アメリカ大陸で見られたような農業奴隷もオスマン帝国には普通にいるんだよな >>568 日本ではイスラーム圏の奴隷というと勝ち組奴隷だけがクローズアップされているよな アッバース朝でも酷使されていたザンジュが反乱を起こした >>569 日本ではそれが行き過ぎてイスラーム圏の奴隷を過度に理想化するやつまで出てきてるから良くないよな 一部の奴隷は勝ち組として出世することもできたが、ザンジュのような酷使されていた奴隷もいたことを決して無視してはいけないよな 所詮は奴隷制度は奴隷制度なのであって過度な理想化は禁物だ >>569 ザンジュ以外の奴隷反乱事例が示されないから勝ち組ばかりがクローズアップされるのではないか ザンジュ以外の事例をもっとアピールする必要がある >>571 奴隷の反乱なんてそう簡単に起こることでもないからなあ 悪名高いアメリカの黒人奴隷だって反乱までいった例はせいぜいハイチぐらいだ 逆に言えば、それだけ奴隷は厳しい支配下に置かれていたということかもしれないが では奴隷反乱以外でイスラム圏奴隷の酷使事例をアピールすればいい あまりそういう話を聞かないのでぜひ知りたい >>570 ホントね。 俺が見たアラビア半島の奴隷制度に関する記事では、 割と近代でも主人が死んだら遺言で黒人奴隷に遺産を相続させることもあったことを引き合いに出して 近代のイギリス人が西洋の奴隷制度と同列に捉えて批判していたことを 「事情も知らないくせに西洋的価値観で異文化を断罪している」と批判していたんだが、 そんなごく一部の勝ち組奴隷の例を取り上げるなら何だって無理やり擁護できてしまうわな しかも近代まで奴隷制度が存続していたこと自体が問題だってのに。 こういう奴の脳内では無意識に 『非西洋のやっている〇〇はいいこと!同じことを西洋がやったら悪いこと!』っていう考えが刷り込まれてる >>571 例えばオスマン帝国ではアラビア半島などのイスラーム圏の例に漏れず黒人奴隷が多くおり、 バシ・バズークという黒人奴隷兵軍団が使い捨ての兵隊として最前線に投入されていた 中には宮廷の官僚などになっていた黒人奴隷もいたようだが、それはホントの一握り その後どういう過程を踏んだのかは知らないが、今でもその黒人奴隷の子孫である 『アフリカ系トルコ人』のコミュニティがトルコにあるらしいが、 トルコ人の大半は白人だから間違いなく差別されているだろう トルコ社会の中・上層部に黒人の影はないからな。 他にもアラビア半島南端部の国家オマーンでは古くから黒人奴隷狩り・奴隷貿易が盛んであり、 黒人奴隷の子孫が今もオマーン社会の最底辺で生活しているらしい もちろん一部にはアラブ人と通婚して同化している混血者もいるみたいだが、あくまで一部の話。 反乱があるわけではないが、ずっとアラブ人からの差別を受け続けているそうだ。 黒人差別は、何も西洋だけの専売特許ではない。 あのイブン・バットゥータやイブン・ハルドゥーンですら 黒人をあからさまに差別する発言を残しているからな。 ここで挙げると長くなるから割愛するが、ネットで調べればすぐに分かる >>574 黒人奴隷を解放して財産を相続させてた程度のことならば西洋の奴隷制度にだって例は見られるのにな なぜか非西洋の奴隷制度だけ美化しすぎなんだよな >>569 そういやファーティマ朝でも多数の黒人宦官が使役されていたもんな サラディンがカイロを征服した直後に反乱を起こして鎮圧されている 宦官は高級官僚である場合が多いから、そういう意味では厚遇されていたとも言えるが・・・ 『黒人女は臭いから性奴隷にすら適さない』とイブン・バットゥータも言っていたし、 黒人女性は奴隷狩りにあっても殺されていたかもしれないし、 何より黒人男性であっても宦官になるということは、つまりナニを切除されていたということだからな。 もちろん宦官は黒人ばかりではなく白人もイスラーム圏全体ではいっぱいいただろうが、 宦官になることは黒人の方が多いことを考えると、 やはり奴隷の中でもワンランク以上下の存在だと考えられていたんだろう 何せ白人の奴隷以上に『人間ではない』と考えられていたから、 ナニを切除すること自体に抵抗が少なかったと思われる 黒人のマムルーク(戦争奴隷)がおらず、オスマン帝国などでバシ・バズークがいた程度だと考えると、 黒人がイスラーム社会で非黒人の上位に立つ事自体が認められなかったんだろう。 一部にはそういう例もあったようだが、 少なくとも非黒人が大多数の地域で戦争で勝ち上がった黒人の将兵が支配者となった事例はない。 >>573 他の奴も挙げてるが、有名なのはオマーンがザンジバルで行った奴隷貿易じゃないか アフリカのザンジバルでは近代までオマーンのアラブ人による過酷な奴隷貿易が行われていて、 その過酷さを伝える展示が見られるようになってる >>576 そもそもイスラム世界では、奴隷を解放すること自体が 天国に行くための善行の一つだと考えられているようだからな それで最初のムアッジンとなったビラール・ビン=ラバーフは黒人だったしな しかし奴隷を解放すれば善行になる、という考えが酷く偽善的だとは思わないのかね、彼らは。 奴隷制度自体がなければそのような事自体起こり得ないのだから。 そして、そういう偽善を色眼鏡で非ムスリムなのに肯定する輩が 日本だけでなく世界にいっぱいいる(=自称『進歩主義者』) 『価値観の違い』だけで全てが肯定されるのなら、それこそ西洋の奴隷制度も肯定されなければならない 一連のレスを見ていると、過酷なのはイスラームの奴隷制度一般ではなく、 「黒人奴隷」なのだという印象を受ける トルコ系やチェルケス系コーカサス系などの奴隷は宮廷でも出世している例が結構あるから 問題は黒人に対する扱いなのだろう 近世以降の西洋での黒人の扱いも、もともとはアフリカでアラブ人商人が行った奴隷交易にあるのだから 黒人差別の起源はアラブ人にある、ということなのではないだろうか >>580 まあ、概ねその通りだよ。 ただ、西洋は白人に対しての奴隷制度は農奴以外とうの昔にやめてたしな。 中世初期にゲルマン社会の名残でちょろっとあったくらい。 農奴も全ヨーロッパで実施していたわけではないし。 まあ、西欧だと身分制度がイスラム世界と違って厳格だったから 奴隷制度がなくても平民、特に農民なら非人道的な扱いは十二分に受けていただろうけどね。 それに比べると、確かにイスラーム世界では平民や貴族と言った身分がなく、 「奴隷とそれ以外」というざっくばらんな違いしかなかった 法的にはカリフやスルタンも単なるいちムスリムでしかない (実社会における社会的な優遇はともかくとして) しかしイスラーム世界においては農民と農奴の違いがないので、 農民は場合においては農奴に等しい扱いを受けていた場合も多々ある アラブ人がアラブ人を奴隷としていたというのはあるのだろうか 債務奴隷くらいしか思いつかない ブラジルの奴隷制は、家内奴隷に関しては、所有者が遺言で長く仕えた老僕を 自由にしてやったりする個別解放(マヌミッション)の制度が発達しており、 ずいぶん人道的な面もあったのだが、エンジェーニョ(サトウキビ農園)の 耕作奴隷はまるで違っていた >>574 そりゃ欧米白人の奴隷制は、他人種の奴隷制に比べるべくもなくエグすぎるからな どうしてもそうなるよ >>577 >『黒人女は臭いから性奴隷にすら適さない』とイブン・バットゥータも言っていたし、 こんなこと「大旅行記」のどこに書いてあるの? マリ人に至ってはべた褒めと言えるぐらい褒めているのだけど 自分の主張を通したい余り捏造に走る奴ってこの板に多すぎない? >>585 どっかで聞きかじったか 或いは他の何かと混同してるのか で、ソースに当たって確認してない >自分の主張を通したい余り捏造に走る奴 トランプが負けて不満な信者たちによる文化多元主義やポスコロ批判の言説が増えてる時期だからな >>585 イブン・ブラトーンの奴隷購入の手引書と間違えたんじゃないかな イスラーム圏の黒人奴隷に対する人種差別的言説が乗っている本として有名だが、 著者はイブン・バットゥータではなくイブン・ブラトーンだ その本に、黒人奴隷は性的目的の使用には向いていないという記述は確かに出てくる 単に著者の名前を間違えて覚えてたんだろう イスラーム世界では、主人には奴隷を殴る権利があった また、主人には奴隷を性的に搾取する権利もあった 女性の奴隷には当然のごとく性的役割がつきまとい、 多くの奴隷たちが、望まぬ妊娠や性交渉に苦しんでいた そういう事情は西洋の奴隷と同じ >>588 イブン・ブラトーンはネストリウス派キリスト教徒だそうでその人種論は 古代のギリシア科学を継承しているものだそうだ 彼の記述のうちどのくらいがイスラーム社会一般に通用するものなのか、 ギリシア科学継承者のキリスト教徒の視点なのか、引用するにしてもそこは明確に記載する 必要があるだろう >>590 彼自身はキリスト教徒ではあったが、 ギリシア科学自体はキリスト教徒に限らずイスラーム世界全体で広く継承されたこと、 そしてその奴隷購入の書で見られたような人種観が他のイスラームの文献でも観察できること、 これらのことを考えれば、決してキリスト教徒だけの特有の見方とは言えないだろう 結局西洋でもアラブでも黒人が特に過酷な扱いを受けたのはなぜ? 黒人が文化的に劣ってたから? 黒人社会にそういう扱いを受け入れる土壌があったから? >>592 まず見た目の相違が一番大きいだろうな 西洋もアラブもどっちもコーカソイド(いわゆる白人)だが、 彼らからすると黒人の見た目は自分たちとかなり大きくかけ離れてる ルッキズムはいつの時代も人類に普遍的に起こりうる現象だ もちろん、黒人社会の文明レベルが彼らからすると「後進的」に見えたからという理由もあるだろう 西洋から見てもアラブから見てもアフリカは「野蛮で遅れた地域」に見えた 中国にも奴婢制度があるけど、奴隷っても主人が白人とそれ以外の人種じゃ全然違う まず奴隷を人間と認めてるかどうか、でまず分かれる ロシアでプーシキンの先祖が取り立てられたのは人種ではなく周りの環境で 違ってくるというピョートル大帝の考えからだそうだが,オスマン帝国の スルタンにそういった考えの持ち主がいても結局は潰されてたんかね? >>593 ひとくくりにすんなよ 白人にとって奴隷とは、黒人というより非白人全部だよ 非白人=異教徒の名の元にやりたい放題が、許されてたわけ アラブにも非人道的な奴隷制が皆無とは言えんが、 邪悪で狡猾なあおっ白いベイルヨーロッパ白人とは違う ザンジバルは革命でスルタン制が崩壊した際に現地のアラブ人も虐殺されたが, 革命を指導したのはよそからの流れ者(ウガンダ出身のジョン・オケロ)なのね >>597 んなこと言ったら、アラブ人にとっても奴隷とは基本的に異教徒が主だ ムスリムの奴隷もいなくはなかったけど、新しく奴隷を獲得する場合は異教徒相手のジハードが基本だし、 その点は白人と大差ない 逆に白人だって近代に奴隷にしたのは主に黒人ばかりで、 同じ非白人でもアジア人や先住民などの奴隷は必ずしも中心的な奴隷にはなっていない お前みたいに「白人だけが特別に悪者だった」という逆差別的な白人悪玉論が、 今の進歩的(と勘違いした)リベラル共には人気なのかもしれんが、 現実の歴史は必ずしもそんな単純じゃねえぞ 日本では奴婢も日本人やけど 外人をさらってきて奴隷にするていうことは日本ではやってない それだけ日本は毛唐より人道的やったていうことや トルコではムスタファ・ケマルが政権握って改革をおこなうまでずっと奴隷制が続いてたん? イスラム圏の奴隷で出世した人はみな改宗しているわけだけど 黒人の労働奴隷は改宗してたの? >>601 いや、さすがにその前から奴隷制をちょっとずつ廃止しようという動きはあって、 1908年の青年トルコ革命の頃ぐらいにも奴隷制廃止の試みは行われた ただ、その時も皇室での一部の奴隷使用は見逃されたらしいので、完全に廃止されたのはケマルによるトルコ共和国成立後らしい オスマン帝国のハーレムだと、キリスト教徒のままでいつづける女性もいたな 現代でも世界合計で4600万の奴隷が居る 1位 インド 18,354,700人 2位 中国 3,388,400人 3位 パキスタン 2,134,900人 4位 バングラデシュ 1,531,300人 5位 ウズベキスタン 1,236,600人 ちなみに日本は29万で25位 https://www.huffingtonpost.jp/kanta-hara/modern-slavery-worldwide_b_10259446.html アメリカでも、執事や女中頭などの家内奴隷は良い扱いを受けていた 下手をすれば貧乏白人よりも生活レベルが上だったくらい 日本への使節団を乗せたエルトゥールル号でも奴隷が働かされてたんやろか? >>602 改宗したら多少は待遇が良くなる可能性もあるだろうが絶対ではない 改宗は出世の必要条件ではあるが十分条件ではないからな 黒人奴隷の中にもイスラームに改宗した人は当然いる >>609 改宗しないで出世した奴隷がいるなんて誰も言ってなくないか? 黒人奴隷で出世した人が稀にはいたのだろうが事例も出ないところを見ると(宦官長くらい?) 黒人奴隷はあまり改宗していないように思える ザンジュなどは改宗していない奴隷だったのではなだろうか 黒人奴隷が過酷な状況にあったのは改宗していなかったからではなかろうかとの印象を受ける 改宗して出世した奴隷>経典の民・改宗して出世してない奴隷>非改宗奴隷(ユーラシア系)>黒人奴隷 という感じか 黒人奴隷が特に過酷な環境にあったのはアフリカ黒人社会の文化度とともに非改宗が要因にあったのではないか >>577 の『黒人女は臭いから性奴隷にすら適さない』って、調べてみたらウィキペからの引用だったんだな・・・ で、原文は清水 和裕という研究者の 中世イスラーム世界の黒人奴隷と白人奴隷 : 〈奴隷購入の書〉を通して に出ていて、 「ザンジュの女は、幼児の授乳や養育、踊りと笛吹きに適しているが、その膚の悪臭と腋臭、体躯の粗野さゆえに性交(nika썚h・)には適していない。」 となっていた。全然文が違う ウィキペのイスラームと奴隷制の記事、あやしい内容が多いな 奴隷が建てた王朝にセルジューク朝が入ってるし >>612 全然文が違うってほどではないだろ 「その膚の悪臭と腋臭、体躯の粗野さゆえに性交(nika썚h・)には適していない。」 の部分は意訳すれば「臭いから性奴隷に向いていない」って文になる 大意を大きく外してるわけでもないし、意訳の許容範囲だと思うが 違うだろ この一文は差別的ではあるものの、奴隷の用途を検討している文で、 >幼児の授乳や養育、踊りと笛吹きに適している という用途に向いた点も指摘している 更に不適な部分について >体躯の粗野さゆえに という理由の半分をスルーしている しかも性奴隷と限定しているわけではない もちろん主人の奴隷が性交渉の相手を務めることが前提だが、577の引用では 「性奴隷」という限定した目的で奴隷探しがされていた文章のように見えてしまう にも拘わらず、「臭くて性奴隷に向いていない」という部分だけを切り出している これを意訳というのは無理がある あと、臭いのはザンジュ人だけで、エチオピア人やヌビア人、ブジャ人など他の黒人に ついてはそのような記述はない。にも拘わらず、>>577 は「黒人女性」と主語を大きくしている 意訳どころか一部の話なのに黒人全体であるかのように拡張してしまっている >>615-616 そこも含めて重箱の隅つつきにしか見えんわ 黒人にはヌビア人などを含めることもあるが狭義の黒人(ネグロイド)という意味でザンジュの訳語を当てる例は実際ある 有名なザンジュの乱だって単に「黒人奴隷」として説明してる用語集がほとんどだしな どっちみち当時のイスラーム圏が差別的な人種観を持っていたという証拠としては大きく外してないだろ >577の引用では >「性奴隷」という限定した目的で奴隷探しがされていた文章のように見えてしまう いや、読めねえよ。あくまで「性奴隷」には向いてないという意味以上のものは読み取れん 他の奴隷用途には関しては否定も肯定もしていない何も触れていない文章に過ぎない それに限定した奴隷探しかしていないなんて情報まで読み取っちゃうのはそれこそあんたのほうが意訳しすぎだ 重箱の隅もなにも、史料自体に >これはザンジュ人がスーダーン(su썚da썚n,黒い人々)のなかで最も邪なのと同様である >情動が最も激しいのは、他のすべてのスーダーンではなくザンジュ人であって と明確に書いてあるんだが 解説者の清水氏も >特にイブン・ブトラーンにおいて、明らかに否定的な評価を与えられているのは、ザンジュ人とアルメニア人というjinsであって「黒人」というjinsではない とはっきり書いている >イスラーム圏が差別的な人種観を持っていたという証拠 君は主語を大きくするくせがあるね こっちはイスラム圏に差別的人種観がなかったとはいってない しかしイスラム全部が差別的人種観だけしかなかったとも思っていない だから、実際に誰のどの部分を差別しているかを明確にしなければなだない 清水論文にも >ごく一部の奴隷エリートの存在のみをクローズアップすることによって、イスラーム世界の奴隷制全般を論じることもできないが、一方で「黒人」差別という側面のみをもって、この奴隷制全般を論じることも誤りである。ましてや、ルイスの議論はきわめて大雑把なものであって、膨大な歴史史料から「「黒人」に対する差別的言説」とおぼしきものを、次々と並列的に並べ立てるに過ぎない と注意を促している 清水氏によると君の主張はここで批判されているルイスのものに該当するようだね 史料が乗ってる論文再掲 中世イスラーム世界の黒人奴隷と白人奴隷 : 〈奴隷購入の書〉を通して清水, 和裕九州大学大学院人文科学研究院歴史学部門 : 准教授 : 中世西アジア史 catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD100000&bibid=13884 >>618 私の議論がバーナード・ルイスのものを参考にしたというのは正しい ルイスは中東研究における偉大な大家で、私も彼の議論を大いに参考にしている そして、ルイスに対する清水氏の反論は今回初めて読んだが、なるほど確かに一理ある反論だろう >イスラーム圏には「差別的な人種観」がなかったわけではないが、それは必ずしも黒人だけを対象としてる訳ではない という君の議論は概ね納得する 奴隷購入の書においては黒人ではなくザンジュ人やアルメニア人を対象にした差別というのが正しいだろうな イスラーム圏の奴隷制度は黒人だけでなく他の人種にとっても残虐な面はあり、 その中で黒人だけを対象にしたがるのはルイスの個人的興味による部分が強いと言えるだろう 両者の議論を止揚・統合させるなら、 イスラーム圏でも西洋と同じような黒人差別は存在したが、イスラーム圏の奴隷制は黒人以外の人種にも差別が向くことはあった と言えるだろう >>620 わからん人だな >イスラーム圏には「差別的な人種観」がなかったわけではないが、それは必ずしも黒人だけを対象としてる訳ではない こんなことはいってない。俺も清水氏も 史料にあたると君やルイスの主張する「黒人」概念が、実際には「黒人」のうちのザンジュだけしか該当しない だから「黒人」というタームありきの論じ方がおかしいのではないか?といってるの こちらの主張を捻じ曲げないでもらいたい あとルイスを「大家」などと形容しているところを見ると、彼が「オリエンタリスト」やネオコンのイデオローグの一人として 批判されてきたことを知らないわけはないだろう 時系列的には、ルイスらのオリエンタリストがポスコロで批判され、 そのポスコロも行きすぎな面があると批判され議論が深化しているのが現段階 今の段階でルイスの論で論じるのは二週くらい周回遅れ ドンキホーテの作者、ミゲル・デ・セルバンテスはレパントの戦いに参加してたが 戦争が終わって帰国する途中、海賊に捕まってアルジェで奴隷にされてんだな >>621 ルイスがオリエンタリストとして批判されてるのはもちろん知ってる上で 私はむしろオリエンタリズム論を唱えるポスコロの行き過ぎな面を問題視しルイスを再評価する立場だな あなたも自分で認めてるように、ルイスを安易に批判するポスコロのほうこそ最近は行き過ぎだと批判されてる時代遅れな歴史観だろう あと、「黒人」というタームの使い方が史料からするとおかしいのはこちらも認めただろう なんでそっちの言い分にも譲歩して一部賛同してやってるのに突っかかるのか その上で、もともとのルイスやこちらの大枠の論自体が全面的にそれで否定されるわけではないということを述べたまでだ 「黒人」という枠組みに囚われず、より細分化したザンジュや非黒人のアルメニア人などへの見方も含め、 イスラーム圏における様々な人種差別の存在を主張し論じてる オスマントルコやその手先なタタール=ハン国と戦ったコサックは逃亡農奴の 集まりだったな >>622 セルバンテスはバルバリア海賊に捕まった奴隷だな オスマン帝国における黒人奴隷がさっきから上では論じられてるが、 バルバリア海賊は地中海を拠点に活動し白人を奴隷狩りの対象とすることも多かった バルバリア海賊によるヨーロッパ人を対象として奴隷狩りは19世紀初頭まで続き、 ヨーロッパの人々を大いに悩ませ恐怖の対象にした存在でもあるな 実際、バルバリア海賊に捕まった白人奴隷の中には、ごく一部に出世できたものもいたが、 ガレー船の漕ぎ手にされるなど悲惨な運命を辿った者も決して少なくない 特に、ガレー船の漕ぎ手は当時のオスマン帝国の奴隷の中でも取り立てて劣悪な環境にいた奴隷の一つだった こういうところでもオスマン帝国の奴隷制度の悲惨さ・残虐さがうかがえるな オスマントルコで古代ローマにおけるスパルタクスの乱のような奴隷の反乱が激しかったのって いつ頃だったんだろうな 1830年にフランスがバルバリア海賊の拠点でもあったアルジェを攻略してたけど 現在でいえばISやタリバンといったテロ集団の拠点を叩くようなものか (1986年のトリポリ爆撃も似たような感じがする) >あと、「黒人」というタームの使い方が史料からするとおかしいのはこちらも認めただろう そうだろうか。もしそうならば、 >イスラーム圏でも西洋と同じような黒人差別は存在したが、イスラーム圏の奴隷制は黒人以外の人種にも差別が向くことはあった >イスラーム圏の奴隷制度は黒人だけでなく他の人種 という文言はもっと違う書き方があったのではないか? 相手に伝わっていないのに、自分の書き方を顧みずもせず >なんでそっちの言い分にも譲歩して一部賛同してやってるのに突っかかるのか などと「してやっている」と押しつけがましく書くのはいかがかと思うがどうだろうか そもそも「譲歩」という感覚もこちらにはない。重要なことは議論の内容によって 学問的に正確な議論に向かえるかどうかにある そもそもなんで俺がポスコロだと思うのか?批判されると全て敵だと考えてないか 現在のポスコロ批判ではポスコロの行きすぎの部分を批判すべきであってルイスの復活ではないよ 安易なルイス批判というなら、清水氏の論文に反論している内容の論文を提示するとかして欲しい 少なくとも君の主張はルイス段階にとどまっているだけにしか見えない オスマン関係ないがスーダンのアラブ人も黒人なのよな。 同じスーダン黒人でもアラビア語を母語としイスラム風の名を持ちアラブ的な 生活様式を送るようになった人々が"アラブ人"として扱われてんのかね >>628 いや、ルイスの復活まで行かない程度の中途半端なポスコロ批判に留めてるのは清水氏や君の立場であって、 私はルイスの再評価まで行く立場だ 清水氏の論文への批判は私自身が清水氏の論文を多く読んでる訳ではないので知らないし、 そもそも私は清水氏の主張についてはおおよそ認めてるとさっきから言ってんだから、そもそも彼に批判・反論する気もない ただ、オリエンタリズム論ポスコロのルイス批判に対する反論してる論文自体はそれこそたくさんあるぞ 他ならぬルイス自身もポスコロへの反論意見を多数公言してるるからな そういう論文なら提示できるし、私はそれらの論文をいくつか読んだうえでおおよそルイスの立場に賛同してる もちろん、ルイスの議論全てを100%正しいと言うつもりはない ルイスの議論の中には清水氏の指摘のように批判されるべき部分もあるだろう ただ、おおよその部分においてはポスコロ史観よりもルイスの議論のほうが的を射ているという立場を私はとるし、 それは、ポスコロ勢のルイス批判に対する再反論を見てきたうえで判断してる >>630 そのスーダンのアラブ人は改宗者だと思うのだがどうだろう 清水氏の論文中の史料にも出てくるけど、メディナのザンジュという人々が登場していて、彼らは差別の記載がない この点は清水氏も指摘している 中世の史料の限りでは差別されている集団は人種というより文化的集団(民族の方に近いかも知れないだがこの用語も違和感がある)に近いように思える >>628 あと、文言について違う書き方ができたのではないか?という部分は、 単に君の読解力不足だから知らん 私のもともとの書き方でも、私の大意の解釈はできるのに君がそれを読み取る能力がなかっただけのことだろう とにかく、私は「黒人のタームがちょっと変」という君の指摘についてはおおよそ賛同するという意味でその文を書いた もし君の読解力不足でその意図が伝わってなかったのなら、改めてこの場でその意図を伝えるよ そういう意味でそう解釈できると思って私は最初からその文章を書いた。以上だ >>627 実際、フランスがアルジェリア征服した理由の一つにはバルバリア海賊の撲滅という目的も多少ある アルジェリアでバルバリア海賊が完全に撲滅したのはこのフランスによる占領を待たねばならず、 それまではバルバリア海賊によるヨーロッパ人奴隷狩りが続いていた これもイスラーム圏の奴隷制度の残虐さ・負の面を表している一例だと言えるだろうな >>631 >ルイスの復活まで行かない程度の中途半端なポスコロ批判に留めてるのは清水氏や君の立場であって、 今回は、清水氏の論文の範囲内の議論しか君とはしていない(とこちらは思っているのだけれど)、 それでなんで清水氏や私が中途半端だと判断できるの? もし中途半端というなら、清水氏の論文の内容を批判する方に議論の方向を振り向けるべきだと思うのだが 君も >ルイスの議論の中には清水氏の指摘のように批判されるべき部分もあるだろう と書いているように、少なくとも今回の清水氏の論文の内容は認めているように思える 論点はあくまで個別の内容であって、こちらはこれで清水氏が他の論文で書いていることも全て正しいといっていないし、 この一論点でルイスの評価が全部否定されるものだとも言っていない(そういう誤解を招いたかも知れないが) 君はどうにも主語や論点を大きくし過ぎる傾向がある もしルイスVSポスコロの論争をするなら、各論点ごとにやらなくてはならないが、まったくそこまでいっていない 君がこちらを周回遅れというのなら、まず今回の清水論文の内容を批判すべきだろう 現スレで論点にもなっていない内容を持ち出して「中途半端」と決めつけるのはおかしい >>635 先にポスコロだのオリエンタリズムだのを持ち出して論点を大きくしたのは君のほうだと思うがな 私はこの奴隷購入の書の議論に限らず、イスラーム史全体においてルイス氏の立場をおおよそ踏襲してるということを述べたが、 その私の大きな全体的立場に対して、「ルイスなんて周回遅れだ」と最初に言い出したのは君だろう 君のほうこそ、奴隷制度云々の議論に留まらずルイス(及びそれを支持する私)の歴史観全体を批判してたじゃないか だから大きな論点へと発展した >>636 なるほど、誤解を招く結果になってしまって申し訳ない しかし、何を書いても「お前の読解不足だ」と言われてしまうので、君のイデオロギー的立ち位置を 確認しなくてはならないと思った しかし立場はわかった >イスラーム圏でも西洋と同じような黒人差別は存在したが、イスラーム圏の奴隷制は黒人以外の人種にも差別が向くことはあった >イスラーム圏の奴隷制度は黒人だけでなく他の人種 の二文はこのように書いた方がよかっただろう >イスラーム圏でも西洋と同じようなある特定の集団に対する差別は存在したが、イスラーム圏の奴隷制はザンジュ以外の集団にも差別が向くことはあった >イスラーム圏の奴隷制度ザンジュ人だけでなく他の集団 とかね 用語の含意する内容は、解釈によって大きく変わるのだから、この部分を「お前の読解力不足のせい」とかしか いえない人が、どうして生産的な反論になっていると思うのだろうか?トートロジーにしかならないというのに? ルイスからの反論もポスコロ起点のサイードの論も泥仕合になっているのはこのため 差別や思想の問題については言語の用い方に相当センシティブになる必要があるのだが、これまでのレスを見る限り君がその点を理解している ようには思えない 議論を続けたいなら、上の例で挙げたように用語の用い方には慎重かつ厳密に行うようにお願いしたい(これまでの君の発言を見ている限り無理そうな気はしているが) >>637 こちらの立場を理解していただけたようなら、別に私としてもこれ以上何か言う気は起きないよ 用語の使い方には慎重かつ厳密にして欲しいという君の言い分も分かるのでそこは今回従うが、 だからといって、用語の用い方の差による君の解釈違い・誤読をもって相手を強く非難するのもやめて欲しいものだな 単なる誤解に基づいて批判してる可能性も考慮して、まずは解釈が合ってるかを確認してからそのうえで批判して欲しかった 了解 こちらも前提を明確にしないで進んでしまったところもあった 恐らく塩尻和子とか小杉泰レベルのポスコロや池内恵のポスコロ批判を想定しているのかも知れないが(間違いだったら申し訳ないが)、 今回の清水氏の論文は、史料が提示されていて、しかもチェリーピッキングの批判を避けるために、関係部分全文を 紹介しているので、結構堅い内容だと思って提示した この内容を更新・批判する方向に議論が進んでほしかった、というのがこちらの真意だった >>639 そちらの真意は了解した 実際、私も普段は小杉泰レベルのポスコロなどを想定し、ああいうのに対して批判的立場をとっている 今回の清水氏のその論文は実は今回初めて読んだので、その点は勉強になったし、 彼のその論文での指摘についてはおおよそ賛意を示した オスマン帝国の宮廷では、菓子や甘味が発達したんだよな 宮廷には、ヘルヴァハネという甘味司があったほどだった ロクムという餅菓子や、バクラヴァという甘いパイ菓子もあった 料理は肉入りピラフ、鶏のスープ煮か焼き物、香料とニンニクを加えた ソースで味付けした何種類もの肉料理。 飲み物としてはレモネード、果物のシロップ水であるシェルベットなど。 オスマントルコに西欧文化がもらたされた19Cにはトルコ料理も 西欧料理の影響を受けたんかな? このまえ浜のトルコ料理屋に行ったら 食器が西洋風のナイフ、フォーク、スプーンやったで それあからさまに西洋の影響やろ >>643 トルコ国内でも今ではナイフとフォークは使う 昔は手づかみだったというから、恐らく確実に西洋の影響だろうな フランス料理の調理法を参考にしたトルコ料理が新しく作られたんだろうかって事じゃね? 西洋の影響受ける前のトルコ料理はどんなくいかたしてたんや? 手食? 箸? >>646 手づかみって>>644 で書かれてるやろ 北京の近くに住んで狄と呼ばれてた時代は箸使うてたかもしれんな スレイマン大帝は晩年、痛風になったらしいけど、 やはり豪華な料理を食べ過ぎたせいなのかな >>645 あるのかもしれんけどあまり思いつかんなあ むしろ逆パターン(トルコ料理からフランス料理への影響)のほうがたくさん思い浮かぶわ 東ローマ帝国時代は土地柄もあってか魚がよく食されてたみたいだが オスマン帝国期はどうだったんかな オスマントルコの宮廷でフォーク・スプーン・ナイフが用いられたのは 19C前半に西欧文明を採り入れ,洋服を着るようになったのと同じ頃? >>650 オスマントルコに支配されてたギリシャではニコラオス・ツェレメンテスって料理人が フランス料理をお手本にギリシャ料理の西洋化をはかろうとしてたんだっけ >>651 オスマン帝国の時代も、黒海や地中海でとれた魚介類がよく食べられていた ガラタ橋近くのサバサンド サバって地中海にもいるのかな オスマン帝国のスルタンは、食事のときには贅を尽くした 金銀器や中国渡来の陶磁器を用いていた 料理だけではなく食器も豪華だった >>654 サバは地中海にもいるよ サバサンドって普通にトルコ近海で取れたやつをそのまま焼いてるはず トルコ料理は地中海周辺でとれるオリーブオイルも使っている >>657 オリーブオイルはトルコ料理に欠かせない重要食材だな そもそもトルコはオリーブ生産量は世界第4位だからな イタリアやスペインほどではないけど屈指のオリーブ大国ではある 19C後半の露土戦争とか第一次大戦期におけるオスマン軍のレーションって どんな感じのやつだったんかな イェニチェリがオスマン2世を殺害した事件は有名だけど、本来君主の身を守るための 近衛隊や親衛隊が君主を廃位・殺害するようになってしまうケースはよくあるな 古代ローマの近衛隊とか、アッバース朝のマムルークとか オスマン帝国の宦官の場合、睾丸だけを切除して、陽根が残っている者もいた だからハーレムではこれと密かに情を通じる女たちもいた 宦官は催淫剤や性具を使って相手を喜ばせることもできたし、 オーラル・セックスにも通じていたらしい 宦官と通じた経験のある女官たちは、暇を出された後に結婚しても、 夫との淡白な交わりに満足できずに離婚したという話もあるほど オスマン帝国のハレムの宦官というと黒人が主なイメージだが白人宦官もいなくはなかったんだよな 数としては黒人宦官のほうが目立ってたようだけど 白人宦官は小姓の教育を担当していたとか ところで、現代のトルコにはアフリカ系トルコ人が存在している https://synodos.jp/article/17435 アフリカ系トルコ人、そのルーツをさぐる >>665 リンク先の黒人は奴隷の子孫ってはっきり言ってるな オスマン帝国の黒人奴隷は宦官などのごく少数とは言え存在していたので、 その子孫が今もトルコ共和国にいるのはそんなに不思議なことじゃない オスマン帝国は実力社会といわれるが、実はシーア派のアラブ人は官途に就く道が 閉ざされていた おそらくはシーア派であるサファヴィー朝への警戒心からでたもの >>667 黒人奴隷が全員例外なく宦官だったわけじゃないからな かつてのアメリカみたいに農場で働かせられたり家事全般を担当させられたりした黒人奴隷もオスマン帝国にはいた エルトゥールル号の生存者って本国への帰還後は事情聴取を受けたと思うけど 遭難ということでさすがに軍法会議はなかった? そういやオスマントルコでは明朝のような宦官の専横ってなかったんやろか >>671 オスマン帝国では宦官はハレムの管理を担当しており、 また、ハレムの専横はオスマン帝国でも良くあったことなので、 その関連で宦官が一定の影響力を持ってたことはオスマンでもあった オスマントルコが戦争捕虜を奴隷にする件,19C半ばのクリミア戦争や 同後半の露土戦争の頃にはさすがにそういうのもなくなったんかな >>674 戦場での残虐行為はあったらしいが、捕虜の売買まで行っていたかどうかはわからん オスマン帝国の服飾というとカフタン(上着)が有名だが、 キュルクという毛皮のついた上着も着用されていた キュルクに使われたのはクロテン、ヤマネコ、キツネ、 ミンク、オオカミなどの毛皮 アーユルベーダはインド古来の医療健康法、中国の漢方に相当する ということは大帝国で人と富が集中していた、オスマンやペルシャにも独自の医療体系があったのでは 他に大帝国に誕生するものは、料理、ファッション、美術、工芸、音楽、文学 ローマ帝国のものはヨーロッパに受け継がれている 宦官が存在したオスマントルコだが刑罰としての宮刑もあったのかしら オスマン帝国は二回もウィーン包囲を行っているけれど、ウィーンという都市には そこまでして手に入れなければならないほどの価値はあったのかな? >>680 オスマントルコと対峙してたハプスブルク(オーストリア側)の中心都市だったから? おっと、ウインナーは豚やからイスラム教徒は食われへんな ウィーンは西ローマ帝国の承継国家の首都 オスマン帝国は東ローマ帝国の承継国家 実際にスレイマン1世は「ローマ皇帝」の称号も名乗ったりしてたからね そういう「我こそは、ローマの正統なる筋目、全欧州の盟主」というライバル意識もあっただろう ヴェネツィア共和国とのクレタ戦争も、別にやらなくてよかった戦争のように思える カール5世の頃って 神聖ローマって大帝国じゃないの? イスタンブルは完全な消費都市だったんだよな だから主要な生活資材の輸送ルートはコストの安い黒海だった バルカンの黒海沿岸からは穀物、食肉、獣皮、木材などが大量に輸送された 征服王メフメト2世が、アレクサンドロス大王の伝記を読んで、西方征服を 思いついたというエピソードは本当なのかな 前近代の人間ならありそうな話に思えるが オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか (講談社学術文庫) 発売日 : 2021/3/11 >>685 クレタの首都カンディアを21年も包囲して攻略したんだね。 そりゃお金がかかるわ。 >>1 戦争・武力衝突 ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。 ■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日 ■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間 ■明清交替、2500万人の死者、65年間 ■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間 ■安史の乱、1300万人-3600万人、8年 ■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週 ■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間 ■回民蜂起、800万-1200万人、15年間 ■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間 ■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。) ■レコンキスタ、700万人、781年間 ■ロシア内戦、500万-900万人、5年間 ■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間 ■デカン戦争、560万人、27年間 ■黄巾の乱、300万-700万人、22年間 ■秦の統一戦争、200万人、9年間 ■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間 ■文禄・慶長の役、100万人の死者、7年間 ■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間 ■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人 ■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人 ■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人 ※拡散は歓迎だぞ >>1 強制労働・奴隷貿易 ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。 ■労働改造制度、1500万人-2700万人 ■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人 ■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人 ■グラグ制度、105万-600万人 ■北朝鮮における強制労働、40万-150万人 ■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920) ■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人 ■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人 死者数による政治的指導者一覧 ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。 ■毛沢東、1359万-7000万人 ■チンギス・カン等、2000万人-4000万人 ■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人 ■蒋介石、596万人-1852万人 ■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人 ■昭和天皇、300万人-1400万人 ■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ) ■ポル・ポト、138万人-340万人 ■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人 ■オマル・アル=バシール、106万人-253万人 ■金日成等、71万人-350万人 ※拡散は歓迎だぞ >>1 ■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間 ■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日 ■明清交替、2500万人、65年間 ■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間 ■太平天国の乱、1000万人、14年間 ■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間 ■回民蜂起、800万-1200万人、15年間 ■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。) ■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間 ■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間 ■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間 戦争犯罪・虐殺 ■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者 ■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者 ■三光作戦、270万人以上の死者 ■国共内戦、180万人-350万人の死者 ■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人 ■米比戦争、20万-25万人 ■マニラ大虐殺、10万-50万人 ■南京事件、1.3万-40万人 病気・飢餓 ■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者 ■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者 ■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者 ■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者 ※拡散は歓迎だぞ オスマン帝国のハーレムには、クリミア・ハン国やセルビアなど、友好国や属国の 王族も暮らしていたらしいけど、これには人質的な意味合いもあったのかな? 決して高品質とは言えないウインナーは真新しい丸木串に突き刺さり、 ほとんど砂糖抜きのホットケーキに近い生地は少し悪くなった油でもって 均一な黄金色に揚げられていた。 揚がってから誰かが買うまでのあいだ、ハロゲンランプに照らされ じっと待っている。はっきりといと言うと油が劣化しているわけだ。 ふつう、油揚げ食品ならば、この状態は品質の低下を意味するのだが、 ことアメリカンドッグ。そう、アメリカンドッグに関しては、これら通常は 不都合とされる条件により、衣のサクサク感や生地のモッチリ感 そして何より独特の風味を倍化させ、結果それこそが商品の魅力となるわけだ。 ここで俺は思う。 人生に措いて、たとえ自分が良くない素材であり 劣悪な環境に在ったとしても、以上でいうところの温度環境 つまり「温もり」に相当するものさえあれば、 人はそれをバネにして内側から己の魅力を引き出し その結果をもって、自分に他人を惹き付けさせるための要素としうる。 これはそういう実例なのではないだろうか。 我々がアメリカンドッグに学ぶことは多い。 戦国時代から徳川幕府までの日本にとってのオスマン帝国はどういう認識で、 逆にオスマン帝国側は明治以前の日本に対してはどんな認識を持ってたんだろうか? >>700 > 戦国時代から徳川幕府までの日本にとってのオスマン帝国はどういう認識 存在を知らん >>701 幕末明治でやっと知ったのか? 明国の商人や西洋の宣教師はオスマンについては何も知らせなかったのか・・・ 豊臣秀吉の文禄・慶長の役で 明軍は日本の鉄砲に苦しめられた。 そこでオスマン帝国のルーミー銃を取り寄せ、調査し、 性能がいいので採用しようとした。 採用は少し後になってしまうが。 ルーミー銃の威力で女真族の後金国を圧倒できていた。 だが明国内部の反乱で自壊してしまい、 後金国軍は大量のルーミー銃を鹵獲。 やがて大清帝国が成立。 おっ、泰西王侯騎馬図屏風すら知らない人がドヤ顔するスレはここですね オスマン帝国と言うくらいだから、皇帝が統治していたのだね >>705 > 泰西王侯騎馬図屏風 それだとオスマン帝国を知ってる証拠にはならないね 歴史時代劇「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜シーズン4」|BS日テレ.htm https://www.bs4.jp/ottoman4/ 12月3日金曜日から、いよいよシーズン4が始まるよ。 露土戦争に興味あるんですがおすすめの書籍などありますか? 戦国時代の日本に 『オスマン帝国』 が攻めてきたら勝てるだろうか? [157470334] https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1645363270/ 上のようなスレが立ったね。 オスマン帝国外伝観始めたけど女性への愛の言葉がシカとかヤギなのわらう >>177 フランスとは、同盟関係だったですよね? 一緒に神聖ローマに対抗したですよね? >>713 セリフの半分は女性への詩だったね。 スレイマンの詩人としてのペンネームがムヒッビー。 >>713 古代イスラエルのソロモン王が 「あなた?の?2?つ?の?乳房?は,2?頭?の?子鹿,ガゼル?の?双子?」 とかの詩を聖書に残してる。 ソロモンの名前を受け継いだスレイマンが倣ってもおかしくはない。 文字化けしてた。 あなたの2つの乳房は,2頭の子鹿,ガゼルの双子 >>700 信長に対して オスマン・トルコは兄弟だが禽獣 しかし、大殿の軍勢はそれよりも強いと宣教師が言っているから 非人間国で、世界2番目の軍事国家ということになる >>700 信長に対して オスマン・トルコは兄弟だが禽獣 しかし、大殿の軍勢はそれよりも強いと宣教師が言っているから 非人間国で、世界2番目の軍事国家ということになる オスマン帝国史に「女人政治の時代」と呼ばれた時期があるけど、キョセム妃やトゥルハン妃の活躍した17世紀には、ハレムは飛躍的に巨大化し、一時は千人以上の女性を 擁していたのだとか。 オスマンはスルタンの子はみんな奴隷の子で男は生涯幽閉だしな 知的障害の弟イブラヒム1人しか皇子が残っていなかった時もあるらしい 最初から完成品を持ち込むのではなく、同じところに何度も通って需要を確認し、より受け入れられやすいものに仕上げていく努力を惜しまなかった。 未来年号(例:令和元年四月づけの文書)を用いている。 >>732 ムラト4世は3人の弟を殺して、末弟のイブラヒムだけが残っていた 遺言でイブラヒムの処刑も命じたが、母后のキョセムによって防がれた オスマン帝国の話からは脱線するけど、 バヤズィト一世がティムールにボコられてオスマンがしおしおのぱぁ〜状態になってた時期、 今までオスマンにサンドバックにされていたビザンツ帝国は何で国力を回復できなかったのだろうか? サーフィエ妃やキョセム妃の時代のオスマン帝国は乱れに乱れていたけど、 よくあの時代に帝国が崩壊しなかったなと思う >>739 なんか非人道的な国家だよなぁ。 子供を連行して軍団兵士にするし。 大宰相であっても次々と処刑するし。 歴史好きだけどオスマン帝国にはいまだ興味わかない このスレも読んでみたけどやっぱり興味わかない オスマン帝国そのものに興味なくてもギリシャ・キプロス・ブルガリア・セルビア・ルーマニア・モルダヴィアあたりの歴史知りたいならオスマン帝国の歴史も必須になるんやで 南東欧・バルカンの歴史はローマ帝国・ビザンツ帝国・オスマン帝国が絶対絡むからな(オスマン帝国は悪い形で絡むが支配層視点の歴史もわからんことには歴史として不完全) >>742 加えてクリミア、シリア、イラクも関わる。 現在の戦乱はオスマン帝国崩壊の余波。 1568年からWW1まで12回もロシアと戦争したのがオスマン帝国。 オスマン帝国がなかったら、もっと早くにロシアが世界の覇権を握ってたな。 オスマン帝国が病人にならなければアルメニア人虐殺はなかったのかねえ >>746 オスマン主義としては 多民族多宗教で非ムスリムを保護する政策。 元々はアルメニア人の移住を受け入れていた。 するとムスリム側が帝国の非ムスリム優遇に逆差別だと不満を持つようになった。 早くから非ムスリムへの襲撃暴動が幾度も起きてて、 帝国はそのたびに鎮圧に動いてる。 軍が暴動を起こしたムスリム側を虐殺までして鎮圧したりする。 帝国の方針が動揺することなく堅持されてたら、アルメニアを保護してたかもしれない。 プーチン政権のアルメニア系ロシア人の舌禍がすさまじいな 今のウクライナでの戦争はクリミヤ戦争と構図が似ている ロシア対連合国は同じ、いわば第二次クリミヤ戦争 >>739 サーサーン朝やムガル帝国にも兄弟殺しの習慣がなかったっけ? イエニチェリは英文だと Janissaryなんだね ジャニース,アリーなるほどデヴシルメで少年奴隷集めるわけだな 「旧石器時代中後期に絵画を描く能力を具えていた人類には、抽象化能力あるいは象徴化能力がすでに具わってい」て、「絵が描けるということは絵文字・象形文字を書く能力が具わっていることを意味する」 女媧じょかについてもっとも古い文献は、戦国時代に成立した『列子』って本。 天地が出来上がったもののあちこち破綻していたため、女媧じょかが補修したが、その後、共工きょうこうが顓頊せんぎょくと争った時に不周山ふしゅうざんをへし折ってしまった。 前漢に編纂へんさんされた『淮南子えなんじ』はもうちょっと詳しくてね。 太古、東西南北の四つの極がこわれ、大地は割れて裂け、天空は綻びた。火は燃えさかり、洪水は溢れ、猛獣が民を襲い、猛禽は老人幼児をさらった。 そこで女媧じょかは石をねって天を補修し、大亀の足を切って四つの極を立て直し、黒竜を斬り殺して大雨を停止させ、蘆あしの灰をまいて洪水を止め、人々を救った。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる