ロシア・ツァーリ国とロシア帝国との違い
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リューリク朝とロマノフ朝、ツァーリと皇帝の違いを整理し、その時代のロシアの変化について考えるスレ ビザンツ帝国・モンゴル帝国の影響があるかないかじゃね? モンゴル帝国やオスマン帝国などの遊牧民国家は、
民族の別なく有能な人間を取り立てることで発展したが、
旧ソ連にもそういうところがあるよな
グルジア人のスターリンやシェワルナゼが高い地位に就いたりとか 基本同じもの。ピョートル大帝以降を帝国と呼ぶんでしょ? 中世ロシアの農民は、「移転の権利」を持つ自由な人々であったが、
16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった >中世ロシアの農民は、「移転の権利」を持つ自由な人々であったが、
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
タタールのくびきの時代はむしろ幸福だったてことか ツァーリのピョートルが、「これからはインペラートルの称号を名乗ることにする」と言い出したとき、
「そんな大それた称号を名乗ったら、西欧の列強が黙っていませんぞ」と、群臣はこぞって反対した ツァーリ名乗ってるだけだと、ロシア正教内の自称皇帝で済まされてたけど、
インペラートルを名乗ってしまうと、ローマ皇帝の位を簒奪することになるからね ヨーロッパの列強は、名誉ある「インペラートル」の称号を
すぐに承認しようとしなかった。
あのなかば野蛮な国が、という思いがあったから。 それまで、欧州で「皇帝」といえば、ハプスブルク帝国に決まってた。
もはや神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国ですらなかったが、どういうわけか「皇帝」は健在だった。
神聖ローマ帝国の皇帝は、さかのぼれば962年に戴冠したオットー1世を初代とするが、さらにさかのぼれば、800年に戴冠したカロリング朝フランク王国のカール大帝に至る。
そのカールの戴冠は、欧州人にとっては「西ローマ帝国の再興」を意味した。 では、ロシア皇帝はどうなのかといえば、これは、「滅亡した東ローマ帝国を受け継ぐ者」ということになる。
東ローマ帝国が千年つづいて、オスマン帝国に滅ぼされた。
ギリシャ正教会の守護者たるローマ皇帝がいなくなった。
その跡を継ぐのは、ロシア帝国。
というわけで、再び、東と西の皇帝が並び立つことになった。
皇帝は、どこかの国の国王とはわけが違う。
フランス国王でさえ、最後まで1度も「皇帝」になれなかった。
「皇帝」はそれだけ特別だったのだ。 >>11
でもロシアはビザンツ帝国とは違って、古典古代の伝統がないよな
古典古代の文化はイタリアへ行ってしまった
ロシアに伝わったのはヘシカズム ローマ帝国が北からの蛮族(ゲルマン人)に悩まされていたのに対し、
ロシアは南からの蛮族(クリミア・タタール人)に悩まされていた
そこで南部に要塞都市を築くとともに、都市間を土塁や逆茂木で
結ぶことで侵入を食い止めることが考えられた
いわば古代ローマの「リーメス・ゲルマニア」のロシア版である >>5
>16世紀ごろからその自由を失い、土地とその主人に縛られていった
そこから逃げ出した人達の集まりがコサックとなったんかね? ピョートル以前はローマ皇帝もロシア語ではツァーリと呼ばれてたんだし、ツァーリも皇帝と訳して良い言葉なんだけどね。
東方のモンゴル系諸汗国の君主たちもみなツァーリだから、ツァーリの重みがインフレ気味で、もっと重々しい称号が欲しくなったのかね。 ナポレオンは、自分以外に皇帝を名乗るロシア帝国とオーストリア帝国が許せなかった カイザーつながりだがドイツ帝国の皇帝がインペラトールではなく
カイザーを名乗ったのってどうしてだろ?
オーストリアの皇帝の呼称もカイザーなんであっちとは違うぞって
意味合いでインペラトールにしてもよさそうな気が・・・ 神聖ローマ皇帝の場合、
Kaiser der Römer は、ドイツ語での称号
ラテン語では、Romanorum Imperator Wikipediaによると
>中世においては、「皇帝(imperator, caesar, monarcha)」と「国王(rex)」の間には明確な区別が存在し、
したがって「帝権(imperium)」と「王権(regnum)」の間にも基本的な相違が存在した。 Wikipediaの続き
国王は1部族や複数部族単位の支配者に留まるが、皇帝は世界全体を治める者と考えられていた。 オクタヴィアヌス/アウグストゥスではなくその養父で礎を築いた
カエサルが皇帝の名称として使われるようになったのか。
(そのせいでカエサルが初代ローマ皇帝だと思ってますたorz) ピョートル1世としては晩年にインペラトールの称号をもらった事で
晴れてローマ帝国の後継者となったという思いが強かったんかね? アウグストゥスの称号って西欧でもロシアでも後世ぜんぜん使われてないんだな フランスのフィリップ2世は尊厳王という意味でオーギュストの添え名が
冠されてるが皇帝アウグストゥスとは無関係? >>22
魏からあとの皇帝が「曹操」と呼ばれるようなもんだな ディオクレティアヌス帝からは、ローマ帝国では正帝を「アウグストゥス」、副帝を「カエサル」と呼ぶようになった。
東と西に、それぞれ正帝と副帝がいた。 シャルルマーニュ大帝の称号は、「ローマ帝国を統治するインペラトール・アウグストゥス」というようなもので、
神聖ローマ皇帝の正式な称号も、ずっとそんな感じ ピョートル大帝が自称した「インペラトール」は、神聖ローマ帝国に由来する、西欧的な皇帝の称号。
東ローマ帝国の伝統に従うなら、ここは「バシレイオス」と言うべきところだろう。
これを見ても、ピョートルの西欧志向が分かる >>30
西暦千年くらいから西欧が東ローマをはじめとする東欧を凌駕しはじめたからね 神聖ローマ帝国でのアウグストゥスもドイツ語だとカエサル由来の
カイザーになるんだっけ。
廷臣連中は東の辺境の蛮族(?)が自分とこの君主と同じカエサルを
名乗ってる事が許せなかった? >>28
神聖ローマ帝国の皇帝をドイツ語でカイザーと呼ぶようになったのは
ローマ副帝の呼称にちなんで?はたまたオクタヴィアヌスの養父
ガイウス・ユリウス=カエサルの偉業にあやかった? >>33
ローマ帝国では、「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」が、皇帝の3大称号だった
このうち、なぜかドイツとロシアでは「カエサル」が定着したようで、ドイツ語では「カイザー」、ロシア語では「ツァーリ」が、「皇帝」を意味する普通名詞になった
英語では「エンペラー」、フランス語は「アンプルール」なのに、不思議といえば不思議 ちなみに東ローマ帝国では、なぜか、ヘラクレイオス帝から、ギリシャ語で王を意味する「バシレウス」が皇帝の称号になった
「バシレイオス1世」、「バシレイオス2世」っていう名前の皇帝もいるけど、これは名前なので混同しないようにとのこと
それまでは「インペラトール、カエサル、アウグストゥス」だったのに、なぜなのかは不明で諸説あるらしい >>9
結局、西欧列強がロシアの君主を「皇帝」と正式に認めてくれたのは、
ナポレオンに破れたハプスブルク帝国の皇帝フランツが、「これからは神聖ローマ帝国の皇帝をやめて、オーストリア帝国の皇帝になります」
と宣言してからだった
それまで、神聖ローマ帝国の皇帝は「天下の皇帝」だったが、それがオーストリアという「1国の君主」に格下げされた形 >>36
エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか>列強衆
>>35
>これは名前
ロシアではバシレイオス派生の名前としてヴァシリーがあるけど君主の呼称
としてはバシレイオス派生の表現って使われてないのね >>35
日本で例えるなら、日本に亡命政権を築いた唐皇室が途中から「オオキミ」とか名乗り始めたようなもんか >>38
「皇帝」は中国風だから、「オオキミ」にしようと?
東ローマ帝国の場合も、やっぱり、このころからギリシャ化したんでしょうな。
ギリシャ語で言わないと、人々に通じないっていう >>37
>エカチェリーナ2世の頃はインペラトール扱いしてくれなかったのか
ロシア帝国が名実ともに超大国らしくなるのはウィーン会議からだけど、君主号としての「インペラートル」は、もっと前に承認されてたみたい↓
・・・1721年10月22日 (11月2日)にピョートル1世はインペラートルの称号を採用し、プロイセン王国とネーデルラント共和国は即座に、
スウェーデンは1723年に、オスマン帝国は1739年に、グレートブリテン王国とオーストリアは1742年に、
フランス王国とスペインは1745年に、最後にポーランド・リトアニア共和国が1764年にロシアの新君主号を承認した。
ロシア・ツァーリ国という国名もインペラトルに合わせて新たにロシア帝国(Русской империей)と改称したのである。 ロシア国内でどう呼ばれようが列強にとっては神聖ローマ帝国が
滅亡するまではロシア=ツァーリ国という認識かね
(ナポレオンはずっとツァーリ国扱いしてたりして) >>41
ウィーン会議でフィンランドとポーランドを獲得するまでは、西欧列強にとってロシアはしょせん、大国といっても遠い北のハテの国だった >>21
世界全体ってのは日本語の通りじゃないからな
ギリシャ語でいえばオイクメニコス
ラテン語ではエクメニクス英語のエキュエニカルの意でローマ帝国時代ではほぼローマ帝国の範囲とかわらない >>21
結局ローマ帝国を支配するのがインペラートルでそれ以外の領域を支配しているのが王レークスという意味でしかない >>30
イワン4世がツァーリではなくバシレイオス由来の呼称を名乗ってたら
皇帝と訳されその国家はロシア”帝”国と呼ばれてたんかな。
ピョートル1世からのインペラートルとの区別から皇帝とは訳されなかった
かもしれんけど >>47
ツァーリがロシア語で、バシレウスがギリシャ語
・・・という程度の違いしかないものと思われ 近代ブルガリア王国の国王もTsarなのに皇帝とは訳して貰えない・・・ ツァーリもラテン語から直接入ったんじゃなくてギリシャ語経由だからある意味ギリシャ系称号だわな ゴート語経由で教会スラブ語に入った、という説もある >>44
現役のロシア皇帝がいきなり弟子入り志願してくるとは、オランダの船大工もさぞかしビックリしただろうな
それも、「一見、普通の人に見える」というのならともかく、抜群に頭が切れる、眼光鋭い身長2mの巨人 ピョートル大帝は、オランダの造船技術を導入してロシア海軍を建設
甚大な犠牲を払って、内陸のモスクワから、バルト海の港ペテルブルグに遷都した ピョートル大帝にとって、「ロシア帝国になる」ことと、「海洋覇権を握る」こととは、切っても切れない関係があった >>53
帝政ロシアで活躍した軍人・文官・政治家にはバルトドイツ人だけでなく
ピョートル大帝治下のロシアに渡ったオランダ人技術者の子孫も少なからずいた? そういやイワン雷帝の頃にもドイツ人が仕えてたってトロワイヤの本に書いてた気がする。
最初は官吏でのちにオプリーチニクの隊員となったハインリヒ・フォン=シュターデンとか
イワン雷帝の主治医だったエリセーイ・ボメーリー(エリジウス・ボーメル)とか >>54
海洋覇権は大げさな・・・
「海へのアクセスを確保した」くらいじゃろ、スウェーデンは海軍国としては三流だし >>56
こうして見ると民族主義ってやっぱりクソだなあ
民族に拘るからチョビ髭伍長閣下がバルト・ドイツ人の分布域を見て東方生存圏()なんて世迷い事抜かして逆にケーヒスベルク奪われる羽目になった >>59
側近のローゼンベルクも第一次大戦やその後のロシア革命がなかったら
(バルト=ドイツ系の)ロシア人として生きてたんかな スウェーデンもピョートル大帝期のロシアもオランダの
Scout bij Nachtという階級呼称を採り入れてるな
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Rear_admiral#Netherlands ×:Scout bij Nacht
○:Schout bij Nacht
直訳だと”夜間見廻(番)”かね? ツァーリの頃はモンゴルぽい
帝政になるとウラルの西側だけの欧州気取り ピョートル以降ほぼドイツ人の嫁貰いまくってほぼドイツ人だからなツァーリ ツァーリ国から帝国に変わろうがエリート層が西欧かぶれになろうが
西欧からは「東の野蛮な国」としか見てもらえなかったりして。
帝政時代のエリートはドイツ系も多かったけど フランス料理がちまちま出て来るのは冷めないように出したロシア料理のぱくりと聞いた
エルミタージュで博物館ひらいた頃のフランスは革命前夜かな
今でもロシア人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(俺らを一緒にすんな)
他の欧州人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(あいつらを一緒にすんな)
らしい
ユーラシア大陸というのは誰が名付けたか知らないが
ユーロ+ロシアならまさしく >>68
>ロシア人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(俺らを一緒にすんな)
>他の欧州人は「ロシアはヨーロッパじゃない、ロシアだ」(あいつらを一緒にすんな)
イギリスと大陸欧州との関係も
イギリス「イギリスはヨーロッパじゃない、イギリスだ」(俺らを一緒にすんな)
大陸欧州「イギリスはヨーロッパじゃない、イギリスだ」(あいつらを一緒にすんな)
みたいな感じだったりすんのかね? その癖ジョージアやアルメニアまでヨーロッパ扱いしたりするからな イワン雷帝とボリス・ゴドゥノフでなじみ深い16Cのツァーリに対し17Cのツァーリは陰薄いような フョードル2世の頃に西欧化を視野にいれた教育がなされてたようだけど
なんで西欧ラブに傾いたんだろう イワン雷帝にさんざんいじめられた貴族のみなさん(´・ω・`) 近年のロシア映画で動乱時代を舞台にしたものがあったけど、見た人によるとポーランド軍はナチそこのけの虐殺、ポーランド人イエズス会士はまるでスターウォーズのパルパティーンのような不気味な描かれ方の、劣情的愛国扇動モロだしのB級映画だったそうな 西欧化してもロシア正教だけは続けたんだね
カリオストロでルパンが化けた坊さん ナポレオンにマルタ島を追われたマルタ騎士団が正教国ロシアの皇帝を団長に
祭り上げてたのよな
ttps://jp.rbth.com/travel/82597-purioratsuki-kyuden 17世紀だかイエズス会も教皇に解散命じられた時もロシアに逃避したんだよな >>76
雷帝はいい世継ぎを自ら潰して自爆したね
ニコライ2世もなんでわざわざ血友病家系の嫁を貰ったかね 雷帝=信長
息子のイワン=信忠
フョードル=信雄・三法師
ボリス・ゴドゥノフ=秀吉 現在のロシア一般大衆はプーチン大統領を(イワン雷帝に代表される)ツァーリと見なしてるのか
(ピョートル大帝に代表される)インペラートルと見なしてるのか イワン雷帝はトロワイヤの本でその人となりを知りますた トロワイヤの本には当時のロシアにおける上流階級の食生活も書かれてて興味深いもんがあった 塩婆の本でイタリア史は学んだ・・・
はずなのに19Cの国土統一期とか同世紀末のアドワの戦いとか20C前半と
いった近世には冷たい塩婆orz ナポレオンがアンプルールを名乗った時のロシア側の反応ってどんなんだった? ナポレオンの皇帝即位によって欧州ではロシア皇帝と神聖ローマ皇帝以外に
皇帝は名乗れないという不文律は崩れ去ったとされている >>87
モスクワ行きアエロ機内でツアーのおばちゃん達がエカテリーナ読んでた
自分はオルフェウスで学んだ
インペラートルは西欧化のち領土拡大した帝王様って感じ
あとの王様はツァーリかな 西欧化がおこなわれて以降のロシアってそれ以前の16〜17Cツァーリ国時代の生活様式を
未開・野蛮な物として蔑む傾向にあった? どこの国でもそうだが上流階級や首都周辺が近代化したからって急に全国民のライフスタイルが変わるわけじゃないぞ >>93
一般大衆はともかく貴族なんかの上流階級は西欧化以前の生活様式を蔑んでたのかって事じゃね? ゆっくり動画しくじり一族でロマノフ家シリーズはじまった
雷帝亡き後しばらくツァーリは忌職だったのか ロシアでツァーリを公式的に最初に名乗った君主はイヴァン3世である
彼は1473年にリヴォニア騎士団長をして、「ルーシの大公にしてツァーリ」
との和議に調印させているが、とくに80年代から、リューベック、ナルヴァ、
レヴァル、騎士団などとの外交文書においてこの称号を使用した
これは彼の内外政策における顕著な成功を背景にして、はじめてなしえたことであった 近代ブルガリア国王はツァールなのに誰も皇帝とは呼んでくれないんだ(>_<。) ロシア語の「ツァーリ」は既に独自の意味を獲得しているので、語源の「カエサル」がテトラルキアにおいて副帝の意味を帯びることがあったからと言ってツァーリ=副帝などと思いこむのはナンセンス 1721年、ロシアはスウェーデンとニスタットの和平条約を結んだ
これはスウェーデンにとっては「バルト海帝国」の完全な崩壊を、
ロシアにとってはバルト海への出口の確保のみならずこの「北の地中海」
における支配的地位の獲得を意味した
そして元老院はピョートルに対して「インペラトル」「祖国の父」「大帝」
という称号を授与した
ヨーロッパの列強は、「インペラトル」という伝統ある称号の使用を
すぐには承認しなかった(イギリスとオーストリアは1742年、フランスは1744年) ピョートル大帝以前のロシアで見うけられたヒゲモジャが19Cに入ってまた復活。
この頃は欧米全体がヒゲモジャの時代だったけど,ロシアの場合は古き時代への
回帰という側面もあったりする? ロシアが皇帝と称することに対し、難色をしめしたのは西欧諸国よりも、オスマン帝国だろう
ビザンツ皇帝の地位を継承したのはオスマン帝国のスルタンなのだから >>99
外国に対してはキングとかロワで紹介してた?はたまたエンペラーとかアンプルール? ローマ帝国と関係ないのにエンペラーとか片腹痛いわな ピョートル大帝の西欧化政策まで、ロシアは西欧とは宗派だけでなく、文化習俗も大きく異なる、まさに異文化圏だった
ピョートルが貴族に髭をそり、西欧風のかつらをかぶらせたというのはそれを象徴するエピソードである ピョートル大帝からエカテリーナ大帝までは国民が扱い易かったとか
パンドラの箱を開けたのはエカテリーナなんだろうが ツァーリ国の農民:ツァーリってなんだべ?
ロシア帝国の農民:王様おるっとよ >>110
>ピョートルが貴族に髭をそり
ピョートル本人はその後も髭生やしてたくせにな。
それはそうと貴族の髭は19Cからまた復活してるけどその頃は西洋自体が
髭の時代だったか(西洋の影響を受けた維新後の日本でも) >>107
イヴァン3世は東ローマ帝国の最後の皇帝の姪と結ばれてて、その子孫がそのままロマノフ家に受け継げられてるから、一概に関係ないことはないよ 帝国へ移行した後のロシアって19C〜20C初頭の帝政崩壊に至るまでずっと
東ローマ帝国の後継という意識を持ち続けてたん? >>119
ロシア帝国の国章は東ローマ帝国の国章の双頭の鷲を引き継いでるからね >>120
無断使用であっても後継という意識はあったでしょ?
ピョートル1世が帝位に着くまでは ロシア帝国対オスマントルコの露土戦争,ロシア帝国的には東ローマの後身として
オスマントルコと戦ってるという意識とか・・・さすがにない? ピョートル大帝が北方戦争でスウェーデンと戦ってた頃はまだツァーリ国だったか 17世紀でスウェーデンとロシアの力関係交代したな
1000年ぐらいは変わらなそう スウェーデンに勝ってインペラートルとなったピョートル
ナチスドイツに勝って大元帥となったスターリン 自分の都合の良いように憲法を変えて、終身大統領になったプー珍 >>130
何言ってんの?独立した監視機関がないままのインチキ国民投票なんか茶番も甚だしい 雷帝はイギリスの姫を娶りたがってたんだよな
そのへんまでツァーリの姫選びは舞踏会で綺麗な子を
いいとこの嬢から高級娼婦の娘までなんでもあり
帝国としての国体が整ってから政略結婚に向かったような >>132
その頃のツァーリなんて、エリザベス1世からしたら「どこの村長さん?」的な感覚だろうね >>133
雷帝の求婚の手紙に「私みたいなおばあちゃんをお望みなんて、ご冗談でしょうw」ってかなりへりくだった返事出してるけどな ビザンツ帝国からロシアに静寂主義は伝わったが、
古典古代の遺産は伝わらなかったんだよな >>136
そう後妻のエカチェリーナ1世はバルトの農民の娘で、スェーデンの兵士と結婚して、大北方戦争で捕虜になったのを、ピョートル1世に見染められシンデレラガール
以上wikiより シンデレラというとロマンあるけど要は戦利品として献上されたわけだよなw リヴォニアはロシア帝国における人材の宝庫?
同地出身のバルトドイツ人が帝国内で重きをなしたみたいだが ピョートル大帝の頃からいろんな技術が発展したのかも
かわら版みたいなのが発展して遠くのニュースが入手できたりとか
外国かぶれは自分が継いだ国が村レベルなコンプだったのかな 最近つべで世界史ゆっくり増えて嬉しい
北欧史なんてほとんど学校で習わなかった
ロシア史も東方正教会とピョートル大帝からスターリンまでをざっと
雷帝は美術の時間で知った
ここのみなさんに学ばせていただいてます 皇帝って大帝と呼ばれるピョートルとエカテリーナIIの二人だけ? https://www.jikanryoko.com/taimutoraberu3.htm
イヴァン・ヴァシーリビッチは職業を変える
1973年 ソ連
レオニード・ガイダイ監督のコメディ
エンジニアのシュリクは、彼の住むアパート内で、タイムマシンを発明する。
彼はうっかり二人の男性をイヴァン4世(俗称イヴァン雷帝)の時代に送ってしまう。
二人のうち一人はイヴァン4世に間違えられてしまう。
それと入れ違いに、本物のイヴァン4世がシュリクのアパートに現れた!
https://www.youtube.com/watch?v=a50qT9bW2Qo&hd=1
Иван Васильевич меняет профессию
(комедия, реж. Леонид Гайдай, 1973 г.)
29,080,791 回視聴
2013/02/15
※モスフィルムからの公式配信動画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4
レオニード・ガイダイ
(ロシア語: Леони?д И?ович Гайда?й, ラテン文字転写: Leonid Iovich Gaidai, 1923年1月30日 - 1993年11月19日)は、
ソビエト連邦・ロシアの喜劇映画監督。
彼の劇場観客動員記録を破った映画は、今もなおロシアにおいてDVDトップ売り上げのいくらかを示している。 >>145
https://jp.rbth.com/arts/81412-roshia-to-soren-no-eiga-besuto-100
ロシアとソ連の映画トップ100
文化2019年1月05日アレクサンドラ・グゼワ
27.イワン・ワシーリエヴィチは職業を変える
レオニード・ガイダイ 1973
あるエンジニアがタイムマシンを作り、偶然にもイワン雷帝をソ連に連れてきてしまう。
そしてそれと入れ替わりに、皇帝にそっくりなある人物とアパートの隣の家に入ったコソ泥を中世に送り込む。
このコメディ映画はミハイル・ブルガーコフのあまり知られていない戯曲「イワン・ワシーリエヴィチ」をモチーフに制作されたもので、
伝説的なガイダイ監督の他のコメディ同様、観客動員数で第1位となった。 >>145
>>146
おもしろそう
ありがとう
スネイプ先生演じるラスプーチンでニコライ一家の最期がでてる
英語のテレビドラマなのでつべ字幕なしでハードル高いけど イヴァン3世の時代に、イタリアからモスクワ大公国に大砲が持ち込まれたんだよな
ノヴゴロド、トヴェリ、カザン、ドイツのフェリーン、リトアニアのセルペイスク、
スウェーデンのヴィボルクへの遠征において、大砲は決定的な役割を担った
また同じくイタリアから紙が入ってきて、次第に羊皮紙を駆逐していく ラスプーチンはそんなに悪い人ではなかった
でもそうしとかないとレーニン以降のソ連からが全否定される クリミア・ハン国はモスクワ・ロシア領内への襲撃を繰り返し、
住民を略奪してロシア人を奴隷として売りさばいていた https://www.cnn.co.jp/world/35162095.html
プーチン氏に終身の刑事免責を付与か、議員が法案提出 ロシア
2020.11.07 Sat posted at 11:45 JST
モスクワ(CNN) ロシア議会の議員グループが、大統領経験者に生涯にわたり
刑事訴追からの免責を付与する法案を提出したことが分かった。国営タス通信が5日に伝えた。
法案が成立すれば、現職のプーチン大統領が退任を決断した場合に、訴追免責が与えられることになる。
ロシアの現行法上、大統領は在任中に犯した罪につき免責が認められる。
今回の法改正には、この免責を任期終了後にも拡大して、大統領が生涯に犯した罪につき免責を適用する狙いがある。
法案を提出した議員グループは今年、プーチン氏が提案した憲法改正案を審議していた。
グループの共同責任者を務めるアンドレイ・クリシャス上院議員はタス通信に対し、
「大統領経験者は任期が終わった後も、大統領権限を執行する際に付与されていたのと
同等の保護と法的保障を受ける権利を有する」と指摘した。
法案の目的については「元国家元首に対する不当な訴追からの免責を保証し、
公的権限の一般的な体系の中における元元首の重要性を認識する」ためとしている。
法案は今後、議会下院で3回の読会、上院で1回の審議を経る必要がある。
その後はプーチン氏の署名によって成立する。
プーチン氏は2000年に大統領に就任した際、エリツィン元大統領に免責を付与する文書などに真っ先に署名した。
エリツィン氏は同年辞任し、プーチン氏を後継者に選出していた。
プーチン氏は先週、大統領経験者に上院での終身議席を与える改憲法案を提出。
自身の引退に向けた計画ではないかとの臆測が広がっている。
プーチン氏は今夏に承認された改憲により、2036年まで政権にとどまる選択肢を手にしている。 ツァーリ国=中世
帝国=近世
それはそうと後年になってインペラートルの称号をもらったピョートル1世と,
同じく後年になってアタチュルクの称号をもらったムスタファ・ケマルがどことなく
被るような(近代化を促進した点とか)。 インペラートル名乗ってもなかなか他国から認めてもらえなかったロシアだが
ナポレオンがアンプルール名乗った時はクレームつけたりもした? ロシアの西洋化をはかろうとしたピョートル大帝も文字をキリル文字からローマ字へ
変える事はさすがに行わなかったか(正教だからなあ) ロシアはビザンツの後継者なのか?それともモンゴル帝国の後継者? あげてみる
ツァーリ国時代は日本で言うと天下統一前
ロシア帝国時代は天下統一後かな ツァーリ国時代はオスマン帝国のほうが強かったが帝国時代になって逆転してったな ヒゲもじゃロシア人がヒゲなしへとイメチェン。
ピョートル1世がプロデュースw >>153
もうプーチン朝ロシア初代皇帝でいいんじゃね? ロシア史で西欧派とスラヴ派の対立というのは有名だけど、
スラヴ派というのは日本でいえばアジア主義者みたいなもんかね? >>16
百姓の倅の野心の凄さ 豊臣秀吉とか朱元璋とか
成り上がりは逆に権威主義が強い事が多いな >>164
日本主義者みたいなものだろうな
アジア主義にはアジア解放のような左派的な
ものもあるから >>11
フランスに何度も勝った世界最大の植民地保有
国家ですら大ブリテン王国だもんな
大イングランド帝国とは名乗らない
フランク王国の国王が西ローマ皇帝に認められ、フランク王国の片割れのドイツ圏の二地域の領主が皇帝を名乗っているから、フランスも名乗って良い気もするが
イギリスもあれだけ世界を支配して王国とは もし西欧諸国が没落したら、ロシア人もヨーロッパの仲間入りをしたいとは
思わなくなり、「西欧派」も姿を消すんだろうな
そのほうがロシア人にとっては、精神的には幸せかもしれないが ウラジーミル イリイチ レーニン
1890〜1945年
表向きは社会主義革命、裏でソ連(ユダヤ人)の美女を自分のものにしようとした。
モスクワ中の富豪がそれをマネして大混乱になった。
それは白人至高主義がそそのかしたというのが本当だろう。(イギリス人がゴマスリの悪知恵)
ユダヤ人が抗議するが、反対にユダヤを殺し始める。
それがユダヤ人迫害の真実。 >>169
これが中国共産党を刺激して地球の自軸まで狂わせた、というが今までの見方だった。 紀元前10億も昔に成都人かわやらかした蛮行を知るまでそうだった。
確かにおかしい感じがする。
物凄く酷いからだ。
成都人は古代インダス人から日本という国は神の国になると聞いてから、嫉妬だけでそのいろいろな神物を破壊した。
それも遊びの中でいろいろ工夫しながらだって。
それが今の、日本が頭のおかしい奴らだらけになる理由がほとんどだ。
全て無くされた神は居場所がないのも当然。
神というのは主のことだ。
滅ぶだけの事しかしなくなった日本人は全て消すしかない。 レーニンの蛮行は日本に影響してないのかもしれないw
それが事実w >>167
イングランドは16世紀には帝国って名乗ってるぞ ピョートル大帝の西欧化改革までのロシア・ツァーリ国の伝統的な服装は印象的。同じヨーロッパ圏内でも服装は西欧とだいぶ違っていたんだな。 ビョートル大帝が家臣たちの長いアゴヒゲを切らせたのは、
日本でチョンマゲを廃止してザンギリ頭にしたほどの衝撃 >>52
しかも、金属の皿を手で丸めて塊にしてしまう怪力 >>117
イワン雷帝も東ローマ皇女の孫なんだよな >>157
ビザンツの後継者
源流は868年のリューリクのノヴゴロド建設だからな
888年にはすでにビザンツと関係を持ってた。
モスクワのロシア帝国の源流も、モンゴルの侵略を一ミリも受けなかったノヴゴロド公からだからな
ノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーが末子をモスクワ公に封じた。
そのモスクワ公国が出自のノヴゴロド公国はじめ、周りのルーシ諸侯や、カザンハン国やアストラハンハン国はじめモンゴルの後継国家を
すべて併呑し尽くしてできたのがロシア帝国 ノブゴロド公家って家があったわけじゃないぞ。ノブゴロド公は都市の支配者である民会によって任命された傭兵隊長に過ぎないんだから。アレクサンドル・ネフスキーの父も子どもたちもノブゴロド公だったことはない。世襲領じゃないんだから。
あと、ノブゴロドも征服こそされなかったが、モンゴルに服属して貢納金払ってるし、アレクサンドル公も父親のヤロスラフ二世公もはるばるカラコルムの大カアンの宮廷に参上して大公位の継承その他を嘆願してるし、国内では反モンゴル勢力を弾圧してる。完全にモンゴル人の臣下として行動してる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています