伊都国東遷スレ 9
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、ただし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の反映であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html
通勤中なので、残りは夜にでも >柳田康雄先生の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
パクってるだけだからな 根拠一つ上げられず
理路の通った反論一つできず
言葉尻をねちねち言うだけで
伊都国説は「終了」してるのに >>3
文献解釈には正解が無いから、解釈の仕方によって様々な説が成り立ってしまう
だから考古学的に考察していくのだが、そのどの説も根拠らしきものはどこにもないよ
伊都説は卑弥呼より前の倭国が説明できるし、考古学的にも、鏡文化の中心地であり、大陸との関連が深い
鉄もあるしな
他の説よりかなりマシ >>4
>だから考古学的に考察していくのだが、そのどの説も根拠らしきものはどこにもないよ
よく言うよ
自分の気に入らないものを、確定はしていない、確定はできないはずだって言うだけじゃん?
平原1号墓の、二つ並びの杭穴を鳥居と呼ぶのにどれだけの根拠がある?
1号墓と大柱の延長上に異形建物があることを、
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓、立柱、祀堂の並びと合わせて考察した伊都国説の人間はいるのか?
そうすれば、日向峠がどうこうとかいう寝言は言わずに済んだだろうに 吉野ヶ里には太陽の女王はいなかったが、伊都国にはいた。
その違いだとも説明できる。 >>7
>吉野ヶ里には太陽の女王はいなかった
いなかったとする理由は?
>伊都国にはいた
いたとする理由は?
結局、自分でそう決めたから(考えたから)という、循環論法でしかない
いい加減、循環論法以外の根拠を挙げてごらんよ >>7さんは、これには意見がないの?
平原1号墓の、二つ並びの杭穴を鳥居と呼ぶのにどれだけの根拠がある? >>8
吉野ヶ里よりも平原の方が、より太陽の方向に配慮しているように見えるけど?
そもそも、吉野ヶ里の方は太陽の方向を意識していないように見えるのはなぜかということだろ? >>6
>自分の気に入らないものを、確定はしていない、確定はできないはずだって言うだけじゃん?
これって、畿内説のことかと思ったよ。
平原遺跡と日の出の方向とか、鳥居の痕跡とか、自分の気に入らないものを、確定はしていない、確定はできないはずだって言うだけじゃん? >>4
>だから考古学的に考察していくのだが、そのどの説も根拠らしきものはどこにもないよ
あるよ、倭国(阿波)に。 「其山有丹」が考古学的根拠。 他のどこも該当しないでしょ? @阿波 >>11
>吉野ヶ里よりも平原の方が、より太陽の方向に配慮しているように見えるけど?
そもそも、東方向に適当に向けた線上なら、一年のどこかではその方向から日が昇る
それが二至二分でもなければ、特段の太陽信仰との関わりは想定されることはない
10月22日に、特別な意味を付与しようとしている人もいるけれど、まあ、意味がないと見るのが普通
細かく見る人だと、日向峠を向いているかどうか、という点も疑問視している
平原1号墓の発掘平面図を見れば一目瞭然だが、墓溝及び木棺跡は、周溝で囲われた領域の「中心からはっきりとずれている」
墳丘自体が失われているので何とも言えないが、周溝で囲われて領域全体が墳丘だったのではなく、墓溝を中心に一部だけ盛り土が行われていたと考える人もいる
吉野ヶ里の北墳丘墓でも、中央の埋葬主体はきちんと墳丘中央に位置している
その辺も含めて、伊都国説平原1号墓推しの人は、遺跡の実態に詳しくないし無頓着すぎる
>そもそも、吉野ヶ里の方は太陽の方向を意識していないように見えるのはなぜかということだろ?
吉野ヶ里の方は、太陽とは無関係に南墳丘墓とかつて呼ばれたマウンド(今は祭壇とされている)に向けられている
真南でもないし、日の出や日の入りの方角には決してならない方向
平原1号墓の大柱の役割を考える場合は、吉野ヶ里の南墳丘墓に当たる場所がないかを探るのが、実は一番大事なんじゃないか?
それと、大柱の遺溝の前後に、柱を立てるためのスロープに見える横長の穴が複数、検出されている
5号墓の大柱は2本、遺溝が見つかっている
この辺のことに言及する伊都国説の人間を見たことがない
伊都国説をぎゃあぎゃあ言っている人よりも、明らかに私の方が詳しい
この状態で「太陽祭祀がー」「八咫鏡がー」とか言っているのを見ると、
「思い込みだけじゃダメだよ」、という感想が一番に出てくるww >>12
>確定はしていない、確定はできないはずだって言うだけじゃん?
違うよ?
「確定はしていない」じゃなくて、「はっきり間違いだろう」って言ってるんだよw
根拠のないものをいくら言い張っても無駄 >>16
根拠のあるものを言い張っているのは、「倭国(阿波)」だけ。 @阿波 >>16
何を根拠にはっきり間違い?
柳田説はいつ否定されたの? >>19
パクリとかどーでもいいし。
で、いつはっきり否定されたの? >>15
>10月22日に、特別な意味を付与しようとしている人もいるけれど、まあ、意味がないと見るのが普通
まあ、そこまで細かい角度は意味ないと思うよ。
でも、東を向いていることには意味があると思う。
コテハンの孝霊氏ではないけれど、神仙思想というか、太陽信仰を加えた古代神道の原型としての意味があると思う。
>5号墓の大柱は2本、遺溝が見つかっている
鳥居だろ?
そもそも神道がいつ成立したかということに関わるけれど、記紀ははっきりと太陽神の性格を持ったアマテラスを持ち出しているので、それに相当する上古から太陽信仰はあったはず。
それを示す遺跡として平原遺跡は重要だよ。
そして吉野ヶ里にはそれが見られないなら、神道の中の太陽信仰の要素は伊都国で加わったと推定できる。 >>16
>「確定はしていない」じゃなくて、「はっきり間違いだろう」って言ってるんだよw
何を根拠に、何が間違いだと言っているの? >>21
>>5号墓の大柱は2本、遺溝が見つかっている
>鳥居だろ?
また、無知をさらしている
平原遺跡の平面図を穴が開くまで見つめやがれ!
話はそれからだww >>20
>でも、東を向いていることには意味があると思う。
きちんと真東を向いているならともかく、
東は東だけど、適当な東南東方向って、どう思う? 例えば、平原1号墓出土鏡は「8.63咫」だから、八咫鏡ではない ってのは
はっきり否定しているだろ? また一言レスでお茶を濁しているw
具体的な根拠を言えない癖に、何かを言い返さないといけないってのも大変だなww
伊都国説なんて、やめればいいのに
そうすれば、そんな惨めな「一言レスに逃げる」なんてことをしなくても済むぞ >>28
>論証抜きで言い張ってるだけ
論証抜きだと思うなら、簡単に逆に論破できるだろ?
「具体的に指摘」して、論破してみればいいだろ?
そうしたらこっちは改めて、説文解字注の解釈や
大陸史書原文中の用例、大陸の考古尺の解釈から、
全部もう一回解説してやるよww
舐めるな! 史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想
咫を円周を測るのに使っている例はない 漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である
咫を円周を測るのに使っている例はない 三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味
咫を円周を測るのに使っている例はない 史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺 で使われているのが23件
尺有咫 で使われているのが 7件
八寸曰咫 で使われているのが 6件
「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている
「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる
「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸
ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ
要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」 長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」
咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない
これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね
つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない 親魏倭王卑弥呼の墓は豪奢な墳でなく、
尖がり帽子みたいな質素な「冢」だった。
それがみたけりゃ、阿蘇・高千穂神社の本殿背陣のご神体山をよ〜く拝むこった。ここが卑弥呼さまの大作冢墓。。 例えば、平原1号墓出土鏡は「8.63咫」だから、八咫鏡ではない ってのは
はっきり否定しているだろ?
これの根拠マダー??
www 尺が時代により揺らぐから、咫も揺らぐ。
8.63咫の鏡は、十分に八咫鏡と呼べる。 >>21
>>5号墓の大柱は2本、遺溝が見つかっている
>鳥居だろ?
これが大間違いだってのは、確認できたのか? >>40
>これの根拠マダー??
ほいよ つ 「根拠」
周歩が身体尺で、135センチ程度とされている
清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》から引用すると
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
となっていて、
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている
と書かれている
これで、歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ
どちらにしても、漢尺の23センチとは異なるし、
咫が周尺である以上、平原1号墓出土鏡は、面径二尺にはならない
したがって、円周も八咫にはならないんだよ
>>690で書いたとおり、九州説のいう「咫」の長さが異なっていたってことだ
この数値から計算すると、咫=16.9センチ
八咫=135センチで、平原1号墓の146センチとは合わない
146センチは、「8.63咫」だね
既に論破済みのことを何回でも蒸し返すのが、九州説のたちの悪さだよなww >>41
>尺が時代により揺らぐから、咫も揺らぐ。
>8.63咫の鏡は、十分に八咫鏡と呼べる。
はは、またバカなことをww
>>32〜>>36で示したように、秦の度量衡の統一以降、
「公定尺の体系の中に『咫』は入っていない」ので、
漢代、魏晋代には、「長さの単位として一切使われていない」んだよ
使われていない単位が「揺らぐはずがない」だろ? >>21
ほれ、平原遺跡の発掘平面図を貼ってやるから、5号墓の大柱が二本あって
「鳥居ではありえない」のをまず確認しなさい
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2c9cac26ffdc644a177f62ea5a9aabe5202dd80c.78.2.9.2.jpeg
でもまあ、前スレでは「5号墓?なにそれおいしいの?」状態だったんだから、少しは進歩かな?
でも、伊都国説で「平原遺跡が卑弥呼の墓」とか言いながら、この体たらくだからなww
平原遺跡と平原1号墓の区別が付いていないやつもいるしw >>47
あるよ
前漢の尺は現物があって、一歩は六尺とハッキリ文献にあるんた >>49
歩は六尺4寸だろ。
自分で引用してるのわすれたの? >>50
知能低いやつだな
周尺で六尺四寸、漢尺で六尺だ
だから周尺が漢尺より小さいことがわかる 歩自体が短くなったかもしれないだろ。
やっぱり詐欺だな >>45
>>8.63咫の鏡は、十分に八咫鏡と呼べる。
>
>はは、またバカなことをww
大きいことが大事なのであって、8.63咫は「十分に」八咫なんだよ。
不足していない。 >>46
>ほれ、平原遺跡の発掘平面図を貼ってやるから、5号墓の大柱が二本あって
>「鳥居ではありえない」のをまず確認しなさい
わかったわかった、で、その穴はなんだというんだ? >>53
>大きいことが大事なのであって、8.63咫は「十分に」八咫なんだよ。
>不足していない。
最初は「咫は円周を測る尺で、径二尺の鏡の周は8咫ちょうど」って言ってたのにww
「周尺也は周を測る尺度」は誤訳ってのがはっきりしたら、言を左右することこの上ないw
>>53は>>45に対する返信として書かれているが、
>>45は>>42の「咫の長さは時代によって揺らぐから多少ずれてもOK」を否定している
その部分を無視して、大きければいいんだまで「後退」している
そして、「大きければいいんだ」ならば「咫」を持ち出す必要はないし、
平原1号墓を八咫鏡とする理由は事実上なくなるww >>54
>わかったわかった、で、その穴はなんだというんだ?
「わかったわかった」じゃなくて、
「>>21の書き込みはもの知らずで知識もないのに適当こいてました」だろ?
平原1号墓推しのくせに、正しい知識に欠けたまま適当な憶測だけで立論してるのをまず認めろ! 文句は付けるくせに自分では何も説明しない。
誰も気にしない5号墓なんて持ち出して誘導しておいて、詐欺師みたいな奴だな。 >>54
>で、その穴はなんだというんだ?
その穴は「大柱を立てた穴」だろ?
そして、「日向峠の方向を『指していない』」
平原1号墓を太陽の巫女だとする理由の大きな部分が
「日向峠から昇る朝日を意識している」ことに依拠しているのだが、
吉野ヶ里遺跡との比較、さらには同じ平原遺跡の同じ造墓主体の手による5号墓との比較から
日の出の方向は特に意識していないことが見て取れる
伊都国の有力者の墓であるのは間違いないが、太陽祭祀はこじつけレベルだというのが明らかだし、
倭王の墓とするにはいい加減すぎるし、しょぼすぎる >>52
>歩自体が短くなったかもしれないだろ。
デタラメ言っても誤魔化せない
「周尺の六尺四寸が今の一歩」という史料をどう読んでも、歩が短くなったという解釈は出てこない >>58
>誰も気にしない5号墓なんて持ち出して誘導しておいて、詐欺師みたいな奴だな。
みなさーん、これが伊都国説の正体ですよー!
平原5号墓は平原1号墓に先行する墓で、平原遺跡という家族墓地の位置を決めた墓であり、
平原1号墓のおそらく親の墓だ
それを「誰も気にしない墓」と書ける時点で、伊都国の歴史はどうでもいい、
何も考える気はないって言っている訳だ
伊都国説がトンデモでしかないってのが図らずも明らかになったな
自白してりゃあ世話ないわ >>58はこれからも伊都国説の無能さを代表する広告塔としてがんばれ!w >>60
>吉野ヶ里遺跡との比較、さらには同じ平原遺跡の同じ造墓主体の手による5号墓との比較から
どちらも日の巫女の墓ではないからだろ?
平原1号墓は、明確に太陽信仰の要素が加わったという点で画期なんだよ。
そのことを証明しているに過ぎないね。
特に吉野ヶ里は当時の倭国の中では辺境の田舎なんだから、比較する意味もない。 >>62
>平原1号墓のおそらく親の墓だ
根拠なしの妄想を持ち出されましても、、、 >>56の最後の行は
「平原1号墓出土鏡を八咫鏡とする理由は事実上なくなるww」
だな
訂正 アマゾンの電子書籍「継続としての日本古代史」を出しましたので、
岡上説として纏まったものは、そちらを参照いただけると幸甚です。
ちょっとした広告用ポスターも自作しました。
詳細はブログ( http://aroomofwisdom.blogspot.jp/ )の方をどうぞ
また、付論を一部、リバイズしましたので、公開しております。よろしければどうぞ。
http://fast-uploader.com/file/7086948633981/
また、八寸と八咫という小論を作りましたので、どうぞ。
参照元の時点で、話として完結しているので、私のものはどうもちょっと蛇足だったみたいです。
けどまぁ、せっかく書いたのでアップしておきます。
せっかく色々とご指摘いただきましたが、まだ旧バージョンのままです。スミマセン
http://fast-uploader.com/file/7087721936368/ >>61
これは真逆ですね。
戦国尺と秦尺は実質的に同じ長さなのですから、始皇26年でしたか、歩が六尺と決められたのだから、
その時に歩が六尺四寸から短くなったと考えるのが合理的かと思いますがね。
だいたい一歩「135cm」と言う数字自体、漢和辞典にある通り、周寸を22.5mmと考えたところからの推測でしょうから、
それを六尺四寸を割り直しても何の意味もないですよ。 >>65
>どちらも日の巫女の墓ではないからだろ?
では5号墓の大柱はなんのためにあるのか説明しておくれw
それに1号墓にも、大柱を立てた「スロープ」と平行した横穴が2本あり、
柱穴自体は残っていないようだが、複数回、柱を立てた可能性がある
実際5号墓では2本の大柱が発掘されている
そして、それぞれの柱の指す「方向は一定していない」
ということは、「結論ありきの循環論法」を持ち出さない限りは、
大柱の指す方向は目標がある訳ではないことになる
大柱の存在をもって太陽信仰の賜物だとするのは、
可能性は「0ではない」以上のものじゃないよw >>65
>平原1号墓は、明確に太陽信仰の要素が加わったという点で画期なんだよ。
こういうのを、根拠なし、って言うんだよw
根拠は「大柱が夏至でも冬至でも春分でもない日の出の方角を指しているから」と
「割って墳丘にばらまかれた大きくするだけが目的の鏡の文様が『太陽に見える』(主観)」だっけ?
明確じゃないだろ?ww >>72
「周尺の六尺四寸が今の一歩」という史料は
意図的に異常に曲げないと
歩が短くなったという解釈にならないだろ? >>65
>特に吉野ヶ里は当時の倭国の中では辺境の田舎なんだから
その辺境の田舎の集落の特定家系墓である北墳丘墓で、
墳丘サイズが南北約40m、東西約27mある
その辺境の田舎の墓よりずっと小さな、12×8メートルの方形周溝墓を倭王の墓と
主張できる神経がすごいわ
自分でも「比較する意味もない」といっているけれど、比較にならないくらい平原1号墓は小さい 丸くて太陽を反射させる鏡に入っている内行花文の文様について、多くの人とって、それを太陽と連想するのですから、
それを客観と言うんですよ。
むしろ太陽に見えないというのが、あなた一人が言っている主観と思いますけど。 >>70
>戦国尺と秦尺は実質的に同じ長さ
なんだお鏡さん、そこの所は正しく理解してるんじゃないか
なのに東周銅尺を、周尺だと言い張るのはおかしいと思わないのかい?w
周尺は「王制」、西周初期の聖王の治世の頃の尺だよ
戦国時代の尺を周尺と言い張ってはダメだろう? 「王制」の時点で六尺四寸が、始皇帝26年に六尺になった。
歩はそのままで、尺度が短くなったのか、尺度がそのままで歩が短くなったのか、
どちらも文脈上は同等程度にあり得ると思いますが。
で、考古学的には、秦尺が戦国尺より短くなっている様子はない。
つまり、後者が正解ということです。 >>78
戦国尺は、実質的に周尺にほかならないですよ。
小論文読んでくださいね。 >>77
>丸くて太陽を反射させる鏡
これが太陽の象徴だとするのは構わないよ
けれど、「他の鏡種ではなく内行花文鏡」こそが太陽祭祀の象徴とするのは、
そうしたいと思う人の「主観以外の根拠がない」と言っているだけ
御鎮座伝記の神鏡座事を見ると、丸くて光を反射する鏡は、
「太陽だけではなく月の象徴でもある」という観念も見て取れる おてもにある方は、角川の漢和中時点の付録を読んでみてください。
貝塚先生の解釈と、ここの畿内厨、どちらが珍説か、言わずもがなというものです。 >>80
>戦国尺は、実質的に周尺にほかならないですよ。
これはウソ
これらを読んだって言うのもウソなのかい?
『考工記』の尺度について 新井宏
http://dl.ndl.go.jp/...o:ndljp/pid/10631904
中国人のはかり方 藤堂明保
https://www.jstage.j...38_105/_pdf/-char/ja
中国計量史話(5)関増建* * 著 加島淳一郎* * 訳
http://dl.ndl.go.jp/...1&alternativeNo= >>80
>戦国尺は、実質的に周尺にほかならないですよ。
それが自分の今使ってる尺と同じだったら
それを「周尺」と呼ぶ?
常識で考えてね >>83
あなたこそ、私の参照論文を読んでみましたか? >>87
自らの文責で、一文を書きましたよ。
あなた方こそ、匿名の陰に隠れて名無しがここで騒いでるだけにしか思いませんよ。 もちろん、岡上のオリジナル説の部分もありますよ。
なければ書く意味がない。読まずにテキトーに言わないでください。 ??
私は基本的には定説よりですよ。平原の評価を含めて。
畿内説で、ほぼ全面的に柳田先生の説に賛同していますし。
それとオリジナル部分があるかないかはまた別の話です。 >>86
>あなたこそ、私の参照論文を読んでみましたか?
それを言って「逃げる」ために、ここに反論を書き込まずに
わざわざ読む方に手間をかけさせるpdfにしたんだろ?
最初と2番目にダウンロードしたのは私だよww
まあ、暇な人はお鏡さんの小論と、>>83の3本の論文を読み比べてもらえばいいんじゃないかな
自ずと明らかだと思うよ
お鏡さんの小論の論点は、「周の身体尺に丈が入っていない」に頼ってるだけだから
尋が入っていて、尋が周尺の丈だって説文解字で確認できるのに >>73
>では5号墓の大柱はなんのためにあるのか説明しておくれw
自分で説明しろ、ボケ >>73
>可能性は「0ではない」以上のものじゃないよw
しつこく否定することに意味がないと気がつけよ。 >>74
>「割って墳丘にばらまかれた大きくするだけが目的の鏡の文様が『太陽に見える』(主観)」だっけ?
資材と労力を注ぎ込んで史上最大の銅鏡を作った理由の説明としては不十分なんだよ。 >>81
>そうしたいと思う人の「主観以外の根拠がない」と言っているだけ
信仰は主観だから、これは太陽と思えば太陽なんだよ。
鰯の頭よりは太陽に見えるだろう? >>92岡上
>畿内説で、ほぼ全面的に柳田先生の説に賛同していますし。
柳田先生は、何が良くて奈良盆地を遷都先に選んだんだろう? 他にもいい所いっぱいありそうなもんだが。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています