西郷隆盛 イメージと実像が最もかけ離れた男 2
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石垣あたりも中山王に武力で征服されてその中山王が薩摩にという
単に因果応報という話 司馬は西郷のことそんなに評価してないでしょ? 日本軍の非合理的精神主義の元凶として西郷をみてたかもしれない。
西郷を評価していた歴史小説家といえば、海音寺潮五郎ではないのか。 西郷は、「責任感と正義感が強い、また武骨者である」て先祖から聞いてる。
(武骨者=とても扱いにくい人物)
大久保は「やる気と行動力がある、そしてなによりウンチクを語る人物」て言ってた。
(ウンチク=独自理論) 日大の内田みたいな人物にかぎって、責任はすべて自分にあると毅然と言い放つんだよな 西郷は明治も戦前も人気トップクラスだったんだが
戦後人気が落ちたのは司馬の影響じゃないかな
そして龍馬が一躍トップクラスになる ヒーローに据えるためにわざと字を変えて「竜馬」はねつ造された。
実在していた方の「龍馬」なんというか、……詐欺師だし武器商人だし
グラバーのスパイだし扇動者だからうるさいし、同じ空間を共有したら
イラァってしただろうな。 ↑そもそもが相手にしないというか無視されるというか同じ場になんて絶対居合わせないから
気にしない 西郷ら奄美流刑の実像
罪人と島民の知られざる暮らしをひもとく 箕輪優
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO31329190U8A600C1BC8000/
史料を見ると、流人の過半は武士階級で、藩のお家騒動に敗れた“政治犯”だ。次いで多いのが、素行の悪い
子弟が教育あるいはせっかんのために島流しになる例。犬神やキリシタンなど禁じられた宗教を信仰したとして
流された者も多い。
彼らは島の厳しい環境で自活を求められた。政治犯になるような武士は高い教養を身につけていたから、
島民に読み書きを教えて口を糊(のり)した。流人は島の文化向上に寄与したのである。その代表例が薩摩藩士の
名越左源太(なごやさげんた)だ。
名越は1849年に、いわゆる「お由羅騒動」で失脚した身分の高い武士である。奄美大島で約5年にわたる謹慎の
身となったが、清廉な人柄で島民の尊敬を集めた。
住まいとして一軒家を提供されると「広すぎる」と恐縮し、近所の老人がハブにかまれると菊油を与えた。子供たちに
学問を教え、島民たちと月見を楽しんだ。島の暮らしをつぶさに記録し、後年、「南島雑話」という地誌にまとめている。
実は名越と対照的なのが西郷だった。西郷は名越の10年後に奄美に流罪となるが、当時の書簡を読むと、物語で
描かれているのとは異なる実像がうかがえる。
島民をさげすみ、娘たちの手の甲のいれずみをばかにし「もっとまともな家に住ませろ」と訴えた。後年、明治政府
の重鎮となったときに「奄美の砂糖を困窮する鹿児島県士族の救済に使えばよい」と説いた。島民搾取の現実を
目の当たりにしながらこういう考えだったのを知ると、私は西郷を英雄と単純にたたえる気持ちになれない。 司馬は功利主義と陰謀史観だから
司馬にかかれば西郷も腹黒い陰謀家になってしまう
この辺りが西郷の腹黒イメージに定着してしまった ほんとに翔ぶが如く読んだ?
翔ぶが如くの西郷は、何を考えてるか分からない奴というイメージで
陰謀家という描き方ではなかったと思うけど
明治維新全否定とか、西郷大悪人説みたいな書き込みが最近多いけど何なんだろう・・・ 知恵泉やBSの歴史番組で幕末ものを見ると、変だなぁといつも思う。
明治政府のやらかした醜態をさも偉業のような言い回しをしている。
優秀な人間が国を率いるべきである?
自称・優秀な人間の正体なんて詐欺師かカルトの教祖だろう。 おいおい、明治国家を率いた連中はその「二番煎じ以降」な連中だったろうにw
西郷にしろ大久保・桂等は単に変化を模索した急先鋒って「だけ」だろ? >>350
>>20に見られるようにパヨクが捏造した反日ネタ。 司馬の西郷は体調不良説
山で転んで頭をぶつけて、それからおかしくなった説
それまでの前半生(倒幕、維新政府樹立まで)は冴えまくっていたと言うのが司馬
このスレを含めて最近の西郷観は、西郷は一貫しておかしかったというもの
前半生で冴えていたように見えるのは粉飾された西郷伝説のせいと、
たまたま結果が出ていたせいであるというもの
何のことは無い
西郷本人は一貫して、自分を認めぬ者を攻撃し
自分に好意的な者には力を貸してきただけであった
いやいや西郷が書いた手紙などを見ると、
西郷は、国家のためになにかできる英雄的で私心の無い大人物が好きであったろう?
たしかにその通りである
だがそのような人物は誰だって好きであるし応援したくなるのである
西郷の特徴は、国家のためになる人物であっても西郷を認めぬ者は冷遇し
攻撃したことである
言わば人格障碍者であり、大悪人というのとは違う 西郷どんのもう一つの特徴
政争に負けたり、自分の思い通りにいかないと
ケツをまくって田舎(自分が天皇でいられる場所)に帰る >>355
たしかに悪人ってほどじゃないけれど、どこにでも居る腰ぎんちゃくって感じ。
たとえばクラスのそこそこ高いスクールカーストな連中とつるんで
自分はたいしたことしてないのに旨い汁吸って偉そうにしているタイプ。
信者はかたくなに信者だし、荒らしやコピーペースト貼りには擁護されている。
気持ち悪いなー。 西郷どんは愚直に仁者、正道、至誠の人を貫いた漢
まさに大政治家と言ってよい 鹿児島は歴史のリスク分散がまったく無い
鹿児島の公称歴史は西郷が偉人であることを前提に全部書かれてきた
西郷に全賭けしてきたから、それが黒なら歴史が全部吹っ飛ぶ
反日に全賭けしてきた韓国と同じ
それで押し通すしかない いや西郷は普通に偉人だろ
普通に歴史に名前が残る
しかも明治維新の筆頭として 最近ネット広告で見かける「〜の真実的」な内容のやつは何かあるのだろうな 最近の例で言えばいわゆる薩摩義士の宝暦治水事件は完全に捏造であったと言われています
それでも鹿児島では毎年慰霊祭なんかが行われているはずです
押し通すしかない、というかある年齢以上の人にとっては今さらウソだったと言われても・・・
という感じで、新しく更新された情報は本能的に遮断してしまうんだと思います
宝暦治水事件については薩摩が捏造したのではなく、木曽川の現地の人が捏造して
鹿児島には大正時代ごろに伝わり、薩摩武士スゲエということで飛びついたようです
それ以降薩摩義士は、戦国島津、西郷隆盛と並び、薩摩三大レジェンドみたいになっていて
鹿児島県人の自尊心・反骨心そのものかと思いますが、完全に捏造です
鹿児島を代表するホルホル作家の海音寺潮五郎でさえ昔から否定していたようです スレ主は名無しネットの中で、西郷を小物・ろくでなし扱いすることに、青春のすべてを掛けてますからネ。
西郷が小物でないと困ると考えるのは、
なんと言ってもスレ主でしょう。
現在進行形で行われている企業の不正の内部告発なら、
匿名書き込みも有効だ。
しかし歴史スレで珍説を披露しても、
同じ効果があると信じたところに、
スレ主の悲劇がある。
新しい事実が発掘されたならともかく、
何年何十年前の本に書かれたことを、
さも自分だけが知っているかのように、
紹介するだけなんだもの。
若気の至りでひっこみがつかなくなる人の典型。 青春のすべてとか、若気の至りとか
言葉のチョイスが古いなあ・・・
いつも老害感情だけで人を批判してくるこの人
いったい何歳なんだろう? 反日・反西郷プロパガンダ制作者一覧
■星亮一…福島民報(サヨク新聞)、福島中央テレビ
■原田伊織…クリエイティブプロデューサー、反日思想
■半藤一利…反日作家、文藝春秋
■中村彰彦…文藝春秋
■早乙女貢…小説家
■ねずまさし…サヨク作家、治安維持法違反で検挙
■宮崎十三八…会津若松市商工観光部長
■佐高信…サヨク作家、社民党支持者、教師時代に不倫結婚
■石光真人…「会津人柴五郎の遺書」の作者
■渡部恒三…元民主党議員、福島県へ原発を誘致
■野口武彦…文芸評論家、学生運動のリーダー
■小谷野敦…「天皇制批判の常識」の作者
■リチャード・コシミズ…元商社マン、陰謀論者、在日の出版社から出版
■鬼塚英昭…竹細工職人、陰謀論者、在日の出版社から出版
■TweetTV JPの老夫婦…共産党支持者
■瑞穂の国から出ておいで管理人…社民党支持者
■高橋美智子←星亮一主催の戊辰戦争研究会事務局
2ちゃんねるの削除板で大暴れ
歴史学者が1人もいなくてパヨチンが多いのが特長 西郷擁護は荒らしと信者とコピペ貼り職人だけか。
信者以外は仕事でやってるのかな? 100人近い薩摩藩士が抗議の切腹したとか全部デタラメだったんだよな >>366
西郷について目新しい発見はなく、何年、何十年も前の本に書いてあることを紹介してるだけ、
という指摘については、スレ主はどう考えているのか聞いてみたいな。 薩摩兵が人間離れした戦闘力を持ってたとかの話も甚だ怪しいわな
戊辰戦争では庄内とか長岡などの戦意の高い相手には普通に苦戦してるし
関ケ原ではただ逃げただけ
それなのになぜかスーパー戦闘民族イメージのゴリ押し 佐々木高行
「公明正大な西郷と、陰有り後ろ暗き人の多き長州人」
庄内処分の件でwww >>371
何十年も前の本に書いてあることを紹介、というのが何を指していて何を言いたのかまるで不明
それをどう考えるいるかと聞かれても・・・
頭の悪い人がそいつの独りよがりの感情と文脈で火病起こしてるだけでは?
ていうか371=365でしょ
そんな恥ずかしい一文にこだわるのは老害本人しかいないよ 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V こんな過疎スレの中でレスを伸ばすためにどうしても西郷人気に頼らざるを得ないスレ主。
結局西郷人気頼みのスレ主あわれ。 老害老害って、さも自分は年取らないみたいな話やなw 西郷人気なんて無いだろ
大河も惨敗だし
上野に銅像が無かったら、大村益次郎レベルの知名度しか無かったかも 大阪維新の会のやることのことごとくが軽薄で考えなし。
明治維新を好意的に認識しているから「維新の会」と称したんだろうけど
西郷や大久保を偉人だと勘違いしている政治家たちのやることは
やらなくていいことばかりだ。 ふと下のコピペを思い出した
証拠は全て鹿児島を指しているのに宮崎と言い出したのは誰?
宇佐神宮?宮崎県庁?
スレ主も具体的な証拠を挙げなよ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 日本人のルーツは分類の仕方にもよるが3〜6種類くらい。
それが混ざって現在の日本人になったから純血主義なんて排他的一神教の
悪癖を持ってこられたら、そりゃ違うだろうと思う。
実際に縄文人だの邪馬台国の末裔だのが偉いなんて選民思想はなかったし。
出雲族・諏訪族・三輪族はおそらくオオクニヌシノミコト系。
今の天皇家はニニギノミコト系。
他にも独特な土着の信仰を持つところ集めて成立した民俗学は
明治維新に潰されそうになる地方文化を、消すまいとして生まれた学問。
遠野物語をまとめた柳田国男は頑張った。
南方熊楠も生物学の分野で頑張った。
ついでに何故か多神教のギリシャ神話の国からやってきて出雲に帰化した
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も怪談・迷信の方面にドハマリした。
……多神教は混ざりやすい。ギリシャ神話のマルス神は日本に来て摩利支天に
なったくらいだから馴染みやすかったのだろう。
それまではただの生活に知恵や習慣だったのにな。
日本で長年育まれてきたの有象無象の文化は明治政府のやらかした最悪の愚策、
廃仏毀釈で潰された。酷いことをしたものだ。 「遠野物語」自体はともかく、遠野物語信仰みたいなものは甚だ胡散臭いんだよな
ある本で、遠野物語と「在日論」の共通性が指摘されていた
以下はその引用である
遠野市が「遠野物語」(柳田邦男 1910年)の筋立てにしたがって地域の姿を作り変えていったように
在日コリアンも「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植1965年)の筋立てにしたがって在日の歴史を作り変えた部分がある
人類学者の太田好信の指摘では、「遠野物語」が刊行されてさほど時間が経過していない時点で
現地を訪れた者には、自分が目にしている遠野と、「遠野物語」に描かれた「遠野」とのギャップに
驚かされたものだが、数十年後に現地を訪れた者にはそのギャップの感覚が無くなっているという
これに似た関係が在日コリアンと「朝鮮人強制連行の記録」との間にもあるのではないかと
「朝鮮人強制連行の記録」は、刊行されるや、少数ではあるが、あるタイプの日本人たちに啓示を与える書となり
「強制連行」の足跡をたどる発掘・調査などに使命感を燃やす人々を生みだし、
それはやがて在日コリアンが「強制連行」の被害者やその子孫であるというイメージを人々の心や身体に刻み込む力となった
しかし、当の在日一世自身が読んだら、それがわが事を記した本であるとは、にわかには信じられなかったに違いない
一世の多くは、ひと旗あげるためにとか、貧しさから逃れるために、故郷を離れ、
日本にやってきたことを十分に承知しており、彼らの立場からすれば、自分が日本にいることを
日本の「強制連行」のせいにするような”お話”が作り物であるのは明らかだったからだ ながながと引用したのは、西郷伝説と鹿児島県人の関係が
遠野物語と遠野市や、「朝鮮人強制連行の記録」と在日コリアンとの関係と
同じだと思ったからだ
西郷の死後だいぶ経ってから、西郷を祭り上げる顕彰本が刊行され
その顕彰本の筋立てにしたがって鹿児島県や県人が自らの姿を作り変えたのだ
西郷軍の当事者の代ではなく、子孫の代になってから実体の無い西郷伝説が
鹿児島県人の心や身体に刻み込まれたのだ
宝暦治水事件の薩摩義士のお話も同じである
鹿児島にはもともと薩摩義士の記録は一切無かったにもかかわらず
大正時代に岐阜県から薩摩義士の捏造話が輸入され
その筋立てにしたがって鹿児島県も自らの歴史を作り変えてしまったのだ
この現象の最新版が、朝日新聞の慰安婦報道と韓国で名乗りでてきた(強制されたと主張する)慰安婦のおばあさんたちである
慰安婦報道の筋立てにしたがって、慰安婦おばあさんは自らの歴史を作り変え、強制連行されたと主張しはじめたのである このスレ見ると、西郷の評価がすごい下がるねw
いや全部鵜呑みにするわけじゃないけどさ 明治15年発表されのち軍歌として広く知られるようになった「抜刀隊」の中で、
西郷は「古今無双の英雄」でありながら「天の許さぬ反逆」を起こした者とされている。
この錯綜した感じが当時の評価じゃないかと思う。 でもその西郷が前線に立って維新を成し遂げたという事実には代わりはないよね?と
龍馬は如何ともだがw >>386
あくまで私見ですが、当時の評価に従って「古今無双の英雄」のようなフレーズが生まれたのではなく
「古今無双の英雄」というフレーズが使われたことによって、それが一種の西郷伝説になり、
その筋立てにしたがって歴史が作り変えられていったと見るべきでは?
明治15年というと、1万以上の死者を出した西南戦争の記憶はまだ鮮烈であり
遺族感情など考えれば、敵軍の大将を「古今無双の英雄」と呼ぶのはちょっと考えにくい
西郷のキャラも「古今無双の英雄」というような前線に立つタイプの統率者ではなかったし
しかし事実としてそのような歌詞が採用されたのは
西郷隆盛がかつての政府陸軍大将であり、西郷軍の中核もかつての政府軍であり
また明治15年当時政府軍には薩摩出身者がまだ多くいて、西郷をたんに賊とするより一種の軍神化をして
それを打ち破る正義の政府軍のような歌詞にしたほうが何かと都合が良かったのではないかと思う 嘘臭い伝説なら聖徳太子もいるけど昔すぎる話だから
伝聞ゲームのごとく尾ひれが付いてできた伝説だったんだろう。
昔話あるあるだ。
だが、西郷伝説は嘘まるわかり感が先に立つ。
現代のねつ造英雄譚の政治利用のされ方はド汚い。
ぐぐったら誇張されすぎなのがすぐにバレるのにな。 柳田邦男を否定して、「ぐぐれば分かる」と述べるのは、
「ネットの中にすべて真実はある」と、フィールドワークなんか何もできない、
典型的なひきこもりの発想だ。対人恐怖症なんだろうか。 遠野物語は地方の伝承を集めて書き残したものでしかない。
それにコリアンがどーのってなんでやねん。
あっちの国で反日やってる人間とこっちの国で在日ガーって
やってる人間は言い回しが同じ。
目的は諍いの種まき?
そっくりというより、同じ組織の仕事人なんじゃないかな。 通説では西南戦争の最後で西郷の介錯をしたのは別府晋助となっている
「西南記伝」など西郷顕彰本でもこの別府晋助介錯説をとっているものが多いんですが
この説の元ネタって何だと思います?
目撃者がいた?
後の歴史家がフィールドワークして聞き取り調査した?
いえいえ、元ネタは"新聞報道"のようです
西郷軍全滅の3日後の9月27日
東京日日新聞が西郷の最期の様子をこう報じている
新撰旅団の安村治孝中尉兼二等大警部(旧長州藩士。市ヶ谷集獄署長。のち樺戸集治監典獄)が
西郷に飛びついたが、薩兵に撃たれてピストルだけを確保して引き下り、別府晋介が西郷を介錯した
おそらくこれが、別府晋助介錯説が初めて世に現れた瞬間です
別府晋助介錯説の原型はこれなのです
西南戦争直後に流行した"錦絵"でも西郷の最期には安村中尉が登場しています
おそらく当時の人たちは鹿児島県人も含めてこの報道を信じたはずです
つまりある時期までは、西郷の最期といえば、安村中尉と格闘中に薩兵の弾に当たり、別府晋助に介錯されたとされていたのです
これが当時の通説だったはずです
しかしこの安村中尉が西郷に飛びついたという説は後にほぼ取り上げられなくなったところを見ると
後に安村本人が否定したかなにかでガセと判定されたのでしょう
そしておそらく、別府晋助が介錯したという情報のみが後の西郷顕彰本で採用され
流れ弾に当たった西郷が「ここらでよか」と皇居の方角に拝礼し、別府晋助により介錯されたという話に変化したのだと思います
そんな大事なことを勝手に話を作り変えて、さも史実のようにして出版したりするか?と思う人も多いと思いますが
ふつうにします
池田大作や大川隆法の本がどのようなものか考えてみてください
西郷顕彰本というのは宗教本なのです 全くの嘘であればその後の安村某は歴史に名を残すことはなかったに思うが「そうではない」
がしかし囚人監修という職が何か左遷的な雰囲気があるように思うがどうだろう
もしかして誰かが逆賊ではあるが英雄でもある西郷の最後に
一兵卒もしくは長州人が関わった事に何色を示したのかもしれん
あと子孫?の方の言い伝えかなんかで名が知れ渡った事で家にまでおしかけた連中が居たらしいので
そういうのに嫌気がさしてその後無言で通したのかもしれん 安村中尉が西郷に組み付いたという話は政府軍の記録には一切無かったはず
そこだけ空白になっているというか・・・
少なくとも現在通説になっている、西郷軍幹部が1列になり突撃し
負傷した西郷が幹部たちの見守る中皇居の方角に拝礼し介錯を受けた
という説は
当時は影も形も無かったと思われる 面白いのは、東京日日新聞の第一報ともいえる安村中尉説では
西郷に当たった銃弾は薩兵が放ったとされている点だよな
その薩兵が桐野利秋だとは言わないけど
もともとの第一報では西郷は薩兵に撃たれたとされているのは興味深い あはは。
ワンパターンのネタをどう展開していくのかしら。
もう少し泳がせてみましょう。 西郷信者にはどのような史実も 馬の耳に念仏なんだろうなあ・・・
http://blogos.com/article/271237/
これを書いてる田勢康弘(73歳)という西郷信者さん(元日経新聞記者)も
重野安繹の「度量が偏狭である」という西郷評を最近になってはじめて知ったようで
西郷という人物が分からなくなったと書いているが
だがそれがいい、みたいな無理な結論付けしていて本当に痛々しい
ちなみにこの老人、日経新聞から早稲田の客員教授になって
65歳の時にセクハラで早稲田を追放されています
西郷信者さんのリアルな姿かな >>395
薩軍最後の突撃は一般的に岩崎谷だと言われてるが、実際にはその先の下竜尾に抜ける小路で行われてるんだよなぁ
今は陸橋が通ってるが、元は幅2メートルにもならない切り通しの道だったらしい
ここで双方の激烈な銃撃戦が発生し、西郷隆盛はその弾雨の中を先頭切ってノシノシ歩いて前進してしたわけだ
後方からの薩兵に誤射されたって場所を見ればおかしくは無いんだよねぇ
薩兵に背後から撃たれたってのはそれなりにあり得る話だと思う + パヨク +
+ / ヽ_, ,_l ヽ +
パヨチ━━━//゚\ ll /゚\\━━━ン!!!! あれだけサッチョーガーで騒いだから
+ /:::::⌒(__人__)⌒:::::\ + 日本史の定説になること間違いなしwww
< ヽ \r┬ヽ、 / >
+ \ `゙ー' / +
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┬────────┬ 十┐・・ ヽ / |
|奇痴害陰謀論イラネ | ノ ノ _/ ツ !
\从从从人从入从,/ 。 , ━━┓┃┃
ノ (;;゚ ) ( ゚;;)\ 。 ゚ ┃ ━━━━━━━━
/ ⌒゙ ( o_o )⌒≦ , ・ '。゚ 。 ┃ ┃┃┃
\ ゝ'゚ ≦ ゚ 。 ゚ ┛
ノ ゚ ヾ'゚ ≦ 三 _ ゚
/´ 。 ≧ 三 =- >>399
それ以前にその「薩軍最後の突撃」は本当にあったのか、ということなんですが・・・
ちなみにその、岩崎口ではない切通しの道で銃撃戦が発生し、西郷が先頭で突撃したという逸話の出典は何ですか? 無様な死に方であろうが立派な死に方であろうが
生前やってたテロ三昧の悪行の埋め合わせにはならない。 てか答えなぞ出るはずもなく全ては状況証拠というだけで、しかも視点を変えれば幾らでも解釈は可能という状況
勿論後の人間が付帯をしたであろうという事も踏まえてね
桐野が仮に背後から撃ったにせよその心情なんて理解るはずもなく
当然投降するが故の射殺もあれば、敢えて自らを死地に追いやる姿に
「西郷どんの最後はおいが引き受ける」的心情が出た可能性も否定は出来ないと 桐野は西郷以上に幹部たちから浮いていたかもしれないというのはある
桐野の指揮で戦ってきてこのザマじゃねえかという思いは西郷だけではなく幹部たちにもあったろうな当然
西郷の助命嘆願する計画も桐野抜きで進められてるし
西郷にしても幹部にしても最後は被害者意識すら持ってたかも
でなければ助命嘆願なんてとてもできない ちなみに西郷軍(実質桐野軍?)がボロボロになりながらも鹿児島へ帰還したのは故郷で死にたいという一心からであった
などと美化されることが多いが
桐野の構想では汽船で琉球に渡り、再起を目指すためであったという説もある 明哲保身を最上のものと考え、平安の世を生きるあなたに、桐野はついぞ理解できませんよ。
それで良いではありませんか。 そりゃ〜デカイ「白旗」掲げて降参〜〜って坂下るなら兎も角ね
最後通牒突きつけられてわざわざ敵のど真ん中へ「俺降参」て
そこまでアホではないだろう 西郷隆盛って政府転覆を計った犯罪集団のボスだろう
そんな極悪非道なテロリストをNHKがドラマにするんだろう 極悪非道なテロリストの一味ではあるけれど
ボスよりは小物ポジション。 重野安繹、市来四郎、大隈重信といった人たちが、
西郷について悪く書いているものもある、
というのは確かに通説ですね。
司馬遼太郎が40年以上前に発表した「翔ぶが如く」の中でも触れてありました。
もっと新しいネタは無いんですか? 通説というのは、広く一般に知られている説のことだよ
重野や市来の西郷評は長く黙殺されてきたので通説とは言いがたい
しかし最近になって西郷解釈の仕方に大幅な変化が起こって、
重野や市来の西郷評が通説化、一般化しつつあるのは事実
最近刊行された西郷本(史実を無視した顕彰本を除く)では
たいてい序章で重野の「偏狭であった」という西郷評を引用し
従来あった「包容力のある人格者」という西郷イメージが虚像であったとする論調の多いこと多いこと ワタシは別に司馬信者じゃないけど、
司馬遼太郎が全国紙に書いていた事実があるのに、
>長く黙殺されてきた
とかw
なんでも自分に都合よく解釈する人ですネ。 >>416
司馬が書いたから「通説」とかいったい何基準ですか?
通説の意味さえ知らないで恥をかいたのはあなた自身のせいなのに、逆切れとか見苦しいですよ
事実として重野の西郷評はまったく一般的ではありませんでした
だからこそ最近の西郷評価見直しの機運に対して、西郷信者が焦りまくってるわけで 反日・反西郷プロパガンダ制作者一覧
■星亮一…福島民報(サヨク新聞)、福島中央テレビ
■原田伊織…クリエイティブプロデューサー、反日思想
■半藤一利…反日作家、文藝春秋
■中村彰彦…文藝春秋
■早乙女貢…小説家
■ねずまさし…サヨク作家、治安維持法違反で検挙
■宮崎十三八…会津若松市商工観光部長
■佐高信…サヨク作家、社民党支持者、教師時代に不倫結婚
■石光真人…「会津人柴五郎の遺書」の作者
■渡部恒三…元民主党議員、福島県へ原発を誘致
■野口武彦…文芸評論家、学生運動のリーダー
■小谷野敦…「天皇制批判の常識」の作者
■リチャード・コシミズ…元商社マン、陰謀論者、在日の出版社から出版
■鬼塚英昭…竹細工職人、陰謀論者、在日の出版社から出版
■TweetTV JPの老夫婦…共産党支持者
■瑞穂の国から出ておいで管理人…社民党支持者
■高橋美智子←星亮一主催の戊辰戦争研究会事務局
2ちゃんねるの削除板で大暴れ
歴史学者が1人もいなくてパヨチンが多いのが特長 >>414
そいつら3人の評価をまとめた西郷像
・自分の言う事を聞く相手には優しいが、思い通りにならない相手は徹底的にイジメ抜く
・子分をまとめ上げるために、常に敵を必要としている
・他人の僅かなミスを見つけては攻撃し、自分の支配下に置くのが得意
今で言うならマウント取るのが得意ないじめっ子気質の人間だったのかねえ 最近も西郷研究の新書は何冊も出ていて、とても読み切れないねw 重野の晩年にゃ〜西郷とは相対していなかったしなぁ〜
まぁ〜人間の性格は根本的には変わらないのかもだが
「世人は西郷が先に忠にして、後に賊となりしを怪しむものがあるけれども、
全体西郷は邪悪なる男にあらず。あまりに正直過ぎて物を信ずる性質なりしため、
ついに賊名を帯びるに至ったのは、遺憾至極である。もし彼をして少しく私智に富みたる人ならしめたならば、
かのごとき始末には至らなかったであろう。
かかる例は古人にもいくらもある事である。ゆえにその跡方だけにつき、その人を論評するときには、大変なる相違を生ずるものである」
山岡鉄舟 重野本人が実証史学を広めちゃったから薩摩関連は史料検証が厳しいんだよな
その場にいなかった人が噂を語った史料は佐幕側の研究だと採用されるが
薩摩だと取り上げられない
このスレはそれ以前に、重野の書いてる西郷の欠点は奄美で本人から聞いたってのを故意に省いてるし 故意に省いてるって「西郷の欠点については本人も自分でも言うとった」という曖昧な文言かな?
故意でもなんでも無い、過去スレで既出の話題だな
重野の西郷評の本は持ってるので何でも聞いて下さい
たしか上の老害先生は持ってなかったはずなので
老害先生は記憶力が落ちているのか、過去スレでさんざん自分で墓穴を掘った話題を繰り返しているように見える
迷惑なので注意してください
制御できないのならそれはもう終活に入る時期ですよ それ以前に重野の語ってる話の中に重野が現場にいて実際に見たものがどれだけあるか
ってことなんだけどねw
まあここで必死に叩き続けてる人は投影性同一視だなーとは思うわ 老害先生、それは現場主義という名の精神論ですね
たしか老害先生の現場って奄美の西郷謫居跡で観光ガイドから話を聞いて
何かを「見た気になる」という超精神論でしたよね
心から言います
終活してください うちの会社にも「絶対服従の部下は可愛がるが、意見を述べてくるような
部下に対しては極端に冷酷」な、派閥を作りたがる管理職っているけど、
自分に自信がないアホにしか見えない。
西郷は剣の修業もしておらず、学問もなかったから、自分に自信がなくて
自分の派閥を作りたがったんだろうな。 >>417
>事実として重野の西郷評はまったく一般的ではありませんでした
それを「事実」と言い切る根拠はなんですか。
重野、市来らの西郷評が取り上げられている司馬遼太郎の「翔ぶが如く」は、
もう40年以上前に、4年に渡って毎日新聞に掲載されたものです。
何百万部と発行され、家庭に配達されたのは「事実」です。
また司馬遼太郎が人気作家であり、公立の図書館で司馬の作品を一冊も置いていないところなど、
全国探してもないでしょう。
「翔ぶが如く」の単行本、文庫本はベストセラーとなりました。
そのうえで、重野の西郷評は最近まで一般的でなかったと言い切る根拠は何ですか。
少なくとも、西郷を批判的に語る人たちもいた、という認識はあったでしょう。
だいたい、近現代の人物でまったく批判のなかった人物がいるとは、一般的に考えられませんが。 >>429
なるほど何百万部の新聞の小説欄を全員が読み、かつ4年に渡って毎日重野や市来の西郷評が掲載されているのなら
それは立派な通説と言えるでしょうね
しかし事実は全然違いますよね
比率で言えば日本人の99%は司馬の小説など読みません
また部数などの数字にこだわるなら、翔ぶが如くの総ページ数と
重野や市来の西郷評が掲載されたページ数をぜひ教えてください
そのあたりの数字で日本人の何人が重野や市来の西郷評を目にしたかだいたい分かるでしょうからぜひ計算して教えてください
そのパーセンテージの大きさで、重野や市来の西郷評が一般的であったかどうか客観的に判断できるでしょう
わたしはいちいち計算しませんけど、比率で言えば日本人のほぼすべてが重野や市来という名前すら知らなかったと強く断言します
あたりまえです
重野や市来が一般的だったなんて言い出すのは日本で老害先生ただ一人です
どれだけ自分が頭のおかしいことを言ってるか気付いてください NHKやBSで幕末ものを観る機会が増えたけど、
明治維新、さりげなくディスられてないか?
大河のテンションにはついていけないっていうかフィクションまるわかりの
テンションの高さにポカーンってなるしかないし、その他のドキュメンタリーな
番組でも良い話っぽく演出されてはいるけれど
「それやっちゃいかんだろう!」という行いの数々がけっこう
つまびらかにされている。 敢えて例えるなら今じゃ〜良い夫、父、優秀な社会人と持て囃されているけれど
中学時代の同窓にはすこぶる「評判が悪い」
という感じよね? 西郷は神格化されていたので、社会人とか家庭人の例えはあてはまらないと思う 歴史や維新とかに興味無い人は、西郷さんのイメージは良き家庭人なのかもな
家で偉ぶってなかったとか、家の女たちを立てていたとか、奉公人に優しかったなど
それってわりと普通のことだろってことが、なぜか特別な人格者であるかのように語られてんだよな 良き家庭人ってどこが?
一人目の妻はスピード離婚。
二人目の妻は島に置いてきぼりで、後に三人目の妻が子どもだけ奪う。
三人目の妻はタダ働きの家政婦状態で苦労しまくり。今どきの表現で該当する表記は
ダメンズウォーカー?
で、西郷はというと月照と衆道やってそうな仲だったり遊郭行って愛人作ったりして
よろしくやっていた。
現代でも九州男は亭主関白と言われている。その実態はDV男だけど。
西郷の影響か元々そういう土地柄なのか、どっちなんだろうな。
そんなのを神格化して崇めるなんて、……無理無理! >>430
>比率で言えば日本人の99%は司馬の小説など読みません
それでは、>>415にある
>最近刊行された西郷本(史実を無視した顕彰本を除く)では
>たいてい序章で重野の「偏狭であった」という西郷評を引用し
>従来あった「包容力のある人格者」という西郷イメージが虚像であったとする論調の多いこと多いこと
「最近刊行された西郷本」は、いったいどれくらいの日本人が読むんでしょうか。
40年以上絶版になることなく本屋や図書館の書棚に並ぶ「翔ぶが如く」より読まれるようになる、
というのは考えにくいですが。
>また部数などの数字にこだわるなら、翔ぶが如くの総ページ数と
>重野や市来の西郷評が掲載されたページ数をぜひ教えてください
最近刊行されている西郷本では、重野や市来の西郷評にそんなにページを割いているんでしょうか。
その本をぜひ教えてください。
>なるほど何百万部の新聞の小説欄を全員が読み、かつ4年に渡って毎日重野や市来の西郷評が掲載されているのなら
>それは立派な通説と言えるでしょうね
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