明清帝国 五
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中華帝国史上、最大の版図を実現した清朝
濃い黄色がほば明朝の領域にして、現代の中国でも「内地」とされるところ。
薄い黄色が、清朝の大征服により拡大した版図
こうしてみると、清がどれほど巨大だったかがよく分かる
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Qing_Dynasty_1820.png 現代の中国はキャッシュレス化が世界一すすんでいる
貨幣経済の最先端だ 現金が信用出来なくATMすら偽札が混ざると言う後進国ならではの発展契機 しかし清朝末期にはアヘンの輸入で銀が流出するようになった
税金は銀で納める原則だったから、人々は日常使っている銅銭を銀に換えて
納税しており、銀価格の上昇は実質的な増税となった
すると、それだけ人々の生活は苦しくなり、商人も同様の被害をこうむった
このため、経済は慢性的な不況に陥り、失業者が増加して社会不安が高まった 税制改革すりゃいいだけ。そう言うのが得意だったから命脈を保ってたのが歴代中華帝国 割り勘でおカネを集めても、偽札が混じる厄介な国だった 銅輸出して銅銭にしてもらって帰ってくるっていくら何でも当時の日本人もおかしいと思わなかったのだろうか 原料輸出して加工品を輸入するのは何ら不思議な事ではない >>12
ナイジェリアは産油国だが、国内に十分な規模の石油精製施設がないため、
ガソリン供給は輸入に頼っている >>12
まあ、「船を安定させるため」という面もあったんだろうな それ本末転倒してねえか?
船安定させるためのもの積むために貿易してるって意味不明だろ 李氏朝鮮は国内に金銀は産出せずとの理由で、明への貢銀負担をかわしていたが、
ベトナム同様、中国と地続きの隣国というのは苦労するよな このスレの過去スレ1と過去スレ2に当たる本来のURLは、これだね
明清帝国
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1526171536
明清帝国 二
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1538151707
ここの将来の後継スレには、こっちを書いておく方がいいんじゃないかな
それと、「明清帝国 三」のスレが重複スレになったまま今もカテ内に残ってるようだけど、
もし、このスレ「五」が1000レスに達する頃にもそれがそのまま残っているなら、
ここの後継スレ「六」の扱いに替えて再利用してみてはどうだろう?
スレ参加者の皆さんのご意見は? 豊臣秀吉は、明を征服した暁には自らの居所を寧波にするつもりでいた
この海上交通の要を抑えることで、寧波からのびる海の道を掌握し、
東南アジア方面、さらにはインドにまで進出する機会をうかがおうとした >>21
民族間交渉の手法も補給線の確保もまともに組み込んでない時点で、戦略が戦略になってない
結局、思考基盤が日本列島・日本語圏の枠内でしか通用しない前提に則ったものに過ぎず、域外で通用するはずも無い その点、ヌルハチは毛皮交易を通じて、明の辺境官僚と接触する経験を積んでいた >>18
> それと、「明清帝国 三」のスレが重複スレになったまま今もカテ内に残ってるようだけど、
重複スレを立てたのは、自分のミス
削除できるものならしたい 清代に纏足しなかった中国人は
満蒙旗人と客家人だけ? >>30
娘に纏足させれば
資産家階級に嫁がせることができる。
なので貧乏家庭ほど無理して纏足させる。 >>32
下賤の者だけでなく、宮廷においても、転びやすいという理由で、
宮廷に奉職すると、纏足をほどくことになっていた
さらに南の広東地方では、纏足の風習はなかったらしい >>28
旗人であるなら、漢系の人も纏足しないんじゃなかったっけ >>34
漢軍八旗は纏足しなかった
ところで旗人たちも、だんだん華美な消費生活に溺れて困窮していったらしいな
やはり富は人間を柔弱にさせるのかな >>35
それに、漢軍八旗の新設よりも前から、満洲八旗の中にも漢系ニルがあったね 八旗というのは女真族の制度と中華帝国の制度を組み合わせた支配体制だよな
これに対して豊臣秀吉の帝国構想は、日本の国制を大規模にしただけで、
異文化に対する感覚が欠けていた >>37
異民族を統治するのも、経験がものをいう分野 何十年も試行錯誤しないと、安定した統治体制にならない 中国には昔から畜妾制があったが、妾にする女性は揚州出身がよいとされていた
崇禎帝の寵愛を受けた皇貴妃の田氏も揚州出身
父は揚州のしがない身分の軍人、母は妓女出身だった
聡明な彼女に書画の先生をつけて学ばせ、紳士の側室にするつもりでいたところ、
思いもかけず破天荒な出世となった 弘治帝の生母の紀太后の生涯は劇的。
ヤオ族の家族は明軍に討伐され、殺される。
彼女は捕虜として北京に連行。
後宮に入れられる。
書蔵で働いているときに成化帝に見染められる。
成化帝の20歳年上女房の万貴妃は嫉妬に狂い
妊娠した彼女の命が狙われる。
宦官が彼女をかくまって、ひそかに出産。
ことが露見すると成化帝の喜びは大きかったが
まもなく彼女は急死。
万貴妃による毒殺かもしれない。
子供は無事で弘治帝となる。
弘治帝は生母の実家を探すが見つからない。
名乗り出たものは皆偽物だった。
弘治帝は生母の故郷に廟を建てて偲んだ。 明の世宗がある日、最初の皇后陳氏と同席しているとき、二人の妃が茶を捧げた
世宗が妃の手つきをしげしげと眺めているのを皇后が見て、嫉妬に燃え、
途端に彼女は茶碗を床に投げつけ、立ち上がった
それを見て世宗が激怒したところ、動転した皇后は、ショックで流産し、
彼女自身もあえなく死んだ
陳氏は、世宗が即位したとき、伯母にあたる孝宗の皇后張太后のお声がかりで
結婚した女性である
もともと世宗は張太后のおかげで皇帝になれたのだが、そのことを知ってか
陳皇后も太后を笠にきて、世宗に対し、横柄にふるまっていたらしい 万貴妃姉さんこそ最高。
成化帝が幼いころから献身的に仕え続け
成化帝にとっては母親であり、姉であった。
即位前の成化帝は廃太子として、明日の命すら覚束ない。
多くの者が彼から離れていった。
唯一の味方が万貴妃姉さん。
成化帝が長ずると男女の関係となり、
成化帝即位後は最も愛される寵妃になった。
しかし年増女の嫉妬の闇は深い。
成化帝が他の女に産ませた子供を次々と殺す悪女と化した。 明朝では、天子や親王の后妃ならびに宮嬪を選ぶにあたって、
特定の家柄とか階級にこだわらず、広く民間から良家の子女を選んでいた
この制は明の太祖が定めたとされるが、この王朝の持つ庶民的性格を反映している >>44
漢朝や唐朝が外戚に簒奪された過去の教訓に学んだんだな
ついでに宦官の害も排除したんだけど、こちらは永楽帝がウヤムヤにしてしまった 永楽帝の時代に「魚・呂の乱」という事件が起こった
北京遷都直後の永楽19年初頭、かねて宦官と情を通じあっていた宮女の
呂氏と魚氏が、事の発覚するのを恐れて自殺した
呂氏の下女が捕らえられて尋問されたが、拷問に耐えかねて下女は
罪を認めたばかりでなく、永楽帝暗殺計画まで白状してしまった
これをきっかけに、宮女や宦官が次々と逮捕され、連座者は2800人にのぼり、
彼らはひとり残らず処刑された 宦官が出使、遠征、監軍、スパイなどの大権を得たのは、すべて永楽年間から 歴史ifの話になるけど、もしイギリスが清にアヘンを売りつけず、中国貿易から
撤退してアヘン戦争が起こらなかったとしても、清には海外からの銀の流入が
無くなるわけだから、いずれは王朝が滅亡したんじゃないかな 他の国が中国貿易に入って来るから銀の流入って意味だと然程変化ないと思われる 現在の紫禁城は清朝になってから造られたもの
明では宮殿の基壇の磚は、臨清(山東)にある宮廷直営工場の
ものしか使わず、木材はすべて楠をつかった
清では磚は民間のもの、木材は松にした
明は清に比べて万事に贅沢だった >>45
大義名分ない簒奪やから士大夫が靡かず宦官は使わざろう得なくなったせいやね 李自成って暴虐の限りを尽くしてるよな
もともと残忍な男で、人を殺すと足を斬り腹を開くことなど平気でやった
洛陽を攻め、神宗の愛子だった福王を捕らえると、これを殺してその生き血を
鹿の肉入りの酒に混ぜて、「福禄酒」と呼んだ >>55
自己防衛に勝る大義名分は無いと思うんだがな
それとも大人しく死ねば良かったのか >>56
まあ福王については元々から嫌われてたみたいだし 張献忠は武昌を落として明の楚王を捕らえると、
籠に入れて揚子江に沈め、王の一族や庶民を殺して
次々に揚子江に投げ込んだので、江上一面に
浮屍が重なり、ひと月以上も魚が食えなかったという 明の皇族は先祖が悪業過ぎて全く同情する気が起きないね ちょっと教えてくれ。
Wikipediaのホンタイジの項目の生涯 生い立ちのところ
> ホンタイジは11歳の時に生母のイェヘナラ(葉赫那拉)氏を亡くした。
> 以後、マングルタイ、デゲレの生母のフチャ(富察)氏に面倒を見てもらった。
> マングルタイはヌルハチの五男なのでスンジャチ・アゲ(sunjaci age、五阿哥)と呼んで敬意を示した。
敬意の対象としてジャチ・アゲと呼んだのは、養育者たる継母? 異母兄? >>54
愛妾の陳円円を李自成の部下に奪われたからじゃないの? 李自成は青年になると、駅卒になった
これは官設の宿場で働く運搬人夫で、重い荷物を取り扱わなければならないので、
幼いころから身体が強くて力持ちだった彼にはもってこいの仕事だった
ところが明朝は財政難に迫られて官設宿場の人員大整理を行い、多数の駅卒を解雇した
陝西省では未曽有の大飢饉に見舞われていたので、失業した彼らは強盗集団を形成した
李自成もその中の一人だった 明代の中国人で陳元贇という人物がいたが、彼は日本に渡来して尾張家に用いられ、
元贇焼という陶器を製作し、藩侯のために定光寺藩祖廟の設計に参画し、
煎茶を普及し、唐風菓子の製法を伝授し、少林寺拳法を紹介したと伝えられる
また京都では石川丈山と交わり、深草では元政上人と行き来した
彼は当時の中国の水準からみれば、ほとんど数えるに足らぬ文化人でしかなかったが、
まだ未発達の日本では一流の大家として通用したのだとか >>65
明末の三悪税とか、民衆を苦しめるようなことばかりやっているよな >>67
水戸光圀にラーメン食わせた人とは別なん? >>63
極東アジアの歴史って女奪われた怨恨云々多いな 明は満州族対策のために臨時的な増税を行い、これを満州軍対策付加税と称した
ところがこうして租税が重くなると人民の生活が苦しくなって方々に反乱が起きる
この反乱を討伐するために第二回の増税を行い、これを反乱平定付加税と称した
しかし満州族の勢力はますます強くなるばかり、内地の反乱はいよいよ
広がっていくばかりなので、明はさらに軍備を増強するために第三回の
増税を行って、これに軍事付加税と名をつけた 歴史用語の英訳の話になるけどさ、日本の明治維新と、清代の同治中興は、
それぞれMeiji Restoration 、T'ung-chih Restorationで、同じ単語を
用いているけど、この英訳のせいで英語圏の人々には東アジア史が
わかりにくくなってしまったんじゃないかな
明治維新が体制の変革なのに対し、同治中興は、いわば内乱の平定にすぎなかった >>59
張献忠は最悪
コイツのせいで四川省が無人の荒野と化した
カンボジアのポル・ポト派みたいな奴 >>71
軍事費で大増税するぐらいなら、
北宋や南宋が遼朝や金朝に莫大な歳幣贈って平和を維持したように、
明も後金国に歳幣贈ればよかった
弱い明の軍隊に費用投じても無駄金にしかならない >>72
東洋的停滞→欧化近代化だから、結構なRestorationじゃん? >>75
結局維持できてないじゃん。
北宋→南宋で随分と領土減ってるで >>77
例え半分になっても構わない
隋による統一まで、魏晋南北朝なんてほぼ半分
広大な大陸は統一王朝である必要はない
華北に清朝、江南に南明政権続いても良かった 宋が華北失ったのは、
宋が金と結んだ盟約たびたび破って金を激怒させたため
宋の約束違反で、自業自得ではある >>79
約束を守るチャイニーズなんて居ない
貢物納めめて臣従してたのに、弟分にお小遣いやっていた意識で、
養ってやってる格下のヤツとの約束なんて守る必要が無いってなもの。
この、格上なら格下のヤツと交わした約束なんて反古にしていい、ってのが
儒教圏のクソ駄目なところだ。
金と宋の両方を滅ぼしたモンゴル帝国は、公官庁から儒教徹底排斥。 どこの並行世界だよw
日本と違って中国は約束(信)が大切にされた文化圏だよw 漢字で書いたら
?是真的?
這是眞的?
庶民は、段ボール古紙の肉饅頭
政府は、二千年の友邦と言った翌週に戦車で攻撃(中越“懲罰”戦争)、共産主義の大先輩とほめた翌日に戦車で攻撃(ダマンスキー島事件)
それが信の国のやることですか? 商いは信用と信頼
重商主義のモンゴル帝国では、国是も同然。
余ったものから必要とするところに渡るところで、価値が増大する、
お互いこっちに余ってあっちが欲しがっている物を出し合えば富は増大する
ということが体感的に判ってるからな。
儒教的価値観の
商いは奪い合いのゼロサムゲーム
ってのは害悪でしかないのよ。
騙して出し抜いての儒教では国が痩せる
だから
一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐
ってなものよ いや商業のやり過ぎは格差の拡大を招きモラル低下と社会不安に繋がるのは確かだぞ
今の世界も金融や資本が大きくなりすぎて格差が酷いことになってる
儒教の農業重視と商業軽視は現代にすれば労働者を大切にしようみたいな感じでしょ >>89
売買取引はゼロサムゲームとして、いかに自分の取り分を多くするか、相手を出し抜くか誤魔化すか
というような支那人のやり口は、どうなのさ? >>74
張献忠は一日でも人を殺さないと気がめいってしまうという人物だった
そこで何かと機会を作っては人を殺そうと考える
国王と名乗った後、あざむいて科挙を行うからと布令を出し、
知識階級の子弟を集めて虐殺した
大殺戮の後、彼らの筆や墨を一箇所に集めると、大きな築山ほどになった
また新年に部下の官僚が拝賀に集まったところに数十匹の犬を放し、
その犬が立ち寄って臭いを嗅いだ人を引き出して有無を言わさず
斬り殺して愉快がった >>89
ガチ農本主義、貿易制限、身分制は士農工商、公認推奨の思想は儒教の江戸時代なんて、働く人を大切にしなかったじゃん。
百姓とゴマの油は搾るだけ搾れ、だったじゃん。丁稚に人権無かったじゃん。 凌遅刑が中国で行われるようになったのは、契丹族が建てた遼の時代かららしい
明の剥皮も、元朝を経た後の朱元璋の時代のもの
近世中国にあらわれる残酷刑は、北方遊牧民の影響を受けたものなのかもしれない >>94
じゃあ、>>89の人の言う、儒教・農本主義なら労働者を大切にする、ってどこから出てきたの? >>95
そりゃそうだ。漢人にとって人肉は御馳走だもん。食べ物を粗末にしてはいけませんってなもので、苦痛系の処刑に思い至らん。
ってか、朱元璋って江南方面の人ではないの? え?今更、五倫とか五常とか説明すんの?
士大夫層と平民の違いとかやんのはめんどくさいわ ああ、そういうことか。
遊牧民は羊や駱駝を大切にするよね
それと同じ感覚で、働かせて良し、搾取して良し、殺して食って良しの
漢人政権は農民を大切にするのね。 パヨクの見えてる漢人や儒教は、どんなふうに農民を大切にしているの?
ってか、毛沢東ってガチ焚書坑儒なひとだったよね。
造反有理愛国無罪って、旧来の知識人は敵とばかりに、曲阜も紅衛兵に焼かせたよね 批林批孔
毛沢東の政敵・林彪と、古代の思想家・孔子を並べて批判するのもオカシナ話し >>102
スレ違いの話題を延々続ける猿が人を偉そうに批判してんなや 並べるのはおかしいかもしれんが、文化大革命で、寺とか孔廟とか道鑑とか破壊しまくってたじゃん? 乾隆帝以後、歴代の皇帝はことのほか円明園を好んだ
紫禁城内の宮殿は、明代の規模をほとんどそのまま復興したものであって、
建物がやたらに大きく、住居としてははなはだ都合が悪くできていた
歴代皇帝はその中でなるべく小さい養心殿という建物に住んでいたが、
それでも大きすぎるので、西側の一部を小さく仕切って住んでいた
なんだか間借りのような状態だった
ところが円明園は別荘であるため建物が比較的小さく、さらに今度は
洋風の建築ができあがると、快適な住宅になった マカートニー卿一行が乾隆帝に謁見した後、盛大な宴会が開かれ、離宮内の建物や
庭園も見物させてもらったが、その豪奢なさまは人目を驚かすばかりで、
とくに西洋製品は時計でも地球儀でもなんでもそろっており、それが素晴らしい
逸品で、マカートニーらが持ってきた献上品は、これらに比べると恥ずかしい
程度のものであったという
このときの乾隆帝からイギリス国王への下賜品の中に、東晋の顧ト之の
『女史箴図』があったとされる 明末の三悪税に耐えかねた人々が軍隊に入る
↓
今度は軍隊への給与が滞りがちになる
↓
残された道は盗賊になること
このような盗賊集団の中で頭角をあらわしたのが李自成 儒教圏だから、兵隊に給料出さないでしょう。
そのかわりカツアゲ御免だよ。
民衆からすると、盗賊も兵隊も同じものだよ >>103
動機や謳う理屈は違っても、やったことは同じじゃん。 >>98
一応、明・清も儒教が国是の一つだったでしょう?
説明してよ。 中華民国期の議会の議員は、日本人が苦労して漢字語に翻訳した西洋由来の単語を
意味も分からずにふりまわしているだけだったというのは本当ですか? ってか、歴史に於いて、宗教は外せない命題だよな。
どの政権がどういう宗教を公認・推奨していて、政策運用に大きく関係してきている。
支那史では、儒教・道鏡・仏教は外せないだろ。明初は道鏡が強かったが支配が固まるとほぼ儒教一本やりに。
清国も関中を攻める大義名分が簒奪の奸臣を討つ、だったろ >>113
中華民国は民主主義国家じゃないので議会も議員も存在しないのですけど
宋教仁が暗殺されなかったパラレルワールドから来た子かしら? >>121
南京って台湾にあるの?
1928年とか1937とかって台湾は日本領だったはずだけれど、そんなところに戦争敵方の議事堂があったりしたの? >>117
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1%E9%81%B8%E6%8C%99 中華人民共和国すら議会があって共産党以外の政党も存在する事になってるからな 議会やってんじゃん。なんか大きな劇場みたいなところになん千人も集めて、やってんじゃん。
尤も、4桁人数あつめてはほんまもんの会議にはならんよな。
経営学だと50人でももう碌な会議にならんというに。
政党? その政党を公認するのが、一党独裁が党是の人民共産党だろ。話にならんよね。
国是からして一党独裁、国家運営と党利とががっつり一体化しているのに、名目的に許可している他政党なんて、
資本主義国の企業でいうと、同業の完全子会社みたいなものだろ。 >>125
不満があれば革命が起きる国だからあれでいいんだよ 今現在もSDGSとかダイバーシティとかよく分からない単語を振り回してる国があるらしい >>125
中華民国の話ししてるんやけど
>>117 中華民国の第一回総選挙(1912)で第一党になったのが国民党 今も日本の首都が京都だったり
建国から一貫してイスラエルの首都がエルサレムだったり
西ドイツ成立(東西ドイツ分断)から再統合までの間の西ドイツの首都がベルリンだったり
するのと同じかい? >>133
首都の定義と、京都が首都ではない。もしくは、京都からどこに首都が移されたかその根拠となるものは何か、というと、
結構難しいよ? 難しがってるのは現実を認めたくないイケズと呼ばれてる集団のみ じゃあ外国人に日本の首都は京都ですって堂々と主張したらいいよ思うよw 現実に首都がどこかよく解らん国いくつかあるしなあ。カザフスタンとかタンザニアとかミャンマーとかイスラエルとか。
オランダとか台湾とかインドとか首都機能が首都に無かったり首都近郊に分散していたりとかもあるしな。 孫文は過大評価され、袁世凱は過小評価されているように思う 孫文の過大評価はわかるけど袁世凱は妥当じゃね
帝政に戻るとか時代錯誤だし 袁世凱は皇帝になろうとしたが、子飼いの部下たちですら、
それでは自分たちが大総統になれなくなるというので帝政反対に回った 騎馬軍団にいっつも蹂躙される支那大陸
さすがに現代じゃ無理やが >>141
近代以降は西洋諸国か日本だね
これからアメリカEU日本が衰退するにつれて中国の力は空前のものになる可能性もある
中国特有の政治腐敗も強大な騎馬民族に対抗するために権力を集中させる必要が生じた結果起こったことだろうし
インドの発展が新たな脅威になる可能性が1番大きいけどチベットで水源押さえるのとアメリカよろしく民主主義と民族問題に介入できれば何とかなるか 清朝が北京入りした年の11月から翌年にかけて北京に滞在した日本人の記録
食べ物については、「魚鳥、羊、豚などを水炊きにし、醬油をつけて食べる
味噌炊きもあるが、味噌の味は日本と違い、口に合わぬ」
また、飯も汁も皿に入れ、箸とさじで食べる
酒は粟焼酒
服装は、上着は毛皮だが、毛のほうを裏にして、表はさや緞子やしゅちんである 表はさや緞子やしゅちんである
というのはどういうことなん? >>145
上着の裏地は毛皮で、表地は、さや緞子や、しゅちんなどの
高価な織物にしていたという意味 ヌルハチの時代、八旗兵の出陣を見聞した朝鮮人の記録が残っている
「満州族の兵糧は、わずかな米の粉末を水でこねたものだが、四、五斤分で
六、七日間は餓渇に耐えられるし、馬も同じく七日間は草を食べずに
走ることができるという。野外では雨雪や酷寒でもごろ寝ができる。
いざ出陣というと、全員勇躍し家族総出でよろこぶ。そして獲物の多いことを
祈願し、みな奴隷をひきつれ略奪させた」 先祖は五胡時代ブイブイ@dいわせてたのに2dこの時代は女真に敵わなくなるくらい弱兵になっちまうとは情けないのう エセン・ハーンに圧迫された後、女真族の中でも、
南満の主流だった建州衛は、東辺道の山岳地帯に逼塞していた
一方、北満の海西衛は、昔の金王朝の子孫であることを誇り、
建州族とは方言も違い、風俗も白衣を好み、顔に入れ墨をしていた >>151
功臣を粛正しなかった、
河内源氏政権は本家筋断絶、血統だけは良いお公家さん宮様の傀儡将軍
後醍醐天皇は島流し
再び盛り返してきた第二次河内源氏政権は、史上最悪の内乱時代
織田信長は殺され、豊臣は政権丸っと取られる。 >>154
御身内だし。
身内びいき過ぎるのもあかんけど、身内に情を掛けないのはもっとダメよ。
だって縁戚関係が安全保障にならんでしょう。 明国清国の重要人物とか役職とか重大な事件の起こった地名とかに上野介とかあったっけ? >>155
朱元璋は子孫を優遇し過ぎた。
諸王に封じて、贅沢三昧。
しかも子沢山で、数が増える一方。
その分、国家の財源が失われる。
明末清初の動乱で朱一族の大半が殺されるが、
民衆の怨嗟の対象となってたからだ。 殷の商王朝なんかは今でも末裔がわんさかいる
まあ、実際に信用できる史料で家系が辿れるのは2世紀ぐらいまでらしいが >>159
孫の代に削藩しようとしたら、皇子の一人に大暴れされて、系の断絶交代。 康熙雍正乾隆のスーパウルトラ名君オールスターズ凄いよな >>162
康熙帝と雍正帝は確かにすごい
乾隆帝はちと微妙な気が
勢い任せな感じがするし、絶頂は衰退の始まりだったような
楽隠居して若いもんに任せればまだよかったけど、それを出来ずに粘ってしまった 雍正帝は中国ではあまり人気がないらしい
中国人は金を気前よく使って、文人をちやほやするような皇帝を好むのだとか 乾隆帝でフーゾクで梅毒貰ってんだよな。
ってか女真人は王侯貴族もフーゾク行くのか、金も宋の宮殿をを攻めてかっ拐ってきた後宮の女をフーゾク送りにしているし ミャンマーとベトナムで大惨敗してるのに
勝った勝ったと言い張る乾隆帝。 >>168
やっぱりこれ
人々からそう呼ばれたていうならともかく
それを自称してたていうのがね
乾隆帝はアイタタな人ていう印象になってまうわ 康熙帝の時代は海外から銀が流入してこなくなったのでデフレ不況だった >>162
康熙・雍正に並べるなら順治帝のが相応しい気がする 173は一般に康熙雍正乾隆がセットで扱われてるのは知ってる上での感想ね 乾隆帝は浪費しすぎだと思わね?
円明園や熱河の普陀宗乗廟の建設に、康熙帝の真似をしての江南地方への6度の行幸
しかも、遊びが目的の大名旅行であり、費用も康熙帝のときの10倍もかかった
さらに十全の功を誇った軍事費 皇帝が浪費してもその金が国民に行き渡れば国が衰退するどころか発展しそうなものだが
中華帝国の生産力でも無理だったの? 大規模事業とかはそういう側面もあるんで、一概に失敗だったとは言えない 経済成長が人口増加に追い付かず
一人当たりのGDPが低下。 倹約を美徳としていた満州人が贅沢やり出したら、
明の万歴帝みたいな暗君と変わらない
乾隆帝の後半ぐらいから清朝は下り坂
王朝を腐敗させる贅沢は敵だ 乾隆帝の時代には特権階級にあぐらをかく満州八旗も堕落し、
むかしの精悍さはもはやどこにもなかった >>180
一人当たりGDPが低下してるんだから緊縮財政はさらに悪化させるだろう。
散財のおかげで仕事にありつけた人々も多く、
逆説的だが放漫な支出による積極財政が王朝を長持ちさせたとは考えられないか? 乾隆帝が一代で使った金額は天文学的数字だったが、それでいて、
彼が死んだときには、国庫になお7000万両の財が残されていたという >>181
どんなに精悍で武人の様を失わずにいたとしても
元々、満洲八旗の武力だけで圧倒的多数の漢民族を従わせることはできない。 農地に羊を放せばいいのよ
遊牧民は羊を食べて精力もりもり
農民は餓死もしくは共食い >>186
屋台で売ってた羊肉の串焼きが美味いぜ。
海外移民が進んだのは国内で食い扶持がないから。
台湾への渡航者たちの話を中国語で読んだことがあるが、
悪徳業者のぼろ船に乗せられて、
途中で沈んで海の藻屑になったのが無数にいるらしい。
棄民だよね。 >>180
万暦帝は本当に暗君なのか?
明代で最高の好景気をもたらしてないか?
秀吉の侵略を断固撃退したし。
うるさい諫言官僚にウンザリして皇帝業務をサボタージュしたが、
頭の固い官僚共の方が悪い。 アヘン戦争から200年遡ること17世紀中期にイギリスと明朝の間で一度紛争が起きたことあるらしいね
今の珠江デルタ辺りでジョン・ウェッデル率いる私掠船4隻で陳謙率いる明軍を敗退させ虎門地区を略奪したらしい 清朝であれだけアヘンが蔓延したのは、中国側にも、「窯口」や「会党」と呼ばれる
中国人ブローカーがいたからなんだよな
禁を犯して外国勢力と内通し、密貿易を行ったという点では倭寇と同じ 儲かるなら犯罪だって平気なのが中国人でしょうに
ってか、盗まない犯さない中国人なんて居るのか? 自制が利く人利かない人、どの国民どの人種にもそれぞれ居るけれど
中国人だけは犯罪に躊躇の無い、根っからの犯罪者、生来の盗っ人だ。 >>196
何言ってるんだよ
生まれながらに他人を見下し弱いものを虐げ他国には好んで侵掠するのが日本人の民族性だらう もとからおめえのものでもないものをわがものと思い込んでる
アホなのか欲深いのか根っからの盗ッ人なのか それは北海道や沖縄や小笠原諸島を自分の領土と思ってる国の人間が言っていいセリフではないわな >>200
きみ、歴史に詳しくないね
そんな国は世界中にごまんとあるよ 清代には経済と文化の中心に、蘇州だけでなく揚州が加わったな
揚州は塩の都であり、一時、その繁栄は蘇州を圧倒するほどだった
揚州では庭園、料理、芝居のほかに、学問と絵画も盛んになった
塩商たちは著名な学者を招いてパトロンになり、大金を投じて
珍本を蒐集し研究を支援した
また、絵画はいわゆる揚州八怪として知られている >>189
緩くて好景気な世の中が大正義な現代世界にいたらわりと悪評は立たないタイプかもな、万暦帝
皇帝業務やる気ないからテンプレの強権批判とかもされにくいし >>202現代中国同様日本は全然問題ないと言う事だな >>202
21世紀の現代にやってるから中国は野蛮なんだよ。 "大明帝国 朱元璋"をついに全話視聴した。
1話目から惹き込まれ、最後までダレることなく面白かったわ。 朱元璋は「六諭」を発布して民衆教育に乗り出したが、
これはそれまでの中国には見られなかったこと
中国社会では、士大夫層と庶民の間に断層があり、
庶民は野放しで、自然児のままだった
これに対して朱元璋は「六諭」を全国の庶民に月六回唱えさせた 「孝経」を三老に朗読させて民衆を教化とかもう漢代の頃からやってるぞ >>209
里老人を通して里の人々に教えられたとか >>190
17世紀ならまだ中国のが強そうなのに負けたのか
まぁ小規模な戦いだから何だろうけど 17世紀中期の明なんかもう最末期やん
軍ももう士気なんかほとんど無いやろ 崇禎帝は流賊の討伐費として265万両、兵員不足にともなう
新兵の訓練費に730万両の税を取り立てた
その実際の使途はというと、流賊討伐費は彼らを
手なずけるための買収費につかわれた
訓練費はヤクザに武器を与え、またその給料にあてられたが、
いざというときには彼らはみな賊軍に走った >>214
流賊を手なづけて兵員の補充に使うようなことはしなかったの?
こっちにつくなら地位と役目とお給料を出すよ!って。 秦←宦官の専横によって滅びた
前漢←後宮に簒奪されそうになったことも
後漢←宦官の専横によって滅びた
晋←一族内の争い
唐←後宮に簒奪されそうになったことも
宋←官僚同士の争いで国力低下
明←皇帝が無能だったので滅びた
こう考えると明って潔いよな 明末は誰が皇帝でも滅んでただろ
有能とか無能とか関係ないわ だから、ヨーロッパ、回教圏、インド圏、北方遊牧圏、日本にあった中世型封建制が
支那圏には無いままだったろ 崇禎帝はむしろ有能すぎて、末期状態の王朝に合わなかった感じ
忠誠心など無意味と化した時代に、人を疑いすぎた >>220
清国の漢土支配確定(北京占領)が1644年
欧州三十年戦争の終結が1648年
ヨーロッパが完全に中世終わろうとしていた頃に始まったような国が、
いつから中世型封建制始めってんだよ? 封建制の方が中央にしか目が行ってない中央集権の地方官より外夷の侵攻に対し真剣になるかららしい インド、マレー半島、ビルマが侵略されるときに、安堵してくれるのがこっちのエンペラーでなくてイギリスでもかまわんわー
貢物よこせ領土削るうるさいよってにイギリス方に守ってもらうわー
主君の乗換する土豪が少なからずいて蚕食されていったのになー >>212
まだ大明の盛時だった頃からポルトガルさんから武器導入してたり
既に16世紀前半には優位性が地の利と物量くらいになってるしいつ負けてもおかしくないわな >>225
周の封建制と中世型封建制は結構別モノだけれどね ジョヴァンニ・アリギは、アダム・スミスが理想とした分業と協業にもとづく
自由な市場経済は近世中国で最初に、しかし政治的民主主義をともなわずに
実現した(「遅れた」ヨーロッパでは市民革命によって”強制”しなければ
自由市場経済をつくりだせなかった)と主張している >>228
改革開放政策か。20世紀も終わりにようやくだな。
その段に至ってなお民主主義を伴っていないことのが驚きだよ アンドレ・グンダー・フランクの『リオリエント』では、
近代ヨーロッパの急速な近代化は、18世紀まで一貫して優位にあったアジアが
一時的に低迷した200年間の例外的な出来事であるとされる >>231
いや、16世紀でダメじゃん。
チャイナの出先も、インドの出先も、ヨーロッパに一個も無かったじゃん。
回教勢が頑張って、バルカンのオスマン帝国領とか、ジンギス汗裔の王様を戴くクリミア王国くらいが、ヨーロッパに勢力圏もってたのがやっと。
ヨーロッパ勢の出先は、コロンボにコーチにゴアにカリカットにゴアにマラッカにシンガポールに澳門にマニラにセブにジャカルタにモルッカにディリにグアムに
16世紀の段階でいっぱいあった。
日本は倭寇でむりやり朱印船で公式に15世紀の間も明国や東シナ海・南シナ海のあたりと交易していたけど、東洋の国から鉄砲なんて伝わらなかったで。
種子島に直でヨーロッパ勢の船が一隻やってきて、ようやっとこ鉄砲伝わる。 注目するところによって評価は様々だろうが
西洋は新大陸征服で爆発的に勢力圏を伸ばしてるし近代に至って唐突に台頭したわけじゃないわね
17世紀には旧大陸でも最大版図のオスマン帝国と互角にやり合えてるし >>232
一人当たりGDPでは17世紀まで英国、日本、英国で差がなかったとかいう数字があったと思う。
ただ食い詰めた貧乏ヨーロッパ白人が主体の船乗りたちが命知らず。
異常に高い死亡率を全く恐れない。
インドネシアのバタヴィア白人在住者の統計があって、伝染病などで死亡率も高く、墓場へ行くようなものだった。
それでも東洋の豊かな物産が魅力的過ぎたということなんだろうね。 最近、「17世紀の危機」やポメランツの「大分岐」など、
ヨーロッパ史が直線的に進まず、多くの偶然と曲折の末に
近代化が実現したことを示す説が現れるようになった GDPって東西の比較でよく言及されるけどなんか胡散臭いんだよなぁ…
中世末(1500年頃)で既に一人当たりは英蘭が明を上回っていて近世(1600年頃)で差が更に拡大
という数字もみたことある >>232
>日本は倭寇でむりやり朱印船で公式に15世紀の間も明国や東シナ海・南シナ海のあたりと交易していたけど、
もう滅茶苦茶やな
倭寇は明の海禁令で公に貿易できないから日本と明の商人が組んで暴れてたわけで16世紀末に海禁令が説かれると急速に衰退している
それと朱印船貿易は江戸幕府が成立した17世紀以降の話やな 中国は、大航海時代以来、銀の流通に景気を左右される経済構造になっていたのに、
乾隆帝がそれに気づいていなかったというのがなんとも… >GDPって東西の比較でよく言及されるけどなんか胡散臭いんだよなぁ…
現代のGDPですら計算方法によって増減が激しいんで国際的には比較しずらい指標なんよね
歴史上のGDP比較なんてのは、せいぜい話半分程度に聞き流しといた方がいいもの >>238
で、明の商人との商いで、鉄砲は買えましたか?
倭寇も密貿易船も、朝鮮や琉球を介してのものも、結局船で何百何千の往来をしていたところで
明国から一丁の鉄砲ももたらされないまま、南蛮の一隻で大インパクトがきたわけでしょう? >>240
でもグロヒスでは結構重要じゃん
異なった地域の比較対象としてやはり生活水準の話は避けて通れないし 生活水準の比較をするなら生活水準の比較をすればいいわけで、それを算出方法も不定なGDPなんて単一の数値に簡略化しちゃうと数値が一人歩きする
ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだが、?シンプルすぎてもいけない >>243
確かに最高の指標と言えるけど
数百年以上昔となると推測の精度がちょっと分からんからなぁ… >>244
前近代なら、ゆとりがあれば、まず衣食住。特に衣食に費やす。
おなか一杯食べて健康なら、死亡率も病死率も低い、怪我人を放置せず回復する、子殺しも少なく、人口増える。
増えない要因は衣の不足、増える要因・減らない要因は食の充足だよ。
衣類の不足侮るなよ、産業革命で自動紡績・自動織機が発明された途端、その恩恵を受けた地域から人口急増だよ。 明って絶頂期もあまりパッとせず
その他はずっと皇帝もグダグダなイメージ
清は乾隆帝の代までずっと名君が続いて安定してるイメージ 定量的っぽく「分析」すれば、与太を信じる人がいるというよくある話 そりゃ具体的なデータ出した方が圧倒的に有利だからねこの手のネタは
数の多い方が勝つ 女真族、満洲族は最初は強くても少し漢化が進むとすぐに軍事的に弱くなるね。
金では対モンゴル帝国戦で戦力になってたのは契丹族部隊だったところ、
耶律阿海と石抹明安の手引きで契丹族が雪崩をうってモンゴルに寝返った時点で詰んでいる。
清でもアロー号戦争で一時は英仏連合軍を破りパークスらを捕虜にする戦果を上げた
センゲリンチン率いる蒙古八旗が捻軍に破れて全滅してから八旗兵は全く役立ずになった。
契丹族といいセンゲリンチンといい漢語を普通に話せる程度に漢化してるのに勇猛さは最後まで失わなかった。 >>252
元々半定住してた上
遊牧民のようには自らの生活文化にプライドを持ってなかったから
農耕文明圏の生活に馴染みやすかったんでしょ 女真族と同じように大明を震え上がらせたサムライ軍団も江戸に入るや弱兵化したそうだし仕方ない >>254
薩英戦争で英国海軍の旗艦の艦長を戦死させた薩摩藩士が居たし、
旧幕府側でも大鳥圭介が率いた幕府伝習隊や戊辰戦争の房総方面で
旧式の火縄銃を連続射撃する根来撃ちで兵力的に圧倒的に不利な中、
半数が討死するまで敢闘した元鉄砲百人同心の旧幕府兵は、
その時点の戦力で陸戦ならオランダの様な小国やドイツ統一前の
ドイツのプロイセンとオーストリア以外の諸侯国なら十分対抗出来ただろう。 清の自慢の八旗も特権階級化して
威張るだけの戦力外になったし 江戸時代後期になると、甲冑の身の付け方を知らない武士が大勢いた イェニチェリもそんな感じでお荷物特権階級化したし
どこもそんなもんや >>258
甲冑着けてたら薩長のミニエー銃やスナイドル銃で撃たれたら
生身で銃弾喰らうよりダメージ大きかったから、甲冑など着けない方がいい。 世襲的身分制を持たない中央集権的政治体制や、
純経済的な土地所有の性格という点で、
朱子学モデルは、日本やヨーロッパでは
近代になって初めて実現するような
国家のあり方をいち早く実現しており、
これを「儒教的近代性」とみなすことができる、
という説があったな >>261
世襲的身分制を持たない中央集権的政治体制は宋から
宋代にはまだ朱子学は主流になってない 日本では、「日本にはヨーロッパと同様の封建性があり、中国や朝鮮には
それがなかった」ことを理由に、日本の優位性を主張する「脱亜」的議論が
通説となっているが、むしろ、日本と中国・朝鮮との国家・社会体制の相違は、
日本が「儒教的近代」化ーーすなわち儒教的理念に基づく秩序化ーーという
東アジアの同時代的な動きに対応することができなかった点に求められるべきである
こういう説もある >>264
それって日本を遅れた国
中韓を進んだ国と位置付けるためのこじつけ論やん
現実の近代中韓のどの辺が進んだ国だったというのか
今の中国語とか東京に留学した中国人が持ち込んだ日本語の単語塗れやで 日本の優位性を主張とすること脱亜を唱えることは別の話だし
儒教的理念に基づく秩序化、を近代に結びつけるのがただの言葉遊びだし
馬鹿はこういうので自己洗脳するんだろな、って感じの文章 イアン・ブルマは「本来の儒教は道徳と政治哲学を扱うもので、
伝統的な中国文化が残っている台湾や香港では台湾民主主義や
香港のデモなどが示すように権威主義に反対している」と主張している
https://www.nytimes.com/2019/09/28/opinion/sunday/china-communist-party-confucianism-70-anniversary.html
"the recent protests in HK, as well as a vibrant democracy in Taiwan,
show that many Chinese are actively opposed to authoritarianism —
notably in places where traditional Chinese culture has generally been
better preserved than on the mainland" >>257
元々、満洲人の武力で中華全土を征服できない。
呉三桂などの漢人武将が率いる漢人軍団が主力。
八旗に必要なのは武力ではなくて、権威。
偉そうにするのが正しい。 1720年代には、まだ八旗は「風俗人心、尚属淳朴」などといわれたが、
その後しだいに変質し、華美、飲酒、賄賂、賭博、窃盗などの悪弊や犯罪に
染まっていった
さらに八旗の退廃に輪をかけたのが乾隆帝の濫賞政策だった
塞外遠征が行われていたころ、すでに八旗は精神的な衰弱や経済的困難から、
厚い恩賞なしには戦闘に出るのを忌避するようになっていた >>270
八旗で弱体化して役立たずになったのは、
満州八旗と漢軍八旗だろ。センゲリンチンの
蒙古八旗はアロー号戦争では近代兵器で武装した
英仏連合軍に昔ながらの弓騎兵で立ち向かって
一度はパークスらを捕虜にする戦果を上げている。
蒙古八旗は弱体化したのではなく、立て続けの
内乱鎮圧と欧州列強の侵略対応で連戦して
兵力が損耗して軍団としてたち行かなくなり、
それでも稔軍の鎮圧に出たものの衆寡敵せず、
司令官のセンゲリンチン諸とも全滅したからだろ。 八旗よりも更に役立たずと化したのが、旧明軍部隊の緑営
清朝後期には八旗も緑営も役に立たないので、
郷土防衛部隊として団練を組織することになる >>270
八旗が退廃した時期を考えると
やっぱり乾隆帝の治世は問題大ありやな
和珅にやりたい放題させてたのも乾隆帝やし
名君どころか暗君やわ 白蓮教徒の乱のころになると、郷勇や団練が反乱を鎮圧するようになったな 清代の満州には参匪や金匪と呼ばれる連中がいた
野生人参の密採をしたり、砂金採りに潜入したりする盗賊のことである >>277
乾隆5年に、満州に漢人の立ち入りを禁ずる封禁令を出した 東アジアの兵器革命の話だけど、文禄・慶長の役の初期には、
朝鮮の主要武器は弓矢だった
朝鮮は日本の鉄砲を研究させたが、製造が難しく、降倭兵から
技術を獲得する方向に向かった
降倭兵に鉄砲と火薬の製造にあたらせ、鉄砲隊養成の訓練都監を新設し、
降倭兵の中で射撃に優れた人物を教官に採用した
1595年には朝鮮で日本式の鉄砲を製造できるようになっていた フィリピン島ですらその100年以上前から火縄銃の生産開始してるってのにな >>282
明では鉄砲はほとんど普及しなかった
当時の明の主力兵器は大砲
逆に日本では大砲はほとんど普及せんかったから
(なにしろ関ヶ原で徳川軍が装備してた大砲がたったの2門)
日本と明では火器の需要が全く噛み合ってない 日本で大砲が普及しなかったのは、やっぱり地形のせいかな?? 中国に限らず大陸諸国では、城壁を破壊することが大砲の主な用途
日本の都市には城壁がないから、そういうニーズが乏しい
小銃の製造は精密機械工業で、日本人や西欧人が最も得意とするところ
アジア諸国の人々には難しい >>286
> 小銃の製造は精密機械工業で、日本人や西欧人が最も得意とするところ
> アジア諸国の人々には難しい
日本(種子島)に伝来した小銃は東南アジア製・・・ そもそも海外に、明が欲しいと思う物産がほとんどない
南米や日本の銀は交易で手に入れられるし >>288
> マラッカ王国の土人が造ったのか?
そうだぞ
土人って馬鹿にしてるけど東南アジアのイスラム諸国じゃ鉄砲生産は日本より早いからな 火縄銃は中国やオスマントルコやらペルシアでも広く作られとったじゃがのぉ 別に鉄砲生産に限らずとも青銅砲とかでも東南アジアのが進んでたよ 大砲はヨーロッパよりもトルコの方が質でも量でも上だった >>289
>そもそも海外に、明が欲しいと思う物産がほとんどない
めっちゃあるけど
例えば琉球はシャムから瑪瑙、木香、丁香、錫、象牙、燕巣、胡椒、砂糖、蘇木、犀角を購入して
明で売りさばいて陶磁器や絹を購入してさらにそれをシャムで売りさばく何てことをして莫大な富を手に入れていた 清が自給自足できるから貿易必要ない理論は大分暴論だと思う
んなこと言ったらあの時代自給自足してない国のが珍しいだろ >>294
> 別に鉄砲生産に限らずとも青銅砲とかでも東南アジアのが進んでたよ
ドゥマク王国が16世紀初頭に3000人のマスケット歩兵をマラッカ王国に援軍として提供してるけど、そういやこれ長篠より半世紀以上も早いんだな >>292
当時のマラッカ王国は、ポルトガルの植民地になってから、だいぶ経ってるが
ポルトガル商人が日本に持ち込んだ鉄砲は、原住民が製造したのか? >>293
火薬が使われ始めたのはアジアだし、打ち上げ花火みたいな火砲もアジア各地で作られた
でも、それと西欧近代が生み出した小銃・大砲とでは、性能が段違い >>301
> ポルトガル商人が日本に持ち込んだ鉄砲は、原住民が製造したのか?
銃の特徴的にはそうらしいな 日本に伝わった鉄砲は引き金を引くと火縄の火が火薬によって点火して、
鉛玉を発射する火縄銃
このような鉄砲の構造はあらゆる点でヨーロッパのものと共通する部分がない
火縄挟の取り付け位置、火縄挟を起動させる弾金、火蓋の構造などが
日本と東南アジアの火縄銃で共通している >>302
>火薬が使われ始めたのはアジアだし、打ち上げ花火みたいな火砲もアジア各地で作られた
>でも、それと西欧近代が生み出した小銃・大砲とでは、性能が段違い
そうよね
特に大砲の性能や生産体制なんかは15世紀の時点で既に西欧よりもトルコの方が段違いに優秀だったもんね
そしてそのトルコの大砲が西域貿易で広まったのがアジアの大砲だもんね 当時の東南アジアで現地生産されてた銃は普通に西洋式マスケット(の改良版)だよ
あたりまえだけど、南蛮人との接触も西洋式マスケットの現地製造を始めたのも、南アジアや東南アジアの方が普通に日本より早いからね
特にベトナム製の銃はヨーロッパ製や後の日本製と比べても高威力で静音性に優れて命中精度が高く、ベトナム銃はヨーロッパ人からも「世界最高峰の小銃」として重宝されてた 鉄砲は種子島にもたらされた後にすぐ紀州根来に伝わったとか
その後、根来から雑賀に伝わり、雑賀宗が各地の戦いで使うようになった >>304
「東南アジアで改良された火縄銃が日本に伝来した」
と主張する人も一部にいるけど、主流ではない
「日本で改良された火縄銃が東南アジアにも流通した」
と考えるのが普通 >>305
オスマン帝国の大砲を製造したのはハンガリー人の技術者 明が文禄・慶長の役で使った軍費は莫大で、
その後はもはや遼東守備に十分な力を割けなくなった
遼東防備は急速に空洞化し、兵員は削減され、武器も粗悪化し、
糧秣馬匹も不足するありさまとなった
このような情勢から漁夫の利を得たのがヌルハチ >>309
> オスマン帝国の大砲を製造したのはハンガリー人の技術者
ウルバン以降も普通にオスマン帝国内で大砲が大量生産されてるんですけど… 少なくとも、時系列的には「東南アジアで改良された火縄銃が日本に伝来した」ってことだけは否定しようがないんだよな
もちろん、その後に日本で施された改良も東南アジアに還元されてただろうけど
改良は、どこか世界の一箇所だけでされるわけじゃない 明はせっかく西洋から大砲が伝わったのに、
清代になると軍事技術が停滞してしまった
これは江戸時代の日本の鉄砲も同様だけど 康熙帝はベルギー人宣教師フェルビーストに宣教を認める代わりに国家機密であった
青銅砲の製造法を入手している
フランス人宣教師ブーヴェの「康熙帝伝」によると康熙帝自身も伝統的な東洋の武術のみならず西洋の砲術にも熟練してたらしい
また朝鮮半島経由で取り寄せた日本の鳥銃を馬上で取り扱いやすいように改良し西洋の竜騎兵みたいな兵種も編成していた 歴史的に、ほとんど勝てた試しのないモンゴルやウイグルを、最終的に屈服させたのは18世紀の清朝
時期も手段も、西洋列強のアジア・アフリカ植民地化とほぼ同じ
それなのに、中国は「昔から中国の一部だった」と錯覚させることに(最近までは)成功していた >>317
東アジア軍事学の泰斗というかこの人しか専門家がいないけど宇田川武久の説でかなり信憑性がある
銃床が頬付け式かつ火ばさみの倒れる方向が銃口側で瞬発式火縄装置の特徴をもつものはマラッカ銃と日本の種子島銃しかないが
マラッカ銃は少なくとも1510年には製造されておりこれは種子島への火縄銃伝来よりずっと古い
また戦国時代に来日した南蛮人は少数の宣教師を除いてスペイン人やポルトガル人が現地人の女性を娶った結果生まれたメスティーソを
起源に持つヨーロッパ系の2世3世のフィリピン人やマレー人でありヨーロッパ本土からの人はほとんどいない
当然使っていた武器も現地の影響を受けたものであると考えられるわけだ >>317
> それは、一部の人が主張してる仮説
一部の人っていうか、一般的な説よ
いわゆる鉄砲伝来(1543)より先に南アジアや東南アジアで西洋式マスケットが生産されてた点については複数の記録に残ってるから誰からも否定されてないし
議論があるのは、後期の火縄銃の特定の改良点が、日本由来なのか他の地区由来なのかってとこぐらい 当時東南アジアにいた南蛮人の鉄砲はだいたい現地調達 >>324
ポルトガル人はずっといる。
国家としては衰退だが、
ポルトガル商人たちのたくましさは変わらない。
各国東インド会社もポルトガル商人ネットワークに頼るところが大きい。
清末以降のマカオだって発展し続けてる。 >>323
> なぜその技術が失伝したのか
別にに失伝してないが? 失伝どころか17世紀でも普通に小銃の先進国だったりする
それ以降は西欧の技術革新から置いていかれたってだけ
そこらへんの状況はだいたい日本と同じ 早い奴が遅い奴を追い抜くだけの話だから鎖国関係ないわな 琉球とか、アジア貿易の中心として経済的には栄えてたけど武器に関しちゃ全く発展してなかったな >>332
ずっと来てるよ。
本国が没落し、アジアの多くの占領地がオランダやイギリスに奪われたが、
国家に関係なくポルトガル商人たちは活動している。
1690年代にブラジルで金山が発見されたことが大きいかな。
18世紀にブラジル-アジア間の交易でポルトガル人が活躍してる。 1622年にポルトガル人居留地のマカオをオランダが攻撃した。
ポルトガルは明朝によって防衛力が制限されていて不利だったが、オランダ軍を撃退した。
これでポルトガル人の重要な拠点であるマカオが残された。
ちなみにマカオがポルトガルの植民地になったのは1887年。
それまでは居留するための献金を明清政府に払ってた。
あくまでも明清の領土だった。
オランダ軍の攻撃から明軍が守ってやれよ。 >>331
琉球は武器の所持を禁止されてた
島津の属国やからな >>337
> 琉球は武器の所持を禁止されてた
> 島津の属国やからな
島津に侵略される前の話だぞ むしろ日本が数学とかの基礎科学で東南アジアに追いついたのは鎖国時代 でも鎖国のせいで造船技術とかは東南アジアに大きく遅れをとったね 日本の造船技術が遅れてたのは鎖国以前から
江戸初期の朱印船貿易とかでも良質な外洋船は東南アジアから購入してた
幕府は東南アジアの技術を積極的に研究させたが、最後までアユタヤ以南へは現地船への乗り換えなしには到達できなかった
ただ、どちらかと言えば決定的だったのは日本で天文学が未発達だったこと
このせいで遠洋航海技術士が育成できず、船を購入できても航海は外国人技士に頼らざるを得なかった >>258
よくもあんな重装騎兵がポニーちゃんサイズの木曽馬や奥州南部馬とかに乗ってたなあ、とか思ったら
騎乗を戦争しない江戸時代の士分の特権にしていたから200年の間に駄馬耕馬として扱いやすいような
小型のものばかり選抜されて全く騎乗できない大きさになってしまってたんだな。 >>270
同治帝もフーゾク通いで梅毒貰ってたよね >>331
琉球では鉄が産出しなかったため、武器を含めた鉄器が発達しなかった >>341
そんなの当たり前だろ
当時の東南アジアを支配していたポルトガル・スペイン・オランダその他は、世界の海洋帝国だ
海洋進出にかけてる意気込みが違いすぎる >>342
昔の馬がポニーサイズなのは日本だけじゃない、大陸の騎馬軍団だって同じだ
現代のサラブレッドは、西欧近代の品種改良が生み出した異種の生物 日本の造船技術が遅れてたのは鎖国以前から
江戸初期の朱印船貿易とかでも良質な外洋船は東南アジア(ポルトガル・スペイン・オランダ等ではなく)から購入していた
幕府は東南アジア(ポルトガル・スペイン・オランダ等ではなく)の技術を積極的に研究させたが、最後までアユタヤ以南へは現地船への乗り換えなしには到達できなかった
ただ、どちらかと言えば決定的だったのは日本で天文学が未発達だったこと
このせいで遠洋航海技術士が育成できず、船を購入できても航海は中国人・朝鮮人等の外国人技士に頼らざるを得なかった なんか一人だけやたらとアジアを馬鹿にしてヨーロッパ(と日本)に幻想を持ってる奴がいるな まあ、タイのアユタヤ王朝は独立国だったけどな
でも、マレー原住民なんか人食い人種だよ? 1511年に陥落したマラッカ王国ですらセーカー砲・カルバリン砲・ファルコネット砲など数百門揃えて南蛮人と戦ってたのとか知らなそう 英語版ウィキペディアだと中世期の日本原住民は首狩り族だったらしいね マラッカ王国が、ポルトガル商船と交戦して鉄砲の威力の前に大敗し、占領されたのが1511年
鉄砲を持ったポルトガル商人が種子島に来たのが1543年だな >>352
移動式ギロチンで反革命派の首を落としまくった、
フランス革命期のフランス人も首狩り族みたいなもん 南蛮人を撃退した独立王国ってアユタヤ以外にも腐るほどあるんだよね >>351
そりゃ、海洋貿易国家だから各地から火砲を集めることはできたが、ポルトガルの鉄砲には歯が立たなかった ドゥマク王国が3000人のマスケット歩兵をマラッカ王国に援軍として提供したのも1510年ごろだな マラッカ占領時、ポルトガル人は戦利品としてマラッカ王国の銃3000丁を押収してる >>353
> マラッカ王国が、ポルトガル商船と交戦して鉄砲の威力の前に大敗し、占領されたのが1511年
マラッカ王国が負けたのは鉄砲のせいじゃなくて内部分裂によるものだけどね >>348
自前技術で暦の校正ができず日食の度に社会不安になってた明国はアラビアまで船を送り出しているのに、
自前で暦の校正をやってた日本のが天文学で遅れてたのか? >>360
> 自前技術で暦の校正ができず日食の度に社会不安になってた明国はアラビアまで船を送り出しているのに、
> 自前で暦の校正をやってた日本のが天文学で遅れてたのか?
日本は中国の暦パクるだけで自前の暦作れるようになったのもっと後だよ
それすら中国書の研究だけど > そりゃ、海洋貿易国家だから各地から火砲を集めることはできた
それ以前から現地生産されてるけどな > 自前技術で暦の校正ができず日食の度に社会不安になってた明国はアラビアまで船を送り出しているのに、
> 自前で暦の校正をやってた日本のが天文学で遅れてたのか?
理由として日本の天文学が遅れてたことが挙げられるのは日本史研究での分析そのままだから、不満があるなら歴史研究家に言ってくれ >>362
江戸時代の日本人は、中国の暦や医学書と、西洋のそれとを比較して、中国のデタラメさに驚きあきれた
「もう中国は終わった、これからは西洋だ」
それが日本の近代化の原点だな > それすら中国書の研究だけど
緯度経度の概念がなかったせいで中国書に書かれていることの理解に時間がかかったらしい >>363
ポルトガル製や、後の日本製とは性能が比べものにならず、役に立たなかった そりゃあ「後の」日本製と比べりゃそうだろうな・・・ >>365
清朝の時憲暦は、西洋人の宣教師が作成に携わってので太陰太陽暦としては正確
江戸時代後期の天保暦も極めて正確
東洋医学の五臓六腑などはデタラメみたいなもんだが >>365
> 江戸時代の日本人は、中国の暦や医学書と、西洋のそれとを比較して、中国のデタラメさに驚きあきれた
18世紀中期以降の話やんけ 江戸後期の日本イメージで15世紀や16世紀を語ってたのか
そりゃ話が噛み合わんわ >>370
18世紀は「そういう意見も出てきた」って時代で、まだまだ中国学が強い
実際に>>365みたいな感じになるのはアヘン戦争(1839-1842)とかの頃になってようやく >>367
> ポルトガル製や、後の日本製とは性能が比べものにならず、役に立たなかった
実際には大いに役に立っていて、南蛮船にとって大きな脅威だった 東南アジアで戦ったヨーロッパ人部隊で実際に活躍したのは銃兵よりもパイク兵
銃はそこまで決定的な要素になってない >>369
孔子の時代から盛んに食人しまくってた支那人がなんで人体の内臓の配置について2千年以上不勉強なままだったの? 陰陽五行説にとらわれていたおかげで、科学的な分析が進まなかったんだな 我が子を割いて料理して出したら王様に褒められたとか
遠来の客に妾の一人を姿煮で出してもてなしたとか
愛弟子の一人が塩漬にされたショックでその後人肉塩漬か食べられなくなったトラウマの大先生とか
飢餓時に自分の子を食べるのがちょっとかわいそうだから隣家と子を換えっこして食べたとか
二本脚は親以外なんでも食うとか
「姜」「羌」「両脚羊」「喫人」「生蕃」とか
魏の国の求めに応じて卑弥呼が納めた貢物の「生口百人」とか
捕虜の用途は食材とか
枚挙が無いぜ。
大体、合法的な食人は、飢餓時にやむを得ずか、呪術蹴球的意味合か、で行われるものだが、
支那圏の場合は、どちらでもなく美味い御馳走として好んで食うことに特色があるよな。
呪術宗教的な食人なんて、文明化するとやらなくなるものだが、支那圏では、文字を使い、
史書や王様の伝記や体系的な宗教書なんかが登場した後でも、盛んに人を食ってる。
孔子とかそれこそ体系的な宗教書を編纂した人なのに、人を食ってた。 >>378
斉の桓公が珍味を食べたいと言うので易牙という人間は我が子を殺して料理にして献上した
その後宰相の管仲が死ぬ時に次の宰相は誰がいいかと桓公に聞かれて、易牙は主君に取り入るために我が子をも殺す輩だから要職につけてはいけないと言い残した
この当時ですでに我が子を殺す奴は非情だという価値観が出来ていたし、そもそも儒教の国では親が子を愛することは尊ばれたことなんだから、子供を殺して食うことが当たり前だった訳ないだろ バカ乙
呪術的な内容を除いて食人の風習なんてものが実証されたことは世界中で未だかつてない
そもそも人間が人間を食べたら病気になるってこともわかっている
そんな不自然な風習が持続するわけがないだろ 眠れない一族って本あるよね
祖先が人肉食やったせいで末裔が不眠と短命に苦しみ続けるっていう 「人肉を食べるのは悪いことであるという観念はあった」というのは、
「人肉を食べるという風習がなかった」ことを意味しない。
むしろ、逆だろ >>378
> 飢餓時に自分の子を食べるのがちょっとかわいそうだから隣家と子を換えっこして食べたとか
> 魏の国の求めに応じて卑弥呼が納めた貢物の「生口百人」とか
> 捕虜の用途は食材とか
> 枚挙が無いぜ。
日本の戦国時代の逸話ばかりやんwww 「人肉を食べるのは悪いことであるという観念はあった」というのは、
「人肉を食べるという風習がなかった」ことを意味しない。
むしろ、逆だろ
日本で「人肉を食べるのは悪いこと」という観念があるのは日本じゃ今でも盛んに人肉を食べてる証拠 鉄砲の話題で1人だけやたらとアジア人を馬鹿にしてヨーロッパ(と日本)人に幻想を持ってた奴がいたけど、>>378も同じ匂いがするな
マレー人のことも人喰いとか呼んでたし >>380
例外が、支那の喫人。
食人を忌避すべき悪事とは考えていない、御馳走として食べたり、
もてなしに出すと逆に褒められるような有様。 >>386
> 死な人が発狂しちゃったな
シナ人なら「シナ人は盛んに食人してた」とか言い出さんと思うが 日本スゴイと中国sageを拗らせすぎて頭おかしくなってんだろ 世界史板がこんなに過疎ったのはネトウヨが暴れたからだから、昔からいた人間はネトウヨに拒否反応があんだよ ネトウヨは現実の歴史の話できないのなら、学問板じゃなくてネトウヨブログのコメント欄あたりでネトウヨファンタジーしてろよ、としか というか、ここは歴史好きが集まる場所だから、ネトウヨみたいな歴史改竄主義者には厳しいってのもあるんじゃないかな >>374
> 東南アジアで戦ったヨーロッパ人部隊で実際に活躍したのは銃兵よりもパイク兵
> 銃はそこまで決定的な要素になってない
ナポレオン戦争の頃ですら銃剣の「剣」が活躍してたりするのよね
普通に騎兵突撃とかもあったし 日本の歴史にも人肉を食べたケースは出てくるが、大飢饉のときの農村とか、戦場で補給が途絶えた兵士とか、
極限状況での異常なエピソードとして語られるものばかり。
その点が、中国とは大きく異なる。
中国では、人肉の塩漬け・蒸し人肉・人肉の生姜焼きなど、さまざまな調理法が発達していた 唐代以降の話だね
隋の頃はまだ人肉を忌避してたのに何があったのか >>405
隋の頃は支配層にまだ拓跋人と突厥人の気風が残っていて、唐は段々漢化してきてダメになってんだろ。
大概の遊牧政権がそうだよな。
新進気鋭の時期から三代目四代目あたりから漢化してグダグダ 逸話みたいなもんを証拠として持ってくるとは
おバカか? >>411
???
どういうこと?
中国史における重鎮の論文なんだけど
まさか桑原も知らないの? いや、またと言われてもこの板にはほとんど来ないんだが……
そもそも論文見ればそんな内容じゃないことわかるだろうに シナ人とか書いてる論文がまともなわけないでしょーに 同時代の支那人が書き残しものを証拠にならんと言われれば、どうにもならんな。
劉邦も始皇帝も孔子もただの逸話だろ、って。 明清と全く関係のない話で荒らすのはやめろって言ってもやめねーんだろうな
ネトウヨっていつもそう
だから、全板で嫌われんだよ ネトウヨは社会性に欠けてるからな
団塊世代にとってのプロ市民と同じく、負け組・ダメ人間の受け皿になってる 洪武帝の孫の新安王は人肉食を殊に好んだらしい
太平天国の乱では西洋人が太平天国に加わることがあったが
人肉を市場で売る中国人を記録に残しているらしい >>424
紙に書いてることが全部本当なら世の中単純で良いよな 東南アジアとインドはイスラム商人のネットワークがあるから
マスケット銃もそりゃ早く来るだろ >>232
16世紀にはビザンツ帝国が滅ぼされてるからね
一応ローマ帝国だし
西欧の衝撃は計り知れないと思う 経済史家ジョヴァンニ・アリギは『北京のアダム・スミス』で、
18世紀の中国に、同時期のヨーロッパより発達した市場経済があったと述べている
アダム・スミスが唱えた自由主義経済のマーケットが、乾隆帝の時代に、
既に達成されていたと主張している
しかし、中国は物資も資金も豊富、人口は巨大で、労働力がタダ同然だった
そのため、生産コストを削減しなければならないという考え方がそもそもなく、
莫大な投資金や時間のかかる機械化へのインセンティブが働かなかった もし日清戦争の結果、下関講和会議で来日して
当地で狙撃され負傷した李鴻章が
即死していたら、その後はどうなったんだろう? >>416
逆じゃないの?
全歴史を通して、北は黄河、南は揚子江、東は東シナ海、西は化政回廊の入口までの地域を言う
呼称って、「支那」しかないじゃん。
「支那」と呼ぶな、とかいってのは、中共の息がかかったプロパン感田工作員じゃん。 中立だから「支那」と言ってんだよ。
東トルキスタンとか漠南モンゴルとか満洲とかチベットとか除いた部分で、な。 >>426
同時代の支那人が支那の習俗や出来事として食人を多数帰化身に記録して残しているのに、
それが史実でないというなら、もうお手上げ。 >>434
マルコポーロの見聞も同時代の伝聞だけど全て事実なん? 現代はともかく昔の日本人は普通に支那人と呼称していた そんな昔の論文を重鎮とか言ってありがたがってるの草
最新の研究は? >>437
支那ちう呼称自体、日本留学時代に孫文が清国人というのを嫌って、
日本の梅屋庄吉他の支援者に「我は支那人なり」と自称したんだが。
支那と使った根拠は、鳩摩羅什や玄奘三蔵以来の訳経僧が長年
サンスクリット語のチナスターナの音訳に当てた漢字名だから、
中立性が高いと孫文自身が考えたから。
むしろ、支那という呼称を広めたのは日本での孫文の支援者達。 明末に横暴を極めた宦官の魏忠賢が処刑された後、
虐げられていた民衆がその遺体を八つ裂きにして食ったと言う話しあったと思う 李自成軍が洛陽を陥落させた時、
洛陽に居た明の王族を殺して酒に漬けて食ったと言う話もあったと思う
食べることで征服感を満たすんだろ すごい恨みの晴らし方として相手を食ってしまう、っていうのが
中国の食人文化に飛躍するあたりが幼稚だな。 戦時中の日本でも、九州帝国大学でアメリカ人捕虜を食ったとか >>440
復讐として人肉を喰う風習はもう晋書に例が見られるな
まあこの頃はまだ嗜好品として食ってるわけではなさそうだが >>447
孔子の時代は既に嗜好品というか御馳走の扱いだけれど 孔子の時代は御馳走というより普通ではあり得ない珍味扱いでしょ 士大夫ならみんな味知ってるレベル、出されたら大喜びレベルのは、珍味というのか? 食人の慣習だったら日本でも珍しくないな
東京大学の人類学者であった鈴木尚は新田義貞の鎌倉攻めの際の死者を埋葬した材木座遺跡
を発掘したのだが無数の人骨からは人肉をはぎ取った際に出来る切創を持つものが多かった
氏はこれはおそらく食人の痕跡であろうと推定している
というのも古来日本では人肉は難病を直すという迷信からしばしば食人ががあったし
氏が医学生だった戦前ですら薬用目的での死体の盗難というのはたびたびあったことだという 江戸時代、江戸では人肉が売買されていた
幕末期に江戸からくる役人をもてなした地方の役人は、彼らを好物である人肉でもてなした >>451
そんな記述あったか・・・?
桓公が食べたことなったレベルだろ >>453
鎌倉って三塞している要害地勢だろ。
攻め方は決まっている、物資の補給路を断つ、兵糧攻めだよ。
実際に三方から新田方六十万余の兵員で包囲して、鎌倉方に味方するにも抜け荷しようとする食糧まで徴発しつくしているだろ。
で、飢餓の極限状態の食人だわな。
支那のように、主君や客に振る舞って褒められた、聖人君子の大好物だった、みたいな伝わり方してないのがその証拠だろ。 中華食材の逸品を集大成した「満漢全席」に人肉なんてないだろ
やはり戦乱や飢饉などの非常時に食べることはあっても、
平時におおっぴらに食べるものではないんじゃないの人肉 当たり前だろ
このご時世にシナシナ言ってる奴は例外なく馬鹿なんだよ >>458
孔子にそんな記述はないはず
多分醢のことを言ってるんだろうが、ただの塩漬け肉って意味だぞ
まして士大夫ならみんな知ってるレベルなんて記述はない ただの塩漬肉と解釈すると孔子は人肉食をしてないと言う消極的擁護 >>453
鎌倉攻めの時期の死者だろ。
戦争での死者が多数含まれているんだろ。
当時の戦争の武器ったら、刀に槍に弓矢に鉞。
戦死者の遺骨に刀傷のようなものがついていて当然、それを、食った証拠というのは、なんだかなあ。
煮たり炙ったり調味料の痕跡が出たりしたわけでもあるまいて。 >>461
満洲族には食人と犬肉食の風習がないから、食人は勿論犬肉料理も
漢側のメニューから外されてる。 >>466
なんで?
満側のメニューに無いなら解るけど >>468
清の皇族や皇后を出す八旗の名門の満州族貴族も漢側の料理くうから >>469
貴人の餐食なんて出されたもの全部に手を付けるわけではないだろ 嘘も100回つけば史実になるからね
ネトウヨ完勝なんだよなあ ★中国の人肉食の歴史 【まとめ】
■紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。
■618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
■882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)
■902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
■1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
■1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
■1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。
■四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。「殺人競争」
■1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1〜3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
■1965年、文化大革命、白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。百余の死体が香港に漂流して有名になった。中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。武宣県において食人行為を行った者は推定1万〜2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。 >>481
香港に何百も流れ着くくらいだから食べてなかったんじゃないの? 日中戦争(第二次世界大戦)で日本軍が南京の住民三十万人虐殺した物証出せよ
1989年六四天安門での死者が319だけの物証出せよ
胡耀邦の死因が病死という物証出せよ >>493
ネトウヨの人肉食主張は中共のプロパガンダと同レベルってことでいいすか? >>495
つい先月、中国共産党結党100周年式典とかやってたろ。
春秋戦国時代、魏晋南北朝時代、隋唐時代、明新時代の食人は、共産党関係ねーよな?
歴史捏造するなら辻褄くらい合わせろよ。
カイロ宣言に毛沢東が出てたような捏造して、総ツッコミうけたばっかしじゃん。
出てたのは蒋介石で、そのとき毛沢東は延安で食人に勤しんでたろ。 ネトウヨさんは何度惨敗してもネトウヨファンタジーのなかでは精神的に勝利してるからwww なんも物証出せなくてパヨクがー中共がーと話題そらし
ネトウヨらしいみじめな言い訳
予想通りでした 同時代の人が書き残しているものが証拠でなくな何よ? >>510
マルコポーロは現地人じゃないじゃん。
支那の食人については結構な長期間、現地人が当時の現地の様子を書き残してるで。 >>510
ああ、マルコポーロが東洋の珍品奇習を多数書き記しているのに食人に触れてない、っとことか。
西域人(色目人)の分類で特恵層、付き合いは、モンゴル人トルコ人ペルシャ人チベット人ばっかり。
人食いの現場を見聞きする機械も無く、日々、特恵層の宴席によばれてたんだろう。
現に、地名や事物の名称に支那語から直接ききとったおぼしきものが一つも無い。
すべて、モンゴル語やペルシャ語からの重訳や二重音写になっている。
ペルシャ語やモンゴル語は習得しても、支那人に接する機会が少なく支那語は全く解せなかったんではないか? いや憶測はいいんで
証拠出せよ
同時代の人が書き残してる内容がデマや嘘である可能性を1ミリも考慮してない時点で歴史研究に向いてないね >>513
単発ならそうだろうけれど、長期間に渡って、沢山の事例があるからねえ。 正史だけでも、400件を超える食人の記録があるそうだが
↓
中国歷史上的食人行為大致可以分为「求生性食人」和「习得性食人」。
中國歷史上因为乾旱、洪水、蝗災、暴政、暴民等天災人禍,經常發生饑荒,特別是政权更迭的战争时期更是災禍不斷。
吃人事件在中國歷史上史不絕書,如「易子而食」、「人相食」,《史記》、《新唐書》、《資治通鑑》、《明史》等史書都有詳細記載。
仅据二十五史统计,中國歷史上共有403起發生過人相食的記載。 >>514
そーいう虐殺の記録ではなく食文化としての食人をお前は主張してたはずだが?
んで考古的実証は? 五代十国期には、「朱全忠の虐殺のおかげで、人肉の相場が暴落した。
犬肉が500銭なのに、人肉はたったの100銭だ」という記録があり、
これをもって「唐代には人肉の市場が成立していた」とされている 学問に向いていないのは
文献の内容の精査すらせずヒステリーを起こすその性格だと思うぞ >>520
お前は何を精査したの?
証拠なんも出せてないけど 大抵のところの食人の記録って、もうあんな思いは嫌だ、人を食わざるを得ない極限状態は懲り懲りだ、みたいな論調なのに、
支那圏の食人の記述ではそういうものが全くなくて、我が子を割いて炊いて出したら王様に褒められましたとか、
遠来の客をもてなすために妾の一人を料理して出しました、ってぜひとも食べたい御馳走としての記述ばかりなんだよね。
孔子が塩漬肉食わなくなったのも、愛弟子が塩漬肉にされてしまったからで、別段、人肉を塩漬けにする是非を問う手のことではないし。 創作だが水滸伝でも相手を懲らしめる感覚でそいつの肉を食ってる描写があるな 憎い相手を辱めるには、「相手の肉を食らう」、「祖先の墓を暴く」という2通りの方法がある。
どちらも、世界中で中国人だけに特有の発想だ。
南京大虐殺に関する中国側の報告には、「日本軍の兵士は、中国人を辱めるため殺して肉を焼いて食べた」とか、「中国人の祖先の墓を暴いていた」といった記述がある。
どちらも日本人には無い発想であり、あり得ない。日本人の宗教観では、これは相手を辱める行為ではなく、むしろ逆で、本人が死者に祟られるだけだ。 項羽が劉邦に「お前の親父を煮殺すぞ!」と脅すと、
劉邦は「おう、そのスープを俺にも飲ませろや!」
と、平然と答えられたのが面白くなくて劉邦父を殺すの止めた、
て描写が正史である史記にも出て来るな >>529
シナ人とか書いてる太古の文章ドヤ顔で出してきてどうした?w >>530
太古も何も前近代の話なんだから典拠も前近代の話で変わりないだろう
いつになったら精査を始めるんだ? ここまで偉人のおもしろエピソードしか証拠とやらがありませんw >>535
政治プロパガンダに踊らされる情弱は学問には不向きだなあ なんかもう
どうやって言い訳するかしか考えてないな 項羽と劉邦のクダリ、
漫画の赤竜王にも出てたと思うけど、こんなことも知らないのか
偉大な歴史家、司馬遷の記述を否定したり、お話にならない どうでもいいけど明清関係なくね
食人の話なら専門スレ立ててやれよ 清の王朝もまた西洋の文物をわりと取り入れていたという
しかし日本の江戸時代と違って在野で蘭学が花開くようなことにはならず
基本的に皇帝のためのものだったという >>544
だから、史記の原文に書いてあるんだって >>546
ヘロドトスの歴史にも1つ目の怪物とかの話とか書いてあるけどその怪物どこにいんの?ん? 別にヘロドトスに現れてるヘレネスの食文化をいちいち否定してる史家はいないと思うぞ >>547
そんなこと言ったら、古事記のヤマタノオロチもどうなるんだ >>526
> 南京大虐殺に関する中国側の報告には、「日本軍の兵士は、中国人を辱めるため殺して肉を焼いて食べた」とか、「中国人の祖先の墓を暴いていた」といった記述がある。
普通に日本では昔からある日本の文化だしな >>548
論点すり替えもそろそろ厳しいぞ
早く答えろ 中国の史書には天子の徳を示す動物として麒麟や鳳凰などが現れたとかよく書かれてますけど
そいつらはどこに生息してんの?ん? >>554
> 少なくとも江戸時代には人肉の相場が成立していた
だから中国にもあってもおかしくない >>530
政治的・思想的に中立だからこそ、「シナ」「支那」なんだろ。 >>557
シナとかいってる中立の学者がいるわけないんだわ >>550
鈴木尚が行った北条と武田軍の戦闘死者を葬った首塚の発掘調でも死体を辱めた痕跡が見つかっているな
「沼津市千本浜の首塚と関東地方の中世日本人頭骨」 鈴木尚
人類学雑誌 第97巻 第1号 別刷 平成元年
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/bunkazai/shiseki/suzuki_c.htm
>本首塚人のあるものは、遺体から頭皮が剥がされている。
>同じ行為は新田義貞の鎌倉攻めの際、悪性の病の治療の目的で、性別、年齢に関係なく行われた疑いがあるが、
>本首塚ではある特殊な男性が目標となった疑いがある。
>本首塚人の頭骨の中に、鋸で断ち切られたと推定されるものがある。
>意図は不明であるが、脳摘出の疑いがもたれる。
脳摘出の痕跡が見られる人骨は氏の「骨が語る日本史」だと10代後半の女性のものとされている
氏もさすがに生きた状態で行ったものではないだろうと推類しているが拷問の跡という可能性も十分にある 知的障害者に理屈を説いても思い込みで返すだけという徒労感 ないと思いたいだけであって知的障害者呼ばわりはかわいそうだろ 物証ひとつも出せないのにコピペぺたぺた貼って今度は池沼のレッテル貼りとかやってて惨めにならんのか?w 意外だな
理屈に思い込みで返してるだけという自覚は持てていたのか 人肉食の証拠をひとつも出せずに思い込みで返してるだけの奴がなんか言ってるw 証拠を出す
↓
レッテル貼りで誤魔化す
というまんまブーメランになっていることは
流石に自覚できてないんだろうな
この知能だと その都度反証されてるのに証拠出してるっていいはるのは重度の知的障害なのかなあ >>567
何度も同じもん貼ってんじゃねーよスパム野郎が
スレ荒らしも大概にして消えろ >>568
論理を理解できない幼稚園児は掲示板に書き込むんじゃないよ >>569
ん?君>>566とは別人だよね?
まさかそんなに恥ずかしい逃げ口上言うわけないよね?
いやあ>>566くんのレッテル貼りに頼らない反証まだかなあ >>571
物証は?って指摘に対してずっと無視を決め込んでるのは何故なのか明確に説明して? >>572
???
急にどうした?誰だ君は?>>566ではないんだよな?
俺自身は物証なんて言われたことないぞ?
で>>566くんはいつになったらレッテル貼りに頼らない反証してくれるんだい? >>573
関係ないならなぜ議論に急にしゃしゃり出てきたの? >>558
じゃあ、黄河・淮水・揚子江の中流域下流域を歴史を通して言う地域の呼称なんて言えば中立なのさ? >>574
???
何に関係ないと言ってるんだい?
関係ないのは>>566じゃない君でしょ?
>>566くんはレッテル貼りに頼らない素晴らしい反証をしてくれるはずなんだから
まだかなあ >>559
坂東武士は首狩族で、論考恩賞のためには獲った敵の将兵の首実験を行う。
戦闘中に重たい首級をまるごと持ち歩けないから、顔面の皮を剥いで持ち帰ったんじゃないの? 結局>>566くんもう出てこなくて草
あんなに威勢良かったのにどこへ消えてしまったんだ…… 煙に巻こうと必死になってる時点でなんの証拠も持ってないって白状してるようなもんだな
はい、お疲れぃ >>582
なに虚空に向かってブツブツいっとるんや池沼君
物証は? >>584
虚空じゃなくて
「レッテル貼りに頼らず反証」をしてくれるはずのに>>566くんに言ってるだけだぞ?
急にどうした? >>585
物証は?
という限りなくシンプルな反論をなぜ見えないふりしとるんや? >>586
もともと彼とは別の話をしていたからだよ おかしいと思ったわ
南京大虐殺も20万人の死体の物証なんてないもんな
中国人のいつもの捏造だったってわけだ >>590
んで、その論理に基づくなら食人の物証出せなければ捏造ってことで終わるけど
どうする? >>591
どういうこと?
君は物証がなければ捏造という思考の人間じゃないの? >>592
ん?
南京虐殺は捏造なんだろ?
じゃあ食人も同様に捏造ってことで良いよな? >>593
ああ!南京大虐殺は捏造論者だったってこと? >>594
お前がそういうのなら、同じ基準で食人は捏造になるって指摘してるんだけど
どうする? >>595
お前がそう言うなら……?
君は誰なんだい?
つまり君自体は南京大虐殺は勿論食人が捏造だと思ってないってこと? >>596
南京大虐殺の話を急に出してきたのはお前なんだけど。
つまりお前は南京虐殺は物証がないから捏造といいたいということでいいかな?
そうすると食人も物証がないなら捏造って話になるけど
その立場を取るってことでいいかな?
ん? >>598
嫌だから誰なんだよ君w
誰なのかすら言えないのに「急に」ってなんだよ
俺は物証がなければ捏造という思考の人に皮肉で言ってるだけだぞ?
このくらい健常者ならわかると思うんだが……
つまり君はそういう障害者と違って南京大虐殺は捏造じゃないし食人も捏造じゃないと思ってるんだよね 大順皇帝李自成がお正月でもないのに餃子を食べて自滅した物証とかあるかな? >>599
匿名のスレッドで誰がどうとか聞くぐらいなら自分がコテハンつけて見せればいいのでは?
皮肉で言ってるとか苦しい言い訳しなくてもお前が言うべき答えはシンプルだぞ
南京虐殺は物証がないので捏造、とするなら食人も物証がないので捏造
お前はこの立場ですか?
YESかNOかで明確に答えろ >>601
いや皮肉で言ってるんだから皮肉の対象かどうか気にするのは当たり前だろう……
お前大丈夫か?
匿名掲示板を言い訳にするなら「急に」であることを言い訳の口実にするなら
健常者なら南京大虐殺は捏造だと思っていないし、食人論は物証がないから捏造という論法は無理があるはずだぞ……
大丈夫かほんと? >>602
ええええ?
本気で中京プロパガンダの南京虐殺信じてるの要るのか?
中国の中国人でも本気にしてないだろ >>602
ん?
何か必死に話題そらそうとしてるねw
健常者ならどうのと人格否定論法を駆使したところでお前の論理矛盾は多い隠せないぞ?
シンプルに答えろと言ってるのが読めないのか?
もう一度問うね
南京虐殺は物証がないので捏造、とするなら食人も物証がないので捏造
お前はこの立場ですか?
YESかNOかで明確に答えろ 日本語もまともに理解できないネトウヨがレスバトルを挑んでも負けて惨めな思いをするだけなのに >>604
思いっきりシンプルに
南京大虐殺を捏造とは思っていないし
食人論を捏造論とも思っていない
と書いてますよ……
これで理解できないとか自分で健常者じゃない証明始めないくださいよ
身を張ったギャグっすか? ネトウヨってw
食人論は捏造だから南京大虐殺も捏造なの!
って息巻いてるやつがどう見てもネトウヨだろう…… >>606
え?
物証がないから南京虐殺を否定するのに
物証のない食人をなぜ肯定するのか
明らかに論理矛盾してますけど
どういうことなのか論理的に説明してもらえますか?w
はい論理学の授業はじまりはじまり〜 >>607
論理学がわからないやつはレスバトル向いてないぞw >>608
否定していないと書いてるのになぜかお前が日本語を読めないだけだぞ……
自分で論理的矛盾がないと証明してるようなもんなんだけど
また障害者ポイント稼ぎ始めたのかよ >>609
論理的に言って
物証がないという理由で食人を否定したら
南京大虐殺も否定すべきらしいぞ >>610
ん?
南京虐殺は捏造じゃないんだ?
物証ないのにどうして実際にあったとわかるの? >>612
すげーなこいつ
さっきから明確にそう言ってんのに理解するのにどんだけ時間かけたんだよ……
学問っていうのは文献史料から信憑性を測って結論する手法があるだけだよ こういう
思想とか関係なく
ガチでシンプルに言ってる内容すら理解できないってのが
ほんと障害者って感じだな…… >>614
え?
君面白いねー
物証もないのに信憑性をどうやって測ったの?
どう結論したの?
偉そうな能書き叩いてるんだから自分の口で説明できるよねぇー
いますぐ明確に説明しろ >>616
日本人中国人以外の外国人の証言
さらに日本人中国人外国人の証言の一致 しかしすごいな
本気で南京大虐殺否定するネトウヨ化始めたよ 清朝に入って明朝最後の皇帝の息子が処刑されたけど,本人にその気はなくとも
反体制派が旗印として担ぎ上げると思われたんだろうな >>617
物証もないのに証言だけで信憑性が測れるって頭大丈夫? >>618
お前は政治的な立場でものごとの判断をコロコロ変えるゴミクズだって自覚してるってことでいいかな?w >>620
もう全く反論になってないぞ?
文献資料から信憑性を測る手法を聞いたんじゃなかったのか?
一言すら反論思いつかなかったか? >>621
え?
政治的どころか
チンケな言い訳のために今までネトウヨネトウヨ罵ってた過去すら顧みず
とことん恥知らずになったバカ
を笑ってるだけだぞ >>623
反論になってないのはお前だぞ
証言という形のないものでどうやって事跡の有無を確定させるの?
じゃあここでお前の母親が豚以下の売女と俺が証言するので
お前は豚の息子ってことでいいよね?w >>624
そんなバカに論破されてる自分が一番チンケな存在だって気付けてよかったね >>625
いや、君ほんと障害者でしょ……
だから特別事情がない限り起き得ない証言の一致を根拠にしていたのに
他人が10喋ったとき1しか理解できてないよ君…… >>626
論破というか
そもそもさっきの難癖が的外れと気づけたのか?
気づけたから話をそらしたんだよな? >>627
障害児はお前だぞ
自分の理屈に後から後から勝手に条件付け足し始めてる時点で定義も立論もまともにできない無能だとわかる
物証もなく証言さえあれば虐殺も食人も確定できると考えている
自分のお気持ちで世界が回ってる自閉症特有の思考法だ >>628
話しそらし続けてんのはお前だぞ豚
今に至るまで物証はなにひとつ挙げられてないということに早く気付け >>629
あのね、障害者くんよく見て
>>617のレスで健常者なら「立場の違う三者の一致から信憑性を測った」と読み取れるんよ
障害者じゃなきゃ「誰か一人が!例えば僕が証言すれば正しいことになる!」
なんて読解にはならんのよ…… >>630
つまり君自身が話をそらしてることは否定できないの?
なぜ物証について答えないのか、と聞いてきた人間はいたけどちゃんと答えたよ?
その後返レスはなかったけどね >>631
お前の中ではそういう理屈が成り立ってるんだね
自閉症の精神は奇天烈だねw
立場の違う第三者とやらがおなじ話をしてたら事物は確定するのか、なるほど
じゃあ天動説も事実だな
面白い理論だわ >>632
物証は?と聞かれて物証について答えた、という時点で頭の悪さがにじみ出てるんだよw
物証を出せって言われてるのに出せない時点で論破されてるのにいつまで粘着してるのって話なんだがw >>633
南京大虐殺は当事者がいれば視覚的に分かることだけど
地動説は計算しないとわからないんだよ……
しかしすごいメンタルだな
1レスごとに文章の読解にミスる知能だと証明してるのによく自信を保ち続けるな君 >>634
いや別に>>566くんがちゃんとレッテル貼りに頼らない反証してくれるならそっちの話をしてもいいぞ
君も早くそうするよう応援してくれないか? >>635
また謎の理屈を付け足してきたなw
自分の主張をそうやってコロコロ変えなきゃ成立しない時点で論破されてるって気付こうよw
当事者がいればわかるって、その真偽をどうやって確かめるんだって話なんだが
見たいもの信じたいものだけ追い求めるのは学問には全く不向きの性格だなあ
宗教家のほうが向いてるんじゃないか?w >>636
同じことを繰り返す前に物証出そうよ
ガキじゃねえんだからさ >>637
どこが謎なんだ?
「どうやって測った」と南京大虐殺について聞かれたから「こう測った」と答えただけなのに
「急に」天動説がーとか言い始めた障害者が逆ギレしただけだぞ……
自分の質問の内容すら覚えられないとどんだけやねん…… >>638
同じことって?
話をそらして「物証出せ」って言うこと? >>639
質問に答えような
当事者とやらの記述や証言の真偽をどうやって確かめるのですか
自分が何を答えさせられようとしてるのかくらい把握しとけよ能無しwww >>640
物証を出せと言われて延々話をそらし続けて罵倒レッテル貼ってるだけの奴が言うことではないわなあ >>641
いやあのう
その質問はもう立場の異なる三者の証言の一致から信憑性を測ったって答えてるんよ……
君が障害者だから「天動説がー」とか難癖つけようとして失敗した過去をすぐ忘れて壊れたレコードのように
同じ質問を繰り返してしまってるだけなんよ…… >>642
言うことって?単にこれが当てはまるの?って聞いただけなんだけど
急にどうしたんだよ >>643
立場の異なる三者の証言とやらが事実とは限らない例として天動説を上げてやってるんですけど
それも理解できない?
こりゃひでえーなw
基本的な議論の前提すら満たしてないレベルの動物だったかw >>644
急に、ってワード何回も使うなよ
バカにしか見えんぞw >>645
うん、で天動説は計算しないとわからないことだけど南京大虐殺は当事者が視覚的にわかることだよー
って教えてあげたんだよね
そしたら君が「謎の主張つけたしたぁ!」ってヒスって誤魔化しちゃったんだよね
で質問ループ
思い出せたかい? >>647
まともに自分への反論も理解できてないのにまだ騒いでるのかよ?
大虐殺は視覚的にわかるっていう発想がまず幼稚すぎるということもわかってないね
たとえばその証言者は虐殺された人数を30万人数えたのですか?
でないと30万人虐殺という証言は単なる虚偽なのだがw
そしてそれをどうやって物証なしで真実と断定できるのですか
わかりやすく反論してやったから明確に答えろ >>648
話をそらさず物証あげれば即座に終わる話を延々続けてる奴がいうことではないわなあ >>649
草
な?質問ループしてただろ?
いつも君一周遅れでしかこっちの言ってること理解できてないんよ
煽りとか抜きにマジで障害入ってる
まず俺は30万なんて主張していないぞ
単に大虐殺と形容してもおかしくない虐殺は証言者が見ているだけだぞ >>650
そうか?
普通に向こうが話を逸らさなければ終わると思うぞ >>651
いや質問に答えてないんだがw
じゃあ言い方を変えようか。
大虐殺と形容してもおかしくない虐殺とやらを証言者は1から10まで見たのですか。
そしてその内容が真実であることを物証なしでどう証明できるのですか。
話そらさずに今度は答えられるよなあ?
ん? >>652
自分が話逸してるだけなのに被害者ぶってるところが臭いなあ さっきからこのスレで騒いでる奴らは天子様が直々に凌遅刑を下すんだってな >>653
ん?どこの質問に答えないんだ?
誤魔化さないでくれよ
1から10ってなんだい?
フワッとしすぎて何がいいたいのかまったくわからない
戦争の最初から最後まで参加していた人間がいない限り
「戦争があった」という主張は信じられない
ってこと? >>656
おやおや質問の意味がわからないのか?
それともまた話題そらしか?
物証のなにひとつない事物とその内容を証言だけでどう確定させるの?
シンプルな質問にどうして答えらないのだい?w >>657
え、それ今まさに答えてた途中の質問で重複してただけだよね
というか答えてたのに君が難癖をつけてただけだよね?
さらにそれに失敗して質問を変えようとしたけど
また意味不明になって失敗しただけだよね? レスバなら余所でやってくれ
もうどっちも荒らしだから まあそうだな
流石に話がスレの内容と離れすぎたわごめん >>658
ん?
何焦ってるの?
質問にシンプルに答えればいいだけの話だぞ
物証のなにひとつない事物とその内容を証言だけでどう確定させるの?
そもそも三者の証言が一致するような事柄になぜ一切の物証がないの? このスレには四川での張献忠みたいな輩がウジャウジャウジャウジャいるな >>617
支那人の食人はどうなの?
魏志倭人伝に魏国が卑弥呼に食用奴隷100人持ってこいったら応じた話があるけれど >>664
俺は唐代以降の食人文化を否定してないけど
生口をそういう用途に解するのはただのこじつけだよ
倭人伝に限らず三国志や裴松之注において生口という言葉は幾度か使われてるが
それらをそんな意味に解するのは無理がある
例えば
又與人共買生口,各雇八匹。後生口家來贖,時價直六十匹。共買者欲隨時價取贖,嘏自取本價八匹。共買者慙,亦還取本價。
という文で分かりやすいようにただの奴隷と解するのが自然 「シナの食人自体はあったのは確定だな」
オマエがそう思うんならそうなんだろう、オマエの中ではな… 証拠も何も、中国人自身が千年〜二千年にもわたって史書に食人の記録を残し続け、
それを歴代王朝が正史と認定しているわけなんだが
それをバッサリ否定するようだと、もう東洋史というジャンルは成り立たないだろ
アフォは放っといて、次のテーマに移ろうぜ >>666
奴隷と読めるか?
買って食べた、値段は八匹ってことは、布銭かい? 支那人の書き残したものは証拠になんねえよw
毛沢東語録とか嘘っぱちだらけだしな >>670
> 証拠も何も、中国人自身が千年〜二千年にもわたって史書に食人の記録を残し続け、
> それを歴代王朝が正史と認定しているわけなんだが
>
> それをバッサリ否定するようだと、もう東洋史というジャンルは成り立たないだろ
>
> アフォは放っといて、次のテーマに移ろうぜ
アホウヨが必死に話そらして涙目逃走www
史料批判は歴史学の基礎中の基礎だよwww 毛沢東って実在したの? 物証ってあの死体だけだよね。あれが毛沢東の死体だという物証は何? アホウヨ「史料批判の結果、(僕の頭の中では)記述が正しいと認識されました」
草生えるわ ここのスレ民、食用には向かなさそうだわ(命拾いできてよかったなw) 食人の風習があるってのは、恐ろしいことだけどな
金持ちなら泥棒に合うし、若い女なら強姦が怖い
でも、食用だったら誰でも対象になるので危険(笑) 「他人に、殺されて食われるかもしれない」
なんとも緊張感のある社会だ 実際人類が繁栄したのは筋肉中に乳酸が生じやすくそれが食肉獣に忌避された結果と言う説がある 朱 常洵(しゅ じょうじゅん、1586年2月22日(万暦14年1月5日) - 1641年3月2日(崇禎14年1月21日))は、中国明朝の皇族で、初代の福王。万暦帝の第3子として生まれた。
貴妃鄭氏は宮中で万暦帝に最も寵愛された后妃であった。万暦帝は彼女が生んだ子である朱常洵を皇太子として育てようと考えたが、大臣たちは長男の朱常洛(のちの泰昌帝)を懸命に支持したため、常洵は皇太子になれなかった。
万暦帝はその代わりに、凄まじい贅沢を常洵にさせた。例えば常洵の結婚式の際には30万両という金額を使っている(ちなみに万暦帝の幼少時、政治を執っていた重臣張居正が十数年かけて国庫に積み上げていた金額が400万両である)。
このため常洵は、重税と困窮にあえぐ民衆の怨みを買うことになり、これが彼の最期へと繋がっていく。
明に対し反乱を起こした李自成は、1641年に洛陽を占領した後、西関の周公廟で「福禄宴」という宴会を開き、その中で朱常洵は処刑された。
その後、体重が180kgあった朱常洵の肉が一塊ずつ切り取られて、皇室の庭園で飼われていた鹿の肉と煮込まれた。李自成はその肉を部下に食べさせた。 食人風習とかいうなら具体的なレシピが残ってるもんだよ >>685
この肉を酒に浸して、福禄寿をもじって福禄酒とか名付けたらしい
こんな盗賊レベルだから、中華皇帝となる天命は李自成ではなく満州人の清朝に降りた パヨクの論法だと史料があるのは実在の証拠になはならない >>690
> パヨクの論法だと史料があるのは実在の証拠になはならない
歴史学の基礎中の基礎やんけ 明の遺物とされているものが、明国という支配体制の存在のどういう証拠になるの? お前相変わらず馬鹿だな
史料に書いてあるだけの内容が物証なしに実証されないのは当たり前だろ >>696
その資料がチョーシーチェンダマ
遺物がチョーシーチェンダマ >>698
じゃア、大韓民国は建国の物証が無いよね。
ついこないだ、建国宣言が、本稿も下書も、ついでに最初に作った国璽も大韓民国憲法の原本も、
現存しないって言ってたし。 >>700
くそみたい話題逸らしばかりして楽しい? 宋の徽宗皇帝は存在したのか?
確かに、宋の徽宗が書いたとされる書画は山ほど残ってる。
ガチで山ほど。日本にある分だけでも、物理的に一人が書くには不可能なんじゃないかというくらいの数。
中には、日本産の紙、日本産の糊、日本産の絵の具、ついでに、日本で13世紀以降の技法で描かれたものも、ある。
徽宗が書画を沢山書いた時代は金国に幽閉されていた時期。
日本で後の時代に流行った技法が宋国や金国では10世紀11世紀に既に流行っていたのかもしれない。
金国のことは近年まで文字が解読できなかったほど不明な点が多かったし、開封は焼かれたあとに洪水にみまわれた
ので物証も無い。
日本の神や絵の具や糊が金国で使われていてもおかしくはない。日本は当時宋国や高麗国に紙を輸出していたし。
ついでに、徽宗がお絵描やお習字が大好きで、金国に囚われてる間も紙や墨や絵の具や筆を欲しがったという話も伝わってる。
でも、徽宗の手による書画が本物で徽宗が存在したというのは、確たる証拠でなくて、すべて状況証拠なのよね? >>701
割と検証しやすい話だけれど?
まだ当時に生きていたも存命だったりするし。 食人みたいなソースのあやふやな奇習の類と
明朝だの宋の徽宗だのの実在っていう明らかに実証されてるものを無理やり一緒くたにして
煙に巻こうとするのやめてもらっていいですか?
食人の証拠とやらを出せば終わる話 >>704
明らかに実証されて無いじゃん。状況証拠だけじゃん。 >>709
状況証拠だよ。
勘合符で正規の貿易船と倭寇を見分けたとか、国姓爺が台湾に陣取って徳川家光に援軍を要請したとかと
同じくらいに。 >>709
> 食人の証拠は状況証拠じゃないの?
状況証拠ですらない 史書に書かれたことが真実になるって、ネトウヨの史書ってデスノートか何かなのか? 鬱陶しいなこのガイジ
史書に書かれてるのは個別の伝記としての食人エピソード
お前が提示するべきなのは食人風習が中国で食文化として一般に定着してたという資料なり物証だよ >>723
> サヨクって中韓地域好きだな
最初に中韓の話題を持ち出すのは決まってネトウヨだけどな
サヨクさんはネトウヨの間違いを指摘してあげてるだけ 馬鹿ウヨは荒らすだけ荒らして証拠出せずに逃走
これだから嫌われるのだね >>730
バカパヨクはシナチョンのハニトラ奴隷だろ。
避妊なしの性行為でHIVキャリアと脳梅毒患者だらけ。 韓国クラブの客ってパヨクが大半。大体言葉が不自由なホステスもいるのに、
日本人店のクラブと大して変わらぬ価格でやってる。
それでも、パヨク中心に通いつめる客がいるのは簡単に枕アフターに応じてくれるから。
しかも、枕アフターはコンドーム無しの生ハメで中出し。
韓国ではピルが処方箋無しで町中の薬局で胃薬やビタミン剤並に手軽に買えるから、
ホステスはピル服用して生ハメ中出し当たり前の様にやってくれる。
バカパヨクはそうしてチョンマンコの奴隷になって国を売る。
韓国系飲み屋や風俗にはネトウヨは絶対に行かないから、
そうおう店の客層のパヨク率は高い。
菅直人も赤坂の韓国クラブの新羅のチイママに中出しして隠し子作ってる。
枝野も野田も韓国倶楽部の常連だし、共産党員の出入りも多い。 ええっ!?
櫻井よしこ等の極右関係者が韓国国家情報院の手先だったってのがバレて騒動になってるタイミングでそれ言うの? そもそもウヨクって韓国の勝共連合とは50年以上も協力関係にあったわけだから、別に今さら騒ぐようなことでもないんだけどね >>721
ホント、クソスレになったよな
お気に入りスレに入れていたけど消すわ 左翼が支那の食人風習に根拠も示さずにムキになってしつこく否定して来てから。
反日左翼でなければ、五毛党の工作員だろうけと。 ネトウヨのなかでは中国人は食人族ってことでもういいよ ネトウヨのせいで板自体が過疎ったのは事実としてある 低レベルなネトウヨが暴れてるスレには誰も近づかんわな ネトウヨが根拠も示さずにムキになってしつこく「支那の食人風習」なんて妄想垂れ流してたからな
馬鹿の発想には驚かされるばかりだな 20世紀のペトログラードでも人肉販売してロシア人に射殺されてるな >>755
バカ左翼と五毛党が支那の正史の記録や
最近の写真つき報道記事まで全く根拠示さず、
猿みたいにキーキー泣き喚きながら、
支那の食人文化を否定している。 毎回物証提示の責任から逃げ出してピーピー発狂してるネトウヨ
こいつら馬鹿だろ? むしろ史実の数々を無視し物証と言う呪文を唱えると現実が逃避出来ると思ってるヤツが悲しい 物証も出せないのに史実連呼してるだけの馬鹿が現実から逃避してるだけだった… 広西チワン族自治区であった記録は中国外に持ち出されたな ここは食人スレじゃないんでそろそろ専門スレ立ててやってくれ 「モンゴル以前」と「モンゴル以後」で、別の国になった
いまの中国の起源は、明朝までしか遡れない 漢や唐は、滅んだ先住民による幻の古代文明にすぎない >>785
さすがにそういう嘘はよくない。
全日制義務教育歴史課程標準があるんだから。 >>786
文献史料が明代以降で激増。
古代の文献が少ないし、永楽大典や乾隆帝の四庫全書などでかろうじて残ってたりなんで、
明清のフィルター越しに古代中国を見る感じはあるかな。 歴史教育の大半は、中華人民共和国の建国以後に当てられる
前史にかけられる時間は多くないし、中華民国は黒歴史という位置付け
結果的に、明清時代が中心になる >>790
中国史学は清代の考証学者の影響が大きいからね。 日本の高校の世界史は、真偽も定かでない大昔の前史のウエートが高すぎる
モンゴル帝国の登場以前は、サクッと終わらせたほうが良い >>792
清代の儒学は、ほとんど近代国家の文学部でやってる学術研究に近い
世間でよく言われる儒教批判は、この時代以後はあんまり当てはまる気がしない >>791
中華民国史は結構やってるよ。
歴史課程標準をみると
1 中国古代史(アヘン戦争まで)
2 中国近代史(国民党政権滅亡まで)
3 中国現代史
4 世界古代史(15世紀まで)
5 世界近代史(第一次世界大戦まで)
6 世界現代史
の分類になってて、
中国古代史が9単元、中国近代史が7単元、中国現代史が7単元を学ぶ。 >>795
なるほど
近代史と現代史が同じウエートなんだな? 日本でいえば、「幕末維新から第二次世界大戦まで」を近代史、それ以降を現代史とする感じか いや、「ペリーの黒船来航から戦後の独立まで」が近代史だな >>794
文字の獄なんぞがあったんで
思想や思索、政治的見解や主張が引っ込んで、
文献学、言語学、実証的なものにするしかなかっただろう? 西洋ではカトリックとプロテスタント、東洋では満人と漢人という対立軸があったおかげで、争いを避けるためには脱宗教化した社会になるしかなかったってことだな
イスラム圏では、なぜかそうならんかったな >>793
古代の方がロマンがあって面白い。
日本では、始皇帝、三国志の人気が高いが、
明清に詳しい人が少ない。 歴女たちに向かって
洪武帝について熱く語ったら、
間違いなく白い目で見られる。 洪武帝をこよなく敬愛してるが、
迫害を恐れて、隠れ信者となった。 >>801
古代史にばかり詳しいというのは、考えものだ
日本だって、
「飛鳥時代や奈良時代のことには詳しいが、江戸時代のことはよく知らない外人」と、
「江戸時代のことはよく知ってるが、古代のことは分からない外人」
がいたとして、どっちが現代の日本を正しくイメージできてるかっていったら、おそらく後者だろう
前者は、日本を大きく誤解している可能性が高い 確かに明清って日本人になじみがないよなあ。
「秦」は読めても、「清」が読めない(セイと読む)人もいるし。
始皇帝や曹操みたいな有名人がいない。 >>799
それな。清では満州族による弁髪の強制や思想統制など、漢族の文化は衰退。
日清戦争で日本に敗北して、ようやく漢族の目が覚め、満州族の打倒に繋がった。 /;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ
l::||:::: |l >>806 朕が無名と申すか
/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|| 凌遅三千刀、滅九族!!
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ >>810
誠に遺憾ながら偉大なる陛下のことは日本国で知られていません。
始皇帝や劉邦、曹操をはるかに上回るスケールを陛下がお持ちなのに。
臣は口惜しくて堪りませぬ。
(T_T) >>809
満州族が支配階級のまま近代化出来た方が良かったと思う。
その方がウィグル、チベット、モンゴル族の弾圧もなかっただろう。
西方のオスマン帝国、インドのムガール帝国等多数の民族、宗教を緩く束ねてた
アジアの多民族帝国を滅ばした結果が今の民族宗教紛争の元凶。 >>809
庶民文化、大衆文化は栄えてたろ。
漢族王朝の明だって、インテリ層への弾圧がきつい暗黒王朝じゃないか。
国号を暗にすればいいぐらいの。 >>813
明が上手く内部改革して潰れずに後金国と共存して近代まで生き残れば良かったとも思う。
朱子学で凝り固まったままじゃ無理だろうけど、軍事力のある南宋位でいて、
商業にも納税と引換に活動の制限減らして、進出してきた欧州列強とも
是々非々で付き合って本格的な軍事衝突を避け続けられれば今の中共はなかったと思う。 >>813
文字の獄とか、焚書みたいな思想統制の王朝でそれは難しいのでは。
さすがに坑儒はしなかったみたいだが、
大量の文書が焼かれて今でも清王朝の歴史は研究が進んでいないらしいし。
(代わりに満州文字で書かれた、「古事記」みたいな王朝初期の神話集は残されている) >>813
それに欧州だと、ハプスブルク朝もね
欧亜広域だと、さて、ロマノフ朝はどうだったろうか
あそこもなんとかもう少し緩い体制に移行できなかったか 電話も車もない時代
移動や通信のスピードが遅すぎて、どこでも緩い支配しかできないだろ 明清帝国・ムガール帝国・オスマン帝国。
前近代の完成形となったアジア3大帝国のうち、ムガール帝国はわりと早く崩壊した
その後のインドの混乱と植民地化を考えると、明清帝国・オスマン帝国が存続したのは幸運だったのではないか
明朝が衰弱した危機を、強力な大清帝国が救ったと言える 多民族帝国がそのまま近代化してうまくいった試しはないだろ
多民族国家でうまくいったのは人口国家であるアメリカやソ連、中国くらい
こいつらに共通してるのは民族の違いを克服できるほどの強固なイデオロギーで国をまとめあげられてたことだ
アメリカは自由と平等のアメリカン・ドリーム
ソ連と中国は共産主義のイデオロギーで多民族をまとめ上げた
清朝やオスマントルコ、ハプスブルク帝国に多民族をまとめあげる大きな物語が作り出せるかといえば、無理だろう >>820
オスマン帝国は可能やろ
そのためのスルタン=カリフ制やし >>821
イスラーム世界限定であれば、宗教イデオロギーによる帝国も存立しうるかもしれないな
しかしながら、宗教帝国は近代化と極めて相性が悪いので結局うまく行かないと思われる >>820
ソヴィエト連邦って結局ロマノフ朝より短かったような >>823
米ソで世界を二分した超大国になっただろ 清朝やオスマン帝国、ムガール帝国は多民族国家ゆえにまとまりきれず西洋列強に食われた
ドイツイタリア日本は民族主義でまとまったことで後発ながら列強に追いついたが
その民族主義に縛られて多民族帝国を打ち立てることはできなかった >>824
長続きしなかったのが答だと思う
国は結局人間が取り仕切り人間が暮らす集まりなのだから、
その運営の基本方針自体に人間本性上の無理があれば続かない >>826
近代的な他民族帝国を維持するのに共産主義が利用されたって話なんで
共産主義体制の是非の話にされてもこまるな 前近代の多民族帝国ってのはあらゆる部族が緩く繋がる連合体であって
帝国に服属してる限りかなりの自治が認められているが
それゆえに近代化のような強力な改革を上から推し進めると簡単に崩壊してしまうのだよな
Internationalかつすべての権力を党中央へ、っていう共産主義体制はそういうゆるふわな前近代部族連合を強力に締め上げるのにうってつけなんだよな > 多民族国家でうまくいったのは人口国家であるアメリカやソ連、中国くらい
カナダもドイツも > 多民族国家でうまくいったのは人口国家であるアメリカやソ連、中国くらい
それ言うなら件の清やオスマン帝国のほうがもっと長続きしてる
ムガルはまあ、太平時代が短すぎるから置くとしても 21世紀には欧米日本が衰退してまた世界の中心がユーラシア中央部に戻るのかね
前近代のようにイスラム中華インドが世界を主導する体制に アメリカ覇権の退潮は明らかだから遅かれ早かれそうなるだろう アメリカ覇権が崩れたらいよいよ次はパックスジャポニカの時代やな 人口が数千万にも達する現代の巨大都市は、海に近い沖積平野にしか造れない
内陸の小さな盆地にすぎない洛陽など、千年前でさえ、後唐の李存キョクが遷都したときは「時代錯誤」と批判された
「沿海部はヨーロッパ、内陸部はアフリカ」と言われる現代中国だが、その傾向が歴然としてきたのも明代 >>794
歴史学が清代の儒学者の文献研究成果の影響を受けるのは許せる。
儒学的価値観に偏るのを理解してればいい。
日本史学なら江戸時代の国学者たちの働きみたいなものだ。
許せんのはマルクス史観の影響だ。
何でもかんでも階級闘争に結びつける。
李自成、洪秀全は悲劇の革命英雄扱い。
清以前は全部まとめて封建王朝とくくる。
封建領主はいなくても世襲的地主階級が支配層で、階級の敵。 朱元璋は、当初は無産市民で農民反乱に加わったが、出世して偉くなってからは、逆に地主階級と結託した >>840
そんな単純ではないだろう。
地主支配層が粛清虐殺の対象になってるんじゃ? 朱元璋はプロレタリアートの鏡。
基本は重農主義。
皇帝独裁制と農民中心政策の親和性が高い。
朱元璋が白蓮教を放棄せずに宗教国家を形成してたら面白いのに。 世界史上にも稀な、本物のプロレタリアート革命だった 治隆唐宋の碑文が南京の明孝陵にある。
明太祖の治世は唐宋より隆盛の意味。
額面通りにその功績は圧倒的に絶大。
一方で暗黒面も異常に深い。
この極端な両面性の複雑さが朱元璋の魅力。 いまさらだけど「明清帝国」ってスレタイがよくわからん。
「隋唐」なら同じ鮮卑系民族の建てた王朝で連続性があるのは分かるけど。
明は漢族、清は満州族だろうに。 >>849
「ローマ帝国」は、王朝が何度も交代し、外国人が皇帝になっても「ローマ帝国」だった
それを思えば、明朝と清朝も、皇帝が朱氏から愛新覚羅氏に交代しただけで同じ「北京帝国」 >>850
でも中国は「華夷思想」ガチガチだから、「明清」と括るのは無理があるような。
まあ、ググったら「宋元時代」という言い方もあるみたいだし、
「時代が連続してる二つの王朝・帝国」くらいの理解でいいのかな。 国制も国号も何もかも違うのに例えがゴミすぎるで?、 >>852
清は満族王朝だが人口的には漢族がほとんど。
宮殿も政治制度も、明代のものをほとんどそのまま踏襲した。 >>851
> でも中国は「華夷思想」ガチガチだから、「明清」と括るのは無理があるような
「それは観念的なイメージに過ぎず、現実には連続した帝国である」というのが主旨 >>854 >>855
連続してるのか別物なのか、どっちが正しいの?? >>856
フビライの元から連続してるな。
公式に自分たちこそ元の後継であると大都攻略時に宣言してるじゃないか。
元を正統な王朝だったと認めて、
天意に沿って明に革まったのだと。
政治体制や地方区分の多くが元のものを踏襲。
元の官吏の多くを同じ地位で再雇用。
清も同様に辮髪を受け入れた官吏を再雇用。
制度、明律や令もだいたい踏襲。 結局のところ、モンゴル帝国とその後継国家
現代中国は、「中華」というより「モンゴル帝国」と呼ぶべき国 >>857-860
ありがとう。でも余計わけわからなくなったw >>860
清朝皇帝は公式にモンゴルの大ハーンの称号を受け継いでるからな。 結局どんなにがんばっても満洲族は少数派だし、最後は漢語や漢文を使ってた。
(モンゴルやチベット相手はともかく。)
後半の皇帝なんか、ほとんど民族の言語を話せなかったらしいし。 満州官僚(マンダリン)の使う訛った北京語が、後に中国標準語となった >>864
当初は全国から寄せられる漢文の報告書を満州語に翻訳して朝廷で扱っていたが、
翻訳の手間がいらぬ軍事機密担当の軍機処で一般政務を扱うようになると迅速便利だったんで、
軍機処が政務の中心になった。 そういや軍機処に当たる役所が明代にはなかったな。
まあ、当初の内閣がそれだったんだろうけど。 軍機処は飾り気のない簡素な建物で、雍正帝の実務的な性格が表れている
明朝とは、そういう皇帝の気質が対照的 明では、皇帝は大臣に政務を丸投げして遊興の日々を送っていたが、その気になれば大臣をクビにできる絶対権力を持っていた
民主主義国ではないが、近代イギリスの「国王は、君臨すれども統治せず」に近いものがある 清では、皇帝は政務を自ら行う独裁者でもあった
雍正帝は、全国から集まる書類の決裁に追われて、過労で早死にした
「書類王」と呼ばれたスペイン帝国のフェリペ2世を思わせるものがある >>868
紫禁城観光で巨大な宮殿を見て回る途中に軍機処を見ると、小せえと感じた。 佐々木蔵之介が今、雍正帝を舞台で演じてる。
軍機処とか出てくるんだろうか。 雍正帝は、皇位継承を巡って兄弟たちと派手なバトルを演じ、黒いウワサもあることから、中国の時代劇では大人気の人物
「皇帝は軍機処にこもって政務に没頭する仕事人間。皇后や妃嬪たちが宮廷暗闘を繰り広げる」というのが、よくある図式 中国ドラマで清朝の宮廷を舞台にしてるの、人気だよね。
観ようと思ったけど話数が多すぎて気軽に手を出せない。 >>874
後宮が舞台のドラマが多いのは、
戦乱ドラマより安上がりだからじゃないかなぁ?
紫禁城の実物大セットがいくつかあって、テーマパークみたいになってるよ。
巨大セットの建設でも金がかかるが、一度作れば何度でも撮影できる。 韓国の時代劇だと後宮モノはほぼスタジオ内の撮影で終わるだろうけど、中国のはさすがにスケール感が異なる
室内劇だけで終わることはまずない 日本では、時代劇といったら基本は江戸時代。
とくに、19世紀に入ってからの近代に近い時代背景が多い
韓国の時代劇は、基本的に朝鮮王朝が中心。
それ以前の高麗とか新羅のは、ファンタジー歴史ドラマという別のジャンルになる
中国も、時代背景は清朝が中心になるのが自然なんだけど、「男が全員スキンヘッド」というのがネック 韓国のドラマで宮殿の外観が出て来たのを見たこと無い
まあ、日本のドラマでも宮殿の外観を見たことは無いけど >>877
スキンヘッドだろうと、
辮髪やちょんまげでも
イケメンはイケメン。 >>878
時代劇だと京都太秦映画村での撮影が定番。
平安、鎌倉ものでは岩手の藤原の郷がロケ地になる。
中国の映画村ははるかに大規模。 映画『ラストエンペラー』では本物の紫禁城を使用したが
床を傷つけることを恐れた当局から、撮影機材や三脚を置くことが禁じられた。
カメラマンの体にカメラを結び付けて振動を減らす工夫をしたところ
微妙に動くことでより良いシーンとなった。
エキストラ2500人を動員し1日で撮影したが、
すぐに日没が来てしまう。
結果、映画の象徴となる名カットが生まれた。 >>877
高麗中期の武人政権時代を扱った「武人時代」とかは、
非常に硬派で重厚な長編大河ドラマだよ
ちょうど日本の源平期とも重なるから、当時の東アジアの同時代性も感じる >>882
まあ、その辺りはファンタジーだ
額面通りに受け取らないほうがいい >>883
それ言いだしたら日本の時代劇もね・・・
テーブル席の食堂って江戸期日本には無かったし
まあ「武人時代」見たこと無いなら、これは実際おもしろいし、おすすめ
筋書き全体の流れは「高麗史」や「高麗史節要」に沿ってるし >>882
崔氏政権ができたのは日本とパラレルな現象やな
日本ではそのまま徳川幕府が滅びるまで武家政権が続いたけど
朝鮮では崔氏政権だけで終わったのが違い >>884
そういう演出レベルの細かいことならいいけど、あの国は想いっきり歴史そのものを創作するからな
まあ、その辺を割りきれるならエンターテインメントとしては面白い
「奇皇后」は見たな。あれはさすがに韓国でも「歴史を創作しすぎ」という声が出たけど(笑) >>885
崔氏政権ができるまでに、多数の武官の間で奪権に次ぐ奪権が続いたんだよね
「武人時代」はその過程を一連として扱ってる作品なんだな
中心人物が時代ごとに次々移り変わっていくから、或る意味でオムニバスに近い形式でもある >>885
まあ、あの国ではモンゴル人や満州人が北から攻めてくるから、歴史の流れがそのまま続かんわなあ >>887
数十人の徒党による小規模な乱闘で、次の覇者が決まる
現実はあんまりドラマチックな時代じゃない >>889
それ言いだしたら平安末も似たような展開だけどね
とはいえ、来年のNHKの「鎌倉殿の13人」はかなり興味深い
まさに「武人時代」とよく似た時代背景と展開が出てきそう >>890
いや、東国の武士たちの土地を巡る争いはそのレベルだが、保元の乱ともなると、さすがにそんなものではない >>892
そんなもんやぞ
小規模な夜襲で決着が付いてるし >>892
横レスだが、高麗の武人政権期初期についても、時代を通して見れば、規模の大きな戦乱もあった
単なる近い立場の武官周辺の小規模内紛だけではなかった まあ、ドラマのリアリティについてはともかく
中国では、節度使が唐朝を滅ぼして次々に政権が交代した「唐末五代」が、武人政権の時代に相当するだろうな。これが10世紀の前半のこと
それから2 〜3世紀を経て、日本で平氏の武家政権、高麗でも武人政権が登場した
西欧における中世の封建社会みたいな状況に、東アジアも突入したといえる 東アジアが、多少の時差はあるものの「貴族の世」から「武士の世」へと移行した >>873
皇位につけるか否かで天国と地獄の差が出る。
派閥抗争を絡めてみんな必死。
負ければ幽閉や獄死になったりする。 >>897
んで、雍正帝は額縁かかげたってわけだよね
そこでもう一声進めて、「根比ーべ、やりな」とまでやっとけば、その後の世のなか相当進んだかも 武臣政権と平氏政権や鎌倉幕府のちがいは
前者が民乱と呼ばれる農民抵抗軍の暴動に忙殺されたのに対して
日本では民衆の力がまだまだ弱く反って民衆を巻き込む大規模な戦争が起きなかった
明宗6(1176)年に平壌城の文臣・趙位寵が武人の専横を打倒するため挙兵し
それに呼応して北界、東界を中心とする農民軍数十万が呼応した
趙位寵は挙兵の2年後に戦死したものの乱そのものを鎮圧するのに30年を要した
この反乱軍の鎮圧を口実に崔忠献は文武、僧、奴婢を問わず武勇に名のあるもの数万人を
選抜し「都房」と呼ばれる私兵集団を編成した
これがのちの「三別抄」の前身と言われる >>895
日本でも同時期に承平天慶の乱が起きてるじゃん。
平将門は新皇を称した時に興与王の入れ知恵だろうけど、
耶律阿保機のこと引用してる。 >>898
それ以後は、泥沼の皇位継承争いは起きにくくなった 中国では、康熙王朝・雍正王朝と、清朝の皇帝を主役にした大河ドラマが続々と大ヒットした
「中国の民衆は、強力な独裁者を求めている」と言われたものだ
そこに、習近平が現れた >>902
康煕王朝はDVD全話持ってる。
孝荘文太皇太后バアさんが強えぇ。国家存亡の危機のたびに祖母さんの胆力で切り抜けてる。 中国の歴史ドラマ
服飾はやっぱり秦から明までのほうがカッコイイ
清の辮髪はどうも滑稽に見えてしまう
日本の時代劇でも月代は現代人の目には滑稽に見えるからか、
主人公級の人物は総髪にしてるな 清の辮髪は、前から見るとスキンヘッド、後から見るとオサゲ髪
スキンヘッドも似合う人だとカッコいいけど、誰もがそうだというわけではない
反清復明の闘士は、長髪だからすぐ分かる。
日本の時代劇に出てくる、脱藩した浪人と同じ 「宮廷女官ジャクギ」では、康熙年間にタイムスリップした現代の北京女性が皇子たちと繰り広げるロマンスの話だった
あれは、視聴者が九王奪嫡の歴史を知ってるのが当然という前提のストーリー
康熙王朝と雍正王朝の大ヒットで、中国人は清朝の歴史にやたら詳しくなった。
いまだに三国志に偏ってる日本人とは大きな差がついたな(笑) 清朝の弁髪令にも例外があって、僧侶と道士と女性だけは
例外として総髪が許された
誇り高い明末の学者や志士には僧道に転身した人たちもいた >>906
ジャクギ、amazon prime 会員でしばらく見てて、面白かったが、
二十話前後を見終わったぐらいで、有料になっちゃんたんで、続きを見てない。。。。
また無料配信してくれないかなぁ。 >>908
その辺りまでは明るく楽しいんだが、だんだんシャレにならないほど深刻な話になる >>907
女性は満州族でも辮髪してないんだが。
更に言うと漢軍八旗に所属してない漢族の女性は旗服の強制もなかった。
漢族女性のほぼ全員が旗服を着るようになったのは道光帝の時代に
一般道漢族に対する旗服に関する制限が撤廃されてから。 いつからチャイナドレスがエロい服になったんじゃろ
メイド服とかセーラー服と同じジャンルじゃろ 太平天国は満州族に反抗して辮髪を結わないから、
俗に「長髪賊」とも呼ばれていた。 中華民国になっても、なぜか胡服は廃止されなかったな 俗に云う「旗袍 チャイナドレス」は、本当の満洲族様式の「旗服」とは全く別物だよ >>903
孝荘文太皇太后とくれば、あのモンゴルのボルジギン氏、しかもチンギスの同母長弟カサルの末裔だからなあ
誇り高さと人脈は半端じゃない
玄Y(ヒョワンイェイ 後の康熙帝)の実質上の養育責任者だったんだよな >>915
満漢折衷に西洋テイストを加えた文化の結晶 のちに新疆の回部、つまりイスラム教を奉ずるトルコ系の民族が
弁髪を願い出たときは、清朝はこれを許さなかったとか ところで諸星大二郎のマンガ「太公望伝」では、
紂王はじめ殷の人間も、羌族も辮髪を結っていた。
殷人は辮髪を頭に巻き付け、羌族は背中に垂らす
一方、周の民は漢民族式の髷を結う
これらの描写は考古学的に正しい、あるいは可能性があるのか? >>920
当時の絵画も人形も残っていないから、想像するしかない >>911
民国時代に洋服のスリットスカートを見て、
下にズボンを穿かないのが進歩的と勘違いして、
ズボンを穿かなくなってから。 ベトナムのアオザイも、満州の旗袍をまねたものだという話だ。
北方民族の服を、よく南方で着れるな
清より前のベトナムではどんな服着ていたんだろうか ベトナムとか台湾は、独特の気候風土があるから、大陸と同じものを採用しても自然とユニークな文化になるんだよな
朝鮮はそれがなくて単なるコピーになるのが辛いところ >>926
個人的にどういうつもりなのか知らんが
いちいち否定論調の比較対象に朝鮮半島を持ち出すのやめなって
気候風土や産物とかも必ずしも同一じゃないんだから、全く同一模倣なんてことは起こらないし、
それをわざわざ毎回否定対象にする必要も無い wikiの中国語版「越服」の項を見たら、
19世紀ベトナム阮朝の官員の正装は明朝とほとんど変わらんな。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E6%9C%8D
それなのにアオザイが満州服なのは疑問だが >>928
清朝の役人と同じ正装は許されなかったんじゃないか?
朝鮮がそうだったから、ベトナムもそうだろう >>930
中国にはそう信じてる人たちがいるね。
中国共産主義青年団中央委員会の見解
「韓国王室の衣装は明国の皇帝が授与し、
韓国は自主的な服装体系がなかった。
韓国ドラマで登場する韓服は明国の衣装に
基づいて改善されたものだ」
これに対し、韓国ネットでは猛反発。
日本人にとってはどうでもいい話。
見た目のデザインの変遷を見る限り、
モンゴルの影響が強くて
明朝の服装とはだいぶ違う気がするが、
部外者なんで論争に加わりたくない。 >>918
近代の上海の女学生が着始めたという話があるね。<チャイナドレス
満洲女性が来てたのは寸胴型で、綿入れしてたりする。
一方、チャイナドレスはウエストを細く、胸を大きく目立たせる西洋ドレスの裁断方法。 北京は寒いからな
あんな露出度の高い服が出てくるはずはない 明の官服って、閻魔さんの衣装そっくりだな
まさに明は地獄だな
凌遅三千刀滅九族
燕賊簒位で滅十賊
それが済んでも、宮廷で不始末しでかしたら廷杖
出勤前には一家全員水杯… 中国人は、永楽帝のモンゴル遠征を「三犂五出」といって、
その千古不滅の武勲を讃える
五出とは、五回ゴビ砂漠を越えたこと、三犂とは、三度その
本拠を襲ったことをいう >>939
永楽帝こそ現代中国の形成者。
圧倒的な独裁権力で帝国を強大化。 永楽帝は、軍隊が辺境に動員されると、宦官を目付け役につけた
これを監軍といい、明代の悪制とされた
一度平定した安南が、再び反抗したのは、監軍として派遣された
宦官の悪虐のためとされている
そしてついには、皇太子の幼児期の教育も宦官にさせた 朱元璋の長男が早死にしなければ、恐らくは燕賊簒位もなかった
そうなれば宦官が重用されることもなく、王振や劉墐や魏忠賢が暗躍することもなかったんだろーな >>943
藩王分封の性質上、いずれは造反が起きたんじゃない?
通常はすぐに鎮圧されるとは思うが。
燕王の事例はあまりに奇跡的成功。
普通じゃない。 >>942
宦官による官僚勢力への掣肘があったからこそ王朝が長続きしたんだよ。
横暴な宦官が登場しても皇帝1代限りで、
代替わりすれば消える。
宦官と官僚の両勢力が互いを牽制してたので、
より皇帝権力が確固たるものになる。
史書は官僚が記すので宦官は絶対悪にされるが。 清朝末期って財政破綻とかしなかったのかね?
賠償金の額とか全部含めたら天文学的だろう >>944
広大な明清帝国では、地方の反乱などよく起きる。でも成功することは滅多にない
燕王も、結果だけを見れば歴史の必然みたいに思えてくるが、当初は強大な南京政府を相手に始めた必敗の戦いだった
何度も絶対絶命の危機を乗り越えて奇跡の大逆転勝利。「建文帝が叔父を殺さないよう命令していた」と古来から言われている >>946
日清戦争の賠償金は、1年目に1億両、半年ごとに半額ずつ払う、
27年目までは1600萬余両の元本と年利5を支払う8回払い。
義和団戦争の賠償金は支払額が逓増する39年払いで、
19年目までは元本と利息を合計で、1882万9500両支払うことになっていた。
どうやって巨額のお金を捻出したか?
関税収入を担保とした大規模な外債の借り入れらしい。
太平天国の鎮圧ぐらいから財政規模が急拡大し、
太平天国を契機とする財政難により、
咸豊三年以降、各省の銀庫の残高がほとんどなくなったため、
戸部は年ごとに数を定めて割り当てを行い、各省に送金させるようにした。
これに対して、各省は種々の附加的徴収により資金調達をするようになった。 清朝から得た莫大な賠償金で、日本の工業化は急速に展開した
まあ、あれがなくても日本はいずれ工業化しただろうが、時期はだいぶ遅くなっただろう その資金は、清朝が中国全土からカキ集めてくれた
我々は清に感謝しなければならない 逆に、日清戦争で清が勝利していたら、朝鮮半島は清国領になっていたんだろうか? 素朴な疑問だが、朝鮮も越南も琉球も清朝の朝貢国
なのに、どうしてそれらの国の王や高官の服装は「明スタイル」なんだろうか。
清朝の満州式を真似なかったんだろうか >>946
ロシアやフランスから借款で賄ってた。
結局首が回らなくなり植民地化が加速。 >>953
清朝は、朝貢国にまで満州式を要求するつもりがなかった
朝鮮は明スタイルを墨守することにした
琉球は17世紀から薩摩藩に服属し、むしろ和服の影響を受けるようになった
ベトナムは、明清交代のだいぶ後ではあるが、満州服をもとにアオザイが成立するなど徐々に影響を受けた
清朝が「中華」とは言いがたい存在であることは広く認識されていた。暑い南国の琉球やベトナムで、北方民族の服をそのまま着るのは困難だった 琉球王国では、国内での権威づけのため、国王や高官は明朝から下賜された官服を着たがった。それは特権階級の象徴だった
でも、暑い琉球では、人々はゆったりした薄着だ。そんなところで北京の服を着るのは無理があった
彼らの辛そうな様子は中国から来た使節の記録に残されている まあ今は冷涼乾燥気候であるブリタニア発祥の正装を
温帯熱帯寒帯かかわらず全世界で着ているわけで
もし南方民族が世界の覇権を握っていたら、
北方民族もゆったりした薄着がフォーマルになっていたんだろうか アメリカだって、ニューヨークとカリフォルニアでは、ロンドンとナポリくらいテイストが異なる ニューヨークは寒過ぎる
ボストンにしてもニューヨークにしても
なんでわざわざあんな気候の厳しいとこを拠点にしたんや入植者は
もっと南のバージニアあたりに拠点作ったらええのに シカゴやミネソタの寒さは有名だ
五大湖やミシシッピ川から寒風が吹き込んでくる 北京は北緯40度で、日本でいえば盛岡あたり。
両方とも冬に行ったことはないから分からんが、かなり寒そうだ
上海の緯度は鹿児島あたりだな さらば覇王別姫の映画に出てくる屋台に売ってるサンザシのりんご飴みたいにしたやつ
一度食べてみたいのぉ
北京あたりの郷土菓子だっけ >>965
北京は内陸都市やから同じ緯度の盛岡よりもっと寒い
しかも乾燥してるからますます寒い 中国は、基本的には暑い南の国だと思うんだが
首都はえらく寒いところにある >>968
>中国は、基本的には暑い南の国だと思うんだが
どこの異世界の中国やねん 米作地帯と麦作地帯がある。班田収受は麦作地帯の制度だがそれを大和朝廷は米作でやった為日本での律令制は破綻し武士の登場 李自成の乱で明朝が崩壊し、大乱世になった大陸を救ったのが清朝だった
もしもあのとき、強力な大清帝国による再統一がなかったら、どうなってたことやら 実際、18世紀の初頭にムガール帝国が崩壊した後のインドはグダグダになってしまった
中国もそうなっていた可能性は決して低くない >>972
五代十国時代みたいな諸国乱立の戦国時代になってたかも
それで戦争資金や安住の地を求めて沿岸部が海洋進出し欧州の列強とぶつかる
広東や福建はスペインやポルトガル、オランダやイギリスと同じような海洋帝国になって東南アジアから南アジア、太平洋の島々の植民地化を図る
逆にオランダ帝国は広東帝国や福建帝国との戦いで疲弊してそれがヨーロッパのパワーバランスに大きく影響を与えて…とか 確かに、分裂したほうがかえって強力なシーパワーになったかもな 清代には、大勢の広東人・福建人が海を渡って東南アジアに植民した
植民地帝国になる素地は十分あったな >>966
杭州の屋台でも売ってた。
妻と娘の好物。
あと羊肉の串焼き。
香辛料に慣れてれば、あれもうまい。
たぶんモンゴルか回族の料理だと思う。 >>970
本家でも均田制や府兵制は唐の中期で破綻済み。
唐後期から五代が地方の武人政権林立の時代。
再統一した宋が文人中心国家となり、これにモンゴル要素を加えたのが明朝。 >>980
そうなんだよな
出口治明は「日本は隋唐から中途半端に均田制を導入したが失敗した」とやたら強調してたが、
隋唐だって出口治明が思うほどキッチリやってたわけでもないし、わりとアッサリ崩壊している ドイツを中国と見立てると、オランダという国は福建や広東が独立したような国だな >>968
大陸は沖縄、台湾位の緯度でも雪が降る位寒かった
今は温暖化して雪が降らなくなってきたようだが
東南アジアにかなり近づかないと基本は寒い >>985
ネーデルラントはスペイン・ハプスブルク家の領地だったからな
そしてその北半分だけがプロテスタント国として独立 ドイツとフランスの間の小国群はフランク帝国分割の残骸 >>986
寒波がどこまで南下するかによる。
2008年の中国雪害では雪対策がほとんどない南部で大きな被害をもたらし数百人の死者を出した。 冬休みに台湾に遊びに行って10日間滞在したことがあったが、
1日だけ超寒かった。真冬の寒さで分厚いコートが必要。
他の9日は半袖ポロシャツの夏服で過ごした。
やはり冬休みに広州に行ったときはずっと袖をまくって暑さをしのいだ。滞在中に寒波が来なかった。 清朝は中華王朝の一面を持つが
領土の4分の3が非漢字圏で
多民族多言語の同君連合でもある。 でも語彙の50%が漢語
越南語はさらに多くて語彙の60%が漢語 清について漢語文献だけでなく
満州語、モンゴル語、チベット語、更にはロシア語文献から論文を書けば
カッコいいし一目置かれる。 >>996
さらに本格的に文献や論文当たるなら、
ウイグル語、ペルシア語、ヒンドゥスターニー語、ゾンカ語、シッキム語、レプチャ語、ネパール語、
日本語、韓国語、ラテン語、英語、仏語、ポルトガル語も要りそう >>996
>> 998のほか、ドイツ語やアラビア語も必要かな
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