古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】36
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○ >>1 乙 もうお前に用はない
く|)へ
〉 ヽ○ノ
 ̄ ̄7 ヘ/
/ ノ
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/
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/ ローマスレとは関係ないんだけど、許してね
モンゴル帝国と元王朝て名前が違うだけで同じ意味なのかな? 許さないよ
モンゴルスレは他にもいくつもあるからそっちで聞きなさい 笑ったw
キケロとアウグストゥスの関係ってそんな感じだったよなw まぁキケロも友人のカエサルが殺されたら嬉々として暗殺者のアドバイザーになろうとしてたりするんで
自業自得ではある キケロがアントニウスを怒らせるようなこと言うから…
カエサル派のキケロ弟もとばっちりを受ける始末 完全に文人肌だったキケロからすれば
武人であると共に文人でもあったカエサルや少なくとも理解を示したオクタヴィアヌスは容認できても
完全に武人肌だったアントニウスの台頭は許せなかったんだろうな
じっさい統治の実績を見ればキケロの見識は正しかった ローマ帝国側からアントニウス見ると、マジでこいつにいいところが何も無い、ただの筋肉ダルマ
カエサルが暗殺される時にはまったく何もできなかった
それなのにカエサル派のトップであるかのように振る舞う
挙句の果てにはエジプトの女王にローマを売る算段をする売国奴
単純な力も無い、政治センスも無い、恥も知らない この件についてはアントニウスが無能、キケロが無能っていうよりも
オクタヴィアヌスが若いくせにどんだけ老獪なのって話だと思うけどな
オクタヴィアヌス「キケロ父さん! キケロ父さん!」
キケロ「少年よ! 元老院の皆を味方に付けてあげよう。アントニウスを弾劾してあげよう」
↓
オクタヴィアヌス「アントニウスさん、レピドゥスさんや僕と組んだ方が得ですよ」
アントニウス「だが俺を弾劾したキケロは許せん殺すぞ」
オクタヴィアヌス「どーぞどーぞw」 >>15
むしろオクタにとって邪魔くさいキケロを自分の手を汚さず始末できるように持って行った予感すらする
こいつの図りしれない才能やばいよな >>14
また古臭いカビの生えたアントニウス像だな
一度は元老院派に傾いた世論を演説によって再びカエサル派に引き戻したのはアントニウスだし
アントニウスがいなかったらオクタヴィアヌスはとっくに殺されてたよ >>19
アントニウスがただのバカじゃないって主旨には賛成だが
アントニウスがいなければオクタヴィアヌスが殺されてたってのはどうかな
アントニウスはカエサル追悼演説でローマ市民1人に75ドラクマやるという遺言を読みあげたけど、履行はしなかった
履行したのはオクタヴィアヌス オクタはカエサルのクリエンティスや奴隷など
ユリウス一門関係の人とカエサル家のブレーンを壊すことなく引き継いでるんだと思う
カエサルの真似はそれでできたんだろう。 >>20
相続人になった当時18歳だぞ?
アントニウスが巻き返し図らなかったら無事で済むわけないだろ
しかも最後のそれ何の反論にもなってないしな >>22
アントニウスの演説は彼の弁舌の才能だけでなく、カエサルの遺書の存在が大きい
18歳のオクタヴィアヌスにだって遺書を読むことくらいできたろう そのカエサルの遺言書を公表できたのはアントニウスの尽力によるものなんだが
遺書の内容を知っていたのはごく一部だし、アントニウスがいなかったらブルータスにひっそりと葬られて終わりだったろう >>24
「アントニウスの尽力」って、アントニウスはどんなことをしたの?
(おそらくはカエサルの秘書達が保管していた)遺言書を追悼演説で読み上げたというだけではなくて? アントニウスを殺すことすらしなかったブルータス一味が当時のオクタウィウスなんて小物を殺したとは思えんな
>>19は言い過ぎだろう アントニウスは学歴的には当時最高峰、文学的造詣が深くなかったとしてもオクタウィアヌスよりは間違いなく弁論術は上手
軍才は言わずもがなだし、カエサル派のトップとして全く不足なし、と当時の人間も思っただろうし自分でも思っただろう ブルートゥス一派はそういう意味でも中途半端だったな
やるならスッラぐらいの覚悟がないと
まぁ神輿のブルートゥスが許さなかっただろうけど プルタルコスの伝記のブルータス伝によると遺言状とカエサルの公葬を行うことを元老院に認めさせたとのこと
同伝によるとカエサルの亡骸と遺言とをうまく使って大衆が理性を失うほどの名演説をうったらしい
アントニウス伝のほうを読むとギリシャに遊学して当時、もっとも洗練され最も名声を博した弁論術を学び
その弁風は傲慢と虚栄に満ちたもで彼にふさわしいものだったとある
性格は享楽的退廃的だが腕も頭もキレる人物という印象 アントニウスの学歴って、紀元前58世紀に1年ほどアテネにいたくらいだろ
それ以前にはローマ市内でクロディウス辺りと愚連隊やってたっつー札付きのワル
こんなんで「学歴的には当時最高峰」はさすがに草 >>31
紀元前58世紀はさすがに草
さっさとなんJ世界史部にでも帰れよキッズ その一年で立派な弁論術を身に着けたのだから中々の弁士だったと言えるんじゃない
カエサルから目を懸けられてたのも兵士と豪遊したり人妻との密通が趣味だったりよく似た性格だったってのもあるかもな >>30
その享楽的退廃的性格も、父親死んで義父もキケロに殺されてという家庭環境に負うところ大な気がするな
とはいえオクタヴィアヌスも父親死んだりと複雑な家庭環境ながら、強靭な自制心で死ぬまで喜劇を演じきったところが器の差だったのかもな 修辞学と哲学を1年も学んでたら十分だろ
現代の大学感覚なのか? アテネってローマに多くいたギリシアオタにとって我々ロマオタがローマに遊びに行くほどの感動だったんだろうな。 1年は当時の感覚でも短い
弁論術はギリシャ留学で学んだんじゃなくて、アントニウス自身が激動の人生の中で体得した技術なんじゃないか >>36
我々の大先輩である大文豪ゲーテは2回目に訪れた時結構ガッカリしたんだっけか 留学以外ならカエサルの近くで見様見真似で覚えたとか 見よう見まねじゃないかなあ。カエサルはああいう性格だから
感染力みたいなのは高そうだし、真似した若者は多そう
数あるフォロワーの中でも政治的実力と運に恵まれたのがアントニウスでは?
ウマが合うかどうかはカエサル側の実力でどうとでもすり合わせがつくし クレオパトラにであって実は一番損したのがアントニウスか 政治家としてはそうかもしれんが個人としては幸せの絶頂に至ったのかもしれんぜw カエサルは自分で宣伝の為のガリア戦の報告書書いたり、若い頃スッラに追われて逃亡したり、最後は暗殺されるとかの人生だから
それをリアルタイムで見てた10代の若い連中とか感化される奴多かったろうね。
若くてちょっとレールから外れちゃったような奴らから好かれる要素持っちゃってる人生というか。 クリオが生きてたらおそらくアントニウスより重用されたんじゃないか? 期待の若手みたいな感じだしな、クリオ
あとクラッススの息子も
戦死してなきゃどうなってたかはわからん もう毎日毎日寺だの神社だの見る生活は嫌だ
なんでローマにうまれなかったんだろう 日本に生まれても毎日寺だの神社だの見る生活って珍しいと思うが 帝政の設計者たるカエサルを含めた歴代のローマ皇帝が一堂に会したらカラカラとホノリウスは吊し上げくらいそう
カリグラやヘリオガバルスは可哀想な人を見る目で見られそう
ネロやコンモドゥスは一定の理解は得られそう カリグラは高熱出してから暴君に変わったんじゃなかったっけ?
高熱の前から放漫財政ではあったみたいだが 一番吊し上げ喰らいそうなのはウァレリアヌスだな
蛮族の捕虜になるってどういうことだと >>43
レールから外れてない勢からも好かれてたから単なるアウトローの英雄じゃない
どっちからも好かれるもっとヤバい奴 ウァレリアヌスは評価されてもいいはず
井上文則さんの軍人皇帝時代のローマを読むに ウァレリアヌスとその息子は最後のローマ人らしいローマ皇帝
ウァレリアヌスの敗北で重装歩兵の栄光が終わった
ササン朝とパルミラとドナウ軍団らにより重装騎兵の時代が始まる
重装騎兵の時代=中世と言えなくもない
騎兵を主力にしたのは息子ガッリエヌスだけど
帝国を3分割統治にして自らオリエントを担当して
ディオクレティアヌスの手本になったのはウァレリアヌスだった
ウァレリアヌスの失敗は経験不足の息子と孫で分担したので
ウァレリアヌスが捕虜になるとたちまち帝位を奪われてしまった
ディオクレティアヌスは実戦経験が豊富な将軍らで分担させた サロニヌスやホノリウスはまだガキだったのに
ウァレリアヌスやテオドシウス1世は過酷だ
受け入れる現地側もさぞ困惑した事だろう ホノリウスはともかくサロニヌスは14,5くらいだろ
マルクス・アウレリウスはその年代で普通にルキウス・アエリウスの側近として辣腕奮ってたんだが マルクス・アウレリウスはいわゆる天才児とかでしょう
誰もがそんなに優秀ではないでしょう
アルカディウスとホノリウスの兄弟なんて成人してからも
政治に全く無関心だったと評されている >>38
まぁ一応一回目めからいろんな芸術作品生んでるから
ワイらなら感動しただけで終わるところだw 帝国を3分割統治にして自らオリエントを担当して
ディオクレティアヌスの手本になったのはウァレリアヌスだった
アウレリアヌスはプロブスにオリエントの統治を任せて
プロブスもオリエントの統治はサトゥルニヌスに任せた メロヴィング朝とか東西ゴートよりも
ローマのほうが遥かに歴史が詳しくわかってるイメージがあるな ウァレリアヌスはオリエントをパルミラのオダエナトゥスに任せて
自らはドナウ戦線を担当して息子ガッリエヌスにライン戦線を
任せれば長続きしたのかもしれない ローマを分割するとは何事だ!おかげで内乱祭りになったじゃないか!
お前らの征服した範囲が広すぎるんだよーゲルマン人も昔の何倍もいるしさー
ゲルマンごときに負けるなんて実に情けない!昔のローマ人はゲルマン程度ボコボコにしたものだ
おめーが戦った時はゲルマン人が組織的行動してなかったころだろうがよ!点数稼ぎに遠征しただけだろ!
いやいやゲルマンなんてキルマシーンのフン族に比べたらザコでござるぞ!フンに追い立てられるような臆病者たちでござる
そのゲルマンにすらボコボコにされたローマ皇帝が居ましたっけねえ、誰とは言いませんが
とか脳内皇帝元老院が開かれた >47
イタリア人も創価学会員が居て
ナンミョーやってるけどな いろんな神を祭ってる神社はローマ的じゃないか
明治維新の宗教政策は純化したが伝統に反するものだったな 創価って生命力ある宗教団体だよな…
地域共同体を代替する共同体として戦後に都市民の間に拡大した新宗教のうち、創価学会だけが世代間継承に成功したし、
海外布教も統一協会含む他の新宗教同様のブラジルと南部・西部アフリカだけでなく、
伝統宗教である禅仏教が成功した欧米(アイルランドではカトリックとプロテスタントに次ぐ第三の宗教に)にさえ、創価学会は根付いてしまった。
やはり宗教は純粋な信仰の問題だけでなく、生活とビジネスの共同体の問題だな。 同級生の小さな電気やがソウカにはいって持ち直したんだが、その互助の精神はおもしろくもあり恐ろしい
ちな、同級生は嫌だったらしく、ソウカの子弟が仲間意識で話しかけるのを凄く嫌がり、むしろ疎遠になってたW
やはり教義より組織のありかたは重要だねぇ
キリスト教が成功したのも強固ななかま意識だろうし、ユダヤ教が大離散によっても命脈を保ったのはその排他性と裏腹の強固な仲間意識でしょうな >>71
げえええええええ
悪魔憑きみたいな女バイオリニスト草 なんか、古本屋で見たローマ関連の本で
チベリウス、ベスパシアヌス、チトウス、とか書いてあって
なんか新鮮だった。 チェーザレの方が驚いたなあ
なんか、カエサルがチェーザレと呼ばれていたとしたら嫌だなあ
個人的には英語のシーザーかスペイン語のセサルが好きだ セサルはいいね
シーザーはシーザーサラダを思い出してしまうので微妙
>>75
古い本ってなるべく小さなッとか小文字 しまった
途中送信
小文字を昔は使わない傾向があると思う スッラがスラになってたりしてたな
最初誰かわからなかった Suraという名もあるから
Sullaはちゃんと「ッ」いれないとややこしいんだよね sulla
suburra
villa
venus
veni, vidi, vici, 昔高校で習った時はマリウスとスラだった気がするなあ閥族派とか謎の拘りネーミングで意味がわからなかった >>77
セサルは背猿って漢字で変換されそうだけどなw トランプ< ヒスパニックは背の高い猿みたいなもんだ・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>ファルサルスの戦い
この時カエサルは自軍の投槍兵に、騎兵に対して踏みとどまり、ピルム(槍)を投げたり、足や脛を狙うのではなく、騎兵の顔や目を狙って直接突き刺すように命じていた。
この攻撃を嫌った元老院派の騎兵は逢えなく崩壊した。
とは言えマケドニアのヘタイロイ騎兵やヌミディア騎兵が
この様な攻撃で阻止出来るのかどうかだが
トゥールポワティエ間の戦いではフランク軍のシールドウォールで
イスラム騎兵が撃退されているから
ローマ兵のシールドウォール+ピルムでの突きはそれなりに防御力は有るのかも知れぬが
マケドニアでは重視されている軽歩兵が投げ槍を投じ
ローマ兵のシールドウォールを崩した後
ヘタイロイが長槍を利用し突入すれば
ローマ軍はやられる可能性も有るのかだが
ヘタイロイが完全に歩兵を排除出来ず共
重装歩兵ペゼタイロイが後で前進して混乱するローマ歩兵を
排除すると言う可能性も有るのかだが 率いてる指揮官次第で勝率変わる場合もあるよな
羊が率いる羊か、羊が率いる狼か、狼が率いる羊か、狼が率いる狼か マケドニア軍10000の攻撃を鎬げても
11000に攻め立てられたら崩壊する場合も有るし
そんな定性的な話じゃ無いわな ローマ軍がギリシア式密集重装歩兵と戦った時に、グラディウス使ってるから槍に苦戦した
とか言ってる人がいたんだが、ローマはどうやってギリシア式に勝ったの? 「重装歩兵のみのローマ軍VS重装歩兵・軽装歩兵・騎兵のマケドニア軍」という条件ならマケドニアが勝って当然だけども
そもそもローマ側も実際には重装歩兵だけではないからこういう比較は意味がない
投げ槍・投石(帝政期からは弓も)部隊と重装歩兵の連携運用はそれこそローマが得意としたものだし あと重装歩兵・軽装歩兵という区切りのうえでは忘れられがちだけど
ローマ軍団兵そのものにも投擲兵としての能力がそこそこ付加されてるんだよね
投げ槍数本が基本装備だし共和制末以降になると状況によっては大量に揃えて
前列にシールドウォール組ませてその後ろから断続的に投げまくるという戦術もやるし 2世紀の例になるがアリアノス陣形あたりは、
大量の長弓兵やアジア式弩兵スパムで
ゴリ押ししないと崩せないだろうな。
マケドニア軍で正面突破するのは苦しい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%8A%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D168%E5%B9%B4)
>当初、戦いは互角に展開したが、やがてローマの前衛をマケドニアのファランクスが突破した。この戦いでのマケドニア軍ファランクスのサリッサ(マケドニア軍のファランクスが用いた長槍)の林にパウルスは驚愕と恐怖に捕えられたという。
さらに、その後方の部隊も破れたため、ローマ軍はオロクロンという山まで後退した。
この追撃のためにマケドニア軍のファランクスの隊列は乱れ、戦列が長く延びて隙間や割れ目ができた。
そこでパウルスは部隊を小分けして敵の戦列の隙間や裂け目の集中攻撃・各個撃破を命じた。白兵戦ともなればサリッサは役に立たないため、マケドニア軍はサリッサを捨てて戦ったが、彼らの短剣と小さな革張りの盾ではローマ軍の剣と大きく重い盾には抗し得ず、敗走した
ローマとアンティゴノス朝マケドニア軍が戦ったピュドナの戦いでは
マケドニアファランクスは追撃時に出来た隙間を
細分化されたローマレギオンに狙われてやられているが
アレクサンダー大王ならこんな隙は作るのかだろうし
ガウガメラでは自ら隙間をペルシャ軍に作っていたから
自軍の隙間の防御と言うのも意識していると言う事かも知れぬが
隙が出来ても騎兵や軽歩兵でカバー出来る体制は
作っている可能性も有るのかだが そういや弩は紀元前からあるけどローマ軍はクロスボウって使ってたのか? 散開したマケドニア軽歩兵には
ローマ兵の投槍も余り有効では無いかも知れぬが
騎兵突撃に対処する為に恐らく密集したローマ歩兵が
マケドニア軽歩兵の投槍を回避する事は困難かも知れぬし
密集しているなら盾の壁を修復する為に
前後が上手く入れ替わる事は何処迄出来るのかだが
盾の壁が部分的に崩された後騎兵突撃を受ければ混乱し
この後マケドニア重装歩兵が突撃すればやられる可能性も有るのかだが
ローマ兵の盾の壁が上手く前後を入れ替わる等して
軽歩兵の投槍で崩せなければ
重装歩兵を先に突撃させて
ピュドナの様にローマ兵が敗走した所に
騎兵突撃を掛けると言う方向も有るだろうか 儒教ってもしローマにまともに伝わってたら、結構支持されたんじゃないかな? >>96
ヘタイロイ騎兵の突撃からは敗走したローマ兵も逃げられず
マケドニアファランクスも敵を無理に追撃しなければ
隙は生じないと言う事かも知れぬが ピュドナやマグネシアの戦い眺めるかぎりだと、共和制期ローマ軍が相手ならアレク指揮で勝てる
でも兵の質と種類が充実し運用もより洗練されていった1〜2世紀帝政ローマ軍相手だと、アレク指揮であっても難しい >>95
個人携帯型の弩も一応使ってはいて
アッリアノスによると騎兵にも持たせることもあったらしい(そういう訓練やったと記録してる)
ただし限定的なものでのちの中世や古代中国のような大規模使用はなかった ナポレオンも列国軍がナポレオン式の戦闘に慣れて対策を立てると
連戦連勝って訳に行か無く成ったしな
>>97
儒教は体制論的な側面も有るから、世襲封建国家とあまり相性良く無いでしょ
日本とかモンゴルとか帝政後期以前のローマとか 儒教は文武で文を重んじる思想がローマと合わない気がするな
ローマって何だかんだ戦争強いヤツが偉いって発想だったじゃん 個人弩は日常警備や狩りでたまーに使われる程度の二線級道具な扱いだったらしいなローマ。
対照的に大弩(バリスタ)は城砦戦のみならず野戦にもよく持ちだして、
時にはトラヤヌス記念柱にあるように荷車に載せて移動砲台みたいな使い方もしてたようだが。 ガストラフェテスよりクレタ弓兵とかの方が強かったのかも 儒教はキケロとかカエサルは興味持ちそうだけどね、なんとなく
教養人だし キケロは興味持つし自説にも採り入れるだろうが、カエサルは興味持ちつつも批判するんじゃないか
結局のところカエサルは武人だよ ポンペイウスにしろアントニウスにしろ、あるいは小カトーやブルトゥスにしろ、何かが少し違うだけで歴史の勝者にもなり得たと思えるが
レピドゥスだけは立ち回りの事跡がことごとく間抜けに思える
何でこんな人をカエサルは抜擢したんだろうか?
それとも、アウグストゥスの立ち回りがあまりに卓越していたせいで、結果論的にレピドゥスが間抜けに見えるのだろうか? 1−2世紀のローマ兵でも
正面からマケドニアファランクスを
撃破出来る様な強さは有るのかどうかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>ここで、野営地を守備していたマケドニアのファランクス(ローマと同盟を結んだ折、ペルセウスが送った重装歩兵)がセレウコス軍のカタフラクトイに立ち塞がった。
ローマ軍団を蹴散らしたカタフラクトイであったが、ファランクスの頑強さを崩すのは簡単ではなく、一進一退が続いた。
マグネシアではセレウコス朝の重騎兵が
マケドニアファランクスに撃退されているから
ローマ帝国が同様の重騎兵を配備した後も
これの突撃は通用し難いと言う事なのかだが なんやかんやローマ、イタリアってロマンチックやのう。 日本語wikipediaのそのマグネシアの記事はかなりマケドニア側に偏ってるから注意な
中央ではローマ側が押していたことにほっとんど触れていないし >>108
ローマ軍団は共和政末から2世紀にかけて正面戦闘能力はかなり上がるぞ
ヘレニズム騎兵よりもさらに重装備かつ攻撃的なアルメニア・パルティアの重騎兵を弾けるほどで
マケドニアやセレウコス朝と戦ってた頃とは比べ物にならんくらいに正面は硬くなってる >>102
儒教に武を軽んじる思想何てないが
むしろ重視してる 帝政初期ローマ軍団なら投槍はより重くてさらに盾貫通するようになってるし、
接敵寸前に投槍弾幕で滅多撃ちにするやり方もさらに的確になってるから、
前進が遅いサリッサファランクスは良い的になってボロボロにされると思う。
そしてその前段階にあたる軽歩兵同士の撃ちあいでも、
ローマ側のほうが補助部隊モリモリで充実していてマケドニア側は不利。
まあ数百年後の正当進化した後継軍なんだから帝政初期ローマ軍のほうが上なのは当然っちゃ当然。 >>112
は? 聖王覇王も知らないとかお前論語何も知らないだろ 112が知ったか無知オタンチン・パレオロガスであることは認めるが
正しくは王道・覇道な 知らないのはお前何じゃね
じゃあ何で春秋では決闘を君子の戦いとして賞揚しているかなぜ六芸に射御が入ってるか説明して見ろや
お前のイメージしてる中国って大方、宋代以降だろ
魏晋南北朝の使持節もちの武官や唐代の節度使の権限の異常なまでの強さをみてたら
元々中国に賤武思想何てないことがわかる 軽武の思想なんて無かったけど
使持節や節度使の時点で文武の大官兼任したのと同じじゃし そもそも王道論となえた孟子自体が反戦主義者でも何でもないしな
力ではなく仁を以て統治すれば兵士は身命を忘れて戦うので軍隊も強くなるという
先づ戦争ありきの理論 マケドニア・セレウコス戦を考察して「ローマ式よりヘレニズム式のほうが基本強い」とする言説はちらちら見るけど、
そもそもこの前2世紀は度重なる戦乱と疲弊で従来軍制がジワジワぶっ壊れていった時代だから、
このグダグダ期の例をもって「ローマ式よりヘレニズム式のほうが」と丸ごと括られるとムズムズしてしまう https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%A0
ピルムはBC4世紀から有るが
5kg等のピルムも有ると言うが
帝政期にはこうした物が多用されたのかだが
ローマ末期にピルムが軽量化された後なら
マケドニアファランクスを打ち砕くのは
困難と言う事なのかだが 球ついたクッソ重いピルム使ってたのが二世紀だっけ
(パルティアの重装甲な騎兵ぶち倒すため?)
あれブチ込まれたらマケ式ファランクスでもたまらんだろな >>116
六芸ってのは孔子の考えでも儒教の教えでもなくて中国古代の思想ね
中国古代の思想と儒教をゴッチャにするのは論語知らずの典型的なミスだな
それと、>>102はあくまで「文武で文が重い」としてるんで、儒教が武を否定したわけではないことに注意
ローマと同時代の漢じゃなくて魏晋南北朝を挙げてる時点で自覚があるんだろうが
儒教は建前としては「徳によって人を治める」ことを理想としていて、それがカエサルに似た始皇帝を否定する論理にもなったし
漢の時代ではその建前が宮廷での序列に大きく影響を与えている
>>117
>>118
その通り、論語は反戦論ではない 始皇帝はカエサルというよりアウグストゥスのイメージだなぁ
若い頃から狡猾だったところなんかソックリ >>116は今一生懸命ネット検索して反論構築してる最中なんだろうな
「ぼくがかんがえたさいこうのカエサル」を否定され(たと勘違いす)ると、毎回足りない頭でムキになって反論するの本当に勘弁してほしいわ カエサルのカリスマは徳に該当しないのか
似たタイプだと光武帝とかサラディンとかも徳って感じがする >>125
カエサルは変革の人で、基本的には既成権力(元老院)と戦い若者を抜擢するタイプだったからねぇ
古代を模範として年寄りを敬えと教え既成権力を大事にする保守的な儒教とは相性が悪い気はする >>124
え?それ俺に対するレスなの?カエサルとかどうでもいいぞ
儒教に軍事を軽んじる思想はないってハッキリしておきたかっただけ 儒教が古代を模範とするとか建前やで
周礼や井田制なんかその典型で「ぼくがかんがえたさいきょうのせいさく」の権威付けに周を使ってるだけ
孟子も春秋当時は湯武放伐を根拠に革命を説くかなり危ない思想家だったしな >>100
共和制後期あたりの装備充実してくるあたりならクロスボウの一斉射撃の方が騎馬隊相手なんかに有効な気がするんだけど、射程が足らないのかね? 熟練したスリング兵や弓兵を補助兵として雇用するほうがローマにとってはやりやすかったんだろうか クロスボウじゃあ1分間に撃てて2発でしょ
騎馬突撃に対応できまい 鉄砲でもクロスボウでも、騎兵は足を止めさせないと辛い 前2世紀のヘレニズム戦や帝政末以降のゲルマン戦にて真正面から崩された例で
「ローマ軍団は重装騎兵の突撃に弱い」とよく言われるけど
(日ウィキペディアのローマ軍団の記事でもその論調)
「ローマ軍団」がもっとも高品質だった共和制末から2世紀については
陣形保っているかぎりはアルメニア・パルティアの重騎突撃にもけっこう耐えてるんだよね
まだ鐙がない時代というのもあるだろうけど 貫通力より矢の密度を取った方が有効って判断したのかね? ローマ軍団って装備傾向は確かに長期間変わっていないけど、能力や性格については時代ごとにけっこう違うから、
巷でよく使われる「ローマ軍は○○だった」という言い回しはかなり大雑把だよな。 オスプレイwarriorのLegionaryシリーズではマリウス期からディオクレティアヌス即位までを
BC109-BC58、BC58-AD69、AD69-AD161、AD161-AD284の四冊に分けてるあたり
やはり専門的に掘っていくならこのくらい分けていかないとダメなんだろう AD69で分けてるのどうしてだろう?
ローマ軍制の変化はウェスパシアヌスというよりドミティアヌスからじゃないの? 1−2世紀のローマ歩兵の重ピルムでのアウトレンジを回避する為に
ヘタイロイ騎兵や軽歩兵でローマ歩兵を足止めしつつ
マケドニアファランクスを突入させると言う方向も有るだろうが
果たして此れでマケドニア軍は勝利出来るのかだが
ヘタイロイ騎兵で左右からローマ歩兵を圧縮しつつ
セレウコス朝等に多い戦象を
正面からローマ歩兵に突入させる等と言う方向も有るのかも知れぬが
何処迄上手く行くのかだが
マリニャーノの戦いでは仏の騎兵が
スイス歩兵を左右から圧迫し拘束しつつ
正面から砲を浴びせて勝利しているが
此れに似た様な事は象で出来るのかだが >>139
> ヘタイロイ騎兵や軽歩兵でローマ歩兵を足止めしつつ
そもそも二世紀のローマ軍が揃えた投射戦力はこれらを妨害し散らすためのものだよ
そして投射戦力はローマのほうが充実してるから序盤の射撃戦で騎兵と軽歩兵が追い払われたあと
残されたファランクスがじっくり料理されるのがオチかと ヘタイロイ騎兵が全方向から1−2世紀ローマ歩兵に突撃すれば
少なく共短時間は足止め出来ない共思えないが
正面は何れマケドニアファランクスが突入するから
正面のヘタイロイ騎兵及び軽歩兵は左右や背後に回る事は出来るだろうか 全方向から突撃ってどんな状況考えてるの?
重・軽歩兵と騎兵ぜんぶ揃った数万のマケドニア軍で
軍団兵のみのローマ軍500人をタコ殴りにするような状況ですか? >>141
だから敵騎兵のそういう動きを阻止するために投石や弓の補助部隊を整えてるんだからな
あと騎兵も補助部隊としてけっこうな数揃えてるし2世紀には弓騎隊もいる ローマ騎兵を足止めするのに同数のヘタイロイ騎兵は恐らく不要だろうし
残ったヘタイロイ騎兵をローマ歩兵を足止めするのに使える可能性も有るだろうが
ローマ歩兵本隊へのパルティア等の騎兵の突入は
現実に何処迄阻止されたのかだが
そう簡単に阻止出来るならローマが後で重騎兵を重視したのかだが
ローマ歩兵をマケドニアファランクスが排除した後は
残ったヘタイロイ騎兵でローマ騎兵を撃退出来るなら
勝利出来る可能性は有るのかだが 地形効果もあるけどBattle of Mount Gindarusなんかは、
突撃したパルティア重装騎兵が逆に虐殺されまくりな様相だったらしいな。
紀元前1世紀でこれだから、より射撃戦力が向上した2世紀にはもっと強いだろう。
実際に2世紀のアッリアノスが記録した対サルマタイ用陣形はさらに凶悪な代物だしな。
それと>>134でも触れられてるが、ローマ軍団そのものにも、
重装騎兵にそこそこ対処できる能力あるということも重要だな。 >>145
ローマ歩兵もそうした対騎兵陣形を組んでいれば
機動性は低下し
マケドニアファランクスの突入を許す危険も有るだろうし
マケドニアファランクス突入後これを側面攻撃しようとした場合
その部分は恐らく対騎兵用陣形では無くなるなら
ヘタイロイ騎兵で此れを阻止出来るかも知れぬが >>146
この陣形は軍団兵も最前列で壁作って投槍弾幕張るってのだから、
さらに動きが遅いファランクスは接近するともっと酷い目にあうと思うぞ。 とは言え正面突撃したマケドニアファランクスが敗北する程
ピルムの投射で数を減らせるかと言うのは有るだろうし
マケドニアファランクスの数がローマ歩兵の
3/4程度でも危うい可能性は無いのかだが
重ピルムの射程は通常のピルム同様の15mも無いだろうから
突入前に何処迄投げられるのかだが いくら頑強なマケドニアファランクスでも人間の集団なんだから
一斉射撃で前列が乱れたら前進攻撃の継続は無理だと思う
ローマ軍団兵のことだからその隊列が乱れたところに肉薄突撃するだろうし
あとそこにヘタイロイ騎兵を突入させれば〜と言うだろうけど
こういう混戦になってるところにはまともな突撃は難しい
この混戦中のファランクス隊が逆に突撃の邪魔になる
それとそもそもそんな速やかに突入できるような機動力はマケドニアファランクスにこそない マケドニアファランスも弓兵の数が多い
ペルシア軍歩兵に突入しているなら
近距離から投射されるピルムを受けたとしても
突撃は果たして出来ないのかどうかだが
ピュドナでもマケドニアファランスはピルム投射と剣の斬り込みは
それなりに受けているだろうが
ローマ歩兵は撃破されている訳だろうか >>150
ローマが盾をオシャカにするタイプのピルムを本格的に使い始めたのはマリウス時代あたりからで
マケドニアやセレウコス朝と戦ってた頃はまだ
あと使用法においてもそれ以降の共和制末からより一斉集中で投げるようになって効果が上がってる
それとそもそもペルシア軍はピルムの一斉射撃などしない ピルムの密度が増したとしても
マケドニアファランクスを1/4も減らせるのかと言う事は有るだろうし
ローマ歩兵の3/4もマケドニアファランスが居れば
ローマ歩兵が敗北する可能性は有るかも知れぬが
ペルシャ弓兵の遠距離からの断続的な射撃は
完全鎧等装備していないマケドニアファランクスには厄介では無いのかだが
槍の壁でも矢を幾らかは止めていただろうが
ピルムは止まらないと言う事なのかだが だから何割減るとかの話じゃなく
一斉射撃に晒されたファランクス最前列が乱れることでピュドナの最終局面と同じ状況になるんじゃないかと言ってる
ローマ軍団はそのファランクス隊形に空いた傷口に突入することで剣の間合いの至近戦に持ちこめるから ピュドナでもマケドニアファランクスは
正面からのピルム投射・斬り込みはそれなりに受けた筈だろうが
ピルムの密度が増えても射程の制限も有るから
正面から切り込んで壊滅させられる所迄果たして行くのかどうかだが
ランツクネヒトのパイクに対しては
ローマ兵に似て剣と盾を持つスペインのロデレロは
効率的では無いと判断され廃止された訳だろうか マケドニア軍が散開した軽歩兵に
ローマ兵のピルムを投射させて幾らか消費させた後で
ファランクスを前進させると言う様な方向も有るかも知れぬが
これが読まれればピルムは放らないと言う事かも知れぬが
軽歩兵にジャベリンを補充して攻撃を長時間続ければ
或いは幾らかは投射して来る可能性も有るのかだが
ローマ歩兵が対騎兵陣形で密集した所に
象を突入させると言う方向も有るのかだが
側面に開いて回避しようとすれば此れをヘタイロイ騎兵で
圧迫する方向も有るだろうか >>156
だから軽歩兵の相手は軍団兵じゃなく補助部隊の投石兵や弓兵がやる
軍団兵がピルム投射するのはこの投石と矢の中を重装騎兵や重装歩兵が無理やり突破してきたときだけ
像はどうだろうな
カエサル以降は長らく像を相手にしたことないから対処法を忘れていて初戦はかなり手こずるかもしれない ローマの補助軍騎兵ならマケドニアのへタイロイ騎兵なんて粉砕されて終わりだろ
ローマ騎兵も帝政期に入ると鞍に創意工夫がこらされるようになって、騎士のおさまりがよいような構造の鞍になってくる(言葉で構造を説明するのは難しいが)
>>156
Total Warシリーズじゃあるまいし象と騎兵をとっかえひっかえ繰り出すなんて実際の戦場では不可能だろう >>154
そらランツクネヒトって剣使った乱戦でも強いもの
剣乱戦が苦手だったサリッサ兵とは比較にならん ペルシャのそれなりに数が居るであろう
弓歩兵及び弓騎兵に
マケドニア軍の軽歩兵が阻止された様には見えないし
ローマ弓兵の射撃の中でも
ジャベリンを投射出来る距離迄は接近出来る可能性は有るのかだが
重いピルムを消費させるには最低でも15m以内には接近する必要は有るかも知れぬが
ヒュダスペス河畔の戦いでは
アレクサンダー大王は象の足・足の裏や鼻・乗員を狙ったと言うし
タプススでカエサエルは象の足を斧で攻撃し撃退したが
http://i.imgur.com/cMvgFgz.jpg
上のセレウコス朝の象兵はこうした攻撃を考慮してか
鼻や足に装甲も有り象使いも幾らかは守られているが
足の裏への攻撃迄は防げるのかだが
マグネシアの戦いでやられた
セレウコス朝の象はこうした装甲は有るのかどうかだが
ローマ歩兵の側面・後背をヘタイロイ騎兵で牽制し
横に開けなくしつつ
正面から象を突入させると言うのは無理なのかどうかだが
ローマ騎兵・ヘタイロイ騎兵も
鞍の性能より槍の長さが物を言う可能性は無いのかだが >>160
だってマケドニア軍は投石や弓矢の雨のなか投射兵だけで進ませるなんてアホなことしなかったからな ガウガメラではペルシャ騎兵とマケドニア軽歩兵が戦い
後者が勝利しているし
此処で弓騎兵の攻撃も可成り受けた可能性も有るのかだが
イッソスでも重装歩兵と共にをピナロス川を渡っている間に
ペルシャ弓兵の攻撃を可成り受けた可能性は無いのかだが >>160
鐙がない時代馬上でいかに身体を安定させられるかを左右する鞍は槍の長さなんかよりはるかに大事だと思うが 西匈奴軍のファランクス 前36年のタラス河畔の戦い
漢の遠征軍に完敗してしまったのは残念すぎる ローマ帝国が末期に重騎兵を配備した後でも
マグネシアで守りに入ったセレウコス朝の重騎兵が
機動性の低さからローマ兵にやられたと言うし
http://historia334.web.fc2.com/history/alexandros/a-4-7.html
イッソスでもペルシャ軍の重騎兵が
マケドニア騎兵に機動性の低さを突かれてやられている訳だろうから
末期ローマ軍がアレクサンダー時代の
マケドニア軍に敗北する可能性も有るのかだが まぁ確かにピルムは何本か投げたら終わりだし、射程も短いしな。 5kg等の重ピルムは複数携行するのは困難かも知れぬが
軽ピルムでも可成りダメージを受ける危険は
マケドニアファランクスは板金鎧は装備していないなら
有り得ると言う事だろうか >>162
一体何の話をしてるのか。
そのどちらも「弓で撃たれるなか軽歩兵のみで進む」という状況ではない。 全身プレート以外だったらそれなりにダメージ受けるよな
鎖帷子なら貫通されそうで、ブレストプレートなんかの局部防具ならどっかに刺さる
和鎧みたいな防具でも刺さったのが致命傷にならないかもしれないが、クソ邪魔になるし ぶっちゃけサリッサファランクスの防具水準だと、
重ピルム(錘球つき)じゃなく通常タイプのピルムでも大変なことになる。
前1世紀から普及したRenieblas型の時点ですでに盾使えなくしたり、
身に当たれば板金鎧でも着ていないかぎり耐えられない威力だったりする。
そして1世紀から一般的になったOberaden型はもっと鋭くなってる。 ガウガメラではマケドニア軽騎兵は
別段騎兵の援護も無くペルシャ騎兵を撃退している様にも見えるが
この際に弓の射撃を可成り受けた可能性も有るのかだが
イッソスでもペルシャ軍の大兵力を考えると
川を渡る際に軽歩兵も可成りの射撃を受けた可能性は無いのかだが
イッソスの40000のマケドニア軍の内
軽歩兵の数は13000居るから
軽視されている戦力では無いと言う事だろうか いっそのことファランクス使用にこだわらずに山林地帯で軽歩兵のみのゲリラ戦やったほうが効果的なんじゃないかと感じる
現にゲルマンやダキアがゲリラ戦に徹底した状況こそ帝政ローマ軍が一番苦しんだわけだし
アルミニウスやデケバルスといった賢い連中もそれを理解して会戦を可能なかぎり避けてゲリラ戦とってたわけだし ピュドナの40000のアンティノゴス朝歩兵の内
軽歩兵は14000等は居たのかだが
26000のマケドニアファランクスでも
34000のローマ歩兵を
撃退は出来ている可能性も有ると言う事なのかだが
14000等の軽歩兵のジャベリンを
35000の1−2世紀ローマ歩兵が受ければ
此れにピルムで反撃しない訳にも行くのかだが
ピルムを消費させた後で26000のマケドニアファランクスが突撃すれば
1−2世紀ローマ歩兵は壊滅する危険は無いのかどうかだが >>174
だからなんで補助軍の存在を無視するのか。
軽歩兵が出てきたら帝政ローマ側も前衛で補助軍の投槍軽歩兵隊をだせば良いだけ。
実際にグラウピウス山の戦いでは前衛を補助軍にすることで正規軍団を温存してる。 マケドニア軽歩兵を迎撃するローマ軽歩兵は
ヘタイロイ騎兵で排除し
この後マケドニア軽歩兵が
ローマのピルム射程内でジャベリンを放って
ピルムで反撃させて此れを消費させた後
マケドニアファランクスが前進し
ローマ歩兵の側面攻撃は(ローマ騎兵の足止め用以外の)
ヘタイロイ騎兵で足止めと言う様な方向も
有ると言う事だろうか >>176
だから何度も何度も何度も言われてるが騎兵相手には弓や投石隊がいるし補助軍騎兵も揃えてるわけで。
あとなぜ1万4千程度の軽歩兵相手にするだけで3万5千ものローマ軍が装備消費しきると考えてるのか。
迎撃する側なら対軽歩兵にさく戦力は1万程度で事足りる。 ヘタイロイ騎兵も相当数のペルシャの軽歩兵を
撃破した事は恐らく有ると言う事だろうが
一方でペルシャ騎兵がマケドニア軽歩兵にやられているが
ヘタイロイ騎兵はローマ軽歩兵に果たして
何処迄の数の差でやられるのかだが このひと本当に研究者なのか?
なんかスクリプトみたいに同じことしか言ってないようだが マケドニア軽歩兵がジャベリンを放っても
ローマのピルムを完全に消費させる事は無理かも知れぬが
ファランクスが勝利出来る程度には減らせる可能性は有るのかどうかだが
ペルシャ兵の大量の弓の攻撃を受けても
ヘタイロイ騎兵は余りやられていない様にも見えるが
果たしてどうなのかだが >>180
だからこれも何度も何度も繰り返し言われてるが、
ヘタイロイ騎兵よりもさらに頑強なパルティア重装騎兵がローマの投石・弓弾幕でボロボロにされてるわけで。 >>179
このスレに現れたのは久々(たぶん)だけど
ずっと昔からあちこち出没して妄想垂れ流すだけの人 弓や石でパルティアの重騎兵が撃破可能なら
重いピルムを大量に放つ必要は有るのかだが
実際の所後者が主体だったのかどうかだが >>183
何重にも備えるのはごくごく当たり前だと思うが。
そこを疑問に思うほうが謎。 ペルシャ兵の弓の物量を考えれば
弓だけで阻止できるなら
マケドニア騎兵はイッソスやガウガメラで
壊滅していると言う事は無いのかだが >>185
ペルシア軍と帝政ローマ軍とじゃ組織錬度や戦術的な運用能力差が段違いなわけで。 7000のマケドニア騎兵も
ガウガメラでは恐らく大兵力が集中している筈の
ダレイオスの中央部隊に突入する前に
この歩兵・騎兵の弓で撃退されては居ないと言う事だろうか 話があちこち飛びすぎてもう何が言いたいのかわからん。 某研の相手してる奴ってホント馬鹿なの?
こいつはガチの自閉症で一度居着くと延々とコミュニケーション不可のレスをし続ける障害者なのに
責任取って新しいローマスレ創れよ ここまで黙って見てる側もどうかと思うけどな
事情知りようがない新しい人だって入ってきてるだろうし 自閉症かはしらんが文章が酷いことは確か
てにおはがなってない マケドニアが勝てば黙るんじゃないの
よほどローマを負けさせたいのだろ だからってケルト人が勝ち誇ってもなんか違うくないか?
マケドニア人が俺たちが勝った!とか言ってたらギャグじゃない 某研のレスって、よくここでありがちなローマからかけ離れたスレでもないから、そんなに気にならないけどな。 >>195
軍事的にローマを苦しめたのはマケドニアよりケルト人でしょ
実際ローマ軍団はケルト人からその優れた装備や戦術を取り入れたし 前々から言われていた「復活」を遅ればせながら観たが
キリスト題材でありながらも第九軍団と同じ系統のローマ軍オタクなこだわりも感じられる一品だった
それとマルフォイの人が新米将校役で出てたのがなんか楽しかった マグネシアで霧が出なかったら
ローマはセレウコス朝に征服されていたのかだが
アンティオコス3世はアレクサンダー大王程優秀では無いから
何処かで似た様な大敗北を喫し
ローマに敗北した可能性の方が高いのかだが マグネシアの戦いの前にセレウコス朝に亡命して来た
ハンニバルが重用されていれば
マグネシアは霧が出ていても或いは勝利出来たのかだが
エウリュメドン川の戦いで敗北した後も
ハンニバルが重用される事は無かった訳だろうか マグネシアの戦いで霧が出ずセレウコス朝軍が勝利した後
恐らく抗戦するローマ本国にセレウコス朝が侵攻した際
ハンニバルのローマ本国での経験が買われる可能性は有るかも知れぬし
此処で活躍した後セレウコス朝の実権を握り
世界征服に迄乗り出す可能性は有るのかだが とは言えローマにスキピオも未だ健在だろうが
野戦でセレウコス重騎兵を阻止する事は出来るのかだろうし
歩兵の優位も必ずしも無く
マグネシアで味方を混乱させた象は
ザマの経験からハンニバルは使用しない可能性も高いのかだが >>199
マグネシアで霧が出なかったら
セレウコス朝がオリエントを統一し続けたかもしれない
バクトリアやパルティアが再独立出来なかったかもしれない
バクトリアが再独立しなければイラン東部が混乱しないので
隣接するサカ族も混乱に巻き込まれないだろうから
サカ族の隙をついて月氏が西へ移動する事が出来ないはず
月氏は西へ移動せずに匈奴に降伏するか
漢と同盟して匈奴と戦い続けたはず スキピオってハンニバルと再戦したら勝てるのか?
ザマは勝ったけど、その1回だけだからローマの英雄になったと思うんだが、2回3回と勝てたように思えない。 スキピオの勝利はヌミディアをカルタゴから切り離したという戦略的勝利に依る部分も大きい
ヌミディア騎兵抜きでハンニバルが勝つのは飛車角落ちで戦うようなもので、やっぱり相当難しいんじゃないか? ヌミディア騎兵がセレウコス朝の重騎兵に勝てないなら
マグネシアで霧が出ずセレウコス朝が勝利し
ハンニバルが経験の有るローマ本土での戦いを任されれば
スキピオ指揮でヌミディア騎兵の居るローマ軍も
敗北した可能性は有ると言う事なのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ラフィアの戦いではセレウコス左翼の騎兵が砂埃を利用された奇襲攻撃で
プトレマイオス軍にやられているし
砂埃が無ければセレウコスの戦象部隊も健在と成り
プトレマイオス軍が敗北していた可能性も高いのかだが
ラフィアの戦いでセレウコス朝が奇襲を受けず勝利し
プトレマイオス朝が征服されれば
直後のカンネーでローマはカルタゴと戦わず
カルタゴと和平しセレウコスと戦う事を選択した可能性も有るだろうが
カルタゴがローマと和平せずセレウコス側に付く可能性も
アンティオコス3世が征服地の王朝存続を確約している状況なら
有り得ると言う事なのかだが
ハンニバルもカルタゴに拘らずセレウコス朝の世界征服に協力する事を
選ぶ可能性も有るのかだが 傭兵主体の軍隊であれだけやったんだから、ヌミディア騎兵に対抗する騎兵さえいたらハンニバルの勝ちというか騎兵部隊を用いてるハンニバルに勝つのが難しいと思う。 ラフィアの戦いの後のパニオンの戦いでは
セレウコス朝重騎兵がプトレマイオス朝の騎兵を撃破し
この後歩兵を背後から攻撃して勝利しているが
カンネーと同様の編成のローマ兵も同様の方法で
敗北する可能性も有るのかだが 戦略的に勝ったことはみんな周知してるから、例のハンニバルとスキピオの対談というおとぎ話では
ハンニバルの方が上だって言動に対してスキピオが何にも反論しないわけで ローマのレギオン相手なら、マケドニア式ファランクスより、古代ギリシアオリジナルのファランクスの方が良かったのでは?
頑健な縦の壁でピルムを防いでリーチの長い槍と盾の押しで一気につき崩せたら 重装歩兵に重装歩兵ぶつけるより、違う兵種で重装歩兵の長所を出せなくした方が良くないか? パニオンでは背後からセレウコス重騎兵の突撃でやられた
プトレマイオスの歩兵は歩兵に前及び左右から包囲迄はされたのかだが
マケドニアファランクスで前面を抑えつつ
背後からの重騎兵で突撃するだけでも
ローマ歩兵はやられる可能性は有るのかだが ローマ歩兵を突出させれば後ろを騎兵で突くのは簡単だけどハンニバルが散々やった手でもある。 https://www.pinterest.jp/pin/465981892685707887/
マグネシアにセレウコス朝の装甲装備の象兵は居たのかも知れぬが
火矢或いは足の裏等を狙われて混乱させられていたのかだが
装甲の無い象が攻撃されて此れが混乱し
装甲を装備した象の混乱も誘発した可能性も有るのかだが 「図解雑学」シリーズだったか
戦象対策の中に
「火を使う」「足を狙う」とかに加えて「戦わない」ってのが笑った
歩兵同士の混戦で
戦象が所在なさげに立ってる絵…
そりゃ味方を踏み潰す訳にはいかないからな… ザマの戦いはその習性知ってて、やっぱ間隔空けて隊列組んだのか? まぁそうだけど、最初の突破力が強烈だがそれさえなければ問題ないということや、
近接せず攻撃できるとか他にも理由がある https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E8%B1%A1#%E7%A7%BB%E5%8B%95%E9%98%B2%E5%A3%81
>突撃のイメージが強い戦象だが、より強力な突撃戦力である騎兵がまだ消耗しきっていないディアドコイ戦争中期まではむしろ戦象は移動する壁として運用されていた。
騎馬は象の発する臭いを嫌い、更にその巨躯は騎兵突撃をも退けた。特にディアドコイの中で最強とされたアンティゴノスとエウメネスはファランクスの弱い側面を護るために、
側面に半円形型の戦象によるスクリーンを形成した。さらにイプソスの戦いではセレウコス1世・リュシマコス連合軍は戦象部隊により、深追いしたデメトリオス1世の騎兵部隊を足止めしている。
80頭の戦象を騎兵の背後への攻撃を防ぐ防壁として利用したら
ザマはカルタゴ軍が勝てたのかだが
側面に回り込んだローマ歩兵が後方の象を火矢等で攻撃し
混乱させた可能性も有るのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%BD%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
イプソスの戦いではセレウコス側は400もの戦象が居ただろうし
最大10000の騎兵を阻止出来たと言う事なのかだが
ザマの80頭の戦象で8000のローマ騎兵を
果たして阻止出来るのかだろうし
側面に回り込んだ歩兵に
後方を騎兵から守る象が攻撃される危険も有る訳だろうか カルタゴ軍が50000とローマの34000より数の優勢な
歩兵を利用してローマ軍をカンネーの様に包囲し
機動を阻害した後象を背後から突入させると言う様な事は出来るのかだが
偽装退却で引き付けられていた
ローマ騎兵が戻る方が早い可能性も有るのかだが
ベネウェントゥムの様な火矢での象の攻撃には
此れでは対処出来ない訳だろうか 戦象が騎兵に対する防御手段だったって知らんかった。
何よりウィキ見て古代中国にサイがいたのに驚いた。
ザマの戦いは外交で敵の得意な駒を潰して残った象を対騎兵用の後方の壁に使わせず最初に突撃させる為の鍔迫り合いが戦いのほとんどだったんだな。
最初に戦象を突撃させてなかったら戦いの帰趨はどうなったかわからんね。 >>226
>象を対騎兵用の後方の壁に使わせず最初に突撃させる為の鍔迫り合い
ってどういうこと? 象は突撃手段ではなく、歩兵を守るための道具っていう発想は
第二次大戦期の日本軍やフランス軍の戦車観に似てるかも >>227
戦象を突撃に使われずに温存されてたらスキピオの指示した隊列は無意味になったし騎兵を突入させようとしても戦象の存在が邪魔で
騎兵の突入方向が戦象のいない場所と限定されてしまうから
スピキオのやったすべてはまず戦象を突撃に使わせて無力化させる事この一手に尽きるんじゃないかと。 https://i.imgur.com/uq10cCN.gif
上の赤はザマのローマ歩兵
青はカルタゴ歩兵
グレーはカルタゴ戦象だが
カルタゴ歩兵が戦像を背後の対騎兵用の防壁としても
ローマ歩兵に側面から回り込まれて
象を火矢等で混乱させられてやられる危険も有るのかだが
軽装歩兵等で象を攻撃される迄の時間を稼ぎ
象が混乱させられる前にローマ歩兵を中央突破すれば
カルタゴ軍勝利も有り得るのかだが
80頭の象で8000のローマ騎兵を果たして阻止出来るのかだが
象が突破される前にローマ歩兵を中央突破すれば
6000のヌミディア騎兵が戦意を喪失する可能性等は有るのかだが カルタゴ歩兵は固まらずローマ歩兵と各個撃破って手はどうだろうか?
時代変わるけどゲルマン人相手にローマ軍は組織だった包囲殲滅戦を出来ずゲリラ戦や各個バラバラに戦闘しなければならなかった戦いにちょくちょく負けてる。 >>231
部族として兵士達の繋がりが密だったゲルマン人と違い
大半が傭兵だったカルタゴ歩兵にそんな柔軟な戦術採れるかな? 部族同士で意思疎通が出来ずバラバラに動いた結果がローマに組織的行動を取れなくさせる事になっただけでゲルマン人側は得てしてそうした訳じゃない気がする。 部族制に基づく部隊編成をしていたギリシアゥポリスを職業軍人からなるスパルタ軍が複雑な戦術機動で圧倒している訳だが
ローマの百人隊長みたいに特殊な部隊編成をしていない限り普段から同じメンツで訓練している傭兵や職業軍人の方が連携が取れるのは明白
家族だから何なのか、戦争で感情的関係が何か意味があるのか LGBTカップル同士で組ませた方が攻撃力が上がる(ギリシャ兵) >>236
多民族混成軍でゲリラ戦に成功した例を教えて下さい >>238
ゲリラ戦に成功するかどうかと家族かどうかに何の関係があるの?それを先に教えてくれw >>239
利害関係で繋がる傭兵にゲリラ戦はできないよ、って言ってるだけ
逃げるし、戦況報告盛られるし、お互いの信用がまるで成り立たない
同じ民族なり部族なり氏族なり近代的国家意識なり何でもいいけど、共同体意識を持ってない集団にゲリラ戦は不可能
さあこっちは答えたぞ。次は君が答える番だ
>多民族混成軍でゲリラ戦に成功した例を教えて下さい ゲルマン人ってこう呼んでるから同一部族民族な気がするけど、あれゲルマニアに住んでる奴ら全員ゲルマン人であって色んな部族集団がいてガリア系のケルト集団もいりゃスラブ系の前身になる集団もいりゃ
所謂自分らがゲルマン人って聞いて想像するアングロサクソンみたいなのも全部含めてゲルマン人であってゲルマニアに住む多民族多集団の総称がゲルマン人で、そいつらが得意としたのがゲリラ戦であるわけで何度かローマ軍を負かしてるよ。 >>241
その通り。彼らは部族毎に自分の土地を守っただけでそれが結果的にゲリラ戦になった
で、ハンニバル(劣勢でカルタゴ風前の灯火)がヒスパニアやガリアの部族を離散させずに統一を保ちながらゲリラ戦ができたと思うわけ? ちなみにフランク王国で有名になったサリーフランク族なんてローマの同盟者やってる頃の小さな所帯の時の集団墓地なんて発掘したら
確か雑多な出自の遺骨が出て来てフランク族ってもん自体が人種的な集まりじゃないんじゃないか?って見解もあるはずだけど。 >>242
そういう長期的な戦略でのゲリラ戦でなくしてトイトブルグ森やハドリアノポリスみたいな感じの戦いね。
ローマ軍は全く組織だった動きを出来ないままそれが負けに直結した感じだと思うけど。 アドリアノープルの戦いのころになるとローマ軍はゲルマン人の小規模侵入に対応するために部隊編成も小規模、細分化され、ゲリラ戦に特化していった(じつは小規模戦闘ではローマ軍の方が帝国末期でも勝率が高い)
逆に言えば、会戦のような大規模戦闘では全盛期のローマ軍団のような優れた戦術機動は取れなくなっていた。これがアドリアノープルの戦い敗戦の要因 ちなみにその時代のローマ軍はまだ部族ごとフォエデラティとして雇うシステムではなく部族を敢えてバラバラにして部隊編成するシステム
多民族混成部隊でもゲリラ戦は可能だし実際勝ってる >>240
楚漢の戦いで漢軍がゲリラ戦してるけどな フランク族は民族集団だよー。ユダヤ人やアメリカ人と同じ。 4世紀以降、ローマ人は教会とか通うようになったの?
トーガ着て十字架に額ずいてるローマ人とか何かイメージわかないわ。 >>250
最近はフランク族って民族集団ではなくて、政治権力が統合した複数の民族の集合ではないか、って説が有力 斧を持ってるのがフランク人
剣を持ってるのがサクソン人 フランク人って槍を投げてくるから槍人って呼ばれたんじゃないの? >>254
フランキスカという斧を投げるからフランク。 どうしてペロポネソス戦争では多くても数千vs数千の会戦ばかりなのにシチリア戦争やピュロスの戦争では万単位で会戦やってるんだ?
市民軍だったローマやカルタゴ(当時)はまだわかるが、市民皆兵が崩れて言ったギリシア世界側がペロポネソス戦争時より動員能力が上がっているのが謎
ヘレニズム時代特有の数字誇張? ローマ側の記録では敵の数を3〜4倍に盛るのが常套じゃなかったっけ? 戦争前は味方の人数を、
戦勝後は敵の人数を水増しするのが基本 >>255
そういわれて、なるほどと思ったけどググったらフランカ(franka)っていう槍を投げてくるからフランク人とか書いてあるサイトがあった
フランキスカもフランク人の武器らしいんだが、フランカの方はググっても映像が出てこない
一部の人が主張しているだけか? >>261
シチリア戦争で市民軍を失って傭兵軍に移行したんだぞカルタゴは
ローマファンぐらいならカルタゴについてもこのくらいは知っておけよ ローマ史ファンあるある
ローマ人が記した蛮族側の記録にはまってそっちを調べたくなる
そしてローマが残した資料しかなくて絶望する ガリアあたりはローマ側文献と考古資料の両方がけっこう豊富、
ゲルマンは文献はそこそこあるけど考古資料が少ない、
ダキアは文献少ないけど考古資料がなかなか豊富。
(ただしチャウシェスク政権によって生じた混乱がまだまだ尾を引いてる) >>265
日本も、隼人や蝦夷とかの異民族の言語は全く不明
百済や高句麗語ですら不明 チャウシェスクの強力な「現場指導」によって黄金装飾品ばかり重要視され
他のは発掘記録すら成されないまま野晒しで放置されたり
ひどけりゃまとめて廃棄されたりとかなり悲惨だったらしいな
まさに国家主導の盗掘 何にでも言えるがプロパガンダ国策と結びつくとほんとロクでもないことになるな
ナチ時代でも相当数のゲルマン考古資料がデタラメな管理で資料価値失ったり紛失したようだし 独裁者を擁護する気は全くないが、この点に関しちゃイタ公貴族もひどいもんだぞ 日本も一昔前は学者じゃなくて好事家が勝手に掘り掘りして勝手に持って帰ってたからな
アカデミックな発掘調査が根付く前はみんなひどいもんよ
まあルーマニアとドイツの例は近現代だからもっと酷いのだが…特にルーマニア、戦後なのに!!!ヨーロッパなのに!!!!! チャウさんにとっちゃ宮殿を飾る品が欲しかっただけなんだろうな もしかすると史学は将来的には人工知能に任せたほうがいい分野なのかもしれない。
生身人間ではどんなに頑張ってもイデオロギーによる色眼鏡を完全排除するのも難しいだろうし。 独裁政権によるメチャクチャな介入もそうだし
政権崩壊したらしたでまた大混乱するしで
ルーマニア考古学はほんと苦難を辿ってきた
古代史跡で最重要のサルミゼゲトゥサでさえ
21世紀に入るまでまともな保護管理されてなくて
盗掘されまくりだったという有様
地方の史跡になるとスプレーで落書きとかも ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族(匈奴)、アヴァール(柔然)、マジャール(ハンガリー)、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマン(突厥)にボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
テオドシウス帝がキリスト教を国教とするとキリスト教により「焚書坑儒」が行われる
アンブロシウスがしたこと
↓
ギリシャ、ローマの神々の像はうち壊され、
古代オリンピックは廃止
公共図書館の閉鎖、プラトンやアリストテレスの書物は読めなくなる
ビサンツの英雄、ユスティアヌスがしたこと
アカメディアの閉鎖(プラトンが創設)
学者たちはリストラされ、ササン朝哲人王ホスロー一世の元へ
これが、イスラムの発展につながる 東側共産圏の考古学って
中国以外は全然力入れてないよね
奴隷や富豪の関係史跡を洗って
古代社会の不平等性を示すプロパガンダに使えそうだがな
日本の歴史教育者が
貧窮問答歌とかを執拗に階級史観に結び付けるように >>278
大半の国にとっては古代は美化すべきものだと思う
栄光の古代から暗黒の中世みたいな >>279
日本は前体制を全否定する時代変化が無かったからな
建前としては律令体制下で運営された武家時代
士族の否定という形は取らなかった明治維新
だから暗黒の貴族時代とも暗黒の武家時代とも言われない
ある意味戦前/戦後が最も前時代を否定したかもしれない >>260
なるほど、ガイル少佐の源流はそこにあったのか >>262
ポリュビオス読んだことないのは君だろ
カルタゴ軍は金の切れ目が縁の切れ目の傭兵に頼ってい事が敗因になったと「歴史」には明確に書いてあるぞ カルタゴも一応、神聖軍と呼ばれる市民軍があったが
貴族や騎士の子弟が自前で武装して組織された部隊だがポエニ戦争の頃は実戦経験はろくになく形骸化しており
傭兵への賃金が払えなくなった時点でお終い この件に関しては>>263が完全に正しい
シチリア戦争時の話をしている>>256(しかもわざわざ、"当時"と付けてる)に対して>>256の反論は全くの的外れ
「いつ」の話かをブレッブレにした議論は不毛 >>256の反論は全くの的外れ
↓
>>261の反論は全くの的外れ いやいや完全に間違ってるから
ローマとの戦争以前のはるか前、少なくともヒメラの戦いには市民軍はとっくに形骸化して傭兵便りになってる
>シチリア戦争で市民軍を失って傭兵軍に移行したんだぞカルタゴは
ってのは時代錯誤
大体ボリュビオス読めばわかるがカルタゴは終始周到、傭兵で戦っており市民軍が壊滅したからではない >>286
この人、シチリア戦争を第1次ポエニ戦争のことだと勘違いしてんじゃね? シチリア戦争(紀元前480〜)と第1次ポエニ戦争(紀元前264〜)を間違えるなんてそんなバカな・・・
220年もあったら半島の野蛮なローマが帝国になりますし、チョンマゲの国にビルが建ち並びますよ ポリュビオスはポエニ戦争でローマが勝ったのはローマ市民軍がカルタゴ傭兵軍に優越していたからだというイデオロギーから、カルタゴ軍について傭兵軍だと強調しすぎている問題がある
例えばプルタルコスはクリミスス川の戦いで1万人のカルタゴ市民ホプリテスが参加していると記録しているし
そもそもヌミディア騎兵やリビア人歩兵、スペイン部族兵を傭兵とみなして、後のローマ軍における補助軍を傭兵と言わないのはダブスタだろう しかしカルタゴの記録は読みづらいなあ
ローマもクラウディウスさんをはじめ似たような名前ばっかりで辟易するが
カルタゴはハンニバルさんとハスドルバルさんとマゴさんとハミルカルさんしかいないのか? いわゆるブリーフはいつからあったの?これがないと、チンコ固定されずに戦い難い気がする。 >>278
このルーマニアはわりと昔から考古学者サイドはちゃんと真面目で熱意もあったんだけど、
チャウ政権以降は行政サイドがアホな干渉してくるかまったく支援してくれないかの両極端で過酷な環境になった。
ただそれでも学者たちは個々がやれる範囲でコツコツ活動してきていて、
行政が全うな支援してくれるようになった二十一世紀でようやくその積み重ねが身を結びつつある。 >>293
さすがローマ人の末裔意識が一番強い国なだけあるな ゲタイ関連の遺跡はきちんと保護されてるのかなぁ
あの辺かなりおもろい ルーマニア関連の有名人だとヴラド3世ばっかあがってトラヤヌスの名前が一切出ないのが個人的に悲しい
活躍の規模ならトラヤンのほうが上なんだけどなぁ
やっぱ郷土の英雄には勝てないか さすがに征服した指導者の名前を挙げるのはねぇw
アレクサンダーは凄いけど彼をエジプトの英雄とするわけにはいかないでしょー 活躍したのは西ローマ帝国だけど
ドブロジャ(スキュティア・ミノル)出身のアエティウス トラヤヌスはルーマニア人視点だと国歌にでてくるレベルで根付いてるけど、
他国からするとやっぱり「ローマの偉人」であってルーマニア関係の偉人としてはすぐには出てこないだろうな トラヤヌスは血筋的には完全にイタリア本土人
生まれ育ったのはスペイン
ルーマニア、アルメニア、中東辺りと縁が深いって感じじゃね 血筋で言ったら今のイタリア人と古代ローマ人が繋がってるか怪しいけどな
少なくとも現在のローマ市住民と古代ローマ人は全く血統的につながりはないはず つながりはないというのは無理がある
ローマ皆殺しなんて起きてないし、侵略者側もローマ市民権者やその子孫がいて、
そいつらの幾人かは混血であったりするでしょう >>303
繋がってると言えば繋がってるだろうし
希薄と言えば希薄だろうな、と
まあ、生物学的なつながりなんぞ割とどうでもいい
民族的な話で言えば、文化と習俗、その基底となる言語が大事だろうよ >>299
カエサルがイングランドの偉人くらいの違和感 フビライ・ハーンが日本の偉人みたいな
あるいはマシュー・ペリー ローマ人=ローマ市民権者なんだから地中海周りの国々で古代ローマの末裔でない
連中を探す方が難しいんだが 未だにゲルマン人によってローマ人は全滅して今のヨーロッパ人はその子孫とか思ってるニワカ歴オタは多いな
大陸国家では支配層と被支配層は同一民族ではないのが普通といことが日本人はずっと単一民族だったから理解できない フン族の末裔であるおフランス人もいるはずですよ・・ ローマ帝国は属州民や外国出身者に市民権を与える条件の一つに軍役があるじゃん。
離反防止策として、なるへく一地域の出身者が集まり過ぎないよう、且つ、地元から離れた任地に就かせるようにして、
退役時に地元に帰らないよう最終任地で農地と住居を与えて住まわせる。
市民には特恵がいっぱい付くし、任期全うで退職金代わりにおうちと田畑と貰えるから、軍役も結構な人気。
こっちの地域で軍役に志願して男衆があっちに行ってしまって女剰り、あっちやそっちやむこうから軍役でやってきて
こっちの方で開墾して退役しては住むから、そこで混血が進む進む。 日本の首相に一度ぐらいスッラみたいなのが出てくれば面白かろう アウグストゥスの治世の全人口が大体5000万ぐらいで全ローマ軍は20万ぐらい
以下アレクサンデル・セウェルスまで20〜30万で推移で比率にすると0.6%ぐらい
農地と住居も市民権も必ず与えられるとは限らないし、どの場所が割り与えれるかは完全に将軍の胸先三寸
多分、この人は自分が若かった時の集団就職と重ねあわせてるんだろうけど
ローマ軍は常備軍で25年は軍務につきっぱなしで装備も国家持ちなのだから、そんなに沢山入隊されたらその地域の経済は破滅する そもそも、クラウディウス帝のころまで補助軍は出身地を離れない、郷土防衛に協力する軍隊
それからちょっとずつ、補助軍も出身地を離れるようになって言った 逆に「現地採用の純粋ローマ市民」もいたんだよね
現地に赴任して土着したローマ市民 >>319
それもほとんど帝政中期以降でしょ
帝政初期の軍団はほとんどイタリアで募兵されてるはず とおもったが、カエサルやアントニウスがガリアチザルピナやアフリカから募兵してたか 四皇帝内乱の段階でライン方面は正規軍団兵も現地生まれが多くて、
「ローマ市民」のくせして野蛮で、こいつらがローマ市までやってきた時にはもう大変だったとのこと 中国の後漢書に書かれてる記述なんだが、虚実について教えて欲しい。
(人々は)皆頭髪を剃り落とし、綾模様のある着物を身に着け、白い車蓋の付いた
四面に帳のある小車に乗り、出入りの際には鼓を撃ち、旗幟を立てる。
都とする城邑は周回百余里である。城中には五つの宮殿があり、各々
十里の距離にある。
宮殿は皆、水精(水晶)で柱を作り、食器もまた同様である。その王は一日に
一つの宮殿を回り、五日政治を執ると一周する。
常に一人の者に袋を持って王の車に随わせ、言う事のある者は袋の中に
書を投じる。王は宮殿に着くと、それを開けて中身を見て、その曲直を判断する。
それぞれ文書を取り扱う役所がある。
三十六人の将を置き、皆集まって国事を論じる。
その王は一定の人間がなる訳ではなく、皆賢者を選んで立てる。
国内の災異及び風雨が不順な時は、廃して新たに王を立て、追放された
者はその処分に甘んじて恨むことは無い。 >>323
まあ職業軍人なんてどこ生まれかに関わらずそんなもんじゃない?
日本の自衛隊くらいだよマナーがなってる職業軍人なんて 士官クラスならともかくマナーの正しい兵卒というのは頼りない希ガス… マナーが悪い士官の言う事聞かない一兵卒とか使い物にならない
兵卒の仕事は陣形組んで前進する事なんだから的確に指示通り動けば十分で個人的な武勇とかいらん
>>325
大戦時の軍法務官の日誌読むと分るけど戦場で悪さしてるのは現役兵や職業兵でなくて大抵は赤紙召集の兵卒なんだよな せっかく治安部隊が慰撫したのに赤紙の連中がむちゃくちゃやるから敵性住民と化すことなんてしばしば
捕虜は言う事聞かないし住人は悪態つくのが普通なんだけど、戦場初めての連中はそれがわからないか仕方ないね
戦闘に勝つことよりも、その後の治安維持戦や徴発のほうがよっぽど難しい
ガリア戦記ではその辺さらっと流してるけど軍団兵は結構苦労したはず 四皇帝の内戦でのライン軍団勢の悪たれっぷりは、ウィテッリウスが軍規引き締めなんか無関心で、
それどころかこいつ自身がローマ市の富を貪るような振る舞いを率先して示していたせいだろうな。
あのブタ皇帝が興味あるのは豪遊することだけだし、最高指揮官がこうなら下々もそれに倣ってしまう。 てえかあの軍団はゲルマン人がほとんどでしょ
そりゃ馴染めなくて当然 ウィテッリウス&ゲルマニア軍団って董卓&涼州兵とキャラ被ってる?被ってるない? 被ってない
気前が良いデブという点でのみ一致するが
董卓はあくまで叩き上げの武人で、戦闘の強さで物言わせるタイプ
ウィッテリウスは高貴な生まれのゴマすり野郎 前線からキャリア積んでいったのは間違いないけど
六郡良家子だから董卓も良家の子弟だよ ウィッテリウスも最前線部隊の司令官なんだからごますりだけではないと思うけどねえ 董卓もウィッテリウスみたいにさっさと表舞台から退場してれば良かったんだけどね >>331
ゲルマン人ではないだろ
ゲルマニア生まれのローマ市民
この場合のゲルマニカはゲルマン人の、ではなくゲルマニアで召集された、の意味
まあゲルマン人と混血はしてただろうけど
皇帝の護衛兵(プラエトリアニじゃないほう)はこてこてのゲルマン系バタヴィ人だったのに悪評は聞かないな
ごく少数で宮廷しか出入りがなかったからかな? ゲルマニア軍団はゲルマン人の慣習に従って女も戦場に同行させたとタキトゥスが書いているけどな >>337
エクイテスなんたらかんたらアウグスティってのだっけ。
バタウィ族世代のは周囲へ気を遣うトラヤヌスが集めただけあって
身なりや態度も選抜の指標になってそうだな。
あと最前線での護衛が主任務だったから
ローマ市ではあんまり出張らなかったってのもありそう。 >>338
それが帝政期の文人にありがちな軍団兵に対する蔑視、偏見から出る、誇張や皮肉ではなく、本当だとしたら規則のみならず武具、宿営地までゲルマン風だったのかな
顔に入れ墨入れたり戦斧を使ったりしてたかな?
各地の軍団兵がどこまで画一的だったか、どこまで地域色に任されてたかは気になる タキトゥスは文人じゃなくてガチガチの軍人だし
顔に入れ墨はピクト人の風習だし戦斧使ってたのはフランク族など一部だけでほとんど槍と剣だし
シリア出身は弓矢が得意(ユダヤ戦記)とか、イベリア地方の軍団は陣形を組まずに散開して戦う(内乱記)とか
ローマ軍団と言っても出身地域によっていろいろ 最新の研究蓄積も踏まえて2016年に発刊された
OSPREYの「roman army units in the western provinces」によると、
正規軍団でもそれぞれ現地の部族風長袖・長ズボンや戦士の腕輪つけてたりしてたようだけど、
ハマタやセグメンタタ、兜や盾や剣や投槍、その他諸々の備品もどの地域でも基本形は同じで
テンプレ通りの「ザ・ローマ兵」なスタイルで統一されていたっぽい。
(もちろん装飾部分が違ってたり各地工房で手作りだから微妙な形の差異はあるけど)
一方で補助軍はほんと多種多様でバリバリ多国籍風味。 横田幕府のアメリカ軍がローマ正規軍団に相当し、横田基地に司令部機能を間借りさせていただいている自衛隊が補助軍にあたる、という感じかな。 >>341
タキトゥスがガチガチの軍人?
上流階級が必ず経験する見習い軍団長とかではなく? あ、これ>>342はあくまで装備の話で、戦術についてはそれぞれの地域で特色が当然あった。
地形や相対する敵勢力次第で効率的な動き方ってのはぜんぜん違ってくるし、
補助軍と連携をとる上でも近接兵部隊となのか、東方的な弓兵・弓騎兵となのかでも当然動き方は変わってくる。 上流階級が必ず経験する見習い軍団長って何のこと?
tribunus laticlaviusのことか?
しかし、これもノビレス階級で軍事方面でキャリア積みたい人がつくポストで必ずってわけでないし
何のこと言ってるんだろう
騎士階級は最低3年の軍務経験がないと公職にはつけないのだが
タキトゥスは恐らく17歳の頃に入隊して81か82年頃に財務官として政界入りしたとされる タキトゥスがガチガチの軍人なんて評価をしてるローマ人も学者も書籍も見たことないんだが
あるなら紹介して欲しいもんだ
タキトゥスはそもそも年少時代は法律家、政治家志望だし
実際法律家として積極的に活動してる
軍務については、典型的なクルススホノルムを進んでいっただけだろ
軍務偏重だったわけでもない 「ガチガチ軍人」ってコルブロやアグリコラやウェスパシアヌスのような軍歴20年級の連中なイメージ 帝政初期で文人でありながら軍事もガッツリっていうと
個人的にはまずアッリアノスが思い浮かぶ。
記録不足で具体的な期間は不明だけど。 フロンティヌスも文武両道系統じゃないかな
文人というよりは技術者の色合いが濃いけど >>283
日本の戊辰戦争の佐幕方みたいだな。
宮様お公家さんが指揮する農工商かき集めたにわか仕立て皇軍に、
300年武装特権を持ってた武家で編成した佐幕軍が、ボロ負け。 騎士階級風情のタキトゥスが典型的なクルスス・ホノルムとかありえないんですけど
騎士は退役後はプラエトル・ペレグリーヌスとか司法職に就くのが定例化してたので本人の意向を問わず法律家として働くのは当然の事
ローマは軍国主義国家だから中国みたいに武官文官がキッチリ分かれてないので
ここらからが武官でここからが文官とか塗り分けするのは無理 中国の官僚制が異常で文官と武官が一緒なのはむしろ当然だけどね
アメリカは今でもかなりの部分でそうですな
あそこかなり18、19世紀的なんだよね アメリカは古代ローマを意識的に模倣した国だから
日本で明治維新があったころにようやく奴隷制度が法的に終了するとかゆー、かなり変な国
全体としては豊かだから誤魔化してるけど、社会保障制度も西欧基準でいえば19世紀レベルだよねあそこ そうなんだよなぁ
豊かなんだがとにかく「雑な国家」というイメージ
雑でも許容できるほど豊かなおおきな国なんだけど 日本もなんか米国の属州みたいな感じあるよな
日本に独自の外交・交戦権なし
自衛隊は補助軍
思いやり予算は十分の一税
みたいな感じで >>354
英語版Wikipediaにいわゆるクルススホノルムを着実に進んだ、と書いてあるぞ
若い頃からレトリックを学んで法律家、政治家としてのキャリアに備えたと
で、タキトゥスがガチガチの軍人だったって評価書いてるのは、なんの本?なんの雑誌?根拠は何なんだよ もしかして古代ローマにおいて文武は不可分だから古代ローマの政治家はみんなガチガチの軍人だと言いたいのか? クルスス・ホノルムを棄ててアウグストゥスに仕え、実際軍を動かした経験もあるマエケナスはガチガチの軍人
異論はないね? >>358
煽ってるつもりだろうけど無知をさらすな。アホみたいに見えるぞ
属州でなくあきらかに同盟国だよ
自治権は完全にあり、ローマの同盟国より義務は少ない
外交交戦権はあるしね
憲法上の問題は交戦権にあるがこれは日本特有の問題でドイツなどにはない
総督もないし裁判権も税調集権も軍役もなんにもない >>356
wikipdiaって根拠になるの?あと頭に血が上ってるとこ悪いけどお前は誰と戦ってるの?
古代ローマの政治家は一部例外を除いてガチガチの軍人ばかりの軍国主義国家と思って間違いないよ
執政官だろうがなんだろうが軍営で訓練を受ける義務があったし、いざとなれば最前線に行くことも普通だから
文句あるなら「ローマ軍団大百科」の著者に言って >>362
同盟市は確かに属州よりマシだが、植民市や自治市より下じゃね
米国に対する日本の地位って植民市や自治市未満なの? 間違えた>>360な
3世紀頃になると元老院でも軍務経験のない議員が増えて主に騎士階級が将校階級を形成したり
騎士でも実際に戦場に行く武官系と行政を担う文官系に分離していったそうだけど(旧版岩波世界歴史2)
国是としては文武一致でローマ議員はみな軍人が原則 >>363
著者が同じ「古代ローマの戦い」(
や井上文則の軍人皇帝の時代にも同じような記述があったと記憶してるが)には、ガッリエヌスの時代まで少なくとも五賢帝末期まで帝政ローマの軍隊上層部はノンプロで、プロフェッショ
ナルだった優秀な叩き上げの下士官層によって支えられてたと書いてる
そもそも古代ローマの政治家が軍務を経験していることには誰も疑問を呈し
てないぞ。お前は何故か繰り返しその部分の根拠を提示して悦にいってるよ
うだが、俺が根拠を求めてるのは「古代ローマの政治家は軍務も経験してた→古代ローマの政治家はガチガチの軍人だった」という飛躍してる部分だよ そちらこそ冷静になって最初からやり取りを見直してくれ
で、少しでも軍務(しかも非一兵卒だから叩き上げでも何でもないし)を経験して軍隊と行動を共にしたらガチガチの軍人なのか?
ガチガチの軍人というのは、軍事のプロフェッショナルだったということではないの?
タキトゥスの時代の古代ローマの政治家が全員軍事のプロフェッショナルだったなんて書いてる本やサイトは読んだことがない Wikipedia、特に英語版は編集者も多い。知識がある人間が何人もリバイスしてる情報は信用に足るだろ。少なくともあんた1人の書き込みよりは。
>wikipdiaって根拠になるの? まあ日本語版Wikipedia、ローマ関連はローマ人の物語から引っ張ってきてそれで終みたいな酷いページがあるのも事実だけどね >>362
意味不明
今や属国ですら無く属州や植民地に近い >>364
アメリカに対する地位なんて糞どうでもいいぞ
属国一位を争う発想はキモイ >>369
具体的に述べようね
やっぱりアホだったか >>366
あのな軍隊経験があるとかじゃなくてローマ元老議員は建前上は全員が現役武官を兼ねているのよ
そればかりでなくて古代ローマは末端のポストまですべて現役軍団兵が担っていてプロフェッショナルの武官文官というのはいないの
例えばローマ総督の行政局(オフィキウム)の職員である書記(コメンターリエンセス)秘書(エクセプトーレス)簿記係(リーブラリーウス)文書係(エクサクトゥス)事務官補佐(アディウート)
もすべて軍団兵だし、他にも現代では運輸局、検察庁、土木局、税務署にあたる職務もすべてこなしていた
末端の一兵卒に至るまで訓練日以外は事務仕事で忙殺されていたの、だからあなたの言う軍事プロフェッショナルなんて存在しないの 元老議員だけでなくローマ市民権者はすべて軍役が本来タテマエとしてアルゾ
全員予備役兵か現役兵なんがローマ市民やがまぁ実際は違うけどな!
元老院議員はタテマエとしては部隊長では?
あいつら氏族長ってタテマエのはずだし
って横から関係ない話すぎたかw 横からだがこの手の話では毎回、
プロフェッショナルという言葉はややこしいから使わないで欲しいって思う。
あれ職務形態「専業者」と修練度「熟練者」という別ベクトルの意味があって、
そしていつも誰も区別しないから必ずといっていいほどに話がこじれる。 元老議員クラスは全員が軍事の『専業者』ではないけど
アグリコラやウェスパシアヌスやトラヤヌスとかは軍事の『熟練者』という使い分けだな 今回の場合、タキトゥスは「専業者」でもなければ「熟練者」でもないんじゃないか? 確かに書籍だと文脈ではっきりわかるけど、こういう交互に短文会話する場だとどうしてもそのへん曖昧になるな 帝国全部の行政司法まで軍団任せとか
属州兵の連中までフルスロットルで働かせてもキツくね? >>379
軍務につけない下働きもいるじゃん
奴隷っていう
解放奴隷も兵として戦わせることは非常識の範疇だったと聞いたような
行政事務はそういう人が補佐してたんだと思うよ >>379
ある意味でその地域の軍団が壊滅全滅すると、地域自体が崩壊するのはそのせいなんだろうな。 >>372
ローマは国民皆兵だから。
国民というのは、CIVITASの正丁に限るけどな。
奴隷も雇用主から雇用権を取り返して兵役について一定年限勤め上げるか特別に手柄があるとCIVITASに格上げされるでよ。 古代ローマって複式簿記はまだ発明されてなかったんでしょ?
当時のローマ軍兵士がやってた経理って数を数え上げるだけだったのかな? というか、本当にヒラの軍団兵に至るまで読み書き出来たの?
軍団兵が地方官吏までこなしてたというのはどうも嘘くさい 10人隊長以上は命令書をよむ必要あるけどそれ以外は文盲もいそうだな
初期騎兵隊はもれなく読めると思われる
貴族とそれに類する子弟だしな 文盲っても表音文字だからアルファベットと音さえ覚えれば読めるんじゃないか?
まして普段話してる言葉でなおかつラテン語なんだからローマ字読みなんだし。 >>385
そもそも、掛け金による信用決済自体が中世末期の産物でな
為替機能を持つ商業銀行システムなんかがない古代には、複式簿記は出てこないのだよ >>386
紀元105年の第一歩兵隊ヒスパーノールム・ウェテラーナ500人隊の戦力報告書の記載中にある
属州内部の派遣任務の項目には簿記係というのがある。
ブーディカの反乱軍に最初に応戦した200人も行政業務のため駐屯地から出向してきた兵士だったし
実際に、ロンドンからは書記官の恰好をしたローマ兵のレリーフが見つかっている。 >>389
落書きとか俗ラテン語で書かれてるわけだし、文語っても本当に正式な書体の文語の読み書き出来るやつなんてそりゃ少ないだろ。 ローマ軍では穀物係の兵士が住民から徴発する際には領収書を渡し、住民が後々、軍団に請求できる制度があったのだが
実際にエジプトからドゥプリカリウス級のアントニウス・ユスティヌスが紀元185年のテルトン・タパ村で徴発した際に発行した領収書が見つかっている。
本当にきっちり賠償してたかは怪しいらしいが、ドゥプリカリウス級と言えば旧軍では伍長か兵長程度で末端でも少なくとも下士官は文字を読めたことになる。 ポンペイの落書きは綴りが間違っていたりするものが多いのだが、
逆に言うと、そうした正式な文書何て一生のうち一回も書いたこともないような階級のものでも識字していたことになる。
あとカエサルの「来た、見た、勝った」をもじったラクガキがあって、当時すでに手紙が公刊されており、庶民でも読めたことがわかる。 >>387
邑里国家時代に、十二表法だよ。
言った言わないそんな掟が有る無いの争いになると、有力者の都合の良いように解釈されてしまう、
という物事の本質を知ってて、掟を12枚の青銅の板に刻み込んで、成文法にしたわけだよ。
町内会に毛が生えたような国の時分から、そんなしっかりしてたものに、帝国になって兵隊が字が読めないなんてことあるまいや。 >>390
ん?
漠然と古代ローマにも大都市には銀行網があるんだろうなと思ってたんだけど、そうでもなかった?
https://manabow.com/zatsugaku/column14/ >>394
中世日本でも神社の壁に落書きしてたしな
文字書ける奴に教えて貰って >>390
複式簿記が確固たる資料を遺しているのは、ルネサンス期イタリア以降だからな。
それ以前は諸説有るようだが。 古代地中世界では神殿が銀行の役割を果たしていた
奴隷が自分の財産で自分を解放したいと思った場合は、財産権が建前上持てないことになっているので
まず奉納という形で神殿に財産を貯蓄し、その神殿の神様に自分を買ってもらうという形式で解放された。
キリスト教には神様に捧げものをして、原罪から買い戻してもらう贖罪という概念があって、後の免罪符に繋がっていくのだが
ここら辺を抑えておかないと理解できない。 >>396
現代につながる為替、両替、決済機能を複合的に持つ商業銀行ネットワークができるのは中世末期のイタリアから
複式簿記はヴェネツィアで生まれた、とされている
古代的な金融機能って、複数の都市を有機的につないで決済サービスを提供したりとかしてなかったのよね アメリカが連邦準備銀行等との決済のための巨額紙幣発行してたのは笑える
お前中世やないんやから。
紙幣であるのは進歩だが手形とかそういうモンにせいよと
お前は近世ベネチアやフレンツェ、フッガー家より前時代的 >>396
質屋と問屋を併せた様な物で銀行じゃ無いよ、中世前期の日本にも在った
エヂプトのわより銀行に似てるけど、これも中世日本に在った 日本の江戸時代の廻船問屋と大阪のマーケットシステムって、割と独自に発達した金融システムよね 宋代から在ったし撰銭令や検地と同じく模倣したんでしょ 今の日本なら、さしづめ、政治家のパーティー券が免罪符のようなものか。
宗教的な概念の原罪ではなくて、現生の法律による罪から解放される、
奴隷身分では買えない、社会的地位とか財産とかたんまりある人だけが、
どうやって買うか教えてもらえる、買おうと仕手門前払いされない
というような、違いがあるけれど。 レオ10世の画像ググったら、さもありなんって風体で吹いてしまった。 >>407
物知りブッタアホの言論ですな
金ごときで政治家人生ふりかねない犯罪のモミケシというしょうもないことする馬鹿がいると思ってるのか
本当の金持ちは道徳的にはともかくという人も少数いるが完全に合法的に仕事するんだよ
犯罪しなきゃ金もうけられんやつはしょせん法律を作る権力者側ではない貧乏人と馬鹿
犯罪者は法律をやぶらんきゃもうけれん馬鹿なんだよ
お前は本当のエリートと接したことがないからこんな妄想ができるんだよ この前テレビでら抜き言葉は間違いではありません
とかやってたけど「儲けれない」とか気持ち悪いな ら抜き言葉って何十年も前からあるのにここ数年になって謎の勢力が叩き始めて困惑してる 結局時代の変化についていけず社会から疎外感を感じてる世代の人間が、自分こそ真の日本人だ、と感じるために生み出された方便だからね
若者叩ければなんでも良いわけ >>409
日本には居るんだよなあ
【国税庁】鳩山二郎衆院議員秘書、国税庁幹部呼び出し…議員同席、税務調査の説明要求 国税「極めて異例、圧力にほかならない」と指摘
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515460852/ >>415
見事に失敗してるな
つまいもみ消した奴はいないわけだ
ちなみに成功してたとしてなんだ
で?少数の例外を一般化するのは詭弁といいいます 中国じゃ孔子とか劉氏の子孫が残ってるとされてて(正直ほんまかいなと思っているが)、
日本でも徳川家とか武田家とか「名家の子孫」って残ってるけど、古代ローマの名族で家系として残ってるのってあるのかな
コルネリウス家やファビウス家の名前が残ってて、その宗家が決まってるみたいなのあるの? >>416
伝伝ゴロゴロ総理の不法行為が立て続けに発覚してるよね
沢山 孔氏も劉氏も本当に気が遠くなるほど子孫いるんだから、そりゃ全滅はしとらんだろ、ほんまかいなもなにも
日本の家の存続とは全く違うんだからさ
で、ローマの家系の子孫を名乗る貴族の家系はあるにはある(オルシーニとか)、正直眉唾 >>418
お前は証拠がないのに決め付けてる野党と同じだな
忖度なんて犯罪でもなんでもないがそもそも忖度さえもなかったと思われる案件
もみ消した犯罪はないな >>419
東ローマ皇帝の子孫をなのる東欧の貴族たちは一応可能性があるが、ローマ貴族は古すぎて怪しさが出てくるな 神聖でローマな帝国の皇帝の世界展か!
このスレにとても関係あるな! >>413
言葉の間違い叩きは昔からあったけど、
言葉の間違い叩き叩きが最近出てきた印象
(間違いと言われてるのは根拠なき俗説という指摘の類) ラテン語から派生したロマンス語とかは急に発生した訳ではなく方言が徐々に浸透した感じだと思うけど言葉の間違いとして正されずそのまま別の言語になったのが面白い。 ルーマニア語がアルバニア語に似ているので
アルバニア語はイリュリア語派ではなく
トラキア語派なんだろうね
フランス語はケルト語と似ているけど
オック語はカタロニア語に似ていて
オック語はフランス語の方言ではない >>420
会計検査院曰くアベ友佐川国税庁長に不正な国有資産廉売があった
不正な減額に値する廃棄物は存在し無かった
アベ友に法が適用され無くとも建前上は犯罪わ犯罪 カエサルの改暦スゲーと思う
↓
始皇帝がカエサルの200年も前に改暦してることを知る
産業革命以前の中国ってほんと凄かったんやなって センギョク暦は太陰太陽暦だろ
中国がユリウス暦のような太陽暦を使い始めたのは中華民国に入ってから >>426
ケルト語とフランス語と全々似てねーよ
アルバニア語とルーマニア語も全然ちげーし
フランス語とカタロニア語とルーマニア語はよく似てるけれど >>429
センギョク歴で既に1年を365+1/4日としてるから、正確さはユリウス暦に劣らないよ 意外とロシア語とフランス語って似てないか?使用文字はちがうけど >>419
フン族(匈奴)由来の劉氏だって居るけどな >>68
寺社分離して神社に補助金出したけど、神主の選定方法とか、祭祀の作法とか、全く介入せずに野放しだったけれどな。
相変わらず、雑多な信仰形態の寄せ集めというか、分類不能なものをまとめて神道ということにしていた。 ローマ人の物語読み返してて「アリストテレスもローマについて言及してる」ってあって驚いたんだが、
一次史料だけで構成するローマの勃興をテーマにしたら面白い気がする >>101
何言ってんだよ。
儒教の生まれた時分は支那史で二番目に封建制の盛んだった時代だぞ。
一番盛んだったのはモンゴル帝国時代だから、支那史とは言い難いかもしれから、
最も封建制が参加だった時期と言ってもいい。
国家元首たる王や工程は商から清まで世襲じゃん。
王位不在とか一代かぎりの皇帝とかいうような例外があったり、ときどき皇帝の家系が
入れ替わったりするけれど、国是そのものは世襲王・世襲皇帝で商から清までつづいてる。
儒教に強い影響を受けた、日本、ベトナム、朝鮮もやはり、世襲の王・皇帝が元首だ。
13世紀〜19世紀の日本なんて封建制で、且つ、最も強く儒教に影響されていた時代。
徳川時代なんて国是そのものが儒教でガチ封建制だったろ。 >>122
儒教は中国古代の思想ではないのか?
春秋戦国時代は封建制だから中世なのか? >>438
インテリにありがちなナイーブさだが、実際学問が現実に与える影響は限定的でしょう
封建制は当時の科学技術からして合理的だから採用されるわけで学問はそれの後追いの理論構成で
現実が先で理論は後でしょう 儒教は実践哲学だから人間の行動に影響を与えるで
儒教国家韓国は未だに長幼の序とか男尊女卑がもの凄いことになってる それは現実が先で理論が後
後に理論が現実に影響であってやはり理論が先ではないよ >>442
あなたみたいな頭の固い教条主義者が存在するという事実が
まさに理論が現実に影響を与えているということを証明してくれてますね >>443
儒教がある前にすでに封建制と後に言われるものがあったという事実を無視して
妄想するあなたは素晴らしい知性をお持ちのようでw >>445
あなたも101もそもそも学問は現実に影響力があることを前提にしてるんでしょう
こちらはそもそもそれがないと言ってるんですよ
単に読解力がないだけですな >>446
あなたがすり替えた議論に付き合ってあげますが
あなたが示した「儒教がある前にすでに封建制と後に言われるものがあった」ことは「学問が現実に影響力がある」ことを是とも否とも規定しません
そして「学問が現実に影響力がある」ことを否とするあなたは歴史の理解があまりにも浅い
マルクス経済学の存在一つで否定できる
マルクス経済学がソ連の成立という現実に何の影響力も与えなかったと強弁なさるのでしたら、ぜひご高説を賜りたい >>402
封建時代の日本では、米穀が本位貨幣で、金銀が補助貨幣なんだから、米穀と金銀とを交換する米穀問屋の本質は、まさに金融機関そのものだろ。
質屋というのも、動産担保の金貸し。やはり金融業。 >>440
何言ってるだか。
スポンサーの都合のいい理屈を探してきたりたり繋ぎ合わせたり作ったりするのが学者(インテリ)の仕事だ。
それは自然科学にしても社会科学・人文科学にしても同じことだ。
封建時代ならスポンサーたる封建領主の統治に都合のいい理屈を持ってきた儒学者が重用されるし、探し出してきた
儒教の原理は領主公認の思想となるわけだよ。 >>447
封建制が制度として学問の以前に存在してたのなら「現実が先」でしょ
さて詭弁をよくしるあなたは少数の例外を一般化してはいけないということを十分に知っているはずです
マルクスは有史数千年の人類史で80年しか影響を持ちませんでした
また現実に行ったのも一部の国家で決して主流派になることはありませんでした
そして現実に失敗しました
まさに現実が思想を上回ったので失敗したのです
まさに「限定的な影響」だったわけです。 >>449
まぁそうですよねw
いまでは経済学者や社会学者がやってますね >>450
>「儒教がある前にすでに封建制と後に言われるものがあった」ことは「学問が現実に影響力がある」ことを是とも否とも規定しません
の意味が理解できないんですか・・・
ごめんなさい。あなたの程度に合わせて説明してあげることはできそうにないです >>438
武家王朝が極めて世襲封建的なのわ
特に前の時代ほど支配階級内部に知識階級が絶無で行政能力を欠き
それしか出来無かったから
孔子儒教は周朝の奴隷制を理想化する為の宗教で
後漢〜唐代儒教は確かに世襲封建制の為の宗教でも
宋以降の儒教は皇帝独裁と富裕知識人階層の為の宗教だし
国家体制に合わせて産み出された非常に人為的な産物
漢とローマに通交が有った時代の儒教は未だ古臭いから世襲封建制と合わ無いよ
と思って書いたけどローマって未だ奴隷制だったなそういや >>452
あなたは学問が影響アルといってるんでしょ
こちらはその学問とやらは実際にあるものを追認してるだけって言ってるんですよ
のちに生まれた学問は現実を追認してるものであってそんな影響力はないよといってるんです
わかった?
前提の常識が違うのでわかんないといってるようですが
あなたの前提そのものを認めてないんですよ >>448
武家王朝時代日本の本位通貨わ中国銭
石高制を採ったのわ明朝が銅銭発行と輸出を停止し
日本国内で中国銭が深刻に不足した極限られた一時期だけ
問屋わ普通の商人、質屋も質物を安全に保管して置くのが役割 >>454
学問が現実を追認することで生まれることはありますし、私もその点には同意します
しかしそれは「学問が現実に影響を与える」ことを是とも否ともしないんですよ
つまりあなたはすり替えた議論においてすら何も説明できてないんですが、自覚がないようなので・・・ >>457
すり替えはあなたがやってますね
「限定的」といってるんです。
この手の政治学は現実の要請から作られるので、とりうる選択肢の一つを強化修飾したものに過ぎないんですよ >>451
化学や物理学や生理学やら情報工学でも、同じじゃん。
「電気が通る透明な素材を探すか作るかしてくれ、できればありきたりの原料で作れるものを」
「狭い面積に沢山情報を記録するいい方法を見つけ出してくれ」
「狙った種類のがん細胞だけ殺すような物質をつくってれ」
「世界一速く沢山演算できるコンピューターを作ってくれ、二番じゃだめだぞ」
みたいなスポンサーの依頼があって、そこに合う理屈を探しだしたり既にある理屈をつなぎ合わせたりいい理屈を作り出したりと
いうのが学者の仕事としてあるじゃん。 >>450
そりゃそうだ。
支那の春秋戦国時代は封建制で、そこに都合のいい理屈を孔仲尼らが繋ぎ合わせたり捏ね上げたりして体系化したのが儒教。
で、日本の封建制が始まるのが12世紀後半くらい、儒教の教本が持ち込まれたのが6世紀半ばだから、日本に限っていえば、
学問が先だな。封建制のはじめっから統治原理として儒教だし。 >>460
孔子の主張は宗族を中心に置く階層社会と身分固定の正当化とそれを正しい物と成す為のお題目
先に武士が在って武士道が後付けで出て来た様なもん >>455
日本の封建時代でわ大名の領地の経済規模わお米の獲れ高であらわしてた
領地でほとんどお米の収穫の無い対馬藩や松前藩でも領地の規模・格わ、お米の量に換算していた
領主でないお侍さんのお給料わ豊臣時代の一時期に金貨銀貨銅貨で支給してたこともあったけれど
封建時代ほぼ一貫してお米で支給していた
経済規模や公務員の給料そういうものわ本位通貨で示すものだから日本でわ19世紀の結構遅い時分
まで日本の本位通貨わお米 >>461
儒教の原理が先にあったから、武士による封建制の成立が可能だった。
宗族の原理が先にあったから、本物の源氏の鎌倉政権はともかく、北条・足利等々以降も
源平橘藤を僭称していたわけだし。 >>462
石高制を始めたのわ足利時代最末期
始まった原因も>>455で、貸銭不足故の止むを得ぬ代替手段
前漢帝国以降の官職も〜石の秩禄が与えられてたが完全な貨幣経済 >>463
というか武家王朝に世襲封建制以外の選択肢が無かった、能力的に
平安→鎌倉の間わ色々と退化した時期だし
武士が主に信仰してたのも仏教 金銀銅の豊富だった豊臣〜徳川の時代にも
租税・お侍の給料・経済規模の表示わ
お米だった >>465
隋・唐・宋で科挙が行われていたことわ良く知らてました
遣唐使の阿倍仲麻呂わ進士に及第して安南の知事にまで任命されてました
そのことも日本でよく知られていました
阿倍仲麻呂と親交のあった杜甫・李白・王維の唐詩も知識層は必修のようなもの >>467
それらの知識人は僧侶が職人は公家が担ってて武士階級の外側
>>466
>>455の様な事情で始まったのが米本位制 中国史ファンスレチ堂々とやり過ぎだろ
現実でも会話上手くいってないやつ多そう 会議で関係ない話始めて無駄な時間使わせる無能がたまにいるけどそういう類いの奴らだろ >>441
>儒教国家韓国は未だに長幼の序とか男尊女卑がもの凄いことになってる
儒教とか関係なくて元からそうだっただけ
そもそも四書五経を読めばわかるが儒教に男尊女卑概念は希薄だがな
西欧に比べて日本も長幼の序とか男尊女卑、上下関係が凄まじいものがあるが
古事記や日本書紀には男尊女卑要素も年功序列要素もほとんど見られない
逆に男女平等であれほどうるさいヨーロッパは女は男の劣化模造品ということをしつこく力説してるキリスト教を受容している
宗教というのは一部の原理主義国家を除いてそれほど現実世界の慣習にそれほど影響をもたらすものではないのだよ 「わ」くんは中国史オタだけど、肝心の自信が大好きな中国史にも疎いからな
周代の封建制と中世の封建制は名前が一緒なだけで全く別物という世界史Aレベルの事すら知らない わ君以外にも教科書レベルのことすらろくに覚えてないキッズがちらほらいるようなので教えておいてやるが
周代の封建制は王侯が宗族を分封するという血縁に基づく支配で中世の土地を媒介とする封建制とは全くの別物
そして春秋時代はその封建制が崩れていった時代
春秋時代の儒教は井田制に基づく平等な分配や哲人政治、革命論を唱える社会主義思想で古代の封建制度も中世の封建制とも全然違う >>471
倭国時代(古墳時代)わ男王と女王の方墳と円墳2つ築く様式が一般的だったもんな
上下関係、男尊女卑、幼長の序が酷く成ったのわ武士将軍時代が長く続いたから >>472
やっと理解出来たか、孔子儒教の理想化する封建体制わ一般的にイメージする中世日本やローマの世襲封建制と異なる物で相性が良く無い
後漢〜唐代の貴族制儒教と色々違うから >>471
儒教は、男尊女卑どころか、女を社会の正員とみてないだろ。 >>468
律令時代も、メインの税(租庸調の「租」な)はお米で、お役人の俸給もやっぱりお米でしたよ? >>472
名前が一緒なのわ周の封建制と日本の封建制につよい類似性があったからだ
ヨーロッパのfeudalismや回教圏のイクターとも共通性がある
およそ人のやることなのでどの時代どの地域でも発生し得る >>465
仏教・神道・道教・儒教わそれぞれ排他性がありません
どの組み合わせでいくつでも併宗わ可能 神道からすれば、
死ねば神でも蛆虫まみれでおしまい
仏教の六道輪廻や解脱(極楽での固定)とは矛盾してる
古代にも当然それを指摘した豪族は居ただろうが
数の力で押しきられたんだろうな
(物部氏でさえ実態は神仏衆合だったし) カミルスとアウレリアヌスがどことなく似てる気がする
自分にも他人にも厳しいところとか
瞬間風速的な活躍っぷりとかも >>477
そりゃ貨幣経済が始まったの平家政権時代からで
ローマと同じく国家の発展と比べて遅いし >>442
うそぉん。
日本の今の皇室の皇位継承順位の決定なんて、理論が先じゃん。
儒教的な長幼序列・男尊女卑を西欧的な帝王学が補完する形で定められている。
それまでは宮中の力関係で何となく決まっていた 伝統芸能が国家の象徴となり暦を規定するのかねホントかな? 明治の近代法は?
ドイツ法学とナポレオン法典とを規範にして作ってるでよ。 >>477
東国は租税は軽物(絹や布)が中心だし、13世紀初頭には全国一律的に
銭納化が起こっている
大宝律令のを見ると季禄をみると官人の給与は絁、綿、布、鍬など
要劇料は銭や米の支給だったり様々だが、俸給の中でも最も重要視されたのが封戸や臨時雑役など
様々な特産物の生産や労役をかけるのが人頭的支配で、ここらへん古代中国と変わらない >>489
だって律令時代の東国の住民って狩猟民族にチョロっ毛の生えたような状況で、お米よこせとか無理だったじゃん。 >>460
学問が先であろうが日本の封建制は学問があってそれに習って作られたものではないでしょ
地方の豪族の武装化という現実があってそれを追認したもの だよな。かんけーない話するなってのが分からないチンカスどもが、うざいんだよ。 >>459
最初の趣旨からして基本的に所謂政治学とかの話ですよ
それにそれらも現実の要請が合ったので研究が進んだわけで
学問があったから現実の需要が生まれたわけではないでしょ
なので現実が主で学問はそれに従ってるわけです >>495
アホなん?
そんなニワトリが先か玉子が先かみたいな詮無い話してどうするよ?
精神的な下地、つまり、学問があるから、世の中そっちの方向に進むし
世の中がそんなふうだから、そっち方面の学問も生まれ広まり消えず残る 最後に一言「ともあれカルタゴは滅ぶべし」とでも書けばまだ可愛いげがあるものを
行間から馬鹿さ加減が滲み出てる無関係のレスバを延々続けるんじゃなぁ ほれ、大鳥ヘップバーンの出世作の、ナンだ、原チャリ2ケツで街んなか走り回るヤツ >>497
普通に考えれば鶏が先でしょ
突然変異で生まれた個体が卵生む >>502
その鷄は玉子から出てきたん違うんかいな? >>497
教えてあげますが卵が先ですよ
突然変異で鶏が卵として生まれます。生物の基礎的素養があれば常識です
無教養ですな
そんな両非論見たいな話ではないんですよ
学問はインテリが思うほど社会に影響はなく社会情勢に左右されるものであるとの主張ですよ
誰かが揚げたマルクスのような例が学問が社会を先導した例ですが
それはすでに論破済み
>>502
卵やで >>505
マルクスのところが論破されたって、どのあたり?
日付でもレス番でもどっちでもいいから指し示してみてよw >>504-505
卵を産む形質の突然変異わ生殖細胞に起きる、で成長して卵を産む
誕生後の個体に変異起きても体変化し無いし仮に発生の早い段階で起きて変化しても遺伝せんしね >>506
>>447を>>450で完膚なきまでに論破しました 相手に勝つためにやってる議論もどきは議論ではなく口げんか どちらも馬鹿なのにそれに気付かず
延々とスレチ
本当に頭が弱いのう 詮無いことをw
詮無いことの喩に出したニワトリが先か玉子が先かまで論じ始めるしw でも、突然変異した生殖細胞由来の受精卵が成長して胎生で産まれ卵ポンするワケだし
まあ喩え話にちゃちゃ入れた俺が悪いんだけど >>509
DNA、RNAあたりをしらべよう
生殖細胞の変異ではないよ。
性差ってのは遺伝子の多様性を産むがそれは複写が起きるから変異が起こるの
まぁDNA自体の変異由来もあるけどな
ひねり出した浅知恵だが基礎的素養がないのでなんともいえない気持ちになるな
1+1は2ではないと言ってるようなものなのでまず勉強しろととしかいえない
ちなみにあなたの脳みそ、煽りでなく中学校の理科以下の教養レベルです カテリーナとグラックス兄弟には出されたな
あとスッラの敵かなんかでいたような >>518
カエサル「俺も出されけど、ルビコン河渡ったらビビって逃げてやんのwwww」 グラックス兄弟の母親が亡くなった年にカエサルが誕生
兄弟の意思を継いだような感じがして面白い 事跡としては後を継いでるように見えるけど、人間性は真逆に近いのでうーんw 兵士に土地を与えて忠誠を誓わせるマリウスの軍制改革は封建制とも言えなくもない
経済的には奴隷に依存してる面が多いので時代区分的には古代なんだけど
中世ドイツもゲジンデ(奴隷)に依存してたのに古代と言われないのは何で? https://kotobank.jp/word/領主-659300
> かように殺人や家宅侵入などの犯罪が私的な仇討によって処理されたのは、ドイツの農民・市民の中核が依然、奴隷所有者だったからである。
>すなわち1212年のエンスEnns(上オーストリア)市法および21年のウィーン市法によれば、市民は男女の奴隷を所有し、1348年のメッペンMeppen教会領史料(西北ドイツ、グリム編同上第三巻)
>では領主と農民とが奴隷を交換している
これだと、ほとんどローマと変わらないことになるけど、なんでドイツは中世扱いなの?
唯物史観って先づ理論ありきの恣意的な区分だよな 最近知ってびっくりしたこと@世界史板スレで言い負かされたら今度はこっちで暴れるのか・・・ >>522
班田収授ど租庸調(庸=労役)で、律令も封建制なのねw 班田制を全然理解してないな
封建制度は土地の私有権を保証する代わりに軍役などの奉仕義務を化す土地の私有を前提にした制度だが
班田は国家の公有地で農民に土地の私有権はないので、本人が死ねば収公されるし
永年私財法以後でも土地の売り買いや、相続はできないし官衙が収公すると言えば収公される >>516
オマエ、生物の授業何も理解出来て無いだろw ともあれカルタゴは滅ぶべし
それにつけてもおやつはカールみたいだな >>526
江戸時代の大名や旗本も後継が無かったり誓詞を出さなかったりすると幕府に領地を召し上げられてたよ 領地召し上げされるんだから班田収授とどこが違うのさ?
江戸時代はガチの封建制だぜ >>489
起こってねーよ。
13世紀じゃあ、日本に金銀が豊富なんていうのはマルコポーロの妄想くらいで、実際には金属コインが流通なんかしてねーよ。
一部の海港には宋で鋳造した銅銭が流通していたけれど、結局のところ、船にモノを売った代金として受け取って船から物を買う代金で払って
ほぼ完結していたような状況 >>432
どこがどう似てる?
人称変化はちょっと似てるか?
フランス語 ロシア語の順で
不定形 er et'
一人称単数 e ju
一人称複数' es esh'
二人称単数 e et
二人称複数 ons em
三人称単数 ez ete
三人称複数 ent jat 同じ印欧語族なんだからそのレベルで似てるのは当たり前 というか
ロシアは宮廷語がフランス語だったから、高級(概念的な意味のこと)な語彙ほどフランス語の影響受けとる罠 >>538
教科書レベルの知識を身に着けてきてから、突っかかってこいやボケナス
「詳説 日本史研究」P155
1186〜1219
銭貨払い 40% 米穀払い 60%
1220〜1283
米穀払い 30% 貨幣払い 70%
1284〜1333
米穀払い 16% 84%
>13世紀じゃあ、日本に金銀が豊富なんていうのはマルコポーロの妄想くらいで、実際には金属コインが流通なんかしてねーよ。
意味不明?自国の金山銀山銅山がないところは貨幣が作れなかったと思ってるの?
明とか地丁銀の原料は日本から勘合貿易で入ってきた銀を使ってただろ
つうか金属コインって何?そんなこと、どこにも書いてないのだけど
>結局のところ、船にモノを売った代金として受け取って船から物を買う代金で払って
下手くそすぎて何言いたいのかわからない
次は小学高等年程度の作文能力を身に着けてから書き込んでね馬鹿キッズ 江戸時代の金貨って
15万円札とか200万円札が出回ってたのと同じだな
落としたら大事
現代は、金融マーケット上の数字取引やだけで
現物は銀行金庫から出ることがないのが安全だな
俺も4グラム位保有してるけど絶対に現物確認はできないし >>542は畿内のみの統計だが、物納から銭貨払いの移行は12世紀末頃から全国同時的に起こっている
とくに万雑公事は14世紀頃には、ほとんど貨幣で負担することになった
九州や東北の遠隔地から夫役や特産品を納めに京の荘園領主の元まで来いと言っても途中で脱走してしまって徴発できないことが結構あったので
その費用分を貨幣で払わせる「代銭納」制度が南北朝時代には普遍的になった
だから、俗に「公事銭」というわけ >>537
じゃあ班田制の始まりから中世でいいんじゃね
もしくは江戸幕府まで古代 ところで「古代」とか「中世」ってどういうものを言うの? >>542
別に自前で一次産出する必要なんか無いじゃん。
例えば、今の日本、「飽食の時代」と言われてるけれど、食料自給率は4割いってなでよ。
豊富にあることは一次産出することと同義では無いわな >>537
農家の田んぼを強奪してた訳じゃ無いしな
しかも地下と幕藩の間に豪農庄屋が挟まるし
>>542
畿内近縁は貨幣経済が進行してたから多くは銭納で
蛮地へ行く程徴税業者が現地から農産物受け取って
畿内周辺で同じ物調達して納める事例が多かった、とうほぐとか 年貢を米で貢進してたのって畿内と中四国ぐらいだけどな
「東と西の語る日本史」見ると関東で年貢を米で払ってたのは上総のみ
東北はすべて絹、布、錦で納めている
物納や代銭納も多いことから貨幣経済も西より速かったとみられる
実際、銭の出土例をみると南九州や、東北地方など農耕が不安定な地域に多い
志苔館からは374000枚もの古銭が見つかっており、一か所から出土した枚数としてはブッチギリで一位である 何の因果かヨーロッパの貨幣経済の復活と日本の貨幣経済への移行ってほぼ同時期 >>550
全く逆
東国は鎌倉時代にローマ後の西欧よろしく物々交換のレベル迄落ちた
博多、兵庫の交易船1隻だけでその蝦夷館の10倍100倍の中国銭扱ってたしな 皆わ君の相手すんなって
コイツは何の根拠もないしに自分の願望や空想を断定調でほざく発達障碍児だから >>549
逆だよ。
コモディティー商品は生産の都合で、多品種小量生産をするサービス的要素の大きなものは消費地の近くで
生産するのが、古今東西セオリー。
米穀はコモディティー型の商品の筆頭のようなもの。水と広い平地が有ればどこで作っても同じ。
農産物でも、蔬菜・花・茶・染料・薬草のようなものは、多品種小量生産をするので、都市近郊で生産される。
今風の言葉で言うと、近郊農業だ。
また、農産品からの加工品も、農民の手によるところが大きく、こちらも多品種少量生産型なら都市もしくは
その近郊で生産される。
近郊農業・農業に付随する手工業の部分は銭が巡るわけだ。 商品作物が不変的に成立したのわ漸く徳川時代前期に成ってから
ちょっとした不定期市が形成されるのでも足利時代後期 >>554
なんか上の人と意見が一緒になるの凄く嫌なんだが
その理論が成立するのは、大規模な物流とそれを維持できる市場システムが必要で、
共和政末期から帝政中期のローマでは成立したが、中世欧州や中世までの日本では存在し得ない
中世の欧州は、コモディティ商品であり、故に嵩張る米穀を定期的に運搬できるほどの物流もなければ、
それを捌くための市場も、市場を維持するための消費地も存在しない 中世欧州で、北イタリアの海洋都市国家群が途方も無い経済力を得たのは、香辛料、貴金属、繊維、染料といった
高価で需要が強く、また稀少で嵩張らないものを主たる商品として扱ったのが大きい
ハンザも中期までは、繊維や琥珀なんかが主たる商品だったしな >>557
繊維ってのは今だと安くてかさばるものの代表だけど(Tシャツとか)
当時は高級品だったのかな? ところでローマの話は、どーなったの?
スレ違い、いい加減にしろって。
チンカスども。 >>558
繊維は産業革命までは高価な貴重品
ローマ含めて、古代国家や中世の権力は布を税として徴収していたし、
希少な布で仕立てた服装を権力の象徴としていた
現代だって、シルク、カシミア、アルパカ、コットンの一部、皮革な
んかは貴重品だよ シルクロードがまさに布を商うために凄い多くの人が動いた証拠だな
少し前にローマの10歳くらいの幼女がシルクつけて埋葬されてたというニュースがあったな
そして成人式の服が騒動になったが絹の着物は今でも100万単位のものですな >>557
糸繰りや機織りは、王侯貴族のお妃やらお姫さんやら豪商の奥方というような食うに困らん支配層・富裕層の女まで
総動員するような大仕事。
ちょっとした暇ができると、糸車を回したり、織機をギッタンパッタンさせていた。
産業革命で自動紡績機・自動織機ができると、糸繰りと機織りから女手が解放されて、人口急増につながるくらい。 >>560
だから、富の蓄積を否定した古代スパルタの市民兵は戦争のときにも全裸だったのか。 >>562
産業革命で人口が増えたのは貿易によって食物移動のコストが下がったからですよ
昔の飢餓って100キロ先には食い物豊富ってのが糞多い
天明の飢饉もそうだった
その他医療や化学の発展、財の蓄積などの理由もありますが 単純に農村は自分達の食料確保出来るけど
都市へ売る穀物が減って都市民が大量に死んだという話 中世から近世ヨーロッパでは機織りは普通は男の仕事だった
ルイス・フロイスの「日欧文化比較」では日本では女がやっていることを珍しがってる >>566
糸紡ぎ、染色、刺繍、レース、仕立ての下流工程なんかは女性もになったよ
中世都市の職能ギルドで、女性の加入や諸権利が認められたのは、この辺の業界が一番早い むしろ逆でもともと中世初期は機織りも女の仕事で
領主の直営工場は農奴の女たちによる賦役労働によって運営されていたのだが
ほぼすべて男ばかりで構成された都市の織工ギルドの生産力に敵わず、駆逐された結果、男ばかりということになったんだが
マニュファクチュアによる毛織物も18世紀までは漁師の副業で男ばかりだった ここ半世紀ばかりでは女特有の業種とか、せいぜい売春婦ぐらいで
その他は基本は男の仕事だからな >>565
実際には、農村で餓死者は多数出ても、都市部ではあんまり飢餓にならんのよね。 逆に結構意外なものが女の仕事だったりするよな
日本だと借金取りとか
西欧だと水くみとか >>570
全く逆
史料から判る範囲だと飢饉で餓死者多い順に都市、北の端、南の端
大飢饉でも辺境以下の農村の餓死者わ数人規模 >>570
それ羽仁五郎あたりの階級闘争脳世代が広めたデマでしょ?
中世の京都とか、しょっちゅう物価が跳ね上がって飢餓状態だったらしいが 都市部は飢餓よりも先に略奪を伴う暴動になるから。
農村から移送されてきた穀物がどこに蓄えられているか丸わかり。
日本でも起こってるでよ。「打ちこわし」とか「米騒動」とかいうふうにな。
飢饉が表面化する段では、農村にはもはや穀物は残されてないからな。
都市に移送された随分後で飢饉は表面化するでよ、暴動のしようがない。 ローマの穀物配給も貧民が暴れ出す前に、こちらから配って暴動を未然に防止&恩を着せるという目的だったんだろうな そんな打算的な目的だけじゃなくて、
同じローマ国民が困ってるんだから富裕な者は貧しい者に施しを与えるべきだ的な公共心もあったんだよ
パトローネスたるものクリエンテスの頼みを聞くのが立派なローマ人であるっていう考え方なんだから もう、東ローマ帝国マケドニアを名乗ってしまえば良いよな気もするな
ギリシャもブルガリアもルーマニアも激おこだけど
古代マケドニア(ギリシャ人格国家)が北西部の現マケドニア共和国地域を支配
↓
その後ローマが侵攻、まとめてマケドニア属州として支配
↓
ビザンツ→オスマンと支配者が代わってもそのまままとめてマケドニアと呼ばれ続ける
↓
その間スラブ系民族(現マケドニア人の祖)が流入
スラブ人が支配的民族になる
↓
ブルガリア&ギリシャ独立
オスマン支配のマケドニア地域に住むスラブ系民族の中にマケドニア人という民族意識が生まれる
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第一次、第二次の2つのバルカン戦争を経てマケドニア地域はオスマン支配から離れ
ギリシャ、ブルガリア、セルビア(ユーゴ)に分割される
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ユーゴ崩壊後ユーゴ内のマケドニアはスラブ系国家マケドニア共和国となる
↓
ギリシャ人国家マケドニア王国の発祥地を持つギリシャ切れる
(ブルガリアも切れる)
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/01/19/20180119k0000e030218000p/9.jpg >>576>>57
単なる選挙対策でしょう
かつて名誉ある立場で兵をだした階層への慰撫 >>576
将軍はそれも為無かったからな、徳政令連発するだけで
勿論下民なんて全力放置プレイだし もう現時点で大分過ぎてしまったが、古代ローマも正月祝ったりしたの?
なんか儀式とかあったんかな? 暦がある国で新年のお祝いが無いってのは想像しづらいな、何かはありそう
それが一年で何番目に目出度いかはさておき ローマニズム宣言
神聖ローマ「ローマ名乗ってよかですか?」 ローマ帝国では春に乙女が沐浴する祭りは会ったな
ただ地方限定の可能性あり 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
YVHST 昨日の天体ショーはローマ人ならどう解釈したのだろう 野生の血が騒いで蛮族が攻めてくるのか…
ローマ皇帝もおったまげ カエサルは愛人と楽しく月食を見る
アウグストゥスは胃痛で寝ていて気付かない
ティベリウスは市民に動揺せぬようカプアから手紙を出す
クラウディウスは文献を引っ張り出して過去の月食の記録を調べる アウグストゥスは迷信深かったから怯えまくりそうだなぁ アウグストゥス「白が赤へ転ずる予兆であろう。これより銅のコインを発行せよ(錯乱)」 カリグラは自慢の巨大船で月見(予定)
もしくは馬と一緒 >>566
ヘロドトスが、エジプトでは男が機を織る、と書いてたはず >>599
ローマどころか古代のちょっとした農耕やってるとこなら、どこでも太陽の周りを地球が回ってその地球の周りを月が回ってる事くらい当たり前のように気づいてるし
太陽、月、星の動きを見ながら暦作ったりしてるし、日本の奈良平安時代でも月食や日蝕の予測してるだろ。
当たり前の事過ぎていちいち証明するなんて発想すらないような生活に密着してる事実が忘れ去られて天動説なるものが教義になったのはキリスト教の教義が鉄板の物となってからじゃないか? ローマ時代の常識が中世だと何故か裁判沙汰になるからな >>602
天動説でも普通に天体の動きを説明できるし予測もできる 皆既月食って太陽の光で出来た地球の影に月が隠れる現象なんだから太陽の周りを地球が回って、その地球の周りを月が回ってるってわからなきゃ
というか皆既月食とか日蝕なんか観察してりゃ誰でも気づくんだろうけど、それがわかってないと予測ができないだろ。 >>604
子供の頃星座眺めてて夜中に又見たらアレ?と思ったな
天動説とか意味不 >>607
火星の逆行とか説明できるんだっけ
万有引力という発想が登場するかどうかが地動説はネックなんだよな
この時期の学者も「地球が球体らしいのはほぼ確実だが
地球の裏側から海の水がこぼれ落ちない理由が説明できない」
と悩んでいて
下=落ちる方向は地球の中心なんだって発想になれないんだよな
同じ力が他の天体にもあるって発想も当然ない 日食月食は軌道の交差で説明できるだろ
予測は見かけ上の大きさの範囲に交差する時期を算出するだけ >>608
確かに親に重力が有るからと言われてもなかなか理解出来無かったわ
太陽の軌道がズレるのに気が付いたらそういうもんかなと受け容れたけど ニュートンが万有引力の概念を発想するはるか以前に古代ギリシャなんて場所と場所の影の角度とその場所同士の距離から地球の大きさを計算してたわけよ。
それってすでに地球は球体なんだってごく当たり前の事として捉えられてたから違う場所で太陽が作る影の角度が違うと考えたわけよ。
人類の文明が発祥以来キリスト教を教義にして、ガリレオやニュートンのような西欧の科学者達が地動説を証明するまで天動説が信じられていたと考える方がナンセンス >>609
日本では日食が予想される日時に
雲がかかって観測できないと凶兆にはならないが
晴れて観測できると凶兆になる
という考え方で観測記録をつけた文献があるそうだね
中国で作られた予報日時と微妙に誤差のある予報もあったので
日本でも独自に軌道計算していたことはわかってるんだとか
うろ覚えだが鎌倉時代の幕府側の機関による観測記録だったと思う 「考える」の内容によるね
信念なのか作業仮説なのか http://www.msz.co.jp/book/detail/08612.html
三月十五日 カエサルの最期
THE IDES OF MARCH
著者 ソーントン・ワイルダー
訳者 志内一興 無敗じゃないんだけど逆境からの逆転勝利が見事
どこのチート主人公だよって感じ
オクタヴィアヌスもしかり どこの戦場で経験を積んだおかげでもなく、舞台に登場した時から圧倒的天才なんだよな
文才はあるし、話術もあるし、人たらしも得意で、軍事の才能もあって政治能力も高い ローマ人みたいな横座りで生活してたら
腰痛になってしまったぞ! >>629
ローマ人の服を着てないからだよ。
ノーパンにトーガ巻いただけなら痛くならん。
腰回りを締めてはダメだ。 みんなで寝ながら食べるのは
流動物とかボトボト垂れそうで難しい
カレーうどんとかローマ式で食うのやばい んなもの、手水鉢を持った奴隷が控えてるに決まってるだろ。 横座りってしかし腰を立てて椅子に座るよりはナンボかマシなんでしょ? 戦国時代好きは内乱の1世紀を知ると絶対楽しめると思うんだよなぁ
「もの凄く大雑把に言って、信長=カエサル、秀吉=アントニウス、家康=アウグストゥスみたいなもんだよ」と説明したい カエサル、アントニウス、アウグストゥスは宗教弾圧やったっけ 信長、秀吉、家康は地方の武装勢力を解体して終わりのない内戦に終止符をもたらした希望感があるけど
その三人は積極的に掻きまわしてるからなんだかなあ >>630
明日はふんどしの日ですが、
ローマ人はノーパン? >>637
カエサルは行き詰まっていた元老院体制ぶっ壊したわけで、混乱を収拾した人たちと比較するのは、正直言って的を外し過ぎて自分の足に突き刺した感 信長は行き詰まってた足利幕藩体制ぶっ壊したんでないの?
信長が混沌とした京都に一応の秩序をもたらしたのと同様に、カエサルも混沌としたローマ市に一応の秩序をもたらしたじゃない
両者とも殺されたが カエサルの場合は内乱が続いていたわけでもないからなあ
相手が勝手にカエサルに牙をむいたイメージしかないわ ・他勢力纏め上げて良い線までいく(浅井ほか反信長勢力結託蜂起)
・相手を強行軍させるくらい(志賀の陣)ヒートアップする
・戦線崩壊間近までそこそこ追い詰めた(宇佐山城、堅田の戦い)
ウェルキンジェトリクス=朝倉義景やな ウェルキンジェトリクスは本願寺顕如じゃないのか
扇動家としてはなかなかだし
アントニウスは柴田勝家っぽく感じる
レピドゥスは丹羽長秀 >>642
マリウス「せやな」
スッラ「せやな」
ミトリダテス「せやな」
スパルタクス「せやな」
ウェルキンゲトリクス「せやな」
キケロ「え、ちょ。カティリナ弾劾してローマ守った吾輩の功績は……」 >>635
消化器弱いのと戦場でほぼ毎回体調崩すので有名だったから
ヤバい状況での下痢はしょっちゅうやってそうなんだよな ローマのミスターサタン
いつも悟空(アグリッパ)が何とかしてくれる所といい 頭の良さは世界史上で名が残る(アウグスティヌスが『正直聖書よりキケロの文章の方が上だと思った』と告白したり)レベルなのに
日和ったり愚痴ったり日和見ったり最後には「この舌で俺をバカにしやがったのか!」とアントニウスに殺されたりする面白いオッサン 迷信深くて演説も散文も特に上手いわけでもないアウグストゥスにコロッと騙される天才キケロ
頭の良さと政治的な駆け引きってまた別なんやなと 中世ではキケロは知性の象徴、知性の塊と思われてたらしいね
名前は忘れたけど、熱狂的なキケロの信奉者の学者がある寺院でキケロの手紙を見つけて読んで、
「あれ、この人イタくね?」って気づいたってなんかで読んだわ。そのあと、「これもまたキケロ!」って持ち直すんだけど >>641
信長わ明が滅亡して関内へ入った清みたいなもんで
三好政権と六角家が内紛で滅びた後に畿内入りしただけ >652
聖書はキリスト信者の精神的エサなんであって
文学的には稚拙だったりする
ローマ書抜粋
「私はすべきでない事をしてしまう。私は実に惨めな人間です。誰が救ってくれるのでしょうか。キリストイエスに感謝すべきです。こうして私の霊は善を求めながら、肉は罪の元にあるのです。」
文章メチャクチャ ローマでも通用するか分からないが古代エジプトでは石臼でパンを作るが
その時に出る石粒が元で歯が欠けまくるらしい
それでもパン食を止めなかったらしい
もうちょっと上手い小麦の利用法は無かったのだろうか >>659
「砂漠の砂が料理に混じって歯がかけた」って最近なんかで読んだな
なんかの本かこのスレかまとめサイトか覚えてないけどw >>655
芸能人のスキャンダルを聞いたファンみたいなもんやな ネットやそれ以前のゴシップ系メディアが発達するまでは、日本でも有名人に勝手に幻想を抱いて崇拝する人は結構いたと思う 現代でも有名人とか実際会ってみないとわからないってのはあるからなんともいえぬ その反面、ネットの虚像を真に受けて、嫌悪・嘲笑する人も増えた アホはともかく、普通以上のオツムがあれば
本人のtwitterの発言を見てどういう人間か大体掴めると思う それは単にあなたがTwitterだけで人間性を判断しているということ。
ネットではイきってるのに本人は……とか、ネットでは良い人なのに本人は……
と言うのはよくある話。 >>670
よくある話ってどれくらいあったんですか?
さも見てきたかのように妄想を書いてるのが丸分かりなので、あなたのオツムの程度も察せられました かくしてローマスレ民が相撃つ内乱の悲劇が幕を開けた しかしそこにスッラやカエサルのような男の姿は無かった…
いるのはせいぜい小カトーやマルクス・ブルートゥス スッラは正直言うほど優れた人物だと思えない
いわゆる反動保守の流れを利用して時代の流れに上手く乗ったという人物で、自ら何かを生み出したわけではない
カエサルというよりアントニウスと比較されるべき人物だと思う 時代の流れに乗るのも才能の1つだとは思うけど、難しいところだな
あまり残すものはなかったがその時代において勝利したスッラみたいな人物をより評価するか
時代には負けても現代にまで通じる軍略を残したハンニバルみたいな人物をより評価するか
どちらの評価軸でも抜きんでてるカエサルは文句の付けようがないが 宗教絡みなだけに、こんな事を書くとぶっ叩かれそうだけど聖書ってローマである程度キリスト教が認知されて
そこそこ教育を受けて学があるローマ人がラテン語に翻訳したりする前の原本って確か稚拙な本だったんじゃないだろうか? >>671
5chの書き込みを見てあなたがどういう人間かよくわかった
ネット以外でも人と触れ合ったほうがいいと思うよ 「本人名義のTwitterアカウントを見ればどんな人間かわかる」という意味で言ってるのだとしたら衝撃的 キケロや小カトーがTwitterやったらどうなるのか気になる
やはり愚痴だらけか >>657
旧約聖書 ナホム書
勇士の盾は赤く
戦士の緋色の服をまとう。
戦の備えをする日に
戦車の鋼鉄は火のように輝き
槍は揺れる。
戦車は通りを狂い走り、広場を突き進む。
その様は松明のように輝き
稲妻のように走る。
流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。
王妃は引き出され、衣をはがれて連れ去られた。
侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ。 「銀を奪え、金を奪え。」
その財宝は限りなく
あらゆる宝物が溢れている。
災いだ、流血の町は。
町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち
人を餌食にすることをやめない。
鞭の音、車輪の響く音
突進する馬、跳び駆ける戦車。
騎兵は突撃し
剣はきらめき、槍はひらめく。
倒れる者はおびただしく
しかばねは山をなし、死体は数えきれない
人々は味方の死体につまずく。
火はおまえを焼き尽くし
剣はおまえを断つ。
火はいなごが食い尽くすように
おまえを食い尽くす。
アッシリア王よ
おまえの兵士たちは山々の上に散らされ
集める者はいない。
おまえのうわさを聞く者は皆
おまえに向かって手をたたく。
おまえの悪にだれもが
常に悩まされてきたからだ。 散文とかの書はいいけど
パウロ書簡は文才無さすぎて
キケロが読んだら頭痛になりそう それは因果律そのものに対する叛逆だ!君は神にでもなるつもりか!?
ローマではなれちゃうけど >>676
ハンニバルは将軍だが政治家ではない
スッラは政治家だが将軍ではない
全く別物を比較するのはおかしい ハンニバルは政治もやったよ。
終わりは全う出来なかったが。 文武が明確に分離しているのは、古代では無いんじゃね >>688
そういう話じゃなくね?文脈は分かるだろ何かいい例えだしてくれ 仮に小カトがポンペイウス・キケロに説き伏せられてカエサルへの元老院最終勧告が出されずじまいだったら
ローマ内戦は起こらずカエサルも独裁者にはなれなかったのかな どんな経緯であれ最後は独裁者にはなったと思う
ローマを改革すると決めた以上は
ポンペイウスと戦うかどうかはわからん 改革するというか
俺が独裁為た方が善いに決まってる、という至極当然な英雄の自負じゃね >>696
俺が、って自負は勿論あったと思うけど
それ以上に、もうこれ(元老院)ダメだし、独裁してスピード確保しなきゃ無理じゃね?
という結論は持っていたように思う 天才キケロ「私も元老院の問題は理解しているがローマは決して独裁者を受け入れない。あくまで元老院の第一人者(プリンキパトゥス)という折衷案はどうだろう?」
天才キケロ「カエサルはどうして私の考えを分かってくれないのだろう。カエサルのような才気に満ちプリンキパトゥス制に理解を示す若者はいないか……」 このスレってキケロを頭良いと思ってるのかバカにしてるのかイマイチわからない… >>699
スキなんだよ。だから好き放題な想像がとまらないし
その結果樹齢百年のサクラのように枝葉が別れまくってる キケロが頭悪いはずはない
武力の時代に生まれたのが不遇 知性の高さと性格からくるユルさ(おバカさ)は別ベクトルだしな
現代の巷でも頭良くて権威もあるポジションの人が変な発言して炎上ってのよくあるし >>655
その矛盾が「人間再発見」と呼ばれてルネサンスの原動力になるんだっけか
キケロはローマの父であると同時にルネサンスの父でもあった >>655
逆にどうしてそこまで持ち上げられてたのかのほうが不思議だな >>683
おまえは走り出す 何かに追われるよう
おれが見えないのか すぐそばにいるのに
とか、こっそり紛れ込ませても気がつかれなさそうな文章w 身内のおじさんだったらキケロよりヴェスパシアヌスか大プリニウスがいいわ ヴェスパシアヌスはないやろ
ティトゥスはオヤジの為に東奔西走して手を血で汚しまくり
ドミティアヌスは冷遇されて性格歪みまくり
扱いが極端すぎるわ 中央政界で頑張るつもりの人や、ガチでストイックな人の周りに居ると、
人生ごと持っていかれそう 身内とかならクラウディウスあたりが無難か?
学者みたいな感じ このスレのキケロのイメージは塩のに影響されすぎ
ローマ人の物語以外の書籍を読んじゃいけない決まりでもあるの?このスレの住民の中には
頭が良いバカとか何を読んだらそんな感想になるんだよ… 己が語りたいキケロのイメージがあるなら堂々と語りたまえ
元老院は君の発言を歓迎する >>715
塩野はキケロの頭の良さすら否定してなかったか?
「カエサルの遠大な目標を遂にキケロは理解できなかった」みたいな書きっぷりだった記憶がある
じっさいは元老院マンセーな小カトとあわよくば独裁を狙っていたカエサルとが両極端として対立するなか
穏便な折衷案を提案したキケロと(歳喰ったせいか最終的にはそれに同意した)ポンペイウスの路線がアウグストゥスによって現実化されたんだと思う
つまりキケロの理論こそが当時(どころか下手すると現代に至るまで)最先端だったとも言える
もちろん元老院の地盤低下はこの後も留まらなかったが、軍人皇帝時代に入るまでは一応の役割をまだ担っていたと言えるんじゃね? 同時代人のカエサル、ポンペイウス、小カトなどと違ってキケロは家柄の後ろ盾がなかった点もお忘れなく
彼はローマ史上稀な立身出世を果たした人物でもある
カエサルやポンペイウスに家柄の後ろ盾がなかったら、果たして彼らはキケロのように執政官にまで上り詰められただろうか?
(小カトは家柄があっても法務官止まり) >>716
ローマ人の物語以外を読みたまへ
話はそれからだ
待ってるぞ キケロがネロ帝の時代に生きてたらセネカなんて比ではなかったな セネカもキケロと同じくらいの立身出世をしている
だが確かに時代が違うからな
キケロは混迷の時代を生きたが、セネカが生きた時代は概ね穏やかで騎士階級の扱いもキケロの時代より良かった セネカって引退後は綺麗だけど
ネロ側近時代は黒いところも大きいよね
立場利用して強引に私腹肥やしまくりで
ボウディッカ反乱の原因の一人じゃないかという話もあるし 私腹肥やさ無いローマ人とかそれもうローマ人じゃ無いから、中国人だから セネカに先立つストア派である小カトは属州統治を節度を保って行ってた ネット界隈だとボウディッカ反乱はスエトニウスのせいって話をこの頃ちらほら見るけど
(たぶんFGOネロつながりで認知されたため)
実際にイケニ族を毟ってたのはスエトニウス直下じゃなく
セネカ等の手回しで中央から送られてきた連中なんだっけか 時代が違うんじゃ……と思ったら歴史家じゃなくて執政官のスエトニウスってのがいるのか 史家の方ほどじゃないけど
スエトニウス・パウリヌスもけっこうな重要人物だからおさえとこう
少なくともローマ戦史では基礎知識の範疇 カエサルやポンペイウスなら家柄関係なく出世しそうだけどな ロマ物のキケロはそこまで悪い扱い受けてない
小カトーやブルートゥスやクレオパトラに比べればむしろ高いほうかと
憎めない感じにも書かれてる
カエサルの考えは理解できなかったが、才能のほうは高く評価していたかららしい
少なくともバカみたいには書いてない 今読めるガリア戦記は、実際のところどうだかね
カエサルが書いたガリア戦記は間違いなく一次資料だろうが 実はキケロがアッティクス宛に出した情けない書簡が偽物だったとかないの?
キケロのあまりの才能に嫉妬した何物かの仕業とか 優柔不断かつ皮肉で敵を作ったと言われるキケロだが、案外友人は多かった
カエサルと個人的に友人だったことはもちろんのこと、ポンペイウスとも一緒にルクルスをからかいに行ったエピソードがあるくらいだし
意外なところではヒルティウスとも友人で反アントニウス同盟を組んだりしていた
カトーとは仲が悪かったようだが、彼が死ぬと称賛する本をキケロが書いた辺り、どちらかというと現実主義的なキケロを理想主義的なカトーが一方的に嫌ってた気がするな カエサルと友人ってだけでカトーは嫌悪しそうな気がする
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいに カトー一族ってなんかすげえ潔癖症なイメージなんだよな
キケロはカエサルと政治的立場は違えど文才は認めあうくらいで、自分に比肩するのは当代ではカエサルのみ!
とかそんな感じでたたえ合う友人だったんだろうけど
文才がどーたらっていうくだらない理由でカエサルと親しいのは確かに嫌いそうだな
つーかカトーってイメージの中じゃ無趣味人間だわ >>737-738
大カトーと小カトーは閥族派の指導者という点だけが共通するが、人間性はまるで別物
大カトー
・贅沢三昧で金に汚い。元老院議員の交易に制限を課す法を無視して、脱法的に金儲けしてた(当時みんなやってたけど)
・その法律を厳しくするという法案に反対したほど
・監察官にまで上りつめて政敵の告発をしまくったら、「じゃあお前はどうなんだ」とばかりに逆に告発されまくった
・演説はジョークや警句を交えてて割と卑近。それでもカルタゴは滅ぼされなければならない
・ギリシャ文化大っ嫌い(でも晩年はギリシャ文化に傾倒したという話もある)
小カトー
・清貧。みんなやってた属州での収奪を行わなかったとされる
・みんなやってた違法な凱旋式を自分は資格がないとして断ったほど
・正論の徒。自らの選挙での買収を拒否して法務官にまでしかなれなかった
・演説はクソ真面目。長々と朗読してリクトルに力づくで追い出された
・ストア派のギリシャかぶれ。西洋人のくせにハラキリした
「委員長的な良い子ちゃん」のイメージは小カトーのことで、大カトーはだいぶ喰わせ物 大カトーは晩年鉛中毒かなんかでおかしくなってたらしいな >>708
キケロは優れた理論家であると共に優れた実際家でもあった
上でも書かれてる通り一代で成り上がるだけの手腕を持っていたし
カエサルやポンペイウスと敵対するのではなく、むしろ彼らを積極的に認め仲良くなることで独裁者化を防ごうとしていた
理論的にも王政の良さを認めつつ(民主制や貴族政よりも優れた政体としている)、共和制の枠組みを壊さない王の枠組みを模索している
優柔不断に見える彼の行動も「カエサルやポンペイウスがローマの第一人者として振る舞うことは認めるが、独裁者になることは認めない」という点で首尾一貫している
独裁者になろうとする意志を隠さなかったアントニウスの台頭に際して、政界を半引退していたキケロが老骨に鞭打って独裁者アントニウスを倒そうとしたこと、そして破れて殺されたことはある種の美談
言ってみりゃ、プラトン級の理論家であり、デモステネス級の政治家でもあり、そしてソクラテスのように信念に殉じた究極の人間がキケロ
……という風に思われていたら、例の情けない書簡が中世に発見されたんで「キケロさんも人の子だったんやな」ってなったけど キケロは運が悪かった。現代では英雄視されてる人物でもこういう記録が発見されたら大半は株価暴落するんだろうな 現代の民主政が、キケロが理想とした王政・貴族政・民主政の混合体そのものであることを思うと、この人の先見の明は異常 話ぶった切って悪いけどダキアにあるアプルムとサルミゼゲトゥサってどっちの方が大都市なの? >>742
いや、それで一定の敬意を払われていたことは理解できるけど
>知性の象徴、知性の塊
までいくとよくわからん
現代の我々の感覚でこそ共和制VS帝政というパラダイム対立において共和制を護持しようとしたという立場にはシンパシーを感じるけど
中世の人たちは共和制の護持がそこまで立派な事という認識はあったのだろうか? 中世や近代の思想家がキケロやカエサルをどう思ってたかは気になるな 中世末期ならまだしも、中世最盛期なら知識人でもキケロとか知らないんじゃないの
文字読めれば知識人だろ暗黒時代とか 教会関係者が辛うじて知ってたかもしれないレベルだもんな
ローマとかの知識は 塩婆の本の知識で恐縮だが
ローマの元老院階級が後の教会関係者という流れがあったみたいな事がなんかに書いてあったな >>748
色んな文章が運良く残ってたってのが一番大きいんじゃない
それと、ラテン語で読めたっていうのもあるのかもしれん 〇〇アヌスさんたちは子どもの頃いじめられたりしてそうな名前で不憫やわ… >>753
確か西ローマ滅亡後についての話だったと思う 元老院はゴートが東ローマ帝国に負けてローマ撤退のとき全員殺されたんじゃ? 元老院階級っては要は地元の名士や実力者なわけで
そういう名家の次男三男の落ち着き先が聖職者だったという話
一時の混乱で中央で元老院議員が皆殺しにされたとしても簡単には消滅しないだろう >>732
一応どころか思いっきり一次史料
アレクサンドリア戦記 アフリカ戦記 ヒスパーニア戦記もそうだけど
一部、草稿のまんまな部分が当て意味が分かりにくい所がある ヨセフス古代史もあるパレスチナと違って
当時のガリアを描いた書が他に無いからな 今更だけど>>229の見解は面白いな
大スキピオって「献上された嫁入り前の娘を送り返す」「少数の騎兵しか持たないマシニッサを厚遇する」「兵士に土地を与える」(封建制の嚆矢)等々
人心を掴む天才らしいエピソードに事欠かない
傭兵家としてはハンニバルに一歩を譲るとしても、腹芸も含めた「政治家」として、やはり一枚上手だったんじゃないか? ザマの会戦ってパクリってほどパクリでもないような
スキピオなりの工夫が見受けられるし
ハンニバルもカンナエのローマ軍みたいにならないよう最善を尽くしてる 結局ヌミディア騎兵を手に入れたスキピオがイタリアからアフリカへの輸送船に乗り切らなかった馬を捨てたハンニバルに勝つのは当然だった ザマの会戦はよく「カンナエの再現」といわれるけど実はそれほど似ていない
ローマ軍がほぼ全滅したカンナエと違ってハンニバル軍の過半は生存しているしハンニバル自身も生還
彼に古くから従ってきた将兵もほぼ無傷だったという説もあるしな ザマは名将同士が互いに一歩も譲らない手に汗握る戦いって感じ ザマは、ハンニバルとしては本当はやりたくなかったんだろうなと思う
スキピオに負けたんじゃなくて、ローマに負けたんだハンニバルは むしろカルタゴに破れたというべきだろ
カルタゴ本国にも色々事情はあったんだろうが、少なくとも戦争当事者としては判断を誤り続けた 当時は船の性能が低くて海軍力の差が現れにくかったのがポエニ戦争全体で見た時の敗因だと感じる 英議会の黒杖官に初の女性が就いたということで話題になってるけど
黒杖官ってのはリクトルを真似たものなの? >>772
確かにハンニバルがローマの将軍でスキピオがカルタゴの将軍なら、スキピオは手も足も出なかっただろうね。 ハンニバルの立場にアレクサンドロス大王がいてもローマに勝てたかは微妙
カルタゴ本国が無能ではどうしようもない だがそもそも「ローマに戦争を仕掛ける」という決断をしたのは他ならぬハンニバルである
カルタゴで最も愚かな決断をしたのは彼だったのでは? ハンニバルにあわせて本国の軍隊が南伊を攻撃したらローマは滅んでた 歴史上で
ハンニバルみたいな境遇の人らは
大概クーデターでなんとか打開してるのに
ハンニバルは泣き寝入り過ぎ
自分には政治の才能がないと思ってたのかな 同じカルタゴ人には刃向けたくない的な心情もあったのかも ローマには勝ちたかったけど自分が独裁者になりたかったわけじゃない、とか色々考え方はあるよな ハンニバルが行ったカルタゴの戦後復興は独裁そのものだったぞ ハンニバルがマリウスやスッラやカエサルみたいだったら
カルタゴ本国制圧後に改めてローマ遠征を実行したに違いない 「100人隊長」って、どれぐらいのポジションなの? 運と実力があれば皇帝になれる?
例えば軍人皇帝とかも元は100人隊長だったりしたの? >>788
近代の軍隊だと、小さめの中隊くらいだから、中隊長とすると中尉くらい?
貴族制度があるみたいだから、兵学校出のお公家さんの若造の最初の任官が少尉だからそこから一つ上がったくらいか。 百人隊長にもランクいろいろで現代軍にあてはめると尉官から佐官まで広がってる
下っ端隊長は少尉や中尉程度だけど
大隊の実働指揮を任せられることもあるpilus priorあたりは少佐や中佐に相当して
軍団長代理として軍団の実働指揮とる場合もあるprimus pilusあたりは大佐くらいに相当する >>788
マクシミヌスやディオクレティアヌスが
兵卒からはじめて軍内で出世かさねて皇帝にまで成り上がった人 見当違いだって一笑に付される覚悟してたけどw回答ありがとう想像が広がるわ 古代ローマって軍人の地位が高かったせいか、primus pilusともなると次期元老院議員候補らしいね(時代によっても違うかも)
日本でも米国でも、大佐程度じゃ国会議員にはなれないよね >>762
8どころか数十パターンあるよ
紀元前から伝わってる書物なのだから当たり前
しかし微妙に語句が違うだけで大小同意で日本語訳は大抵トイプナー版かオックスフォード版のこの二つが底本 >>794
少佐を15年やってようやく昇進して、中佐から大将でヨーロッパ戦線総指揮になるまで4年半の、アメリカ大統領のアイゼンハワーとかは? >>796
箇条書きどころか、主語も補語も全く省いて
VNI VIDI VICI
の人だぜ >>794
元老院入り確実の人でもPrimus Pilusから直接元老議員になるわけじゃなく
まず騎士階級になって高位のPraefectus級についてから次に元老院昇格が通例だったかと
(Praefectus Castrorumなど 事実上の副軍団長級なので現代では准将や少将に相当?) なかば無理やりに当てはめたけど上位序列はこんな感じかな
大将→上位の総督(戦時に複数属州の軍を指揮)
中将→通常の総督(戦時に担当属州の軍を指揮)
少将→軍団長(担当軍団と付随する補助大隊群を指揮)
准将→tribunus laticlaviusと上位praefectus(軍団副長級や複数の補助大隊指揮)
備考としては
tribunus laticlaviusを勤めたのは元老議員の息子で大抵はお飾りポスト
あとpraefectus級でも近衛長官は別格で上位総督レベルの権限が与えられることもあったらしい
ドミティアヌスによるダキア戦争にて現地最高司令官を任されたフスクスの例など 来た、見た、勝った
なんて現代日本人ならどんな傑物が言っても馬鹿扱いされるだろうな 文章は、用いる言葉の選択で決まる。
日常使われない言葉や仲間内でしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない 誤字笑うのやめませんか俺もお前らもいつかやるぞ100パー 茶化してるのもあるけど
大小同意わ完成度高いから新しい成語に成って欲しい >>803
来て 見て 買って
なら商店がよくチラシに書いてる 「信ずる者は足を掬われる」
オウム以降、宗教は詐欺ビジネスの一種とみなされてるからな
ローマ人の中にも「皇帝は俺達と同類の糞袋、アルテミスやヤハウェなんてのも存在しない」って思ってた人らはいるだろうけど いやいないだろ
当時はやはりまだ相当宗教が力を持っていた チンコストラップみたいの有難がってた人たちの信仰に疑問 日本人でユピテル神とか知ってる人どのくらいいるのかね ソクラテスの死罪の罪状が「我々の奉ずる神を信じていない」だから、
ソクラテスが神を信じてなかったとは言わんが、中には信じてない人たちもいたんじゃない ユピテルっつたらドライブレコーダーの会社と思われそうな あそこももとは無線通信機器の会社なんだけどな
日本の無線機器メーカで今無線機メインでやってけてるメーカなんてもうないよな >>816
逆に言えばそれは死刑になるレベルの冒涜行為ってこと 神を信じて無い人間に限って在りもし無い神を振り翳して利用するからな
日本だと神社の連中とか酷いもん、当に下種の極み 巣鴨のとげぬき地蔵さんとか、道修町の神農さんみたいなものか アウグストゥスと安倍って似てるよね
まわりを騙していつの間にか独裁者になってるとこが >>825
ちょwwアウグストゥスってあんなに地頭悪かったのか?w 安倍なんかと比較するとはアウグストゥスに失礼すぎる アウグストゥスならもっと政治上手くやるし
周辺諸国にやたらヘコヘコしたりしない 近平ちゃんは鮮卑の血を引いてるんじゃないか?って、どっかのスレで見たw だから蛮族のように周囲の国に迷惑かけまくってるのか アウグストゥスとは比べるべくもないとはいえ
習近平は相対的には悪くない指導者だと思うな
北にはもっとひどい独裁者がいて、太平洋の向こうではバカが指導者になった プーチン現東ローマ皇帝になんとかしてもらいたいところ 「北にはもっとひどい独裁者がいて」はプーチンのことだよ
ロシアの経済的低迷は有名だが、税の不平等も中国より酷いとピケティが証明してる
日本では妙に持ち上げる人が多いがプーチンはかなりメチャクチャ
金正恩もひどいが北朝鮮は別にどうでもいい国なので >税の不平等も中国より酷いとピケティが証明してる
当然中国が素晴らしいという意味じゃない。ロシアが平等という観点ですら中国よりクソということ おいおいここはネトウヨがホルホルするスレじゃねぇぞ
日本なんてロケット・軍事技術じゃ中露の相手にもならねーから、アメリカ様のケツ舐め続けてんだろ
沖縄の良地差し出して米兵に少女レイプされて、同胞である少女の方を糾弾するスネ夫根性がネトウヨ ネトウヨとかホルホルなんて言葉を使ってる時点で気持ち悪い >>835
日本の税制の不公正さわ中国より圧倒的に酷くて
ロシア並に酷いか、今やロシアより酷いかもしれぬから >>828
周辺国とかは関係なく人間に対して罪悪感なく平気でウソをつけることが安倍とそっくりなんだよ
ローマは共和政を維持してればもっと長く続いたしもっと発達してた
塩野はバカだからカサエルやアウグストゥスを大評価し大好きみたいだが二人とも長い目で見ればローマを大破壊した大戦犯だよ
女に歴史語らすとロクなことない > ローマは共和政を維持してればもっと長く続いた
開いた口がふさがらない 小泉をカサエル、安倍をアウグストゥスと例えば今後どう日本がどう間違った方向に行ってるか想像できる
まわりからは良くみられるのだが実際の中の暮らしはどんどん酷くなってるっていう
帝政時代は共和政時代よりさらに酷い格差だったらしいからね
いつの時代どこの国でも大衆を騙すバカな独裁者を支持してしまうのは変わらないという
半世紀前のドイツもしかり >>845
現実だよ
お前みたいなバカは塩野の本に洗脳されてるから帝政時代が良かったと思ってる
パックスロマーナはまやかしだよ >>847
共和政システムはカエサル出現する前から
すでに政情不安が慢性化してぶっ壊れてたんだがね 流通網整備と経済拡大のおかげで
平民層の生活水準については明らかに帝政期のほうが向上してるんですけどね >>849
その考えが塩野を含む一部歴史家に騙され洗脳されてるって話
今の日本だって慢性化してる改革だ!といってやった結果どんどん酷くなってるよ >>851
まるでローマ本は塩野しかないと思ってるような口調だな >>850
今の日本だって数字上は向上してる
だけど国民の暮らしは良くなってないぞ
バカな歴史記述に騙され当時国民感情に移入できない奴がこういう考えになる >>853
数字じゃなく各地での考古学的な発掘調査で物証が出てるんですけどね >850
古代ローマに
1800年後の大統領制度を導入した場合、
やはり独裁化するか、
選挙対策の票狙いで民主化するか
どっちだろ バカ左翼のおかげで安倍自民が選挙に勝てましたとさw 発掘調査物証が国民の幸せ検証につながる意味がわからん
今の平成日本だって後の歴史家が発掘物証すれば当然良かったと思われる
だっていろんなもんが進化してるから当然この頃日本は幸せだったと解釈される
でも昭和の日本のが国民は今の日本より幸せだったと思うぞ
俺が言いたいのはそういうことだ 根拠なく「〜らしい」とか「〜と思う」という感想だけで語る典型的な「昔は良かった病」ですね >>859
おまえらが死ねば、今の日本国民は幸せになれるよ
俺が言いたいのはそういうことだ どうでもいいけどスレタイにローマ人の物語ってはいってるためか
塩野信者の溜まり場だと思われることあるけど実際はそこまでじゃないぞここ
むしろ海外ガチ学者の著作引き合いにだしてきて『小説家』な塩野史観叩きよくやってる みんなで安倍を落選させよう!
そうすれば二度日本に平和が来る >>844
>女に歴史語らすとロクなことない
その理由ってなんだろう? 米兵より沖縄の成人男のほうが人口当たり強姦魔が多いという現実
殺人や強盗も人口比では東京抜いてトップクラスなのが沖縄
強姦が親告罪でかつ半数が示談か不起訴になる日本と違って
アメリカのほうが性犯罪に対する懲罰は重いのだから向こうの法で裁いてもらったほうがいいよ 女に歴史を語らすと女目線の憧れ視点で見てしまうから
人間としてじゃなくメスの視点になってしまう
塩野のカサエル評なんてまさにそれ
少女漫画じゃないんだから
塩野のクレオパトラ評を見るとカサエルがある程度夢中になったのを認めたくないとすら伝わってくる
「私のカサエルが〜」みたいな 小説家であって学者じゃないんだからいいんだよ
むしろ偉い学者先生のほうがロマ物超える作品出せないほうが問題
批判だけでなく作品で勝負しなさい
素人に負けてるんだぞ 帝政否定してるのは共和政原理主義者だからか
テロリストみたいだな >>850
2世紀に入って五賢帝の時代にわ、もう経済がブロック化縮小化してるよ
後漢後期と似た様な状態 ローマ神話の本って何かあったかな
ローマ神話自体なかなか見かけないのだが >>869
してねえよ
五賢帝期はむしろ港湾開発等の輸送網整備しまくりで一番活発なんだけど 前にも書いたが、セウェルス帝時代になっても、
港町連結する新街道つくる必要があったくらいには物流経済は回転してた。
これが徐々に縮小していくのは三世紀半ばからの話。 >>871
本地垂迹が過ぎて、アイネイアスがラティヌスの婿養子になるところまでギリシャ神話と同じと言い切ってしまってるから >>866
歴女ブームに乗った女なんてそんなんばっかりじゃないかw クレオパトラとカエサルが微妙に冷えた関係はなかったのは間違いないんでない
カエサルは遺言でカエサリオンをあえてスルーしてるし
クレパトもクレパトでカエサルではなくアントニーと一緒に葬られたいと望んでいた カエサルは骨抜きにはされなかったからな
一方でアントニウスは骨抜きにされてポンコツになってしまった カエサルは若い頃から女遊びのプロだったからなあ
アンソニー君はまあもてたかもしれんけどジゴロってほどじゃねえし カエサルは女遊びもうまかったしそもそも母ちゃんいたからな
クレオパトラが仮にカエサルをコントロールしようとしたら
誰よりカエサルの中にある母の影と戦うことになる。これは分が悪い それならネロ帝の中にある母の影と戦うほうがマシだな
罪悪感をほぼ感じないし >>878
英語呼びならシーザーとアンソニー
ラテン語読みならカエサルとアントニウス
どっちかに統一しなさい >>881
カエサル ローマの英雄ユリウス・カエサルで有名だから
アンソニー シェークスピアの『アンソニーとクレオパトラ』で有名だから
ローマ史でカエサル、オクタとの関係で語るときはアントニウスって呼ぶけど
クレオパトラとの関係で呼ぶ時あアンソニーと呼びたくなってしまうんだ オクタだから、つまり、江戸時代風なら「はっつぁん」かい? >>825
安倍程度だと、小カトーぐらいといい勝負って感じではwwww 安倍のせいで市民による共和制が云々とか言いたい手合いだろうけど、そうなるのは
自分たち自身がローマ市民と比べるべくもない無能で無責任で怯懦な存在だからじゃないの 民衆は自分たちと同じレベルのリーダーしか選べない
2000年前から人類は進歩してない いや流石に成蹊大卒(知能は成蹊大をよく卒業できたなってレベル)が首相ってひどすぎると思うけどな……
気に入らない首相を次から次へと首切っていったらバカしか残ってなかったという感じ
ああ、日本全体がブラック企業化したってことなのかコレ 南カリフォルニア大の英語力を見せつけたる
「ルックアットミー」 5賢帝時代には縮小云々って、都市ローマとローマ帝国全体を勘違いしたんじゃねえの?
確かにユリウスクラウディウス朝には都市ローマの成長は止まってたという説を見たことあるわ 共和制→帝政 って言葉の印象のせいで世間一般の認識がズレてる気がするんだよな
【世間の認識】
共和制
みんな1人1人がローマ市民としての誇りをもって参加する社会
↓
帝政
皇帝「オラオラ俺様の為にみんな尽くせや!!!」
【現実】
共和制末期
元老院「戦争や火事で没落した市民から搾取してウマウマwww キンブリ・テウトニ? そんなん知らんし」
↓
帝政
皇帝「役立たずの元老院の代わりに安全保障するよ。パンも配るしサーカスも見せるよ。だから僕を支持して」 >>890
成蹊大学って三菱グループだし入学すらコネだろ >>892
ローマ市人口については
アウグストゥスでピークの100万ラインに達して2世紀中までそのまま安定して3世紀から落ちるって説と
アウ以降もじんわり増えて2世紀半ばにピークに達したけど3世紀に落ちるって説がだいたい双璧
どちらにせよ「五賢帝期に縮小」という説は主流じゃない アントニヌス疫病あたりが減少始点になってそうかな
とはいえ最後のアウレリウス帝時代だから
これで「五賢帝時代に縮小」ってまとめて言うのは語弊があるな
前半のハドリアヌスらへんまではゆっくり増えていたって見方もあるし スターウォーズepisode1〜3のパルパティーン議長ってアウグストゥスがモデルだよねあれ
そう考えると皇帝時代はやっぱり悪と考えるが自然じゃろう
やっぱり共和政を続けるべきだったんや
日本も早くアベグストゥスを倒して平和をもたらそう スターウォーズで歴史上の人物の評価が決まるのか…(困惑) ルーカスもリベラルで変な考えの人だから
SWがローマをモデルにしてるのは間違いないとは思うがな
現実は帝国以後のが市民の生活水準も安定してます >>900
安倍はダースベイダー
暗黒シスは竹中平蔵 スターウォーズもそうだしグラディエーターもそうだが
洋物映画を観るとむしろ西洋人の方が共和政ローマ=善 帝政ローマ=悪って考えに凝り固まってそうだな
何百年にも及ぶ身分闘争に代表されるように、共和政って全く自由でも平等でもなかったんだがな >>844
カエサルとアウグストゥス以前のローマは
地中海式農業が可能な土地だけを領土にしていた
カエサルとアウグストゥスがライン河とドナウ河を防衛線とする為に
内陸の地中海式農業が出来ないローマ人が苦手な土地も領土に加えた
カエサルとアウグストゥスがいなければ領土が一体化しないので
属州を長期間支配し続ける事が困難だったであろう
一方で領土が一体化しないので身軽にイタリア本国以外の領土を
非常時に放棄してイタリアが生き延びる事が可能だったと思われる
ローマからコンスタンティノープルに遷都とかはまずありえなかったはず ローマが一番外道なのって共和政後期だからなあ
元老院の有力者たちが軍や属州を私物化してやりたい放題で 西方での拡大は防衛戦争と言える面もあるけど
東方拡大は完全に富を毟りにいってるからな >>906
大カト(というか後の閥族派)が悪しき前例を作った気がする
「自分達はリスクを負わずに英雄(大スキピオ)に問題を解決させ、後にその英雄を失脚させる」
って手法をそれ以降繰り返すから、マリウスがブチ切れるしカエサルもルビコン河を渡った
いや、カミッルスの扱いから既にその萌芽が窺えるか?
それ以前にタルクィニウスを追放した時点でそうだったのかも
そもそもロムルスを「天に召された」とか言いだした時点で…… カエサルの生まれかわりを自称する、大西ってAKBヲタがいるな。 >>909
やったー!
死後日本人皆にお金を遺してくれるんだよね! >>893
パン つまり、社会保障
と
サーカス こっちは手軽な娯楽
とを供するのは為政者の務めだな
本邦も2年後のサーカスの為に東京は大わらわだぜ。 私費を投じて人気取りをしたのがローマ貴族
サーカスやるよーと言って税金を投入して人気取りをしつつ利権で美味い汁を吸うのが日本貴族
古代ローマの執政官なりなんなりがサーカス開催するのに使った費用を属州から回収してたら
同じ穴のムジナか どうせならコロッセウムぐらいかっこいいやつを建ててくれ執政官殿 費用は他国の5倍、建物わ突貫工事で無難な出来、大工が過労で自殺
費用何処行ったんすかねえ >>893
ちょっと俗っぽい理解だな
パンとサーカスは共和政から始まってるし
皇帝は終身制だから市民の支持何て関係ないぞ わ君は相変わらずバカだな
コロセウムと同時代に出来たお前の大好きな後漢の洛陽とか建物は何が残ってるの?
宋金の時代のものすらろくに残ってないだろ >>917
終身制だからこそ関係があるだろう
市民の支持か近衛兵の支持を失うと大体暗殺される >>918
何言ってんだこいつ
わ厨は死ぬべきである 市民というか市民のごく一部に相当する軍団の支持だな
大衆に嫌われても軍さえ引き込んどけばだいたい何とかなる
逆に大衆に好かれていても軍に嫌われたら即死 市民の支持を得て終身独裁官に就任する…っていう無意味とも思えるタテマエだが
そのタテマエを施政者が忘れた時に国家は荒廃していく
ポピュリズムとの難しいバランスでもあるけど >>923
それやると利益供与で逮捕されるのが日本という国 不正にお友達へ億単位の税金バラ撒いても無罪なのにな >>921
五賢帝辺りの時代までは民衆の支持はかなり重要だった
軍人皇帝以降は軍を重視する皇帝でもみんな死んでて、例外が数人いるだけ >>926
軍人皇帝の死にっぷりは大衆人気云々とはまた別の話かと >>927
漢長城とか土塁なんだから土くれしか残ってないし
兵馬俑とかただの像じゃん
しかも一発屋で始皇帝の治世オンリーだし 一般民衆の支持ももちろん大事っちゃ大事だけど
皇帝の運命を左右するのは帝政開始時からすでに本質的に軍部だよ
軍部が自重するか大胆になるかの気分次第で9割決まる
そして四皇帝内戦・五皇帝内戦の経験で
軍部がその自分たちの力をだんだん自覚して大変なことになる 軍部と言っても初期はプラエトリアニじゃないか?
プラエトリアニといわゆる「軍」は指揮系統も性質も大分異なるし >>932
ユリウス・クラウディウス朝は親衛隊だけだったけど
四皇帝内乱を皮切りにフラウィウス朝以降は地方軍団も帝権への絶大な影響力もつ 軍人皇帝の様相は、
恒常的な軍事組織は権力も溜めこんで横暴になるという、
常備軍制の落とし穴の典型的な例 >>929
闘技場は造形された陶像じゃ無く石を敷き積んだだけだぞ長城と同じく。長城は場所に由って壁の地点と建築物の区画が在るしな トラヤヌスが皇帝になれたのもライン・ドナウ圏の地方軍の支持が大
警護も既存の親衛隊じゃなくバタウィ系から選抜した自前の使ってた
また彼のライバルだったニグリヌスもシリア総督で事実上の東方軍最高司令官 >>935
アホ?
陶器で建物つくるバカがどこにいますか?
まぁぺーぺー農民の賦役頼りの中国には組積造なんて逆立ちしても無理だわな
>長城は場所に由って壁の地点と建築物の区画が在るしな
ハドリアヌスの長城は漢長城みたいなただの土盛りじゃなくて
6kmごとに風呂、病院完備の砦が作らてるし文明レベルが違い過ぎるねー 人気そこそこで元老院からクソミソでも絶大な権力維持したティベリウスは、本人が傑物なだけな気はする >>937
長城はある程度の距離毎に砦設けて居たし
というか、唯の壁が延々連なっててもあんま意味無いしな
あと石橋わ大抵組み構造 >>938
その頃はまだ親衛隊が自分達の潜在的実力に気づいて無かったんじゃなかったっけ?
ティベリウスがセイヤヌスを野放しにする→莫大な報酬と引き替えに親衛隊にセイヤヌス殺しを頼む
そのせいで親衛隊が自分達の価値に気づいて後の皇帝達が苦労する
って流れだったような カリグラ殺してクラウディウスを猫の子みたいに連れて来た時点で、もうね なんかすげえループして来てるな
最後にいつものトラヤヌスを熱く語る人がいつもの話をして終わる流れだわこれ
そして例によって例のごとく話題にならない軍人皇帝とテトラルキア時代 話ループがおこるのは大抵、新規の人(または前回いなかった人)に
昔からいる人が説明するってパターンだから別に悪いことではないと思うよ スレチ延々とされるよりはローマ話ループのほうがずっとマシ スレチ会話の盛り上がりとかなら良いんだけど相手潰したいだけの口喧嘩は勘弁 ハドリアヌスは戦争の実績がそこまでではない
ティベリウス、トラヤヌス、コンスタンティヌスの方が戦争の実績に関しては上だろう ハドリアヌスは政治軍事のバランスがいいからな
トラヤヌスもそうだけどどの時代でも活躍できそうな安心感がある 高校生レベルだとかなり勉強してても
アウグストゥス
ネロ
トラヤヌス
マルクス・アウレリウス
カラカラ
ディオクレティアヌス
コンスタンティヌス
くらいしか覚えない感じだよな >>949
ハドリアヌスとトラヤヌスはあの時代だからこそ活躍できた優等生タイプ
ローマが最も安定していた時代に家柄で最初から指揮官候補として教育を受け、指揮官として訓練を積めた
言ってみれば秀才
実力さえあれば己の腕一本でものし上がれる軍人皇帝時代で頭角を現せたとは考えがたい ティベリウスやクラウディウスより遥かに功績劣るカリグラのほうが有名
なんかおかしい 徳川将軍の中で綱吉の知名度高いしアベ総理も後世の歴史に残る ティベリウスは賢帝か狂王か?
賢帝っぽいところ
・嫌いな人も認めざるを得ない軍事実績
・嫌いな人も認めざるを得ない人使いの上手さ
・ローマの防衛線整備や治安維持に優れた手腕を発揮した
・アウグストゥス路線を引き継いだことで「二代目」としての役割を全うした
・緊縮政策でローマの"国家財政"は潤わせた
狂王っぽいところ
・義父と違って無意味に元老院との関係を緊張させた
・緊縮政策でローマの"経済"は停滞させた
・引き籠もり気質。長年の隠遁生活でセイヤヌスを増長させる
・そのうえ親衛隊をさらに増強する → 後の親衛隊問題の発端
・これらの結果元老院議員の粛正 → 晩年の恐怖政治へ
・後継者にカリグラを選んだのは結果論的には失敗だった 元老院の腐敗が原因の部分もあるからな
あと家庭が冷え切っていたところとか
可哀想な部分がそれなりにある 「かわいそう」要素を評価に採り入れてたらキリがなくなる 映画カリギュラ初めて観たけど日活ロマンポルノだなあれ キリスト映画のローマ:暗い
一般映画のローマ:不潔
健全なローマ物はテルマエ=ロマエだけか 洋画だとローマ軍マニアな奴らが作った映画ですら反ローマな空気あるよね
「第九軍団のワシ」は奴隷制ローマ批判してるし
「センチュリオン」は主人公が最後に「汚いローマ」と離別するし
「復活」もキリストに感化されて主人公がローマ軍から離れるし
何かしら反ローマなテーマいれないと映画の企画が通らないんだろうなと思う ポンペイはティトゥス期を暴政という設定にしてて呆れたわ
そこまで捻じ曲げてでもローマ叩き要素いれるとは 古代ローマはクリスチャンやユダヤにとっては、先人を虐殺した仇敵だしな まあエルサレム陥落させたティトゥスはユダヤ史観ではめちゃくちゃ憎まれてるから、
ユダヤ資本ズブズブなハリウッドの餌食になるのもわかるっちゃわかる。 そういうしがらみが無い日本人が作ったほうが面白いのができそうではあるが クリスチャン型コンキスタドールの先住民大虐殺のが酷い 洋でもドラマや小説界隈はわりと中道な視点で描けてるんだけどね
ROMEはローマ人視点の価値観をストレートに描こうとしてたし
ファルコシリーズもウェスパシアヌスやティトゥスに好意的だし
でも映画となるとやはりキリスト・ユダヤ視点にすごく傾く >>966
ティトゥスってわざわざポンペイまで赴いて被災者救助に当たってなかったか?
その最中に死んだはずだったけど >>972
そう
でも映画ポンペイではポンペイ市に軍団派遣して圧力かけてくる暴君として描かれてる そんな暴虐ドミティアヌスでもやらない気がするな・・・ キリ教だって今や散々自己否定して訳が分からなくなってるくせに未だにローマを叩いてるとか可笑しい まるでブリテン島で暴れるサクソン人みたいじゃないか
もしくは十字軍 ROMEについてはあのストイックなテイストでよくアメリカでドラマ化できたなと思う
スパルタカスのほうは逆に良くも悪くもアメリカらしいドラマだった ROMEの奴隷制に対する当たり前のような冷めた描き方とか
今の風潮の中でやると勘違いした人道主義かぶれ達に叩かれそう >>930
結局、帝政というのはアウグストゥスの最初の最初から、
「市民の結合体(senatus populusque)が軍事組織を完全に統御する」というres publicaの根本原則の破綻の正当化だからね。
正面切ってこの破綻を体現したスッラとカエサルは共和国制の名の下に潰したけど、
結局、それでは現状のローマの支配体制として持たないということで、
表向きは「市民の代表」と言いつつ、裏口から常設的再軍備を招き入れたのがアウグストゥス。
もともとres publicaは都市国家の政治原理なので、あれだけ広がった紀元前1世紀のローマを維持するのは無理だった。 潰されたというか、スッラの政体それ自体は全く継承されなかった。
res publicaの観点からみれば、やったことが何もかもふざけすぎているからで、1代限りの黒歴史扱い。
閥族派という名称に惑わされるべきではない。
軍人を私兵化し、挙句属州の農地に大量に送り込むなんて、絶対にやってはいけないこと。
でも、先発のマリウスにしてもそうなんだけど、それをやる社会的必要があることも事実で、
学者や実務家のサポートを得ながら、カエサル、ポンペイウス、アウグストゥスが同じ問題に取り組むことになる。
でもどの案もどの政策も「ローマの国体護持の破綻」であることはどうしても否めない。
アウグストゥスは必死で否定したけど。 >>981
言っていることがメチャクチャ
軍人の私兵化を行ったのはスッラではなくマリウス
そしてこの制度は潰されることなく、スッラ→ポンペイウス→カエサへと制度を用いて独裁を伺う者を生み出し続けた >>981
スッラも結局囲い込んでるから同じだよ。閥族派という名称に惑わされてはいけないというんだよ。
マリウスとスッラの闘争はむき出しの権力闘争であって、政策をめぐる論争ではない。
ここの闘争は政治体制の問題としてはどうでもいいといっていい。
他方で、スッラとカエサルとアウグストゥス(とポンペイウス。ただしほぼ未実現)の政策の
微妙な、しかし三者三様の決定的な違いがわからないと、
元首政の何たるかは全く理解できない。
だから、キケロがローマ政治を理解するための古典中の古典になってる。
なんで日本の文学部のローマ史研究って、こんなにナマクラなんだろうな? ただ単に馴染がないからだろ
中世好きや三國志好きはいるけどローマ好きとか滅多にいない
研究だって好きじゃなかったら熱心にはやらないんじゃないか? 山川のローマのところは、ギリシャの研究者が書いたのでさらっとになっている そもそも一般レベルではスッラとかポンペイウスでも「誰それ?」状態 >>983
>マリウスとスッラの闘争はむき出しの権力闘争であって、政策をめぐる論争ではない。
支持基盤が違うのに政策をめぐる論争でないわけがないんだが
>なんで日本の文学部のローマ史研究って、こんなにナマクラなんだろうな?
お前レベルのナマクラは滅多にいないと思うが
小難しい理屈を並べてわかったふりしてるけど古代の倫理や都市国家の政体がまるで理解できてないということはよくわかる ちょっとポストモダンとか好きそうな大学生ぐらいの子っぽいよね >>983
典型的な詭弁だなぁ
>>982の指摘に正面から答えられず「日本の文学部のローマ史研究って〜」のようにに主語を大きくして誤魔化してるだけ
スッラとカエサルとアウグストゥス(とポンペイウス)の違いを私もいくつも指摘できるけど
あなたはまず高校生の教科書レベルからやりなおすべき
すると以下のことに気づくはずだ
特にスッラが法制化したプロコンスル・プロプラエトル制度は彼の死後も継承されたが
この制度は軍事力の分散によって単一の独裁者の誕生を防ごうとする役割を果たした
カエサルもアントニウスも彼らの覇道をプロコンスル・プロプラエトルの軍団によって幾度も邪魔されている >>984
史学科のほとんどは近現代の政治経済とか歴史哲学や古文書の研究が主流だぞ
歴オタが好む中世ヨーロッパの軍事史とか海外留学しないと学べないようなニッチなジャンル
同じ歴史好きでも単なる趣味と学問として志してる人の間には溝があると思う というか趣味で古代の生活とか経済を学ぶ奴なんて
乱世ヲタより更に少ないでしょ プロコンスル、プロプラエトルの経験者を属州総督として派遣することは慣習としてあったことで
スッラはそれを明文化しただけで、分散も何もローマ軍は属州や同盟市ごとに指揮系統はもとから分かれてるのですけど >>993
そうですよ。だから「法制化」って言いました
つまりスッラは既存の「独裁者の誕生を邪魔する制度」を強化したということ スッラ自身が独裁官を復活させた張本人なのにそれはないわー つうかスッラが退役兵を入植させたのはほとんどイタリカ内だぞ
ポンペイもその一つ ポンペイのラクガキにはスッラ直筆のものがある
しかも自分の名前なのに綴り間違ってる >制度を用いて独裁を伺う
俺にいわせりゃ、こんなナマクラな理解もないものなんだがな…
これ、致命的なんだよね。こんな雑な理解をしたら元首政の何たるかなんて全くわからない。
いくら教科書的な細かい知識を正確に暗記して披露しても、だから何?って話だ。
日本の文系高校生が大好きな世界史一問一答(笑)なんて実のところどうだっていい。
でも時代ごとの政治システムの転換点のポイントの理解を怠ると、何もかもがくだらない暗記問題になってしまう。
「私もカエサルとアウグストゥスの政策の違いを指摘できる」なんてドヤ顔でいわれても、
何を言い出すかおおよそ見当がつくから俺は聞かない。 このスレッドは1000を超えました。
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