カール・マルクス 63
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重複してしまいました。
63終了のあとに残っていれば使ってください。 財務省はまるでカルト、ザイム真理教だ!!(森永卓郎先生インタビュー)
https://youtu.be/GXIRgfmp2cI 【マルクス主義者vs資本家】メディア&科学リテラシー講座【ReHacQ!高校出張授業】
https://youtu.be/N-QvIzuwk8s 平成23年の司法試験予備試験、一般教養(第3問)で
『資本論』〜で,マルクスは,資本家と労働者の関係を主人と奴隷の関係に置き換え,労働者以上に財産に支配されている資本家の在り方を批判した。
この肢は「×」で、どこが間違っているのでしょうか?
WIKI等を見て昨日・今日悩んだ結果、私なりに答えを出してみました。
たぶん2箇所間違っているのではないかと。
@「資本家と労働者の関係を主人と奴隷の関係」→
奴隷は主人を選ぶことができないけれども、労働者は資本家を選択することは可能
※いずれかの資本家を選択しなければならないという強制によって資本家階級につなぎとめられるので、このような状態のことをマルクスは「賃金奴隷制」と名付けた。
A資本家の在り方を批判→
資本家は資本に従属する一要素に過ぎない どうせマルクス研究の専門家が作った問題じゃないだろうから、真に受けないほうがいい。 留萌市は総従業員の12パーが公務員とのこと
日本は今後貧しくなると共産主義が進むかもな 8なら反共君のゲイバーにヤクザが来店してみかじめ料を要求 ロシア、新しい歴史教科書を公開 ウクライナ侵攻称賛 経済は幻想だとお題目唱えても腹はいっぱいにならないし、国家は幻想だとお題目唱えても国家権力はなくならない。 タイで仏教徒として出家した日本人も慈善活動を維持するために資金調達に常に悩まされていた。
おカネが必要、もっとおカネが必要。これが口癖。
けっきょくは唯物論。皮肉なものだ。 国家は幻想だと百万回お題目唱えても国家権力はなくならない。
経済は幻想だと百万回お題目唱えても腹はいっぱいにならない。 >>10>>12
「価値など実在しない」と百万回お念仏を唱えても、人々が商品に価値があると考えるから取引が成立する。
その意味で価値唯名論は成り立たない。
これがアリストテレス(やベイリー)とマルクスの違い。 開発途上国で慈善活動を行う仏教徒は人が貨幣を求めるのは利己的な欲望のためとは限らないことを教えてくれるが、唯物論から解脱したわけではない。
やはりマルクスの言う必然の王国に縛られていることに変わりはない。 アナキストは国家はすぐに廃止できると思っている。
マルクシストは階級関係を是正する意思をもった労働者国家の段階がその前にあると主張している。その後、国家は廃止されるのではなく自然に立ち枯れていくと想定されている。 おカネに頼らずとも慈善活動は可能。
でもそのために構築しなければならない社会的ネットワークが膨大になるので、個人個人の孤立した慈善活動では貨幣経済に頼らなければならない事が多々生じる。
貨幣には社会関係を簡略化する効用があるので。
ただし貨幣が持っている社会性も不安定なので、安全な貨幣には国家の後ろ盾が必要になり、格差是正のために国家が必要な段階がけっきょく生じる。
マルクスはそれをプロレタリアートの独裁と呼んでいた。 >>17
貨幣の本質は「資本論」の言うように商品ではなく「21世紀の貨幣論」の言うように信用だからそうなる。 格差是正というのは階級支配を弱める政策だからプロレタリアート独裁の一種。
プロレタリアート独裁国家はそれを行って階級格差がなくなるところまで行ったときに共産社会が実現する。 格差是正に取り組んでいる政府を持っている国家はマルクス主義を標榜しようがしよまいがプロレタリアート独裁国家と呼んでいい。 >>26
財政支出によって雇用を生み出し、高度な累進課税により財源を富裕層に求めることで平等化を図った戦後ケインズ主義は一億総中流社会を作った。 >>27
第一次大戦後の資本主義の危機(恐慌)のときに先進資本主義諸国は社会主義をかなり採用したね。
日本の「一億総中流」意識はあくまで意識なのであってかなり大げさな言葉。実際には幻想だったらしい。
ただし似たような意識はアメリカ人(だったかな?)の間にもあったらしい。 ただし資本主義にかなり依拠した社会主義は資本主義の危機とともに資本主義によって淘汰される傾向がある。
ケインズのいう投資の社会化が根本的な意味で実現しないとケインズ主義の復活はないと思う。
それはもしかしたら資本主義じゃないかもしれない。 しかし現実には軍事資本主義ー>戦時資本主義に向かっている。
資本蓄積のリセット、つまり供給システムを破壊しつくして都市を焼け野原にすると資本主義は復活する可能性がある。
血塗られた資本主義の復活劇。どうやら資本家はそれを起こそうとしている。 労働者階級がここまで愚かだとはマルクスは予測できなかったのかもしれない。
マルクスのいちばんの誤算はそこ。
労働者階級は労働時間の短縮よりも軍国戦士になることを自ら望んでいる。
レーニンが正しかった。 貨幣にはそれを遣わずに保持することで相対的に高い安心を得るという保険に近い商品の側面がある。 >>28
全国民収容所の共産国よりだいぶマシだよ。 >>32
そもそも保険自体が信用を商品にしたもの。 >>28
アメリカでも1950年代は最高累進税率90%を越えてた時代があり、レーガンによる新自由主義導入以前は現在に比較するとはるかに平等性が高かった。 >>34
まあ、時間的にも空間的にも自分の監督下にない誰かの行動を期待できるという広い意味での信用はあらゆる商品やサービスが成り立つ前提だよね。
見ず知らずの誰かが作ったもの、サービス、専門性に対する信任関係が暗黙に形成されていないと誰も買わない。
注文した料理の中に料理人の唾液や鼻くそが入っていないとも限らないのだからね。
でないと市場が成り立たなかった。商品の本質も信用だよ。 社会主義諸国の全ては開発途上国だった。
開発途上国の人々には先進諸国に移住したいというインセンティブを持っている人々が大勢いる。
だから社会主義諸国から先進諸国へ移り住みたい人達がいても不思議はなかった。
その国が社会主義でなければもっと大量の人々がその国から出国していたかもしれない。 >>35
アメリカの最高税率が急激に高まったのがちょうどロシア革命後くらい。
その後、ロシアの内戦もあってか激減するけど、1930年以降にまた急激に高まって90%くらいに達したね。
ソ連がフルシチョフ時代になって経済開放改革が始まるとアメリカの最高税率が下がり始めた。
ペレストロイカのころにはアメリカの最高税率が今の水準までがくんと下がった。 >>38
違うよ。終戦後に高まったのでロシア革命と直接の関係はない。 >>38
戦争を戦ったアメリカ市民たちが戦後に強く富裕層への応分の負担を求めたのが起源でロシア革命は直接関係ない。 >>36
貨幣は商品だというのは物々交換から経済が発生したという仮説を演繹してできた。
しかしその後の文化人類学の進展でその仮説に疑問符がつく。
ヤップ島では巨大な石貨が流通したが島に運んでくる途中で海中に沈むものも多く、海中に沈んだという所有者本人の主張を信用して実物のない石貨所有権が流通するということが普通に行われた。
信用が流通するのは原始的な社会でも行われていた。 チコちゃんに叱られるで貨幣の本質は信用だと大学の先生が言ってた。
先生が適当に紙切れに千円と書いて渡して、それと千円分のお菓子と交換できますよと言い相手と千円と書いた紙切れと千円分のお菓子が交換できるという信用が成立すれば紙切れは貨幣になると説明してた。 レーニンが革命を成就するには貨幣を堕落させれば良いと言ったのは真理を突いてる。
貨幣の本質が信用だとすると国家の信用を失墜させるには国家の信用の証拠である貨幣の信用を失墜させれば良い。
レーニンは直感的にではあるが本質を言い当ててた。 貨幣の本質というより社会の本質が信用で成り立っている。
貨幣にしろ商品にしろ言語にしろ、社会関係をその本質に持つ事象は信用関係に依存している。
信用は相手の行動を予測しやすくする。つまり予測の不確実性を低減させる。
それが社会秩序の本質と言えば本質。 でもよマルクスなんて写真見ると顔でかいじゃん血統も昔だし
そんな政府とか世界経済につながって何してんだろな。 そうなるとケインズとか資本主義も怪しいし顔小さい元少女が搾取されたりするんだろ。 人種や民族によって違う政府とか違う経済につながれてるべき。 でかいかおしてるケインズやマルクスなんて破綻するよな。 哲学自体許可得て読む教授のテキスト選びも完璧といかないと。 まあ将来性は世界にあるけど現時点ではあれているな。 ベストセラーになってるとか、人巻き込んで革命とか恥なんじゃ。後に残るの。
それで頭小さいの孕ましたりしてんじゃねえの有利な経済のカネで。 マルクスもケインズもつまんないやつらなんじゃできないな、自分の印象上げさせて取り繕ってる人雇って。 ある意味顧客は相手のプロポーションも選べるべきだ。 だから工場に勤めるでも企業で雇うでもおかしいとこはおかしいといえないと。 ある意味でその二人のすべての思想は顔小さい女性への恨みなんだよ。上流階級とか。 女性が騙されないように管理する体制が必要だ。だまされた女性も慰めてないと。 恋愛とか組織とかはあくまで顔の小さい第三者の立会いの下で許可得ろ。 常識を疑って普通の人が知覚できないようなことまで鋭敏に予知することさ。 「神を信じることは、生の意味に関する問いかけを理解することである。
神を信じることは世界の事実によって問題が片付くのではないと見てとることである。
神を信じることは、生が意味をもつことを見てとることである。」
ヴィトゲンシュタイン
ヴィトゲンシュタインは信仰は理性ではなく感情に裏付けられてると述べた。
彼の論理と信仰との関係はカントの物自体を認識し得ないとする純粋理性批判の論理と最終的に神に裏付けを求める実践理性批判の関係を思わせる。 ヴィトゲンシュタインにとって価値は世界に内在するものではなく世界の外にあり超越的なものであった。
事実に関する領域は語り得るものであるが価値に関する領域は語り得ないものであるとヴィトゲンシュタインはした。
事実に関する領域はカントの理論理性に価値に関する領域はカントの実践理性に相当するがカントが実践理性を理論理性のアナロジーで語ったのに対してヴィトゲンシュタインはそうしたことを徹底して拒否した。
語り得るものである事実の領域を哲学することにより語り得ないものを浮き彫りにする戦略をとる。 ヴィトゲンシュタインはある意味極めて宗教的な人間で1926年に教師を辞めてから真剣に修道院に入ろうと考えたが修道院長の説得により思いとどまり、しばらく修道院の庭師をした。 マルクスの持った矛盾は事実の世界を分析しようと試みた資本論のような事実分析と価値の世界である共産主義的理想とのギャップだろう。
マルクスも価値の世界は語り得ないと直感してた可能性がある。 ヴィトゲンシュタインはスターリン時代のソ連を訪問してなんとソ連に移住しようとしていたなんて話があるね。
ヴィトゲンシュタインはノンポリで政治的言及に乏しい人だったが、心情的には保守主義と共産主義の両方に共感していた人だったという話もある。
財産に興味がないどころか私的財産権を好んでいなかったという話もある。
マルクス主義者の友人がいてどうやらその人の証言にも由来するようだけど。
マルクス主義者ではないが、制度学派のヴェブレンのような人だった可能性はあるかもね。 >>76
ヴィトゲンシュタインは愛国心が強く、第一次世界大戦で故国オーストリア軍に自ら志願して戦った人ではあるよ。
またケインズの友人で確かハイエクとは親戚だったはず。 ヴィトゲンシュタイン自身は非マルクス系社会主義のラッセルやケインズなどのリベラル左派の人々と親しかったが彼自身がそういう立場を表明したわけではない。 アマルティア・セン氏がピエロ・スラファとヴィトゲンシュタインとの関係を論じているみたいだけど、>>73はそれに基づいているのかな?
ケインズがスラッファとヴィトゲンシュタインを会わせたんだっけ? ヴィトゲンシュタイン自身はお金に興味がなく、実業家の父から受け継いだ莫大な遺産を相続放棄してきわめて質素な生活を送った。
一時はケインズの援助も受けてたりする。 >>79
ヴィトゲンシュタインはリベラル左派グレープであるブルームズベリーグループのケインズやラッセル、ケインズサーカスでマルクス主義出身のスラッファと親しく影響関係にあったことは確かだろうね。 ヴィトゲンシュタインはスラッファと頻繁に接触していて後期ヴィトゲンシュタインはスラッファの影響を受けているという見解がある。
スラッファを介して間接的にマルクスの物神論や疎外論の影響を受けた(ここは研究者の憶測)とする主張が一部にある。 >>82
後期ヴィトゲンシュタインがスラッファの影響受けたのは確かだろうがマルクスの影響があるのは聞いたことがない。 「私はヘーゲルとは肌が合わない。ヘーゲルは異なって見えるものが本当は同じものだといつも言おうとしてたようだ。
私は逆で同じように見えるものが本当は違っているということに関心がある。」
ヴィトゲンシュタイン
ヴィトゲンシュタインは少なくともヘーゲルは嫌いだったようだ。 強いてマルクスとヴィトゲンシュタインの共通点をあげるなら事実の世界と価値の世界を峻別して事実の世界を徹底的に分析することで価値の世界を浮き彫りにしようという志向性を持ったことかも知れない。 マルクスにおける事実の世界を徹底的に分析するのを徹底したのはマルクス主義者ではアルチュセールかも知れない。
逆にマルクスの価値の世界を見いだそうとしたのはサルトルかもね。 「世界は事実の総体であり物の総体ではない。」
ヴィトゲンシュタイン
単に物が集まっただけでは世界にならないとヴィトゲンシュタインはした。 >>88
別にいいんだよ。
ここにいるマルクス主義者はポストポスト構造主義をマルクス主張して荒らしまくって潰した。 「マルクスは社会主義と共産主義を明確に区別して使用してない。」
斎藤幸平(MEGA版マルクス・エンゲルス全集編纂者) >>83
日本では知られていない。邦訳がまだないからだと思う。 「世界のなかには価値は存在しない。
また仮に存在したとしても、それは価値と呼べるものではまったくないだろう。」
ヴィトゲンシュタイン 「女とやりたい。
それが無理なら、せめて男とやれないものだろうか。」
ヴィトゲンシュタイン ラッセルの平和主義にヴィトゲンシュタインは反発した。
祖国のために戦争で戦うのは当然の義務だとヴィトゲンシュタインは考えてた。
第一次大戦の時には祖国オーストリアのために軍隊に志願した。 「牛肉はうまい。豚肉はうまい。羊肉もうまい。
これらを食べることができなければ、馬肉を食うことだ。」
ヴィトゲンシュタイン 「ある事態に一喜一憂したところで意にそぐわない現実が有るのみである。
煩わしさを離れたいならば一文無しになること。」
ヴィトゲンシュタイン ラッセルの平和主義はぶれていたからなあ。
そんなに一貫していなかった。 「京都祇園祭のお囃子はコンチキチンと鳴る。
決してチンチキチンではない。」
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