カール・マルクス 65
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宮田惟史はレーニンやヒルファディングの資本主義の「段階論」を否定し、マルクスは資本主義の「本質論」を書いたと述べている。 >>945
ここだけ読むと誤解する人もいるかな?
資本論の第一巻は、マルクス自身がすべて執筆校正している。
第二巻は下書きの段階なので、エンゲルスがまとめたり補筆したりしている。
第三巻は、メモしかない状態なのでエンゲルスがほとんど書き直している。
だから、第一巻についてはマルクスの著作であることに疑いはないが、第二巻、特に第三巻については、議論の余地はある。
とはいえ、日常的にマルクスと議論をして理解を深めていたエンゲルスより、あらためて草稿等を読んだ研究者の理解の方が正しい、ということにはなりそうもない。
エンゲルスには天才ゆえの早とちりや省略がいくつかはあるかも知れないが、エンゲルスの理解の根本を覆せるほど時代を超えた天才研究者がいるのだろうか? >>945
この人は、あたかもマルクスの資本論にオリジナルがあるかのようなことを書いているんだろうか?
資本論のオリジナルというのは本人が出版まで関与した第一巻しかない。
第二巻、第三巻にはオリジナルというものは存在しない。
あるのは下書きやメモだけだが、そのメモの中に他の人の著作の引き写しなど、まさにメモが多数存在する。 >>952
マルクス自身が出版させた資本論の第一巻を読めばわかるが、資本論の叙述のしかたと関係しているだろう。
まず、その事象の原理を分析し、つぎにその事象が現れた歴史を論じ、そして現在の状況を(感情をこめて)記述している。
この書き方に対して、宇野などが三段階論としてそれぞれを別の概念として提出した。 近代経済学が資本主義は自明のものとしたのに対してマルクスは資本主義を特殊歴史的なものととらえたと宮田は論ずる。 >>954
そもそもエンゲルスは理論家として低く見られがちなのは何でなんだろうな
MEWも新MEGAもマルクス=エンゲルスなのに 宮田はマルクスは社会主義や共産主義を目指したのではなくアソシエーションを目指したとしてソ連などの共産主義はマルクスのものとはまったく違うとする。
この点においてマルクスの論理を突き詰めるとソ連社会主義に行き着くとするヤーノシュと異なる。 宮田はマルクスはセーの考え方はW-Wという商品の交換のみからなるモデルで貨幣は単なる媒介物で需要と供給は一致するととらえたことと違う見解で貨幣を入れたW-G-Wモデルを打ち出し、これゆえに現実の資本主義では需要と供給の一致は単なる偶然としたとしている。 宮田によるとマルクス的な見方では貨幣数量説は売れ残る商品の存在を度外視しており、貨幣の数量と流通速度で物価が決まるというセー的な考え方を基盤としている考えは成り立たないとしている。
マネタリズム否定だな! まだ四分の一しか読んでないが宮田は主流派経済学で自明とされてる前提をマルクスの見方から批判する書き方をしているようだ。 「商品価格は流通手段の量によって決定される…という幻想(貨幣数量説)はその最初の代表者たちにあっては、商品は価格をもたずに流通過程に入ってきて
そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分が交換されるのだというバカげた仮説に根差している。」
カール・マルクス
貨幣数量説を前提とすると商品は価格をもたずに流通過程に現れることになるとマルクスは批判してるとする。 マルクスの見方は貨幣数量説と逆で商品の価格は市場で一定の貨幣と相対してはじめて生まれる野ではなく、商品の価格は現実の貨幣の登場に先行してあらかじめ付与されてるとする。 マルクスは貨幣数量説の貨幣を購買手段としてとらえるのではなく価格尺度機能が最初にあるとした。 マルクスは価格尺度としての貨幣を前提として流通手段としての貨幣の運動をW-G-Wとした。 マルクスは貨幣量によって商品価格が決定されるのではなく、実現される商品の価格総額により、流通貨幣量は規定されるとした。 エンゲルスの資本論の中の価値形態論に関する注は、
何か原文に忠実な感じがしないから好きじゃなかった。 >>957
日共やソ連共産党に敵対した新左翼共産同が、エンゲルスのシンプルなマルクス理解に反感を持ったからかな。
彼らはなんとなく自身の主体性なるものを重視して、エンゲルス的な環境決定論を嫌ったのかもしれない。
だからといって、マルクス理解が深化されたかというと、どうなんだろうね? >>963
誤解を招く書き方じゃないかな?
マルクスは商品の価値は労働量によるとは書いているけど、価格は需給によって決まると書いている。
ただし、長期的には商品の価格が価値に収斂していくとしている。
現実世界の単品としては、価格が価値に一致する前に、その商品が廃止されたり国家の管理下に置かれたりするから、一致することはむしろ稀だが。 イスラエルの蛮行は拡大するようだ。
ガザにとどまらず、第三国にいるハマス構成員まで標的にするという。
アイヒマンのときと同じように、他国の主権を無視して追跡、殺害するのだろうか? ごめんなさい。恥ずかしながら、
価値形態論は11年ほど前に新日本出版社の訳で読んだのだが、
完全にその時の素人感覚で判断しているし、
どこで自分が躓いたのかを忘れているので、
エンゲルスの方が正しい可能性がある。
ただ、”第4版へ”の翻訳の中で、訳者が訳注で、
エンゲルスの思い違いであろうなどと補っていて、
これを読んだ時に、エンゲルスに対する、
俺のイメージが悪化した可能性がある。
で、今読み直しているが、第1章第1節の(第4版での)最終段落で、
封建領主がどうこうみたいな注を補っているな。
何かいまいち補う必要があるようには、
俺には多分その当時思えなかったのかもしれない。 第2節の最終段落へのエンゲルスの注は別におかしくはないけど、
labourとworkの区別なんて、今となってはそんなに注意する必要はあるのかな
とは今感じた。間違っているわけでは恐らくないけど。 同じ意味の言葉を別の単語で表現する問題はカントでもあるし
むずかしい所だよね 西欧語には二つの規範があって
一方は言い換えが優れた文章だという規範で
ひとつはその逆だからね
なので普通にその意識が混在している
〜ちなみに〜
そういう離れた時代の文章を読むための注解の
巨人が契沖で、彼が国学の基礎を作った
国学について無知な人が紋切り型の誤解をしてたけれどもw スターリンが規定し、置塩も主張するのが「生産手段の所有を誰が握るか。」という「所有基礎論」である。
宮田は実はマルクスは所有基礎論を批判してたとする。
所有基礎論に立てばマルクスによる労働を基礎とする社会把握は論理一貫性を欠き資本主義を究明する道は閉ざされる。
資本主義の存立点を取り違えればアソシエーションへの変革点をつかむことにも失敗し、ソ連や中国などの自称社会主義国とマルクスのいう新社会を同一視する誤謬につながる。 「所有を独立した一関係、独自の一カテゴリー、抽象的で永久的な一観念のような定義をするのは形而上学または法律学の一幻想に過ぎない。」
「哲学の貧困」カール・マルクス
スターリンや置塩の所有基礎論をマルクスは批判してるとする。 評論での批判がそれなりに適切で、かつ具体的な代替はモヤっとしていて実現性に欠けるっていうのはよくあるというかそういうもん
なのである評論家の批判と現実の思想運動を
比較することそのものに問題がある
つまりマルクスの批判を現実のマルクス主義者たちが正しく受け止めて行動していないという見解はイージー
またマルクスの批判を正確に受け止めることと
良い社会が本当にそこにあるかどうかはまた別
平たくいうとどんなにマルクスを正確に読み解いても世界をよくする方法を発見することはできない マルクスにもとづく所有とは現象の背後に隠れた諸関係ではなく、直接的に人々の表象にのぼる法的形態である。
マルクスによると所有形態から出発し、社会システムの本質を説明することは現象追随でしかない。
所有に社会の存立基盤を求めると論理的には「法律」が、たとえば「私的所有」から「国家所有」に変われば社会システムも変わるという「法学幻想」に帰着し、マルクスが明らかにした資本主義システムの存立根拠ならびに変革点を完全に失う。
所有基礎論はスターリン以来マルクス経済学へと引き継がれた根深いドグマであってもマルクス本人の経済理論とは本質的に異なる。 >>979
置塩ってそもそも新古典派の体系でマルクス風な事をした人じゃなかったっけ
置塩とマルクスって関係あるの?むしろケインズの方が関係あるんじゃね? マルクスは社会システムの存立根拠を所有そのものではなく労働においた。
いわゆる「マルクス経済学」も労働価値説のような労働に基づき社会をとらえてたのではないかと疑問が出てくるかも知れない。
しかし大方はそうではなく「マルクス経済学」は一貫性を欠き、生産関係の基礎を「労働」から「所有」にすり替えてる。
彼らは「労働」の前提に「所有」を据えており、結局所有基礎論に立つ。 法的な所有形態を変えれば解決するという「法学幻想」はまったくマルクスの主張とは異なる。 それだとじゃあその理想の法律の条文出してみろ
ってなるからな
バカでも分かるw 資本主義システムは利潤最大化を目指す賃労働により、再生産され支配、従属関係を存立させている。
したがって資本家や政治家などの権力のトップや法律や制度、所有領域が変われば社会が変わるわけではない。
ソ連や中国を見ればわかる。
発生因である労働者の関係行為のあり方を変えない限り、資本による支配力や搾取する力は労働者自身によって不断に産み出されるとするのがマルクス本来の見解である。 >>978
”アソシエーション”という概念には曖昧なところがあるけど、観念的な考え方じゃないのか?
気持ちの在り方によって決まるみたいな。
その気持ちの在り方は、歴史的な時間での経済的物質的な環境によって規定される、というのがマルクスの考え方だが? アソシエーションはじゃあ何かって当然なるから
それだけだと耳触りのよい言葉でしかない
どういう組織、例えば100人だけの秘境の村でやるとしたらどんな状態なのってなる >>986
>発生因である労働者の関係行為のあり方を変えない限り
それは共産主義革命によってしか変わらないということだね?
資本の私有制度を廃絶しない限り、”労働者の関係行為”なるものは変わりようがない。
それは、たしかにマルクスが言っていることだが。 >>981
>「私的所有」から「国家所有」に変われば社会システムも変わるという「法学幻想」に帰着
資本の私的所有が法的に保護されているから資本主義が成り立つ。
私的所有が国家所有に変われば、当然それは資本主義の解体になる。
社会システムもまた、変わらざるを得ないんじゃない? >>991
結局搾取者が私的資本家から国家乃至は国家を支配する党に変わるだけの国家資本主義になるだけじゃないの?
吉本隆明が西側資本と組んで労働者を搾取してた中国共産党を批判したみたいにね。 さて今回の外遊で、総額いくらばら蒔くのかいざ知らず、もはや連日のばら蒔きで、万博の追加費用を越しそうな勢いだが、いくら国民に人気がないからと言って、海外から人気を得ようと躍起になるばかりで、もはや受け取る側はしめしめと、その他の先進国からも、身の丈を考えずによくやるよと失笑を買っているのではないかと懸念されるばかりだ。
どうせ煽てられては唆されて、打出の小槌の様にばら蒔いて良い気分に浸っているのだろうが、いい加減切実な思いに苛まれている国民の方に目を向けて頂きたい。
ほんと、いったいいつになったら国民の声に耳を傾けてくれるのか見当もつかないが、結局、最期まで耳を傾けないまま終わるのではないかと諦めている次第である。 >>992
>国家乃至は国家を支配する党に変わる
国家というのは共同的な幻想からできている。
その共同性が、資本家によってもたらされた共同性ではなく、労働者階級によって得られた共同性であれば、それは労働者階級の利益になる。
吉本隆明というのは、共産党を嫌悪し、資本主義と天皇を礼賛する右翼なんだが? >>994
単に労働者階級の代表と自称するだけの共産党が搾取者の役割を果たすようになるだけの国家資本主義にしかならない。
吉本の指摘待つまでもなく現実見ろよ。 所有を法的に変えれば解決するという法的幻想はスターリンから始まりマルクスとは異なる。 >>995
>単に労働者階級の代表と自称するだけの共産党
自称するだけであるのか、労働者階級が党を代表とみているのかは、君にはわからないことだと思うよ?w
吉本隆明というのは、現実を反共イデオロギーで見てしまった悲しい人だよ。 >>996
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