古代ローマを語ろう【ローマ人の物語】42
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○ >>1 乙 もうお前に用はない
く|)へ
〉 ヽ○ノ
 ̄ ̄7 ヘ/
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/ 元老院ならびに市民諸君、>>1にパーテル・パトリアエの称号を贈ろうではないか! イエス様とジュリアス・シーザーの二大巨頭会談を見てみたかった。 >>4
イエスはローマを滅ぼした大罪人だから、
そんな対談はありえない ローマの大帝といえばコンスタンティヌス、テオドシウス、ユスティニアヌスといったキリスト教徒の皇帝だけどそれ以前の皇帝で大帝が相応しいのは誰なんだろうか
やっぱアウグストゥス、トラヤヌス辺りかね テオドシウスとかいう無能が大帝とか世も末よな
まあ統治したのが4世紀末ではあったから間違ってないはず…! 軍人としては良い部類に入るんじゃないかな>テオドシウス 軍人として優秀な皇帝は数限りなくいるので、それだけで大帝と呼ぶのはちょっとつらい
ウェスパシアヌスやセウェルスを大帝と呼ぶのはさすがに違うだろう? ハドリアヌスは無理
大帝って本人の能力以上に帝国の最盛期に在位した人のことを意味するんで
領土ならトラヤヌス、経済ならアントニウス・ピウスになるだろう なあに、コンスタンティヌスやユスティニアヌスが名乗れるならハドリにもチャンスはあるさ!
ローマの寿命延長に大いに貢献しただろうし ユスティニアヌスは領土の最盛期なんだよなぁ
あとハドリアヌスって皇帝として指揮しためぼしい戦争がユダヤ戦争しかない >>19
そもそも「神君」と言えなくなったから「大帝」と言ってるようなもんだし >>22
「トンデモねえ、あたしゃ神様だよ」というセリフが言えるようになる マジレスすると神格化する側にとって利益
祀った者は祀られた人物の後継者であることを明確に示すことができ
「神となった○○の遺志を継ぐ者」というポジションは敵対者を黙らせるのにも有効
なので、アントニヌス・ピウスがハドリアヌスの神格化を求めたのは忠義もあったのかもしれないが、打算もあったりする カエサルを神格化して神の子という称号を存分に活用したのがオクタだったな 1900年前の古代ローマ「ボードゲーム」が墓地で発掘される(ノルウェー)
https://nazology.net/archives/61316
この時代でもシヴィライゼーションあったんだな。 ちょっと前から大学生のレポート作成みたいな質問が増えたな
こういう質問が増えたら俺はもう答えなくなると思う
まあ今回は一応答えると、本格的なローマ海軍の創設は第一次ポエニ戦争期から
当時既にローマ支配下にあったマグナ・グラエキアにはネアポリス、クーマエ、タレントゥムといった海軍国家があったが
それらに海軍を拠出させ、さらにローマ自身が建造した船による海軍を加えて、当時最強の海軍国家カルタゴと対峙した 海軍初心者のローマが何故かベテラン海軍国家カルタゴに勝利してしまう第一次ポエニ戦役 ローマが強かったのはほどほどのところで手打ちにするという当時の地中海世界の常識がまるで通用しないところ
だからやろうと思えばごり押しでどんな相手にも犠牲をこころみなければ勝てる 何十パーセントもの人的損害を蒙ってなお戦い続けるローマは確かに異常だったが
ヘレニズム国家の戦争の茶番っぷりも前近代としては結構変わってた
やる気のありすぎるローマがやる気のなさすぎるヘレニズム国家を呑み込んだのも必然だね ローマとの戦いの最中に平気で祭りとかやってたらしいしな 古代国家は祭儀が一番大事なんですよ!
スパルタだって祭事中だから兵300しか出さなかったでしょ! >>33
>>どんな相手にも犠牲をこころみなければ勝てる
犠牲をかえりみなければ と言いたかったのか? このスレ、ローマと無関係な話題に持ってくキチガイが常駐してるから
ちょっとくらい日本史に振れるなら個人的には良いと思ってるけど
ウヨクガーサヨクガーキチガイは「行かせよう!」(トライアヌスの判決 いちいち反応してギャーギャー騒ぐ奴も同罪なんだがね SARS2への対応を見てもウヨクはガイジしか在ないからな
無能無教養無知無分別の行き着く先がウヨ 話題もないみたいなんで前スレのユリアヌスの話題続き
ガリアでの功績があるとはいうけど、これってティベリウスやマルクス・アウレリウスの業績とは比較にならないどころか
彼らの時代だったら名も無い法務官がやってたような仕事を及第点レベルでこなしたってだけなんだよな
対ササン朝の作戦は大規模だったけど、こちらは内容があまりにもお粗末
まず拠点のアンティオキアで貴族層からの反発を招いたって時点で既に作戦は破綻したようなものだった
この時、キリスト教徒だけじゃなくて、優遇したはずの非キリスト教徒まで反発したっていうんだから
ユリアヌスの統治はマジでヘタクソだったんだと思う(無名の前皇帝ですらもう少しまともに統治していた)
行軍中は兵站を軽視してクテシフォンを目の前に引き返さざるを得なくなる
つまり最初から計画は破綻していて、成功の可能性はゼロだったということ
更には部下の進言を無視して無意味に船を焼き、更なる兵站の悪化を招き死亡
ローマは屈辱的な講和条件を受け容れざるを得なくなり、ササン朝に対し数百年の劣勢を強いられる
皇帝としては正直「ギリシャかぶれの無能な働き者」としか評価できない
同じギリシャかぶれの無能であるネロとの違いは、法務官レベルの軍司令官としてはそこそこ有能だったってことくらい 小説じゃなく史実のユリアヌスを評価している人が何を根拠にしてるのか知りたい
ユリアヌスの宗教改革は信教の自由の擁護とかじゃなくて単なるギリシャかぶれの押し付けであって
当時において現実的ではなかったし、実際大反発を招いて失敗してる
この時点で知名度の低い数多くの皇帝と比べても擁護しがたい失政と呼べる
戦争指揮に関しても対ササン朝戦は完全に失敗であって
その作戦内容自体、たとえばアントニウスと比べてすら褒められるところが遙かに少ない
何より彼はギリシャかぶれの変人ぽいところがあって、兵士の心を掴むのが下手だった
(アントニウスは兵士の心を掴むのは上手かったし、作戦前に東方の貴族の支持をちゃんと得ている)
ガリアでの小規模な成功のみをもってユリアヌスを有能と評価するなら
軍人皇帝の殆どはユリアヌス以上に評価されるべきだし、ガルバ・オト・ウィッテリウスも評価されるべき
彼らはいずれも(皇帝としてはともかく)一軍団の長としてはユリアヌスと同等以上の働きをしている NHKラジオ第二放送
カルチャーラジオ歴史再発見(火曜日)
「古代ローマ成立期の皇帝たち」
電気通信大学非常勤講師…倉橋良伸
7月7日から20:30〜21:00
https://www4.nhk.or.jp/P1927/x/2020-07-07/06/10225/3652997/ ユリアヌスを有能な皇帝だと評価してる人はここにはいないと思うよ
興味深い皇帝だねって話してるだけで
>>49
面白そうだね。聞いてみることにします ユリアヌス
有能かどうかを評価するには在位期間が短すぎ E・ギボンのユリアヌスLOVEに後代の人は引っ張られすぎw >>47
ユーフラテス川に浮かべた船隊があれば補給は問題ない筈だった。それを焼かざるを得なかったのはアルメニアに派遣した分遣隊との合流に失敗したから。
ガリア戦争や内戦でも分進合撃を使ってるし軍事指揮官としてのユリアヌスの得意技だったんだろうけど、これは合流に失敗したときには脆い。ワーテルローのナポレオン然り、ボロジノのカール12世然り。 やっぱりシーザーって言わないとピンとこない。
なんだよカエサルって。ジュリアス・シーザーだろ! 古代にしろ近代にしろ、ある程度以上の大軍を用いるならば
分進せざるを得ないし何とも コンスタンティヌス朝ではユリアヌスよりもクリスプスの方が惜しいな
リュシマコスの息子アガトクレスと
コンスタンティヌス1世の息子クリスプスの最期は似ている
リュシマコス朝と同じくコンスタンティヌス朝も自滅した コンスタンティヌスがクリスプスを死に追いやって
何か得することがあっただろうか コンスタンティヌス朝は東に遷都しない方が長持ちしたんじゃないだろうか
元々の勢力基盤は西だったのに、東に移ったせいで東方特有の放漫財政と身内争いに巻き込まれた感 >>58
晩年のコンスタンティヌス1世は狂王化してたからなんとも
クリスプスが狂った父を除こうとして殺し返された可能性もゼロではない なんだね、コンスタンティヌス朝って(笑)
フラウィウス朝だろがよ >>62
その呼称だとウェスパシアヌス〜の王朝と混同するってことも分からないモグリなの? >>62
コンスタンティヌス朝の開祖はフラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティウス
フラウィウス朝とするのはおかしい なんでフラウィウスを名乗りたがるんだろう
ウェスパのおっさんに名君伝説でもあったのか >>67
衰亡史は五賢帝期スタートだからウェスパシアヌス親子と混同しないってのもあるんじゃね? ウェスパシアヌスはなんかイメージいいよな
優秀な連中はネロに疎まれて殺されて「今はとにかく混乱を収拾したいし、まぁコイツなら大外れはなくね?」って感じの人選だったが、期待通りの仕事をした
息子に帝位も継がせられたし、良い時期に死んだよ
混乱が収まった後の元老院の掌返しに苦しめられたドミティアヌスみたいな苦労もなかった イタリアの近所のおっさんのイメージのウェスパシアヌス もうちっと長生きしてたらウェスパシアヌスがポンペイの後始末することになったのか 元首政期は何だかんだ元老院が人材タンクになってるんだよなぁ
ウェスパシアヌスもそうだし、ネルウァ、アントニヌス・ピウスも元老院議員からの抜擢
セウェルス辺りから「エッ!?」って感じになって
ウァレリアヌス&ガッリエヌス親子の死と共に完全に機能不全に陥った感
親子とも状況が悪いなりにかなり優れた君主で
アウレリアヌスやプロブスといった後の名君も彼らの下で育ち、彼らの路線を引き継いでいるので
もっと評価されるべき ウァレリアヌス&ガッリエヌス親子は帝国を3分割で統治しようとした
オリエントをウァレリアヌスでドナウ戦線をガッリエヌス
孫のサロニヌスがライン戦線で分割統治しようとした
おそらくこれがローマ帝国が生き延びる最善の策だったけど
ウァレリアヌスがササン朝の囚われて帝国内にいなくなると
サロニヌスはガリア人にガッリエヌスもイリュリア人に殺された
ガッリエヌスを殺したアウレリアヌスやプロブスは帝国を
単独統治しようとしたけどそれは彼らのような特別優秀な
軍人皇帝のみに可能な事で他の皇帝らに無理だった >ウァレリアヌス&ガッリエヌス親子の死と共に完全に機能不全に陥った感
むしろこの2人が元老院にトドメ刺してないか?
ガリエヌス勅令をどう解釈するかは今でも議論があるようだけれども アウレリアヌス、プロブス、タキトゥス
能力はあって、なんとかしようと思いつつもなんともならなかった・・・ あれだけの広大な面積を統治するのに、皇帝個人の統治能力依存だったってことかな ウァレリアヌスがササン朝ペルシャに敗北した後に
パルミラのカタフラクト軍がササン朝軍を撃退出来たので
ガッリエヌスはカタフラクトを軍の主力にする改革をした
ローマ領内で鐙無しでカタフラクトを出来る人材が
バルカンに多かったので以後はバルカン出身者が
軍の中心となり帝位を独占するようになる
アウレリアヌスやプロブスもバルカン出身者だった
ドナウ河を境に敵と接するバルカンに
軍事力を依存する事になったローマは
弱点がむき出しになってしまった ディオクレティアヌスは早々に分轄したが人材面であんま
恵まれた気がせんなぁ >>78
元老院の弱体化が著しかったからね
ウァレリアヌス-ガッリエヌス麾下で育った優秀な世代ももう引退
返す返すもウァレリアヌスの捕囚が悔やまれる
あれさえなければ元老院階級がなんとか軍人の台頭を押さえ込め、人材の枯渇を招かなかったんじゃないだろうか バルカン(ユーゴスラビア)の連中は北欧人と見まごうばかりに背が高くてゴツい
しかも碧眼が多い
ハプログループIの遺伝子のせいだと言われている
肉弾戦がメインの時代にゲルマン人と並んで活躍したのは大いに理解できる話ではある イリュリア人の先祖は東ドイツポーランドのルサチア文化人だと言われてるからな
ルサチア文化人は紀元前500年頃に南方に移住して姿を消してしまう
入れ替わりに入ってきたのが後のゴート人とヴァンダル人
歴史的経緯でバルカン北西部の住人は今でも北方人種的特徴が強い ディオクレティアヌスは強引にマクシミアヌスも
退位させて自ら4分割体制を崩壊させてしまった
ディオクレティアヌスは軍の指揮が苦手だったようで
対ペルシャ戦をガレリウスに丸投げした マクシミアヌスのその後を知る限り
ディオクレティアヌスが自分と一緒に退位させたのは正しい判断だと思うな
マクシミアヌス、典型的な権力欲に取り憑かれた脳筋じゃん >>77
カタフラクトを創設したのって確かハドリアヌスだよね
ユダヤ戦争を起こした失策はあるものの、あの皇帝本当に頭良いんだなと思わされる
歴代皇帝No1じゃないだろうか マクシミアヌスは馬鹿は死ぬまで治らないを地で行き過ぎ でも戦争はクッソ強かった
権力欲の強さは異常だったけど、タダのバカじゃない 古代ローマから始まったんだっけコンクリート時代
ローマ時代のコンクリは火山灰メイン 水道橋(クラウディウス水路)の計算も凄いな
都市部から13キロ離れてるのに90mに距離に対して30pの落差
傾斜がキツいと水が溢れ水路が浅いと水が蒸発する
水道橋の総工費を現代で換算すると約87億ドルとかってこないだやってたな
まあ水道が引かれたから川のない都市部で水洗やトイレ、野菜荒いが出来たのか
水源どこだろ ハンニバルってローマの街中とか行ったことあるのかな? >>82
ラウジッツ文化はイリュリア人とスラブ人の
共通の先祖だという説もあったね
スキタイに征服されてサテム化したのがスラブ人で
スキタイに支配されなかったのがイリュリア人
ラウジッツにスキタイが攻め込んだ時に
アケメネス朝のダレイオス1世も
スキタイ本国に攻め込んだので
スキタイはラウジッツから撤退したとされる それにしては現代のスラブ人とイリュリア人はずいぶん性質が違わないか? セルビア人とかユーゴスラビア人は勇猛で
90年代の内戦で激しく戦った ユーゴスラビアはスターリンに圧力を掛けられると脅し返して黙らせた
ポーランドは尻尾を振って言いなりになった ユーゴは国内にソ連軍を入れてボコボコにしてもらったわけじゃないから
国家運営自体にソ連があまり入りこめなかったから独立できたんだよ
ポーランドはドイツ軍に全面占領されたわ、ソ連軍に解放して貰ったわ
次世代のポーランドの礎になるはずだった人々がワルシャワ蜂起でソ連に粛清されるわで
その後できたポーランド政府はほぼソ連の飼い犬だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています