カール・マルクス 33
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カール・ハインリヒ・マルクス
Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日
前スレッド
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1584534246/
荒らしはスルーでお願いします。 Ich beschwöre euch, meine Brüder, bleibt der Erde treu und glaubt
denen nicht, welche euch von überirdischen Hoffnungen reden!
Giftmischer sind es, ob sie es wissen oder nicht.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 277-293. >>4
せっかく新しいスレになったのに・・・w
いつまで荒らしを続けるつもり? 荒らしとは、他の人々が自由に対話することを意図的に妨害する書込みの
ことでしょう。新スレが立てられてから誰も何も書き込まないまま5時間以上
経過した後に、1レスをしただけで、なぜそれが荒らしになるのですか? >>7
前スレからずっと無意味なコピペレス連投してるからだよw
コピペの連投は荒らしそのもの。 マルクス・スレの常駐民が総意として、私が引用してきたようなニーチェの
人々についての観察や記述が無意味であると感じるとすれば、それはそれで、
この板やマルクス・スレを目にする常駐民以外の人々にとって重大な意味が
あると思うよ。 >>9
常駐とか関係なく、マルクスも読んでない人がニーチェのコピペしても無意味だよw
マルクスを理解することははじめから放棄して、日本会議的な反共宣伝しようとしてるだけなんだから。
本当にマルクスとの対比でニーチェを取り上げたいなら、マルクスのどういう部分と対比させてるのか説明してごらん。 ニーチェがマルクスを読んでいても、読んでいなくても、マルクスが論じた
欧州の時代状況を引き継いだ考察をしているのは明らかであり、関係ないと
主張したいなら、説明責任を負うのはあなたの方ですよ。 >日本会議的な反共宣伝しようとしてるだけなんだから。
それこそ、日本会議とか反共宣伝とか、日本のマルクス主義者や
あなたのような人には関係があるかもしれないが、マルクスの著作には
何の関係もないでしょうw 私自身、日本会議というものについて、
名前をネット記事の見出しなどで目にしたことがあるということ
以外は何も知らない。 >>11
アンカーつけるのも怖がってるのに、なに言ってるの?
ここはマルクススレだよ?
マルクスと対比できないなら、自分でニーチェスレでも立てなさいw >>12
日本会議などの反共宣伝に対する対応もマルクス主義者の責務だよw
歴史の流れを止めないように日々改革の努力をしていくのが共産主義者。
共産党宣言にも書いてあるよ?w では、日本会議とマルクス主義者の一人二役ですね
ご苦労様 >>17
まだ言ってるのかw
ひとつだけアドバイスしてあげる。
資本論を読みなさい。
自分がいかに浅薄であるかがわかるから。 ないものねだりをしても無駄ですよ
歴史の流れを止めなければ共産主義が実現されるのですか
あなたは本当にそれを信じているのですか
実現される共産主義とは一体どのようなものですか
何一つまともに答えられたためしがないでしょうw >>19
歴史が正しい方に向かえば、共産主義社会は実現する。
いまでも先進国では労働時間の縮小という共産主義の第一歩に近づいてはいる。
共産主義とは、資本による労働の搾取をなくすこと。
そんなことも知らずに、反共宣伝してるの?w 社会主義思想や共産主義思想はマルクスとエンゲルスの専売特許じゃない。
それを踏まえた上で、彼らが唱えた仮説の一つとして、
共産社会が資本主義を前提とし、
その資本主義の機能とその発展の帰結として
その実現を余儀なくされるというのがあるね。
これが本当に彼らが唱えたことなのかは論争になるかもしれないけど、
それは歴史学内の問題として脇に置いておくとして、
そのような仮説があるということ。
今のところこの仮説は反証されたのだろうか?
それを知るためにはこの仮説をさらに厳密に分類する必要があるね。 マルクスとエンゲルスがこの学説を科学的仮説として
はっきりと命題化できたかどうかには論争があるかもしれないね。
でもそれは歴史学上の文献研究と実証研究の問題だった。
その話は棚に上げよう。
我々は別にマルクスやエンゲルス自身を信仰しているわけじゃないので、
その事実にこだわる必要はない。 どれが真実のマルクスかについてはマルクス学派の中にも長い論争の歴史があり、
決着がついているわけじゃない。
マルクスは彼の仕事半ばでこの世を去り、不十分な功績が残された。
どんな分野でも独りの人物がそれを完成させられるわけじゃない。
マルクス自身に完全性を求めるべきじゃない。 資本主義化が歴史の必然、普遍的な法則かは、論争になるところ。
マルクスは西欧近代史の産業革命に資本主義への必然性を見出していたようだけど、
東欧はその対象外だったようだ。ロシアの社会主義者との手紙によれば。
マルクスのこの譲歩は、その後の共産革命と称されるもののマルクス主義的余地を与えたかもしれない。
それでもマルクスとエンゲルスの本来の理論はそれを否定するものだった面があった。
資本主義先進国になれない社会では共産革命は失敗に終わるという命題がそれ。
ソ連の崩壊によってこの命題の正しさがむしろ証明されたということもできる。 マルクスの「プロレタリアート独裁」という考え方は
ブルジョアジー独裁(制限選挙体制)を打倒する代替案だったと思うが、
この字義どおりの考え方はマルクス学派の中でも不人気だし、
プロ独はもはや実現されていて時代遅れだと見なすこともできる。
現在の問題は資本主義と社会主義の混合経済のバリエーションであり、
社会主義の力を借りて生き残った資本主義が今後どうなるかということだろう。 誕生した当初の資本主義国家は普通選挙制度を認めず、
それを認めさせようとする市民運動を弾圧さえしたので、
ブルジョワジーと貴族による寡頭政と見なすことができる。
マルクスのいうプロレタリアート独裁は革命時の臨時政府を指すという説がある。
実際に起きたことの多くは資本主義体制側の譲歩だった。
体制が打倒されるよりも、市民の叛乱や抗議活動によって体制側が譲歩することで
徐々に構造改革されてきたというのが歴史の主流のようだ。
このあたりの話はイマニュエル・ウォーラーステイン氏あたりが述べていた気がする。 歴史上一揆や革命の多くはその時々の支配体制によって制圧され失敗に終わっているが、
無駄だったというわけではなさそうだ。
革命のほどんどは不完全に終わるが、歴史を漸進的に動かすなんらかのインセンティブは作る。 しかしマルクスをマルクスたらしめたのはこうした在り来たりの革命家路線じゃない。
経済システム理論家としてのマルクスだった。
その側面のマルクスにとっての革命は政治革命というよりは産業革命の持つ意味だった。
マルクスが晩年にとりわけ重要視したのは利潤率逓減法則だった。
資本主義経済システムは利潤率の低下を長期的には避けられず、それによって徐々に活気を失う。
労働者階級の再生産が機能不全状態に陥る。 >>28
>利潤率の低下を長期的には避けられず、それによって徐々に活気を失う
どこに書いてある? >>30
そんなこと書いてないよ?
利潤率の低下は生産単位のことであって、生産量の増加と搾取率の上昇によって、資本としての利潤はむしろ増加する。 マルクスの言っていた史的唯物論のお勉強をしよう。
君らは経済やお金の流れや組織のことなんか何も分からないだろ
下部構造(土台)が上部構造を規定する?
お前らあほだから金の流れなんて何も理解できない子ねずみだろ
アムウェイ信者の貧乏子ねずみと一緒
自らの組織の金の流れとビジネスモデルを分析して理解しろ
マルクス主義者・共産党・すべてのインターナショナル組織の金の流れと組織をまずは分析しなさい
自分のことが分からないあほに他人のことを分析する余裕はない
ちなみに
下部構造(土台)・・・・生産関係や経済に関すること。物質的要素
上部構造 ・・・政治・法律・宗教・芸術・イデオロギーなどなど精神的・思想的なもの
マルクス主義団体が最初にやることはたいていねずみ講・情報商材ビジネス・
貧困ビジネス・ネットワークビジネスだ。
マルクス主義団体の下部構造=土台がこれだということをまずは理解しろ
このねずみ講的下部構造=貧困ビジネス的情弱土台が
マルクス主義・共産主義(上部構造)を規定している
ビジネスで一番大事なのはキャッシュフロー(お金の流れ)だとロバートキヨサキは言っている
マルクス主義者は労働者階級と資本家の二元論で考えがちだが
ロバートキヨサキはキャッシュフロークワドラントいうもので四つに分類している
E従業員、Sスモールビジネス・自営業者
〜〜〜金持ちの壁〜〜〜
Bビジネスオーナー、I投資家
さらにIの投資家を7つに分類していてその最高段階の7を資本家と分類している
改訂版にはレベル5までしかなくて劣化しているから昔の改定前の本を読むように >>28
マルクスはポンジースキーム、ねずみ講、ネットワークビジネス、貧困ビジネス、
宗教ビジネス、情報教材ビジネスを
理解できない、批判してないあほだから話にならない
経済や宗教のことが初歩から分かってない。
ポンジースキーム、ねずみ講、ネットワークビジネス、貧困ビジネス、
宗教ビジネス、情報教材ビジネスを分析しない奴らは資本主義なんて一生分かるわけない。 マルクスは工場経営しか知らない
だから滅茶苦茶な資本主義理解になるんだよ キ〇スト教10億人
イ〇ラム教
マ〇クス主義10億人
アムウェイ系10億人
が世界規模でねずみ講・情報商材ビジネス、貧困ビジネスをやっている
この現実をお前らあほ似非でインチキな反資本主義者はまずは理解しろ。 いくら知恵遅れのガイジでもこれだけ何回も言えば理解できるだろ? マックス・ヴェーバーは高利貸しや詐欺やポンジースキーム、ねずみ講、ネットワークビジネス、
貧困ビジネス、 宗教ビジネス、情報教材ビジネスをパーリア資本主義と呼び
前近代の賤民の資本主義だと批判していたが
近代の資本主義もパーリア資本主義で回っている ロンダリングの仕組みがうまく働かないと自家中毒に陥って回らなくなる 生態系の循環/リサイクリングのためにロンダリングは、重要だが、
人と人の間でそれを強化すると、循環の連鎖が短すぎて共食い状態が
全面的に表面化してしまうことが問題なのだろう。 旧来の左側の人達ってお金とのつきあい方がたどたどしいよね。
貧乏を強いられている時は声高に主張できるけど、
金を集められる立場になった途端に本性を現して強権的になるか、良くても恐る恐る金に関わる。
堂々と金に関わる事ができなくなるよね。だから貧乏こそ正義になるのか。
さっさと物々交換の国を作ればいいのに。
と思ったがどうやってモノを作るかを考えれば結局金は必要か。 農耕の生態系だと、スカベンジャーが最下層で重要な働きをしているわけだが、
人の生態系に限定されると、スカベンジャーと最上層が表裏一体になっている。 資本主義自由主義は覗きたかり性暴力が出ちゃうから自己責任で社会の損害を
出したものをそれらだけの下級政府にまとめて償わしたらいい。旧東ドイツの様な当局の
管理社会は覗きたかり性暴力や男余りが出にくいから、これからの時代にいい。
しかもそのことを制裁処分しようがある希望だ。 学歴なんかも覗きたかられ犯されるから一度でもそのようなことをしたものその家系を
解雇排除し、公務員の管理を解いてほかせばいいよ。 資本主義でも共産主義でもよくならない。後世にのぞきたかり性暴力を残して
責任放棄する過去のトップたちが斬首されるべき。 自分たちはいい女とつるんで集めてたかられ後世にその被害を残す男性のトップ連が
最下級の身分に降りろ。拷問の末斬首だ。 人間だけの問題でもない。むしろおかしいのは人間以外だ。神であれ悪魔であれ。
獣であれ。
逃れることは許さない。 地球をいい星に出来るかどうかは過去の管理体制が刑罰に処され維持不可能になって被害を受けた若者に
交代することから始まる。争いを激化させていけ。 薬剤を投与して、能力を失わせた体制薬剤師は全員斬首だ。男とグルでな。 社会のどこにでも人質がいるものさ。拷問に耐えられず首が飛ぶ。 最下級政府にその卑劣短絡まとめて自力繁殖でいかせろよ。 上位が下位の管理をしているからおかしいということだ。それ始めかかわったものが
零落する。巻き込まれているなら人を討って償え。 被害者が声を上げて各分野こき使え過去の政権宗教組織団体全員。 わかったわかった
もう昼だからメシ食って薬飲んで昼寝しとけ。 世界中の薬剤必要なもの以外マグマに捨てるか宇宙ゴミにしなさい。
そんな失言首が飛ぶねえ。かかわり全て。 この世界捨てるさ。薬で抑え込む側の人たちと縁切るよな。 日本軍敗北全員捕虜。犯されるとこ投薬管理者よくみとけ。あやしい国も世界最低RANK国家になって一度も上がってくんな。 相手の軍に降伏しなさい。この体制では勝てるわけがない。 安い薬は下級民に投与。覗きたかり性暴力などしたものの男地獄に。 薬なんて試してダメージ与えても使えるのだけ帯同させる方がいいのに。 能力を抑え込むのは下。能力を賦活して自然に活性化開花させるものが上。 いわゆる民主主義国家の成立が可能となったのは、身分制度によって
組織化された人々の支配が、選挙による代表制議会政治によって
代替可能となったからではない。
そうではなく、企業という経済活動の組織化の単位にある程度の
自律性を許す分散型の間接統治体制によって、人々の生活を階層的に
組織化して支配することが可能となったからである。これは、
ソ連のような共産主義国家の成立が可能となったのが、私有財産が
人々によって共有されることによってではなく、共産主義の
名目の下で、共産党という官僚組織が人々の生活を階層的に
組織化して支配することに成功すること基づいているのと同様である。 >>67
言語明瞭意味不明の見本だな。
統一教会で教わった共産主義なんだろう。 人々の生活は企業活動を中心に組織化され、企業の統治は、民主主義ではなく、専制である。 だからこそ晩年の大内力は協同組合主義を打ち出し、
浅田彰や柄谷行人は雑誌『批評空間』を生産協同組合の形で世に出した訳だな。 マルクスは株式会社を企業の協同組合化、民主主義化に結び付けて高く評価した。
現実には、株式もまた市場経済の一部とされて、貧富の差を拡大させただけだったが。
人間の貨幣に対する欲は、人間自身を疎外する。
マルクスの株式会社への期待を裏切って、マルクス自身の貨幣の物神化の預言が決定的に当たってしまった。 歴史上、いまだかつて、専制的に階層化されていない非親族ベースの
集団組織などというものが存在したためしがないのですよ。 集団組織などというものが ×
集団組織などというものは 〇 それが可能であるというのであれば、その組織原理を提示すべきでしょう。 >>73-75
民俗学や文化人類学では、いろいろな組織形態を紹介してる。
いろいろ読んでみると良いと思う。 あのさあ、読んだ読んでないでマウント取るんじゃなくて、違うなら違うと根拠を示せばいいだけの話じゃないの? 69考える名無しさん2020/07/09(木) 10:35:07.610
統治は、それが安定している限りで「この世」であり、
転覆される可能性がある限りで「専制/despotism」となる。 指示命令する人間をどう選ぶかの選択権を上の人間に取らせるか下の側(指示される人間)に取らせるかの話なん?
その結果があんたらの言うアベだったりトランプやらボリスジョンソンじゃないの?ヒトラーなんか思いっきりそうじゃん。
つまり何でもかんでも民衆の選択が正しいとは限らないとも言えちゃう。 >>79
根拠といっても民俗学などのフィールドワークの報告だよ?
現実に、「専制的に階層化されていない非親族ベースの
集団組織」がいくらでもある。
実は、現代でもその名残りとして、日本の田舎議会には全員協議会(議会外での議員全員による賛否の協議)というものがある。
選挙によって選ばれた住民の代表者による協議だが、それでも専制的とはとてもいえない。 専制的に統制できるからこそ代表者間の「協議」が成立するのであって、
そうでなければ、協議することは無効だ コロナの自粛は専制でも民主的な手続きでもないよな?何なん? >>82
田舎に限らず自治会やマンションの管理組合なんかそうだろ。 世帯の代表する世帯主が管理組合で決まったことを世帯構成員に守らせるからだろう。頭大丈夫か? なにか原理的な話になると、話のとっかかりすら掴むことができないんだな。 >>83-85
君って悔しくなると支離滅裂になるのなw >>88-89
どうしちゃったんだ?
いきなり親族の問題を出してきて?
「専制的に階層化されていない非親族ベースの集団組織」の話をしてるんだろ?
論破されて、発狂しちゃったのか?w コロナの時も国内爆発して自論が劣勢になったら唐突にモンハンの話してたね 論破どころか、話の糸口すらつかめていないと言っているんだよ? >>93
話しの糸口すら出せない君が言ってもね。
非親族の問題がいつの間にか親族の問題になったり、ねw まあ、話の端緒すら理解できないなら、それはそうとして、
マンション居住世帯の自治会のような形態で国の統治が可能だと思っているのかねw 下らな過ぎて時間の無駄だから、これ以上相手にはしないよ。
私が書き込んだとしても、あなた宛てではないから無視してください。 >>99
セルフつっこみとかキーワード言ってる時点で正体バレバレなんだけど?w >>95
「専制的に階層化されていない非親族ベースの集団組織」というのは国家だけなのか?w
どんどん話が逸れていく・・・ >>102
民俗学や文化人類学の本を読んでごらん。
君は自分の無知が恥ずかしくなるだろう。 >>103
君にとっては自分以外が無知である事のほうが都合が良いのだろ?
この世の中は自分以外が馬鹿で自分の言いなりの世界のほうが良いだろ? >>104
なに発狂してるの?
無知を恥じることはないが、自慢することでもない、と誰かが言ってたな。 事象が成立する枠組みを無視したうえで、その事象について語れると思っている愚者 Ich sehe viel Soldaten: möchte ich viel Kriegsmänner sehn! »Einform«
nennt man's, was sie tragen: möge es nicht Ein-form sein, was sie
damit verstecken!
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 311-313.
http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Also+sprach+Zarathustra/Die+Reden+Zarathustras/Vom+neuen+G%C3%B6tzen >>107
また来たのかよw
このスレ荒らすと、誰かにお小遣いでももらえるの? >>106
>歴史上、いまだかつて、専制的に階層化されていない非親族ベースの
>集団組織などというものが存在したためしがない
これのどこに「事象が成立する枠組み」があるんだよ?
君は論破されて悔しいだけで話しを逸らすから、支離滅裂になるんだよw >>40
韓国のキリスト教系の非科学的な原始人と一緒にするな低能。
テメーがその信者だろ おまえらはどこかの一神教カルトに産まれた頃から洗脳されハマってる似非左派だろ。
親が非科学的な原始人で宗教にはまってるキチガイなんだろ? ニーチェなんて哲学じゃないね。
ポエムやエッセー。良くて社会評論 撮像(imaging)による診断のようなものと思えばいいのでわ ニーチェはマルクス思想を「全世界で試してみればいいよ」と述べ、
半分バカにした様に「糞思想」として鉄剣ハンマーを下していました。 とある見解では、
ニーチェの思想(個人主義自己責任論)がオーストリア学派(市場楽観主義)とが出会ったとき、
新自由主義の政治経済イデオロギーが現代に花開いたらしいです。 ニーチェもバークも身分社会へのノスタルジーを表現していた保守思想でした。
個人は生まれてきた宿命(資本格差)を受け入れてそれに従えというのが保守主義です。
資本の格差の是正を求める平等主義思想は彼らのとっては悪か悪の源泉でした。 とある見解では、
ニーチェの思想(個人主義自己責任論)がオーストリア学派(市場楽観主義)と出会ったとき、
新自由主義の政治経済イデオロギーが現代に花開いたらしいです。
ニーチェもバークも身分社会へのノスタルジーを表現していた保守思想家でした。
個人は生まれてきた宿命(資本格差)を受け入れてそれに従えというのが保守主義です。
資本の格差の是正を求める平等主義思想は彼らにとっては悪か悪の源泉でした。 政治経済イデオロギーといえば、ハイエクとケインズはどっちに入る? ニーチェは孤独に生きて病に伏したけどね、自己破綻型交際嫌い。
その学派には勝てないよ。格差がある、上と、自分が下で、そのまた下があるから
だと下に勝ってるだけです。上に負けてと言い訳して取り入っても生き残れない病。 身分など未来に関係がないですが、下から上に行くだけでは誤りです。 それでいて親玉ソ連邦が崩壊した歴史的事実は、どう説明するのだ?
ちなみに中国共産党は、共産党という名の政党だけであり、マルクス主義の理想社会とは
かけ離れた政策を行なっている現実を、どう説明するのだ? エジプト あたりじゃないの?崩壊した原因。マルクスもかなわないよ。 ニーチェは深淵(本質)を理解していたのであろうな。
自身の人生はキ◯ガイ哲学者で終了したであろうけど。 ニーチェ「科学も宗教も哲学もけっきょく権力欲に根ざしたポジショントークだよね」 ソ連や中国など、資本主義への移行前からそれが完了していないような地域で
労働者階級を代弁していると考える政党またはマルクス派を名乗る政党が政権の座についたこと、
この事実をどう解釈したらいいのか。
それについては少なくともレーニンもトロツキーもスターリンもその矛盾をある程度認識していたらしいということ、
彼らは彼らなりにマルクスとエンゲルスの考え方と自分たちがやり遂げたことの乖離を意識していたらしいこと、
そして、彼らがついにその矛盾を解決できず、その乖離を穴埋めできなかったことは分かる。
スターリンはその穴埋めを強引に強権的にやろうとした。唯物史観を超える離れ業をね。
それがいかに無理を通そうとして暴虐的にならざるをえなかったかが分かる。 【超人】思想を語った人であるだけに、それをも超越しているのかもなぁ。
そのような解釈がヒトラーナチス党を誕生させた悪書だと、誤解釈する人がいることも
事実であり否定もできないのだ。
哲学には終わりがない。 ハイエクもケインズもどっちかと言うと貴族趣味がありそうな感はある。
マルクスを直接引用してはいなくても意識はしていただろうね二人とも。
ヒトラーに影響与えたのはショーペンハウアーでしょう。 スターリンについては謎が多いので、
あまり不用意に語らないほうがいいかもしれない。 夢の国家誕生を成し遂げていながら、既にレーニンはスターリンの危険性を語りながら
途中逝去。
結果、スターリンのような権力の権化に化した人物を生み出してしまいました。
平等国家を維持し続けるのではなく、様々なる国家政策に失敗し、自身の置かれた立場
を危惧して、誰も信用出来なくなり周囲を粛清。
北朝鮮の金正恩も、三代続く金王朝国家でありながら幸福感を感じることもなく、毎日
がビクビク人生。
権力というのは怖いものであり、決して権力者自身も幸福ではないでしょうな。 スターリンにせいぜい褒めるところがあるとすれば世界恐慌を乗り切ったところか。 毛沢東も、自分の立場維持の為に「文化大革命」とか意味不明なる権力行使。
ケンブリッジ・オックスフォードの図書館にある歴史書にもありますよ。 >>139
世界中で戦乱を引き起こしてるアメリカの歴代大統領と比べて、そんなに悪い人間か? 共産趣味者をたくさん生み出した点では
話のネタを提供してくれたと言えるかもしれない。
ナンバー2は必ず粛清されるとか。 アメリカとかただただ残酷なことをしていてネタにすらならない。 >>142
自己の立場を危うくしそうな優秀な人間を失脚yさせるのは政治の世界の常道だな。
日本では安倍がそれをやりすぎて後継者がいなくなった。
自分の立場を脅かさないような右翼ばかりを側近にしたから、ナチスのような低知性政権になった。
言語学者だったスターリンぐらい優秀なら、独裁ではあっても知性は失わないけどね。 >>141
それは今の時代の学者の書いた著書が、これから論文作成する若い学生が大学図書館にある
書物を見つけ、それを参考文献とし、いかに解釈した論文か次第ですよ。 政治史って評伝の形を取るから
プロとアマの境目がようわからんのよね。 >>145
そんなことしなくても、自国内だけの独裁者と、世界中で戦乱を起こしているアメリカの大統領のどっちが悪辣な人間なのか、子供にでもわかることだよ。 >>147
独語や英語でよければ、ネットで無料公開されてるけど? バイデンって、カーターみたいな大統領になるのかなあ。 マルクスとエンゲルスの本来の考え方では、
ロシアや中国で共産党を名乗る政党が政権を取るのは間違い。
資本主義革命が起こっていないところで資本論もなにも通用しない。
この時点でレーニンはマルクスとエンゲルスの考え方から離れている。
そのことはレーニンもトロツキーも認識していた。
この時点でソ連はマルクスとエンゲルスとは関係のない社会主義の実験場になった。
皮肉なことに、ソ連が成功すればマルクスとエンゲルスの史観が反証されてしまうという。 共産党が政権をとるべきじゃない経済段階にある国で
共産党が政権の座についてしまった場合、さあどうするか。
共産党はその看板を一時封印してブルジョア政党として振る舞うことになる。
つまり、中国共産党は共産主義の看板を封印して資本主義化の推進役になるしかない。
これはこれで矛盾だ。共産党でありながらブルジョア政党になる。
政党は大きな矛盾を抱えることになる。
毛沢東は反マルクス主義者だった。 >>151
資本論は革命の書ではないよ。
もちろん歴史の書でも予言の書でもないw 資本論は資本主義が支配的になった経済システムを論じているんだから
その段階にないソ連や中国には通用しない書だった。
本源的蓄積段階についてもマルクスは西洋の話だと条件をつけている。
スラブ諸国やアジア諸国で西洋史観が通用するとマルクスは主張するのを避けた。 >>154
通用するもしないも、歴史観の書ではないよ?
本源的蓄積は原因だし。 毛沢東はマルクス学派の教条主義を嫌って
彼独自の社会主義革命をしようとした。
しかし失脚し、実権派(走資派)のケ小平が実権を握ると、
中国は改革開放路線に積極的になる。
要するに資本主義化を推進するようになった。
それでも中国はロシアと違って制御された資本主義を選択した。 ケインズの「我が孫たちの経済可能性」は明らかにマルクスを意識して書かれたもの。
イギリスの資本主義はこのままいけばマルクスの予言どおりになるとケインズは、
大恐慌時代に主張した。
資本主義の人気が下がった時代だったのでケインズは資本主義のままでも
マルクスが資本論で主張した労働時間の短縮は達成されつつあるんだよと革命の不要性を説いた。
ケインズがマルクスをかなり読み込んでいたことが読み取れる。
そのうえで、マルクスが考えた共産社会ってひどく退屈な社会だろとケインズは反論した。 ロシアは2000年前後にプーチンが無秩序な資本主義を統制して行ったんじゃなかったっけ。 ケインズは穴を掘っては埋め、穴を掘っては埋める労働であっても、
人間は労働していたほうが幸せだと唱えた人だったが、
彼がそれを実践するつもりはなかった人。
あくまでも労働者階級は未来永劫そうしていたほうが幸せだろうと考えた人。
多くの人はケインズが労働時間短縮を望んでいた人だと勘違いしている。
たとえばデヴィッド・グレーバー氏のような人。誤解だったらごめん。 >これはこれで矛盾だ。共産党でありながらブルジョア政党になる。
アホみたいなこと言ってんな。言葉の遊びはやめたほうがいい 本源的蓄積のために、労働力を商品化させる前駆段階にあるすべての社会で
イギリスと同じような道を辿るとまではマルクスは主張しなかったということ。 「我が孫たちの経済可能性」でケインズに欠けていた要素は階級闘争論。
ケインズはマルクスのその理論を否認した。
労働時間が短縮されるのは資本主義の発展だけでは不十分。
その過程で労使の力関係もまた重要な役割を演じる。
ケインズにはその視点がなかったか、意図的に言及しなかった。
労働組合もしくは労働者階級の組織力が相対的に弱まれば時短は成功しない。
ケインズにはそのことが理解できなかったのか、意図的に大衆をだました。 >>161
言葉遊びじゃない。ボリシェヴィキと中国共産党が直面したもっとも大きな矛盾がそれ。
メンシェヴィキ vs. ナロードニキの論争の時代からメンシェヴィキがロシア革命以前にすでに認識していた問題だった。
中国共産党における、毛沢東 vs. 実権派のそれもそうした矛盾の控えめな現われ。 ケインズの専門は確率論だとナーシム・タレブが書いてたな
政治・経済思想については北一輝の国家社会主義のパクリで独自性はない
国家を破壊させるには通貨の価値を毀損させることだという考えは面白かったが。
ドイツのハイパーインフレを見てそう思ったのだろう 科学も宗教も哲学もそれを解剖していけば権力への意志に根ざすポジショントークでしかなくなる、
というようなニーチェの観点は、
マルクス学派のイデオロギー論とコンフリクト理論と共通するところがなきにしもあらず。
それ以外は水と油か。 労働価値理論も利潤率低下傾向法則もけっきょく確率論の世界。
数学に興味があったマルクスは解析学よりも確率論に取り組むべきだったが、
確率論の本格的な発展はマルクスの死後だったか。 ケインズは北一輝のパクリなんだから思想はファシズムだといってるだろあほ
マルクス主義と戦う社会主義だよ ケインズと北一輝は同じ歳か。
ケインズが北一輝を読んだ可能性はあるの? 「北一輝がパクられた〜」とかいってる人は京アニ放火事件の犯人みたいだな 644 :Ms.名無しさん :2020/07/15(水) 15:00:41.16 0
外やSNSでは旦那の惚気とかあんまりできないから
このスレ嬉しいし読むのも楽しいわ
惚気聞くのも好きなんだ〜
旦那の好きなところのひとつは言葉遣いがまろやか?なところ
男の人の威圧感とか急にキレるところとか苦手だったから旦那のほわーとした言葉や雰囲気が好き
あと動物が好きなとこ
今日も飼い猫に「おはよ〜」って話しかけてるのみてふふってなった 病院より豪雨やコロナ、解散で政治体制整えるほうが上じゃないの。 >>177
無知すぎて議論に勝てないから病院行けとか相変わらずだなおまえらは。
化石みたいな話しかできないんだから俺に感謝して、
知識を学びなさい。 知識を仕入れるならwikipediaのケ小平の項目は面白そうだな。 >>132
ニーチェは反キ○スト教の思想家。
キリスト教がローマ帝国の国教になる前のローマ帝国の政治やギリシャ神話を崇拝している。
そう言う意味ではマルクスに似ている。
あの時代の知識人はみんなそうだったんだろう。
キ○スト教ってのはユ○ヤ教の分派だから、深く考える事が出来る一部のヨーロッパ人には違和感があるんだよ。
キ○スト教はユダヤ教の反ローマ・反体制右派の思想を元にパウロが異邦人用に改造し、
それを中東に広め、そこからローマ帝国の属国民に広げた。
属国民の中で頭良く尊敬されてたギリシャ系にキ○スト教が広まった事で、
ローマ帝国の権力者が危機感を覚えて工作員を入れまくって内部から乗っ取った。 >>181
自分の考えに自信がないから、一部伏字?
君って、バカに見えちゃうよ? キリスト教は右から左までまったく異なる宗教じゃないかと
思えるところがあるので、一括りにできない。
となると「反キリスト教」が何を意味するのかも反だけでは定かでない。 ニーチェにとってだから弱者への憐れみと道徳的優位のキリスト教じゃない?
マルクスは宗教を批判し、労働者階級は団結し、力関係において強くならなければならないという
エンゲルス「彼らは怒っているときだけ人間である」 »Wie wolltet ihr gegen mich gerecht sein!« – mußt du sprechen –
»ich erwähle mir eure Ungerechtigkeit als den mir zugemessnen Teil.«
Ungerechtigkeit und Schmutz werfen sie nach dem Einsamen:
aber mein Bruder, wenn du ein Stern sein willst, so mußt du ihnen
deshalb nicht weniger leuchten!
Und hüte dich vor den Guten und Gerechten! Sie kreuzigen gerne die,
welche sich ihre eigne Tugend erfinden – sie hassen den Einsamen.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954,
Band 2, S. 325-328. Man hat schlecht dem Leben zugeschaut, wenn man nicht auch die Hand gesehn hat, die auf eine schonende Weise – tötet.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 2, S. 625-626. 哲学は等しく人間の一般的な問題を考える学問のはずなのに、
どうして一部の人間にしか理解できないような、昔のラテン語で神学を語る一部の人間の持ち物のような扱いなのか。
賢さを測るリトマス試験紙じゃねえぞ。 >>186>>187
いつまで荒らせば気が済むの?
反共団体に、スレ潰すごとにいくら、とかもらってるの? >>190
『ツァラトゥストラ』の方は日本語訳が手元にない。
>>187
「いたわるような振りをして―殺す手を見たことのない者は、ぞんざいに人生を見てきた者だ。」
ニーチェ全集11、信太正三訳、『善悪の彼岸』、p.120 それで、何を思ってそれを引用したの?
特に意味もない独り言なの? なにか根本的な思い違いをしているようだね。
言葉は誰にでも語りかけてくれるわけではない。 誰もいない過疎5ちゃんは
嘘つき中年ばかり
だいたい10歳下に嘘ついてる
で まともな職歴すら無い(爆笑 ほーん。俺にはわかってるぞー
って事をココで書き込んでるだけか。 波平ノ三大美徳デアル
収穫逓増
毎日快便
皿李胃万(おまけ)
コレラガ崩レサルトキ波平ハ姿ヲ消シタル 革命前夜のロシアではニーチェが流行っていて
ボグダーノフが影響を受けてたりトロツキーが評論を書いてたりするね
レーニンが引用だか言及したと聞いたこともあるけど詳しくは分からない
トロツキーいわく、ニーチェの思想そのものを議論するのではなく、
ニーチェの思想から何が生まれてくるのか、その現象を観測して評価すべしとのこと 欧米社会においてキリスト教は宗教じゃない。
それは社会慣習であり保守的社会システム。
ニーチェはキリスト教のリベラルな面だけを攻撃したにすぎない。
反キリスト教ではない。 マルクス主義者は、具体的にどのように反論してきたのかを明示する方が生産的でしょう。
http://www.zeno.org/Philosophie/M/Nietzsche,+Friedrich/Jenseits+von+Gut+und+B%C3%B6se/Neuntes+Hauptst%C3%BCck.+Was+ist+vornehm/257-260
In keinem Punkte ist aber das gemeine Bewußtsein der Europäer
widerwilliger gegen Belehrung als hier; man schwärmt jetzt überall,
unter wissenschaftlichen Verkleidungen sogar, von kommenden Zuständen
der Gesellschaft, denen »der ausbeuterische Charakter« abgehn soll –
das klingt in meinen Ohren, als ob man ein Leben zu erfinden verspräche,
welches sich aller organischen Funktionen enthielte. Die »Ausbeutung«
gehört nicht einer verderbten oder unvollkommnen und primitiven
Gesellschaft an: sie gehört ins Wesen des Lebendigen, als organische
Grundfunktion, sie ist eine Folge des eigentlichen Willens zur Macht,
der eben der Wille des Lebens ist. – Gesetzt, dies ist als Theorie
eine Neuerung – als Realität ist es das Ur-Faktum aller Geschichte:
man sei doch so weit gegen sich ehrlich! – 「搾取」は生命の本質に属し、それは生命への意志である力への意志の結果です。
■■■■■■■■■■■ ヘヘっプオ2 ■■■■■■■
1 考える名無しさん 2020/06/02(火) 07:40:04.32 0
要するに
プッヘダラハ〜のゃなゃぁ〜のゃなオヒョップぴゃ?
ゼ〜っ
てプーッヘヘっプオ
オヒョップョップン
エズオドット〜ッコリ〜モエズオドット〜ッコリ〜モナ〜♪(hey!)
ナ〜♪(hey!)
りどわらずだこうしぶエズオドット〜ッコリ〜モナ〜♪(hey!)
り
にどわぶりぶりぶりどわらずだこうしのョョ!らがぼ
がらがらがぼオヒオヒョエ〜ッコリ〜
モナプッヘダラハ〜のゃなゃぁ〜のゃプシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪なオヒョップぴゃ?
ゼ〜っ
てプーッヘヘっププシュカプシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪プシュワカ♪プシュカプシュワカ♪オ
オヒョップョップン
エズオドット〜ッコリ〜モエズオドップシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪
ト〜ッコリ〜モナプシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪〜♪(hey!)
ナ〜♪(hey!)
+ ____
/⌒ ⌒\ ゚
° + /= =‐,、-= =- .\ . + + という事じゃな? 宗教世界は過激に価値が傾倒しているからそれを元に戻すのは手が悪い。
しかし金持ちが天国から遠いとかは全く逆で嘘だろう。 救済することが人生の恨みになって優遇するものが貧しいものになったというおかしさが
ニーチェを読んでいるとわかる。 しかし若いうちは本人も貧しく、間違いなどがあるだろう。 学術は無職だからナマポい
5chにつまらんこと書き込むしかすることがないだろう 若さ余り貧しいものを勧誘して政治、王権などと対峙する、ということはまあ世の中によくあることだ。
それが覆ることもあれば、宗教弾圧にしぼむことがある。何がその場で違うのか。 自分は管理人もしてるから、盛り上がるように気を使ってるだけ。 搾取して世界トップの能力が高いとかは許せない欺瞞だ。 能力なども分かち合うなら、王権や政治などより、宗教に未来がある。 搾取なんかはドーピングと同じで若いうちならとやかく言われないだろう。 >>201
信太正三による『善悪の彼岸』の訳は、別の訳者による『人間的、あまりに人間的』
と比べて、はるかに読みやすい日本語になっているが、それでも、日本語で対応する
表現が容易に見つかるニーチェのドイツ語の表現を、単に少し読みやすくするという
目的のために、対応関係のない別の表現に置き換えてしまうのはいただけない。
そうすることによって、表現に従って思索の歩みをたどることに無用な障害をもたら
すからだ。 >>201
例えば、
>sich aller organischen Funktionen enthielte
を「あらゆる有機的機能を営まなくなってしまった」と訳しているが、
"sich 〜 enthalten"というドイツ語の表現は、「営まない」という日本語の
表現に対応していない。この表現に対応する英語の表現は、"abstain from 〜"
であり、ドイツ語で別の表現をすれば、"sich fernhalten"や"sich zurückhalten"
ということになる。つまり、日本語の「控える」や「自粛する」にそのまま
うまく対応する表現であり、多少の読みやすさのために、対応関係のない
「営まない」に置き換える必要がない。このように安易に置き換えてしまう
ことが、自他の事象の観察の照応関係を捉えにくくするのであり、哲学の歩み
を妨げることにもなる。 「あらゆる有機的機能を営まなくなってしまった」と
「あらゆる有機的機能を控えるようになった」では、
伝えようとする表現の意図が異なってしまうだろう。無理に対応関係を
保とうとすることで、あまりにも不自然な表現となり、意図が伝わり
にくくなるというのでなければ、単純な対応関係の方を優先すべきである。 商売を営まないことと、商売を自粛することは同じではない。 マルクス経済に高級品が作れるかどうか。
今日シリア難民のドキュメンタリー見たけど、戦争が終わりに近く仕事がむしろない。売春が横行している。難民の子にパソコンでも送りませんか?パソコンカフェ立てるとか。
ここはアラブ内戦から外戦に舵を。男余りの墓場のような戦争ではなあ。
女性のほうが軍人として優秀というデータがある。 毎日の暮らしの糧ですら制限されるのはどこの国でも似たような面がある。
貯金をして食糧を備蓄している資本主義も末路か? 毎日5chに書き込むのが仕事だ。給料は無い。
パソコン管理費は障害者年金とナマポで払ってる。 給料はまあ自分では使わんけど養っていかなきゃいけないからいただいてるけどね。 必死に嘘ついても無職バレバレ
糖質の妄想空想的虚言主義 宮内庁式部職侍従長にも抜擢されてる。新聞にも人事出てたけどな。 司教とかも年収いいからおすすめだ。これもやってる。 Viele sterben zu spät, und einige sterben zu früh. Noch klingt
fremd die Lehre: »stirb zur rechten Zeit!«
Stirb zur rechten Zeit; also lehrt es Zarathustra.
Friedrich Nietzsche: Werke in drei Bänden. München 1954, Band 2, S. 333-336. >>234
いつまで続くこの荒らし・・・
消えろ臆病者。 ちなみに就職先は非上場の銀行だ。軍資金や兵糧の工面やってる。 無理すんな学術、お前が無職なのはとっくにバレてる
5chに張り付いてないで働け >>200
キリスト教会が決めないとなにも始まらない地域だぞ
中国との仲直りだってバチカンが決めたし
これだけ宗教が弱まった21世紀でもヨーロッパでは教会で決まる 階層的に組織化されることなく、人格の平等が一般に認められている
非親族ベースの社会など、歴史上、いまだかつて存在したことがないの
ですよ。そもそも、制度的な階層性の組織化自体が親子関係をその
モデルとしている。
例えば、民主主義とされる自由主義経済の国において、企業組織に
おける人の地位関係は、そのまま人格の優劣となり、かつての共産圏
においては、共産党組織における地位関係が、そのまま人格の優劣
となった。企業組織における地位関係の優劣は、企業の活動として
限定された範囲においてだけでなく、その枠外の私的な活動の範囲
においても、そのまま適用される。勤務時間外だからといって、
その優劣の関係を無視したなら、組織に反抗する人間として、
たちまちに制裁を科されることになる。そこにあるのは、人格の
階層化であり、「人権の平等」などというものは一顧だにされない。
むしろ、公の組織の活動の範囲を超えて、人格の階層化に自ら
積極的にコミットしようとする者が、有能で、組織に貢献する人間
として高く評価され、組織において比較的に優位な地位を与えられる
のである。このことは、社会が、「共産主義」という名目の下で
組織されたところで、何ら変わらない。 階層にしても下を管理している段階では、上まで努力した意味が半減。
下は下の政府。 このスレでも、誰かの書込みが気に食わなければ、ただちに相手に侮蔑的な
言葉を投げつける人がいるが、そのような人が、自らをマルクス主義者
と自認していようと、共産主義者と自認していようと、あるいは
自由主義者と自認していようと、社会の制度的な組織化(それがどのような
名目に基づくものであれ)において、非階層的な、人格の平等を志向する
振舞いをするわけがないでしょうw 無職の連投荒らしには比較的に劣位な地位を与えられるのである。死にたひ。 >>244
それ、実例をもとに論破されてるじゃないかw >>246
事実の指摘を理解しようとせずに自分への侮辱と受け取るのは、自己愛性パーソナリティ障害の特徴だよ。 さて、脳内論破は相手にしてしていないし、話しかけてもいないと教えてあげたはずが 宿題忘れていますよw
201考える名無しさん2020/07/18(土) 01:08:38.190>>215>>216
マルクス主義者は、具体的にどのように反論してきたのかを明示する方が生産的でしょう。 >>250
文化人類学や民俗学などの現地調査の報告を脳内報告だって?w
だから、病院に行ってきたほうがいいよってアドバイスしてるんだよ。 >>252
翻訳の問題がマルクス主義の問題なの?w >マルクス主義者は、具体的にどのように反論してきたのかを明示する方が生産的でしょう。
というのは、無論、>>201に引用した主張についてであって、>>201に対するレス
についてではない。
ところで、英訳本が今日届いたので、当該の箇所をどう訳しているか確認してみた
ところ、"refrain from 〜"と訳されている。"refrain"をgoogle検索すると、
「控える」という日本語訳が示される。要するに、日本語であれ、英語であれ、
そのように解釈して訳すのが普通であり、変に別の表現に置き換える必要は
さらさらないということだ。ちなみに、「人間的、あまりに人間的」の方は、
読みにくいうえに、ニーチェのドイツ語の表現に対応していない。こんなことは、
本来、ドイツ語を教わったことも、まともに学習したこともない私のような
ドイツ語の素人にに指摘されるまでもなく、自浄作用で正されるべきことだろう。 ニーチェやハイデガーなんて哲学じゃないしね?←こいつ共産党員か何かか?
だったらマルクスは哲学者なのか?経済学者じゃないの?
簡単簡潔に説明してごらんよ。そもそも「資本論」は、哲学書?経済学書?
簡単なようで、難しい質問でしょ?
どうせ、哲学も経済をも含めた『世紀を超えた読むべき書』と答えるだろう。
まあ、資料として読み続けられていく書ではありますな。 俺が勝手なことを言うならば、
ニーチェは文学、存在と時間は黙示録。 資本論は素朴な分析と風刺の書
経済学批判の方が分析的経済学の書 哲学版において、マルクススレッドを立てた以上は哲学者として解釈しているのか? どっちにしろ貴重な文献であり、世界の歴史を語る上では、間違いなく読み続けられていく書ですな。 ニーチェは古典文献学 ハイデカーはフランクフルト売りのテント。 マルクスは宗教的思想家として価値がある
マルクス主義者の多くは彼の経済学(搾取の証明)なんかに興味はないだろう 『ユダヤ人問題によせて』の破壊力は凄まじいものなあ。 哲学+宗教+経済=国
この基本骨組みが理解できなければ、哲学批判・宗教批判・経済政策批判(資本主義 共産主義)
の対立が生まれるのだ。 中東イスラム地域でも、ソ連はアフガニスタンに侵攻し領土拡大しようとしました。
しかし、ソ連の経済的貧窮と、ここにいても利益にもならないと短期間で自ら撤退。
その後ソ連崩壊、この歴史をも忘れないように。
あの超大国ソ連ですら、イスラム教国家地域の中東に踏み込めませんでした。 >>270
「イスラム教国家地域の中東に踏み込」んだのが、イギリスとアメリカだよね。
イギリスとアメリカのせいで、中東は世界の火薬庫といわれることになった。 バートランド・ラッセルが共産主義はイスラム教に似ていると評してたけど
イスラム圏には共産主義が全然浸透しなかった それだけ見識が浅かったということだろう。
イスラム圏におけるイスラム教の運用(シーア派であろうと、スンニー派
であろうと)と共産圏における共産主義の運用は、互いにまったく似ていない。 加速主義的な論調のもと、ポール・メイソン(Paul Mason)は著書『ポスト資本主義 未来へのガイド(PostCapitalism: A Guide to our Future)』において、資本主義の後の未来について思弁を試みた。彼は次のように宣言する。「500年前の封建主義の終焉とともに、資本主義のポスト資本主義への置き換えは外的衝撃によって加速され、新しい種類の人間の出現によって形作られるだろう。そしてこの動きはすでに始まっている」。共同生産(collaborative production)の台頭が、結果的に資本主義の自壊を促進すると彼は考えている。
ベンジャミン・H・ブラットン(Benjamin H. Bratton)の著書『スタック:ソフトウェアと主権について(The Stack On Software and Sovereignty)』も加速主義に関連している。彼は同書にて、情報技術インフラストラクチャが現代の政治地理学をどのように弱体化させるかに焦点を当て、オープンエンドの「デザインブリーフ」を提案している。ティツィアナ・テラノヴァ(Tiziana Terranova)の「赤いスタックの攻撃はブラットンのスタックモデルと左派加速主義をリンクしている。
米国ではジャデン・アダムス(Jaden Adams)、レザ・ネガラスタニ(Reza Negarastani), 松本良多(Ryota Matsumoto), ニック・スルニチェック(Nick Srnicek)がCCRUの提示した加速主義をプラットフォーム・キャピタリズム、デジタル・レーバーという社会学的視点から最先端のテクノロジーをまじえた思想として再定義している。 哲学の営みは、人に先駆けて何か目新しい発見をしたり、
まだ人の知らない物事の観方を提示する概念を創造して、
まったく新しい知見を提供しようとすることにはない。
そうではなく、哲学は、いつでもつねに遅れてやってきて、
それまでに得られた自他の観察を省みることによって、
自他の経験を照応可能なものとすることにあるのだ。
それにより、自他ともに「本当は既に分かっていたはず
のこと」に各々があらためてはっきりと気づくことを
可能にするのである。 >>242
うん、だからこそ欧米ではキリスト教は宗教ではなく社会慣習そのもの。 近代社会は「宗教」を発見した。発見というのは相対化。
宗教を相対化できる観点を持てるまでは宗教は生じなかった。 >>272
中東全般の共産化だけは欧米諸国はなんとか阻止したかった。
過激な宗教右派に武器を供給してでも。その結果がいまの中東。 >>274
それはオーソドックスなマルクス主義だね。
加速主義というと、人間もなにもかもすべてがAIに支配されて同化していく未来を肯定せよ、
という技術神格論的イメージが強い。
マルクス主義にとってそれは資本蓄積マシーンに支配された疎外の究極バージョンだから、
そうした技術進歩を我々自身の制御の下に取り戻さないといけないというもの。 >>274
新しい生産様式が古い生産様式が支配している経済システムの中で徐々に育ってくる、
そうならないと旧経済システムは新経済システムに置き換わらない、
真偽はともかくそれもまたマルクス主義の仮説だった。 リベラシオン社のHPを発見。
やはり、同HPトップにあるマルクスの共産党宣言からの引用には
「しかし」を入れていない。 あ、共産党宣言じゃなくてドイツ・イデオロギーだった。 「フォイエルバッハに関するテーゼ」だな。
岩波文庫所収のエンゲルスの『フォイエルバッハ論』(松村一人訳)の付録として
載っている文章には「しかし」が入っている。
雑誌『情況』2012年12月別冊版にある長原豊の文章の中で引用されているのは
『マルクス=エンゲルス全集』第3巻5ページで、「しかし」は入っていない。 >>285
マルクスもエンゲルスも、哲学者の世界の解釈は軽んじてるだろ。 >>286
まあ、それを乗り越えようとしたわけだからねえ。 >>287
乗り越えたというより、哲学を消滅させたというべきかな。 >>288
確かに、その後の哲学は、
人生観・実存主義とか思想史・文献学とか論理学とかに砕け散った感はある。 加速主義というと経済政策的には新自由主義をどんどん進めよという感じ。
ポール・メイソンさんはそうじゃない印象。
ヨーロッパの社民主義の後継者っぽい。 ハイデガー的マルクス批判は観念論的だと言って差し支えないか。 マルクス主義者には相手にされなかったから反論もないんじゃない?w 自分なりに翻訳し、自身の見解を簡潔に述べればいいのにね。
結局は自分でも理解できず、少しでも他人からの解釈を利用しようとしているんだろうね。 氏名■土井剛(莉里子)
身長■165cm以上
生年月日■1994.3.7
前住所■東京都三鷹市下連雀5丁目3 シティハイツ吉祥寺通り4階
現住所■大阪府大阪市内
Twitter■@copy__writing
疾患■性同一性障害(LGBT)、人格障害、発達障害(ADHD)、アスペルガー症候群、統合失調症、
大麻などの違法薬物を常用しているという情報あり
別名■にゃんぱす、にゃーこ、みんち、その他多数
関係があった男■相馬ドリル、コジコジ(元ニコ生主)、F(@No_001_Bxtxh)、大阪の日始皇、その他多数
<人物>
●奇声をあげながら自室部屋のドアをナイフで突き刺す等し、東大の精神科、隔離病棟にて強制入院させられる
●骨が見えるほどのリストカットを繰り返していた
●自宅だった、シティハイツ吉祥寺通り4階から飛び降り自殺、精神科に再入院
●ネット上ではトラブルメーカーとして有名で、ハッキング、SNSやPCの乗っ取り、脅迫、たかり、ゆすり、強要、殺害予告などが日常
●去年から今年にかけてyoutuber同士のトラブルの仲介に入り、某大手youtuberから複数回に渡り1億近い慰謝料をビットコインで受取る
●現在はストーカー被害男性が住む大阪市内のマンションの階下に張り付き、その階下の住人と性的関係を持ち、ストーカーも継続している
●大阪府警、三鷹市警、サイバー犯罪課からマークされている
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/streaming/1587960611 >レーニンは、メロンをむさぼり食らう麻原彰晃と何も変わりはなかったのである。
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html
ラッセルは回想録『ロシア共産主義』の中でロシア革命はピューリタン革命同様、
その清貧主義によって破綻すると述べていたが、それ以前の問題だったわけだ 対立構造を作って闘争させるそしてやり過ぎて畜がくたびれてしまう。文革から一向に進歩しとらん。 ホロコースト同様人種差別が思考停止化のパワーワードになるのかね。 洪水で助けを求める電話を役所にしたが一向に助けに来ないので もう一度電話して 打倒共産党!!と叫んだら すぐに公安警察が来て助かった
ロシアも得意な小咄やんw >>309
そうだよな。
日本だったら、まずコロナに感染してるかどうかを確認してからだよな。 民放労連などによると、テレ朝労組は脱退理由として、運動方針に対する考え方の違いのほか、テレビ広告費の低迷や新型コロナウイルスの影響で業績が厳しくなる中、組合費の負担が重くなったことを挙げているという。
組合費の負担ww 国家による自国民への人権侵害は、内政の過程で治癒することが不可能。国際社会が声を上げるしか他に選択肢はなく、当然やるべきことで、内政干渉には当たらない。
その通り
当たり前すぎてバカバカしいほど >>311
方針が違うのに金を出すのは嫌だ、というのは自然だろう。 >>312
日本は、国際社会から人身売買や男女差別を批判されても、なにも動いてないよねw 哲学(憲法)+宗教(法律)+経済(資本主義 共産主義)=国家
これまで、いろいろなる紛争や戦争(世界大戦)もあり、たった100年の歴史だけでも
本当に世界は大きく変化。
山川出版社の歴史教科書が、学校教育では一番適した教科書です。 イスラム圏
マホメッド(哲学)+イスラム教(イスラム法)+経済(石油資源)=イスラム国
ソ連は石油資源を求め、アフガニスタン侵攻し(1980年 モスクワオリンピック 西側腫瘍先進国はボイコット)
イスラム圏一神教国家の集まり地域であり、他の宗教行事を一切認めない国家です。
超大国ソ連が武器で脅しても、踏み込めませんでした。
ソ連の経済的貧窮が徐々に進み続け、イスラム圏における石油資源を狙い侵攻しましたが、
踏み込めなかった現実を、「ソ連史」として様々なる解釈論文が出て来ますね。 こんな国に生まれ育つと、五十嵐教授殺害を正義だと確信し、大学校内におけるエレベーター内で
平気で首を切る殺害を行う恐ろしさ。
当時のホメイニが世界に向けての死刑指示に従ったのだ。
怖いですよ。 コロナに乗じて格差を広げ階級闘争を行い世界革命を成就させよう >>318
アメリカでも大統領の命令で中東を空爆して一般市民を殺したりするのは日常だよね。 イスラエルも首相の命令でガザ地区の一般市民を虐殺してるね。 旅客機を奪ってまでニューヨーク貿易センタービルをテロで崩壊させたことも史実として既に書き残されています。
もちろんイスラムを否定するわけでもありません。
しかし狭い価値観でしか判断できぬ哲学+宗教の国家民は、あのような大胆なるテロを起こします。
怖いです。 宗教には様々な顔があり、それらは時として互いに矛盾することがあります。
それらを一緒くたにして語るのは危険で、合理的ではありません。 宗教という括り方で見るよりも、政治的なスペクトル、
例えば古典的な右派や左派、保守派や進歩派の区別を用いるほうが、
まだ政治的現実をより精確に捉えています。
キリスト教右派と左派とでは、あまりにも違いすぎる面があります。 >>322
テロによる死者と無差別攻撃による死者のどっちが多いと思う?
イスラムテロリストとアメリカの比較はそういうこと。
両方悪いにしても、程度の問題というのはあるよ。 >>325
君はアメリカ憎しのあまりイスラムテロリストがマシというのかw
イスラムのテロは力が弱いから死者が少ないだけで
支配するだけの勢力があればISISのように拷問虐殺するぞ >>326
ISISよりアメリカが無差別に殺した市民の方が多そうだw
イスラエルもパレスチナ人への拷問虐殺を日常的にやっている。 >>318
日米英、イラン、イスラエルあたりの国際協調の表れ? >>318
日米英、イラン、イスラエルあたりの国際協調の表れ? >>318
それを我々が悪だと思うのは我々が洗脳されているせいかもしれない。
マインドコントロール論の欠陥はそこに科学的答えを与えてくれないこと。
例えば天皇制を持っている日本人もイスラム教徒のことを言えたものではない。 民主主義? イランが民主主義でないというのだろうか?
そうだとすれば、何をもってそう言える? >>331
天皇の名のもとに、自国民だけでも300万人死なせているからね。 >>332
制度の情報が少ない国の体制を論じるのは無理だな。 国家権力と国家権威の制度的分離だけでは本当の分離はできていない。
イスラム教徒の神もそれ自体は抽象的な物言わぬ神。
地上の宗教家たちがその名を象徴として利用している象徴政治。
つまり、イスラム宗教政治においても国家権力と国家権威は分離している。
神それ自体は政治に口を出さない。神はただ象徴として権威づけられているだけ。 政治と宗教との分離は実際にはもっと複雑な問題ははらんでいる。
宗教と政治が分離している状態とはいったいどういう状態なのか、
それをもって本当に分離していると言えるのか、
宗教が政治に影響力を持たなくなったと本当に言えるのかは多くの疑問が残る。 イスラム圏の紛争って、多くの場合、親族組織と宗教組織が
結び付いた政治主導権を握るための派閥争いだろう。 ピケティ氏が言うには中東はかなりの格差社会。
そういうところで政治が不安定になるのはよくあることかもしれない。
開発途上国では珍しくない。 マルクス主義の理論でジャーナリズムを指導する
???ほんとアホだな >>342
右翼の親分 安倍晋三
成蹊大学法学部政治学科卒 趣味 ゴルフ
左翼の親分 志位和夫
東京大学工学部物理工学科卒 趣味 ピアノ 安倍晋三と志位和夫は同い年。
安倍は背が高く見えるけど175p、志位は180pだそうだ。
実は二人は仲良し、という噂もあるが、あまり信じたくないかな。 >>345
実際にはフランコのことになっちゃうんだよね。
フランコのあとは王制。
70年代になってやっと選挙。
イギリスの情報組織がスペインのフランコを応援したのかな? >>344
志位は安倍晋三は歴代自民党の議員の中でも最低クラスの総理大臣でゲンナリする(大意)って言ってるくらいだから安心しろ 香港の治安維持法の中国政府支持してたマルクス主義者は息しているかな
デモはCIAの陰謀だっけ?w ↑この書き込みは誰の陰謀だ!?
いや、民主的な書き込みかw
CIAは情報機関だぜw >>350
香港の民主派リーダーたちが外国の支援を受けていることはたしかだろう。
リーダー自らが外国に対して支援を訴えているのだから。
問題は、そういうした行為を表現の自由として是認するのか、外患誘致として処罰の対象にするのかということだろう。 香港で若者がリーダーになって実効力のある民主化運動を
立ち上げることが可能なら、日本の大企業でも新入社員とか
若手が中心になって企業内統治の民主化を推進することが
可能じゃないかな。 >>350
お爺ちゃんはCIAが黒幕だと断定してたよ
さすが真のマルクス主義者を自認するだけある >>354
それ自体は正しいだろう。
CIAもMI6もそのために存在する組織だからw >それが組合というものだよ。
では、組合が機能しないのはなぜですか? そういや日航機墜落で自衛隊の誤射っていう陰謀説あるよね
あれ左翼の人はよく言ってたけど、今も信じているのかな >>357
どうせ陰謀説唱えるなら、米軍の攻撃にしときなよw >>356
組合員が集まっても、資本家にとって脅威になってないからじゃね?
世論のほうがよっぽど怖い。政府は支持率と財界のご機嫌に弱い。 >>361
組合は資本家の脅威だよw
だから組合が強い時代は賃金も上がったし、社会福祉も進んだ。 香港では1967年に共産主義系労働組合員を中心に反政府暴動が起こった事がある。
労働争議に端を発し、それが飛び火して植民地支配に対する大規模な抗議デモや
ストライキに発展。
デモ隊と治安部隊が衝突し、最終的に51名の死者が出たとされる事件。
少なくとも22人が警察によって殺されたとされています。
当時の英国香港政府は、左派系の新聞の出版を禁じ、左派系の学校を閉鎖させ、
多くの活動家を逮捕したとされます。
『中英街一号』という香港映画はこの事件と雨傘運動とを
オーバーラップさせた2018年の作品。
第13回大阪アジアン映画祭では最優秀作品賞を獲得。
https://youtu.be/458r-r6j_fg この翌年、1968年にフランスで五月危機が起こった。
日本では同じ年に東大紛争が起こった。
アメリカでは同じ年、キング牧師が暗殺された。
ベトナム戦争、文化大革命の時代の世界同時多発的出来事。 史的唯物論的に見ると、今の中国はほぼ半世紀ほどから後を負って
高度経済成長後期の1968年ごろの資本主義先進諸国と同じところに
達しているんじゃないかな?
先進資本主義諸国の後追いをしているとするなら中国もそれに倣って
学生運動を制圧して悲しいかな終息させることになるわけだ。 >>365
日本の学生運動が69年に終わって、中国の学生運動は89年に終わった。
中国は日本の20年遅れなんだろう。
天安門のリーダーがアメリカに亡命したのも、日本の赤軍連中が北朝鮮に亡命したのも似たようなものだ。
香港騒動はイギリスが植民地利権を主張しているだけの火事場泥棒みたいなもの。
だからリーダーたちは堂々と外国に支援を求めて恥じるところがない。
日本なら外患誘致に問われかねないただの政治犯罪だろう。 >>367
君ってバカだろw
アメリカが日本に原爆を落としたことによって、世界の核兵器開発が加速したことはたしかだろうが。 マルクス主義的に正しい進歩のなかでは、マルクス主義者が大好きな核家族や家庭という特権化された権力構造も徐々に解体されるんだろうね >>369
マルクス主義とは関係なく、先進国では旧来型の家族は解体をはじめてるね。
原型はイスラエルのキブツかも知れないが。 どこまでも分かってないな
マルクス主義とは関係なく、ではなく
家族のような権力関係が解消されていく過程は
マルクス主義を裏打ちする巨大な歴史法則の一部
に過ぎないというべきだろうな
バカはこれすら理解できないか
よほどのぬるま湯で半世紀チャプチャプしてたんだね 愛とは家庭内でしか生まれない!
残りは全て錯誤だ!
↑
なんつう恐ろしい権力構造の是認だよ
資本家が労働者を使役するのに都合のいい熱情だろ
陰謀脳とこれのコンボてヤバイぞw >原型はイスラエルのキブツかも知れないが
そのイスラエルはハレーディームの家父長制とかも依然存在しているわけだが?
ミクロ的には解体でもマクロ的には多様化と言った方が正しいのでは?
>家族のような権力関係が解消されていく過程は
>マルクス主義を裏打ちする巨大な歴史法則の一部
ソースは? >>371>>373
家族の本来の姿は権力関係ではないよw
だから、マルクス主義とは関係がない。 >>374
キブツと家父長制は無縁だよ。
むしろ明確な社会の権力構造のもとにある。 376
無縁だから安易に解体だとか解消だとかいうのはおかしいという話だけど。
家族や家庭がといっているが、ある家庭ではその構造は解体済みでも国内の別の家庭では解体されていないんだから。 >>377
当たり前だろ。
社会としてはある日を境に無くなったりはしないw
ただし、キブツは小学校入学前に家族から離れるから、ほぼ解体されるともいえるだろう。 いやだからそのくくりがおかしいといっているのだが。
ある国家、社会がマルクス主義になる、またはマルクス主義から別のになる、という話と、その時その構成要素である家庭がどうなるかという話は別だし、
キブツの例はマルクス主義からキブツになるというケースとかではなく、こつ然と出現するという構造だからまったく別の話だろ。
国家の主義ー>家庭はトップダウン
キブツの出現はトップダウンではない >>379
そうだよ?
家庭の問題と社会の進み方は別のこと。
キブツとマルクス主義は関係ないよ?
昔のイスラエルの首脳によって採用されたトップダウンのシステムだし。 FBI +CIA=NSAの管理下組織ですよ
共産社会主義思想を未だ崇拝している世代に、言っている意味が理解できるかな? >>381
MI5とMI6の違いということだね。
だからなに、というか共産主義はそれほど強力な思想ということだなw 家族の定義ははっきりしないが、
文化人類学者が発見した限られた範囲でも家族には驚くほどの多様性がある。
エマニュエル・トッドの類型モデルはそうした家族の多様性をかなり単純化してしまった。
家族はなんらかの形で生き残っていくだろうが、
家族の代替になる社会システムも必要になっていくだろう。
資本主義社会は家族関係をビジネス関係に変えてしまったと嘆いたのはマルクスだった。
それと同時に資本主義的家族は家族が本来もっていた生活の中心的機能をかなり家族から分離した。
そして会社や学校や保育園が家族の代わりになってきた。
それ以前の家族は経済の主体であり教育の主体であり保育の主体であった。
生活の大部分で家族はもぬけの空状態になっている。 資本主義以前の社会において家族は生活の中心集団だった。
家族は会社と学校の機能を備えていた。
つまり大部分の人々は家業で生計を立てていたし、
子供たちは学校に通わなかった。すべてが家族中心の生活だった。
どころが資本主義が家族中心の社会を終わらせた。
プロレタリアートという階級はサラリーマン階級であり、
家族を棄てて外に働きに出るのを生業とする階級。
この階級が資本主義社会で主流になった。 おじいちゃんはCIAの陰謀と戦ってる精神疾患だからw >>366
うーむ、社会の法則というのはあったとしてもあくまで傾向性なので、
何年で終わったとか、そこまでピンポイントにはっきりと言うことはできない。
その社会が急激に経済発展する段階で学生運動が活発化したり過激化したり
そういう傾向がどの社会でも大小の違いはあれ見られるかもしれないということ。 Brian Patrick Kernという白人男性が
香港の学生運動の影の指導者になっている
という噂が結構ネット上に流れているね。 資本主義は伝統的な生活様式をどんどん解体していく能力を持っている。
資本主義のこの驚くべき破壊的創造の機能がその胎内から共産社会を生み出す。
共産主義イデオロギーがそうするのではなく資本主義の唯物論的機能がそうする。 G5と香港問題でEUもEUの理念と安全保障を意識しはじめた
アメリカ大嫌いだから中国を容認している私偉いモードがかなり変化した
メルケルも10年後はトップじゃないわけで
ま国家権力全否定のお爺ちゃんが中国の香港政策完全支持は、リベラルには理解不能なのは確かだ ここまで人々のモチベーションを破壊してしまうと、
これから何を餌に誘導していくのか難しいですね。
これまでは少なくとも、幻想としては、自分の家族を築くとか、
家族が元気でいられるようにとかあったわけで、
それが消滅したうえにキャリアの上昇とかの目標も示せなくなった。 成果を挙げれば、それが評価されて社会的に成功するという幻想さえ消えた。
現実にあるのは、場当たり的に自分のために最大限の利益を確保することだけで、
それは長期の目標にはなり得ない。消費で他人に優位を見せつけるという動機も働かなくなっているし。 >>390
香港もまた国家権力を目指したのに過ぎないからなあ。
中国国内での二重権力を樹立しようとした。
それもイギリスという国家権力の後ろ盾を得て、だね。 >>392-393
一つの確かな指摘だね。
日本人は2000年前から支配者に従順だと言われていたが、現代になってもそれは変わらない。
従順さが総労働体制と賃金低下を生み、家庭の経営の破綻を招いている。
日本人の家庭崩壊は、欧米とはまた異なって、支配に従順でいたがることの代償なのだろう。 資本主義は常に市場を開拓しなければ生き残ることができないシステム。
海外ばかりか、非市場経済であった家族の機能をもどんどん奪い吸収することで
市場を拡大して成長してきた。
資本主義は最終的には家族を死滅させるだろうというのがマルクス主義者の見込み。
ただし資本主義に身ぐるみ剥がされて最後に残った対幻想が
どんな姿になるのかは分からない。 もちろん、市場経済が生活のすべてを支配する完全な資本主義社会の恩恵を
すべての人が享受できるわけじゃない。
それを享受できるのは資本主義経済に見合う購買力を持続可能に手に入れることができる人々。
誰もが家政婦を雇える経済力を持てるわけじゃない。
誰もが家事ロボットを買える経済力を持てるわけじゃない。
家族は貧困層の印になるかもしれない。 ずっとそれ言い続けるといつかは勝利できるね
数百年以上かかっても問題ないし 少なくともこれまで起こってきた歴史的事実だよ。
科学的予測というのはその前提の上に成り立つ。
逆にいえばそれ以上のことは言えない。 科学的予測なら、予測が外れることや、変更は
当然ありうる大前提
それを否定するなら科学的ではない
また到来して欲しい、という強い願望と
おそらくこうなるのではないかという予測は
科学的な予測では別物だ
それなのに、絶対到来して欲しい、と必ず到来する、
をピッタリと一致させるところが暗愚としか
いいようがない ま巨視的な歴史法則ならば、発見者のテキストを
どれだけ厳密に読んでも法則そのものになんら影響しない、ということにすら気付けないならどうしようもないが なに言ってるかわからないけど、要するに、資本主義者にとって怖いのは共産主義だってことかな? 論理的に反論できないから、怖いとか敵味方という
話しかできずに、資本主義者の陰謀、で全て済まそうとする
結局、そういう心をもつ者は、歴史法則を発見したという言説そのものに内在する暴力的側面、これの被害者ともいえる >>403
歴の法則というのは、歴史が何を根拠に大きく変化してきたのかを見極めること。
マルクスはそれを生産力の発展によるものだと考えた。
いまのところそれを否定する体系だった理論はない。 資本主義はこれまでのところ家族の機能を空洞化させてきた。
家族の中で営まれていた非市場経済を市場経済化または社会経済化することによって。
資本主義は非市場経済をどんどん侵食して市場経済化してきた。
この流れが変わらないかぎり
資本主義はその能力によって家族をますます空洞化するだろうという予測が成り立つ。
その結果、対幻想がどんな姿になるかまでは予測しがたいが、
この流れそのものは今後も続くだろうということ。
これは願望ではない。マルクスはやや嘆きを込めて書いていた節があるが。 >>405
ドゥルーズは人目もはばからずに泣いたしね。 資本主義はこれまでのところ技術革新によって多くの雇用を消失させる一方、
新たな雇用を創造してきたが、それは非市場経済を市場化することによってだった。
その一つがグローバリゼーションとその過激なバージョンであった帝国主義と植民地主義。
非市場経済が支配的な社会を手中に収めることによって市場を外部に開拓してきた。
もう一つは家族の植民地化。
家族の非市場経済的生業を市場化したり国家事業化したりすることで外部経済に仕立て上げてきた。
家族中心の経済システムは資本主義の発展とともに解体するか弱体化した。
この流れは今のところ覆りそうにない。 資本主義は家族集団を完全に企業の、資本蓄積に奉仕するための従属機関にしてしまった。 ポストモダニズムは歴史の法則に否定的な思想の代表格だね。
しかしマルクス主義が歴史の絶対法則を唱えているわけじゃない。
ある支配的構造(支配的システム)が温存するかぎり、
そのシステムが起こしてきた変化がこれからも続くだろうという予測を当てることは
願望の問題ではない。 ポストモダニズムは願望を救済しようとしているのかもしれない。
歴史は客観的法則ではなく願望の力によって切り拓いたり
変えることができると。
マルクス主義はそれを否定しているわけじゃないし、
手放しで肯定しているわけでもない。
それともランダムな法則があるとポストモダニズムは主張しているのかもしれない。 >>409
予測を当てること、改め、予測を立てること 資本主義システムがこのまま続けば家族が死滅に向かうというのは
荒唐無稽な予測だろうか。
どんな形になるかは分からないが、
吉本隆明氏が家族の本質として語った対幻想が残る可能性は否定できない。
ただしその対幻想の何が残るかは定かでない。
科学技術の進歩によって生物学的性が不要になる繁殖可能性もあるし、
人類の機械化もある。資本主義ならその必要を生み出す可能性が高い。 畜群の信奉する倫理・道徳が偽装された暴力崇拝でしかないから、それに対する不服従が「力への意志/できることをしようとすること」として表現される。 畜群の信奉する偽装された暴力崇拝は、実は、「権力の意志」というよく知られた「訳語」にも裏返して反映されている。畜群の信奉する倫理・道徳から見れば、「できることをしようとする」という生きることの基本でさえ、暴力手段を握っているわけでもないくせに思い上がって「権力を奪取しようとする愚か者の無駄で無謀な反抗の意志」に見えるわけだ。 つまり、ニーチェの"Wille zur Macht"を「権力への意志」と訳すことは、とりもなおさず、ニーチェの畜群道徳に対する批判に畜群道徳で応えるという、畜群として「道徳的に正しい」矜持を示していることになる。 共産党は安倍の働き過ぎを一番気遣わなくては
いけないんだけどなあ
労働問題として斬ったら拍手喝采だった
やっぱ思考が甘いか 必死で大多数の国民の利益に反する仕事をされても、迷惑が大きくなるだけだな。 そういや労働者が意図的な不作為でもって資本家
に損害をあたえるという戦略があったな
お爺ちゃんも現役時代はずいぶんやったんだろう
孫にも教えているんだろうか >>422
日本ではストライキが報道されなくなったね。
某出版社では、労働組合の顧問弁護士に対する個人的な嫌がらせが酷かったみたいだ。
組合すら作らせない、というのが現代のニッポン。
日本はほんとに遅れた国になったね。 60年安保をヤクザ動員で潰した時点で種は撒かれていた。 >>424
70年代ぐらいまでは経営側が、ストライキ破りにヤクザを雇うことも多かったらしいね。
学生運動に対しても、学校に雇われたヤクザや体育会の学生が動員された。
有名な事件のひとつが、1972年のチッソの社員とヤクザによるカメラマンの片眼失明だ。
新左翼運動はそうした暴力に対抗して過激化していき、自滅して行ったから、自民党政権の思惑どおりになったね。 >>425
昔の日本映画でストライキが出てくるの見たことあるけど、
結構暴力的な印象だった
名作映画で見る戦後史、みたいな企画をどこかでやってないのかな 日本人全体が今と比較すると暴力的だったからな
特に昔は酒乱とかアル中も酷かった
集団主義もすごい
労働者の運動会で勤務時間後に連日自主練習とか
ギャグだな
つまり情熱的な労働運動はそういう仲間意識の
集団主義がないと成立しない 『アルバニアインターナショナル』
読みたいなこれ
共産趣味とはよくつけたもんやな >>429
例えば日立のような民間企業じゃなくて
団体の自主的な連帯組織だよ
だからとても民主的wに自主練w
そういやお前も昭和男で酒タバコ酷いだろうが
自制しろよ >>430
それなら好きでやるんだから参加も不参加も自由だろうが、会社の運動会は家族まで駆り出されて役員を押し付けられる。
たしかに悲惨な昭和の奴隷労働者の姿だったな。 >>431
悪いが連帯している労働者のなかのひとりが
自主練をさぼったりできるわけない
甘いというかお前が一番わかっているだろw
だからこそ大規模なストが成立するのだ
いまできないのは職場の空気で強制できないから、
でしかない
労働運動花盛りは一気飲み強要花盛りであり
自主練強制の集団主義の産物だよ
今のそこらのネトウヨなんてバラバラだろ
ローンウルフだらけで個人主義の賜物だw だから左翼運動も昭和の集団主義のよくできた典型で
歌声運動なんかとおんなじメンタルだな
仲間内でワチャワチャやってその親分が日本共産党
無論そのモンスターが自民党だけどなw ああそういや一昨日うちに自民党の衆議院議員が訪ねてきたわ
いい奴だっだが、どっから住所ゲットしたのかはっきりしなくて怖いな >>432
そもそも組合主催の行事なんか、組合総会以外にはなかった。
食事とお土産が出るから参加したが、役員は一生懸命会社側と交渉してたようだ。
その組合役員は、後年、みな会社の役員になった。
だから、運動会などの会社行事に組合が反対しなかったんだろう。 左右関係なく口だけ野郎というのはいて
実際は自分は動かないからリスペクトも
されないんだよな
うわべの理屈だけ立派で、自分を偉いと思っているクズ >>435
お前の経験なんて知らんよ
語らんでよろしい 組合役員はリーダーシップや折衝の経験があるから
必要なものは経営者の才覚と変わらない
そして組織を運営する自体への情熱が本人にある
そんなことも分からないのかよ
驚愕だな ちな自主練wは某市の横つながりの実例な
会社だけじゃなくて権利なき社団も集団主義で
無茶苦茶やってる
この空気パワハラが霧散すれば労働運動も... >>440
それはたんなる田舎者の集まりだからだよ。
僕はマルクス主義者だから、田舎者をバカにしてるw アメリカの労働者の賃金停滞がなぜ起こっているかについて
主流派経済学者でさえも労働組合や労働争議の衰退を
その無視できない要因に挙げ始めているくらいだからなあ。 集団主義というのは、マルクスの資本論を挙げるまでもなく、
資本制生産様式が労働力を組織するために必要とした規範の一つだね。
IT化が進んでいる今でもこの規範を捨てたがらない企業が多い。
このコロナ禍ですらも。
その集団主義が同時に労働組合の組織化にも貢献して労働者の賃金上昇に役立った。
中流階級の発達に役立った。そして資本制も延命した。 >>424-425
そういう現象はマルクスとエンゲルスが生きていた時代にもあったのかもね。
で、労働者階級意識を持たずに政治的に反動的な勢力から容易に買収される社会層を
ドイツ語で「不均一なプロレタリアート」つまりルンペンプロレタリアートと彼らは称し、
反革命的な層だと見なした。
そしてマルクスはナポレオン3世をルンペンプロレタリアートの親玉だと称した。
今日の言葉でいえば右派ポピュリストを支持する層かな。
興味深いのは「金融貴族」がルンペンプロレタリアートに含まれていること。
一方、アナキストや毛沢東はルンペンプロレタリアートは適切に組織されれば
革命的な層になると見なしていた。
これに倣ったのがブラックパンサー党やヤングローズ党か。アフリカ民族会議は? アダム・スミスの時代は素朴で牧歌的な分業論の生産様式だったけど、
マルクスの時代になると集産が一般化し、大規模な工場に労働者が集められ、
生活時間のほとんどをそこで集団で過ごさせられるようになった。
無駄口は罰金、トイレの時間まで決められていた。
これがテイラー主義と融合してコーポラティズムやファシズムになっていった。
労働者はまるで軍隊のように組織されることが理想とされ、
明日の労働者の製造工場として学校教育もまた刑務所や軍隊のように組織された。 民主制国家の国民を育てているはずなのに
学校が非民主的に生徒を管理しているのはそのため。
民主主義というのは管理される側が管理の決定に参加できることを言うが、
学校はそれに反して民主国家的ではなくむしろ資本制企業に近い。 >>447
民主的な教育が行われていたのは、昭和30年代後半だけだね。
その時教育を受けた世代が団塊世代。
団塊が過ぎると日本から民主主義が消えていった。 団塊は数が多く年齢的には現在の日本の富の
かなりの部分を握っている
団塊ジュニアも数が多く現在の企業の第一線
いい加減な世代論をやるとブーメランになるだろう
自分の過去を美化したいのは戦前譲りの悪癖かなw >>449
日本の富の多くを持っているのは、年代に関わらず富裕層w
団塊は年功賃金の最後の世代だから、定年まで同じ企業で働いていた人はそれなりの貯えがある。
公務員はいまでも年功賃金で、退職金、年金も現在では勤労者のほぼ最高水準。
ちなみに、団塊世代に相対的な余裕があるのは、その後の世代が闘う組合活動をやめてしまったため。 団塊の集団主義で他の世代を圧迫という話
を自画自賛しても美化でしかない
空疎な観念に溺れて過去を美化する醜い人間
はこれからの社会には必要ないな
超越者がいないと不安で仕方がない
マルクス崇拝者の帰結 >>452
団塊は集団主義ではなく、個人主義。
その後の世代がだんだん集団主義化している。
だから、空気を読めとか、忖度とかいうことがまかり通っている。
団塊後の世代は、自分で社会を作るという意識がなく、独裁者探しと悪者探しで日々の不満を逸らしている。 意味不明な歴史観でワロタw
仮にある社会がある世代の登場後に悪化している
として、その最も影響力の大きな世代を
悪化要因として思考できない人間がいるとは
それならばと、その美化された世代への全面的
肯定の評価に何かしらの陥穽が潜んでいると見
るのが普通の思考力だ
もうめちゃくちゃ ちな団塊の若い頃の価値観は、その後の世代と比べて
会社人間で家庭の優先順位は低い、古い価値観で、
一方、ポスト団塊は会社と自分を一緒くたにしない
など、集団主義の強化とは程遠い
こういうのは調査されていること
で、全体として個人主義は戦後ずっと伸長しているので、団塊の価値観そのものがゆっくりリベラルに変化
していったともいえる
その意味では団塊自身が持っていた過去の価値観を
忘れていて、今から過去を美化している可能性が高い
若い頃からワシは変わっとらん、というわけだ
そういや団塊世代の教育が放任気味というのは
なにかのデータであったっけな
自身が競争の激しい環境で育ったことと関係
しているのかもしれん >>448
そこでおっしゃる民主的な教育が何を意味するのか定かでないですが、
資本制国家の学校教育システムが民主主義を採用するのは極めて例外的だと思います。
団塊世代と言えば学生の自治を求めて学園紛争をした世代だったと思われますが、
その時代に比べて学生の自治が失われてきたという事でしょうか。
学生運動が弾圧されて以降、後に管理教育へと結実する過程が連想されます。
結局、自由主義や民主主義を掲げる資本制国家も学生運動を弾圧してきた歴史を持っていますね。 プログレッシブなのってデューイみたいな教育だろな
ただ公学校は民主化の中身は置いといて
昔よりリベラル化しているわな
特に男女差別はかなり変わった
昭和の学校の大半は戸塚ヨットスクールみたいなもんだから
お爺ちゃんも女性蔑視で家事スキルも低いだろうし、年功序列大好きの会社人間で独立自営業者を銭ゲバとして軽蔑しているんだろう
俺が会長している自治会でも口だけ偉そうで
自分じゃ動かない団塊会社人間だらけw
たぶん彼らも暇つぶしに陰謀論本読んでるw 学生の自治ってまあ訓練にはなるが
それ以上ではないわな
初等的なリベラルアーツ教育では
うまくいくかもしれないが
何にせよあくまで教育目的だな
簡単な話だが完全学生自治で他大学を抜く
学問的成果が出れば、みんな真似するだろうから
さっさと成功すればいいw
激しい学生運動そのものは秩序破壊作用や教育機能
があるからたまにはいいしそれが普通
ただ恒常化はその効果がかえって減じて、
学生自体が単に疲弊するだけだろうな 団塊爺は若き日のお祭り騒ぎを美化して何かしたような気になってるw お爺ちゃんは動員について思慮が浅い
兵隊として動員されているのに自主的だ、
抜け出せたがしなかっただけ
と思い込んでいるんだよ
戦地なら脱走すればいいとか口だけは威勢のいい
こと言っている馬鹿 >>463
そんなことじゃなくて、君自身に学生運動の経験があるかどうか聞いてるんだけど? >>464
誰と勘違いしているんだよw認知能力落ち過ぎだ
そういや世代のエリートには珍しく大学マウント
ないから高卒でしょ?
大学生活や学問の話一切しないから分かるよ
異常な独りよがりも、アンチエリート感情も
それで分かる >>465
君は学生運動やったことがないのに、学生運動について語ってるの? どうやら何の意味も無かったお祭り騒ぎを馬鹿にされたことが余程悔しかったらしい
おじいちゃんの大切な思い出を傷つけちゃった?w >>467
いや、そんなことじゃなくってさ。
君が語る学生運動が、君の体験なのか、脳内運動なのかを知りたいんだよね。 資料に基づいた客観的事実を述べてるだけだよw
全共闘に参加したものにしか分からない神秘的体験には興味ありませんwww >>469
やっと吐いたねw
学生運動の資料というのは、実はガリ版刷りが中心なんだ。
活字化されたのは、おそらく10万分の1にも満たない。
国会図書館にもないから、当時の経験者の中で収集癖を持ってる人に見せてもらうしかない。
資料に基づいた、なんて嘘をつくとすぐわかるw
客観的な事実を書いた資料などどこにもない。 >>470
山本がガリ版を収集して本にしてなかったか >>471
知らないけど、もし数冊程度なら、その量ではとても客観性を担保できないんじゃないかな。
ハイデガー全集ぐらいの量を集めて、やっとなにかが見えてくるんじゃないのかな? それじゃ客観的事実から逃れられないよw
全共闘もシールズも馬鹿のお祭り騒ぎに過ぎなかったw デューイの教育論はプチブル的ユートピア社会主義や修正主義を
意味するものであって、教育の民主化とは異質だね。
資本制学校の反民主制をごまかすためのプチブル的偽善のなせるもの。
つまりディーイは、暴力で労働者を押さえつけるのは非効率的であって、
心理学で労働者をマインドコントロールしたほうが効率的だと考えただけの教育論者。
彼が教育の民主化について真剣に考えた痕跡は見当たらない。 資本主義諸国は自らが歩んだ過去を忘れるか意図的に隠蔽し、
もとから自分たちは民主的で人道的であったかのように振る舞っている。
マスメディアは今の香港で起こっていることを
共産主義と民主主義の対立だと喧伝し、
1967年に香港で起こったこと、それを英国香港政府が弾圧した歴史を報じない。
あいかわらずのダブルスタンダード。 あらゆる党派に対して ― 羊飼いでも、いつも先導羊を必要とする、
― さもなければ彼自身ときどき羊にならなければならなくなる。
ニーチェ著、『善悪の彼岸・道徳の系譜』、p.142 正しく誘導するリーダーを与えてあげることと、うまく挫折させてあげることが、
あらかじめ用意された「慰め」であり、群れの個体の性質を把握しておく貴重な機会にもなるのです。 群れをうまくまとめて扱いやすくしてくれるなら、軍事独裁政権だろうと、
それに抗議する民主化リーダーだろうとどちらでもいい、
というか、どちらもともにうまく役立てる必要がある。 弾圧の悲劇も、革命の成功もドラマとして必要なのですよ。
あまりにも同一テンプレートを繰り返しているうちに、
もうかなり飽きられてしまっていますが。
「悲劇」は演出しやすいが、「成功」の成果を持続的に実感させることは難しいからね。 今日では民主主義の大前提だとされている普通選挙権はそもそも
資本主義システムが必要としたものじゃなかった。
資本主義システムはそれを長らく拒んでいたのであって
資本を有する特定の階級だけで選挙権を独占する、ブルジョア独裁の民主集中制だった。
だから共産主義運動は何よりも普通選挙権を勝ち取るための闘いとして始まった。
普通選挙権は共産主義的発想がなければそもそも成り立たず、市場原理からは生まれてこない。 開発途上国で成立した共産主義政権は自分たちの国を急激に資本主義化するために
ブルジョア独裁の民主集中制を模倣した。
それは資本主義化過程の根源的蓄積の残虐性を圧縮した模倣にすぎなかった。 >>472
あれほどの仕事を知らないとか、ありえないでしょう 美化した自分の武勇伝を相対化してしまうような
資料は、存在しないものとしまーす >>484
ハイデガー全集を持ち出すのが教養趣味?
マルクススレなのに? 政治・法・文化などの上部構造は経済的な構造(下部構造)によって規定されている。個人の理性的な判断や主体的な行動えさえ、社会の経済構造に何らかの影響を受けていることを意味する。とマルクス先生は言うわけだ。
他方、構造主義という考え方もある。個人の行動は社会の見えざる構造によって無意識のうちに規定されているという考え方だ。これは、社会関係こそが意識の在り方を決める、というマルクスの史的唯物論とかなり近い考え方だ。
が、ちょっと違うところは、構造主義においては、個人の行為を規定する社会構造は意識されないため、これを自覚的に変えることは難しいと考えられている。構造主義によると社会はどうせ変えられないという実感と結びつきやすい。
学生運動に血道をあげていた今のじい様ばあ様連中は若い頃マルクスに傾倒していったのだろうが、もし構造主義に傾倒していってたら全く違った学生時代だったかもな。 哲学の入門書を読みながら書いたんだ
間違いの点があるなら具体的に指摘してくれ >>491
人によっても違うが、大まかに言えば構造とは関係のこと。
マルクスの交通に当たる。
マルクスは経済的な面を中心に交通(関係)を考え、いわゆる構造主義者が文化的な面を軸に構造(関係)を考えた。
構造主義者が「社会構造は意識されないため、これを自覚的に変えることは難しいと考え」たというのはなにかの勘違いだろう。
フーコーなどは反権力闘争を繰り返していたし、ドゥルーズが晩年にはマルクス主義を礼賛したりもしている。
それにしても、日本の若年層はなぜ犬のように従順でおとなしいんだろう?
世界の中でも突出して権力に弱く、ときどき子犬のように甲高い声で吠えるだけだw 現代思想や現代哲学の教養本をかじった程度の理解によれば、
時系列的にまず構造主義があり次にポスト構造主義とがあったが、
これら二つは異なるらしい。
後者は前者を継承しつつもそれを批判的に乗り越えようとした試み。
後者が前者のどういう点に特に批判的だったかといえば、まさに、
構造主義の>>489的見解のバージョンに対してだったと思われる。
ドゥルーズの考えは後者に属したとされ、
構造主義に対して挑戦的であった。
フーコーの考えは前者と後者の両方に属したとする見解が多い。
そのため前期フーコーと後期フーコーという見方をする人もいる。
おそらくマルクスの考えもその両方に属していた。
マルクスはマルクス主義とマルクスは違うという言い方で語る論調が流行った。
構造主義的なマルクス主義に対して活動家としての思考に満ちたマルクスを対置したり。
そんなわけで構造主義に対置して構成主義という言い方も流行った。
その一方でポスト構造主義による構造主義批判は誤読や浅読みの産別であり、
両者は不連続的ではなく一貫していたとするやや難解な見解も見られる。 まず構造主義における狭義の構造である、
『親族の基本構造』に触れないとな
ほんとセンスも学問もないな 構造主義 vs. ポスト構造主義
構造主義 vs. 構成主義
これらは社会思想や社会科学の伝統的な問題と関係がありそう。
哲学的には自己言及の逆理、社会学では予言の自己成就、
経済学ではルーカス批判といくらか関係があるかもしれない。
マルクス学派においては弁証法と。
自然科学がこの問題を逃れているように見えるのは
自然界のほとんどの事象は自然科学を理解しないから。
ところが社会科学ではそうは問屋が卸さない。 だから現代思想はレヴィ=ストロースに対する批判のバリエーションから成るんだよ。 構造主義とは無意識の構造のことだから
人類文化史を通して普遍性を持つという見解のバージョンは
おそらくレヴィ=ストロースから来ている。
ノーム・チョムスキーの普遍文法に近い。
レヴィ=ストロースは結局無意識は脳の構造だと言っているように見える。
他方でソシュールの相対主義的言語観があり、
それが構造主義のもう一つのバージョンをもたらした。
これがポスト構造主義と連続している。 団塊世代が会社人間で、自分の子供の教育を
疎かにしたツケが今の若者に回ってきたのかな?
実際お爺ちゃんは子供をマルクス主義者として
育てていないだろうから、継承されないわ 末裔のフランクフルト学派はそこそこいるじゃないか。本人に自覚がないだけで。 まあ言語モデルだからそうだな
かなりドライだ
先駆とされるプロップの分析も華麗だがドライだ 今は、なんでも階級で断じてた時代と違って
左翼傾向の人間はアイデンティティポリティクスの
問題圏に入るからな
お爺ちゃんはそこはイライラしっぱなしだと思う
たとえばアップルの親玉がマイノリティのリベラルの権化だし、日本のモンベルのオーナーは左翼だ
この意識の乖離は今後も変わらんだろな
社会でもっとも能力のある理想主義的な
社会改革者は多くビジネスでの創業者を
目指してしまう 団塊世代を全共闘によって特徴づけようとする考え方は限界がある。
団塊世代の主流は学生運動にかかわったこともない人々だろう。
そして全共闘はかなり雑多な思想集団で、保守派がかなり含まれていた。 >>489
あの学生運動は新左翼と言ってまんまそれ系の運動だぞ。
反帝・反スタがスローガン。
世界中がそうだった。
副島隆彦を読みましょう。 >>506
保守派じゃなくてキリスト教徒だろ。
日本の左派が非科学的な原始人ばっかなのは一神教信者と英米が組織を牛耳ってるからだよ。 トマ・ピケティさんあたりの『資本とイデオロギー』に言わせると、
階級闘争理論からアイデンティティポリティクスへの傾倒が
左派政党をダメにして格差社会が先進諸国にまで蔓延し始めるのを食い止められず、
ポピュリズムの台頭を許した、と。 >>508
全共闘世代の学生運動のリーダーだったのに
なんの思想弾圧も受けずに後に保守派に転向した人たちって結構多くないか?
彼らはもともと反米保守派だったと考えたほうがいいと思うが。 >>509
その移行はおそらくそうなんだろうが
評価は俺とは違うなw 現代思想は、反マルクス主義にかなりかぶれた。
マルクス主義の理論モデルを批判していれば知識や教養があるかのように振る舞えた。
労使協調、クズネッツ曲線、バブル景気の時代が
階級闘争を一時忘れさせてくれた。ポストモダンといわれた時代があった。
しかし現実にはその時代からすでに現代の有り様は見えていた。
左派の論客は新自由主義の台頭と共産圏の衰退によるグローバリゼーションがもたらす
不平等な社会の拡大を指摘していた。
マルクス主義ではなくマルクスが大事だという言い方でマルクスの考えは生き残っていたが、
むしろ重要なのはマルクス主義だったことが明らかになってきた。 おそらくは団塊世代の前の世代が会社人間になったのだと思う。
団塊世代のお兄さんお姉さん世代ね。
団塊世代あたりからそれがやや相対化されはじめ、
脱サラとか自給自足的なエコロジー生活が彼らの理想になった。
団塊ジュニアと言われている第二次ベビーブーマーは実は
プレ団塊世代の子供たちだったと言われている。
共働きの会社人間を両親に持つ鍵っ子世代。 マルクスの構造主義は今風にいえば進化論的構造主義。 マルクス主義のオーソドックスなバージョンがソ連型として
保守派もちろん、左派からも現代思想からも、さんざん批判を受けたが、
現実に起こったことから分かるのはむしろ
マルクス主義のこのソ連型バージョンが実は正しかったということ。
ソ連型が何かを批判者たちはぜんぜん理解していなかった。 確かに世界史上のマルクス主義の一番
大きな勢力がスターリン主義だったからな
あれと俺らは違うって話を何十年もしている
作業て感じになってるマルクス主義者は多いだろ >>508
キリスト教徒なんてくくり方が政治的に意味があるとは思えない。
ユダヤ人と似たようなミームでしかないだろう。
キリスト教徒の左派と右派では千里のへだたりがある。 スターリン主義がいったい何を指しているのかも不明瞭。 スターリン主義は分かりやすい
主義側だけじゃなくて収容所群島とか
批判側の古典的なテキストもあるから
立体的に像を結んで把握できる
マルクスと違って実際に国家を運営していたんだしな マルクス主義の経済決定論というのは、
マルクスを読みかじったかぎりで分かったことは、
非常に常識的なことをマルクスは言っていたにすぎないということ。
経済決定論というほどの強いバージョンをマルクスが論じていたようには読めない。
マルクスはせいぜい、
その時代の生産力の供給能力に見合った経済的土台に適応できる政治思想の中から
その時代の政治形態が選ばれるだろう、というくらいのことしか主張していない。
当たり前のことと言うしかない。これを認めない考え方を見つけるほうが難しい。 日本共産党は、そのことをどう評価するにせよ、企業という階層組織の解消を目標として掲げているわけではないので、共産主義ですらない。 >>505
マルクスの最大の理解者エンゲルスは資本家だよw >>521
スターリンはソ連を共産主義と見なしていなかった。これはおそらく確か。
だからスターリン主義の失敗をもって共産主義の失敗と見なすことは
スターリン主義の立場からは否定される。 >>523
マルクス主義の典型的考え方では、
歴史はイデオロギーによって実現されているわけではない。
共産党がそのイデオロギーでもって共産社会を実現するわけじゃない。
それを否定しているのがマルクス主義。 全体主義論やその分析もナチスじゃなくてスターリン主義がモデルのことが多い
世の中のマルクス主義は概ね
スターリン主義とマオイズムが二大モデル
日本だと日本赤軍かなw >>524
だからその関係性は原理的なものとして将来も解消されないということだろうな
エンゲルス的なものなしに社会運動としてのマルクス主義は立ちゆかない、ということだ 社会主義運動の歴史の中には右派的で権威主義的な労働運動が混じっていた。
プルードンがその例。彼は非常に保守主義的。労働者階級の右派ポピュリストに近い。
彼がなぜアナキストに分類されるのか、さっぱり理解できない。 何にせよいつものとおり
資本主義の成熟を定式化しないと
社会運動としてのマルクス主義は
ごまかしでやっているということになる
成熟を促進する運動であれば正しいわけなので
その内容を語らないといけない
シンプルすぎて逃げられないな
こうこうこういう改革をすれば資本主義の成熟が進む、これがマルクス主義にとって正しい、と
証明できるかどうか、そして動員できるかどうか
これ以外はオマケみたいなもん
運動じゃないマルクス主義の達成は
前に述べたように運動を必要しない
歴史の必然だから、ほっとけば遠い将来
自然とやってくる >>529
実際動員できるリーダーはカリスマで
傲慢だから当たり前じゃね
たとえばお爺ちゃんは屈強な労働者を惹きつけて
統率したりは苦手だろw >>530
これに論理的にスッと答えることのできない
マルクス主義者は長年自分自身をごまかしている
わけから、単なる悪質な信者ということ
用意していない口だけ野郎ということだ
答えようとしない院生君も小狡いガリ勉だしな >>505
> 社会でもっとも能力のある理想主義的な
> 社会改革者は多くビジネスでの創業者を
> 目指してしまう
フーコーもマルクス主義も、
社会の変化が英雄的な主体の意識的実践によって
実現されてきたという従来の歴史物語のモデルに従わなかった。
マルクスはこれから社会を変化させるのは資本主義だと主張した。
資本家はその生き残りのために絶え間ない社会変革を必要とする階級で、
彼らの生存競争が資本主義自体をも変化させ、ついにはそれを危機に追いやると。
社会変革をもたらすのは資本家自身なのだ、というのがマルクス主義の主張。 今の資本主義にとっての愁眉の急はMMT理論(現代貨幣理論)でしょ。
これが資本主義をバージョンアップするのか崩壊させるのかがわからないところ。 資本主義というのは資本家に属す生産様式が支配的になった社会のこと。
そういう社会ではプロレタリアートが、
つまり雇われ労働者がその社会の多数派を占めるようになる。
一部の資本家階級と大多数の労働者階級という二つの経済主体が主役になった経済。
日本では戦後やっと資本主義になった。
この経済システムに到達していないところでは
プロレタリアートの革命は実現せずに失敗に終わる。
資本主義の成熟とは少なくともそういう段階の社会を指している。 >資本主義をバージョンアップするのか崩壊させるのか
「資本主義」、「バージョンアップ」、「崩壊」がそれぞれ不明なので、議論のしようがない 資本主義=現在の利潤追求主義の世の中のこと
バージョンアップ=資本主義3.0みたいな形で資本主義の形態を変える事で存続させること
崩壊=資本主義が立ちいかなくなり、国家主義とかに変態せざるを得なくなること よく言われてきたのは資本主義がおそるべき柔軟性と多様性と適応性をもっているので、
どんどんバージョンアップして危機に瀕することはないというもの。
でもこれはちょっと誇張されすぎていると思う。
資本主義がある程度、社会主義的要素を取り込む能力を持っていることが確かに明らかになった。
その時代にマルクス主義はその役目を終えたと語られたし、歴史の終わり論まで登場した。
そして皮肉にもそれが資本主義の黄金時代だとも言われた。
ところが、その時代は短命だったように見える。 現実の「資本主義」体制はすべて、法制度的な強制力の行使(軍事力、警察力)と一体化した経済組織活動であって、経済活動の組織化だけ切り離して論じることはできない。 >崩壊=資本主義が立ちいかなくなり、国家主義とかに変態せざるを得なくなること
すべての「資本主義」は、国家主義か、国家協調主義だろう。 よくある誤解は、資本主義の敵がマルクス主義だというもの。
マルクス主義が資本主義を擁護していた歴史的側面は無視される。 気候変動のせいで自衛隊員やお巡りさんは災害救助隊になりつつあるので
強制力が弱まっているように見えるのは楽観的過ぎか。 MMT論者で言えば、ビル・ミッチェル氏がマルクス主義コミュニティから
いくらか好意的に見られていた印象がある。 >>542
ここがもし香港だったとしたら、警察官は警察官として
学生運動家を逮捕する勤めに正義と良心を感じただろうか。
それとも時の権力にカネで買収されたただのルンペンプロレタリアートだろうか。 日本や韓国は警察官の学歴がまあまあ高い/結構高い
らしいが、中華圏における警察の地位がどんなもんかわからんから何とも。 資本主義の延命措置もそれはそれで結構なこと。
それが資本主義を社会主義的に修正するのは労働者階級にとって不利益ではない。
健全な資本主義が新自由主義によって汚されてしまったという議論がいまだにあることが
その唯一の実害かもしれない。 社会主義とか共産主義とかの実現には
供給能力が需要能力を上回るそれなりの物質的繁栄が必要。
マルクスの言い方を借りれば、必要労働から解放されて
個人が余暇の開発に従事できるようになること。
マルクス主義にとっては脱希少性経済が共産社会の条件だった。
これがあったからこそレーニンもスターリンもソ連を
共産社会とついに呼ぶことができなかった。
社会主義に到達するのさえも非常に困難な道があると
レーニンは考えて亡くなった。 ロシア怖いなあ
スターリン主義の国だけあるわ
日本は与野党対立も実はつうかあ バノン捕まったな
反中共華人と組んでたから中国も注視してんだろな 社会主義政権は欧米資本主義先進諸国がそれらの政権を失脚させようと
あの手この手で画策していたからずっと非常時体制を強いられてきた。
スターリンももしかしたらそれで疑心悪鬼な状態に追い込まれていたんだろうな。
その前にテロがあったし、彼も殺されていたかもしれない。 近代の国民国家が悪という思想から見れば
そんなのどうでもいいんじゃないのかな
誰が失脚だの 「あくき」じゃ変換されないから、「あくおに」と読んでいたのでわ? そうかもね
ま、なんの前提もなく、史記は小説だ!といって
己を疑わない人格だから、おびただしい勘違いを
偉そうにばら撒いてきたんじゃないのかな 格差問題について、例えば、100億円の総資産を所有する超富裕世帯が存在し、
その一方で資産はなく、借金だけで、貯金もなくその日暮らしの世帯も存在する。
裕福な暮らしを維持するにしても、そのために一世帯で100億円もの資産を必要とするわけではないのだから、
1世帯が所有することが許される資産総額10億円に制限して、90億円の資産を没収して貧困世帯にそれを再分配すれば、
より多くの人々がより平等に、より豊かに暮らせるようになるはずだ、というのが再分配論者の主張だろう。
ところが、そのような主張は、例えば、90億円の資産の没収をどのようにか法的に正当化することに成功したとしても、
その没収した資産を成功裏に運用できることを確実する具体策なしには無効であり、無意味である。
没収した90億円の資産が数億円単位のダイヤモンドなどの宝石類、世界的に有名な画家によって描かれた絵画などから構成されていたとして、
その資産を分割して多数の世帯に再分配することは当然、不可能だ。絵画は美術館に展示することができるだろうが、
その展示によって維持管理費や警備、保険の費用を上回るような収入が得られるのか。
宝石類は、数億円程度のものであれば、展示の費用に見合う集客も不可能だろう。
では、競売にかけて、その売り上げを人々に分配するのか?
しかし、世帯が所有することができる資産総額を10億円までに制限したのではなかったのか。
その限度内で資産を保有するために誰が数億円の宝石類を所有して、
安全に保管する費用を負担しつづけることを合理的であると判断するのか。 2020年ヴェネツィア国際映画祭で上映される予定の『ミス・マルクス』の予告編。
https://youtu.be/I81rfcu21z8
カール・マルクスの末娘ジェニー・ユリア・エレノア・マルクスの人生を描いた伝記映画。 コンデナストだっけ
リベラルエリートメディアの牙城 発想を変えるんだ。そして知るべきだ。
労働争議がどれほど資本主義の繁栄を助けてきたかを。 木を見て森を見ず、ではいけない。
ミクロな利害闘争がマクロ的にはシステムを安定させる。
それを間接的に教えてくれたのは近代資本主義思想の父アダム・スミスだろう。 まずは自己の正当な権利を主張すべきだろう。
自宅からテレワーク?
であれば、自宅をオフィスとして徴用する費用を雇用者である企業が負担すべきであり、
被雇用者がその全額を企業側に請求することが正当であり、オンライン授業において学生の生活環境を教室として利用する場合も同様だ。 被雇用者であれ、学生であれ、規制によって生じる負担を組織が、組織化されていない個人の側に押し付けることを当然のこととして受け入れさせ、
そのうえで多少の手当てを求めることを提案しているような連中が、「リベラル」、「民主主義支持者」、「左翼」、
「マルクス主義者」などを自称したところで、そのような連中は自らの道義的立場の破綻を証明しているだけだろう。 >>567
そんなに通勤、通学したいの?
俺は自宅の方がいいけどな。 そうではなく、これからの時代は、全頭個体管理が不可欠になるので、その環境に適応してもらうためにテレワークやオンライン授業を実施しているのであり、
被雇用者や学生にはその環境に自主的に適応してもらう必要があるというのであれば、そのことを明示すべきであり、
全頭個体管理が誰によってどのように行われ、その運用は誰によってどのように決められるべきなのかを全面的に議論すべきだろう。 >そんなに通勤、通学したいの?
論点にすらなっていない詭弁 >>569
全頭かどうかは別にして、個体管理はそれぞれの雇用者、学校経営者によって、その勤務時間、授業時間について行われる。
全頭個体管理は全体主義国家の目標ではあるが、実現させるのは困難だろう。 >>570
リモートワークなどは、個人に負担がかかる面と、個人の負担が軽くなる面がある。
個人の選択にまかせればいい。
費用負担については協議が必要だということ。 組織の一方的な命令指揮系統の下で働いている被雇用者に個人の選択の自由など存在しない。 >>573
勤務日ごとの選択を認める企業も少なからずある。
学校ではさらに多い。 企業は、被雇用者の人事権を握っているし、学校側は、学生の成績評価や推薦などの権限を握っている。組織に不都合な選択をする個人に報復する手段はいくらでもある。 >>575
事務系では基本的に在宅勤務が不都合だと考える企業は少ない。
交通費も不要になるし、事務所スペースも小さくできる。
日本で在宅勤務が進まないのは、日本人特有の平等意識から。
日本人は富裕層や官僚などの特権階級には平等意識を持たないのに、同じ労働者間だと不公平という不満が強く出る。
学校にも同じことが言える。
不登校などに対する対応として、在宅学習が最適なのに、横並びを強制したい学校がそれを拒否してる。 一概には言えないけど、情報処理技術者を対象にしたある調査結果によれば、
緊急事態宣言解除後でもテレワークの継続を望む労働者が多かった。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000612.000001264.html
調査会社ギャラップがイギリスとフランスで調査した結果も同様の傾向があるらしい。
こちらは半数ちょっとがCOVID-19禁令解除後も遠隔勤務を続けたいと答えている。
ただしこれらの調査はコロナ危機が完全に終息した後もそうしたいかまでは明らかにしていない。
在宅勤務・遠隔勤務が労働者側にとってメリットとデメリットのトレードオフ問題を引き起こす場合、
それらをできるだけ区分して特定できるような形で労働者の意向が確認できる社会調査をしてほしいものだ。 うちは真ん中くらいかな
騒ぎで制度も意識も技術も全て確かに進んだ
ただ別の競争が待っているだけだとも思う
これは教育も同じで
在宅学習は格差社会を推進するだろう
ネオリベ的発想だ 学校教育は階級格差を正当化するイデオロギー装置の役目を果たしているので、
リベラルが主張ほど平等化に貢献していない。むしろ格差の固定に役立っている。 日本の昔のマルクス主義者は全部その発想で済まそうという傾向があった、と概論日本思想史にあったなw
お前にはとっておき、お気に入りの理屈なんだろうが
はやく家庭を持って自立しろよ 学校教育は資本主義的生産様式を模倣するように作られていて
子供のうちからそこでの規範や習慣が当たり前だと思わせる
イデオロギー的洗脳機関として機能している。
1. ヒエラルキー的命令に服従することを子供のうちから当たり前だと感じさせること。
2. 何があっても会社や工場に通う習慣がごく自然のことだと感じさせること。
3. 人間を規格化し、競争させ、ランクづけすることが当たり前だと感じさせること。
4. 学校を通して積み重ねられた差別や格差は自然で当然な階級格差だと感じさせること。 学校が生み出す格差が実はその子が親から引き継いだ階級格差を
かなり反映・反復しているということが実証的に明らかになってきた。
学校教育制度は階級格差を弱めているのではなく強めたり固定化している。
それがピエール・ブルデュー以降の研究成果だった。
かつては日本にはそれが当てはまらないと言う人々が多かった。
欧州は階級社会であって日本はそうではないからと。しかしそれは嘘だった。 日本の昔のマルクス主義者に学校教育が階級格差を固定化したり再生産していることを
論じている人がいたか? いたとすれば名前を挙げてほしい。 日本の言論界はむしろ階級に還元するどころか階級を語ることを禁句にしてきた。
階級の再生産が日本の社会にはまるで存在しないかのように。
それは遠い外国の話であるかのようにね。
一億総中流意識が意識の上でだけ作られたのもそういう背景がある。
海外の社会科学のほうがむしろオープンに階級を論じているし、
英文の記事でもclassという言葉をよく見かける。
日本ではマルクス主義者以外に階級という言葉を使う人が皆無。
マルクスを語る人でさえも階級と言わなくなった。そういう日本のほうがむしろ異常。 資本主義的秩序がどう再生産され、永続化されているのか。
秩序は人間を離れて存在するものじゃない。
人間主体をそのように手なずける生産プロセスがないと秩序の永続化は機能しない。
秩序を永続化するためには子供のうちからその秩序を体に叩き込むことが行われてきた。
資本主義はそういうディシプリン装置を発達させてきたんだよ。 >>583
マルクスを読んだことがる人なら、普通に言ってた(言ってる)ことだけど?
とくに60年代の学生運動ではそれはあたりまえのように語られていたらしい。
有名な「自己比定」という言葉は、その階級上位にいる東大生や東大教師たちが自分の立場を否定するために言いだしたそうだ。
最首悟なんて人の本を読むと、そんなことが書いてある。 直線的な頭でっかちだな
IT革命のとき院生なら、これで格差是正だ!
悪しき平等から解放だ!とか言ってるんでは?w
肉体労働経験なし
海外生活経験なし
家庭どころか自立していない
まずお前自身をリモート教育でどうにかしろよ
マジで >>587
「自己比定」 ー> 「自己否定」
ごめん イデオロギー階級論法なら
大学院も学問も出版も
資本家の餌で大差ないという極論になる
アンチ平等のネオリベだって個人の賛美だぞ
もっと立体的に見ろ
海外では論じられているとかお前の
専門のなかの不満を勝手に社会に投影するなよ 小学1年生の子はその出身家庭の経済格差を反映した文化格差をもって学校に入学してくる。
学校教育はその格差を是正するようにはできていない。
むしろその格差を強化する。
労働者階級の子供たちは学校で罰されたり無能のレッテルを頻繁に張られる経験を繰り返し、
そのことによってますます劣等感や無力感を植え付けられていく。
そして学校教育過程を通じてそれが繰り返されて行くことでその初期条件の格差は拡大するんだよ。
最終的に既存の階級格差を学校教育の権威を受け入れるとともに受け入れるように洗脳されてしまう。 リモートの格差はとっくに問題化してる
知的作業やマネージメントは自由度が増すが
結果、リモートできない作業を受け持つ
だけの人々が機能的に分離されることになる
リモートは効率化だぞ?
その効率化が何をもたらすかくらい誰でもわかる
二面性がある
働けよ、労働しろ >>590
個別の個人を語ってもなんの意味もない。
たとえば日本の学校教育は自民党政権という資本主義政権によって作られているように、世界でも資本主義国は資本主義の価値観で、社会主義の国は社会主義の価値観で教育がなされている。
あたりまえのことだろ? >>591
お前はガリ勉だったけど、稼げてないじゃん
勝ち残れてない
近所の刺青入れた鉄筋工は家建ていい奥さん
貰って楽しくやってるぞ? >>587
少なくとも階級の再生産論を体系的に論じた人はいなかったでしょう。
日本からそういう研究は出てこなかった。
自己否定論はせいぜいエリート批判程度のものでしょう。 >>592
事務職と現業職は昔からはっきり分かれてる。
営業職と総務職が近くに座っていたとしても、仕事が混在するわけではない。
働かなくてもいいけど、想像力は働かせろよ。 >>595
もともとマルクスは労働者の再生産という言い方をしていたんじゃなかったかな? 古い階級還元論法は本読んでりゃ誰でも気付く
お前みたいにフーコー読んでなくてもなww
単純な管理社会批判で偉そうなこと抜かすな
肉体労働もロクにしたことないもやしっ子が >>595
労働者の再生産というのは、教育とか家庭とかについてのことね。 >>598
誰に言ってるのかわからないけど、肉体労働したからって偉くないよw >>596
アホか
それがもっと進むという話でしかない >>590 >>592は、何が言いたいのか、さっぱり分からん投稿。
行間で語りすぎている。エスパーでないと読み取れん。 >>601
営業職という現業と総務職という事務職では、どちらが階層上位だと思う? >>602
1 お前のおバカな学校イデオロギー論を進めるとネオリベに通じる
2 リモートも同じように格差が広がる面がキチッとある
3 そんなこともわからないお前はガリ勉 海外では教育と階級の再生産理論が1960年代末から活発だったんだよ。
日本ではまったく論じられてこなかった。マルクス主義者の間ですらも。
ブルデューの名を日本の学術界で目にするようになったのは90年代末以降。
30年間も空白があった。 >>606
君が知っているなら証拠を挙げてごらんよ。 >>607
60年代の学生運動に関する同時代資料を少しでも読んでごらん。 新自由主義批判は物事の表層を批判しているだけ。
新自由主義? は? いいかい、それを資本主義というんだよ。
正しい資本主義が新自由主義に歪められただって?
おめでたいね。
まだそんな呑気なことを考えていたのかい。 まったくない証拠をお前がまず出すべきだがな
そもそも俺は階級還元論法についてだし
記述のソースは概論日本思想史だと述べている >>608
そこに学校教育が不平等を再生産していることを論じたものがあった?
ブルデュー社会学を論じていたマルクス主義論客がいたかい? >>609
みんなにとって持続可能な資本主義が、よい資本主義
失業しても、自分にあう職や、能力開発のチャンスがある
それを求職も訓練も全て資本家の洗脳だというのが
バカの還元論
じゃあガリ勉の子供に学費ヒイヒイ払っているお前の
親をそんな洗脳から救ってやれ!助けてやれ! >>611
我々はぁー 資本のためのぉー 労働者の再生産をぉー 目的としたぁー 大学教育というものをぉー 断固ぉー 拒否してぇー ・・・・
よく聞いたような気がするなw 学校が実は資本家に都合のいいように管理されている
という議論をブルデューにすり替えるってコイツ
ほんとに汚い奴だなw
さっさとその酷い学校システムから出て生きろよw 受験戦争批判だってま、そういう発想だわな
日本株式会社の兵隊養成っていう議論だろ
お前はさっさと大学辞めろ
どこでも本は読めるんだから屁理屈言わずに
退学しろ ロックダウン下で起きた教育格差は、
オンライン教育へのアクセス格差だろう。
労働者階級は古い教育資源しか与えられていない。
アッパーミドル以上はCOVID-19危機以前からすでに
古い教育資源以外への豊富な教育アクセス権を持っていた。
オンラインも含めてね。 海外では普通に論じられていたことが日本ではこんなに炎上しちゃう。
これがその証拠。マルクスのスレッドでさえも階級を論じると炎上する。
これが日本の現状。 >>614
違う話なのか?
まさに階級の再生産の話だぞ?w ボウルズとギンタス両氏は40年以上も前にこう書いていた。
{本書では、教育制度に分析の焦点を当てるが、アメリカの教育政策は、
学校教育が、ヒエラルキー的に管理され、階級的に分化した生産体制に
ふさわしい労働を生産するという役割を果たすということによって、
その効果的な範囲はきわめて限定されたものになってしまっている
ということを論証する。技術や人間性などではなく、
資本主義が制約要因なのである。}
p.33『アメリカ資本主義と学校教育I』翻訳:宇沢弘文 ボウルズとギンタス両氏は、
学校教育が果たすとアメリカ的リベラルに信じられてきた階級格差是正機能に
このころからすでに否定的な見解を示していた。
彼らがそこで論じたのは学校教育が資本主義的ヒエラルキーの秩序を
その中で養っているということ。
マルクス主義者でなく、あの宇沢弘文さんがこの書を翻訳しようと思われたのも驚くべきことだが。 『アメリカ資本主義と学校教育I』(岩波書店)翻訳:宇沢弘文
p.75{しかし、進歩主義的教育改革運動の歴史を振り返ってみると、
教育制度の「啓発的な変革」は法人資本主義体制のもとでは、
決して受け入れられないことを示している。}とも彼らは書いていた。 アメリカはいまでも共産党は違法という後進国。
そんな国の教育が資本主義に反する民主的で自由な教育であるわけがないw 1954年のコミュニスト取り締まり法ね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Communist_Control_Act_of_1954
労働組合の中から共産主義の影響を排除する目的がその発端だったらしいね。
アリゾナ州の連邦地方裁判所が1973年に
共産党が選挙に参加することを禁ずるのは違憲にあたる
と判決を下しているらしいね。それもにかかわらずまだ廃止されていない。
複数政党制を認めることが民主化の条件だと言われることがあるけど、
ある種の政党を国体に反するとして排除していれば同じこと。
資本主義圏には基本的に資本主義を支持する範囲での衛星政党が複数いるだけのことになる。 USAという国は個人に多様な選択肢を与えているように見せかけている国だけど、
実際にはそうでもないんじゃないかなあ。
共和党候補か民主党候補かの選択肢なんて白味噌か赤味噌かの味付け選択程度のものだし。 法人資本主義体制という点ではアメリカよりも日本のほうがさらに強力。 毛沢東が影響を受けた唯物弁証法の事が書かれてる著作ってありますか? へー、詳しいね。毛沢東が影響を受けたバージョンの弁証法的唯物論? EUもナチス禁止しているけどね
つまりは全体主義禁止ってことだな ナチズムやファシズムは国家全体主義そのものが理念だが、
社会主義や共産主義は経営の民主化が理念。
ブルジョワジーがその財力と武力で弾圧しなければ
国家権力に頼る必要がない。この違いは大きい。 畜群の倫理・道徳というのは、偽装された暴力崇拝に過ぎない。
誘導されるとおり群れのなかでおとなしくしていれば、
害獣として駆除される可能性は免れるだろうという望みを頼みにしているだけで、
畜群として管理されているのだから、いくらおとなしくしていたところで、
管理の都合や順番により食い物にされるのだ。
都合や順番により食い物にされることになった群れの「仲間」の姿を目にして、
その「運命」を憐れむとともに、それが今回はまだ自分の番ではなかったことに感謝するだけである。 抵抗して虐殺されるよりも
無痛死の最後尾に並ぶ方法を考えたい その感謝と憐れみを分かち合おうとしないことが、不遜であるとされるのである。
だから、「できることをしようとすること」が、
畜群管理を覆すような力が自らにあると愚かにも信じ込む「権力への意志」と見なされる。
「権力への意志」という表現は、「できることをしようとすること」の畜群的翻訳である。 静かに黙って与えられた「運命」を受け入れることが清く正しい態度であり、
与えられる「運命」以外に何も望まず、感謝と憐れみを分かち合おうとすることが、
敬虔な善良さであるとし、それに反して、「できることをしようとすること」は、
いましむ/いむべき野放図な欲望の表れであり、群れ全体を破滅的な危険に晒す「悪」であるとするのが、畜群を導く禁欲主義的僧侶の教へである。 その都度、見舞われる「危機」は違っても、テンプレートは変わらないのである。 https://youtu.be/pvjzr_5lJk4?t=256
日本の場合、学力格差が経済的格差の背景を持つことが
学術界に登場したのが20年前とこの動画の人もおっしゃっている。
しかし本当は50年前に海外の教育社会学では議論になっていたこと。
日本は30年遅れ。しかも矮小化された形で問題にされているのが実状。 この人が「マタイ効果」と呼んでいるのはそもそも資本主義の仕組み。
資本主義の競争原理は競争に格差がもともと設けられているばかりでなく、
重要なことは、スタートライン時の有利がますます有利になり、
スタートライン時の不利がますます不利になってそれらが増幅されていく、
そういうゲームが資本主義市場ゲームであること。
これがマタイ効果で、
資本主義はそのような市場ゲームをそもそも採用している経済システム。
資本主義の変更なしにこの彼の研究と取り組みは徒労に終わるだろうと予想できる。 学校教育そのものがマタイ効果によって作られているシステム。
経済資本または文化資本において乏しい家庭に育った労働者階級の子供は
学校に入学したときに不利であるばかりでなく、
学校システムがその格差を増幅させる方向に働く。これが学校の持つマタイ効果。
つまり、その子は学校で罰されたり劣等生のレッテルを繰り返し貼られる確率が高く、
そのことによってますます学校の勉強が嫌いにさせられ、
自分は無能な存在だと感じさせられていく。
そのことによって自分は低賃金の労働者階級として当然だった
という階級関係をその子に受け入れさせることで学校は階級格差を正当化し、
綿々と再生産し、経済格差をますます頑固にする機能を資本主義のイデオロギー装置として担っている。 学校教育そのものがマタイ効果によって作られているシステム。
経済資本または文化資本において乏しい家庭に育った労働者階級の子供は
学校に入学したときに不利であるばかりでなく、
学校システムがその格差を増幅させる方向に働く。これが学校の持つマタイ効果。
つまり、その子は学校で罰せられたり劣等生のレッテルを繰り返し貼られる確率が高く、
そのことによってますます学校の勉強が嫌いにさせられ、
自分は無能な存在だと感じさせられていく。
そのことによって自分は低賃金の労働者階級として当然だったという階級意識を
その子に植え付けていくことで学校は階級格差を正当化し、綿々と再生産し、
経済格差をますます頑固にする機能を資本主義のイデオロギー装置として担っている。 学校教育そのものがマタイ効果によって作られているシステム。
経済資本または文化資本において乏しい家庭に育った労働者階級の子供は
学校に入学したときに不利であるばかりでなく、
学校システムがその格差を増幅させる方向に働く。これが学校の持つマタイ効果。
つまり、その子は学校で罰せられたり劣等生のレッテルを繰り返し貼られる確率が高く、
そのことによってますます学校の勉強が嫌いにさせられ、
自分は無能な存在だと感じさせられていく。
そのことによって自分は低賃金の労働者階級として当然だったという階級意識を
その子に植え付けていくことで学校は階級格差を正当化し、綿々と再生産し、
経済格差をますます頑固にする機能を資本主義のイデオロギー装置として担っている。 学校教育そのものがマタイ効果によって作られているシステム。
経済資本または文化資本において乏しい家庭に育った労働者階級の子供は
学校に入学したときに不利であるばかりでなく、
学校システムがその格差を増幅させる方向に働く。これが学校の持つマタイ効果。
つまり、その子は学校で罰せられたり劣等生のレッテルを繰り返し貼られる確率が高く、
そのことによってますます学校の勉強が嫌いにさせられ、
自分は無能な存在だと感じさせられていく。
そのことによって自分は低賃金の労働者階級として当然だったという階級意識を
その子に植え付けていくことで学校は階級格差を正当化し、綿々と再生産し、
経済格差をますます頑固にする機能を資本主義のイデオロギー装置として担っている。 イリイチのような脱学校論的に言えば宿題は出すなということだわな。
余裕のある子どもとそうでない子どもで出来がはっきりしてしまう日常学習だから。 学校の授業時間内に全部完結する方が子供にとって優しい。 個人的には塾では体罰が横行していたからダメだったと思う。 畜の再生産のための教育では天才や美人といった生まれつき高性能な子は潰される 神奈川の公立高校は比較的芸能人の輩出率が高いと思う。
私学優位と言われながら。 プッ
歴史を学ぶ為には貴重なる参考文献ではあるけど、もう左翼教授の持つゼミなんてあるの?
一般教養で非常勤が歴史講義すればいい。 もう古い哲学経済の思想であること認めないと。
それで食っている人間が共産党員であるだけのこと。
所得の低い貧困層地域ばかりに、共産党ポスターばかり。
いつの間に公明党は貧困層地域から抜け出して、自民党・公明党をある程度所得ある地域
にポスター貼ってる現実w w w w w 半自発的に貧乏する権利はあっていいと思う。
共産党と公明党がせっていた頃とは流石に違うよね。 マルクス主義者は、共産主義社会を唯一絶対に正しい社会として構想し活動してんだろうけど、
いわゆる真理主義だよな、その想定している真理を認めない人とは折り合いつけられないよな
現代哲学的では真理主義は脱していこうってのが主流だから、マルクス主義てのは、ま、終わってるんだよな リベラルデモクラシーの下でも
自由で公平な選挙が正しい、男女平等が正しい、
などといった真理はあると思う。 >>656
自民党のポスターって道端でしか見たことないけど。 >>659
問題なのは、その「自由で公平」とか「平等」とかいう言葉の中身だよ。
自由であるためには、公平であるためには、平等であるためには、どういう条件が必要なのかということ。
それを徹底的に分析したのが、唯物史観なんだ。 ポスト構造主義とロールズの正義論はほぼ同時代的なんだよな。
それなのにロールズの正義論が日本の思想界・哲学界・学術界で注目されてきたのは21世紀に入ってからで、
遅すぎないか。
ポスト構造主義が流行って廃れてからかなり後になってからだろう。
マイケル・サンデルの白熱教室以降か。 もしも、ポスト構造主義とロールズの正義論が
日本の思想界・哲学界・学術界でほぼ同時に話題になっていたら
どうなっていたかということだよな。
ブルデュー社会学や分析的マルクス主義もほぼ同時代。
日本ではなぜかポスト構造主義だけが過度に注目されて思想界を席巻していた。 おそらくは、バブル景気、消費社会ブーム、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が
ポスト構造主義となんらかの意味でフィットしたのかもしれない。
ただし、アメリカでは最近の保守派(特にオルタナティブ右派)がポスト構造主義も
すべてひっくるめて「文化的マルクス主義(隠れマルクス主義)」だと言っている。 マルクス主義を政治的に去勢した文化主義バージョンみたいな、
あるいは精神分析主義バージョンみたいな、ね。 だからアメリカ人ってバカだって言われるだよね。
アメリカ人には永遠にマルクスなんて理解できないだろうな 今、アメリカでは再び公民権運動が再来しつつあり、
世界では1960年代の政治風土が徐々に戻ってきつつある。
ポスト構造主義、正義論、ブルデューの階級再生産理論、
ラディカル・エコノミクス(分析的マルクス主義は80年代か)が
そこから生まれてきた原点に時代は再び戻りつつある。 「ポストモダニズム」が誰の造語だか分からないし、
いったい何を意味するのかも定かでないが、
モダニズムが完成し、当たり前になった社会を指すなら、
それは早とちりすぎていたのかもしれない。
モダニズムが身分社会の終了を目標にしていたのならば、
その目標が達成されたとみなすのは早すぎた。 もう削除されたけどYouTubeでKGB職員が、敵である西側の国家転覆させる為の講義
この講義内容を知っている人っている?
ヨウツベでも、削除されてしまう政治的動画。
今現在では、自由なる動画閲覧を自国内禁止する北朝鮮が、
積極的に西側へアピールする動画作成(北朝鮮労働党)に笑えるw
自由のない金王朝に亡命する奴なんているのかよ?www 西側のメディアや言論界の論調では東側のダークサイドが
あまりにも誇張されているのが実際じゃないだろうか。
ソ連崩壊前、ソ連の国民はソ連を崩壊させない選択に75%の人が投票したとも言われている。
その後は、ソ連や東ドイツへのノスタルジー現象が起こったことも有名。
例えばこの動画でロシア人が語っていることも真実の一つではあっただろう。
簡単な英語だから分かるはず。
https://youtu.be/NRB9p2isVe0 西側のメディアは旧社会主義圏でひどい目にあった人たちの声ばかりにこぞって耳を傾けて報道する傾向が強い。
それはそれで真実の一種ではあっただろうが、そこばかり強調するのも偏っている。
旧東側で多くの標準的な人たちは贅沢ではないがそれなりに安定して良好な生活をしていたかもしれない。
医療、教育、そして大学まで無料で、失業はあったとしても資本主義ほどひどいのはなかったかもしれない。
政府や官僚との間で特別なトラブルを抱えなかった標準的な人々にとってはそれなりの安定した生活が確保されていた可能性がある。
西側も資本主義の黄金時代(実は社会主義との混合経済の時代)、一時のアメリカや北欧や戦後の日本などでは
社会主義的な豊かさと市場主義的な繁栄の両方を享受した場合があり、それをもって資本主義の優位を強調する。
しかしそれは冷戦構造時代のほんの一時のことだったかもしれず、それが今明らかになりつつある時代。 先進諸国になっていた西側よりも東側が経済的発展において
もともと遅れた地域であったことも考慮する必要がある。
旧社会主義圏とされた国々は開発途上国であった。
それと先進諸国を比べるのは公平な比較じゃない。
資本主義圏においては多くの開発途上国が経済的停滞を余儀なくされてきた。
そこと比較する必要がある。
唯一の例外は東アジアの日本とアジア四小龍と言われた国々だが、
開発途上国でありながら西側の軍事的脅威に自力で対抗せねばならなかった旧東側に比べると
恵まれた条件が整っていたし、日本と韓国を除けばタックスヘイブン経済だし。 マスメディア、マスコミ産業にたずさわる人々は
大抵が大学を出たエリート階級であり、
大手に勤める人は日本の正社員の中でも高給取りであり、
言論や表現の産業で飯を食うプチブル的階級に属している。
そういう階級にとって旧東側が不自由だったのは事実だろう。
そういう階層は労働者階級目線ではなくプチブル目線でものを見る。 言論や表現の自由は重要だが、
開発途上国の標準的な労働者階級にとっては二の次だろう。
言論や表現で飯を食う人々の多くは大学まで卒業できる階級出身であり、
教育を受けるのにも苦労している労働者階級のことを肌身で知らない。
そういう階層には資本主義がすでに社会主義的条件をクリアしたように見える。
だが、実際にはそういうインフラさえ享受できない資本主義圏の人々が大勢いて、
先進諸国の中間層でさえも本来の資本主義の復活によって今そうなりつつある。 言いたいことは理解できます。
ただね、マルクス思想は「宗教」が抜けていたことです。
ソ連崩壊後、エリツィン大統領の元でロシア正教葬儀が国家として行われた歴史事実。
日本国なんて、ほとんど無宗教国家でありながら、「宗教」に一番寛容なる国家でもある。
だからこそ、「お盆休暇 ハロウィン クリスマス 年末年始休暇」行事が普通に浸透しているのです。
旧社会共産主義圏では、このような行事は禁止されていました。 ちなみにニーチェはキリスト教を批判しただけであり、決して宗教を否定していたわけではない。 共産党員主導における労働組合結成は、とことん組織自体が徐々に自滅していった運命。
これも歴史的事実。 ニーチェが唱えているのは、「『無情/misery』を分かち合おうとするな」ということであって、
「同情するな/be unsympathetic」ということではないでしょう。
"be unsympathetic"と命じているのであれば、いくら『喜ばしい知識』を人に説いたところで、
「喜ばしい」のは本人だけで、独りよがりにしかならないではないですか。 そもそも「宗教」がいったい何を意味するのかが定かではない。
保守派はソ連には宗教が欠けていたといいながら共産主義は宗教だったとも言う。
彼らの言うことは矛盾している。
宗教の歴史には他の宗教と敵対したり異端の宗教を迫害した歴史が数多くある。
「宗教」というカテゴリーはある意味では近代国家、近代社会がはじめて生み出した。
つまり近代社会では「宗教」は特殊な意味、世俗的な意味を負わされている。 >>678
当たり前。
むしろ麻原は、自身が背負った生まれ育った環境から生まれただけ。
殺害された麻原の最側近であった幹部の死殺事件。
その遺骨すら、結局は某宗教派の納骨堂に納められているそうです。浄土真宗と聞きました。
この遺骨を拾った親族がいたのでしょう。 あんな神格化して、その指導者らを防腐遺体とし公開する旧社会共産主義。
キモイです。
日本の平成天皇両陛下は、火葬を希望。
間違いなく火葬されます。(旧天皇陛下のお言葉には逆らえません) また、中国が情報が統制された国家だというのも
西側メディアによって誇張されているように思える。
少なくとも今の中国では
かなりオープンに情報がやりとりされているし、
経済学に関することもマルクス経済学一色ではなく、
西側の情報がかなり取り込まれていて客観的に議論されている。 >>681
邪馬台国時代においては、呪術で統治していた事実。
聖徳太子は憲法にまで仏教思想を取り入れた史実。
あまり偉大な哲学書だからと、難関なる文章を自身で解釈して満足する時代も終わりました。 「宗教」は近代以前には存在しなかった。
おのおのの社会にはその秩序を正当化したり統制するための
イデオロギー(なんらかの理念と正義の体系)が存在し、
それが社会構造の血液みたいに循環していた可能性がある。
近代以前ではそれをわざわざ宗教とは言わなかった。
近代以降、ある種のイデオロギーが分離されて「宗教」と呼ばれる
特別なカテゴリーにくくられるようになった。 ソ連時代にはクリスマスで、家庭でクリスマスケーキやフライドチキンなど全くの皆無。
ソ連崩壊後にできたモスクワのマクドナルドには、行列が続きハンバーガの箱すら大切に
していたのですよ。 >>687
マルクスは、「宗教は毒」だと書いてます。 >>682
1980年代以降がないのが、何よりもの証拠。
アフガニスタンに石油資源を求めて侵攻しながら、経済的貧窮で進めませんでした。 >>679
ルサンチマンとは、「『無情/misery』を分かち合っている」ようには見えない相手に対して、
「『無情/misery』を思い知らせてやろう」という意志である。
禁欲主義的僧侶は、「『無情/misery』を分かち合おうとする」ことが善であり、
「『無情/misery』を自ら進んで我が身に引き受けること」が徳であると、
自らが模範を示しながら教へ導くことにより、
人々がルサンチマンによって互いを抑圧しながら集団化して畜群を形成するようにさせる牧者の役割を担っているのである。 自らの働きの成果が得られることが喜びであるが、禁欲主義的僧侶の教へでは、
成果を手に入れようとしないことこそが善であり、徳であるということになり、
「喜び」は、せいぜい許されたものであるか、さもなければ、
「無情/misery」を分かち合おうとしない」不遜の表れ、悪徳の徴候として罰せられるべきものとなる。
「自らの働きの成果を手にしようとすること」、喜びを得ようとすることを悪徳とする禁欲主義的僧侶の教へは、
誰にとって都合がいいのか。 表向き身分制度が廃止された社会において、誰に「喜び」が許されるかが、
「身分の違い」となって表出し、その「身分の違い」は、無言に受け入れるべきものとされる。 >>691
そういえばどっかで書いてたな。
ま、あたりまえのことだとも思うが。 >>697
いまも続いてるが、一般国民に対する効果は特にない。 アメリカ共和党系のパペット政権だったのかもしれないね。 一企業単位、一企業グループ単位では、生産計画がすでに資本主義下で行われている。
これをインターネットレベルで共有することが有害だ、不可能だ、という結論は疑わしい。 マルクス主義もキリスト教会もユダヤ人が作ったねずみ講だろ
情報教材を売ってるネットワークビジネスをやってるだけ
それを貧乏人と馬鹿に売りつけてるだけ
コミケで知恵を遅れのガイジにゴミ売りつけてるのと同じ構造
以上に幼稚臭い奴らで排他的でキチガイしか集まらない マルクスは、文学的な喩法、まわりくどい言い回しをやたらと用いたので、
意味を汲み取るのが難しくて解釈に困ることがある。アスペ脳の私には。
翻訳の問題もあるのかもしれないが。 >>675
宗教は抜けてるが科学風味で科学の精神がないからほぼ宗教と同レベルの馬鹿しかいないじゃん。
疑似科学の馬鹿しかいない
化石みたい議論を永遠とやってアホだろ
だから反復運動しかできない高機能自閉症や発達障害の群れだと馬鹿にされるんだよ
アスペルガー症候群と高機能自閉症
「反復運動」と「限定された物事へのこだわり・興味」
3つの診断基準
@人とのやり取り、関わりが難しい(社会性の障害)
Aコミュニケーションがとりにくい(コミュニケーションの障害)
B興味・行動の偏り、こだわり(限定的な行動・興味・反復行動) マルクスの書いたものは喩法が多用されているので、
それを理解するのが苦手な人にはとっつきにくい。
マルクスが「宗教は毒だ」と書いたというのは初耳だが、
「宗教は阿片だ」と書いたことは知られている。
この阿片を文字通りの意味で理解していいんだろうか?
この暗喩を使ってマルクスが何を言おうとしたかが問題。 二言目にはすぐに「ユダヤ人がー」と言い出す陰謀論のたぐいも似非科学。 今でこそ阿片は麻薬として認識されている。
麻薬の持つ性質といえば、
1. 鎮痛、麻酔の作用を持つ。
2. 中毒、特に離脱時の副作用を引き起こす。
19世紀初頭は阿片の1の効用が強調されていた。
阿片は濫用しなければ非常に価値の高い特効鎮痛薬とされた。
19世紀の終頃には2の意味、麻薬の意味が強調されていった。
19世紀の初頭のイギリスでは阿片は禁止薬物ではなく安く売られていた。 阿片はその鎮痛効果が買われて多くの医薬品に阿片が使われていた。
19世紀の末に阿片中毒という概念が確立するまで阿片は薬として普及していた。
「宗教は人々にとっての阿片だ」とマルクスが書くとき、
それは「宗教は人々にとっての鎮痛薬だ」という意味合いがあったと考えられる。 禁酒運動の高まりとともに阿片の中毒性も問題にされはじめ、
次第に規制の対象になっていった。
現代の煙草と似たような時代の流れが阿片に起こったと思われる。 マルクスはどちらというとそこで宗教を擁護しているように読める。
宗教にはそれが出現する唯物論的根拠があると。
唯物論的問題を解決せずして宗教を解消させることはできない。 文明とともにはじまる教義宗教はその世俗的側面として
セーフティーネットとして機能してきた。
身分社会という格差社会+新自由主義社会にあって、
教義宗教は貧しい人々や恵まれない人々になんらかの施しを行う社会集団だった。
ただし宗教はイデオロギー的には現世ではなくあの世のユートピアを唱えた。 ダライ・ラマ14世はこのことを理解していたかもしれない。
彼は自分のことをマルクス主義者だと主張していた。 「宗教」という概念には多義性があって厳密には語れない。
近代社会以降、特に現代における宗教は、
神秘的なものへの信仰をなんらかの形でも持つ教義のことのように見える。
例えば「神」とか「霊」とか「超能力」とか。
宗教のもう一つの意味はそれと関係があるかもしれないが、
保守主義との結びつき。
しかしその一方で、教義宗教に見られるが、非常に革新的な思想の担い手になった。
紀元前からすでに身分社会を否定しようとする近代思想に目覚めていた。
教義宗教は古くからある世俗信仰に対する否定的教義を持つことがある。 >>701
ググレよ
宗教はアヘンである←マルクス
宗教は毒酒である←革命を達成したレーニン
宗教は毒だ←毛沢東がチベット僧侶を虐殺して併合
その後の歴史の流れを知るべき
以降はポルポトが極まりない虐殺(先生などと呼ばれる層を全て皆殺しすることを目標)
とにかく知識人層を虐殺し、自分らクメールルージュ党員がエリートになる社会を作りたかっただけ
要は自分たちの言うことに従う労働奴隷だけが必要であっただけ(何が平等だよ) 何度も書いていることだが、
宗派によるイデオロギーの分類は今日では政治的にほとんど有効でない。
宗派論、宗教論は、イデオロギー分析ツールとして役立たない。
それより左派・右派、保守派か革新派かのほうが
どちらかといえばより明確に政治イデオロギー現象を捉えている。
イスラム教は保守主義の傾向が強く、キリスト教右派とキリスト教左派との距離よりも
キリスト教右派とイスラム教右派の距離のほうがはるかに近い。 「宗教は毒酒」の手がかりがない。
どうやら「宗教は毒酒」がレーニンの言葉として
出典も明示されぬままネット上を一人歩きしているようだね。
レーニンは「社会主義と宗教」で確かに宗教批判を展開していた。
そこでレーニンは宗教を「スピリチュアルなお酒の一種」に喩えている。
これがソースならどこから「毒酒」などという奇妙な言葉に変わった? レーニンの宗教批判を今日の表現に置き換えればだいたいこういうことだと思われ。
宗教は現世の貧困や経済格差の問題を個人の精神の有り様の問題に還元してしまう。
そして彼らがそこから解放される可能性を「あの世」の約束事にしてしまったことで、
搾取された人々が生きているうちにこの社会の中で幸福を求める権利と運動を諦めさせ、
それらをすべて精神の問題、気の持ちようの問題、要するに自己責任の問題に落とし込んでしまうと。
現代でいえば精神医療がその役目を担うようになったね。
つまり薬物によって労働者の脳が苦痛を感じなくて済むように強化すれば、
長時間労働もサービス残業も問題にならず解決してしまうんだと。 資本主義は労働者が自ら資本主義の苦痛に適応するために機械化することを求めている。
そういうインセンティブを失業や餓死と無職の汚名と引き換えに労働者階級に強いている。 思うに、レーニンの宗教批判はたしかに宗教のある側面を言い当てているが、
それは宗教の一面にすぎない部分もある。
レーニンは宗教が持っていた保守的な面を批判したにすぎない。 >>714
>宗教は毒酒である←革命を達成したレーニン
ググッてもレーニンはそんなことは言っていないぞ(笑)!
レーニンは「Религия ? род духовной сивухи」と、『宗教と社会主義』で言っている。
「宗教はシヴーハの一種である」というわけだが、「シヴーハ」に毒酒という意味は無いよ。
シヴーハが毒酒だったら、ほぼ全てのロシアとポーランドの酒飲みはとっくに死んでいるはずだ(笑)。
あえてシヴーハを日本語に訳するなら「安物の蒸留酒」という意味だ。
今でもロシア・ポーランドの貧乏な酒飲みは日常的に飲んでいる。
日本社会での位置付けから言うと、安物の焼酎に近い存在だ。
そんなことはそれこそググッて調べれば分かることだ。
統失狂壊のセンセーの言うことを鵜呑みにしてるからこんな初歩的な間違いを犯すんだよ。
自分の頭で考えろ! 自分の目と手で調べろ!
…ところで「マルクスが、宗教は毒である、と言った」という話の方はどうなった(笑)? 宗教の体験は運や偶然に支配されるべきで、その他の宗教はクズです。 酒は、無情を分かち合うように互いを抑圧しながら集団を維持する畜群に与えられた鎮痛剤であり、もはや鎮痛効果を期待できなくなった畜群が救いを求めるべく、
あらかじめ用意されている予定された救済保護施設(有料)が宗教なのです。 宗教段階にすすむと、幸不幸もひとしおでしょう。戒厳令の様なものも必要。 日本語でも「酒をかもす」、「酒をかむ」と表現するように、
酒を造り出す作用そのものも「かみ(神)」の働きと考えられているわけで、
祀りやねぎ(禰宜)の儀式と酒は密接に結びついていた。
キリスト教の儀式でワインが用いられることがあるのもその名残でしょう。
人々の生活から独立して「宗教」という制度的な枠組みが成立したのは、
歴史的に新しいことで、それまでは祀りやねぎ(禰宜)が儀式として執り行われることが、
宗教的な実践としてあっただけでしょう。そしてそれらの儀式において、
酒が捧げられ、人々にふるまわれた。畏れ多い対象に対して酒を捧げるのが、
祀りやねぎ(禰宜≒"appeasing")のためであるとすれば、
人々に酒がふるまわれるのは、ねぎらいのため、いたは(労)りのためでしょう。
ところが、そのように用いられていた酒は、「宗教」が制度的に独立することにより、
実質的にその儀式から切り離され、人々は、祀りやねぎ(禰宜)の儀式とは無関係に、
個人的な「心の痛み」を鎮める鎮痛剤として日常的に酒を飲むようになった。
今では、組織において自らの下で働く人々をねぎらい、いたは(労)るために
酒をおごってやるという行為もむしろ、ねぎらいやいたは(労)りの行為とは見なされなくなっている。
つまり、「宗教」が禁欲主義的な教えとして制度的に成立したことと、
酒が個人的な「心の痛み」を鎮める鎮痛剤として濫用されるようになったことは、
互いに結び付いると考えられ、統治における人々の組織化の観点から、
その関係を入念に検討してみる必要があると考えられる。 >>727
大昔は、口の中で穀物などを噛んで発酵させて酒を造ったんだよ。
神とか関係ないからw くち噛み酒 といったら処女の巫女などが噛んでいたかもな。どぶろくのようなものさ。 オオカミ おおきみ とか 日本オオカミというのもいましたか。去られたようないるような。 >>728
まだそんなくだらない民間語源説を信じているのですかw >>731
くだらないのは、>>727だよ?
日本は神事とは無関係に一般庶民が酒を好んだ。
魏志倭人伝に書いてあるよw 魏志倭人伝に書いてある「日本」の「一般庶民」とはどこの誰のことですか?w >>733
読めばわかるよ。
其會同坐起 父子男女無別 人性嗜酒 やたら毒酒という解釈に反発しているけど、結局は同じことだろうに。
マルクスが宗教はアヘンと言っているように、現時代では麻薬(毒)とみなされているのと同じことでしょう。
共産党員や、過去の左翼教授らが今でも同じような反発意見するのと同じ事。
実際に共産党員や老いた左翼教授(ほとんど鬼籍に入っている)らは、宗教を毒だの麻薬などと解釈していた事実。 >>734
そもそも何を問題としているのかを理解できていませんよ?
儀式は、祀りやねぎ(禰宜)のために捧げものをすることだけでなく、
酒や食事がふるまわれることも含めた全体として儀式だった。
それが「宗教」として独立して制度的に確立されると、
なぜ「禁欲」だけが切り離されて宗教的な実践と見なされるのか。
例えば、ラマダーンにおいても、「日の出から日没にかけて、
一切の飲食を断つこと」の方ばかりが「宗教的な実践」と見なされて、
日没後に人々が集まってご馳走がふるまわれることの方は、
「宗教的な実践」とは切り離されて捉えられているわけでしょう。
「お祭り」がまずなによりも「宗教的な行為」と見なされないのはなぜなのか。 キリスト教の儀式においても「ワイン」が用いられることは、不都合な「名残り」となってしまっているのではないですか。 酒を飲むことを"intoxication"と見なすのは、禁欲主義的教へそのものですね。 日本国においても盆休暇(仏教行事)、年末年始休暇(お寺の除夜の鐘 神社への初詣)なども、
実は宗教行事(神仏)なんだよね。
クリスマスや徐々に根付いているハロウィンなども、実はキリスト教行事から端を発しているよね。
そのうちイスラム行事ですら、徐々に日本国に根付いてくるのかもしれない。 >人性嗜酒
なぜこれが、「日本は神事とは無関係に一般庶民が酒を好んだ」ことになるのか
まったく不明ですよ。
だいたい、それが書かれた古代に「庶民」などというものは存在しない。 >>738
>日本語でも「酒をかもす」、「酒をかむ」と表現するように、
>酒を造り出す作用そのものも「かみ(神)」の働きと考えられている
こういう馬鹿な話をするから、それは間違いだと指摘してあげたんだよ。
無学でも無教養でも恥じることはないけど、でたらめを書いちゃダメ。 >>743
それは魏志倭人伝の記載と一切関係なく、あなたの個人的な思い込みと
辞書に記載されている民間語源説でしょうw さすがに、「人性嗜酒」から「日本は神事とは無関係に一般庶民が酒を好んだ」と結論づけるだけのことはある。
論理性が皆無。 >>742
漢文を理解しろとは言わないが、自分が知らないことを得意げに晒すのはやめておけ。
「其會同坐起 父子男女無別」は神事のことではない。
>だいたい、それが書かれた古代に「庶民」などというものは存在しない。
これ以上恥をさらすな。
「下戸與大人相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪 兩手據地 為之恭敬」
この下戸(酒が飲めない人のことではないw)が庶民。
ちなみに奴隷は奴婢。 >>744
世界には、いまでも口で噛んで発酵させる酒がある。 マルクスが「宗教は人々にとっての阿片のようなもの」と言ったとき、
その前後の文脈からマルクスが何を言いたかったのか、
レーニンが「宗教はスピリチュアルなお酒の一種だ」と言ったとき、
その前後の文脈からレーニンが何を主張したのか、
そのことが論点になるなら分かるが、
言葉尻を捉えて彼らが宗教を害悪として頭から丸ごと否定した
と言い募るのは藁人形論法。
彼らに反論したかったら、次のような論点に反論すべきだろう。
1. 宗教が貧困や経済格差や搾取の問題を個人の心の持ちようの問題と見なす。
2. 宗教が政治問題を現世の問題ではなくあの世の問題にしてしまったことで、
現世において人々に社会変革を諦めるように宗教が人々を洗脳している。 宗教家
「君が経済的に恵まれていないのは君の精神の有り様に原因があり、
そうでなければ君の前世が悪人だったからだ。
貧しい者が救われるのは現世では心の中においてであって、
身分のない社会はあの世か神の国にしかない」
宗教家は貧しい人々にこう言い聞かせることで貧しい人々に身分社会を受け入れさせてきた。
これは正しいか? 違うか?
これに反論することでしかレーニンに反論したことにはならない。 >>736
> やたら毒酒という解釈に反発しているけど、結局は同じことだろうに。
解釈の問題ではなく明らかにデマを保守派は流布していたということ。
それが暴露された。 ソ連が崩壊したら、教会に地元住人らが隠し持っていた鐘を復活させたそうですよ? 健康を問題視されてた金正恩より先に安倍が病に倒れたか >>752
前天皇を退陣に追い込んだツケが回ったんだろ? >>746
恥をさらしているのはどちらでしょうねw
https://kotobank.jp/word/下戸-489811
>《魏志東夷伝》のそれは固有の意味をもっている。すなわち,〈奴僕〉のごときものであり,軍糧を担って諸加(首長層)とともに戦場に赴き,大家(支配層)に〈米糧,魚塩〉を供給する義務を負う存在であった。
支配層に上納する立場にあったのなら、下賜(ねぎらひ)として酒を給付された(無論、上納により造られた)と考えるのが
普通ではないですか? >>747
>世界には、いまでも口で噛んで発酵させる酒がある。
論理の飛躍もはなはだしい。口で噛んで発酵させる酒が存在することは、
「酒をかむ」という表現における「かむ」が「口で噛んで発酵させる」ことを
意味していたという証明にはまったくなりませんよ?
「酒をかもす」の「かもす」と「酒をかむ」の「かむ」は無関係だとでも言うのですか。
「噛む」から「かもす」をどのように説明するのでしょう? >>754
下戸は労働の担い手である一般庶民のことで、中には2、3人の妻を持つ者もいると書かれている。
奴隷のことは奴婢という。
反論したいなら、辞書の概説を頼らず現代語訳でもいいから自分で読むこと。
ちなみに、東夷伝というのは、歴書を書いた(採用した)王権、魏志であれば魏または西晋にとって東の国々に関する記述のこと。
その中に倭人伝(倭人の条という人もいる)があり、倭の下戸については大人との比較として簡単に触れている。
倭の下戸が、魏あるいは西晋で考える下戸とどこまで同一であるかどうかは不明。
スレチなのでこのくらいにしておくが、無知を盾に強弁するのはみっともないからやめておけ。 >>755
「かもす」「かむ」が神を表すなんていうでたらめよりはずっと自然な解釈。
「かもす」というのは「かむ」の変形。
君の大好きな辞書で、それ以外の説明をしているものはないだろうw
ちなみに、「カミ」という言葉(読み方)が出てくるのは記紀の時代からで、それ以前に「カミ」という言葉があったかどうかは不明。 >「かもす」というのは「かむ」の変形。
どう変形されるとそうなるのか、どのような理由でそのように変形されていると解釈されるのかを聞いているんだが? 朝鮮草生やしはいったい何の話してんの?
読書歴がナニワ金融道だけで古代史なんか分かりもしないクセして語るなよみっともない >>758
辞書をしっかり読んだり、国語学者に聞いてみたりすればいい。
君の欠点は、自分の思い付きに拘るあまり、専門的な研究を完全に無視してしまうこと。 そんなに辞書が好きなら、辞書を引用してあげよう。
>かむ【神】「かみ」の古形。複合語の場合にのみ見られる。
ところで、「神々しい」はなんと読みますか?「かみがみしい」ではありませんよ。
「神戸」はなんと読みますか。今の地名の読みでは「こうべ」でしょう。
では、米を発酵させるのに使うのは何でしょう。「こうじ(麹)」です。
「神戸」がなぜ「こうべ」になるのかは、それが「かむべ」と転記されたことからうかがえます。
「かむべ」は、"ka・mu・be"と発音されたわけではなく、"kambe"と発音されたことは、
それが「かんべ」にもなったことからも分かる。ところが、"kambe"という発音が不自然であると
感じられて、そのままに発音できない人々もいる。
それは今活躍している有名なフランス代表のサッカー選手の名前、"Mbappé"が現在の日本語の話者には、
不自然に感じられて「エムバペ」と言い換えられるようなものです。ただし、"kambe"の場合には、
"ka・mu・be"と言い換えられるのではなく、無声の"m"を「う」で置き換えられ、
それにつられて"ka"が"ko"に変わった。
同じことが「こうじ(麹)」についても言える。「酒をかもす」のに使われるものが「かむじ」
であり、「ka・m・ji」であり、"m"が「う」で置き換えられ、それにつられて"ka"が"ko"に変わって「こうじ」となる。 「こうじ(麹)」を「噛(か)む」から説明してみてはどうですか?w >>761
国語学的には「噛む」と「神」はまったく別の言葉。
そもそも「噛む」は名詞じゃなくて動詞。
いくら古代でも、動詞と名詞の区別ぐらいはあるw 新約聖書の神が最初に成した「奇跡」は、水を葡萄酒に変えることだった。
>The transformation of water into wine at the Marriage at Cana or Wedding at Cana is the first miracle attributed to Jesus in the Gospel of John. 人の考えることは意外とよく似ているのですよ。
人を説得する方法もね。 「かめ(甕)」に入れた水が「かみ(神)」によって葡萄酒に変えられるのですよ。
>ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
召し使いたちは運んで行った。 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。< かむ、かみ、かめ、かま
https://ja.wikipedia.org/wiki/鹽竈神社
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)
>海や塩の神格化と考えられている
>「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」を安置している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ディオニューソス
>ディオニューソス(古希: ΔΙΟΝΥΣΟΣ, Διόνυσος, Dionȳsos)は、
ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。
ゼウスとテーバイの王女セメレーの子。 この名は「若いゼウス」の意味
(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」を意味する)。
オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。< ドイツの初期ロマン主義の詩人ノヴァリスが18世紀にすでに
宗教をOpiat(アヘンを成分にした鎮痛剤)に喩えている。
アヘンは有用な鎮痛剤と見なされて多くの薬に含まれて流通していたので、
今日のようなただ体に悪い意味での麻薬と同義ではなかった。
19世紀の末に麻薬中毒という概念が定着しはじめるまでは。 今日風に言えば「宗教はロキソニンだ」
という意味合いに理解したほうがいいかもしれない。 >>769
>Wine, as well as the vines and grapes that produce it, were seen as not only a gift of the god,
but a symbolic incarnation of him on earth. However, rather than being a god of drunkenness,
as he was often stereotyped in the post-Classical era, the religion of Dionysus centered on the correct consumption of wine,
which could ease suffering and bring joy, as well as inspire divine madness distinct from drunkenness.< 巫女(かんなぎ)とは、「かむ+なぎ」のことであり、「かむ」は「神」、
「なぐ」は、「なぐ(慰)む」、「なご(和)す」、「な(凪)ぎ」などと共通。
Wikipediaからの記述を適当に拾ってみると、以下のとおり。
>神を自らの身体に神を宿す、「神降し」や「神懸り」(かみがかり)の儀式を「巫」(かんなぎ)といった。
>歩き巫女
>ワカ(若宮と呼ばれる神社に仕えていた巫女)アガタ シラヤマミコ モリコ(山伏の妻)などもおり、
総じて神を携帯し各地を渡り歩き竈拂ひ(かまどはらひ)や口寄せを行ったらしい。
>若宮
>本宮の祭神の子(御子神)を祀った神社。各地にある若宮神社、若宮八幡宮などの略。
>御子神
>御子神(みこがみ)は、神社において親子関係にある神が祀られる場合、
>子に当たる神のこと。苗裔神(びょうえいしん)ともいう。
若い女性が、神を自らの身体に神を宿して、御子神(みこがみ)を祀る神社に仕えるんですね。 似ているのにまったく似ていない。まったく異なっているのによく似ている。
何がどのように決定的に変換されて、禁欲主義と結び付いた「宗教」が成立したのか。
儀式において禁欲は「きよ(浄/清)め」のために欠かせない。
その実践を「聖」と「俗」の分離として捉えるとすれば、そのこと自体が、
既に「宗教」のイデオロギーに染まっていることを示している。
儀式においては、「けが(穢)れる」からこそ「きよ(浄/清)める」のであり、
「きよ(浄/清)ら」であるからこそ「けが(穢)れる」のだ。
新たなものを生むためには「きよ(浄/清)ら」でなければならないとしても、
生む前も生んだ後も相変わらず「きよ(浄/清)ら」であることなどあり在り得ず、
生んだ後には必然的に「けが(穢)れている」、
とする『ツァラトゥストラ』においてニーチェが示す見方は、
女性蔑視の表れなどではなく(というのも、誰であろうと新たなものを
生み出したものは「けが(穢)れている」のだから)、「宗教」として確立されたキリスト教から見て、キリスト教以前の「異教的」とされる見解なのである。
「宗教」において禁欲主義の実践が「けが(穢)れ」を「きよ(浄/清)める」行為から切り離されて、
それ自体が徳とされ、「けが(穢)れ」ることのない「聖性」が存在者として独立するのは、なぜ、いかにしてなのか。 そもそも"absolution"というのは、「ゆる(赦/許)し」なのか?
"absolution"によって何がどのような存在によって誰に「ゆる(赦/許)される」のか?
祀り/ねぎ(禰宜)における「ゆる(赦/許)し」とはどのようなものか? 自己愛の俺様言語論君が居ついちゃったねw
しばらくほっとけば、ほかの哲学スレの時と同じように消えるだろう。 この人ニーチェスレにも延々とつまらないこと書き続けてるね >Allmählich wurde auch ich 'schlau'; wir lebten in einer nicht nachlassenden Heuchelei,
noch der geringste Positionsvorteil war nur mit scheinheiliger Frömmigkeit,
mit eisernem Gehorsam, mit ständiger Kumpanei und Wachsamkeit zu gewinnen.
Ich bemerkte, daß all das, was 'an Leistung' von mir gefordert wurde,
kaum die Geschicklichkeit eines Affen, das Können eines rechenkundigen Pferdes und die widerwillige Gefügigkeit eines wilden Tieres,
das die Pranke reicht, übertraf. Mit den offiziellen Mächten der Anstalt,
den Lehrern und Erziehern, schloß ich bald meinen Frieden.
Aber womit ich mich schwerer aussöhnte — und einen solchen Frieden ging ich nicht ein,
auch später micht, niemals —, das war die freiwillige, bereitwillige Zustimmung meiner meisten Mitschüler,
die eifernde Hinnahme des Unerträglichen, die Glorifizierung des Niedrigen und Billigen und die demosntrativ und prahlerisch zur Schau gestellte,
heuchlerische Bejahung der Strafe, die mein Selbstgefühl schmerzlicher traf als die Absicht unserer Erzieher, als die Realität der Strafe.<
Sándor Márai, "Bekenntnisse eines Bürgers", p.189 We are the 99%で著名なデヴィッド・グレーバーさんが59歳の若さで亡くなられたね。
死因が明らかになっていないので、ちょっと不可解。
https://gigazine.net/news/20200904-david-graeber-passed-away/ デスクワークや読み書きの活動って命削るよな。
一時期哲学書を読みすぎて手がふらふらになって
定食屋で味噌汁の椀を床に落としてしまったことがある。 >>783
デスクワーク職、ホワイトカラーが短命だという根拠となるデータはあるのか? 最近の朝日の下の広告にデスクワークは腎臓に悪いとかいうタイトルの本が出てたで。
SEの家庭には女の子しか生まれないなんていう風聞も昔あった。 >ソースは?
人体の仕組み。
脳停止とか、大腸停止とかは死因にならない。
呼吸が停止した場合でも、結局は心臓が停止して、心不全で死亡する。 >>786-787
寿命のデータじゃないね。
ホワイトカラーのほうがブルーカラーよりも寿命が短かったら
既存の通説に反するデータだから興味があったのに期待外れ。
>>788
ソースないんじゃん。フェイクニュースはやめて。 >ソースないんじゃん。フェイクニュースはやめて。
ギロチンで首を切り落とされても、死因で頭部切断とかないから、
大量の出血の結果、心不全に陥って、死因は、心不全ですよ? そもそも、死亡とか言っても、グレーバー役をやってた人がお役御免になっただけだと思うが 人間の身体というのは脳を働かせるために、さまざまな機能を持っているんじゃないだろうか?
生物としての本来のあり方は、生殖を行うために脳があるということであるはずだが、人間の場合はその在り方が逆転している。 目の前に見える物はホントに実在するのか、
幻想かも知れない >>795
認識することができないことはいくら考えてもしょうがない
だから認識しうることだけを土台として物事を整理する
カントからやりなおせ >>797
正確には“「我思う」という思念が、今ここに起こっている”。
その思念(思い、懐疑)に「我」という実態を付属させるのは、デカルトの勇み足だ。
思っている・疑っている「我」が無くても、空虚の中に「思い、疑い」のみが発生している、という事態は十分考えられる。
これに初めから目を背けた時点で、デカルトは近代哲学という壮大な幻を築き上げる第一歩を踏み出した。 空虚のなかに疑いのみが発生しているって
発想そのものはできるけど、それが
「十分考えられる」というだけの根拠は
見当たらない
まあどっかで読みかじったんだろうけど勇み足っぽいw 正倉院に資本論を入れろ。20世紀後、あったーーということになる。 >>804
>発想そのものはできるけど、
それで十分ですよ。それだけでいい。
>それが
>「十分考えられる」というだけの根拠は
>見当たらない
「無根拠的に」そう考えられる、ということ。充足理由律じゃあるまいし、存在論の原初的思考に根拠は必要ない。
>まあどっかで読みかじったんだろうけど勇み足っぽいw
現象学系の哲学の影響は無意識に受けているかもしれないが、上記のデカルト批判は一応、俺のオリジナルのつもり。
・・・で、結局どこがオカルトなのやら。 >>807
>空虚の中に「思い、疑い」のみが発生している
オカルトだよw
空虚というのは空虚であって、なにもないこと。
何もないところからは何も生まれない、ということはサルトルが証明してみせた。 「香港に三権分立が存在したことはない」
お爺ちゃんの期待通りだね >>808
勝手な空虚の定義しても無駄
何もない空間に懐疑という観念だけ浮遊するという
観念的な想像をしても良いが、単なる観念上の想像で終わるということ
そこにサルトルが証明とか哲学かぶれの言い分 >>808
>何もないところからは何も生まれない、ということはサルトルが証明してみせた。
あたしゃ信じないねwwwwww サルトルが証明してみせた
すごいパワーワードきたねww >>810
>何もない空間に懐疑という観念だけ浮遊するという
>観念的な想像をしても良いが、単なる観念上の想像で終わるということ
「空間」に懐疑が浮遊するのではない。空間すらも存在しない、空間以前の虚無の中に「懐疑」がある、という事態。
これは「観念的な想像」ではない。むしろ無の中に存する懐疑は、物質(質料、ヒュレー)と呼んだ方が近い。
実際には観念・物質が未分化の事態なんだけどね。 空虚というのは日本古典にもよくある心理だ。空や虚実が心の中にあるような。
哲学的アプローチもつまらない。 >>813
言葉を並べても、なにも意味を成立させてない。
「存在と無」は形而上学愛好家には必須の論考だな。 >>821>>822
君って哲学書読んだことがないんだね?
別に構わないけどw 読書家ではあるんだろうけど、いかんせん
学問をしたことがないから、気分だけで独りよがり >>824
学問どころか読書もしない哲学愛好家よりはずっとマシじゃない?w 他所で芸術系の身体論を哲学とも思想とも無関係って
断言しているの、何やらお爺ちゃんっぽいね
なんでここまで偏屈になってしまったのか まー、サルトルによる無の存在証明というのは、プラトンやデカルトやパスカルやスピノザがやった神の存在証明の別バージョンだろうねw 東西冷戦時代においては、芸術系(特にクラシックにおける芸術)は、ソ連から西側諸国
へ亡命していました。
自由に曲目演奏できない東側諸国における芸術家達は、西側諸国亡命することによって、
ピアニスト オーケストラを統率する指揮者などなどが自由に演奏曲目を選べます。
自由なる演奏活動を求めての亡命、そしてなぜかソ連政府(KGB)も暗黙了解。
それは芸術家が、自身の政治活動を脅かす存在ではなく、真なる芸術を愛していることを
認めたからです。(政治的人物であれば、KGBスパイによる暗殺)
ソ連時代に、ショスターコヴィッチやチャイコフスキー といった旧ロシア帝国時代の作曲家
の演奏しか認めなかったソ連時代も、もうすでに懐かしい思い出ですよ。 >>830
その冷戦時代のソ連における芸術のレベルの高さというものも凄かった。
いわゆる共産圏は、純粋な芸術を高めていくのには良い環境だったんだろう。 単なる国威発揚のためだからな
ラフマニノフ
プロコフィエフ
ストラヴィンスキー
にごめんなさいしないとね >>832
国威発揚だろうと金儲けだろうと、芸術のレベルが上がることはとても素晴らしいこと。
資本主義国の芸術は、どうしても金儲けの量で価値が決まってしまう。 スターリン様式が特にそうだが
旧共産主義文化は歴史としては楽しめるが
やっぱり美的感性はイマイチだな
ロシアのジャズもレベル高いが
やはり名人芸や物量的なものが多く
アメリカ黒人を中心としたジャズの
奇跡的、芸術的発展とは全然違う 資本主義のアメリカでもロクに裕福にならない
大芸術家はいっぱいいるからな
申し訳ないが、20世紀芸術の価値の変遷を
全く理解していないな
無知すぎて笑えない
お爺ちゃんは芸術疎いから書かないほうがいい
俺は無双できるから >>834
スターリンは言語学者だから、学問や芸術を非常に大切にしたんだよね。
ただ自分に素養がある分だけ、視野が狭くなってたともいえる。 >>835
アンタが芸術を語るのは無理だよw
絵画も音楽も文学もまったく無知なんだから。
マルクスどころか、哲学を勉強したこともなければ本を読んだこともないのに、なんでこのスレに粘着してるの? 中国の建築なんかも日本がモダニズムを
高い次元で消化したのと比べて微妙だから
今も日本人設計者は尊敬されてる
洗練された中国建築や清の家具の高みを
知るものにはなんとも言えないな
旧共産圏は、その辺りのセンスが未熟すぎた
無論今どんどん追い上げているから別にいいけど 威張ったスターリン様式もモンド的というか
時代を映しているがそれだけだ
ジャンルを隔て、ストラヴィンスキーの構築物とは
比較にならない 簡単な話
知識プラス実技が必要なんだけど
それはかわいそうだから言わないとして
たとえば漢詩を馬鹿にする漱石ファンには
エズラパウンドもマーラーも理解できないのさ
ってこれすら意味が理解できないかw >>841
あのォ、漢詩というのは中国の文化なんですけどw >>831
モスクワ交響楽団やレーニングラードフィルハーモニー(現サンクトペテルブルグフィルハーモニー)
が、当時「レニングラードフィル管弦楽団 ムラヴィンスキー 悲愴交響曲」が「レコード芸術」
などの音楽雑誌で絶賛されており、当時中学生になったばかりの小生は、今は亡き「レコード店」で、
そのLPを求めて購入して、他指揮者との演奏の違いを楽しんでいました。
当時は、鉄のカーテンを引き続ける社会共産主義国家のチャイコフスキー 演奏が、異常に絶賛されていたことも事実です。
無い物ねだりとは言いませんけど、どこか「隣の芝生は青く見える」が影響していた現実も認めざるを得ません。 エズラパウンドもマーラーも漢詩に
影響を受けた大芸術家 >>845
そうなら中国文化の影響だけど?w
音楽でも絵画でも文学でも、世界的な規模での影響がないものを探す方が大変だ。
経済の交流ができれば文化の交流ができるのも当然だから。
わかりやすいのは、日本への中国文化の影響、特に漢字だろうねw 国文だと影印本をテキストに使うから読めるようになるんだよね。 『資本論』に取り組むという課題から転進して
牧野広義の『『資本論』から哲学を学ぶ』を参考にわかりやすい形で接することにした。
それでも第1巻までしかカバーできないけど。 初期マルクスは一通り文庫本で読んだけど、
城塚登の『若きマルクスの思想』で再確認する。 よくあんな翻訳本を読めるな。なんとかの頭も信心次第としか
思えん。 翻訳もいくつか持ってれば何となく伝わってくるものがあると思って、
4種類取り揃えた。 >>852
翻訳ができない本は論理的じゃないから。
論理的な著作は翻訳できる。 秋深し 隣は何を する人ぞ (松尾芭蕉)
秋深し 隣は何を した人ぞ (宇野弘蔵)
宇野弘蔵渾身の「マルクス迷句集」である。
同じMであるマルクスと松尾。
模倣であり独創でもありまた諧謔でもある。
宇野理論もこの位相にある。
(古傷や 買わず選べり 図書の本) >>857「女子高生監禁コンクリート詰め殺人事件」
これって周囲の住宅環境では、女の子の泣き叫ぶ声も聞こえていたそうじゃあないか。
この事件を起こした主犯加害者の両親が共産党員であった事実。
共産党ポスターを特定地域を囲むように(支配地域にするため)、地域の限界世帯の各戸
に共産党ポスター。
その地域内で起こった、人間とは思えない鬼畜事件。
共産党ポスターを貼られた地域内では、共産党に支配され、その地域内住民も何も言えず警察に
も通報できない状態にしていたのです。(触らぬ神に祟りなし)
共産党の支配してゆく方法というのは、弱者を取り入れながら、陰湿なるイジメで相手を奴隷にすることです。 スターリン 毛沢東 ポルポト
この人らには、最終的には共通した思想に達していたんやで
簡単に成し遂げられると考えていた集団政策(社会主義集団農場)の成果が成長せず
いずれ支配下層らの民衆らの不満が爆発することを
一番恐れるようになるんやで >>859
あたりまえだけど、事件後は一家離散だったね。
もちろん共産党からは即座に除名された(形は自分から)。 >>863
若年層が安倍政権を支持していたようなものか? >>862
世間での共産党イメージが壊れると即座に除名しただけですよ。
今でも活動してい................................ あの主犯格と仲間も、結局は再逮捕される事件を起こすという共産党家庭育ち
この事実を覆すことなど無理ですわ
共産党思想家庭で育った連中って、これまでにも言い難い事件を起こしてるわ 暴走族などなどを生み出したりする家庭の特徴じゃあないですか
かと思えば小型右翼宣伝カーが置いてあったりする摩訶不思議 >>867
こういうスレでデマはダメだよ。
共産党の親の子供はひとりだけで、立場もツカイッパ。
再犯もしていない。
親に責任を見るのがいいとは思わないが、結果として親も悲惨な生活を送ることにはなった。 >>870
反共連中の嘘への熱意はものすごいよね。 アメリカ人に自虐史観を教え込もうという訳だな。文革と変わらないな。 集産主義とは資本主義の生産様式で、
工業的大量生産モデル。
スターリンが目指したのはロシアは急激な資本主義化。
そのためには農業従事者人口を削減して
余った労働人口を工業にまわす必要があった。
つまりスターリンはソ連を資本主義化しようとして多くの犠牲を払ったんだよ。 > スターリンが目指したのはロシアは急激な資本主義化。
訂正:
スターリンが目指したのはソ連の急激な資本主義化。 世間に流布されてきたマルクス主義のイメージは出鱈目が多い。 そもそも「マルクス主義」とかいうものが、歴史上のカール・マルクスの思想とかけ離れている >>875
マルクス主義は悪、とするための宣伝と教育の世間だからね。 >>876
どこがどうかけ離れているのかはっきり示さないで
そういった物言いも一人歩きしている。 >>879
一番端的な例は「唯物論」。
マルクスは「私は唯物論者だ」と著書や草稿で発言したことも無ければ、唯物論について主題的に論考した著書・草稿も無い。
(新聞記者のインタビューに答えて「私は無神論者だ」と回答したことはあるが、無神論と唯物論は違う。)
真面目な研究者であればあるほど、マルクスの唯物論はどういうものか、という問いに答えるのは慎重だし、ほぼ沈黙している。
ところが、マルクスの自称・他称の後継者たち(マルクス主義)とその論敵たちは「マルクス主義は唯物論だ」と公言して憚らない。
しかも「唯物論とは何か」については、エンゲルスと、その後継者(?)たちの間ですら見解が一致していない。
内容である概念、それもマルクスに由来しない概念を少しも論ぜず、言葉だけがマルクスを全く離れて独り歩きしている。 左翼にとってのクリシェに成り下がってしまっているのが現状 唯物論信仰が最も強力だったのが米国、というか、唯物論が、学問において
一貫して洗脳を正当化する手法として用いられてきた。
哲学抜きで物自体が存在し、物だけが実在するという素朴実在論としてね。 >>882
哲学なんかあってもなくても物は存在するだろ?w >>880
いいですか?
ちんちん しゅっしゅっ
ちん シュッシュッ
ということになります。
これが定説なんです。
どうかしましたか? 他のスレみたいにテンプレ作らないか?
著作一覧とか研究書とかまとめて
あと自称反共のバカ避けも >>885
著作一覧はともかく、研究書は多すぎて載せきれないだろ。
書き込みの条件として、マルクスの著作に関することであること、ぐらいの設定が精一杯じゃないかな? マルクス主義は科学でないものを科学的とかいってる幸福の科学のようなもの マルクスどころか、そもそもマルクス主義でさえ、
間違って一般に流布されている。
おそらくは保守派の書籍を通じてだろうが。 ビジネスにおいて「乞う」って大事なスキルだよ。
等価交換では儲けにならない。
自分が渡すものよりもより多くを貰うことで利潤を得る。
資本主義ビジネスを成り立たせているのは根本的には募金だ。 財の形で交換の中で余計にもらうことを「募金」以外で上手く表現できないものか。 金じゃなくてものを余計にもらったときのことを言ったのさ >>889
交換過程ではすべて等価交換になっているというのがマルクスの分析。
生産原価には労働が含まれるから。
その労働を搾取する(できる)のが生産過程ということになる。 労働単価の切り下げが行われた上での等価交換という妙な活動とも言えるかもしれない。 労働単価の切り下げが行われた時点で等価交換じゃなくね? 切り下げられたのは商品の生産過程における労働者の単価だよな。
商業資本が従業員の労働単価を切り下げたわけでは無いわな。 経済全体としては等価なだけで個々の交換成立してないこともあるんじゃなかったっけ? 5chでは募金を乞食と呼ぶ風潮があるが、
乞食を否定したら資本主義を否定したも同然。 コルホーズの親分が共産党でも資本家でも結局畜は畜で変わりはない。一方は自由で平等な気がするが気がするだけ。 >>909
コルホーズは構成員全員が資本家になるので、親分などいないw コルホーズは国家が資本家で労働者はやっぱり搾取されるだけよw 「唯一絶対に正しい社会」なるものを目指すのは、現代哲学的観点から見るとズレてる感じだよな
マルクス主義が支持者が減って廃れるのも止むなしだな >>912
コルホーズは集団による民営農場。
ソフホーズが国家の運営農場。
基本的な知識は勉強しておこうね。 アナキズムがけっきょく何を目指していたかによる。
アソシエーションとネイションの一体何が違うのかに。 ごめん。ネイションではなくステートと言うべきだった。 >>913
その
「唯一絶対に正しい社会」なるもの
とやらの、出典は何ですか? 以下、スピノザ神学・政治論下光文社文庫20:06より
しつこいようだが、国とは人間を理性的存在から野獣や自動人形におとしめるためにあるので
はない。むしろ反対に、ひとびとの心と体がそのさまざまな機能を確実に発揮して、彼
らが自由な理性を行使できるようになるために、そして憎しみや怒りや騙し合いのために
争ったり、敵意をつのらせ合ったりしないためにある。だとすると、《国というものは、実は
自由のためにあるのである。》
《》内をマルクスが抜き書き(鷲田小彌太『スピノザの方へ』161頁参照)
マルクスの『神学・政治論』研究の理論射程
http://chikyuza.net/archives/59516
参照:
内田弘「スピノザの大衆像とマルクス」『専修経済学論集』第34巻第3号、2000年3月
マルクスはつぎの文に注目し抜粋する(MEGA,IV/1,S.240)。
「人間は、安全にかつ立派に生活するために、必然的に一者に(necessario in unum)結合しなけれ
ばならなかった。しかもその結合によって人間たちは、各人が万物にたいして自然から与えられ
た権利を共同して所有する(collectives habeo)ようになった。またその権利がもはや各人の
能力と欲望によってではなく、万人の力と意志によって決定されるようになったのである」…
マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた
「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
(ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。
エチカ4:73
定理七三 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に
従って生活する国家においていっそう自由である。 >>918
マルクスは非常な勉強家だったから、もの凄い量の抜き書きがある。
それを抜き書きの影響下にあるとか言い出しても、まったく無意味だと思うけどなw マルクス主義は真理ゆえに万能である by レーニン ある者が「これが真理だ!」と主張し、
他の者が「そんなものは真理ではない!」と反論したら、この両者の対立はどう解消するんだ? 学問以前にそもそも2者間で争いが起こったら両者の間の中間線を引く作業が必須。 まあ、正<ー>反ー>合の弁証法で片付けられたらそれに越したことはないが。 人類の歴史は対立によって止揚され究極の真理・理想社会へと進展する、と説いたヘーゲル、
が、そこには今を生きる人間個人の顔が見えない、
未来の誰だか分からない他者が手に入れる真理を、今を生きる「私」に提示されても心に響かないんだよ 東京は、一極集中体制に君臨する首都である。国民の歴史像や地理観
を、ゆがめてしまう力ももっている。伏見の銀座が地方銀座なみにあつ
かわれるのも、しょうがないかなと受けとめてきた。
だが、ティファニーの前で、「銀座発祥の地」を見つけ、私は考えを
かえている。これは、すててはおけない。なんとなく、東京で銀座は生
まれたと思われているぐらいなら、まだ見過ごせる。しかし、石碑まで
たてて、そう決めつけている光景を見てからは、ゆるせなくなった。そ
のあやまりは、ただされるべきだと思うにいたっている。
だから、くりかえしのべておく。銀座はティファニーの前あたりで、
はじまったんじゃあない。その源流は伏見にある。見そこなうな、と。
井上章一 『京都まみれ』朝日新書 P140〜1
(マルクスぎらい)
菅孝行:(かん たかゆき)学習院高等科出の反天皇制主義者
絓秀実:(すが ひでみ)学習院中退の左翼アジテーター
菅直人:(かん なおと)東工大初の迷?総理
菅義偉:(すが よしひで)法政初の総理?になりきれないスピーカー 安倍政治に負け続けた日本のマルクス主義者たちは総括せよ >>935
Round them up to put them where? ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの
https://toyokeizai.net/articles/-/380732?page=3
「資本」とは、経済成長を「食料」として無限に大きくなろうとする
一個の生き物のような存在なのだろうか。
資本主義に対する批判者あるいは悲観論者は、「資本」がそれ自体の意思を持って動く抽象的でも具体的でもある単一の生命体のように思っているのではないか。まるで、資本という怪物がいるかのようだ。
しかし、彼らは、資本が単にその所有者が自由に処分できる
「お金」にすぎないことを忘れている。
資本のサイズは、消費とのバランスを比較しつつ、生身の経済主体がこれを決定する。 >>938
その資本(貨幣)の増殖に人の心がとらわれてしまう。
それが、資本が資本として怪物のように動いてしまう理由なのだ。
人が資本(貨幣)に囚われているのが、資本主義社会。
それをマルクスは、貨幣の物神化とし、物神化をもたらした根拠を分析し、史的唯物論として解明した。 へえ新書で出せばいいんじゃないかな
最近話題の独ソ戦読んだけどつまらなかったわ
それの方がずっといい あ、でも後半はいつものノリやな
資本論だけを最新研究で精緻に読めば
日本のマルクス主義は復活するのか?
ついていけない うーんやっぱダメだなあ
オーソドックスな文献学と現象の観察を
知らず知らずに同一視してる
科学を分かってない
論語を精緻に読めば、それがイコール
東洋人の倫理の正しい理解になる、みたいなレベル 近くの住民は、モスクが飲食店や休憩所として使われている様子を「見たくない」と言って顔を背けた。周辺のモスクもほとんど閉鎖されたといい、「外で礼拝するのは怖いので、家族みんな自宅で拝んでいる」と話した。
悲しいなあ >>944
武力でイスラム教を制圧して大勢の市民を殺すより、武力を使わずに過激な宗教を抑え込むほうがいいだろ?
アフガンや中東やアフリカや、北アイルランドみたいに宗教戦争を起こすほうがいいと思う? >>946
極論じゃなくて現実だよ?
世界の宗教戦争はいまだにとどまることがない。
タリバンもISも、かつてのキリスト教のように、宗教を広めるためにテロや戦争をやってる。
テロや戦争を起こさせないように、宗教行為に一定の制限をかけるのは、むしろ一般市民の自由を守ることでもある。
日本でも、オウムという宗教テロがあり、現在はその後継宗教に対し監視をして場合によっては活動の制限もかけている。
中国は悪くてアメリカや日本は正しい、なんていうのはボケ老人の妄想に過ぎないな。 中国の核は綺麗な核、中国のコロナは綺麗なウィルス、だよ? 文化と宗教、神話って表裏一体だと思うのですか、共産主義者の人って
文化作品をどう見て納得してるのですか?
これは作り物、と思ってる?
それともこんなレベルの低いものを大衆は喜んでいると馬鹿にして
作品を作ったり、分析評論する側に回る? 共産主義思想に従う作品は価値が高い
沿わないものは価値が低い
簡単だろ
好きな作品の中のどこかに共産主義思想と
共鳴する部分を見つけて
「だから俺は感動したんだ、だからこの作品は
素晴らしいのだ」と辻褄を合わせる作業をする
その答え合わせだけで自分のプライドを養う >>950
なるほど。どうもありがとうございます。 娯楽作品は労働者から金を巻き上げて
ストレス解消させてこき使うための餌と
看做される
つまり資本主義強化の道具だ
じゃあこれ以上語れないかというと違う
たとえば七人の侍は階級的な問題が描かれている
これは黒澤が共産主義の発想に若い頃
親しんでいたせいだが、それを捉えて肯定的に
評価するっていう思考法になる 現代は多様性の時代
価値観の多様性に寛容な社会を目指さなければ、人心をまとめることができず、反発心からかえって相対主義が加速する。
そうなると、社会の発展は望みがたいし、また、個人レベルでも自己の存在価値を見出しがたくなり自己実現も達成しづらく生き甲斐を見出せなくなる。
人間は他者からの承認を得てこそ自己の存在価値を見出すものだからね。
とはいえ、狭く窮屈な価値観にだけ縛り付けたのでは、そのレールに乗れない人間は自己の存在価値をこれまた見出せなくなる。現代哲学的思考・観点から言えば、共産主義社会を目指すのは多数者の共通了解を得られないだろう。
共産主義の考え方は、資本主義の問題点を炙り出して解決策を考案するための道具としての意味合いは残っているとは思う。が、よりよき社会実現に向けて人心を束ねるため、すなわち共通了解を得るための哲学たり得ないと思われる。 >>949
表裏一体とはいえないな。
上部構造という範疇ということだけが共通項だ。
宗教は恐怖を基に支配するための共同体の幻想であり、神話は支配者の成立を正当化するもの。
文化は、それらも含むが、むしろ宗教や神話と対峙する個人の観念の結晶として現れる。 今から労農派の流れをくむ人としゃべらないといけないのだが
何言ったら受けるかなあ 中核派ガサ入れの様子にはほっこりしたわ
アホくさいけど
この一瞬を大事にしたい 異臭とは
俺のことかと
ガス総理
【アソアベ】上級官房長官【イラネ】 >>953
成り得ないとする理由付けが書いてない。意味なし。 >>913
お前マルクスさえ読んだことないだろ。唯一絶対なんて目指してないぞ。 先進国では日本が最もトランプの支持率が高く、国連に対する評価が最も低い。
日本は、いつからこんな異常な国になったんだろう? >>918
それ、国家が理性に従っておらず、共同の決定を為していない限り、自由でないってことだからな。 >>965
自由気ままに振舞いたいというのが精神の奥底にある本音だろう。
今になって急に出てきたとは思えない。 >>967
自由気ままではなく、だれかの奴隷になりたい、というのが現代の日本人。
トランプは日本人を奴隷扱いしてるが、国連は人権を守れと強調している。 >>968
国連が日本を助けてくれるとは思っていないのだろう。 >>969
国連は誰も助けない。
国を作るのは国民。
国の奴隷になるのでは、国民とはいえない。 >>970
国の作り方がわからないんだろう。
自由と平等は相克するし、人為と自然は対立するし。 >>971
自由であるためには環境の平等が必要だし、人間が自然の存在である以上、人為もまた自然の一部。 文系学問ってむなしいなあ
学者とフォロワーがいなくなれば学問は歴史の上にしか残らない
マルクスももう思想史上の事件でしかない >>972
環境の平等ってどうやったら達成できるんだろうね。
最近浮上している田園都市構想がそれに資するものであればいいんだけど。 >>973
国民一人頭ひと月10万もらえるようにしようぜえ >>975
少しづつ、人が差別されない環境を作ること。 >>974
理系の学問は、そう遠くない時期にAIにとってかわられる。
むなしくないかい? >>978
そういう意味じゃない
ニュートン力学は消えてないだろ?
量子論が出たあとでもな
今マル経の講座なんてどれだけ残ってんだ? フロイトの説ももう誰も精神科医は相手にしてないように
真実だと思ってたことがしょせんは個人の思想信条に過ぎないこと
学者とフォロワーが消えたら学問自体が消える幻に過ぎなかったことがわかる >>979
社会経済学とか政治経済学とかに名前を変えている。 >>979
その意味なら、『資本論』はいまでも正確な経済の分析の書だ。 >>982
分析になってねえじゃんw
データもないのに たとえばリカードの比較優位論は
一見正しいように見えるが
その成立条件は極めて限定されている
あれはイギリスの輸出を正当化するためのヨタ話だ
マルクスも考え方の一つにすぎん >>983
データは引かれてはいるが、数値の比率に踊らされないようにと釘が刺されている。 >>984
資本主義経済の分析として、いまだに資本論を超える物はないよ。 >>984
資本主義経済の分析として、いまだに資本論を超える物はないよ。 >>987
そう信じるのは自由だよ
個人的な意見だが
今の経済学が数学で人をだまくらかすように
マルクスは言葉の定義をあいまいにして人をだまくらかす感が強い
ヘーゲルと同じだ >>989
『資本論』を読めば、マルクのの言葉の定義が極めて厳格だということがわかる。
ヘーゲルもまた、定義が厳格だ。
どちらも一度読んでみるといいよ。 >>990
いやいや少なくとも裁判でこんなこと言ったり
こんな言葉で法律作ることはできないよw
しょせん哲学用語 もっというと資本論みたいなビジネス文書書いて上司に提出してみろ
あっという間にクビだw マルクスが間違ってるとか古いとかは言わない
ただそれが一つの考えに過ぎないことだけはわかっていた方がいい >>991
法律用語は支配のための特殊な用語でもある。
まあ、マルクスでもヘーゲルでもすこし読んでからレスしなよ。 >>993
自然科学の分析がその分野において正しいように、マルクスの分析も資本主義という経済体制について正しい。 >>992
あんなレトリックを多用した文章なんて中々書けるもんじゃないっつうのw このスレッドは1000を超えました。
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